五輪(地・水・火・風・空)終を起こす自然神。人の身たる者を創造神と仰いではいけない

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    西暦2018年9月9日の私のブログに【御臨終と五輪(地水火風空)終。されど、誠の力が世を救う】を出しました。私は予言者ではありませんが、五輪(地水火風空)の働きが終わるとは解っておりました。同じ五輪の言葉から東京オリンピックの開催も不可能だろうと読んでいました。

    しかし、東京オリンピックの開催が出来ない理由は【新型コロナウィルス】が起因して来るなどは、さすがに読み切れませんでした。世界中で新型コロナウィルスが猛威を振るっており、東京オリンピックが開催出来ないのは誰が考えても解ることです。日本で新型コロナウィルス騒動が落ち着いても世界で猛威を振るっているので、オリンピックの開催など不可能なのです。

    その新型コロナの猛威は、私の本年度の西暦2020年1月16日のブログ記事の【地獄の釜の蓋開けか?。地獄の鬼達が「ビーシア(陛下)」と言いながら散らばった】の一つに過ぎないなのです。言うなれば【パンドラの箱】が開いたなのです。例え新型コロナウィルスのワクチンが開発されても次の新しい【菌】が出て来ます。もうあらゆる災いの種が世に出たのです。

    大本教神諭には【地獄の釜の蓋開け】は予告されておりましたが、なかなか「パンドラの箱」に結び付きにくい事柄ではあったのです。パンドラの箱に関しては、私が知る霊能力者は【災いを封じた箱】の意味と理解されております。その語源がどうのこうのではなくて、要は【災いを閉じ込めていた容器】の意味合いです。それらは【地獄界】に封じられていたなのです。

     

    御臨終と五輪終は別物で漢字が違うと言われる方達はあるでしょう。大本教における【平かな(出口なお開祖)】と【漢字(出口王仁三聖)】の争いにおいては、【言葉の仕組】が秘められていたのです。漢字を一度平かなに戻して違う漢字を振る事で意味が解るのです。言霊的には同じ発音をしているなのです。

     

     

    コロナよりも恐ろしいのは五輪(地水火風空)の崩れ

     

    御臨終と五輪終は同じ【言葉の仕組】として働く

     

    地の崩れは【大地震】を起こし。水の崩れは【大洪水】を起こし。火の崩れは【火山噴火等】を起こし。風の崩れは【台風・竜巻等】を起こして来ます。そして空(天)の崩れは【想像すら出来ない】事態を起こして来ます。

    一部の予言者は、ヨーロッパ諸国の上には火の雨が降ると言っておられますが、これは月の表面の地の崩れによる隕石たる【火球】で降り注いで来ることで、仏典には終わりには【火の雨】が降るが残されているのですが、それがヨーロッパ諸国に降り注ぐ霊的映像による予言と推察されます。キリスト教徒が積んだカルマは非常に重たく。キリスト教にはカルマを解消する為の教えが存在していないのです。イエス一人に頼っていれば天国に渡れると言う、バカな教えに従ったからです。

     

    その時、人々はあまりの恐怖に【ワナワナと震えて】、悔い改める人もあるかも知れません。今のキリスト教徒は【本当の神の恐ろしさ】を何一つ理解していないと言えます。

     

    私は希ですが霊能者の方から貴方は【救世主】様ですかという問いを受けますが、私は救世主ではありませんと申し上げています。

    その理由は、

    人の肉体を持つ者に全人類を救う等の力はない

     

    人の身では、太陽も月も星も生み出せない

     

    世間では、一人一人が創造神だと言い張って止まない人達が居られます。では、貴方に太陽や月が創れるのですかと問うても、何一つ解ろうとはしないなのです。 日本では、【風の神】【水の神】【火の神】。そうした【自然的存在を神】と崇めて神社に祀りました。それはある意味、【正しい姿勢】だったのです。ただ自然神は自然を汚すと、そのしっぺ返しが人類に来るのです。善悪の問題ではありません。自然を汚したかどうかです。

    しかし、この日本では過去に天皇であった方を神として祀ったり。過去が人であった「菅原道真公」を天神として祀ったりがあります。それは西洋における「イエス」信仰と同じことです。本当の創造神を天神として拝しているではないのです。

    大本教の出口王仁三郎聖師は、【自分はイエスと比べて何ら劣っていない】と言われましたが、有能な霊能者筋からは、ほぼイエスと同格の魂であったと言われています。大本教の出口王仁三郎聖師は一時は自分は【救世主】だとの看板も掲げられましたが、その看板を下ろして【聖師】という名乗りをされたのです。いくら大予言が出来たとしても、出口王仁三郎聖師に天地を創造するだけの力はどこにも無かったからです。

     

    人は神に似せられた者で神に成れますが、創造神には成れません。

    創造神は地球という星に人類が住める様に

     

    太陽や月や水や火や空気を与えて来られた

     

    だが、人類はその地球の【環境】を汚してしまったのです。もう、この地球はその【環境】を取り戻すことが出来ない段階に入ってしまったなのです。創造神の力をもってしても、復旧が可能な限界点を超えてしまったのです。

    これから先、自然の災害の【猛威】は更に強まり、人類を襲って来ます。それを神社や仏閣に鎮まる神仏に沈静の祈願をいくら願っても、

     

    神社や仏閣も自然の猛威の前に屈して崩壊する

     

    多くの人が神仏に願っているのは、【自分が幸せでありますように】。そこから抜け切れていないからです。

     

    そんな地球環境で人類を助けられる救世主など無いのです。

    つまり、地球環境の【御臨終】なのです

     

    では、世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は【誠の力が世を救う】と言う予言をされたのか?。それはこの宇宙の成り立ちにおいて、想像神(創造神)の【息吹(言葉)】があったからです。そこで大本教からは、宇宙を清める意味の言霊【アオウエイ】の五音を説いて出しましたが、その言霊を出す人の数など世界の人類から見れば微々たる数に過ぎなかったなのです。少し以前には【アオウエイ】を説いてる人達は少数ありましたが、今では見られません。

    自分には宇宙人が降りて来るなどの爬虫類宇宙人と繋がっている人が多くなり、スピリチュアルで暴れまくっているからです。大本教からイエスの魂とほぼ同格とされる魂を持った出口王仁三郎聖師を出しても、神とは人間を助ける者とか。自分に御利益を授ける者。そうしか感覚しか持たない人達ばかりの世の中では、力折れて矢も尽きるだったのでしょう。

     

    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていたのですが、【そなたには、最後の最後の時までは何の神力も与えない。】で、来ました。何の神力も持たない者は、神霊世界では本当に何の役にも立ちません。そこに困っている人がいても、神の力では救うことが出来ないのです。溺れている人が流されて行くを見ていても、助ける手段を持たないなのです。

     

    しかし、言葉の仕組で成るの【誠】には行き着いたのです。その時、私にとっては大本教基本宣伝歌にある【朝日は照るとも曇るとも、月は盈(み)つとも虧(かくる)とも、たとえ大地は沈むとも、曲津(まがつ)の神は荒(すさ)ぶとも、誠の力は世を救う。】の一文が心に残ったしだいです。

    これだけ【言成る(誠)の仕組】が出来る神がおられるのならば、その神(牛虎金神・国常立尊)を信ずれば何も案ずる必要は無いなのです。鬼と云う【魂】の御祖神。

     

    この世に何が起きようとも、万物の創造神は存在されており、何も恐れることは無いのです。この日本ではその創造神を【国常立尊】様とお呼びしています。日本の国祖大神でもあられる。天においては【天之御中主】。日本人はその神を信じて行けばよいなのです。

     

     

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    霊学21 みろくの世は【松の世】とは?。【松】に秘められた意味は?

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      予言教団たる大本教から立替後の世は、【みろくの世】で【松の世】と宣伝されました。その中で【松】の世とは、この世の【末(まつ)】からの「まつ」の言葉に掛けられた意味だとは言われて来ました。確かに、みろくの世とは【八の世】で【末広がり】を意味したものです。それならば、【末(すえ)】から【松(まつ)】にした意味が解けないとなります。

       

      私は子供の頃は【旧約聖書の神】と称する声を聞いていました。その「旧約聖書の神」と称する声は、私に【松の根本】の話をしてくれたのです。

      【今、海岸に風雪に耐えて見事な枝振りと木肌の荒々しい「松」の大木があるとしょう。人々はその松の大木を見て、風雪に耐えた枝振りや木肌の荒々しさを誉め称えるであろう。見事な「松」だと。だが、誰もその「松」の根を見ようとはしないであろう。例えそれがそなた一人であったとしてもかまわない。私はそなたには枝葉や木肌の見事さではなく「松」の根を見る者となって欲しい。】と告げられたのです。

       

      【松の根】を見る者とは、【公】の心で根を張る

       

      今の世は、あまりにも【私】が根を張っている

       

      私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、幾度も幾度も【どんなに辛くても刹那心に溺れてはいけない。刹那心に走ると自分の魂を腐らせてしまう。】と教えられて来ました。【刹那】とは仏教用語で【短い時】を意味した言葉ですが、刹那主義(過去や将来を考えず、ただ今の瞬間だけが良ければそれで良いとする)】意味です。

       

      僅かな時の為に自己の魂を殺すのが【刹那】

       

      私は魂の【輪廻転生】を説いてはいますが、全ての魂が【輪廻転生】をするのではなくて、【腐った魂】や【捻れ曲がった魂】を見て来ました。そうした魂には次の世にも人としての【来世】はありません。【今生】を持って人としての姿の命は終わるのです。しかし、それで魂の【命】を失ったではないのです。

      いったいどのくらいの魂が次の世にも人として【輪廻転生】をして来ているのか?。霊能者の方達に聞き回ったのですが、はっきりした数字を言われる方はありませんでした。世に出ておられる神々ですら、よく解らないなのです。ただ、魂が腐って「みみず」に転生する魂。捻れ曲がって破砕されてしまう魂。そうした魂は霊能者たる人は往々に見られているなのです。

      人として【この世にあった魂】が破砕されて、昆虫の様な存在になっても【命】ある物であることは確かですし、魂が【腐って】ミミズの様な生命体になっても【命】がある物なのです。仏教では【万物に霊性(命)が宿る】と説きます。すなわち仏教で【輪廻転生】として説かれている範囲は非常に広いなのです。人間が人間として生まれ代わるだけが【転生】ではないのです。私も「牛」として出された時もあるなのです。

      牛頭の侍姿の霊を見た時、自分でもびっくりしました。その時、私の側に居た霊媒者もその牛頭の侍姿の霊を見ていましたが、私自身が牛(宇志)として「転生」していた時もあるなのです。

       

      そこに、人は人の姿の時に神上がりをする

       

      日本人は仏教で説かれる【輪廻転生】の「輪廻」は、また人としてこの世に出して貰えることだと思っていますが、【転生】の本質はほとんど理解されていません。【転生】の世界があるから、神社に鎮座している神霊も【蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊】等に身変わっているなのです。

       

      刹那の【刹】は【殺と刀】。自分の魂を殺す意味

       

      刹那(短い時間)で、永遠の命の魂を殺してしまう

       

      私達は刹那心(僅かな短い時間の中で、今が良ければそれで良い)に襲われた時、魂の【原理原則】から遠い行動をしてしまいます。

       

      スピリチュアルを標榜する人達の論を聞いていますと、【神の愛で何をしても赦されるのです。】が定番ですが、こうした論が【破綻した論】であることを見破らないと行けません。何をしても神の愛で赦されるのであれば、そもそも【地獄】界は存在して来ません。だが、実際に【地獄界】は存在しています。

      私がスピリチュアル標榜者に聞きたいことは、【貴方たちは、地獄界を見たことがあるのですか?。仏教で説かれている地獄とは違うのです。もしも地獄界の一部でも見ていればそんな論は出せないでしょう。】なのです。

      スピリチュアルでは、自分には天使長ミカエルや大天使カブリエルが降りて来ると言う方達が大多数ですが、それらの霊は【地獄】の存在をキチンと説明して来ましたか?。キリスト教徒でも無い者に、イエス一人だけを神の御子と信じない者は地獄だ!。そんなことを語る様な霊が天使長ミカエルとか大天使カブリエルと称していても、言うことは【愛】の言葉しか出せないでしょう。その中味はまったく意味が無い愛と言えます。

       

      魂(玉思惟)は【円い玉】であり、玉である以上は【核】や【心棒】が存在しているはずです。そうしたことを一言も語らない連中です。そんな者達が言うところの【愛】では、天国の門など絶対に開かないなのです。無論、僧侶の御経一つで【極楽往生】もあり得ないのです。霊能者と呼ばれている人達の中には、この世の霊界でさ迷っている【不浄仏霊】をキチンと霊界に渡すはされていますが、それは天国界にではなくて【中有界】に送ってあげているだけです。中有界であれば、また人として出て来られるからです。

       

      一部の超能力者や霊能者は、最後の審判は各自の良心神の点数で判断されると明言しています。だが、スピリチュアル標榜者に【良心神】を説いても、絶対に理解しようとしません。出来ないのです。それは【良心神】とは、単に【良い心】の事だと思っているからです。単に【良い心】であれば、それは【愛】の中に包括されるという大勘違いから抜け切れません。良心神は愛に包括されるのではなくて、良心と呼ばれる存在の中に【正しい愛】だけが包括されているなのです。

       

      確かに、良心と言われると【愛】でこと足りるという勘違いが生じます。

      良心の働きとは、【松】の【公の心】

       

      公なので、【正義・公平・平等・犠牲・誠】が働く

      そうした働き全体を【良心神】と呼ぶのです。

       

      愛は【私】の立場で、【公】とはかけ離れるのです。【ム】一字で「わたくし」と言います。すなわち【私】も【公】も【ム(わたくし)】であるのですが、【宇宙を広げる公】なのか、どこまでも自分たる【私本位】であるのかです。

       

      宇宙の【公】の心を【窓(真戸)】と言います

       

      通常【窓】の上辺は【穴】と解釈されています。では、何故に「窓」の下辺が【心】の漢字なのか?。漢字学者ですら意味が解っていないでしょう。 また、【穴】の字は【宇宙をひらく(八)】であり、【八】には二つに別ける意があるのです。

