魂を磨くぁ娠れがない捻れた魂よりも、汚れていても魂は丸い方がいい

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    私は魂とは【丸い思惟玉】だと説いて来ました。私があえて魂の写真を出したのもその為です。一方、【捻れた魂】の存在も説いて来ました。その「丸い玉」にも、汚れが無い玉と汚れた魂があります。

     

    世間で100人が100人とも、あの人は「良い人」だと評価されている方がありました。性格は温和で、誰に対しても親切で申し分がありません。ところが、その魂を見ると玉は丸いのですが、その魂は汚れでどす黒くなっていました。魂の点数としても低いものです。世間の評価と魂の評価点が違っている?。のです。

    その理由は、その方の世間の評価として出る表向きの顔ではなくて、陰でしていた自分の良心を失う数々の行為なのです。それは巨悪とか世間を困らせる悪ではなくて、自分さえ得すればいいの不正義の数々なのです。それが、僅かな悪行だからたいしたことがないと思っていても、日々の行為でチリも積もれば山と成るなのです。

    その方はそれが悪しき行為であることは認識されていました。悪の認識出来るということはその方にはまだ「良心の種」が残っているなのです。それは魂が丸いからです。誰に対しても温和で親切だからです。私が説いて来た【人に内在する良心神】は魂の円真たる核なので、魂は丸くないとダメなのです。

     

    性格が温和で誰にも親切であれば、魂そのものは丸くて変形はしませんが

    悪を悪と認識していれば、その悪で魂は汚れる

     

    神は悪人だからと処罰しているではないのです。悪人でもその魂はさほど汚れていないがあります。義賊「鼠小僧」の話がありますが、金持ちからは盗んでも貧しき者から盗まないは、同じ悪でも貧しき者を虐げる悪とは違って来るのです。

     

    性格が温和で誰に対しても親切な方は、誰でもその人は「良心」を持っていることは理解出来ます。しかし、その「良心」に反する陰での行為の数々までは外からは見えないのです。

     

    それは、世間の目はごまかせても魂はごまかせないのです

     

    一方、世間では何かと問題を起こされる方がありました。その魂を見ると、捻れてしまっています。しかし、その魂には汚れがありませんでした。その御本人は自分がしている行為が良心に反する悪しき行為であることすら認識出来ておられませんでしたので、良心が存在していないから魂が汚れていないと言えます。

    ともかく自分さえ得すれば、それでいいと走るなのです。自分の行動に注意する邪魔者は威嚇するです。暴力を振るうでした。丸い玉には存在する「核」たる良心神が捻れた魂には無いのです。

     

    しかし、その本人がしている悪の行為は巨悪には遠く、些細な悪の積み重ねばかりです。では、どうして魂は腐っていなかったのか?。それは本人が【義侠心】を持っていたからです。ただ、偏屈そのものだったのです。本人自身の今生はある意味【自分勝手で、好きにやりたい放題】で、幸福な人生であったとは言えます。

    その魂は捻れていますので、もうその魂には【良心の種】は存在していないのです。魂が捻れ曲がっていたのはその【偏屈】からとも言えます。性格が偏屈だと、どうしてもその魂は丸くはなりません。

     

    良心神がなければ悪を悪として認識出来ないので、魂の汚れは起きないが

    そうした魂は性格が丸くなく、偏屈で攻撃的なことから魂が捻れてしまう

    逆に言えば、魂が丸ければ悪で汚れていても良心神の種は残っていて

    為に悔い改めれば、新しい【心棒(杭)】も立つ

     

    人に良心が無いと悪の認識は出来ないので魂そのものは汚れませんが、良心神が無いことで魂全体の点数はどうしても上がりません。上げようがないのです。

    愛ばかりを言っているスピリチュアル系の方にいくら良心神を説いても、良心神が解っていないので、この手の方の魂の点数も低いと言えます。

     

    大多数のスピリチュアルの標榜者は蛇霊が説く【愛】ばかりを言うので、【良心神】が理解出来ないのです。

     

    下記の図は【一霊四魂】に関連したことで、以前の私のブログに出しましたが、一部の霊能者の方達も同様の似た図は説かれていることです。ただ、私はそれらを大本教が出した「牛虎金神と羊猿金神」の関係で説明しているだけです。

    無論、魂は円球であり、この様な形ではないのですが、分かり易いように平面図として説かれているわけです。

     

     

     

    あの人は魂が綺麗だ!。魂が綺麗だ!。だけでは、魂の総合点数は上がっていないのです。お釈迦様の悟りは【叡智】とされますが、お釈迦様の悟りである【人に内在する良心神】は、その叡智(猿)の賜なのです。いくら魂は綺麗だと言っていても、【叡智】で良心神が理解出来ないのであれば、その魂は変形に入って行く危険性を持ちます。

     

    叡智による学びを得なければ、魂の総合点は上がらない

    魂が丸くなく、他者に攻撃的であれば魂は捻れて来る

     

    良心の存在が解っている方は【罪の呵責】を覚えますので、どうしても些細な悪でも魂を汚すことにはなります。その為に魂の点数が低くなりますが、良心の呵責を知ることは良心神そのものは存在していますので、魂を元の姿に戻すことは可能なのです。そこに【悔い改める】が説かれるのです。

     

    魂が丸くて汚れただけの魂ならば、汚れを洗い落とせば元に戻せます

    本人の【悔い改めの涙があれば元に戻る】なのです

     

    涙と戻る

     

    もしも、最後の審判と呼ばれる事態が起きるとしても、その前に多くの魂を助ける為に魂の汚れを洗う【祓いの嵐】が起きるでしょう。それで祓いで汚れを洗われた魂は、元の純粋の魂となるのです。

     

    そこに【悔い改めさせる良心神】の教えの心髄があります

    大本教神諭、【米】は一粒だに落とさない

     

    私はある出来事が起きることを待ち望んでいました。それは、汚れた魂も洗い清めてしまう神の力の発動です。

    その時、良心が解っている者はその【立替の祓い】によって、多少は苦しい面はあるでしょうが、これまでの悪しき業による魂の罪の汚れは祓われることになります。

     

    【祓】祓いは【犬の示し】なので、来年の犬年から汚れの清めの力が起きて来るかも知れません。どこまでも起きるかも知れないと言う証拠無き話ですが、霊的にはその要素が既に現れて来ている面はあるのです。

    悪しきものは、どんどんその悪しきものが世の表面に現れる。自分がその悪しきものに巻き込まれる危険性を祓いたまへなのです。

     

    私が使っているマークを【○十】から変えたのもそのためです。大本教の出口王仁三郎聖師が本当の金龍海と告げられた陸の龍宮の祓いです。今は準備段階というところでしょうか。

     

     

     

     

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    魂の磨き/魂の原則 因果応報(目には目を、歯には歯を)の解消法

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      仏教ではこの世に起きる出来事は全て偶然ではなくて、必然性があって起きるとします。そこに【縁】起が説かれます。

      もう一つとして、仏教では【因果応報】が説かれます。で、この「因果応報」がどれだけ理解されているかとなりますと、ほとんど理解されていないと見られます。この因果応報とは別に、仏教では【輪廻転生】が説かれますが、【因果応報】はその「輪廻転生」と連動している為に、仏教における宗派に見られます【我が宗派に入れば極楽往生】の言葉に欺されてしまいますと、死後は極楽に往生だからでは「因果応報」の意味がなさなくなって来るのです。

      因果応報(カルマ)は輪廻転生と連動して現れる
      今の世だけを見て因果応報を論ずるのは無意味


      イスラム教におけます【目には目を、歯には歯を】も、イスラム教徒は死ねばアラーの神の名の下に天国だと、その意味を間違えてしまいました。為に現世の罪を現世で償わせようとする過ちに入ったと言えます。 泥棒をする者は手が悪いで手を切断するなどは目には目、歯には歯をではないのです。
      この「目には目を、歯には歯を」は、輪廻転生において起きる魂の原則【因果応報】を指したものだからです。


      私が高校生の頃、府県単位で高校生による【同和問題の討論会】があり、一クラスに一名が代表としてその討論会に参加が命じられました。その当時、全国的に「同和問題」で大きな運動があり、全国で吊し上げと言う糾弾会が催されて、その糾弾会の名の元で何名かの自殺者も出ました。当時は、同和の糾弾会は暴力団より恐ろしいとまでされたのです。現在はさすがに行き過ぎの反省からそうしたことはありません。
      当然にそんな討論会に誰も手を上げてまで参加しません。それで、クラスで代表を一名選べとなった時、何故かクラスメイトの一人が真っ先に私がよいと言ったら、誰も行きたくないから賛成賛成で私がクラス代表で行くことになりました。
      その討論会、分科会ごとの教室で同和地区出身の高校生が熱く語ります。差別をなくする為には【暴力】を是とする意見です。単に差別は行けないと言っているのは差別の容認であり、差別と戦って差別が間違いであることを相手に認識させるです。その高校生は常に糾弾会の先頭に立っている感じでした。

      その頃から、日本では中革派の革マルとか左翼が暴力を持って改革を言い。ゲバ(学生による武力闘争)が盛んになって来た頃です。そうした流れは大学生のみならず高校生まで及んでいました。やがてそれは赤軍の日航旅客機のハイジャック。東京の丸の内でビルの爆破。そうした暴力は浅間山荘事件にと進みました。

      その討論会の時、私に霊の声が臨みました。【差別と戦うことは大事なことなれども、だからと言って暴力に訴えてはいけない。人を差別する者は、次は人から差別される立場で生まれる。それは人を差別することはいけないことだと、身をもって差別される体験を魂に積む為である】と言われるのです。
      その霊の声はさらに言います。【私はこの世を変える。その時には人を差別するような者は一掃する。今は何事も我慢の時である。】です。
      それは、この世は【魂の修学の場】であることからの個別事項の話です。

      その当時、その霊の言葉と同じようにことを言ったお坊さんがありました。仏教の【因果応報】で前世で人を差別したから、今生は人から差別される方に回った。その言葉は同和で大問題となり、そのお坊さんは同和の糾弾会で吊し上げに遭われたのです。そして、その言葉は無理矢理に撤回させられたのです。

      仏教では、この世に起きる出来事で「偶然」などはない。全て【必然性】を持っていると説きます。全て【因】があって【果】が生じているからです。仏教的に言えば、前世で人を差別したから、今度は差別される方に回ったは仏教の教えとしては正しいのです。
      しかしながら、人は自分が前世で何をしたのか?。そうした記憶は持たないのです。いくら仏教には【輪廻転生論】があったとしても、日本の仏教界はそうした教えをしていないからです。誰がそうしたことをきちんと学んでいるのかとなります。そうしたことを教えられるだけの僧侶も居なくなったなのです。仏教では今の世は末法なのです。

      現実界に現れる出来事だけを見ているのと、「輪廻転生」の中での出来事だと見ているのとでは、まったく違ったものとなります。その被害者の【過去世】に何があったのかです。つまり、被害者は被害者ではないことが解って来たりするのです。前世では加害者であったりするなのです。
      私は現世で霊能力を持っておられる幾人かの女性で、今の人生としてはさほど幸せでは無い数名の方の前世を神から見させられました。その女性達の前世は古代シャーマンでした。そのシャーマンであった時のカルマを背負って苦しんでおられるです。どうしてもシャーマンは役目柄カルマを背負ってしまうのです。シャーマンとしての定めです。為に今生では苦しんでおられるです。

      私が霊界修業時代、ある女性と少し付き合っておりました。その本人から自分は殺人者ですと告げられて、何事かと詳しく話を聞きますと、ミニバイクで交通事故を起こして相手の車を運転していた男性を死なせて、交通刑務所に一年間入ったと言います。私は罪を償ったのだからと、その女性を慰めました。
      ところが、私が教えを受けていた当時の2番目の師匠が、私に、【お前、付き合っている女性がいるだろう。その女性は人を殺している。神に仕える者がそうした殺人者と付き合ってはいけない】と言います。 私はそれは単なる交通事故で罪を償ったのですからと言葉を返すと、その師匠は言います。【そうではない。その女性は過去世でその交通事故で死なせた相手の男から強姦されて殺されている。無論、今の肉体はその出来事を覚えてはいない。しかし、その魂は過去世の出来事を覚えていて、その時の相手の男の魂を見つけて、今生で交通事故の形で相手を殺した。それは過失ではなくて復讐の殺人を犯したのだ】と言います。
      私はその女性と直接出会っていてもその過去世を見るなどは出来ませんでしたが、その時の2番目の師匠は私がその女性と付き合っていていて、その女性の過去世まで見ていたなのです。

      それはイスラム法典にある【目には目を、歯には歯を】が時代を超えて吹き出したなのです。相手の男性も若かったそうですが、自分が過去世で強姦で殺した相手に殺されたことで、本人の【カルマの消滅】には繋がったと言えます。
      今生においてのその事件は、両方の魂の【カルマ】を解消させたのです。それをどう取るかは、個々の人の考えが感情的に溺れた目で見るのか、それとも輪廻転生の中で起きた出来事と冷静に判断出来るのかで違います。個々の人の取り方です。
      私はそうした事例を幾つも見て来ましたので、スピリチュアル的な考え方はしません。

      この世に起きる出来事は、単に【気の毒だ。可哀想だ】の論理では解らないのです

      因果応報(目には目を、歯には歯を)を悪い意味で捉えてはいけないのです。自分が過去世で犯した罪(カルマ)の罪状が消えて行く姿だからです。

      因果応報は過去世のカルマ(罪)の解消の側面を持つ
      自分は今生でどうしてこんな目に遭うのか!

      そうした嘆きは誰しもに起きます。しかしその多くは、自分の魂が過去世で犯した罪(カルマ)が消えて行く過程なのです。
      このことをどれだけ理解出来ているかなのです。今の自分の不運ばかりを嘆いて、どこに神や仏がいるのか?。そうした文句ばかり言っているならば、そのカルマは解消して行きません。

      これらの現象は自分の魂が過去世で犯したカルマの解消かと受け止めることによって、カルマが未来に向かわずに今生で消えて行くとなるのです。

      人の魂は、何故にこの世に甦(更生)るのか?
      魂の【更生】の為に、甦る


      私は何度もこの甦(更生)を説いて来ました。どうして、自分はこの世に出て来たのかなのです。
      そうしたカルマの解消のことを説かれた宗教家としては、【世界人類が平和でありますように】のスローガンで知られます【白光真宏会】の教祖であった【五井昌久】師がおられます。

      因果応報(目には目を、歯には歯を)、カルマ、輪廻転生は、全て同一線上から起きることが理解出来れば、自分の身に起きる出来事も【縁起】からだと解って来るのです
      仏教における「縁起」とは、一切の事物は固定的な実体をもたず、さまざまな原因(因)や条件(縁)が寄り集まって成立しているということ、仏教の根本思想。因縁。因果。


      スピリチュアルのように因果応報の意味を間違えている間は、いくら霊能力かあってもダメであり、また霊能者だから人の前世が見えると豪語していても、その人のカルマの【因】となった行為そのものが見えなければ、その霊能者に見えていると言う前世など無意味な話なのです。

      今、救いを求めている人の原因となっている【カルマ】が解った時、本人には可哀想であるけれども、今生で【カルマ】を消そうとしなければ、その【カルマ】は来世に持ち越される。来世で、また文句たらたら言うことになってしまうのです。こうしたことは曹洞宗の修証義の【三時(過去・現世・未来)】の教えとしてありますが、カルマと連動していることの認識としては薄かったのかも知れません。

      どこかの人生で【カルマの膿】を出さなければならないのです

      今の時を同情するのが神ではないのです。そこに【神の非情】さはあるのです。

      過去世のカルマの解消は、この世で【世の為人の為】に役立つ行為をする
      それが世根としての【米】の実りであり
      それは【損】と思わずに、魂の【徳】と考えよなのです


      どこに、スピリチュアルの何をしても神の愛で赦されるがあると言うのでしょうか?。


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      魂を磨く◆榛の世の魂は腐ったり捻れたりで、弥勒世の魂は【水晶玉】と説かれる

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        大本教から弥勒世に立替後は、【水晶魂】と出されました。

        私は魂に点数が出るのを見ましたが、今の世の魂は腐ったり捻れたりもします。私はある人物の魂の表面はあるのですが、その表面がシワシワ状で、リンゴの表面の皮は残っていても、中味の芯が腐っている為に表面にシワが出ている様な感じで、これは腐った魂ではないかと、当時の2番目の師匠に霊視を頼んだところ、その師匠は【こいつは何だ!。この男の魂は既に腐っており、死後は「ミミズ」の身に成ると言います。

        私はそれを聞いて、自己の魂を腐らせて来世は「ミミズ」の身になる。ミミズは腐ったものを食して、その糞は大地の改良材となりますが、誰も自分が「ミミズ」の身などに落とされるとは及びもつかないことです。
        この人物がこれまでこの世で犯してきた数々の迷惑行為を考えれば、魂は腐って来世は「ミミズ」の身で腐った物を食べてこれまでの罪を償うのも止む得ないだろうと見ていました。
        その人物がこの世を去られて1年後、その奥さんも亡くなれました。【夫唱婦随】と言う言葉がありますが、日常の行為そのものは夫婦揃って多くの人に迷惑をかけるでしたが、夫婦仲はよかったと言えます。悪しき行為をする旦那を止めるのではなく、奥さんがそれをけしかけるです。近辺では呆れかえった夫婦として知られていました。注意する人には暴力を振るうです。私は当然に夫婦とも地獄界に行ったと思っておりました。
         

        地獄の獄は、獣の字の真ん中に「言」が入る

        この獣とは、自分の魂を「毛物」化したり腐らせたりで、獣や爬虫類や昆虫などの姿に変える獄。

        その数年後、その夫婦霊が揃って私の前に立ち、主人の霊が私に対して【ありがとうございました。あなた様の御陰をもちまして助けて貰いました。やっと地獄を許されて、これから本当の霊界へ旅立つことが出来ます。旅立つ前にお礼にと思い寄せてもらいました。」と告げられます。
        私はこの夫婦の行為で日常的に多大な迷惑を掛けられたことから、地獄に墜ちても助ける気はありませんでしたので、それは何かの間違いだろうと思い、【貴方が日々観音様を信仰されていたので、観音様のおかげでしょう】と別れを告げましたが、後で考えれば観音様と言えども、【腐った魂】を元に戻せるかです。

        この男性が本当の霊界に旅立てると言って来たのは、この世を去って数年間は地獄に墜ちていたのでしょう。が、地獄での罪が赦されて、次に人としてまた出してもらえる霊界にと旅立つだったのでしょう。もしもミミズの身まで墜ちていたならば、もうそのチャンスもないことになります。

        しかし、腐った魂をも元に戻せるとすれば、それはある御神霊以外には考えられないのです。それは国常立尊様の異相神で地獄の別府神とされていますが、魂の【破壊と再生】が出来る御神霊が存在していると言えます。私は最初その御神霊が閻魔大王様でもあるのかと勘違いしておりましたが、ある方からその御神霊は国常立尊様の異相神と聞かされて、豊受姫の御代であった最初の師匠の元に聞きに行ったところ、やはり国常立尊様の異相神と伺いました。
         

        その存在でなければ腐った魂を元に戻せなかったはずです。その御神霊は私の指導神として背後霊団には居られるです。で、その方はそれを私が取り計らってくれたと思われたのでしょう。

        私は肉体を持つ方を助けることはほぼ出来ませんが、頼るべき肉体を持たない霊は多数助けて来ました。それらは、私と言うよりも私の背後に居られる御神霊のたまものと言えます。


        一流の霊能者ならば、この御神霊の役割を間違えないのでしょうが、3流から5流の霊能力者ともなれば、100%間違えて来ます。その神名の御本体神を見たこともなく、その配下の眷属達をその神霊だと思い込んでいる霊能力者が大多数だからです。私がこの霊能者の方は本物か?。それとも3流から5流の霊能力者の判断基準として、そのことが解っているのかどうかを見ています。

        腐った魂でも、それを再生出来る御神霊が存在する。

        私は魂に点数が出るを知りましたが、腐ったり捻れ曲がっている魂も見て来ました。霊能者達の話によれば、捻れ曲がった魂は破砕されて、神社等に行けばボウフラの様なキラキラした浮遊物が見えるが、それがその残骸だと言います。
        私も神社によってはそうしたボウフラの様なものが浮遊してキラキラしているの見て、自分の目がおかしくなっているのではないかと思っていましたが、破砕された魂だと教えられてびっくりしたしだいです。
        そうした破砕された魂は、蚊や昆虫のような生命体に成ると言われます。そこから元の人間の様な魂に成るには、一説では一億年近い年月がかかるとも言われます。ただ、それは魂が捻れ曲がらなければいいわけです。その魂の捻れがある限界点を超えてしまいますと、もう元には戻せないです。魂の破砕となるわけです。

        ​今の世の魂は腐ったり捻れるから永遠の命ではない

        人は死ねば天国は、宗教の我が派を信じれば天国の大嘘の一つ


        私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声は、私に【人の魂は半永遠性ではあるが、腐ったり捻れたりする。そうなればもう魂としては終わりである。そうした腐ったり捻れたりするのは、この世の僅かな修学の時間において、「せつな心」に溺れるからである。どんなに辛くても「せつな心」を持つな】と告げられました。

         

        私は神霊世界に修業に入って、この「せつな心」を調べたところ
        せつな(刹那)とは梵語の「 kṣaṇa」の音訳で、念頃(ねんきょう)、念などと訳されています。他に「瞬間」とか僅かに時間の意味があります。

        刹那の言葉自体の使われ方は

        【刹那主義】過去や将来を考えず、ただこの瞬間を充実すれば足りるとする考え方
        【刹那的】今のことしか考えないさま


        いずれにしても、今さえよければそれでよいの考え方です。つまり、来世を見ていないなのです。

        刹那の【刹】の字の左辺は【殺】の漢字と同じです。自分を殺すです。多くのスピリチュアルでは、今が幸せならばそれでいいのですよと説いていますが、それでは自分の魂を殺してしまう。その意味が「せつな」なのです。

        将来も生きる半永遠性を持つ魂を殺すのか?
        それとも瞬間の今の時間が幸福であればいいのか?


