霊体でも足がある【生霊(いきりょう)】と、人の上半身しか見えない【思念】

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    よく幽霊には、足があるとか足が無いの論議があります。霊として見える存在で足がある霊と、顔中心で足が見えない霊も存在します。霊界見聞の野次馬を自称する私にも、非常に興味があった点です。

     

    霊魂の話をする時、【魂魄(こんぱく)】という言葉が存在します。だが、この魂魄を調べても意味がもう一つ解りません。一般的には【魂】は肉体のエネルギーを司る気で、その形態が【魄】という考え方です。それならば、「魂魄」ではなくて「霊魂」と同じことです。魂は永遠性を持ったエネルギー体であり、霊はその形態と言えるから「霊魂」で言い分けです。

     

    魂魄では「魂」は天に帰り、「魄(はく)」は地を這うなどとされています。私はこのブログ上で、【魂】たる存在の写真と、スピリチュアルで持てはやされる【オーブ玉】の映像も上げて来ました。

    スピリチュアルなどの写真でよく見られる「オーブ玉」は霊能者の間では【思念】であり、【魂】そのものではなくて、人の思いとか念の類いで【思念】と呼んでいるのです。

    私は魂は玉形の「思惟」で【玉思惟】と名付けて来ました。ブログ世界が出来る前からHp等に写真と共に言って来ました。「思惟」も「思念」も思い(想い)のことです。

     

    創造神は「想像」から発したので、想い(思い)が無ければ宇宙も消える

     

    ここが解っていなければ、聖書の【初めに言葉は神と共にあった】の理解は不可能となります。そこに魂(牛虎)があり、人の思い(想い)も肉体を終えても生き続けるとなるのです。ただし、「思念」はエネルギーが尽きると消滅して行きます。

     

    思念そのものは、自分の思いが強くて【私怨であり死ねん】です

     

    その思い(想い)が強ければ強いほどエネルギーが強くて、まさに【死ねん】で、何百年とこの世の霊界をさ迷い留まっています。で、その思いを叶えてあげると満足して消えて行きます。 それは「想い」だからです。

    霊媒体質者に懸かって来る霊の大半は、この【死ねん(思念)】であり、「私怨」から生じているものと言えます。こうした「死ねん(私怨)」を消すことは、殺人の様な魂殺しとは違います。霊界掃除の一種と言えます。

    神道などの祓い清めるは、人の周囲であれ地域であれそうした「思念(想い)」がこの世に充満していると災いの元となりますので、常に祓い清めが必要なのです。そこには霊の浄化がなければなりません。私が人の肉体は霊魂の【浄化器官】だと言っているのもそこに意味があるわけです。

     

    霊媒体質者は「霊界の掃除屋」である意味は、そこに出ます

     

    先のブログで私の2番目の師匠が生きた人間の魂を巫女たる【霊媒】に入肉させて、それを叩くことで事柄の解決を一気にした事実に関して述べました。だが、この師匠は別に成功報酬は受け取っていませんでした。

    そこに来る相談者の中には、あの先生はバナナ一本。リンゴ一個で相談に乗ってくれるで、その生活はまさに貧苦の中にあり。行者にも生活があることを理解していない人達に驚きを禁じ得ませんでした。神はタダで困っている者を助けるものだと言う方がかなりおられますが、神霊との仲介に入っている肉体には食べる必要があり生活があるのです。また神社にしても維持費がかかります。

     

    2番目の師匠がしていた事柄は霊的世界では【呪詛】の一種と見なされますが、通常の「呪詛」は神仏を祀って、その神仏に供え物をして蝋燭に火を灯して祈るなどの「儀式」を伴って行われます。時にはその祈祷は延々としなければなりません。為に日数もかかり、行者も食べて行かなければなりませんので多額の費用が発生します。

    本当の行者は時間をかけてそうした行為をしているので、その料金がべらぼうに高いとは言い切れません。しかし、それを相場として高額料金を吹っかけるエセ行者やニセ霊能者が出て来るともなります。

    最近、某インチキ大教団の教祖が亡くなったらその教団幹部が新しい宗教を起こし、その教祖同様に自分の過去世は○○○であったと称して、入団に何百万円もの請求を行っています。新しい詐欺宗教教団の誕生です。

    こうしたことも霊的世界がきちんと理解されていないことから、後を絶たないとなります。

     

    大本教の出口王仁三郎聖師が、天国に案内とすると言いながら地獄に案内する神の取次者と残しておられますが、どこかの教団に入信したから天国などのキップは存在しないのです。肉体の誰かを神だと信じたから天国キップではないのです。逆に地獄界に案内されるだけです。

    私は人に「内在する良心神(天帝の分魂)」の存在を説いていますが、一部のサイキッカーや霊能者の方も天国への段階判定は「各自の良心」の点数だとは言っておられます。

     

     

    私の2番目の師匠は瞬時に巫女たる【霊媒】者に生霊たる魂を降ろすでした。この瞬時にして霊媒者に霊が降りるは、私の最初の師匠は豊受姫のお代でしたが、神霊たる存在は瞬時に降りていて、私はその師匠に神霊が降りたことが瞬時に解りましたが、多くの伏見稲荷講の講員たる信徒さん達は何も気づいておられませんでした。

    私はどこで気づくかと言いますと、本当の霊媒者に霊が降りると、その顔立ちが入神した霊の顔立ちになるからです。また人相も雰囲気も一変します。例えば観世音菩薩が霊媒者に入神するとその顔立からも解ります。とても気品があり美しいのです。逆に鬼が降りると恐ろしい鬼の形相になります。

    過去にテレビに出られた霊能者で、それが一番解ったのは【前田和慧】師でした。テレビで知られる木村藤子師とか下ヨシ子師などとは違うのです。テレビを見ていて、入身した霊の顔があれほどはっきり出るのは一級の霊媒者でもあった証拠と言えます。

     

    私の最初の師匠の元には非常に優秀な巫女たる霊媒が勤まる方が複数名いて、そうした方達はその師匠に神霊が降りたことは瞬時に解っておられました。祝詞や御経を上げ磐笛を吹かないと霊や神霊が降りて来ないではないのです。

    この手の話は私の別HP【あなたの知らない伏見稲荷山】の白狐の霊界物語として「稲荷太鼓」の項目に書いておりますので、読んでいただければ霊界の実相の一端は解るかと思います。そこにはテレビでは放映されていない驚くことが見られるのです。

    http://inariyama.com/byaltuko/page003.html

     

    私の最初の師匠は伏見稲荷大社講支部の関係で神社の社務所にも祭壇を設けて、そこで相談者の前では相談内容の答えを神霊から聞く振りをする祈祷をしていましたが、それは相談に来る人達が神霊は【祈祷】しないと降り来ないという「概念」に支配されているから、やむなくしているなのです。

    昔の映画には祈祷師が祈ってトランス状態になると神霊が降りるなどがありまして、そうした物からそうしないと神霊が降りて来ないなどの誤った知識を人々が持ってしまったからです。各言う私も最初はそう思っていました。実務的には神霊を降ろすには祈祷などは別に必要ないのです。霊界の霊の移動は瞬時に起きるからです。祈祷は願いとして祈る行為で別の話です。

    よく言われる霊の【憑依】も、その霊が居る場に訪れると瞬時に起こったりするのですが、それと同様に神霊降ろしも瞬時の世界と言えました。

     

    私は伏見稲荷山で、最初の師匠と同行していた一人の霊媒者に神霊が降りていると解って、その場で供え物とした酒を酌み交わしていたがあります。無論、私が単なる一講員の立場であるならば神霊が私と一緒に酒を酌み交わすなどはあり得ません。神霊に対して不届き者と叱られるところです。

    で、その霊媒者から神霊が離れると、その霊媒者は私は酒など飲んでいませんと言います。その肉体には酒は残っていません。酒を飲んで酔っ払っているのは神霊なのです。その神霊が別の霊媒者に入ると、その霊媒者に酔っ払いが起きるのです。

    この話は、こちらに書いています。

    http://inariyama.com/byaltuko/page024.html

     

     

    単に霊が見えるとか、霊に憑依される霊媒質者は多数居られますが、本当の神霊の【巫女・神主】となれる霊媒者とは極端に数が少ないのです。

     

    一部の悪たる霊能者は、【癌の治癒】を依頼されて、その癌細胞を巫女たる霊媒者に転移させて大金を貰う悪しき行為をしているとされています。その後、その霊媒者の癌を治癒して恩を売るです。そして自分から離れないように囲うです。霊能者と呼ばれる人達の中には、そうした霊媒者の救出活動をしている方もあります。世には知られざる一端です。

    しかしながら、「スピリチュアル」などを見ていますと、「生霊」に関してほとんど理解が出来ていないがあります。単に他人からの怨念とか恨みを受けて自分の肉体が変調を起こすことことだけです。 確かにそれは霊界の出来事であり大切な分野ですが、そこに霊の本質を見なければならないのです。

     

    霊的世界においては、俗に千人に一人は仏霊の声が聞こえ、万人に一人は神霊の声が聞こえるが、そうした者が千人万人修業して本物一人としか出ないとさえ言われている狭きで世界で、本物の霊能者は数少ないとされています。

    この千人万人に一人はいささかオーバーかと思います。スピ的な霊感を持っている方はかなり多いのです。が、修業が出来ていない。修業に修業を重ねている中で、不適格者は次々に振り落とされてしまうのです。その段階まで行かないと「もどき」の霊能者なのです。

    単なる霊感の振りかざしは、ほとんどは霊界の下の下の存在である霊に騙され踊らされて、死後には本当の天国界には行けずに迷い道・亡者道・地獄界に誘われるなのです。ですから、早くにスピリチュアルから足を洗った人は、足を洗ってみてスピリチュアルがどれほど危険だったかと言われるのです。

     

    私は霊界修行の最初の頃、【魂】と【思念】の違いを知りませんでした。どちらかと言うと一緒くたにしていました。そうした中で、人を恨むと【思念】が起きて、それ自体が他にもその人を恨む【思念】と合流して、【憎しみが増す】を体験しました。そうなると、【あいつを殺してやる】とまで感情が増幅して来るのです。それを理性で抑えきれなかったならば【犯罪】にとまで進みます。

    そうした人に憎まれている人は、当然に他の多くの人達からも憎まれていることから、自分が思っていた憎しみの度合いよりも他の憎しみが合流してきて、大きな憎しみとなって理性では【押さえが効かなくなる】が起きて来ます。そして時は【犯罪】にとなって、どうしてあの時、あそこまでその人を憎んだろうかと自分でも解らなくなるのです。

    そこに【執念】の蛇霊や夜叉(鬼)が発生します。また、場合によっては【修羅】の道を行くとなります。人を恨むと出て来るのは「夜叉」と化した自分の姿であり「般若の形相」です。

     

    人を憎めば、他の憎んでいる人達の思念まで合流し 

     

    【人を憎めば、自分が憎んだ以上に憎しみが増す】

     

    何故に、私がそれに気づいたかと言いますと、私の憎しみが最高に達した時、その人を憎んでいる人達の顔が全て出て来たからです。エッー!。彼はこんなに多くの人達から恨まれていたのかです。皆、その人に仕返しをしてやりたいと思っていて私の憎しみに合流して来たのです。それらはその人達の魂ではなくて「思い(思念)」が私に来たのです。

     

    そこに、何故に魂は肉体を持たなければならないかの理由があります。

     

    私にそうした人達の全ての顔が浮かんで来ました。どれだけその人は多くの人達から恨みを買っているかです。それは「生霊」でも「思念」です。誰もがあいつに仕返しをしたいと思っていても実行出来ない。為に、中で一番憎しみを抱いた私の元にそうした「生霊の思い」が集結したなのです。この世の霊界では【筒抜け】なのです。

     

    こうした人の「思い(思念)」も生霊(いきりょう)と言われていて、その人達の顔は出て来ますが、本来の「生霊」とは意味が違っています。 本当の「生霊(いきりょう)」とは、例えば身長が180センチの肉体の人であれば身長が180センチの人が自分の側に立ちます。身長が150センチの人ならば身長が150センチの人が自分の側に来るのです。

    つまり、が見えたという幻視の類いではなくて、現実にそこにその人の「生霊」が出て来るのです。それは肉体を持った人と直に接しているのと何等変わらない為に、どうして自分の家に入って来ているのとなります。そこは霊なので物質界は通過しているなのです。

    その見え方は、通常の霊的な世界は一種のスクリーンを通して見えているのですが、そうではなくて現実の人がその場に来ているのと同じで、その場の光景なのです。現実にその人物と出会っているのとの寸分と違いません。会話も可能です。当然にその生霊には足が存在しています。それを幽霊と思うと、幽霊には足があるとなります。

     

    霊界とは、単に死後に渡る世界のことではないのです

     

    人はこの世にある時も、「生霊」として活動している

     

    私が伏見稲荷山に詣でて奥社に居ると、私が見知っている女性が近くに居るのが見えました。確か今日は会社に勤めているはずだが、どうしたのかと声を掛けようとすると、その姿は一瞬にして消えてしまいました。

    そこで、御本人にメールをすると、私が今日は伏見稲荷山に詣でていることは知っておられて、自分の魂を飛ばして私が今頃は伏見稲荷山のどこに居られるのかと御本社の下から私の姿を探したが見つからず、奥社のところで諦めて帰りましたと言われます。少しの時間の違いで会話が出来なかったなのです。その時のその方の肉体の状況を聞くと、ほとんど【腑抜け】状態だったと言われます。

    私はそうした「生霊(いきりょう)」が自宅に来て会話した経験が何回かありますが、肉体の人と「生霊(いきりょう)」とで違うのは、肉体は悪しきことをする場合は嘘を言うのですが、「生霊(いきりょう)」はその時の本心のままを語るなのです。

     

    私の家に4人の生霊が訪れて来た時、一人は私が見知った男性で、ある事柄で当人と関わっていました。一人は婦人で某スナックで働いていた人です。一人はそのスナックに客として飲みに来ていた若者で、その二人とは現実にスナックで出会っています。後は高校生ぐらいの女性で初めて見る顔です。どうしてこの4人がと首を捻っていました。

    すると、その若者が私に言います。私達は家族です。父と母と妹ですと言います。私にすればまさかの話でしたが、後で調べたところそれは事実でした。だが、その父親たる肉体は、私がその人達が家族であることを知ったことを知らずに、その肉体は自分達が家族であることを嘘で隠し続けていました。

     

    私はそうした体験から

     

    神の前では何を隠しても無意味だと知ったのです

     

    生霊(いきりょう)には「嘘」は出せない

     

    そして、私達が死後の世界に渡る存在とは、その【生霊(いきりょう)】そのものなのです。別に肉体が死後の世界に渡るではないのです。単に肉体と言う服を脱ぐだけです。人の肉体にはその【生霊(いきりょう)】とされている霊体の存在があるのです。つまり、自己の【本心】と霊界での肉体のことなのです。

    これを粋がって西洋の神智学の学など持って来ても説明的に弱いのです。実際に霊界を見聞して来れば、多くの霊能者が【生霊(いきりょう)】のことは語っているはずです。

    ただ、生霊(いきりょう)を飛ばすには【魂】の場合もあれば【思念】もあるなのです。ただ霊能者の様に霊界が見えないと、肉体には自分が魂や思念を飛ばしたことは解りません。

    魂たる生霊は、その人物そのものが現れて来るのでその姿が現実界と同様にはっきりしており、人の思いである【思念】は顔は見えてもその姿形全体ではなくて「幻視」的な見え方をしていると言えるのではないかです。ですから、人の思いたる思念は顔は見えても、足は見えないとなります。

     

    肉体を失っている死霊はどのようにも化けて来ます。例えば自分は天照大御神なりとか大国主命なりなどです。しかもグループで劇場型俺々詐欺師的に来ます。どこまでそうした名乗りをする霊に騙されていればいいのかです。だが、生霊(いきりょう)はそうした化け方はしないなのです。

     

    この生霊(いきりょう)の存在を知るならば

     

    霊界など無いと公言する宗教家が地獄に墜ちて行くのは道理となります

     

    大本教出口王仁三郎聖師の地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だも、あながち誇張とは言えません。

     

    人は肉体が有っても「生霊(いきりょう)」でもあるので、この世の修業しだいで霊界の高い地位に進むことも出来るなのです。

     

    人はこの世に出て来るのはこの世が【天人の苗床】でもあり、この世の生き方で天人(神霊)ともなるなのです。

     

     

     

