輪廻転生における過去世のカルマの代物弁済

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    人の魂は基本としては「輪廻転生」をしています。しかし、それは全ての魂に当てはまるのかと言うと、魂を腐らせたり捻らせて破砕される魂も存在します。そうした魂がどうなるかを言われる霊能者の方は数が少ないと言えます。ほとんどの霊感者レベルだとそこまで知らないなのです。

    もし、そうしたことが解っていれば、スピリチュアルの【神は愛だ!。光だ!。何をしても神の愛で赦されます】のお題目は言えるはずがないからです。それでは、魂のことが何も解っていないとなります。

     

    それよりも、その人の魂を腐らせたり捻れることがないように教えをします。魂を汚す悪だけであれば、魂そのものは残ります。つまり【悔い改める】の教えが主体にならなければ嘘だからです。

     

    イエスも【神の世は近い。悔い改めよ】が本来の教えでしたが、蛇霊達に支配された後世の牧師達の会議によって、その言葉は書き換えられて、イエス一人が神の子で、イエス一人を神の子だと認める者だけが人類の原罪(蛇の囁き)から赦されて神の御国に入るのデッチ上げ教義がなされたと言えます。

    大本教から、【人は神の子・神の宮】と出されたことは、宗教的に言えば革命に等しいことを言ったのです。それは仏教における人は死ねば誰でも「仏」様だとは意味が違うからです。神界と呼ばれる世界があることも示唆したのです。

     

    私が初めて伏見稲荷山に最初の師匠に連れられて上がった時、その師匠は【自分の講員(信徒)の信仰態度はどうでしょうかと】私に尋ねられたので、私は【一人一人の講員さんの信仰態度は熱心であられる。感心はしました。だが、その信仰態度は神様から何かをしてもらいたいという現世御利益を求めての信仰です。それでは自分が神とも成れません】と答えたのです。

    すると、その師匠は私の言葉に驚いて、【人は神に成れるのですか?】と聞かれましたので、私は【人は神とも成れます。だが、現世御利益信仰であるならば、その神霊以上の神には成れません。神の世界に対して自分が何をするかで、そうした現世御利益の神達よりも上の世界の神と成れます。】と答えのです。

    その師匠は私のその言葉を聞くと、【さすがに神その方の言葉は違う】と言ったのです。その時、私は「人は蛇霊や狐霊の神よりも上の神界に行けますよ」と言おうとしましたが、新入りの私が口にすべきではないと止めました。しかし、私が神その方とは何だ?。です。

    その師匠に初めて出会った時、貴方は【白龍神の御子】ですと告げられており、自分は白龍神かと首を傾げていました。後日、私は自分が【白龍】として存在したことも知ったなのです。

     

    その後に伏見稲荷山にて、その師匠の口を通じて稲荷神界首座神の豊受姫より【貴方は言葉の神と呼ばれる貴きお方。貴方の言葉による教えは「天帝の詔(みことのり)」と同じであり、貴方の言葉による教えに従えない神は、如何なる神であろうとも天帝に対する反逆罪として天帝から裁かれます。】と告げられたしだいです。

    私はそれまで【言葉の神】など聞いたことがない神なので、何事かと首を掲げたのですが、外国に【異国の人が異国の言葉で主を語る。その人はその国では言葉の君と呼ばれている。言葉の君は自分は主を知らないと言うが、万軍の主は言葉の君のことを知っていて、全ての裁きを終えた後に言葉の君を万軍の主の元に呼び寄せる。その時を以てユダヤ人は救われる。】とするものを思い出して、そう名乗ったしだいです。

    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたを終わりの日には私の側に来させる。その日まで私はそなたには私の力は何も授けない。】と告げられてもいたからです。為に、終わりの日までは私は万軍の主を知る立場ではないのです。

     

    私が何故にその内容を覚えていたかと言うと、「ユダヤ人」を救う存在に興味を持ったことで覚えていたのです。また、【異国の言葉】と呼ばれる内容からです。もしかすると、その言葉とは【日本語】かです。私が子供の頃、私に臨んでいた霊声の主は、旧約聖書の神と称していたからです。ユダヤ人と旧約聖書の神の関係からです。 

    しかし、それで私が大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を誠で紐解くとは想像すらしていなかった話なのです。 大本教神諭には、【人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらず】とありますが、それを知らずに口に出していたとも言えます。

     

    みろくの世と宣伝されて来たことは、私達の魂が高次元世界に転出することではあるのですが、為には各自の魂が持つ【カルマ】が精算されなければなりません。最終的には全ての魂に対してカルマの精算に入りますので、それが終われば全ての魂はみろくの世に入るとはなりますが、この魂の精算の【浄化浄霊】が激烈を極めることになります。とても苦しいものなのです。

    為に、その精算の日が来る前に魂の浄化を進めておくことが良いわけです。そうすればその時を楽に越せるからです。その一番良い方法が創造神の存在を認識して、世の為に人の為にと奉仕する【世根(米)】と成ることなのです。

     

    大本教の出口王仁三郎聖師は「良心神」を直接に出さずとも、その代行として【愛善】と説かれたのです。 つまり「神の愛」で何をしても赦されるではなく、自分自身が他者に対して「愛をもって善」を施すです。ならば、働きとして「良心」神の代行となります。そこには単なる愛の言葉のお題目ではなく、【善】の施しがないと良心神の働きとは認められないのです。

    何故にそれが有効かと言いますと、良心(愛善)の行動は【自己犠牲】を伴っているからです。そこに来るのが【義(良心)】なのです。

     

     

    神の祭壇に「牛と羊の血を捧げ」は【犠牲】の言葉の意味で

     

    旧約聖書、義の者が一人も居なければ私はこの世を終わらせる

     

    大本教の出口王仁三郎聖師の演技から、救世主は【源の義経】のことだとされて、巷には自分の前世がその源の義経であったと呼称している霊能者の方達は幾人もありますが、その意味が解っておられないのです。

     

    源の義経とは、【我れは羊(義)】の経が源の意味

     

    義(良心による犠牲心)の人達は、神の世界へと上がって行く

     

     

     

    自己の魂のカルマや自分や家系のカルマの代物弁済として認められる事柄。

     

    一つに、自分の持っている財の中で、余力があれば弱き者に対する施しをするです。

     この自分より弱い他者に対する施しは、仏教では古来より説かれて来ました。

     イエスの教えの金持ちが天国に行くのは針の穴をラクダを通すようなものだではなく、

     金持ちであれば貧しい国の子供達の為に教育や生活改善に大金を出せます。世に恩返しです。

     先祖霊に問題があった場合は、先祖の名前の元で社会福祉に寄進するのが有効なのです。

     その場合は「地獄沙汰」が変わります。これが「地獄の沙汰も金次第」の由縁。

     

    一つに、神仏の存在を認識して、霊に祝詞や御経を差し上げる。

     これは御経や祝詞は【言霊】の働きであり、神霊や霊を清める働きがあるからです。  

     祈りとは自分に幸せを下さいではなく、世の為に人の為に祈る。経を唱える。

     自分の御利益の為ではなく、神仏や霊を助ける力となるからです。

     先祖霊の供養に自分が御経を上げるのもその一環です。言霊には光が宿るからです。

     

    一つに、自己の命を犠牲にして、他者の命を救う。

     こうしたことは仏教における【捨身飼虎】でも説かれて来たことです。

     この世で【義】で亡くなった人達は神上がりをしているがその証明なのです。

     

    一つに、言わずもなの社会に対する【奉仕活動】。世根(米)の働きです。

     こうした社会に対する「奉仕活動」はどの宗教でも説きます。

     仮にその教団が蛇霊神教団であっても個人の社会奉仕活動は有効に働きます。

     

    一つに、宗教家に「贖罪」で大金を出して自己の魂や家系のカルマの罪を売る。

     どの宗教でも「贖罪」を説きます。日本最大の宗教組織と思われる教団は、

     金を出せ。金を出せ。金を出さないと地獄に墜ちぞると説かれていますが、

     大金で教団指導者がその罪を被ってくれて、地獄は宗教家で一杯だとなります。

     

    一つに、社会に役立つ仕事に就く。

     特に人の命に関わるような職。警察官、消防士、自衛官等の命を落としかねない仕事。

     医師や看護師などの犠牲で成り立つ使命感を持った職。人を育てる使命感の教師等。

     一つの道を究める匠や職人なども社会に貢献して行きます。

     世に社会の底辺と揶揄される職業でも、社会に絶対必要な汚い辛い仕事をする。

     自分は汚い仕事は嫌だで、汚れないことを求める人の地獄行きが証明論。

     大本教の出口王仁三郎聖師、世の立替とは【牛の糞が天下を取るようなものだ】。

     世間から、どこの馬の骨か牛の糞と言われても、コツコツと社会の底辺でやり遂げる。

     

    今の世は、天国ではなくて逆に地獄界に行く道を選んでいる方が多いので、地獄界に落ちるケースを語った方が早いのかも知れません。

     

    私は稲荷神界を経て、言霊師の元に修業に入りました。その当時、夜に寝ようとすると多数の霊が【言い訳】をする声が聞こえて来て、あまりにも多数の霊の声が一度に弁明して来ますので眠れません。私は十人の声を一度に聞けたと言われる聖徳太子ではありません。そこで、当時の2番目の師匠に相談すると、【お前は地獄閻魔庁の判官でもあり、地獄界の天使だから、自分の罪を軽くして貰おうとお前の元に地獄に落ちた霊達が押しかけて来るからだ。夜でなく昼に来いと宣言すれば来なくなる】と言います。そこでそう宣言したならば、夜に無数の声の言い訳は来なくなりました。

     

    私はその2番目の師匠から【地獄界の天使】と呼ばれた言葉そのものは嬉しくありませんでしたが、私の背後には【閻魔大王】が居られることは解っています。自分ほど凄い霊能者は世に居ないと豪語して、生き霊で仲間と私を殺しに来た霊能者がその背後の天狗霊共々、閻魔庁の役人から御用と捕まえられたなどがあります。

     

    閻魔庁とは悪人や悪神を直接に捕まえる神界の警察ではなく、その魂が来世に人としてこの世に出して欲しい場合には羅城の【来世門】をくぐる為に出頭して来る霊界の役所です。ですから霊界で悪神達はこの世に人として転生を望まない限り存在して来ます。

     

    そこに【閻魔大王】の別名を【来世を授ける】羅城の【羅(ラ)王】とも申し上げているのです。

     

    羅城門のことを【来世門】と言うのもそこにあります。

     

    その来世門の門番たる邏卒が【鬼】と呼ばれ、【節分の煎り豆で鬼は外】と打たれているなのです。

     

     

    宇志採羅根真(ウシトラ金神)の九鬼神道の江戸時代の綾部藩では

     

    福は外、鬼は内

     

    現代の綾部藩の総氏神社であった神社では節分祭は行いません。福は外。鬼は内など意味が解らないから言えないのです。さりとて節分で鬼は外などはその神社の由来からしても出来ません。節分の煎り豆で、創造神を追うなどの行為は出来ないからです。

    なお、大本教では鬼は外ではなく、【福は内、鬼も内】で節分祭を行っています。

     

     

     

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    毒には毒をもって制する。蛇霊退治に強い蛇霊を持って制するで起きる新興宗教

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      私達は【毒を持って毒を制する】という言葉を知ります。薬は「毒」だという論が生じるのも、薬にはそれなりの毒の要素があるからです。だからと言って、薬を飲まないよりも飲んだ方が効き目があるわけです。

      そうしたことによる薬の弊害が【副作用】ですが、それをもって薬は不要論は行き過ぎとなります。薬を飲まないで自分のこの世での命を縮めるよりも、少しでも長く生きた方がいいからです。

      この世に長く生きているほど、【悔い改める】学びもチャンスも出て来ます。

       

      この「毒をもって毒を制する」は、自己を襲う悪しきものを制する為に、他の悪を利用する手法の意味にも使われます。

       

      例えば、自分がチンピラや暴力的な人から因縁をつけられたり脅かされた時、過去にはそれを排除する為に【ヤクザ】にお願いするがありました。結果、そのヤクザに恩義が出来て、なかなかヤクザと手が切れないが起きます。

      これまで大企業等と総会屋などのヤクザの間には持ちつ持たれつの関係がありました。政治家も然りです。だが、それは許されない時代となって、何時までヤクザ稼業が残るかです。

       

      暴力の排除を【893(ヤクザ)】に頼み。病の排除を【薬座(893)】に依頼する。薬も飲み出すとなかなか縁が切れません。薬とヤクザ(893)の間には、言葉による不思議な関係があるのです。

       

      宗教は一種の【麻薬】と言われて来ました 

       

      薬で【人の苦しみ痛みを緩和させる】

       

      宗教での【覚醒】、薬での【覚醒】剤

       

      スピリチュアルでは「覚醒」しなさいと盛んに説いています。一方、私達は麻薬などの「覚醒」剤が危険な薬物であることも認識しています。どちらも同じ【覚醒】です。何故に、同じ【覚醒】の言葉が使われて来たのか?。

      日本神道では【祓い串】として「大麻(おおぬさ)」が使用されます。刑法の大麻とは別物ではあるのですが、日本は国際条約に加盟しており、「大麻」栽培は禁止されていますが、神事に使われる「大麻」や麻繊維の収穫の為だけは免許制で栽培が許可されています。

       

      元々、大麻は宗教の世界では利用されて来ました。精神を「覚醒」させる効能です。精神を落ち着かせる薬効の反面、ありもしない幻影を見るなどがあって、薬物中毒で人を殺せなどの幻声を聞いて犯罪の引き金となる事件も起きています。それと同様に精神世界に入って覚醒による【毒される】も起きて来ます。

       

      覚醒は「薬」にもなれば、「毒」ともなる

       

      私が神霊世界の修業をしている時、幾多の【霊障】の事柄に関わりました。その多くは「蛇霊」による障りでした。しかし、それは全て蛇霊が悪いとは一概には言えなかったのです。【盗人にも三分の理】ありです。

      私が修行中に直接に関わった霊障事件から事例を挙げますと。

       

      時代は明治の初め頃かと思われます。一人の大工の棟梁の元で働いていた大工が屋根から落ちて大怪我をしました。ところがその棟梁はその大工を医師に診せて治療するではなく、ただ寝かせるだけ。食事も働いていないのだからとろくろくに与えずに、その大工は衰弱して死んだのです。

      その大工の霊は恨みから蛇霊と化して、その子孫を根絶やしにするで祟っていたのです。本来はその恨むべき相手は棟梁の大工ですが既に死亡していて、その恨みは子孫達に向かったなのです。そこに起きたのはその子孫の【精神異常】でした。

      その霊障を取るには、その子孫がその霊を【供養】すべき立場でしたが、恨み霊と化していた本人の霊がこちらの説得で自分の恨みを捨ててくれるで、この件は無事に解決したのです。ただ、その異常を起こした方の精神が正常に戻れたかまでは経過日時の関係で把握は出来ていません。霊障が取れたで即元に戻れるではないからです。

       

      蛇霊は全て悪とは片付けられないのです。蛇化した【目的】が何であったかです。

      蛇霊化はその「目的」に対する執着心の度合いとかで起きて来るからです。

       

      もう一つの事例は、当時の私は医療従事者ではなかったのですが医療に関する職場にいまして、肌が蛇のうろこの様な幼児に接しました。一般的には「魚鱗癬」と呼ばれますが、この幼児の場合は「難病」指定となっていました。極端な魚鱗癬でした。

      両親は最初の子がそうした難病指定だったので、次の子を産むのを躊躇されていたのですが、次の子は普通だと思って出産されたら、その子の肌も同じ「魚鱗癬」だったのです。私はその二人の子供を見ていて、これは蛇霊の祟りだと直感して、当時の2番目の師匠の元で「霊査」に入ったのです。

      その結果は、その子の御先祖様が畑で作業をしていて、そこにたまたま居た神霊に仕える神蛇を鎌で斬り殺して、その死骸を吊したのです。相手が神霊に仕えるところの神蛇であったが為に、その蛇霊が祟ったなのです。相手が神蛇霊ともなれば、解決は容易ではありません。

       

      私はその時の二番目の師匠に、この子供達の難病は治せますかと聞いたところ、治すことは出来るが、その両親が治してくださいと頼んでこない限り、かってに治してやることは出来ないと言われます。頼まれてもいないことに勝手な手出しは出来ないです。まして相手は神霊に仕えていた神蛇霊なので、両親の頼み無しでは無理なのです。

      と言って、その両親に霊能者で解決出来ますよと見知らぬ者が言ったならば、某宗教団体のようにニセ霊能者を使って高価な物品を売りつける者と看做されてしまいます。現在の新興宗教はそうした存在が多いからです。

       

      もし、その神蛇霊がこちらの説得に応じない時は、その神蛇霊との戦いになります。そうした神蛇霊には多数の部下霊が存在して来ます。こちらもそれだけの覚悟が要るのです。

      ほとんどのスピリチュアルと称される方達は安易なことばかり言われて、霊界での切った張ったをあまりご存じないと見受けられます。霊界の切った張ったの中で過去にどれだけの霊能者や行者が命を落としたかです。そうした事例をあまりにも御存じないなのです。 

      為に、頼まれもしていないことに、可哀想だからと言って手を出す神霊も霊能者も居ないでしょう。神社に参拝して、神様ならば何で適えてくれると勘違いしている人が多すぎるのです。時には神霊と神霊とがぶつからないと解決出来ないも起きて来るのです。そこに神霊と言えども、力が大切なのです。

