みのか尾張の国から出る神の高山(神界ピラミッド)に秘められた【41】の意味

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    前回のブログは【神の高山の頂上を目指す者と麓から神の高山を眺めるだけの者】でしたが、今回その続きとして補足して行きます。

    そこで、前回のブログに出しました神の高山図に更なる加筆して補足を入れて行きます。

     

    世紀の大預言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は、有名な【みのか尾張の国から現れる誠の女子】という遺文を残されました。ただ、それを自分のことと思う者は【曲津神】と記載されたのですが、その曲津神と書かれた場所を見ずに、私の元には自分がその【みのか尾張の女子です。】等と言って来られる方が多数ありました。

    そうした方の背後には、【お前がその該当者だ】と囁く神霊が多数あったということです。意味が解っていなかったからです。その為に、その背後の霊達がその方にいろんなものを見させて、自分が特別に選ばれた者だと【錯覚】させるがありました。

     

    私はそうした神霊世界が見せる【奇跡】に惑わされない為に、長年そうした霊界の奇跡に関しても見させられたと思います。私は少々の奇跡を見ても、別に驚くことはありません。だいたいその仕組みを見て来たからです。

    私も修業時代は【黒龍神】の攻撃に恐れおののいて逃げ回るもありました。幸いに黒龍神から命を取られるまでは行きませんでしたが怪我はしました。それよりも霊能者と呼ばれる人達の中には物騒な方もいまして、命も狙われて来ました。つまり、霊界は一筋縄では行かない世界であり。まだ神霊世界は唯一神によって統一されてはいないが私の結論でした。

     

    そこにあるのは【力】なりで、勝てば官軍の論理です

     

    私は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】の仕組みから、早い段階でそのみのか尾張の国から出る誠の女子の意味は、【誠は言成る】ですから言霊の意味だと把握はしておりましたが、私が書いた物をろくろく見ないで、私の元に自分がその【該当者】だと言って来られる方達は後を絶ちません。

    私は自分が書いた物を「本」などで売ろうとしている者でありません。ただただ神の世界の【真理】を知っていただきたいから、邪魔な広告が入らない有料のHPやブログで発信しています。スピリチュアルは金になるで金儲けをしているのではありません。全国の一宮を回ったりで、自分の蓄えを持ち出す一方なのです。

    大本教に大本教神諭予告の【九つ花】は【ス】の神論ではありませんよと知らせる為に、綾部の町に十回も全戸配布の折り込みで宣伝紙を出しましたが、逆に当時の大本教が綾部の町に配布している宣伝紙に、「イロハ四十七士でやっけてやる。」と返されました。が、大本教の出口なお開祖や王仁三郎聖師のご苦労を考えると、何も解っていない宣伝使を相手にしても意味がなく、このままでは自己の財産を食い潰してしまうで、さほど費用がかからないインターネットで宣伝するとなりました。

     

    霊的世界は、HPやブログで発信しますと、霊的世界では発信されたことが解ります。肉体人は自分は知らなかったと言い訳が出来ますが、霊は知りませんでしたの言い訳が出来ないのです。

    私が【41】の数字の意味に気づいたのは、大本教霊界物語の中の【主の神は約三十五万年前に御引退】の記述から、【この世の時計と神界の時計】から「41」の数字が持つ意味に気がついたしだいです。

    そして大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を紐解けば、その中心に【41】の数字が出て来ます。ただ、それには【龍宮の音秘め】を補佐役にしなければなりません。

    その言葉に秘められた謎の紐解きには、私の神霊界修業のお世話して下さった【豊受姫】から見せていただいた霊的光景が大きな役割を果たしました。豊受姫の【龍宮の音秘め】としての補佐がなければ、ここまで言葉の意味は紐解けなかったとは言えます。

     

    モーゼはエジプトからユダヤ人を引き連れて、「四十」年間荒野をさ迷いました。そして「41」年目からはユダヤ人達だけで【カナン】の地を目指すです。イエスは「四十」日間荒野をさ迷って悪魔を退けて、【41】日目で【神の一人御子】と成られたとします。どちらも「四十」の間はさ迷いなのです。そこには、四十迄は【さ迷い】の意味が出て来ます。 

    ただ、モーゼの【年】とイエスの【日】では桁が違いますので、誰もそこに【40】の数字に共通事項】があるとは考えだにも予想だにもしなかったわけです。

    私が子供の頃に臨んでいた霊声は【旧約聖書の神】と称していました。だが、その神の教えは旧約聖書や西洋ではなく、この日本に満ちあふれているでした。

     

    何故に、【四十】まではさ迷いなのか?

     

    某教団。その教団の名乗りの御祭神名はともかくとして、その教団の本当の祭神は優秀な霊能者達によれば【黒龍神】だとされています。私も豊受姫からその系統の教団を仕切っているのは全て「黒龍神」だと聞き及んでいます。

    その教団では【飛騨高山】に大神殿を創りました。飛騨高山を走る国道は【41】号線で、【みのか尾張の国から出る】で【高山】の言葉に気づいたのでしょう。 馬小屋の救世主の単騎の馬を飛ばすには【飛騨】だと成るでしょう。

    その教団ではその信徒達を「みろく」世に渡すことを歌っておられるようですが、その教団に所属する信徒リーダーで霊能力がある方が見た霊的光景とは、最後の時にはその教団が出す「みろく世行きの船」は、ことごとく天から降る火の雨で沈んでしまう光景だったと言われます。

    霊的世界において最後の審判の【火の雨】は語られていますが、これは飛騨の【高山】に逃げるのではなくて、【富(十三)山】に逃げるなのです。高山だと【41】号線でも、未だ【神通川】を渡っていないからです。それらは全て日本語の言葉の仕組みで、高山市と同様に富山市に大神殿を創れば良いの話ではないのです。

     

    大本教からは、この神の仕組みとして【三千年】かかったとあります。お釈迦様もイエスもモーゼも全てその仕組みの中だったと言えます。巷で自分がお釈迦様とイエスとモーゼの本体で、永遠の仏陀だと名乗っている人のことではないのです。

    三千年前の日本に「美濃」とか「尾張」の国があったのでもないし、「高山」とか「富山」と呼ぶ町もありませんでした。国道「41」号線もなければ「神通川」と呼ばれる川もなかったのです。

     

    この神が仕組んだが解らなければ、この神の偉大さは永遠に理解は出来ないでしょう。

     

     

     

    スピリチュアルでは、行者が神界ピラミッド(神の高山)の合目で魂の格付けを見ているのとは違って【次元】で言う方が多いのですが、次元での話になると、自分は三千億次元の創造神だとか、五百万次元の魂だとか、百万次元の魂だとか、言いたい放題のところがあります。全て自称と言えども、高く言えばいいという問題ではありません。で、神の高山図で見て行きます。

    優れた行者は神の高山を【合目】で語られますが、合目を逆に見ますと一番下が「10」なのです。上からの順位で見るわけです。囲碁や将棋で言うと初段までは、十級から九級、八級にと上がって行く勘定です。

    そして、神の高山の山麓たる五合目まで来ますと、10+9+8+7+6=40となります。この五合目までは、神の存在を遠くから見ている段階なのです。ここまでは【他力信仰】の道なのです。

     

    自己の良心神に目覚めると、他力信仰から自力信仰に変わる

     

    神の高山にと向かって、自分が歩み始めるのが自力信仰

     

    神様、御利益下さい。神様、御利益ください。の他力信仰を続けている間は【40荒野のさ迷い】の中にあるのです。

    それとは違って、お釈迦様の悟りであった【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在している。】という自覚に入って来ると、【ラ(良・羅)】で大本教が告げた【人は神の子・神の宮】として発動を始めるのです。大本教神諭予告の【この世の閻魔大王として現れる。】です。それからが【41】の働きなのです。

     

    私は大本教の出口王仁三郎聖師霊から、【アラー】の神と示された時、当時は日本語のアイウエオの【ア】の門から【ラ】迄の【41】とは思いませんでした。

     

    大本教から、【主の神は約三十五万年前に御引退】が出されましたが、主も神界での【四十荒野の彷徨(さまよ)い】だったのです。

     

    皇神たる方が行く道が、【彷徨い】

     

    主の神の復帰で、宇宙規模の立替

     

    それは何時ですかと聞かれたら、大本教神諭に【神も時節には適わない】とありますように時節がはっきりしません。神界時間とこの世の時間差があまりにも大きいからです。しかし、いち早くに(西暦1892)大本教と言う宗教を通じて宣伝に入られたので、そんなに遠い話ではないのです。だが、この世の私達にはそうした詳細が完全には掴みきれないなのです。

     

    大本教からは、【明治五十五年の世の立替説】が出されました。明治五十五年という年は存在しませんので大正十年ともされましたが、大正十年には何も起きませんでした。否、第一次大本教弾圧事件でした。

    私は自分の身に起きた摩訶不思議な出来事を契機として、神霊世界に修業に飛び込みました。それは【昭和五十五年(西暦1980年)】からでした。私も来年の西暦2020年で【41】年目となります。

    私を見た霊能力者が、貴方の前世は【モーゼ】ですかと質問されることがありますが、私の前世はモーゼ(天道別命)ではありませんと答えさせて貰っています。ただ、私もモーゼ同様に【四十荒野のさまよい】の道を歩いているのです。

     

    いったい、この【五十五の立替】の意味はどこにあるのかとなります。神の高山図をよく見ると、一から十までの総和が【五十五】なのです。 五十五の世の大立替とは、破壊と創造の神が天下った時 でないと、【五十五】の数には成らないからです。その時、今の太陽も月も一新して治めるのが明(日と月)治です。

     

    神の高山の五合目までは【他力信仰】であり、【さ迷いの期間】となります。その間、いろんな神様達を信仰して来た。それが蛇霊であったとしも狐霊であったとしてもかまわなかったのです。要は神と呼ばれる存在を知ることが大切だったからです。五合目から頂上神(唯一神)信仰に足を踏み入れて行くことで【41】への道にと入って行くからです。

    その唯一神の存在はユダヤ教では「エホバの神」。イスラム教では「アラーの神」となります。日本では【天之御中主(国常立尊)】となります。ただ、それらはある段階での呼び名であり、もっと上界だとその呼び名が違って来ます。

     

    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていました。その声は、【この私を唯一の神として仰ぐ者達は私は救う。だが、そうでない者達とは永遠の別れとなる。】と告げられたのです。私は長じて、私が子供の頃に臨んでいた神は旧約聖書の神と称していたが本当はどうなのかと、多くの霊能者の方に当たりました。その結果、豊受姫を初めとして7〜8名の霊能者の方から、貴方の本守護神は【国常立尊(天之御中主)】様と告げられたしだいです。旧約聖書の神と称していた存在は国常立尊(天之御中主)様であったかなのです。

    よく新約聖書のイエス一人が神の子だと信じた者は神の千年王国に、イエスを神の一人御子と信じなかった者達は千年間地獄などありますが、既にイエスがこの世を去って二千年以上、そんな天国も地獄もなかったということです。どうして千年王国が説かれて来たのかとなりますと、これは「鶴は千年」「亀は万年」の【鶴】だけが説かれたからです。

     

    日本で説かれる【かごめ歌】の鶴と亀が統べるとは、1000×10000=千万年で、千年ではなくて【千万年王国】を指していたのです。但し、そこには【鶴】と【亀】が本当に統べるかという問題は控えているのです。もしも統べるに入ると、【永遠】と言う言葉をそこに使っても過言にはならないでしょう。みろくの世は【永遠】とするのです。

     

    神の高山に登るとは、その唯一神に向かって進む道となります。唯一神に向かって進むとは【40】荒野のさ迷いを終えて、2+3+4+5=14の数字が出て来ます。

     

    その「十四の心」の道を行くことを【徳】と言います

     

    世の為、人の為にと尽くすは自己の魂に【徳】を積む

     

    その「徳(悳)」を、直心で「良心神」とも言います

     

    私は世の為に人の為にと、自己の【犠牲】を省みずに尽くして来た人達は【天国】界に行っていると一貫して説いて来たのはそこにあります。但し、そこには神の存在を信じる心がないとダメだと言っていたわけです。唯一神と直に結ばれる心の存在からです。

    神様、御利益ください。御利益くださいで【得】を得たとしても、自己の魂の【徳(悳)】とはなっていないなのです。徳は俗字で本字が【悳】なのです。

    スピリチュアル系の人にいくら「良心神」を教えても、ほとんどの方は見向きもされません。「愛」一辺倒で、その場合の「トク」は【下心】で示す一字の「トク」の漢字の働きになるのです。残念ながらPCでは配当外漢字なので機種によっては「下心」一字の漢字は出せませんので、興味がある方は「U+5FD1」で検索して見てください。

    大本教で告げた【我れよし。自己本位の愛】の戒めは、そこに【下心(トク)】があるからです。

     

    そこに来たのが【他(田)を救い(鋤くい)て世根(米)となれ】

     

    いくら自分には神社の御祭神が見える。龍が見える程度で、神の世界が解っているつもりかとなるのです。自分には神社の神が見える。その神と会話が出来るで進みますと、それらの霊は「言葉による教え」など見るな。従うなと言います。自分達が見せる光景だけに従えです。

    ここまで【言葉で仕組む】など、自分に見える神霊や龍達では【不可能】だという判断力すら失って、邪神界にと取り込まれて行くのです。

     

    大本教の出口王仁三郎聖師が霊界物語の第十三巻に「あほう鳥」として出された【みのか尾張の国から誠の女子が現れたならば、モウこの大本教はダメだろう】の内容は、人のことではなかったのです。【神の高山】の意味だったのです。十三の【ス】神論そのものが「ニセ型」なのです。ですから、この神(ウシトラ金神・国常立尊)の仕組んだことは、どの神にも解らないとなるのです。

     

    大本教神諭予告。

    【今度の大事業(大望)は人民の知りた事では無いぞよ。神界へ出ておでます神にも御存知ないような深い仕組みであるから。】

    【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。】

     

    お釈迦様。イエス。モーゼ。それに大本教を入れて、三千年に渡る大仕組み

     

    大本教神諭予告【九つ花】を紐解けば「五十六億七千万」のみろく世に渡す

     

     

     

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    神の高山の頂上を目指す者と麓から神の高山を眺めるだけの者

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      行者は、スピリチュアルを標榜する人達を苦々しく見ています

       

      そうしたことを聞かれる方はあるでしょう。どちらも神仏と呼ばれる精神世界に関係はしており、霊的には同じ様に見えます。しかし、行者とスピリチュアルでは中味的にはまるで違って来るのです。最近特に言われているのが、スピリチュアルが霊的世界を汚しに汚しまくっているです。今、多くの神聖な霊場が「スピリチュアル」によって汚されているなのです。

      スピリチュアルで【パワースポット】だと言って、そこに自分の魂の汚れを置いて行くからです。行者は神域を清める為のお手伝いをしますが、スピリチュアルはそこを汚しに行っているです。行者はそうした神霊域に参る時は【潔斎】と言い、その前に瀧に打たれたりして自分の身を清めます。神霊域を汚さない為です。で、スピリチュアルでそんな人が居るのですか?。となるのです。

      いくら神霊と言えども、我欲の願いの為に多くの人が参拝して来ると、神霊その方がそうした汚れを受けて自らが浄霊出来ずに汚れて行きます。

       

       

      一番悪かったのは、自分が「スピリチュアル」の言葉を広めたと公言している霊能者【江原敬之】さんでしょう。行者以外のほとんどの人が知っていなかったパワースポットを世間に自己の著本などで紹介して、神域を汚す要らぬことをしたからです。

      元々、この日本にスピリチュアルと言う言葉を入れたのは、大本教で明治五十五年の世の大立替説の旗振りをした【浅野和三郎】師とされます。当時、天下の大秀才の呼び名が高かった方です。大本教弾圧事件を契機に大本教を離れた後、現在の公益財団法人「日本心霊科学協会」を立ち上げられました。

      しかし、浅野和三郎師は「スビリチュアル」の言葉が低い霊との交流を表しているで、自分がその言葉を日本に持ち込みながらその言葉を嫌われたのです。で、スピリチュアルの言葉ではなく、日本語で【心霊】とされたのです。で、霊的な現象を【心霊現象】と言います。この日本心霊科学協会関連の書を読みますと、【愛ばかりを説く者は蛇】とまで書いた本もあります。

       

      現在の心霊世界は「九分九厘」まで邪神で、残る【一厘】だけが正神だという日月神示などがありますが、それは聖書で人類の原罪とする【蛇の囁き】の問題であり、自分から【巳(蛇)帰るのミカエル】を起こせば問題はないのです。だいたい、この【蛇(巳)帰る】状態の方の魂を見ますと、菩薩界とか第二天国界天使以上の魂かと思われます。

      そこに、大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた。ミカエルなどと言う天使長は存在していない。自らを「省みることだ!。」があるのです。これは「日本語」が神霊世界でどういう立位置にあるのかを理解していないと、日本語ではなくて西洋の言葉で語っていればよいという風潮になるわけです。為に【言霊】のみならず、象形文字は【光】であることも解らないとなります。

       