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    釈尊、イエス、弘法大師の様な宗教開祖と実践霊能者の両輪で霊界を知る

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      霊界(死後の世界)の存在は、霊能力を持たない者にとっては解らない世界で、宗教の教えだけでは完全理解には至りません。聖書を読もうが仏典を読もうが、霊界のことは詳しく書かれていません。

      その上に、神社に鎮座されている神霊と会話が出来る霊能者でも、神霊から詳しく霊界のことが聞けていないがあります。今の世に出ておられる御神霊達よりも、そうした神達が知らない更なる上の神界があるので全容が掴めません。ある意味、自分が霊的体験をして来ないと解らない世界と言えます。

       

      何故に宗教は【神】と呼ばれる存在を説かなければ「宗教」と言えないのか?。単に霊の存在を言う「スピリチュアル」とは存在の意味が違って来るのです。

       

      宗教とは、人の胸(宗)の中に宿る存在(魂)を教える

       

      宗は(宇宙を示す)で、創造神の存在を説かなければならない

       

      だが、聖書に人類の原罪として【蛇の囁き】によってエデンの園を追われた人類とあるように、【邪の道は蛇】によって、多くの神々が宗教家が【邪心】から蛇霊の憑依を受けて、自己の【良心】を失う結果となったのです。

      私が何故にそれを言っているかと言うと、御神霊が自分は間違っていたと悔悟の涙を流された時、【現実界の蛇が棒の様に立つ】現象があり、蛇霊の囁きに犯されていた御神霊が元の天人たる姿に戻って天に帰って行く様を見たからです。

      この蛇が棒のようになるは、映画「十戒」においてモーゼとエジプトの神官が蛇を投げ合って、どちらの神が蛇を棒の様にさせるかで神の高さを競うシーンがあったかと思います。

       

      だが、改心すると蛇が【棒】の様に立つ。それが世に語られていない為に、【真理】に向かわれる方が極端に少ないのです。 しかも、聖書に【龍神とは霊界で年老いた大蛇霊】とあるように、龍神化までした大蛇霊の力は恐ろしくあり、この存在を退治して行く等は肉体の身ではとても出来ることではありません。うかつに龍神と「対峙」すれば、こちらがやられるです。

       

      新興宗教でかなり大手の幾つかの教団の祭神は教団内では「宇宙神」などと言っていても、その実態は黒龍神であり、その教団に入信すると【黒蛇霊】を憑けられることを正しい霊能者達は言っています。しかし、その【黒蛇霊】を退散させるだけでも大変なことなのです。これは簡単に片付く問題ではないのです。

       

      自分は宗教家でございでは、その神霊の正体が読み切れない

       

      教祖その者が、自己が祭神とした霊の存在の正体を知らない

       

      私の最初の師匠は豊受姫のお代さんでしたが、釈尊、イエス、弘法大師と呼ばれるような偉大な存在のお方ではなく、幼い頃から白狐と遊んでいた霊能力があり、神童(神のわらべ)と呼ばれていて、その家系は祖母がその地方では有名な霊能者であった霊能者系の家筋の方でした。

      そこに、100日間断食が2回。一年間連続の瀧行等を積んで、霊能力を開花させた【実践派の霊能者】と言えます。その霊能力はテレビで見る「木村藤子師」「下ヨシ子師」に劣るものではありませんでした。地元の霊能者達が、あの先生ならば間違いがないと太鼓判を押すほどで、その上にその人柄が素晴らしかったのです。

      いくら霊能力はあっても、人品が卑しい霊能者の方は「黒蛇」霊等を背負っておられたりします。

       

      私が伏見稲荷大社講社の教師養成講座で知り合った行者さんが、私が一週間ほど伏見稲荷大社で寝泊まりをする講習を受けていることから、その講座の受講生全員に差し入れに来た師匠の姿を見て、【あれはあんたの先生か?。どえらい行者だ。これほどの行者は男でも滅多にはおらん。が、あれほどの行者をもってしても、あんなたを教える事などできない。あんたに教えが出来る神等この日本には居ない。あんたは自分の道は自分で切り開くしかない。そのことは自分でも解っているはずだ。あんたには宇宙最高龍神ですら就く】と言われましたが、私はそれを黙して聞いていました。

       

      その最初の師匠は、私が誰かと知らないのではなくて、【あなたは神様の御子だから預からせていただきます】で、稲荷神界を修業の道とするで、私を預かってくれたのです。その時にその師匠が私に付けたあだ名は【別格官幣大社】でした。

      それは私が世に出ておられる神々の様に神力や階級を持っているではなく、神界における身分を表す階級がそうした段階にあるだったのです。私自身は神界の【無任官】たる身分で、神界的に言えば勤めを持たない【無職】の浪人の存在で、肩書きが無いなのです。

       

      私はその師匠の元で、実践派の霊能者は何をしているのかを見聞させて貰いました。それは、お釈迦様やイエスや弘法大師さんの様な宗教開祖の様な教えではなく、この世で霊的世界の実務に関わる人達の存在です。

      霊界とは、一般的な牧師や僧侶や神主では何も解っていない世界と言えました。が、どの宗教の開祖にも霊能力は備わっていました。

       

      宗教開祖に霊能力がないと、宗教は起こせないのです

       

      ただ、霊が見えてもいないのに霊が見えている振りをする詐欺師は存在します。某宗教はそうしたニセ霊能者を使って高額な印鑑や壺を売りつけていました。

      が、どの宗教でも開祖がこの世を去れば、その子孫や弟子達に霊能力が備わっていなければ神の存在が「形式化」してしまいます。神の存在が見えて来ない。神の存在が実感が出来ないとなります。で、【儀式】優先の宗教となります。

       

      私は伏見稲荷講社に所属していて、稲荷神とその眷属達が何をしているのかを4年間に渡って見させて貰いました。その後、2番目の師匠となる【言霊師】の元に行ったことで、【言霊】の存在で私の神観は【百八十度】ひっくり返ることになりました。

      そこでは「言霊」の存在のみならず、霊や神霊を呼び出すのに【儀式】などを一切必要とせず、神霊や霊を叩くなどが出来たのです。

       

      例えば、世に虐め問題があります。ある相談者が夜に相談に来て、自分の子供が就職したが会社の先輩に虐められて耐えられない。今日は金曜日で明日から会社は休みですが、月曜の朝に会社に退職届を出すと言っています。なんとかして欲しいとの依頼です。

      即座に2番目の師匠は霊媒通しで、その虐めをしている先輩の「生き霊」を呼び出して、説得したが言うことを聞かない。そこで、その「生き霊」を徹底的に叩くでした。それは凄まじいまでの叩き方です。

      その相談者の子供さんが朝会社に行くと、その前にその先輩が会社に「辞表」を出していて、その相談者の子供さんは持っていた退職届を出さずにすみました。その会社で無事勤めが続けられるとなったのです。

       

      私はその「生き霊」を叩く。それで物事を解決する。それはその一例だけでなく、幾つもの事例を見て来ました。生き霊を叩くと肉体まで解るのです。

      その2番目の師匠は大本教の某大幹部の生き霊を叩いていました。言霊の学会で、その師匠とその某大幹部が出逢ったのです。すると、その某大幹部は夜な夜な私を呼び出して私を叩いていたのは貴方でしたかと口に出したのです。その肉体は夜な夜な誰かに叩かれていたことを知っておられたのです。そして師匠を見るなり、貴方でしたかと来たのです。

      それが元で、その某大幹部が催す言霊の学会で2番目の師匠が講演を依頼されて、私がその師匠に代わって講演したところ、「帰れ帰れ」の大コールを受けてしまったなのです。

       

      私がその2番目の師匠の元を離脱する時、その師匠は私に【死に神】を送りつけて来ました。それを知らない私は毎日が下痢で体は衰弱して点滴でなんとか過ごしていましたが、医師では治らないと閃いて指圧師の元に行くと、腸が動いていないで、腸が動く指圧を受けたのです。腸が動いた時、私に送りつけられていた【死に神】が見えたのです。

      その【死に神】は、正体が見られたら死に神の役目が出来ない。詫びとして、お前が殺したいと思う者があれば、何時でも私を呼べ。そいつを殺してやると言いましたが、結構ですとお断りしておきました。

      その2番目の師匠は、これまで幾人もの霊能者を霊力で殺したと豪語していて、その信徒さんに「まもなく私が死ぬだろうから見ておけ」と言っていました。その信徒さん達は私が何時死ぬかと、恐怖まじりで見ておられたそうです。

       

      こうしたことは西洋で【黒魔術】と言われ、その反対に返すことを【白魔術】と言っていますが、日本でも霊力で人を殺す【呪詛】と反対の【呪詛返し】は現在も秘密裏に行われています。

      それらは「スピリチュアル」とか「タロット占い」などの世界ではなく、実際の霊的世界ではそれがあるのです。私が霊界は「切った張ったの世界」だと言っているのは、行に行を積んだある系列の行者に「スピリチュアル」では勝てないのです。

       

      霊能者「江原敬之」さんの様な単に霊が見える力だけでは、行に行を積んだ行者筋には通用しないのです。私の2番目の師匠は三年間某山に籠もり、松葉や熊笹を主に食して霊力を付け、その元に来た信徒全員が正座したまま「空中に浮揚」させていた【仙人】級だったのです。

      その元では【儀式】などは一切必要はなかったのです。即座に龍神を動かし、力の弱い神霊ならば消してしまうです。ですから私はその師匠の名乗りの【国常立尊の現身(うつそみ)】を、一時は信じてしまったのです。それ以後、それ以上の霊能者を探したのですが、未だに見つからずなのです。だが、日本の中にはそうした行者筋が居られても別に不思議ではありません。隠れておられるからです。

       

      こうした霊界の実相は、お釈迦様やイエスや弘法大師様と言っていても、実は解りません。宗教学をいくら学んでも解りません。

      さりとて、いくら行を積んで桁外れの行者となつて空中を飛んでいても、人間性が出来ていないとなれば、これもダメと言えます。いくら桁外れの霊力があっても、肉体には死がある以上、肉体を終えればそれで肉体が持っていた霊力は終わりなのです。

      そうした証拠として、霊場ではこの世に生きていた当時は霊力を誇っていた霊能者たる行者霊が、何百年もさ迷っているに遭遇するからです。この世に生きている時に「改心」の言葉を忘れていたからでしょう。

      伏見稲荷山の清明瀧の瀧場でも清明舎に宿泊していると、真夜中に滝音と一緒に行者霊の天津祝詞や般若心経を唱える声が聞こえて来ます。【行者の末路哀れなり】と言いますが、行を積んで霊力の誇示だけに明け暮れて掴んだ神力だけでは天国の道は閉ざされてしまうのです。

       

      世にいじめ問題は絶えません。では、霊能者に頼めば有効かと言いますと、その御神霊によっては虐め問題は解決出来るがあります。私も豊受姫にお願いして助けてもらったがあります。しかし、神社にお参りしただけでは聞き届けは無理なのです。

      2番目の師匠がしていた虐めをする「生き霊」を叩くは、霊能者本人ではなくて側に優秀な巫女(霊媒者)を必要とします。その巫女(霊媒者)が「生き霊」をその肉体に留めてくれていないと、生き霊に逃げられてしまうからです。

      霊が見えるとか霊と会話が出来るのスピリチュアルの方は多数居られますが、霊を肉体に留めておける巫女(霊媒者)はそう簡単には存在しません。為に、そうした方が見つかると霊能者間で取り合いになるのです。

       

      この「生き霊」と「死霊」の違いとは、不思議なことに「生き霊」は嘘を出さないが「死霊」は嘘つきで信用がおけないがあるのです。ただ、「生き霊」は霊界のことを聞いても解らず、霊界の話は「死霊」に頼るがあるのです。神社に鎮座する神々もこの世の存在ではないので、ある意味「死霊」なのです。

       

      何故に肉体を持つ「生き霊」は嘘の言葉を出さないのか?。

       

      改心は、この世に生きている内に致せ

       

      死んでからの改心は難しくなる

       

      そこにあるのかも知れません。肉体に魂がある内は「良心神」が存在しますが、肉体を終えれば魂に天帝の分魂で在る「良心神」が存在しなくなるので、【改心】が進まないと考えられるのです。

       

       

       

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      大地は沈むの日本列島沈没説はアカシックレコードに要因があるのか?

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        私は霊能者とは言えませんが霊媒体質者ではあるのです。ただ、少々の霊の憑依を受けてもそれで自分がのびてしまうなどは簡単には起きません。ですから、過去に失敗はしましたが龍神の浄霊。稲荷神の浄霊という神霊すらも浄霊するを体験して来ました。

         

        霊的世界に関わる者達の中で、特に霊媒体質者は「彼岸の時」と「盆の時」は肉体がきついとされています。霊の懸かりが普段よりも多いからです。

        一般的に言えば、そんなことは【迷信】だ。キリスト教やイスラム教では盆とか彼岸等言われていない。彼岸とか盆は日本等の仏教徒だけだと言われればそうなのですが、この世で仏教の教えを受けてしまうと潜在意識として働いて来るのは歪めません。その意識で霊界に入るとそうしたことも起きて来るのかも知れません。が、日本ではそうした時節は霊媒体質者はきつい時期だと経験はしているのです。

         

        私はこれまで盆や彼岸で自分がのびてしまったなどは無かったのですが、今回の彼岸は完全にグロッキーになってしまいました。龍神などの強い汚れた神霊からではないのですが、全体的なものを受けてしまったと言えます。

        他の霊媒体質の方達も、この年の秋の彼岸は霊の懸かりが例年よりもきつかったと言われていますので、霊界で何らかの動きは起きたと言えます。私達の目には見えない世界で何が起きているかは解らないので、そうした注意が要るのです。

         

        今、霊界では何等かの現象は起きている

         

        私達は建物を建てる時、【地鎮祭】をします。何故に、そうしたことをするのかと言いますと、土を動かすと【霊】が動く可能性があるからです。古来より、死者の霊は草葉の陰から見守っていると言われたように、また亡者道でも解る様に、死ねば天国などと言う教えはなかったのです。ですから、そうした地に眠る霊に動かないように「鎮まってください」と地鎮祭の儀式をするのです。そうしたことを迷信と取るか取らないかは、霊の憑依を知らない人にとっては単なる迷信で終わるでしょう 。

        今年は地震や水害が多く、地がかなり流動しました。それも一つの原因とはなるのです。

         

        この秋の彼岸の期間中の25日未明。私が夜中にトイレに起きてまた眠ろうとすると、ある光景が出て来ました。夢ではなくて眠ろうとする前に出た霊的映像の光景です。

        そこには多くの高層ビルが建っています。その地がどこの都市かは解りませんが大都会です。その高層ビルの地面が大きく崩れて土地が割れています。その大地の割れ目の中にそうした高層ビル群が次々に倒壊して飲み込まれていくのです。大地震?。それは私がこれまで見た大地震の規模ではありません。大地が割れて高層ビルすら飲み込まれると言うとてつもない崩壊です。

        そして、海岸からはその高層ビルよりも高い海水が襲って来るのです。大津波?。それは大津波の規模ではないのです。高層ビルよりも高いとんでもない高さなのです。?と見ていると、大地がビル群諸とも海の中に一瞬にして沈んで行く様です。

        伝説として、超古代にアトランティス大陸とかムー大陸とかレムリア大陸と呼ばれる大陸があったが、地殻変動で沈んだとされていますが、そうした【地殻変動】により大地が沈む光景と言えます。大地震の規模ではないのです。

         

        1999年以前、小松左京氏のベストセラー小説の【日本列島沈没】が映画化されました。映画化そのものは西暦1973年と西暦2006年と2回あります。この映画そのもはSF小説で日本列島そのもものが完全に沈没するではありませんが、小松左京氏は何からこの題材のヒントを得たかです。

        これは、アメリカで「眠れる偉大な予言者」として知られた【エドガーケイシー】の予言の中に、西暦1999年に日本列島沈没。続いて西暦2000年にアメリカ大陸沈没の予言があり、そこから小松左京氏がヒントを得て書かれたSF小説と聞いた覚えがあります。

        1999年の少し前、一部の霊能者達が「エドガーケイシー」の予言精度を知る為に日本列島のエネルギーを霊査して、現状においてはそこまでのエネルギーは溜まっていないので起きえないが結論でした。もし、それが起きるとすればマグマによる地球の地殻を動かすだけのエネルギーが要るからです。それは東日本大震災を起こしたエネルギーの比ではすまないのです。