        こうしたものの考え方は、僅かな時の今の世の幸せをどう考えるのかです。死後の世界などあるかないかも解らないのだから、今が幸せであればそれでよいが【刹那心】なのです。

        仮に、今生がどんなに不幸な一生であっても、次の世が不幸とは限らないのです

        スピリチュアルを標榜している人達は実にいい加減なことを言う方が多いのですが、きちんと解っている方ならば、魂の命は長いので良い人生の時もあれば悪い人生の時もあると、長い霊界時間の【スパン】で見ることを言われるでしょう。
        今生の人生でも、良い時もあれば悪い時もあるのです。【輪廻】の意味も、良い人生の時もあれば悪い人生の時もあるなのです。 自分がこの世に出て来た全ての人生が悪かったなど、大本教の出口なお開祖のように、神界で犯した大罪でもない限りないのです。
         

        私が出会ったある女性の前世は、幾度生まれ代わってもこの世の地獄ばかりを味わっておられました。何故と疑問を持ったところ、その女性の魂は神霊で神代と呼ばれる時代に自分が犯した天罪で、その魂は神霊でも地獄に足かせを掛けられていました。その肉体は今生では助けられないけれどもその魂を助ける為に、私はその足かせの鎖を切断しておきました。

        最初の師匠の元に行き、豊受姫様に足かせの切断を報告したところ、今生の肉体ではなくてその魂を助けただけでいいと言われます。どうして私にそんな権限があるかと言えば、私の背後には【閻魔庁】があるからです。
         

        大本教の出口なお開祖の神代時代の大罪は知られていますが、実際には多くの方が神代と呼ばれる時代の天罪でこの世の地獄を味わっておられます。特に女性に多く見られるのです。
         

         

        この世の肉体を助けるのではなくて、未来に生きられる魂を救う

        それは金銭で出来る話ではないのです。
         

         


        大本教から弥勒の世は【永遠】の世で、その弥勒の世に入る魂は【水晶玉】と出されました。
        この「水晶玉」とは、今の私達が持っている魂と違って腐ったり捻れたりしない為の玉(魂)のことなのです。

        ある霊能者の方が、その「水晶玉」に関して、魂が水晶では重くて持てない。まして水晶玉ならば落とせば壊れてしまう。それよりも魂は軽くて、落としても弾むような玉でないといけないと言われます。この方は邪神界所属の方ですが、それも一理です。ただ、それは大本教が説いた「水晶玉」を魔女を名乗る占い師が透視として見る「水晶玉」だと思い込んでしまっているからです。
        一部の霊能力がある方が、どこかの神社の御神霊から【水晶玉】をいただいたの話がありますが、それらの水晶玉は大本教が告げた【水晶玉】とは別物と言えます。大本教が予告したのは、人の胎内に宿る魂の表面が【水晶の様な硬質状】であって、その表面の硬度により魂は捻れない。また、弥勒の世では魂に「腐敗」を起こさせるような社会ではないなのです。

        そこに【永遠の世】の水晶魂が説かれたと言えます。

        ​そこで解るのが、今の世の魂は表面の汚れから【毛物】が生じるがあります。そうなると、その魂は【獣の姿化】するのです。そこに人の顔をしていても、魂は【毛物(獣)】が起きます。だが、表面が【水晶玉】のようなものであれば、魂に「毛物」が出て来ることは防げるようにはなります。


        魂の腐りは魂の【芯】から生じる
        魂の芯は「良心神」の働きであり、良心を失うと腐りが生じる。


        私達が持っている魂とは【玉形の思惟】であり、自分が生きているを認識させる意識と言えます。また、【心】とも言えます。
        みろく世に入る時には、みろく世用の自分の霊体に魂の中味たる意識を【水晶玉】の中に入れないといけなくなります。これまでの魂には【魂の食い破り】と呼ばれるものがあり、蛇霊や狐霊が人の魂を食い破ってその魂の中に入り込むがありました。 だが、魂が【水晶玉】となると、食い破って入ることはまず出来ません。ただ、その永遠の世の新しい水晶玉の中に、これまでの【意識(思惟)】をどうやって移行させるのかがあります。
        その働きをどの神が為されるのか?。そこに魂の御祖親神の【鬼が云う】の国常立尊様の力があると読めるわけです。


        魂は【鬼が云う】で解るように、魂の管理管轄は閻羅(閻魔)大王でもある【国常立尊】の権限下であり、どの神にでも出来るという代物ではないと言えるのです。

        人々は【羅(ラ)王】が魂の「円真」であることすら気づかなかったなのです
        自分の魂を大切にしなくてはいけないのです。

         

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        魂を磨く 燭修發修盧欧箸蓮

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          天の岩戸開けなどあるのかと12回に渡って書きましたが、天の岩戸開けがあろうがなかろうが、大切なことは【自分の魂を磨く】なのです。その度合いによって、自分がこの世を去った後の霊界での行く先が違っているからです。

          大本教神諭に世の立替では、各自の魂を審査して【上・中・下】の三段階に判定され、下から上に行くもの、上から下に行くもの等の入れ替えが起きると予告されました。これまで神社の御神霊だと思っていた霊も、創造神の最後の判定次第では下の階(界)に落とされるなのです。

          ​しかし、それは【立替】があっての話にしか過ぎません。立替など無かったとしても、魂を磨いておかないと既存の霊界でも高い世界は目指せません。


          ですから、立替が起きようが起きまいが、自己の魂を磨くが必要なのです。それが【鬼に金棒】なのです。

          古来より、自分の【魂】を磨けとは言われて来ました

          しかしながら、これまで【魂】とは何ぞやとは詳しく言われて来ませんでした。単にこの世を去って、あの世とやらの【霊界】に旅立つ【命の源】です。だが、その魂とはレントゲン写真にも写らず、死体を解剖しても見つからないことから科学者や医学者等の学者達は魂の存在を認める方は数少ないと言えます。
          何でもかんでも物質化したもの以外は認めないと言うのであれば、非常に頑迷な人とは言えるでしょう。

          私達は【創造】する時、創造の前に【想像】という画面を創ります。その「想像」は脳内スクリーンの中で「絵」を描くことが出来ます。では、そのスクリーンは脳内のどこにあるのでしょうか?。人の脳を解剖してもそんなスクリーンは見つからないのです。
          私達はそのスクリーンに想いという映像を創り出すことが出来ます。その空想の「絵」は物質化出来ているから映像が生じるのです。だが、それは科学で追求しても見えないけれども、誰しも存在しない霊的スクリーンにそうした映像を創り出したはずです。つまり皆さんは霊的世界の実証に触れてはいたのです。

          【想像】から【創造】へと解れば、創造神の意味も解る

          だが、頑迷だから自分の目には見えないものを認めようとはされないのです。

          学者のみならず、日本の仏教界の某宗派は、公然と死後の世界など無い。人は死ねば土に還る等と平気で説いておられます。では、その宗派は何を拝んでいるのかと言えます。ならば、死んだ方の供養など言うべきことではありません。死ねば終わりならば天国も地獄も存在していないことになるからです。仏を拝する必要すらないのです。
          大本教の出口王仁三郎聖師は、地獄を覗けば牧師や僧侶でいっぱいだと残しておられますが、イエスだけを神の一人御子と認めれば天国と説く牧師や、死後の世界など無いと公言する僧侶であれば必然的に地獄行きとなります。一般人ではなく宗教家が看板だからです。罪の度合いが違うのです。

          さりとて、霊が見える霊と会話が出来るであっても、古来より狐や狸に騙されたと言うように、蛇霊、狐霊、狸霊、猫霊と称される霊が貴公子や姫神様や天使に化けて出て来ます。そんな霊をいくら見ても会話しても自分の魂の磨きにはさほどつながりません。それらの蛇霊、狐霊、狸霊、猫霊等は霊的世界の実証論止まりなのです。

          そうした霊が【魂】に関して詳細に語ったなど、ほとんど聞かないからです。

          日本の神智学では、【愛】ばかりを言う者は「蛇霊」だとされますが、万物は愛で成り立っているのではないからです。
          愛の教えは非常に片寄った思考に入ってしまいます。欧米人の一部にある牛や羊の肉は食べても、【鯨】肉は食べてはいけないなどはその典型です。愛ばかりを言えば、生きとし生ける物を【食】する行為そのものが【罪】を創って行くことになります。すなわち、この世に生きることそのものが【罪】となります。

          愛ばかりを言う者は、偽善者と成る

          愛と言う言葉さえ言っていれば、自分は立派な者だと思う勘違いなのです。ですから、愛ばかり言っている方で愛をいくら実践しても、第2天国界から先には進めない。仏教的に言えば「菩薩」界から【如来】界には行けないとなるのです。
          お釈迦様の逸話に【捨身飼虎】があります。愛を言うのであれば、自分の身を捨てて他の命の為に犠牲となる。そこまでしないと「偽善者」と判定されかねません。スピリチュアルの欠点は、言葉で愛を言っても自分自身は愛の行動を実践している人が少ないことなのです。
          スピリチュアルは大金に成るで、スピリチュアルに走ってしまうからです。講習会に大金を払い、その大金分を取り戻そうとする。その目的に金の「欲」が生じているからです。人に愛を説いて、自分は相談料として大金を得る。それが「愛」かです。


          私はインターネットのHPもブログも広告が入らない有料版でしています。こうして神を説いても費用的には持ち出すだけです。広告を入れると目障りであり、広告を入れて金儲けするもしていません。神の世界を金儲けの道具にしたくはないからです。

          ​神を利用して金儲けをしたことで、死後の世界で地獄に墜ちるのが怖いからではないのです。金儲けに入ると金持ちだけを大事にして、貧しい人達をおろそかにする。そんな地位や金で人を差別をする宗教家が大嫌いだからです。

          ​スピリチュアルで自分に大天使が降りて来たの短い短い愛のメッセージと違い、こうした長い文章を一つ書き上げるだけでも大変な労力を必要とするのです。どこの神様や天使がここまで説明して来たかなのです。多大な費用を使って霊界見聞をして来た学びを、そうした費用を使わないでも皆さんが無料で学べるようにしているだけです。


          私はHPやブログの中で【故・田響降仁氏】が撮影された魂の写真を引用させてもらっています。霊視で魂を見ますと、この様な玉で見えるからです。魂が写真に撮影されたものとしては非常に珍しいと言えます。魂が【玉】であることがはっきり解ります。
           

          魂とは【玉形の思惟】
           

          私がヤフーの掲示板で長らく論陣を張って、魂は「玉思惟」だと説きだしてから、魂を「玉思惟」だと説く人達が増えて来ました。そうすれば魂は大本教の【鬼が云う】だけでなく、魂にはもう一つ意味があったことがより解りやすくなります。
           

           

           

          魂の「写真」が出て来る前も魂とは丸い玉だとはされて来ましたが、霊能力がある者には霊視で見えたとしても、その詳細が理解されていなかったと言えます。

          大本教からウシトラ金神国常立尊が盛んに宣伝されましたが、大本教の出口王仁三郎聖師が「鬼は厭じゃ」で【王仁(鬼)】としたぐらいで、【鬼が云う】の魂論が大本教からはさほど展開されませんでした。

          それでは【節分の炒り豆】にも花は咲かないとなります。

           

          上記写真は「故田響降仁氏」が撮影されたもので、お釈迦様の巨大な涅槃像と一緒に写っており、かなり大型と推察されます。人の肉体にある魂は心臓に宿ることから心臓程度の大きさとされており、この大きさは神霊の玉と推察出来ます。

          下記の写真の玉も霊能者によれば神霊の玉と言われています。私は伏見稲荷山の【白菊姫】様の玉を幻視しましたが、もっともっと大きなものでした。 今は亡き某著名教祖様の背後に巨大な玉が写ったものがあり、その信徒さんから教団では【御神体】とされる写真で、外部に流出させないでくださいと言われた写真も所持していますが、それは信義上出せません。それも「白菊姫」様と同様の大きさはありました。
          で、肉体人間に入る魂はその一部分であり、【分魂】とされるわけです。


          それ自体はスピリチュアルでも、【コップ一杯の水(魂の本体)】とスポイトの一滴(肉体に入る魂)論として一部では説かれているでしょう。そんなことも知らぬスピリチュアルとは看板だけのスピリチュアルと言えます。

          ​そのコップ一杯の水が、私達の魂の正守護神・本守護神と成るのであって、スピリチュアルの単にハイヤーセルフでは魂の大小論が出て来ないのです。

           

          ​今回のブログ上の魂等の写真は、いろんな方が写されたものを提供していただいたものです。

           

           



           

          魂本来の写真は珍しいのですが、似たような物としてスピリチュアルで盛んに出してくる【オーブ玉】の写真は、日本では魂ではなくて【思念】とされているようです。
          上記2枚の写真は玉に陰影が生じており、球体であることがはっきりと解りますが、オーブと称される玉はあまり玉に陰影が見られません。 俗に言われる【オーブ】は私自身も何枚もの写真に撮ってはいます。霊媒質者であれば比較的に撮りやすいと言えます。

          思念とは【喜怒哀楽】の思いとか念で、この世に【残留】しているとなります。この世での出来事を恨んでいると、【思念】が生じて来るのです。
          人も霊も想いを持つことから、生きているのです。
           
          霊の世界で想いを捨てれば、それは魂の死です
          仏教の【無】を何も無い【空】だと捉えてしまうと、大きな間違いに入ります。それだと魂も神も存在しなくなるのです。色即是空、空即是色、受想行識というように【識】という物事を知る【思惟】が意味を持つのです。

          実際に現れた霊に願いを聞くと、何々を叶えてくださいと言われたりします。その願いを聞き届けてあげると、満足して消えて行くがあります。思念(死ねん)で生きていたわけです。それらは霊能者でも魂と間違いやすい事柄と言えます。

          念は【今の心】。その生きた時の今の心が消えるまで生きる

          よく古戦場や戦場で戦っている兵士の霊が見られるがあります。それはその時、戦うことに必死であった心の念が時代をいくら経過しようと現れて来るからです。非業の死を遂げた霊とか自殺した霊は浮かばれないとされますが、その時の【今の心】が消えないと成仏させるなどは非常に困難と言えます。そうした念が強いと、魂も浮かばれないのです。
          そこに来るのが仏教で説かれる【執着】から離れよです。

           
          下記の写真の玉は「オーブ」に分類されるかと思われます。ゴミやチリや水滴等も写真では似たような写り方をしますが、この写真はゴミやチリの類いとは別なのです。写真的には見えませんが、ある大身の神霊が元の大きな写真には写り込んでいるのです。それを言い当てることが出来たら一流の霊能者の方で、何人かの霊能者の答えが一致しているものです。 オーブ写真はさほど珍しいものではありませんので、そのオーブそのものが誰かなどの詮索などする必要も無いものと言えます。某霊山にて。
           

          この写真のオーブも上記写真と同様のものと解ります。



          下記の写真は私が雨の日に【雨】を撮影したものです。オーブ玉と同様であることは解りますが、【霊】の字に「雨」の字が入る要素ともなるのです。ただ、こうしたオーブ玉は【魂たる玉】ではないのです。

           
          雨の日には、こうしたものが天に向かって上がっているなのです。内部に光があるのですが、現実界では光として捉えることは出来ません。人間の目は節穴になっているからです。

          同様の霊的な玉として一種の【気】ではないかと思われるものがあります。境港の鬼太郎ロードの目玉おやじの像からですが、被写体の人物と撮影者の両名が霊媒体質者だったからでしょう。誰でも撮れるとはならないのです。

           
          こうした丸い気玉のようなものは、少し見難いのですが下記の【香取神宮】の写真の中央部にも写っています。非常に神気が強い神社等に行きますと、写真に写り込むものなのです。写真の縮小の関係で屋根は波打ったように見えます。この撮影は私です。だからと言って、それを神霊扱いするのはどうかとなります。

           
          下記の写真は心霊パワースポットで全国的に知られるスピリチュアルのメッカの某神社の御神木で、ビデオからのものです。二つの色が違った玉が見られます。神社の屋根の下には小さなオーブ玉も見られますが、神木などには「気」が見られます。樹(木)には「気」が宿るものなのです。

           
          この玉が動いているのをビデオで撮影して、かってインターネット上で出しましたが、解ろうとする人は皆無だったと言えます。写真は証拠になるのですが、霊が見えたとか声が聞こえただけでは証拠としては弱いと言えます。

           

          上記写真と同様の存在が【光の玉】として飛んでいます。飛ぶスピードが高速なのでシャッターの関係で連続して写るのです。日本神道系では魂は【光の玉】とも説かれますが、下記の写真は玉(球)が光を持っているが端緒に解るものです。写真は提供していただいたものです。



           

          しかし、こうした写真の存在は目視上ではほとんど見えません。ラップ音がなっている場所を写真に撮ると、意外に「オーブ」写真は写ります。それはこの世と一般霊界は共存しているからです。

           
          【玉思惟(魂】の思惟とは「しい」とも「しゆい」とも読みます。仏教用語で、心を集中させて対象を分別すること。すなわち、深く考えること。思考することです。 哲学で思惟は、感覚、知覚以外の認識作用。分析、総合、推理、判断などの精神作用を言います。
           
