第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その12(最終)

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    第××項 私見。創造神ならば、この世を終わらせるは不可能ではないが⁉

    私は大本教神諭予告。【九つ花に咲く一輪の言霊の火水(秘密)】に関して、言で成る【誠】の仕組で紐解きました。それは驚くことに、大本教出口王仁三郎聖師が世に出された【ス】の神論ではなくて、本来は【ラ】神論だったのです。
    まさに、大本教の出口王仁三郎聖師が遺言として残された【信天翁(アホウドリ)】にある、【この大本教に現れた変性女子はニセ者だ】なのです。しかも、それは【みのおわり】を示しているのです。
    しかしながら、現在の新神道系の教団ではどこも【ス】の神論で走っています。その中で私がいくら【ラ】神論を説いても、孤立無援に近いと言えます。


    明治25年(いち早くにの西暦1892年)に大本教から世に出された【ウシトラ金神国常立尊】とは、牛頭虎パンツの「鬼」で云うの牛虎(ウシトラ)の【魂】論の仕組であったなのです。
    大本教からは【五六七】大神として、【みろく神】が世に出されました。そのみろく神とは、当然に仏教で説かれるお釈迦様の死後【56億7千万年】後にこの世の終わりが訪れて、人々が忘れていたお釈迦様の本当の悟りをお釈迦様に代わって説き、人類を【未来の世】に渡すとされた弥勒菩薩のことです。
    しかしながら、この地球が所属する太陽系でも誕生してから約46億年と言われており、人類の歴史などたかが知れたものです。一般的に仏教では、今の世は【末法】とされる時期であり、末法は長ければ一万年続いてこの世は終わるとされているのに、56億7千万などの数字はどこから出たのかとなります。私は末法は一万年の予定であったが、八千年縮めたと出た時、エッー!となりました。すると、今じゃないかです。
    が、大本教神諭予告【九つ花】を紐解くと、そこに【みろく】の仕組と【お釈迦様の悟り】と【56億7千万の数字】が見事に浮かび上がって来るのです。

    ただ、その大本教神諭が予告した【九つ花】を「誠」で紐解けと言われても、誰をもってしても解けるものではありませんでした。それは単なる数字の羅列だからです。言で成るを知らないと難しいのです。

    今の世を終える前、人類を未来の世に渡すのが【みろく】の存在

    大本教が日本神道でありながら、仏教の【みろく】を表に出したのは、大本教そのものは世の立替論で、今の世が終わるとまでは告げませんでしたが、みろくの仕組が紐解かれることは今の世は終わって【未来】にと向かうので、「みのおわり」そのものを告げるなのです。
    実によく出来た【神芝居】の筋書きがなされたのです。

    だが、正しき心で創造神の存在を信じる人達は何の心配もないのです。私が子供の頃に臨まれた旧約聖書の神と名乗る声は、【この世の舞台が終われば、そういうことだったのかと神々も人民もこの神の仕組に驚いて、この私に大喝采をして、この神の栄誉を称えるであろう。しかし、その途中の筋書きはそなたにも教えぬ】でした。

    私は、その人民も神々も創造神に対して歓声や大喝采のビジョンは見ましたが、そこに至る迄の過程は見ておりませんので説明は出来ません。ただ、豊受姫が私に言われた【貴方は立替の大嵐の中を突破する】が本当に出来るのだろうかとは思っています。その時にはかなりの覚悟が必要だと思われるからです。

    大本教神諭が予告した【九つ花】とは数列と言霊の仕組でしかありません。しかしながら、その解読をさせる為の言葉の仕組とは、大本教神諭にある「三千」年の月日を要したなのです。
    その為に「モーゼ」も「イエス」も「お釈迦さま」まで、その日本語による言葉の仕組の為に出られたとも言えますし、この地球が365.22日で運行しているのも、霊界物語を読めばそこに必然性があったとなります。
    私はこの言葉を仕組んだ神はとんでもない神だと言うのは、その仕組が日本の神社や仏閣に鎮まる神霊の力では組み立てそのものが不可能だからです。

    ただ、大本教神諭には【世の立替があることはどの神もご存知なれど】とありますが、現実には立替って何だ?。そうした神霊ばかりであり、神界上層部の神霊達は立替を言われても、末端の神霊界に行き届いていない有様を見ると、それが本当に起きるとは断言は出来かねます。どうしても警告の【注意喚起】で終わってしまいます。
    ​為には何も解っていない。解ろうとしない末端神界の神霊は大掃除をしなければならなくなるからです。それには力の発動が欠かせないからです。

    私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声から【私はこの世の幕を引く】と告げられました。だが、それは単に【人類の滅亡】を意味した物ではなくて、その次に【嬉し嬉しの永遠の世が訪れる】為の「今の世の幕引き」であるとも教えられました。
    ただ、その嬉し嬉しの永遠の世とは、この地球上で展開されるのではなくて、聖書のヨハネの黙示録に記載される【今の天地は滅びて、私は新しい天地を見た】の方です。だが、それはあまりにも途方も無いことであり、既存の神霊や天使と称する霊達が語れるようなものでもありません。

    私自身はこの世に何の未練も執着もありません。それは何故かと言った時、別にこの世では苦労ばかりであったからという理由ではなくて、私のこの世に出る前の【天の御国】の仲間達との記憶であり、その仲間達の前に【ただいま帰りました】と言いたいからです。また仲間達と【再会】したいなのです。その仲間達への土産話は、この世での私の体験話と言えます。
    ただ、私が苦慮するのは中有界の霊でも、この世の人でも【神の御国】に案内しようとした時、どの霊も人も自分の概念の決めつけを起こして来ると、霊界の霊壁を越えて神の御国に導いてあげることが非常に難しいのです。私でも神霊でも言う言葉にそんな方法では登れないと反発すれば霊壁が越えられないなのです。
     
    この霊界の【霊壁】を超える方法は、霊壁の存在すらスピリチュアルでも宗教でも説いてはいません。私の最初の師匠はそんな霊壁は存在しないと言うので、私は師匠が霊壁を知らないことに首を傾げて、他の霊能力がある人を当たったところ、幾多の方がこの霊界の【霊壁】を超えておられました。それらの方達がその霊壁を越えられた方法は、私が説く登る方法でした。
    そうした方達は基本的に自己の内在神であるところの正守護神とか本守護神が表に出ておられるのです。その指導の下です。ですから、その言葉に素直に従えるから霊界の霊壁を越えられるなのです。外在神ではそれを教えるとは限りませんので危ないともなるのです。
    私の最初の師匠は豊受姫様の御代でもその霊壁を知らず。豊受姫の分魂を貰っておられた2名の女性はその霊壁の存在を知っておられて、その登り方も知っておられたからです。だが神霊の御代に成るような方であれば、その神霊の言葉に反発されないので、その時にはその登り方に疑問を持たずにその言葉通りに従われるでしょう。
     
    この世では、パワハラとか些細なことに揚げ足を取って他人を攻撃したり、自己の魂を磨こうとせずに他人に嫉妬ばかりしている人達。自己中心主義がはなはなだしくなって来ています。天国天人達の生き方とは真逆の生き方なのです。
    私達がこの世で生きていられる時間など霊界時間らからすると僅かな時間にしか過ぎません。その僅かな時間に出来るだけ魂の修学をしなければならないのに、いくら便利といえどもスマホの【SNS】にしがみついて時間の浪費をする。歩きスマホ等他人の迷惑を何も考えない。車を運転しながらスマホをいじって交通事故を起こして他人を死なせる。最低のマナーも忘れたそんな世の中に辟易しています。
    私はスマホが出て来た時、非常に便利な道具だが使い方を一歩間違えれば自分の魂を地獄行きに誘発させかねない危険な道具と感じました。図星になって来ています。覚醒剤中毒、酒中毒、パチンコ中毒と並ぶ自己の魂を崩壊させるスマホ中毒です。
    ​邪神界は多くの人が邪悪に走って多数派を取れば、天は何も動かないと読んでおられるようですが、天帝が腹を括ってしまわれたら、そう簡単に問屋は卸さないのです。

     
    そうした人達の外見は人の姿をしていても、その魂は【毛物(獣)】と化した様な人達が増えたと言わざる得ません。
    いくら外見は取り繕っても、魂の正体までは隠せないからです。
     
    この世は魂の修行場であり【天人の苗床】でなければならないのに、今では地獄行きの【塾】となって来ている有様なのです。
     
    もうこの世は【魂の修学の場】でも、天人の苗床でもなく
    地獄行きの予備軍の養成所と化して来ています
    魂の修学場としては、もうこの世の幕の閉め時とは言えます

    しかしながら、貴方は本当にそんな途方もないことが起きると信じているのですかと尋ねられたならば、別に信じているではないのです。
    言葉の仕組を見せられると、可能性が「0」でないならば、それに対して【警告】を発するバカがいてもいいと思っているだけです。如何なる天変地異も【心に準備】があるのとないのとでは、霊界に渡る時に違いが起きて来るからです。そこには【天地の差】が生じます。死の時に恐怖心を持つと、それが魂のトラウマになるからです。
     
    その中で、私は
     
    〜歓洋爐虜欧鯑体から切り放てば、この世の幕が降りるは解りました。肉体と魂が繋がる霊子(たまのこ)線の存在からです。魂が抜けた肉体社会など、時間の問題で終わります。
    この霊子(たまのこ)線の存在に関しては、大本教霊界物語や日月神示にもあろうかと思います。またスピリチュアルでも、多くの霊感者がシルバーコードとして知るものです。但し、全てがシルバー色ではないのです。
    時に【神罰】と呼ばれる事柄があります。神霊によっては「この世の命」を取られる事が希にあります。その時、何が起きているのかとなりますと、この霊子(たまのこ)線が神霊により強制切断されるがあります。
    外的死因としては心筋梗塞などの心臓発作で亡くなった等ですが、神霊が神罰を与えた時などに起きてはいます。 ですから、全人類の霊子(たまのこ)線の切断そのものは不可能ではないのです。
     
    ∪蚕颪傍載される太陽も月も星も何の光も輝かないとは少しは違いますが、私達の目で見ている世界を何の光も見えない【真っ暗闇】にさせる物が仕組まれていることも知りました。一種の目隠し【シャッター】です。これも全人類に対して出来るのです。不可能ではありません。
    それを短時間で留めるのか、それとも長々と続けるのとでは違いますが、少し長くすれば人間社会は確実に崩壊します。助けを求めても、光が存在していても私達の目が開いていても、そこは光が見えない目隠しシャッター幕により、光がまったく見えない闇世界なのです。立って歩くのは難しいので四つ足になって、暗闇で食べ物を求めなければならなくなります。誰も助けようがないのです。神のみです。
    これは私の妄想ではなくて、私と同様にその目隠し【シャッター】による暗闇世界を体験された方達は存在しています。この恐怖は味わった者でないと解らないかも知れません。
     
    自分はそうしたことを体験したことがないので、貴方の言うことなど信じませんと返されても結構です。それを味わったら解ることだからです。味わったことがない人にいくら理解しなさいと言っても無理です。しかし、それが起きた時、そうしたことがあると知っておけばパニックにはなりません。暗闇シャッターが開く時間を待つ余裕も出ます。
    ただ、その時に神よ!。お赦しくださいといくら祈っても、聞いて貰えるかどうかなのです。他に暗闇世界として【無間地獄】が存在して来ます。ここに落とされたら、暗闇世界が延々と続くことになりかねません。
    一部のスピリチュアルの方達は、神は愛だから何をしても赦されると説かれますが、それならば「無間地獄」など存在していることがおかしいとなります。
     
    E靴隆筝由けと予告されたことは、全ての人の魂の中に「核」として【真性天照大御神】が存在しているなのです。魂の内部から放たれた火(光)は魂の汚れを焼き尽くす光のことです。それが自己の魂の中に仕舞われているのです。それが起きれば実に恐ろしいことになるのです。
     
    この世の幕を降ろすは、創造神からすれば不可能ではないのだが⁉
     
    私は優れた霊能者の方であれば、,鉢△里海箸浪鬚辰討られると思います。だが、それが【世の立替】時に一斉に行われる可能性までは、誰も頭が回らなかったと思います。どうしても【天変地異】の様なことが起きてこの世は終わると思っているからです。霊界にあるビジョンにはそうした【天変地異】はありますが、起きると断言も出来ないことでもあるのです。
    に関しては、私の最初の師匠は日本神話の天の岩戸開けなどの事実はどこにも存在しないと豊受姫から聞かれておられましたが、まさか、天の岩戸開け神話は魂の【核】たる光を開けることだとは、ほとんどの方は思ってもおられなかったでしょう。
     
    スピリチュアルでどこそこの神社に行ったら、神霊と呼ばれる存在と会話が出来た。その姿が見えたなどは霊人が存在することの証明ですが、世の立替に関してはほとんど意味をなさないのです。
    その時には、それらの神社の御神霊は何の助けの力にもならないからです。神社や仏閣に鎮まっている御神霊そのものも、創造神の裁きの判定の下に置かれてしまうからです。為に、大本教は【三千世界】にそれが起きると宣伝したと言えます。

     
    私が途方も無いと言うのは、新しい神の御国がこの地球上ではなくて、この地球と同型の地球船が存在していると言われたことなのです。そんな、この地球と同型の地球船がどこにあるのかです。天文学でいくらその存在を調べてもそんな地球はありません。果たして物理的に存在しているのかです。
    それに関しては天文学者でも調べようがない異次元の話となります。その新しい地球、もう一つの地球を語る霊能者の方達は、その地球は高次元界に存在していて、科学とか物理では解らない世界に存するといいます。その存在を肯定する霊能者の人達は少しは居られるわけです。
    ただ、それは信じる信じないの問題になると、かなり難しいとは言えます。
     
    この新地球を知る霊能力者達の話をまとめると、元々は七次元界に隠されていた予備地球を五次元界まで降ろして、三次元界に居た人類を五次元界に上げて、その五次元の新し地球の天地に移すなのです。
     
    大本教神諭 明治31年旧12月26日
    【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ】とあります。
    一般的に考えればその人物は大本教の出口王仁三郎聖師さんを指すと考えるべきことですが、何故か出口王仁三郎聖師さんは創造神の大望を述べてはおられません。
     
    また、たった一人の「誠」の人が出て来ても、何の力も持たないでは、こりゃなんだとなります。
     
    優秀な霊能者でも七次元界以上に関わるのはかなり難しく、その地球の確認は難しいとなりますが、その地球が五次元界まで降りて来るとその存在が神々や霊能者には解って来るとなります。
    一般的にスピリチュアルではこの地球が五次元界に進むが定番ですが、その五次元界で新地球に【乗り換える】もあり得るなのです。
     
    スピリチュアルでも弥勒の世が【五次元世界】と言われるのは同じですが、スピリチュアルの方達は、何も心配しなくてもこの地球が自然に【五次元界】に行くのですと言われます。それならば、最後の審判も立替も起きません。事態は変わりません。
    それは【プラットホーム】の考え方を異にしているからです。この地球そのもはプラットホームが【三次元界】でも、それに四次元界、五次元界を地球の上層部霊界に併発しています。日月神示にある【三四五(みよいづ)】です。たぶん、一部の六次元界と七次元界も併発はしているのでしょう。
    その既存の四次元界五次元界に行くにしても、今の肉体という服を脱がないと行けません。今の世の肉体がある身でも、霊能力があれば短時間ならば四次元界五次元界に魂を飛ばして行くことは出来ますが、肉体という服を着用したままで四次元界五次元界には行けていないのです。
    それは霊的世界に関わっているならば解りきっていることなのです。なのに、スピリチュアルを標榜する人達の中には、それを無視したことを平気で言う方があるのです。
     
    確かに、いくらヨハネの黙示録にあるとしても、これまでの天地は消えて、私は新しい天地を見た。いくら霊が見えるとか霊と会話が出来るであっても、そんなビジョンを見るなどはないわけです。考えも及ばないことと言えます。
    それに対して、新しい天地を形成する新地球ではプラットホームそのものが五次元界になるのです。上層界に六次元界七次元界を併発しますので【五六七(みろく)】の世となります。それに、今度は一部の八次元界九次元界も併発されていると考えられます。 ですから、各自の魂の【行く先の審査】が行われるなのです。その審査が輪廻転生の最終審査なので、そこから先が【永遠の世】と呼ばれるわけです。
     
    これまでの世は【三四五】なので、六七界に創造神を見ず
    みろくの世は【五六七】なので、八九界で創造神を見る
     
    創造神とは、自分はこの世で苦しんでいます。どうか自分を助けてくださいとお願いする神ではありません。自分がその神の一介の僕(しもべ)として、どれだけ働けるかなのです。
    自分がこの世で受けている苦しみの原因の多くは、【自分の過去世の罪による】ものが大きいのです。前世の罪の償いとして、その罪分を払いましょうで、祓うではなく払うなのです。
    スピリチュアルでは、自分の過去世の罪である【カルマ】に面と向かって言う方が皆無に近いのです。人は今生のみならず、前世・過去・未来と進む為には自己の【カルマ】を解消しない限り、【高次元世界に進む】などは絵に描いた餅に等しいのです。
     
    私が12回に渡り、本当に世の立替、天の岩戸開けなどがあるかの記事を書いたのは、私が神霊世界に関わった中でのものであり、絶対に起きるという予言でもありません。ただ、誰かがこうしたことを言葉で【仕組】しているなのです。
     
    お前は悪神に騙されているのだと言われたならば、そうかも知れません。ただ、私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなた一人にはその仕組を見せる。そなたはそれを紐解いて人々に告げなさい】と言われたことをしているのです。
    私はその言葉の仕組を見て、これは伊勢神宮の天照大御神とか出雲の大国主命様とかの段階ではない神の存在だと言うのです。
    例え、その声の主は私を【騙して】いる存在なのかも知れませんが、この仕組は既存の御神霊では無理だと解った時、それが悪神だとしても、それを超えれるだけの神が存在するのかと、逆に問いたいのです。既存の御神霊など、全て吹っ飛ばされてしまうでしょう。
    しかし、私はその旧約聖書の神と名乗る声から、【そなたには何一つこの神の力を与えない。そなたにこの神の力を授けるのは最後の最後の時である】と告げられて、言葉の紐解きしか出来ないことから何の霊力も無いのかとバカにされて来たとは言えます。
     
    悔しかったら、力で押して来いです。
     
    そう言われたら、私には返す言葉も何も為す全てはありません。その言葉の仕組をした神に騙されているのだと言われる言葉を受け止めるより道はありません。

     
    私が出雲大社教の先生の元に相談に行った時、その出雲大社教の先生が出雲大社から考えられない内容が降りていますと言われます。それは、私が出雲大社教に転じたならば全出雲神界の力を貴方に渡しますと言われていますです。考えられない内容に出雲大社教の先生は驚かれたのです。
    出雲大社教の先生が言われるのですから、そうした内容が出雲大社から降りたのでしょう。
     
    もし私が神の力を欲しかったならば、出雲大社教に転じる道もありました。伊勢神宮に転じる道もあったのです。だが、私は出雲大社教にも伊勢神宮にも転じるなどはありません。私はそうした神々の宣伝マンではないからです。この日本に満ちあふれているものから「仕組」を解読する役だからです。
    私が言葉の仕組の解説を出したことは、私が最初の者であり、そして私をもって終わるでしょう。誰も【言葉の仕組】などに気づくことがないからです。
     
    また、最初は興味を持って言葉の仕組に取り組んでも、霊が見えるとか霊の声が聞こえるとなると、どうしてもそちらに興味が行きます。現在の霊界には聖書にある【龍神とは霊界で年老いた蛇霊】が存在していて、単に霊が見えるとか霊と会話が出来る程度では太刀打ちなど出来ないのです。
    なまじ「心が綺麗」だけでは、それを打ち破れないのです。蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊とされる神霊の段階を超えないと、【真理】は掴めないのです。

    私が何故にこうした【言葉の仕組】を今日まで紐解いて来たのか?。世間一般論として見れば実にバカバカしい内容ですが、日本語という言葉だけであっても、長年に渡ってそれを仕組んだ神が存在するなのです。
    大本教神諭には【三千年に渡って仕組んだ】とありますが、遙かなる昔から仕組んできた存在があるなのです。
     
    スピリチュアルの世界では「霊の姿が見える。聞こえる」に主眼に置かれていますが、大本教神諭に次の様なものがあります。
    明治38年旧4月16日
    【帰神(かんがかり)ばかりに凝ると、最初は人が珍しがりて集まり来るなれど、余り碌な神は出てこんから、終いには山師、飯綱使い、悪魔使いと言われて、一代思はくは立たんぞよ。】
    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【日本神話の天の岩戸開けの話は、この私が「予言」の為に仕組んだものであり、そなたはその意味を解読して世に告げなさい】でした。
     
    ですから、今回その分だけを告げました。
     
    実際に立替が起きるかどうか解らぬことであり、まして新地球など途方もない話になります。別に私が解いて【言葉の仕組】から来た事柄を信じて貰わなくても結構なのです。
     
    信じる信じないは各自の自由であり、創造神もそれを強制されないからです。
    言葉で仕組まれたものを見て、自分はどうするかは各自の自由です。
    ただ、その時になって後悔の涙を流しても、その時には遅い。それだけなのです。


     
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    第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その11

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      第××項 稲荷を捨てて、言霊(米教)の道へ

      私の最初の師匠がこの世を去る少し前、私に対して【あなたほど摩訶不思議な体験をされて来た人は一人もいないでしょう。貴方の身に起きる出来事が解る神など、日本国中探しても一柱も存在しないでしょう】と言いました。仮に私と同じ体験をされた方があったとしても、言葉の仕組の紐解きは無理だったかと思います。
      私にしても初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫から【貴方は言葉の教えをする方】と聞かされていなかったならば、霊的な遭遇を言葉で解釈する等には行き着かなかったと思っています。
       
      ​私の最初の師匠は幼児の頃から白狐達と遊び、娘時代から不動明王の御代(オダイ)を経て、【豊受姫】の御代となられた実践派の霊能者としては一流の方でした。神霊世界に関わって60年以上、その間に見て来たもの、関わった事件は数知れずです。神霊世界を見聞して来た内容は私が見た比ではありません。
      だが、その師匠をして【あなたほど摩訶不思議な体験をされて来た方は一人もいないでしょう】と言わせしめる体験を私はして来たのです。それは【言葉の仕組】の紐解きの為のものでした。

      私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声は次のように語って来ました。【人はその一生で何もかも知ることなど出来ない。人がその一生で体験出来ることなど、僅かなことでしかない。されど、自分は体験していなくても他の人が体験しているかも知れない。他の人の体験を頭から否定するのではなくて、他の人の体験を聞いて学び、それを自分の体験とするならば、より多くのことを知ることが出来る。学ぶことが出来る。】です。

      私の最初の師匠は豊受姫の御代としては当時癸韻箸盡世錣譴討い泙靴拭その神霊の取次者としての著本は本人自身が述べた「霊能一代」もありますが、最近その師匠を取材して来たライターによる「お稲荷さんと霊能者」という本も出ているようです。「霊能一代」は今は絶版本で、中古本でアマゾンで8万5千円というとんでもない価格がついています。
      霊能一代は発売当初はさほどでもなく、伏見稲荷大社の参集殿や稲荷山の茶店で売られていましたが、神の【オダイ】とは如何なるものか、そうしたことが書かれた著書が他にはあまりないことで貴重性があったとは言えます。

      オダイたる霊能者とスピリチュアルとでは、同じように見えてもまったく違います。スピリチュアルには修業に修業を積んだ方はあまりないでしょうが、オダイは過酷な修行を積んで神霊の【代位者】となっているからです。
      ​私の最初の師匠は100日間断食を2回こなしています。それも単なる断食ではなく、その断食の期間中、毎日伏見稲荷山を一周するという信じがたい荒行です。終盤になると、立って歩くことはかなわずに這って伏見稲荷山を一周したと言います。ただ、当時はそうした修行をする人の為に世話をしてくれる茶店宿が存在したのです。
      その茶店宿は後日伏見稲荷大社の御膳谷社務所となって建て代わっしまいましたが、昔は行者を世話したのです。しかし、こうした修行はその師匠は幼児期から白狐達遊んでいたので可能だったのであり、通常の人には出来ない荒行と言えます。
       
      私は最初に出会った霊能者の方から、私の家系先祖霊から「私には断食や瀧行等の荒行は一切必要無し。そうした荒行はこの先祖霊が代わりに充分に修行を積んできたので不必要」と告げられたそうですが、その霊能者の方から、御先祖霊はそう言われておりますが、何事も体験経験あってのものです。荒行も体験されることをお薦めします。自分は年老いているのでそうした荒行の指導が出来ませんので、そうした荒行の指導が出来る先生を見つけて体験してくださいと告げられました。
       