         

        ただ、一部の霊能者の間では、今日でも日本列島の半分は海中に沈むと言われる方達は少なからずあります。

        この日本列島の半分だけが沈むと言う論は、本州中央部に【中央地溝帯】と呼ばれる「北アメリカプレート」と「ユーラシアプレート」のプレートの境目があり、糸魚川と静岡を結んでいることから「糸魚川静岡構造線」と呼ばれており、この線を境として日本列島の半分が沈むと言う説です。その場合、西日本が沈むという霊能者の方が数は多いと見受けられます。

        私自身は「伊勢神宮」が海中に没する映像を見たことがありますので、西日本説が多いのは頷けます。その場合、西日本に住む私などはそれに遭遇するになりかねません。その危険性は無いと断言も出来ず、「エドガーケイシー」の予言は完全に消えた予言とは言い切れません。

         

        私は大都会の高層ビル群が次々と大地の割れ目の中に墜ちていく霊的映像を見ていて、これは何だろうと考えていました。要因は【アカシックレコード】と呼ばれる映像かです。

        この【アカシックレコード】とは日本からではなく西洋の神智学から出たもので、宇宙の初発から各自の前世の【カルマ】となる罪状までも、全てが宇宙空間の特定の磁気帯に記録されているとするものです。無論、科学者はそんな帯は宇宙に無いと全面否定します。科学では神とか霊など絶対に解明は出来ません。

        アカシックという言葉そのもは仏教で【虚空】とされるもので、この【虚空】から大本教で説かれたウシトラ(牛虎)には【虚空蔵】の意味があることが解ります。

         

        アカシック(虚空)=虚空菩薩=牛・虎年の守護神

         

        大本教が出したウシトラ金神の意味には、節分の鬼(牛虎)が云うの【魂】論もあれば、過去・現在・未来をも全て知る【虚空蔵】の意味もあるのです。

        大本教の出口王仁三郎聖師は広島や長崎に新型爆弾(原子爆弾)が投下されて火の海になる。日本国敗戦のみならず、現代のテレビやスマホと思われる事柄、電子メール(空中を飛ぶ郵便)の登場まで予言して来て当たられた方です。未だ来てもいない未来に対する予知予言能力はどこから来たのかとなります。それは【虚空蔵(牛虎)】にあるとも言えます。

         

        スピリチュアルでは自分はアカシックレコードを「リーディング」するなどと呼称している方達が多いのですが、本当にそれが出来るならば【超大予言者】に成れる方と言えます。

        しかし、宇宙にはそうした電磁波の記録的なものは存在している。それは言えるでしょう。そうでなければ、宇宙の初発の映像などが出て来るはずもないからです。私は宇宙の初発時の映像から、聖書の「言葉は神と共にあった」が理解出来たと言えます。

         

        私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、【私はこの世の幕を降ろし、人類を嬉し嬉しの世(みろく世)に連れて行く】と告げられましたが、それはこの地球ではないが今の地球と同じ型の宇宙船と言われて理解に苦しみました。私達の目には見えない高次元界の地球など想像だにしていないからです。何故にこの世の幕を降ろすと言われるのか?、子供の私に解るはずもありませんでした。

        しかし、神霊世界の修業に入って、この地球の原動力たる機関(マグマをコントロールする)が修復困難に陥っているを知ったのです。この地球を動かしている原動力の部分を担当している神々(神司)達とは、この世に出ておられる神社に鎮座する神霊達とは別の組織です。それらの神達の日々の修復で、どこまでこの地球が保つかの時間との闘いです。

         

        地球の中心【核】は、私達の個々の魂の「核」と連動しています。人々が各自の魂の「核」たる働き、すなわち【良心】神をないがしろにした結果と言えるのです。もしも人々が「悔い改めの良心神」を確立していれば、地球は安泰だったと考えられます。

        私は人の魂の「核」の働きを「人に内在する良心神」として、言葉の仕組み上から説いてはいますが、スピリチュアルでは【良心】神などは完全に無視なのです。 蛇霊の知恵とされる「愛」一辺倒と言えます。

         

        私は聖書のヨハネの黙示録にある新しい地球と天地に人類は移行すると言っています。そうしたことは私一人だけでは無く、少数派には過ぎませんが他にもおられます。そうした中でも今の地球の修復には10万年は掛かると言われる方もあれば、私は100万年は掛かると言っています。そうした見解の違いはありますが、そんな長期間も人類を荒廃する地球に留めるのは、創造神たる天帝が望まれていることではないとは言えます。

         

        何故ならば、そんな事態になれば人は生きる為に他の人を喰う共食いの時代に入るからです

         

        1999年の当時、少数の霊能者ではありましたが、人が人を喰う時代が来ることを恐れたのです。そんな時代の到来だけはなんとしても阻止したいです。止めなればならないのです。

        一部の霊能者の説には、その時の地球上の人類は【輪廻転生】を経ないで高次元界に進めるので、宇宙の他の星から地球に転生して来ている宇宙霊人達の魂もあるなどの話も起きていました。こうした論調がスピリチュアルの一部において、何もしなくてもいいのです。自動的に人類は高次元の五次元世界に進めるのですの説となっていると考えられます。

         

        今の人類が何もしなくても自動的に五次元界に進めるのであれば、私など出る幕もありません。存在の必要もありません。日本語ではありますが言葉の仕組み等とバカげたことを言っている者にしか過ぎません。私が子供の頃に望んだ旧約聖書の神と称する声が告げた【私はこの世の幕を降ろす】は、この地球が人類存続の為の良い環境を維持出来なくなった時だと考えられます。

        創造神であるが故に、そうした先を見越して、一部の霊能者達は【バックアップ(予備)地球】を造られたと言っておられますが、バックアップとしての地球や天地を用意されている。それがヨハネの黙示録に「私は新しい天地を見た」とも書かれているなのです。

         

        豊受姫のお代であった私の最初の師匠は、【その時は私は既に霊界なので、霊界で高見の見物をさせていただきます】と言っていましたが、一部の霊能者達は「その時は宇宙の霊人達もUFOに乗って見学に来る」等とも言われます。UFOが多数出て来た時には危ないのです。その時節の可能性があるのです。

        東日本大震災の時、被害に遭われた方達以外の者達は、テレビで放映される恐ろしい映像をまるでショーとして見ていたようなことを、宇宙の霊人達も地球にショーとして見に来るなのです。

         

        私が見た映像は「アカシツクレコード」と呼ばれる存在の「未来」の出来事を示す映像の一端かも知れません。だからと言って、それは絶対に起きるとは限らないのです。

        大本教から出た大予言者である出口王仁三郎聖師は、霊界で起きた(見せた)出来事は必ず現実界で起きる。しかし、それが千年先か2千年先かは解らないと告げられました。私が見た光景もこの世で起きるとしても、それが千年先か2千年先かは解らない代物ではあるのです。それが千年も2千年も先の光景ならば、それは起きないと言ってもいい代物です。

         

        だが、引退状態とされる【国常立尊】が用意されていた【バックアップ地球】の存在は、その存在を見た者達。知る者達が出て来ています。そして、人類がその地球に移行しても困らないように、先発メンバーとなる要員達の魂が選ばれていて、その人達の魂は分割されて、既にそちらの新地球にこの地球からの魂の受け入れの為に移っているのなのです。ただ、その魂の間の連絡は遮断されている為に、誰もその詳細は掴めないですが、その時にはこの地球に残った魂が移行しても困らない様にはなっているのです。

        もし、そうでなかったならば、新地球に行ったのはいいが自分達の【衣食住】はどうなるのかとなります。ですから、準備万端を整えるまでの期間は必要とされていたのです。

         

        大本教基本宣伝歌。

        例え大地は沈むとも、【誠の力】が世を救う

         

        誠の言葉で成る存在とは、日本の国に常に立つ御言(国常立尊)

         

        私が旧約聖書の神(日本名・国常立尊)と称する声から告げられたことは、【この神だけを唯一の神】としなさい。そうした者達の魂は私が永遠の世に救うです。

         

        ただ、創造神との契約の示しには【禊】があるなのです

         

         

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        日本語の各四十一位は、イロハの【ミ】。ヒフミの【ス】。アイウエオの【ラ】。ミスラ神とは弥勒神?

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          大本教からは日本語の【イロハ】が出されました。イロハは祝詞です。岡本天明氏の日月神示では【ヒフミ】が出されました。ヒフミも祝詞です。そして、私は【アイウエオ】を言っています。アイウエオ(アオウエイ)も祝詞です。

           
          私が豊受姫の命令で住んだ土地は、大本教の出口王仁三郎聖師が大正時代の信徒数名に、教団には内密で死守せよと命じられた土地の一部であり。隣接地は出口王仁三郎聖師が一部の直弟子に、みろく世で使われる【お宝】が埋まっていると告げられた土地で、その弟子達がその信徒の遺族を探して掘り返したが何も見つからなかった土地があります。
          また、私が住む土地の下側一帯は大本教の出口王仁三郎聖師が本当の金龍海で【陸の龍宮城】と残された、かっては底なし沼とされた伝説の場所があります。現在は沼ではなくて多くの住宅が建っています。この地で【金龍神】を見た霊能者の方達は少なからず存在しております。
           
          しかし、一方では霊界の汚れの吹き溜まりたる【穢土も穢土】で、それなりの霊能者の方であれば恐ろしくて近づかない。逃げてしまう土地でした。自分がそこに行けば清められると豪語する霊能者でも手に負えない場所でした。この家で起きた大ラップ現象はどの御神霊も手に負えない凄まじいもので、やむなく私が丸3年間に渡り祝詞や御経を続けてようやく沈静化させました。
          その大ラップ現象が終わった後、私に【言葉の仕組み】が見えて来たのです。と言ってもそれは私の「正守護神」たる霊によるものです。大本教神諭は、【綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ】とありますが、この地から発信しなければならなかったのです。
          しかしながら、この地が霊界の汚れの吹き溜まりであることは完全に解消されたのではありません。ある霊能者神主が私に告げた、人々が悪しき想念を出し続けている以上。いくら各地で人々が出す悪しき想念の汚れを清めておられる宗教家や霊能者の方達が居られても、その数が少ない以上、この地に人々の汚れた想念は常に流れて来るです。

          私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたには終わりの日までは、何の神力も授けない】と告げられました。で、私がその終わりの日を尋ねると、【その日が何時かは言えない。言えることは、そなたは最後の日を見届ける】でした。
          一方、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなはその仕組みを見て人々に告げなさい。そなたが説く仕組みの教えに従った者達はこの私が永遠の世に救う】と告げられたしだいです。その日本に満ちあふれているものとは、日本語のことでした。確かに、日本語は日本が唯一の国と言えます。

          その言葉の仕組みとは、大本教神諭が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】でした。そこから【みろく神と五十六億七千万】を導くことになったと言えます。
          何故にそれが可能となったのか?。それは【現在地】に私が住んだことにより出来たと言えます。しかし、この土地は霊能者達によれば霊的に非常に汚れた土地で、汚れた霊の吹き溜まりとまで言われた土地でした。霊能者だと、とても住めない土地です。私に豊受姫からの私がその土地に行くように命令を告げた最初の師匠は、【あんな恐ろしい土地はない。自分ならば行かなければ殺すと言われても絶対に行かない】とまで言った土地でした。私は少しは霊能力がありましたが、霊能者ではなかったので住めたと言えます。

          その家で起きた大ラップ現象は3年間に渡る長きもので、霊能者に鎮めを頼ったのですが鎮められず。出て来た言葉は日本の神でこの現象を鎮めることが出来る神はないでした。自分でもよく生きられたと思います。何時、そうした現象で殺されていても不思議ではなかったのです。その代償として、大ラップ現象が終わった後に私が得た物が、日本語の言葉の仕組みと言えます。何故に私にその役が来たのか?。それは私に強い霊的浄化能力があったからだと思われます。


          私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声が本物ならば、本当の創造神だったならば、この先に何が起きようとも、その日本語による言葉の仕組みに従った人達の魂は、新しい世界の住人とはなるでしょう。
          それは、私がその神と結んだ神との【契約】だからです。

           
          大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】における【みのか尾張の国から】出る神の高山たる【四十一】は、アイウエオの【ラ】にはなりますが、何故にその前に【イロハ】と【ヒフミ】を出す必要があったのかです。

           
          私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、私に【拝火教】と云う言葉を言って来ました。拝火教を知りなさいです。

          拝火教?。当時の私は未だ小学生であり、小学校の図書館で調べましたが、拝火教こと【ゾロアスター】教に関してはよく解りませんでした。一般的にはその最高神が【アフラ・マズダー】と呼ばれている程度です。
          火を聖なるものとして崇めるは理解出来ます。安芸の宮島に参拝して弥山に登って行きますと、途中に真言密教の弘法大師が建立された【消えずの火、霊火堂】があります。今から1200年前、弘法大師が修法して点した火が一度も消えることなく、今も灯されているです。これなども「拝火教」と言えます。
          私自身は見たではありませんが、私が知る人に、天上界に「消えずの火があり、その火を七人の長老達が交代で守っている。この火が消えれば、全ては消える」と言って来られました。【聖なる火です】。
           
          私が子供の当時と違って今は便利なインターネットが普及していますが、拝火教で検索してもあまりよく解りません。これは【ミスラ神】で調べると解って来るのです。「ミスラ」とは【契約】の意味です。
          ミスラ教を調べると、「ミスラ」神がギリシャやローマに入り、「ミトラス」となり、その言葉の派生が「マイトレーヤ(みろく菩薩)」に変化したのです。また、この「ミトラス」のお祭りが「12月25日」で、これがキリスト教における降誕祭となるのですが、12月25日はイエスとは別に関係はなかったのです。
           
          このミスラ神は、古くは拝火教(ゾロアスター教)の最高神【アフラ・マズダー】と表裏一体の神で、天則の神であったとされます。また司法の神で死後の裁判を司る神です。まるで大本教が出した日本の【天之御中主】と【国常立尊】は元は同一神だった神を分けたと同じようなものです。大本教で「国常立尊」は司法の【閻魔大王】だとしたのも同じです。
          また、キリスト教で説く終末論は、「拝火教」から来たことが解ります。拝火教では、善神群と悪神との闘争の後、【最後の審判】で善の勢力が勝利して、その後に新しい理想世界に「転生」するです。
           
          私は神界最終戦争が起きて、悔い改めた善なる人類は新しい天地(みろく世)に「転生」すると言って来ました。同じことでした。
           
          元々、お釈迦様の弟子に【弥勒菩薩】などは存在していないのです

          仏教の【みろく菩薩】とは、お釈迦様の死後に起きた大乗仏教がイラン等に広がって行く過程で拝火教のミスラ神(ミトラ神)を飲み込んで起きたことで、既にあらゆる研究から解って来ています。拝火教との関係です。大乗仏教はお釈迦様の死後に起きた教えであり、中味的には必ずしも正しくはないのです。
          キリスト教における【ルシファー】も言葉の翻訳過程で起きた間違いだと今では解っていますが、ルシファー堕天使などと今でも信じてやまない学ぶことをしないスピリチュアルが蔓延するわけです。
           
          私が受けた使命は、この日本の【日本語】によって、言葉の神が仕組まれた教えの事柄を紐解き告げることでした。
          その根本となるのは、大本教神諭が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】ですが、このお世話は【誠】の者でないと出来ないと予告されて来ました。その【九つ花】を紐解くと、中心は【みのか尾張の国から出る】国道「四十一」号線の「四十一」となります。
          大本教から出されたのは「いろは」。大本教で機関紙の編集長をしたこともある日月神示の岡本天明氏が出したのが「ひふみ」。そして、私は「あいうえお」から、ア門からラ迄のアラーの神を意味する「41」で言霊の「ら」を言っています。
           
          【いろは】の第四十一位は【ミ】

          【ひふみ】の第四十一位は【ス】

          【あいうえお】の第四十一位は【ラ】
           
          この「ミ」「ス」「ラ」を並べると【ミスラ】となります。この「ミスラ」神は日本のスピリチュアルではまず語られませんが、インターネットで検索すると出て来ます。

          インドでは「契約の神」。イランでは「太陽神」。ゾロアスター教では司法の神で光明神。また、人の死後の裁判を司る閻魔大王的な存在とされます。

          拝火教では最高神アフラ・マズダーが絶対神ですが、ミスラ神はアフラ・マズダーと同等の神とされます。それは聖書における「初めに言葉は神と共にあった」とも考えられ、この存在が「弥勒菩薩(マイトレヤー)」の源ともなるのです。