          すなわち【意識を持った玉】が【魂(玉思惟)】です
           
          意識の意は【音(言葉)の心】で、日本語の並びのアイウエオ・イロハ・ヒフミ等の言霊を祝詞とするのはその為なのです。
           
          一方、【思念】は心に思うことや考えることでは同じですが、思惟の様に【深く考える】洞察作用ではなくて、【喜怒哀楽】に作用されることで【私怨(しねん)】を生じたりさせるのです。 仏教においては【この世の執着から離れる】が説かれましたが、「喜怒哀楽」に支配されると【仏陀】の様には成れないなのです。
           
          この世に起きる出来事一つ一つに【深く考える】でなければ、【魂磨き】にはつながりません。
          そこに、この世は【魂の修学場】としての価値があるのです。
           
          私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から、【この世に起きる出来事は思慮深く見つめて、その要因を探りなさい】と告げられましたが、ニュースは非常に勉強になるのです。バラエティーばかり見ているのでは、魂磨きにはつながりません。
          私はいくら霊が見えても会話が出来ても、そこに洞察力がなければ、いくら神社に参拝しても魂の点数は上がらないと言っているのです。
          ここに参って来い。ここに参って来いと言う神霊が自分の魂の点数を上げてくれる存在とは行かないからです。そうした神霊が人に私が説いているようなことなど語りもしないでしょう。
          お釈迦様やイエスが霊界でも非常に高い方であったというのは、【識界レベル】が高かったからです。
           
          自分の魂の点数を上げるのは、自分の修学しかないのです
           
          自分が楽しければそれでよい、自分さえ良ければそれで好い。そうした行為で、どれだけ魂に修学が出来たのか?。霊界に帰ってそれが問われるのです。

           

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          第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その12(最終)

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            第××項 私見。創造神ならば、この世を終わらせるは不可能ではないが⁉

            私は大本教神諭予告。【九つ花に咲く一輪の言霊の火水(秘密)】に関して、言で成る【誠】の仕組で紐解きました。それは驚くことに、大本教出口王仁三郎聖師が世に出された【ス】の神論ではなくて、本来は【ラ】神論だったのです。
            まさに、大本教の出口王仁三郎聖師が遺言として残された【信天翁(アホウドリ)】にある、【この大本教に現れた変性女子はニセ者だ】なのです。しかも、それは【みのおわり】を示しているのです。
            しかしながら、現在の新神道系の教団ではどこも【ス】の神論で走っています。その中で私がいくら【ラ】神論を説いても、孤立無援に近いと言えます。


            明治25年(いち早くにの西暦1892年)に大本教から世に出された【ウシトラ金神国常立尊】とは、牛頭虎パンツの「鬼」で云うの牛虎(ウシトラ)の【魂】論の仕組であったなのです。
            大本教からは【五六七】大神として、【みろく神】が世に出されました。そのみろく神とは、当然に仏教で説かれるお釈迦様の死後【56億7千万年】後にこの世の終わりが訪れて、人々が忘れていたお釈迦様の本当の悟りをお釈迦様に代わって説き、人類を【未来の世】に渡すとされた弥勒菩薩のことです。
            しかしながら、この地球が所属する太陽系でも誕生してから約46億年と言われており、人類の歴史などたかが知れたものです。一般的に仏教では、今の世は【末法】とされる時期であり、末法は長ければ一万年続いてこの世は終わるとされているのに、56億7千万などの数字はどこから出たのかとなります。私は末法は一万年の予定であったが、八千年縮めたと出た時、エッー!となりました。すると、今じゃないかです。
            が、大本教神諭予告【九つ花】を紐解くと、そこに【みろく】の仕組と【お釈迦様の悟り】と【56億7千万の数字】が見事に浮かび上がって来るのです。

            ただ、その大本教神諭が予告した【九つ花】を「誠」で紐解けと言われても、誰をもってしても解けるものではありませんでした。それは単なる数字の羅列だからです。言で成るを知らないと難しいのです。

            今の世を終える前、人類を未来の世に渡すのが【みろく】の存在

            大本教が日本神道でありながら、仏教の【みろく】を表に出したのは、大本教そのものは世の立替論で、今の世が終わるとまでは告げませんでしたが、みろくの仕組が紐解かれることは今の世は終わって【未来】にと向かうので、「みのおわり」そのものを告げるなのです。
            実によく出来た【神芝居】の筋書きがなされたのです。

            だが、正しき心で創造神の存在を信じる人達は何の心配もないのです。私が子供の頃に臨まれた旧約聖書の神と名乗る声は、【この世の舞台が終われば、そういうことだったのかと神々も人民もこの神の仕組に驚いて、この私に大喝采をして、この神の栄誉を称えるであろう。しかし、その途中の筋書きはそなたにも教えぬ】でした。

            私は、その人民も神々も創造神に対して歓声や大喝采のビジョンは見ましたが、そこに至る迄の過程は見ておりませんので説明は出来ません。ただ、豊受姫が私に言われた【貴方は立替の大嵐の中を突破する】が本当に出来るのだろうかとは思っています。その時にはかなりの覚悟が必要だと思われるからです。

            大本教神諭が予告した【九つ花】とは数列と言霊の仕組でしかありません。しかしながら、その解読をさせる為の言葉の仕組とは、大本教神諭にある「三千」年の月日を要したなのです。
            その為に「モーゼ」も「イエス」も「お釈迦さま」まで、その日本語による言葉の仕組の為に出られたとも言えますし、この地球が365.22日で運行しているのも、霊界物語を読めばそこに必然性があったとなります。
            私はこの言葉を仕組んだ神はとんでもない神だと言うのは、その仕組が日本の神社や仏閣に鎮まる神霊の力では組み立てそのものが不可能だからです。

            ただ、大本教神諭には【世の立替があることはどの神もご存知なれど】とありますが、現実には立替って何だ?。そうした神霊ばかりであり、神界上層部の神霊達は立替を言われても、末端の神霊界に行き届いていない有様を見ると、それが本当に起きるとは断言は出来かねます。どうしても警告の【注意喚起】で終わってしまいます。
            ​為には何も解っていない。解ろうとしない末端神界の神霊は大掃除をしなければならなくなるからです。それには力の発動が欠かせないからです。

            私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声から【私はこの世の幕を引く】と告げられました。だが、それは単に【人類の滅亡】を意味した物ではなくて、その次に【嬉し嬉しの永遠の世が訪れる】為の「今の世の幕引き」であるとも教えられました。
            ただ、その嬉し嬉しの永遠の世とは、この地球上で展開されるのではなくて、聖書のヨハネの黙示録に記載される【今の天地は滅びて、私は新しい天地を見た】の方です。だが、それはあまりにも途方も無いことであり、既存の神霊や天使と称する霊達が語れるようなものでもありません。

            私自身はこの世に何の未練も執着もありません。それは何故かと言った時、別にこの世では苦労ばかりであったからという理由ではなくて、私のこの世に出る前の【天の御国】の仲間達との記憶であり、その仲間達の前に【ただいま帰りました】と言いたいからです。また仲間達と【再会】したいなのです。その仲間達への土産話は、この世での私の体験話と言えます。
            ただ、私が苦慮するのは中有界の霊でも、この世の人でも【神の御国】に案内しようとした時、どの霊も人も自分の概念の決めつけを起こして来ると、霊界の霊壁を越えて神の御国に導いてあげることが非常に難しいのです。私でも神霊でも言う言葉にそんな方法では登れないと反発すれば霊壁が越えられないなのです。
             
            この霊界の【霊壁】を超える方法は、霊壁の存在すらスピリチュアルでも宗教でも説いてはいません。私の最初の師匠はそんな霊壁は存在しないと言うので、私は師匠が霊壁を知らないことに首を傾げて、他の霊能力がある人を当たったところ、幾多の方がこの霊界の【霊壁】を超えておられました。それらの方達がその霊壁を越えられた方法は、私が説く登る方法でした。
            そうした方達は基本的に自己の内在神であるところの正守護神とか本守護神が表に出ておられるのです。その指導の下です。ですから、その言葉に素直に従えるから霊界の霊壁を越えられるなのです。外在神ではそれを教えるとは限りませんので危ないともなるのです。
            私の最初の師匠は豊受姫様の御代でもその霊壁を知らず。豊受姫の分魂を貰っておられた2名の女性はその霊壁の存在を知っておられて、その登り方も知っておられたからです。だが神霊の御代に成るような方であれば、その神霊の言葉に反発されないので、その時にはその登り方に疑問を持たずにその言葉通りに従われるでしょう。
             
            この世では、パワハラとか些細なことに揚げ足を取って他人を攻撃したり、自己の魂を磨こうとせずに他人に嫉妬ばかりしている人達。自己中心主義がはなはなだしくなって来ています。天国天人達の生き方とは真逆の生き方なのです。
            私達がこの世で生きていられる時間など霊界時間らからすると僅かな時間にしか過ぎません。その僅かな時間に出来るだけ魂の修学をしなければならないのに、いくら便利といえどもスマホの【SNS】にしがみついて時間の浪費をする。歩きスマホ等他人の迷惑を何も考えない。車を運転しながらスマホをいじって交通事故を起こして他人を死なせる。最低のマナーも忘れたそんな世の中に辟易しています。
            私はスマホが出て来た時、非常に便利な道具だが使い方を一歩間違えれば自分の魂を地獄行きに誘発させかねない危険な道具と感じました。図星になって来ています。覚醒剤中毒、酒中毒、パチンコ中毒と並ぶ自己の魂を崩壊させるスマホ中毒です。
            ​邪神界は多くの人が邪悪に走って多数派を取れば、天は何も動かないと読んでおられるようですが、天帝が腹を括ってしまわれたら、そう簡単に問屋は卸さないのです。

             
            そうした人達の外見は人の姿をしていても、その魂は【毛物(獣)】と化した様な人達が増えたと言わざる得ません。
            いくら外見は取り繕っても、魂の正体までは隠せないからです。
             
            この世は魂の修行場であり【天人の苗床】でなければならないのに、今では地獄行きの【塾】となって来ている有様なのです。
             
            もうこの世は【魂の修学の場】でも、天人の苗床でもなく
            地獄行きの予備軍の養成所と化して来ています
            魂の修学場としては、もうこの世の幕の閉め時とは言えます

            しかしながら、貴方は本当にそんな途方もないことが起きると信じているのですかと尋ねられたならば、別に信じているではないのです。
            言葉の仕組を見せられると、可能性が「0」でないならば、それに対して【警告】を発するバカがいてもいいと思っているだけです。如何なる天変地異も【心に準備】があるのとないのとでは、霊界に渡る時に違いが起きて来るからです。そこには【天地の差】が生じます。死の時に恐怖心を持つと、それが魂のトラウマになるからです。
             
            その中で、私は
             
            〜歓洋爐虜欧鯑体から切り放てば、この世の幕が降りるは解りました。肉体と魂が繋がる霊子(たまのこ)線の存在からです。魂が抜けた肉体社会など、時間の問題で終わります。
            この霊子(たまのこ)線の存在に関しては、大本教霊界物語や日月神示にもあろうかと思います。またスピリチュアルでも、多くの霊感者がシルバーコードとして知るものです。但し、全てがシルバー色ではないのです。
            時に【神罰】と呼ばれる事柄があります。神霊によっては「この世の命」を取られる事が希にあります。その時、何が起きているのかとなりますと、この霊子(たまのこ)線が神霊により強制切断されるがあります。
            外的死因としては心筋梗塞などの心臓発作で亡くなった等ですが、神霊が神罰を与えた時などに起きてはいます。 ですから、全人類の霊子(たまのこ)線の切断そのものは不可能ではないのです。
             
            ∪蚕颪傍載される太陽も月も星も何の光も輝かないとは少しは違いますが、私達の目で見ている世界を何の光も見えない【真っ暗闇】にさせる物が仕組まれていることも知りました。一種の目隠し【シャッター】です。これも全人類に対して出来るのです。不可能ではありません。
            それを短時間で留めるのか、それとも長々と続けるのとでは違いますが、少し長くすれば人間社会は確実に崩壊します。助けを求めても、光が存在していても私達の目が開いていても、そこは光が見えない目隠しシャッター幕により、光がまったく見えない闇世界なのです。立って歩くのは難しいので四つ足になって、暗闇で食べ物を求めなければならなくなります。誰も助けようがないのです。神のみです。
            これは私の妄想ではなくて、私と同様にその目隠し【シャッター】による暗闇世界を体験された方達は存在しています。この恐怖は味わった者でないと解らないかも知れません。
             
            自分はそうしたことを体験したことがないので、貴方の言うことなど信じませんと返されても結構です。それを味わったら解ることだからです。味わったことがない人にいくら理解しなさいと言っても無理です。しかし、それが起きた時、そうしたことがあると知っておけばパニックにはなりません。暗闇シャッターが開く時間を待つ余裕も出ます。
            ただ、その時に神よ!。お赦しくださいといくら祈っても、聞いて貰えるかどうかなのです。他に暗闇世界として【無間地獄】が存在して来ます。ここに落とされたら、暗闇世界が延々と続くことになりかねません。
            一部のスピリチュアルの方達は、神は愛だから何をしても赦されると説かれますが、それならば「無間地獄」など存在していることがおかしいとなります。
             
            E靴隆筝由けと予告されたことは、全ての人の魂の中に「核」として【真性天照大御神】が存在しているなのです。魂の内部から放たれた火(光)は魂の汚れを焼き尽くす光のことです。それが自己の魂の中に仕舞われているのです。それが起きれば実に恐ろしいことになるのです。
             
            この世の幕を降ろすは、創造神からすれば不可能ではないのだが⁉
             
            私は優れた霊能者の方であれば、,鉢△里海箸浪鬚辰討られると思います。だが、それが【世の立替】時に一斉に行われる可能性までは、誰も頭が回らなかったと思います。どうしても【天変地異】の様なことが起きてこの世は終わると思っているからです。霊界にあるビジョンにはそうした【天変地異】はありますが、起きると断言も出来ないことでもあるのです。
            に関しては、私の最初の師匠は日本神話の天の岩戸開けなどの事実はどこにも存在しないと豊受姫から聞かれておられましたが、まさか、天の岩戸開け神話は魂の【核】たる光を開けることだとは、ほとんどの方は思ってもおられなかったでしょう。
             
            スピリチュアルでどこそこの神社に行ったら、神霊と呼ばれる存在と会話が出来た。その姿が見えたなどは霊人が存在することの証明ですが、世の立替に関してはほとんど意味をなさないのです。
            その時には、それらの神社の御神霊は何の助けの力にもならないからです。神社や仏閣に鎮まっている御神霊そのものも、創造神の裁きの判定の下に置かれてしまうからです。為に、大本教は【三千世界】にそれが起きると宣伝したと言えます。

             
            私が途方も無いと言うのは、新しい神の御国がこの地球上ではなくて、この地球と同型の地球船が存在していると言われたことなのです。そんな、この地球と同型の地球船がどこにあるのかです。天文学でいくらその存在を調べてもそんな地球はありません。果たして物理的に存在しているのかです。
            それに関しては天文学者でも調べようがない異次元の話となります。その新しい地球、もう一つの地球を語る霊能者の方達は、その地球は高次元界に存在していて、科学とか物理では解らない世界に存するといいます。その存在を肯定する霊能者の人達は少しは居られるわけです。
            ただ、それは信じる信じないの問題になると、かなり難しいとは言えます。
             
            この新地球を知る霊能力者達の話をまとめると、元々は七次元界に隠されていた予備地球を五次元界まで降ろして、三次元界に居た人類を五次元界に上げて、その五次元の新し地球の天地に移すなのです。
             
            大本教神諭 明治31年旧12月26日
            【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ】とあります。
            一般的に考えればその人物は大本教の出口王仁三郎聖師さんを指すと考えるべきことですが、何故か出口王仁三郎聖師さんは創造神の大望を述べてはおられません。
             
            また、たった一人の「誠」の人が出て来ても、何の力も持たないでは、こりゃなんだとなります。
             
            優秀な霊能者でも七次元界以上に関わるのはかなり難しく、その地球の確認は難しいとなりますが、その地球が五次元界まで降りて来るとその存在が神々や霊能者には解って来るとなります。
            一般的にスピリチュアルではこの地球が五次元界に進むが定番ですが、その五次元界で新地球に【乗り換える】もあり得るなのです。
             
            スピリチュアルでも弥勒の世が【五次元世界】と言われるのは同じですが、スピリチュアルの方達は、何も心配しなくてもこの地球が自然に【五次元界】に行くのですと言われます。それならば、最後の審判も立替も起きません。事態は変わりません。
            それは【プラットホーム】の考え方を異にしているからです。この地球そのもはプラットホームが【三次元界】でも、それに四次元界、五次元界を地球の上層部霊界に併発しています。日月神示にある【三四五(みよいづ)】です。たぶん、一部の六次元界と七次元界も併発はしているのでしょう。
            その既存の四次元界五次元界に行くにしても、今の肉体という服を脱がないと行けません。今の世の肉体がある身でも、霊能力があれば短時間ならば四次元界五次元界に魂を飛ばして行くことは出来ますが、肉体という服を着用したままで四次元界五次元界には行けていないのです。
            それは霊的世界に関わっているならば解りきっていることなのです。なのに、スピリチュアルを標榜する人達の中には、それを無視したことを平気で言う方があるのです。
             
            確かに、いくらヨハネの黙示録にあるとしても、これまでの天地は消えて、私は新しい天地を見た。いくら霊が見えるとか霊と会話が出来るであっても、そんなビジョンを見るなどはないわけです。考えも及ばないことと言えます。
            それに対して、新しい天地を形成する新地球ではプラットホームそのものが五次元界になるのです。上層界に六次元界七次元界を併発しますので【五六七(みろく)】の世となります。それに、今度は一部の八次元界九次元界も併発されていると考えられます。 ですから、各自の魂の【行く先の審査】が行われるなのです。その審査が輪廻転生の最終審査なので、そこから先が【永遠の世】と呼ばれるわけです。
             
            これまでの世は【三四五】なので、六七界に創造神を見ず
            みろくの世は【五六七】なので、八九界で創造神を見る
             
            創造神とは、自分はこの世で苦しんでいます。どうか自分を助けてくださいとお願いする神ではありません。自分がその神の一介の僕(しもべ)として、どれだけ働けるかなのです。
            自分がこの世で受けている苦しみの原因の多くは、【自分の過去世の罪による】ものが大きいのです。前世の罪の償いとして、その罪分を払いましょうで、祓うではなく払うなのです。
            スピリチュアルでは、自分の過去世の罪である【カルマ】に面と向かって言う方が皆無に近いのです。人は今生のみならず、前世・過去・未来と進む為には自己の【カルマ】を解消しない限り、【高次元世界に進む】などは絵に描いた餅に等しいのです。
             
            私が12回に渡り、本当に世の立替、天の岩戸開けなどがあるかの記事を書いたのは、私が神霊世界に関わった中でのものであり、絶対に起きるという予言でもありません。ただ、誰かがこうしたことを言葉で【仕組】しているなのです。
             
            お前は悪神に騙されているのだと言われたならば、そうかも知れません。ただ、私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなた一人にはその仕組を見せる。そなたはそれを紐解いて人々に告げなさい】と言われたことをしているのです。
            私はその言葉の仕組を見て、これは伊勢神宮の天照大御神とか出雲の大国主命様とかの段階ではない神の存在だと言うのです。
            例え、その声の主は私を【騙して】いる存在なのかも知れませんが、この仕組は既存の御神霊では無理だと解った時、それが悪神だとしても、それを超えれるだけの神が存在するのかと、逆に問いたいのです。既存の御神霊など、全て吹っ飛ばされてしまうでしょう。
            しかし、私はその旧約聖書の神と名乗る声から、【そなたには何一つこの神の力を与えない。そなたにこの神の力を授けるのは最後の最後の時である】と告げられて、言葉の紐解きしか出来ないことから何の霊力も無いのかとバカにされて来たとは言えます。
             