      私達日本人は「無頼漢・ごろつき・やくざ・悪いことばかりしている」者に対して【ならず者】と言う言葉を使います。その漢字は【破落戸】と書きます。当て字ではありません。ならず者にいくら漢字を振っても【破落戸】はならないでしょう。どうして当て字でも書けないような漢字が今も残っているのかです。

      私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。この私の教えを知るのに、宗教書の必要が無い。】と告げられましたが、全て日本語と言う言葉の仕組の中に、創造神の教えは秘められているからです。

       

      ならず者(破落戸)には、【戸】が無い

       

      ならず者(破落戸)に【宇宙の公の心が無い】

       

      何故に日本神話には【天の岩戸】開けなどという誰が考えても変だと思う内容が残されているのか?。旧約聖書の神と称する声は、私に【それらは全て最後の審判の時の為である。】と告げられたのです。【岩戸】開けには、日月神示で【(イ)八(ハ)十(ト)】と示されたように、【一八十度】ひっくり返す意味もありますし、大本教で出された神霊の位を【一八十】の段階に貼り付ける意味もあるでしょう。

       

      大本教からは、【この仕組には三千年の月日が掛かった。】とありますが、三千年もの月日とはお釈迦様やモーゼやイエスの登場のみならず、最終的にこの日本で言葉の意味を解読させる為の時間でもあったも考えられるわけです。そこに、【スの神】論を携えた大本教と呼ばれる宗教が起きたなのです。

       

      魂に【戸】があることで、魂を殺す様な光も防げる

       

      最後の審判とは【火の審判】と呼ばれていますが、この「火」とは【光】のことです。ただ、人々が毎日拝している太陽光の様な光ではないのです。スピリチュアルで太陽を写真に撮って写る様な光のことではないのです。それこそ魂を焼く純光のことです。その光を防ぐ【戸】が魂に無ければ、その光から逃げる為に大地の中の【地獄】へと逃げ込むしか道がないのです。自然に天国界に向かう人と、地獄界に向かうの人の二方向となるなのです。

       

      スピリチュアルでは、この世は【魂の修学場。カルマの解消場】。そうしたことは僅かな人を除いて、まったく理解しておられず。【神の愛で何をしても赦されます。】とか、【何をしてもいいのです。】などの【我れよし】の教えが花盛りです。当然に、そこには【公の心】などは何も無いのです。【松の心】が無いのです。

       

      公に心の漢字は【忩】で存在しますが、ほぼ使われていません。 代わりに【総(糸と忩)】で意味が解るでしょう。

      忩の糸(意図)は、【すべて(総て)】に

       

      総ての【公の心(良心神)】を、最後の判定点とする

       

      なお【忄と公】の組み合わせの漢字がありますが、これは【おどろく】なのです。公の忄(心)は驚く(宇真を敬う)べきことなのです。

       

      最後の審判時の【良心神】の点数とは

      貴方の魂の中の【公の心】の割合なのです

       

      そこにみろくの世は【松の世】とするのです

       

      大本教神諭で一貫して、【我れさえ良ければそれで良い。】が批判されていたのもその為です。【我れよし】とは、【公の心】と正反対に立つからです。

       

      いくら自分は霊が見えるとか西洋の天使が出て来たと言ったところで、低級霊達の化け姿。そうした者が千人居ても、本物と呼べる者は一人しか出ないとされるのが霊的世界です。まさか、日本にはこんな仕組がしてあったのかと、おどろく様な霊ならば未だ可愛げがあるなのです。

       

       

       

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      霊学20 神の存在を信じなくてもよい。神から信じて貰える人に成りなさいの論

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        宗教界の分野で、神の存在を信じなくてもいい。神から信じて貰える人になりなさい。と説かれた宗教人がおらます。もう亡くなられたようですが、実に正しい論なのです。ただ、この宗教家の方は【世の立替論者】であった方で、それが前提にあったと考えられます。

         

        今日迄のほとんどの宗教では、【我が宗派の教えを信じる者は天国で、異教徒は地獄に落ちる。】です。そうした教えの為に宗教と宗教とが【いがみあい(啀み合い)】。宗教戦争から国家間戦争まで勃発させて来ました。

        キリスト教徒とイスラム教徒の戦い。イスラム教徒とユダヤ教徒の戦い。キリスト教の中でも新教と旧教の戦争。イスラム教の中でもシーア派とスンニ派の戦い。世界の宗教の歴史を振り返るならば、

         

        宗教は神の名を称えながら、戦争の元凶となった

         

        世界最大のキリスト教は【イエス一人だけを神の御子】と仰いでいるのですが、カトリック派とプロテスタント派との戦いがあり、別の宗教と言えるほど宗教観は違います。キリスト教と言っても約1000派あると言われていました。それぞれの派は【イエス一人を神の御子】として仰ぎ新約聖書を聖典としても、その【解釈】はまったく違うなのです。その派を創った開祖の教えが絶対なのです。それは日本における仏教にしても、宗派宗派でその教えが違うのと同じです。

         

        今日迄の宗教は、異教徒を邪神とか悪魔と扱った

         

        真理は幾つも幾つもあるではありません。真理とは一つに集約されたものであらねばならないのです。ところが世界の宗教の教えはバラバラで、どれが正しいのか?。さっぱり解らないがあるのです。

        そうした中で宗教の教えによる神様、神様と拝んでいるだけでは天国の門は開きません。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から次のようなことを言われました。

         

        この世は魂の修学場、この世で何を学んだかが問われる

         

        新約聖書には天国門に関して、【叩けよ、さらば開かれん】とあります。為に、この言葉から【神を信じる者・求める者】は誰でも天国に救われると言う勘違いが生じたのであろうと考えられます。叩けば天国の門が開くのであれば、天国は悪から改心しない悪人も入れるとなります。だとすれば天国は悪人だらけともなります。そんな世界が天国であるはずがないのです。そうなりますと、どうしても【イエス一人だけが神の御子】でイエスを信じる者だけがという特定論に入ってしまいます。

        これなども【魂】論がまったく理解されていないことから起きたと言わざる得ません。イエスは40日間荒野を彷徨って悪魔を退けて、【41】日目に神の御子に成られた。これは神界の【型】と言えます。

        イエス一人だけでなく、誰もが「40」の間は荒野の彷徨いであり、悪魔を退ける【41】にて、神の子となるなのです。でも、それだけでは誰もその意味が解らない。解った人など一人も居ないでしょう。

         

        私は大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】が解った時、この【41】は【良心】たる神を現していると解ったのです。お釈迦様の本当の悟りであったのが【人には良心と呼ばれる神が内在している。】だったことの裏打ちがなされるわけです。しかも、九つ花は【56億7千万】の数字すら叩きだしてくるわけです。私はその【九つ花】から解ることを紐解いているのであって、自分はこう思う等の個々の人の思想や感情ではないのです。私は【言葉の仕組】を語っているのです。

        イエスもまた神の仕組の一つの【型】は演じたなのです。そこに私に出て来た霊示は、【イエスのパン(愛)の教えは美味なれども、真ん中が無いドーナツパンである。】と示されたわけです。

         

        パン(愛)の教えには、真ん中(核芯・神)が無い

         

        私は単なる【善】人では【天国門】を叩いても開かないことを知って愕然としました。どうして【善】だけでは天国に行けないのだろう?。そうしますと、その人は【神に対する信仰心が薄かったのか?。】となります。だが、当方の教えを信じれば天国に案内すると言う【宗教の信徒】達が天国に案内されるどころか【地獄とか亡者道に案内】されていることを知ると、今日迄の宗教は根本的に教えを間違っていたのではないかという疑念が生じました。

        無論、宗教が説く教えを信じて【天国界】に入られた方達もあります。ただ、それはその人が【この世で何かを学んで実践したかの結果。】に過ぎないなのです。キリスト教徒であれ、イスラム教徒であれ、仏教徒であれ、信仰した宗派によるのではなく、この世で自分が実践した中味なのです。

         

        無信仰者と無神論者は別

        世には宗教の教えは信じないが、神の存在を信じる人はある

         

        宗教上の神は信じないが、自然を見て創造神の息吹を感じる 

         

        さて、【神の存在を信じなくてもよい。神から信じて貰える人に成りなさい】と説かれた宗教人は何を語られたかです。 

         

        みろくの世とは【御一新】された世のことです

         

        今の世のシステムのままに立替がなされるではありません。まったく新しい世界の構築です。その時に誰が必要かです。信仰上の神霊を、神様、神様と拝んでいる人達のことではないのです。

         

        創造神から見て、この者は新しい世に絶対に必要な人材

         

        すなわち【誠】の者を登用するで、神信仰云々ではない

         

        大本教神諭に世の立替時(最後の審判時)には、魂を上・中・下の三段に分けて、下の世界から上の世界に行く者。上の世界から下の世界に行く者など大混雑するから神も人民のことをかまってはおられないというような内容があったかと思います。この三段とは五次元、六次元、七次元の【五六七】のことであり、七次元界の神霊であってもその神の座を剥奪して、五次元界に落とされるなどの大改革になるのです。宇宙規模の事柄です。

        そこに大本教神諭は、そんなことならばどうして早くから教えてくれなかったのかの苦情を聞きたくないから早くから宣伝するとあります。世の立替、世の立替と宣伝ばかりで、何時まで経っても「立替」が実施されないではないかの批判はありますが、後で【苦情】を言うなよの為に宣伝ばかりがあるなのです。

         

        悪人の改心ほど、素晴らしきものは無い

         

        と言いますが、実行力と言う面からすると単なる善人は弱い。悪をすることを恐れて何もしない。行動しない。逆に神すら恐れぬ悪党ほど実行力があると言えます。日月神示には、【悪も抱きまいらせそうろう。】とありますが、日月神示等を読んでいても創造神は何故に悪を許し来られたか?。さっぱり意味が理解出来ないでしょう。

         

        そこには創造神は悪も許し、改心を迫る

         

        使える人材は、それなりに悪に染まっている

         

        もし、貴方がみろく世の【大帝】であるとしたならば、自分に神様。神様。と言って来る人達に絶対的信頼を置きますか?。なのです。

        私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたが本当は何者か神々にも解らないようにしておく。無論、そなたも自分が誰であるかを知らない。そうであっても、そなたが誰でであるかが解らない様な神は、この神からすると使い物にはならない神である。もし、そなたの本当の身分を明かせば、新しい世に自分の立身出世をしたい者がそなたの周囲に集まる。自分の栄達を願うからである。そなたはあまりにもお人好しで、そうした者達の魂胆がまるで解らない。自分が利用されてしまうだけで終わる。そなたが誰か解らない時、社会の底辺に居る時にこそ、そなたの周囲に集まる者でなければならない。】と告げられたのです。

        私は自分のことをぼろくそに言う人に対して何の腹も立ちません。私を見て私の背後には国常立尊様が居られるという霊能者の方もあれば、自分より遙かに劣った魂だと言われる方達があってもいいなのです。自分の意見を押し通したいのであれば押し通されたらいいと言っています。同じ物を見ても、私が受け取る事柄とその人が受け取る事柄は違うからです。

         

        神霊世界とは【一を聞いて十を知る】者で無いと、ある意味理解が出来ないのです。神霊はあれやこれやと詳細は語られないのです。そこに【一を聞いて十を知れ】があるのです。ところが、大本教神諭に【十を教えても一も解らない者】とあるように、現実にはそちらが圧倒的に多いのです。一を聞いて十を知る者と、十を聞いて一が解っても、そこには百倍からの違いが生じるのです。

        自分に対して【おべっかい】ばかりを言うような者を気に入って置いてはいけないということです。そんな人達ばかりを自分の周囲に置くような【大帝】であれば、そんな世界は簡単に没落するでしょう。自分は偉い者だと、【ふんぞり返っている者ほど醜い者は居ない。】からです。

         

         

        今の世に出ている神々でも、自分の【代理人として欲しい人材】というものがあります。私は昭和五十五年に自分の身に起きた摩訶不思議な出来事から、神霊界に修業にはいりました。最初の師匠は豊受姫のお代で、当時の日本の霊能者の中ではトップ10に入ると言われていた実践派の行者でした。

        その師匠が私に豊受姫の言葉として、次のように言って来られたのです。【神界では、貴方を自分のお代として欲しいと言われる神様達の続出だそうです。あちらの神様。こちらの神様と出て来られたならば、神様達によって言う内容がまったく違い。貴方は誰の言葉を信じたらいいのか解らなくなります。それでは貴方の為にはなりません。そこで豊受姫は、自分が許可を出さない間はどの神様も貴方とは会話してはいけないと、神界に命令を発せられました。】と言われます。

        私が神霊世界の修業のお世話になった豊受姫でも、神様と呼ばれている存在ですら、【言う内容がまったく違う】と語って来られたのです。自称救世主とか創造神と称される霊能者を100人集めても、100人が100人とも自分だけが本物で有り、他の者は蛇霊や狐霊に騙されている罵る世界なのです。まったく【真実】が見えて来ないがあります。

         

        確かに、その当時の私は神々の姿は見ていても、どの神からも私に対する【会話】はありませんでした。特に【大黒天】はいろいろな神姿で私の前に出てこられるのですが、私に対しての何の会話もありませんでした。いったい何の為に自分の前に出て来られるのか?。意味が解りませんでしたが、後に出雲大社教の支部長を通じて私が出雲大社教に転じるならば、出雲の全神力を私に与えるとのことでした。

        私は国常立尊様に仕える者であり、伊勢神宮の神とか出雲の大国主様に仕える立場にはなり得ませんが、出雲大社に行ってみると偉そうにした神官を見て、まるでなっとらんと帰って来ました。そんな威張り腐ったような神官を自分の側においている神霊の気が知れぬです。

        そこに本当の神が働いているのであれば、神社に仕える【神官】の態度を戒めるのがそこに鎮座する神霊の役目です。それが出来ていなければ神霊とは言えぬだろうが私の持論です。最近神社本庁の腐ったスキャンダルが次々と世に出て来ていますが、神に仕える者が身を正していなければ、本当の神霊ならばそこに鎮座など出来ないのです。

         

        私は何の神力も要らない。神界の素浪人でよい 

         

        地位も名誉も要らない。【真理】を求めるのみ

         

        その後、豊受姫のお代であった師匠は私に言います。【貴方ほど「素直」な人は私は見たことがありません。だが、貴方は誰よりも「素直」であっても、神様の言葉だからと言って「素直」にその言葉を受け取られない。従われない。必ずその理由は何ですかと問い詰められる。それでは神様達は貴方の側に行きたくても行けない。】と言われます。

        それに対する私の返答は、【素直の意味は何でもハイハイではありません。それならばそれで結構。私の質問に答えられない様な神など私には必要が無い。】で、一刀両断で終わりました。

        その師匠自身、【貴方に教えが出来る神様はこの世には居ない。】とまで言っていたのに、諸々の神達に対して私が【それはおかしい。神たる貴方が間違っている。】と突っ込んで行くのですから、人助けに生きる行者の習いからすると、それでは貴方の為に働いてくれる御神霊が誰も居ない。それでは多くの大衆が私の元に集まらないと危惧されたのでしょう。

         

        私は宗教家に成る為にこの世に降ろされた者ではない

         

        私の別HPは【新・ノアの箱船】としてあるように、この地球から新しい地球に行く船の到着を待っているなのです。この地球からは【さようならば】と去って行くなのです。後は野となれ。山となれなのです。

         

        創造神が欲しい新しい【みろく世】の為に必要な人は

        自分の立身出世の欲の為に創造神に仕えるではなく

         

        何が正しいのか?。世の為に、人の為にと働ける人

         

        ですから、そうした【誠】の人ならば、神を信じる信じないに関係なく、そうした人達を新しい【みろく世】の幹部に抜擢される。そこに【神の存在を信じなくてもいい。神から信じて貰える人になりなさい】の教えも生まれ出るとなります。

         

         

         

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        霊学19 人は死後に誰でも行ける四次元界スピではなく。神や天人と成る道を目指す!