          大本教神諭が予告した【九つ花】を紐解くと、言葉の仕組みで弥勒菩薩(マイトレヤー)を出し、光明神、司法神、契約の神【ミスラ】を引き出します。また、司法の神であり人の死後を裁く「閻魔大王」たる存在です。そして私達の魂(ウシトラの鬼が云う)の「核」には、この世の閻魔大王たる良心神(天帝の分魂)があります。
           
          ただ、ミスラ神はギリシャやローマに入って「ミトラス」教と名前を変えたので、日本語の「いろは」「ひふみ」「あいうえお」がなかったならば、明確に【ミスラ神】と【みろく菩薩】の関係は出せなかったとも言えます。
           
          私が子供の頃、私に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、私に【拝火教(ゾロアスター教)】と伝えて来られたのですが、まさか拝火教から【ミスラ神(弥勒菩薩)】に行くとは、正直私もあまりにもスケールが大きな日本語による【言葉の仕組み】に驚きを隠せませんでした。


          では、拝火教の創造神たる【火】の神(アフラ・マズダー)は、大本教ではどのように告げたかです。

          【天之峰火夫皇大神】で、最後は「火」の審判

           
          この「天之峰火夫皇大神」の存在は、日本の【記紀神話】には出て来ませんので解りにくい存在でした。大本教から【天之峰火夫皇大神】と出されても、どう補完すればいいのかが解りませんでした。私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声から告げられた【拝火教(ゾロアスター)】に戻って、子供の頃に告げられた【この国(日本)はこの神の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。そなたはその仕組みを解いて人々に告げなさい】と言われた中で、やっと「天之峰火夫皇大神」の意味が解けて来ました。

          私にとって長らくの「謎」に、真言密教の【大日如来】がありました。日本ではこれを神仏習合で「天照大御神」とされた来た面が強いのですが、伊勢神宮に鎮座されている「天照大御神」ではあり得ないが私の感想でした。それは伊勢神宮の神と思われる霊に拝謁しているからです。そして万体にも及ぶ絢爛豪華な大神霊行列を見せていただきましたが、それだけでは「大日如来」の説明が出来ないのです。
          無論、真言密教においての「大日如来」は【宇宙を神格】したものであり、霊人である存在を言っているではありませんので伊勢神宮の御祭神はそれには該当しません。

          では、大日如来を知るにはどうしたらいいのかとなります。真言密教においては、大日如来の【化身】として【不動明王】が説かれています。一時期、不動明王とはインドの【シヴァ神】とされていましたが、現在の学説ではそれは否定されています。
          この不動明王とは全国に「不動尊行者」が存在し、私が神霊界修行に入る前に訪ねた一人の霊能者から、貴方の守護神は不動明王だと聞かされて、初めて近畿で催された10年に一度の近畿36不動尊の初めての御開帳に行きましたところ、その中の7〜8体ぐらいの主に青不動尊から何か得たいの知れない物をビシビシと飛ばされて、私もこの野郎。心の言葉でやる気かとなったらそれは止まりました。

          その話を豊受姫のお代であった最初の師匠に話したところ、その師匠は豊受姫のお代になる前は小豆島の某不動明王のお代をしていたこともあり、笑いながらお不動様達は貴方の実力を試そうとされたのです。貴方にとって、そんな物は別にどうということはなかったでしょうと言います。確かに、それほどてもなかったのです。ただ、私に不動明王が守護として存在するが私が祀る対象ではないと言います。
          そして、その師匠の元で修業に入ると、まず最初に出て来られたのは火炎を上げた不動明王でした。その話を師匠にしたところ、「あなたはいったい何をされているのです。不動明王ごときを出してどうするのです。」と叱責を受けてしまいました。
          四国小豆島の某不動明王をお代をしていたこともある師匠の口から、【不動明王】ごときと出た言葉に驚いたしだいです。その師匠の言葉では、不動明王よりも豊受姫の方が上位の神であるでした。
           
          稲荷行者の中には不動尊行者の方達も多くおられて、稲荷神と不動明王を一緒に祀っておられる方達があります。そうした中で私が見て来たことに、不動尊行者では豊受姫の神力には勝てないでした。無論、稲荷行者と言っても「豊受姫」がバックの方はさほどおられません。普通の稲荷神ならば不動明王と同格の力のようです。もし、不動明王が【大日如来の化身】であるとするならば、豊受姫より神力が劣っていると思われる存在を【宇宙を神格化した神】の化身とするにはあまりにも役不足となります。
           
          一部の説にはなりますが、大日如来は【アフラ・マズダー】であり、不動明王はその化身ではなくて【使者】たる位置づけではないかという説があります。私はこの説が正しいように感じられます。「化身」と「使者」は別物です。
           
          大本教の出口王仁三郎聖師は【万教同根】と出されました。
           
          万教同根とは、【世界のあらゆる宗教の教えは元は同じ根】
           
          その概念から世界の宗教を見て行きますと、元は同じ神から出たことも、その取次(宗教家)者の魂の霊格に応じて違う解釈となり、お山の大将に成りたい者達が「教義」を「競技」化させた。また、【悪魔】達に魅入られていった。それらの宗教を調べて行くと、元の神の存在が見えて来るとも言えるのです。

           
          私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、ナザレのイエスは千年級。弘法大師とマホメット(ムハンマド)は六百年級という言葉を出されました。これはマホメット(ムハンマド)と弘法大師は同格でも、神界ではナザレのイエスよりは下位だと告げられたのです。大本教の出口王仁三郎聖師は自分はナザレのイエスに何一つ負けていないと述べておられますので、ナザレのイエスと同じ千年級の方だったとも言えます。


           

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          言葉を構成する言霊は【音(おと)波】であり、光透波では理解が出来ない

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            聖書のヨハネの福音書には、有名な【初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。】があります。

             

            この日本は古来より、【言霊の幸はふ国】と言われて来ました。しかし、その論議を見ていますと、言霊がまったく理解出来ておらずに「木霊や山彦」なったりしています。この日本には【言霊師】と称しておられる方が若干名あるかと思います。しかし、その数があまりにも少ないので、世間に「言霊」の理解が進んでいません。

             

            私達は山に登って「ヤッホー」と言えば、山々に「ヤッホー、ヤッホー」と言霊が反響して返って来るを体験します。これを一般的に【やまびこ(山彦)】とか【こだま(木霊)】と言って来ました。

            源氏物語などを見ますと、「鬼か神か狐か」とあります。昔の人にとっては、自分が出した言葉が山々に反響して自分に返って来ることは、不思議であり妖しいことであったのです。為に、ことだまを【木霊(こだま)】とすると、樹木の精霊程度と思われてしまうわけです。

            しかしながら、その【無知】は大本教の出口王仁三郎聖師が世に出て来るまで、世界中の宗教も無知の中に置かれていたわけです。キリスト教においてもイスラム教においても仏教においても、言霊が何か等理解されていなかったのです。ただ、祈りや御経には力があるであって、その【力(チカラ)】を見ていなかったと言えます。 

             

            私は伏見稲荷大社講社の支部に所属して、伏見稲荷山で瀧行などを含めて4年間ほど豊受姫の庇護の元で修業させていただきました。その当時は豊受姫の庇護の元にあったので、霊的世界の恐ろしさを何一つ体験せずにいました。まさか、霊界がこんなに恐ろしい世界だとは露ほど思わなかったのです。

            その過程には、科学では信じられないあり得ないと言わなければならない事象を自分の目で直接に見聞させていただきました。それは当時の師匠が、豊受姫から男女合わせてこの日本で10本指に入る行者と告げられた実践派の女性霊能者の元だったからとも言えます。

            自分の師匠が並の霊能者やスピリチュアルの方であったならば、とてもあのような摩訶不思議な体験や経験は積めなかったと思います。で、既存の霊界は神の存在を知らせる為に【奇跡の現出】に頼っているとも言えます。

             

            その後、私の体内の腹から図太い男性の声が臨み、その声に従って稲荷神界を離れて、綾部に来ていた自称「国常立尊」を名乗る【言霊師】の元に行き、そこで【言霊】に触れたのです。それまでは、私も【言霊】とは何ぞやの状態でした。そこには僅かな言霊だけで医師が見放した病人を救う等がありました。言霊の威力を実地で見せつけられたのです。

            その2番目の師匠となる方は、大本教の出口王仁三郎聖師の直弟子であった方を師匠としていましたので、出口王仁三郎聖師の孫弟子格となり、その教えは今の大本教のものではなくて、出口王仁三郎聖師直接の流れとも言えます。残念ながら、今の大本教にはその【言霊】の本質が解る方は存在しないと考えられます。

             

            大本教の出口王仁三郎聖師の直弟子で、当時大本教の大幹部でもあった方が催された学会で、その2番目の師匠が言霊の講師を依頼され、私がその師匠に代わって講師を勤めて講演を始めた時、会場からは私に対して【帰れ、帰れ】の大コールが起きました。

            それ以前に大本教出口王仁三郎聖師の言霊を顕彰する会において、やはり講演を依頼された言霊師の師匠に代わって、今では予言者として著名になられた【松原照子】さんとダブルで講師をさせていただいた会場では、私の講演が終わると割れんぱかりの大拍手で終わった内容が、そこでは逆に【帰れ、帰れ】の大コールになったのです。

            言霊顕彰会の時に私が頂いた名刺には大学教授の肩書きの方が多数ありました。こんな言葉の解釈など聞き始めだ!。そこには新鮮な言葉の仕組みに対する驚きがあったのです。それは言霊そのものではなくて、言葉そのものが持つ神の教えの意味です。

            一方、大本教大幹部の方が催された会場はその多くが大本教の信徒であり、言霊の一つ一つを取り上げて、それが東にいくらいくら、西にいくらいくら働く。広がると言うようなあまり意味が無いことに固執されていたのです。それでは、言霊とは何かが絶対に解らないのです。

             

            大本教霊学をいくら学んでも、【言霊】とは何ぞやが書かれていません。為に、出口王仁三郎聖師が最初に【ス神】を出されたら、【言霊】とは何ぞやを飛び越えて、【ス神】で草木もなびく状態が起きたと言えます。

            特に大本教に在籍し、出口王仁三郎聖師の弟子で右腕とも言われた世界救世教開祖の岡田茂吉師の【ス神】論をパクった新興宗教の多くは、スの神論の元が大本教とは知らずにパクった為に、【スの神】そのものが何が何だか解らずの有様となったと言えます。それらの教団の多くは背後が【黒龍神】などで、奇跡の力だけで大きくなったと言えます。

             

            私は【言霊】とは何か?。その【言霊】の正体に触れた時、自分がそれまで持っていた神観など【百八十度】変わってしまいました。何と言うことだ!。です。人類はあまりにも言葉の意味を知らなかったと、頭を叩かれたわけです。

             

            これでは聖書のヨハネの福音書の【初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。】が、聖書を信奉する者には誰一人として理解が出来ていないかではないかです。それではイエス個人崇拝に陥ってしまいます。その聖書よりも、より深いところまで明らかにしたのが出口王仁三郎聖師による【大本教霊学】と言えるでしょう。

            大本教からの教えは日本版「旧約聖書」とも言われていますが、これは外国語に翻訳してしまうと意味を失います。日本語が使える日本人だけに用意されたものと言えます。言葉が幾つもの意味を持つようになっているからです。

            例えば日本語であれば「想像=創造」となりますが、英語で創造は「creation」。想像は「imagination」。違う言葉として捉えられてしまいます。

             

            大本教神諭は全編「ひらかな」ですが、「そうぞう」と書かれた時、貴方は想像と読むか、創造と読むかです。これは発音される「言葉」も同じで、「そうぞう」と発音された時、創造と聞くか想像と聞くかは、貴方自身の【感じ(漢字)】なのです。

             

            私は鍾馗神のご案内の元、中国で「盤古大神」と呼ばれている存在に拝謁して、何故なのかと意味が解りませんでしたが、霊界物語のなかの記述、盤古大神から国常立尊様に神界の【大政奉還】に触れ。また、私の前に【漢字】と書かれた浴衣を着た出口王仁三郎聖師と思われる霊が出て来たことから、【言葉を漢字(感じ)に変換】に気づいたしだいです。

            大本教の神が出口王仁三郎聖師の以前の名前の上田喜三郎の【喜】を【鬼】にしなさいと出したならば、「鬼」とはあんまりじゃで【王仁(鬼)】とした。そうした意味合いが解らない者には、大本教で演じられた意味は完全には理解出来ないのです。

             

            私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えで満ちあふれている世界で唯一つの国である。そなたはその仕組みを見て人々に告げなさい】と告げられた者です。

            そしてこの日本は、日本語と言う言葉によって創造神の仕組みがなされている神国なのです。日本が神国の意味は、別に天皇陛下が現人神(あらひとがみ)云々ではないのです。この日本の言葉が【神の言葉】だと言える神や人は、それなりの方なのです。

             

            日月神示の影響なのでしょうか?。神は言葉の言葉に、【光透波】と説きまくっておられる方達があります。そうした論者の意見に、霊界で言葉が【金文字】で現れるからと説いておられる方達があります。

            おっしゃる通り、霊界では言葉が【金文字】として出て来る場合があります。そこから金文字=光で「光透波」と解釈されているようですが、それは日本で使う漢字は象形文字であるが為に、その象が光の金色で出て来る話であって、それは「文字」の話であって言霊の話ではないのです。

             

            一方、スピリチュアルでは、霊的世界で霊との会話に使用する言葉は【テレパシー】なので、別に口から言葉を出して霊と会話するではありませんので、言霊どころか言葉の存在そのものを否定する人が多いと見受けられます。

            私も霊が現れた時の会話は心の声たるテレパシーで会話するであって「無声」の会話です。しかし、いくらテレパシーでの会話であっても、そのテレパシーでの会話は個々の霊で声質が違うことが解ります。だとすれば、それは【無声】の論理には当てはまっていないのです。本当の「無声」であれば、その言葉の声質でそれが誰かを特定したり、区別が出来ないはずなのです。

            そうしたことからも、【言霊】がまったく理解出来ていないのがスピリチュアルだと言えるのです。

             

            では、言霊とは何ですか?。

             

            言霊とは【音(おと)波】なのです

             

             これを人々に端的に教える言葉が【龍宮の音秘め】なのです。但し、その前に【流神】と言う言葉を知らないといけません。私は「魂」を「玉思惟」と言ったり、龍神を「流神」と説明して来ました。漢字を変換させているのです。

            こうした言葉の理解が進まないと、事の本質が解って来ません。

             

            では、何故に言葉が【光】と錯覚されたのかと言いますと、【音】の字を分解すれば【日立】となるでしょう。

             

            すなわち言葉(音波)が「日立」たる「光」の原動力なのです

             

            また、【闇】の字を見れば、門から音が出るです

             

            光(日立)は「闇」から生じるのであって、スピリチュアルの光と闇の対立論はさほど意味がないのです。全ての元は【音(おと)波】なのです。

             

            言霊は「音波」なので、山でヤッホーと発すれば、山々から「ヤッホー、ヤッホー」と反響して来るのです。私達の目には見えないが物質でなければ、山に反響して返って来ないでしょう。

             

            すなわち「音波」は霊的物質なのです

             

            それによって、万物は創造されて来たので聖書では「言葉によらない物はない」となりますが、この点に関しては大本教の教えの方がより深いのです。聖書よりも中味的に深いのです。

             

            私が子供の頃に臨まれた旧約聖書の神と称する声は、【私の書は旧約聖書なれども、暗号化させてあるので読んでも意味が解らない。私の教えは、この日本にある】と告げられましたが、日本語そのものにあったのです。

            日本の記紀神話に囚われていると、大本教が世に出した【ス】の神とは何だ?。となります。一言で言えば【言霊】の一つなのです。

            私達が発する言葉とは【霊的物質】ですから、祝詞でも御経でも声高らかに唱えれば、それが霊界に影響を及ばすのです。

             

            私は2番目の師匠の元で、霊媒通しで【サニワ(審神)】をしていました。そうした時にある現象が起きました。霊の言い分を聞いていて、私が何をぬけぬけと喋っているのだと叱りつけると、霊達が物を言わなくなるのです。

            で、半霊媒者であった霊媒の方にその時の様子を聞くと、私の詰問の言葉は霊に対して殺されるかと思う状態に入るでした。私が発する言葉そのものが自分が釣鐘の中に閉じ込められて、その釣鐘の周囲から大音声で響いて来るで霊が震え上がってまう為に誰もが口を閉ざしてしまうでした。