       

      神霊世界は霊の力関係で動く、力が無い神は去れ

       

      こうした存在と関わって命を落とされた霊能者や行者はあるのです。よほどの霊力に差がなければ手出しは出来ないのです。私はこうしたことを霊界の切った張ったと言っており、単に霊が見えるでは飛び込めない世界なのです。

      テレビのオーラの泉で霊能者江原敬之さんが、俳優宇梶さんに憑いていた数十体の背後霊集団の攻撃を受けてのびてしまわれて、急遽側に居た美輪明宏さんが九字を切って江原敬之さんを助ける場面がありました。霊界における切った張ったはあの程度では済まないのです。単に霊がよく見えるのと霊達と戦えるのとでは違うのです。

       

       

      その人が過去世から持って来た【カルマ】が原因によるものは、自分が困っているから助けるのが神の務めだと言う論理は、自分勝手な論理なのです。そして、自分を助けないのは悪だと「罵詈雑言」を浴びせて来る人達がいますが、自分が反省すべき立場であることを忘れ去っているのです。

       

      私が最初の師匠の元に居た時、その師匠の御祭神である豊受姫は、病気治しは神の仕事にはあらず。まず、医師の元に行け。医師では治らないとなれば、その時はこの神に頼み込めでした。

      最初の師匠も二番目の師匠も、お金では絶対に動かない方であり、医師で治らない病を治癒しても料金は取らないでしたが、頼まれてもいないことには手を出さないが大原則と言えました。しかし、世の中には大金さえ出せば動いてくれる霊能者もあるなのです。そうした場合は何百万円も取られるとなるのです。

       

      私は霊能者をしている者ではありませんし、何神様かの「お代」をしている立場の者ではありません。為に、そうした能力を何も与えられていません。

      私の任務は創造神と呼ばれる神が存在している。その為の言葉に仕組まれたことを解き明かしているだけであって、自分が困っているから救わないのは悪神だと言われるのであれば、私は悪神と呼ばれても結構ですと言っています。

       

      自分を助けてくれるのが正神で、助けないのは邪神

       

      こうした考えの方は、何を教えてあげてもムダなところがあるのです。

      単に神社に参拝して、神様お願いしますと言ったところで、その頼みが聞き届けられるかと言ったならば、その願い人とその神社の祭神との間に何等かの「縁」がなければ、願いが聞き届けられるはあまりありません。しかし、神の取次をしているお代を通じてその祭神が約束してくれれば、その願いは聞き届けられるのが実情と言えます。

      神霊がその願いを聞き届けるには、頼む人の「熱心」さがあり、その「必死」さがその神に伝わらないと難しいのです。また、神の取次をしている人の存在の心が動かないと、本気では動かないとなります。神社の神主でもなおざりに宜っている人と、心を込めて宜る神主とでは違うと言うことです。僧侶も然りなのです。

       

      日本でもかなり大きな某新興宗教は、優秀な霊能者の間では【邪神の黒龍神群団】だとされています。私も豊受姫からあの宗教団体は【邪教黒龍神】と聞かされました。その信徒達に黒蛇霊を憑けて守りもしますが支配もするです。

      この宗教の開祖の教義は、あちらこちらの宗教のパクりだと言われています。確かにそうなのでしょうが、その背後にそれなりの霊力がある神霊団が存在しないと、その宗教は大きくなりません。その教団に【奇跡力】がなければ、何十万人もの信徒を持てる教団とはならないからです。

      この教団の場合、その背後に存在する神霊は名目上は【宇宙神】でも、力がある黒龍神だとされています。しかも、そうした教団の黒龍神の数は桁外れであり、ある意味そうした数の力が無いと大教団は創れないのです。

       

      多くの人に現れる【霊障】の多くには、蛇霊の祟りとか災いがあります。しかし、それらの霊障は小さな蛇霊からであり、その教団に入信するとそうした小さな蛇霊を巨大な龍神達が排除してくれます。それは、その教団を信じた人には【奇跡】力の現れとなります。自己の霊障が消えるからです。

       

      そこにあるのは、小さな毒を大きな毒で制した

       

      こうした教団で霊能力があり、信徒の内部リーダーをしている人からメールが来ました。その人が見た霊夢に、今の世から新しい世に代わる時、この教団がみろく世に渡すとする船が天から降ってくる火の焼夷弾のようなものでことごとく沈む光景です。一隻とて港を出航できない。このままこの教団に居たならば、自分はみろく世には渡れない。

      だが、その教団の仲間達は皆良い人達であり、いくらこの教団が邪教蛇霊集団だと解っていても、その仲間達を置いてはいけない。どうすればいいのかです。既に脱会した人からは脱会を薦められているが踏ん切りがつかないなのです。

       

      その教団の仲間達はその人の目から見れば、皆、良い人かも知れません。その教団の正体が邪教蛇霊だと解っても、仲間を置いてはいけない。自分は教団に残って内部から立て直して仲間達を救おうと思っても、それらの人達は既にその宗教団体に洗脳されており、個人レベルでは如何ともしがたいなのです。

       

      この教団の売りの一つは、教団の信徒達を【みろく世】に渡すです。おそらく、この方に教団が用意するみろく世行きの船はことごとく焼夷弾ようなもので海の藻屑として沈む光景を見せたのは、この方の家系守護神かと推察されます。しかし、この方は自分の肉体の【情】に囚われている為に、そうした光景を自己の守護神から見せられても脱会の踏ん切りがつかないなのです。

       

      人は情に流されて、道を外すが起きます

       

      この手の教団は【ス】の神を言っていますが、【ス】の神は世界救世教の岡田茂吉開祖が言ったものだと思い込んでいます。ですから、この手の教団からは【ス】の神が大本教から出たと理解出来ていないので、大本教神諭予告、【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】が出て来ません。為に、【みろく】神の意味すら知らないで「みろく世」を言うなのです。

       

      この宗教団体に居た方達が、脱会して幾つかの新興宗教団体を起こされました。そうした教団の一つに所属していた方が、あまりの体の不調で霊能者の元に相談に行ったならば、その霊能者から貴方の背後に黒蛇霊が見えますが、貴方は「蛇神」様を信仰しているのですかと質問されて、自分が信仰していた教団が蛇霊信仰であったかと気づかれて脱会されたがあります。

      その教団に入信した時、蛇霊によって起きていた【霊障】を取って貰った。で、それは宇宙の神であったと思っておられた。だが、それは力の強い蛇霊(黒龍神)が力が弱い蛇霊を制しただけで、根本的な【カルマ】を消すではなかったのです。

       

      ヤクザ(八九三)に助けられて、薬座(八九三)の毒を飲む

       

      そこに気がついたならば、仲間達は皆、良い人だから置いて行けないの情に流されるのではなく、終わりの時は後ろを振り向くな。神の高山に逃げなさいなのです。その神の高山とは国道「41」号線の41で示される言霊の意味なのです。それを【ス】の神として置くか、【ラ】の神として置くかで意味が違うのです。

       

       

       

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      この世における各自の魂の「縁起(演技)」と定めの道(宿命)

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        仏教では【縁起】が説かれます。仏教で説かれる【縁起】とは、

        この世における全ての現象は、原因(因縁)と条件が相互に関係して出て来るというものです。それらは「偶然」的なものではなくて、全て「必然」制を伴っているのです。しかし、今ではかなり学説的になっているので、逆に意味が解りづらくなっています。

         

        この世に起きる出来事は全て偶然ではなくて必然(因)

         

        私達の魂はこの世に肉体を変えて【輪廻転生】という【魂の更生(甦)】を起こしています。魂がこの世に出て来るのは、どこまでも【魂の更生(甦り)】の為です。その必要が無ければ、何もこの世には出て来ないのです。

        そこに、この世に出て来る魂は【出来損ないの魂】などの極論も出ますが、それは違います。そうした存在の魂も見受けられるですが、全ての魂がそうではありません。

        魂の「更生(甦り)」は、その更生しなければならない【因業(カルマ)】によるのです。それは【宿命】を伴います。自分はそんなことをしていないではないのです。過去に自己の魂がその因を積んだのです。そしてその因を消していないからです。だが、そのカルマが現象として今の世に吹き出して来るには、そこに【条件】が存在しているのです。

        ですから、何等かの条件が重なると、その人の【カルマ】が突然に吹き出して来るのです。その条件が出て来なければ【カルマ】はずっと眠っています。

         

        事故等もそうですが、そこに行かなければ事故らないがあります。その時がずれていれば起きないです。なのにそれが解らずにその時にそこに行く。結果、事故に見舞われるです。もらい事故でもそうなのです。因と条件が一致したのです。

        私は最初の修行は伏見稲荷山の豊受姫の庇護の元にして来ました。そうした時、その信徒の多くの人はその条件に出会わないように眷属達が動いていました。そこに行かなければ事故に遭わないから事前に防ぐです。そこには【足止め】ということさえ起きたのです。そこに行くと危ないからその人の足を止めて行かせないです。

         

        JR福知山線事故の時、その手前の駅で突然に一人の老母から車両から引きずり降ろされた人の体験談がありました。その人は事故を起こした列車に乗っておられたのです。だが、その手前の駅で老婆が手を引っ張って強引に下車させた。そして、その老婆はその人の前から忽然と姿が消えてしまったです。その駅で次の列車を待っていて、前の列車の大惨事を知ったの体験です。

        こうしたことは希には起きます。その老婆は神の化身だったなのです。だとすれば、あの事故は起こるべくして起きた事故なのです。必然の事故なのです。偶然などはないのです。

         

        よくこうした時、神は事故が起きると解っているならば事前に止めるべきだと、言う方達があります。神界とこの世では論理が違うのです。神霊世界は神の存在を信じる者は助けても、信じない者は助けないがあるのです。全員を助けるのではなくて、神が選別した人だけを助けるです。 

        私は神霊世界の修行に入った時、神は全員を助けるのではなくて、神を信じている者だけを助けるの意味が解らずに、豊受姫のお代をしていた最初の師匠と、よく論じていました。その師匠は神を信じない者は「神の子」ではないので神から捨て去られるでした。

         

        信仰する者は【儲(信者)かる】なのですが、信仰することで大難を中難にして、中難は小難にして、小難は消すで、カルマの完全消滅ではないのですが少しは軽くする。それは神信仰の御利益とは言えますが、それ自体は正神とか邪神とかは関係無しになされます。ただ、それが出来る力がある神霊なのか、力が無くて何も出来ない神霊かの違いだけです。力がある神霊だと大教団を創るなのです。

        私はかって同一の自家用車を単独事故で3回破損させました。しかも同じ箇所を一車検の間に3回もです。そうなると偶然ではありません。必然として起きたです。私はその事故による車の損害は自分のカルマを車が代わって取ってくれたと解りました。カルマの代物弁済です。

        そうした代物弁済は物質の損害によるカルマの解消で、いろんな出来事から体験しています。つまり偶然などはないなのです。

         

        各自の魂の【縁起】は、この世で自分が【演技】する

         

        自分は辛い苦しい。どうしてこんな目に遭うのか?。その多くの事柄は神が与えられた【試練】ではなくて、自己の魂のカルマと呼ばれる過去の遺産たる罪からの自己の魂の【縁起】なのです。それを世間の人がその人の【演技】として見ているのです。それも神からの「試練」とは言えば言えます。

        スピリチュアルでは自分の未来など決まっていない。どのようにも変えられると言う方達があります。だがその論には無理があります。未来は変えられる部分と変えられない部分があるのです。

        スピリチュアルでは、人はこの世に出て来る時、自分でプログラムを組んで出て来るとします。もし本当にそうであるならば、自分と関わる人達も自分でブログラムを組んでおり、自分のプログラムと他人のプログラムとが同じ計画でなければぶつかります。自分のプログラム通りに事が進まないなど歴然とした事実なのです。

         

        人には宿命(定め)があります。それは何人も逃げられないのです。それは私の以前のブログに図解で出しましたが、それは自分の【因果】を解消する為の道筋でもあるからです。その人生にも各所に【岐路】が出て来ます。間違った道を選ぶと、獣道とか外道の道に入るのです。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声からそのことを教えられました。

        その運命の分岐点たる「岐路、岐路」に来た時、正しい方向に導くのが各自の肉体の魂の守護神なのです。御利益を与えるのではなくて、守護する肉体の命を守るのが守護神の本来の役目なのです。

        信仰による日常茶飯事的に現世御利益に走っている守護神とは、自己の魂の本当の守護神ではないのです。外在神と呼ばれる立場です。ただ、その外在神と思われた神霊が自己の正守護神だったり本守護神となる人も希にはあるだけです。

         

        その肉体の守護神とは、主に副守護神と呼ばれている存在が主体ですが、それが分岐点で行く道を間違えると獣道とか外道の道に入ってしまうのです。それが【運命の分かれ道】なのです。ヤクザになる。犯罪者になるの分かれ道です。善い守護神が就いていると事前に犯罪阻止で犯罪者にはならないなのです。

        その分岐点の時、【蛇霊の囁き】が起きます。皆で赤信号も渡れば怖くないなどの主義です。自己の良心に反することを囁くのです。自分さえ儲かればいいじゃないか等や自分だけ得をしょう等です。他人のことなどどうでもいい。大切なのは自分なのだとか、遊興の世界にと自分を導くのです。

        聖書の蛇の囁きからエデンの園を蛇霊と一緒に追放されたアダムとイヴの話のように、全人類にはこの世にオギャーと誕生した時から蛇霊はついています。それは各自に課せられた蛇から脱却の【宿命】でもあるのです。その蛇霊の囁きから脱却出来たかどうかが、エデンの園(神の御国)に戻れるかどうかなのです。

         

        以前に出した図を再掲します

         

         

         

        天国界に進むには、大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた【神一筋の少途川】と仏教では説かれた【三途川】からの二つのコースがあります。この少途川の存在は大本教の出口王仁三郎聖師が世に出られる前までは解らないコースだったのです。創造神に向かって行く神一筋の道筋だったからです。僅かな人しかその道は存在しなかったのです。

         

        大本教からそれが出されたのは、創造神「国常立尊」たるウシトラ金神を世に出せた教団だからと言えます。創造神の存在を認めない者は創造神を知る世界には進めません。また、日本の神社の多くは創造神など祭りません。ほとんど消された神に近いのです。ですから、表舞台から退くの【艮(ウシトラ)】神です。

        三途川とは、【天国・中有界(現界差し戻し、輪廻転生が極端に早い)・地獄界】の三つの途があるで「三途川」と呼ばれています。その渡し場には脱衣婆(本当は麗しい女神)が居て、この世の執着たる身ぐるみを剥がして【ラ(裸)】にして舟に乗せるです。この舟に乗れると地獄界には行きません。 天国界か中有界です。

        臨死体験で三途川の手前に行ったなどの話はあります。渡ったら帰れないのです。ただ、黄泉帰り(蘇り)の場合はありますが、その場合はその人の人生は神仏の世界に奉仕するとなります。タダではこの世には帰さないです。

         

        私が説いている【米】一字型の教えとは、大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を誠の者がそのお世話をするですが、そこに説くのは【創造神のみを唯一神】とせよであり、三途川渡しのコースではなくて、神一筋の少途川コースを語っているのです。

        別に自分は旧来型の三途川コースで「天国」に行くでもかまわないのです。ですから、聖書を信じる立場であっても仏教を信じる立場であっても日本神道で行く立場であってもかまわないのです。ただ、既存の天国界は第一、第二、第三があると知られているように界がありますので、単に天国だけでは界が違って来ます。三途川コースで第一天国界行きはかなり難しいのです。少途川コースは創造神に向かっての信仰なので界上がりが早いとなるのです。

        戦前の大本教では特高警察による拷問で多くの信徒さんが獄死されました。これらの霊は霊界でも非常に高い世界に行かれたと報告されています。創造神に向かう神一筋の少途川コースだったからです。

         

        みろく世に渡る人には宗教宗派を問わず全てに【水晶玉】が与えられます。ただ、天国門は【良心神】の点数で判定されるので、神は【愛】だと言っているだけの愛の教えでは良心神の点数が低くて、天国門が開かないなのです。仏教の盂蘭盆の起源となる目連尊者の母親は目連尊者に惜しみなく愛を注ぎました。しかし、結果としては餓鬼地獄界に墜ちたなのです。私は生前はそれなり宗教家や行者が地獄界に墜ちている様を見た一人です。

        愛一辺倒のスピリチュアルでは「良心神」の意味は解りません。単に良い心のことだ程度の感覚でしょう。良心神とは魂の「核」と呼ばれるもので天帝からの分魂たる「直霊」のことです。その働きは各自の良心として働くのですが、その点数を上げるとは世根として世の為に人の為にと尽くした点数なのです。その世根のことを「米(ヨネ)」と言うだけです。

        自分は霊が見える。霊と会話出来るで低級霊界と関わっていても、そうしたことは教えてくれません。

         

        ですから、米の教えは大衆に迎合する教えではありません。現世御利益主義でもありません。その数字で示される言霊によって成っている【九つ花】の仕組みを見て、誰がこんな仕組みをしたのか?。既存の神霊では無理だと言っているのです。

         

        それで自分自身が創造神に向かって行くかどうかなのです。私を宗教団体の教祖の様に拝むとか私に天国行きキップを頼るのではなくて、自分自身が創造神の【僕】と成るなのです。