      そして最初の師匠に連れられて瀧行を受けた後、私はヒンズー教の奥義書とされるヴェダー典に残る【人の中に眠るコブラが目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める】を体験して真理の探求にと入ったのです。
      そして、伏見稲荷山にて当時の師匠は伏見稲荷大社講社の婦人部長をしていたので、自分は講社の用務で指導が出来ないが貴方は龍神さんに守られているので単独で瀧が受けられます。で、二度目の瀧行を単独で受けていると、瀧の水にアップアップして瀧水から逃げようとすると、その瀧水が逃げる私を追いかけて来ます。瀧水が追いかけるなどあり得ない出来事です。
      その出来事を師匠に話すと、師匠は即座に【貴方は瀧行や断食の様な行をなされる方では無い。貴方は「里行」の方ですと告げられました。それでもと思って、その後も瀧行は受けていたのです。
       
      私自身は4年間ほど、その師匠の弟子として鞄持ちで伏見稲荷山で見聞して来ましたが、そうした本に書かれている内容は事実であったことを、自分の体験を通して認識しています。そして他の人の体験も自分の体験としたのです。
      科学者や医学者があの世(霊界)とか神霊の存在を否定するのは、明らかに【体験不足】から来る無知と言えます。

      ​その当時、伏見稲荷大社で私の最初の師匠を見たある行者さんは、私にあの女の方はあんたの先生かと聞き、女性でもとんでもない行者がいるもんだ。男でもこれほど行者はめったにはおらん。だが、これほどの先生をもってしてもあんたを育てることは出来ない。あんたを育てることが出来る者などこの世にはおらん。それはあんた自身解っているはずじゃ。あんたは自分自身で道を切り開かないといけないと言われました。
      私はその師匠から、貴方は神の御子であり自分にはあなたを育てることなど出来ません。ただ、修行の面倒を見させて貰いますと告げられてはいたのです。
       
      私が子供の頃に旧約聖書の神と名乗る声は、【そなたが歩く道は、これまで人類の誰一人として歩いたことがない道で、そなたの後にもそなたと同じ道を歩く者は二度とは出ない。そなたが最初の者であり、そなたを以て最後の者となる】と告げられています。つまり、私には私が行く道の師匠は存在しないと告げられてはいるのです。
      私の行く道の師匠には出会えませんでしたが、霊体験を見させてくれる良き師と反面教師たる師と二人も出会えたのです。私はその2人の師匠以上の霊能者を探しましたが、見つかりませんでした。
      特に反面教師となった「言霊使い」の師匠は、私にとってはもっとも「恩義」のある方となりました。この言霊師の師匠に出会っていなければ、私は【神は言葉】と大本教神諭予告【九つ花】を紐解けなかったでしょう。


      ところがある日、伏見稲荷山で修行中の私の体内から私に臨んだ霊声は、【何時まで稲荷神に欺され続けていたならば気が済むのだ!。この大馬鹿者が】と私を叱って来たのです。それは私が子供の頃に聞いていた旧約聖書の神と名乗る声とは別のものでした。

      それは外部からの霊声ではなく、私の肉体の腹(高天原)からの声でした。それは私に憑依している霊からではないのです。人の腹は【高天原】に通じているからです。人の肉体の頭上から出る霊子(たまのこ)線よりも、腹の臍から出る霊子線の方がより重要なのです。で、私は稲荷神界の神々ですら「欺しの世界」の神と認識して、私は稲荷神界を離れて【言霊の世界】にと転じたのです。
      と言っても、霊能者は掃いて捨てるほど居ても言霊とは何かを知る言霊師と称する方は日本でも若干名です。そんな数少ない言霊師を師匠に持てたのは、全て神の計らいだったとは言えます。が、その言霊師の師匠から【死神】を送りつけられて、その後その後遺症で長く苦しみました。
      霊能者は全て正神界に所属ではありません。今の霊界は力が強い者が支配するで、正神も邪神も存在します。霊界に関わるには、時には自分の命をもっていかれる危険性すらあるのです。
       
      稲荷の稲の教えと【米】の教えは「瓜二つ」でも
      米の仕組とは、言葉を創りし神の存在を告げる
       
      豊受姫の御代をしていたその師匠でも、私に【出来ることならば、神の御代などしたくはなかった。神に仕えて先生、先生と言われるよりも、普通の人として普通に生きたかった】。それが本当の声だと言えます。普通の人として生きれることは、それはとても幸せなことなのです。
      神の世界に仕えるのは自分が選ばれた者ではありません。どれだけ【貧乏くじ】を引いても耐えられるかです。そこを錯覚して、自分は偉い者だから選ばれた者と思うと間違えるのです。
       
      それは私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声から、あることを告げられたからです。【神の世界に仕えることは、とても辛い作業である。特にそなたは他の者よりも辛い道を歩くことになる】。泣いて泣いて涙も涸れ果てたなのです。しかも、いくら気の毒な人を見ても自分に力がない為に助けてあげることも出来ないのです。
      言葉を創りし神は私に力を授けて力で押すのではなくて、私が解読した【言葉の仕組】を見て、そこに創造神の存在を認識して、自らがその創造神の下僕となる人でなければ、大本教神諭が説いた【誠】の者とはなり得ないのです。

       
      その【言霊】の世界に入って、私の神観は百八十度も変わったと言えます
      私がそこで見たのは聖書の【言葉は神と共にあった】なのです
      ただ聖書では、言葉としたことにより【言霊】の意味が解らないなのです

      私はそれを知った時、あまりのことに苦慮しました。神とは神社や仏閣に鎮まっていると思っている人からすれば、言葉は神なりきを知るのはお釈迦様の「悟り」以上に難しいからなのです。

      私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声から【私はこの世の幕を引く】と告げられました。だが、それは単に【人類の滅亡】を意味した物ではなくて、次に【嬉し嬉しの永遠の世が訪れる】為の「今の世の幕引き」であるとも教えられました。

      ただ、その嬉し嬉しの永遠の世とは、この地球上で展開されるのではなくて、聖書のヨハネの黙示録に記載される【今の天地は滅びて、私は新しい天地を見た】の方です。だが、それはあまりにも途方も無いことであり、既存の神霊や天使と称する霊達が語れるようなものでもありません。

      永遠に嬉し嬉しの世に行けるならば
      何故に魂の修行場のこの世に縛られ必要があるのか?


      しかしながら、貴方は本当にそんな途方もないことが起きると信じているのですかと尋ねられたならば、別に信じているではないのです。何故ならば、私は創造神と呼ばれる神の神力をこれまで一度も見たことがないからです。
      巷で自分が創造神と称される霊は見て来ましたが、全てニセ者と言えました。どれほどニセ者の霊が巷にばっこしているかです。そうしたニセ者がばっこするのは、本当の創造神が神霊達にも見えないからと言えます。

      日本にも【国常立尊】様を祀る神社は存在します。しかし、そこに鎮座されているのは【言葉を創った神(日本の国に常に立つ御言)】その方ではないのです。それが解っているからニセの「国常立尊」も世に堂々と出て来るのです。そうしたことは道理をわきまえれば解る話です。大本教は予告であり、立替は未だなのです。
      それは西洋に残されていた、ユダヤ人では無い異国の「言葉の君」は自分は主を知らないと言うのと同じ事です。実際に私は創造神と言われる主神の神力を知らないで、言葉の仕組だけで創造神を語っているからです。

      ​ニセ神達がばっこするするなら、どこかに本物が存在する

      私は2番目の師匠の元を離れた後、自分が何者か調べたくて東京の著名な霊能者の元に霊査を受けに行きました。するとその方が私に言うのです。その方は大本教の世の大立替宣伝の時、その宣伝の大将をされた浅野和三郎師の一番弟子と言われます。浅野和三郎師は大本教を飛び出して、「出口王仁三郎ほどの大悪党はいない」と弟子達に言われたそうです。
      世の大立替宣伝は自分の独断ではなく、総大将たる出口王仁三郎聖師に相談して来たのに、立替が起きなかったその責任を自分一人に押しつけた」と弟子達に憤慨して言われていたと言います。
       
      ​本当に起きるのか確証もないことを宣伝しなければならない立場とは、非常に辛いのです。だが、もしも起きた時のことを考えれば誰かがそれをやらなければならない。そんなことは絶対に起きないと言っている方が遙かに楽なのです。
       
      世の大立替等、絶対に起きない。大嘘だと言っている方が遙かに楽

      その私の霊査の時、その著名な霊能者の方は、さらに私にあることを言われます。【霊界を見るならば、どこかに創造神が存在していなければシステム的にはおかしい。なのに、どこにも創造神の存在の痕跡が無い。これはいったいどういうことだろう】と言われます。私はその痕跡は【ウシトラ(艮)】の言葉ですよと返そうと思いましたが、著名な霊能者の方に失礼だと思って止めました。

      私が子供の頃に旧約聖書の神と名乗った霊声が、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれている世界で唯一つの国である。そなた一人にはその仕組を見せるので、それを人々に告げなさい】と言われたことに関しては出来たわけです。
      この日本に満ちあふれているのは【日本語】でした。日本国中に転がっている言葉に私は創造神を見たなのです。が、それは日本の世に出ているどの御神霊にも出来なかったことだとは言えます。

      私自身は全霊界、全ての神のことが解る立場の者ではありません。私が見聞して来たものは霊界と呼ばれる世界の一部分にしか過ぎないと思います。
       
      それこそ触らぬ神に祟り無しで、興味本位で入る世界ではないのです。

      私が言霊の世界から、再度稲荷神界と関わりを持ったのは、神の世界は創造神と呼ばれる最高神の段階から、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊と称される「身変える」を起こした霊、霊力を保持する龍神とか天狗とかが混在していて、【創造神の御印籠】も役に立たないがあるのです。下位の神霊段階では創造神など見たことも聞いたことも無いと言う霊達の集まりだからです。そうした低級神霊に創造神の存在をいくら言っても通らないのです。

      私達日本人は大本教と呼ばれる宗教が起きるまで、ウシトラ金神【国常立尊】と言われても意味すら解らなかったはずなのです。
      大本教と言う宗教が起きたのは、創造神による【世の大立替】が迫って来たからと言えます。

      私は稲荷神界に入るまでは現世御利益など何も起きないでしたが、私が稲荷神界に入ると私自身には何の御利益も出て来ませんが、私の母親に驚くほど現世御利益が起きて来ました。だが、私が稲荷神界を離れると、またも元の木阿弥の何の御利益も無しです。だが、私は現世御利益信仰では【真理】には向かえないことを知ったのです。
      私の最初の師匠は実践霊能者としては凄い方でした。しかし、その霊格は通常の方より高くても、神霊としての位はさほど上だとは言えませんでした。霊能者とお釈迦様やイエス等の宗教開祖の根本的違いは霊能力云々ではなくて、持って生まれた神格が根本的に違うなのです。【識界】レベルと称されるものです。
       
      私はある霊能者から、貴方は【第十識界】に入ってくださいと言われましたが、それはいくら何でも私には不可能だと返しました。お釈迦様で第七識界。イエスで第五識界とされます。第十識界とは名実共に創造神の段階だからです。いくら修行を積んだからと言って、その域に到達は難しいのです。

      その最初の師匠がこの世を去る少し前に私に言いました。【自分は神を間違っていました。現世御利益で信徒を引っ張るのではなくて、信徒の魂を磨かせる方向でないといけなかった】と。
      私にすれば、そのことに気づいていただけたことは嬉しかったのですが、出来うればもっと若い時に気づいて欲しかったなのです。私はその師匠と初めて伏見稲荷山に上がった時、その師匠に自分の信徒の信仰態度はどうでしょうかと聞かれたので、【どの信徒さんも信仰熱心はいいのですが、神様に対して何かをして差し上げるではなく、神様から何かをして貰おうの現世御利益信仰ではその拝んでいる神霊以上には成れません】と答えました。
      すると、その師匠は【さすがに神その方の言葉は違う。人は稲荷神以上の存在に成れるのですか】と尋ねられたので、蛇霊や狐霊を神として拝していれば、自分がその段階以上には行けないのです。高次元の神には到達出来ないのです。と言っておきました。


      稲荷神界は現世御利益で人に神の存在を認識させる効能はありますが、自分の魂の磨きにはさほどつながらないのです。日本神道には根本的に教えがありません。それを美徳と考える神道の神職さん達は居ますが、要は日本神道界からはお釈迦様やイエスほどの存在が出て来なかったなのです。やっと大本教の出口王仁三郎聖師が出たなのです。
      ​蛇霊や狐霊に万物の創造などの能力はありません。現世御利益を与えて人が自分に頭を下げてくる。それが楽しいとか面白いなのです。ですから、白狐などは人間の分際で頭が高いと、間違った方向に行きます。だが、白狐達よりも高い世界に行ける人ともなれば、そんなに多くはないのです。

      人はこの世に【現世御利益】を求める為に生まれ出て来ているではなく、どんなに辛くても自分の魂を磨く為なのです。それが【この世は魂の修業場】の言葉です。魂の修業とは霊山での修業では無く、人と人の交わりたる【里の行】です。
       
      日本人は【里の行】で【米(世根)】たる者として実る

      私が初めて【言霊】とは何かと知った時、私の【神観】は百八十度もひっくり返ったと言えます。聖書に【言葉は神と共に在った】と記されていても、その意味を西洋人は誰一人として解っていなかったなのです。
      大本教神諭に【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】。それは【誠の者】でないとお世話が出来ないとありますが、単に神霊が見えるとか神霊と会話が出来る程度では解読など出来ないなのです。【誠】がないと無理なのです。何故ならば、世に出ておられる神霊でもその仕組を今日まで理解されていなかったからです。
       
      ​私は今の世に出ている神々には【誠】がないと気づいた時、神々に立ち向かうにはあまりにも非力の私には三千世界に身を置く場所も無いと悲嘆しました。が、大本教神諭予告【九つ花】を紐解いた時、私はどこにもその姿が見当たらずとも、言葉で成るの【誠】の神が存在していると解ったのです。私は言葉の仕組をして来た神とは、日本の天照皇大御神や大国主命様よりも遙かに高き存在の神と言います。未だ人類が本当の意味で知らない段階の神です。
       
      私は創造神を見ていないが、言葉の仕組で創造神の存在を信じている者
       
      以後、私は私の前に名だたる大身の神々や如来や菩薩や明王が現出されても、話される内容は一応伺いますが、それに従うことはありません。
      私の最初の師匠が、豊受姫が私のことに関して言われる内容が尽く外れるので、さすがに疑問を感じて、その理由を豊受姫に問うたところ、【あの者(私)はこの神をしても見通せない高度の神界からの力にコントロールされている。あの者の身に何が起きるのかが解る神などは日本国中に無い】と言われたといいます。
       
      この豊受姫が言われた豊受姫をもってしても、見えない神界。解らない神界の上位神界の存在は大本教霊界物語の中に記述はされておりますが、まだ人類はこの神界の存在を知るではないのです。
      大本教から出されたその最高神の神名は

      天之峰火夫皇大神

      この「峰」に隠された意味は【蜂】で、七(質)の世が終わって八(∞)の世に移行する時なのです。
      すなわち、神代【七】の世の終わりで、神代【八】の世の始まり。
       
      終わりにして始めの神
       
      私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声が私に命じたことは、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれている世界で唯一つの国である。そなた一人にはその仕組を見せるので、それを人々に告げなさい】と言われただけではありません。
      この地球から新しい地球に移行するには、巨大な宇宙の【三途川】を船で渡るからです。西洋では【ノアの箱舟】が説かれましたが、今度はこの地球に留まるのではありません。宇宙の大海原にと船出をしないといけないのです。
       
      何故に私は【ラ神】論で【羅神】を説いたのか?
      羅針(ラ神)盤無しに宇宙の大海原を航行が出来ないからです

      私が大本教神諭予告【九つ花】を紐解いて出した【ラ神】論とは、お釈迦様の悟りの【人に内在する良心神】を五十六億七千万で出すだけではなく、今の地球ではなくて新しい天地の地球に移る為の船に必要な羅針盤の【羅神】でもあるのです。ですから、海路図の方位図は【米】型ともなっているのです。
      大本教神諭予告、【この神は北を上にする】が【米型】に気づかれなかったようです。
       
      私がしていることは【ノアの箱舟】と同じことなのです。今回はノアの箱舟と違って別天地たる地球に移るので羅針盤の【羅神】無しに航行は出来ないのです。 ただ、私にもその出港時が何時なのかは解らないのです。
      ここまで言葉と言えども仕組まれていれば、もう信じて進むより道はありません。結果として何も起きなければ私は旧約聖書の神と名乗る声の【捨て駒】であったなのです。九×九路の将棋盤の仕組で働かせられているならば、時には捨て駒として捨てられる駒もあるでしょう。それが私であり自分は創造神の捨て駒であったとしても、それが天の差配であるならばそれに従うだけなのです。
      私は自分の地位とか名誉とかは欲しません。そんなものが欲しかったならば、この仕事は最初から出来ません。
       
      私は多少なりとも神霊世界を見聞して来て、絶対として言えることは私達が死後に渡る「霊界」そのものは存在しているです。そして、俗に言われている龍神とか白狐とか天狗と言われる存在もありました。だが、龍神や白狐や天狗を相手にしていても、何も解らないなのです。
      ですから霊能者はたくさんおられても、それなりの霊力を発揮されていても、まったく【霊界】の真相が世に明らかにならないなのです。闇の中と言えます。
      私は世に出ておられる神々の神力はそれなりに見させて貰いました。しかし、そうした世に出ている神々の神力では世の立替等が出来るとは思えません。不可能です。どなたも力不足なのです。

      創造神の姿はどこにも見えずとも、霊界は機能している

      大本教神諭に世に出ている神達の心の持ち方が悪かったとありますが、この世の私達が接している神とは【世に出ている神達】であって、霊界は圧倒的に世に出ていない神達が多いのです。ですから、創造神の姿はどこにも見つからなくても霊界はその機能を発揮出来るのです。それは【道理】をわきまえれば解ることです。が、その世に出ていない神達で地球船を運行している部門からは、既にこの地球船は異常ありの「SOS」の危険信号は発せられているのです。
      もしも、この地球が何の異常もない安泰の状態であるならば、私は霊界の霊に欺されて【洞(ほら)話】をさせられているようなものです。私が言った内容は信じるべき話ではありません。

      しかし、天才理論物理学者である【ホーキング博士】のこの地球は住めない星となり、この地球から脱出して他の惑星に向かわなければならないは、世に出ておられる神霊の言葉以上の重みを持っています。
      創造神と呼ばれるような神が出て来て、人類を新しい地球に移行させなければ科学者達やホーキング博士が言われるように人類は後何十年間で終わるかも知れません。人類の歴史が終わるのはもはや時間の問題ではあるのです。
      気候問題だけで無く、神国日本と言われたこの国は少子化により、老人が増えて将来の年金制度は間違いなく破綻します。誰が年金を支えるのか?。それは日本だけで無く、中国も襲います。一人っ子政策の余波です。そうした時、世には犯罪が多発して来ても止められなくなります。

      ​大東亜戦争(太平洋戦争)において、日本陸軍のもっとも無謀な戦としてインパール作戦がありました。困難な山岳地帯の戦いに充分な補給を考えない牟田口司令官は、作戦に反対する師団長や参謀を次々と更迭し、補給が出来ない為に弾薬や食料が尽きて撤退命令が出されましたが、撤退するにも食料が無いで日本軍は飢餓とマラリアで累々たる死体を残したことにより、この山道を【白骨街道】と言います。その時、飢えた日本軍が味方の兵士の肉を食べたことが証言されています。もはや地獄の様だったのです。

      ​1999年の少し前、一部の霊能者からあるビジョンが告げられました。それは太陽が衰えて、世界は饑饉に陥り、人が人を食べる恐ろしい光景です。幸いそのビジョンは危惧で終わりました。さりとて、それを「滑稽の極み」と片付けるのもどうかとなります。

      この地球が悲鳴を上げているのは誰しも感じることですが
      先を見通せない人民の人民による社会の破綻です


      大本教神諭にある、もう本当の神が表に出て人民を守らなければいけない時期と言えます。

      地球環境をよくする為に、今から慌てて電気自動車などにシフトしても、ホーキング博士がもう遅いと言われたように既に手遅れと言えるでしょう。これから先も天候異常はより増して来ます。それは科学的に物理的に来るのであって、私の言葉を信じるとか信じないの話ではないのです。
       
      だが、そこにも未来のへ【希望】はあるなのです。
      大本教基本宣伝歌 【たとえ大地は沈むとも、誠の力は世を救う】
      言で成る【誠】の存在があるのです。
       
      続く
       

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      第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その10

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        第××項 創造神の存在証明?。本守護神・正守護神・副守護神から知る

        スピリチュアル標榜者の方達からは、まず出て来ない言葉として「本守護神」「正守護神」「副守護神」があります。スピリチュアルでそれに比類するのは「ハイヤーセルフ」や「ガイド」という言葉です。
        スピリチュアルにおける「ハイヤーセルフ」は、自分よりも「高い次元世界に居る自分自身の霊」の意味であり、本守護神・正守護神を意味します。「ガイド」とは案内役たる守護霊を指すのですが、単に「ガイド」と言われてしまいますと、私達は旅先の観光名所の道案内人程度の感覚にしか受け取れません。
         
        スピリチュアルで言う「ハイヤーセルフ」が、この世に住む肉体人間の自分よりも「高い次元界に居る自分自身の霊」だと認識しているのならば何の問題もないのですが、多くのスピリチュアルと称する方は、ハイヤーセルフと言えば、何故かミカエルとか、ガブリエルの西洋の天使名ばかりを言われます。
        それでは論理的に破綻します。ならば、貴方の魂は「ミカエル」ですか。「カブリエル」ですかと突っ込んでやれば、あたふたとするでしょう。高い霊界に居る自分自身がミカエルやガブリエルだと言っていることになるからです。初歩的間違いを犯しているのです。
        そしてスピリチュアルを標榜する方達には共通した不思議な現象が見られます。それは西洋名の天使ばかりを告げて、創造神と呼ばれる神に言及しないことです。創造神は居ないのか?。ごときの振る舞いです。
        スピリチュアル病と呼ばれるものがあるとすれば、多くの女子がそうしたスピリチュアル病に罹っておられると思われます。そうしたスピリチュアル病を患っている女子に出て来る西洋の天使名を名乗る霊は創造神の存在をまず語らないでしょう。
         
        私はスピリチュアルだスピリチュアルだと言っている霊感女子で、優秀な霊能者を一度も見たことがありません。論理の破綻者が実に多いからです。

        一方、ガイド(案内役)という言葉は妙を得ています。自分が信仰する信仰神(導き神)にも、自分に憑依して自分の意識を乗っ取って来る憑依霊にしても、その憑依霊の導きで自分がコントロールされるので「導き霊(ガイド)」となります。このガイドの一言で、信仰神も指導神神も背後霊も憑依霊も全てひとまとめに括ることが出来る便利な言葉だからです。
        ただ、そのガイドはこの世での自分に霊的世界を認識させるであって、貴方自身が霊界に入った後のガイドとはならないのです。
         
        私の知人が仕事で落ち込んだ時、その方を自殺に導こうとした霊に誘われて自殺場所を探して高いビルに行き、自殺の前に顔を洗おうと洗面場で自分の顔を見た途端、その顔は自分ではない何物かに取り憑かれていると気づいて事なきを得たことがあります。霊は時には自分の意識をコントロールして来ます。自分を自殺に追い込む、犯罪に手を染めさせるもそこに「ガイド」たる霊が存在して来るとなります。
        非常に優秀な霊媒質者に霊が懸かると、その表情が一変します。その肉体に懸かった霊の顔になるのです。逆に、こうした霊媒質者に観世音菩薩と呼ばれるような霊が懸かると、それはとても美しい表情に一変します。霊媒質者は顔を見ていれば解ることもあるのです。
         
        西洋で言うハイヤーセルフは、高い霊界に居る自分自身を意味した【内在神】であり、神社や仏閣に鎮まる神仏をいくら信仰しても、それは自己の内在神ではなくて、ガイド(案内役)たる【外在神】となるのです。

         
        私が初めて【本守護神】と呼ばれる言葉の存在に触れたのは、私が最初の師匠に連れられて伏見稲荷山の伏見稲荷大社講の支部の「豊受姫と豊川稲荷神」を祭るお塚に参拝した時、師匠の口を通じて豊受姫の神から、【貴方の本守護神は国常立尊様】ですと聞かされた時です。その本守護神とは別に、私の指導神として豊受姫と豊川稲荷の名を告げられたのです。
        その時の私は、「本守護神」と告げられても何が何だかさっぱり解らない状態でした。後で、大本教霊界物語に触れて、「本守護神」「正守護神」「副守護神」とは何かを学ばさせて貰ったしだいです。

        後日、豊受姫の神が言われた私の本守護神は「国常立尊」様が本当に正しいのだろうかと幾多の霊能者に精査を受けたところ、全ての霊能者とは行きませんが7〜8名の霊能者の方から、貴方の本守護神は国常立尊様ですと指摘を受けて来ましたので、たぶんそれは正しいのだろうと思っています。
         