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          私は昭和五十五年。私の身に起きた摩訶不思議な出来事から最初の師匠の元に行ったところ、【貴方には能勢の妙見さま(北極星の神格化で天之御中主とされている)の御使者神が二体就いておられる。普通ではあり得ない。いったい貴方の家系と能勢の妙見様とは如何なる関わりがあるのでしょうか。一度家系を調べて下さい。】と告げられたのですが、家系を調べてもよく解りません。私の家系は祖父が養子で、祖母は嫁として来た人ですから、血筋としては絶えていた家です。

          ただ、私の前に坊主姿の方が幾度か立たれて、それは祖父が養子に入った家の御先祖霊であることは何となく解っていました。しかし、その御先祖霊が能勢の妙見様と如何なる関わりがあるのかは親戚に聞いても判明しませんでした。解ったのは本家の元屋敷には稲荷神を祀った祠があったぐらいのことで、祖父は別に神信仰などしていなかったぐらいです。

          それをその師匠に報告すると、この神社では解らない。伏見稲荷山で首座神である豊受様に直接お尋ねをするのでそれに同行しなさいで、翌年の正月に伏見稲荷大社講に所属する講員さん達と一緒に初めて伏見稲荷山に上がった次第です。

          私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声から教えを聞いていましたが、両親も別に特に信仰心が篤いではありませんでした。葬式や法事の時だけお寺に行く程度です。

           

          後日、出雲大社教の霊能者から、【貴方の家系の五代前の御先祖霊は、出雲大社の神に匹敵するだけの力があると告げられて、どうして五代前の御先祖霊が出雲大社の神に匹敵するのかと首を傾げていましたが、私の家の仏壇に【南無妙法蓮華経】の金文字と【日蓮、日蓮】と金文字が点滅して出て、何事かと最初の師匠の元を訪ねましたところ、私の家系の五代前の御先祖霊は日蓮聖人の【御分霊】で、私の前にどうして日蓮聖人がそのお弟子達と立たれるのか?。その理由が解ったしだいです。時には私の前に日蓮聖人が立たれ、時には家系の五代前の御先祖霊が入れ替わって立たれるだったのです。

          霊能力がある方が、貴方の背後にはお坊さんがおられる。日蓮聖人の様に思えるが、日蓮聖人ではない。だが、日蓮聖人と何となく似通っていると指摘を受けて来ましたが、日蓮聖人の御分霊だったからです。出雲大社教の霊能者が出雲大社の神に匹敵すると言ったのも、その五代前先祖霊の本体霊が日蓮聖人だったからと言えます。

          私の家の神棚に【閻魔大王】と【日蓮聖人】が並んで出て来られた時、日蓮聖人の【南無妙法蓮華経】のバックには【国常立尊(閻魔大王)】様が居られると解ったしだいなのです。妙見様とは、その日蓮聖人が深く関わっておられた。

          西洋においての【旧約聖書の神】。仏教において【南無妙法蓮華経】。大本教において【艮金神・国常立尊】。これらの仕組は【一柱の神によるもの】なのです。そして、【閻魔大王】もまた然りなのです。自分が信じる神の名や宗教で争うは違うということです。

           

           

          私が初めて伏見稲荷山に上がった時、伏見稲荷山がこれほど大規模なものであるとは知りませんでした。伏見稲荷山では豊受姫として祀られている御塚はそれほど多くなく、下社の白菊姫として祀られている御塚に集中しているがあります。

          その師匠は伏見稲荷山の御膳谷に豊受・豊川と銘記した御塚を奉納しており、その御塚に参って私のことを御本社の豊受姫様から直に聞くでした。神社に鎮座されている豊受姫は御分霊で、本体神たる豊受姫ではないからです。私はそうしたことを見たのは初めてであったので要領が解らず。伏見稲荷講の支部講員さん達の後ろでその様を見ていました。

          その師匠は霊能者と言っても【霊媒者】で、神霊を直接に自分の肉体に降ろして講員さんが祀る神霊とを直接に会話させることが出来るタイプです。その師匠の元には数名の霊媒が出来る優秀な講員さんも居て、私はそうした霊媒者を通して霊的世界を学ぶことが出来ました。単に霊が見えるとか霊と会話が出来ると言う方は珍しくはないのですが、こうした神降ろしが出来る霊媒者は数が少なく、しかも優秀な霊媒者ともなると霊能者の間でも争奪戦が起きるほど、非常に数が少ないのです。

          優秀な霊媒者を見ていると、大本教で説かれた【人は霊(ヒ)止(ト)】という意味がよく解ります。人は霊魂に支配されているのです。ですから、死後は肉体から離れて霊界にと旅立つなのです。肉体の死とは、命の終わりではないのです。

           

          命とは【息(い)の霊(ち)】の意味の言葉であり

           

          自分の心(息)がある限り、霊は死なないなのです

           

          その初めての伏見稲荷山で、豊受姫から【この者は言葉の神と呼ばれる貴き御方で、神々に教えをするほどの存在。この者の言葉による教えは天帝の【詔】と同じであり、その教えが聞けぬと言う神は如何なる神であろうとも天帝に反逆した神と見做されて罰せられる。】と告げられのです。それが私が【言葉】とは何かを学ぶ切っ掛けとはなったのです。

          私は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】を紐解いて説明して来ていますが、これは【真理】であり【ロゴス】なのです。天帝の詔(みことのり)なのです。これに従えないとなると、如何なる神も天帝に対する反逆罪と見做されるなのです。

           

          そこでの一連の行事が終わった後、その師匠は私に【自分のところの講員の信仰はどうでしょうか?】と尋ねて来られたので、私は【どの講員さんも信仰熱心なのは良いのですが、その信仰は神様から何かをして貰おう信仰です。現世御利益を求める信仰です。そうではなくて、自分は神様に何をして差し上げるか。神の世界に尽くす信仰であらねばなりません。そうすれば神とも成れます。と言ったのです。

          その時、私自身、自分で自分は何を言っているのだなのですが、自分の意志とはかけ離れた言葉がボンボン出て来るだったのです。

          すると、その最初の師匠は驚いて、【人は神に成れるのですか?。】と聞き返されたので、私は【人は神にも成れます。ただ、自分が信仰している神を超える神に成ることは出来ません。】と言ったところ、その師匠は【さすが神その方が言われる言葉はまるで違う。】と感心して、来ていた講員さん達に対して、私のことを【○○さんは人の姿をしておられますが、神が人の姿を纏って出て来られた方であり、私達の様な人間ではなく、神その方です。決して粗相が無いようにして下さい。】と言われます。

          私は自分が【神その方とは何だ?。】と聞き返そうと思いましたが、何れ解ることだと聞きませんでした。その日を境として、私は講の新参者でありながら支部の講員さん達から【先生。先生。】と呼ばれてしまうことになりました。私自身、何も解らない者に先生は無いだろうと思いましたが、その頃は自分で意図していないのに言葉が勝手に出て来るがあったのです。その師匠から、これはどうでしょうかと聞かれると、それは無理ですとか、自分の意志で無い言葉が勝手に飛び出すだったのです。

           

          伏見稲荷山とは【奇跡】的なことはゴロゴロしているのですが、稲荷信仰には【霊学】と呼ばれるものが存在していません。ある意味、頭打ちのところがあるのです。いくら御神霊を見ていても、結局自分が信仰する神霊に【隷属】してしまうです。

          そこで私は自分が生まれ育った綾部から発祥した【大本教霊学】を独学で学びに入りました。教科書は大本教の神諭と霊界物語です。その大本教神諭に、【人には神とも成れる魂が授けてあるにも関わらず。】と書かれており、私が伏見稲荷山でどうしてあんなことを言ったのか解らないままに、同じように【人は神に成れます。】と書いてあるのです。しかしながら、大本教神諭や霊界物語をいくら読んでも、詳細が書かれてはいないなのです。

          私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、この国(日本)は私の教えで満ちあふれた世界で唯一つの国である。この私の教えを学ぶのに、世界の宗教書を必要としない。】でした。聖書でも仏典でも無いと言われたのです。

           

          そうした中で私は【言霊】とは何かを知った時、

          私がそれまで持っていた宗教観とか神観などは全て吹っ飛んだと言えます。

           

          スピリチュアル標榜者の方の中には【四次元界スピリチュアル】と言われる方達があります。確かに、スピリチュアルとは四次元世界に関わっているなのです。スピリチュアルで関わる世界とは霊界では【中有界】と呼ばれる世界で大多数の霊が居る世界です。しかし、中有界とは【輪廻転生の巣窟】であり、その世界では【人は神には成れない。】なのです。蛇霊神や狐霊神の後塵は拝するなのです。

          霊能者として活動している方達が祀っている御神霊が狐霊神や蛇霊神であることは、この世界では優秀な霊能者ならば知っていることです。霊能者が蛇霊や狐霊に使われているです。そうした場合、そうした神霊をいくら拝んでいても、助けて貰ったり現世御利益を受けることは出来ますが、死後に行く界はその存在より下位の次元界となってしまうのです。

          私は初めて伏見稲荷山に上がって見聞をしている中で、蛇霊や狐霊は神とも成っているのに、【どうして人は神と成っていないのか?。これはどういうことか、人の魂は死後にどこに行ったのか?。と頭を悩ましていたのです。

           

          蛇霊や狐霊でも神と成るが、それよりも下の界となる

           

          私は初めて行った伏見稲荷山で、豊受姫のお代を勤めていたその師匠の元に居た霊媒者に豊川稲荷の大眷属霊が懸かり、講員さん達に向かって、【下郎。人間の分際で頭が高い。】と一喝して来た時には思わず吹き出してしまいましたが、下郎呼ばわりです。確かに次元的に言えばその通りなのです。白狐とはそもそもが次元的には神的な存在であり、人間などは下郎に等しいのです。

          いくら自分は人の身だ!。蛇霊や狐霊の様な畜生や爬虫類の部類では無いと言っていても、死後の霊界に入れば四次元世界で、既に神位を得ている白狐霊。それも大明神格とされるような白狐霊ならば五次元界以上にありますから、それこそ【下郎。人間の分際で頭が高い。】となります。

          人は神や天人に成る為にこの世に修学に来ているのに、それをすっかり忘れて【刹那(今が良ければそれで良い)心】で生きているからです。

           

          今、人は死後に【天国界】に入る人は極端に減っています

           

          少し前に私に降りた霊示では、今の世に【誠の者は万人に一人。綾部でも数名ぞ。】と出ましたが、この【誠の者】とは天国天人の世界でも五次元界ではなく、みろく世の【指導者】と成る六次元界とか七次元界に達した人の数と思われます。万人に一人、そんなところかも知れません。

          人類は新地球に移ると説く新地球論者の間では、以前は新地球に移行出来る人の割合は世界で1%程度と言われていましたが、最近では5%程度には膨れ上がっているとされています。世は既に立替の祓いたる【大嵐】の中に入って来ているのですが、それによって【自分の意識が変わって】、新しいみろく世に入れる人の数は更に増えて行くとは考えられます。人は災難に遭わないと、なかなかその意識を変えられないからです。

           

          みろく世とは、スピでも五次元界以上と説くように

           

          四次元スピリチュアルで知るとか学ぶ世界では無い

           

          人は死ねば誰でも【四次元世界】には入ります。その四次元世界が【中有界】と呼ばれている世界になります。無論、四次元界には【中有界】だけでなく、【地獄界】と呼ばれる世界もありましたが、立替の関係上【地獄の釜の蓋】は開けられたのです。地獄に墜ちていた霊が【現世に関わり】始めたなのです。

          大本教神諭に、【一度この世は悪神の支配下に置く】とありますが、天変地異とか大地震とか噴火や台風の様な大災害だけでなく、【地獄の釜の蓋】が開いたことにより、これまで地獄界に閉じ込められていた悪霊が人に憑依して、犯罪を起こして来る。その災難に遭う側面が強くなって来ているのです。

           

          最近、世に起きている現象を見ると、おかしな事件が多発して来ています。それらの加害者を見ると何かおかしい。何かに憑依されている節が見えます。もう既存の神に頼っても、そうした災いから免れるではありません。ただ、人には一人一人に【守護神】が就いています。その自己の【守護神】の力を強めるしかないのかも知れません。