        最近、某神霊系で多数の黒龍神を配下とする霊団の指導霊達が、私のことを言葉の神、【孤高の覇者】と言って来られましたが、私は日本のどの神にも与しません。私が仕えるのは【創造神】と呼ばれる神だけです。その【僕】で充分なのです。

        私が霊界修業に入った頃、伊勢神宮に鎮座する御神霊から万体に及ぶ絢爛豪華な神霊行列を見せてもらいましたが、既存の御神霊に仕える気はないので今も神界の素浪人をしているのです。

         

        人は今の世の自分の生き方しだいで、【五六七】次元の世にも行けますし、【七八九】次元の自分の魂の御親神(本守護神)にも逢えるなのです。

        神は愛だ!。光だ!で、六次元黒龍神で太陽の様な光を見せて来る霊界で、何をしても神の愛で赦されます等のスピリチュアルに引っかかっていれば、一説では六次元界までは邪神達も存在するとされる霊界で仮に五次元界に行けたとしても、自分の魂の御親神となる本守護神には出会えないとなります。

         

        聖書には第一の死と第二の死が記載されますが、魂が肉体を脱いで霊界に行く時が第一の死であり、その魂が霊界の最後の審判で「創造神派と反創造神派の神々の二線に分別」されることを第二の死とも言います。

         

        創造神は霊達を裁くではなくて、二つの世界にと捌くのです

         

        どちら世界を選ぶかは自分しだいです。現在、多くの宗教団体は【黒龍神】の支配下にあります。ただ、黒龍神達が一致団結して、自分達が支配できる世界が人類に永遠の幸福を授けられるとは考えにくいのです。必ず、俺が盟主だで黒龍神同士で盟主の地位を巡って争います。黒龍神界での内部抗争・神界戦争です。

         

        大本教神諭に【ユダヤの悪鬼】がありますが、その線路を敷設して来た実働部隊が【黒龍神】達なのです。これまでは世の中を支配できたのです。だが、その線路の施設計画自体が甘かった。その線路の先に人類の未来が見えて来ないなのです。大本教神諭にある【この世を泥海にするユダヤの悪鬼の仕組み】です。計画そのものの失敗です。

        スピリチュアルでも人類の未来が見えていないと言われるのは、このままに進めば人類にあるのは泥海の世界だからです。 何故に【世の大立替】論が出て来ているのか?。このままでは人類に先の未来が見えて来ないからです。

         

        ですから、創造神はそれらの神達を裁くのではなくて【捌く】で、創造神の存在を認めて信じる者達は別の世界にと向かわせるなのです。まったく新しい高次元の世界にです。そこに出て来ているのが【新地球論】による「みろくの世」なのです。その新天地に関してはヨハネの黙示録の時代から予告されてはいるのです。

         

         

         

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        宗教家がき

        私達の魂はどこから来たのか?。本守護神・正守護神から分魂で生み出された

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          人の肉体は死ねば終わりです。肉体は時と共に衰えて、やがて滅します。それは誰も逃げられない定めと言えます。私達の肉体に【不老不死】などはありません。

           

          では、何故に【魂】という永遠性の【心】の存在が説かれるのでしょうか?。

           

          この宇宙の初発に【おおいなる意識】が存在したのです。この大いなる意識は、あらゆる【命(みこと)】を生み出したのです。それは大いなる意識による【想像】であり、想像による創造物に【命(みこと)】を与えたのです。

           

          ですから、想像(創造)神は存在していないのではなく、宇宙に存在はしているなのです

           

          この【命(みこと)】たる息吹を【御言(みこと)】と言います。これが聖書における【言葉は初めに神と共にあった。言葉は神であった】となります。

          その言葉の働きは【流(龍)】たるエネルギーであり。想像神の【息吹】とも言います。命として「想像神の心を吹き込んだ」のです。想像神が死すると、この宇宙そのものが消えてしまいます。 ですから、想像(創造)神は永遠に不滅なのです。

          私達の魂は創造(想像)神とは比較にはならない小さな存在ですが、想像神と同様に【意識】を持ちます。この意識は【玉型の思惟】なので【魂(玉思惟)】と言います。想像(創造)神とは心が無い存在ではなくて、【心】という存在を万物に与えたのです。

          仏教では万物は【無】から生じたとしますが、確かに最初は【無】であっても、創造に関わる段階で「主の御心」が入ったのです。ですから、【心】が永遠性を持ったのです。そしてその【心】は【意識】とも呼ばれるのです。

           

           

          魂(玉思惟)の【思惟】は、【意識(心)】のこと

           

          万物には創造神の【息吹(命)】が宿り、命を【ミコト】と言う

           

          ミコトは【御言】で、創造神は御言で仕組みをされたのが日本語

           

          この宇宙の初発に誕生した想像神の息吹たる【流(龍)】の存在が、金龍(国常立尊)とか銀龍(豊雲野尊)とか言われているわけです。この【流(龍)】とは、瀧場など行くと祀られている「龍神」とは別物で、龍神と称される多くの存在は聖書における【霊界で年老いた大蛇霊】のことなのです。

           

          そこから、万物を創った存在は【蛇霊】であるとの説まで出て来ました。蛇霊こそが神なりです。そうなりますと、聖書の【言葉は神であった】が解らなくなり、蛇霊神信仰にと傾いて行ったと云えます。

          世界中で蛇霊が【聖なる存在】として、また【神的存在】として祀られているのはその為であり、それらは周知の事実です。

          聖書における【人類の原罪】は、人類の祖と説かれるアダムとイヴが蛇の囁きからエデンの園から【蛇と共に追放された】とありますが、誰もそこを見向きもしていないが今の世の現状と云えます。蛇の囁きとは何か?。です。

           

          真の天国に帰るには、【巳(蛇)帰る】が条件となる

           

          私はヴェーダ典の【人の中に眠るコブラ蛇が走り上がる時、その人は真理に目覚めるを体験して、以後、【真理】とは何かを模索して、お釈迦様はそれを説かれたがイエスは説けなかった。お釈迦様とイエスの教えの違いにそれがあると閃いて、それを求めた結果。お釈迦様の本当の悟りは【人に内在する良心神】に行きついたなのです。

          それ自体は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】で解き明かすお釈迦様の死後【五十六億七千万】の「みろく」であり、出口王仁三郎聖師の予言【みのか尾張の国から現れる誠の女子】の仕組みにおいて裏打ちされたと云えます。

           

          大本教神諭には、【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸。それは誠の者でないとそのお世話が出来ない】とあり。大本教の出口王仁三郎聖師は【神の九十九織り】。それを見ないと神の仕組みが解らぬと告げられましたが、【九と九】で織られた物を見ない限り、万物の創造神が言葉で何を仕組まれたかは解らないのです。

           

          日月神示において、【九十九%は邪神】とありますが、これは「99%」は蛇霊からの脱却が出来ていない意味なのです。

           

          では、蛇霊とは何かです。

           

          蛇霊とは、よこしま(邪)な心 【邪の道は蛇】

           

          よこしま(邪)を心を持つとは、他人に対する恨み辛み妬みなどから起きる未練や執着。権力や地位で人を支配する力の誇示。自分の欲望の為には他人を蹴落とす。力の暴力。自己中心主義。自分勝手。また、異性に対する過度の色情。過度の飲酒により事件を起こす。ゲームやスマホに見られる遊戯などに過度の依存。麻薬などの常習。そうしたことが霊能者の間では蛇霊化の原因とされています。現代人の多くは地獄への道を目指していると云えます。

           

          日本の神智学で「愛」しか言わぬ者は蛇霊の教えに犯されている者としますが、スピリチュアルと称する人の中には、良心など重たいから捨てましょうと平気で言う方があります。良心と呼ばれる存在があることは誰もが知っています。しかし、良心の呵責は重たい。そこは理解はしているのです。だが、下手に良心など持つと自分が苦しいから捨てましょうとなるのです。

          人に内在する良心神が解らないのは蛇霊の教えに毒された者で有り。日本のスピリチュアルで見られる多くの霊感者の前世は古代「シャーマン」や魔女であったりで、当時は「蛇霊」神に支配されていたなのです。

          日本の神社に行っても、「蛇や狐」霊が神として祀られている現状を知るならば、その霊力がどこまでこの世を支配していたかは見えて来ることなのです。

           

          私は人の魂の心棒(良心神)に蛇霊が巻き付くを見てきました。それを見た時、これは一体何だろうと思いました。世界の宗教を見ても、そうした教えがどこにも出ていないからです。また、改心した邪神が涙を出すと、現実界の蛇が棒の様に直立をするを見て、【蛇】の漢字の意味を理解したのです。

           

          私の霊界修行の最初に抱いた疑問は、蛇霊や狐霊は神として祀られているのに、どうして人は神として祀られていないのか?。この世を去った人達の霊はいったいどこに行ったのだろうかでした。無論、本当の天国界に行った霊はこの世の神達が支配する対象ではないので、この世の霊界に居なくても不思議ではないのです。

          過去にこの世に人として出た魂で神霊として祀られているのは、この世に生きている時には【義人】であった様な神上がりした方や、菅原道真公で解る【怨霊】となったことで、その祟りを恐れて神霊として祀られているなど僅かなのです。

           

          大本教神諭に、【人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらず】とあります。人は神とも成れるはずなのに、これはどうなっているのだとなります。

           

          さて、この記事の本題である「人の魂はどこから来たかです」。当然に、元の元を言うなれば、全ての万物を生み出したのは【想像神】であり【創造神】です。

          それを持って、人は【一人一人が創造神】だと叫いているのは邪神に毒された者と言えます。いくら、霊が見える。霊と会話出来ると言っても、低い霊界に関わっているだけで、自分の魂を見て見なさいとなります。魂の点数がまるで上がっていない。ひどければその魂は捻れてしまっているです。腐っているです。それでは、創造神などには永久に辿り着けません。

           

          人の魂は、創造神による宇宙創成に関わって来た段階の諸神。人の立場から言うと大本教から出された【本守護神】の段階。その本守護神たる【天津神】と称される段階から分魂された高級魂。その高級霊の段階が【正守護神】であり、私達の肉体の魂は前回のブログで書いたコップの水のスポイトの一滴であり、まずは自分の魂の本体たる【コップ】に戻らないと行けないのです。ですから【次元】という言葉の存在を抜きにして語ることなど出来ないのです。

           

           

          正守護神→本守護神→創造神の段階を無視して 

           

          一人一人が創造神だはあり得ない

           

          いくら霊が見える。霊と会話が出来る。呪術にたけていても正守護神段階の霊を倒すなどは容易ではないのです。行者や呪術師の中には神霊すら封印するなどがありますが、本当に力を持った神霊を封印するなどは人間には出来ません。次元が低い世界に居る霊が次元の高い霊を封印するなど不可能なのです。

           

          大本教神諭に、【人には一体の守護神が就けてある】とありますが、では、それは正守護神かと言いますと、正守護神のことではありません。本守護神・正守護神は自己の魂の【内在神】であり、外在神ではないからです。

           

          内在神は自分の魂の汚れを浄化させないと出て来ません

           

          では、どの人にも就いている守護神とは何かです。大本教からは「本守護神」「正守護神」「副守護神」が出されました。そしてこの論理は、現在の新神道系の教団でも説かれています。人には誰も就いている守護神とは【副守護神】段階と言えます。

          問題は、その【副守護神】の定義なのです。通常ならば【正】に対する【副】なので、会社で言えば社長と副社長の様な関係に思えますがそうではないのです。同一的段階の存在の補佐役ではないのです。霊界ではずっと霊格が下にあり、次元すら違って来ているからです。 

          大本教から出された副守護神は、当然に正守護神の段階ではなく、まだ魂が浄化されていない悪神的存在と出されました。悪の副守護神が自分に就いているでは、当然に「ギョッ」となりかねません。副守護神とは自分を悪の道に引きずり込もうとしている存在かともなります。

           

          この副守護神の定義はかなり幅広いと云えます。霊能者下ヨシ子師が副守護神とは自己の家系の御先祖霊で、地獄界から抜け出す手前にある霊で肉体の子孫を指導して、子孫の肉体の魂と一緒に修業の結果、自らも天国界に入る一歩手前の御先祖霊と述べておられます。

          他の霊能者の方にも、自分の家系の五代前か四代前の御先祖霊がその役割を背負っていると言われる方もあります。先祖供養先祖供養と言いますが、だいたい五代前より古い御先祖霊は輪廻転生の中で生まれ変わっている存在が大多数なので、この世に関わる霊界では見当たらないのが現状だからでしょう。

           

          私は子供の頃、自分にお坊さんの姿をした霊が就いていていると解りました。自分の家系の御先祖霊だとは感じましたが、私の家系にお坊さんに成った人など居ないと聞いていましたので、坊主姿を変だなと思ってました。

          私が霊神霊世界に修業に入った頃は、そのお坊さんの姿をした霊がよく出ていました。私を守ってくれていたのです。霊能者の調べで、それは私が生まれた家系の御先祖霊であるとまでは解りました。ただ、私の家系は肉体の祖父は養子で、その先祖霊とは直接的血脈はありませんでした。

          さらに出雲大社教の霊能者の調べで、それは私の家系の五代前の先祖霊と解りました。私の家の仏壇に白蓮の蕾が出て来てパカッと花が開くと、金文字で「日蓮、日蓮」とフラッシュして、さらに「南無妙法蓮華経」の金文字も出て来るで、遠くに引き籠もっていた最初の師匠の元に慌てて走ったところ、その五代前の御先祖霊たる方は日蓮聖人の御分魂だと判明しました。日蓮聖人ほどの方だったから、自分の御分魂を世に出されたです。

          その御先祖霊はお坊さんではなかったのですが「法華経」を学び【妙見信仰】に入られて、かなりの行を積まれて、自分の魂の本体たる「日蓮聖人」に近くなられていたなのです。為にその姿を見たサイキッカーなどが、日蓮聖人さんのように見えるが日蓮聖人さんと少し感じが違っていると首を傾げていたりもしたのです。

           

          道理で、私の前に日蓮聖人がその弟子たる霊と一緒に出て来られたり、家系の先祖霊と入れ替わったりで、私を悩ましていた謎は解けました。この五代前の御先祖霊は私を指導することで、日蓮聖人霊の本体に戻られるなのです。

          この日蓮聖人の御分魂は私を法華経や日蓮宗に導くのではなく、「大本教霊学」にと私を導いていかれたのです。それは「法華経」をいくら学んでも解らない。学ぶべきは大本教霊学だったからです。

          大本教神諭に、【この神の御用をしたい守護神は取り立てる】旨がありますが、各自に就いている副守護神が大本教に気がついていないと、大本教から出された意味がまったく理解出来ないともなります。

          だからと言って現在の大本教に入信しても教祖以下、何も解ってないとなります。必要なのは大本教神諭と霊界物語の中味を紐解くことなのです。

           

          私は幼い頃、不思議なことを思っていました。私は天より特別の密命を受けて、今回この世に出た。この家の御先祖霊はその私の受け入れてくれた家だです。誰しもこの世に出て来るにあたっては受け入れ先の家が決まっているのです。自分を受け入れてくれる家筋がないと、この世に出るにも出て来られないと理解していたのです。

          よく、自分を産んでくれと頼んだ覚えがないと親に捨てゼリフを言われる方がありますが、その家から生まれ出ると決めて出たのは自分なのです。為に、その家筋の御先祖様には感謝が要るのです。そこに、その家筋のカルマを取ることによる菩薩修行もあります。

           

          私の家の仏壇を拝した霊能者の方から、私が出た家系は【国常立尊】様に関わる霊系の家筋だと教えられました。そこには日蓮聖人と国常立尊様には「縁」があったとなります。

          日蓮聖人は「伊勢外宮」の当時在った寺院に参籠されて、【妙見菩薩】と関わって来られました。この「妙見菩薩」とは【北斗七星の神格化】ですが、妙見菩薩は神道系では【天之御中主(国常立尊)】ともします。

          私の家の神棚に「閻魔大王(国常立尊)」と日蓮聖人が並んで出られ、伊勢外宮にあった寺に参籠された日蓮聖人の経緯を知るならば、私の家筋にに日蓮聖人の御分魂が出られたことも「神の仕組み」の一環だったと知ったしだいです。

           

          私の場合は五代前の家系先祖霊であった方が【副守護神】の任に就いておられました。その副守護神の役に就かれる霊に霊界における力の差はあるでしょうが、一部の霊能者の方が四代前か五代前の家系の御先祖霊だと言われるのは正しい説かも知れません。

          ただ、大本教の出口王仁三郎聖師が言われた「副守護神」はかなり定義が広いようで、背後霊的存在や動物霊までひっくるめて言われている向きがあります。それは裏を返せば、その副守護神の役に就いた先祖霊の霊力が動物霊等よりも弱いとなります。力が弱いから副守護神としての任務が果たせないなのです。 

           

          そこに、各家庭の御先祖霊の力を強める為に供養があります

           

          私の2番目の師匠は、私に就いていた家系の御先祖霊のことを【糞坊主】と罵っていました。その2番目の師匠は【国常立尊の現身(うつそみ)】と自称していましたが、それを認めないで楯突いていたからです。肉体の私は見破れていなかったのですが、御先祖霊はその正体を見破っておられたなのです。

          私の正守護神がその師匠の祭壇の霊的な社を蹴破り、そこに鎮座していた居た霊を私に見させましたが、それは「ライオン(猫科)」の姿をした神霊でした。そして先祖守護霊はその猫霊に消しゴムを食べさせたのです。その意味は、創造神でも無い霊が「描」いた構想を消すです。