      あるキリスト教系団体の日本人牧師は、キリスト教に入信を募る宣伝ビラに、【日本人は紙に書かれた物を神として祭っている(日本神道の御札を皮肉ったのでしょう)。紙に書かれたものは神などではない。それと違って自分達は主の一人御子である「イエス」様をお祭りしている。】などと書いていました。聖書の【初めに言葉は神と共に在った】そのものが理解出来ていないなのです。まさか、【紙と神】が同じ「カミ」である意味すら理解出来ていないわけです。

       

      行者は、自らが神の高山に登る為に修業をする

       

      スピリチュアルは、霊的世界の存在を語るだけ

       

      神の「高山」とは、日本の【富士山(不尽山)】に当てはめて考えてください。私達は富士山を山麓から離れた場所から見て、美しい山だと思います。感動をもします。その富士山に行った時、五合目ぐらいまでは車などで簡単に近づけます。簡単に富士山の中腹までは行けるのです。それで富士山に行った等と言います。しかし、そこから頂上を目指すには自分の足で自力で登って行かないといけなくなります。

      富士山を山麓から眺めている時は美しい山に見えますが、自分が富士山の頂上を目指して歩く時には、その美しさは解らず。登りの道がきついだけです。息が苦しくなります。また落石や滑落の危険もあります。だが、頂上に立てた時、そこからは広大な景色を見るなのです。そうした時、自分はいと小さき者だとも感じます。

      スピリチュアルとは、下から神の高山を見ているだけで神の高山の本質を知らないなのです。霊的世界に関わる危険性の認識がまるで足りていないなのです。一方、行者の世界は自分の命を落とす危険性をも認識しています。そして多くの行者が霊的戦いの中で命も落として来ました。

       

      神の高山は、他力本願では登れない

       

      私が以前に出した【神界ピラミッド(神の高山)図】に加筆して説明します。

       

      では、神の高山とは【何ぞや?】です。神を【十】記号で現すは世界でも共通事項ですが、十の意味は【頂点】を指します。テンです。

      西洋で言葉のことを【ロゴス】とも言いますが、他に【真理】とか【法】の意味合いです。つまり、創造神に向かう高山とは【真理とか神の法】をも学ばないといけなくなるのです。

       

       

      神の高山とは【真理と神の法】に向かう山

      行者は「真理」に向かって修行もしますが、スピリチュアルとは【愛】一辺倒で「真理」や「神の法」を学ぼうとしません。自分の目に見えた霊的事物だけに頼ってしまうからです。

       

       


       

      お釈迦様の教えには諸天諸仏が従ったとされていますが、お釈迦様やイエスや弘法大師や日蓮聖人の様な魂の方は、神霊世界でとても階層が高い魂を持った方だったと知られています。確かに人の肉体として言えば、お釈迦様も自分達と同じ様に飯を喰らって糞もする。どこがどう違うのかと言われる方がありますが、魂の世界。霊界においては【雲の上の存在】だったなのです。

      行者の世界ではこの神の高山の合目で、各々の魂の高さである合目を見るがあります。それは行者ならば誰でも解るではなく、非常に秀逸の行者さん限られるはあります。そうした行者筋からは、日本の神社に鎮まる神々ですら、そうした合目で判定されているのです。日本では伊勢神宮に鎮まる御神霊が一番上とはされていますが、イエスと同等クラスだとする説もあるなのです。

       

      私は神霊世界に修業の足を踏み入れた時、約一ヶ月間ほど霊界の伊勢神宮の宇治橋で神官霊から修祓を受けた後、一万霊体に及ぶであろう絢爛豪華な神霊行列を見せていただきました。その後、女性霊ではなくて女性の様な服装をされた男性霊が出現されて、その着物の胸元には金糸の刺繍で「鶴」。裾には「亀甲」刺繍が織られているの見て、【鶴と亀】かで、私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から告げられた【カゴメ歌には秘密】で、後ろの【鬼】は誰かとなったのです。

       

      私の元に、ある方が伊勢神宮に参拝された時、伊勢神宮の天照皇大御神から私宛ての伝言を託されたとのメールを頂きました。その内容は、【自分が三千年間に渡り、この日本の総氏神を勤めた事実に対しての認識はお忘れなきよう。】にです。確かに、日本の総氏神と言われるのであればそうでしょう。

      スピリチュアルでは伊勢神宮の神は「女神」で終わってしまいますが、優れた行者筋からだと伊勢神宮は【男神】説が出て来ます。

      伊勢外宮の豊受姫のお代であった私の最初の師匠は、豊受姫の本当の御主人たる神が真性天照皇大神で、今の伊勢神宮に居られる神ではないと言っておりましたが、伊勢神宮の神霊は本当はどなたなのかは明らかにされませんでした。

      それを知るには、三輪山の神は本当は誰かになって行きます。日本の記紀神話が正しいではないのです。これには諸説あり。霊能者をしていて自己の神霊から三輪大神は本当は誰かと聞かされても、それですら人によって言われることがまるで違うのです。誰の説が正しいのか?。それすら解りません。

       

       

      私の元には、自分が【救世主】です。自分が【みの尾張の女子】ですと認定して下さいと言うメールが、自薦他薦を問わずに来ます。

      私は二人の師匠に師事して神霊世界を見聞させて貰いました。最初の師匠は豊受姫のお代で、当時、女性ながら伏見稲荷神界に所属する行者の実践霊能者としては癸韻慮討喟爾高かった方です。稲荷神社の神主をされていましたが拝み屋と呼ばれることは嫌っておられ、自らは【行者】であると言っておられました。2番目の師匠は言霊師で、龍神を操るほどの存在でした。この日本に言霊師などはめったに存在はしません。若干名でしょう。ある霊山に三年間も籠もり、熊笹とか松葉を食して霊力としては仙人のような存在でした。

      私は未だこの二人の師匠を超えるだけの霊能者を見たことがありません。でも、広い日本のどこかには何人かは居られるでしょう。

       

      私の元に自分が救世主です。みのか尾張の女子と言って来られる方達を見ると、残念ながらお世辞にも私の師匠であった方の【域】を越えておられないなのです。その足元にも及ばないなのです。それでは神の舞台の役者としても、とても役をこなせませんよと言えます。貴方自身が優れた行者の弟子となって、一から学ばれる方が先決ですよとなります。私はその意味では幸せ者でした。

      自分の前に出て来る高級な神名を名乗る霊や大天使と称する霊の言葉など、真に受けてはいけないのです。優れた霊能者に一度自分を霊査して貰いなさいなのです。しかし、そんな優れた霊能者がどこに居るのかとなったら、今は居られなくなりました。ですからご紹介は無理です。自分でお探しくださいです。

       

      それはいくら霊能力があっても、修行をしようとする人が減ったからと言えます。俗に言われる仏(一般霊)の言葉を聞ける者は千人に一人は出て。神の声が聞こえる者は万人に一人は出る。そうした者が千人万人修業して本物はやっと一人と呼ばれる世界が霊界です。修業も何も無しで、単に霊が見える霊の声が聞こえるでスピリチュアルに走ったところで、霊界の底辺(合目が低い霊)の言葉に欺されてしまうなのです。

      豊受姫のお代をしていた私の最初の師匠は、自分に霊が見えるとか霊の声が聞こえて来ると相談して来る方があると、その能力を消すをしていました。なまじ霊が見えるとか霊の声が聞こえるは、本人の為にならないからです。

       

      辛い修業次第で本物の霊能者に成れる

       

      しかし、そうした修業段階に入ると行の厳しさに堪えかねて次々と脱落して行きます。結局、脱落して霊能力も消えて、普通の人に戻ったなのです。私は行の辛さに脱落したのではなく、元々がそうした道を行く者ではなく。その師匠も「貴方は霊能者や行者に成る方ではない。」と理解されたのです。

       

      神の高山に登る修業としては、【山の行】か【里の行】のいずれかがあります

       

      山の行とは、霊山を駆け巡り、瀧に打たれる。断食をする。里の行とは、【社会の底辺をウジ虫の如く這い。人の心の在り方を底辺で学ぶ。】です。

      私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、私に【この神は、そなたを社会の底辺に置く。そなたは社会の底辺をウジ虫の如く這ってでも生き、人の心の在り方に関して学ばなければならない。】でした。

       

      霊能者江原敬之さんは、自分がスピリチュアルの言葉を広めたと自画自賛をされています。確かに、霊はよく見える方です。しかし、霊障が起きているような場所に行くと逃げて行くタイプの方です。霊がよく見えるのと、悪霊や強い霊に打ち勝つはまったく次元が違うのです。

       

      それは、霊界が次元とか合目で立ち位置が違うからです

       

      霊的世界における自分の実力のほどを知らずに、自分に臨んで来た黒蛇霊や野狐霊の言葉を信じているだけでは、とても救世主だとか、みのか尾張の女子だと認定など出来るはずがありません。

      ある女性は自分は出口王仁三郎聖師が残された「みのか尾張の女子」だとその背後霊から聞かされておられました。私の判定はその背後は「大物の野狐霊」でしたが、霊能者の方からその女性の背後霊は「八尾の野狐霊」だと告げられました。私は霊能者をしていませんので大物の野狐霊とは感じても、まさか「八尾の野狐霊」とまでは見えなかったなのです。それだけの存在ともなれば、単なる白狐霊ではその配下として従わざるえないとなります。

      そして、私がそうした方を該当者として認定は出来ませんと否定すると、恨んで念を飛ばして攻撃して来られるがあります。で、自分では凄い念を飛ばしていると思っておられるのですが、そんな念を送れば魂を磨いている相手には通じず。自分に跳ね返るだけなのです。

      他人から【念】を送られて苦しんでいるのは、未だ自分の魂が磨かれていないなのです。

       

      大本教の出口王仁三郎聖師は優れた霊能者達によれば、神界の八合目だと言われます。イエスもほぼ同じだと言われています。その出口王仁三郎聖師ですら、最初は救世主の名乗りをされていましたが、その看板を下ろして「聖師」と名を変えられました。本当にその方が救世主であるならば、それより上の段階の魂となります。神界をビラミッドと仮定すれば、【九合目】以上の存在だと言われているわけです。

      私は霊能者をしている者ではありません。私が子供の頃、臨んできた旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は、私の教えが満ちあふれている世界で唯一つの国であり、そなた一人だけにはその仕組みを見せる。そなたはその仕組みを知って、人々に告げなさい。】と言われたことをしているだけなのです。創造神と思われる神の存在証明を言葉を証拠として、示しているだけなのです。

       

      言葉を創りし神の存在証明=言葉の仕組みを正しく明らかにする

       

      私は別に【救世主】たる人物探しをしているわけではありませんし、大本教の出口王仁三郎聖師が告げられた【みのか尾張の国から出る誠の女子】探しをしているのではありません。

      何故ならば、最後の審判は【各自の魂の中の良心神の点数】の判定であり、それによってみろく世における自分の霊界での地位が決まることからです。

      私はスピリチュアルで【何をしても神の愛で赦されます】と説いているような者に引っかかっていれば、行き先は地獄界になりますよと言っているだけです。

       

      この神界ピラミッドたる神の高山は、大本教神諭予告【九つ花】を紐解けば出て来る美濃尾張の国から高山に走る国道【41】であり、モーゼは紅海を割ってカナンの地に至る【41】年であり、イエスは荒野をさ迷って悪魔を退けて【41】日目にて神の一人御子となったとする【41】の言霊の意味合いなのです。

      私はイエスの教えは美味な【パン】の教えなれども、真ん中が無い「パン」の教えだと見せられました。その時は、真ん中が存在しない「パン」の教えとは何だろうと思いました。

      大本教の出口王仁三郎聖師は、日本人は「米」が主食。西洋人は副食の「パン」の教えと説かれています。一見すると、気がつかないかも知れません。西洋人にとっては「パン」は主食のはずです。何故にそれを副食と説いたのか?。です。「米」型でなかったならば、みろく(369)の五十六億七千万が見えて来なかったなのです。

       

      聖書は、小麦が実ったならば刈り入れで

       

      日本は、米が実ったならば刈り入れです

       

      自分が苦しいから神様助けてくださいと言っている者と、大本教が世に出した【人は神の子・神の宮】だと認識して、どんなに辛くても自分が努力してその神の高山を登って行こうとしている者では、霊界での段階が違って来るのです。

       

      聖書に人類の【原罪】として、アダムとイヴに囁いた蛇霊が出て来ます。そして、人類はその蛇霊と一緒にエデンの園(神の御国)から追放されたとあります。それは、キリスト教のイエス一人を神の御子と信仰した者だけがその罪から赦されるのではなくて、【41】という数字に秘められた言葉の意味なのです。

       

      その存在以外に、【蛇霊】に打つ勝つことが出来ないのです

       

      それは【愛】ではなくて、各自の魂の核たる【良心神】です

       

      もし、自己の魂の中の良心神が立つならば、巳(蛇)は帰る

       

      そこに、私達が関わる神霊世界は蛇霊だらけがあるのです。それは、私達の心の中に、他人に対する【憎しみ】【恨み】【嫉妬】【執着】心を持つ限り住み着いて、私達の魂を蛇霊化させて行くからです。

      古来より、蛇は怨念とか執着の表れだと説かれて来たはずなのです。お釈迦様の教えは【未練とか執着から離れよです】。その中でも霊能者が一番恐れているのは【色情の蛇】です。神は【フリーセックス】など認めていないのです。それらは邪神界悪魔界の囁きなのです。

       

      次回、神の高山に関して続く

       

       

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      人は死後も生きていると知るには「生き霊や幽霊」を見る。「幽体離脱」の体験が無いと難しい

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        人は死後も生きています。しかし、そうしたことを言うとすぐに「オカルト」などと批判されてしまいます。あらぬ攻撃も受けます。オカルトとは「occult(魔術的、神秘的、秘密)等の意味ですが、大多数の人の目には触れない霊的世界の存在を語ると、自分がそうした世界を体験したり経験していないと、自分の目で霊的存在に触れたことが無い人から攻撃されてしまいます。

         

        仏教は死後の御先祖霊の供養を言いますが、その教えには従っても、霊能者の言うことなど信じない。霊など見えるはずがない。あいつらはインチキだです。先祖霊供養を説く僧侶の目に死者の霊が見えているかと言ったならば、霊が見えている僧侶などごく僅かしかおられません。

        某宗教団体はインチキ霊能者を使い。御先祖霊が地獄に墜ちて苦しんでおられますと、高価な印鑑や壺や絵画を買わせて来ました。霊感商法と呼ばれるものです。その裁判では次々と敗訴していますが、霊界は私達の目には見えない世界だからインチキもしやすいというのは確かです。最近、その教団教祖が亡くなったら、その教団の幹部であった者が自分の前世は○○であった等と新しい宗教を立ち上げています。自分の前世は○○であった等と言って、人を欺しやすい世界ではあるとは言えます。

         

        しかし、そこには霊的世界が階級を持った世界であり、数々の大予言を的中させて来た大本教の出口王仁三郎聖師が正神界百八十段。邪神界百八十段と説かれたように、歴然とした階段が生じています。これに唯一神とされる神を含めると百八十一段となります。日本における【岩戸開け】とは、その【一八十(イハト)】段の話なのです。

        単に霊的世界に触れたとしても、蛇霊、狐霊、狸霊、猫霊と称される低い霊界から、お釈迦様やイエスや弘法大師や日蓮聖人の様に高い霊界出身まで様々あるなのです。行者と言っても、蛇霊や狐霊にこき使われている段階から、逆に狐霊を使役する方まで段階が違います。低い段階の霊に関わっていると、霊に嘘ばかりつかれているとなります。

        貴方は昨日の夕食に何々を食べましたね。こうしたことは蛇霊や狐霊の段階でも当てて来ます。霊は過去形に関しては、低級霊でも魔界でも当てて来ます。だが、問題は【未来予知】なのです。大本教の出口王仁三郎聖師が他の存在とまるで違ったのは、未だ来てもいない未来の予言を数々言い当てて来られたことなのです。これは、その背後に単なる霊が存在したのではないのです。

         

        ある悪党は私に言いました。【人は死ねば終わりだ。死ねば終わりだから、悪いことをしなければ損だ!。自分が恐いのは神などでは無い。警察だ。警察は悪を取り締まって来る。神は人が困っていると頼み込んでくれば、その願いを聞いて救っていればいいのだ。人が悪をすることを神は口を出さずに黙って見ていればいいのだ!。】

        この悪党は神の存在を否定したのではないのです。この悪党自身は、神と人とは別物だと認識しているのです。為に、人は死ねば終わりだが、神は存在していて人助けをしている。その証拠に、この悪党は正月には必ず神社に初詣に参って、願い事をしているからです。

        霊能者の霊が見える等の内容は信じられないが、神が存在していることに関しては認める。そうしたことは学者筋にも多い意見です。この世を見渡せば、神の存在を否定するのはかなり難しいのです。

         

        霊が見えると言う方の中には、自分の前世は釈尊だったとかイエスであった等と平気で言っている方達があります。これらの人が他の霊能者から審神(サニワ)と言う霊査をされて、本物だと追認されることはほとんどありません。そうしたことを言い霊力を示す方の背後に龍神の存在は見られるはありますが、その方の前世は本当の釈迦でもイエスでもないことぐらいは常識なのです。ほとんどは龍神、蛇霊、狐霊、狸霊、猫霊、天狗等と呼ばれる霊が憑いているなのです。