            悔しかったら、力で押して来いです。
             
            そう言われたら、私には返す言葉も何も為す全てはありません。その言葉の仕組をした神に騙されているのだと言われる言葉を受け止めるより道はありません。

             
            私が出雲大社教の先生の元に相談に行った時、その出雲大社教の先生が出雲大社から考えられない内容が降りていますと言われます。それは、私が出雲大社教に転じたならば全出雲神界の力を貴方に渡しますと言われていますです。考えられない内容に出雲大社教の先生は驚かれたのです。
            出雲大社教の先生が言われるのですから、そうした内容が出雲大社から降りたのでしょう。
             
            もし私が神の力を欲しかったならば、出雲大社教に転じる道もありました。伊勢神宮に転じる道もあったのです。だが、私は出雲大社教にも伊勢神宮にも転じるなどはありません。私はそうした神々の宣伝マンではないからです。この日本に満ちあふれているものから「仕組」を解読する役だからです。
            私が言葉の仕組の解説を出したことは、私が最初の者であり、そして私をもって終わるでしょう。誰も【言葉の仕組】などに気づくことがないからです。
             
            また、最初は興味を持って言葉の仕組に取り組んでも、霊が見えるとか霊の声が聞こえるとなると、どうしてもそちらに興味が行きます。現在の霊界には聖書にある【龍神とは霊界で年老いた蛇霊】が存在していて、単に霊が見えるとか霊と会話が出来る程度では太刀打ちなど出来ないのです。
            なまじ「心が綺麗」だけでは、それを打ち破れないのです。蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊とされる神霊の段階を超えないと、【真理】は掴めないのです。

            私が何故にこうした【言葉の仕組】を今日まで紐解いて来たのか?。世間一般論として見れば実にバカバカしい内容ですが、日本語という言葉だけであっても、長年に渡ってそれを仕組んだ神が存在するなのです。
            大本教神諭には【三千年に渡って仕組んだ】とありますが、遙かなる昔から仕組んできた存在があるなのです。
             
            スピリチュアルの世界では「霊の姿が見える。聞こえる」に主眼に置かれていますが、大本教神諭に次の様なものがあります。
            明治38年旧4月16日
            【帰神(かんがかり)ばかりに凝ると、最初は人が珍しがりて集まり来るなれど、余り碌な神は出てこんから、終いには山師、飯綱使い、悪魔使いと言われて、一代思はくは立たんぞよ。】
            私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【日本神話の天の岩戸開けの話は、この私が「予言」の為に仕組んだものであり、そなたはその意味を解読して世に告げなさい】でした。
             
            ですから、今回その分だけを告げました。
             
            実際に立替が起きるかどうか解らぬことであり、まして新地球など途方もない話になります。別に私が解いて【言葉の仕組】から来た事柄を信じて貰わなくても結構なのです。
             
            信じる信じないは各自の自由であり、創造神もそれを強制されないからです。
            言葉で仕組まれたものを見て、自分はどうするかは各自の自由です。
            ただ、その時になって後悔の涙を流しても、その時には遅い。それだけなのです。


             
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            第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その11

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              第××項 稲荷を捨てて、言霊(米教)の道へ

              私の最初の師匠がこの世を去る少し前、私に対して【あなたほど摩訶不思議な体験をされて来た人は一人もいないでしょう。貴方の身に起きる出来事が解る神など、日本国中探しても一柱も存在しないでしょう】と言いました。仮に私と同じ体験をされた方があったとしても、言葉の仕組の紐解きは無理だったかと思います。
              私にしても初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫から【貴方は言葉の教えをする方】と聞かされていなかったならば、霊的な遭遇を言葉で解釈する等には行き着かなかったと思っています。
               
              ​私の最初の師匠は幼児の頃から白狐達と遊び、娘時代から不動明王の御代(オダイ)を経て、【豊受姫】の御代となられた実践派の霊能者としては一流の方でした。神霊世界に関わって60年以上、その間に見て来たもの、関わった事件は数知れずです。神霊世界を見聞して来た内容は私が見た比ではありません。
              だが、その師匠をして【あなたほど摩訶不思議な体験をされて来た方は一人もいないでしょう】と言わせしめる体験を私はして来たのです。それは【言葉の仕組】の紐解きの為のものでした。

              私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声は次のように語って来ました。【人はその一生で何もかも知ることなど出来ない。人がその一生で体験出来ることなど、僅かなことでしかない。されど、自分は体験していなくても他の人が体験しているかも知れない。他の人の体験を頭から否定するのではなくて、他の人の体験を聞いて学び、それを自分の体験とするならば、より多くのことを知ることが出来る。学ぶことが出来る。】です。

              私の最初の師匠は豊受姫の御代としては当時癸韻箸盡世錣譴討い泙靴拭その神霊の取次者としての著本は本人自身が述べた「霊能一代」もありますが、最近その師匠を取材して来たライターによる「お稲荷さんと霊能者」という本も出ているようです。「霊能一代」は今は絶版本で、中古本でアマゾンで8万5千円というとんでもない価格がついています。
              霊能一代は発売当初はさほどでもなく、伏見稲荷大社の参集殿や稲荷山の茶店で売られていましたが、神の【オダイ】とは如何なるものか、そうしたことが書かれた著書が他にはあまりないことで貴重性があったとは言えます。

              オダイたる霊能者とスピリチュアルとでは、同じように見えてもまったく違います。スピリチュアルには修業に修業を積んだ方はあまりないでしょうが、オダイは過酷な修行を積んで神霊の【代位者】となっているからです。
              ​私の最初の師匠は100日間断食を2回こなしています。それも単なる断食ではなく、その断食の期間中、毎日伏見稲荷山を一周するという信じがたい荒行です。終盤になると、立って歩くことはかなわずに這って伏見稲荷山を一周したと言います。ただ、当時はそうした修行をする人の為に世話をしてくれる茶店宿が存在したのです。
              その茶店宿は後日伏見稲荷大社の御膳谷社務所となって建て代わっしまいましたが、昔は行者を世話したのです。しかし、こうした修行はその師匠は幼児期から白狐達遊んでいたので可能だったのであり、通常の人には出来ない荒行と言えます。
               
              私は最初に出会った霊能者の方から、私の家系先祖霊から「私には断食や瀧行等の荒行は一切必要無し。そうした荒行はこの先祖霊が代わりに充分に修行を積んできたので不必要」と告げられたそうですが、その霊能者の方から、御先祖霊はそう言われておりますが、何事も体験経験あってのものです。荒行も体験されることをお薦めします。自分は年老いているのでそうした荒行の指導が出来ませんので、そうした荒行の指導が出来る先生を見つけて体験してくださいと告げられました。
               
              そして最初の師匠に連れられて瀧行を受けた後、私はヒンズー教の奥義書とされるヴェダー典に残る【人の中に眠るコブラが目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める】を体験して真理の探求にと入ったのです。
              そして、伏見稲荷山にて当時の師匠は伏見稲荷大社講社の婦人部長をしていたので、自分は講社の用務で指導が出来ないが貴方は龍神さんに守られているので単独で瀧が受けられます。で、二度目の瀧行を単独で受けていると、瀧の水にアップアップして瀧水から逃げようとすると、その瀧水が逃げる私を追いかけて来ます。瀧水が追いかけるなどあり得ない出来事です。
              その出来事を師匠に話すと、師匠は即座に【貴方は瀧行や断食の様な行をなされる方では無い。貴方は「里行」の方ですと告げられました。それでもと思って、その後も瀧行は受けていたのです。
               
              私自身は4年間ほど、その師匠の弟子として鞄持ちで伏見稲荷山で見聞して来ましたが、そうした本に書かれている内容は事実であったことを、自分の体験を通して認識しています。そして他の人の体験も自分の体験としたのです。
              科学者や医学者があの世(霊界)とか神霊の存在を否定するのは、明らかに【体験不足】から来る無知と言えます。

              ​その当時、伏見稲荷大社で私の最初の師匠を見たある行者さんは、私にあの女の方はあんたの先生かと聞き、女性でもとんでもない行者がいるもんだ。男でもこれほど行者はめったにはおらん。だが、これほどの先生をもってしてもあんたを育てることは出来ない。あんたを育てることが出来る者などこの世にはおらん。それはあんた自身解っているはずじゃ。あんたは自分自身で道を切り開かないといけないと言われました。
              私はその師匠から、貴方は神の御子であり自分にはあなたを育てることなど出来ません。ただ、修行の面倒を見させて貰いますと告げられてはいたのです。
               
              私が子供の頃に旧約聖書の神と名乗る声は、【そなたが歩く道は、これまで人類の誰一人として歩いたことがない道で、そなたの後にもそなたと同じ道を歩く者は二度とは出ない。そなたが最初の者であり、そなたを以て最後の者となる】と告げられています。つまり、私には私が行く道の師匠は存在しないと告げられてはいるのです。
              私の行く道の師匠には出会えませんでしたが、霊体験を見させてくれる良き師と反面教師たる師と二人も出会えたのです。私はその2人の師匠以上の霊能者を探しましたが、見つかりませんでした。
              特に反面教師となった「言霊使い」の師匠は、私にとってはもっとも「恩義」のある方となりました。この言霊師の師匠に出会っていなければ、私は【神は言葉】と大本教神諭予告【九つ花】を紐解けなかったでしょう。


              ところがある日、伏見稲荷山で修行中の私の体内から私に臨んだ霊声は、【何時まで稲荷神に欺され続けていたならば気が済むのだ!。この大馬鹿者が】と私を叱って来たのです。それは私が子供の頃に聞いていた旧約聖書の神と名乗る声とは別のものでした。

              それは外部からの霊声ではなく、私の肉体の腹(高天原)からの声でした。それは私に憑依している霊からではないのです。人の腹は【高天原】に通じているからです。人の肉体の頭上から出る霊子(たまのこ)線よりも、腹の臍から出る霊子線の方がより重要なのです。で、私は稲荷神界の神々ですら「欺しの世界」の神と認識して、私は稲荷神界を離れて【言霊の世界】にと転じたのです。
              と言っても、霊能者は掃いて捨てるほど居ても言霊とは何かを知る言霊師と称する方は日本でも若干名です。そんな数少ない言霊師を師匠に持てたのは、全て神の計らいだったとは言えます。が、その言霊師の師匠から【死神】を送りつけられて、その後その後遺症で長く苦しみました。
              霊能者は全て正神界に所属ではありません。今の霊界は力が強い者が支配するで、正神も邪神も存在します。霊界に関わるには、時には自分の命をもっていかれる危険性すらあるのです。
               
              稲荷の稲の教えと【米】の教えは「瓜二つ」でも
              米の仕組とは、言葉を創りし神の存在を告げる
               
              豊受姫の御代をしていたその師匠でも、私に【出来ることならば、神の御代などしたくはなかった。神に仕えて先生、先生と言われるよりも、普通の人として普通に生きたかった】。それが本当の声だと言えます。普通の人として生きれることは、それはとても幸せなことなのです。
              神の世界に仕えるのは自分が選ばれた者ではありません。どれだけ【貧乏くじ】を引いても耐えられるかです。そこを錯覚して、自分は偉い者だから選ばれた者と思うと間違えるのです。
               
              それは私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声から、あることを告げられたからです。【神の世界に仕えることは、とても辛い作業である。特にそなたは他の者よりも辛い道を歩くことになる】。泣いて泣いて涙も涸れ果てたなのです。しかも、いくら気の毒な人を見ても自分に力がない為に助けてあげることも出来ないのです。
              言葉を創りし神は私に力を授けて力で押すのではなくて、私が解読した【言葉の仕組】を見て、そこに創造神の存在を認識して、自らがその創造神の下僕となる人でなければ、大本教神諭が説いた【誠】の者とはなり得ないのです。

               
              その【言霊】の世界に入って、私の神観は百八十度も変わったと言えます
              私がそこで見たのは聖書の【言葉は神と共にあった】なのです
              ただ聖書では、言葉としたことにより【言霊】の意味が解らないなのです

              私はそれを知った時、あまりのことに苦慮しました。神とは神社や仏閣に鎮まっていると思っている人からすれば、言葉は神なりきを知るのはお釈迦様の「悟り」以上に難しいからなのです。

              私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声から【私はこの世の幕を引く】と告げられました。だが、それは単に【人類の滅亡】を意味した物ではなくて、次に【嬉し嬉しの永遠の世が訪れる】為の「今の世の幕引き」であるとも教えられました。

              ただ、その嬉し嬉しの永遠の世とは、この地球上で展開されるのではなくて、聖書のヨハネの黙示録に記載される【今の天地は滅びて、私は新しい天地を見た】の方です。だが、それはあまりにも途方も無いことであり、既存の神霊や天使と称する霊達が語れるようなものでもありません。

              永遠に嬉し嬉しの世に行けるならば
              何故に魂の修行場のこの世に縛られ必要があるのか?


              しかしながら、貴方は本当にそんな途方もないことが起きると信じているのですかと尋ねられたならば、別に信じているではないのです。何故ならば、私は創造神と呼ばれる神の神力をこれまで一度も見たことがないからです。
              巷で自分が創造神と称される霊は見て来ましたが、全てニセ者と言えました。どれほどニセ者の霊が巷にばっこしているかです。そうしたニセ者がばっこするのは、本当の創造神が神霊達にも見えないからと言えます。

              日本にも【国常立尊】様を祀る神社は存在します。しかし、そこに鎮座されているのは【言葉を創った神(日本の国に常に立つ御言)】その方ではないのです。それが解っているからニセの「国常立尊」も世に堂々と出て来るのです。そうしたことは道理をわきまえれば解る話です。大本教は予告であり、立替は未だなのです。
              それは西洋に残されていた、ユダヤ人では無い異国の「言葉の君」は自分は主を知らないと言うのと同じ事です。実際に私は創造神と言われる主神の神力を知らないで、言葉の仕組だけで創造神を語っているからです。

              ​ニセ神達がばっこするするなら、どこかに本物が存在する

              私は2番目の師匠の元を離れた後、自分が何者か調べたくて東京の著名な霊能者の元に霊査を受けに行きました。するとその方が私に言うのです。その方は大本教の世の大立替宣伝の時、その宣伝の大将をされた浅野和三郎師の一番弟子と言われます。浅野和三郎師は大本教を飛び出して、「出口王仁三郎ほどの大悪党はいない」と弟子達に言われたそうです。
              世の大立替宣伝は自分の独断ではなく、総大将たる出口王仁三郎聖師に相談して来たのに、立替が起きなかったその責任を自分一人に押しつけた」と弟子達に憤慨して言われていたと言います。
               
              ​本当に起きるのか確証もないことを宣伝しなければならない立場とは、非常に辛いのです。だが、もしも起きた時のことを考えれば誰かがそれをやらなければならない。そんなことは絶対に起きないと言っている方が遙かに楽なのです。
               
              世の大立替等、絶対に起きない。大嘘だと言っている方が遙かに楽

              その私の霊査の時、その著名な霊能者の方は、さらに私にあることを言われます。【霊界を見るならば、どこかに創造神が存在していなければシステム的にはおかしい。なのに、どこにも創造神の存在の痕跡が無い。これはいったいどういうことだろう】と言われます。私はその痕跡は【ウシトラ(艮)】の言葉ですよと返そうと思いましたが、著名な霊能者の方に失礼だと思って止めました。

              私が子供の頃に旧約聖書の神と名乗った霊声が、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれている世界で唯一つの国である。そなた一人にはその仕組を見せるので、それを人々に告げなさい】と言われたことに関しては出来たわけです。
              この日本に満ちあふれているのは【日本語】でした。日本国中に転がっている言葉に私は創造神を見たなのです。が、それは日本の世に出ているどの御神霊にも出来なかったことだとは言えます。

              私自身は全霊界、全ての神のことが解る立場の者ではありません。私が見聞して来たものは霊界と呼ばれる世界の一部分にしか過ぎないと思います。
               
              それこそ触らぬ神に祟り無しで、興味本位で入る世界ではないのです。

              私が言霊の世界から、再度稲荷神界と関わりを持ったのは、神の世界は創造神と呼ばれる最高神の段階から、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊と称される「身変える」を起こした霊、霊力を保持する龍神とか天狗とかが混在していて、【創造神の御印籠】も役に立たないがあるのです。下位の神霊段階では創造神など見たことも聞いたことも無いと言う霊達の集まりだからです。そうした低級神霊に創造神の存在をいくら言っても通らないのです。

              私達日本人は大本教と呼ばれる宗教が起きるまで、ウシトラ金神【国常立尊】と言われても意味すら解らなかったはずなのです。
              大本教と言う宗教が起きたのは、創造神による【世の大立替】が迫って来たからと言えます。

              私は稲荷神界に入るまでは現世御利益など何も起きないでしたが、私が稲荷神界に入ると私自身には何の御利益も出て来ませんが、私の母親に驚くほど現世御利益が起きて来ました。だが、私が稲荷神界を離れると、またも元の木阿弥の何の御利益も無しです。だが、私は現世御利益信仰では【真理】には向かえないことを知ったのです。
              私の最初の師匠は実践霊能者としては凄い方でした。しかし、その霊格は通常の方より高くても、神霊としての位はさほど上だとは言えませんでした。霊能者とお釈迦様やイエス等の宗教開祖の根本的違いは霊能力云々ではなくて、持って生まれた神格が根本的に違うなのです。【識界】レベルと称されるものです。
               
              私はある霊能者から、貴方は【第十識界】に入ってくださいと言われましたが、それはいくら何でも私には不可能だと返しました。お釈迦様で第七識界。イエスで第五識界とされます。第十識界とは名実共に創造神の段階だからです。いくら修行を積んだからと言って、その域に到達は難しいのです。

              その最初の師匠がこの世を去る少し前に私に言いました。【自分は神を間違っていました。現世御利益で信徒を引っ張るのではなくて、信徒の魂を磨かせる方向でないといけなかった】と。
              私にすれば、そのことに気づいていただけたことは嬉しかったのですが、出来うればもっと若い時に気づいて欲しかったなのです。私はその師匠と初めて伏見稲荷山に上がった時、その師匠に自分の信徒の信仰態度はどうでしょうかと聞かれたので、【どの信徒さんも信仰熱心はいいのですが、神様に対して何かをして差し上げるではなく、神様から何かをして貰おうの現世御利益信仰ではその拝んでいる神霊以上には成れません】と答えました。
              すると、その師匠は【さすがに神その方の言葉は違う。人は稲荷神以上の存在に成れるのですか】と尋ねられたので、蛇霊や狐霊を神として拝していれば、自分がその段階以上には行けないのです。高次元の神には到達出来ないのです。と言っておきました。


              稲荷神界は現世御利益で人に神の存在を認識させる効能はありますが、自分の魂の磨きにはさほどつながらないのです。日本神道には根本的に教えがありません。それを美徳と考える神道の神職さん達は居ますが、要は日本神道界からはお釈迦様やイエスほどの存在が出て来なかったなのです。やっと大本教の出口王仁三郎聖師が出たなのです。
              ​蛇霊や狐霊に万物の創造などの能力はありません。現世御利益を与えて人が自分に頭を下げてくる。それが楽しいとか面白いなのです。ですから、白狐などは人間の分際で頭が高いと、間違った方向に行きます。だが、白狐達よりも高い世界に行ける人ともなれば、そんなに多くはないのです。

              人はこの世に【現世御利益】を求める為に生まれ出て来ているではなく、どんなに辛くても自分の魂を磨く為なのです。それが【この世は魂の修業場】の言葉です。魂の修業とは霊山での修業では無く、人と人の交わりたる【里の行】です。
               