        通常、霊能者と言われる方から本守護神・正守護神・副守護神という言葉を聞きませんので、あまり知られていない言葉かと思っておりましたが、私が出会った霊能者の方はその言葉そのものはご存知でした。
        そうでなかった霊能者の方達は、実にとんちんかんなことを言われるばかりでした。私の守護神は誰かと聞きに行っているのに、貴方の御先祖様が蛇を殺されたので蛇霊があなたを恨んでいます。貴方の祖父霊が美男子の女たらしで成仏出来ずにおられます。エッー?です。私の祖父は美男子などではなく醜男で女性とは祖母以外には縁がない方でした。そうした霊能者の方があまりにも多いのです。無論、その霊能者の方達にはそうした霊的映像が見えているので言われたのでしょうが、いったい何の霊的映像を見ているのだとなります。それで相談料を取るのかです。
         
        残念ながら霊的世界が私達の目には見えない世界の為に、インチキ霊能者が存在して来ます。某宗教はそうしたインチキ霊能者を使って、高価な印鑑や壺を売りつけて組織を創り上げました。その信徒には人気アイドル歌手であった方も存在しますが、自分がその教団の広告塔に使われていることに何一つ気づくではありませんでした。
        この世の法律ではそうした宗教に関わったことで金銭被害者を多数出した罪で裁かれことはなくても、自分が広告塔になったことから多くの被害者を出した罪は霊界で問われることにはなるでしょう。
         
        各自にはガイド役たる守護霊が就いておりますが、その守護霊そのものが道を間違えるがあるのです。
         
        私が神霊世界修業に飛び込む前、私の前に三体の僧侶姿の方が現れました。その真ん中に立つ坊主姿の方は、それ以前にも見かけており、私の先祖霊であると感じていましたが、私の家系にはお坊さんになった方はおらず、変だなと感じておりました。
        私が最初の霊能者の元を訪れた時、私の目には見えませんでしたが、その霊能者の方は三体のお坊さんが今出て来られました。霊界でたいへん徳がある高い霊で、真ん中の方は貴方のご先祖霊であると言われます。そして、それが私の先祖霊でないと解らないことをその霊能者は私に告げたのです。
        すると、私の家系の先祖であることを証明することを言ったその霊は、私の家系先祖霊であることはまず間違いありません。ただ、私の家系は私の実祖父が養子として入った家なので、その家系先祖霊と私の間には肉体の血脈関係はありませんでした。
         
        霊的世界に関わっていますと、霊媒者にお前の父だと名乗る霊が突然に懸かる等があります。霊媒者は霊を受ける装置のようなもので、その霊がその名乗り通りの霊かどうかを判断していません。それを判断するのが審神(サニワ)であり、その霊がその名乗り通りの霊かどうかの証拠を出さないと、本物とは認められません。そうしたことをまったくしないのがスピリチュアルと言えます。自分の目に見えた物が絶対から先行きしないのです。
        私の2番目の師匠の女狂いが始まった時、その師匠が側に置いた女性に神が懸かるので見に来いで、私の家に宿泊していた霊能者の方と一緒に伺うと、その女性がわらはは○○大明神なるぞと始まりました。よく見ると、その肉体のお尻から霊的な大きな白い尻尾が出ています。頭隠して尻隠さずです。
        ありゃ!。白狐でもノラに近い狐霊です。その霊能者の方と笑いが吹き出しそうになるのを必死に堪えて、二人してハハッーと平伏しておきました。そして、一緒に行った霊能者の方と、あの先生も女に狂って見る目がなくなった。モウ終わりだなと話をしてました。
         
        審神(サニワ)のコツとして、その霊を最初からとっちめないがあります。ある程度は欺された振りをして話を進めて行く。聞き出す。そしてその話の矛盾を溜め込んでおいて、一気にたたみかけるがあります。蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊ばかりとされる神霊世界で、我れは○○大神なるぞ。△△大神なるぞ。そんな名乗りを頭から信じるなど危険極まりがないのです。
         
        神霊名を名乗る霊には、その証拠を求めるべし
         
        ところが、その三体の真ん中の方が、時には別の僧侶姿で出て来るのです。その方が私に見せられる姿は、どう考えても【日蓮聖人】さんなのです。そしてその両脇の2人の僧侶の方はその名乗りから、日蓮さんの直弟子であった方達と解りました。
        そうなりますと、ますます頭がこんがらって来ます。どうして、私の家系先祖霊に日蓮さんの直弟子霊が二人も一緒に出て来るのだです。私の家系先祖霊と日蓮さんの直弟子であった二体の僧侶の方達とは生きていた時代背景がまるで違っているからです。
         
        私はかってヤフーの掲示板「輪廻転生」で、「てんてん」の名で論陣を張っておりましたが、スピリチュアルでもかなり力があると見受けられた女性が、私の背後には「達磨大師さん」と「神農さん」と「血の臭いが漂う戦国武将の様なお坊さん」の三体が居ると言います。
        後に別の霊能者の方から、貴男の家系御先祖霊は自分で自分が制御できなくて暴れに暴れていた。それを押さえる為に【法華経】を学ばれて、おとなしくなられたと言いましたので、戦国武将のような坊主の感じだったのでしょう。
        私は豊受姫の神から、【貴方の家系と妙見様】とは如何なる関わりがあるのですかと質問されて、能勢妙見に参拝したところ、「達磨大師」と「日蓮聖人」さんの姿を見ましたので、【妙見様】と関わりがあることは感じていました。
         
        あるサイキッカーの方から、【貴方の背後に日蓮さんらしき姿の方が見られる。だが、日蓮さんのように見えているけれども日蓮さんではなさそう。しかし、雰囲気があまりにも日蓮さんに似ている。変だな】と言います。
        そして、私が出雲大社教の霊能者の元に行った時、その出雲大社教の教師は不思議なことを言います。【貴方は出雲の神が守らなくても、貴方の背後には出雲の神に匹敵する力を持った御先祖霊さんが居られます。その月命日は29日です。五代前と思われます。調べてみてください】と言われます。
        そこで調べると月命日が29日のご先祖霊が居られました。五代前です。しかし、その先祖霊が出雲の神に匹敵する霊力を持っているとは?。如何なることかと首を捻っていました。

         
        ある時、私が家の仏壇を拝していると「白蓮のつぼみ」が見えて来てポーンと花が開きます。そして次に金文字で【日蓮、日蓮】とフラッシュして出て来ます。さらに、「南無妙法蓮華経」の金文字までフラッシュして出て来ます。金文字で出て来るのは疑う必要がないものです。
        慌てて、最初の師匠の元を訪れて聞いたところ、貴方のご先祖霊さんは【日蓮聖人その方ではありませんが、日蓮聖人の御分霊(後身)】だからですと言います。それは日蓮さん自身の本体たる魂の生まれ変わりではなく、その魂を分派させて肉体に降ろした存在と言われます。それで日蓮さんの直弟子であった2体の霊が、時にはその先祖霊と行動を一緒にしていたなのです。
        出雲大社教の教師が、私を出雲の神が守らなくても出雲の神に匹敵する存在とは日蓮聖人を指して言っていたと解りました。日蓮聖人が私を守護しているとなれば、その背後には日蓮門徒衆の霊があるとなります。信徒数から言えば出雲大社の信徒数より日蓮宗門徒数の方が多くなるでしょう。

        ​私が見ていた日蓮聖人さんのお姿は土ぼこりなどにまみれた黒染めですが、その背後には日蓮宗の高僧と思われる立派な衣装を着た僧侶姿の霊達が無数に従っておりました。
        この日蓮聖人とおぼしき霊は日蓮正宗の開祖である日興上人に関して、私にあることを語られました。それはある意味世には告げられないタブーです。衝撃が大きいからです。だが、それは日蓮聖人が説かれた教えそのもに原因があり、私が悪かったと言われます。師匠の心、弟子知らずです。
        一部に日蓮聖人は地獄に墜ちておられるとブログに書いておられる著名な方があります。確かに地獄界を覗けば日蓮さんを見るがあるかと思います。だが、それは墜ちておられるではありませんでした。ある日、私の家の神棚に閻魔大王とその日蓮さんが並んで出て来られるがありました。日蓮さんの弟子であった方が開祖となっている宗派の信徒達が地獄界に墜ちている。その救済の為に地獄界まで赴かれているだったようです。
        南無妙法蓮華経のお題目にはそれなりの霊力はありますが、南無妙法蓮華経のお題目を唱えていれば天国(極楽)界に行けるではないのです。
         
        ではどうして、日蓮さんの御分霊が私の家系に誕生されたのかとなりますと、霊能者の調べでは私の家系は【国常立尊】の四天王の一つを初代先祖とする直統の家系に当たると言われます。日蓮聖人と「国常立尊」様との間には伊勢外宮での出来事で解るように関係があるからです。そこに出たのが【妙見】です。妙見様とは「北斗七星」の神格化で「天之御中主」。あるいは「国常立尊」ともします。「天之御中主」と「国常立尊」とは、天と地で立場は違うが同体神なのです。
         
        国常立尊−豊受姫(伊勢外宮)−日蓮聖人のラインのつながりです。
         
        後に日蓮聖人とおぼしき霊から【身延山の西の谷】に参拝するようにと言われたので、お礼の参拝はして来ました。
         
        ところが、2番目の師匠は私には【くそ坊主】が付いていると言っておりました。その先祖霊のことです。かなり激しくその師匠に刃向かっていたようです。その2番目の師匠は、自分は国常立尊の現身(うつそみ)だと言っていましたので、その立場から見ると自分に逆らう【くそ坊主】だったようです。
        それは、その先祖霊が二番目の師匠の御祭神は本当の国常立尊様ではないと見破っていたからと言えます。その2番目の師匠の祭神の本当の姿は、やがて私の「正守護神」がその神殿を足で蹴り破って、その正体を暴いてしまいました。それは本当の国常立尊様ではなくて、強力な存在の「猫神」の姿でした。
         
        この日蓮さんの御分霊は私の家系の先祖霊であっても、私の魂とは直接に関係しませんので、私の魂にとっては私の魂である正守護神ではなくて【副守護神】格と言えます。
         
        大本教で説いた本守護神とは、自分の魂を出した天津神たる本体の魂のことです。私の場合はその本守護神が「国常立尊」様だと指摘されるのは、私の魂は「国常立尊」系列の分魂でもあるなのです。ただ、私は「国常立尊」その方ではないのです。
        もしも、私がこの世で堕落した生活を送っていれば、例え「国常立尊」系列の分魂の持ち主であっても私の行く先は地獄界で、自分は誰々の分魂であるなど何の関係もないのです。
         
        死後の霊界での地位は、今の世の自分の生き方で決まる
         
        大本教霊学では「正守護神」は自分の魂の系列で、正しい神として神界に存在する自分自身の魂を指します。スピリチュアルで言うところの「ハイヤーセルフ」です。まだ本守護神たる立場に戻る手前の神界で留まっているのです。本守護神と呼ばれる段階は創造神の世界に近づいた段階からです。
        この「正守護神」と肉体の自分の魂が帰結することを【神人合一】と言います。その段階まで行きますと、この世を終えた肉体の魂は神霊として霊界に入るからです。
        神人合一は日本の「新神道」ではかなり説かれていますが、まったく理解出来ていないのがスピリチュアルを標榜する人達と言えるでしょう。少しも「神人合一」へと向かわずに、ハイヤーセルフだ!。ミカエルだ!。ガブリエルだ!。とやってしまうからです。
         
        大本教霊学で【副守護神】は、自分に懸かって来る「悪神・邪神」を指しますが、それだけではありません。霊能者下ヨシ子さんが、副守護神は自分の4〜5代前の家系御先祖霊で、地獄界から抜け出す一歩手前、肉体の子孫を間違わないように指導して、その功績で地獄界から自分も抜け出すと説いておられますが、スピリチュアルで言えば「ガイド」です。が、家系先祖霊だと霊界での地位が高くても「副守護神」格なのです。自分の魂の先祖でないと正守護神・本守護神には成れません。
        また、自分の前世の魂が地獄界に籍がある状態も「副守護神」と言えます。前世の魂が反省して悔い改めて魂の後身の肉体と一緒に修業を積んで地獄界から抜ける。それを忘れたら、地獄界から抜けられないのです。

        大本教神諭に、人には「全て守護神が一体就けてある」とありますが、この守護神とは、大半が霊能者下ヨシ子さんが言っておられる地獄界から抜け出す一歩手前の御先祖霊たる【副守護神】格のことと言えるでしょう。
        霊界で高い世界に入った御先祖霊は、肉体としては御先祖であっても自分の魂の御先祖ではありませんので、御先祖様崇拝はあまり意味がありません。高い霊界に行かれた御先祖霊は、この世の肉体の子孫のことなど忘れています。肉体の子孫は魂の子孫では無いことも解っているからです。この世で縁を持ったなのです。御先祖供養とは、高い霊界に行っていない肉体の御先祖霊に対する【後祭り】なのです。

        副守護神たる御先祖霊も、【ガイド(導き)】として働いた肉体が神界にと入って行けば、その御先祖霊もその功績により神界にと進むなのです。

        大本教神諭に、その「守護神(副)が自分を立替の御用に使ってくださいと言ってくるならば、どのようにもしてやる」とあるのは、ウシトラ金神国常立尊が「閻魔大王」でもあるからです。大本教弾圧事件で囚獄で命を落とされた方達は、霊界でも高い世界に行かれたとの話があります。それは大本教の信徒だったからではなく、【唯一神】信仰の為に命を落としたからです。そして、その肉体を大本教に道案内したガイド霊も、また上がるなのです。但し、それは出口王仁三郎聖師が存命中までと言えます。​
        私の家に宿泊した霊能者の方が早朝に出かけて帰って来ると、私に【貴方は大本教に入信して、大本教を内部から立て直してください】と言われましたが、私はそれは無理ですと答えました。私は大本教大幹部が主催する講演会で講師をした時、その聴衆は大本教信徒達が大多数でしたが、私が説く内容に、「帰れ!。帰れ!」の大コールをしたからです。今の大本教に私が説くことが解る者がどれだけいるかなのです。
        私は大本教の信徒総代をされた方と会談したところ、その方は私が説く内容を解ってくださっていましたが、その方も今の大本教には貴方が説かれた内容が解る者はおりませんとの答えでした。
         
        閻魔大王ともされる国常立尊が、各自に「悪神・邪神」たる副守護神を就けているのではないのです。家系の肉体の子孫を正しく導いて、貴方もその功績で地獄界から抜け出しなさいなのです。
         
        自分が正しい者と成長する
        それこそが本当の【先祖供養】なのです


        閻魔庁は【閻魔大王(国常立尊)】の管轄であり、世に出ている神々には管轄権はないのです。閻魔庁が鬼の【ウシトラ(牛虎)】であることに気づかないスピリチュアルなど、程度が非常に低いと言わざるえません。
         
        ある時、宇宙だ!。宇宙だ!。宇宙語を会話するという団体に徹底的に霊査(サニワ)が入りました。その結果、その宇宙語とは現在では使われていないある国の地方の古語であったことが判明しました。現代では滅びた言葉なので解析に手間取ったがありました。だから誰も知らない言葉だったので、それを会話している人達は宇宙語と錯覚していたのです。
        それを宇宙語だと信者同士で会話させる。どうして会話が出来たのかとなりますと、その信徒の背後には全て蛇霊が憑依しているでした。その蛇霊達はその言葉が使われていた時代にその土地に生きていた存在です。信者一人一人に蛇霊が憑依することによって、信者同士が知らない言葉で会話することが可能だったのです。
        また、スピリチュアルで宇宙神だ!。としている存在の多くは、霊査(サニワ)では聖書にある【霊界の年老いた蛇の龍神】であることが判明しているケースもあるのです。

        聖書には龍神とは【霊界で年老いた蛇霊】とありますが、霊界で何千年と修業した大蛇霊に自分には単に霊能力がありますでは、太刀打ちなど出来ないのです。

        では、ほとんどの霊能者の方が神棚に祀る御神霊とは何に当たるかです。当然に自分の魂の「本守護神」ではありませんし、「正守護神」でもありません。地獄から抜ける手前の「副守護神」でもありません。御先祖霊の場合は神棚より仏壇になるからです。神棚などは、スピリチュアルで説くところの【ガイド(導き)】の霊が降りる場所なのです。

        信仰神とは、【ガイド(導き)】神なのです
        それには正神もあれば、邪神もあるのです


        但し、何をもって正神とするのか?。邪神とするのか?。は、常につきまとう問題なのです。自分に地位や名誉や金銭を授けてくれるのが正神と考えるのであれば、蛇霊信仰も正神信仰となります。
        ほとんどの方に自己の【正守護神(スピリチュアルではハイヤーセルフ)】が出て来ないのは、高い次元界に居る自分の魂の存在に向かわず、今の苦しみを取り除いてください。現世御利益をください。そうした信仰に走るからなのです。お釈迦様の教えに【この世は苦界】があります。この世は決して楽な世界ではないのです。
         
        一部の霊能者の方達は、神社に行ってもお願いをするな。感謝の言葉を述べなさいと言われていますが、神社は苦しいからと訴える場所ではなくて、日々自分を生かして貰っていることに感謝をすべき場所なのです。
        生きている人からこの世の道案内を頼まれたガイド(導き)神には、その方を死後に天国に案内する絶対責任はありません。生前その神霊を信仰したことで、死後に自分が支配する霊界の一員に登用する。その程度なのです。そうした証拠に、生前は熱心に信仰していたと思われる行者霊が信者諸共数百年も彷徨っているがあります。そうした行者が信仰していたであろう神仏は、その行者を見殺しにしている。私はそうした実態に触れた時、唖然としたのです。
        確かに、ガイド(案内役)は生きている時のガイド(案内役)であっても、死後の世界までのガイド(案内)ではないのです。

        そこに、【内在神】と【外在神】の違いが出て来ます。本守護神・正守護神はスピリチュアルで説く「ハイヤーセルフ」で「高い次元世界に居る自分自身の霊」なので、自分が霊界の階段を上がることでその本体魂に集約されるとなります。 だが、ガイドである【導き神】はどこまで行っても、「高い次元世界に居る自分自身の霊」ではないので【外在神】であり、その段階を乗り越えるとは行かないのです。

        が、自分自身の魂の本体たる本守護神が霊界での地位が低目であっても、【唯一神】のみを神とする信仰であれば、霊界での地位を上に上にと進めることが可能となります。大本教神諭にある、【あんな者がこんな者になった】の【大出世】の道となるのです。
         
        今の霊界の現状は一部の霊能者の方達や霊が【どこを見ても創造神が見当たらない】と指摘して来ますが、「本守護神・正守護神」の存在が認識出来るのであれば、その頂点には【創造神】は存在していなければおかしいのです。
         
        人の魂(大本教の鬼が云う)の核として天帝の分魂(直霊)があり、人の【良心神】として働いているからです。
         
        そしてそれは「この世の閻魔」だから
        地獄の【羅(ラ)王】ともなるのです
        自分の天国行き地獄行きは、自分自身が決めている

        三千世界一度に開く梅の花の意味が解らぬ者ばかり


        ​続く

         

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        第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その9

        0
          第××項 弥勒とはいよいよ始まる改革の力。神様クーデタは失敗か?

          行者の世界でかなり名が知られた方に【金井南龍】師がありました。この金井南龍師は大本教に関して、神様革命(クーデタ)の失敗と語っておられます。

          大本教が世に出したのは、元は創造神でありながら悪神達によって追放された【国常立尊(ウシトラ金神)】様が創造神の立場に復帰予告です。
          ただ、大本教から悪神とされた神々からすれば、【国常立尊】は創造神であったなれども自分達が悪神なので追放したのであって、自分達こそ【正神】の立場の論理になります。実際に多数の神達が国常立尊様の追放を支持したからです。
          その最大の理由は、国常立尊様はあまりにも「厳格な神」であられたからです。誰しも厳格な存在は煙たい。うるさい神だ!。だが、厳格な神を失ったことにより、地の神界は乱れに乱れて好き勝手、国常立尊様の後継の主宰神である盤古大神(木星神)は穏やかであったが為に、逆にそうした神々を押さえきれずに【群雄割拠】となって来たなのです。

          人は誰しも最初は厳格に自分を戒めていても、自分を誘惑する安楽な環境に慣れてしまうと、その環境が良くなります。堕落の道に堕落の道にと進んで行く者なのです。もう自分を厳しく戒める環境には戻れなくなるのです。
          聖書における【蛇の囁き】とは、邪心(蛇神)の芽生えなのです。為に、人は神の園に戻ろうとすれば【巳(蛇)帰る】を起こさないといけなくなるのです。邪心(蛇神)の誘惑に勝つには、常に自分を律する覚悟が必要なのです。

          ​私はヒンズー教の奥義書とされるヴェダー典の中の【人の中に眠れるコブラが目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める】の体験から【真理】の探求にと走りました。【巳(蛇)帰る】からです。だが、蛇霊を抱えていると真理の道が阻害されて行きます。いくら真理からの教えを説いても、その人に蛇(邪)がある限り、目覚めるのは難しくなります。

          キリスト教でも1000派以上あるとされるように、名目上は【イエス】を頭に戴いていても内情は違うとなります。英国で新教(プロテスタント)と旧教(カトリック)が争って戦争まで起こしたわけです。イスラム教もアッラーの神と言いながら、シーア派とスンニ派の違いで国家戦争までするわけです。これらも更に幾つにも分派しています。そして争います。
          多くの方は同じ神を言いながら宗派戦争するのを不思議に思うはずですが、それらは個々の宗教指導者に憑いている守護神霊が違う為に、他の方の守護神霊には従えないとなり、力の強い守護神霊が憑いている宗教指導者は独立して一派を為すからなのです。宗教指導者は霊能者の様に霊が見えるでなくても、その背後には個々の守護神霊があるからです。

          大きな宗教を起こす宗教家の背後の守護神霊は、霊能者で自分には神霊が憑いていますの神霊よりも、遙かに力の強い守護神霊が存在したりするのです。しかもそれが大霊団を形成しています。自分に霊が見える程度では大宗教家の守護神霊団には太刀打ちなど出来ません。為に多くの霊能力者は町の拝み屋で終わってしまうのです。
          霊能者でも力が強い守護神霊を持っておられる方は、一派を起こして町の拝み屋と呼ばれていた立場から宗教家ともなられるなのです。霊が見える同じ拝み屋でも先が違って来るのは、その方の背後霊団の大小にあるとなります。今の霊界の鉄則は、正しいとか正しいではなくて【力の強い者が支配する】だからです。

          こうした宗教団体は開祖は霊能者であっても子孫は神霊がまったく見えないとなります。為に教団を組織化して、子孫に教祖の地位を継がせるなのです。だが、そうした子孫の段階になると、まったく神が解らないとなります。
          また、大宗教家と成った方の魂は秀逸でも、その肉体の子孫の魂は必ずしも秀逸とはなりません。それは魂は肉体に降臨したのであって、その魂が肉体の子孫に継承されるではないからです。


          神霊世界には、何十体か何百体の霊による【劇場型俺々詐欺】グループが存在して来ます。グループの中で演じる神名の役割を決めて、時には美人局(つつもたせ)の様に、霊媒質者に凶悪役霊を先に出して助けることで正義の存在と思わせて、霊媒質者の信頼を得るもあります。
          それらは霊なので、霊が見える方にはいろんな光景を見せます。なまじ霊が見えることで、その真偽を確かめずにコロリと欺されるがあります。それらの霊団は、あわよくば自分達も大きな教団を創りたいと画策するわけです。その時、どうしても霊が見えやすい霊媒体質者がその霊集団の手先に狙われます。
          そうした【劇場型俺々詐欺】グループの親玉には聖書で記載される「霊界の年老いた蛇」。配下霊を多数持つ古狐、古狸、大猫霊が見られるわけですが、その霊に使われてしまった霊能者にはその霊の本当の姿は見えないものなのです。また、霊能者だからと言っても簡単にその正体を見破れるものでもないのです。

          私が伏見稲荷山で先輩の古参講員さんの瀧行を指導していると、その講員さんが何時までも瀧の中から出て来ません。何があったかと聞くと、その講員さんは瀧の中で「蛇の目」の大きな金色の目を見ていたと言われます。
          その件を最初の師匠に聞くと、伏見稲荷山の某瀧場の某龍神が、自分は世に出たいのでその講員さんを自分の御代にしたいと所望されていると言います。その龍神の目です。そこで、私はそれはダメだと言ったのです。理由は、その古参講員さんは霊媒体質であっても神霊の御代が出来るだけの素質・器量を保有されていない。そんな方を神の御代にすれば、後で相談者に迷惑がかかりますと言ったのです。その話は結局消えました。