        だからと言って、今の霊界はそうしたニセ者達を取り締まってはいません。つまり悪党にとって恐いのは神ではなくて、この世の警察なのです。そうした名乗りの宗教家に欺されたからと言って、どこにも訴える場所はないのです。

         

        この世に正義が無いからと言って、神の存在否定は誤り

         

        悪は必要があったので、最後の審判の時まで生かされる

         

        その悪党の妻とその息子の嫁が困り毎で霊能者の元に二人で相談に行くと、どの霊能者からもお帰り下さい。二度と来ないでください。とピシャリと断られていましたが、黒龍神界と深い関わりを持つ家系で、その男の娘には何百体もの黒龍神が従っていました。それでは、通常の霊能者が対処するにはあまりにも恐ろしい存在なので、どうか帰ってくださいとなります。

        その男の罪状は神代と呼ばれる時代まで遡っていたのです。いくら【輪廻転生】を繰り返していても、その性格が今日まで治らないなのです。

         

        日本人の多くは仏教徒です。だが、そのほとんどは葬式の時だけの仏教徒であり、葬式の為にお寺とのお付き合い的なことが多いと言えます。僧侶達が死後の世界に詳しいわけではありません。ただ、死ねば僧侶の御経で故人は「極楽往生」だと思い込んでいる人達が多い言えます。そこで、霊界でより高い世界に行けると思い。【高い金額の戒名】を付けていただくなどとなります。

        別に、信士、居士、軒号、院殿などの戒名で霊界での自分の位置が決まるわけではありません。その人が今の世でどれたけ世の為に人の為に尽くして来たかです。

         

        人が死後も自分が生きていると実感出来るのは、自分自身が【幽体離脱】を体験することです。これが何を言っても死後の世界に生きる自分が一番実感出来ます。

        いくら世間から、人は死んでも生きていると言ったことで「オカルト」呼ばわりされても、非難するお前達は何も解っていないと言えるだけの信念が出ます。この世の死は何も恐くない。この世に未練などは無いなのです。

         

        仏教では、この世の未練や執着は捨てよと説きます

         

        この世に生きている時に幽体離脱して霊界の存在を見聞すれば、この世は仮の世。一時的存在世界と認識出来ます。この世に対する未練や執着からも離れることも出来ます。しかし、その幽体離脱を体験した人は数が少ないのです。為に、いくら死後の世界を言っても信じて貰えないがあります。

         

         

        ある国道で大型トレーラーが横転して、その反対車線を走っていた軽乗用車が押しつぶされて、運転されていた女性が亡くなられました。それから、その場所にその女性が幽霊として立っている姿が多くの方に目撃されました。約一週間ほどその姿が目撃されて話題になりましたが、一週間ほどでそれは起きなくなりました。

        こうしたことは、事故現場などでは起きて来ます。その事故被害に遭った方は、自分の身に何が起きたのかが解らない。自分はこうして生きている。だが、人に呼びかけても誰も自分を見てくれない。自分の方からは自分の家族や知人が見えるのに、どうなっているのだと迷ってしまうのです。やがて、自分は死んだのだと解って来ると、霊界へと旅立って行きます。

         

        これは、人が死ぬと肉体から霊魂を伴った【幽体離脱】が生じるからです。その幽体が霊感者に見られるのが幽霊です。で、生前に自分が幽体離脱を体験していると、肉体を脱ぐ意味が簡単に解ります。

        ただ、その時にこの世の物質界を通り抜けて行きますので、この世の感覚のままだと、壁や天井にぶつかるとなりますが物質界は通過します。それは霊が住む【次元】がこの世とは違って来ることからです。

         

        人は【肉体と幽体(霊体)と魂】の【三位一体】で構成されます

         

        死後の世界に行くのは霊体と魂とで【霊魂】と呼ばれます

         

         

        霊界での自分の姿とは、少しの時間はこの世に生きていた自分の姿をしていますが、新日本神道系で【神人合一】と呼ばれている段階に入りますと、その姿は肉体の姿とはまるで違う姿で、本来の神としての自分自身が出て来ます。この段階が自己の【正守護神】との合一です。正守護神段階は自己の【内在】神となるのです。

        スピリチュアルでは、正守護神ではなくて【ハイヤーセルフ】の言葉を多用します。それは高い霊界に居る自分自身の魂のことで、正守護神の言葉と意味合いは近いのですが、それだけだと【神人合一】の意味が解りません。優れた霊能者や行者筋がスピリチュアルを嫌うのは、スピリチュアルと言う言葉に酔いしれて理解の【底が浅い】からです。

        それでは「輪廻転生」の【中有界】からは中々抜けきれません。千年経過しょうが二千年経過しようが、その時のこの世で生きていた当時の姿のままなのです。仏教では人は死ねば皆、仏様と言いますが、【仏とは人(イ)の身をム(虚しく)した者】の意でもあり、本来の仏と呼ばれる菩薩とか如来に【仏上がり】したではありません。一方、神界の【神上がり】は聞くことがあろうかと思います。各自の魂は【神人合一】の段階に進むと、神界における自分の神たる姿が見えて来るのです。それは今の肉体の姿ではありません。

         

        大本教神諭、人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらず

         

        大本教出口王仁三郎聖師、【この世は天人の苗床】

         

        仮に自分の父親が亡くなって、その姿を現した時、その時の姿が生前と同じであれば、まだ本人は「正守護神」の段階まで進めていないなのです。その父親が生前の姿とはまるで違う神的な姿で現れたならば、もう【神上がり】をしているなのです。

        その「神上がり」の時の姿とは、その本人の魂の中に在り、霊界での姿が自己の正守護神の姿と成って行くのです。それが、その魂の【本来の姿】なのです。だが、スピリチュアルでは【本守護神】も【正守護神】なども何も解っておらず、そうしたことを言う方がほとんどいません。

        自分に見えた霊の名乗りの言葉を信じ切ってしまい。何が化けたか解らぬ「ミカエル」とか「ガブリエル」と名乗るような霊の言葉にコロリとやられてしまうなのです。

         

        日本の神道系では、【サニワ(審神)】が行われています。ただ、全ての神社や神職が行っているではありません。行を積んでいる神職と言えるでしょう。その「サニワ」において、宇宙連合とか宇宙連盟とか宇宙評議会なども【サニワ】がなされて来ました。それらは霊的世界の存在ではあるのですが、そんな仰仰しい存在ではないのです。

        霊感者はミカエルとかガブリエル。宇宙連合とか宇宙連盟とか宇宙評議会と霊が名乗れば、その言葉にヒョイヒョイと乗っかって来るから、そうした名乗りをして来る霊達なのです。為に、そうした霊の言う予言などまったく当たらないとなるのです。

        これまで、そうした宇宙連合とか宇宙連盟とか宇宙評議会。そうした名乗りの霊感者の多くのHPやブログが消えて行きました。どこかで自分は欺されていたと気づく時が来るからです。自分は霊に欺されていたと解った時のショックとはもの凄く大きいのです。 もう霊界の「メッセンジャー」など辞めた。お断りだです。

         

        スピリチュアル経験者が、スピリチュアルは危ないと言うのは、そうした苦い体験を積んで来れば解ることだからです。俗に仏霊の声が聞こえる者は千人に一人は出て、神の声が聞こえる者は万人に一人出て、そうした者が千人万人修業して本物が一人出ると言われていますが、本物の霊能者は数が限られて来るなのです。

        ある霊能者の方は一生懸命に「狐霊」を拝み、その下僕として活動されています。それはそれなりに「狐霊」が相談者の人助けをしており、それによって助けられる方達はあります。それを一概に批判は出来ません。人は誰しも自分に解らない世界の力に【すがる】からです。

         

        創造神に頼んでも何も助けて貰えない

         

        私達はそうした出来事に現実にぶつかるからです 

         

        私は修業時代に蛇霊に言向けをした時、蛇霊達は【人助けをしてどこが悪い。多くの者が助けて貰ったと喜んで、お礼に少しばかりのお金やお酒を頂く。それのどこが悪いのだ!。】と返して来たので、【私は別に人助けをすることが悪い等とは言っていません。貴方は貴方自身の姿を見なさい。貴方は自分の姿が蛇であると解っているでしょう。貴方はその姿のままで良いのですか?。人の姿に戻るべきではないのですかと言っているのです。】と返しました。

        私のそうした言葉を聞いた蛇霊が悔悟の涙を流す時、その蛇霊は蛇霊の姿から麗しい天人の姿と成って天に帰って行く。その時、現実界の蛇が【棒】の様に直立をする。私はそうしたことも見て来て、人に内在する良心神を説いて来たのです。

         

        大本教神諭 【この神は病気治しの神にはあらず。心の立替の神である。】

         

        創造神信仰とは、この世での【現世御利益】ではなく、死後に天国界に進む

         

        スピリチュアルでも【生き霊】は語られます。しかし、その多くは【想念】の話と見受けられます。前のブログに書きましたが「生き霊」には足があります。その肉体の体格と寸部と違いません。そこにその本人自身が居るのと同じです。しかし、想念は足は見えないが顔は見えるなので、幽霊には足が無いと言われる状態と同じではないかと考えられます。その「想い」が見えるだけで、【生き霊】とは区別する必要があるのではないかと考えられます。

        と言うのは、想念たる生き霊はいくら飛ばしても肉体の本人自身が何も覚えていないがありますが、【魂を伴った生き霊】の場合は肉体自身がそこに行ったことを覚えているがあるからです。だが、肉体が何も覚えていなくても、その時にその生き霊たる魂に何かをすれば、その肉体は反応して来ます。肉体はそこに行った覚えはないが、魂がそこで起きた出来事は覚えているからです。

         

        人は誰でも【幽体離脱】をすれば、あの世の存在を信じられる

         

        大本教の【三千世界、一度に開く梅の花】は全員幽体離脱する

         

        これが日月神示では【半霊半物質体】となっており、意味を勘違いさせる面があります。

        その時、この世での子供も赤子も関係がありません。その魂は全て霊界では大人であったからです。過去にこの世の体験者でもあったからです。その魂が着る今の肉体だけが赤子や子供の姿をしているだけで、それらの魂は全て大人の魂なのです。この世の【輪廻転生】を長年体験して来た存在なのです。

         

        弥勒の世は、全員大人から始まる

         

        新しい弥勒の世。鶏が先か、卵が先かと聞かれたならば、全て親鶏から始まるなのです。自分の肉体の子供の心配も要らないのです。赤子とか幼子と思っていた存在が、一瞬にして立派な成人姿となるのです。その時に老人であった肉体も、若い成人姿なのです。それはこれまでの長い【輪廻転生】の中にあった魂達だからです。それを単に「半霊半物質」体では意味がさっぱり解らないでしょう。

        この世に出ている各自の魂の本体は【霊界】に存在しているのです。その姿に成って行くのです。ですから、みろくの世は【五次元、六次元、七次元】のどこかに自分があるのです。

         

        大本教からは単に【五六七】で出されましたが、お釈迦様の悟り【悪魔は実体を持たない現れであり、人に良心と呼ばれる神が内在する】を【骨(シャリ)】として、五十六億七千万の数の意味の仕組み。それを紐解かせるものが大本教神諭予告。【九つ花】に咲く一輪の言霊の経綸であり、ダルマの七転び八起にて龍宮の音秘めて【みろく】の仕組み。シャリなれば【米】で【メシヤ】の教えと言うのです。

         

        ここまで言葉で仕組んである以上、そこには私達人類が未だ出会ったことがない神は存在すると言えます。

         

         

         

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        みろくの世は何故に水晶玉になるのか?。世にほとんど知られることがない魂の喰い破り

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          今回の題材は【魂の喰い破り】ですが、おそらくほとんどの人は【魂の喰い破り】という言葉そのものを聞いたこともないはずです。ほとんどの人が知らない事項なので、別に取り上げる必要も無い題材と言えますが、それは人の魂がとても貴重な物でもあるからなのです。

           

          人はそうした大切な魂を持ちながら、それを疎かにしたり、磨いて来なかったということが問題なのです。

          魂磨きは辛いから、良心など捨てましょうがスピリチュアル

           

          大本教から【みろくの世は水晶魂】と宣伝されましたが、私達が持っている現在の魂とは半永久性ですが腐ったり捻れたりします。そして、希ですが他の霊的存在から自分の魂が喰い破られるがあるのです。

          為に、みろくの世は永遠の世なので、自己の魂が腐ったり捻れたり、他の霊的存在から喰い破られることが無い水晶玉に代わります。但し、水晶魂は大本教で歌われた【節分の煎り豆にも花が咲く】の牛頭虎パンツの鬼が云うの魂の総御祖神たる牛虎(艮)金神「国常立尊」からの授与となります。自分自身で水晶魂は造り出せるではないのです。

          こればかりは霊的能力が無い人には見えて来ませんが、既に【水晶玉】を受け取った人達は出ておられます。霊的なことが見えないことから自分は【水晶玉】を受け取っていないと悲観することではありません。それは自分には霊的世界が見えるか見えないかの問題にしか過ぎないからです。大多数の人は霊的なことは見えないからです。

           

          そもそも世界の宗教を見ても、魂とかソウルという言葉で魂の存在は説かれてはいますが、ほとんどの宗教でも魂の解説がなされていません。スピリットとは【心とか気力】の意味合い的な精神のことであり、スピリチュアルでは【魂】のことがよく理解出来ないとなります。為に、スピリチュアルからは【魂の核とか魂の心棒】の話が一向に出来ていません。

          聖書を信じるキリスト教やイスラム教やユダヤ教には魂の【輪廻転生】の教えそのものがありませんので、魂論がほとんど出て来ません。死ねば天国か地獄の二元論で終わってしまいます。

           

          ヒンズー教や仏教においては魂が【輪廻転生】を起こしていると説かれていますが、その程度の説明で終わっているのです。仏教における【三途の川】の意味ですら、どうして【三途】なのか?。それすら解説がほとんどなされていません。為に日本仏教の某宗派は、死後の世界など無いとまで公言しています。

          神霊世界に関わっている者ですら、その御祭神から「三途の川」の説明すら受けておられないでしょう。私は霊的世界の見聞で【少途川】の存在を知りましたが、この「少途川」に関しては、大本教霊界物語の中にしか説明が存在していませんでした。

           

          人は誰しも自分の目で見えないと信じないと言う特性があります。これまでは霊魂は写真には写らないと思われていた面があります。確かに次元が違う世界の物は簡単には写らないのです。それが、これまで魂(玉思惟)の写真撮影に成功していなかった面もあります。お釈迦様やイエスの時代では無理でした。スピリチュアルで写されている玉のほとんどは【オーブ】と呼ばれる【思念】であり、魂まで写っているのは数少ないと言えます。

          ただ、【思念】と呼ばれる「オーブ」玉に関しては、霊媒質者であればこれらは比較的簡単に写真に撮影ができますので、スピリチュアルでは盛んにオーブ写真を出していますし、またテレビの超常現象の撮影現場ではオーブ玉はよく写ります。それらは昔のフイルム形式ではなくて、霊とは【電磁波】でもあるので、デジタルカメラ等の撮影機では玉が写りやすい側面があるからです。

           

          そうした証拠として、霊現象の一環として電灯や蛍灯が勝手に切れたり点いたり。またテレビの電源も勝手に入ったり切れたり。時にはPC上に文章が勝手に出て来て伝えるとか、電話回線の妨害や雑音で会話をさせないなどがあります。

          私なども相手が霊媒者だと、雑音妨害波で電話が聞き取れない。その人から来たメールに返信しても返信が出来ない等があり、その方の知人を介してのやりとりがありました。その方の守護霊とか祭神から私との交信許可が出た後は、その方と電話もメールも可能となったなどです。

           

          私は魂を【玉思惟】と書いて、昔にヤフーの輪廻転生の板で宣伝していましたが、玉思惟と言う言葉を出したのは、もしかすると私が最初の者かも知れません。また、私がヤフーの輪廻転生の板で【人に内在する良心神】を説きだしてから、人に内在する良心神も世に少しは受けいられて来たがあります。

          ただ、これらは大本教と言う宗教があってのことであり、もし大本教が存在しなければ私も知り得なかったことなのです。そして、牛虎金神の【鬼と云う】存在を語らなければ、【魂】の意味が解らないとなります。

          大本教の出口喜三郎師は、「鬼」と名乗れはあんまりじゃで、【王仁(おに)】三郎とされたのですが、これは「鬼」三郎であった方が、早くに「牛虎(艮)金神」の仕組みが魂(鬼が云う)のことだと理解が進んだかも知れません。

           

          さて、このブログの題材の人の魂の喰い破りですが、世界の宗教書を調べ回っても、そうした事項にぶつからないと思います。ただ、大本教【霊界物語】だけにその出来事が書かれた内容が存在しています。

          何分にもあほだら長い経の大本教霊界物語なので、その第何巻のどの項目だと質問されても、私が霊界物語を読んでいた当時は内容があまりよく解らずに、その場所を記憶しておりませんので場所を言えは御容赦願います。当然に書かれている場所を覚えていませんので、その内容を完全コピーも出来かねますので、うろ覚えとなります。霊界物語との内容に差異がありますことは御容赦願います。

          私は霊的な世界の出来事に関わって来て、霊界物語にも書かれていたと思い出したのです。霊界物語の中の話は、だいたいこうであった程度となります。霊界物語を読んだだけでは、書かれてある出来事の意味がさっぱり解らないなのです。霊的世界の見聞をして来ると意味が解って来るなのです。