           

          私が知ったある青年も自称救世主でした。で、誰が貴方を救世主と言ったのですかと質問したら、【苗】を両手に持った【猫人霊】が言ったです。「苗」「猫」「描」の一連の漢字がそれを物語ったなのです。

          日本神道の【青人草】の「苗」が何の草の意味か解らずに、自分が創造神の演技をする。それは【牛虎の虎】が猫科だからではないのです。

           

          牛虎の虎は「猫」科でなく、演技の「寅」と理解しなかった 

           

          虎は劇

           

          この世の【劇】を見て、創造神の存在が解らぬでは愚かなり

           

          スピリチュアルでハイヤーセルフの言葉に酔いしれて多用しているでは、自分の魂がその正守護神や本守護神と切り離されて【輪廻転生】している意味そのものすら理解出来ていないとなります。

          スピリチュアルなどから離れて、まず自己の家系の副守護神たる御先祖霊をきちんと天国界行き資格まで上げることで、自分もまた天国界に行く資格を得る。そこに出て来るのが自分の正守護神段階にもつながる道なのです。

           

          自分の家系の先祖霊が地獄界で苦しんでいる。それをきちんと上げないで、自分には神霊が見える。神霊と会話が出来ると言っていても、それでは貴方は何を見ているのだとなります。先祖霊をきちんと上げることで、自分が置かれた悪しき環境も好転して来るものなのです。

           

          多くの神社に神霊として祀られている存在は、蛇霊や狐霊や猫霊や狸霊と呼ばれる段階の霊が多く、その神霊に頼って現世御利益は得られても、天国界行きのキップが貰えるわけではないのです。

           

          大本教神諭、【この世の閻魔大王(良心神)】として現れる

           

           

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          みろく(五六七)世とは【高次元世界】のことで、各自の正守護神の存在が重要となる

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            日本の霊能者やスピリチュアルでも、間もなく【弥勒(五六七)の世】が来るという方は数多くあります。が、そうしたことを言いながら、その時節を見ずにこの世を去られた方は多数あります。すなわち、その時期の到来が何時なのかが解らないなのです。

            その【みろくの世】とは五次元世界と告げられています。人類がその五次元世界に移行するだけの点に関しては各論にさほどの違いはありません。が、その移行方法に関してはかなり論により違いが生じています。

            今の世に出て居られる神々ですら、豊受姫や木花咲耶姫様のようにそれを言われる御神霊もあれば何も発しない御神霊もあり、誰の説が正しいとも解らないが生じていると云えます。

             

            大本教神諭に、どの神も「世の立替」があることは御存じなれども、肝心要のことが解っていないとあるように、どの御神霊も肝心要が解らないから言いようがない面もありますし、さらに神界の末端に世の立替論などは行き渡っていないが現実としてあります。

            だとすれば、当然に本当にそんなことがあり得るのかと言う疑問は生じます。大本教神諭と現実とでは中味が違っているではないかです。ただ、大本教からは大予言者と云うべき出口王仁三郎聖師が出られて、未だ来てもいない未来のことを数々予言されて、それが今の世に現実として現れたことは否定出来ない事実なのです。

             

            どうして大正時代に現代のテレビやスマホとか電子メールと覚しき存在のことまで予言できたのかです。未来を見通す強烈な力を持った。それだけの御神霊が大本教のバックにあったなのです。その事実を忘れてはいけないなのです。

            自分は凄い者だ式の霊能者の方は数々居られます。しかし、大本教の出口王仁三郎聖師の様に未だ来てもいない先の時代を予言して、それが本当になったほどの方は存在していないのです。間違いなく大本教にはそれなりの神霊が降りたのです。

             

            私は世の大立替え論の確率は万分の1かも知れないと思いますが、万が一に備えておく必要があると考えています。誰がこんな「言葉の仕組み」をしたのかと考えると、今の世に出ておられる御神霊では言葉を仕組むなど絶対に無理なことだからです。御神霊だからで出来ると云う技ではないからです。

            何故に【万に一】かと云いますと、マイコンピューターの出始めの頃、コンピューターを終わらせるのに「9999(All Outlet)」として、9の数値の4連打か、英字で「Quit」と打つがありました。「Quit」はマイコンピューターを終了させるです。

            当時は安い給料でありながらマイコンを一式揃えるのに100万円近く掛かったので、ほとんどの人はそんな終わり方の時代があったことすら知らないかも知れません。誰でもマイコンが買える時代になると、シャットダウンで終わらせるしかしていないからです。

             

            仏典における末法の世とは「一万年間」とされて来ました。ある日、私に【末法の期間を8000千年縮める】と云う言葉が臨みました。しかしながら、何時から仏典の末法に入ったのかは定かには解りません。

            すると、終了の9999−8000=1999となります。そこに、私にノストラダムス予言の西暦1999年は暦としては間違っていると出たのです。それで、1999年の意味は西暦ではなくて、言葉の仕組みで【二線】に分ける終了を語るポイントの意味かと理解したしだいです。どこまでも言葉の意味であり、それを暦に当てはめるなです。

             

            無論、そん事態は絶対に来ないと言う霊能者もあります。言葉がここまで仕組まれていることすら何とも思わない。ただ、自分の霊眼に見える存在だけに凝り固まっている霊感霊能者では、現実に自分の目に物を見る段階に来なければ絶対に創造神と呼ばれる様な神の存在のことなど解らないでしょう。

            ただ、その五次元世界に関しては【平行宇宙】に移行するという説もかなりあります。平行宇宙とは「パラレルワード」と言われていることですが、SFの分野では知られるのですが、物理学の世界でも語られてはいます。また、「多元宇宙論」も物理学では研究もなされてはいます。

            それらは私達の目には見えない世界の存在です。

             

            理論物理学の天才として知られるユダヤ人であった【アインシュタイン博士】は、船旅で日本を訪問して朱色の日本の神社や鳥居を見て、【神はこの日本に御座したか】と言われたとの話もあります。天才物理学者でも神の存在否定論者ではなかったのです。

            全ての学者が目に見えない世界を否定する頑迷論者でもないのです。以前は東大の福来友吉助教授のように霊界研究によって大学を追われるがありました。当時の学者は私達の目には見えない世界があることすら理解出来なかったのです。

            私が出口王仁三郎聖師の言霊顕彰会で、東日本大震災を当てたことで名が売れた「松原照子」さんとダブルで講師をした時、私の講演が終わると大拍手を受けて、私に差し出された名刺の多くに大学教授の肩書きの方がありました。学者の方達も全てが頑迷な霊界否定論者ではなかったと安心したしだいです。

            しかし、現在の学問では平行宇宙も【理論】のみであり、【実証】する段階までには至っていません。いくら科学が発展しょうとも【創造神】を知るのは不可能と言えます。

             

            霊的世界に関わりますと、【時間と空間】の概念が無い世界と実感出来ます

             

            そうしたことから、【次元】の存在が語られて来ます。この「次元」という言葉は元々は数学の概念から発祥したもので、私達が住む世界は【三次元】世界であり、時間という概念が生じます。その時間の概念が無い世界が【四次元】世界とします。霊界は時間の概念が無い世界とされるのは【四次元】世界以上だからです。

            人はこの世を去れば【四次元】と呼ばれる世界に入って行きますので、時間の概念が無い世界にと行きます。そこに、迷っている霊は時間の概念がなく、そこに留まり続けることになります。地縛霊などはそこに留まり続けることになります。

            私自身の検証数は少ないのですが、幾多の幽霊と遭遇して、どうして地縛化しているのかの原因を見てきました。そして、そうした霊を本当の霊界にとも送りました。霊能者はすぐに天国に送ったと云いますが、貴方にそんな権限がどこにあるのですかとなります。

             

            日本語の「四」は「死」を意味するもそこにあり

             

            四次元から先の次元は、決められた形が無い世界

             

            霊能者でもスピリチュアルでも「弥勒の世」は五次元界以上と言われますが、五次元界になると【空間】の概念すら無くなって来ます。すなわち魂が【瞬間移動】も出来る世界で、今は一部の霊能者だけがしている魂で宇宙にも行けるです。魂はもっと宇宙的な存在に成るということなのです。だが、霊的世界に関わっていても三次元の肉体の論理にしがみついている霊感者達も多数存在しています。

             

            高次元界に行く道よりも、三次元世界にしがみつく霊能者

             

            霊能者江原敬之さんは、自分が「スピリチュアル」と云う言葉を広めた元祖だと自画自賛をされていますが、日本にスピリチュアルと云う言葉持ち込んだ最初の方は大本教で世の大立替の指揮を執られた【浅野和三郎師】とされています。明治五十五年に世の大立替が起きなかったことから、責任問題から出口王仁三郎聖師と袂を分かって大本教を飛び出て、日本心霊科学協会を起こされた方です。

            その浅野和三郎聖師は、自分がスピリチュアルの言葉を日本に持ち込んだ本人でありながら、スピリチュアルという言葉を嫌われました。それは、スピリチュアルと云う言葉そのものに【低級霊との交信】の意味があったからです。

             

            浅野和三郎師は大本教を飛び出した後、霊媒者による数々の交霊会を催された。しかしそこに降りて来る霊とは、人を驚かす見世物としては十分で、霊の存在を確信出来たとしても神を知るには至らなかったと言えます。

             

            降霊術で本当に高級霊は降りません。大本教神諭に、「この神(国常立尊)は、巫女(女性霊媒)や神主(男性霊媒)には懸からないとあるように、霊媒者に懸かったらニセ神です。その霊媒者の魂の格から調べる必要があるのです。

            この世の霊界で私達に懸かって来る霊とは非常に低い霊が多く、そうした霊の障りも多いので、霊がよく見えるということは霊の障りの原因を知る意味では必要な分野ではあるのですが、それだけでは本当の高級霊とは関われないという問題が生じます。どこまでも「低級霊界との交信」がスピリチュアルの言葉だからです。

            神を知ることと、霊の存在を確信出来るのとでは【次元】が違っているのです。

             

            では、「みろくの世」になれば誰も宇宙を自在に行動出来るのかとなりますと、霊界には【ゲート】が存在するとされますので、現実には「制約」は起きるはずなのです。完全自在ともなれば好き勝手な「無秩序」な世界になってしまうからです。現実に霊界には天国界も地獄界も神界も在るのは、完全自在ではないからです。完全自在であれば、霊界に地獄界が在ることの説明すら不可能となります。

            では、次元とは何次元まであるのかです。霊能者と数学者の間では考え方に違いがありますので、次元の考え方は一致していません。数学的には【十一次元】迄と言われていて、十一次次元とは【宇宙の法則】であり、全ての宇宙の存在は、この十一次元の法則に縛られているです。もし、宇宙に【法則】がなければ、宇宙そのものが成り立たないなのです。

             

            しかし、それらは数学上の概念であり。霊能者とは次元の考え方が違っていて、ある自称創造神は自分は三千億次元の存在とか、スピリチュアルでも自分は500万次元の存在とか、100万次元の存在とか、まるで次元をバナナの叩き売りをしている感があります。

            もう両名ともお亡くなりになりましたが、【五井野正】博士はその著本でも解る様に自分は【七次元の使者】と称しておられましたが、ヨガで有名であった【本山博】博士も自分は七次元界と言われていたと記憶しています。この七次元は魂的には非常に高い世界と言われています。地球という星の制約を受けた存在ではないなのです。まさに宇宙からこの世に降りて来た魂です。

             

            大本教から【本守護神】【正守護神】【副守護神】が出され、以後、日本の新神道では【神人合一】が言われるようになりました。この神人合一とは、三次元地上界に居る自分の肉体にある魂と神界に居る自分の魂が【合一】状態に入ることを指します。

            それは死ねば誰でも行ける「四次元」世界に行くのではなくて、更なる上の世界に存在する自分自身の魂に帰結することです。最低で【五次元界】以上の自分の魂と出会うことが【神人合一】の段階と言えます。この段階で出会う自分の魂が【正守護神】と呼ばれて来ます。

             

            本来ならば「みろく」は「369」と示すべきところですが、大本教からは【五六七】と出されました。また、「日月神示」も同様です。これは、弥勒の世は【五次元・六次元・七次元】を主体に構成される世のことを語っているからです。別にお釈迦様の死後【五十六億七千万】後の「弥勒」菩薩の数字を簡略化したのではないのです。言葉の仕組みとは、そうした重なりまで組み立てているなのです。

            日月神示では今の世は「三四五(みよいづ)」。新しい世は「五六七(みろく)」と出されましたが、これらは「一二三(ひふみ)」「三四五(みよいづ)」「五六七(みろく)」「七八九(読み方は不明)」を言っているのです。

            各自の魂の「正守護神」とは「五六七」次元のどこかに存在し、本守護神は「七八九」次元のどこかに存在して来るのです。

             

            スピリチュアルでは【ハイヤーセルフ】という言葉が多用されています。【高次元界に居る自分自身の魂】という意味で、日本の新神道系で言う【正守護神や本守護神】のことにはなりますが、ハイヤーセルフという言葉を多用するスピリチュアル標榜者にその存在が本当に認められるかとなると、大きな疑問が出るのです。それは「五六七」次元世界と「七八九」次元では世界そのものが違っていることに何の言及もないからです。

            確かに「ハイヤーセルフ」の説明として、高次元界に居る自分自身であり、【輪廻転生】しても変わらない存在は説明としては間違っていません。正しいことは正しいでのです。

            されど、それでは【正守護神】の上に【本守護神】があり、正守護神と本守護神では魂の大きさがまるで違うことが解りません。また、私達の肉体にある魂とは小さな魂であり、スピリチュアルでも語られる【コップ一杯の水とスポイトの一滴】の理論すらどこにも見えないとなります。

             

            私の肉体の魂は小さなものです。それは私だけでなく、この世に生きている人の肉体の魂の大きさにさほどの大きさの違いはありません。私個人の場合と限定はしますが、私の「正守護神」たる魂は肉体の私の魂の数万倍の大きさがあります。それは神社等に鎮座されている御神霊達の玉よりも大きな玉と言えます。

            それは各自の魂には「正守護神」があり。その存在は神社に鎮座されている御神霊達よりも劣っているのではないのです。霊能力がある人に限られて来ますが、神社に参拝したならばその神社の御祭神から挨拶を受けたなどは、その方の正守護神がより高い場合などに起きる可能性があります。

            神社に鎮座する御神霊に頼って、それ以上の存在かも知れない自己の正守護神。自己の魂の【内在神】を忘れてしまうと危ないのです

            無論、個々の人の魂によっては神社に鎮座される御神霊が自己の「本守護神」「正守護神」の場合もあります。私は豊受姫と関わって来て、豊受姫の【分魂】たる人を幾人も知りました。豊受姫のお代をされていた最初の師匠は、豊受姫の分魂を持った肉体人は、今の世に100人は居ると言っていました。

            しかしながら、誰が何神の分魂を保有しているかは霊査しないと解らないのです。

             

            スピリチュアルでも、この世に出て来ている自分の魂の量はスポイトの一滴とするならば、本体はコップ程度の大きさと云われてはいますが、そんなことすら無視したスピリチュアル標榜者が実に多いと見受けられます。

             

             

             

            新日本神道で説かれてた【神人合一】とは、このコップの水に戻ることなのです。だが、この世に降りた肉体のスポイトの一滴に等しい魂が自分を汚していると、そのコップに戻れないことから、コップの水に戻れるまでの清水になるまで【輪廻転生】に入ってしまったのです。

             

            輪廻転生の意味を知るには、コップ一杯の水とスポイトの一滴を知る

             

            もしも汚れたままの水をコップに戻せば、コップの中の水も全体が汚れます。ですから「神人合一」の段階まで進まないと、正守護神には帰結は出来ないのです。

             

            私は多くの霊能者の方に出会ってきましたが、そうした中で7〜8名の霊能者の方から貴方の本守護神は【国常立尊】様ですと指摘を受けてきました。しかし、私はその存在を見たとは云えません。私が見て来たのは私の【正守護神】と呼ばれる存在なのです。

            その正守護神の魂たる玉の大きさと私の魂の大きさを比較をすれば、まさにその比較はコップ一杯の水とスポイトの一滴と言えます。

            私は自分の正守護神が霊界で出会っている御神霊達の段階からすると【七次元】界の存在かと見受けました。

             

            ある霊能者から、「貴方は自分が何次元の者か解っておられるのですか」と聞かれたので、自分が見えている正守護神と覚しき存在から推察して、七次元界かと思いますがと答えたところ、「冗談はよしてください」と云われます。

            で、「七次元界では高すぎますか」と問い返したところ、「もっともっと高い存在です」と云われます。その霊能者の方は私の本守護神は「国常立尊」様と告げて来られた中の一人なので、本守護神たる国常立尊様が見えていたのでしょう。しかしながら、肉体を持った私はその段階まで帰結は出来ていません。

            私は自分は「国常立尊」様のことはよく解らないと云いますが、自分の魂の数万倍の大きさの玉が私の正守護神で、その正守護神の玉の数万倍の大きさの玉があり。さらにその数万倍の大きさの玉が控えていることは確認しました。次元次元に自分が存在すると云う説も間違っていないのかも知れません。 

            その超巨大な玉と私の魂の玉とでは、玉の大きさなど比較にもなりません。しかし同質の玉(魂)であることは、玉が持つ色で同じと解ったのです。

             

            人の魂は人でさほど変わらず、そこに俺様は偉い凄いはない

             

            人の魂は創造神や自己の本守護神からすれば、いと小さき者

             

            この世に生きている内に天国行きのキップを得ている人達の背後には「正守護神」が存在してきます。別にその正守護神の名を知る必要はありません。それはその人の過去世の一端の存在に過ぎないからです。

            私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、【自分の前世たる存在が神として祭られている場合がある。それを自分の前世とは知らずに、その存在を敬うこともある。されど、その前世の名をもってして自分がそうだと言ってはならない。今の世で付けられた名前で神の道に上がる努力をしなければならない】と告げられたのです。

             

            神界とは、神社に鎮座されている神だけの世界ではなく、世に出ている御神霊とは神界の行政マンなのです。ですから、大本教神諭は【世に出ている神々の心の持ち方が悪かった】と、神社等の祭神として世に出ている神と限定しているのです。

             

            高次元界に進む為には、自己の正守護神との「神人合一」を知る必要がある

             

            ですから、自分は神社等に鎮まる霊が見える。会話が出来るだけでは自己の魂が「五六七」次元に達しているとは必ずしも云えないのです。逆に霊等見えない人で世の為人の為に尽くしている方には、自己の【内在神としての高次元の正守護神】が存在していたりするのです。

             

            霊界修行の最初の頃は神社参りなどが課せられますが、自己の正守護神が出て来ると、そうした神社参りは卒業なのです。自己の神は外在ではなく。内在しているからです。

             

             

             

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            人の魂は【輪廻】を通して【目には目を、歯には歯を】で、幸せな一生もあれば不幸せな一生もある

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              私の元には自分はこれだけ精神的に苦しんでいる。その自分の精神的な苦しみを取ってくれるのが神ではないか。そうした訴えをして来られて、私はにはどうすることも出来ませんと返すと、「罵詈雑言」を浴びせて来られる方があります。

              ある悪党が私に言いましたが、神は苦しんでいる者を助けるのが神であり、それ以外のことはするな。そうした概念の方が多いのかも知れません。そこにあるのは、自分の苦しみだけを神と呼ばれる存在に訴えるです。

               

              人々が考える神とは、いったいどういう存在か?