          自分が生まれ出て来た家系の御先祖霊が【供養】もされておらず、地獄界に墜ちているとしたならば、いったい貴方を誰が本当に守護してくれるのですか?。そうした問題すら起きるのです。自分を産んでくれた肉体の親が供養もされずに墜ちているのに、自分には霊が見えます。神が見えます。順序が違っていないかです。まず、自分の家系の御先祖霊達をキチンと上げてあげる。それから自分が上がって行くなのです。

           

          そうした時期に【四次元スピリチュアル】に走っていて、自分の身を守れるかとなります。

           

          みろくの世とは【高次元霊界】であり、【天国天人】や【神】の世界であり、人は何の為にこの世に生まれ出て来たのかを理解するのであれば、誰でも死後には入る【中有界】のことを学んでいたのでは意味がないのです。これから来るのは【最後の審判】であり、【輪廻転生】の終了であることの理解が必要なのです。そして各所で宣伝された【嬉し嬉しの世】に入るなのです。

           

           

           

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          霊学18 日本神話の天の岩戸開けと、旧約聖書の【割礼】との間に連動する共通項

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            私が子供の頃、私に霊声が臨み。私はその声の主にどなた様ですかと尋ねたところ、その霊声は【私はアブラハムの神であり、旧約聖書の神であり、そなたの神である。】と告げられたのですが、なんでそんな神の声がユダヤ教徒でもキリスト教徒でも無い私に臨むのか?。自分でも意味が解らずにその霊声が私に教えることを聞いていました。

            ただ、その当時私が住んでいた場所は周囲が大本教の神職さん達が多く住まわれている場所で、遊んでいる友達も大本教の神職さんの子供さん達。私の遊び場も大本教の神苑の中だったりしたのです。大本教のみろく殿の中を走り回り、罰として神殿の掃除を手伝って褒美に食堂でご飯をご馳走になったりで、艮金神国常立尊様のお膝元で遊んでいたとは言えます。ただ、子供の頃は大本教の神が如何なる神なのか?。そんなことすら何も知らなかったと言えます。

             

            だが、その霊声も中学生頃になると聞こえなくなり。私も神のことなどすっかり忘れて大人になったしだいです。だが昭和【五十五年】に私の身に起きた摩訶不思議な出来事に遭遇して、神霊世界に入る時が来たと覚悟を決めて、霊世界に関わったしだいです。

            私にとっては疑うべきは、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する霊声は本当にそうなのかがありました。そこで多くの霊能者を頼って自分を【霊査】して貰って来たなのです。私が最初に行った出雲大社系の霊能者は、【貴方は救世主ですか?。】と聞いて来られます。私が違いますと言うと、そんなはずがないとまで言われます。私の背後には霊能者と呼ぶ人とは桁違いの大霊団が存在している。これほどの大霊団が背後に控えているのは救世主でないかとしか考えられない。などと言われます。

            私の最初の師匠で豊受姫のお代であった方からは、豊受姫から【貴方は言葉の神と呼ばれる貴い御方で、神達に対して教えをなされる方です。貴方の言葉の教えは天帝の「詔」に等しく、貴方の言葉の教えを聞けない神は如何なる神であろうとも、天帝に反逆した者として罰せられる。】と告げられて、言葉の神とはいったい何者だろうとなったわけです。その時に豊受姫からは、貴方の本守護神は【国常立尊】様ですよと告げられたしだいです。

            だが、ある霊能者から貴方は高次元界からの教えをなされる方ですが、この地球は低次元界で蛇霊や狐霊と呼ばれる段階の神達が支配している。貴方にはそうした低次元の蛇霊や狐霊と会話する能力が無いので、貴方の目となり足となれる存在が出て来ないと、貴方は何も働けません。この土地の草むしりをするぐらいしか仕事がありませんよと指摘されたしだいです。確かに、高次元界からの教えをいくら説いても虚しいだけとは言えます。

             

            その後、多くの霊能者に出会って直接に見て貰ったところ、大多数の霊能者からは何の指摘も受けませんでした。貴方には神など誰も憑いて居ないです。スピリチュアル標榜者だと、貴方の背後にはそもそも神など居ないが大多数でしょう。

            が、7〜8名の霊能者の方から、豊受姫と同様に貴方の本守護神は【国常立尊】様ですと指摘されたなのです。私が子供の頃に聞いていた霊声は【旧約聖書の神】と名乗っている霊声でしたが、豊受姫を初めとして7〜8名の霊能者の方は、貴方の背後の神は【国常立尊】との指摘でした。すると、私が子供の頃に臨んでいた【旧約聖書の神】と【国常立尊】は同一神かとなります。

            私が子供の時に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたの背後にこの私が居ることが見抜けぬ様な神は使い者にはならぬ神達である。】と告げられていましたので、別に何を言われてもどうぞとうぞなのです。

             

            私が子供の頃には旧約聖書の神と称する声が臨んでいたのですが、その声は私に【旧約聖書は我が書であるなれども、そのままに読むと意味を間違える。暗号書のようなものであり、その暗号の解読には「鍵」が必要である。それは邪神達を引き寄せる為の罠である。】と告げられました。

            旧約聖書は【暗号書】ではあると説いている方達は世に少しはありますが、その解読に何らかの【鍵】が必要とあれば、鍵を持たずに解読に時間を費やしても意味が無いことになります。私は旧約聖書を読んだ時、これはおかしいぞと思うことがありました。

            私が不審に思ったのは、【割礼】をしていない者は【奴隷】にするです。明らかに創造神の言葉としてはあるまじき内容があります。もし、それが私が子供の時に臨んだ旧約聖書の神と称する声がそうした神であるならば、私はその神と戦います。それは著しく【正義】に反しているからです。私は神は【正義】であらねばならないが信条だからです。【割礼】など神の世界からすると何の意味も無い行為と言えます。

             

            何故、不必要な【割礼】が説かれているのか?

             

            その旧約聖書の神と称する声は、【日本神話の天の岩戸開けなどの部分は事実として、どこにも存在していない。全てはこの私が「この世の終わりの審判の時の為」の仕組として、人間を使って神話を創作させたものである。そなたは、何故に私がそうした神話の仕組をしたのか。天の岩戸開けの本当の意味を学びから知りなさい。】と告げられました。

             

            日本神話の【天の岩戸開け】は日本独自の話であり

             

            どうして、旧約聖書の神が【天の岩戸開け】を言うのか?

             

            そして昭和五十五年に私の身に起きた出来事から、覚悟を決めて神霊世界の修業に入ったなのです。私の神霊界修業で世話をして下さった豊受姫も、私に【日本神話の天の岩戸開けなどの事実はどこにも存在していない。】と告げられたなのです。

            しかしながら、霊世界の修業をしていると日本神話の天の岩戸明けと呼ばれる事柄は実際に遭ったと思っているような低次元界の神霊だらけなのです。やがて、その意味は解って来ました。日本の神社に端座している霊の多くは比較的若い霊達で、そうした神話を頭から信じているなのです。

             

            私は子供でしたが、小学校に入学した時に祖母が祝いに買ってくれた七巻ほどの学研の百科事典を全て読んでいましたので博学的な知識を保有していました。旧約聖書の神と称する声から、そうしたことが告げられても、既に小学生の頃には日本書紀とか古事記や日本神話や世界の宗教者などの知識を持っていたなのです。

            私はそれより前の幼い頃から、自分は【天から特別の密命】を携えて、この地球と言う星に降ろされた者という不思議な感覚を持っていたので、自分に旧約聖書の神と称する声が臨んだことすら、別に驚きとも不思議とも思っていなかったと言えます。だが、私も自分が携えている【密命】が何かまでは解らないなのです。

            一部の邪霊神は私の元に押しかけて来て、私に【神宝】を差し出せと言って来ます。どうも私は何かを持っているようなのですが、肉体の私には解らないがあります。そうした邪霊神ではなく、一部の霊能者やサイキッカーの方達も、私が死ぬとこの地球の三次元世界は終わると言われます。そしてみろくの世と呼ばれる高次元界に入るです。その時の【鍵】を貴方が持っておられると言われます。

            今の私に解っていることは私が住む土地ではありませんが、大本教の出口王仁三郎聖師がその直弟子に隣接する土地の一部に【みろく神業に使われるお宝が眠っている。】と告げられた土地があります。どのようなお宝かは解りませんが、みろく世で人々が困らない為のお宝が無いと、いくらみろく世みろく世と宣伝しても無意味なのかも知れません。

             

            私は旧約聖書の神と称する声から、そなたは日本神話の【天の岩戸開け】とは何を意味しているのかを知りなさいと告げられたこともあり、天の岩戸開けの意味を探って来ました。 この天の岩戸の開けに関しては、既に岡本天明師のヒフミ(123)神示において、一(イ)八(ハ)十(ト)として、【一八十】の意味が出されています。それ自体は大本教霊界物語の中で正神界【一八十】段。邪神界【一八十】段と説かれいます。天の岩戸を開けるとは宇宙規模のことで、全宇宙の霊は如何なる霊もその【一八十】段のどこかに段に入るなのです。しかも、その段は【永遠】段となるのです。

             

            私はある霊的映像を見ていて、これはどういう意味かと頭を悩ましておりました。まったく意味が解らない映像だったからです。多くの裸の女子達が居て、その女子の【陰処】の場所に男性の性器たるシンボルがある光景です。

            日本神話における天の岩戸開けは、姉君の天照大御神が弟君である素戔嗚尊の乱暴狼藉に耐えかねて岩戸の中に隠れてしまわれたことで太陽が消えて真っ暗闇となった。そこで元祖ストリッパーとされる天宇受売命が女性の陰部を露わにして踊って周囲の男神達を笑わせた。その笑い声で何事かと天照大御神が岩戸を少し開けたところ、天力男命がその岩戸を一気に開いて、天照大御神を岩戸から引き出したので太陽が輝いたというのが骨子です。

            しかし、この内容は明らかに【子供騙し】の神話と言えます。

             

            何故、このような話を国常立尊は創作されたのか?

             

            私が住む場所は大本教の出口王仁三郎聖師が大本教の金龍海は「型」であり。本当の金龍海があった場所とされる一角です。

            綾部に残る伝説では、そこには【底なし沼】とされる場所があったとされます。その池に注ぐ田野川には由良川に流れ込む水路が無かったからのようです。それを九鬼神道家の綾部藩の最後の藩主で廃藩置県で東京に移り住んだ九鬼氏が、自分の資材を出して由良川までの水路をつけられたことにより、その沼は干し上がり。今ではその土地には幾多の住宅も建っていて、その地がかっては沼であったことなど解りません。

            私が地元の古老から聞いた話に、未だその沼の跡地に家々が建ち並ぶ前、大本教の出口王仁三郎聖師は自分が着ている着物の裾を持ち上げて、男性のシンボルをこれ見よがしに出して、その底なし沼(金龍海)の周囲を歩き回っていたと言われます。私は出口王仁三郎聖師が何でそんな【演技】をなされたのかと考えた時、そういう意味かと解ったしだいです。

             

            私が魂の【心棒】の存在に辿り着いたのは、蛇霊が巻き付く霊的な【棒】からです。この【棒】は何だろうと頭を悩まし続けたなのです。この棒は大本教神諭予告【九つ花】の真ん中で【真ラ】なのです。仏教から出た俗語で男性の陰茎(シンボル)のことを【マラ(魔羅)】と言います。男性の間では俺の摩羅を見せてやろうかと等と言いますが、辞書にも男性の陰茎と書いてあります。正式な仏教用語の【魔羅】とは、【人の心を惑わし、修行の妨げとなる】魔神のことですが、【性欲】を意味しているとされます。この【マラ】大本教で出した【ス】神論では絶対に解らない仕組なのです。

             

            性器とは【生まれながらの心の器】

             

            割礼とは、霊を割って真ん中の【棒】を見る

             

             

            私は天の岩戸の中の光と呼ばれる光を見た時、愕然としました。その光とは、スピチリュアルで盛んに説く【光の柱】を建てましょう等と言っているような光の存在ではありません。この光に耐えられる人間が世に居たのだろうか?。かってそうした人が居たとすれば【お釈迦様】だけのはず。お釈迦様の悟りは【慈悲】ではない。慈悲ではイエスの愛とどっこいどっこいの教えです。お釈迦様は何を悟られたのか?。そこにお釈迦様とイエスの根本的な教えの差があり、そこに【真理】は隠されている。それは何だろうとの追及に入ったのです。

             

            私が言霊の学会の講演で講師として話を終えた後、二人の女性霊能者の方が近寄って来て、私に抱きついて良いですかと尋ねて、私に抱きついておいおいと泣かれます。どうしてと尋ねますと、貴方の胸の中にトンネルのような洞窟が見えて、その洞窟の中に真性【天照大御神】が鎮座されている。こんなところに本当の天照大御神様は居られたのだと泣かれるのです。

            その時は、私も意味が解らずに面食らっていたと言えます。しかし、真性天照大御神(ラ神)とは人の魂の真ん中の【核】として存在すると解って来たなのです。天の岩戸を開けるとは、外部からではなくて、その人の魂の中から光を放つなのです。

            これが大本教神典にある。【天の岩戸が開いたならば、光輝く人が現れる】なのです。だが、その魂の表面に汚れがあれば、その光は魂の汚れを焼きます。そうなると、あまりの苦痛に自分を殺してくれとのたうち回ることになるなのです。

             

            その光が【ラ神(真性天照大御神)】の光

             

            大本教の出口王仁三郎聖師は、天の岩戸開けにおける【天宇受売命】の逆バージョンを演じられたなのです。

            女の又で【奴】と呼び、力の字を入れて【努】

             

            魂の核たる光は、自己の努力無しでは輝かない

             

            神の名を呼べば神が来ると思っている段階は、まったく進歩が無いと言わざる得ないのです。

             