              日本人は【里の行】で【米(世根)】たる者として実る

              私が初めて【言霊】とは何かと知った時、私の【神観】は百八十度もひっくり返ったと言えます。聖書に【言葉は神と共に在った】と記されていても、その意味を西洋人は誰一人として解っていなかったなのです。
              大本教神諭に【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】。それは【誠の者】でないとお世話が出来ないとありますが、単に神霊が見えるとか神霊と会話が出来る程度では解読など出来ないなのです。【誠】がないと無理なのです。何故ならば、世に出ておられる神霊でもその仕組を今日まで理解されていなかったからです。
               
              ​私は今の世に出ている神々には【誠】がないと気づいた時、神々に立ち向かうにはあまりにも非力の私には三千世界に身を置く場所も無いと悲嘆しました。が、大本教神諭予告【九つ花】を紐解いた時、私はどこにもその姿が見当たらずとも、言葉で成るの【誠】の神が存在していると解ったのです。私は言葉の仕組をして来た神とは、日本の天照皇大御神や大国主命様よりも遙かに高き存在の神と言います。未だ人類が本当の意味で知らない段階の神です。
               
              私は創造神を見ていないが、言葉の仕組で創造神の存在を信じている者
               
              以後、私は私の前に名だたる大身の神々や如来や菩薩や明王が現出されても、話される内容は一応伺いますが、それに従うことはありません。
              私の最初の師匠が、豊受姫が私のことに関して言われる内容が尽く外れるので、さすがに疑問を感じて、その理由を豊受姫に問うたところ、【あの者(私)はこの神をしても見通せない高度の神界からの力にコントロールされている。あの者の身に何が起きるのかが解る神などは日本国中に無い】と言われたといいます。
               
              この豊受姫が言われた豊受姫をもってしても、見えない神界。解らない神界の上位神界の存在は大本教霊界物語の中に記述はされておりますが、まだ人類はこの神界の存在を知るではないのです。
              大本教から出されたその最高神の神名は

              天之峰火夫皇大神

              この「峰」に隠された意味は【蜂】で、七(質)の世が終わって八(∞)の世に移行する時なのです。
              すなわち、神代【七】の世の終わりで、神代【八】の世の始まり。
               
              終わりにして始めの神
               
              私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声が私に命じたことは、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれている世界で唯一つの国である。そなた一人にはその仕組を見せるので、それを人々に告げなさい】と言われただけではありません。
              この地球から新しい地球に移行するには、巨大な宇宙の【三途川】を船で渡るからです。西洋では【ノアの箱舟】が説かれましたが、今度はこの地球に留まるのではありません。宇宙の大海原にと船出をしないといけないのです。
               
              何故に私は【ラ神】論で【羅神】を説いたのか?
              羅針(ラ神)盤無しに宇宙の大海原を航行が出来ないからです

              私が大本教神諭予告【九つ花】を紐解いて出した【ラ神】論とは、お釈迦様の悟りの【人に内在する良心神】を五十六億七千万で出すだけではなく、今の地球ではなくて新しい天地の地球に移る為の船に必要な羅針盤の【羅神】でもあるのです。ですから、海路図の方位図は【米】型ともなっているのです。
              大本教神諭予告、【この神は北を上にする】が【米型】に気づかれなかったようです。
               
              私がしていることは【ノアの箱舟】と同じことなのです。今回はノアの箱舟と違って別天地たる地球に移るので羅針盤の【羅神】無しに航行は出来ないのです。 ただ、私にもその出港時が何時なのかは解らないのです。
              ここまで言葉と言えども仕組まれていれば、もう信じて進むより道はありません。結果として何も起きなければ私は旧約聖書の神と名乗る声の【捨て駒】であったなのです。九×九路の将棋盤の仕組で働かせられているならば、時には捨て駒として捨てられる駒もあるでしょう。それが私であり自分は創造神の捨て駒であったとしても、それが天の差配であるならばそれに従うだけなのです。
              私は自分の地位とか名誉とかは欲しません。そんなものが欲しかったならば、この仕事は最初から出来ません。
               
              私は多少なりとも神霊世界を見聞して来て、絶対として言えることは私達が死後に渡る「霊界」そのものは存在しているです。そして、俗に言われている龍神とか白狐とか天狗と言われる存在もありました。だが、龍神や白狐や天狗を相手にしていても、何も解らないなのです。
              ですから霊能者はたくさんおられても、それなりの霊力を発揮されていても、まったく【霊界】の真相が世に明らかにならないなのです。闇の中と言えます。
              私は世に出ておられる神々の神力はそれなりに見させて貰いました。しかし、そうした世に出ている神々の神力では世の立替等が出来るとは思えません。不可能です。どなたも力不足なのです。

              創造神の姿はどこにも見えずとも、霊界は機能している

              大本教神諭に世に出ている神達の心の持ち方が悪かったとありますが、この世の私達が接している神とは【世に出ている神達】であって、霊界は圧倒的に世に出ていない神達が多いのです。ですから、創造神の姿はどこにも見つからなくても霊界はその機能を発揮出来るのです。それは【道理】をわきまえれば解ることです。が、その世に出ていない神達で地球船を運行している部門からは、既にこの地球船は異常ありの「SOS」の危険信号は発せられているのです。
              もしも、この地球が何の異常もない安泰の状態であるならば、私は霊界の霊に欺されて【洞(ほら)話】をさせられているようなものです。私が言った内容は信じるべき話ではありません。

              しかし、天才理論物理学者である【ホーキング博士】のこの地球は住めない星となり、この地球から脱出して他の惑星に向かわなければならないは、世に出ておられる神霊の言葉以上の重みを持っています。
              創造神と呼ばれるような神が出て来て、人類を新しい地球に移行させなければ科学者達やホーキング博士が言われるように人類は後何十年間で終わるかも知れません。人類の歴史が終わるのはもはや時間の問題ではあるのです。
              気候問題だけで無く、神国日本と言われたこの国は少子化により、老人が増えて将来の年金制度は間違いなく破綻します。誰が年金を支えるのか?。それは日本だけで無く、中国も襲います。一人っ子政策の余波です。そうした時、世には犯罪が多発して来ても止められなくなります。

              ​大東亜戦争(太平洋戦争)において、日本陸軍のもっとも無謀な戦としてインパール作戦がありました。困難な山岳地帯の戦いに充分な補給を考えない牟田口司令官は、作戦に反対する師団長や参謀を次々と更迭し、補給が出来ない為に弾薬や食料が尽きて撤退命令が出されましたが、撤退するにも食料が無いで日本軍は飢餓とマラリアで累々たる死体を残したことにより、この山道を【白骨街道】と言います。その時、飢えた日本軍が味方の兵士の肉を食べたことが証言されています。もはや地獄の様だったのです。

              ​1999年の少し前、一部の霊能者からあるビジョンが告げられました。それは太陽が衰えて、世界は饑饉に陥り、人が人を食べる恐ろしい光景です。幸いそのビジョンは危惧で終わりました。さりとて、それを「滑稽の極み」と片付けるのもどうかとなります。

              この地球が悲鳴を上げているのは誰しも感じることですが
              先を見通せない人民の人民による社会の破綻です


              大本教神諭にある、もう本当の神が表に出て人民を守らなければいけない時期と言えます。

              地球環境をよくする為に、今から慌てて電気自動車などにシフトしても、ホーキング博士がもう遅いと言われたように既に手遅れと言えるでしょう。これから先も天候異常はより増して来ます。それは科学的に物理的に来るのであって、私の言葉を信じるとか信じないの話ではないのです。
               
              だが、そこにも未来のへ【希望】はあるなのです。
              大本教基本宣伝歌 【たとえ大地は沈むとも、誠の力は世を救う】
              言で成る【誠】の存在があるのです。
               
              続く
               

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              第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その10

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                第××項 創造神の存在証明?。本守護神・正守護神・副守護神から知る

                スピリチュアル標榜者の方達からは、まず出て来ない言葉として「本守護神」「正守護神」「副守護神」があります。スピリチュアルでそれに比類するのは「ハイヤーセルフ」や「ガイド」という言葉です。
                スピリチュアルにおける「ハイヤーセルフ」は、自分よりも「高い次元世界に居る自分自身の霊」の意味であり、本守護神・正守護神を意味します。「ガイド」とは案内役たる守護霊を指すのですが、単に「ガイド」と言われてしまいますと、私達は旅先の観光名所の道案内人程度の感覚にしか受け取れません。
                 
                スピリチュアルで言う「ハイヤーセルフ」が、この世に住む肉体人間の自分よりも「高い次元界に居る自分自身の霊」だと認識しているのならば何の問題もないのですが、多くのスピリチュアルと称する方は、ハイヤーセルフと言えば、何故かミカエルとか、ガブリエルの西洋の天使名ばかりを言われます。
                それでは論理的に破綻します。ならば、貴方の魂は「ミカエル」ですか。「カブリエル」ですかと突っ込んでやれば、あたふたとするでしょう。高い霊界に居る自分自身がミカエルやガブリエルだと言っていることになるからです。初歩的間違いを犯しているのです。
                そしてスピリチュアルを標榜する方達には共通した不思議な現象が見られます。それは西洋名の天使ばかりを告げて、創造神と呼ばれる神に言及しないことです。創造神は居ないのか?。ごときの振る舞いです。
                スピリチュアル病と呼ばれるものがあるとすれば、多くの女子がそうしたスピリチュアル病に罹っておられると思われます。そうしたスピリチュアル病を患っている女子に出て来る西洋の天使名を名乗る霊は創造神の存在をまず語らないでしょう。
                 
                私はスピリチュアルだスピリチュアルだと言っている霊感女子で、優秀な霊能者を一度も見たことがありません。論理の破綻者が実に多いからです。

                一方、ガイド(案内役)という言葉は妙を得ています。自分が信仰する信仰神(導き神)にも、自分に憑依して自分の意識を乗っ取って来る憑依霊にしても、その憑依霊の導きで自分がコントロールされるので「導き霊(ガイド)」となります。このガイドの一言で、信仰神も指導神神も背後霊も憑依霊も全てひとまとめに括ることが出来る便利な言葉だからです。
                ただ、そのガイドはこの世での自分に霊的世界を認識させるであって、貴方自身が霊界に入った後のガイドとはならないのです。
                 
                私の知人が仕事で落ち込んだ時、その方を自殺に導こうとした霊に誘われて自殺場所を探して高いビルに行き、自殺の前に顔を洗おうと洗面場で自分の顔を見た途端、その顔は自分ではない何物かに取り憑かれていると気づいて事なきを得たことがあります。霊は時には自分の意識をコントロールして来ます。自分を自殺に追い込む、犯罪に手を染めさせるもそこに「ガイド」たる霊が存在して来るとなります。
                非常に優秀な霊媒質者に霊が懸かると、その表情が一変します。その肉体に懸かった霊の顔になるのです。逆に、こうした霊媒質者に観世音菩薩と呼ばれるような霊が懸かると、それはとても美しい表情に一変します。霊媒質者は顔を見ていれば解ることもあるのです。
                 
                西洋で言うハイヤーセルフは、高い霊界に居る自分自身を意味した【内在神】であり、神社や仏閣に鎮まる神仏をいくら信仰しても、それは自己の内在神ではなくて、ガイド(案内役)たる【外在神】となるのです。

                 
                私が初めて【本守護神】と呼ばれる言葉の存在に触れたのは、私が最初の師匠に連れられて伏見稲荷山の伏見稲荷大社講の支部の「豊受姫と豊川稲荷神」を祭るお塚に参拝した時、師匠の口を通じて豊受姫の神から、【貴方の本守護神は国常立尊様】ですと聞かされた時です。その本守護神とは別に、私の指導神として豊受姫と豊川稲荷の名を告げられたのです。
                その時の私は、「本守護神」と告げられても何が何だかさっぱり解らない状態でした。後で、大本教霊界物語に触れて、「本守護神」「正守護神」「副守護神」とは何かを学ばさせて貰ったしだいです。

                後日、豊受姫の神が言われた私の本守護神は「国常立尊」様が本当に正しいのだろうかと幾多の霊能者に精査を受けたところ、全ての霊能者とは行きませんが7〜8名の霊能者の方から、貴方の本守護神は国常立尊様ですと指摘を受けて来ましたので、たぶんそれは正しいのだろうと思っています。
                 
                通常、霊能者と言われる方から本守護神・正守護神・副守護神という言葉を聞きませんので、あまり知られていない言葉かと思っておりましたが、私が出会った霊能者の方はその言葉そのものはご存知でした。
                そうでなかった霊能者の方達は、実にとんちんかんなことを言われるばかりでした。私の守護神は誰かと聞きに行っているのに、貴方の御先祖様が蛇を殺されたので蛇霊があなたを恨んでいます。貴方の祖父霊が美男子の女たらしで成仏出来ずにおられます。エッー?です。私の祖父は美男子などではなく醜男で女性とは祖母以外には縁がない方でした。そうした霊能者の方があまりにも多いのです。無論、その霊能者の方達にはそうした霊的映像が見えているので言われたのでしょうが、いったい何の霊的映像を見ているのだとなります。それで相談料を取るのかです。
                 
                残念ながら霊的世界が私達の目には見えない世界の為に、インチキ霊能者が存在して来ます。某宗教はそうしたインチキ霊能者を使って、高価な印鑑や壺を売りつけて組織を創り上げました。その信徒には人気アイドル歌手であった方も存在しますが、自分がその教団の広告塔に使われていることに何一つ気づくではありませんでした。
                この世の法律ではそうした宗教に関わったことで金銭被害者を多数出した罪で裁かれことはなくても、自分が広告塔になったことから多くの被害者を出した罪は霊界で問われることにはなるでしょう。
                 
                各自にはガイド役たる守護霊が就いておりますが、その守護霊そのものが道を間違えるがあるのです。
                 
                私が神霊世界修業に飛び込む前、私の前に三体の僧侶姿の方が現れました。その真ん中に立つ坊主姿の方は、それ以前にも見かけており、私の先祖霊であると感じていましたが、私の家系にはお坊さんになった方はおらず、変だなと感じておりました。
                私が最初の霊能者の元を訪れた時、私の目には見えませんでしたが、その霊能者の方は三体のお坊さんが今出て来られました。霊界でたいへん徳がある高い霊で、真ん中の方は貴方のご先祖霊であると言われます。そして、それが私の先祖霊でないと解らないことをその霊能者は私に告げたのです。
                すると、私の家系の先祖であることを証明することを言ったその霊は、私の家系先祖霊であることはまず間違いありません。ただ、私の家系は私の実祖父が養子として入った家なので、その家系先祖霊と私の間には肉体の血脈関係はありませんでした。
                 
                霊的世界に関わっていますと、霊媒者にお前の父だと名乗る霊が突然に懸かる等があります。霊媒者は霊を受ける装置のようなもので、その霊がその名乗り通りの霊かどうかを判断していません。それを判断するのが審神(サニワ)であり、その霊がその名乗り通りの霊かどうかの証拠を出さないと、本物とは認められません。そうしたことをまったくしないのがスピリチュアルと言えます。自分の目に見えた物が絶対から先行きしないのです。
                私の2番目の師匠の女狂いが始まった時、その師匠が側に置いた女性に神が懸かるので見に来いで、私の家に宿泊していた霊能者の方と一緒に伺うと、その女性がわらはは○○大明神なるぞと始まりました。よく見ると、その肉体のお尻から霊的な大きな白い尻尾が出ています。頭隠して尻隠さずです。
                ありゃ!。白狐でもノラに近い狐霊です。その霊能者の方と笑いが吹き出しそうになるのを必死に堪えて、二人してハハッーと平伏しておきました。そして、一緒に行った霊能者の方と、あの先生も女に狂って見る目がなくなった。モウ終わりだなと話をしてました。
                 
                審神(サニワ)のコツとして、その霊を最初からとっちめないがあります。ある程度は欺された振りをして話を進めて行く。聞き出す。そしてその話の矛盾を溜め込んでおいて、一気にたたみかけるがあります。蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊ばかりとされる神霊世界で、我れは○○大神なるぞ。△△大神なるぞ。そんな名乗りを頭から信じるなど危険極まりがないのです。
                 
                神霊名を名乗る霊には、その証拠を求めるべし
                 
                ところが、その三体の真ん中の方が、時には別の僧侶姿で出て来るのです。その方が私に見せられる姿は、どう考えても【日蓮聖人】さんなのです。そしてその両脇の2人の僧侶の方はその名乗りから、日蓮さんの直弟子であった方達と解りました。
                そうなりますと、ますます頭がこんがらって来ます。どうして、私の家系先祖霊に日蓮さんの直弟子霊が二人も一緒に出て来るのだです。私の家系先祖霊と日蓮さんの直弟子であった二体の僧侶の方達とは生きていた時代背景がまるで違っているからです。
                 
                私はかってヤフーの掲示板「輪廻転生」で、「てんてん」の名で論陣を張っておりましたが、スピリチュアルでもかなり力があると見受けられた女性が、私の背後には「達磨大師さん」と「神農さん」と「血の臭いが漂う戦国武将の様なお坊さん」の三体が居ると言います。
                後に別の霊能者の方から、貴男の家系御先祖霊は自分で自分が制御できなくて暴れに暴れていた。それを押さえる為に【法華経】を学ばれて、おとなしくなられたと言いましたので、戦国武将のような坊主の感じだったのでしょう。
                私は豊受姫の神から、【貴方の家系と妙見様】とは如何なる関わりがあるのですかと質問されて、能勢妙見に参拝したところ、「達磨大師」と「日蓮聖人」さんの姿を見ましたので、【妙見様】と関わりがあることは感じていました。
                 
                あるサイキッカーの方から、【貴方の背後に日蓮さんらしき姿の方が見られる。だが、日蓮さんのように見えているけれども日蓮さんではなさそう。しかし、雰囲気があまりにも日蓮さんに似ている。変だな】と言います。
                そして、私が出雲大社教の霊能者の元に行った時、その出雲大社教の教師は不思議なことを言います。【貴方は出雲の神が守らなくても、貴方の背後には出雲の神に匹敵する力を持った御先祖霊さんが居られます。その月命日は29日です。五代前と思われます。調べてみてください】と言われます。
                そこで調べると月命日が29日のご先祖霊が居られました。五代前です。しかし、その先祖霊が出雲の神に匹敵する霊力を持っているとは?。如何なることかと首を捻っていました。

                 
                ある時、私が家の仏壇を拝していると「白蓮のつぼみ」が見えて来てポーンと花が開きます。そして次に金文字で【日蓮、日蓮】とフラッシュして出て来ます。さらに、「南無妙法蓮華経」の金文字までフラッシュして出て来ます。金文字で出て来るのは疑う必要がないものです。
                慌てて、最初の師匠の元を訪れて聞いたところ、貴方のご先祖霊さんは【日蓮聖人その方ではありませんが、日蓮聖人の御分霊(後身)】だからですと言います。それは日蓮さん自身の本体たる魂の生まれ変わりではなく、その魂を分派させて肉体に降ろした存在と言われます。それで日蓮さんの直弟子であった2体の霊が、時にはその先祖霊と行動を一緒にしていたなのです。
                出雲大社教の教師が、私を出雲の神が守らなくても出雲の神に匹敵する存在とは日蓮聖人を指して言っていたと解りました。日蓮聖人が私を守護しているとなれば、その背後には日蓮門徒衆の霊があるとなります。信徒数から言えば出雲大社の信徒数より日蓮宗門徒数の方が多くなるでしょう。