               

              人々が持つ神の概念は、自分の苦しみ取る存在?

               

              霊的世界は「精神世界」とも呼ばれ、霊的世界と精神世界は「紙一重」であり、うかつに霊的世界に足を踏み入れると自己の精神が狂わされるがあります。 

              スピリチュアルでは神は光だと吹聴されますが、全ての魂は「光の玉」でもあり、その肉体により強い「光の玉」を受けるだけの力が無ければ、より強い光を受けきれずに精神はズタズタにされて発狂などにも行きます。悪霊もまた「光の玉」ではあるのです。

               

              そうした心の病とか精神の病は、神や霊能者で簡単に解決など出来ません。人と交わる娑婆世界を離れて田舎などに引き込み自然とか動物等にふれ合って自分の心を癒やすとか、心療内科や精神科の医師の手助けがないと、娑婆世界で人と人と交わっての治癒は難しいとなります。

              私がこれまで出会った方の中には自分が霊から救世主だと言われ、誰がそうしたことを言ったのですかと問うと、猫人霊がそう言ったなどがありました。蛇霊や狐霊は知られていますが狸霊とか猫霊なども、貴方が救世主ですなどと言って来ます。確かに霊的なものがその人に関わったのですが、結果的には精神が破壊されてしまわれたなどがありました。そうした霊による幻聴とか幻視とかが起きて来るのです。そして、被害妄想にも発展するなのです。

               

              私は人間であって神ではありませんし、別に霊能力者でもありません。私がその人に答えられるとしたならば、貴方の現在の苦しみは貴方の過去世の生き方に何等かの【原因】があったのであり、【カルマ(業)】の吹き出しですとしか言いようがないのです。

              自己の【精神】が確立しているならば、霊が自分に何を言おうが、それが【道理の筋】に合っていなければ、おまえの言っていることはおかしいと、そんな霊の言葉などに聞く耳など無いと言えます。

              私は霊が自分は〇〇大神とか名乗って来れば、その言うことをまず聞きますが、その内容がおかしいと思えばその【証拠】を要求します。時には、その霊に対して【一喝】します。そうすると、ほとんど逃げ去ります。本物ではないからです。

               

              私は子供の頃に自分に臨んで来た旧約聖書の神と称する声が言ったことを、頭から信じているのではありません。その真偽を確かめているだけです。そこに【言葉の仕組み】を創った存在があることを知っただけです。

              その学びの過程において霊界が起こす【奇跡】の数々を見て来ました。だからと言って、「奇跡」の現出でそれを創造神等と言っているのではありません。人には【魂】があり、その「魂」論に沿って話しているだけです。 

               

              大本教神諭予告、

              【この神は心の立替、心の建て直しの神である】 

               

              イスラム法では、【目には目を、歯には歯を】

               

              自分が行った行為は、同じ物が【自分に返って来るのが神の法】と説いてはいますが、それが魂の「輪廻転生」を通じて次の世に自分に現れて来るとは説いていません。しかし、仏教においては曹洞宗などに見られる【三時(過去・現在・未来)】の教えに、自分がこの世で為した現在の「カルマ」は未来に、過去の「カルマ」は現在の自分に現れると説いてはいます。

              ただ、【カルマ】とはその人が為した行為そのものが、必ずしもそのままで現れるではありません。その形を変えて出て来る場合が多いのです。

              個々の人が輪廻の中で積んできた【カルマ】。国家とか民族とか社会が積んで来た集団の【カルマ】も存在して来ます。自分だけが幸せであれば良いと言うものではありません。 

               

              私が2番目の師匠の元で修業していた当時、一人の女性と知り合いました。その女性は苦難の道を歩いておられました。その原因となったのは、50ccバイクに乗っていて一人の男性を轢き死なせたことから交通刑務所に入ったことと、自分を育てくれた親の膨大な借金問題等からです。もう両親は首つり自殺する寸前まで追い込まれておられたのです。当時の私はその女性と結婚してもいいと思っておりましたが、その借金額は私にはどうすることも出来ません。

              ところが私の2番目の師匠が私にを言って来たのです。【おまえは女性と付き合っているな。その女性とは結婚してはいけない。この女性は前世において強姦されて殺されている。そのことを今の肉体は知らないが魂は知っていて、前世で自分を強姦して殺した男の魂をたまたま見つけたことで、今生でその時の仕返しをバイクを使ってしたでした。】です。その女性は私と結婚するには相応しくないと言って来たのです。

              つまり、「目には目を、歯には歯を」をしたなのです。で、この交通事故そのものは過去世の精算であり、過去にその女性を殺した側も今回は自分が殺されたことで過去に殺した【カルマ】が消えたです。この女性の今生での交通事故による人を殺した罪は、その時点で「恨みのカルマ」は解消されました。霊界でその罪が問われることは二度とありません。

               

              そして、この女性は私が出した言葉は、自分はこれまで多くの霊能者に助けてくださいと相談に行きました。どの神も助けるから大金を出せ。大金を出せないのであれば、その若い肉体を差し出せです。皆、蛇や狐の神。本当の神様など居ないと思っていました。だが、貴方の言葉に本当の神様が居ると解ったと言われます。私は驚いて、【私が言った言葉のどこに神様が居る?】と聞いたのです。すると、その女性は私が言った言葉そのもではなくて、私が出している言葉たる【音波】に本当の神を見たと言われたのです。

              それは私が発した【言霊】に本当の神を見ただったのですが、当時の私はこの人は何を言っているのだろうと思っていました。その後に、私が見たのは【言霊の正体】でした。それは【蛇や狐の神】ではなかったのです。宇宙創造に関わった神達です。

               

              私の言霊に本当の神を見た最初の女性で、この女性にはある事柄と引き換えに親が自殺するかも知れない途方もない親の借金、現在では2億円程度の借金が一気に片付いたのです。その女性は私に自分はどうなってもいいから親を助けたいと言ったので、これからのその方人生の犠牲と引き換えに、別の【代償】を出して親の借金を払ったなのです。それも「目には目を、歯には歯を」なのです。その手助けをしたのは、私の背後に居る神霊団だったと言えます。

              その女性は私が出す言葉(音波)に神を見た。その神様の為に働きたいと言ったことに、私の背後神霊団が働いたのです。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいました。その声は【そなたが本当は誰なのか。どの神にも解らないようにしておく。そなたも知らない。されど、そなたの背後にこの私が居ることが解った者は、この神が救う】。その女性は私の背後に居る神の存在が解ったからと言えます。その女性はその親の借金の代償の払いをする為に、私の前から去っていかれたなのです。

               

              仏教でこの世に起きることに偶然性はなく、全て必然性と説くことの事例と言えます。全ての事柄に【因】があるなのです。 

               

               

              ただ、カルマとは全てが悪い【業】ではなくて、良い【業】もあり、過去世で自分が積んだ徳分(良いカルマ)は、この世で【幸福】と言う形で返って来るのです。どうしてあの人は幸せなのだろう?。過去世における【徳】があったりするのです。

              この世は魂の修業場なので、地獄に落とされていた魂も、天国から更なる上の天国を目指す魂も、天国も地獄も定かにならないような魂も、そうした魂に教えをする為にお釈迦様とかイエスとか弘法大師の様な高級霊たる存在の魂も降りて来るなのです。

               

              この世で何の悪行もせずに「幸福」な人は、過去世の徳分が出ている 

               

              この地球は【魂の刑務所】ともされますが、【天人の苗床】とも言われるように両面があります。それは「魂の修学の場、更生(甦)」の場なので、過去世に罪悪を犯して来た魂。悪からさらなる善を学ぶ為に来ている魂など様々であり、一概論で語ることなどは出来ないのです。

              更に、魂の修学の場として高い世界から降りた魂には【試練・苦難】の波が押し寄せて来ます。この世の試練とか苦難は魂を磨かせる一環でもあるからです。特に神代と呼ばれた時代に悪を積んだ神的な魂には、恐ろしいほどの苦難が来ます。それに堪えることが元の天人の世界に戻る道筋でもあるからです。

               

              キリスト教やイスラム教では一部の霊能力がある宗教家以外は「輪廻転生」などは言いません。仏教には「輪廻転生」の教えがあるとしても、某宗派は仏教でありながら公然と人は死ねば土に還るだけで死後の世界(霊界)など無いと公言しています。そしてこの宗派の信徒は、霊的なことを語る人達に対してオカルトだと攻撃しています。

              キリスト教であれイスラム教であれ、霊的な世界を語る司祭達は何も見えない他の司祭達から阻害されたり迫害の攻撃を受けるであり、宗教を信仰したからと言って「天国門」が開くとはならないのです。

              万物を創造した神の姿は見えないとしても、【正負の原則】たる「目には目、歯には歯を」たる【カルマ】がバランスを取っているのです。 

               

              天国とは、自分がこの世で何を為したかで行く階層が決まる 

               

              私の最初の師匠は豊受姫のお代でしたが、こんなことを私に言っていました。人の世の苦難はどんなに長くてもたかだか「50年程度」であり、その苦難を耐えて神様(この世に出ている神霊達)に成ったならば、500年程度は神社の神様で居られる。どちらが得かと言えば、神社に祭られる神様と成った方が得だです。

              日本の仏教界においては、日本の神社に鎮まる神霊と言えども【輪廻転生】は避けきれないで、永遠の仏陀ではなくて高い神霊だけには【大菩薩】の称号を贈って来たわけです。神社で神様と呼ばれていても「輪廻転生」からは完全に逃げ切れてはいないなのです。 

               

              が、輪廻転生があるからこそ、私達の魂は何万年何十万年と在るのです 

               

              私が説いているのは、間もなく【輪廻転生】が終わるなのです

               

               

               

              霊界は同じ「想念」の者ばかり集まって暮らす社会なので、多様な世界が存在し天国や地獄も構成されて行くのですが、その世界で自分だけが向上するのは難しい。言うなれば【ドングリの背比べ】状態で、この世に降りて来ることで異論な違いを知ることによって魂が向上する。それが【天人の苗床】と言われる由縁。

              輪廻転生が終わると、その時の段階で霊界での地位が固定されるので、早くから【宣伝】がなされているのです。

               

              自分の人生は不幸せだと、【神を恨んだり人を恨んだり】する人生とは、どれほど後ろ向きかとなるのです。今回はたまたま不幸せな人生が訪れたとして、人は恨んだり神を恨んだりする前に、全ての落ち度は自分の過去世に原因があったと、意識を【転換】することが大切だと言えます。

              たまたま今生が不幸せだったからと言って、それで霊界に帰れば「地獄」ではないのです。各自の魂の【向上過程】においては、そうした人生もあるのです。特に最終過程ほど【苦難】の道があるのです。【卒業試験ほど難関】と言えます。

               

               

              霊界の【目には目を、歯には歯を】は「正負の原則」のこと

               

              悪しきことで得た幸福は、次の世で「不幸せ」となる 

               

              長い「輪廻転生」の旅においては、恵まれた「良い人生」の時もあれば、何でこんなひどい目に会うのか?。何もかも恨みたいような人生もあるのです。

              大本教の出口なお開祖は神界での規則違反に問われて、大本教開祖となった最終の人生は屑拾いで生計を立てていた人生が一番ましな人生であったと言われるように、自分の過去の人生に何かがあって今の人生になっているのであって、人を恨んだり神を恨んだりする筋合いものではないのです。

              どの霊能者でも【自殺だけは絶対にするな】と言うのは、たまたま「どん底人生」の時が来たからと言って、過去の良い人生の時に他に対する【徳】の放出をしなかったからであり、【カルマの解消】だと認識出来ていれば、それに堪えて打ち勝つことも出来るのです。 

               

              自分の【カルマ】を精算を終えた時、元の神の世界にと戻る

               

              その道は決して楽な道ではない

               

              神の存在を信じるとは、信じることでその苦難の道が少しは和らぐ

               

              神は自分の苦難を取る「御利益神」と思うと、間違った道を進む

               

               

               

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              霊体でも足がある【生霊(いきりょう)】と、人の上半身しか見えない【思念】

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                よく幽霊には、足があるとか足が無いの論議があります。霊として見える存在で足がある霊と、顔中心で足が見えない霊も存在します。霊界見聞の野次馬を自称する私にも、非常に興味があった点です。

                 

                霊魂の話をする時、【魂魄(こんぱく)】という言葉が存在します。だが、この魂魄を調べても意味がもう一つ解りません。一般的には【魂】は肉体のエネルギーを司る気で、その形態が【魄】という考え方です。それならば、「魂魄」ではなくて「霊魂」と同じことです。魂は永遠性を持ったエネルギー体であり、霊はその形態と言えるから「霊魂」で言い分けです。

                 

                魂魄では「魂」は天に帰り、「魄(はく)」は地を這うなどとされています。私はこのブログ上で、【魂】たる存在の写真と、スピリチュアルで持てはやされる【オーブ玉】の映像も上げて来ました。

                スピリチュアルなどの写真でよく見られる「オーブ玉」は霊能者の間では【思念】であり、【魂】そのものではなくて、人の思いとか念の類いで【思念】と呼んでいるのです。

                私は魂は玉形の「思惟」で【玉思惟】と名付けて来ました。ブログ世界が出来る前からHp等に写真と共に言って来ました。「思惟」も「思念」も思い(想い)のことです。

                 

                創造神は「想像」から発したので、想い(思い)が無ければ宇宙も消える

                 

                ここが解っていなければ、聖書の【初めに言葉は神と共にあった】の理解は不可能となります。そこに魂(牛虎)があり、人の思い(想い)も肉体を終えても生き続けるとなるのです。ただし、「思念」はエネルギーが尽きると消滅して行きます。

                 

                思念そのものは、自分の思いが強くて【私怨であり死ねん】です

                 

                その思い(想い)が強ければ強いほどエネルギーが強くて、まさに【死ねん】で、何百年とこの世の霊界をさ迷い留まっています。で、その思いを叶えてあげると満足して消えて行きます。 それは「想い」だからです。

                霊媒体質者に懸かって来る霊の大半は、この【死ねん(思念)】であり、「私怨」から生じているものと言えます。こうした「死ねん(私怨)」を消すことは、殺人の様な魂殺しとは違います。霊界掃除の一種と言えます。

                神道などの祓い清めるは、人の周囲であれ地域であれそうした「思念(想い)」がこの世に充満していると災いの元となりますので、常に祓い清めが必要なのです。そこには霊の浄化がなければなりません。私が人の肉体は霊魂の【浄化器官】だと言っているのもそこに意味があるわけです。

                 

                霊媒体質者は「霊界の掃除屋」である意味は、そこに出ます

                 

                先のブログで私の2番目の師匠が生きた人間の魂を巫女たる【霊媒】に入肉させて、それを叩くことで事柄の解決を一気にした事実に関して述べました。だが、この師匠は別に成功報酬は受け取っていませんでした。

                そこに来る相談者の中には、あの先生はバナナ一本。リンゴ一個で相談に乗ってくれるで、その生活はまさに貧苦の中にあり。行者にも生活があることを理解していない人達に驚きを禁じ得ませんでした。神はタダで困っている者を助けるものだと言う方がかなりおられますが、神霊との仲介に入っている肉体には食べる必要があり生活があるのです。また神社にしても維持費がかかります。

                 