          何故に人には霊が見える方と、見えない方があるかです。一般的には霊主体従と体主霊従の違いですが、

          実存数×「0(レイ)」=0(レイ) 
          人(実存)×霊(レイ)=霊(レイ)が見える


          人に霊が見えるのは、霊に懸かられることにより見えます。人は誰でも霊を見ることは可能なのです。特に霊媒体質の方ほど霊はよく見えますが、霊媒体質者は修行に修業を積まないと危ないのです。霊媒体質者でない方が霊を見たいと言えば、その肉体を霊媒体質に変える為に断食とか瀧行などの荒行を積みなさいとなります。命を捨てる覚悟があれば不可能ではないのです。
          ​私はこうした記事を書いていますと、私には霊が見えているのだろうと思って、霊的相談のメールが来ます。しかし、私が命じられたのは【この日本の国に溢れているものから、神の仕組を人々に告げなさい】であって、一般的な霊能者とか霊能宗教家にさせるではありません。私に霊が見える必要がある時は、家系の先祖霊が私に懸かって霊を見させるなのです。ですから、守護霊が自分に懸かっていない時には霊はまったく見えません。
          私自身は霊媒質者であっても、自分の肉体に懸かった霊を浄霊して行くで、霊を見る為の霊媒質ではありません。その霊の浄化能力を買われて、不浄霊が吹き溜まるとされるとんでもなく汚れた土地に住んでいるなのです。

          霊が見えるのは、自分が特別に選ばれた者ではないのです。どちらかと言えば体質なのです。ですから、霊が見えることに変なプライドを出すと、必ず邪神にやられてしまうのです。懸かられている霊の正体が見えないのは自分だけとなるのです。いくら霊能力を持っていても、その背後神は必ずしも正神ではないのです。

          例えば、世の中に当教団の御祭神は天照大御神となっていますと言われる宗教団体はかなりあるはずです。だが、その天照大御神は伊勢神宮の御祭神とは何の関係も無い別の存在の神があります。そう名乗っている神霊なのです。だからと言って、伊勢神宮の天照大御神がそれを詐欺だととっちめるなどはないのです。好きなようにさせているなのです。闘えばどちらかが傷つきます。

          ある自称創造神と名乗る教祖霊能者は、天照大御神の眷属は「狸」だとおっしゃっていました。その自称創造神と名乗る霊能者の背後に居た神霊は大狸霊の天照大御神でした。
          その自称創造神と名乗る方の信徒達全員、そうした大狸霊を拝しておられるなのです。 その狸霊の部下霊達が分担していろんな神や如来や菩薩や明王に化けて霊感者の前に現れるです。龍神から白狐まで揃っていました。ですからある程度の数がいないとその役割分担が出来ません。そうした【劇場型俺々詐欺】グループの霊も含めて、まさに群雄割拠なのです。

          そこにあるのは、【勝てば官軍、負ければ賊軍】の習いです
          力で勝てば「正神」と名乗り。負ければ「邪神」にされる


          巷では、自分はお釈迦様の生まれ変わりだと称する方達が何人も現れます。自分がイエスの再来だと言われる方も何人も現れるです。オーム真理教の仮谷さん拉致事件が発覚した背景に、本家本物の釈迦争いがありました。同じ自分の前世は釈迦名乗りで敵対する教団信徒の動向を見張っていた対立派信徒の、まさにケガの功名からこの事件は判明しました。
          だが、ほとんどの方はその教団を信じたい者はそう信じていればよいで、我れ関せずの立場だと思われます。そうした背景から、今の神霊世界がまったく統制が取れていないことを読み切っておられないなのです。

          ですから、【国常立尊】の復帰があるとすれば、その前に【神界統一】が絶対条件としてのしかかって来るとなります。

          国常立尊の復帰には、神界統一が必須条件

          出口王仁三郎聖師と言う怪物に指揮された当時の大本教は飛ぶ鳥の勢いで拡大を続け、このままでは天皇家も危ういとなって、時の国家権力が大本教は邪神のキャンペーンを張って、治安警察をもって出口王仁三郎聖師や大本教信徒を囚獄に、神殿群をダイナマイトで吹き飛ばすなどの大弾圧を行いました(大本教事件)。
          大本教は悪名高き治安維持法で裁かれましたが、裁判で無罪を勝ち取りますが壊滅状態となったのです。

          金井南龍氏は、このことを神様革命(クーデタ)の失敗と述べられたのです。国常立尊様は元の創造神でありながら、国家皇室神道に敗退して元の創造神の地位には復帰できなかったからです。

          すると、国常立尊など元の創造神と名乗っているだけで、さほどの神力が無い神であったのかとなります。

          しかし、金井南龍師は大本教は【予告編】で、【本番】はこれからだと述べておられます。だが、もう出口王仁三郎聖師はこの世には存在しておられません。巷には自分が出口王仁三郎聖師の生まれ変わりだとか、全てを任された者だと発信されている方はありますが、根本的に何も理解されていない節があります。
          確かに、大本教から出されたのは神界革命であり、神界クーデタの予告編とは言えるでしょう。敗軍と言えども元の創造神である国常立尊様が、伊勢神宮に鎮座されている御神霊に負けてしまう(国家神道による弾圧)など神界レベルで考えればあり得ないことなのです。これから先が「本番」だと考えても何の不思議でもないのです。



          第××項 旧約聖書の神と大本教のウシトラ金神の類似

          大本教からウシトラ金神国常立尊が世に出された時、当時の宗教学に関わる知識人や学者達はあることに気づきました。大本教で説くウシトラ金神と旧約聖書の神の性格が似通っていたからです。だが、大本教は同一神だとは説明しませんでした。
          しかし、出口王仁三郎聖師は大本教からは男子と女子の予言者が出た。それは旧約聖書の予告の中の男子と女子の二人の予言者のことだとは言われたのです。出口なお開祖と出口王仁三郎聖師のことです。で、旧約聖書の予言は成就するです。

          そして現在、大本教の演技の「イロハ48音」は、四八音(ヨハネ)の役割であったと語られるようになって来たのです。

          ならば、ヨハネ(四八音)の後に【九制主】を語らなければなくなります。そこに大本教神諭予告【九つ花】があります。【九制主】です。「米」が語る「飯屋」の仕組です。そしてその中心は【救世主】の意味です。言霊の仕組には言霊で解かなければならないからです。
          イロハの終わりは、ピンからキリで【ス】となります。キリとして【ス】を止めた。大本教出口王仁三郎聖師の【ス神】論は起こるべきをして起きたのです。しかし、イロハの四八音では【みろく(369)】花が成り立たないのです。五六億七千万をどこから導き出すのかが解らなくなるのです。
          私は出口王仁三郎聖師の姿をした霊から【アラー】の神と示された時、【アイウエオ】で紐解くとは思いませんでした。ア門ラー。「ア」の言霊から「ラ」の言霊に行く「41」の道。すなちわ、【美濃尾張(みのおわり)】から高山への道。

           
          私は日本神道の世界に首を突っ込んで、日本神道とは【旧約聖書】の世界かと思ったほどでした。私が子供の頃に臨んだ声は「旧約聖書の神」と名乗っておられました。そして調べて貰ったところ、私の本守護神は【ウシトラ金神国常立尊】様だと指摘されてきたわけです。
          私はその旧約聖書の神と名乗る声から、【世の大立替は新しい地球に移行】であると聞かされたのですが、それは聖書の【ヨハネの黙示録】には記載されています。大本教の演技だけを見るのではなくて、聖書も見ておかないといけないのです。非常に大がかりな舞台構成になっているからです。
           

          漢字の【弥勒】とは、【いよいよ始まる改革の力】となりますので、明らかに「神様革命」を指します。そして【弥勒菩薩は兜率天】とされますが、兜率天とは【兜で率いる】天軍ともなるのです。平和的解決ではなくて武力ももって、反国常立尊派の神々を一掃するとなります。その意味では神界【クーデタ】の予告となります。
           
          しかしなが、【国常立尊】様とは自分が元の創造神の地位に戻る為に、そうした戦をされる様な神ではないのです。国常立尊様の追放劇の時、国常立尊様に従う天使達に出された命令は【敵を殺めるな】でした。話せば解るだったのです。
          だが、反国常立尊派の天使達はそれをよいことに、戦うことを避けた国常立尊派の天使達を剣をもってことごとく抹殺したのです。それによって国常立尊様は自分の手足として働く天使達を失ってしまわれたのです。やむなく御引退となるのです。
          この事柄を大本教は、反国常立尊派は「国常立尊」には自分の手足と成る部下の天使達がいない【ダルマ】の状態だと揶揄したとするのです。
          だが、【ダルマ】とは真理のことでもあり、そのダルマの手足となる者が出て来れば、その「真理」は明らかになって来るのです。それを大本教神諭は「誠の者」のお世話でないと解けないと告げたのです。
           
          誠の者とは、ダルマ(真理)の手足と成る者
           
          国常立尊様は自分の命令によって、自分に忠実な部下達をむざむざ敵に殺されてしまわれたのです。その時の国常立尊様には【自衛権】の考えが存在しなかったのです。自分を殺そうと来る者に対しては【自衛権】を行使するです。反対派も言葉を尽くせば理解すると考えておられたのです。
           
          話せば解る。汝の敵を愛せよ!。実に美しい言葉です
          スピリチュアル等はそうした言葉に酔いしれるでしょう。だが、その結果は【問答無用】だったのです。

           
          私個人の推察ですが、敵を殺すことを望まない【国常立尊】様には、敵を抹殺してまでその地位に戻る考えは存在しないでしょう。そこに、国常立尊派も反国常立尊派も共に生きる世界。別世界の創造です。
          その存在が解らないように国常立尊様が隠しておられた新しい地球。二つの地球で、一つの地球は今の地球で反国常立尊派の神達が治める。新しい地球には国常立尊様を【唯一神】とする者達が出て行く神の大望なのです。
           
          この「新地球」「もう一つの地球」に関しては、一部の霊能者の方達もその存在を告げておられますが、どなたも【詳細】はご存知ありません。それは、その新地球が三次元界ではなく高次元界に存在しており、今日まで誰も存在していない星である為に詳細が解らないなのです。
           
          すると、その新地球に移行する者達は立替で未開の土地を開墾しなければならないのかとなりますと、早くから新地球に移行することが解っている魂は、国常立尊様が該当の魂は分割して新地球に行かせて、既に開墾開発に従事しているのです。但し、この世に残っている魂と既に新地球に移行している魂との情報は完全に遮断されている為に、この世に居る魂にはそれが解らない。つまり、自分の魂の半分は既に新地球に行っていても、この世に残っている肉体の自分にはそれが解らないなのです。

           
          一部の霊能者の方達の話にはなりますが、もう正神界の神々は一部の大きな神社を残して本来の神霊は居られない。既に天に帰ってしまわれている。これまでの神社から出て来る神霊は元の神霊ではなくて、その神社の祭神に化けた邪神達との話があります。
          ある時、私はあるビジョンを見ていました。それは私の【正守護神】が白馬に跨がり、数百匹の大型の白狐達が先兵となり、ある中型の神社を急襲して、先兵となっている大型の白狐達はその神社を守っているところの中小型の白狐達の喉笛に噛みついてそれらを倒し、その正守護神達の部下霊達がその神社に居る神霊や巫女霊を捕縛して、閉じ込められていたその神社の本来の御祭神達を救い出す光景でした。
          それは邪神達に神社ぐるみ乗っ取られた本来の御祭神を救出して、天に帰っていただく作業の一端であったのかも知れません。私はその光景を見ていて、本来の御祭神が閉じ込められている神社は少なからずあると見受けました。
           
          そこに来るのが、これまでの【外在神】ではなくて、自分自身の魂である【内在神】に切り替わりです。もしも、最後の審判と呼ばれるものが起きるとすれば、裁きの対象は【自分自身の魂】に対してであり、外在神が審判そのものに関わる出来事ではないからです。

           
          私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声は次のようなことを告げられました。【この私だけを唯一の神と認める者達と、そうでない者達との永遠の別れが待っている】。その時には、二つの地球に言及がありませんでした。だが、別の時にこの旧約聖書の神を唯一の神と認める者は新しい地球に移るを告げられのです。
           
          これを【蜂(8)】の巣別れと言います
           
          今は日本神話でも解るように【七】代目の神代です。この七代目の神代時代が終わると、【永遠(∞)の別れである「八」の神代時代が来ます】。大本教神諭に、【時節には神も敵わんぞ】とありますが、7の世から8(∞)の世に代わる時節が巣別れの時節なのです。

          そこに起きるのは、国常立尊派と反国常立尊派の永遠の別れと言えます。

          国常立尊派は神様革命に失敗したので、元の創造神であってもこの地球から新天地に移られるなのです。
          今の地球に残るのは、反国常立尊派の神達と言えます。

          そうしたことは反国常立尊派の神々はよく理解されており、その時にはもう今の太陽は輝いていないということから、地球内部に地底王国を建設して、人造太陽を造る大計画を推し進めているなのです。
          私はそうした話を霊達から聞いたのではないのです。霊達は「嘘」を平気で出します。私がそれらの話を聞いたのは霊能者である人間からです。そちらも途方も無い大計画大作戦とは言えます。

          大本教の出口王仁三郎聖師を通じての【国常立尊】様の神様革命は失敗だったとは言えます。だが、その本番は大本教ではなくて、聖書の【ヨハネの黙示録】を重視しておかなければならないのです。大本教の霊界物語には、最終場面の記述がほとんどなされていないからです。

          続く
           

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          第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その8

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            第××項 魂を磨くは、創造神と他の神霊達とではとらえ方が違う

            優れた霊能者は【この世は魂の修業場】と言います

            これは、私達の魂は本来は別の世界に存在していて、この世には「魂の修行」の為に来ている説です。で、この世での命を終えたら霊界に帰るです。
            厳しい方だと、【この世は魂の刑務所・流刑地】とまで言われます。確かに、人が輪廻転生でこの世に来るのは、自分の魂に欠点があり「更生」の余地があるからです。更生の為に「甦り(黄泉帰り)」をします。
             
            黄泉(よみ)の国(地下)に墜ちた魂は
            魂の更生の為に、後世の世に甦(更生)り
             
            スピリチュアル等では、自分は何万回も生まれ代わったと誇らしげに言う方が見受けられますが、ならば貴方は「失格者」と言えるのです。お釈迦様は自分は二度とこの世には生まれ出ないと言われ、その後継者として弥勒菩薩を言われたとされておりますが、弥勒菩薩と呼ばれる存在が仏教に取り入れられたのはお釈迦様の死後のことであることは現在の学問では解っています。
            私は大本教神諭予告【九つ花】を紐解いて、それが【みろくと五六億七千万】を秘めていることに気がついて、歴史的あり得ないことがまるで本当にあったかのように作為されたのは【祇園精舎の御守護神】の【牛頭天王】によるものだと解って来ました。

            祇園精舎の御守護神は牛頭天王 大本教は節分の炒り豆の【牛虎】金神

            ​お釈迦様やイエスなどは通常の神々よりも高い霊界の存在で、人類に教えをする為に出られた存在で「黄泉帰り」の存在とはしませんが、一般的に霊能者として霊力が非常に強い方にはこの「黄泉帰り」の方が多いと言えます。
            お釈迦様やイエスが、自分は神霊が見えるとか会話出来ると誇ったでしょうか?。霊的なことではなく、【人としての在り方】を説いて来られたのです
             
            宗教とは、人の胸(宗)に存在するものを教える
             
            大本教の出口王仁三郎聖師は【この世は天人の苗床】と述べておられます。日本神道では人民のことを【青人草】と言います。人類は創造神から見れば如何なる青人草で何の苗?。
             
            日本では人は【米】の苗
            西洋では人は【麦】の苗
             
            この世で【魂の更生が出来れば】天人界にと入ります。どの説も間違いではないのです。どの説も当たってはいるのです。


            私が子供の頃に私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【そなたの前世は悲劇の武将であった。そなたはあまりにも人が良くて人を疑わず、他人の「魂胆」を見抜くことが出来ずに、そうした者達にいいように利用されて最終的には悲劇の主となった。そなたの今世における修業は他人の「魂胆」を見抜く為の修業である】と告げられました。
            それある意味悲しいことです。人を疑わず暮らせるならばそれが一番です。しかし、それは天人界でも行けば誰も疑わなくてもすみますが、この世は天人世界ではなく「魂の修学」の場であり、天人世界に届かない魂が輪廻転生で修行を続け、また地獄界から赦されて出て来ていても、その魂の元来の性質が何度生まれ代わっても更生されずに、他人を妬み恨み、おかしなプライドばかりを持ち、一向に自分自身を見直そうとしない人(魂)達かがいます。

            ​私は【捻れた魂】の存在を見ましたが、捻れた魂とは【魂の汚れではなく、おかしなおかしなプライド、自信過剰】等がその魂を捻らせます。前世からの因果では無く、今生の【今の心】が魂を捻らせるのです。それを知るにはその人の【魂胆】を見るとなります。


            私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【人は死んでは生まれ出て来る。生まれて死んで、生まれて死んでの繰り返しである。人が自分の前世を覚えていないのは、前世の失敗を引きずらない為であり、この神の恩寵(神の慈愛)である。過去の自分が神霊として祀られていることを知らずに、その神霊を崇めて祀ることもある】と言われます。
            そして、人がこの世に出て来るのは、魂の世界からすると【修学旅行】に来ているようなものである。その修学先で「何を学んで」で霊界に帰って来るか?。この世に出て、何も学ばずに霊界に帰って来るであれば、何の為に「この世」に出たのかとなると言われます。

            が、人の前世はまったく出て来ないのかとなりますと見える場合も存在しました。但し、霊能者で人の前世が全て言い当てられるかとなった時、それはかなり「嘘」があると言わざるえません。一つに、人には他の霊の憑依があります。この霊の憑依を見抜けずに、その憑依霊をその人の前世にしてしまわれる霊能者の方も多々見られます。また、他の霊の意識の流入も前世と間違われる一つです。どれほど評判の霊能者でも、全て当たっているとは言えないのです。

            ​私は自分の前世が長く解りませんでしたが、その前世を知ることが出来ました。だが、霊能者でそれを言い当てられた方は未だ存在はしていません。私にそれが解ったのは自分の【正守護神】が出て来たからです。
            ​私は霊能者をしていませんので、人の前世に関しては解りませんが、必要があると思われた時だけ、私の守護神からその方の前世を見せて貰えるがありました。ただ、むやみに見せるのではなくて、その前世に犯した罪により起きている重大な【カルマ】があった場合だけです。
            人は自己の【前世】を調べる必要はありません。何故ならば今の貴方は【過去の前世】を全て引き継いでいるからです。その前世で犯した罪は全て【カルマ】で存在し、今の世でその【カルマ】を消しているからです。
            大切なことは、今の世で将来に残す【悪しきカルマ】の種を残す行為はしてはいけないのです。

             
            この世は【魂の修学の場】で、死後は霊界に帰る
            魂の本籍は霊界なれども、この世は魂の旅の宿泊所
             
            仮に貴方の魂の本籍が第3天国界で、目指すのが第2天国界であれば、この世に出てその修学の結果で上の界にと進めるなのです。それはこの世が魂の修学の場であり、その【修学の結果】だからです。だが、その旅先で何かを起こしてしまいますと、地獄界にも落とされるのです。修学の落第です。
            されど、地獄に墜ちた魂も永遠に地獄界ではなく、この世に出して「魂の更生」をすることによって、天国界の門も開くなのです。為に「地獄界」もあり、地獄界など無いと言うのは見聞不足と言えます。だが、これまでは【永遠の地獄界】は存在しなかったのです。
            最後の審判以後に、【永遠の地獄界】が起きて来るのです。現状の地獄界は「輪廻転生」のチャンスがあるなのです。
             
            正神界は、魂を磨く為に【この世での修学】を語り
            邪神界は、魂を磨く為の【この世での修学】をさせないようにする
             
            日本神道には審神(サニワ)と呼ばれるものがあります。この審神(サニワ)をする為には、あらゆる知識が必要です。そうでないと、邪神が邪神であることを見破れません。その為に、邪神はその神が見せる世界、語る世界だけが絶対的世界だと思わせる必要があり、他から別の知識を得ることを非常に嫌うのです。自分達が見せる物以外は、【見ざる、言わざる、聞かざる】をさせるのです。
            自分の魂を磨くとは、古来から先人訓として言われて来たことです。スピリチュアルを標榜する女性の中には「魂磨きは辛いから止めましょう」の言葉が出て来ます。この手の女性は元々魔女系で魔界からこの世に赦されて出て来たような魂が多いので、どうしても魂を磨くことよりも魔女的な奇跡力に目が行きます。
            そうした魂の持ち主が帰って行く霊界とは魔界なので、自分の魂を磨いて【高天原(天人界)】を目指されているわけではないと言えるでしょう。
             
            一方、霊的修業に修業を重ねて行くのが【神仙界】とされています。まさに、神の様な仙人達の世界です。一般に天人達が住む【高天原】よりも、神仙界は高い世界とされます。
            しかし、豊受姫の御代をされていた私の最初の師匠は、【神仙界】には行かないようにと注意を受けました。一度神仙界に入ると、モウ二度と高天原には戻れなくなるからと告げられました。
            霊界に帰ってからも、まだ修行に修行を続けている神仙界では、仲間達との楽しく語らい暮らす世界ではないからです。何事も自分が一番と競う世界ですから、為に終わりがない修業に日々明け暮れるなのです。そんな世界が理想郷かなのです。
             
            神仙界は高天原よりも上でも、修行に修行の孤独の世界

            私が説いているのは「天人界」に進む為の道です。

            聖書で【神の御国】とされる世界は別名【分かちの国】と言います。住民同士で何物もかも分かち合う精神世界で、【実に穏やかで平安の心の世界】と言えます。その世界の【宝】とは、住民の一人一人の心であり、各自が【良心】を【心の宝】として備えているのです。博愛の精神はその良心の中に含まれます。別物ではありません。
            一方、金銀財宝で輝いている宮殿があるような世界も存在します。しかし、その入り口には大きな蛇が陣取り、俺達の宝玉を持って行くなと威嚇して来ます。金銀財宝に目が眩むよう人は、その世界を目指せばいいのです。金銀財宝に囲まれていても孤独な世界がいいのであれば、そうした世界もあるということです。
             
            国常立尊様は元は創造神でありながら、反国常立尊派から「邪神」の汚名を着せられて表舞台から退かざる得なかった神とされます。そして【鬼門の金神】と呼ばれて来たです。
            しかし、この仕組は道理で考えればかなりおかしいのです。今の世に出ておられる神々は若い神霊達で、超太古の国常立尊との接点があるのかとなります。今の世は【神代七代】とされる世です。だが、国常立尊の名が出て来るのは【神代初代】です。
             
            鬼門の金神は、創造神の作為か?
             
            私達の半永遠の命である【魂】は【鬼が云う】となっています。一部の人達は魂は永遠だと叫ばれますが、現実には魂も腐ったり捻れたりしている魂が存在し来ます。腐った魂は仏教系では【ダニキ天】に食されるとなっています。元に戻すことが出来ないほどの捻れた魂は、霊能者の間では破砕されるとします。
            私の最初の師匠は豊受姫の御代さんでしたが、私に【鬼門の艮金神】など存在していない。見たこともない。人が勝手に作り上げたものと言います。つまり、豊受姫はそう言っておられるとなります。その師匠自身は子供の頃、大本教の少年少女体に所属しており、出口王仁三郎聖師を見たことがある方でした。
             
            私はそれを聞いた時、鬼門の金神とは「陰陽道」が作り上げたものなのですが、大本教では鬼門の【艮(ウシトラ)金神・国常立尊】と大宣伝して来ました。これは【国常立尊】その方が創り上げた神の舞台の仕組だと断定が出来ました。その答えは、腐った人の魂を食べるとされるダキニ天の存在にあるのです。

            ​私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から次のようなことを告げられました。【この神が見せる神の芝居の筋書きは、この私以外の神達は知らない。また、神の舞台に上がらせるそなた達役者もその筋書きを知らない。そなたはそうした舞台の筋書きを知らずに最終幕まで演じなければならない。舞台の幕が降りた時、この私の神の舞台の筋書きは神々にも人民にも解る。その時、神々も人民もこの私が演出した舞台に大拍手となるであろう】と言われます。
             
            その舞台は、ダキニ天が本当は誰なのかが解らないと、この答えは出せません。そしてそのヒントは大本教霊界物語の大江山の【鬼獄】稲荷にあるのですが、おそらくそのことは私以外の方には紐解けない仕組だったと言えます。
            大本教霊界物語に、【国常立尊様の世の大立替に、白狐は下郎(稲荷)の役で奉仕する】があります。私は最初、これは伏見稲荷山の白狐達のことかと思っておりましたが、豊受姫は伏見稲荷山の稲荷神の半分は反国常立尊派だと言われます。するとそれは伏見稲荷山の白狐達ではないなのです。大本教霊界物語を読まないと、解らないようになっているのです。
             
            これは国常立尊の壮大な構想の下に練り上げられた仕組と言えます。
             
            世に出ておられる神々の魂を磨くは、魂の表面に付着する【チリやホコリの類いを祓う】ことだと思っておられる節があります。で、この神の元に参拝して来れば、そのチリやホコリを祓って進ぜようです。日本神道で使用する【大麻(祓串)】がそれです。皆さんが神社で受ける祓いの儀式です。
             
            魂の表面に付着するチリやホコリを祓えば、磨かれた魂???