            大本教の出口王仁三郎聖師は大予言者として知られておりますが、その予言の中で最大のものとされておりながら意味が解らないのが【女子の身魂を立直し 根本改造せなくては 誠の道はいつまでも 開く由しなしさればとて それに優りし候補者を 物色しても見あたらぬ 時節を待ってゐたならば いづれ現はれ来たるだろ みのか尾張の国の中 変性女子が分かりたら モウ大本は駄目だらう】があります。

             

            【女子の身魂を立直し 根本改造せなくては】

            ここが最も重要な隠し秘められた意味だったのです

             

            どうして男子には【根本改造】が書かれておらず、女子だけの【根本改造】になっていたのかです?。

             

            私は霊界に現れる各種の映像を見ていて、これはどういうことを意味しているのかを考えます。時にはその意味が解るまでには数年かかることもあります。そうした映像を霊能者に尋ねても、紐解かれる方はまずおられません。一番長かったのものは意味を知るのに十数年かかっています。

            それは子供の頃、旧約聖書の神が私に告げられたこの神の教えは【暗号】化されているなのだろうと思われます。

             

            私は子供の時に旧約聖書の神と称する声から日本神話の神話の部分は、この私が【創作】させたと聞かされているので、まったく違う解釈をしています。大本教からは国常立尊の【三千年に渡る仕組】と出されましたが、古事記は和銅5年(西暦712年)。日本書紀は養老4年(西暦720年)に編纂されたもので、どちらも8世紀という時代に天皇家の為に創られた内容でしかなく、別に事実が書かれているではないのです。

            ですから、日本の神社に鎮座している神霊は比較的若い霊ばかりで、昔のことを聞いても何も解らない。神話頼りのことしか言わないなのです。

             

            旧約聖書の神の言葉である【割礼】をしていない者は【奴隷】にされるの本当の意味は、人類はこれから先、永遠の別れの道に入ります。その時、新地球である永遠のみろくの世に行く者と、この地球と言う大地に永遠に縛られて【隷属】する者達とに別れて行くなのです。そこに自分の魂の「心棒」である【良心神】を立てている者と、そうでない者とが別れて行くなのです。

             

            日本神話の【天の岩戸開け】と旧約聖書の【割礼】

             

            国常立尊と旧約聖書の神が同一神ならば、そこにはとんでもない仕組をされた神があるなのです。

             

             

             

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            霊学17 仏教が説く。この世に起きる出来事に偶然はなく、全て必然の【カルマ・縁起】の結果

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              仏教では、この世に起きる出来事に偶然などはなく、全て必然に基づいていると説かれます。これを一般的に【縁起】と言っています。

              よく私達は【縁起】が良い等と言いますが、その【縁起】の意味を理解しているかとなった時、あまり理解していないと言えます。

               

              日本の辞書である広辞苑の【縁起】とは、 綿〕一切の事物は、さまざまな原因(因)や条件(縁)が寄り集まって成立しているということ。因縁。因果。 はっきりと、縁起は【因縁】【因果】であると書いてあります。何か【縁起】と言うと、【因果】と別物だと思っている人が多いと言うことです。

              縁起はサンスクリット語pratitya-samut padaの意訳で、因縁性起と言うことですが、簡単に言えば【ダルマ(真理・法)】により起きる意味なのです。

              大本教神諭に艮金神・国常立尊は【ダルマ(達磨)大師】として現れたとありますが、この意味を皆さん取り間違えたと思われます。このダルマとは【真理・法】を現したものなのです。小乗仏教の時代においては【人間が犯した業(カルマ)】により様々なことが起きると説かれていたのですが、大乗仏教が起きるに従っておかしな方向にと走って行ったと言えます。

              仏教においてはお釈迦様の死後500年間(千年とする説もあり)は【正法】の時代で、正しい【悟り】が得られるとしましたが、大乗仏教に入った時点でお釈迦様の悟りは消えてしまったなのです。何か訳が解らぬ難しい難しい学問的な方向に走ったなのです。学僧達が【真理・法】をこねくり回してしまったなのです。

               

              私がヤフーにあった【輪廻転生】の板で論陣を張っていた時、魂の【核や心棒】を理解しない方が私に論争をして来られました。その方の前世は仏教の「学僧」で難しい論理ばかりで挑んで来られます。生まれ代わっても生まれ代わっても、何とか悟りを得たいと「学僧」の道を選んで来られたなのです。いくら仏教学を学んでも難しい論理を学んでも、お釈迦様の本当の悟りは【人には良心と呼ばれる神が内在する】であった等、そうした宗教書のどこにも書かれていないのです。たまたま曹洞宗ではその文献を見つけ出して、小冊の機関誌で出されたことによって門徒である私は知ったなのです。

               

              歴史の実証として、お釈迦様の弟子に弥勒菩薩と呼ばれる方は存在していません。仏教が中央アジアに広がっていく過程で【ミスラ教(ミトラとする教えもある)の神】が仏教に取り入れられて弥勒菩薩になったがあります。

              何故に実在していなかった弥勒菩薩が仏教に入り込んで来たのか?。その弥勒菩薩の本来の意味は、お釈迦様の悟りを忘れた人々に、お釈迦様の本当の【悟り】を告げて、人類を【未来の世】に渡す菩薩の意味ですが、大本教の出口王仁三郎聖師は最初の頃は自分が【みろく大神】だと呼称されていました。が、これも自分はニセ者であったと発表されています。

              大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は本当のみろく下生は昭和20年に起きたと告げられたのですが、イギリスのベンジャミン・クレームが宣伝した【世界教師マイトレーヤ】と呼ばれている人物以外には昭和20年生まれでそうした名乗りをしている方はいないようです。

              巷で自分が【みろく】大神ですと名乗る方はありますが、そうした名乗る様な仕組ではなくて、日本語の【言霊】によって紐解き明かす仕組だったと言えます。そうでないと、【五十六億七千万】の意味すら説き明かせないなのです。 

               

              大本教神諭が予告した【九つ花】を紐解くと、その中心となる「41」の場所は、出口王仁三郎聖師の予言である【みのか尾張の国から現れる誠の女子】で紐解く高山と富山に向かう国道【41】号線が出て来るのですが、

               

              【イロハ】であれば、【ミ】であり

              【ヒフミ】であれば、【ス】であり

              アイウエオであれば、【ラ】となる

               

              日本語の【ミ】【ス】【ラ】は、「みろく大神」の働きを意味しているのです。大本教ではその一つ【イロハ】を出し、大本教で機関誌の編集長をしていたこともある「岡本天明」師は、【ヒフミ】を出したわけです。しかし、どちらも【41】では出ていないのです。大本教のイロハでの【ス】は「47」番目。私は【アイウエオ】で紐解いているわけです。

               

              私が子供の時、旧約聖書の神と称する声から拝火教(ゾロアスター教)のことを知りなさいと告げられたのですが、当時は調べようもなかったがあります。ゾロアスター教の【ミスラ(Mithra)】神とは、軍神、雨神、光明神で知られますが、【契約】の神としても崇拝されていました。これが後日、みろく菩薩(マイトレーヤ)として仏教に取り入れられたなのです。

              その神格からすれば、お釈迦様の弟子ではなくて、お釈迦様よりは上の存在を指していることは解るなのです。 私は子供の時に旧約聖書の神と称する声から、【拝火教(ゾロアスター教)】を知りなさいと告げられていなければ、大本教とのつながりを知ることもなかったと言えます。

               

              そこに、誰がこんな仕組を組み立てかの謎がある

               

              私は【言霊】が何かと解った時、私のそれまでの【神観】など全て吹っ飛んだと言っています。世に言霊師と呼ばれる方は若干名は居られますが、それは単に言霊と呼ばれる存在を知っているだけであって、言霊による仕組まで理解しているのではないのです。これは大本教神諭予告、【九つ花】を理解していないと、どうにもならないなのです。と言っても、【九つ花】を見ても、単に数字の【羅列】で意味がよく解らないとなるのです。

               

              大本教神諭予告【九つ花】は神の法であり。真理

               

              ダルマ(真理・法)に、可哀想とか気の毒はない

               

              仏教では、人には【前世】があり、【輪廻転生】を説いています。その過去世における【罪(業)】により人はこの世に生まれて来る。つまり魂の【更生】の為に【後世】に【甦(更生)り】を起こしているのであって、その業(因縁)は曹洞宗の「修証義」には【三時業】において罪の支払いが説かれてはいるのです。

              曹洞宗の【三時業】の説明は、生きている今の世に受ける順現業、次に生まれ代わって受ける順次業、次の次以降に受ける順後業としています。この世に生まれ出ている人は誰しも【過去世】があります。だとすれば、今の世の私達は順現業として【過去世の業(カルマ)】の支払いをしているのです。今の世の業を来世ではなくて、現世でどう消して行くかが大切なのです。また、過去からの徳分を持っていた様な場合は、逆にその【果実】を受け取っているなのです。

               

              人は何故にこの世に生まれて来るのか?。

              過去に自分が積んだ罪の支払いがあるから

               

              この世の【事象】は、過去からの業(罪)の現れ

               

              私はスピリチュアルを批判していますが、スピリチュアルでは【カルマ(業・因縁)】の恐ろしさをまったく理解していないがあるからです。その【カルマ(業・因縁)】は魂の【禊ぎ(身殺ぎ・身削ぎ)】以外に解消法がないのです。自分の業(カルマ)を解消出来なければ幾度でもこの世に生まれ出て来ます。そして、そのカルマが自己の身に降りかかって来るなのです。

              仏教の僧侶でそうしたことを言われる方はありますが、そうすると、おまえは【情】が無い奴だと攻撃されたりするわけです。何でもかんでも神仏の【情】に訴える。すがるです。

              仏教では【五情】が説かれ、陰陽でも【五情】が説かれますが、私がここで言うところの【五情】とは、そうした五情ではなくて大本教から出された魂の【一霊四魂】から来る五情説になります。

               

              下記の図は以前から説明してきたものです。

               

               

              その一霊四魂で説明される【牛・虎・羊・猿】は、死後の世界でその姿に変化するがあります。真実は解りませんがお釈迦様の前世とされる逸話に、水夫であった時、安酒場で喧嘩をして人を殺めて【猿】にされたがあります。それはお釈迦様は【叡智の奇魂】が並外れた存在であったことを意味します。私は【牛】にされたことがあります。それは【和魂】の働きが強かったからです。

              スピリチュアルに走って【愛】ばかりを言っていると、神を【畏れる】の畏怖が起きません。そして最大の問題は【叡智(奇魂)】の欠如が起きることです。いくら神社に参っていても、自己の魂磨きが出来て来ないなのです。魂が変形を起こす原因になりかねないのです。

              その牛虎羊猿だけでなく、十二支で説明される子(鼠)・牛・虎・兎・辰(龍)・巳(蛇)・馬・羊・猿・酉・犬・猪も人の魂が変化するであり、その十二支にはありませんが、狐・狸・猫にも変化するがあります。輪廻転生の【転生】です。全て【日本語が持つ言葉の意味が関わっているのです】。

               

              大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は霊界に【ミカエルと言う天使長は存在しない。省りみる意味だ】と説いておられますが、私はヴェーダ典にある【人の中に眠るコブラ(眼鏡)蛇が走り上がる時、その人は真理に目覚める。】を体験したことから【真理】の探求に入ったしだいですが、ミカエルとは【巳(蛇)帰る】の意味だと言っています。それは悔い改めた蛇霊が悔悟の涙を流すと、天に帰って行くからです。これもまた日本語の仕組なのです。

               

              この世に起きる出来事は霊的世界を見聞して来ますと、加害者が悪で被害者が善などではないのです。そこには【カルマ】の解消があるのです。 私が出会ったある女性は交通事故で相手を死なせて、交通刑務所に一年間入っていたと言います。当時私は2番目の師匠の元で言霊を学んでいたのですが、私はその師匠に何も言っていないのに、おまえは今一人の女性と付き合っている。その女性は【人殺し】をしていると言います。

              私は付き合っていることまで見抜いているのかと驚いて、その女性は交通事故で人を死なせたのですと説明したところ、その言霊師の師匠は【違う】と言います。その女性の魂は前世で自分を強姦して殺した憎むべき相手が生まれ代わって同じ世に出て来ているをたまたま見つけて、交通事故という形でその時の相手に【仇(復讐)】をしたのだと言います。だが、肉体はそれを知らない。魂の世界が起こした復讐劇だと言うのです。

              その師匠は自分は国常立尊の【現身(うつそみ)】だと名乗っていましたが、国常立尊に仕える者がそうした復讐劇を起こした者と付き合うことはまかりならぬというわけです。

               

              過去世の縁が起因となって、今の世で復讐

               

              実はそうしたことは、この世では起きているのです。すなわち偶然では無くて、必然として起きるなのです。そうしたことを理解している筋からは、この世は【魂の刑務所】等の説も出るのです。

               

              その女性は私が発する言葉に【神を見た】と言われた最初の人で、私に【神は言葉】の気づきを与えてくれた人でした。その人の置かれた現状とその罪の重さを計って、最善の道を行けるように私の守護霊団がしてくれました。私はなるほど、こういう解決法もあるのだと感心したしだいです。

               

              偶然の交通事故ではなく、必然性で起きた交通事故

               

              霊的世界を見聞していきますと、この世に起きる出来事に【偶然】などはないのです。全て仏教で説かれる【必然性(縁起と呼ばれるカルマ)】によって生じていることは解ります。

              ただ、今貴方が苦しんでいるのは貴方が過去に犯した業の償いですよと説いて、誰が納得するかです。人は自分が過去に犯したカルマの原因となる業のことなど知りません。

              私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が私に言ったのは、【人には前世がある。しかし人は自分の前世を思い出さない。それはこの神の「恩寵」からである。もし、人は自分が過去に犯した過ちを覚えていたならばその罪の意識により、新しい人生を送れないからである。】と告げられたなのです。

               

              スピリチュアルでは、【神は愛であり、何をしても赦されるのです。】と説く人が一般的ですが、神の愛は罪人である自分が過去に犯した罪を思い出さないことなのです。やり直しの人生において、【過去を引きずるな】と言うことなのです。

               

              スピリチュアルは神の恩寵の意味を間違えている

               