           

          霊界物語では、国常立尊麾下で、一つの国と十個の神玉の中の一つ神玉を預かる神司が一人の子供を授かりました。その神司夫婦はその子を大切に育てたのです。その神司は、十個の神玉が邪神達に狙われているので、自分が預かっている一つの神玉を邪神達には解らない場所に隠していました。

          やがてその子供が成長して、その神宝を見せて欲しいと言うので、密かに隠していた神玉を見せると、その子供は一瞬にして【龍】に変化して、その神玉を奪って空高く逃げて行ったです。

          自分の子供と思って育てていたのは実は邪神界の龍神だったのかです。そうした内容です。ただ、そこには【魂の喰い破り】があったとは書かれていないのです。その神司の子として生まれなければ、密かに隠されている神宝を奪えません。その神宝を奪うためには、神司の妻が妊娠した子の魂を喰い破って、その子供と成らなければ邪神界の龍に神玉を奪うチャンスが無かったなのです。

           

          私が伏見稲荷大社講に所属している時、社務所で昼の月次祭では【鳴釜(なりがま)】神事が行われていました。鳴釜神事は稲荷行者や不動尊行者がされており、吉備津神社も知られています。そこに当時は5歳ぐらいの男の子が来て、鳴釜をしている時はその釜の中を覗いてはいけないことになっていますが、そこは子供なので興味本位でその釜の中を覗いてしまいます。すると、お釜がピタリと鳴くことを止めてしまいます。

          この子供を伏見稲荷大社講の支部の御祭神である豊受姫が極端に嫌われるのです。私から見ていると、相手は子供なのにと不思議に思っていました。

          この子供のお母さんは支部の講員でもあり、不動尊信仰で不動明王と一体化している存在でもありました。また会社経営者で大金持ちでした。この幼子は粘土で実に見事な龍の像を造り出すのです。為か、その母親の周囲には多くの不動尊行者が集まり、この子は神の子だと囃し立てていました。そのお母さんも自分の子は神の子だと鼻高々でした。

           

          私は2番目の師匠の元でサニワ(審神)を習っている時、この子供のことを思い出して、その師匠に頼んで霊査をしたのです。その結果、この幼子の本来の魂は外部から来た大蛇霊に喰い破られていて、その魂を大蛇霊が乗っ取っているだったのです。この子供はその大蛇霊の化身だったのです。不動尊行者達が、この子は神の子だ!。神の子だ!。と持ち上げていたのはそれが大蛇霊の化身だったからです。

          世に【龍男】【龍女】と呼ばれる存在があります。世間的には知られていないがありますが、霊的世界に関わっていると【龍女】の多さが目につきます。それに比べると【龍男】は数少ないと言えます。

          龍女は霊的世界に関わることが多く、スピリチュアルにも多いと言えます。スピリチュアルで光のシャワー写真を撮るような場合は、龍女の可能性があります。また、病気治しでヒーラーにも向きます。

          龍男は宗教世界よりも英雄や社会的に成功する企業家に見られます。一代で大企業に育て上げる人の背後には【龍神】ありとも言われているなのです。要するに【風雲児】です。古来より、龍は風と雲を起こすです。

          また、サイキッカー(超能力者)とされる方の背後にも龍神が見られたりします。そうした龍神の力が無いと、霊的奇跡力が備わって来ないとなります。

           

          それらの龍神が背後に居る方とは、魂の喰い破りで生まれるのではなくて、正式なルートによって龍から人として誕生(転生)しています。だが、大蛇霊だと正式ルートから人としては出られないとなります。無論、大蛇霊も悔い改めて反省すれば人として出る道はあるのですが、霊力に溺れて悔い改めて反省して人として出るのではなくて、安易に人の魂を喰い破る道を選んだと言えるでしょう。

          もう本来の魂をその大蛇霊が喰い破っていましたので、その大蛇霊を神霊界から消して、その幼い子供が人として生きられるようにその時の師匠がしたのです。それから20年以上経過して、私は伏見稲荷山でその母と子に偶然に出会いましたが、その子は今は霊力を失って普通の人として生活していました。なまじ霊力など持たず、普通の人として生きられることはとても幸せなのです。

           

          ただ、そのことに関して疑問を持つ方はあるでしょう。その魂を喰い破った大蛇霊を消したことまでは解るが、今の肉体に居る魂は誰かです。そこに、各自の魂には魂の元親となる【正守護神・本守護神】があり、その喰い破られてしまった魂を分派した段階の神霊から分派魂を出せば同じことなのです。元の魂と同じ魂がその肉体に入るのです。

           

          そうした現象として知られるのが【黄泉帰り(蘇り)】で

           

          霊界に居る自分の魂と交替して、同じ肉体に引き継ぐ

           

          自分という魂の存在は一つではないのです。霊界の各段階。次元が違う場所にも自分と言う存在はあるのです。これらは【魂の兄弟】とも呼ばれていますが、スピリチュアルで言う「ソウルメイト」のことではありません。霊界での友達(メイト)達では無く、霊界に自分自身が幾体もいるのです。同じ心(魂)を持っているのです。ただ、地上世界に出るのは一体だけで、複数形で人間としてこの世に出て来るではないのです。

          これらのことは古来の宗教では解っておらず。説かれ出したのはGLAの創始者【高橋信次】師からかと思われます。私も自分の霊界見聞の中において、その事実を知ったなのです。日本の新神道で説かれる【正守護神・本守護神】が解っていないと、こうしたことは理解出来ないとなります。

           

          その魂が地上世界に居なかった間の肉体の知識や記憶は、肉体にある脳の記憶や知識を利用するのです。肉体の脳にはその肉体の過去の記憶や行動の記録は全て残っているからです。肉体の途中で最初に出た魂と霊界に居た自分とが交代したとしても、脳に肉体としての記憶や知識がありますので、肉体の過去のことに関しては何も困らないわけです。

          私の最初の師匠も途中で自己の魂の交代がありました。霊的世界の戦いの中で、倒されてしまったのです。長く病で伏せていました。その病が治った後、その師匠の周囲に居た霊能者や霊感者からその師匠が変だ。病から治ったのは良かったが、どことなく別人の様に感じられる。一度、その師匠の様子を見に来て欲しいと言われましたが、最初の師匠の魂から直接に私に対して、自分は【交替】したことを聞かされました。

          最初の師匠の魂は、【今の肉体に居る私は、貴方が最初に出会った私ではありません。魂としては交替したのです。でも、今の肉体に居る魂も、私自身でもあるのです。貴方が最初に出会った私の魂は、今はある神社の神霊として赴任しています。】と告げて来られたのです。私はそれを聞かされた時、泣きました。出会ったら、元の師匠とは微妙に違っていました。

           

          何故、霊媒は無学の者を良しとして来たのか?。それは霊や魂は肉体の脳にある知識を利用するからです。

           

          優れた霊能者が【心臓移植手術に反対する】理由とは

           

          魂の喰い破りと、魂としては同じ意味合いになるからです

           

          人の魂とは【心臓】に宿ります。その心臓に宿っていた魂が、違う肉体に入ってその肉体の脳にある知識とか記憶を取り出して、その肉体として生きるからです。各自の魂はこの世に降りて来るにあたって、寿命とか定めの道があります。それらはその魂が持つ【カルマ】を消す為です。その【カルマ】の解消予定を狂わしたことになるからです。ただ、それによって神界から罰せられるはありません。その魂にとっては自分では予期せぬことが起きただけだからです。

           

          私が前世調べの退行催眠でも危険だと言うのは、肉体に憑依した霊は肉体の脳にある記憶や知識をも利用して来るからです。 それは催眠状態とは関係しないからです。これらはサニワ(審神)をする者は【原理原則】として知っておかなければならいことだからです。

          学者は霊媒に無知無学の者を使用すると何かと攻撃して来ますが、学者の様な知識を持った霊媒を使うと、憑依した霊にその方の脳にある知識が利用されてしまうということを知らないからです。非常に利発で賢明な霊媒者を使うと、その脳の知識をサニワ(審神)者が上回っていないとサニワ(審神)そのものが出来ません。単に霊が見えるだけではサニワ(審神)は出来ません。光輝いている霊を相手に、その霊が言う内容に見落としがあったならば、サニワ(審神)者が負けてしまうからです。

           

          魂の喰い破りと云う事実は、宗教世界で語られることはありません。しかし、それが持つ事実を鑑みれば、非常に重要なことではあるのです。

           

          大本教から【牛虎金神】と【節分の煎り豆にも花が咲く】と歌われたことから、その仕組みを紐解くと【魂】論が説明出来るのです。

           

           

           

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          人は神の姿に似せられし者。神は光で姿形が無いと言う霊能者。出口王仁三郎聖師が描いた国常立尊の肖像画は嘘か?

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            大本教からはウシトラ金神【国常立尊】の世の大立替が予告されました。日本最高の予言者と言うよりも、今日まで世に出た予言者の中では世界最高ではないかと言われているのが大本教の出口王仁三郎聖師とされます。確かに、その数々の予言を的中させて来たがあります。そして、何故に長崎や広島に墜ちた原子爆弾だけでなく、大正時代に現在の「テレビやスマホ」の様な存在まで予言できたかがあります。

            優秀な霊能者達によれば、出口王仁三郎聖師は【素戔嗚尊】の分魂で神界ピラミッドとしては【八合目】であったという説が有力のようです。希に九次元だと言う人もありますが、そうしたことを言う方の霊界でのレベルを考察すると、八合目説が一番正しいように見えます。大本教の出口王仁三郎聖師は自分はナザレのイエスに何一つ劣っていないと言われたようですが、ナザレのイエスも神界の八合目の瑞霊魂であったとする説もあります。それが事実ならばイエスと同格に等しい方となります。

             

            但し、神界「八合目」では本当の【救世主】ではあり得ないとも言われています。まだ、それ以上の段階の神の分魂を持った人の存在は世に出ていないという説です。そこに出口王仁三郎聖師自身の【自分は(救世主としては)ニセ者】であった発言があります。それで、初めは自分が救世主と呼称しておられたが【聖師】に改めたられたとの説もあます。本物であれニセ者であれ、自分が本物と思い込まなければやっていられないのが霊界とは言えます。

            巷には自分が救世主ですと名乗りを上げている方はゴロゴロ居られますが、どの方も神界の八合目どころか七合目にすら行っていないがあります。自分の神力のなさを自覚せずに名乗っているです。そうした方の背後に居る神霊とは、邪神界の神霊ともされます。

             

            私達が関わっている今の地球霊界は力の強い者が勝ち(価値)で、

             

            正義とか不正義の論理で語る神霊では無いのです。

             

            その大本教の出口王仁三郎聖師は、絵や書道のみらず陶芸や仏像彫りなどの多彩な才能を持っておられました。そうした描かれた絵の中で【国常立尊】を描いた画があります。インターネットの世界では簡単にその絵を拾えます。下記の図はそうしたインターネット上から拾ったものです。

             

             

            出口王仁三郎聖師が描いた国常立尊画

             

             

            出口王仁三郎聖師が描かれた「国常立尊」の肖像画が、本当に国常立尊のお姿か?。これは証明が出来ません。ほとんどの霊能者は、国常立尊が存在するであろう段階に容易にアクセスそのものが出来ないからです。

             

            私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていましたが、その姿を一度も見たことがありません。霊声のみです。神霊世界に修行に入って豊受姫や7〜8名の霊能者の方から、貴方の本守護神は【国常立尊】様ですと告げられても、どうしてそれが「国常立尊」様と言えるのか?。霊能者とは言えない私には、それ自体がよく解らないと言えました。

            私が言霊を学ぶ為に通っていた2番目の師匠の御祭神は「国常立尊」と称しておられまして、その神霊の姿は私も拝見出来ました。で、この御神霊が「国常立尊」様かと当時は信じていたのですが、大本教の出口王仁三郎聖師が描かれた肖像画とは似ても似つかないお顔の方でした。肖像画は写真ではない為に、どれほど絵がうまくても確かなのかが解らないからです。

             

            私の最初の師匠は豊受姫のお代で、その豊受姫の言葉によれば、豊受姫にお仕えするお代としては当時の稲荷行者としては癸盈酣充圓塙陲欧蕕譴討い董△修譴亘受姫のお代をされていた他のお代さん達からも認められていました。○○先生、○○先生と尊敬されていたです。他の豊受姫に仕える霊能者の方達からもあの先生が実力癸韻世噺世錣譴討い燭里蓮⇔酣充圓寮こΔ任歪舛靴い噺世┐泙后

            豊受姫のお代であったその師匠は少女時代、出口王仁三郎聖師が存命中に大本教少年少女隊に属していましたが、豊受姫のお代になってから、一度だけ「国常立尊」のお姿を見たことがあると言います。それは伏見稲荷山の某お塚にてです。

             

            私はその某お塚に優秀な霊能者達から豊受姫の分魂を授かっていると言われている方と一緒に参ったところ、その女性はその某お塚で、おじいさま。おばあさまと言って、出て来たと思われる霊と会話をしていました。

            その時に私に見えたのは、能舞の高砂で知られる「尉(じょう)と姥(うば)」の姿をした二体の霊でした。その二体の姿を見て、私は何故かその尉の姿は「大国常立尊」様であり、姥の姿は「豊雲野尊」様ではないのだろうかと感じましたが、私は絵を描く能力がありませんのでその霊姿を描くことは出来ません。ただ、そのお塚は最初の師匠から国常立尊様が出て来られる塚と聞いていましたので、だったのかも知れないと思う程度です。

             

            一部の霊能者の方達は、【神は光であって、神に人の様な姿は無い。人の様な姿で出て来るのは低級霊で蛇霊や狐霊である】と発信されています。確かに、十二単衣の姫姿や衣冠束帯の貴族姿で出て来た霊が、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊であったりするのは事実とは言えます。私も白狐霊のいろんな変化姿を見ています。蛇霊の場合も猫霊の場合も見ています。

            優秀な霊能者の方が、十二単衣の姫姿や衣冠束帯の貴族の様な男霊を見て、その本当の姿は蛇霊や狐霊だと見破る。そうした方達は単に霊感を振りかざしているスピリチュアルの段階の方達よりも、遙かに霊的能力が優れているとは言えます。日本昔話の【狼がくれたまつげ】の話が例え話です。

             

            私と同じ時期に最初の師匠の元で一緒に修業していて、後にお不動様の教会主と成られた方の元に豊川稲荷神の御分霊を勧請したところ、不動尊の関係で多くの不動尊行者がその祭壇にお参りをして、間違いなくこれは豊川稲荷様だと言っておりましたが、そうした不動尊行が見た豊川稲荷神とは衣冠束帯の貴族姿の男霊で、その顔は扇子で隠していたと一致していました。多数の不動尊行者の証言です。でも、その扇子を取ったら白狐の顔をしていたはずなのです。

            眷属とその本体神とでは姿が違います。ほとんどの場合は眷属たる霊を見るなのです。眷属であれば、その神名を名乗ることも許されています。代理者だからです。

             

             

            私の最初の頃のブログに、【神は光だ!で天狗さん。神は光でも姿が見える】を出しました。

            http://kamikotokai-b.jugem.jp/?day=20111216 

             

            このブログ記事の中の霊能者の方は、自分は千年も続く高木の神《日本神話の高御産巣日神(たかみむすびのかみ)とされる》を祀る神官家と称しておられ、自分はそんじょそこらの霊能者の比では無いと豪語しておられました。確かに、霊波動を滅多に感じない私が希に見る霊波動の持ち主と感じて、うかつに逆らうと、その霊力で人を殺しかねない危険な霊能者だと解りました。

            私は霊能者で霊力を持って人を殺して来た存在を見て来ています。私の2番目の師匠もそうでした。霊能者同士で命の取り合いをするです。ある大変優れた霊力を持っている方から、あまり邪神界を批判ばかりしていると貴方自身が殺されます。その人はそれまで正しい霊能者が邪神の霊力で殺されて来た数々を見て来た方であり、私に忠告して下さったのです。

             

            当時の私はヤフーの輪廻転生の版で論陣を張っていたので、私の周囲の方がその霊能者の方に下手に反論をすると何をしでかすか解らないと危惧していましたが、周囲の方ではなく、お前は生意気だ。お前を殺してやるとヤフーの版上でわざわざ宣言をして、その生き霊とその仲間の神官達の生き霊達と共に私の自宅に押しかけて私を霊刀で殺しに来たので、当時の私の家は汲み取り式トイレだったので、その神官の生き霊を閻魔庁に仕える霊達が捕まえて便槽に落としたしだいです。

            一部の霊能者の方達は貴方の背後には【閻魔大王様】があると言って来られていましたが、その霊能者にはそれが見えていなかったのでしょう。閻魔大王とは「国常立尊」でもあるとされています。牛虎金神「閻魔大王」で、大本教の【節分の煎り豆】の意味が解けて来るのです。

             

            その霊能者は【神は光だ!】。神は光で姿形が無いの主張を私が否定したから、俺ほどの霊能力者に向かってお前は生意気だから殺してやるだったのです。

             

            私を霊力で殺しに来た時、彼が言う「神は光だ!」の高木の神とは【天狗霊】だと解ったのです。確かに、天狗霊は高木の上に居たりします。この代々続く神官家で祀られていた高木の神とは実際は某霊山の天狗霊で、この霊能者にはそれが「光」として見えていただけで、天狗の姿だと見えるだけの霊能力は無かったなのです。

            その日を境にして、その豪語していた1000年も続く神官家の霊能者は、二度とヤフーの輪廻転生の版には来なくなったのです。それは自分の生き霊が便槽に落とされて【臭い霊】になったからでしょう。臭い霊とは「自分は大きい」と勘違いしていた者だからです。

             

            古来より、人は神の姿に似せられし者と言われて来ました

             

            大本教の出口王仁三郎聖師は、【国常立尊】の肖像画を描いておられます。これは出口王仁三郎聖師は、通常の霊能者ならば【光】としか見えない段階の高級霊でも人の姿として見える段階の方だったからと言えます。 この意味が解るのは、神界ピラミツド(神の高山)の合目を理解していないと難しいとなります。自分より数段高い霊世界に居る霊は「光」としか見えて来ないからです。為か、六次元界龍神と呼ばれる存在の龍神の光を見て、それを太陽だと思って居る霊感者達も多数出て来ます。

             

            神は光だ!、神には姿や形が無いと言っておられる霊能者の方の背後霊が神道系でサニワ(審神)されると、本人は自分では宇宙神とチャネリングしていると豪語されても、その背後は黒龍神であったり、高級神霊だと言っていても黒蛇霊や野狐霊などの低い霊だったりするわけです。

             

            霊が「光の玉」であることは事実と言えます

             

            例えば稲荷信者であるならば目にするであろう稲荷大神秘文と云う祝詞には、「稲荷の八霊、五狐の神の光の玉なれば」とありますが、光の玉も見る者が見ると、それが天狐、地狐、空狐、赤狐、白狐とその姿形が見えるなのです。霊は「光の玉」だから姿形が無いと言うのは、ある意味間違った論理なのです。霊界の【高山のピラミッド】が理解されていないのです。

            例え霊が見えなくても霊的な写真は撮れるがあります。写真などに光の玉は写っても、その霊が何なのかは解らないがあります。霊能者でも解らないが往々にあるのです。光の玉が写真に撮っても、その光の玉の検索はあまり意味がありません。

             

            神は光だ!ではなく、霊は光の玉!