            実に異な言葉です。面白いのですが、私は神社の神主ではなくて霊界の神主から祓串の修祓をいろいろと受けて来ました。特に霊界の伊勢神宮においては、私の魂が宇治橋に飛んで橋の上で正座をして、霊界の伊勢神宮の神主姿の霊から同じ時間に一週間に渡り祓串による修祓を受けました。その後に万体にも及ぶであろう絢爛豪華な大神霊行列を見せて貰いました。実にきらびやかなものでしたが、私に伊勢神宮の威力を見せる為だったのでしょう。
            ​単に自分の前に伊勢神宮の天照大御神が出て来られたではないのです。大神霊行列を伴っていたのです。
             
            私の2番目の師匠の御祭神は「国常立尊」と称しておられました。私は最初は別に疑ってはいなかったのですが、いくら表舞台から退かれたとされる国常立尊様であっても、その部下霊があまりにも少ないなのです。何万体とか何十万体とまでは言いませんが、主立った幹部でも何十体何百体と並んで出て来ないのではおかしいと疑いを持ちました。
            私が鍾馗神の御案内で盤古大神に拝謁した時、数千霊に及ぶ将軍霊達。そして宮殿の外には何万という兵士霊が見えたからです。それに引き替え、自称創造神と名乗る方達の背後は数十体とか数百体程度です。それでは本物ではないとなります。
             
            魂の表面にチリやホコリの汚れがこびりつくと、その表面には【毛物】が出て来ます。そうなると、魂の【獣】化が起きる可能性が強くなります。それをさせなければ魂の表面は汚れません。しかし、それをもって美しい玉・磨かれた玉ではないのです。
             
            魂の表面をいくら磨いても、魂の中味が腐っていたり汚れていれば、どうやって磨くのですか?。
            魂は鉱物ではなくて、中味は生ものなのです。 だから、魂が腐るも起きるのです。
             
            魂の表面に汚れがつかないと、【素直】な玉とはなります。
            しかし、素直は神を疑わないので邪神に簡単に欺されるなのです。特にプライドが高い人ほどやられてしまいます。プライドそのものが「ホコリ」の類いなのです。
             
            魂を磨くとは、この世は魂の修学の場であり、修学なのです
            人はこの世の修学において、本当の【善悪】の意味を学ぶ
            この世の多くの人と交わって、多くの人の思いを知ることなのです
             
            私は魂に点数が出るのを見て来ました。それは私以外にもそうした現象を見てこられた方はありました。
            単に魂に汚れがないのは【プラマイ0】であって、それ以下でもそれ以上でもないのです。神社に参拝したからと言って、魂の点数は上がりません。例え、神社に参拝していなくても、世の為人の為にと働いて来た人の魂とは磨かれていて逆に高得点が出るのです。天国上界行きはそうした人達に多いのです。
            それはこの世は魂の修学の場であり、よく【修学】を治めたからです。だから、世の為に人の為に尽くした方は死後に第2天国界等に進む様な人が出て来ます。菩薩クラスの天人となるのです。さすがに第1天国界ともなると、如来界なので知識が必要となるので勉学しないと難しくはなります。
            生前は、なまじ神様神様とやっていた方は、死後の霊界でそれほど高い世界には行けません。単に神霊に告げられたことだけを素直に信じて何も考えようとはしなかった。自分の思考能力を発揮しなかったからです。
             
            この世は天人界からも地獄界からの魂も混じって暮らしますので、魂の学びの場としては最高の場所なのです。善人は悪人達から悪を学び、悪人は善人達から善を学ぶを得るのです。
             
            私は常に泥を被ったことがないエンジェル等は使い物にならないと言います。魂の表面が汚れていないだけでは、そうした泥を被ったことがないエンジェルと同じなのです。それでは箱入り息子、箱入り娘で終わってしまうのです。親元(神の園)を離れて、私達が学ばなければいけなかったことは何かなのです。
            人はこの世の「艱難辛苦」を体験することで、その魂に【色】が出ます。その色によって、魂が放つ光がいろんな模様を写し出します。そうした魂の美しい物を神界は【瑠璃玉】と呼びます。但し、これは石の「ラピスラズリ」のことではありません。
             
            本当の神界は人の心が「宝玉」であって、鉱物の石で着飾るではないからです


            続く

             

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            第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その7

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              第××項 そなたは【天の岩戸開け】の意味を解読しなさい

              私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声が臨んでいました。その声は、【日本神話は私が創作させたものであり、天の岩戸開けなどの事実はどこにも存在していない。最後の審判の予告の為である。そなたは何故に私がそうした創作をしたのか、天の岩戸開けの意味を解読しなさい】と告げられました。
              ​私にとって不可解だったのは、私が解読ではなく、その神が教えてくだされば済むことではないかです。それを解読しなさいとは?。

              私にとって不思議だったのは、何故に日本人で仏教徒の私に旧約聖書の神と名乗る西洋の神の声が臨んだのかです。
              私は神霊界修行に入った後、私の疑問は子供の頃に私に臨んでいた声は本当に旧約聖書の神なのかです。そこで調べたところ、豊受姫を始めとして7〜8名の霊能者から告げられたのは、貴方の本守護神は【国常立尊】様です。
              すると、旧約聖書の神と名乗っていたのは日本では「国常立尊」様なのか?。そこから私の疑問の紐解きは始まったと言えます。

              最初の師匠は豊受姫の御代であり、その実力は当時の日本の霊能者の10本指に入るとされていた一流霊能者でした。この世界は無名の方が多いので、神霊からその名が出される方はテレビに出ておられる霊能者よりも優秀な方が多いとされます。
              その師匠が、豊受姫様は【日本神話の天の岩戸開けの事実は存在しない】と言われていますと言います。私が旧約聖書の神と名乗る声から告げられたのと同じです。だとすれば、

              日本神話は旧約聖書の神(国常立尊)と名乗る声の主の作為に基づく創作話となります。

              誰が考えても、弟君の素戔嗚尊の乱暴で姉君の天照大御神が岩窟の中に隠れられたので太陽が消えて世の中が真っ暗闇になった。そこで、元祖ストリッパーとされる天宇受賣命(天鈿女命)が下半身を露出させて踊ったならば、周りの男神達が笑い声を上げるので、天照大御神が何事かと岩戸を少し開けられたところを天手力男神が力で岩戸開けられたので天照大御神が出て世の中は明るくなった。
              こんな子供騙しの日本神話を信じている人達の方がおかしいと言えます。どこの世界に太陽が隠れる様な岩穴があるのかです。仮に太陽でなく精霊としての人の姿であっても、その人が岩戸に隠れたから太陽が消えるなどおかしいと言わなければ嘘です。

              私が大本教神諭予告【九つ花】を紐解く前、私に加佐郡大江町(現在は福知山市大江)の元伊勢の内宮に参拝されたしと出て来ました。で、その日は休日だったので何事かと大江の元伊勢の内宮に車を走らせました。自宅から約40分ほどで行きます。
              ​大本教の出口王仁三郎聖師も大江の元伊勢宮に参拝せよと命令を受けて、その道中に園部で逗留していたところ、既に出口王仁三郎聖師の魂が参拝して来たので、肉体のそなたは来ずともよいと言われたとする大江町の元伊勢宮です。

              私が参道の山道を上がろうとすると、平安貴族の様な衣装を着た男性霊が立っています。霊能者をしていない私が霊を見るなどは希なことです。その平安貴族の様な男性霊は、自分は【麻呂子親王】と名乗りました。
              後で調べたところ、麻呂子親王は用命天皇の第三皇子と言われていて六世紀頃に誕生された方です。聖徳太子の弟で、この元伊勢内宮にはその麻呂子親王が植えたとされる杉があり、この地方では七つものお寺を建立されています。与謝の鬼賊を平らげたとされていて、これが大江山の鬼退治の話につながったのかも知れません。大江町の元伊勢も与謝宮とされていて、宮津の与謝宮と両説が存在して来ます。
              麻呂子親王霊と二人してとりとめのない話をしながら山道を上がって、本殿の前でその麻呂子親王と称する霊と別れて、本殿を拝したところ、誰も出て来られません。人を呼びつけておいて、誰も応対に出て来ないとは失礼な神達だと思いましたが、もしかするとここでなく「天の岩戸」神社の方で待っているのかとそちらに向かいました。

              天の岩戸神社に行くと、そこに5〜6名ほどの神霊達が正座されていて、行きなり私に質問をぶつけて来られます。【貴方には、ここの天の岩戸開けの仕組が解りますか】です。

              この大江の元伊勢の天の岩戸神社は、大本教の出口なお開祖と出口王仁三郎聖師が神社境内の「お釜の水」を汲んで出雲大社まで運んだ神業の場所です。私は周りを見渡して、その場に秘められた霊的な意味を言いました。すると、並んだ神霊達はその通りだと言います。そして、ここの天の岩戸が開いたならば、人々がびっくりするだろうと言います。
              だが、私は正座して並んでいる神霊達に【貴方達は本当の天の岩戸開けとは何かを知ってない。本当の天の岩戸開けとは、そんな小さな奇跡を人類に見せることでは無い。】と啖呵を切ったのです。
               
              で、私はそれを知っているかとなると何も知らないなのです。だが、元伊勢を預かっている神霊達はその程度の神か!。そうした感情が私から飛び出したのです。
              ただ、私は【天の岩戸開け】とは、日本神話に書かれているようなことではない。それは旧約聖書の神からそうした事実は無いと告げられたからではなく、日本神話の内容は事実と異なっていることは端から分かっている面があったのです。
               
              伊勢神宮に行かれた方ならばご存知の方もあるでしょうが、志摩市磯部にも天の岩戸神社があります。有名な宮崎の高千穂にも天の岩戸神社があります。また信濃には【戸隠神社】もあります。私もそれらは参拝しましたが、どこも観光的にはいい場所です。霊的な冷気(霊気)があり、霊感者であればオーブの様な玉が写るもあるでしょう。しかし、太陽神が隠れたとするには無理筋なことぐらいは誰でも解ることです。
               
              私が2番目の師匠の元に居た時、その師匠は言霊師だったので出口王仁三郎聖師の言霊顕彰をする会に講師を依頼されていました。ところが、その師匠は私に自分に代わって講師をしろと言うので、私が代わって講師をしました。
              その時の講師は私と松原照子さんでした。松原照子さんはその当時、雑誌ム−等に予言者としてかなり取り上げられていた方です。後に松原照子さんは東日本大震災を的中させたと話題になった方です。松原照子さんはその当時はかなり有名な方だったのです。
               
              私の講演は2番目の師匠の様に言霊を出すのではなくて、黒板に漢字を書いて日本の漢字に【神の意図が秘められている】の解説でした。今に思えば実に「幼稚」な内容だったと言えます。
              会場から何の声も聞こえて来ない静けさで、私は一瞬どうしょうと冷や汗が噴き出していました。たが、講演が終わると会場は拍手の嵐で、大勢の方から【こんな教えは初めて聞いた】と握手を求められました。誰も漢字から神を導き出すなど聞いたこともないからです。
               
              その中で二人の女性が私に向かって、【本当の天照大御神様は存在していないものとばかり思っていました。だが、貴方に本当の天照大御神様を見ました。貴方に抱きついていいでしょうか】と言われます。
              私が何事ですかと聞くと、自分達は霊能者です。貴方の肉体の胸の中にトンネルの様な洞窟があり、その洞窟の中に本当の天照大御神様が居られるのが二人とも見えましたと言われるのです。そして男の神様ですと言われます。
              それを聞かされた時、当時の私には何が何だかさっぱり解らないでした。後に私もその霊能者の方が言われた男の天照大御神を見ました。それは伊勢神宮の内宮に鎮座されている神とは完全に別物でした。
               
              私は大本教神諭予告【九つ花】を紐解いて【ラ】神を導き出した時、エジプトで太陽神を【ラ】とした意味が解って来ました。太陽神を【ラ】にしておかないと、日本における言葉の神の仕組が成り立たないのです。
              私達の魂の核は、天帝の直霊たる分魂でお釈迦様の悟りでもある【人に内在する良心・この世の閻魔】神の働きですが、それに霊的姿が存在しないのではないのです。厳霊の男神として、その姿は存在して来るのです。神社等に鎮座している外在神ではなくて、自己の【内在神】なのです。
               
              ​大本教神諭【節分の炒り豆にも花が咲く】
              そこに【鬼が云う」の【魂】論を展開していれば、【天の岩戸」の「太陽神」の意味がもっと早く理解出来たと言えます。

              大本教神諭が予告した【九つ花】の形態は、私が最初の解読者ではありません。大本教に在籍し、出口なお開祖派で反出口王仁三郎聖師で対立し、大本教を飛び出した後に【神道天行居】の開祖と成った「友清歓真」師に、どこかの神が「九つ花」とはこうした形だと教えられて世に発表はされたのです。
              しかし、そこに出て来たのは真柱神は【天之御中主】様のことであるで止まったのです。日本古神道の【直霊】という意味で言えばそこまでなのです。
              それは友清歓真師は【誠】で紐解く方ではなく、それを友清歓真師に教えたどこかの神もその程度の解読力だったと言えます。また、それが真性「天照大御神」のことだとなると、当時の国家皇室神道に刃向かうのかと弾圧されたでしょう。

               
              真性【天照大御神】とは、自己の良心神の姿
              謎は、何故にそれを「岩戸」隠れにしたのか?、です
               
              この答えは既に【日月神示】などに出ています。日月神示では岩戸開けを、【一(イ)八(ワ)十(ト)】開けとして発表しています。それだけではないのです。出口王仁三郎聖師は霊界物語の中で、【正神界一八十段、邪神界一八十段】と述べておられます。そして一八十の半円と一八十の半円となりますので天地を変えると「ぐれ ん返し」とも言われるわけです。
               
              天の岩戸開けによって、各自の魂の核神(天帝の分魂)は正神界一八十か邪神界一八十のどこかの階級に定まるのです。それが最終輪廻転生の判定の最後となるので【最後の審判】
              ですから、その日までは「一八十(イワト)」隠しとなります

               
              私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【日本神話の天の岩戸開けの事実などはどこにもない。私が作為させたものだ】と言われた意味は、この【一八十(イワト)】の仕組に意味があるのです。
               
              大本教神諭に天の岩戸が開いたならば、自分の内からの光で苦しまなければならない気の毒な御方も出る式の内容があったかと思います。それは自己の魂の中に本当の真性【天照大御神】が存在して来るからなのです。そこに自分の魂の裁きは自分の良心点が関わるのです。人の良心神は世を普く(あまねく)照らします。
               
              天照とは「あまねく照らす」
              各自の良心神たる光も「世をあまねく照らす」
               
              日本で説かれた【天の岩戸開け】
              国常立尊(旧約聖書の神)の大仕掛け
               
              ​自己の魂の核に太陽神・天照大御神が存在して来るので
              最後の審判は【火の審判】と呼ばれる
               
              自分は自分の魂の中からの裁きの光に耐えられないとするならば、自分を守る為には防御の【戸】が必要です。
              で、天の岩戸開けの神話が創作されたなのです。
               
              邪神(反国常立尊派の神達)からすれば、まさかまさかの【天の岩戸】の仕掛けなのです。
               
              ならず者(破落戸)になっていると、魂に防ぐ【戸】がない
               
              私はならず者と書いて、どうして「破落戸」なのか意味が解りませんでしたが、意味はそこにあったなのです。
               
              世に出ていて、各地の霊場に鎮まる神霊の段階では、
              この仕組をされた神の大きさが解らない

               
              続く

               

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              第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その6

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                第××項 神霊の嘘から学ぶ【誠】とは

                スピリチュアルでは一般的にあの世のことを【霊界】と言います。霊界とは【0(レイ)】界であり、数学的は隠れた世界を指します。完全なる【無】を意味しません。何故ならば100と示した時、完全なる無であれば「1」しか残らないからです。
                仏教では万物は霊的な膨大な空間たる【虚空界(真如)】から万物は産み出されたとします。しかし、あまり「虚空」の言葉に関して論じられたとは言えません。
                 
                仏教は【虚空界】から【真如(真実)】が出る
                ​虚空の口から出る【嘘】に、真実が込められる?
                 
                私達が「虚空」という言葉を知るのは仏教の【虚空蔵菩薩】とされる仏に付けられた名称程度にしか過ぎません。その「虚空蔵菩薩」とは、無限の知恵と慈悲の心を与える菩薩として語られて来ましたが、その虚空蔵菩薩の守り年は「牛年と虎年」と言われている程度のことです。

                大本教から【ウシトラ】金神が出された時、そのウシトラには【牛虎】もあるぞよと出されましたが、誰も【牛虎の虚空蔵】には気がついておられなかったと言えます。あまりにも漢字の【艮】から脱却が出来なかったからと言えます。漢字の「艮」は今は表舞台から退いています意味のウシトラなのです。

                ​この虚空蔵はスピリチュアルでは「アーカーシャ」と言っています。そのアーカーシャ(虚空蔵)にあるとされる【過去・現在・未来】が書かれた物を【アカシック・レコード】と呼んでいます。未来とは、過去と現在を足して導き出される方程式なのです​。
                ほとんどのスピリチュアルでも霊能者でも【悪い未来】は変えられると言います。それは、今の現状のままで行けば「悪い未来」が見えていても、今の現状を変えると悪い未来も良い未来に変わるからです。未来は変化させられるなのです。
                私達は【囲碁】【将棋】と呼ばれるものを知ります。その棋士達は現状の盤面を見ながら、それがどの様に変化して行くか先を読んでいます。つまり「未来」を読んでいるわけです。
                 
                大本教神諭予告【九つ花】は形としては「将棋盤」です。言霊と呼ばれる「駒」によって変化させるです。そして【天元】と呼ばれる中心点を持つのは「碁盤」で、天元を除くと白石が一八十(イワト)、黒石が一八十(イワト)の陣容となります。これは何を表しているのかです。
                 
                未だ来ない【未来】のことは【予言】などで事前に出されます。事故でも予言されて当たるがあります。それはこの世で起きる事故も【必然性】を伴って生じて来るからです。神霊などはある程度はそうした予知も出来るので、自分を信じる信徒の事故を未然に防ぐなどの作業をされています。そうした作業は正神界とか邪神界とかは関係ないのです。蛇霊や狸霊の神様でも人気が高い神等は、自分を信じる者は守るだからです。
                 
                神を信じる者は「儲(信・者)かる」
                邪神も信徒が多くないとその勢力を張れない
                 
                大本教の出口王仁三郎聖師は卓越した予知能力を備えた【大予言者】でした。では、その予言能力はどこから来たかとなるとやはり「霊界」からとなります。それは【虚空界(真如)】を正しく読み取っている神が背後に存在したなのです。
                 
                私は霊界に関わっていて、私達1人1人が歩んだ記録は電磁的に記録されていていることまでは解りました。一枚の写真を見ていても、その写真が撮られる前までの光景が写真には写っていたからです。私達は写真を見ていて、そこには一枚の映像しか見えていないのですが、実際には前の記録もあるのです。それは、写真が一瞬を切り取る【記録】媒体だからです。言うなれば「ドライブレコーダ」で事故の前を検証出来るようなものなのです。
                私達はこの世で悪行を積んでも、それがこの世ではバレるとは限りません。ある意味、警察に捕まるのは一部の人達だけかも知れないのです。しかし、私達のこの世で積んだ善悪は全て電磁的なものに記録されてはいるのです。ですから、その記録を見て判断する閻魔庁の裁判には間違いがないのです。そこが人間が裁判するのとは違うのです。人間がする裁判では「えん罪」を生む可能性がありますが、霊界の裁判にはそれがないのです。
                 
                ただ、閻魔庁の裁判とは個々の事案の裁判ではなくて、その人の今生の一生における【善悪の天秤】でして、通算して悪行を積んでも善行がそれ以上に多ければ罰を受けないとなります。悪行は善行を持って消せるなのです。
                 
                各自の悪行の罪は、善行の積み重ねで消すことが出来る
                ですから、【悔い改めなさい】とされるのです

                 
                一部の霊能者やサイキッカーの方は、自分は何時でも「アカシック・レコード」を自由に読み取れると言われます。そうしたものが仕舞われている図書館的なものがあると言われます。それを見れば【未来】が解るです。未だ起きてもしないことを事前に予知できるのは、このアカシックレコードを読んでいるからとされます。
                ならば、そうしたアカシック・レコードを見て、答えが欲しいとアカシック・レコードを読める力があると言う方に頼んでおりましたが、待てど暮らせどもその答えが送られて来ません。
                 
                私はアカシック・レコード的な記録媒体の存在は否定しませんが、自分はそれを読み取ることが出来ると言われれば、本当にそれだけの力をお持ちなのですかと言いたいところなのです。
                アメリカにおける眠れる偉大な預言者とされた【エドガー・ケイシー】を使っていた霊は、そのアカシック・レコードから未来を読み取っていたとされます。しかし、エドガー・ケイシーの西暦1998年に日本列島沈没は見事に外れました。最近、その予言を修正して西暦2018年3月に日本列島沈没等が世間を少しだけ賑わしておりますが、霊界に各種のビジョンが存在しますが、ビジョンは当たるとは限りません。
                 
                以前、多くのブログに宇宙司令官からのメッセージや大天使のメッセージたるビジョンが次々と流されましたが、何一つ当たったためしがありませんでした。それらは、
                 
                下手な鉄砲も数打ちゃ当たるでするからです
                 
                言葉が意味する「虚空」とは、何も無い「空」で虚しいの「虚」であって、無限の知恵とか慈悲を意味していません。現実界から見ると何も無い虚しい世界そのものが【虚空】なのです。【蔵】はそれらを産み出す場所です。仏教で説く【無から有の産み出し】なのです。
                その虚空蔵とは「虚空」で解るように、【蔵】の口からは【嘘】が出るのです。

                だが、どうして虚空の口から出る嘘が【真如】となるのか?