              もし、人がこの世にオギャーと生まれて来るのが魂の初めだとすると、これほど【不公平の世の中】があるのだろうかとなります。人はこの世に生まれ出て来る【スタートライン】が違い。あまりにも不公平だと言わざる得ません。そこに仏教では【前世からの徳分】と言う教えが出て来るのです。良い【因果】です。

               

              この世での自分の境遇に不平不満を言う前に

               

              自分は過去世で罪を犯していたのではないか

               

              だとすれば、不平不満を言う前に、【己を正す】が先に来ないとおかしいのです。他人は良い暮らしをしている。平和に生きていると妬むのではなくて、

               

              自分の悪いところを点検して行くなのです

               

              それによって、必然的に起きるであろう【災い】から逃げられるがあるのです。私は若い頃、【腰痛】に苦しんでいました。で、神仏に頼ってみましたが、よくなりません。しかし腰痛を抱えながら神業を積んでくると自然に腰痛は治っていました。

              人によっては【九死に一生を得る】を体験するがあります。本来はそこで命を落とすような場面で奇跡的に助かるです。この働きは各自の【守護神】と呼ばれる存在がします。私も中学生の頃にその【九死に一生を得る】を体験して、それをしてくれた存在は私の家系の五代前の先祖霊(日蓮聖人の御分霊)でした。

               

              人は時間とか行く方位によって、災難に遭う

               

              その時間を外しておけば、その場所に行かなければ災難に遭わないのに、それに遭遇するように行くなのです。その時間に行く。その方位に行くは偶然ではなく、必然性を伴っているのです。

              スピリチュアルでは常套文句として【人の運命は変えられます】と言います。人はこの世に過去の自分の罪(カルマ)の解消の為に降りたっているのですから、カルマを解消して行けば当然に自己の【未来の運命は変えられます】だが、その自分の運命を変えるとは【個々の人の立場】であって、全人類の意識がそこに向かって行かない以上、この【地球の運命】を変えることは個人レベルでは出来ないなのです。

               

               

               

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              霊学16 この地球から人々の魂を乗せて去って行く【新・ノアの箱船(みく丸)】とは

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                聖書には【ノアの方舟】の話があります。それは事実であったのか、単に創造神が仕組の為に創られた話なのか?。それはどちらでもいいことなのです。何故ならば【ノアの方舟】の話が聖書に残されているのは、そこには【創造神の隠された意図】があり、これから起きる出来事の予告の為とも考えられるからです。

                 

                最後は【火の審判】と言われていますが、過去に【水の審判】と呼ばれるものがあったとされます。その水の審判で地上界の人類はほとんど滅びたと言われています。中国にはその【水の審判】たる洪水で生き残った兄妹(伏羲と女媧)が夫婦となって、中国人の祖となった等の伝説があります。

                そうした【大洪水(水の審判)】の話は中国のみならず、世界各国にそうした大洪水伝説や神話はあり、別に旧約聖書云々ではないのです。そうした世界の神話や伝説においても、神は神の言葉に従う者に船を造らせて逃げさせたとあります。【ノアの方舟】はそうした神話や伝説を聖書に持って来ただけとも言えるからです。

                 

                私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、この地球から人類は新地球(みろくの世)に渡る話を告げられました。この地球から新地球に渡るには【宇宙空間を航行する船】に乗るなのです。この人類を乗せる【船】は世界各地から幾隻も出て、それぞれの船には旧約聖書の神(国常立尊)に仕える神司(かむつかさ)達が乗船し、人々を乗せるです。私は地球からの【最終船】に乗せると告げられています。

                新地球論者の方達はみろくの世には【船】で行くと言われていて、それは宇宙空間を行く船なので、大型の【UFO】の様な存在だと語られる方もあります。つまり【船】と形容していても宇宙空間たる【大海原】を行くので、船でも在来型の船の話はではないのです。ただ、霊的映像としては今日迄の【船】の型が出て来るなのです。

                この地球がモウ持たないと解った時、それらの【船】はこの地球から人々の魂を乗せて新地球に渡って行くなのです。それらの船は全て国常立尊派の神司(天使)達が責任者(船長)として乗り込みます。しかし、その神司(天使)達が誰であるかは、そなたもそれが誰かを知らないと告げられました。全ては、この神のみが知るなのです。

                 

                新地球論者は霊能者間でも少数です

                 

                新地球論者は本当に数が少なく、全体的に言えば【異端者】です。多数決こそが正しいとするのであれば、新地球論者は【敗者側】です。それはノアの方舟の話にしても、誰も耳を貸さなかったのと同様なのです。新地球論者の中では、その新地球に移る人の数は【1%程度】と言われていました。最近入って来る情報では【5%】程度にはなっているとの話もありますが、実際のところはよく解りません。

                私は人類の大峠と呼ばれる【大祓いの大嵐】によって、魂の汚れが洗い流されて行く人達が今後は出て来るので、その数は増えると思いますが、その【大祓いの大嵐】がどのようなものなのか人間には予測不可能であり、予言者でも言い切れないと見ています。

                 

                私は霊的世界の見聞をしていて、少し違った概念を持ちました。一つに日本神道で言われるところの【天津神】と【国津神】の違いからです。天津神系と呼ばれる存在の魂は【宇宙空間を自在】に行けます。天津系の魂の人はどこかの星からこの地球上に来ているからです。

                その時、そうした船でこの地球に来たのではないのです。宇宙の彼方から、この地球を目指して魂が降下したなのです。それはスピリチュアル標榜者でもそうした意識を持っておられたりします。自分は宇宙のどこかの星からやって来たです。それは単なる霊の憑依ではなくて、自己の意識の中に残っている記憶なのです。そうした魂からすると、別に聖書の【ノアの方舟】と呼ばれる救済船を必要とはしていないなのです。

                ただ、スピリチュアル系では魂は宇宙のどこにも行けますが多いのですが、一つ見逃していることに【宇宙ゲート】と呼ばれている【霊界の関所】の存在です。この関所は勝手に突破は出来ないなのです。

                 

                日本神道で言う【国津神系】とは、この地球上で誕生した魂のことを指します。どの魂も元の元たる本守護神段階まで進みますと天津神系ではあるのですが、その天津神がこの地球上に降り立って、この地球を故郷たる星とした分魂が国津系と呼ばれて来ます。

                この地球と言う星を【故郷】にした国津神系の魂は、他の星に戻るにはなりません。言うなれば先祖がどこかの島に流されて、その島で生まれ育った子孫的なことです。そうした魂にとっては、宇宙空間を自在に行けるなどは意識として、そもそも持てないのです。

                そこに私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この地球とまったく同型の新地球を用意してある。その新地球に降り立ったならば、これまで住んでいた地球とまったく同じではないかと言うだろう。見る光景そのものは、これまでの地球とまったく同じ風景である。だが、その新地球に住む人達がこれまでとは違って来る。それまでこの地球に住んでいた人達と一緒とは限らない。自分の顔なじみもいれば、まったく知らない人達と暮らすことにもなる。】と告げられたなのです。

                その自分が知らない人達とは、この地球に暮らして地球霊界から他の星に行ったことが無い霊人達のことで、この世での肉体を持たない人達です。すなわち、過去にこの世を去って、地球に関わる霊界の天国界に居た人達も住人として住むなのです。今の世では亡くなった肉体の父や母も地球霊界に属する天国界に居るならば再会して住むなのです。

                 

                聖書にある【復活】とは、大規模なものなのです

                 

                旧約聖書の神と称する声は、【その新地球に行くにあたって、その船に乗ろうとしない者達まで引っ張って行くわけにはいかない。この神を信じる者達だけが船に乗るだろう。と告げられたなのです。

                 

                ノアの方舟のノアのように

                【神の言葉】に従って、未来行きの船に乗るのか

                 

                そんな話は信じないと、この地球に残る選択をするのか

                 

                みろくの世がこの地球上ではなく新地球であるということは、別に【国常立尊】派だけの論ではありません。大本教から【スの神】論が出てから、猫も杓子もスの神、スの神で、いつたい【ス】の神とは何ぞやということも理解せずに、理由も意味も知らずに【ス】の神を打ち出している神霊や教団が多いのです。この手の教団の多くは背後神が【黒龍神】であることが優秀な霊能者達には知られています。

                そうした黒龍神が祭神となって、【ス(主)の神】論で、みろくの世は【新地球】であると説いている教団もあります。だが、面白いことにそうした教団の教祖達は、スの神の言い出しが世界救世教の岡田茂吉師だと思っておられたりします。

                これは岡田茂吉師ではなく、大本教の出口王仁三郎聖師が自分は【素戔嗚尊の魂】だと称されて、その素戔嗚の【素(ス)】から持って来られたのです。そのこじつけとして、イロハの終わりは【ス】だからと主張されたわけです。岡田茂吉師は大本教に在籍された当時は、出口王仁三郎聖師の右腕と言われた方です。成長の家の開祖となられた谷口雅春師が左腕と呼ばれていたです。

                 

                巷には自分は【素戔嗚尊】の魂で【救世主だ!】と名乗りを上げておられる方達が多数ありますが、これらは全て大本教の出口王仁三郎聖師が自分は【素戔嗚尊】で【救世主だ!】と名乗っておきながら、最後になって自分は【ニセ者】であったと発表されたことから、次々とそうした名乗りを上げている人達。その背後に居て自分達が霊界の覇権を握ろうとしている輩の霊が多いからと言えます。そうした霊達は、全て【ス(主)】の神論に引っかかってしまったなのです。そうした霊は、どうして【ス】の神なの?。と何も考えなかったということなのです。

                 

                そうしたみろくの世に渡すと言う教団に所属している霊能力がある方が見た霊的光景には、この地球から離れて行く教団が仕立てた船が、ことごとく天から降ってくる焼夷弾の様な【火の雨】で沈没させられる光景が出て来たと言います。自分の教団の教えでは、みろく世に渡れないと実感されたなのです。

                 

                何故、スの神と称えるだけでは新地球に渡れないのか?

                 

                それは、宇宙の大海原行く【羅針(ラ神)盤】がないから

                 

                私が大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】から、何故にスの神論ではなくて【ラ】神論で説いているのかと言いますと、お釈迦様の本当の悟りは【人には良心呼ばれる神が内在している】で明らかにされる【良(ラ)】と、良心神で善悪を判断している【円真の羅王(閻魔大王)】の【羅(ラ)】に、宇宙を行く船には【羅針(ラ神)盤】が必要だからです。

                 

                羅針(ラ神)盤がない船は、宇宙を航行出来ない

                 

                大本教神諭予告、【この神は北を上にする】

                 

                大本教神諭のこの神は【北】を上にするというのは、北海道の話ではないのです。地球の地軸は【北】を上にしています。当然に【羅針盤】とは、北を上にしているなのです。

                 

                私は朝鮮に残されていた予言。最後の審判前に救世の為に【米】一字の教えが起きる。その教えが終わったならば、人類の上に【天罰】が降りて来る。その【米】一字の教えに従った者達の上には【天罰】は降りない。私はその予言文を見て、【米】一字の教えとは何だろうと思いました。

                 

                そうした中で、私は黄金色に実った「稲」を積んで、この地球から去って行く船を夢に見たのです。その船が出て行く桟橋は、昔は三途川の渡し場とされた処。今度は宇宙の大海原に向かって出る船。その船の名は【みろく丸】。

                 

                実った【稲】を刈り取って霊界の大海原に出て行く船?

                 

                船の羅針盤と【米】一字の型が結びついた最初

                 

                九月九日救急の日に飛んで来た海保のヘリのマーク

                 

                大本教神諭予告、【九つ花】は北を上にする

                 

                 

                 

                私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていましたが、その声は【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなた一人だけにはこの神の仕組を見せる。そなたはその仕組を見て、人々に告げなさい。もし、そなたが教えを間違ったならば、それはそなたの責任ではない。この私の仕組が悪かったのだ。】と告げられたのです。

                 

                私はこの日本に満ちあふれている仕組を見て、それは何を語るのかを見つめて探求しているなのです。私は私の前に盤古大神や伊勢神宮の神や出雲の大国主様が立たれようが、お釈迦様やイエスが現れようとそれに動かされることはないのです。何故ならば、それらの霊は、この日本に仕組まれた事柄を何も私に教えてくれないからです。

                霊界で修行中、最初の師匠からも行者筋からも、貴男に教えが出来る様な神は日本国中探しても見つかりませんよと告げられましたが、世に出ておられる神々から教えを受けて来たのではないのです。

                 

                大本教の出口なお開祖霊が私に言われた、【大本教はまな板の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第】。そのまな板の鯉たる大本教を料理しているのです。

                 

                 

                 

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                霊学15 価値観の違いからスピリチュアル等の【旧約聖書の神(国常立尊)】は悪神だとする論

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                  私はスピリチュアルを批判しています。それ自体は優秀な霊能者や行者筋はスピリチュアル標榜者を苦々しく見ています。ただ、私のように声高にブログにそれを書いておられるではありません。私はブログを読む方達にスピリチュアルの怖さを発信していますので、どうしても目立ってしまうがあります。それは本当の天国界には向かわずに、信じる人を地獄界に案内されたりするからです。

                  大本教の出口王仁三郎聖師は、【天国に案内すると言いながら、地獄に案内する取次ばかり】と記しておられますが、私が直接に出会ったあるスピリチュアル教祖の信徒達の頭上には白の三角頭巾があり。全員が亡者道に墜ちて行くと解った時、愕然としたなのです。

                  信仰をして地獄に墜ちるでは、あまりにも気の毒だと言えます。 その教祖自身、その教祖に近い霊能者の人に自分は信徒全員を地獄に連れて行くと漏らしておられたのです。自分で自分は地獄行きと解っていても、自分一人だけの地獄は寂しいから、信徒全員を地獄に連れて行くです。その霊能者の方も貴方も私と一緒に地獄に行こうと誘われて、断ったところ執拗に自分を霊縛して来るので助けて欲しいでしたが、その教祖がその霊能者の方と手を切ることに納得するまで大変だったがあります。

                   

                  神は愛だから何をしても赦されますは地獄道案内

                   