             

            私が最初の師匠とある不動明王の元で瀧行をしている時、どこからか蚊が鳴くような声が聞こえて来ます。?と見渡すと瀧場に置かれている不動明王の象からです。それで何を言っておられるのかと、同行していた最初の師匠を見ると、耳を押さえて地面に伏せています。

            理由を聞くと、瀧場のお不動様が大音量で私達に【不動経】を上げられたのですが、あまりの大音量の為に自分の鼓膜が破れてはいけないと耳を押さえて伏していたのですと言われます。今度は、逆のパターンが起きたのです。

             

            この世に出ておられる神々であっても、聖書の【言葉は神と共にあった】の言霊神たる存在がこの世に臨んで来ますと、とんでもない状態に入ってしまうのです。

             

             

            ヨハネの黙示録に、【言葉の王】が出て来ます。この世の終わり前、その言葉の王の言葉は神の「剱」となって諸国民を討つです。

            一読すると、何とも大袈裟なことが書かれていると思われますが、言葉は「光透波」ではなく【音波】であると理解出来ていないと大変なことになりかねません。

             

            私が神霊世界に入る切っ掛けとなった事柄は、私の目は開いているにも関わらず、周囲の明かりは何一つ見えない暗闇になり、地底から地響きと共に震え上がる「声」が私に臨んで来たのです。その声の恐ろしさは、その時の私にとってはとんでもないものでした。まさに、声に自分が殺されてしまうのかです。

            私はその時、その声は「地獄の閻魔大王」かと思いましたが、最初の師匠からは別の神との指摘を受けました。それは同じ地獄の主でも【別腑地獄】の神からでした。 

             

            スピリチュアルで、霊界では霊はテレパシーで会話するからと、聖書の【初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。】を軽視していると、その時には言葉の剱に討たれかねないともなります。

             

            また日本の神社に鎮座する神々では、創造神の言葉が臨む時には抗しきれないのです。何故ならば宇宙創造に関わった神達と日本の神社に鎮座する神々とでは、神としての規模が桁外れの違いになるからです。言葉で万物を創造した神とは、神社に鎮座する神ではないのです。

             

             

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            御臨終と五輪(地水火風空)終。されど、誠の力が世を救う

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              私のブログの読者の方から、一通のメールが来ました。その方に突然に【五輪終】の言葉が浮かんで来たと言われます。その方ご自身は時たま神的な物が見えるとか、言葉が出て来る能力を持っておられるようです。
               
              私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声の主は【私はこの世の幕を下ろす】と言われました。その一方、【私は永遠の嬉し嬉しの世に人類を渡す】とも言われました。だが、その世はこの地球上では無く、この地球とまったく瓜二つの地球だと言われます。
              そうした新天地の予告はヨハネの黙示録に出ていますが、その新地球の存在を知ると言う超能力者や霊能者の方達の話をまとめると、この地球とまったく同じで、そちらに移行しても何の違和感も無い。ただ、その世界は三次元世界ではなく五次元世界になると言われます。元々は七次元界に隠されていた同型バックアップ地球で、為に人の目や科学者だけでなく霊能者にもほとんど知られていない世界となるです。七次元界ともなると、通常の霊能者でも世に出ておられる神々でもアクセスは難しくなります。
               
              みろくの世は【五六七】とされますが、五次元・六次元・七次元で構成する世です。今の世は三次元・四次元・五次元で構成されている為に【三四五(みよいづ)】の世と日月神示などは書いています。
              旧約聖書の神と称する声は、その事態の時、【私は地球に居る人類を助ける為に、その前に多くの神司(かむつかさ)達をこの世に出す。だが、そなたはそうした神司(天使)が誰なのかは知ってはいない。また、そうした全ての神司達もそなたを知るのではない。それぞれの神司達がその役割に応じて、人類救済に働く。】と告げられています。

              それは、自分一人が【救世主】論ではないのです。今の世に肉体を持った多くの神司(天使)達が働くなのです。私は今の世が終わり、新しい嬉し嬉しの世(みろく世)に導く神司(天使)が誰であるかは知りませんが、そうした神司(天使)達が出て来るとは告げられている者なのです。
              【五輪終】ですから、当然に「東京オリンピック」をもって五輪が終わりと、誰しも頭に浮かびます。今の人類の歴史として最後のオリンピックになるかです。そして、もう一つはこの世での命が終わることも【御臨終】です。御臨終は肉体を持っていた者が、この世を去って霊界に旅立つ時に医師が発する言葉と言えます。言葉が掛け合わさっていると見るべきなのです。
               
              私は予言者ではありませんので、何の予言も出来ません。ただ、子供の頃は自分の身に起きる些細な出来事に関しては事前に解る時がありました。また、伏見稲荷山で修業時代は周囲に起きるであろう小さな事柄が事前に解るがありました。そうした自分の周囲に起きるであろう小さな出来事の予知は、自己の「副守護霊」レベルからのものと言えます。
              だが、副守護霊段階の力では社会(世)に起きるであろう大きな事件(天変地異)を事前に察知するのは難しいのです。それは並の神霊でも無理なことです。個人守護する霊が予知出来るのは個人的レベルまでの事柄なのです。
               
              自分には○○大神や大天使が降りて来ると言われるスピリチュアルや霊感女子は多数おられます。では、その霊は事前に予言して当てることが出来るかと言ったならば、ほとんどそうした能力を持っておられないがあります。

              私の元に○○大神からの予言として、○月○日に東京に直下型大地震。○月○日に東海沖大地震。○月○日に天から隕石の雨。そうした神霊からの予言を世間に広めて下さいとメールを送ってこられた方がありましたが、一度もそうした予言日が当たった試しがありませんでした。
              しかし、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるで、関東に直下型大地震や南海トラフ大地震が来るのは科学者でも言っていることです。そんな日は近く来るでしょう。しかし、その日が解らないでは、神も科学者の予測と何等変わりがないとなります。科学者では言えない日を予想出来るのが神です。今はそうした事は誰でも言える時期なのです。

              そこで、貴方の御祭神の余りにも当たらない予言の連発に関して、その○○大神にその予言が当たらない理由を聞き返しなさいと返答しましたところ。
              その神曰く。神が予言して当てたのは昔の時代であったからであり、今の時代はそうした予言は神はしない。そうした予言をするのは動物霊だとその方のブログに書かれていましたが、本人はそれで納得されたようです。
              エッー?。では、私の元に数々の日時の予言をして来たのは、いったいどなたなのですかです。

              では、何の為に私の元にそうした当たらない予言を数々送って来るのだとなります。当たらない予言を連発し続けて、神は今の時代は昔のような予言(大本教の出口王仁三郎聖師を指していると思われる)はしない。予言が出来るのは動物霊だ。と言われて納得するでは、その人は【矛盾】という言葉をまったく理解出来ていないとなります。
               
              確かに、個人レベルの予言はよく当たる方達が居られます。それに関わって来るのは蛇霊や狐霊と呼ばれる段階の霊で、その霊力が無いとよく当たる霊能者や占い師にはなれません。高い段階の神霊は、個々の人の個人的な幸せなどに何の興味も無いからです。

              私が霊能者として期待されながら期待外れで終わったのは、蛇霊や狐霊が関わっている下の霊世界がよく見えない。それに尽きたのです。それでは個々の個人の相談事には乗れないのです。優秀な個人相談の霊能者は蛇霊や狐霊に仕えるのではなくて、それらを【使役】出来るかで決まるのです。蛇霊や狐霊達が持って来てくれる情報が個人レベルの相談には欠かせないからです。
              誰が貴方を恨んでいる。生き霊を飛ばしているとかが解るからです。だが、上の神々はそうした個人の事柄に関心が無いのです。神社等に参拝して出て来られる神霊とは、そのほとんどは受付的な存在の霊が多いはずなのです。為に、そうした霊と会話して受けるメッセージとは、一般論であまり個々の人には役立たないものが多いと言えます。
               
              私はそうした蛇霊や狐霊を必要は無いとは言いません。その使い方一つで、大変便利な存在ではあるのです。その存在に逆に使われてしまうことが問題を起こすのです。
               
              大本教からは名だたる宗教家が輩出しました。日本の心霊学の父ともされる浅野和三郎師。世界救世教の開祖岡田茂吉師。成長の家の開祖谷口雅春師、合気道の創始者植芝盛平師。三五(あなない)教開祖中野與之助師。【九つ花】を最初に神から教えられた神道天居行の開祖友清九吾師等、数々の方がいられますが、大本教の出口王仁三郎聖師はそれらの弟子を【お山の大将に成りたい者ばかり。私が欲しいのはお山の大将達ではなく兵卒】と語っておられます。
              これらの方達は自分が大将格でなければ気が済まなかったのだと思われます。ですから、これらの方々には【みのか尾張の国の中から】の意味は解けなかった言えます。一つの高山に登るのに、お山の大将が多いと【船頭多くして、舟、山に登る】となってしまいます。

              国常立尊の世の大立替に【お山の大将】は要りません

              大将ではなくて兵卒達を必要としているのです。蛇霊や狐霊でも兵卒として仕えてくれなのです。そこに自分は〇〇大神や○○大天使名等の名は必要無いのです。自分は蛇霊です。狐霊ですでいいのです。私は神界の素浪人ですが、伊勢の天照大御神や出雲の大国主命様であっても、国常立尊様の元では【一兵卒】であらねばならないと言います。為に、【白狐】達や改心した【蛇霊】達に動きが出て来ると、神界上層部が動き出して来ていると見る必要があるのです。
               
              はっきり言って、まだ来てもいない未来を予言して、それが当たる神は非常に力が強い神霊なのです。単に霊が自分は○○大神とか○○大天使と名乗っているから予言が出来るではないのです。
              それを今の世の神は昔の神の様な予言はしないと言う霊は、その能力が無いことを公に晒されるのが怖いからと言えます。その為の【逃げ口上】とも言えます。そこを御神霊の言葉はごもっともではなく、この霊はさほど霊界では高い地位の霊ではないと見破らないといけないのです。
               
              どんなに優れた霊能者でも、100%の正解率を誇る方は居ないとされています。超一流の霊能者でも正解率は70%台ではないかと言われています。それは世に出ておられる御神霊では、神界の深層に坐します高い神霊段階ではないからとされます。つまり、前のブログでも書きました神界の【合目】の話がそこにも起きて来るのです。霊能者その方の魂の神界での合目(ご本人の神界で魂の格)が高ければ、高い神霊との交流になるので大地震の情報も掴めるとなります。
              私の最初の師匠は大本教の出口王仁三郎聖師には届きませんでしたが、豊受姫から阪神淡路大震災や普賢岳爆発などを事前に告げられていました。自己の守護神の格が高いと、そうした内容が降りて来るものなのです。
               
              大本教の出口王仁三郎聖師には並外れた予言能力がありましたが、私の役割は言葉の紐解きで予言は出来ませんが、東京オリンピックの開催は出来るのだろうか?。その危惧は持っていました。それは「酷暑」の為に開催が出来ないのではなく、その頃に何か【きな臭い】ものを感じるからなのです。それが私の「杞憂」であればいいのですが、予言が出来る方の中にもそうした危惧が起き来ているようです。
              他にも、「西暦2020年(東京オリンピック開催年)」に何等かの不安を感じている方達は出て来ているようです。

               
              そのメールを頂いた夜。私に見えた【五輪】とは東京オリンピックではなくて、仏教で説くところの【五輪塔】の五輪の意味で、【地水火風空の五大】の意味合いでした。その【五輪】が終わるでした。
               
              仏教の【五輪 地水火風空】は万物や宇宙の構成を指します
               
              その【地水火風空】のバランスが崩れてしまいますと

              地上世界は自然の猛威の中に置かれてしまいかねません


              地の崩れは地震のみならず大地の崩れにもつながり。特に山々が崩れて行く山崩れの霊的映像は以前から出ています。大雨でも簡単に山が崩れるです。水の働きの崩れは水害の多発もありますが、プラスチックゴミ等が海の魚の胎内に入り込み海洋生物の死滅が懸念されています。私達人類は間もなく食の岐路に立たされるかも知れません。火は炎暑等で農作物の実りがない不作から来る飢饉の到来。風は竜巻や突風の暴風。空は仏教においては「虚空」のことですが、この場合は空ではなくて「天」に置き換えないと意味が解らなくなります。天変地異の続発です。
              この「五輪」の働きがバランスを失えば、これを元に戻すことは容易ではないのです。と言うよりも、もう神に祈っても地球は現状回復をしないなのです。

              私の元に【五輪終】のメールを下さった方からの後、大阪を襲った台風21号の強風被害。そして、北海道の札幌まで被害を及ぼした【胆振(いぶり)地方の地震】が連続的に起きました。隠れていたものを出すことを煙で「いぶり」出す等と言いますが、ひら仮名で言えば同じ「いぶり」です。

              私自身には、それより前に【いよいよ風神・雷神が暴れる】が出ています。日月神示などにあるもののことかと思われます。

              まさに、【五輪終】に入って来たと言えます
               

              三千世界の大立替を予告する為に発祥した大本教の【基本宣伝歌】として、下記のものがあります。その中の「虧」は月の満ち潮を歌ったのではなく、月の表面が膨張(盈)して崩れる毀損(虧)を歌ったものなのです。この場合は隕石が地球に降り注ぐ、仏教で説かれた最期の火の雨ともなります。そして、大地は大地震等で沈むなのです。
               
              朝日は照るとも曇るとも 月は盈(み)つとも虧(か)くるとも  たとえ大地は沈むとも 曲津(まがつ)の神は荒(すさ)ぶとも 誠の力は世を救う
               
              しかし、悲観論だけではないのです。それに対する救世の力は「誠の力」だと、予告されたことなのです。巷で自分が「救世主」です「メシヤ」です「みろく」ですと名乗っている方達は愚の骨頂なのです。いくら名乗っても、「五輪」のバランスを戻せない。
              その時、私達は聖書の「神は言葉なりき」の言成るの【誠】の力を理解することになるのでしょう。
               

              今、一部から【言葉の封印解除】が言われています

              人類が助かる為の何等かの言葉が封印されているです。その言葉の封印の解除法が解れば、どのような事態になっても魂は救われるです。それが【誠の力は世を救う】です。
              私は以前から何等かの「言霊」の並びに、人類が救済される法があると見ていました。だが、どうにも解らないなのです。そのヒントすら掴めないなのです。
               
              如何なる言葉(言霊の並び)が封印されているのか?。それは【天の数歌】や【いろは】や【ひふみ】や【アイウエオ】や、少しの方ですが「アワ」の歌だと言われる方達はあります。
              が、私が見る限り、それらの既存の言霊の並びではないのです。既存の言霊にはとてもそれだけの威力はありません。たぶん、これまで世に出ていない言霊の並びだと推察はしていますが、現時点では私にも解りかねます。
               
              それをもって、即座にこの世の【御臨終】とは成らないと思いますが、私が霊界修業に入った頃。豊受姫からは貴方は「大嵐」の中を突破すると告げられた「大嵐」の始まりかも知れません。私もその大嵐の中をこの世の命が尽きる最後まで生き抜かなければなりません。
               
              私はそれに関しては、例え言葉の封印解除が誰にも出来ないとしても、旧約聖書の神と称する声から、【新しい天地を用意してある】と聞かされていますし、未来の世は【嬉し嬉しの世】だとも告げられていますので、その嬉し嬉しの新しい世(みろくの世)の天地に行けばいいだけだと深刻には捉えていません。ですから、私が説いている内容は【五十六億七千万】の仕組みを明らかにする大本教神諭予告【九つ花】で【みろく】を知るを明けても暮れても説いているしだいです。
               
              ただ、みろく世に入るキップは言葉の仕組みの解読者たる私を拝めば差し上げられるキップではなく、お一人お一人が自分で手に入れるキップなのです。金銭では買えません。唯一神たる創造神信仰と誰かを頼るのではなく、自己の反省(悔い改め)と世根(米)としての働きで各自が獲得するキップなのです。

              それ以外の方は、誰かが【言葉の封印】を解除するのにかかっているのかも知れません。

              世の中には言葉の仕組みを見ないで、「米」教は嫌いだと言っている方達がありますが、米教を知って、米教を語る個人の好き嫌いではなくて、その言葉の仕組みをした神の存在を理解して、その神を「拝する」でない限り、それを個人の好き嫌いにすり替えれば、その人は間違った道に入ります。これは個人の好き嫌いではなくて、言葉の神の【仕組み】であり、樹を見て森を見ずではダメなのです。