                虚空蔵世界からは霊的な【玉】が無数に打ち出されています。そのほとんどは的を得ないでビジョンも外れるのですが、的に入れば大当たりとなるのです。ですから、予言される事柄はほとんど外れますので【嘘】となるのです。だが、大当たりもあるのです。

                ある方からメールが来ました。その方が霊能者に見て貰ったところ、あなたの背後にパチンコ玉の様な玉が無数に回っている。これはなんだか私には解らないと霊能者から言われたと、私に質問されて来たのです。私はそのパチンコ玉の存在は以前に見ていますので、答えることは出来ました。虚空蔵から打ち出されている玉なのです。
                霊界に関わりますと、基本的にはどうでもいいような、貴方は昨夜は何を食べられましたとか。どんな異性と付き合っておられますねとか、そうしたことはズバズバと言い当てて来るがあります。自分が昨日何を食べようが、そんなことどうでもいいことなのです。しかし、霊的世界の構造がどうなっているのか?。そうしたことを聞くと、まったく答えられない霊だらけと言えます。
                為に、霊能力がある方はいくらおられても、実際に霊的世界がどうなっているのかの説明ともなれば、誰も語れないという不思議な現象に出会います。どこにも百発百中の神霊の御代たる霊能者が存在しないと言えます。また、それが説明できる御神霊達も居ないなのです。

                その一つの要因として、霊的世界(虚空蔵)から打ち出される玉(予知等の働き)は的を得れば大当たりとなりますが、そのほとんどの玉は大外れとなる玉を拾ってしまうがあるからです。
                大本教神諭に、このウシトラが世に出ている神々をこれまで【誑かして来た】とあります。
                私は国常立尊ともあろう存在が、世に出ておられる神々を誑かして来たとは何事ぞと思いましたが、それは【虚空蔵】から打ち出される霊的な玉。それをうかつに拾って信じてしまうと自分が【誑かされて】しまうだったようです。
                 
                あるブロガー主が、○○大神様からの御神示として、私に幾度か何月何日に何々が起きるとメールをして来られるのですが、ことごとく外れています。しかし、その方に暗に注意しても一向にその方が言う神霊の言葉が嘘だらけに気がついておられないがありました。霊に欺されたことによる目覚めがないのです。欺されても欺されても大身の神名を詐称する蛇霊や狐霊に欺かれておられるなのです。なまじ霊が見えるとか会話が出来る為の欠点です。

                では、何故にそのブロガー主さんの背後に居る霊は、そうした情報をそのブロガー主さんに言っているのかと言いますと、確かにそうした霊的映像は霊界に存在しているのです。私はその映像を見て、これは起きえない映像だと判断していましたが、そのブロガー主の背後の霊は、それは起きると判断していたことになります。つまり、虚空蔵から出て来る【嘘】の玉を大当たりの玉と間違えたのでしょう。
                そのブロガー主の背後は邪神だ!。その邪神を自分が倒したとメールをくださった方がありましたが、全然倒れてはおられません。元気いっぱいであけてくれても欺された内容の神示を連発されています。が、本人はそれが本物の神示だと思っておられるから、本人に悪気はなく、自分では一生懸命に神に仕えていると思っておられるから質が悪いとなります。
                一方、倒せもしていないのに倒したという嘘を出される霊も出て来るなのです。自分は偉いとか凄いと思うからそうした霊を倒せたとも思うのです。実際に邪神と言えども神霊を倒すなど容易なことではありません。霊は簡単に死なないからです。消滅しないからです。霊はいくら倒してもゾンビのようなもので死なないのです。
                 
                今の神霊世界は【99%】は邪神だと言われているのは
                誠の意味が解る神霊は1%(一厘)程度なのです
                 
                今の神霊界は「99%」が邪神だと言われています。これは日月神示などの「一厘と九分九厘」の言葉から出て来たものかと思われます。実際に神霊世界を知ると「99%」の御神霊が邪神だということはありえません。無論、何をもって邪神と定義するかで違っては来ます。
                しかし、100人の霊能者を集めれば、自分だけが本物で他の99人は蛇や狐の言葉に踊っている者となります。変なプライドばかりを持っていて、自分だけは欺されていない者と思うのです。心配しなくてもいいのです。全員欺されているのです。
                 
                それは【虚空の口(嘘)】から
                【真如(真実)】を出す作業をしていないからです
                 
                私は神霊界を少しばかり見聞していて、自分の出した言葉に責任を取るという神霊がどこにも見当たらないことに気づきました。
                人間は万能ではないし神そのものではありません。時には勘違いや誤ったことも言います。人間だからです。しかし、霊界に居る神ともなれば人間とは違います。神霊としての役割があります。
                 
                私の最初の師匠は、その著本に豊受姫様が言われることは100%当たっていると書いておられますが、私に対しての内容も外れましたし、幹部講員さんに聞いてもその神示が当たっていないことはあったと言われました。だからと言って、一度や二度の嘘をつかれたから講を去るという講員さんは存在しませんでした。一つや二つの嘘があっても、それで全面否定は出来ないからです。
                講員さん達は
                神様と言えども時には間違えられることもあると、実に鷹揚でした。また、神も間違われるから親しみも出るなのです。神だから100%当てないと許さないと言っていたら、実にギスギスしたことになります。
                豊受姫の私に対して出された言葉が当たっていないで嘘になることに関しては、私の最初の師匠は【貴方の背後には豊受姫をもってしても見通せない高い神界からの力で、貴方がコントロールされている】からと説明がありました。しかし、講員さん達に対しての神示で当たっていない事柄に関しては説明はされなかったようです。
                 
                世に出ておられる神霊は別に豊受姫だけではありません。多くの人の背後にはそれぞれ守護神など居られて、それぞれの守護神の思わくもあります。時にはそれで神霊と神霊がぶつかります。自分の力で押せない時は、神霊の言葉も当たらなくなります。それは考えれば誰でも解る道理です。必然です。力の強い神霊ほどよく当たり、力の弱い神霊の言葉は実現力がさほどないので外れます。
                もしも、100%当てられる御神霊が存在するならば、どこにそんな存在が居られるか聞きたいぐらいです。もしも存在するとすれば奇跡なのです。霊界はピラミッド様式で、そのトップ神でないと解らないことは山の様にあるからです。神霊界の地位が下がれば下がるほど解らないが出て来るのです。

                 
                霊能者として著名な木村藤子さんにしても、私がかなり昔に恐山参りで田名部でタクシー運転手さんから聞いたのは、地元の者は蛇の神様の木村藤子さんではなく他のイタコさんに行く。そのイタコさんの方がよく当たると言われていました。地元で蛇の神様と言われていたのは、木村藤子さんの名を全国に轟かせた大蛇の行方不明の件からでしょう。蛇の神様だから、大蛇の行方は解ったのだと言われた時、なるほどと感心していました。
                時間があればそのイタコさんを訪ねたかったのですが、時間的に出来ませんでした。だが、木村藤子さんの正解率はかなり高い方だと言われています。木村藤子さんの御祭神は龍神の天照大御神とされているようですが、それでも外されることもあるなのです。テレビ番組でも行方不明者捜索に失敗されています。言われることが全てに当たっているではないのです。相談に行って、当たっていなかったと不満を言われている方もあります。
                 
                ​最近、天草の島原の乱の原城址で地元の人達から天草四郎の幽霊が出るで某テレビ局が検証に入りました。その霊らしき存在は確認されましたが、その幽霊が天草四郎の霊とは断定は出来ませんでした。断定するには複数の優秀な霊能者が霊査しないと無理です。しかし、地元の人達の目撃例が複数なので天草四郎霊の可能性ありです。
                その検証の時に、原城址で無数の浮かばれていない霊のオーブ写真が撮られました。撮影したのは霊感者でもあるタレント中川翔子さんでした。そこには島原の乱の戦いで死んだ多くの農民などの霊がさまよっていることは確認出来たのです。島原の乱の犠牲者の供養は未だ出来ていないのです。
                天草四郎らしき霊が幽霊として複数の人達から見られたのは天草四郎が地縛霊化している可能性が大なのです。地縛霊は魂そのものが因縁の地に縛られてしまうのです。地縛霊の魂は遠くに行くことも転生も不可能となります。これが何を意味するのか?。解る者には解りますが、解らない者には解らないなのです。
                 
                街の易者は当たるも八卦、当たらぬも八卦です。易者の卦が当たらなくても誰も文句言わないでしょう。だが、霊能者となると背後に神霊が在るとなるので、当たらないと世間から何を言われるか解りません。神なのに当てられないのか!。です。実に因果な仕事なのです。100発100中など神界ピラミッドが解っていれば、不可能な話なのです。
                私も拝み屋さんと呼ばれる町の霊能者を求めて、ずいぶんと訪ね歩きました。易者並みの料金なら当たろうが当たるまいがいいのですが、ともかく時間の浪費がもったいなくてそうしたことを止めました。
                 
                奇跡を見たいとか現世御利益が欲しいであれば、そうした霊能者に当たるもありますが、【真理】を知りたいで探してもまったく無意味だと言えました。
                大本教神諭予告【九つ花】に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)は、【良心神】の存在を告げるものでした。それはたったの【一輪】であり、「九×九」の仕組の他(九十九%)は良心神と繋がっていないと【誑かし】を誘発させるなのです。

                今の神霊世界の【九十九%】は邪神だと言われているのは、自己の良心神に基づいて自分が出した言葉の嘘に【責任】を取ろうとする神霊が見当たらないことなのです。
                それではどこに神の【誠】があるのかとなります。世に出ておられる神霊の本来の仕事は病気治しとか現世御利益ではなく、人に授けられた魂は神とも成れる。その魂を磨かせて、神として成長させるにあるのです。大本教神諭予告、人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらず、なのです。
                 
                日本の【諺】に 嘘は誠の皮なりて、誠は嘘の骨があります
                 
                嘘と真実は、身体の骨と皮のような関係で、真実を覆い隠すのが嘘であり、嘘を暴けば実にあたるという意味です。
                古来より【嘘には種が要る】と言われていますが、何の根拠も無い嘘を創り出すというのはかなり困難な作業で、嘘が出る背景にはそれなりの「種」が要ります。そこで嘘を暴いて行くと、【真実】という種が見つかるものなのです。
                 
                神霊達が出す言葉の「嘘」を何一つ疑わずに行くならば、何時まで経っても【真実】という種が出て来ません。誠は嘘を叩いて叩いて骨とする時、【誠】が見えて来るものなのです。
                 
                自分が解らないことは解らない。知らないことは知らないと言えば事済みます。しかし、我れは○○大神なるぞと大きな事を言っている霊は、自分が知らない解らないことを聞かれると、大きな神名を名乗っていると知らない解らないと言う言葉を口に出すことが出来なくなって、嘘を出すことになります。また、逆にこの神に逆らうのかと脅すがあります。
                 
                私が出会った数々の霊能者の中には、当方の御神霊は何分にも神霊界での地位が低く、貴方のご質問の件はお解りにはなりません。どうか、いろんなことを教えて頂きたいと逆質問に出会ったことがあります。私はその御代さんに、貴方がその精神で精進なされたならば、必ずやその御神霊は高い神位の段階まで進むことが出来ますよと励ましたことがあります。後にその方は評判の霊能者になられたと聞きます。
                 
                私は神霊界に関わっていて、神とは【良心】を失った存在かと思いました。その良心神たる良心を失った神霊の存在が蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊に【身変える】させていると解った時、大本教神諭予告【九つ花】の恐ろしさを知ったと言えます。
                大本教神諭予告【九つ花】を理解出来ない神霊は、天帝から処分されてもやむなし
                 
                知らないことは知らない。解らないことは解らない。そうしたことが言える霊ならば間違いが少ないのです。
                霊的世界において苦慮することは、霊が勝手な言葉を口に出し、その言葉が「嘘」であっても責任を取ろうとしない無責任な霊が横行していることなのです。
                神霊が出した「嘘」に腹を立てているようでは、神霊世界に関わらない方が身の為です。神霊の言葉を【鵜呑み】にしないで、その嘘になったことの背景を探る。そうでないと【真実】は見えて来ないのです。

                 
                第××項 神界挙げての結婚式の大嘘?、で学んだ「義の方」の存在

                私が最初の師匠と伏見稲荷山における修業で、師匠と【長者社(御劔社)】一緒に参拝したところ、私の師匠が老神と会話されています。私があの老神はどなたですかと聞いたところ、あれが長者社の【御劔(みつるぎ)】大神様ですよと言われます。御劔大神と言われるように【剣】の神様です。
                そして、師匠は御劔様から貴方に伝達せよと告げられたと言います。それは【貴方の結婚式は神界挙げての結婚式であり、全神々の参列の元に執り行われる。その結婚式における仲人神は、この御劔が努める】と言われましたと言います。
                それを聞いた私は、【なんとも途方も無い話をされる。どうして私の結婚式が神界上げてのものであり、全神々の参列の元で行われのだ?】と、疑問を持ちました。私を欺すにしても、途方もない大嘘だなと聞いておりました。

                私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声から、【そなたは我が子なり】と告げられましたが、私自身の結婚話に関しては何も告げられておりません。
                だいたい世界の予言書を見ても、旧約聖書には終わりの時、旧約聖書の神は人類を救う為に我が子をこの世に遣わすと予告はされていても、全神々が集う神界挙げての結婚式などの話はどこにも存在しません。

                ただ、私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る霊声は、【神界の御用をするのは肉体のそなたではなくて、そなたの「魂」がするのであって、肉体のそなたはこの世で「バカ」を演じていればいい】と告げられました。
                この世に肉体を持つ私には何の神力も与えられず、聖人君子でもなくて、この世の社会の底辺で単に「バカ」を演じているだけであり、神界が統一されない限り、全神々が参列する結婚式など、そのものがあり得ないとなります。

                今の「地の神霊世界」の主宰神は盤古大神(木星神)とされていますが、それは名目上の主宰神のことであり、現実に地の神霊世界を押さえきっておられないと思われます。それは日本の室町末期の将軍職のようなもので名ばかり将軍。国常立尊様御引退後は力を持った神霊達の群雄割拠の戦国時代のようなもの。神界統一が出来てもいないのに、全神々が私の神界における結婚式に集まって参列するなど、どこをどうやっても無理な話です。

                おそらく【嘘】の話だろうと思いましたが、人を欺すにしても、そこまでの嘘を出された者等いないだろうです。ただ、私が神霊世界に関わり始めたのも私に結婚問題が起きると霊界が動くという不思議を伴っていたのです。
                神が人の結婚にあれやこれやと干渉して来る等、ほとんど聞くこともありません。なのに?、です。私は自分の結婚が霊界によって数々妨害されて来ましたので結婚は諦めたのです。

                ただ、私が最初の師匠の元を離れた後、テレビ放送の初期の頃にテレビで活動されていた東京の著名な霊能者を訪ねて霊査を受けたところ、【貴方の背後には神界を統一出来るだけの力を持った方がいられます】と言われます。
                私はそれは「国常立尊」様のことかと思い、どのようなお姿の方ですかと聞くと、【若い侍姿の方です】と言われます。若い侍姿の方だけでは何も解りません。だが、それは国常立尊様ではあり得ないとなります。
                その著名な霊能者の方は、【私にはこの若い侍姿の方の考え方がよく解らない。神界を統一出来るだけの力を持ちながら、貴方がこれほど苦しんでおられるのに何一つ貴方を助けようとはせずに、腕を組んだまま貴方を黙って見ておられる】と言われます。

                後に、私の背後には白馬に跨がった若い侍姿の方が居ることが私にも見えて来ました。その方は「御劔大神」とは主従の主の関係にあり、その存在は聖書のヨハネの黙示録に述べられている存在と言えます。
                聖書の白馬に跨がり、血が滴る剣は諸国民を討つです。私が見たのは日本の若武者姿でしたが、その兜の吹き返しの一方には太陽。片方の吹き返しには月があしらわれていました。それは【太陽と月】を意味するほどの存在と言えます。兜を率いる存在です。

                ある時、不思議な映像を見ていました。その白馬に乗った若い方が刀を振るうと、神々がその剣で倒されて一面が血の海です。それは聖書にある【殺戮の丘(ハルマゲドン)】たる光景です。ハルマゲドンとは地名ではなくて「殺戮」の意味です。
                私は最初の師匠がこの世を去る前に訪ねて、【私は世に出られのでしょうか?】と尋ねると、【貴方の目には見えてはおられないでしょうが、貴方の周囲は邪神達が貴方の目には見えない離れたところから九重十重と軍勢で取り囲んでおり、貴方が世に出ることを阻止しています。もし、貴方が世に出ようとすれば邪神達と戦い尽くして滅ばさなければならず、神界は血の海と化してしまいます。貴方は神界を血の海にする気ですか?。神界を血の海にしないでください。世に出ようとしなければ安泰です】と言われます。

                それは肉体の私に対してではなく、私の背後に居る白馬に跨がった若武者の霊に対して言っておられると解りました。神々が従わなければ、それを尽く討つ血の海はさすがにどうかとなります。また、その若い侍姿の霊に従っている軍勢はその周囲を遠くから囲んでいる邪神達の勢力からするとそれは非力と見受けられました。とても全ての邪神と戦うのは無理です。
                ただ、私から見ていると、その若い侍姿の霊は天からの援軍が到着すれば、神界で掃討作戦を起こすなのです。

                私はその方を【義】の方と言います。大本教の出口王仁三郎聖師が救世主は【源の日出雄】だと称して「蒙古(モンゴル)」に渡られた型演技の存在です。聖書に【私は義の者が1人でも居れば、私は人類を滅ぼさない】がありますが、その【義】の方です。

                私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声から、【肉体のそなたはバカを演じていればよい。神界の御用をするのはそなたの魂の方である】と告げられましたが、神界の結婚式とは、もはや朽ち果てるだけの老人となった肉体の私の結婚式が神界挙げての結婚式ではなく、その兜に太陽も月も従える若い侍姿の方を言われたのだと解って来ました。男の私から見ても、何と美しい顔をされた方かと惚れてしまうほどの顔立ちをされています。
                私自身がその方ではないのです。それはその方の魂と肉体の私の魂は大きさの規模がまるで違っているからです。ただ、私の魂はその方の魂とは同質(同根)だというだけのことなのです。

                魂という存在は世界で語られていますが、科学者や医学者のほとんどはその存在を認めません。科学や医学では魂は見えないのです。その魂の存在を認める方でも大きな過ちを犯しておられます。それは【肉体人=魂】と錯覚されていることです。
                大本教から、【霊主体従】と【体主霊従】が出されました。大本教という宗教が起きるまで、その論理はほとんど理解されておりませんでした。体主霊従だと肉体の行動は魂の行動とは別になります。霊主体従となって肉体の行動は魂の行動に近くなるからです。
                例えば、肉体の脳の働きに障害があって精神薄弱と呼ばれている方達があります。しかし、その魂は精神薄弱かとなりますと、必ずしもそうではないのです。肉体は肉体であって魂そのものではないからです。

                私達の肉体は肉体が死ねば間違いなく終わります。だが、魂は肉体そのものではないので霊界に帰って行くなのです。そこにおける論理が【コップ一杯の水とスポイトの一滴】です。自分の本体たる魂と肉体に出ている魂の大きさの違いです。
                大本教から【人=霊止】と出されましたが、私達の肉体は基本として自己の魂の他に自分を守護している霊や憑依して来ている霊等の総合の働きで肉体は行動しているのです。
                理想とされているのが【神人合一】で、神界における自分の魂と地上に出ている肉体人の魂の合一です。その段階まで進むと、もう他の信仰守護霊とか憑依霊は排除されてしまうのです。自分自身が神界に身を置けるなのです。

                私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から【肉体のそなたはバカを演じていればいい。神の世界で働くのは肉体のそなたではなくて、そなたの魂だ】と聞かされましたが、バカが天性の私の行動=魂の行動そのものではないのです。
                ​肉体の私は自宅の神前に居て自分の魂は霊界の伊勢神宮に飛んで大神霊行列を見させられたり、伊勢神宮に鎮座する高貴な方に出会ったり、綺羅星の如く将軍霊を引き連れておられる盤古大神に拝謁していたのは肉体の私自身の魂であり、その様を自宅から見ているのが肉体の私だったからです。 白馬に跨がっているのは私の【正守護神】たる存在でした。
                 
                大本教から【本守護神】【正守護神】【副守護神】の存在が出されましたが、スピリチュアルで「ハイヤーセルフ」などと言っていると、それが蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊とも解らず、自己の魂の本源が解らなくなるがあります。正守護神と呼ばれる存在のことを知らずに【神人合一】も起きえません。

                よく、私の霊がいろんな方の元に出て来たと聞きますが、私は自分の魂の行動を全て把握していません。よく聞くと鎧兜の侍姿の方だったと言われます。だとすれば、それは肉体の私の魂ではなくて私の正守護神たる方です。神界で働いているのは私の「正守護神」たる魂であっても、肉体の私はこの世でバカを演じているからです。演じているのではなく本物のバカ的存在なのです。
                バカでないと、こんなバカバカしいことなど出来ません。
                私は、肉体の私と魂の私を一緒にするなと言います。肉体の私は魂の【服】であって、それ以上ではないからです。もし、肉体の自分と魂の自分に合一すれば、その時には【神人合一】と呼ばれる存在に入りますが、その状態ではこの世ではまず暮らせないのです。
                 
                続く

                 

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                第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その5

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                  第××項 みろく世の神宝【如意宝珠(神集の玉)】?

                  私が現在住む土地は、若干名の霊能者によれば【神界機密ゲート】が存在すると言われます。私にこの土地に戻れと言われた豊受姫は【その地は時が来れば、万物の創造神が天下る場所】とまで言われました。機密ゲートには、そうした意味が含まれるのかも知れません。
                  綾部は大本教出口なお開祖を通じて「国常立尊」と名乗る神霊が出られた土地であり、綾部藩の殿様は熊野本宮別当家であった九鬼氏で、その九鬼神道では宇宙の元津神を【宇志採羅根真」として来ました。大本教とは違う【ウシトラ】の漢字の使用です。別に驚くことではありません。ただ、豊受姫はその時が来ればで、その時期はまったく解らないとなります。もしかすると、そんな時期は永遠に来ないのかも知れません。だが、何等かの準備がなされている形跡はあるなのです。
                  創造神などと呼ばれる神は、もはや人智で語れるような存在ではないと私は思ってます。ただ、【創造と破壊は表裏一体】であり、新しい世を見るには破壊は必然的に伴うのかも知れません。
                   
                  豊受姫が言われる万物の創造神とは、ある意味、大本教からもその存在は未だ出ていないなのです。大本教の出口なお開祖に懸かったとする国常立尊は、七合目の神だとの説があります。名乗りは国常立尊であっても頂上神ではなかったです。その頂上神とされるような神が現出されるとすれば、同じ綾部からという意味合いなのでしょう。
                  ​豊受姫は私に綾部に帰りたい帰りたいと泣かれたので、神様だったら勝手に帰ればいいものと思っておりましたが、大本教で禁足地とした本宮山に豊受姫が宇宙から降臨された映像が出て来ました。また、大本教の出口王仁三郎聖師の説明でもそうなっているようです。ただ私が見た霊的映像では、豊受姫は綾部の前に【倉敷】を経由されていました。​大本教3代教主補であった出口日出麿さんや日月神示の岡本天明氏の故郷です。

                  ​私が師事した2番目の師匠の御祭神が、私に200万年前の綾部の光景を見せるとのことで霊的映像を見ていましたら、その本宮山と横の四つ尾山(大本教では世継山)が大小の島の様な風景で、周りは水面でした。たぶん川ではなくて海と思われます。二つの島で一対を為す夫婦島です。後に図書館に行って古代の地理を調べましたところ、今の高さからするとその一帯は川ではなくて海だったようです。2番目の師匠は、その型が後の世に二見浦の夫婦岩として模写されたと言います。
                  ​いずれにしても、伊勢神宮の神は「雄略記」で解るように近世の話であって、超太古の神代時代にはそぐわないのです。そうした霊的映像を見せる神霊ともなれば、かなり高い霊とか強い霊と言えます。

                  ​私はこの2番目の師匠の祭神が見せる奇跡の数々を見て来ましたが、もしもその様子をビデオで撮ってテレビで放映したならば、人々は大ショックを起こしたでしょう。科学ではあり得ない現象です。私もそこまでの霊能者は見たことがありませでした。
                  テレビに出て来られる霊能者は霊視とか透視は優れていても、そんな力持った方は存在しません。まったく次元が違うのです。

                  そうした話は別として、私がこの地に戻って知ったのは、この土地と言うことではなくてその周囲は、大本教で本当の【元の金龍海】と称した場所で在り、綾部の大本教神苑の中に在る金龍池は単にその型に過ぎないということでした。地元の古老は、出口王仁三郎聖師は下半身を露出させてその周囲を回っておられたと言います。
                  ​私は下半身露出に、男でアマノウズメの演技かと首を捻っておりましたが、それでユダヤ教の【割礼】の意味を紐解かせてくれました。言葉上の仕組です。

                  その元の金龍海とは伝説では【底なし沼】とされていましたが、今は底なし沼跡にも多くの住宅が建っています。しかし、そこを見ていると、時には何万という金龍神や白龍神が天に上がって行く様が幻視出来たことがあります。金龍神だからと言って、一体ではないなのです。しかし、数万体の金龍神や白龍神が存在しても、それでは世の立替は出来ないでしょう。その底なし沼の水脈は国常立尊が御引退後に鎮まられたとされる若狭湾の【冠島】に繋がっているという説もあります。
                  私がその二番目の師匠から聞いたのは、私が住む土地はその【陸(あげ)の龍宮城】の呼吸口に当たっているでした。私がこの土地で【大金龍神】を見たのは、この地が金龍海とされる場所だったからのようです。


                  大本教の出口王仁三郎聖師は日本最強の予言者とされており、その内容は大本教から出版される書籍に記載されています。しかし、出口王仁三郎聖師発言の全てが書籍に記載されているのではなく、その直弟子達に直に告げた内容で大本教神典には何も記載されていない予言も存在していました。

                  私が住む土地そのものではありませんが、その隣接地に関して出口王仁三郎聖師がその直弟子達に【あの土地には、みろく世で使われる神宝が埋まっている】と予言された場所があり、その土地の持ち主も密命を受けた大本教信徒さんだったようですが亡くなられて、その子孫が周辺には居らず、相続の所有者を探してその許可を取って、出口王仁三郎聖師の直弟子がブルドーザーで掘り返したが、何の神宝も出て来なかったとされる土地があります。
                  私はその土地のことを購入した土地の所有者から直接に聞かされて唖然としました。豊受姫の私にこの地に戻って神界の御用と出たのは、単純な意味ではなかったなのです。また、大本教の出口王仁三郎聖師は自分の代では「世の大立替」がないことも知っておられたことになります。しかし、そこは私の所有地ではないのです。

                  私は隣接地に埋められているとされるみろく世の神宝に関して、豊受姫の御代をしていた最初の師匠の元に聞きに行ったところ、【それは霊的な神宝で、掘り返したところで見えるものではありません。仮に霊的な物が見えたとしても、それは地中深くに存在しており、神霊でも掘り返せる物ではありません。時が来ればその神宝自体が自然と地上世界に現れます。その神宝は貴方の物であって、他の方や他の神達が所有されるべきものではありません】と言われます。
                  出口王仁三郎聖師は【みろく世で使用される神宝】と予言されておりますが、如何なる神宝なのか?。最初の師匠に問うたところ、【如何なる神宝なのかは解りかねますが、おそらくは「如意宝珠」だろう】と言います。