             

            但し、霊が出す光とは私達が見る太陽光とは別物なのです。私達は肉体の死によって肉体と言う服を脱いで霊界に渡ります。その時の自分とは「玉思惟(魂)」と霊界用の魂の服で有る幽体を持ちます。その幽体が俗に言われる幽霊なのです。

            その霊界用の服で有る幽体は、その服を永遠に着用しているのではありません。霊界での階段を上がることによって、その霊界用の幽体はその姿形が変わります。そして、霊界での光を放つようになるのです。

            その光を放っていない時、その姿形は【人の型】で見えるなのです。邪神と言えどもその姿を【目眩まし】する為に、【光(火借り)】を放つがあります。特に黒龍神の様な力の強い存在であれば、「太陽」とさえ錯覚させるもあります。

             

            日本の新神道系で【神人合一】が語られますが、その時の自分とは今の肉体の姿形ではないのです。それが本当に自分かと思うほどその姿形は違います。しかし、それが自分で有ることは解るのです。

            霊界においては神界ピラミッドが語られますが、そのピラミッドの合目に於いて魂が放つ光が違い。自分の置かれた神界の合目が低いと、高い霊は光としか見えて来ないなのです。すると、神には【姿形】が無いの論なります。神は【光だ!】と言うだけでは、自分の魂が神界での合目が低いと言うことになるのです。自分の神界の合目を上げて行くと、その光も【姿形】で見えて来るなのです。

             

            大本教の出口王仁三郎聖師の段階を越えている霊能力者の方が、神は光で姿形が無いと主張されるのであれば、ある意味私も納得が出来ますが、そうでなければ霊界を平面的にしか見ていないのではないかとなります。

             

             

             

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            救世主は女子型か?。みのか尾張の女子と【豚小屋の救世主】との意味

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              数年前、私に救世主は【豚小屋の女子】と出ました。

               

              さすがに【豚小屋の女子】の救世主には首を傾げるだけでした。それが【馬小屋】ならば女性版「イエス」かとも思えましたが、豚小屋では何だ?。となります。

              大本教の出口王仁三郎聖師は、最初は自分のことを【救世主】と称しておられました。そして、自分はイエスと同格で何一つ劣っていないとも言われました。だが、その「救世主」の名乗りを降ろされて【聖師】と称する様になられました。それに関しては、どこかの段階で自分は本当の救世主ではなかったことを自覚されたのだろうと言われる霊能者の方達があります。

              この大本教の出口王仁三郎聖師がイエスとほぼ同格だったことは優秀な霊能者の方達は言いますが、そこには【識界】の話が存在して来ます。霊能者でもこの「識界」を言われる方は数少ないでしょう。その識界を知る者であれば、イエスは「救世主」ではなかったことが解って来ます。巷には自分は【高次元】界の者と吹聴される方は多数ありますが、おそらく【識界】で聞かれたらさっぱり解らないとなるでしょう。

               

              そこに来るのが、大本教霊界物語第十三巻「アホウドリ」で、この大本教に現れた変性女子(出口王仁三郎聖師自身)は【ニセ者】だ。待っていたならば【みのか尾張の国の中から誠の女子の尻尾が見えたならば】となります。

              そして、自分がみろく神と称していたことも、昭和20年に本当の【みろく下生】が起きたとの予言がなされました。自分はみろく神ですらなかったとの訂正になったのです。

              この昭和20年にみろく下生は世界でも言われていて、かって雑誌ムーなどにも外国のある人物がその「マイトレーヤ】などとも記載されたものです。本当に昭和20年(西暦1945年)に【みろく下生】が起きたのかどうかは解っていませんが、大本教が出した【五十五の立替】を考えるならば、それは西暦1999年か2000年を意味指していたとも言えます。しかし、実際には20年間のタイムラグが生じていたと思われます。

               

              優秀な霊能者達によれば、大本教の出口王仁三郎聖師の魂は素戔嗚尊神界の八合目で、霊界における地位としてはイエスとほぼ同格とも言われています。

              私は子供頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【ナザレのイエスは我が子には非ず。他の神の御子である。】と告げられました。イエスが救世主ではないことは、子供の頃に旧約聖書の神と称する声から聞かされています。だが、その霊声の主が本当に旧約聖書の神であったかどうかまでは解りません。私に臨んでいた霊声がそう言っただけのことです。

               

              ただ、その旧約聖書の神と称した霊声は、この日本にとんでもない言葉の仕組みをして来たということは確かなのです。私はその言葉の仕組みの説明をしているわけです。

              イスラム教開祖のマホメットも、イエスは救世主ではなくて尊敬されるべき偉大な預言者としているように、イエス救世主論はありえないのです。イエスが偉大なる預言者であったことは間違いないのですが、後世の牧師達がイエスを「救世主」にデッチ上げたとも言われています。

               

              ノストラダムスの予言に、【西洋の人がいくら待ち望んでも西洋からは現れない。東洋の叡智の飼い葉桶】があります。西洋の人がいくら待ち望んでも現れない飼い葉桶の主とは、馬小屋の救世主とされるナザレのイエスのことを指していると考えられますが、西洋のキリスト教徒では本当の救世主を知ることがない。だが、それを西洋の人々に解る様に書くと、当時のキリスト教社会からは悪魔の手先として死罪にされていたでしょう。一見するとその意味は解けません。その答えは【東洋の叡智】が救世主の役割を果たすなのです。人たる存在のことではなく【叡智】のことです。

               

              私の元に、自分が大本教の出口王仁三郎聖師が遺言された【みの尾張の女子】ですと言って来られた方達が多数ありました。中には女子だけではなく、男性で自分がみの尾張の女子たる【変性女子】ですと言って来られた方達もありました。

              何でそうしたことを言う人があまりにも多いのか?。当時は疑問を感じていましたが、その背景には新しいみろく世に向かっての神霊世界の覇権争いがありました。

               

              今の神霊世界は群雄割拠で、唯一神の元に集まっていません

               

              ユダヤ教であれキリスト教であれイスラム教であれ、そこに創造神が出ておられますか?。となった時、誰も出ておられるとは言えないでしょう。霊達はそのことをよく知っています。私が修業時代、霊界では綾部の大本教に創造神が出たとの話があり、世界から多くの霊が綾部の大本教に行けば創造神に出会えるで、大本教に来て見たが、どこにも創造神の姿が見えないと霊達から話を聞いたことがあります。また、霊能者達も綾部の大本教に創造神は居られないと言います。

              どこにも創造神の存在が見当たらないことから、神界の覇権を狙う強い神霊が、自分が使う人間にその役割をさせようとするのです。それは今日までも続いています。完全に人類の魂に別れが起きる日までは、そうした流れは続くでしょう。それに騙されるか、騙されないかも自分の【叡智】しだいなのです。

               

              どの御神霊も新しい弥勒の世。それが【アセンション(次元上昇)】を起こすことによって起きる程度のことは、末端の下級神霊は別として、ある程度の段階から上の神霊ならば、どの神も知るなのです。ただ、その詳細がよく解らないので、それを世に発信するか黙しているかの違いはあります。

               

              強力な神霊の目的は、新しいみろく世で自分達が覇権を握る

               

              【大本教霊界物語第十三巻・信天翁(アホウドリ)】

              いま大本にあらはれた 変性女子はニセものだ

              まことの女子が現はれて やがて尻尾が見えるだろ

              女子の身魂を立直し 根本改造せなくては

              誠の道はいつまでも 開く由しなしさればとて

              それに優りし候補者を 物色しても見あたらぬ

              時節を待ってゐたならば いづれ現はれ来たるだろ

              みのか尾張の国の中 変性女子が分かりたら

              モウ大本は駄目だらう 前途を見こして尻からげ

              一足お先に参りませう 皆さまあとからゆっくりと

              目がさめたなら出て来なよ 盲目千人のその中の

              一人の目明きが気をつける なぞと慢神してござる

              王仁はこの言聴くにつけ お気の毒にてたまらない

              こんな判らぬ奴ばかり 盲目ばかりがささやけり

               

              この歌を各自のことに誤解して 罪をかさぬる曲人もあり

               

               

              そうした名乗りの女子の背後の神々は、【この歌を各自のことに誤解して 罪をかさぬる曲人もあり】のところをよく見ずに、【いま大本にあらはれた 変性女子はニセものだ】で、該当女子を出すことが出来れば自分達が【天下を握れる】と曲解したわけです。

              みのか尾張と示されていたのは、大本教神諭諭告【九つ花を紐解く】と、美濃か尾張の国から出る国道【四十一】号線が導き出されます。で、飛騨の高山に大神殿を創った黒龍神達も出ました。それは「四十一」の意味違い。

              その「四十一」とは、モーゼは紅海を渡って四十年間さ迷う。イエスは「四十」日間荒野をさ迷い悪魔を退けて、四十一日目に神の一人御子となったの「四十一」の数字です。

               

              これは言霊上では【ヒフミの四十一番目のス】ではなくて、【アイウエオの四十一番目のラ】で紐解きます。為に、霊界物語第十三巻「信天翁」で、アイウエオの第十三位の「ス」に重ねて「ニセ者」と発表されたのです。

              私が神霊世界に入ったのは、昭和五十五年に神霊から告げられた「良子」と名乗る一人の女子が大阪の【十三】に消えた謎を追って、大本教で神旗とした「九曜紋」を合図として、言霊と数字の仕組みかと気づいたのです。だが、それを紐解くまでには十数年間もかかりました。簡単に紐解けるものではなかったのです。

              それらは聖書の【初めに言葉は神と共にあった】の言霊とは何かが解っていなければ、紐解くことは出来ません。その「ラ」には「⦿記号」を源とする【良】の漢字を振ります。

               

              女子の身魂の根本改造とは、各自の身魂を良心神で立て直す

               

              私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から一言もそうした「女子」の話は聞いておりませんでした。だが、神霊世界の修業に入って、2番目の言霊師の師匠の元で修業をしていた頃、自分に大本教出口なお開祖霊と出口王仁三郎聖師霊と思われる霊が私に懸かって出て来られるがありました。

              その時、霊媒者の口を通して大本教出口なお開祖霊と覚しき霊は、【大本教はまな板の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第】と告げられたのです。【五月五日の鯉登】へと鯉料理に入ったわけです。

              そうした中で、人類の歴史上これほど数々の予言をして的中させた存在は今日まで大本教の出口王仁三郎聖師以外には見当たりません。まして私は、その出口王仁三郎聖師が大正時代に一部の信徒に教団には内密でその土地を死守せよと命じられた土地の一角に居を構えた経緯があります。

               

              まこと(誠・真)の女子とは、主の【娘】の意味で「女の良」

               

              各自に内在する良心神は、天帝の分魂でも女神の型で表す 

               

              私に【豚小屋】の女子の救世主と出ましたが、その意味は西暦2019年の【亥】の漢字にありました。「亥」は豚小屋の【女子】たる救世主の意味だったのです。私は今年の年賀状の毛筆の漢字で、そのことに気づいたしだいです。

               

               

               

              人の魂に内在する良心神とは、大本教出口王仁三郎聖師の遺言である【みのか尾張の国からのまことの女子】と同意義で、魂の核に隠された神光なので、天の岩戸の中から出る女神話として天帝が創作されたのです。伊勢神宮に鎮座する天照大御神とか卑弥呼などの段階の話ではないのです。

              こうした言葉の仕組みとは、神から肉体の者に言葉として直接に卸すと、その内容は霊界では筒抜けになります。為に【豚小屋の救世主】として出すと、まず今の世に出ておられる神々では意味が紐解けません。別の形の映像で降ろされた者が、どれだけ言葉で正しく【翻訳】出来る能力があるかなのです。

               

              ただ、その言葉の意味を知るには、その【型を演じる】存在がなければなりませんでした。

              私が神から見せられた女子の型の意味は【アフロディーテ】でした。通常は「ミロのビーナス」として知られます。海面に浮かぶ主の一物【魔羅】から誕生した女神です。

              アフロディーテとはギリシャ神話では主の娘です。主の娘でありながら他の神と姦淫をした。他の神(良心神以外)との姦淫ではなく、良心神の元たる主の神の胸元に帰っておいで。その時には、その装いも新たに嫁ぐ神の【花嫁】なのです。

               

              神の花嫁とは、これまでの罪は全て赦しましょう

               

              そして、その装いも新たに神の聖都に嫁ぎなさい

               

              この花嫁の意味が何を意味しているかが解らなければ、聖書における【神の花嫁】の意味を取り間違えてしまいます。結果、その装いも新たに嫁ぐ神の花嫁の意味が解らずに、イエスに嫁ぐ神の花嫁などと間違った解釈も起こしたのです。

               

              この主の娘の型を演じる豊穣と植物神で食物神とは、日本での食物神は外宮の神であり稲荷神たる【豊受姫】のことだと解って来ます。しかも私が見て来たのは、龍宮の乙姫(音秘め)そのものが【豊受姫】だったのです。龍宮の乙姫とは、日本神話の豊玉姫のことではなかったのです。

              この豊受姫=龍宮の乙姫が理解出来ないと、大本教神諭予告【九つ花】そのものが紐解けないのです。単なる数字の羅列から抜けきれないのです。大本教ではこの龍宮の乙姫役を三代教主であった「出口直日」さんとし、その相方の日之出神役を「出口日出麿」さんにしたのですが、その役者たる魂が神界の魂とでは合致していませんでした。大本教では該当魂を出せなかったのです。

               

              私の神霊界修業の世話をしてくださった豊受姫は、豊受姫の本当の夫神は真性の天照大御神で伊勢神宮に鎮座されている天照大御神は自分より下位の御神霊であると告げられていましたが、弥勒の世。第八の世(∞に広がる)において、その真性天照大御神と豊受姫の御両神は正式に夫婦神に成られるとなります。

              その時から、神代八代の始まりなのです。これが大本教の三代教主夫婦が型として演じた本当の龍宮の乙姫(豊受神)と日之出神(真性天照大御神)の夫婦神の型となるのです。

              ただ、巷にはニセ国常立尊も排出しているように、ニセ豊受姫も輩出しています。自分には霊能力があり、自分に臨んでいる神霊が本物だと思えば、自分に臨んでいる神霊以外はニセ者の神霊だ。それが他の霊能力がある方達からは八尾の野狐だと指摘されていても、他の霊能者に憑いているのはニセ者だ。自分だけが本物だで行くとなります。言葉の仕組みが理解出来ないのです。

               

              一部の霊能者の間で、この真性の天照大御神とは【素戔嗚尊】のことではないかという説があります。だが、素戔嗚尊では豊受姫とでは夫婦魂の関係が出て来ません。そこに神界のもっと驚く【機密】が存在します。

              しかし、その答えは大本教神諭の中だけに秘められていますので、他からはその答えは出ていません。大本教神諭から一歩でも外れると仕組みが解らなくなるのです。で、私は大本教神諭の解説に特化しているのです。

               

              私は大本教をまな板の上の【鯉】として料理しているだけ 

               