              12日に別内容のブログで更新予定でしたが、「五輪終」の後に大きな災害が立ててづけにおきましたので、かなり深刻になったかと急遽原稿を差し替えて少し早めて出しました。次の更新は本来の予定の18日に戻します。

              私ではなくて、もう【五輪終】の言葉を受け取った方が出た以上、もう残された時間は切られていると見るべきかも知れません。その方以外は誰も「五輪終」の言葉には気づかなかったとは言えます。

               

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              三つ星ベルト?。三種の神器と創造神の三位一体 その2

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                キリスト教では【三位一体】を言います。父と子と精霊です。どうやって、創造神たる神を父として、ナザレのイエスがその子で、聖霊達とで三位一体と言えるのかです。

                 

                それ自体はギリシャ語の「trias」の言葉から出たもので、言葉の意味は「3連構造」「3和音」「3つの徴」等です。英語で「トリプル」と言いますと「3人」を表したりしますが、その接頭語の「tri-」はギリシャ語やラテン語からなのです。

                仏教でも「本仏」と「両脇仏」で三尊形式で祭ったりします。また日本神道でも「三社形式」で三柱の神を同じ社で祭ったりします。別にキリスト教だけで無く、仏教や日本神道でも「三位一体」の型はあるのです。ただ、キリスト教では【三位一体】の意味を取り間違えたと見られるのです。

                 

                 

                私が今回受けた霊図は、私が天の御三柱神を表す徴として、少し前からマークとして出していた下記の図に近いものです。

                 

                以前に出していた図。

                 

                 

                 

                そして、今回出たのが

                 

                 

                 

                一つのベルトによって、その三つの力が「一体の力」となる

                 

                これまでは分散されていた三元の力(ミカド)が一つの力となって【臨む】です

                 

                 

                大本教神諭には、【薩張(さっぱり)】で改めるとあります。この「薩張」は明治維新の薩摩藩(○十)と長州藩(三つ星)の連合軍のことですが、天の御三体の造化三柱神の総合力と地の「○十(地球マーク)」の連合軍なのです。

                 

                 

                 

                大本教が予告した【薩張(長)連合】とは

                 

                太陽(日)と月をも一新して治める【明治】維新

                 

                ある著名な行者さんが、大本教で起きたことは【神界クーデター(神様革命)】の失敗だと言われています。しかし、大本教は予告編であり、【本番】は大本教とは違って来る。このクーデターとは武力の行使であり、【クー・デ・タ】とも書きます。

                 

                そもそも「弥勒」とは、いよいよ始まる改革の力であり、○十の印には軍馬のあぶみ揃えが出ます。

                果たして、江戸(穢土)城の無血開城で終わるのか?。それとも血の海(殺戮の丘)を見るかなのです。

                神界における【最終戦争】が起きうる可能性があるのです。

                 

                私も少し前までは、【○十】の薩摩の意味はこの地球の徴だと解っていましたが、長州藩の意味が解けていませんでした。

                 

                長州藩が【天の御三体の造化神】の意味であることを最近になってようやく解けたので紋を変えたのですが、そこに【三つ力(三元)】の意味合いが解りませんでした。それが、今回出たことで、それが本当の【三位一体】と言えます。

                 

                そして、

                 

                三元神の力は「天帝の剣」として全霊界に裁きの開始時に臨み

                 

                三元神の鏡は汚れなき人の玉と獣(汚物)化した玉とに別けて

                 

                三元神より選ばれし者達はこの世を卒業の「翡翠」色の首飾り

                翡翠は【羽根に非ず。羽根を卒業】する。本当の天人達に「翼」などは無いのです。

                 

                 

                早くから世の【大立替】を宣伝して来た大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は、その「大立替」を【宇宙開闢以来の大立替】で、三千世界(大宇宙)の大立替とも予告されました。

                スピリチュアルでは、何もしなくてもこの地球が自動的に五次元界に上昇するのであって、悔い改めなどしなくても【神の愛】で全ての罪は赦されるのですと、実に安易なことしか言われません。

                 

                私は2番目の師匠の元で修業していた頃、こうしたスピリチュアルの人達の背後に居る霊の【サニワ(審神)】をしていましたところ、そのほとんどは霊界の年老いた蛇霊で聖書に書かれる霊力を保有した龍神と呼ばれる様な存在も含めて蛇霊系でした。この宇宙を創成して来たところの「龍神」とは別物です。

                スピリチュアルと言う甘い言葉を使い、セッセセッセと大金を取るセミナーを催して、そのセミナーの受講者達に蛇霊を憑ける。

                スピリチュアルと言う言葉に憧れて、そのセミナーに大金を支払って蛇霊を憑けられて帰って来る。蛇霊を憑けられたことにより、少しばかりの霊力を貰って霊が見えると喜んでいれば、死後の行き先は魔界とか地獄界になるのです。

                 

                こうした蛇霊達は、過去に神々に憑依して「国常立尊」様を地の神界の主宰神の地位から追いやることに成功しましたので、自分達が敗退するなどはあり得ないと思っています。

                あの時、自分達は「国常立尊」を悪神として追ったことを天帝は承認されたではないか。まさか、その天帝が自ら天下って来る等、絶対にあり得ないと思っているのです。

                 

                私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫は私に対して【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き方。貴方の言葉による教えは天帝の「詔」と同じ意味を持ち、貴方の言葉の教えが聞けぬと言う神達は如何なる神であっても、ことごとく天帝により処罰されます】と言われました。

                その時、私は豊受姫から【言葉の神】と言われてその意味がまるで解りませんでした。また、「天帝」などと呼ばれる神が直接に神々を裁くなど、途方もない話だと聞いていました。また、【言葉の教え】とは何だろうと思っていました。

                 

                何故、予告された審判が【最後】とされて来たのか?

                 

                天帝が自ら地上世界に降り立ってする審判なので、これが【最後】の審判となるのです。

                そして、その審判で選ばれた者達は永遠の【みろく世】にと向かうのです。

                 

                天人界を訪問した人が天人達の噂話として、最後の審判が実施される。その審判は、各自の【良心】神の点数だと聞き及んだと言うように、最後の審判は【各自の良心神の点数】の判断であり、神の愛で全てを赦しますとはならないのです。

                 

                最後の審判は神界の神々による多数決ではなく、天帝の判断なのです。その時に多数決が民主主義だと言ってもダメなのです。誰がこの世をここまでひどくしたのかと、「詰問」されるのがおちなのです。

                大本教神諭、「この世に出ている神達の心の持ち方が悪かった」なのです。

                 

                そこに、造化三元神の合同の力が必要なのです

                 

                 

                 

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                三つ星ベルト?。三種の神器と創造神の三位一体 その1

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                  私は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を紐解く前、いろんな霊的映像を見させられて、その霊的映像からこの日本の日本語という【言葉】による仕組みの謎解きをして来ました。それ自体はほぼ終了しています。もう、そうした解読の為の霊界映像がほとんど降りて来なくなって来ているからです。

                   

                  しかしながら、大本教神諭が予告した【九つ花】だけで、何もかもが紐解けるということはありません。大本教は「世の大立替」の為に予告教団として出たとの指摘もあります。為に他に類を見ない大予言者と言える出口王仁三郎聖師を出したとも言えます。

                  その大本教から出された数々の予言の中で、最終的な【鍵】を握る一つに【綾部に天の御三体の神が天下ったならば】がありますが、それが何を意味しているかです。出口王仁三郎聖師が述べられた霊界物語の第22巻では、天の御三体の大神として【天照大御神、日の大神(伊弉諾尊)月の大神(伊弉冉尊)】となっています。

                   

                  私は伊勢神宮(天照大御神)や多賀大社(伊弉諾・伊弉冉尊)や国生み神話の淡路島の伊弉諾神宮(伊弉諾・伊弉冉尊)を参拝させていただき、大本教霊界物語の天の御三体の大神に【天照大御神、日の大神(伊弉諾尊)月の大神(伊弉冉尊)】としていることにおかしいと気づいたのです。

                  その天の御三体の神達であるならば、そこに【綾部に天下ったならば】の言葉を別に必要とはしないからです。現に伊勢神宮や多賀大社や伊弉諾神宮があるではないかとなります。そこから分魂を勧請するという方法もあるわけです。勧請とは、そうした本社本院から分魂を迎え入れることです。

                  私自身は多賀大社の伊弉諾尊と称する声から、ある女性を連れて多賀大社に参拝して来なさいと命じられてその女性を連れて参拝したところ、霊能者の方達から伊弉冉尊が本守護神と言われているその女性に伊弉冉尊が出て来られたがありました。その時の光景を巻き戻した別の霊能者の方が、その時の内容の意味をその女性に解説されたがあります。

                  そうしたことからも、これは言葉の意味の内容が違っていると思ったしだいです。

                   

                  大本教が隆盛を極めた当時は、大正天皇や昭和天皇を現人神(あらひとかみ)とした時代です。文章の表現に何か不都合があるならば、悪名高い【特高】に捕まり、獄死さらせれた人が続出していた時代です。特高の拷問で獄死した有名人に小説家の小林多喜二が知られていますが、戦前の日本が暗黒の時代とされる一翼にその「特高」の存在がありました。

                  戦前の日本に【言論の自由】ありませんでした。自分達に不都合な言論は全て特高が封じて弾圧したからです。その反省に基づいて戦後の憲法には【言論の自由】が取り入れられたのです。

                   

                  特高とは【特別高等警察】の略で、国家組織の根本を危うくする行為を除去する警察のことです。当時の大本教はその信徒の中に宮家の方や高級軍人達がいて、海軍の軍艦の中には大本教の神が祀られる等の有様で、出口王仁三郎聖師は皇居前で白馬に跨がり三千もの民兵的な組織の前でこれ見よがしに閲兵するなど、あまりのやり過ぎに国家皇室神道の日本国の根本を覆そうとしている危険思想の邪教集団と見られていたわけです。

                  実際に大本教はこの特高警察により、治安維持法を持って神殿群をダイナマイトで爆破され財産没収。出口王仁三郎聖師以下の幹部信徒は囚獄に入れられて幾多の信徒さんが獄死したのです。第二次大戦後に裁判で大本教は無罪となったのです。しかし、大本教は日本が敗戦国になったこともあり、その弾圧被害による国家賠償金は受け取らなかったのです。

                   

                   

                  天下るは、本来ならば【造化三神】と表現すべきところでしょう。が、それでは伊勢神宮の天照大御神を超えてしまうので「特高」に逮捕されるのは目に見えています。日の大神や月の大神とすることで、【厳瑞霊大神】に【厳霊大神】に【瑞霊大神】の働きを意味していることは解るのです。神の質たる「陰陽」と「火水」の働きからです。

                   

                  私はこの天の御三神の働きを【三つの玉(星)】で表現しました。厳瑞霊大神は【緑色玉】。厳霊大神は【赤色玉】。瑞霊大神は【青色玉】で表現しました。厳霊大神の働きは「火」であり、瑞霊大神の働きは「水」だからです。つまり創造神と言えども、火と水の働きがなければ何も出来なかったなのです。火(か)水(み)たるエネルギーです。

                  その赤玉と青玉に付する神名としては、通常の祝詞に書かれる神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)であろうとも、伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉(いざなみ)であろうとも、神の働きである「陰陽」と「火(か)水(み)」の意味であることが理解出来ればいいだけのことなのです。

                  大本教では厳霊を「大国常立尊」とし、瑞霊を「豊雲野尊」としました。それによって、神の理論だてが非常に解りやすくなったと言えます。その神界での段階が下がった神霊の働きとして、厳霊は「艮(牛虎)金神・国常立尊」として、瑞霊は「坤(羊猿)金神・豊国姫」とする大本教【神芝居】が演じられたわけです。

                   

                  私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【この私が仕組んだ神の世界の舞台の筋書きの観客は、神々や人民である】と告げられました。世に出ている神達に対して、この(創造)神の仕組みを見せてやる(創造神と一般の神霊の違い)です。こうしたことは大本教神諭にも書かれています。

                   

                   

                   

                  今回、私に【三つ星ベルト】という言葉が出て来ました。「三つ星ベルト」?。この日本に「三つ星ベルト」と呼ばれるベルト製造の会社があります。自動車のエンジンのところにある伝動ベルト等で名が知られる会社名です。しかし、その会社とは何の関係もありません。

                   

                  何が出て来たのかと言いますと、下記の様な霊図が出て来たのです。三つの玉が伝動ベルトで動力が伝わる様です。実在する三つ星ベルトの会社ロゴマークは、三角型の中に星が三つですが、私の場合は丸い玉(星)で駆動方式で出されたのです。

                   

                   

                  造化三神を意味する玉(星)が「ベルト」によって力を伝動する構図。 

                   

                   

                   

                   

                  しかし、そこに一つの言葉が出ます。三角型なので三つ角で【ミカド】を語るです。

                   

                  帝(ミカド)は、造化三神の働きを一体化した働き

                   

                  日本神道では【三種の神器】が語られます。八咫鏡(やたのかがみ)。草薙剣(くさなぎのつるぎ)、別名天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)。八尺瓊勾玉(やさかにただのまがたま)で、この三種を所有することが天皇の証とされています。皇位継承権です。しかし、皇位継承権は現代の学説では9世紀頃に成り立ったものとされています。元々神代時代からあったものではないなのです。

                   

                  そこに来る謎は、何故にその三種類が皇位継承の徴とされたかです。

                   

                  霊能力を持たれている方の中には、自分は霊的な「三種の神器」を持っている。だから自分が本当の天皇であると主張されている方達があります。「三種の神器」とは本来は霊界に在る事物で、この世に存在するものではないので、その主張を無碍に間違っているとまでは言えません。しかしながら、自分は霊的な「三種の神器」を持っているから自分が天皇だ!。その主張には正当性も見られないなのです。

                  それはどの神社の御祭神でも、【神刀と神鏡と玉飾り】を保有しておられるからです。そのことをもってどの御神霊も、それで自分が「皇神」の証だとは主張されることはありません。そこにあるのは、

                   

                  神剣と神鏡と飾り玉の三種が何を語っているのかです

                   

                  日本の神道における「三種の神器」とは、霊的能力が在った人が霊界に在る事物から、レプリカ的な物を創り上げたのではないかと推察が出来ます。9世紀頃に成り立ったものと、日本神道における神話をごちゃまぜにして論じて何の意味があるかです。

                  草薙剣は「熱田神宮」に奉納されているとのことですが、仮に何等かの鉄製の剣が存在していても、今では見る影も無いほどボロボロでしょう。下手に触れば崩れるです。それは鉄製だから錆で腐って来るからです。そんな物を保有していても、どれだけ神的な意味があるかです。

                   

                  私は修業を初めた頃は伏見稲荷大社講に所属していました。その支部は隣市の稲荷神社の社務所に併発されていました。最初の師匠がその神社で宮司を務めていて、伏見稲荷大社講の支部長でもあったからです。

                  その支部を併発する神社の社務所での月次祭の時、出座された豊受姫は私がこれまで見たことがない霊的「神鏡」を持って出て来られました。色は【白銀】色のように見えました。その神鏡から霊的な白い光が放射されて行くのです。それは、月次祭に参列している講員さん一人一人に獣の霊が取り憑いていないかを見る鏡だったのです。つまり、講員さんの魂が獣化しているかを見る【獣鏡】です。

                   

                  考古学で掘り出される神鏡は「獣鏡」とされますが、ああした物でその人に獣霊が取り憑いているかを見ることなどは出来ません。霊界の神鏡を見た者が、レプリカ的に造ったものが今日の考古学で言う神鏡とされていると見るべきでしょう。

                  また、神刀にしてもこの世で見る鉱物で造られたものでもないなのです。鉄製ではないのです。だが、霊界にはそうした霊的鉱物があると推察は出来たのです。

                   

                  特に霊能力がある人でもその魂の霊格に応じてですが、御神霊から霊的な神刀を賜ることは多いのです。

                  ある女性(豊受姫の分霊とされている方)は、大きな神社に行くとその神社の御祭神から霊的な神刀を賜るで、賜った神刀の数の多さにどうしたものかと悩んでおられたら、ある霊能者からそれは別の神社の神様に贈り物として差し上げたらいいで、霊的な神刀が神霊界で神々間での贈り物として多用されているがありました。

                   