                  私がヤフーの輪廻転生の板で【天典】の名で論説を張っている時、一人の方からメールが来ました。それは今から十数年以上も昔のことです。その方は【黄泉帰り】の方で、肉体の元から居た自分の魂と入れ替わってこの世に出る時に、天の神界からやがてインターネットと呼ばれる物が世に出て来てヤフーと呼ばれる会社が設立される。その掲示板に【輪廻転生】の板が出来る。その板に【天典】と名乗る者が出て来るので、その時にはその者に連絡して天からの伝言をするようにと言われた内容の伝達です。

                  その内容が事実だとすると、天はやがてインターネットの時代。ヤフーという会社の起業。そして輪廻転生という掲示板に「天典」と称する者が出て来るなど見越していたとなり、それは驚きと言えます。私にとって不思議だったのは、その【輪廻転生】の板を設立したのは私ではないのです。私は設立者に次いで2番目としてその板に入ったのですが、その板の設立者は設立をしただけで、二度とその板に出て来らることはなく、出て来ない設立者に代わって私が実質的にその板の主宰者となったなのです。

                  中には、私が板の設立者でもないのに板を乗っ取っているなどと、猛烈な嵐をされる方もありました。その背後には御本人は気づかずに動いていたとしても、霊的世界の動きがありました。霊能力がある方の中には、ヤフーの輪廻転生の板は単なる板ではない。神が立てられた板だと言われる方達もありましたが、初期の頃は間違いなく神霊の働きが存在したのです。有能な霊能力がある方達はその板で名のある神々の存在が見えたと言われていました。私はその板から神霊の守りが消えていると解った時、その板から離れました。

                   

                  そのヤフーの輪廻転生の板を多くの霊能者の方が見ておられるという情報を得ていましたので、【人に内在する良心神】を理解してそうした【宣伝】をされる方もあるだろうから、私の御用はここまでと、もう神霊世界との関わりは辞める覚悟でいました。当時、私は2チャンネルに出入りはしていませんでしたが、2チャンネルではヤフーの輪廻転生の板の【天典】を知る方達もあったなのです。

                  しかし、私が説いている【良心神】とは、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】であり、この部分を抜いてしまいますと【良心神】の意味が解らなくなります。単に人には【良い心がある】程度の理解しか出来ないからです。それが【天帝の分魂(直霊)】だと解らなくなるのです。そして、大本教神諭にある【この世の閻魔】で、新しいみろくの世における位置がその良心神の点数で決まることです。立替の後から、そういうことだったのかと泣いても遅いなのです。

                   

                  その天から私に対する伝達内容とは宇宙における私の身分が何者かであり、私自身の天における身分が具体的に伝達されたなのです。そのこと自体は別に驚くほどのことではありませんでしたが、より具体的に私が何者かが伝達されたなのです。それは私が子供の頃から知りたかった私の出身星で、どこの星から出た魂かです。自分では【スバル】星ではないかと思っていたのですが、その【スバル】です。

                   

                  その伝達による驚きは、日本語は神の【言葉】とされますが、日本語は【プレアデス(スバル)】星人の言葉だと伝えられたことです。

                   

                  日本語は神の言葉、プレアデス星人の言葉

                   

                  そう告げられたならば、多くの日本人の出身星は【プレアデス星】や【シリウス星】だと言われる方達の説も何となく腑に落ちます。日本人は西洋人の魂とは出た星が違うとする説です。大本教神諭に、【日本人は外国に出ている人達よりも一段と高い魂】とありますが、そこには日本人の魂は他の国に生まれた魂とは違いがあるなのです。つまり、日本語は英語とは違い【神の言葉】なのです。

                  神国日本とは、別にこの日本に【天皇家】があるではないなのです。みろくの世とされる新地球での日本国には天皇家は存在して来ません。私は旧約聖書の神と称する声から、みろく世では日本の天皇制は廃止になり、議院内閣制でもなく、天使団が直轄する神の御国となると聞かされています。全て創造神が任命したところの天使達によって行政が行われるです。

                   

                  私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と名乗る声は、【私はそなたが本当は何者か解らない様にしておく。神々にも解らない様にしておく。無論、そなたも自分が何者かを知らない。されど、そうであってもそなたが本当は何者か見抜くだけの神や人でないと、この神の御用は勤まらない。】と告げられていましたので、別に自分の身分の詮索はして来ませんでした。

                  それでも幾人かの霊能者の方から、【貴方は何々様ですよと指摘はされて来ました】ので、自分がおよそ何者かは解って来ていました。だが、それを世間に言う気は一切ありません。何の証拠も無い話で、言ったところでバカバカしいで終わります。その証拠に、私は何の神力も持たないからです。

                  ただ、豊受姫が私に告げられた【貴方は言葉の神】だけを世に明らかにしているだけです。実際に日本語による【言葉の仕組】を次々に明らかにして来たのです。ただ、ほとんどの神々や人は【言葉の仕組】がどれほどの物かに何も気づけないなのです。

                  実際に自分が言葉を組み立てられるか取り組んで見たら解ります。日本語は縦に横にと編まれていているなのです。漢字ではなく、ひら仮名に戻して別の漢字を振ると、意味が変わるなのです。

                   

                  その天から私の身分伝達に関わられた方は、私が輪廻転生の板で間違った霊能者やスピリチュアル批判をしていることに関して、【あまり敵を作られない方が賢明です。自分はそうした批判攻撃をしていて命を取られた霊能者を幾人も知っています。貴方とてその命を狙われますよ。】と忠告してくれました。

                  私はそれ以前から2番目の言霊の師匠から、おまえは俺に逆らうのかと【死に神】をつけられたり。自分ほど凄い霊能者は世の中には居ない。おまえを生意気だから殺してやると、天狗を引き連れて殺しに来られたり、黒龍神の群団から【静かにしていないと殺すぞ!。】と集団攻撃を受けるなど修羅場を体験しています。さすがに黒龍神群団による攻撃からは逃げ回っていましたが、それでも間違った過ちの批判を止めるほど柔ではありません。

                  元々、この世の命など捨てているからです。この世には何の未練もないからです。早く自分の使命を終えて元の世界に戻りたい。そこには自分の魂世界の友や仲間達が居るからです。逆にこの世に縛られてしまう生き方そのものが嫌いと言えます。この世での幸せを求めると、魂にとっては失う物が大きすぎるなのです。

                   

                  私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【この世に出て、「刹那(いまのことしか考えない)心」を持つと魂は腐る。】と告げられて来ました。

                   

                  今が幸せならばよいは、自分の魂を腐らせる(刹那)

                   

                  今が幸せならばそれだけでよい。それならばその魂が腐ったり破砕されても、その本人は幸せなのかも知れません。自分が来世で昆虫等に生まれ代わって、自分は過去世に【人間で有った時があったなど】とは思い出すこともないでしょう。

                   

                  西洋における諺に、【この世の試練(苦難)は神から贈り物(プレゼント)】があります。

                  この世の苦難は創造神からの贈り物?

                   

                  この世に出た魂は、試練や苦難によって磨かれる

                   

                  だが、それを理解しない人達は、自分に試練や苦難を与える存在を【鬼や厄災の神】とだけ見て来たわけです。この世は魂の修学場、魂の汚れを取り磨く場所、天人の苗床の意味合いも完全に忘れられてしまったなのです。何の為に、人はこの世に肉体を貰って生まれ出たのか!。それも解らない。何故に魂は【輪廻転生】をしているのか!。その意味も解らなくなっていたなのです。

                   

                  私は子供の頃には旧約聖書の神と称する声の教えを聞いていましたが、その存在は日本では【艮金神・国常立尊】と呼ばれている存在だと解って来ました。大本教が出した神です。また【冥府の長官】とされている【閻魔(閻羅)大王】でもあるなのです。

                  大本教神諭には、【この世の閻魔(閻羅)大王として現れる】とありますが、私はそれが【魂の円真】でもあることから、【良・羅】の漢字を振って【ラ神】論で説いているなのです。

                  綾部藩の殿様であった九鬼神道家では、宇宙の元津神を【宇志採羅根真】としましたが、大本教の【艮金神】とは付与する漢字が違っているだけで、【ひらかな】だと同じなのです。不思議なもので、人はひらかなに漢字を振ると別物だと思ってしまうがあります。そこに大本教では【ひらかな】の出口なお開祖派と、漢字派の【出口王仁三郎聖師】との【闘い】があったのです。

                  ひらかなの出口なお開祖派の信徒は、漢字を研究する出口王仁三郎聖師はひらかなではなく、外国の言葉を研究している。許せないと襲い。出口王仁三郎聖師は雪隠(便所)の下の戸から逃げたの話すらあるのです。その時に出口王仁三郎聖師の漢字研究書は開祖派の信徒達によってことごとく焼かれてしまったなのです。

                   

                  私が豊受姫の命令で建てた家の浴室の前に大きく【漢字】と書かれた浴衣を来た出口王仁三郎聖師の霊が立たれた時、私は驚いて呆然として見ていたところ、私の家の神棚の社にスッーと入っていかれたなのです。それで【漢字(感じ)】だよと知らされたなのです。

                  宇志採羅は宇宙の志は【羅】を採用しますなので、輪廻転生で来世を授ける【閻羅大王の羅城】。門番は【牛虎の鬼】となります。そして出口王仁三郎聖師は【鬼】はあんまりじゃだと【王仁】にされたのですが、誰もそこに【言葉の変換】を読み取れなかったなのです。

                  綾部の大本教からは綾部藩の九鬼神道の「宇志採羅」根真ではなく、【艮・牛虎】金神として世に出されたなのです。別に【宇志採羅根真】と【艮・牛虎】金神は別の神ではないのです。【言葉の仕組】上なのです。これがどういうことか理解出来ない人にいくら説いても、その凄さは理解出来ないでしょう。

                   

                  ある悪党が私に言いました。

                  神とは自分達に幸せを与える存在だ!

                   

                  その悪党は私に言いました。【宗教はこの世で悪をすれば地獄に落ちるなどと、ありもしない地獄等を言って、「嘘」で人類を脅迫している。人は死ねば終わりだから天国も地獄も無い。死ねば終わりだから真面目に生きるよりも悪をしなければ損をする。神は俺達がする悪を黙って見ていろ。神は自分が助けて欲しいと願って来た者だけを助けるのが神であって、俺達がすることに口出しをするな。自分にとって恐いのは神では無い。この世の警察だ!。警察は俺たちが悪をすると捕まえようとするから、見つからないように悪をしなければならない。神は人が悪をしたからと言って、神が人を罰したなどの話はどこにも無い。】

                  この悪党は別に神の存在を否定しているのではないのです。神と人間は別物で、神は人間が困って泣きついてきたならば助ける存在という認識なのです。実際にこの悪党、正月は家族揃って初詣で神社に行っているのです。

                  この男の前世を私の守護神から見させられましたが、神代の時代と呼ばれる頃からの生粋の悪党で、生まれ代わる人生。生まれ代わる人生。いつの世にも悪党で来ていました。この魂、神代の時代からの悪党で途中から道を踏み外して悪に転じた魂ではありませんでした。

                   

                  そこにはある【謎】がありました。どうしてこの世に出ている神達はこの悪党を裁かないのか?。その男の背後には黒龍神達が存在していて、この世に出ておられる神霊では簡単に戦えないがありましたが、そもそも神社に鎮座する神霊が悪人を罰した等、確かに聞いたことはありません。神霊が人を罰した等の話は全て神に対する【不敬罪】のみです。

                  それは、悪党でも魂が腐ったり捻れていなければ、【最後の審判の日】まで生かされいるなのです。魂が腐ったり捻れて破砕されていなければ、何時でも悪の魂も改心しだいで正神界に戻れるからです。

                   

                  そこに、【悔い改めなさい】があるのです

                   

                  良心とか正義は人の心にあり、神霊たる存在には無い

                   

                  私の元にスピリチュアル標榜者の方から抗議のメールが来ました。その内容は【スピリチュアル標榜者の中にも正しい人もあります。何も全員が全員。金儲け主義でやっているわけではありません。「十把一絡げに」はしないでください】です。

                  確かに、スピリチュアル標榜者全員が金儲け主義ではないことぐらいは解っています。しかし、誰と誰は正しい等と一人一人のサニワ(審神)をしていることなど出来ないし、そうした作業は一介の肉体を持った個人がすることは不可能です。日本におけるサニワ(審神)において、宇宙連盟とか宇宙評議会などと称して出て来る霊は黒龍神とか蛇霊だと、既にサニワ(審神)がなされています。そのことを自分が知っていたか知っていなかっただけなのです。勉強不足の問題なのです。

                   

                  1999年の少し前、宇宙連盟とか宇宙評議会とか何々司令官などのブログがたくさんありました。そうしていろなんな予言を出しました。だが、何も起きなかったことから、それらのブログはほとんど消えて行きました。1999年の到来で、自分はそうした霊に騙されていたと解ったなのです。

                  そうしたサニワ(審神)が集められた本も高価ですが売られていました。私は2番目の師匠の元でその手の本を読みましたが、当時は高価な本なので買えませんでした。何と言う本であったのかすら記憶していませんが、そうしたことをまったく学んでいないのがスピリチュアル標榜者なので、スピリチュアル標榜者はどうしても【十把一絡げ】となってしまうのです。

                  自分の見た物だけを信じるで、直感だ!。で。外部からの知識を何一つ取り入れようとしていないのです。日本では蛇霊や狐霊が神霊として祀られていますが、それは霊界でも底辺だと認識出来ていないのです。それらの霊は唯一神ではありません。

                  さすがに自称【救世主】とか【創造神】だと称される方は、スピリチュアル標榜者の方よりも次元的には高いとは言えます。そうでなかったならば、自称もされないでしょう。

                   

                  霊能者「江原啓之」さんは、自分が【スピリチュアル】の言葉を広めたと自画自賛をされていますが、この日本に【スピリチュアル】の言葉を入れたのは、大本教の世の立替運動の時の旗振り役であり、後に日本の神霊学の父ともされる【浅野和三郎】師が、西洋の霊学を取り入れた時に日本語に翻訳するのが難しいのでそのままに入れた言葉なのです。