                ​私が見ていた日蓮聖人さんのお姿は土ぼこりなどにまみれた黒染めですが、その背後には日蓮宗の高僧と思われる立派な衣装を着た僧侶姿の霊達が無数に従っておりました。
                この日蓮聖人とおぼしき霊は日蓮正宗の開祖である日興上人に関して、私にあることを語られました。それはある意味世には告げられないタブーです。衝撃が大きいからです。だが、それは日蓮聖人が説かれた教えそのもに原因があり、私が悪かったと言われます。師匠の心、弟子知らずです。
                一部に日蓮聖人は地獄に墜ちておられるとブログに書いておられる著名な方があります。確かに地獄界を覗けば日蓮さんを見るがあるかと思います。だが、それは墜ちておられるではありませんでした。ある日、私の家の神棚に閻魔大王とその日蓮さんが並んで出て来られるがありました。日蓮さんの弟子であった方が開祖となっている宗派の信徒達が地獄界に墜ちている。その救済の為に地獄界まで赴かれているだったようです。
                南無妙法蓮華経のお題目にはそれなりの霊力はありますが、南無妙法蓮華経のお題目を唱えていれば天国(極楽)界に行けるではないのです。
                 
                ではどうして、日蓮さんの御分霊が私の家系に誕生されたのかとなりますと、霊能者の調べでは私の家系は【国常立尊】の四天王の一つを初代先祖とする直統の家系に当たると言われます。日蓮聖人と「国常立尊」様との間には伊勢外宮での出来事で解るように関係があるからです。そこに出たのが【妙見】です。妙見様とは「北斗七星」の神格化で「天之御中主」。あるいは「国常立尊」ともします。「天之御中主」と「国常立尊」とは、天と地で立場は違うが同体神なのです。
                 
                国常立尊−豊受姫(伊勢外宮)−日蓮聖人のラインのつながりです。
                 
                後に日蓮聖人とおぼしき霊から【身延山の西の谷】に参拝するようにと言われたので、お礼の参拝はして来ました。
                 
                ところが、2番目の師匠は私には【くそ坊主】が付いていると言っておりました。その先祖霊のことです。かなり激しくその師匠に刃向かっていたようです。その2番目の師匠は、自分は国常立尊の現身(うつそみ)だと言っていましたので、その立場から見ると自分に逆らう【くそ坊主】だったようです。
                それは、その先祖霊が二番目の師匠の御祭神は本当の国常立尊様ではないと見破っていたからと言えます。その2番目の師匠の祭神の本当の姿は、やがて私の「正守護神」がその神殿を足で蹴り破って、その正体を暴いてしまいました。それは本当の国常立尊様ではなくて、強力な存在の「猫神」の姿でした。
                 
                この日蓮さんの御分霊は私の家系の先祖霊であっても、私の魂とは直接に関係しませんので、私の魂にとっては私の魂である正守護神ではなくて【副守護神】格と言えます。
                 
                大本教で説いた本守護神とは、自分の魂を出した天津神たる本体の魂のことです。私の場合はその本守護神が「国常立尊」様だと指摘されるのは、私の魂は「国常立尊」系列の分魂でもあるなのです。ただ、私は「国常立尊」その方ではないのです。
                もしも、私がこの世で堕落した生活を送っていれば、例え「国常立尊」系列の分魂の持ち主であっても私の行く先は地獄界で、自分は誰々の分魂であるなど何の関係もないのです。
                 
                死後の霊界での地位は、今の世の自分の生き方で決まる
                 
                大本教霊学では「正守護神」は自分の魂の系列で、正しい神として神界に存在する自分自身の魂を指します。スピリチュアルで言うところの「ハイヤーセルフ」です。まだ本守護神たる立場に戻る手前の神界で留まっているのです。本守護神と呼ばれる段階は創造神の世界に近づいた段階からです。
                この「正守護神」と肉体の自分の魂が帰結することを【神人合一】と言います。その段階まで行きますと、この世を終えた肉体の魂は神霊として霊界に入るからです。
                神人合一は日本の「新神道」ではかなり説かれていますが、まったく理解出来ていないのがスピリチュアルを標榜する人達と言えるでしょう。少しも「神人合一」へと向かわずに、ハイヤーセルフだ!。ミカエルだ!。ガブリエルだ!。とやってしまうからです。
                 
                大本教霊学で【副守護神】は、自分に懸かって来る「悪神・邪神」を指しますが、それだけではありません。霊能者下ヨシ子さんが、副守護神は自分の4〜5代前の家系御先祖霊で、地獄界から抜け出す一歩手前、肉体の子孫を間違わないように指導して、その功績で地獄界から自分も抜け出すと説いておられますが、スピリチュアルで言えば「ガイド」です。が、家系先祖霊だと霊界での地位が高くても「副守護神」格なのです。自分の魂の先祖でないと正守護神・本守護神には成れません。
                また、自分の前世の魂が地獄界に籍がある状態も「副守護神」と言えます。前世の魂が反省して悔い改めて魂の後身の肉体と一緒に修業を積んで地獄界から抜ける。それを忘れたら、地獄界から抜けられないのです。

                大本教神諭に、人には「全て守護神が一体就けてある」とありますが、この守護神とは、大半が霊能者下ヨシ子さんが言っておられる地獄界から抜け出す一歩手前の御先祖霊たる【副守護神】格のことと言えるでしょう。
                霊界で高い世界に入った御先祖霊は、肉体としては御先祖であっても自分の魂の御先祖ではありませんので、御先祖様崇拝はあまり意味がありません。高い霊界に行かれた御先祖霊は、この世の肉体の子孫のことなど忘れています。肉体の子孫は魂の子孫では無いことも解っているからです。この世で縁を持ったなのです。御先祖供養とは、高い霊界に行っていない肉体の御先祖霊に対する【後祭り】なのです。

                副守護神たる御先祖霊も、【ガイド(導き)】として働いた肉体が神界にと入って行けば、その御先祖霊もその功績により神界にと進むなのです。

                大本教神諭に、その「守護神(副)が自分を立替の御用に使ってくださいと言ってくるならば、どのようにもしてやる」とあるのは、ウシトラ金神国常立尊が「閻魔大王」でもあるからです。大本教弾圧事件で囚獄で命を落とされた方達は、霊界でも高い世界に行かれたとの話があります。それは大本教の信徒だったからではなく、【唯一神】信仰の為に命を落としたからです。そして、その肉体を大本教に道案内したガイド霊も、また上がるなのです。但し、それは出口王仁三郎聖師が存命中までと言えます。​
                私の家に宿泊した霊能者の方が早朝に出かけて帰って来ると、私に【貴方は大本教に入信して、大本教を内部から立て直してください】と言われましたが、私はそれは無理ですと答えました。私は大本教大幹部が主催する講演会で講師をした時、その聴衆は大本教信徒達が大多数でしたが、私が説く内容に、「帰れ!。帰れ!」の大コールをしたからです。今の大本教に私が説くことが解る者がどれだけいるかなのです。
                私は大本教の信徒総代をされた方と会談したところ、その方は私が説く内容を解ってくださっていましたが、その方も今の大本教には貴方が説かれた内容が解る者はおりませんとの答えでした。
                 
                閻魔大王ともされる国常立尊が、各自に「悪神・邪神」たる副守護神を就けているのではないのです。家系の肉体の子孫を正しく導いて、貴方もその功績で地獄界から抜け出しなさいなのです。
                 
                自分が正しい者と成長する
                それこそが本当の【先祖供養】なのです


                閻魔庁は【閻魔大王(国常立尊)】の管轄であり、世に出ている神々には管轄権はないのです。閻魔庁が鬼の【ウシトラ(牛虎)】であることに気づかないスピリチュアルなど、程度が非常に低いと言わざるえません。
                 
                ある時、宇宙だ!。宇宙だ!。宇宙語を会話するという団体に徹底的に霊査(サニワ)が入りました。その結果、その宇宙語とは現在では使われていないある国の地方の古語であったことが判明しました。現代では滅びた言葉なので解析に手間取ったがありました。だから誰も知らない言葉だったので、それを会話している人達は宇宙語と錯覚していたのです。
                それを宇宙語だと信者同士で会話させる。どうして会話が出来たのかとなりますと、その信徒の背後には全て蛇霊が憑依しているでした。その蛇霊達はその言葉が使われていた時代にその土地に生きていた存在です。信者一人一人に蛇霊が憑依することによって、信者同士が知らない言葉で会話することが可能だったのです。
                また、スピリチュアルで宇宙神だ!。としている存在の多くは、霊査(サニワ)では聖書にある【霊界の年老いた蛇の龍神】であることが判明しているケースもあるのです。

                聖書には龍神とは【霊界で年老いた蛇霊】とありますが、霊界で何千年と修業した大蛇霊に自分には単に霊能力がありますでは、太刀打ちなど出来ないのです。

                では、ほとんどの霊能者の方が神棚に祀る御神霊とは何に当たるかです。当然に自分の魂の「本守護神」ではありませんし、「正守護神」でもありません。地獄から抜ける手前の「副守護神」でもありません。御先祖霊の場合は神棚より仏壇になるからです。神棚などは、スピリチュアルで説くところの【ガイド(導き)】の霊が降りる場所なのです。

                信仰神とは、【ガイド(導き)】神なのです
                それには正神もあれば、邪神もあるのです


                但し、何をもって正神とするのか?。邪神とするのか?。は、常につきまとう問題なのです。自分に地位や名誉や金銭を授けてくれるのが正神と考えるのであれば、蛇霊信仰も正神信仰となります。
                ほとんどの方に自己の【正守護神(スピリチュアルではハイヤーセルフ)】が出て来ないのは、高い次元界に居る自分の魂の存在に向かわず、今の苦しみを取り除いてください。現世御利益をください。そうした信仰に走るからなのです。お釈迦様の教えに【この世は苦界】があります。この世は決して楽な世界ではないのです。
                 
                一部の霊能者の方達は、神社に行ってもお願いをするな。感謝の言葉を述べなさいと言われていますが、神社は苦しいからと訴える場所ではなくて、日々自分を生かして貰っていることに感謝をすべき場所なのです。
                生きている人からこの世の道案内を頼まれたガイド(導き)神には、その方を死後に天国に案内する絶対責任はありません。生前その神霊を信仰したことで、死後に自分が支配する霊界の一員に登用する。その程度なのです。そうした証拠に、生前は熱心に信仰していたと思われる行者霊が信者諸共数百年も彷徨っているがあります。そうした行者が信仰していたであろう神仏は、その行者を見殺しにしている。私はそうした実態に触れた時、唖然としたのです。
                確かに、ガイド(案内役)は生きている時のガイド(案内役)であっても、死後の世界までのガイド(案内)ではないのです。

                そこに、【内在神】と【外在神】の違いが出て来ます。本守護神・正守護神はスピリチュアルで説く「ハイヤーセルフ」で「高い次元世界に居る自分自身の霊」なので、自分が霊界の階段を上がることでその本体魂に集約されるとなります。 だが、ガイドである【導き神】はどこまで行っても、「高い次元世界に居る自分自身の霊」ではないので【外在神】であり、その段階を乗り越えるとは行かないのです。

                が、自分自身の魂の本体たる本守護神が霊界での地位が低目であっても、【唯一神】のみを神とする信仰であれば、霊界での地位を上に上にと進めることが可能となります。大本教神諭にある、【あんな者がこんな者になった】の【大出世】の道となるのです。
                 
                今の霊界の現状は一部の霊能者の方達や霊が【どこを見ても創造神が見当たらない】と指摘して来ますが、「本守護神・正守護神」の存在が認識出来るのであれば、その頂点には【創造神】は存在していなければおかしいのです。
                 
                人の魂(大本教の鬼が云う)の核として天帝の分魂(直霊)があり、人の【良心神】として働いているからです。
                 
                そしてそれは「この世の閻魔」だから
                地獄の【羅(ラ)王】ともなるのです
                自分の天国行き地獄行きは、自分自身が決めている

                三千世界一度に開く梅の花の意味が解らぬ者ばかり


                ​続く

                 

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                第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その9

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                  第××項 弥勒とはいよいよ始まる改革の力。神様クーデタは失敗か?

                  行者の世界でかなり名が知られた方に【金井南龍】師がありました。この金井南龍師は大本教に関して、神様革命(クーデタ)の失敗と語っておられます。

                  大本教が世に出したのは、元は創造神でありながら悪神達によって追放された【国常立尊(ウシトラ金神)】様が創造神の立場に復帰予告です。
                  ただ、大本教から悪神とされた神々からすれば、【国常立尊】は創造神であったなれども自分達が悪神なので追放したのであって、自分達こそ【正神】の立場の論理になります。実際に多数の神達が国常立尊様の追放を支持したからです。
                  その最大の理由は、国常立尊様はあまりにも「厳格な神」であられたからです。誰しも厳格な存在は煙たい。うるさい神だ!。だが、厳格な神を失ったことにより、地の神界は乱れに乱れて好き勝手、国常立尊様の後継の主宰神である盤古大神(木星神)は穏やかであったが為に、逆にそうした神々を押さえきれずに【群雄割拠】となって来たなのです。

                  人は誰しも最初は厳格に自分を戒めていても、自分を誘惑する安楽な環境に慣れてしまうと、その環境が良くなります。堕落の道に堕落の道にと進んで行く者なのです。もう自分を厳しく戒める環境には戻れなくなるのです。
                  聖書における【蛇の囁き】とは、邪心(蛇神)の芽生えなのです。為に、人は神の園に戻ろうとすれば【巳(蛇)帰る】を起こさないといけなくなるのです。邪心(蛇神)の誘惑に勝つには、常に自分を律する覚悟が必要なのです。

                  ​私はヒンズー教の奥義書とされるヴェダー典の中の【人の中に眠れるコブラが目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める】の体験から【真理】の探求にと走りました。【巳(蛇)帰る】からです。だが、蛇霊を抱えていると真理の道が阻害されて行きます。いくら真理からの教えを説いても、その人に蛇(邪)がある限り、目覚めるのは難しくなります。

                  キリスト教でも1000派以上あるとされるように、名目上は【イエス】を頭に戴いていても内情は違うとなります。英国で新教(プロテスタント)と旧教(カトリック)が争って戦争まで起こしたわけです。イスラム教もアッラーの神と言いながら、シーア派とスンニ派の違いで国家戦争までするわけです。これらも更に幾つにも分派しています。そして争います。
                  多くの方は同じ神を言いながら宗派戦争するのを不思議に思うはずですが、それらは個々の宗教指導者に憑いている守護神霊が違う為に、他の方の守護神霊には従えないとなり、力の強い守護神霊が憑いている宗教指導者は独立して一派を為すからなのです。宗教指導者は霊能者の様に霊が見えるでなくても、その背後には個々の守護神霊があるからです。

                  大きな宗教を起こす宗教家の背後の守護神霊は、霊能者で自分には神霊が憑いていますの神霊よりも、遙かに力の強い守護神霊が存在したりするのです。しかもそれが大霊団を形成しています。自分に霊が見える程度では大宗教家の守護神霊団には太刀打ちなど出来ません。為に多くの霊能力者は町の拝み屋で終わってしまうのです。
                  霊能者でも力が強い守護神霊を持っておられる方は、一派を起こして町の拝み屋と呼ばれていた立場から宗教家ともなられるなのです。霊が見える同じ拝み屋でも先が違って来るのは、その方の背後霊団の大小にあるとなります。今の霊界の鉄則は、正しいとか正しいではなくて【力の強い者が支配する】だからです。

                  こうした宗教団体は開祖は霊能者であっても子孫は神霊がまったく見えないとなります。為に教団を組織化して、子孫に教祖の地位を継がせるなのです。だが、そうした子孫の段階になると、まったく神が解らないとなります。
                  また、大宗教家と成った方の魂は秀逸でも、その肉体の子孫の魂は必ずしも秀逸とはなりません。それは魂は肉体に降臨したのであって、その魂が肉体の子孫に継承されるではないからです。


                  神霊世界には、何十体か何百体の霊による【劇場型俺々詐欺】グループが存在して来ます。グループの中で演じる神名の役割を決めて、時には美人局(つつもたせ)の様に、霊媒質者に凶悪役霊を先に出して助けることで正義の存在と思わせて、霊媒質者の信頼を得るもあります。
                  それらは霊なので、霊が見える方にはいろんな光景を見せます。なまじ霊が見えることで、その真偽を確かめずにコロリと欺されるがあります。それらの霊団は、あわよくば自分達も大きな教団を創りたいと画策するわけです。その時、どうしても霊が見えやすい霊媒体質者がその霊集団の手先に狙われます。
                  そうした【劇場型俺々詐欺】グループの親玉には聖書で記載される「霊界の年老いた蛇」。配下霊を多数持つ古狐、古狸、大猫霊が見られるわけですが、その霊に使われてしまった霊能者にはその霊の本当の姿は見えないものなのです。また、霊能者だからと言っても簡単にその正体を見破れるものでもないのです。

                  私が伏見稲荷山で先輩の古参講員さんの瀧行を指導していると、その講員さんが何時までも瀧の中から出て来ません。何があったかと聞くと、その講員さんは瀧の中で「蛇の目」の大きな金色の目を見ていたと言われます。
                  その件を最初の師匠に聞くと、伏見稲荷山の某瀧場の某龍神が、自分は世に出たいのでその講員さんを自分の御代にしたいと所望されていると言います。その龍神の目です。そこで、私はそれはダメだと言ったのです。理由は、その古参講員さんは霊媒体質であっても神霊の御代が出来るだけの素質・器量を保有されていない。そんな方を神の御代にすれば、後で相談者に迷惑がかかりますと言ったのです。その話は結局消えました。

                  何故に人には霊が見える方と、見えない方があるかです。一般的には霊主体従と体主霊従の違いですが、

                  実存数×「0(レイ)」=0(レイ) 
                  人(実存)×霊(レイ)=霊(レイ)が見える


                  人に霊が見えるのは、霊に懸かられることにより見えます。人は誰でも霊を見ることは可能なのです。特に霊媒体質の方ほど霊はよく見えますが、霊媒体質者は修行に修業を積まないと危ないのです。霊媒体質者でない方が霊を見たいと言えば、その肉体を霊媒体質に変える為に断食とか瀧行などの荒行を積みなさいとなります。命を捨てる覚悟があれば不可能ではないのです。
                  ​私はこうした記事を書いていますと、私には霊が見えているのだろうと思って、霊的相談のメールが来ます。しかし、私が命じられたのは【この日本の国に溢れているものから、神の仕組を人々に告げなさい】であって、一般的な霊能者とか霊能宗教家にさせるではありません。私に霊が見える必要がある時は、家系の先祖霊が私に懸かって霊を見させるなのです。ですから、守護霊が自分に懸かっていない時には霊はまったく見えません。
                  私自身は霊媒質者であっても、自分の肉体に懸かった霊を浄霊して行くで、霊を見る為の霊媒質ではありません。その霊の浄化能力を買われて、不浄霊が吹き溜まるとされるとんでもなく汚れた土地に住んでいるなのです。

                  霊が見えるのは、自分が特別に選ばれた者ではないのです。どちらかと言えば体質なのです。ですから、霊が見えることに変なプライドを出すと、必ず邪神にやられてしまうのです。懸かられている霊の正体が見えないのは自分だけとなるのです。いくら霊能力を持っていても、その背後神は必ずしも正神ではないのです。

                  例えば、世の中に当教団の御祭神は天照大御神となっていますと言われる宗教団体はかなりあるはずです。だが、その天照大御神は伊勢神宮の御祭神とは何の関係も無い別の存在の神があります。そう名乗っている神霊なのです。だからと言って、伊勢神宮の天照大御神がそれを詐欺だととっちめるなどはないのです。好きなようにさせているなのです。闘えばどちらかが傷つきます。