                  私は修業時代、どの御神霊からも神刀を賜らない。で、行者をしている方達から貴方は神刀も賜らないで敵と戦うのにどうするのだと言われ、それを豊受姫のお代であった最初の師匠に話したところ、貴方に神刀などは要らない。貴方は神々によって守られている。どうしても必要な時には貴方自身の神(国常立尊)様から直接戴けるでしょう。とあっさり言われてしまいました。

                  が、二番目の師匠にその話をしたところ、お前のような正義の塊のような男に神刀を授けるような神はいない。お前はその神が不正義だと思えば、その神刀を授けた神ですらその神刀で切ってしまう。そんな人間に神刀を授けるなど、自分で自分の首を絞めるようなものだと言います。確かに私の性格ならばそれはあり得るなのです。

                   

                  私は、その二番目の師匠の御祭神で「国常立尊」と称している神霊から神刀を賜りましたが、その剣を持っていると霊達が自分を切ってください切ってくださいと押しかけて来るのです。その数が生半端ではないのです。霊が肉体に懸かって来ると自分が苦しいのです。そこで、その神刀を振り回すことになります。

                  霊が神刀で切ってくださいと押しかけて来るのは、何も知らない人からすると変だと思いますが、私が豊受姫の命令で現在地に家を建てる時、それを妨害する方がありました。すると、大国主命様が出て来られてその妨害者を神刀で切ってしまわれたのです。それを最初の師匠に話したところ、その妨害者は間もなく死ぬだろうと言われます。

                  ところが、その妨害者は死ぬのではなくて、その性格が一変してしまったのです。今度は逆に協力に変わったのです。その意味は解りました。その妨害者の魂は非常に汚れていたのですが、大国主命様が神刀で切られたのは、その魂の汚れた部分を神刀で【削ぐ】われたのです。為にその性格が一転してしまったのです。

                   

                  日本神道には【禊ぎ】の言葉があります。この「禊ぎ」は

                   

                  禊ぎ=【神との契約の示し】で、「身削ぎ・身殺ぎ」

                   

                  自己の魂の汚れた部位を、身削ぎ身殺ぎすることによって汚れ無き玉にする

                   

                  霊が神刀で切ってくださいと押しかけて来たのは、この禊ぎに「身殺ぎ・身削ぎ」の意味があるからです。

                  しかしながら、いくら汚れた魂でもその魂の汚れた表面を削れば、その魂は小さくなります。魂が人として幾度も幾度もこの世に輪廻転生で出た意味には、自己の魂を磨くと共に自己の魂を大きく成長させる意味合いがあります。

                  その魂を削って小さくしてしまうことは、魂そのものは救えますが最終的な手段になってしまいます。

                   

                  すなわち、外科的な手術ではなくて、何等かの薬によって魂の表面を削ぐではなくて、内部から魂の汚れを取ってしまうのが本筋なのです。

                  そこに出て来るのが、人には「良心と呼ばれる神が内在する」であり

                   

                  人の良心神は、魂の汚れを削ぐ神の「神刀」の働きを持つのです

                   

                  その神刀は魂の「心棒」であり、蛇霊はその剣(心棒)に巻き付くことによって、その人が自己の良心神に目覚めないようにするのです。

                  私が「良心神」と「蛇霊の囁き」とは常に対峙すると言うのはそこにあります。

                   

                  自己の良心神に気づけない間は、蛇霊の唆しに負けている

                   

                   

                  私が2番目の師匠の御祭神で「国常立尊」と称していた霊から賜った神刀は、霊界の妖刀村正かと思うような剣で、霊を切りたくなるのです。で、私はこの神刀は持たない方がいいと思って捨ててしまいました。すると、今度は霊が自分を切ってくださいと懸からなくなって来ました。そちらの方が肉体の身には遙かに楽なのです。

                   

                  どの御神霊でも三種の神器とされる【神刀・神鏡・神玉】を持っておられます。西洋で言う羽根を持った天使と称する霊にしても剣を保有しています。仏教で言う仏にしても、不動明王などの明王系や神将でも全て「剣」を所有しておられます。もし、神々でも天使でも「愛」だけを言うのであれば、まずその「剣」は捨てるべきものです。愛の論理とは反するでしょう。

                   

                  スピリチュアルで言う天使達は「愛」の言葉と裏腹に「剣」を持っている意味は何かです。 別に三種の神器をもって、皇位継承権云々ではないなのです。

                   

                  天の御三体の神の働きそのものが、三種の神器の型取りとも言えるのです。

                   

                  次回のブログにと続く

                   

                   

                   

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                  何故、大本教の仕組みにラ神論とス神論の二つがあるのか?。霊界の愛国の太陽神。霊国の月神の両目

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                    私達はこの世に生きていて、ある現実を誰もが知ります。それは、この世には生きた神様。生きた仏様と言いたいような素晴らしい行動の持ち主が居られます。自己犠牲をものともせず、世の為に人の為にと働かれる世根(米)たる人です。

                     

                    つい先日も山口県周防大島で2歳児が行方不明になり、78歳の国民年金暮らしの方のボランティア活動により助け出されました。もう少し発見が遅れていれば悲劇的なことで終わったかも知れません。この方など、まさに生きた神様、仏様としての活動に等しいと言えます。社会での世根(米)の実践です。この世を去れば菩薩界とも言えます。あるいは高い神上がりです。

                     

                    どんな立派な聖人でも、この世では完全な善だけでは動けません。この世では善なる者も悪なる者も混じって暮らしますので、悪たる者から受ける感情の影響を排除出来ません。悪たる者との交流においては、どうしても悪に染まる行為も起きて来ます。朱に交われば赤くなるですが、と言って周囲を隔離するなど現実には出来ません。それらの悪行を打ち消す作業が、社会に恩返しの世根(米)として活動するなのです。

                    大本教の出口王仁三郎聖師は、【地獄を覗けば、牧師や僧侶で一杯だ!】と残しておられますが、宗教家と言えども【世根(米)】の行いが無い限り、天国門を開かせるとはならないのです。 多くの宗教家が死後に地獄に墜ちている現実があるのです。

                     

                    私は某スピリチュアル教団の教祖と出会うことが出来ましたが、その信徒達はその教祖をキリスト的に崇めていましたが、そこの信者の皆さんの頭には白の三角頭巾があり。死後はその信徒全員が亡者道に入ると解りました。

                    また、その教祖自身は脱税で刑務所に収監されましたが、出所後に言った言葉は自分はイエスと同様に信徒の罪を被って刑務所に入ったと、信徒達に自分をキリスト化させていました。

                    その教祖自身が自分が信頼する霊能者に言った内容は、「自分は死後には地獄に墜ちるであろう。その時は自分の信者諸とも地獄に道連れで、地獄で自分の王国を創って自分の信者達の上に君臨する」でした。そこの信徒達は教祖を盲信している為に、その信徒達は助けることは出来ないと見ました。死後に亡者道はやむ無しです。

                    その教祖の本質を見破れなかった信徒にも罪はあるのです。上辺の愛の教えで教祖に欺されましたは通用しないのです。スピリチュアルで愛さえ言っていれば、あの人は正しい人だは道を誤ります。

                     

                    私が「玉置山」に参拝した時、そこに現れた平安期か鎌倉期の法華行者とその信徒と思われる霊約300体を、同行していた方と二人で別けて救う騒動に巻き込まれてしまいました。そうした霊は当時は何も解らずにその行者を信仰したのでしょうが、700年以上も成仏出来ずに居たとなります。

                    どうしてこうした教祖に欺されるのかと言った時、そこに人々の霊界に対する【無知】があるからです。そうした一例でも解る様に、【みろくの世】など簡単に出来るものではないのです。

                    今、スピリチュアルの世界では過去世でシャーマンであったと見られる霊が肉体を貰って続々と出て来ています。未だ自分が【魔界】に落とされていたことに気づかず、またもや同じ轍を踏もうとしてしておられます。

                     

                    その反対に、どうしょうもない自己中心主義者で、おまえは人間の屑かと言いたい人達も居ると言う事実にぶつかります。そうした人達の魂を見れば、どす黒く汚れていたり、捻れていたり、腐ったりしています。

                    何故に、同じ人間としてこの世に生を受けていながらも、こんなにその生き方が違うのだろうか?。そうした疑問を持つ人もあるでしょう。そんなことすら何一つ考えない人もあるでしょう。たぶん、大多数の方はそうしたポランティア精神の人は素晴らしいと拍手をしても、自分は動かないが大多数なのです。

                     

                    私はこの世での生きた神様。生きた仏様のような行動の方達は魂の点数が高く、自己の本位の方達の魂の点数は非常に低い事実にぶつかりました。神様、仏様と言っていれば死後に天国などは無いが私の持論です。

                    いくら自分には天照大御神や大国主命と名乗る霊や天使長や大天使が降りて来ると豪語されても、貴方自身の魂の点数を見るならば、その低い点数は何ですかとなります。世の為人の為にと自己犠牲を払っている世根(米)の方達よりも遙かに低い点数ではないかです。

                     

                    なまじ霊が見えると、言葉で仕組まれた「米」の教えを頭からバカにして来る人ばかりです。幾度も言いますが、日本語という言葉であっても言葉で仕組む等は人間術で出来ることでもなければ、世に神霊として出て神社に鎮座されている御神霊にも出来ないことなのです。そうした理解力が何一つ無いで、貴方が見ている神霊とはいったい何の神霊を見ているのですかと言いたくなるのです。

                    元は人としてこの世に出た存在でありながら、その姿は光輝く神霊のように見えても、さらに洞察すれば霊界の蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊の姿に【身変える】事実に突き当たるならば、それを一言で言えば仏教で説かれる【転生】ですが、そうした神霊を拝している限り、自分自身が【輪廻転生】から抜けきれないとなります。

                    私は霊能者をしている身ではありませんので、何の妖術も使わなければ何の奇跡の現出も出来ません。だが、私の魂が見えるだけの霊能者の方であれば、私の魂の美しさを言われます。魂にさほどの汚れを持っていないと告げられます。

                     

                    私は何一つ悪をしないのではなくて、悪をすることに喜びを持つ感覚が私にはよく理解出来ないだけなのです。それは悪をしてはいけませんと言う神の教えに従うのではなくて、そこに何の喜びも見いだせないだけなのです。

                    自己の魂に汚れが少ないと、悪に走りきれないのです。人が大きく変わるのは、自己の幸せに物質的な喜びを持つのではなくて、世の人々に感謝されることに喜びを得る。そこに尽きるのです。それが天国住人の生き方だからです。

                    霊能者で金儲けをして、その指先には高価な宝石をこれみよがしに飾り立てている方がありますが、貴方の死後の行き先は天国界では無く、地獄界とか魔界ですよ。どうしてそれに気づかないのですかなのです。

                     

                    私達の魂がこの世に人として誕生して来る前、この世から去った後に帰る世界は一般的には【霊界】と呼ばれています。

                    その霊界は第一天国、第二天国、第三天国。中有界。第一地獄、第二地獄、第三地獄界に区分けされて言われています。だが、それだけでは説明がつかない面があります。西洋の様な唯一神信仰の元にある方に関してはよく解りませんが、日本では既存の信仰する神霊が【主宰者】となっている霊界が別に存在していることなのです。

                    そうした事柄は、有名なスエーデンスウェーデンボルグの霊界日記などを読んでも書かれてはいません。私の場合は「稲荷神界」でこの世に関わる霊界修行を引き受けていただきました。すると、そこにスエーデンスウェーデンボルグの霊界日記では説明が不可能な事柄にいくらでもぶつかって来るのです。

                     

                    それは、御経の「般若心経」の前文に出て来ます【眷属】と呼ばれる龍神とか白狐とか天狗等の霊です。聖書には龍神とは【霊界で年老いた大蛇霊】とあり、日本の優秀な霊能者であれば「龍神とは、巳さん(蛇霊)が霊界で三千年の修業を積んだ存在」と言われます。大本教の出口王仁三郎聖師は龍神と呼ばれる存在の多くは蛇霊であるが、そうでない龍神があるとしか言われていないので、解らない面があったのです。

                    私には感覚としてよく解らないことがあります。蛇霊と落ちて悔い改めるのではなく、霊界で辛い修業を何千年も続けて龍神となって、そこに何の【意義】があるのですかなのです。

                    私は霊的な場面ですが、幾度か「龍神」の攻撃を受けて来ました。時には龍神群とチャンバラもありましたので、ヨハネの黙示録にあります「ハルマゲドン」は人類が起こすと思われる核戦争とか第三次世界大戦では無い。【神界における最終戦争】との立場を取っています。

                     

                    そうした眷属は聖書を経典とする西洋の宗教では意味がまったく解らず。この日本では解ると言う不思議な事実に遭遇します。また、白狐は単なる霊的存在ではなく、【この世の物質を纏って】人の目に現認される事実にも遭遇して来ました。また、人の目に人の姿としても現れることから、狐狸に欺されると言う話も起きたと考えられます。

                    私が神霊世界に入る切っ掛けとなった事柄は、私が師事した二人の師匠から、【貴方が出会ったのは人ではなくて、白狐が化けた人と出会った】と告げられましたが、人ではなくて白狐が化けた人と言われても当時は釈然としませんでした。白狐に憑依された人ではなくて、白狐そのものが人の姿で現れたなのです。

                    こうした霊が人の姿に顕現して出て来て欺しただけでなく、人を救った話は無数にあります。こうした出来事は聖書一辺倒に陥っていると、また解らない世界となります。

                     

                    大本教の出口王仁三郎聖師は、スウェーデンボルグが説いた霊界のことを【愛国】と言っておられます。愛国では天照皇大御神は【霊界の太陽】として現れるです。

                    この霊界の太陽とは、私が神霊世界に修業に入った当初、夜で眠ろうとすると瞑っている瞼の中に青空が出て来て、太陽がギラギラと輝く。あまりの光量とその熱で吹き出す汗でシャツ等の下着はズクズク。だが、目を開けるとそこはこの夜の暗闇。で、目を瞑るとまたもや青空に太陽が見えて来て熱で汗が噴き出す。そうしたことの繰り返しで眠れずに夜の暗闇の中で目を開けていたがありました。

                    それを当時の最初の師匠に告げると、【貴方は神界の入り口に来られました。神界の入り口に来ると霊界の太陽が出て来ます】と言われます。その後、私は眠る為に、その霊界の太陽を遮る為に霊界の雲をイメージで出して、その雲で霊界の太陽を遮るを覚えました。そして、普段通りに眠れるとなったのです。

                     

                    天の岩戸の太陽は無かったが、霊界の太陽はあった

                     

                    その後、こうした現象は何人もの人が体験していることを知りました。スピリチュアルの単に霊的な光を見たではなく、【霊界に現れる太陽】なのです。霊が見せて来る光とは瞬間的な光で持続しない光であり、【霊界の太陽】は熱くて熱くて汗が噴き出て来るなのです。ただ、そうした現象は不動明王が出て来られる時にも火炎で熱くて汗が出るはありますが、規模が遙かに違うとは言えます。

                    この霊界の太陽は私が見た限り、スウェーデンボルグが説いている霊界の太陽とは違います。スウェーデンボルグが説いている霊界の太陽は、他の霊界人がその間に入ると太陽が遮られると言っていますので、霊界で頭上高く輝く太陽とは違っているとは解ります。

                    スウェーデンボルグの体験記は言うなれば個人専用の太陽話であり、それが霊界の太陽と言えるかどうかとなります。私はスウェーデンボルグの高価な「天界の秘義」全28巻を購入しましたが、結局は書庫の肥やしと化しました。 第二天国界の天使の解釈などほとんど意味をなしていないからです。

                     

                    大本教の出口王仁三郎聖師は、天照皇大御神が霊界の太陽として現出される【愛国】では、第一、第二、第三天国界でその太陽の大きさが違い、上の天国世界では太陽の光が強すぎると残しておられます。

                    私自身は霊界の太陽で夜の重要性を認識したのですが、出口王仁三郎聖師は神司や天使達が住む世界は天人達が住む【愛国】ではなくて【霊国】と言い、月の素戔嗚尊として現出される世界と説いておられます。気候的には穏やかな世界とされています。

                    それよりも重要なことは、神司(日本で言う神々)や天使(西洋での神司)達は本物であれば素戔嗚尊が主宰される【霊国】の住人と言えます。また、出口王仁三郎聖師が言われたことは天照皇大御神も素戔嗚尊も同一神であり、その顕現の出方と言えます。