              私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【日本神話の天の岩戸明けの事実などはどこにも存在しない。日本神話の神代の話はこの私が神の仕組みとして創作させたものであり。私が何故にこのような仕組みをしたのか?。そなたはその意味を紐解きなさい。】と告げられておりましたが、これは出口王仁三郎聖師が出された【ス】神論では無理なのです。

               

              そうした中で一部の霊能者の方が言って来られたことに、【素戔嗚尊=月読尊】で別の神では無いがありました。同一神です。これは確認出来ました。また、大本教が世に明らかにしたのが素戔嗚尊とは伊弉諾尊の御子ではなくて、坤(未申)金神豊国姫の精霊から出た存在です。豊国姫は月の女神、地母神とされるです。

              日本神話の素戔嗚尊の母恋しは伊弉冉尊ではなくて、魂の生母たる豊国姫を追って宇宙の彼方からこの地球に渡ったなのです。これらのことは私の神霊界見聞の中では、まず間違いがないと思われます。

              大本教では、この地球に渡った素戔嗚尊が生母たる豊国姫の亡骸を葬った場所が大本教で禁足地とした本宮山とします。後に、その跡地たる本宮山に降り立ったのが豊受姫とします。丹後に降り立った豊受姫伝説は、綾部の話を丹後に移植したとの説です。

              為に、私はそのことを知るまで豊受姫が【綾部は神の聖都。綾部に帰りたい。綾部に帰りたい。】と泣かれる意味がまるで解りませんでした。どうして丹後に帰りたいと言われないのか、まったく意味が解らなかったのです。

               

              大本教の出口王仁三郎聖師の魂は、多くの優秀な霊能者達から【素戔嗚尊】の分魂であると追認されています。そして【瑞霊】です。しかし、出口王仁三郎聖師の周辺には生母たる坤(未申)金神豊国姫の分魂が出た形跡がありません。出口王仁三郎聖師自身が坤金神豊国姫に扮しての演技であり、それに該当する肉体の存在が大本教からは出ませんでした。ある意味、神の舞台を演じられる肉体の役者が揃っていなかったなのです。

              これは出口王仁三郎聖師は素戔嗚尊の分魂であっても、素戔嗚尊の本体神ではなかったからと見られます。こうした本体神を説明するにはかなり難しくなりますので省略します。興味本位で質問されても説明に時間がかかりますので、この手の質問はお断りしています。知りたければ自分で徹底的に調べると解って来ますので、自分で知る為の努力をしてくださいです。

               

              この【瑞霊】には【救世主的】な役割があるので、巷で多くの霊能者が自分は「素戔嗚尊」であり「瑞霊」で救世主ですと名乗っておられることにはそれなりの理由があるのです。なお、ナザレのイエスも「瑞霊」であったとされています。 しかし、大本教の出口王仁三郎聖師は素戔嗚尊の分魂でも【八合目】の段階であったと追認されているので、大本教そのものも潰れたとも言われているわけです。

               

              巷には、自分はお釈迦様とイエスとモーゼを出した本体たるそのものであると呼称されている宗教家の方もありますが、優秀な霊能者は神界の高山ピラミッドの合目や識界の段階で見ていますので、その方の自称の追認はないようです。

              その教祖様を少しばかり霊能力がある方が見ると、金色の光りに輝いておられるはあるでしょうが、神界の合目的には出口王仁三郎聖師をとても越えておられるとは思われないなのです。神界では六合目段階の神霊でも太陽の如く輝いているので、少々の霊が見える程度の霊能力では見分けが無理なのです。

               

              私は人の肉体をもった者が【自分が救世主】ですと名乗ることはナンセンスだと言っています。そんな言葉の誤魔化しで全人類を救えない。それらの人の魂が過去から今日まで積んで来たであろうと魂の汚れを一人の肉体の身で被ることなど出来ません。

               

              私は各自の救世主は【自己の魂の核たる良心神】と説いて来ました

               

              今の世に、人に内在する良心神をどれだけの人が説いているかです

               

              為に、問題は自己の良心神で救世される方の数が少ないことです

               

              いくら精神世界や霊界に興味があっても、ろくでもないスピリチュアルの登場で魂磨きが疎かになった人ばかりです。自己の魂磨きを説くことを忘れているのが現代スピリチュアルと言えます。

               

              それでは自己の魂は【毛物(獣)の者】となります 

               

              私は最後の審判において、スピリチュアル系の「何をしても神の愛で赦されます」と説く魂は、地獄の業火の中に叩き落とされるかも知れないと見ています。現にあるスピリチュアル系の信徒数千人の教祖様は、自分は地獄のマグマの火の中に自分の信者諸共落とされる。信者と地獄の業火の中に入って、自分の王国を創ると言っておられます。自分が悔い改めて反省することを忘れて、自分が救世主などと自己の信徒を欺して、そんなに地獄の業火の中が良ければ勝手に行けです。

               

              大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた、【天国に案内すると言いながら、地獄に案内する取次ばかり。】なのです。

               

              今年中に自己の良心神を【亥(女神型)】にせずに、その魂は毛物(獣の者)たる【猪】で行くと、未来がひどくなるのです。魂は殺してくれと言っても死ねないのです。魂は「永遠だ!」と叫んでいても、永遠の怖さの意味を理解しているのかです。

               

               

               

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              神が表に現れて善と悪とに立別ける。人類に示される二つに別れる道路標識

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                世の大立替を宣伝した大本教基本宣伝歌に、【神が表に現れて、善と悪とを立分ける】という有名な宣伝歌がありました。当時の宣伝使達は、これを歌っていたと聞き及びます。私も大本教の出口王仁三郎聖師の直弟子の方を師匠とした言霊師の2番目の師匠の元で、この基本宣伝歌を歌わされました。

                 

                【大本教基本宣伝歌】

                 

                朝日は照るとも曇るとも 月は盈(み)つと虧(か)くるとも

                たとへ大地は沈むとも 曲津(まがつ)の神は荒(すさ)ぶとも

                まことの力は世を救ふ

                   ○           ○

                三千世界の梅の花 一度に開く神の教(のり)

                開いて散りて実(実)を結ぶ 月日(つきひ)と地(つち)の恩を知れ

                この世を救ふ生神(いきがみ)は 高天原に神集ふ

                   ○           ○

                神が表に現れて 善と悪とを立別ける

                この世を造りし神直日(かむなほひ) 心も広き大直日(おほなおひ)

                ただ何事も人の世は 直日(なほひ)に見直せ聞直せ

                身の過ちは宜(り)直せ

                 

                 

                私は大本教神諭予告、【九つ花に咲く 一輪の言霊の経綸】を紐解く前、この神が表に現れては、本当に創造神が人類の上に降臨して来て、一人一人の人を神が善と悪とに立別るのかと思っていた時期もありました。

                しかし、いくら創造神でも一人一人の人間を並ばさせて善悪を吟味するでは変だと言えます。

                 

                大本教神諭に、【この世の閻魔大王として現れる】があります。霊界には【閻魔大王】と呼ばれる様な存在が居られることは確認出来ました。これは【羅(ラ)城】の【閻羅(エンラ)大王とも閻魔(エンマ)大王】ともされます。しかし、それは神霊界であって、この世ではありません。死後の世界で捌きの存在です。

                閻魔大王とは仏教で語られる存在ですが、大本教以後の新日本神道系では【国常立尊】様のことでもあるとします。大本教が発祥した時、艮(牛虎)金神の名の元に、【節分の煎り豆にも花が咲く】と宣伝されたことでも解る様に、節分の煎り豆で追われているのは【牛頭虎パンツ】の牛虎の鬼達で、これらは閻魔庁の【邏卒】を指しているからです。これまでは国常立尊様を悪神として追う行為と言われて来ました。

                元々大本教で出した【艮(ウシトラ)金神】は、綾部の藩主であった熊野本宮の九鬼(クカミ)神道家筋で、宇宙根源神を【宇志採羅根真】としていたことと同じではあるのです。為に当時の知識人は、大本教の出口なお開祖は綾部藩の九鬼神道家の神をぱっくった等の話もありました。その九鬼氏の綾部藩では【鬼は内。福は外】だったのです。

                それらは大本教が綾部で発祥したのは、神の仕組みとしては必然的なことでもあったなのです。大本教が起きた場所は元は新宮村で、九鬼氏が綾部藩主に成る以前よりあったのです。綾部には本宮村や本宮山とか熊野と同様の地名を持っていたなのです。

                 

                大本教神諭予告の【九つ花】を紐解くと、出口王仁三郎聖師が世に出した【ス】神論ではなくて、【ラ】神論になります。「ラ・ら」の文字は、【良】の漢字を元にして出来ています。【羅】も、言葉としては「ラ」なのです。聖書にある最後の審判で死者が復活する意味の【羅】なのです。そこに【来世門の羅城】として古来から説かれて来たなのです。

                大本教の【この世の閻魔大王】とは、日本神道で各自の魂の【核】として存在する天帝の分魂(直霊)のことであり、人の魂に内在して【良心】神の働きを司っています。お釈迦様の菩提樹の下の本当の悟りとは、【悪魔は実態を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在する】でしたが、お釈迦様の死後に後世の者達によってその教えは埋没していたです。

                 

                大本教神諭が予告した【九つ花】は、朝鮮半島に残されていた最後の審判前、救世の為に【米】一字の教えが起きる。その教えに従った者達の上には天の罰は降りないがありましたが、その【米型】で大本教神諭予告【九つ花】を紐解くと、今の世は【七(物質の質)の世】であり、やはり大本教予告の【ダルマ(達磨)大師】として現れたで、ダルマの七転び八起きで【みろく(369)の五十六億七千万】が成り立って来ます。

                大本教が日本神道でありながら、仏教のお釈迦様の悟りを五十六億七千万後の人々に教えて、人類を未来の世に渡すとされる「みろく菩薩」を「みろく大神」として出したことも、そこには必然性があったとなります。

                 

                私はこの仕組みが解った時、【愕然】としました。

                それが「日本語」であったとしても、誰がこんな仕組みをしたのかです。

                 

                私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫は【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方。貴方の言葉による教えは【天帝の詔】と同じであり、貴方の言葉の教えが聞けない神は如何なる神であっても天帝に対する反逆罪として裁かれます】と告げられたのですが、私の言葉の教えが聞けぬ神とはどういう意味かとも考えていました。

                 

                私が霊的世界から見せられたものとして、下記の【交通標識】があります。その時に出て来たのが「良子」と「量子」でした。良子は【ラ】神論を指す「良」の字を教えることでした。が、その当時は「量子」の意味が解りませんでした。量子は「光の光量子」のことでした。

                 

                各自の魂の「光」の分量が【量子】で、良心神の点数となる

                 

                 

                 

                この道路標識の意味は、人類がこの先に進む道には分岐点があり、どちらかの【左右】に別れるです。もう今の人類には「真っ直ぐに進む道は無い」であり、どちらかの路を選ばなくてはいけないなのです。

                すなわち【捌きの路】に来た時には、否応なくどちらかの路を行かなくてはいけなくなるのです。この分岐点は、ある地点(時)で一斉に現れるなのです。

                 

                一つは、創造神のみを唯一神として共に行く路

                 

                一つは、創造神とは離れて、自分達の路を行く

                 

                どちらの路を行くかは、自分の魂の【良心】神点

                 

                これは自分は右の道だとか左の道だとかではなく、光の【量子】によって定まるなのです。この量子は「良子」でもあると出たのです。当時の私は「量子」と「良子」で何が違っているのかあまり理解が出来ませんでした。

                だが、大本教から出された【○に黒丸の⦿記号】は、良の漢字の源字であり「米」の量を測る意味でもあるなのです。量は分量などの意味です。単に人に内在する良心神と言っても、人によってそれぞれ良心神の【量】には違いがあるのです。

                 

                天人界を訪れたあるサイキッカーの方が、天人達から最後の審判は各自の「良心神」の点数で決まると教えられたそうですが、その【量】が測られるなのです。それは私が見て来た人の魂には良心神の点数が出るだったのです。その点数によって、新しいみろく世の「天人」たる位置が決まるです。これらの良心神の点数とは、肉体たる人間を指しているのではありません。どこまでもその人の【魂】の良心神の点数です。

                 

                各自の魂に対する最後の審判は、人の魂の中の核たる良心神の「量」による。

                その為には、各自の魂に「天の岩戸内の光線」を通過させる必要があります。

                 

                【Y】路標識は、【天の岩戸】を開ける意味で

                生まれながらの心の器たる【性器】を判断する

                 

                日本神話の【天の岩戸】開けとは、天照大御神が天の岩戸内に隠れられた時、元祖ストリッパーとされる【天宇受売命】たる女神は、その陰処(ホト)たる性器を露わにして踊ったです。その夫君は猿田彦命であり、その鼻は男性の性器になぞらえていることは、言葉の理解力がある方ならば「性器」の意味かと思い浮かぶでしょう。だが、単に性器では「生まれながらの心の器」と読めなかったわけです。

                 

                私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、【日本神話の天の岩戸開けなどの事実はどこにも存在しない。全てこの私が最後の時の為に仕組んだことである。そなたは日本神話の天の岩戸開けの意味を解読しなさい】と告げられていました。既存の神々は、本当に天の岩戸と呼ばれる場所で光が出て来ると思っておられるがありました。

                大本教の出口王仁三郎聖師は大本教神苑内の金龍池ではなく、元の金龍海とされる場所の淵を、地元の古老によれば、着物の裾をまくり上げて男性のシンボルを出して歩き回っていたと聞き及びました。男性版「天宇受売命」の演技と言えます。それで私は男性の性器で【真ラ(魔羅)】の言葉かと意味に気づいたしだいです。

                霊界に現れる男性の性器たるシンボル【魔羅】の映像を見ていると、最初は「割礼?」。と首を傾げますが、ユダヤ教は【割礼】の意味を間違えたと解ります。これは【割霊】です。見えて来る霊的映像だけで解釈すると難しいのです。一度、ひらかなにして日本語と言う言葉の置き換えが必須となって来るのです。

                 

                この標識の自体の意味は、私達の肉体に対する西暦「2000(二線)年」の意味ではないのです。西暦二千年の意味はどこまでも私達肉体に関してのみであり、こちらの標識は私達の【魂】に対する意味なのです。

                 

                その時、自分は右に行くとか、左に行くというよりも、

                 

                その時を【右左岐(卯)】の年と言い。卯は玉子(卵)を二っに割った意味でもあるのです

                 

                これまでの地球の玉と、新しい地球の玉との二つに別れるです

                 

                この兎(右左岐)年、亀が先にゴールイン。鶴と亀が統(すば)る【昴(スバル)】と言う

                 

                 

                私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていました。その声は私に【日本の童唄の「かごめ、かごめ」に意味を秘めた】といわれます。これはスピリチュアルでも多くの方が「かごめ唄」が【予言歌】であると言われているでしょう。しかし、その解釈は難しいのです。

                籠の中の鳥には、鳳凰もあれば火の鳥。不死鳥も考えられるからです。その中でも「鶴と亀」が解りづらいと言えます。よく論議されるのが「統べる」なのか「滑る」なのかです。これは「統べる」と「滑る」の両面があるのです。亀が出て来る童謡には「うさぎと亀」があります。

                 

                が、これらは言葉の仕組みとしては魂が別々の世界に別れて行くことを意味しているだけです。西暦2023年がその【卯】の年となっているだけのことにしか過ぎません。その可能性を否定は出来ないとなるのです。それらは西暦2020年の【五輪終】から何が出て来るかで判断は出来るとなります。

                 

                最近、大本教が世に大宣伝をした【大立替】を言われる方は、めっきり減りました。もう、そんな出来事があったのかと忘却の彼方の世です。人々がそうしたことすら忘れると、誰も【魂磨き】をしようともしません。自己の魂を汚し続ける論理ばかりが世にはびこります。

                何もしなくても、【神の愛で何をしても赦される】の論調です。それがスピリチュアルの基本とまでなってしまいました。

                 

                肉体を持たない【魂】の浄化浄霊は簡単にはいきません。肉体があってこそ【魂】の浄化は進みます。

                 

                私達が持っている【魂】とは、腐ったり捻れたりしなければ、基本的に魂に【死】は存在しません

                 

                魂には死がないということが、魂に【輪廻転生】があるだったのです。その魂の輪廻転生が終わるとは、霊界で自分の魂の地位が最終決定するということなのです。その霊界での地位は永遠に変わらないと、大本教神諭は予告したのです。

                 

                立替が終わって自分の霊界での位置が決定した後に、その位置が永遠であると解ると、そんなことならばどうして早くから教えてくれなかったのかと文句が出ます。為に、早くから宣伝がなされて来たのです。

                 

                 

                 

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                人の顔をしていても魂は獣(毛物)と魂の核(亥)を光らせる2019年の幕開け

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                  このブログを読んでいただいている皆々様。旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。
                   