                  ある自称創造神と名乗る教祖霊能者は、天照大御神の眷属は「狸」だとおっしゃっていました。その自称創造神と名乗る霊能者の背後に居た神霊は大狸霊の天照大御神でした。
                  その自称創造神と名乗る方の信徒達全員、そうした大狸霊を拝しておられるなのです。 その狸霊の部下霊達が分担していろんな神や如来や菩薩や明王に化けて霊感者の前に現れるです。龍神から白狐まで揃っていました。ですからある程度の数がいないとその役割分担が出来ません。そうした【劇場型俺々詐欺】グループの霊も含めて、まさに群雄割拠なのです。

                  そこにあるのは、【勝てば官軍、負ければ賊軍】の習いです
                  力で勝てば「正神」と名乗り。負ければ「邪神」にされる


                  巷では、自分はお釈迦様の生まれ変わりだと称する方達が何人も現れます。自分がイエスの再来だと言われる方も何人も現れるです。オーム真理教の仮谷さん拉致事件が発覚した背景に、本家本物の釈迦争いがありました。同じ自分の前世は釈迦名乗りで敵対する教団信徒の動向を見張っていた対立派信徒の、まさにケガの功名からこの事件は判明しました。
                  だが、ほとんどの方はその教団を信じたい者はそう信じていればよいで、我れ関せずの立場だと思われます。そうした背景から、今の神霊世界がまったく統制が取れていないことを読み切っておられないなのです。

                  ですから、【国常立尊】の復帰があるとすれば、その前に【神界統一】が絶対条件としてのしかかって来るとなります。

                  国常立尊の復帰には、神界統一が必須条件

                  出口王仁三郎聖師と言う怪物に指揮された当時の大本教は飛ぶ鳥の勢いで拡大を続け、このままでは天皇家も危ういとなって、時の国家権力が大本教は邪神のキャンペーンを張って、治安警察をもって出口王仁三郎聖師や大本教信徒を囚獄に、神殿群をダイナマイトで吹き飛ばすなどの大弾圧を行いました(大本教事件)。
                  大本教は悪名高き治安維持法で裁かれましたが、裁判で無罪を勝ち取りますが壊滅状態となったのです。

                  金井南龍氏は、このことを神様革命(クーデタ)の失敗と述べられたのです。国常立尊様は元の創造神でありながら、国家皇室神道に敗退して元の創造神の地位には復帰できなかったからです。

                  すると、国常立尊など元の創造神と名乗っているだけで、さほどの神力が無い神であったのかとなります。

                  しかし、金井南龍師は大本教は【予告編】で、【本番】はこれからだと述べておられます。だが、もう出口王仁三郎聖師はこの世には存在しておられません。巷には自分が出口王仁三郎聖師の生まれ変わりだとか、全てを任された者だと発信されている方はありますが、根本的に何も理解されていない節があります。
                  確かに、大本教から出されたのは神界革命であり、神界クーデタの予告編とは言えるでしょう。敗軍と言えども元の創造神である国常立尊様が、伊勢神宮に鎮座されている御神霊に負けてしまう(国家神道による弾圧)など神界レベルで考えればあり得ないことなのです。これから先が「本番」だと考えても何の不思議でもないのです。



                  第××項 旧約聖書の神と大本教のウシトラ金神の類似

                  大本教からウシトラ金神国常立尊が世に出された時、当時の宗教学に関わる知識人や学者達はあることに気づきました。大本教で説くウシトラ金神と旧約聖書の神の性格が似通っていたからです。だが、大本教は同一神だとは説明しませんでした。
                  しかし、出口王仁三郎聖師は大本教からは男子と女子の予言者が出た。それは旧約聖書の予告の中の男子と女子の二人の予言者のことだとは言われたのです。出口なお開祖と出口王仁三郎聖師のことです。で、旧約聖書の予言は成就するです。

                  そして現在、大本教の演技の「イロハ48音」は、四八音(ヨハネ)の役割であったと語られるようになって来たのです。

                  ならば、ヨハネ(四八音)の後に【九制主】を語らなければなくなります。そこに大本教神諭予告【九つ花】があります。【九制主】です。「米」が語る「飯屋」の仕組です。そしてその中心は【救世主】の意味です。言霊の仕組には言霊で解かなければならないからです。
                  イロハの終わりは、ピンからキリで【ス】となります。キリとして【ス】を止めた。大本教出口王仁三郎聖師の【ス神】論は起こるべきをして起きたのです。しかし、イロハの四八音では【みろく(369)】花が成り立たないのです。五六億七千万をどこから導き出すのかが解らなくなるのです。
                  私は出口王仁三郎聖師の姿をした霊から【アラー】の神と示された時、【アイウエオ】で紐解くとは思いませんでした。ア門ラー。「ア」の言霊から「ラ」の言霊に行く「41」の道。すなちわ、【美濃尾張(みのおわり)】から高山への道。

                   
                  私は日本神道の世界に首を突っ込んで、日本神道とは【旧約聖書】の世界かと思ったほどでした。私が子供の頃に臨んだ声は「旧約聖書の神」と名乗っておられました。そして調べて貰ったところ、私の本守護神は【ウシトラ金神国常立尊】様だと指摘されてきたわけです。
                  私はその旧約聖書の神と名乗る声から、【世の大立替は新しい地球に移行】であると聞かされたのですが、それは聖書の【ヨハネの黙示録】には記載されています。大本教の演技だけを見るのではなくて、聖書も見ておかないといけないのです。非常に大がかりな舞台構成になっているからです。
                   

                  漢字の【弥勒】とは、【いよいよ始まる改革の力】となりますので、明らかに「神様革命」を指します。そして【弥勒菩薩は兜率天】とされますが、兜率天とは【兜で率いる】天軍ともなるのです。平和的解決ではなくて武力ももって、反国常立尊派の神々を一掃するとなります。その意味では神界【クーデタ】の予告となります。
                   
                  しかしなが、【国常立尊】様とは自分が元の創造神の地位に戻る為に、そうした戦をされる様な神ではないのです。国常立尊様の追放劇の時、国常立尊様に従う天使達に出された命令は【敵を殺めるな】でした。話せば解るだったのです。
                  だが、反国常立尊派の天使達はそれをよいことに、戦うことを避けた国常立尊派の天使達を剣をもってことごとく抹殺したのです。それによって国常立尊様は自分の手足として働く天使達を失ってしまわれたのです。やむなく御引退となるのです。
                  この事柄を大本教は、反国常立尊派は「国常立尊」には自分の手足と成る部下の天使達がいない【ダルマ】の状態だと揶揄したとするのです。
                  だが、【ダルマ】とは真理のことでもあり、そのダルマの手足となる者が出て来れば、その「真理」は明らかになって来るのです。それを大本教神諭は「誠の者」のお世話でないと解けないと告げたのです。
                   
                  誠の者とは、ダルマ(真理)の手足と成る者
                   
                  国常立尊様は自分の命令によって、自分に忠実な部下達をむざむざ敵に殺されてしまわれたのです。その時の国常立尊様には【自衛権】の考えが存在しなかったのです。自分を殺そうと来る者に対しては【自衛権】を行使するです。反対派も言葉を尽くせば理解すると考えておられたのです。
                   
                  話せば解る。汝の敵を愛せよ!。実に美しい言葉です
                  スピリチュアル等はそうした言葉に酔いしれるでしょう。だが、その結果は【問答無用】だったのです。

                   
                  私個人の推察ですが、敵を殺すことを望まない【国常立尊】様には、敵を抹殺してまでその地位に戻る考えは存在しないでしょう。そこに、国常立尊派も反国常立尊派も共に生きる世界。別世界の創造です。
                  その存在が解らないように国常立尊様が隠しておられた新しい地球。二つの地球で、一つの地球は今の地球で反国常立尊派の神達が治める。新しい地球には国常立尊様を【唯一神】とする者達が出て行く神の大望なのです。
                   
                  この「新地球」「もう一つの地球」に関しては、一部の霊能者の方達もその存在を告げておられますが、どなたも【詳細】はご存知ありません。それは、その新地球が三次元界ではなく高次元界に存在しており、今日まで誰も存在していない星である為に詳細が解らないなのです。
                   
                  すると、その新地球に移行する者達は立替で未開の土地を開墾しなければならないのかとなりますと、早くから新地球に移行することが解っている魂は、国常立尊様が該当の魂は分割して新地球に行かせて、既に開墾開発に従事しているのです。但し、この世に残っている魂と既に新地球に移行している魂との情報は完全に遮断されている為に、この世に居る魂にはそれが解らない。つまり、自分の魂の半分は既に新地球に行っていても、この世に残っている肉体の自分にはそれが解らないなのです。

                   
                  一部の霊能者の方達の話にはなりますが、もう正神界の神々は一部の大きな神社を残して本来の神霊は居られない。既に天に帰ってしまわれている。これまでの神社から出て来る神霊は元の神霊ではなくて、その神社の祭神に化けた邪神達との話があります。
                  ある時、私はあるビジョンを見ていました。それは私の【正守護神】が白馬に跨がり、数百匹の大型の白狐達が先兵となり、ある中型の神社を急襲して、先兵となっている大型の白狐達はその神社を守っているところの中小型の白狐達の喉笛に噛みついてそれらを倒し、その正守護神達の部下霊達がその神社に居る神霊や巫女霊を捕縛して、閉じ込められていたその神社の本来の御祭神達を救い出す光景でした。
                  それは邪神達に神社ぐるみ乗っ取られた本来の御祭神を救出して、天に帰っていただく作業の一端であったのかも知れません。私はその光景を見ていて、本来の御祭神が閉じ込められている神社は少なからずあると見受けました。
                   
                  そこに来るのが、これまでの【外在神】ではなくて、自分自身の魂である【内在神】に切り替わりです。もしも、最後の審判と呼ばれるものが起きるとすれば、裁きの対象は【自分自身の魂】に対してであり、外在神が審判そのものに関わる出来事ではないからです。

                   
                  私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声は次のようなことを告げられました。【この私だけを唯一の神と認める者達と、そうでない者達との永遠の別れが待っている】。その時には、二つの地球に言及がありませんでした。だが、別の時にこの旧約聖書の神を唯一の神と認める者は新しい地球に移るを告げられのです。
                   
                  これを【蜂(8)】の巣別れと言います
                   
                  今は日本神話でも解るように【七】代目の神代です。この七代目の神代時代が終わると、【永遠(∞)の別れである「八」の神代時代が来ます】。大本教神諭に、【時節には神も敵わんぞ】とありますが、7の世から8(∞)の世に代わる時節が巣別れの時節なのです。

                  そこに起きるのは、国常立尊派と反国常立尊派の永遠の別れと言えます。

                  国常立尊派は神様革命に失敗したので、元の創造神であってもこの地球から新天地に移られるなのです。
                  今の地球に残るのは、反国常立尊派の神達と言えます。

                  そうしたことは反国常立尊派の神々はよく理解されており、その時にはもう今の太陽は輝いていないということから、地球内部に地底王国を建設して、人造太陽を造る大計画を推し進めているなのです。
                  私はそうした話を霊達から聞いたのではないのです。霊達は「嘘」を平気で出します。私がそれらの話を聞いたのは霊能者である人間からです。そちらも途方も無い大計画大作戦とは言えます。

                  大本教の出口王仁三郎聖師を通じての【国常立尊】様の神様革命は失敗だったとは言えます。だが、その本番は大本教ではなくて、聖書の【ヨハネの黙示録】を重視しておかなければならないのです。大本教の霊界物語には、最終場面の記述がほとんどなされていないからです。

                  続く
                   

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                  第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その8

                  0
                    第××項 魂を磨くは、創造神と他の神霊達とではとらえ方が違う

                    優れた霊能者は【この世は魂の修業場】と言います

                    これは、私達の魂は本来は別の世界に存在していて、この世には「魂の修行」の為に来ている説です。で、この世での命を終えたら霊界に帰るです。
                    厳しい方だと、【この世は魂の刑務所・流刑地】とまで言われます。確かに、人が輪廻転生でこの世に来るのは、自分の魂に欠点があり「更生」の余地があるからです。更生の為に「甦り(黄泉帰り)」をします。
                     
                    黄泉(よみ)の国(地下)に墜ちた魂は
                    魂の更生の為に、後世の世に甦(更生)り
                     
                    スピリチュアル等では、自分は何万回も生まれ代わったと誇らしげに言う方が見受けられますが、ならば貴方は「失格者」と言えるのです。お釈迦様は自分は二度とこの世には生まれ出ないと言われ、その後継者として弥勒菩薩を言われたとされておりますが、弥勒菩薩と呼ばれる存在が仏教に取り入れられたのはお釈迦様の死後のことであることは現在の学問では解っています。
                    私は大本教神諭予告【九つ花】を紐解いて、それが【みろくと五六億七千万】を秘めていることに気がついて、歴史的あり得ないことがまるで本当にあったかのように作為されたのは【祇園精舎の御守護神】の【牛頭天王】によるものだと解って来ました。

                    祇園精舎の御守護神は牛頭天王 大本教は節分の炒り豆の【牛虎】金神

                    ​お釈迦様やイエスなどは通常の神々よりも高い霊界の存在で、人類に教えをする為に出られた存在で「黄泉帰り」の存在とはしませんが、一般的に霊能者として霊力が非常に強い方にはこの「黄泉帰り」の方が多いと言えます。
                    お釈迦様やイエスが、自分は神霊が見えるとか会話出来ると誇ったでしょうか?。霊的なことではなく、【人としての在り方】を説いて来られたのです
                     
                    宗教とは、人の胸(宗)に存在するものを教える
                     
                    大本教の出口王仁三郎聖師は【この世は天人の苗床】と述べておられます。日本神道では人民のことを【青人草】と言います。人類は創造神から見れば如何なる青人草で何の苗?。
                     
                    日本では人は【米】の苗
                    西洋では人は【麦】の苗
                     
                    この世で【魂の更生が出来れば】天人界にと入ります。どの説も間違いではないのです。どの説も当たってはいるのです。


                    私が子供の頃に私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【そなたの前世は悲劇の武将であった。そなたはあまりにも人が良くて人を疑わず、他人の「魂胆」を見抜くことが出来ずに、そうした者達にいいように利用されて最終的には悲劇の主となった。そなたの今世における修業は他人の「魂胆」を見抜く為の修業である】と告げられました。
                    それある意味悲しいことです。人を疑わず暮らせるならばそれが一番です。しかし、それは天人界でも行けば誰も疑わなくてもすみますが、この世は天人世界ではなく「魂の修学」の場であり、天人世界に届かない魂が輪廻転生で修行を続け、また地獄界から赦されて出て来ていても、その魂の元来の性質が何度生まれ代わっても更生されずに、他人を妬み恨み、おかしなプライドばかりを持ち、一向に自分自身を見直そうとしない人(魂)達かがいます。

                    ​私は【捻れた魂】の存在を見ましたが、捻れた魂とは【魂の汚れではなく、おかしなおかしなプライド、自信過剰】等がその魂を捻らせます。前世からの因果では無く、今生の【今の心】が魂を捻らせるのです。それを知るにはその人の【魂胆】を見るとなります。


                    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【人は死んでは生まれ出て来る。生まれて死んで、生まれて死んでの繰り返しである。人が自分の前世を覚えていないのは、前世の失敗を引きずらない為であり、この神の恩寵(神の慈愛)である。過去の自分が神霊として祀られていることを知らずに、その神霊を崇めて祀ることもある】と言われます。
                    そして、人がこの世に出て来るのは、魂の世界からすると【修学旅行】に来ているようなものである。その修学先で「何を学んで」で霊界に帰って来るか?。この世に出て、何も学ばずに霊界に帰って来るであれば、何の為に「この世」に出たのかとなると言われます。

                    が、人の前世はまったく出て来ないのかとなりますと見える場合も存在しました。但し、霊能者で人の前世が全て言い当てられるかとなった時、それはかなり「嘘」があると言わざるえません。一つに、人には他の霊の憑依があります。この霊の憑依を見抜けずに、その憑依霊をその人の前世にしてしまわれる霊能者の方も多々見られます。また、他の霊の意識の流入も前世と間違われる一つです。どれほど評判の霊能者でも、全て当たっているとは言えないのです。

                    ​私は自分の前世が長く解りませんでしたが、その前世を知ることが出来ました。だが、霊能者でそれを言い当てられた方は未だ存在はしていません。私にそれが解ったのは自分の【正守護神】が出て来たからです。
                    ​私は霊能者をしていませんので、人の前世に関しては解りませんが、必要があると思われた時だけ、私の守護神からその方の前世を見せて貰えるがありました。ただ、むやみに見せるのではなくて、その前世に犯した罪により起きている重大な【カルマ】があった場合だけです。
                    人は自己の【前世】を調べる必要はありません。何故ならば今の貴方は【過去の前世】を全て引き継いでいるからです。その前世で犯した罪は全て【カルマ】で存在し、今の世でその【カルマ】を消しているからです。
                    大切なことは、今の世で将来に残す【悪しきカルマ】の種を残す行為はしてはいけないのです。

                     
                    この世は【魂の修学の場】で、死後は霊界に帰る
                    魂の本籍は霊界なれども、この世は魂の旅の宿泊所
                     
                    仮に貴方の魂の本籍が第3天国界で、目指すのが第2天国界であれば、この世に出てその修学の結果で上の界にと進めるなのです。それはこの世が魂の修学の場であり、その【修学の結果】だからです。だが、その旅先で何かを起こしてしまいますと、地獄界にも落とされるのです。修学の落第です。
                    されど、地獄に墜ちた魂も永遠に地獄界ではなく、この世に出して「魂の更生」をすることによって、天国界の門も開くなのです。為に「地獄界」もあり、地獄界など無いと言うのは見聞不足と言えます。だが、これまでは【永遠の地獄界】は存在しなかったのです。
                    最後の審判以後に、【永遠の地獄界】が起きて来るのです。現状の地獄界は「輪廻転生」のチャンスがあるなのです。
                     
                    正神界は、魂を磨く為に【この世での修学】を語り
                    邪神界は、魂を磨く為の【この世での修学】をさせないようにする
                     
                    日本神道には審神(サニワ)と呼ばれるものがあります。この審神(サニワ)をする為には、あらゆる知識が必要です。そうでないと、邪神が邪神であることを見破れません。その為に、邪神はその神が見せる世界、語る世界だけが絶対的世界だと思わせる必要があり、他から別の知識を得ることを非常に嫌うのです。自分達が見せる物以外は、【見ざる、言わざる、聞かざる】をさせるのです。
                    自分の魂を磨くとは、古来から先人訓として言われて来たことです。スピリチュアルを標榜する女性の中には「魂磨きは辛いから止めましょう」の言葉が出て来ます。この手の女性は元々魔女系で魔界からこの世に赦されて出て来たような魂が多いので、どうしても魂を磨くことよりも魔女的な奇跡力に目が行きます。
                    そうした魂の持ち主が帰って行く霊界とは魔界なので、自分の魂を磨いて【高天原(天人界)】を目指されているわけではないと言えるでしょう。
                     
                    一方、霊的修業に修業を重ねて行くのが【神仙界】とされています。まさに、神の様な仙人達の世界です。一般に天人達が住む【高天原】よりも、神仙界は高い世界とされます。
                    しかし、豊受姫の御代をされていた私の最初の師匠は、【神仙界】には行かないようにと注意を受けました。一度神仙界に入ると、モウ二度と高天原には戻れなくなるからと告げられました。
                    霊界に帰ってからも、まだ修行に修行を続けている神仙界では、仲間達との楽しく語らい暮らす世界ではないからです。何事も自分が一番と競う世界ですから、為に終わりがない修業に日々明け暮れるなのです。そんな世界が理想郷かなのです。
                     
                    神仙界は高天原よりも上でも、修行に修行の孤独の世界

                    私が説いているのは「天人界」に進む為の道です。

                    聖書で【神の御国】とされる世界は別名【分かちの国】と言います。住民同士で何物もかも分かち合う精神世界で、【実に穏やかで平安の心の世界】と言えます。その世界の【宝】とは、住民の一人一人の心であり、各自が【良心】を【心の宝】として備えているのです。博愛の精神はその良心の中に含まれます。別物ではありません。
                    一方、金銀財宝で輝いている宮殿があるような世界も存在します。しかし、その入り口には大きな蛇が陣取り、俺達の宝玉を持って行くなと威嚇して来ます。金銀財宝に目が眩むよう人は、その世界を目指せばいいのです。金銀財宝に囲まれていても孤独な世界がいいのであれば、そうした世界もあるということです。
                     
                    国常立尊様は元は創造神でありながら、反国常立尊派から「邪神」の汚名を着せられて表舞台から退かざる得なかった神とされます。そして【鬼門の金神】と呼ばれて来たです。
                    しかし、この仕組は道理で考えればかなりおかしいのです。今の世に出ておられる神々は若い神霊達で、超太古の国常立尊との接点があるのかとなります。今の世は【神代七代】とされる世です。だが、国常立尊の名が出て来るのは【神代初代】です。
                     
                    鬼門の金神は、創造神の作為か?
                     