                2番目の師匠がしていた事柄は霊的世界では【呪詛】の一種と見なされますが、通常の「呪詛」は神仏を祀って、その神仏に供え物をして蝋燭に火を灯して祈るなどの「儀式」を伴って行われます。時にはその祈祷は延々としなければなりません。為に日数もかかり、行者も食べて行かなければなりませんので多額の費用が発生します。

                本当の行者は時間をかけてそうした行為をしているので、その料金がべらぼうに高いとは言い切れません。しかし、それを相場として高額料金を吹っかけるエセ行者やニセ霊能者が出て来るともなります。

                最近、某インチキ大教団の教祖が亡くなったらその教団幹部が新しい宗教を起こし、その教祖同様に自分の過去世は○○○であったと称して、入団に何百万円もの請求を行っています。新しい詐欺宗教教団の誕生です。

                こうしたことも霊的世界がきちんと理解されていないことから、後を絶たないとなります。

                 

                大本教の出口王仁三郎聖師が、天国に案内とすると言いながら地獄に案内する神の取次者と残しておられますが、どこかの教団に入信したから天国などのキップは存在しないのです。肉体の誰かを神だと信じたから天国キップではないのです。逆に地獄界に案内されるだけです。

                私は人に「内在する良心神(天帝の分魂)」の存在を説いていますが、一部のサイキッカーや霊能者の方も天国への段階判定は「各自の良心」の点数だとは言っておられます。

                 

                 

                私の2番目の師匠は瞬時に巫女たる【霊媒】者に生霊たる魂を降ろすでした。この瞬時にして霊媒者に霊が降りるは、私の最初の師匠は豊受姫のお代でしたが、神霊たる存在は瞬時に降りていて、私はその師匠に神霊が降りたことが瞬時に解りましたが、多くの伏見稲荷講の講員たる信徒さん達は何も気づいておられませんでした。

                私はどこで気づくかと言いますと、本当の霊媒者に霊が降りると、その顔立ちが入神した霊の顔立ちになるからです。また人相も雰囲気も一変します。例えば観世音菩薩が霊媒者に入神するとその顔立からも解ります。とても気品があり美しいのです。逆に鬼が降りると恐ろしい鬼の形相になります。

                過去にテレビに出られた霊能者で、それが一番解ったのは【前田和慧】師でした。テレビで知られる木村藤子師とか下ヨシ子師などとは違うのです。テレビを見ていて、入身した霊の顔があれほどはっきり出るのは一級の霊媒者でもあった証拠と言えます。

                 

                私の最初の師匠の元には非常に優秀な巫女たる霊媒が勤まる方が複数名いて、そうした方達はその師匠に神霊が降りたことは瞬時に解っておられました。祝詞や御経を上げ磐笛を吹かないと霊や神霊が降りて来ないではないのです。

                この手の話は私の別HP【あなたの知らない伏見稲荷山】の白狐の霊界物語として「稲荷太鼓」の項目に書いておりますので、読んでいただければ霊界の実相の一端は解るかと思います。そこにはテレビでは放映されていない驚くことが見られるのです。

                http://inariyama.com/byaltuko/page003.html

                 

                私の最初の師匠は伏見稲荷大社講支部の関係で神社の社務所にも祭壇を設けて、そこで相談者の前では相談内容の答えを神霊から聞く振りをする祈祷をしていましたが、それは相談に来る人達が神霊は【祈祷】しないと降り来ないという「概念」に支配されているから、やむなくしているなのです。

                昔の映画には祈祷師が祈ってトランス状態になると神霊が降りるなどがありまして、そうした物からそうしないと神霊が降りて来ないなどの誤った知識を人々が持ってしまったからです。各言う私も最初はそう思っていました。実務的には神霊を降ろすには祈祷などは別に必要ないのです。霊界の霊の移動は瞬時に起きるからです。祈祷は願いとして祈る行為で別の話です。

                よく言われる霊の【憑依】も、その霊が居る場に訪れると瞬時に起こったりするのですが、それと同様に神霊降ろしも瞬時の世界と言えました。

                 

                私は伏見稲荷山で、最初の師匠と同行していた一人の霊媒者に神霊が降りていると解って、その場で供え物とした酒を酌み交わしていたがあります。無論、私が単なる一講員の立場であるならば神霊が私と一緒に酒を酌み交わすなどはあり得ません。神霊に対して不届き者と叱られるところです。

                で、その霊媒者から神霊が離れると、その霊媒者は私は酒など飲んでいませんと言います。その肉体には酒は残っていません。酒を飲んで酔っ払っているのは神霊なのです。その神霊が別の霊媒者に入ると、その霊媒者に酔っ払いが起きるのです。

                この話は、こちらに書いています。

                http://inariyama.com/byaltuko/page024.html

                 

                 

                単に霊が見えるとか、霊に憑依される霊媒質者は多数居られますが、本当の神霊の【巫女・神主】となれる霊媒者とは極端に数が少ないのです。

                 

                一部の悪たる霊能者は、【癌の治癒】を依頼されて、その癌細胞を巫女たる霊媒者に転移させて大金を貰う悪しき行為をしているとされています。その後、その霊媒者の癌を治癒して恩を売るです。そして自分から離れないように囲うです。霊能者と呼ばれる人達の中には、そうした霊媒者の救出活動をしている方もあります。世には知られざる一端です。

                しかしながら、「スピリチュアル」などを見ていますと、「生霊」に関してほとんど理解が出来ていないがあります。単に他人からの怨念とか恨みを受けて自分の肉体が変調を起こすことことだけです。 確かにそれは霊界の出来事であり大切な分野ですが、そこに霊の本質を見なければならないのです。

                 

                霊的世界においては、俗に千人に一人は仏霊の声が聞こえ、万人に一人は神霊の声が聞こえるが、そうした者が千人万人修業して本物一人としか出ないとさえ言われている狭きで世界で、本物の霊能者は数少ないとされています。

                この千人万人に一人はいささかオーバーかと思います。スピ的な霊感を持っている方はかなり多いのです。が、修業が出来ていない。修業に修業を重ねている中で、不適格者は次々に振り落とされてしまうのです。その段階まで行かないと「もどき」の霊能者なのです。

                単なる霊感の振りかざしは、ほとんどは霊界の下の下の存在である霊に騙され踊らされて、死後には本当の天国界には行けずに迷い道・亡者道・地獄界に誘われるなのです。ですから、早くにスピリチュアルから足を洗った人は、足を洗ってみてスピリチュアルがどれほど危険だったかと言われるのです。

                 

                私は霊界修行の最初の頃、【魂】と【思念】の違いを知りませんでした。どちらかと言うと一緒くたにしていました。そうした中で、人を恨むと【思念】が起きて、それ自体が他にもその人を恨む【思念】と合流して、【憎しみが増す】を体験しました。そうなると、【あいつを殺してやる】とまで感情が増幅して来るのです。それを理性で抑えきれなかったならば【犯罪】にとまで進みます。

                そうした人に憎まれている人は、当然に他の多くの人達からも憎まれていることから、自分が思っていた憎しみの度合いよりも他の憎しみが合流してきて、大きな憎しみとなって理性では【押さえが効かなくなる】が起きて来ます。そして時は【犯罪】にとなって、どうしてあの時、あそこまでその人を憎んだろうかと自分でも解らなくなるのです。

                そこに【執念】の蛇霊や夜叉(鬼)が発生します。また、場合によっては【修羅】の道を行くとなります。人を恨むと出て来るのは「夜叉」と化した自分の姿であり「般若の形相」です。

                 

                人を憎めば、他の憎んでいる人達の思念まで合流し 

                 

                【人を憎めば、自分が憎んだ以上に憎しみが増す】

                 

                何故に、私がそれに気づいたかと言いますと、私の憎しみが最高に達した時、その人を憎んでいる人達の顔が全て出て来たからです。エッー!。彼はこんなに多くの人達から恨まれていたのかです。皆、その人に仕返しをしてやりたいと思っていて私の憎しみに合流して来たのです。それらはその人達の魂ではなくて「思い(思念)」が私に来たのです。

                 

                そこに、何故に魂は肉体を持たなければならないかの理由があります。

                 

                私にそうした人達の全ての顔が浮かんで来ました。どれだけその人は多くの人達から恨みを買っているかです。それは「生霊」でも「思念」です。誰もがあいつに仕返しをしたいと思っていても実行出来ない。為に、中で一番憎しみを抱いた私の元にそうした「生霊の思い」が集結したなのです。この世の霊界では【筒抜け】なのです。

                 

                こうした人の「思い(思念)」も生霊(いきりょう)と言われていて、その人達の顔は出て来ますが、本来の「生霊」とは意味が違っています。 本当の「生霊(いきりょう)」とは、例えば身長が180センチの肉体の人であれば身長が180センチの人が自分の側に立ちます。身長が150センチの人ならば身長が150センチの人が自分の側に来るのです。

                つまり、が見えたという幻視の類いではなくて、現実にそこにその人の「生霊」が出て来るのです。それは肉体を持った人と直に接しているのと何等変わらない為に、どうして自分の家に入って来ているのとなります。そこは霊なので物質界は通過しているなのです。

                その見え方は、通常の霊的な世界は一種のスクリーンを通して見えているのですが、そうではなくて現実の人がその場に来ているのと同じで、その場の光景なのです。現実にその人物と出会っているのとの寸分と違いません。会話も可能です。当然にその生霊には足が存在しています。それを幽霊と思うと、幽霊には足があるとなります。

                 

                霊界とは、単に死後に渡る世界のことではないのです

                 

                人はこの世にある時も、「生霊」として活動している

                 

                私が伏見稲荷山に詣でて奥社に居ると、私が見知っている女性が近くに居るのが見えました。確か今日は会社に勤めているはずだが、どうしたのかと声を掛けようとすると、その姿は一瞬にして消えてしまいました。

                そこで、御本人にメールをすると、私が今日は伏見稲荷山に詣でていることは知っておられて、自分の魂を飛ばして私が今頃は伏見稲荷山のどこに居られるのかと御本社の下から私の姿を探したが見つからず、奥社のところで諦めて帰りましたと言われます。少しの時間の違いで会話が出来なかったなのです。その時のその方の肉体の状況を聞くと、ほとんど【腑抜け】状態だったと言われます。

                私はそうした「生霊(いきりょう)」が自宅に来て会話した経験が何回かありますが、肉体の人と「生霊(いきりょう)」とで違うのは、肉体は悪しきことをする場合は嘘を言うのですが、「生霊(いきりょう)」はその時の本心のままを語るなのです。

                 

                私の家に4人の生霊が訪れて来た時、一人は私が見知った男性で、ある事柄で当人と関わっていました。一人は婦人で某スナックで働いていた人です。一人はそのスナックに客として飲みに来ていた若者で、その二人とは現実にスナックで出会っています。後は高校生ぐらいの女性で初めて見る顔です。どうしてこの4人がと首を捻っていました。

                すると、その若者が私に言います。私達は家族です。父と母と妹ですと言います。私にすればまさかの話でしたが、後で調べたところそれは事実でした。だが、その父親たる肉体は、私がその人達が家族であることを知ったことを知らずに、その肉体は自分達が家族であることを嘘で隠し続けていました。

                 

                私はそうした体験から

                 

                神の前では何を隠しても無意味だと知ったのです

                 

                生霊(いきりょう)には「嘘」は出せない

                 

                そして、私達が死後の世界に渡る存在とは、その【生霊(いきりょう)】そのものなのです。別に肉体が死後の世界に渡るではないのです。単に肉体と言う服を脱ぐだけです。人の肉体にはその【生霊(いきりょう)】とされている霊体の存在があるのです。つまり、自己の【本心】と霊界での肉体のことなのです。

                これを粋がって西洋の神智学の学など持って来ても説明的に弱いのです。実際に霊界を見聞して来れば、多くの霊能者が【生霊(いきりょう)】のことは語っているはずです。

                ただ、生霊(いきりょう)を飛ばすには【魂】の場合もあれば【思念】もあるなのです。ただ霊能者の様に霊界が見えないと、肉体には自分が魂や思念を飛ばしたことは解りません。

                魂たる生霊は、その人物そのものが現れて来るのでその姿が現実界と同様にはっきりしており、人の思いである【思念】は顔は見えてもその姿形全体ではなくて「幻視」的な見え方をしていると言えるのではないかです。ですから、人の思いたる思念は顔は見えても、足は見えないとなります。

                 

                肉体を失っている死霊はどのようにも化けて来ます。例えば自分は天照大御神なりとか大国主命なりなどです。しかもグループで劇場型俺々詐欺師的に来ます。どこまでそうした名乗りをする霊に騙されていればいいのかです。だが、生霊(いきりょう)はそうした化け方はしないなのです。

                 

                この生霊(いきりょう)の存在を知るならば

                 

                霊界など無いと公言する宗教家が地獄に墜ちて行くのは道理となります

                 

                大本教出口王仁三郎聖師の地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だも、あながち誇張とは言えません。

                 

                人は肉体が有っても「生霊(いきりょう)」でもあるので、この世の修業しだいで霊界の高い地位に進むことも出来るなのです。

                 

                人はこの世に出て来るのはこの世が【天人の苗床】でもあり、この世の生き方で天人(神霊)ともなるなのです。

                 

                 

                 

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                釈尊、イエス、弘法大師の様な宗教開祖と実践霊能者の両輪で霊界を知る

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                  霊界(死後の世界)の存在は、霊能力を持たない者にとっては解らない世界で、宗教の教えだけでは完全理解には至りません。聖書を読もうが仏典を読もうが、霊界のことは詳しく書かれていません。

                  その上に、神社に鎮座されている神霊と会話が出来る霊能者でも、神霊から詳しく霊界のことが聞けていないがあります。今の世に出ておられる御神霊達よりも、そうした神達が知らない更なる上の神界があるので全容が掴めません。ある意味、自分が霊的体験をして来ないと解らない世界と言えます。

                   

                  何故に宗教は【神】と呼ばれる存在を説かなければ「宗教」と言えないのか?。単に霊の存在を言う「スピリチュアル」とは存在の意味が違って来るのです。

                   

                  宗教とは、人の胸(宗)の中に宿る存在(魂)を教える

                   

                  宗は(宇宙を示す)で、創造神の存在を説かなければならない

                   

                  だが、聖書に人類の原罪として【蛇の囁き】によってエデンの園を追われた人類とあるように、【邪の道は蛇】によって、多くの神々が宗教家が【邪心】から蛇霊の憑依を受けて、自己の【良心】を失う結果となったのです。

                  私が何故にそれを言っているかと言うと、御神霊が自分は間違っていたと悔悟の涙を流された時、【現実界の蛇が棒の様に立つ】現象があり、蛇霊の囁きに犯されていた御神霊が元の天人たる姿に戻って天に帰って行く様を見たからです。

                  この蛇が棒のようになるは、映画「十戒」においてモーゼとエジプトの神官が蛇を投げ合って、どちらの神が蛇を棒の様にさせるかで神の高さを競うシーンがあったかと思います。

                   

                  だが、改心すると蛇が【棒】の様に立つ。それが世に語られていない為に、【真理】に向かわれる方が極端に少ないのです。 しかも、聖書に【龍神とは霊界で年老いた大蛇霊】とあるように、龍神化までした大蛇霊の力は恐ろしくあり、この存在を退治して行く等は肉体の身ではとても出来ることではありません。うかつに龍神と「対峙」すれば、こちらがやられるです。

                   

                  新興宗教でかなり大手の幾つかの教団の祭神は教団内では「宇宙神」などと言っていても、その実態は黒龍神であり、その教団に入信すると【黒蛇霊】を憑けられることを正しい霊能者達は言っています。しかし、その【黒蛇霊】を退散させるだけでも大変なことなのです。これは簡単に片付く問題ではないのです。

                   

                  自分は宗教家でございでは、その神霊の正体が読み切れない

                   

                  教祖その者が、自己が祭神とした霊の存在の正体を知らない

                   

                  私の最初の師匠は豊受姫のお代さんでしたが、釈尊、イエス、弘法大師と呼ばれるような偉大な存在のお方ではなく、幼い頃から白狐と遊んでいた霊能力があり、神童(神のわらべ)と呼ばれていて、その家系は祖母がその地方では有名な霊能者であった霊能者系の家筋の方でした。

                  そこに、100日間断食が2回。一年間連続の瀧行等を積んで、霊能力を開花させた【実践派の霊能者】と言えます。その霊能力はテレビで見る「木村藤子師」「下ヨシ子師」に劣るものではありませんでした。地元の霊能者達が、あの先生ならば間違いがないと太鼓判を押すほどで、その上にその人柄が素晴らしかったのです。

                  いくら霊能力はあっても、人品が卑しい霊能者の方は「黒蛇」霊等を背負っておられたりします。

                   

                  私が伏見稲荷大社講社の教師養成講座で知り合った行者さんが、私が一週間ほど伏見稲荷大社で寝泊まりをする講習を受けていることから、その講座の受講生全員に差し入れに来た師匠の姿を見て、【あれはあんたの先生か?。どえらい行者だ。これほどの行者は男でも滅多にはおらん。が、あれほどの行者をもってしても、あんなたを教える事などできない。あんたに教えが出来る神等この日本には居ない。あんたは自分の道は自分で切り開くしかない。そのことは自分でも解っているはずだ。あんたには宇宙最高龍神ですら就く】と言われましたが、私はそれを黙して聞いていました。

                   