                  私が現在住む土地は、おそらくこれまで出た予言者の中で、世界最高の予言者であったと考えられる大本教の出口王仁三郎聖師が、大正時代に一部の信徒達に教団には内密でその土地を死守せよと命じられたと言われている土地の一角に居を構えています。霊能者の調べではこれらの土地は【陸の竜宮城(金龍海)】の入り口だと云います。確かに、この地では金龍神の姿を見るがあります。
                  その土地の一角を私の母親が買ったことから、私は不思議な運命に流されることになりました。大本教に入信こそしませんでしたが、大本教の出口なお開祖霊や出口王仁三郎聖師霊が私の前に現れて、特に出口なお開祖霊は【大本教はまな板の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第】と伝えられて、大本教の意味を解説することになってしまいました。
                  大本教の出口王仁三郎聖師と覚しき霊は、私に【漢字の変換】を暗示してくれました。また、他にその着衣の服装で大本教は「イスラム」の段階で、まだ「イスラエル」に至ってはいないです。最初は、この言葉の意味が中々解けませんでした。
                   
                  私は神霊世界修業のお世話になった豊受姫の命令で、その地に家を新築してから不思議な現象に見舞われることになりました。私が遭遇した摩訶不思議な出来事とは、豊受姫のお代であった最初の師匠が、【貴方ほど不思議な体験を積んできた人は世界に一人も居ないだろう】と言いましたが、全て言葉の仕組みを紐解かせる為のものでもあったとも言えます。
                  その一つに【神の時計】があり、大本教霊界物語の主の神は約三十五万年前に御引退話で、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を紐解かせることになりました。【九つ花】そのものは大本教に在籍時には出口なお開祖派と言われ、反出口王仁三郎聖師派で後に神道天行居を開いた「友清歓真」師がある神から教えられたとして世に発表されていましたが、その内容の説明が出来ていませんでした。
                   
                  その神の時計で、西暦1998年に【ノストラダムス予言の西暦1999年には何事も起きない。私達が現在使っている西暦の意味では無い】。2000年とは人類を二線(2000)に別ける意味で、その一歩手前の【1999】は分岐する手前の意味であると出たのです。
                  大本教霊界物語に「1000と999」の違いがあります。【一厘】の違いで勝利するです。大本教神諭予告は【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】と告げましたが、その一輪とは【ラ神論で人に内在する良心神】のことでした。その働きは大本教が掲げた【この世の閻魔大王】として現れるです。
                   

                   

                  すなわち、一輪(一厘)が有るか無いかは自己の魂に「良心神」があるか!。無いか。
                   
                  その「一厘(良心神)」の違いで、未来への道が二線に分かれてしまうなのです
                   
                  大本教予告、善と悪とに立分ける。この世の閻魔大王(良心神)として現れる

                   
                  私はこれまでのブログで、1999年の意味を説いて来ました。下記の図は数年前に出したものです。
                  しかし、この図では西暦2014年の午年と西暦2015年の羊年にしており間違っていました。それは私に「15度の間違い」と出て、その15度の意味がどうしても解らずに、15年間の間違いではないだろうかと考えたからです。干支で語る言葉から、乗り換えは「馬小屋の駅の午年」。翌年が未来の「未(羊)来る」からです。
                   
                  だが、今回西暦1999年の意味には「20」年間の余裕があったことを霊声で告げられましたので、西暦2019年が乗り換えるポイント年となると思われます。また私以外の方達の上に、「2020」の数字が出て来ていることで、昨年が祓いの犬年。今年が猪(獣の者)と亥(核)であり、2020年が「子(鼠)」となります。子は「一と了」の組み合わせであり、象形文字で由来を調べる必要はないのです。
                  2020年には【人に内在する良心神(この世の閻魔)】によって二線に分かれて、子年に「一(初めの)の完了」。次に「牛」年「寅」年となって、【牛虎(艮)】の「魂の禊ぎ」年にと入って行くとなります。
                   

                   

                  その後が西暦2023年で【右左岐(卯)】年となります
                   

                  私は予言者でなくて、言葉の仕組みの解説者に過ぎませんので、解釈を間違えることもあることをご承知ください。

                   

                  数年前に出した図。

                   

                   


                   

                  西暦2014年は西暦2019年の間違いで、西暦2015年は西暦2020年の間違いでした。

                  モウ3次元世界の物質欲に縛られた意識ではなくて、五次元界ともされている高次元界の意識を切り替えて行く必要があるのです。

                   

                  今の世の幸せだけを神仏に願うでは、新しい世界に行かないとなります

                   

                  一人一人が神の宮で自分は神の子だ!。その意識を持つ必要があるのです
                   

                   

                   

                  旧来線を「蒸気機関車」で示してあるのは、これまでの神界は大本教神諭にある「ユダヤの悪鬼」の力の先兵として行動していた【黒龍神】達の意味です。蒸気機関車は「黒煙」を出します。

                  一方、みろく世に渡るには【新幹線】で出しました。新幹線はこれまでとは線路が違うので、旧来線からは【乗り換える】必要があるわけです。 この【乗り換え】とは、「三次元世界の意識」を脱却して「高次元世界の意識」に代わらなければならないのです。その乗り換えには「駅」を通じますので、その駅がすなわち「馬小屋の救世主」の意味を持つのです。

                  しかし、これらは自分の意識を高次元界の新しいみろく世に合う【意識】に変える意味であり、【世の大立替え】と予告された【立替の嵐】そのものは除外して説明してあります。その立替の嵐の時期が西暦2000年ではなく、その年自体がこれまで解らなかったからです。
                   

                   

                  何人もの霊能者の方達が西暦2020年の東京オリンピックの年が危ない。果たして、東京オリンピックは開催出来るのか?。東京オリンピックが終わった後が危ないなどの説がちらほらと出ていました。

                  今回、ある方に【五輪終】と出たので、東京オリンピックと直接に関係があるのかと考えていましたところ、私に東京オリンピックそのものでなくて、西暦2020年から仏教の五輪の教えで知られる【地・水・火・風・空】の宇宙の働きのバランスが崩れ出すの【五輪終・御臨終】の意味合いだと出ました。

                   

                  二線に別ける西暦2000年から20年間遅れたのではなくて、暦では最初から20年間違っていたなのです。それは今年が【猪(亥)】年の言葉から解るのです。
                   

                  立替には魂の【禊ぎ】が必須です。豊受姫はその時のことを「大嵐」と表現されましたが、【五輪の崩から天変地異が起きます】。その「禊ぎ」段階を経ないと、新しい「みろく世」に行く最終人数の確定が出来ないのです。その禊ぎの間に反省して悔い改める魂も多数出るからです。

                  この西暦2019年が【猪(亥)】の年であることによって、そこに意味があることが解ります。人の顔をしていてもその魂は獣(毛物)の者の【猪】で行くのか、逆にその魂の核(良心神)を表に出している【亥】の者かです。
                   

                   

                  大本教の基本宣伝歌として、
                   

                   

                  【神が表に現れて、善と悪とに立て分ける】
                   

                  があります。西暦2019年(西暦1999)がそれに該当していると考えられます。

                   

                  それを図式しますと、

                   

                   

                   


                  私が霊界修業に入った頃、豊受姫から大本教が予言した【立替】は間違いなく起きます。それが何時なのかは解らないが、貴方はその立替の【嵐】の中を突き進んでいかれますと告げられたしだいです。大本教が予告した「立替」とは、私達にとっては嵐の中に置かれたような状態に入ると豊受姫は告げられたのです。

                  その豊受姫は、私に【人類は一人も生き残らない。人類に生き残れる道があるならば、この私が教えて欲しいぐらいだ。】とまで言われたのですが、私は人類が生き残れる道はないのかと模索したのです。

                   

                  その結果が、私が見させられた内容は人類は滅びるのではなくて、【五六七】と予言された高次元世界に向かうだったのです。これが大本教神諭にある。
                   

                   

                  【世の立替があると云うことは、どの神柱も判りていれど、モウ一厘の肝心の事は判りておらん】

                   

                  だったのです。
                   

                   

                  スピリチュアルでも、人類が五次元世界に行くということは判っている方が多いのです。ただ、スピリチュアルでは実に安易に、【何も心配しなくてもいいのです、この地球が自動的に五次元世界にアセンションするだけです。】で、そこに起きる様々な諸問題。立替の大嵐を語ろうとはしていません。今の肉体が自動的に【半霊半物質】体になって五次元世界に適応すると考えているのです。これは岡本天明氏の【日月神示】の影響もあるでしょう。
                  確かに白狐等は【半霊半物質体】で、その姿を簡単に消したり、また肉体を持って現れたり出来ます。人の姿にも簡単に化けます。特に知られているのは白狐は姫姿や衣冠束帯の平安貴族の様な衣装にもなります。しかし、白狐等は三次元世界が基本霊界ではなくて、それよりも高い次元霊界にあるのです。そこは人間の様に魂に三次元界物質を身に纏っているのではないのです。
                   
                  私が伏見稲荷山に初めて上がった時、豊川稲荷の大眷属である大白狐霊は優秀な霊媒者の口を通じて、師匠の講員さん達に向かって、 人間の分際で頭が高い と一喝して来て、私は思わず噴き出してしまいました。次元世界から言うと、そう言われても仕方が無いのです。皆、現世御利益を貰おう。現世御利益を貰おうで、大本教神諭で告げられた【人は死後に神にも成れる魂を授けて貰っているにも関わらず】ということが誰も解っていないからです。白狐に下郎呼ばわりされても致し方ないなのです。
                   

                  大本教神諭に、

                   

                  これ迄の世は、眷属が覇張(はば)りて、大将無しの世になりて居たから
                   

                   

                  とある様に、三次元世界に住む私達が関わっている御神霊とは、宇宙サイドから云うと超高次元界の御神霊達ではありません。単に霊が見えるとか霊と会話が出来るだけのスピリチュアルでは、人の姿で光輝き立派な衣装を身に纏った蛇霊、野狐霊、狸霊、猫霊に簡単に騙されてしまいます。まして、サタンとも言われる赤龍(紅龍)や汚れを意味する黒龍には霊力で太刀打ちが出来ないがあります。

                  しかも、人は三次元の意識界に縛られていますので、自分の魂が高次元界に行く意味そのものが理解出来ないとなります。そこに出て来る意見は間違いなく、三次元世界が終わるとするならば、【神は俺たちを殺すのか】という短絡的な意見になります。高次元界に存在する自分の魂の存在すら、まるで解っていないからです。

                   

                  私はスピリチュアルの弊害が大きかったと見ています。
                   

                   

                  西暦2019年は馬小屋の救世主でなく、豚(亥)小屋の救世主

                  人の顔をしていても魂は獣でなく、獣者(猪)から脱却をする年
                   

                   

                  西暦2019年度中に魂が【獣(毛物)】状態から脱却していないと、これから先の禊ぎの時が辛いことになると思われます。

                   

                   

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                  西暦2018年を表す漢字一字は「災」と決定したが、本当の「災」はこれから先

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                    西暦2018年を表す漢字一字は「災」の漢字となりましたが、西暦2018年に世に起きた数々の事柄は【災い】というほどの出来事ではありませんでした。

                    西暦2018年は犬年で、祓いの犬年の効力は西暦2019年の節分の頃迄ありますが、祓い年の効果で少しだけ諸悪が世の表に出て来た程度のことです。本番はこれから先と言えます。

                     

                    大本教の出口王仁三郎聖師は、【広島や長崎に新型(原子)爆弾が落ちて火の雨が降る。その後に黒い雨が降る。】と予言されて、広島には原爆投下後に黒い雨も降って見事に的中したのですが、その予言がなされたのはそれよりも3年〜4年前と言われていたかと思います。予言が的中して来るには時間が掛かるなのですが、そんな先まで見通している神があったなのです。

                    広島や長崎に新型の爆弾が落ちて火の海になったとの情報が持たされた時、大本教の信徒が出口王仁三郎聖師が最後の時は【火の雨】が降ると予言されていることで、広島や長崎が火の雨になったことですかと質問したところ、あの程度の生やさしいものではないと答えられたことが知られています。

                     

                    人の火によるものが【火】で、天から来る火を【災】と言います

                     

                    天からの火の災いとは【裁の左下が衣でなく火】で、裁きの時 

                     

                    また「栽培の栽」の字の左下が木の字ではなく火です。サイという漢字なのですが第4水準漢字なので、その漢字が出る機種もあれば出ない機種もあるので、ここでは示しません。意味は、地を祓い清める意に戈の漢字がついたものです。神の裁きの火で清める意味があるのです。

                     

                    出口王仁三郎聖師の予言は、【月の表面が崩壊して、月からの隕石が火の雨のごとく降る】ことを予言されたのだと思われます。その時は月と地球が引き合う「引力」そのものがおかしくなっているからです。人は誰も地球の核たるエネルギーの異常で地球の自転力や引力がおかしくなるなどとは思ってもいません。そんな日が来る等とは科学者も予想だにしていないからです。

                    一部の新地球論者の中には、その時の今の地球は幽霊地球で宇宙のゴミと化すなどの論があります。そうした意味を解説しているのが筆者の【上野公園】のホームページです。来年が平成31年になりますので、約10年前の節分明けに開いたHPです。 但し、Pc上ではダニエル(神は我が裁き主)の「バタフライ」の曲が流れますが、スマートフォンでは音楽は流れないようです。

                    http://uenokouen.com/

                     

                     

                    私が霊的に見せられた映像は、地球を動かす原動力のコントロールが出来なくなる光景と、地球が自転を止めることによる引力の壊失です。その時には、時間すら止まるなのです。

                    しかし、創造神と呼ばれる神に従う人達にとっては何の心配も要りません。創造神が人類に約束されているのは、多くの神諭などでも既に宣伝されて来た【嬉し嬉しのみろくの世】に入るからです。巷で自分か救世主ですと名乗っている人を拝むことではありません。土下座をするならば、イスラム教徒のように創造神だけにせよです。

                     

                    一人一人の魂の【核】には、天帝の分魂である良心を司る神が存在するからです。

                     

                    それが、聖書にある

                     

                    神は汝と共にありなのです

                    みのおわりの瑞霊の女子の意は、【汝】の字の中にあり。聖書の神の【花嫁】たる意ともなるのです。

                     

                     

                    今年驚いたのは日産自動車の会長であった「カルロス・ゴーン氏」の不正の数々でした。権力の座に長く留まれば自分が腐敗するの典型と言えます。また2018年は自動車産業界における不正検査もこれでもかこれでもかと数々も出て来ました。

                    日大フットボール事件は日本大学の恥部まで晒け出すになりました。トップに座っている理事長は如何なる者かです。大学の問題では東京医科大学が文部省の高官の子息の裏口入学のみならず、女子受験生に対する入試に対する不正操作事件まで暴くことになりました。そして各大学の医学部に波及しました。

                    また、企業でも数々の不正が公になり、あちらこちらで謝罪会見の連続で、如何にこの世が不正義で溢れているかを世間に見せつけました。

                    相撲の世界では横綱日馬富士の暴行事件から、相撲協会の隠蔽体質、古い感覚から抜けきれない親方衆の体質。貴乃花親方に行き過ぎはあったとしても、貴乃花親方を引退に追い込んだ親方衆の虐めの体質等が浮き彫りになりました。だが、それを改革しようとする親方も今の相撲界には居なくなっているとも言えます。感情論ばかりで動くからです。

                    自己の感情云々ではなくて、何が正しいかで正しいことを遂行する意識が抜けているのです。人は感情動物だ!。それのどこが悪いかと息巻くことではないのです。 情に棹させば舟は流されるのです。

                     

                    隣国韓国においては理性より感情や情緒に支配された「ポピュリズム」によって、法の番人でさえ「法」の解釈をねじ曲げるが起きています。もしも法に従って判決を出せば、ポピュリズムで暴走した暴徒によって自分の命を狙われかねません。法の番人たる信念よりも、暴徒から自分の命や身の安全を図るとなります。

                    現に韓国では労働者の暴徒と化したデモ隊に、警察が取り締まれない。警察がデモ隊に謝罪に追い込まれるなどの本末転倒の出来事も起きています。文政権になってから警察もデモ隊が暴れるがままにさせるより方法が無いです。もしもデモ隊を取り締まれば警察幹部の首が飛ぶことになりかねないからです。皆、何が正しいかではなくて自分の保身です。

                    ポピュリズムとは、大衆の欲求不満や不安をあおってリーダーへの支持とする手法で、その手法でその国のリーダーになっても、民主政治は衆愚政治となり、大衆のエネルギーは自由を破壊し、集団的熱狂に向かうなのです。

                    そうなると、その国のリーダーに何を求めて解決は出来ません。大衆の顔色ばかりを伺い。自分の地位を守ることに必死になって、何の策も無いとなります。私達はその現状を今の韓国から学んでいるとなります。

                     

                    これは以前からあることですが、今年は高金利の配当を歌った詐欺まがい企業の経営破綻が二つありました。一つはジャパンライフで負債総額が2400億円以上。一つはかぶちゃん農園で知られたケフィア事業振興会の1000億円。

                    ほとんど金利がつかない銀行利子に対して、高金利が約束される。監査法人も何もない事業。それをおかしいと気づかないと言うのは騙した方だけが悪いのではなくて、騙された方もおかしいのです。そんな高金利で世間から集めなくても、今の銀行は貸出先に苦労しているのですから、もっともっと低い金利で銀行が貸してくれます。銀行が危なくて貸せない事業者と解ります。そうした業者の魂胆を見抜きなさいなのです。

                    人は全て善人などと思っていると危ないのです。人は【霊止(ひと)】であり、邪神邪霊の容器と化している人達も多いのです。見かけでの判断は禁物なのです。 

                     