                    私達の半永遠の命である【魂】は【鬼が云う】となっています。一部の人達は魂は永遠だと叫ばれますが、現実には魂も腐ったり捻れたりしている魂が存在し来ます。腐った魂は仏教系では【ダニキ天】に食されるとなっています。元に戻すことが出来ないほどの捻れた魂は、霊能者の間では破砕されるとします。
                    私の最初の師匠は豊受姫の御代さんでしたが、私に【鬼門の艮金神】など存在していない。見たこともない。人が勝手に作り上げたものと言います。つまり、豊受姫はそう言っておられるとなります。その師匠自身は子供の頃、大本教の少年少女体に所属しており、出口王仁三郎聖師を見たことがある方でした。
                     
                    私はそれを聞いた時、鬼門の金神とは「陰陽道」が作り上げたものなのですが、大本教では鬼門の【艮(ウシトラ)金神・国常立尊】と大宣伝して来ました。これは【国常立尊】その方が創り上げた神の舞台の仕組だと断定が出来ました。その答えは、腐った人の魂を食べるとされるダキニ天の存在にあるのです。

                    ​私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から次のようなことを告げられました。【この神が見せる神の芝居の筋書きは、この私以外の神達は知らない。また、神の舞台に上がらせるそなた達役者もその筋書きを知らない。そなたはそうした舞台の筋書きを知らずに最終幕まで演じなければならない。舞台の幕が降りた時、この私の神の舞台の筋書きは神々にも人民にも解る。その時、神々も人民もこの私が演出した舞台に大拍手となるであろう】と言われます。
                     
                    その舞台は、ダキニ天が本当は誰なのかが解らないと、この答えは出せません。そしてそのヒントは大本教霊界物語の大江山の【鬼獄】稲荷にあるのですが、おそらくそのことは私以外の方には紐解けない仕組だったと言えます。
                    大本教霊界物語に、【国常立尊様の世の大立替に、白狐は下郎(稲荷)の役で奉仕する】があります。私は最初、これは伏見稲荷山の白狐達のことかと思っておりましたが、豊受姫は伏見稲荷山の稲荷神の半分は反国常立尊派だと言われます。するとそれは伏見稲荷山の白狐達ではないなのです。大本教霊界物語を読まないと、解らないようになっているのです。
                     
                    これは国常立尊の壮大な構想の下に練り上げられた仕組と言えます。
                     
                    世に出ておられる神々の魂を磨くは、魂の表面に付着する【チリやホコリの類いを祓う】ことだと思っておられる節があります。で、この神の元に参拝して来れば、そのチリやホコリを祓って進ぜようです。日本神道で使用する【大麻(祓串)】がそれです。皆さんが神社で受ける祓いの儀式です。
                     
                    魂の表面に付着するチリやホコリを祓えば、磨かれた魂???

                    実に異な言葉です。面白いのですが、私は神社の神主ではなくて霊界の神主から祓串の修祓をいろいろと受けて来ました。特に霊界の伊勢神宮においては、私の魂が宇治橋に飛んで橋の上で正座をして、霊界の伊勢神宮の神主姿の霊から同じ時間に一週間に渡り祓串による修祓を受けました。その後に万体にも及ぶであろう絢爛豪華な大神霊行列を見せて貰いました。実にきらびやかなものでしたが、私に伊勢神宮の威力を見せる為だったのでしょう。
                    ​単に自分の前に伊勢神宮の天照大御神が出て来られたではないのです。大神霊行列を伴っていたのです。
                     
                    私の2番目の師匠の御祭神は「国常立尊」と称しておられました。私は最初は別に疑ってはいなかったのですが、いくら表舞台から退かれたとされる国常立尊様であっても、その部下霊があまりにも少ないなのです。何万体とか何十万体とまでは言いませんが、主立った幹部でも何十体何百体と並んで出て来ないのではおかしいと疑いを持ちました。
                    私が鍾馗神の御案内で盤古大神に拝謁した時、数千霊に及ぶ将軍霊達。そして宮殿の外には何万という兵士霊が見えたからです。それに引き替え、自称創造神と名乗る方達の背後は数十体とか数百体程度です。それでは本物ではないとなります。
                     
                    魂の表面にチリやホコリの汚れがこびりつくと、その表面には【毛物】が出て来ます。そうなると、魂の【獣】化が起きる可能性が強くなります。それをさせなければ魂の表面は汚れません。しかし、それをもって美しい玉・磨かれた玉ではないのです。
                     
                    魂の表面をいくら磨いても、魂の中味が腐っていたり汚れていれば、どうやって磨くのですか?。
                    魂は鉱物ではなくて、中味は生ものなのです。 だから、魂が腐るも起きるのです。
                     
                    魂の表面に汚れがつかないと、【素直】な玉とはなります。
                    しかし、素直は神を疑わないので邪神に簡単に欺されるなのです。特にプライドが高い人ほどやられてしまいます。プライドそのものが「ホコリ」の類いなのです。
                     
                    魂を磨くとは、この世は魂の修学の場であり、修学なのです
                    人はこの世の修学において、本当の【善悪】の意味を学ぶ
                    この世の多くの人と交わって、多くの人の思いを知ることなのです
                     
                    私は魂に点数が出るのを見て来ました。それは私以外にもそうした現象を見てこられた方はありました。
                    単に魂に汚れがないのは【プラマイ0】であって、それ以下でもそれ以上でもないのです。神社に参拝したからと言って、魂の点数は上がりません。例え、神社に参拝していなくても、世の為人の為にと働いて来た人の魂とは磨かれていて逆に高得点が出るのです。天国上界行きはそうした人達に多いのです。
                    それはこの世は魂の修学の場であり、よく【修学】を治めたからです。だから、世の為に人の為に尽くした方は死後に第2天国界等に進む様な人が出て来ます。菩薩クラスの天人となるのです。さすがに第1天国界ともなると、如来界なので知識が必要となるので勉学しないと難しくはなります。
                    生前は、なまじ神様神様とやっていた方は、死後の霊界でそれほど高い世界には行けません。単に神霊に告げられたことだけを素直に信じて何も考えようとはしなかった。自分の思考能力を発揮しなかったからです。
                     
                    この世は天人界からも地獄界からの魂も混じって暮らしますので、魂の学びの場としては最高の場所なのです。善人は悪人達から悪を学び、悪人は善人達から善を学ぶを得るのです。
                     
                    私は常に泥を被ったことがないエンジェル等は使い物にならないと言います。魂の表面が汚れていないだけでは、そうした泥を被ったことがないエンジェルと同じなのです。それでは箱入り息子、箱入り娘で終わってしまうのです。親元(神の園)を離れて、私達が学ばなければいけなかったことは何かなのです。
                    人はこの世の「艱難辛苦」を体験することで、その魂に【色】が出ます。その色によって、魂が放つ光がいろんな模様を写し出します。そうした魂の美しい物を神界は【瑠璃玉】と呼びます。但し、これは石の「ラピスラズリ」のことではありません。
                     
                    本当の神界は人の心が「宝玉」であって、鉱物の石で着飾るではないからです


                    続く

                     

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                    第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その7

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                      第××項 そなたは【天の岩戸開け】の意味を解読しなさい

                      私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声が臨んでいました。その声は、【日本神話は私が創作させたものであり、天の岩戸開けなどの事実はどこにも存在していない。最後の審判の予告の為である。そなたは何故に私がそうした創作をしたのか、天の岩戸開けの意味を解読しなさい】と告げられました。
                      ​私にとって不可解だったのは、私が解読ではなく、その神が教えてくだされば済むことではないかです。それを解読しなさいとは?。

                      私にとって不思議だったのは、何故に日本人で仏教徒の私に旧約聖書の神と名乗る西洋の神の声が臨んだのかです。
                      私は神霊界修行に入った後、私の疑問は子供の頃に私に臨んでいた声は本当に旧約聖書の神なのかです。そこで調べたところ、豊受姫を始めとして7〜8名の霊能者から告げられたのは、貴方の本守護神は【国常立尊】様です。
                      すると、旧約聖書の神と名乗っていたのは日本では「国常立尊」様なのか?。そこから私の疑問の紐解きは始まったと言えます。

                      最初の師匠は豊受姫の御代であり、その実力は当時の日本の霊能者の10本指に入るとされていた一流霊能者でした。この世界は無名の方が多いので、神霊からその名が出される方はテレビに出ておられる霊能者よりも優秀な方が多いとされます。
                      その師匠が、豊受姫様は【日本神話の天の岩戸開けの事実は存在しない】と言われていますと言います。私が旧約聖書の神と名乗る声から告げられたのと同じです。だとすれば、

                      日本神話は旧約聖書の神(国常立尊)と名乗る声の主の作為に基づく創作話となります。

                      誰が考えても、弟君の素戔嗚尊の乱暴で姉君の天照大御神が岩窟の中に隠れられたので太陽が消えて世の中が真っ暗闇になった。そこで、元祖ストリッパーとされる天宇受賣命(天鈿女命)が下半身を露出させて踊ったならば、周りの男神達が笑い声を上げるので、天照大御神が何事かと岩戸を少し開けられたところを天手力男神が力で岩戸開けられたので天照大御神が出て世の中は明るくなった。
                      こんな子供騙しの日本神話を信じている人達の方がおかしいと言えます。どこの世界に太陽が隠れる様な岩穴があるのかです。仮に太陽でなく精霊としての人の姿であっても、その人が岩戸に隠れたから太陽が消えるなどおかしいと言わなければ嘘です。

                      私が大本教神諭予告【九つ花】を紐解く前、私に加佐郡大江町(現在は福知山市大江)の元伊勢の内宮に参拝されたしと出て来ました。で、その日は休日だったので何事かと大江の元伊勢の内宮に車を走らせました。自宅から約40分ほどで行きます。
                      ​大本教の出口王仁三郎聖師も大江の元伊勢宮に参拝せよと命令を受けて、その道中に園部で逗留していたところ、既に出口王仁三郎聖師の魂が参拝して来たので、肉体のそなたは来ずともよいと言われたとする大江町の元伊勢宮です。

                      私が参道の山道を上がろうとすると、平安貴族の様な衣装を着た男性霊が立っています。霊能者をしていない私が霊を見るなどは希なことです。その平安貴族の様な男性霊は、自分は【麻呂子親王】と名乗りました。
                      後で調べたところ、麻呂子親王は用命天皇の第三皇子と言われていて六世紀頃に誕生された方です。聖徳太子の弟で、この元伊勢内宮にはその麻呂子親王が植えたとされる杉があり、この地方では七つものお寺を建立されています。与謝の鬼賊を平らげたとされていて、これが大江山の鬼退治の話につながったのかも知れません。大江町の元伊勢も与謝宮とされていて、宮津の与謝宮と両説が存在して来ます。
                      麻呂子親王霊と二人してとりとめのない話をしながら山道を上がって、本殿の前でその麻呂子親王と称する霊と別れて、本殿を拝したところ、誰も出て来られません。人を呼びつけておいて、誰も応対に出て来ないとは失礼な神達だと思いましたが、もしかするとここでなく「天の岩戸」神社の方で待っているのかとそちらに向かいました。

                      天の岩戸神社に行くと、そこに5〜6名ほどの神霊達が正座されていて、行きなり私に質問をぶつけて来られます。【貴方には、ここの天の岩戸開けの仕組が解りますか】です。

                      この大江の元伊勢の天の岩戸神社は、大本教の出口なお開祖と出口王仁三郎聖師が神社境内の「お釜の水」を汲んで出雲大社まで運んだ神業の場所です。私は周りを見渡して、その場に秘められた霊的な意味を言いました。すると、並んだ神霊達はその通りだと言います。そして、ここの天の岩戸が開いたならば、人々がびっくりするだろうと言います。
                      だが、私は正座して並んでいる神霊達に【貴方達は本当の天の岩戸開けとは何かを知ってない。本当の天の岩戸開けとは、そんな小さな奇跡を人類に見せることでは無い。】と啖呵を切ったのです。
                       
                      で、私はそれを知っているかとなると何も知らないなのです。だが、元伊勢を預かっている神霊達はその程度の神か!。そうした感情が私から飛び出したのです。
                      ただ、私は【天の岩戸開け】とは、日本神話に書かれているようなことではない。それは旧約聖書の神からそうした事実は無いと告げられたからではなく、日本神話の内容は事実と異なっていることは端から分かっている面があったのです。
                       
                      伊勢神宮に行かれた方ならばご存知の方もあるでしょうが、志摩市磯部にも天の岩戸神社があります。有名な宮崎の高千穂にも天の岩戸神社があります。また信濃には【戸隠神社】もあります。私もそれらは参拝しましたが、どこも観光的にはいい場所です。霊的な冷気(霊気)があり、霊感者であればオーブの様な玉が写るもあるでしょう。しかし、太陽神が隠れたとするには無理筋なことぐらいは誰でも解ることです。
                       
                      私が2番目の師匠の元に居た時、その師匠は言霊師だったので出口王仁三郎聖師の言霊顕彰をする会に講師を依頼されていました。ところが、その師匠は私に自分に代わって講師をしろと言うので、私が代わって講師をしました。
                      その時の講師は私と松原照子さんでした。松原照子さんはその当時、雑誌ム−等に予言者としてかなり取り上げられていた方です。後に松原照子さんは東日本大震災を的中させたと話題になった方です。松原照子さんはその当時はかなり有名な方だったのです。
                       
                      私の講演は2番目の師匠の様に言霊を出すのではなくて、黒板に漢字を書いて日本の漢字に【神の意図が秘められている】の解説でした。今に思えば実に「幼稚」な内容だったと言えます。
                      会場から何の声も聞こえて来ない静けさで、私は一瞬どうしょうと冷や汗が噴き出していました。たが、講演が終わると会場は拍手の嵐で、大勢の方から【こんな教えは初めて聞いた】と握手を求められました。誰も漢字から神を導き出すなど聞いたこともないからです。
                       
                      その中で二人の女性が私に向かって、【本当の天照大御神様は存在していないものとばかり思っていました。だが、貴方に本当の天照大御神様を見ました。貴方に抱きついていいでしょうか】と言われます。
                      私が何事ですかと聞くと、自分達は霊能者です。貴方の肉体の胸の中にトンネルの様な洞窟があり、その洞窟の中に本当の天照大御神様が居られるのが二人とも見えましたと言われるのです。そして男の神様ですと言われます。
                      それを聞かされた時、当時の私には何が何だかさっぱり解らないでした。後に私もその霊能者の方が言われた男の天照大御神を見ました。それは伊勢神宮の内宮に鎮座されている神とは完全に別物でした。
                       
                      私は大本教神諭予告【九つ花】を紐解いて【ラ】神を導き出した時、エジプトで太陽神を【ラ】とした意味が解って来ました。太陽神を【ラ】にしておかないと、日本における言葉の神の仕組が成り立たないのです。
                      私達の魂の核は、天帝の直霊たる分魂でお釈迦様の悟りでもある【人に内在する良心・この世の閻魔】神の働きですが、それに霊的姿が存在しないのではないのです。厳霊の男神として、その姿は存在して来るのです。神社等に鎮座している外在神ではなくて、自己の【内在神】なのです。
                       
                      ​大本教神諭【節分の炒り豆にも花が咲く】
                      そこに【鬼が云う」の【魂】論を展開していれば、【天の岩戸」の「太陽神」の意味がもっと早く理解出来たと言えます。

                      大本教神諭が予告した【九つ花】の形態は、私が最初の解読者ではありません。大本教に在籍し、出口なお開祖派で反出口王仁三郎聖師で対立し、大本教を飛び出した後に【神道天行居】の開祖と成った「友清歓真」師に、どこかの神が「九つ花」とはこうした形だと教えられて世に発表はされたのです。
                      しかし、そこに出て来たのは真柱神は【天之御中主】様のことであるで止まったのです。日本古神道の【直霊】という意味で言えばそこまでなのです。
                      それは友清歓真師は【誠】で紐解く方ではなく、それを友清歓真師に教えたどこかの神もその程度の解読力だったと言えます。また、それが真性「天照大御神」のことだとなると、当時の国家皇室神道に刃向かうのかと弾圧されたでしょう。

                       
                      真性【天照大御神】とは、自己の良心神の姿
                      謎は、何故にそれを「岩戸」隠れにしたのか?、です
                       
                      この答えは既に【日月神示】などに出ています。日月神示では岩戸開けを、【一(イ)八(ワ)十(ト)】開けとして発表しています。それだけではないのです。出口王仁三郎聖師は霊界物語の中で、【正神界一八十段、邪神界一八十段】と述べておられます。そして一八十の半円と一八十の半円となりますので天地を変えると「ぐれ ん返し」とも言われるわけです。
                       
                      天の岩戸開けによって、各自の魂の核神(天帝の分魂)は正神界一八十か邪神界一八十のどこかの階級に定まるのです。それが最終輪廻転生の判定の最後となるので【最後の審判】
                      ですから、その日までは「一八十(イワト)」隠しとなります

                       
                      私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【日本神話の天の岩戸開けの事実などはどこにもない。私が作為させたものだ】と言われた意味は、この【一八十(イワト)】の仕組に意味があるのです。
                       
                      大本教神諭に天の岩戸が開いたならば、自分の内からの光で苦しまなければならない気の毒な御方も出る式の内容があったかと思います。それは自己の魂の中に本当の真性【天照大御神】が存在して来るからなのです。そこに自分の魂の裁きは自分の良心点が関わるのです。人の良心神は世を普く(あまねく)照らします。
                       
                      天照とは「あまねく照らす」
                      各自の良心神たる光も「世をあまねく照らす」
                       
                      日本で説かれた【天の岩戸開け】
                      国常立尊(旧約聖書の神)の大仕掛け
                       
                      ​自己の魂の核に太陽神・天照大御神が存在して来るので
                      最後の審判は【火の審判】と呼ばれる
                       
                      自分は自分の魂の中からの裁きの光に耐えられないとするならば、自分を守る為には防御の【戸】が必要です。
                      で、天の岩戸開けの神話が創作されたなのです。
                       
                      邪神(反国常立尊派の神達)からすれば、まさかまさかの【天の岩戸】の仕掛けなのです。
                       
                      ならず者(破落戸)になっていると、魂に防ぐ【戸】がない
                       
                      私はならず者と書いて、どうして「破落戸」なのか意味が解りませんでしたが、意味はそこにあったなのです。
                       
                      世に出ていて、各地の霊場に鎮まる神霊の段階では、
                      この仕組をされた神の大きさが解らない

                       
                      続く

                       

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