                  世間では【一厘の秘密】などと盛んに言われておりますが、一厘にそれほど意味はないと考えられます。大本教神諭は【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(経緯)】を予告しておりますが、九つ花に咲く一輪の言霊は【41】位の場所の「言霊」の示しにしか過ぎません。
                  それ自身は言葉の仕組で紐解けますが、それを紐解いたからと言って現実の力の発動には何一つ結びつきません。私が大本教神諭予告【九つ花】を紐解いて、みろく神(369)とはお釈迦様の死後【五十六億七千万】後に現れて、お釈迦様の本当の悟り(人には良心と呼ばれる神が内在する)を出せたとしても、今の神霊世界は「愛」を言っても【良心】神を言う神霊や天使は亡きに等しい状態まで来ているのです。特に下級神霊界はひどい有様と言えます。
                  日本の神智学では、「愛」ばかりを言うのは蛇霊神としますが、人は【愛の言葉に弱い】があります。

                  それは、私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、そなたは【イエスの愛の教えを恐れずに乗り越えよ】と告げられましたが、その段階を超えられていない神霊が多いとなります。お釈迦様の悟りを告げる【みろく】の意味すら理解出来ていないなのです。また、そうした神霊達は言葉の仕組も学ぼうともしないなのです。

                  大本教霊界物語を読まれた方ならば解るかと思いますが、霊界物語の巻編としての【如意宝珠】があります。【如意宝珠】とは仏教用語で「意のままに願いをかなえる宝」のことです。
                  しかしながら、仏教で見られる仏像には【如意宝珠】を持たれた仏像が多数あります。されど、そうした如来や明王や菩薩がいくら現出されても、現実にはさほど霊力を持ってはおられません。どの御神霊も個人レベルのことならば救う霊力はお持ちでしょうが、全人類が生きるか死ぬのかの瀬戸際では、そうした神霊の霊力はほとんど無意味なのです。
                  ましてヨハネの黙示録で出された【私は新しい天地を見た】など、創造神段階の神霊であって、神社や仏閣に鎮まる霊の段階では何一つ出て来ない言葉と言えます。

                  出口王仁三郎聖師が直弟子達に【みろく世で使用されるお宝】と予言されたものが、そもそもそうした【如意宝珠】なのか?。があります。大本教の出口王仁三郎聖師は予告として、【独国に埋められた如意宝珠は殻玉で、その精は日本から発動する】と予言しておられます。それは【玉】の類いではなくて【精】だとしておられます。
                  大本教霊界物語で出された【如意宝珠】は霊界物語第16巻第13章に、【神集の玉】と言う「言葉」を発する生玉としています。今はウラナイ教の末流たる悪神の手に保存せられ、独逸(ドイツ)のある地点に秘蔵されありといふ。が、別の所では「その独逸の玉は殻玉で、その精は日本から発動する」と言われているのです。

                  当時のドイツから言葉を駆使して出たのは【人ラー(ヒトラー)】であり、私は言葉の仕組で【神ラー】を説いたのです。
                  ​だが、出口王仁三郎聖師が予告されたのは、みろく世の宝は【言葉】を発する生玉。


                  言葉を発する【生玉】など、世に出ておられる神々でも見たことがない代物なので、解らないことをあまり論じても意味はないでしょう。出たとこ勝負と言えます。
                  ただ、私が豊受姫から言われた人類の問題ではなく神界の問題であれば、一部の霊能者が言うこの土地は超太古の昔の神界の中心点で【神謀りに謀りたまい、神集いに集いたまい】をさせる【神集の玉】が存在する場所かも知れないなのです。ただ、それは現時点では地上界に上がって来てはいません。
                  私の最初の師匠は、【その地は正しい神達が故郷(神の御国)に帰る場所。邪神達にとっては逆に恐ろしい場所】と言いました。
                   
                  ​私がそうした事柄を知らない時、私の家の神棚に10名ほどの山賊なのか海賊なのかは定かではありませんでしたが、荒くれの姿をした霊達がやって来て、私に【自分達は既に10個の神宝を手に入れた。残るは後2つ。それらの玉が揃えば天下は自分達のものになる。その二つの玉はお前が隠し持っているだろう。出せ!。出さぬと痛い目に遭わせるぞ!。】と言います。
                  私からすると「キョトン」で、何が何だかさっぱり解りません。私が玉を二つ持っている?。男の私が持ってるとすれば、金の玉が二つですが、それが神宝ですか?。と返したところ、当然に俺達をバカにするのかと怒ります。
                  だいぶわめいておりましたが、私が何も知らぬ者と解ったようで、「こいつは何も知っておらぬようだ」と帰って行ったことがありました。
                  私は神宝に関してはよく解りませんが、既に10個の神宝が邪神達の手にあるとすれば、由々しき事態にあるのかも知れません。

                   
                  第××項 天之御柱、国之御柱
                   
                  私はこの地で不思議な光景を見ていました。それは、私が前の家が空家になったので購入して更地にした場所です。元々は私が住む土地と一対の土地だったのですが、前の所有者がお金に困って分筆して売った土地です。私が住む土地はあまりの水はけの悪さから嵩上げをしたので、その土地とは今では段差があります。その前の土地の一カ所が何故か気になるです。
                   
                  霊能者でもスピリチュアルでも国常立尊様と関係する方達は、特に女性は国常立尊さんのことを「おじいちゃん」などと言われます。神的に自分の魂と国常立尊様は祖父と孫の関係にあるなのです。それは大本教神諭に、ウシトラ金神に関係する魂の者達は紐をつけて放さないようにしてあるとありますので、国常立尊様、国常立尊様なのでしょう。そうした1人の女性が、やはり気になると指したのは同じ場所でした。
                   
                  私がそこで見たのは、宇宙と繋がる地球との霊子(たまのこ)線です。すると、そこが地球の「臍」となります。出口王仁三郎聖師が言われた地球の十字台とは違った意味です。
                   
                  通常言われる霊子(たまのこ)線は、人の肉体と魂を結ぶもので、自分の魂が肉体から抜けても肉体に帰れます。逆にそれを切断すると魂は肉体に戻れなくなります。為に、霊子(たまのこ)線が切断されると人はあの世へと旅立ちます。それをスピリチュアルではシルバーコードと呼んでいますが、必ずしも銀色線だけではありません。
                   
                  それとは別に肉体の「臍」からも線が出ています。この線は神の子宮たる神の御国(分かちの国)行きの線です。創造神とつながる線です。この線はあまり知られていないので、スピリチュアルでは言う方もないでしょう。シルバー・バーチ霊訓集にもないと思われます。またスウェーデンボルグの霊界本にもないでしょう。
                   
                  私が見た線は天帝の御座所と繋がる霊線です。豊受姫が言われた【時が来れば、万物の創造神が天下る場所】のことだと思われます。もしも天帝の天下りがないとしても、逆にこの地球からその線を通じて天帝の御座所に行くことが可能なのではないかと読み取れました。
                  ​この霊子(たまのこ)線は霊線なのですが、天之御柱、国之御柱をも意味しています。私達が住む地球は楕円軌道を描いて飛んでいます。現代の科学ではそれは太陽の遠心力としています。しかし、大本教の出口王仁三郎聖師は天極から吊されて太陽を回っていると言われています。科学からすると全面否定でしょうが、科学で神の解明は不可能と言わざるおえません。
                  ​地球の頂点は【N極】なのですが、その「N極」に相当するのが人間の頭部の頂点であり、臍に当たるのが綾部のこの土地に当たるのかも知れません。
                   
                  続く

                   

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                  第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか? その4

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                    第××項 誰が【米一字】で【魂】の存在証明論を仕組んだのか?

                    今の人類の世は終わったとしても、それは私達の永遠の命である【魂の消滅】とは違います。私達に永遠の命である【魂】が存在することによって、私達は低次元界とされるこの世に生きて、死んでから高次元界にと進む道もあります。どの次元界まで上がれるかは、この世における肉体の自分の精進次第なのです。

                    この世は【魂の修行場】とされて来たが、それを理解している人は数少ない
                    何が大切かと言いますと、永遠の命である魂を消滅させるなのです


                    私自身は腐った魂、捻れた魂、どす黒く汚れた魂、反対にまるで【瑠璃】玉のような美しい魂をも見させられました。それらは自分自身がこの世で積んできた結果です。長い輪廻転生で自分の魂を磨いて来た結果です。神様神様と言っていれば、自分の魂が磨かれるではありません。自己努力の結果です。
                    一部のスピリチュアルの論調に、【魂磨きは辛いから、捨てましょう】の意見があります。それこそ解っているじゃないかです。魂を磨くのは実に辛い作業なのです。だからと言って、辛いからと魂磨きを止めたならばどうなるのかです。
                    ​邪神界の神霊などは正神界の神霊の様な振りをして、自己の魂磨きをさせないように甘い言葉を出して来ます。聖書にある蛇の囁きなどです。その魂を堕落させて、自分達の仲間に取り込む作戦です。
                     
                    魂を堕落させるのは簡単で、楽だが地獄界行き
                    魂を磨くのは辛いが、結果として天国界行き
                     
                    なまじ霊能力があると、自分の目の前に出て来た霊が光輝いていると、それが正神なのか邪神なのか解りません。それは邪神とは醜い姿をした存在だと錯覚により思い込んでいるからです。邪神でもエネルギーがあれば強烈な光は出せるのです。
                     
                    闇の門を開けると、光を意味する日立(音)が出る
                    なまじ霊能力がある人ほど、霊が見える会話が出来るで【道理】を見失うのです。霊を審神(サニワ)する。そうした言葉一つですら、理解しょうとしないからです。霊が見えることに天狗になるからです。
                    ​邪神は自分が使いたい人間に知識を得られることを怖がります。下手に学ばれると、自分が邪神であることを見破られてしまうからです。ですから、知識を得ないように知識を得ないようにと働きかけます。本人の【奇魂】の働きをさせないことです。
                     

                    仏教には多少なりとも【魂】論がありますが、しかし、それが【玉思惟】であることは説かれていません。日本語でないからそれは無理かも知れません。
                    キリスト教やイスラム教にはあまり魂論は存在しません。ただ、イエス一人を神の御子として拝せば天国だとか、神の名を称えてていればよいという誤った教えが宗教世界を支配しました。それでは自分の【魂】が磨かれません。人を殺す宗教テロ活動で、いくら【神は偉大なり】と称えても、創造神の怒りを買うだけになってしまいます。

                    人の魂に内在する【良心神】が働いていれば、何の罪も無い人達を無差別テロで殺すなど、神の御言(命)に反することだと簡単に理解出来ることだからです。自己の良心神を見失うから、誤った道にと走るのです。

                    大本教から【艮(ウシトラ)金神・国常立尊】が世に出された時、【節分の炒り豆にも花が咲く】と歌われました。これが私達に初めて「鬼が云う」で【魂】の存在を具体的に知らしめるものでした。
                     
                    人は死んでは花実が咲かぬと言いますが
                    世の大立替は【死んで花実を咲かせる】のです
                    ​そこに、節分の炒り豆にも花が咲くとなります

                     
                    何度も示しましたが、【魂】とは節分の炒り豆の【鬼が云う】であって、大本教の出口喜三郎聖師に神が「喜三郎」ではなくて「鬼三郎」と名乗れと命じられても、「鬼はあんまりじゃ」と【王仁三郎】とされたのですが、節分の炒り豆で追われている【鬼が云う】でなければ、言葉の仕組上、私達の魂の中に【天帝の分魂たる直霊(人に内在する良心神)】は解らないのです。
                    私は魂の中に【心棒】の存在を見ましたが、そんなことを今日まで誰も語っていないので、その【棒】が何なのかを知るまでにかなりの時間が掛かりました。まさに【心の棒」だったのです。何故に棒の字は木に「奉る」なのかと首を捻っていたのです。
                    大本教から【ス】の神論が出されましたが、誰も何故に【ス】の神論が出たのか?。その意味すら考えずに理解出来ていなかったと言えます。それは世に出ている神々も「国常立尊」の言葉の仕組に誑かされたなのです。
                     
                    お釈迦様は菩提樹の下の悟りで、人には良心と呼ばれる神が内在していると悟られましたが、現在の仏教ではそれがほぼ消されています。それは日本語の言葉の仕組みで大本教神諭予告【九つ花】を紐解かないと、それが「みろく(369)」を示し、五十六億七千万年の数字の意味も解らないようになっていました。
                     
                    弥勒菩薩とは、この世の終末に現れて人類を未来の世に渡す未来仏とされたが、
                    みろくが表に出なければ、誰もお釈迦様の悟りが何であったのかも解らないでいた。
                     
                    そうした言葉の仕組を見ずに、ただ自分の前に神霊が現れたで、そんな霊の存在に囚われていると本質を見失ってしまいます。何故ならば、そうした霊は言葉が仕組まれていたことすら解っていない段階の存在だからです。
                    霊が見える。それは普段の時であればそれなりの意味もあるでしょう。また、そうした霊によって自分が助けられた。他人も助けることが出来た。しかし、【最後の審判】と呼ばれる事態が起きた時には、そんな霊が見える程度の霊力など何の役にも立たないかも知れないのです。
                    それは豊受姫の神が、私に【貴方の言葉の教えに従えない神は、如何なる神とて天帝に対する反逆罪で裁かれる】と告げられたからです。
                    私も豊受姫が言われた天帝の【詔】とは、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(火水)】だとは、【九つ花】を解読するまで気づきませんでした。
                     
                    朝鮮半島に残されていた預言、最後の審判前に【米一字】の教えが起きる。その教えに従った者達の上には天罰は降りないが、そうでなかった者達の上には天罰が降りるがありました。
                    未だ、そうした天罰は降りてはいませんが、誰が考えても【米一字】で教えは説けません。だが、その米一字は大本教神諭予告【九つ花】を持って来ると説けるようになっていたのです。
                    それはいくら伊勢神宮に天照皇大御神と呼ばれる御神霊が鎮座され、出雲大社に大国主命と呼ばれる御神霊が鎮座されていようとも、【米一字】の仕組みをされたのはそれらの御神霊ではないのです。だから、世に出ておられる神々にも紐解けなかった。それらの神々よりも遙かに次元の高い神の存在が在るとしか言えないのです。
                     
                    ある方から伊勢神宮の天照皇大御神から私に伝言とのメールが来ました。私自身は伊勢神宮からの霊的な大神霊行列とか、【鶴と亀の紋様が入った着物】を着用された高貴な方と霊的には出会って来ました。
                    その私に伝言と言われた方がどこまで本当に御神霊が見えているのかは解りませんが、その方が伊勢神宮に参拝されたところ、伊勢神宮の天照皇大御神から「神野公園」さんに伝言として、自分が三千年間に渡ってこの日本の総氏神を勤めた功績は忘れないで欲しいと伝言を託されたとのメールが来ました。
                    確かに、伊勢神宮に鎮座されている御神霊には日本の総氏神としての役割はあるでしょうが、創造神ではないのでそこまでの段階なのです。伊勢神宮に行って喜んでいる霊的段階では、創造神とされる神の存在までとても目が行きません。
                     
                    私に子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、そなたの背後にこの私が在ることが解らぬ神では使い物にはならぬ神と告げられましたが、伊勢外宮の豊受姫の神は私が何者かをほぼご存知だったので、本当の伊勢内宮の天照皇大御神ならば、私のことはご存知なのかも知れません。
                     
                    私達が創造神と直接に繋がるのは、【自己の魂に内在する核(日本神道で天帝の直霊)】であり、その働きはお釈迦様の悟りである【人に内在する良心神】の「良心」として働いて来ます。それは大本教神諭予告の【この世の閻魔大王として現れる】の働き以外のなにものでもないのです。
                    一部のスピリチュアルの人達は、【良心】など重いだけだから捨てましょうと説いておられます。確かに、良心の【呵責】は重たいのです。それは【この世の閻魔大王】だからです。
                    【節分の炒り豆で追われている】のは閻魔大王の麾下の番卒である鬼達のことなのですが、その鬼は現代の悪を取り締まる【警察】です。警察とは「言葉を敬い宇宙を祭る」です。
                     
                    それは自己が犯した罪を認めず、その罪の償いから逃げる者達に対しての「鬼が云う魂」の意味であり、その結果として自分の魂の姿が霊界で蛇霊化、狐霊化、狸霊化、猫霊化を起こさせているのです。

                    私が【神】とするのは万物の【創造神】だけであり、それ以外の御神霊に対して神と言う言葉を使っても、それは便宜上にしか過ぎません。聖書で言う【唯一】の神だけを神としているのです。
                    最後の審判と呼ばれる事態が起きないのであれば、別に蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊を神様神様と拝んでいても大きな支障はありません。しかし、この世の終わりにはそうした段階の霊では対処が出来ないのです。

                    叩平澄砲箸蓮言葉で示し申すの【叩曚里



                    第××項 35万年間の苦しみは世に出ている神々では手がつけられない

                    私が住む土地は、豊受姫からその土地に住みなさいと告げられた場所です。
                    元々は私の母親が勤務先の定年前に定年後に住む為に古家で買った家と土地でしたが、あまりにも古い家で結婚が考えられる私と親子で住むには間取りも悪く、自家用車の出入りも適わないで別の場所に家と土地を買って母親と10年間ほどその地に住んでいました。
                    私は東京から戻って来てその古い家に一年間ほど住んだのですが、そこを出て行く時、私は必ずこの土地に戻って来て神界の御用をするという不思議な意識が出て来て、この何の変哲もない土地で神界の御用と感じたことに首を捻っていました。

                    その家と土地は私の高校時代の同級生に6年間ほど貸していましたが、その同級生が新築の家を建てて引っ越して行くことになりました。その古い家を壊して土地を売ろうと考えておりましたが、私は必ずこの地に戻って来て神界の御用をすると感じた意識が、私にその土地を売ろうとはさせませんでした。
                    そこで当時の師匠を通じて豊受姫にその土地のことを聞いてもらったところ、その土地は神界にとってもっとも重要な機密の土地であり、その付近一帯は本来は人間が住んではいけない神域である。そなたとそなたの家族だけには住むことが許される。そなたはその土地に戻って神界の御用をすべきと告げられます。

                    ところが、師匠が反対します。あんな汚れた土地に住んだならば、この人(私)は命を取られてしまいます。あんな恐ろしい場所は他にはありません。私ならば、行かなければ殺すと言われても絶対に行きません。どうして豊受姫はそうしたことをあの方に言われるのですかと問い返しをされたところ。
                    私が行けと言っている以上、その土地に行け!。これは人間の問題では無くて神界の問題であって、人間が知る必要のない問題。この御用が出来る者は神ではなく、あの者ただ一人なのである。どの御神霊も、あの者がする役目は出来ない。
                    そこまで言われると、私にはその土地に戻るより道はありませんでした。その地を出て行く時に、私は必ずこの土地に戻って来て神界の御用をすると感じた以上、その地に戻るのが私の定めと言えます。そこで古い家を取り壊して新しい家を建てたのです。

                    その地鎮祭の時、私は霊能者をしているのではないのであまり神霊を見ることはありませんでしたが、その土地に【大金龍】がとぐろを巻いています。驚いた私は地鎮祭を執り行っている師匠に、大金龍神が見えましたがと聞くと、「大金龍神」だけではありません。この土地は今の世には出ておられない【太古の神々】が押しくら饅頭の様に閉じ込められておられます。が、その理由までは解りませんと言います。
                    それらの神々は私達の様な人の姿ではなくて異様な姿であり、見るからにおぞましい姿です。今の時代の神々の姿ではありません。私達人類が歴史的にも知らない超太古の神々です。第三の神々とも言えます。この土地はそうした超太古の神々の恨みや怨念が渦巻いています。これらの神々の怨念が世の表に出て来たら、恐ろしいことになりますとその師匠は言います。
                    後に私の家に宿泊した某大宗教の幹部で霊能者の方は、この土地は今の神代の話ではなくて超太古の神代の中心点であった。祝詞の神謀りに謀りてはこの土地を指した言葉だと告げられます。

                    その土地に引っ越してからのある日、私に霊が懸かって私自身が【35万年間の苦しみから救ってくださってありがとうございます】と口を切りました。この土地に押し込められていた霊は【35万年】間も押し込められた霊達なのか?。今の私達が知る歴史における古代の話は、ウル・シュメール(メソポタミア)の時代にしても紀元前五千年とされています。もう歴史では調べようもない超古代です。
                    大本教霊界物語に【国常立尊様、35万年前に御引退】とありますが、それに関わっている超太古の神々とも言えるのでしょう。

                    それから数年後、私の家に【大ラップ現象】が生じて来ました。その大ラップ現象とはテレビの超常現象番組で放映されたラップ現象等と比較できないほどの強烈なものでした。昼間は別として、夜はラップ(騒霊)音で眠れません。もういつ自分の命が取られてしまうかの状態です。その当時は最初の師匠の元を離れていたので、いろんな霊能者の元を訪れて相談しましたが、自分なら簡単にラップ現象を鎮めると言われるどの霊能者の方も鎮めることが出来ませんでした。出雲大社教や大本教の霊能者も口だけで鎮めることが出来ませんでした。
                    そこで、私を知る大阪の霊能者に相談したところ、その土地には得体の知れない怪物達が居る。それは伊勢神宮の天照皇大御神でも出雲の大国主様でも稲荷様でもお不動様でも束になっても鎮めることなど出来ない。ダメだ。とても手に負える様な存在ではない。その地を鎮めることが出来る神などこの日本には存在していない。あんた自身が鎮めないと鎮まらないと言われます。
                    私からすれば、日本の神々が鎮められないものをどう鎮めよと言うのか?。です。そこで覚悟を決めて騒霊(ラップ)現象の鎮めに入ったのですが、最初の四十日間はほとんど夜は眠れない状態でした。その騒霊(ラップ)現象を鎮めるのに約3年間もかかったのです。

                    私はスピリチュアルで自分はちょいのちょいので浄霊が出来る等と言っている方を見ると、バカではないかと思います。自分で浄霊したと思っているだけで、浄霊は簡単に出来る霊もあれば困難を極める霊もあるのです。その霊のカルマが軽ければ簡単であっても、カルマがきついと簡単ではないのです。

                    後日、最初の師匠に出会った時、その師匠が【豊受姫様が言われたように、あの土地を鎮めることは世に出ている神々には出来ない。あなただけだと言われた通りでしたね】と言われます。それを聞いた私は憮然としていました。世に出ておられる神々が鎮められないで、私まかせかです。
                    ただ、私がそうした中で暮らせたのは、私が通常の霊能者の様に霊が見えたり霊と会話が出来ない者であったので暮らすことが出来たのだろうと思われます。もしも、なまじ霊能者の様に霊が見えたり会話して来られたら、おそらく自分の命を持って行かれたかも知れません。

                    後に数名の霊能者から、私が住む土地は【神界の機密ゲート】があり、そこを死守出来る方は神ではなく貴方一人だけであり、貴方がこの世を去ればその機密ゲートは永遠に封じられて、この世(地球)は終わると言われます。そして、【弥勒の世】と呼ばれる五次元世界が現れるです。
                    それは私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と名乗る霊声が私に告げた【この世の幕引きと私のこの世での命が連動している】と同じ意味合いですが、本当のことなのかとなりますと私自身は疑ってはいるのです。皆さん、あまりにも途方もないことを言う。

                    後日、私はあることを知ったのです。私が現在住む土地は大本教の出口王仁三郎聖師が教団には内密でその土地を死守せよと一部の信徒達に命じられて、そうした信徒さんの1人が建てた家だったのです。
                    だが子孫の段階でお金に困ってその土地を分割して、前側の空地は売られて家が建ち、残った古家は私の母親が買ったでした。その古家を取り壊した時、その家の棟上げ式は大正九年であり、大本教【霊界物語】が書かれる1年も前だったのです。大本教霊界物語はそうした機密を隠して書かれているなのです。

                    もしも、その土地に関して大本教の出口王仁三郎聖師が浄霊化出来る土地であったならば、何も信徒に大本教団に内密で死守させる必要はなかったはずです。自分の子孫の教祖の段階では、とても手が出せない問題だったのでしょう。

                    私の前に大本教の出口王仁三郎聖師霊は三度出現されました。一つには、出口なお開祖と一緒に出て来て、大本教はまな板の鯉であり料理する必要がある。その鍵は「アラー」の神。一つには、大本教の演技を知るには「日本語」が必要で漢字を変換すること。そして、私が世に出て来るのが出口王仁三郎聖師からすると「遅かった」と言われます。

                    私は大本教の信徒ではありませんが、大本教出口なお開祖と出口王仁三郎聖師の活躍がなければ、私にも神の仕組が紐解けなかった。それだけは間違いがないと言えます。

                    私達日本人が言う神々とは、日本神話の中の天照皇大御神とか素戔嗚尊とか呼ばれる神です。私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る霊声は、日本神話の【天の岩戸開け】などの事実は一切無い。全てはこの私が【予告】の為に仕組んだ神話であって、そなたはその【意味】を解読しなさいと告げられていました。
                    豊受姫の元で修業に入った時、豊受姫の御代であったその師匠も、豊受姫から日本神話の天の岩戸開けなどの事実は存在していないと伺っていますと言われます。