                    こうした企業や組織の暗部は内部告発がないと出て来ません。しかし、それを告発すると言うことは自分の命を賭けた戦いともなりかねません。

                    雪印食品の牛肉偽装に関わる不正事件を内部告発した西宮冷蔵の水谷社長は、偽装工作に加担したと当局から営業停止を受けて会社は傾き、また同業者からも裏切り者として非難され、そのお嬢さんは自殺未遂まで追い込まれて命は助かったが後遺症を残すことになられました。

                    自己の【良心】に従っていくら不正を告発しても、何も報われないのが今の日本の現状であり、そうした人達を助けようとしない企業べったりが今の政治家や役所の姿勢なのです。法や規則に不備があるならば、その法や規則を変えないと行けないのです。それを与党も野党も怠っているのが今の日本の政治家達です。

                     

                    創造神の目から見た時、今の政治家や企業家に【誠】の人は少なくなっています。

                     

                    もう根本的に政治や役所ではなくて、社会の仕組みそのものを変えないとどうにもならなくなって来ているのです。

                     

                    この世の不正義に、どこに神が在るのかとなります

                     

                    今の世は「不正義」の世であり。どこに本当の神が居るのか!。そうした声を上げたい人達の気持ちは私にも痛いほど分かります。

                     

                    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、私に【私はこの世の不正義を糺す。】と告げられました。だが、その一方でその為には、【時節を待たねばならない。】とも告げられたのです。 大本教神諭に、【神も時節には適わない。おいでおいでをしなくても、その時節は向こうからやって来る。】とあったかと思いますが、私も同じ様なことを告げられているのです。

                     

                    そして、私が告げられたことに【新しい世(みろく世)では、上に立つ者達は住民の選挙で選ばれた者ではなくて、この私が直で任命する。】でした。神の目から見て、この者だと認定された者が新しき未来の世の指導者の役に就くなのです。

                    そこに大本教の出口王仁三郎聖師の、【世の大立替とは、牛の糞が天下を取るようなものだ】があります。牛の糞の様に社会の底辺で「誠」を尽くしていた者達に天下を取らせる式のことです。正しい者達は、その時まで【我慢】をいたせなのです。

                     

                    大本教から、元の創造神たる【国常立尊】の復帰が予告されました。それに対して幾多の実践霊能者(スピリチュアルの段階にあらず)達の中には、反国常立尊色を鮮明にして断固として国常立尊には従わないがあります。 全ての人を新しいみろく世に移行させれば、またもや同じ過ちが繰り返されます。為に、新しいみろくの世は創造神に対して【悔い改めた者達】だけとなるのです。

                     

                    悔い改めない者達を可哀想だとか気の毒だと言っている間は、【悔い改めないままに何もかも赦せば、またもや同じ過ちの轍を踏む】が理解出来ていないとなります。ですから、悔い改めた者達と悔い改めない者達は近い将来に別の世界にと別れて行くことになるのです。

                     

                     

                     

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                    人は誰でも霊界を見ている。自分の夢の中まで支配して来る霊。【意識】とは何ぞや!

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                      世の中には死後の世界たる霊界。神仏が存在する世界を信じる人達と、人は【死ねば終わり】だと、死後の世界を一切認めない人達があります。

                       

                      日本仏教の某宗派はひどいもので、その信徒さん達に【死後の世界(霊界)などは無い。人は死ねば土に還るだけ】だと教え込んでおられます。仏典にお釈迦様は幾度かこの世に出たことが記載されていても、まるで理解出来ておらずに霊界等は無いと言うのであれば、貴方達の仏教とはいったい何だとなります。また、人は死ねば土に還るとするならば、どうして信徒に先祖供養を要求するのだとなります。自分達で矛盾に気づいていないなのです。

                      この宗派は、仏典の中味は人がこの世で生きて行く為の教えであり、何も死後の世界があると説いてはいないと、かなり逸脱したことを教えておられます。確かに、仏典にはお釈迦様が死後の世界の存在を問われた時、死後の世界のことなど知ろうと思い患うな。今の世を一生懸命に生きなさいと説かれたとは言われています。それは死後の世界が無いと言われたのではなく、死後の世界を知ろうと患うなです。死後の世界の説明はかなり難しいのです。それを無理に知ろうとする必要はどこにも無いで、意味を取り違えていると言えます。

                       

                      この宗派の信徒さん達の中には、霊界などを説いているとすぐに【オカルト】だと執拗に攻撃をされて来る方達があります。最近もとあるブログがその被害に遭っておられました。死後の世界の存在を説く者達は全て邪神だオカルトだという信念のようです。

                      この仏教宗派は日本の仏教界のほとんどの宗派が所属している全日本仏教会にすら所属しておられません。ある意味異端宗教なのですが、自分達以外が異端宗教だと思っておられるようです。そうしたオカルトの連中を叩くことが正しいことだとの認識なのでしょう。では、そうしたオカルトの連中を叩いて自分達は死後は土に還る。消え去る。そこに何の意義があるのかとなります。 それではもはや宗教とは呼べません。

                       

                      宗教とは、人の【胸(宗)】の中に宿る存在を教える

                       

                      そこに【愛】の教えもあれば【良心】神の教えもある

                       

                       

                      そもそも仏教の開祖たるお釈迦様の教えに、人は死ねば終わりで土に還るなどの教えそのものがないのです。法華経を読むのであれば、そうした教えがどれだけ逸脱しているのかが解ります。神仏と呼ばれる存在と、自分達の死後のことがまるで理解出来ていないのです。その宗派では法華経は【嘘も方便】の集で、この世を良くする為に【嘘】が書かれているのだと反論されます。この仏教宗派の教えを信じる人達は、話せば解るの段階の方達ではありません。中には狂犬病的な方達が見られます。

                      確かに法華経は【方便品】とあり、【嘘も方便】の教えがあっても、そこには【化城】の論理があるのです。人は死ねば天国だ!。そんな簡単に天国などに到達など出来ません。だから指導者は【苦肉の策】で幻の【化城】を説くのです。

                       

                      で、この宗派の僧侶達は死後どうなっているかと言いますと、全ての僧ではないでしょうが死後は地獄界に墜ちてしまっています。大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた、【地獄を覗けば、牧師や僧侶でいっぱいだ】の口です。それをその宗派の開祖ではありませんが、その開祖の師匠たる宗派の開祖様が地獄に赴いてまでその救済に走っておられるがあります。

                      自分が開いた直系の宗派でなくても、自分の教えを元とした弟子が開いた分派の信徒でも、自分を御本尊として崇めてくれている者達。地獄に墜ちている分派の信徒達を救う為に地獄に赴いておられる姿が霊能者に視られて、その元の開祖は地獄界に墜ちておられるとの話も起きています。そうではなくて、自分の教えの真意が解らなかった直弟子が起こした宗派の信徒達を救う為です。

                       

                      死後の霊的世界の存在を知るには、自分に【霊能力】がないと、人の話だけでは霊界が存在していることはなかなか理解出来ません。しかも霊界は横の広がりと縦階層で成り立つ多様の世界が存在して来ますので、簡単に説明が出来ません。また、人の身で全霊界を知るなどは不可能と言えます。

                      人はいくら霊能力があるとしても、その人に見える範囲の霊界しか見ることが適わず、霊能者を100人集めても、話の内容がまったくかみ合わないとなります。

                       

                      その霊能者が嘘を言うのではなくて、その人の霊能力では限られた限定の世界しか見えていないなのです。

                       

                      霊的世界が解る者からすると、【お釈迦】様や【イエス】や【弘法大師】や【日蓮聖人】などは、特別の存在であったことが解って来ます。そうした先達は狭い範囲の霊界を見たではないのです。神が人類の為に、この世に降ろした高級な魂達なのです。魂の格が低い人ほど、魂には格の違いがあることが解らないのです。そして、人は一人一人が創造神だ!。と歪んだ観念を持ってしまう霊能力保持者もいます。

                       

                       

                      自分に【霊能力】が備わっていないと、死後の世界たる霊界の存在を認識するのは難しい話ではありますか、実は人は【夢】で霊的世界を部分的には見たり体験はしているのです。

                       

                      人は何故に眠るのか?

                       

                      人が眠るのはこの世で働く【肉体の休養】が第一義ですが、人の肉体は【魂の服】であり、この世の活動で疲れた魂のエネルギー補充として魂は眠っている間は【霊界】に帰っているとされます。 その霊界に帰っている間に体験したことが【夢】として現れるなのです。

                      ですから、人は眠らないと霊界での魂のエネルギーの補充がうまくいかずに、肉体にまで支障を来して病になったりします。

                       

                      そうした証拠として、

                       

                      如実に出るのが【霊媒質者はよく眠る】なのです

                      霊媒体質者は霊に憑依されると眠くなるです。眠ることで自分に憑依した霊を肉体で浄化させるです。 

                       

                      人は眠っている間に、誰しも【夢】を見ています。ところが目覚めると、見ていた夢をほとんど記憶していないのです。その中で、見ていた夢で鮮やかに記憶している夢があります。この記憶している夢が【霊夢】とされます。霊界で起きた事物を魂が記憶するからです。 自分が夢に見た内容が、そのままにこの世に起きる事を【正夢(まさゆめ)】といい、反対に逆の現象がこの世に現れることを【逆夢(さかさゆめ)】と言います。これらは、この世より霊界で先に起きることが原因とされます。

                      そうした夢の中で【予知夢】があります。未だ起きててもいない未来の出来事が「正夢」で、その夢の中味の通りのことがこの世で起きてしまうことです。そうした「予知夢」を見る方は、ある意味「予言者」の素質の持ち主なのです。この世を【現世(うつしよ)】と言いますが、霊界で起きたことの【写し世】だからです。

                       

                      私の亡き伯母は霊感持ちで、未だ誰も死んでいない家を見て、この家で葬儀があると言うと、数日から一週間ほど経つと、その家では葬儀が行われていました。伯母には葬儀の光景が事前に見えるだったのです。予知夢ではありませんが「予知」能力があったなのです。私も子供の頃はそうした「予知」能力がありましたが、今は消えてしまいました。

                       

                      大本教の出口王仁三郎聖師は類い希なる大預言者(予知能力者)で、その予言の的中率は誰をもってしてもそこまで出来ませんでした。そのことに関して、出口王仁三郎聖師は霊界で起きた事物を語っていると言われています。そして、霊界で起きたことは必ずこの世で起きる。だが、それが何時この世で起きるかが解らない。それが千年先になるのか?。二千年先になるのかは解らないが、必ずこの世で起きるです。

                       

                      しかし、いくら記憶に残った夢でも【意味が解らない】ものが多いのです。それらは一度、言葉に置き換えて、その言葉の意味を別の言葉に置き換えると解って来ると言われています。私が大本教が演じた意味を、別の言葉に置き換えて解読しているのと同じ手法です。

                      だが、夢を見ただけで、その内容を全て霊界話に持って来るのはどうかとなります。私自身の体験で、夜に眠っていて夢を見て、そこで誰か見知らぬ人と出会った。で、その日の朝の神前で祝詞を宜っていると、その神前に夜に夢で見た人物たる霊が現れて来るなどがありました。それは単なる夢ではなくて、夢の中で霊界と関わっていたなのです。

                      だが、霊界には邪霊達も多く、そうした邪霊達が仕組んだ内容を夢に見て、それが現実になると思うと「一杯喰わされた」となるのです。ゆめゆめ疑うことなかれでなく、夢も疑えとなるのです。

                       

                      この「ゆめゆめ」は【夢々】ではなくて、務めての【努々】とされますが、古事記などでは【由米】なのです。

                      中国の詩に「天を視るに夢々たり」があり、夢は「神霊の啓示」として現れるもあります。精神学のフロイトは無神論者であり、ユングは神の存在の判断は避けました。これが有神論者であれば、精神医学は今とは違った方向に進んでいたでしょう。

                       

                      夢の中に登場人物が、目覚めると霊としても現れる

                       

                      夢の源は霊的世界で、霊界は【識界】であり、個々の意識と関わる

                       

                      私の元にある質問メールが来ました。ある方が自分がみろく神ですと名乗っておられます。その方は本当に「みろく」様なのですかとの質問です。

                      その自称「みろく」ですと名乗っている方と直接の面識はありませんが、その方が自分が「みろく」だと名乗っておられることは知っています。その方の名乗りの経緯は、御本人の夢の中にお釈迦様が出て来られて、あなたが自分の跡を継ぐ「みろく」菩薩だと告げられたから、名乗っているです。

                       

                      私達は誰しも自分の夢の中に出て来た存在は本物だと認識してしまいます。しかし、それは霊的世界で自分が「釈迦」だと名乗っている霊の存在と出会ったという関係だけであって、その夢の中の釈迦が本物だとか偽物なのかの証拠とはならないなのです。

                      霊能力がある人に、自分が天照大御神だとか大国主命だとか、天使長ミカエルとかガブリエルだとか名乗る霊が出て来ることは、霊的世界を知るならば日常茶飯事に起きる出来事だと認識出来ることです。

                      これが自分が起きている日中にお釈迦様と名乗る霊が出て来て、貴方が【みろく】だと告げられたならば疑いを持つかも知れません。が、眠っている夢の中で言われると、ほとんど疑わないになってしまうのです。そこにあるのは、夢の世界と霊界は別の世界で、夢の中では自分は騙されてはいないと思う錯覚なのです。

                       

                      一番大切なことは、そうした事象に出会った時、果たして自分はそれに該当するだけの者かと省みることなのです。とてもじゃないが、自分はそんな【器】でないと思ったら、そんな名乗りは安易に出来ないはずなのです。

                       

                       

                      巷で自分が創造神だとか、救世主です。みろく神ですと名乗っている人を100人集めれば、その100人が100人とも自分一人だけが本物で、残りの99人は蛇霊や狐霊に騙されている者だの批判合戦になります。皆、自分だけが本物なのです。

                      確かに、そうした人達はそうした名乗りをするだけあって、それなりの【奇跡力】が備わっており、その奇跡力でその人が創造神だとか救世主と信じる人達が出て来ることは別に不思議ではありませんが、その奇跡力とは人を驚かすには充分でも、天変地異を押さえられる様なものではありません。そんな小さな奇跡力だけで、どうしてそうした名乗りが出来るのか不思議な話ではあるのです。

                       

                      大本教から「みろく」神が前面に打ち出されました。そして、大本教出口なお開祖に降りた神示に出口王仁三郎聖師が「みろく」様だと言う内容がありました。しかし出口王仁三郎聖師は、終戦の昭和20年に本当の「みろく下生」があったと残しておられます。で、自分は本当の「みろく」神ではなかったの発表です。

                      その昭和20年に「みろく下生」の話は、西洋ではベンジャミンクレーム等が宣伝している世界教師(マイトレーヤー)と奇しくも同じですが、私は大本教神諭予告の【九つ花】の仕組みから五十六億七千万の「みろく」が導き出来ることから、【みろく】とは言葉の仕組みで、大本教の出口王仁三郎聖師ですら、一時は「偽りの神示」たる言葉に踊らされたと言えます。

                       

                      この昭和20年(西暦1945)にみろく下生は、極東の【ヒ】を意味する国に、世界の宗教を統一する一人の男子が誕生したとされる予言があり、その極東の国は【比国(フィリピン)】ではないかとされていたのですが、英国神智学のペンジャミンクレームは、比国でなくヒマラヤ神界で光で合成された人物として説いています。日本にもその支部は存在して活動しています。

                      ただ、気になるのはこの世界教師(マイトレーヤー)とされる人物に関しては、以前は幾度か「雑誌ムー」などにも取り上げられていたのですが、その人物の写真を見た霊媒体質者が吐き気を感じるなのです。それが良い意味なのか悪い意味なのか、はっきりはしませんが日本国内だけでなく世界中に「みろく」下生の話はあるなのです。

                       

                      通常、弥勒(みろく)菩薩とは、お釈迦様の死後【五十六億七千万】後に現れて人類を「みろくの世」に渡す【未来仏】とされています。この地球が誕生してから四十六億年程度とされているのに、五十六億七千万後とは気が遠くなる数字です。当然に本当か?、となります。

                      そもそも仏教においては、お釈迦様の入滅後二千年か千五百年で【末法】と呼ばれる時期に入り、今はその「末法」の時代と言われています。その末法は一万年間は続くとされていましたが、私に降りた霊声に末法の期間を八千年縮めるがありました。それが正しい霊声ならば、何時、この世の終了が起きても別に不思議もないのです。

                      大本教は仏教で無く日本神道の立場でありながら、仏教の未来仏たる「みろく」大神を全面に打ち出しました。そして、大本教神諭は【九つ花】に咲く一輪の言霊の経綸を告げ、それは誠の者でないとそのお世話が出来ないと予告しました。

                       

                      その【九つ花】を紐解くと、何故に大本教が「みろく神」を全面的に打ち出したのかが解ります。また、大本教では「みろく」として「五六七」と表しましたが、九つ花から【五十六億七千万】の数字そのものの仕組みを打ち出せるのです。

                       

                      私はその【言霊で成る】仕組みを知った時、とんでもないことを仕組んだ神が存在するの認識に立ちました。

                       

                      私は、何故に「みろく」神が【言葉の仕組み】になっていたのかと推察すると、言葉を創った神は、世界中の邪神達を炙り出す仕組みをなされたのではないかと推察しています。

                       

                       

                       

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