                    これは記紀神話の天照大御神は素戔嗚尊の姉君という内容には当てはまりません。それは記紀神話では、【厳霊(火)】と【瑞霊(水)】の違いを出し切れないからです。

                     

                    神の本質は、

                     

                    言葉で示し申す【叩曚肇┘優襯ーの【火水(かみ)】があるからです

                     

                    特に西洋の宗教、聖書には神の本質が【火水(かみ)たるエネルギー】が見事なほど抜け落ちています。為に、【言葉は神と共にあった。万物は言葉によって成った】。そのものが理解出来ていないがあります。本当に創造神を理解するには、【日本語】がないと出せないのです。

                     

                    出口王仁三郎聖師が説かれたことは少し解りづらいので、図式します。

                     

                     

                    私は長らく大本教神諭の【誠の人を西と東に立別けて御用がさして在るぞよ】を、大本教開祖の出口なお師と出口王仁三郎聖師のことかと思っていた時期があります。それにしては綾部と亀岡で【西と東】ではあまりにも近すぎると首を捻っていたのです。

                    大本教の出口王仁三郎聖師は【素戔嗚尊系神界】の魂であったことは知られています。一方、出口なお大本教開祖の魂は天照大御神の妹とされる「日稚女尊(若姫君)」とされています。大本教出口なお開祖の魂が天照大御神の分魂であれば別に疑問は出ませんでしたが、その妹の「日稚女尊」であれば?となります。

                     

                    さらに、大本教では三代教主補であった出口日出麿師に【日之出神】の名を持って来ました。この【日之出神】は調べてもよく解りません。伏見稲荷山の長者社付近のお塚には「日の出神」とする稲荷神のお塚が幾つかありますが、これらは単にお塚を奉納した人達がその稲荷神に「日の出」の名を附しただけにしか過ぎません。

                    この日の出神とは俗に言う「日の出」の意味を指すだけで、真性「天照大御神」たる存在を告げたのです。おそらく、伊勢神宮に鎮座される神霊と区分けしておかないと、話がややこしくなるからと考えられます。

                     

                    大本教神諭の誠の人を西と東に立別けたではなくて、言葉で成る「誠」たる魂を東と西に立別けました。【月は東に日は西に】。あるいは【日は東に月は西に】でもいいのです。元々は【日と月】とは一体のものなのです。

                     

                    そこに【ラ】神論と【ス】神論があるのです

                    どちらも、言葉で成り立つのです。

                     

                    スの神は【―(瑞霊たる横棒)】で、ラの神は【|(厳霊たる縦棒)】で、組み合わせると【十字】型。十字の神記号となるのです。

                     

                    スピリチュアルで自分に出て来る天使長ミカエルとかガブリエルと称する霊。こうしたことを何一つ語らないでしょう。

                     

                    これを記紀神話の様に別物の神として捉えたことが、過ちに入ったとも言えます。否、私が旧約聖書の神と称する声から聞いた、【日本神話の神代の話は私が創作させた】にあるのでしょう。記紀神話に囚われると、それでは何時まで経っても【天の岩戸開け】が何を告げるのか解らないとなるのです。

                     

                    大本教から出た大預言者出口王仁三郎聖師。素戔嗚尊の魂で【ス】神論を世に出して、大本教霊界物語第十三巻で「この大本教に現れた変性女子はにせ者だ。時節を待っていたならば【みのか尾張の国から】誠の女子が現れる。それを自分の事と思うのは曲津神」と残されました。

                    以後、【ス】の神の大流行となりましたが、意味することは第十三の「ス」の言霊は水たる横の瑞霊の働きです。そして「みのか尾張の国から」の第「四十一」の言霊は【ラ】で、火たる縦の厳霊の働きで天照大御神。ところが日本神話では太陽神の天照大御神を女神の物語として出してあるから女子と言っただけなのです。肉体を持った人のことではないのです。そこに、自分がみのか尾張の女子だと称する方は、曲津神に支配されているなのです。

                    為に、わざわざ別に太陽神たる【日之出神】の演技の役として出口日出麿師の演技があったと言えるのです。そしてそれらの解読のヒントは【龍宮の音秘め】にあったなのです。

                     

                     

                     

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                    神の高山は、同じ土俵でないと相撲を取ってはいけない

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                      日本の神事で国技とされる相撲は、序の口、序二段、三段目、幕下、十両、幕内等の階級があります。その取り組みは基本的にその階級内で行われることから、【階級が違う下の者とは同じ土俵で相撲が取れない】ことから、【同じ土俵で戦わない】と言う言葉が出ました。

                      無論、稽古で上位の者が下位の者に胸を貸すは戦いではないのでいいわけです。 特に神霊世界に関わる者は、この【同じ土俵で戦わない】が告げられます。神霊世界は神の高山と言われる【ピラミッド型】を構成をしているからです。

                       

                      行者間で、この神の高山を【合目】で表現される方達があります。ある著名な行者の判定では、大本教の出口王仁三郎聖師は神の高山たる神界「八合目」の魂であり、大本教の出口なお開祖は「七合目」の魂だったと言われています。伊勢神宮に鎮座されている天照大御神も「八合目」の神だと言われています。

                      大本教が【世の大立替】を宣伝しながら失敗したのは、大本教の出口王仁三郎聖師は素戔嗚尊の分魂ではあったが「八合目」神で、伊勢の天照大御神も「八合目」神。同じ土俵で相撲を取ったが、必ずしも勝てないがあったとする説があります。

                       

                      で、大本教そのものではなく宣伝された【世の大立替】時には、世に出ている神々、今の伊勢神宮に鎮座する御神霊よりも高い九合目とか十合目の神の分魂を持った肉体人が出るという説があります。そこに、自分が創造神ですかとか救世主と名乗る人達も出て来るなのです。

                      そうした方達は、自分は伊勢神宮の神からも大国主命様からそうした者だとして遇されたと言われます。そこに「しかし」と言う問題が出て来るのです。本当に大本教の出口王仁三郎聖師の段階を越えられているか?。です。神の高山の合目で判定すれば、四合目、五合目段階で何を言っているのだとなります。

                       

                      では、霊界ビラミッド(神の高山)が何を語っているかです。この図そのものは、以前にも出していますが、少し新たな説明を加えたいと思います。

                      これ自体は大本教教の出口王仁三郎聖師が告げられた神霊の階級の【一八十(イハト)】とは違いますが、それを十段階にしたのと同じ様なものでしょう。 囲碁や将棋の世界で【十段位】は一人しか存在しないように、十段は【唯一神】を意味して来ます。ですから、創造神以外は【九段】位の神が一番上となります。だが、立替時にはその「十段」の神が入れる容器と成る肉体人が出て来る可能性も否定は出来ないわけです。

                       

                      私の元には、自分がその【該当者】だと認定して欲しいと言うメールが時たま来ます。それにしては、あまりにも「無知」の方が多いが私の印象です。もっと勉強しないとダメですよなのです。霊の世界は騙しがあまりにも多いからです。霊に騙されても騙されても、また騙されに行くなのです。

                       

                       

                       

                      では、何故に段位が違う者とは【同じ土俵で戦わない】とされるのかです。それは自分が位置する「合目、合目」で関わる神霊が違って来るからです。自分で合目を上げて行かないと、下級霊の言葉に騙されてしまいます。

                       

                       

                      人の魂は多くの体験や経験を経て、その【思考回路】がより【創造神・天主】に近づいて行きます。創造神に近づくとは、単に霊が見える。霊と会話が出来るではなくて、自己の【意識】の問題に関わるからです。 私達は「みろく菩薩」の仏像を見た時、その弥勒菩薩は【半跏思惟像】で表されているものが大多数だと気づきます。

                       

                      弥勒菩薩とは、【思考(思惟)】する菩薩

                       

                      私達の魂は【玉型の思惟】

                       

                      玉思惟(魂)を磨くとは、そこに【思考回路】も加わって来るのです。【五十六億七千万】のみろくの仕組みは、創造神の【思考】によって成り立っているのであって、ただ闇雲に自分が「みろく」神ですと名乗ることではなかったなのです。

                      私達が持っている魂の【思考(思惟)】が【創造神・天主】の思考回路に近づいて行くほど、私達の魂は天帝に近づいているなのです。

                       

                      神界での自分の「合目」が低いとは、その思考回路の視野が狭く【井の中の蛙大海を知らず】で、その魂の器は小さな物ともなります。そこに片寄った人としての感情による主張が入り、物事に囚われが生じてしまいます。

                      実に愚的なことに拘り、それに命を賭けようとします。どうして、こんなことを解ろうとしないのかと言ったところで、聞く耳など無い。【問答無用】となります。神の高山の合目が低いほど【狭量】の心の持ち主となるのです。

                       

                      行を積んできた優秀な行者筋からすると、単に霊が見える。霊と会話ができるだけのスピリチュアルでは神の高山の【合目】が低く、そこに出て来る霊が名乗る神名や天使名などに簡単に欺されるなのです。その霊の正体を確かめようとしないからです。

                      そうした霊が審神(サニワ)されると、蛇霊や狐霊や狸霊等の動物名で表現される低級霊ばかりと言われているわけです。

                       

                      そこに、単に霊が見えるとか霊と会話するだけで、その霊の本当の正体が見えない者と【同じ土俵で戦うな】があるのです。仮に同じ土俵に乗って「相撲」を取ったところで、自己主張するだけの相手に無駄な労力を使うだけだからです。

                      本人は、端から自分には偉い神霊がバックに就いているで、自分に出て来ている神霊が本物かどうかすら調べようとしないからです。

                       

                      私達の魂は「輪廻転生」を経ながら「神の高山」に登っています

                       

                      神の高山は「体験・経験」を経て学ぶ高き山

                       

                      私は日本の神霊の神名は【神名機関説】ではないかと見ています。それは私自身最初の修業を伏見稲荷山で始めさせて貰いました。その時、豊受姫と名乗る御神霊は一柱ではなくて千柱までは行かなかったのですが数百柱以上も居られることが解りました。それらは全て豊受姫であっても、そこに順列が存在したからです。つまり神界の「合目」の問題です。

                      ある行者の方の説では、「大国主命」と名乗る霊は1万体以上も居られるもあります。当然にそれだけ同じ神名を名乗る霊があるならば、序列たる「合目」が生じていなければおかしいのです。

                       

                      同じ豊受姫であっても平社員、主任、係長、課長・部長。重役、社長の様な立場の階級があるということです。御本社と出先の神社の御祭神は同じ神名でもその立位置が違っているなのです。無論、その人が本社に行けばトップ神が出て来られるような方ならば、即座に出先の神社まで出向いて来られることはあるでしょう。

                      こうしたことは行者の間では【天使の階級章】とも言われおり、単に自分に天使長ミカエルが降りて来る式ではなくて、その天使と称する霊の霊界での階級を確かめなさいです。やはり、神界の【合目】と言えるでしょう。

                       

                      しかしながら、どのような神社であろうともその神社に鎮座する本当の神霊ではなく、ニセ者の霊もその神社から出て来ることが知られています。いくらその神社の御神霊が他の霊を入れない【結界】を張られていても、人に懸かっている霊はその結界を破り、その神域に入ることが出来るからです。

                      神社等によっては結界が張ってあり、立ち入り禁止の表示があります。では、そこを勝手に入ったら何事か起きるかと言うと、立ち入った人のほとんどは何も起きなかったと言われるでしょう。よほどの霊媒質で霊にコントロールされている人でも無い限り、肉体を持った人には霊的世界の結界はあまり意味をなしません。

                       

                      ですから、人の肉体に懸かった霊はその神社の神霊の結界を破り、その神社の神霊に成り済まして、その神社から姿を見せることも出来るのです。

                       

                      実際に伊勢神宮で「そなたがまことのみの尾張の女子だと」告げられて、伊勢神宮の御神示だから間違いがないと大本教に押しかけた男性霊能者の方がありました。 

                      私は自己の体験の中で、蛇霊が私の頭の上に載って、2番目の師匠が張った結界を破ってその師匠を攻撃したなどで、人は【霊(ひ)止(と)】の意味であることを理解しています。また、そうした人の肉体に載って結界を破る霊達の存在も見てきました。

                       

                      伏見稲荷山に参るにも、本殿当たりで霊に載られて、その霊を山の上に運ぶなどもあります。その霊単独では上に行けないことから下で人の肉体に載っかってしまう。やけに肩が重たいと思っていても、山の社に行くと肩が軽くなるなどがあります。その霊からありがとうございますと言われて、霊が自分に載っかっていたと気づくなどもあるわけです。

                       

                       

                      霊界では第一、第二、第三天国。中有界。第一地獄、第二地獄、第三地獄が語られるように、日本の神霊世界も同様に階級世界であり、いくら自分には霊が見える。霊と会話が出来ると言っても、自分の魂の合目の階級に応じた霊が出て来るのであり、別にその神霊界の頂上神が出ているわけでもないのです。

                       

                      優れた霊能者や行者筋は、大本教の出口王仁三郎聖師は凄い方であった。そうしたことを言われます。つまり、【合目】が理解出来ているのです。だが、こうした方達はスピリチュアルを非常に嫌われます。それはスピリチュアル霊感女子は合目で見ると非常に低い段階の方が多いからです。そこは行を積まれた女性霊能者の行者とは違うなのです。

                      ほとんどが三合目とか四合目等の段階で、自分には天使長ミカエルや大天使カブリエルが降りて来る。伊勢の天照大御神や出雲の大国主命様が出て来られる。で、貴方は自分がどの段階(合目)なのか解っておられるのですかとなるのです。こうしたことは合目だけでなく、【天使の階級章】としても語られるわけです。

                       

                      これらは別の霊能者からその霊が審神(サニワ)をされると、そうした大多数の方に降りているのは本物ではなくて、ニセ者の低級動物霊や人を欺して喜ぶ愉快霊であったりしているわけです。宇宙○○等と言っていたところで、サニワ(審神)されるとその背後に居る霊的存在は、霊界で年老いた大蛇霊(龍神とも呼称される)であったりもするわけです。

                      霊能者でも、他の霊能者からあの方は凄いと評価される霊能者でないとその実力は解りません。自分を騙しに来ている霊から、貴方は高いとか凄いとか言われて信じるなど、愚の骨頂です。低い霊の言葉に踊らされてしまうで終わってしまうなのです。

                       

                      私は2人の師匠について修業を終えた後、どこかに優れた行者さんが居ないかと人伝に評判を聞いた○○修験道の教会に行きました。すると、その評判が高かった教会長さんは亡くなられており、今の教会長さんはその息子さんでした。その教会長さんは私の質問の趣旨を聞くと、【申し訳ございません。当方の教会の御祭神は霊界での地位が未だ低く、あなたの質問に答えるだけの力はありません。】と言われます。逆に、私に【教えていただきたい】と質問されて来たのです。その立場の逆転です。

                      私はその○○修験道の教会長さんに、【今の姿勢を保って修業を続けてください。必ず上の世界と関わることが出来る様になります。】と申し上げて、その教会を去りました。それから数年後にその教会長さんの評判は上がっていました。なかなか、当方の御祭神は霊界での地位が低いなど、言える言葉ではありません。

                       

                      ほとんどの行者は、自分は偉い者だとか高い者だと鼻高々の為に天狗等の段階で終わっているなのです。スピリチュアル系だと、絶対にそんな言葉は出せません。自分に降りて来る霊は高級霊だと頭から信じ切っているからです。

                       

                      私達の魂は【輪廻転生】を通じて、神界ピラミッドたる神の高山(みのかおわりの国から出る41号線の仕組み)に向かって上がっているなのです。

                      大本教で告げられた【世の大立替】とは単なる世の立替論にはあらず、その時点に置いて各自の魂が位置する合目で終わることなのです。その地位で【永久】の新しい世に行くなのです。

                       

                      ですから、それまでに自分の神界での合目を上げておくが得策なのです。で、大本教神諭は「そんなことならば、どうしてもっと早くから教えないのか」で、長々と宣伝期間が続いているなのです。別に何月何日で今の世が終わる等は確定されたものではないのです。

                       

                      ただ、この地球を取り巻く環境はこの地球の存続に関わる危険期に近づいていることは、誰しも感じるところなのです。その時に何等かの人類の魂の救済の道は開かれるでしょうが、その時をもって各自の魂の地位が固定される。これまでの様な【輪廻転生】の道は閉ざされてしまうのです。全ての人が【みろく世の到来。万歳】とはならないのです。

                       

                       

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