                  その最初の師匠は、私が誰かと知らないのではなくて、【あなたは神様の御子だから預からせていただきます】で、稲荷神界を修業の道とするで、私を預かってくれたのです。その時にその師匠が私に付けたあだ名は【別格官幣大社】でした。

                  それは私が世に出ておられる神々の様に神力や階級を持っているではなく、神界における身分を表す階級がそうした段階にあるだったのです。私自身は神界の【無任官】たる身分で、神界的に言えば勤めを持たない【無職】の浪人の存在で、肩書きが無いなのです。

                   

                  私はその師匠の元で、実践派の霊能者は何をしているのかを見聞させて貰いました。それは、お釈迦様やイエスや弘法大師さんの様な宗教開祖の様な教えではなく、この世で霊的世界の実務に関わる人達の存在です。

                  霊界とは、一般的な牧師や僧侶や神主では何も解っていない世界と言えました。が、どの宗教の開祖にも霊能力は備わっていました。

                   

                  宗教開祖に霊能力がないと、宗教は起こせないのです

                   

                  ただ、霊が見えてもいないのに霊が見えている振りをする詐欺師は存在します。某宗教はそうしたニセ霊能者を使って高額な印鑑や壺を売りつけていました。

                  が、どの宗教でも開祖がこの世を去れば、その子孫や弟子達に霊能力が備わっていなければ神の存在が「形式化」してしまいます。神の存在が見えて来ない。神の存在が実感が出来ないとなります。で、【儀式】優先の宗教となります。

                   

                  私は伏見稲荷講社に所属していて、稲荷神とその眷属達が何をしているのかを4年間に渡って見させて貰いました。その後、2番目の師匠となる【言霊師】の元に行ったことで、【言霊】の存在で私の神観は【百八十度】ひっくり返ることになりました。

                  そこでは「言霊」の存在のみならず、霊や神霊を呼び出すのに【儀式】などを一切必要とせず、神霊や霊を叩くなどが出来たのです。

                   

                  例えば、世に虐め問題があります。ある相談者が夜に相談に来て、自分の子供が就職したが会社の先輩に虐められて耐えられない。今日は金曜日で明日から会社は休みですが、月曜の朝に会社に退職届を出すと言っています。なんとかして欲しいとの依頼です。

                  即座に2番目の師匠は霊媒通しで、その虐めをしている先輩の「生き霊」を呼び出して、説得したが言うことを聞かない。そこで、その「生き霊」を徹底的に叩くでした。それは凄まじいまでの叩き方です。

                  その相談者の子供さんが朝会社に行くと、その前にその先輩が会社に「辞表」を出していて、その相談者の子供さんは持っていた退職届を出さずにすみました。その会社で無事勤めが続けられるとなったのです。

                   

                  私はその「生き霊」を叩く。それで物事を解決する。それはその一例だけでなく、幾つもの事例を見て来ました。生き霊を叩くと肉体まで解るのです。

                  その2番目の師匠は大本教の某大幹部の生き霊を叩いていました。言霊の学会で、その師匠とその某大幹部が出逢ったのです。すると、その某大幹部は夜な夜な私を呼び出して私を叩いていたのは貴方でしたかと口に出したのです。その肉体は夜な夜な誰かに叩かれていたことを知っておられたのです。そして師匠を見るなり、貴方でしたかと来たのです。

                  それが元で、その某大幹部が催す言霊の学会で2番目の師匠が講演を依頼されて、私がその師匠に代わって講演したところ、「帰れ帰れ」の大コールを受けてしまったなのです。

                   

                  私がその2番目の師匠の元を離脱する時、その師匠は私に【死に神】を送りつけて来ました。それを知らない私は毎日が下痢で体は衰弱して点滴でなんとか過ごしていましたが、医師では治らないと閃いて指圧師の元に行くと、腸が動いていないで、腸が動く指圧を受けたのです。腸が動いた時、私に送りつけられていた【死に神】が見えたのです。

                  その【死に神】は、正体が見られたら死に神の役目が出来ない。詫びとして、お前が殺したいと思う者があれば、何時でも私を呼べ。そいつを殺してやると言いましたが、結構ですとお断りしておきました。

                  その2番目の師匠は、これまで幾人もの霊能者を霊力で殺したと豪語していて、その信徒さんに「まもなく私が死ぬだろうから見ておけ」と言っていました。その信徒さん達は私が何時死ぬかと、恐怖まじりで見ておられたそうです。

                   

                  こうしたことは西洋で【黒魔術】と言われ、その反対に返すことを【白魔術】と言っていますが、日本でも霊力で人を殺す【呪詛】と反対の【呪詛返し】は現在も秘密裏に行われています。

                  それらは「スピリチュアル」とか「タロット占い」などの世界ではなく、実際の霊的世界ではそれがあるのです。私が霊界は「切った張ったの世界」だと言っているのは、行に行を積んだある系列の行者に「スピリチュアル」では勝てないのです。

                   

                  霊能者「江原敬之」さんの様な単に霊が見える力だけでは、行に行を積んだ行者筋には通用しないのです。私の2番目の師匠は三年間某山に籠もり、松葉や熊笹を主に食して霊力を付け、その元に来た信徒全員が正座したまま「空中に浮揚」させていた【仙人】級だったのです。

                  その元では【儀式】などは一切必要はなかったのです。即座に龍神を動かし、力の弱い神霊ならば消してしまうです。ですから私はその師匠の名乗りの【国常立尊の現身(うつそみ)】を、一時は信じてしまったのです。それ以後、それ以上の霊能者を探したのですが、未だに見つからずなのです。だが、日本の中にはそうした行者筋が居られても別に不思議ではありません。隠れておられるからです。

                   

                  こうした霊界の実相は、お釈迦様やイエスや弘法大師様と言っていても、実は解りません。宗教学をいくら学んでも解りません。

                  さりとて、いくら行を積んで桁外れの行者となつて空中を飛んでいても、人間性が出来ていないとなれば、これもダメと言えます。いくら桁外れの霊力があっても、肉体には死がある以上、肉体を終えればそれで肉体が持っていた霊力は終わりなのです。

                  そうした証拠として、霊場ではこの世に生きていた当時は霊力を誇っていた霊能者たる行者霊が、何百年もさ迷っているに遭遇するからです。この世に生きている時に「改心」の言葉を忘れていたからでしょう。

                  伏見稲荷山の清明瀧の瀧場でも清明舎に宿泊していると、真夜中に滝音と一緒に行者霊の天津祝詞や般若心経を唱える声が聞こえて来ます。【行者の末路哀れなり】と言いますが、行を積んで霊力の誇示だけに明け暮れて掴んだ神力だけでは天国の道は閉ざされてしまうのです。

                   

                  世にいじめ問題は絶えません。では、霊能者に頼めば有効かと言いますと、その御神霊によっては虐め問題は解決出来るがあります。私も豊受姫にお願いして助けてもらったがあります。しかし、神社にお参りしただけでは聞き届けは無理なのです。

                  2番目の師匠がしていた虐めをする「生き霊」を叩くは、霊能者本人ではなくて側に優秀な巫女(霊媒者)を必要とします。その巫女(霊媒者)が「生き霊」をその肉体に留めてくれていないと、生き霊に逃げられてしまうからです。

                  霊が見えるとか霊と会話が出来るのスピリチュアルの方は多数居られますが、霊を肉体に留めておける巫女(霊媒者)はそう簡単には存在しません。為に、そうした方が見つかると霊能者間で取り合いになるのです。

                   

                  この「生き霊」と「死霊」の違いとは、不思議なことに「生き霊」は嘘を出さないが「死霊」は嘘つきで信用がおけないがあるのです。ただ、「生き霊」は霊界のことを聞いても解らず、霊界の話は「死霊」に頼るがあるのです。神社に鎮座する神々もこの世の存在ではないので、ある意味「死霊」なのです。

                   

                  何故に肉体を持つ「生き霊」は嘘の言葉を出さないのか?。

                   

                  改心は、この世に生きている内に致せ

                   

                  死んでからの改心は難しくなる

                   

                  そこにあるのかも知れません。肉体に魂がある内は「良心神」が存在しますが、肉体を終えれば魂に天帝の分魂で在る「良心神」が存在しなくなるので、【改心】が進まないと考えられるのです。

                   

                   

                   

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                  大地は沈むの日本列島沈没説はアカシックレコードに要因があるのか?

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                    私は霊能者とは言えませんが霊媒体質者ではあるのです。ただ、少々の霊の憑依を受けてもそれで自分がのびてしまうなどは簡単には起きません。ですから、過去に失敗はしましたが龍神の浄霊。稲荷神の浄霊という神霊すらも浄霊するを体験して来ました。

                     

                    霊的世界に関わる者達の中で、特に霊媒体質者は「彼岸の時」と「盆の時」は肉体がきついとされています。霊の懸かりが普段よりも多いからです。

                    一般的に言えば、そんなことは【迷信】だ。キリスト教やイスラム教では盆とか彼岸等言われていない。彼岸とか盆は日本等の仏教徒だけだと言われればそうなのですが、この世で仏教の教えを受けてしまうと潜在意識として働いて来るのは歪めません。その意識で霊界に入るとそうしたことも起きて来るのかも知れません。が、日本ではそうした時節は霊媒体質者はきつい時期だと経験はしているのです。

                     

                    私はこれまで盆や彼岸で自分がのびてしまったなどは無かったのですが、今回の彼岸は完全にグロッキーになってしまいました。龍神などの強い汚れた神霊からではないのですが、全体的なものを受けてしまったと言えます。

                    他の霊媒体質の方達も、この年の秋の彼岸は霊の懸かりが例年よりもきつかったと言われていますので、霊界で何らかの動きは起きたと言えます。私達の目には見えない世界で何が起きているかは解らないので、そうした注意が要るのです。

                     

                    今、霊界では何等かの現象は起きている

                     

                    私達は建物を建てる時、【地鎮祭】をします。何故に、そうしたことをするのかと言いますと、土を動かすと【霊】が動く可能性があるからです。古来より、死者の霊は草葉の陰から見守っていると言われたように、また亡者道でも解る様に、死ねば天国などと言う教えはなかったのです。ですから、そうした地に眠る霊に動かないように「鎮まってください」と地鎮祭の儀式をするのです。そうしたことを迷信と取るか取らないかは、霊の憑依を知らない人にとっては単なる迷信で終わるでしょう 。

                    今年は地震や水害が多く、地がかなり流動しました。それも一つの原因とはなるのです。

                     

                    この秋の彼岸の期間中の25日未明。私が夜中にトイレに起きてまた眠ろうとすると、ある光景が出て来ました。夢ではなくて眠ろうとする前に出た霊的映像の光景です。

                    そこには多くの高層ビルが建っています。その地がどこの都市かは解りませんが大都会です。その高層ビルの地面が大きく崩れて土地が割れています。その大地の割れ目の中にそうした高層ビル群が次々に倒壊して飲み込まれていくのです。大地震?。それは私がこれまで見た大地震の規模ではありません。大地が割れて高層ビルすら飲み込まれると言うとてつもない崩壊です。

                    そして、海岸からはその高層ビルよりも高い海水が襲って来るのです。大津波?。それは大津波の規模ではないのです。高層ビルよりも高いとんでもない高さなのです。?と見ていると、大地がビル群諸とも海の中に一瞬にして沈んで行く様です。

                    伝説として、超古代にアトランティス大陸とかムー大陸とかレムリア大陸と呼ばれる大陸があったが、地殻変動で沈んだとされていますが、そうした【地殻変動】により大地が沈む光景と言えます。大地震の規模ではないのです。

                     

                    1999年以前、小松左京氏のベストセラー小説の【日本列島沈没】が映画化されました。映画化そのものは西暦1973年と西暦2006年と2回あります。この映画そのもはSF小説で日本列島そのもものが完全に沈没するではありませんが、小松左京氏は何からこの題材のヒントを得たかです。

                    これは、アメリカで「眠れる偉大な予言者」として知られた【エドガーケイシー】の予言の中に、西暦1999年に日本列島沈没。続いて西暦2000年にアメリカ大陸沈没の予言があり、そこから小松左京氏がヒントを得て書かれたSF小説と聞いた覚えがあります。

                    1999年の少し前、一部の霊能者達が「エドガーケイシー」の予言精度を知る為に日本列島のエネルギーを霊査して、現状においてはそこまでのエネルギーは溜まっていないので起きえないが結論でした。もし、それが起きるとすればマグマによる地球の地殻を動かすだけのエネルギーが要るからです。それは東日本大震災を起こしたエネルギーの比ではすまないのです。

                     

                    ただ、一部の霊能者の間では、今日でも日本列島の半分は海中に沈むと言われる方達は少なからずあります。

                    この日本列島の半分だけが沈むと言う論は、本州中央部に【中央地溝帯】と呼ばれる「北アメリカプレート」と「ユーラシアプレート」のプレートの境目があり、糸魚川と静岡を結んでいることから「糸魚川静岡構造線」と呼ばれており、この線を境として日本列島の半分が沈むと言う説です。その場合、西日本が沈むという霊能者の方が数は多いと見受けられます。

                    私自身は「伊勢神宮」が海中に没する映像を見たことがありますので、西日本説が多いのは頷けます。その場合、西日本に住む私などはそれに遭遇するになりかねません。その危険性は無いと断言も出来ず、「エドガーケイシー」の予言は完全に消えた予言とは言い切れません。

                     

                    私は大都会の高層ビル群が次々と大地の割れ目の中に墜ちていく霊的映像を見ていて、これは何だろうと考えていました。要因は【アカシックレコード】と呼ばれる映像かです。

                    この【アカシックレコード】とは日本からではなく西洋の神智学から出たもので、宇宙の初発から各自の前世の【カルマ】となる罪状までも、全てが宇宙空間の特定の磁気帯に記録されているとするものです。無論、科学者はそんな帯は宇宙に無いと全面否定します。科学では神とか霊など絶対に解明は出来ません。

                    アカシックという言葉そのもは仏教で【虚空】とされるもので、この【虚空】から大本教で説かれたウシトラ(牛虎)には【虚空蔵】の意味があることが解ります。

                     

                    アカシック(虚空)=虚空菩薩=牛・虎年の守護神

                     

                    大本教が出したウシトラ金神の意味には、節分の鬼(牛虎)が云うの【魂】論もあれば、過去・現在・未来をも全て知る【虚空蔵】の意味もあるのです。

                    大本教の出口王仁三郎聖師は広島や長崎に新型爆弾(原子爆弾)が投下されて火の海になる。日本国敗戦のみならず、現代のテレビやスマホと思われる事柄、電子メール(空中を飛ぶ郵便)の登場まで予言して来て当たられた方です。未だ来てもいない未来に対する予知予言能力はどこから来たのかとなります。それは【虚空蔵(牛虎)】にあるとも言えます。

                     

                    スピリチュアルでは自分はアカシックレコードを「リーディング」するなどと呼称している方達が多いのですが、本当にそれが出来るならば【超大予言者】に成れる方と言えます。

                    しかし、宇宙にはそうした電磁波の記録的なものは存在している。それは言えるでしょう。そうでなければ、宇宙の初発の映像などが出て来るはずもないからです。私は宇宙の初発時の映像から、聖書の「言葉は神と共にあった」が理解出来たと言えます。

                     

                    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、【私はこの世の幕を降ろし、人類を嬉し嬉しの世(みろく世)に連れて行く】と告げられましたが、それはこの地球ではないが今の地球と同じ型の宇宙船と言われて理解に苦しみました。私達の目には見えない高次元界の地球など想像だにしていないからです。何故にこの世の幕を降ろすと言われるのか?、子供の私に解るはずもありませんでした。

                    しかし、神霊世界の修業に入って、この地球の原動力たる機関(マグマをコントロールする)が修復困難に陥っているを知ったのです。この地球を動かしている原動力の部分を担当している神々(神司)達とは、この世に出ておられる神社に鎮座する神霊達とは別の組織です。それらの神達の日々の修復で、どこまでこの地球が保つかの時間との闘いです。

                     

                    地球の中心【核】は、私達の個々の魂の「核」と連動しています。人々が各自の魂の「核」たる働き、すなわち【良心】神をないがしろにした結果と言えるのです。もしも人々が「悔い改めの良心神」を確立していれば、地球は安泰だったと考えられます。

                    私は人の魂の「核」の働きを「人に内在する良心神」として、言葉の仕組み上から説いてはいますが、スピリチュアルでは【良心】神などは完全に無視なのです。 蛇霊の知恵とされる「愛」一辺倒と言えます。

                     

                    私は聖書のヨハネの黙示録にある新しい地球と天地に人類は移行すると言っています。そうしたことは私一人だけでは無く、少数派には過ぎませんが他にもおられます。そうした中でも今の地球の修復には10万年は掛かると言われる方もあれば、私は100万年は掛かると言っています。そうした見解の違いはありますが、そんな長期間も人類を荒廃する地球に留めるのは、創造神たる天帝が望まれていることではないとは言えます。

                     

                    何故ならば、そんな事態になれば人は生きる為に他の人を喰う共食いの時代に入るからです

                     

                    1999年の当時、少数の霊能者ではありましたが、人が人を喰う時代が来ることを恐れたのです。そんな時代の到来だけはなんとしても阻止したいです。止めなればならないのです。