                    日本神話の天の岩戸開けは、各自の魂の核となる光の天照皇大御神が表に出る

                    私達日本人が言う歴史とは、日本神道界で【皇紀26××年】などで言われる時代背景にしか過ぎませんが、そうした記紀神話に基づいて神社に祀られている神々よりも、遙かに超太古に神霊達が存在していたとなります。

                    続く

                     

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                    第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その3

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                      第××項 この世の全員が死ぬと言われる世の大立替。

                      私は豊受姫の元で神霊界修行のお世話になっている過程で、子供の時に私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る霊声が私に告げられたのは【私はこの世の幕を降ろす】でした。日本では「世の大立替」と呼ばれていることに関して、その豊受姫の御代(オダイ)であった師匠を通じて豊受姫にどうなのですかと尋ねて貰いました。

                      するとその答えは、【人類は誰一人として生き残らない。全員死ぬ。もし人類にそれから助かる道があるならば、この私が教えて欲しいぐらいだ。その時に助かる道などどこにも無い。それが何時かと聞かれれば、それが何時かとは解らない。ただ、貴方は間違いなくその日迄は生きていて、その立替の大嵐の中を突き抜けて行くだろう】と言われます。
                      それは、私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と名乗る声が言った。「この世の終わりの日が何時かは言えない。ただ言えることはそなたはその終わりの日を自分の目で見届ける」と同じです。豊受姫は、その時には私もこの地球上では生きてはいないが、その大嵐の中を突き進んで別の世界で生きるです。言われる内容に大差はありませんでした。
                       
                      私が関わった【木花咲耶姫】様系の方からも、「木花咲耶姫」様も人類は全員死ぬと言われていると聞きましたので、豊受姫様も木花咲耶姫様も同様の発信をなされているようです。が、木花咲耶姫の場合はその後は「嬉し嬉しの世」で、その時の大嵐に関しては言及されているのかが不明でした。が、そうした警告発言は豊受姫様系よりも木花咲耶姫様系の霊能者の方が強く出されているような気がします。
                      ある豊受姫の分魂を貰っている女性が、伏見稲荷山の主立った神達に向かって話をされているので、何事ですかと聞いたところ、私が会話しているのではありません。私の口を通じて豊受姫様が稲荷の神々に「世の立替」があることを話されているのですが、稲荷の神達は「世の立替」と言われてキョトンとされていると言われます。
                      稲荷系の神霊は国常立尊様系列以外の稲荷は頼りにはならないのかも知れません。大本教神諭に世の立替があることはどの神柱もご存知なれどもとありますが、実際には知っていない有様と言えました。

                      それは、聖書に示される【全員一度は死ぬの第一の死ぬ道】です。そして、次に霊魂となって審判を受けて天国(弥勒の世・高度の霊世界)に復活です。私はその大嵐の中を突き抜けて新しい未来の世に進むと言われたわけです。
                      ​世の大立替を宣伝した大本教の王仁三郎聖師は類い希なる【大予言者】でもありました。出口王仁三郎聖師を通じて出された予言の数々は的中して来たわけです。しかし、出口王仁三郎聖師の予言で未だ的中していないのは【世の大立替】です。
                      私がお世話になった豊受姫は、その御代を通して阪神淡路大震災や普賢岳爆発などを事前に予告されたほどの神霊なので、ある程度の予知が出来る御神霊でもあるわけです。
                      無論、豊受姫の御代(オダイ)さんでもピンキリであって、御代を勤める方の魂の霊格が低いとそうしたことを一切語られないがあります。御代を勤める方の魂の霊格が高ければ、おそらく東日本大震災なども事前に告げられていた霊能者の方も出たでしょう。


                      だが、子供の私に命じられたのは人類を救わんが為の道であって、今の世の人類は全員死ぬであっても未来永劫の世に人類を渡す道があるならば、その道を模索することしかありませんでした。全員死ぬとしても、その後に復活して永遠に生きる事態がさっぱり解らないなのです。
                      豊受姫様の御代を勤めていた師匠から、豊受姫様から私に「人類の助かる道が見つかりましたか」とお尋ねがありました。どうなっていますかと言われたりしましたが、未だ解りませんと返事するのが精一杯でした。
                      そこに出て来たのが大本教神諭予告【九つ花】を解読することによって解ったのですが、お釈迦様の悟りでもあった【人には良心と呼ばれる神が内在している】でした。新しきみろく世に入る為には【良心神】が必要なのです。


                      一般的にはお釈迦様の菩提樹の下での悟りは【慈悲】であったとされています。お釈迦様の本当の悟りはお釈迦様の死後五十六億七千万年後に、弥勒菩薩が出て来ないと本当のことが解らないとされてはいましたが、五十六億七千万後などと途方も無い未来が予言されているのではないぐらい、よほどのバカでもなければ解ることです。
                      まさか「みろく」神を説いた大本教神諭予告の【九つ花】に、その五十六億七千万の意味まで秘められていたとは、お釈迦様でも気がついてはおられなかったなのです。お釈迦様の祇園精舎の御守護神は【牛頭天王】ですが、大本教神諭には【艮】だけでなく、牛頭虎パンツの「牛虎」を告げています。
                      ​私は2番目の師匠の元で修行中、【牛頭の侍姿】の霊が出て来て、【牛頭】の存在があることを知りました。
                       
                      大本教神諭予告、【九つ花】を紐解かないと【みろく】神は理解出来ない
                       
                      大本教神諭に【世の立替があると云うことは、どの神柱にも判りていれど、モウ一厘の肝心の事は判りておらん】とあります。だが、私が神霊世界を見聞して来た限りにおいては、末端の神界においては「立替」があるなど知らない有様なのです。だが主立った神々は「立替」を言われる。このギャップは何だ!。なのです。
                      一つには大本教で盛んに「立替」宣伝はなされましたが、本当の頂点の【国常立尊】は未だ世には出ていないなのです。
                      今のスピリチュアルの世界とは、【雑魚】に等しい霊がミカエルだとかガブリエルだと勝手に天使名を名乗って出て来ています。もし私の前に出てくれば、とっちめてやります。そうした天使は恐くて私の前には出て来ないでしょう。
                      そうした【雑魚】霊を一掃しないで【世の立替】など無理だと解ります。ならば、その前にとんでもない大掃除がなされる可能性があると言わざるおえないのです。
                       
                      この地球環境を元に戻すなどは、もはや不可能に近いでしょう。いくら天に向かってお祈りしても、元に戻せる【臨界点】を既に超えています。私達は神社に鎮座されている御神霊に天災が起きないように願っても、その神社そのものが地震などによって潰されたり津波や洪水で流されて行く様を見て来ました。世に出ている神々にそうしたエネルギーを阻止するだけの力はないのです。
                      もう人類に残された時間は、ある意味カウントダウンが始まっていると言えます。さりとて、私達人類の手で地球環境を元に戻すことはモウ出来ないのです。

                      しかしながら、私が紐解いたのは日本語による【言葉の仕組】であって、そんな言葉の仕組など「二束三文】程度のものだとのお叱りはあるでしょう。悔しかったらギャフンと言わせる神力を見せて見よ!。です。
                      私が子供の時に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、そなたには最後の最後の時でないとこの私の力を授けないと言われて来ました。そのことに関して、旧約聖書の神と名乗る声は、【私は、肉体のそなたの肉を相手に斬らせて、相手の骨を絶つ】と言われただけなのです。私がそうした者達から肉を斬られても我慢していろです。後の決着はこの神がするです。
                      ​それは豊受姫が私に言われた「貴方の言葉の教えを聞けぬ者は、如何なる神であっても最後に天帝により処罰される」なのでしょう。で、私は何の力もないので、そうしたあざ笑いの言葉を甘んじて受けます。
                      一般的に言えば、自分に何の神力を与えない霊など信じてはいけない霊だとなります。自分に神力を与えてこその神だからです。もしかすると、私は欺しの霊に踊らされているのかも知れません。しかし、私は言葉の仕組は【万物の創造神】がなされたことであり、人類は万物の創造神の降臨によって【新しい天地】の世界に向かうと思っているだけなのです。
                       
                      豊受姫は人類は1人残らず死ぬと言われましたが、自分は霊となってもこの地球に永遠に留まるのだと主張するならば、不毛と成った地球に留まることも不可能ではないかと考えます。
                      現実に一部の霊能者達は、その時に備えて【地下帝国】の建設に入っているからです。このグルーブはある【マーク】を使いますので判断は出来るのです。この派に属する霊能者は、私がこの世を去れば五次元世界が来ると言います。反対派の動きを見ていれば、まったくの妄想により起きているのではないぐらいは解るのです。


                      第××項 日月を従える
                       
                      私が見た霊的に見たビジョンは、豊受姫の神が私に言われた【人類に助かる道などは無い】と同じ意味なのかは解りませんが、その光景ならば人類に今の世で生きる道はどこにも存在しないでした。だが、この世で助けることは出来なくても、未来の世(みろくの世)に向かう道は存在しているなのです。
                      それはこの地球上で人類を救うのではなくて、私達が知ることがなかった科学でも解明出来ない高次元界に在るとされる別の地球に移るビジョンでした。その世界は天人世界であり、これまで宗教では予告された【神の御国】世界と言えます。だが、それはこの地球上ではないのです。今の地球とまったく同型の【新しい地球】なのです。
                      新しい地球を見せられた方は私以外にも多々存在されますが、私も含めてそうした方達は全て霊界の【妄想】にやられていると言われれば、そうなのかも知れません。ただ、霊的世界のことは多数決の論理はあまり意味がないのです。自分の霊格が低いと、寄って来るのは低級霊だけだからです。
                       
                      スピリチュアルでは盛んに【何もしなくても、この地球が自然に五次元界に上がる】と説かれています。それならば、同じ【今の世は終わる】であっても何の問題も生じないでしょう。突然、ある日から【五次元世界に上がりました】と言っていればこと済むからです。
                      しかし、今の世の人類の魂は【五次元世界】用の肉体たる霊体をまとってはいないのです。魂だけなばさらなる高次元界にも行けます。問題は自分の霊体がそれ即応するかなのです。何かと言えば「日月神示」の半霊半物質を持ち出す方がありますが、そうした半霊半物質体は白狐霊などに見られますが、今の私達の肉体ではそれは不可能な話です。
                       
                      そもそも白狐霊達から見れば、【人間の分際で頭が高い】と叱責が出るほどで、人間は白狐霊以下と見なされています。高次元の神の世界に入れる様な人は僅かしかおられないからです。行者でも白狐霊を使う方と白狐霊に使われている方があるのです。御利益ください御利益ください。そんな人間は白狐霊以下だからです。
                       
                      白狐霊に使われている行者では、白狐霊の段階を超えることは出来ません。白狐を神様と仰いでいれば、それが神様と呼ばれる存在であって万物の創造神を神として仰いでいるのではないからです。
                      私の2番目の師匠が私の最初の師匠を霊視して、これは白狐の魂ではないかと私に言いましたが、私も最初の師匠と伏見稲荷山に同行していて、最初の師匠の魂は白狐であると気づいていましたので別に驚きはありませんでした。白狐の世界から今生は人間界に転出して来ていたからです。今生の精進と神界の働きで、神上がりの道に入っておられたなのです。
                      ある日、私の母親の夢にその師匠が出て来て、楽しい世界がありますので見てみませんかと誘われたので行くと、白狐達が楽しく遊んでいる世界だったと言います。私の母親は夢の中で、その師匠に楽しい世界ではあるけれども自分が行く世界ではないと断ったと言います。そして、あの先生(師匠)は白狐だと言っておりました。その師匠は幼い頃から白狐と遊んでいたのです。
                       
                      子供の私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る霊声は、私に【この地球は宇宙船と同じ事であり、この地球号とまったく同型の宇宙船が存在している。人類はその新しい地球船に移る】と告げられておりました。
                      その新しい地球に関しては、聖書の【ヨハネの黙示録】に記載されており、一部の霊能者の方達も【新しい地球】【もう一つの地球】と説かれていますが、高次元の霊的世界には存在しているのです。ただ、それを言う方は一部の方にしか過ぎません。
                      為には、霊的世界に関してもっと深い内容が説かれていなければ、その時になって私達は迷うことになりかねません。元々、人は死ねば終わりではなくて霊界と現世の往復を【輪廻転生】を通じてやって来たからです。

                      私が現在住む「綾部」と呼ばれる土地で、明治25年(西暦1892年・いち早くに)大本教と呼ばれる宗教が誕生し、世の大立替を大宣伝をしました。しかしながら、その大立替とは人類の1/3だけが生き残るというものでした。
                      ところが私に示されたのは人類は1人残らず死ぬというものであって、一度は死んで、次に嬉し嬉しの新しい世に復活するでした。大本教神諭の内容とは違っているのです。問題は聖書にある第一の死。そして次に最後の審判としての「第二の死」を乗り切れるかどうかなのです。

                      それは私に豊受姫の神が【今の世の人類は1人残らず滅びるが、その魂は霊的世界にと渡って行く】と言われたのと同じ事であり、それが事実であれば、あまり大本教の人類の1/3だけが助かる立替論に固執するのは良くないとなります。全人類の1/3の枠決めではなくて、その世界に入れるかどうかの資格試験に等しいものかと推察出来ます。それは既存の天国の門をくぐるのとさほど違いはないのです。ただ、一部の宗教では今日まで誤った考え方をして来ました。我が宗教を信じれば天国だ!。異教徒は地獄に墜ちろ!です。
                      天国行きは、本人のこの世の生き方次第であり、宗教の教えそのものとは関係ないのです。【自分の良心に基づいて、悔い改めるが重要なのです】。ですから、全ての人にその資格があれば全ての人が行くでしょう。大本教で説いたことは、この地球上を舞台にしたからです。まだ、真実を全て告げる時期でもなかったと言えます。

                      ​要は創造神が乗りなさいと言われる【ノアの箱舟】に乗るのか?。それとも、そんなバカな話など信じないと拒否して【ノアの箱船】に乗らないかです。
                      ​なまじ霊能力がある人ほど自分の霊能力に過信して、【ノアの箱舟】には乗らないと思われます。


                      人の魂はこれまで【輪廻転生】をしており、生まれて死んで、生まれて死んでを繰り返して来ています。この世を去るとは、単に次に生まれてくる手段でしかないのです。死ぬとかこの世の終わりを何も恐れるとか怖がることではないのです。
                      問題は、今回が魂の世界にとっての【最後の審判】であり、その審判によって永遠に霊界における魂の地位が決定してしまうことなのです。それは永遠に霊界での地位が固定されるのであり、大本教神諭に【こんなことならば、どうして前もって教えてくれなかったのかと】ありますが、後悔先に立たずになってしまうのです。

                      霊能力がある方からは、この地球に第三次世界大戦が起きて核戦争で人類が滅びるビジョンが語られます。また、地球のポールシフトによる天変地異。天から隕石が火の玉の雨と成って落ちて来ると言われます。そうした映像が霊界にありますが、私が見たビジョンの人類の滅亡とは「核戦争」などではありませんでした。ただ、そうした破滅のビジョンが起きないとは誰にも言えません。ビジョンはビジョンであり、どれが正しいビジョンなのか?。解らないとは言えるからです。
                      【Xデー】に向かって世界各地に天変地異は起きるでしょうが、そうした天変地異でこの世が終わるでは無いが私が見たビジョンです。その終わりの日は、突然に全ての【時間】が止まるであって、時が止まれば、全ての重力や動力がある物は停止するなのです。人間も動物も植物も全てその動力が停止する霊的映像でした。
                      これまでの論理は、地球を初めとして万物が動いていることに関して、何の意味も感じていなかったなのです。

                      私達は時の経過を【年月日】と呼びます。日月の月は「月」であり、「日」は太陽です。日本神話でも太陽と月は語られます。世界の神話も同じです。だが、そこに「年」の感覚が抜けています。「年」は【念】によって左右されているからです。だからそこに「ネン」と言う言葉があったと言えます。
                      太陽神を天照大御神と唱えても、月神を月夜見尊と唱えても、誰も時の「年」を意味する神の存在に気づかなかったと言えるのです。岡本天明氏から【日月神示】なるものが降ろされましたが、太陽(日)や月のことばかりに目が行って、時を意味する【年月】の日月の感覚が抜けているのです。

                      それは全ての命ある万物は宇宙の【念(意識)】によって成り立ったからです。その宇宙の念(意識)は【想像】とか【創造】とも呼べます。その創造の働きが【言葉】と言えます。
                      仏教においては「無」から「有」が生じたとしますが、宇宙の初発に何の【念】も生じなかったならば、それは何時まで経っても【無】の世界であったのです。宇宙の意識が無から有を生じさせたのです。

                      一部の霊能者の方達は、人類が地球の【想念】を汚したことにより、この地球が汚されて【念】のしっぺ返しを受けると言われていますが、それが原因の可能性はあるのかも知れません。
                      伊勢神宮に行ったら天照皇大御神が出て来られた。月夜見尊が出て来られた。それでは何の気づきもなく【月日】の概念を失ってしまいます。
                      スピリチュアルや一部の霊能者達は、【何をしても神の愛で赦されます】の一辺倒ですが、そこには【悪しき想念の汚れの浄化】が何一つ入っていません。人類が出した悪しき想念によって、人類は滅びかねないのです。
                       
                      何をしても神の愛で赦されるであれば、霊的【浄化】など最初から必要が無いことになります。
                       
                      世には【霊媒質】の方達が多数居られます。そうした霊媒質の方達は、他人の汚れた想念を被って非常に苦しんでおられます。そうした【想念の汚れ】たる事実を知るならば、何をしても神の愛で赦されますと説くのは、創造神の目からすればもっとも赦しがたき者達となります。【カルマ】の恐ろしさすら何も理解していない者なのです。
                       
                      自分には霊が見える。世に出ておられる神々と会話が出来る。されど、最後の審判が起きるとすれば、そうした神々によるものにはあらず、閻魔大王たる創造神によってなされるのであって、世に出ておられる神々ではどうにも出来ないのです。

                      それは、全ての人の魂の核には天帝の分魂である【直霊(良心の働き)】が備わっているからです。

                       

                       
                      第××項 果たして時間の停止などあり得るのだろうか?

                      霊界では【時間と空間】の概念が無いと言われています。それが、何万年前と思われる霊が出て来たりする因とは言えます。また、霊は物質界を抜けて行きます。この時間と空間の概念が無いと言うことは、肉体を保持している身だと絶対に感覚としては解りません。掴めません。ある意味、肉体は不自由であり【型】に縛られるからです。
                      俗に【幽体離脱】と呼ばれる現象があります。自分の肉体から自分の意識(魂)が抜けて行きますと、この世の物質体を全て通過して行きます。それを体験する自分に驚愕することになります。そうしたことの一つがお塚信仰などで解る石の中にも霊が宿るなのです。石の中にすら霊は身を置けるなのです。石とは「意思」なのです。

                      また唯一教でもお釈迦様でも【偶像信仰の禁止】を言われたのですが、偶像には霊が宿るとなります。霊は石でも樹木にも金属にも宿ることが出来るからです。神社のお札にも宿ります。何故に偶像信仰はいけないと説かれたのか?。そこには偶像には霊が宿るがあるからです。観音様の像を拝していると、それは蛇霊であったりします。
                      私が出したブログに【自分を観音菩薩として祀れと言った大白蛇霊】を書いていますが、霊はどのようにも変化して来るのです。

                      単に偶像に宿った霊を拝しているであると、自己の魂の中に宿る神性を知るのは難しくなって来ます。何もかも物質に宿った【外在神】頼りになるからです。​外在神に頼ってしまいますと、自己に内在する神性が目覚めなくなるのです。
                       
                      人は自分は神の現身(うつそみ)ですと威張ってください
                      ただ、それには神らしく振る舞わないといけないのです

                      かってのSFで、宇宙船やロケットなどで宇宙空間に身を置いてしまうと、肉体の歳を経ないと言われて来ました。私達が歳を取るとは、時間が存在する世界に身を置いているからであり、地球を離れると歳を経ないなのです。日本のおとぎ話の龍宮城に行った【浦島太郎】の話などはそれを語るのです。
                      私達は【時間】の世界に生きています。だが、宇宙空間(霊的世界)に入ってしまうと時間が存在しなくなります。実際には時間が存在しないのではなくて、この世の時間とは霊界の時間の流れが違って来るなのでしょう。そこに何故?が出て来ます。

                      私達が知る「時間」とは、地球が【自転】しているからに過ぎません。地球が一回自転すると「一日」です。太陽の周囲を一回りすると「一年」です。では、地球が自転もしなければ、太陽の周囲を一回りもしなければ【時間】は発生しないとなります。 今日まで科学者達は何故に地球は【自転】しているのか?。その意味を深く考えてはおりませんでした。私は【神の時計】を見せられたことにより、そこに深い意味を知ったと言えます。


                      大本教霊界物語には【主の神は35万年前に御引退】とあります。この世の一年は「約8765時間】です。神の時計では、この世の一年は神界の一時間にしか過ぎません。その35万年を8765年間で割ると約【40】となって来ます。
                      その「40」の数字が持つ意味とは、モーゼの荒野の40年間、イエスの悪魔を退けた荒野の彷徨いたる「40」日間と数字的な関連が出て来ます。主も「40」の彷徨いから出られる時が近づいているなのです。
                       
                      私は大本教の出口王仁三郎聖師姿の霊から「アラー]神を示唆されました。日本語のアイウエオは、「ア」の門を出てから[ラ」に至る「41」で、【アラーとかアモン・ラー】。その「ラ」は大本教神諭予告にある「九つ花」の真ん中であり、今はその「ラ」を閉じているとなります。出口王仁三郎聖師が世に出された【ス】の神ではないのです。
                      大本教の出口王仁三郎聖師は自らが出した【ス】の神が本物ではなかったので、大本教霊界物語の題十三巻(アイウエオでスを意味する)に、この大本教に現れた変性女子はニセ者だと告げられたのです。【みの尾張の国から】高山に向かうのは国道「41」号線。
                      多少はそうした仕組を理解した神霊が、飛騨高山に「大神殿」を創っています。しかし、それが【良心神】を告げる為のものであったことまでは理解していなかったようです。
                      こうした言葉の仕組をする為には、大本教神諭は「3000」年の月日が掛かったとします。
                       
                      その仕組の為だけではないでしょうが、地球は「自転」をして、一年が8765時間の必要があったとなります。また、今の世が【七】の世だと知らないと、みろくの【五六億七千万】の意味も理解出来て来ません。私はどうして【五六億七千万】だと?。既に仏教で説いた「末法の時代」に入っているのにと首を傾げていました。日本神話は【神代七代】として、今が七(質)の世ですと教えてはいます。ここが解ると「五六億七千万」の意味も解けて来るのです。

                      私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る霊声は、【日本神話はこの私が創作させたものであって、実際の話ではあらず。何故に私がそうした作為をしたのか。そなたは読み解け】と告げられました。
                      みろくの世は「永遠の世」と予告されて来ました。その「永遠の世」の為には、この地球が「自転」を止めるなります。
                      しかし私が見た霊的ビジョンは、みろく世の為にこの地球が「自転」を止めるのではなくて、地球が自らが「自転」する為の「エネルギー」を失う問題から、この地球が自転を停止してしまうなのです。その時、この地球の【重力】は全て失われるとなります。その時期が解っているのは創造神のみかも知れません。
                       
                      未来永劫のみろくの世とは、そうした観点からもヨハネの黙示録にある、【これまでの天地は消えて、私は新しい天地を見た】の「新地球」に人類は移行するのではないかと考えることが出来るのです。
                      ただ、今の世の人類を新しい地球にそのまま全員移行させるのであれば、またもやその地球も汚されてしまうでしょう。そこに誰もこの世を去れば行ける【四次元世界】の霊界ではなくて、【五次元世界】に進むであり、みろくの世は五次元世界だと語られる由縁があるのでしょう。
                       
                      みろくの世は永遠の世とされますが、今の地球上だと永遠の世を創るのは不可能と考えざるにはおられません。
                      為には一度、今の太陽を終わらせる必要があるのでしょう。【天の岩戸開け】ではなくて【天の岩戸閉め】です。
                      大本教神典に天の岩戸を開ける役に閉める役。閉める役が難しいとあり、私はこの意味に頭を抱えて考えていた時がありました。開けて閉めるのではなくて、閉めてから再度開けるなのです。だから、閉める時の役が難しいのです。
                       
                      問題は、スピリチュアルでは何をしなくてもこの地球が五次元世界に上昇するだけのことですの論調で、五次元世界に進む為の【悔い改める】姿勢が何一つ説かれていないことが大きな過ちを引き起こすことになりかねないのです。
                       

                      続く


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