                    一部の霊能者の説には、その時の地球上の人類は【輪廻転生】を経ないで高次元界に進めるので、宇宙の他の星から地球に転生して来ている宇宙霊人達の魂もあるなどの話も起きていました。こうした論調がスピリチュアルの一部において、何もしなくてもいいのです。自動的に人類は高次元の五次元世界に進めるのですの説となっていると考えられます。

                     

                    今の人類が何もしなくても自動的に五次元界に進めるのであれば、私など出る幕もありません。存在の必要もありません。日本語ではありますが言葉の仕組み等とバカげたことを言っている者にしか過ぎません。私が子供の頃に望んだ旧約聖書の神と称する声が告げた【私はこの世の幕を降ろす】は、この地球が人類存続の為の良い環境を維持出来なくなった時だと考えられます。

                    創造神であるが故に、そうした先を見越して、一部の霊能者達は【バックアップ(予備)地球】を造られたと言っておられますが、バックアップとしての地球や天地を用意されている。それがヨハネの黙示録に「私は新しい天地を見た」とも書かれているなのです。

                     

                    豊受姫のお代であった私の最初の師匠は、【その時は私は既に霊界なので、霊界で高見の見物をさせていただきます】と言っていましたが、一部の霊能者達は「その時は宇宙の霊人達もUFOに乗って見学に来る」等とも言われます。UFOが多数出て来た時には危ないのです。その時節の可能性があるのです。

                    東日本大震災の時、被害に遭われた方達以外の者達は、テレビで放映される恐ろしい映像をまるでショーとして見ていたようなことを、宇宙の霊人達も地球にショーとして見に来るなのです。

                     

                    私が見た映像は「アカシツクレコード」と呼ばれる存在の「未来」の出来事を示す映像の一端かも知れません。だからと言って、それは絶対に起きるとは限らないのです。

                    大本教から出た大予言者である出口王仁三郎聖師は、霊界で起きた(見せた)出来事は必ず現実界で起きる。しかし、それが千年先か2千年先かは解らないと告げられました。私が見た光景もこの世で起きるとしても、それが千年先か2千年先かは解らない代物ではあるのです。それが千年も2千年も先の光景ならば、それは起きないと言ってもいい代物です。

                     

                    だが、引退状態とされる【国常立尊】が用意されていた【バックアップ地球】の存在は、その存在を見た者達。知る者達が出て来ています。そして、人類がその地球に移行しても困らないように、先発メンバーとなる要員達の魂が選ばれていて、その人達の魂は分割されて、既にそちらの新地球にこの地球からの魂の受け入れの為に移っているのなのです。ただ、その魂の間の連絡は遮断されている為に、誰もその詳細は掴めないですが、その時にはこの地球に残った魂が移行しても困らない様にはなっているのです。

                    もし、そうでなかったならば、新地球に行ったのはいいが自分達の【衣食住】はどうなるのかとなります。ですから、準備万端を整えるまでの期間は必要とされていたのです。

                     

                    大本教基本宣伝歌。

                    例え大地は沈むとも、【誠の力】が世を救う

                     

                    誠の言葉で成る存在とは、日本の国に常に立つ御言(国常立尊)

                     

                    私が旧約聖書の神(日本名・国常立尊)と称する声から告げられたことは、【この神だけを唯一の神】としなさい。そうした者達の魂は私が永遠の世に救うです。

                     

                    ただ、創造神との契約の示しには【禊】があるなのです

                     

                     

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                    日本語の各四十一位は、イロハの【ミ】。ヒフミの【ス】。アイウエオの【ラ】。ミスラ神とは弥勒神?

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                      大本教からは日本語の【イロハ】が出されました。イロハは祝詞です。岡本天明氏の日月神示では【ヒフミ】が出されました。ヒフミも祝詞です。そして、私は【アイウエオ】を言っています。アイウエオ(アオウエイ)も祝詞です。

                       
                      私が豊受姫の命令で住んだ土地は、大本教の出口王仁三郎聖師が大正時代の信徒数名に、教団には内密で死守せよと命じられた土地の一部であり。隣接地は出口王仁三郎聖師が一部の直弟子に、みろく世で使われる【お宝】が埋まっていると告げられた土地で、その弟子達がその信徒の遺族を探して掘り返したが何も見つからなかった土地があります。
                      また、私が住む土地の下側一帯は大本教の出口王仁三郎聖師が本当の金龍海で【陸の龍宮城】と残された、かっては底なし沼とされた伝説の場所があります。現在は沼ではなくて多くの住宅が建っています。この地で【金龍神】を見た霊能者の方達は少なからず存在しております。
                       
                      しかし、一方では霊界の汚れの吹き溜まりたる【穢土も穢土】で、それなりの霊能者の方であれば恐ろしくて近づかない。逃げてしまう土地でした。自分がそこに行けば清められると豪語する霊能者でも手に負えない場所でした。この家で起きた大ラップ現象はどの御神霊も手に負えない凄まじいもので、やむなく私が丸3年間に渡り祝詞や御経を続けてようやく沈静化させました。
                      その大ラップ現象が終わった後、私に【言葉の仕組み】が見えて来たのです。と言ってもそれは私の「正守護神」たる霊によるものです。大本教神諭は、【綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ】とありますが、この地から発信しなければならなかったのです。
                      しかしながら、この地が霊界の汚れの吹き溜まりであることは完全に解消されたのではありません。ある霊能者神主が私に告げた、人々が悪しき想念を出し続けている以上。いくら各地で人々が出す悪しき想念の汚れを清めておられる宗教家や霊能者の方達が居られても、その数が少ない以上、この地に人々の汚れた想念は常に流れて来るです。

                      私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたには終わりの日までは、何の神力も授けない】と告げられました。で、私がその終わりの日を尋ねると、【その日が何時かは言えない。言えることは、そなたは最後の日を見届ける】でした。
                      一方、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなはその仕組みを見て人々に告げなさい。そなたが説く仕組みの教えに従った者達はこの私が永遠の世に救う】と告げられたしだいです。その日本に満ちあふれているものとは、日本語のことでした。確かに、日本語は日本が唯一の国と言えます。

                      その言葉の仕組みとは、大本教神諭が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】でした。そこから【みろく神と五十六億七千万】を導くことになったと言えます。
                      何故にそれが可能となったのか?。それは【現在地】に私が住んだことにより出来たと言えます。しかし、この土地は霊能者達によれば霊的に非常に汚れた土地で、汚れた霊の吹き溜まりとまで言われた土地でした。霊能者だと、とても住めない土地です。私に豊受姫からの私がその土地に行くように命令を告げた最初の師匠は、【あんな恐ろしい土地はない。自分ならば行かなければ殺すと言われても絶対に行かない】とまで言った土地でした。私は少しは霊能力がありましたが、霊能者ではなかったので住めたと言えます。

                      その家で起きた大ラップ現象は3年間に渡る長きもので、霊能者に鎮めを頼ったのですが鎮められず。出て来た言葉は日本の神でこの現象を鎮めることが出来る神はないでした。自分でもよく生きられたと思います。何時、そうした現象で殺されていても不思議ではなかったのです。その代償として、大ラップ現象が終わった後に私が得た物が、日本語の言葉の仕組みと言えます。何故に私にその役が来たのか?。それは私に強い霊的浄化能力があったからだと思われます。


                      私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声が本物ならば、本当の創造神だったならば、この先に何が起きようとも、その日本語による言葉の仕組みに従った人達の魂は、新しい世界の住人とはなるでしょう。
                      それは、私がその神と結んだ神との【契約】だからです。

                       
                      大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】における【みのか尾張の国から】出る神の高山たる【四十一】は、アイウエオの【ラ】にはなりますが、何故にその前に【イロハ】と【ヒフミ】を出す必要があったのかです。

                       
                      私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、私に【拝火教】と云う言葉を言って来ました。拝火教を知りなさいです。

                      拝火教?。当時の私は未だ小学生であり、小学校の図書館で調べましたが、拝火教こと【ゾロアスター】教に関してはよく解りませんでした。一般的にはその最高神が【アフラ・マズダー】と呼ばれている程度です。
                      火を聖なるものとして崇めるは理解出来ます。安芸の宮島に参拝して弥山に登って行きますと、途中に真言密教の弘法大師が建立された【消えずの火、霊火堂】があります。今から1200年前、弘法大師が修法して点した火が一度も消えることなく、今も灯されているです。これなども「拝火教」と言えます。
                      私自身は見たではありませんが、私が知る人に、天上界に「消えずの火があり、その火を七人の長老達が交代で守っている。この火が消えれば、全ては消える」と言って来られました。【聖なる火です】。
                       
                      私が子供の当時と違って今は便利なインターネットが普及していますが、拝火教で検索してもあまりよく解りません。これは【ミスラ神】で調べると解って来るのです。「ミスラ」とは【契約】の意味です。
                      ミスラ教を調べると、「ミスラ」神がギリシャやローマに入り、「ミトラス」となり、その言葉の派生が「マイトレーヤ(みろく菩薩)」に変化したのです。また、この「ミトラス」のお祭りが「12月25日」で、これがキリスト教における降誕祭となるのですが、12月25日はイエスとは別に関係はなかったのです。
                       
                      このミスラ神は、古くは拝火教(ゾロアスター教)の最高神【アフラ・マズダー】と表裏一体の神で、天則の神であったとされます。また司法の神で死後の裁判を司る神です。まるで大本教が出した日本の【天之御中主】と【国常立尊】は元は同一神だった神を分けたと同じようなものです。大本教で「国常立尊」は司法の【閻魔大王】だとしたのも同じです。
                      また、キリスト教で説く終末論は、「拝火教」から来たことが解ります。拝火教では、善神群と悪神との闘争の後、【最後の審判】で善の勢力が勝利して、その後に新しい理想世界に「転生」するです。
                       
                      私は神界最終戦争が起きて、悔い改めた善なる人類は新しい天地(みろく世)に「転生」すると言って来ました。同じことでした。
                       
                      元々、お釈迦様の弟子に【弥勒菩薩】などは存在していないのです

                      仏教の【みろく菩薩】とは、お釈迦様の死後に起きた大乗仏教がイラン等に広がって行く過程で拝火教のミスラ神(ミトラ神)を飲み込んで起きたことで、既にあらゆる研究から解って来ています。拝火教との関係です。大乗仏教はお釈迦様の死後に起きた教えであり、中味的には必ずしも正しくはないのです。
                      キリスト教における【ルシファー】も言葉の翻訳過程で起きた間違いだと今では解っていますが、ルシファー堕天使などと今でも信じてやまない学ぶことをしないスピリチュアルが蔓延するわけです。
                       
                      私が受けた使命は、この日本の【日本語】によって、言葉の神が仕組まれた教えの事柄を紐解き告げることでした。
                      その根本となるのは、大本教神諭が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】ですが、このお世話は【誠】の者でないと出来ないと予告されて来ました。その【九つ花】を紐解くと、中心は【みのか尾張の国から出る】国道「四十一」号線の「四十一」となります。
                      大本教から出されたのは「いろは」。大本教で機関紙の編集長をしたこともある日月神示の岡本天明氏が出したのが「ひふみ」。そして、私は「あいうえお」から、ア門からラ迄のアラーの神を意味する「41」で言霊の「ら」を言っています。
                       
                      【いろは】の第四十一位は【ミ】

                      【ひふみ】の第四十一位は【ス】

                      【あいうえお】の第四十一位は【ラ】
                       
                      この「ミ」「ス」「ラ」を並べると【ミスラ】となります。この「ミスラ」神は日本のスピリチュアルではまず語られませんが、インターネットで検索すると出て来ます。

                      インドでは「契約の神」。イランでは「太陽神」。ゾロアスター教では司法の神で光明神。また、人の死後の裁判を司る閻魔大王的な存在とされます。

                      拝火教では最高神アフラ・マズダーが絶対神ですが、ミスラ神はアフラ・マズダーと同等の神とされます。それは聖書における「初めに言葉は神と共にあった」とも考えられ、この存在が「弥勒菩薩(マイトレヤー)」の源ともなるのです。

                      大本教神諭が予告した【九つ花】を紐解くと、言葉の仕組みで弥勒菩薩(マイトレヤー)を出し、光明神、司法神、契約の神【ミスラ】を引き出します。また、司法の神であり人の死後を裁く「閻魔大王」たる存在です。そして私達の魂(ウシトラの鬼が云う)の「核」には、この世の閻魔大王たる良心神(天帝の分魂)があります。
                       
                      ただ、ミスラ神はギリシャやローマに入って「ミトラス」教と名前を変えたので、日本語の「いろは」「ひふみ」「あいうえお」がなかったならば、明確に【ミスラ神】と【みろく菩薩】の関係は出せなかったとも言えます。
                       
                      私が子供の頃、私に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、私に【拝火教(ゾロアスター教)】と伝えて来られたのですが、まさか拝火教から【ミスラ神(弥勒菩薩)】に行くとは、正直私もあまりにもスケールが大きな日本語による【言葉の仕組み】に驚きを隠せませんでした。


                      では、拝火教の創造神たる【火】の神(アフラ・マズダー)は、大本教ではどのように告げたかです。

                      【天之峰火夫皇大神】で、最後は「火」の審判

                       
                      この「天之峰火夫皇大神」の存在は、日本の【記紀神話】には出て来ませんので解りにくい存在でした。大本教から【天之峰火夫皇大神】と出されても、どう補完すればいいのかが解りませんでした。私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声から告げられた【拝火教(ゾロアスター)】に戻って、子供の頃に告げられた【この国(日本)はこの神の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。そなたはその仕組みを解いて人々に告げなさい】と言われた中で、やっと「天之峰火夫皇大神」の意味が解けて来ました。

                      私にとって長らくの「謎」に、真言密教の【大日如来】がありました。日本ではこれを神仏習合で「天照大御神」とされた来た面が強いのですが、伊勢神宮に鎮座されている「天照大御神」ではあり得ないが私の感想でした。それは伊勢神宮の神と思われる霊に拝謁しているからです。そして万体にも及ぶ絢爛豪華な大神霊行列を見せていただきましたが、それだけでは「大日如来」の説明が出来ないのです。
                      無論、真言密教においての「大日如来」は【宇宙を神格】したものであり、霊人である存在を言っているではありませんので伊勢神宮の御祭神はそれには該当しません。

                      では、大日如来を知るにはどうしたらいいのかとなります。真言密教においては、大日如来の【化身】として【不動明王】が説かれています。一時期、不動明王とはインドの【シヴァ神】とされていましたが、現在の学説ではそれは否定されています。
                      この不動明王とは全国に「不動尊行者」が存在し、私が神霊界修行に入る前に訪ねた一人の霊能者から、貴方の守護神は不動明王だと聞かされて、初めて近畿で催された10年に一度の近畿36不動尊の初めての御開帳に行きましたところ、その中の7〜8体ぐらいの主に青不動尊から何か得たいの知れない物をビシビシと飛ばされて、私もこの野郎。心の言葉でやる気かとなったらそれは止まりました。

                      その話を豊受姫のお代であった最初の師匠に話したところ、その師匠は豊受姫のお代になる前は小豆島の某不動明王のお代をしていたこともあり、笑いながらお不動様達は貴方の実力を試そうとされたのです。貴方にとって、そんな物は別にどうということはなかったでしょうと言います。確かに、それほどてもなかったのです。ただ、私に不動明王が守護として存在するが私が祀る対象ではないと言います。
                      そして、その師匠の元で修業に入ると、まず最初に出て来られたのは火炎を上げた不動明王でした。その話を師匠にしたところ、「あなたはいったい何をされているのです。不動明王ごときを出してどうするのです。」と叱責を受けてしまいました。
                      四国小豆島の某不動明王をお代をしていたこともある師匠の口から、【不動明王】ごときと出た言葉に驚いたしだいです。その師匠の言葉では、不動明王よりも豊受姫の方が上位の神であるでした。
                       
                      稲荷行者の中には不動尊行者の方達も多くおられて、稲荷神と不動明王を一緒に祀っておられる方達があります。そうした中で私が見て来たことに、不動尊行者では豊受姫の神力には勝てないでした。無論、稲荷行者と言っても「豊受姫」がバックの方はさほどおられません。普通の稲荷神ならば不動明王と同格の力のようです。もし、不動明王が【大日如来の化身】であるとするならば、豊受姫より神力が劣っていると思われる存在を【宇宙を神格化した神】の化身とするにはあまりにも役不足となります。
                       
                      一部の説にはなりますが、大日如来は【アフラ・マズダー】であり、不動明王はその化身ではなくて【使者】たる位置づけではないかという説があります。私はこの説が正しいように感じられます。「化身」と「使者」は別物です。
                       
                      大本教の出口王仁三郎聖師は【万教同根】と出されました。
                       
                      万教同根とは、【世界のあらゆる宗教の教えは元は同じ根】
                       
                      その概念から世界の宗教を見て行きますと、元は同じ神から出たことも、その取次(宗教家)者の魂の霊格に応じて違う解釈となり、お山の大将に成りたい者達が「教義」を「競技」化させた。また、【悪魔】達に魅入られていった。それらの宗教を調べて行くと、元の神の存在が見えて来るとも言えるのです。

                       
                      私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、ナザレのイエスは千年級。弘法大師とマホメット(ムハンマド)は六百年級という言葉を出されました。これはマホメット(ムハンマド)と弘法大師は同格でも、神界ではナザレのイエスよりは下位だと告げられたのです。大本教の出口王仁三郎聖師は自分はナザレのイエスに何一つ負けていないと述べておられますので、ナザレのイエスと同じ千年級の方だったとも言えます。


                       

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