                  その浅野和三郎師は、西洋スピリチュアルの実態が低級霊との【交信】を意味していたことにより、後でスピリチュアルの言葉が世間に誤用されてしまうと使わないようにされたのです。例えばジャック・ウェバーの交霊界などは西洋スピリチュアルでは有名ですが、それで【霊】を知ることが出来ても【神】を知ることにつながっていません。単に低次元霊界の実在証明です。無論、それも霊的世界を知る上では重要なことではあったのです。

                  その言葉の経緯を御存知なかったのでしょうが、【江原啓之】さんは自分がスピリチュアルの言葉を広めたと自画自賛に入られたのであり、スピリチュアルの言葉には【経緯】があるのです。自分は低級霊との交信ですよと言う意味が【スピリチュアル】の言葉に秘められる以上、私はスピリチュアルの言葉を使うことそのものがよろしくない。低級霊界の存在は解っても【神】そのものを解らせなくすると言っているのです。またハイヤーセルフという言葉もそうなのです。どうして日本語で言えないのですか?。日本語の方が本守護神・正守護神・副守護神で遙かに守護神の役割の意味が解るのです。

                   

                  その浅野和三郎師の一番弟子であった方は、私に仏の声が聞こえる者は千人に一人はあり。神の声が聞こえる者は万人に一人はある。そうした者が千人万人修業を積んでも本物と呼ばれる霊能者は一人程度しか出て来ない。他の者は全て低級霊に踊らされて終わると告げられました。

                  そのこと自体は、私の最初の師匠も単に霊が見える。霊と会話が出来るだけでは本物の霊能者には成れないと言っていました。低級霊達に騙されてしまうです。スピリチュアル界の大御所とされる美輪明宏氏ですら、霊能者として看板を上げている人でも本物と言えるのは【5%(20人に一人)】程度と言われているように、本物の霊能者とされる方は数が少ないのです。私も最初の師匠の元を離れた後、多くの霊能者を訪ねましたが、あまりの内容の低さに、優秀な霊能者探しを断念したほどなのです。

                   

                  私が探しているのは神仏に仕えて霊障等を取れる霊能者ではなくて、神霊世界の存在を語ることが出来る霊能者の方です。この先の地球がどうなるのか?。それを語れる神の段階にアクセスが出来る方です。

                  私の最初の師匠は豊受姫のお代さんで、事前に阪神淡路大震災や普賢岳爆発や飛行機事故などを予言しましたが、スピリチュアルを超えている霊能者です。それはその師匠が豊受姫からの信任が厚かったからでしょう。単に自分の前に豊受姫が出て来られたと言う段階ではないのです。本来の豊受姫であれば、そうした大地震ですら予言されて来られたなのです。しかも予言されたことが当たる。それは単に狐霊や蛇霊の段階では告げられない事柄なのです。だが、その師匠でも高次元霊界は見る事も知ることも出来なかったのです。また、豊受姫も教えようとはされなかったなのです。私は稲荷神界の限界を知り、その元を去ったなのです。そして【言霊】の世界を学ぶことで、宇宙創造神の世界の一端に触れたと言えます。

                   

                   

                  スピリチュアル標榜者の方の中には、国常立尊は【悪神】だとされる方達があります。その理由は、魂は本来自由なものであり、誰からも束縛されるものではない。何をしても自由だ!。その魂に肉体と言う不自由な服を課して地球と言う星に閉じ込めて、人間を奴隷化させている悪神だの説です。 それは一面、キリスト教における冥府の長官(閻魔大王)を【サタン】とする教義に通じるところがあります。

                   

                  表面的に見れば、【正論】だと思わせます

                   

                  だが、何をしても自由は他の霊との利害がぶつかり争う

                   

                  そこには、今の魂は腐る。捻れる実態の把握がなされていません。優秀な霊能者は【異口同音】に、この地球は魂の【修学場所】。【魂の刑務所(流刑地)】。【天人の苗床】と言われます。それは冥府の長官(閻魔大王)が人類を奴隷化させているの論とはまったく意味が違うのです。

                   

                  自己の魂が犯した過ちの【更生】の為に【甦(更生)る】

                   

                  スピリチュアル系の方でも【国常立尊】を主神と仰いでいる方達と、【国常立尊】を悪神や悪魔とする人達と、【国常立尊】とは何者かまったく関心が無い方と3つに分かれて来るのです。その多くは【国常立尊】と呼ばれている存在のことすら知らないなのです。霊界でも低い段階に居る蛇霊や稲荷神ですら、【国常立尊】と言っても、【そりゃ何じゃ?】と言う有様なのです。

                  その中でも【国常立尊】を主神と仰いでいるスピリチュアルの方は少数も少数なのです。そうした方にはスピリチュアルの言葉は向きません。流行語に惑わされるなです。スピリチュアルの大半は自分には天使長ミカエルが降りて来る。大天使ガブリエルが降りて来る。そうした方がほとんどなのです。

                  この日本に居てキリスト教徒でも無い者に、どうして天使長のミカエル。大天使ガブリエル等と称する霊が出て来るのですか?。きちんと【サニワ(審神)】が出来ていますか?。なのです。五次元程度の段階で、本当の天使長や大天使が自分の前に出て来る。おかしいぞと思わなかったのですか?。なのです。

                  もし、貴方が自分はお釈迦様やイエスクラスだと言われるのであれば、そうしたこともあるかも知れません。しかし、優秀な霊能者筋はお釈迦様やイエスの次元は八次元界ぐらいとしています。五次元程度の世界にアクセスする者に天使長とか大天使が現れて来ることそのものがないのです。白狐や蛇霊神は五次元界程度とされています。

                   

                  聖書に龍神とは【霊界で年老いた大蛇霊】とありますが、日本では霊界で3千年の修業を積んだ大蛇霊を龍神としていますが、その統領格でも六次元界程度。その多くは五次元界程度なのです。その他に自然界の龍神が存在しますが、それほど高い次元界ではありません。

                  しかし、大本教の出口王仁三郎聖師は、【龍神と呼ばれる存在の九十数%は大蛇霊であるが、そうでない龍神が存在する。】と残しておられますが、そうした龍神は七次元界以上にあります。本当に宇宙に関わっているような龍神ですが、スピリチュアル標榜者では七次元界以上にアクセスは無理と言えます。

                   

                  霊界には【国常立尊】を仰ぐ派と、悪神とする派がある

                   

                  何も解っていないスピリチュアルだと、神は愛だから何をしても赦されるとか、愛の言葉のお題目主義。創造神が人類を裁くなどは、悪神が言っていることに過ぎない。そこから一歩も抜けきれていません。この両派が折り合うことはないのです。価値観が違うのです。何をしてもよいの自由派は、絶対に【改心】はしません。

                   

                  これまでは【価値(勝ち)観】の違いからの善悪論

                   

                  で、裁くではなく【捌く】の道で、永遠の別れとなる

                   

                  この地球から新地球に出て行くのは【国常立尊】派

                   

                  為に、国常立尊を言われる方達には新地球派が多く。国常立尊は悪神とする反国常立尊派や国常立尊などと言う神などは知らないと言う派は、この世は安泰であり、何の心配も要りませんとなるのです。しょせん【国常立尊】などは悪神に過ぎない。そんな力を持っている神ではないと見ているなのです。

                   

                  私は国常立尊様を敬愛する者の一人であるので、国常立尊様が悪神として世間から言われても、その国常立尊様に従って行きます。ですから、私の別のHPは【新・ノアの箱船】としています。この地球から宇宙の【新天地】に去って行く船だからです。聖書におけるノアの箱船とは、そうした事実があったかどうかの話ではなく、これから起きるであろう予言の意味合いなのです。神の言葉に従った者達の魂は嬉し嬉しの【新天地】に船に乗って行くなのです。

                   

                   

                   

                   

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                  霊学14 神の為に命を捨てた殉教者は何故に高い霊界に進めたのか?

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                    大本教は戦前、邪教宗教として国家の弾圧を受けて、多数の幹部信徒さんが獄死されました。後日、その獄死された幹部信徒さん達がどうした世界に入ったのか?。霊査が行われました。その結果、その獄死された大本教の幹部信徒さんは皆さん高い霊界に行かれたとの報告がなされました。世間では邪教呼ばわりされていましたが、本当は違っていたなのです。 

                    そうした信徒さんは大本教の出口王仁三郎聖師を超えたり並んだとかではないので、その下の次元界とすれば「七次元」界位には行かれたと推察出来ます。仏教的に言えば「菩薩」界と言えます。

                    日本の天皇は現人神(あらひとがみ)だと主張される方達がありますが、日本初の女性天皇の【推古天皇】の時に仏教を【日本の国教】として定めました。奈良の大仏建立で知られる天皇です。明治になるまで日本は【仏教国】として来ていますので、仏教的に理解する方が解りやすいもあります。

                     

                    一つに大本教から出された【艮金神・国常立尊】とは、【閻魔大王】様であるということも関係していると言えます。国常立尊と言うよりも【閻魔大王】の方が解りやすいわけです。

                    それは大本教神諭に、【この神はこの世の閻魔大王として現れる】とあるように、天国行きも地獄行きも決定権があるということです。

                     

                    霊界には第一天国界。第二天国界。第三天国界があることは霊学の分野では知られています。ただ、それはお釈迦様やイエスの時代には解っていなかったがあります。為にキリスト教も仏教も説けていないがあります。そうした開祖から発した宗教では、どうしても【我が宗派の教えを信じれば天国で、異教徒は地獄に落ちる】という誤った教義に陥ってしまったがあります。

                    そうした中で幾多の霊能者から不思議だ?。何故なのかと疑問が出された事柄があります。それはキリスト教徒は第一天国界に進めていないなのです。

                     

                    どうしてキリスト教徒は第一天国界に行けないのか?

                     

                    今日迄の霊学では、第一天国界が一番上で、仏教的に言えば【如来界】とされて来ました。キリスト教の神学ではイエスを通じないと創造神には出会えないが教義です。すると、イエスは第一天国界の如来と呼ばれ次元界段階にあったとしても、キリスト教はイエス個人を神として仰いでいる関係上、第一天国界には理論的にキリスト教徒は誰も進めないとなります。つまり、キリスト教徒はイエスより下位の霊界でないとおかしくなるからです。

                    もしこれがイエスを単なる指導者(先達)として、直接に創造神信仰にしておけば、イエスと同じ霊階層に進む人が出て来ても何の不思議もないなのです。また、キリスト教からイエスを超える様な魂を持った人達が出て来てもおかしくなかったのです。

                    日本の仏教界からは【弘法大師】や【日蓮聖人】の様な方達が出られました。どちらもお釈迦様を通じないといけない等の教義には陥っていないのです。

                     

                    神に対する信仰は、その神が存在する段階を超えられない

                     

                    一方、イスラム教の開祖であったムハンマド(マホメット)は自分は一介の神の【下僕】だとしたので、イスラム教徒はムハンマドを媒介させずに、アラーの神に直に繋がる道となります。しかしイスラム教と言いますと、ジハード(聖戦)で異教徒との戦いで解る様に、どうしても暴力が容認されてテロ活動にと繋がってしまいます。

                    私はコーランを読んでいないので断言は出来ませんが、その教義の元が大天使カブリエルだとすると、これは危ないとなります。イエスのマリア受胎の時に現れて、ムハンマドの前にも現れて、結果的には両方を戦わせている張本人ではないかとなります。どうしてそれに人々は気がつかないのかとなります。やっていることは【霊界のマッチポンプ】に等しいものなのです。

                    この大天使とされているガブリエルがキリスト教とイスラム教を指導したとなると、人に内在する良心神など何も出て来ませんので、イスラム教の教えでも第一天国界は難しいと言えます。

                     

                    信じる者は【儲】かると書きます

                     

                    その人に神に対する信仰心があることによって、魂に加点が生じます。一種のボーナスです。多くの新興宗教の背後に「黒龍神」が存在していることは優れた霊能者は知っています。圧倒的に【病気治し】に強いので、それなりの教団になります。しかし、そうした宗教を信仰することで【黒蛇霊】を憑けられてしまうなのですが、それはその宗教が邪教(蛇教)と知ったならば退団すればいいことなのです。

                    私の元にはいろんな方からメールが来ますが、どこどこの宗教を信じていましたが邪教(蛇教)と解って退団しました。そうした内容のメールが来ます。中にはその宗教が邪教(蛇教)と解っていますが、自分がその宗教に勧誘した人達が多数あるので、その人達を置いて自分は退団出来ません。その宗教に残って内部から立て直しをしたいというメールもありましたが、巨大組織と化した宗教を内部から立て直すなどは不可能なのです。その宗教の組織から去るがベストなのです。

                     

                    ほとんどの人は自分が信仰した宗教が邪教(蛇教)かどうか解りません。霊能者でもよほど高次元界に進んでいないと解らないのです。単に霊が見える程度の霊能力だと、邪神(蛇神)も【光輝いている】ことから見誤ってしまうのです。

                    あるスピリチュアル教祖の方の背後は六次元界の黒龍神でしたが、六次元界は燃(むゆ)なので、その黒龍神が太陽の様に燃えて出す光に、【神は光だ!】で欺されて行くなのです。五次元界程度のスピリチュアル霊能力であれば。この六次元界の教祖から逃げられないとなります。なまじ霊能力があると、その霊能力を過信して、それより強い存在に従属されるが起きるのです。

                    そうした霊社会。宗教世界の立替は【個人レベル】では誰をもってしても不可能なのです。そこに、その人が信仰する存在が邪神であっても、その人の信仰心が純粋に【神に仕える】であるならば、第二天国界であれば進めるなのです。神の為にこの世の命を失った人は、単なる神信仰者よりも高い霊界に行くのです。

                     

                     

                    霊界の次元の存在は人で言うことがまるで違いますが、神を【十】記号で象徴するのはある意味世界でも共通しているわけです。この【十】は【火水】の組み合わせの意味であり、トップ神の意味を持ちます。為に、神の高山ピラミット論では、【十次元界】の神を最高神として仰ぐなのです。これは言葉の仕組上と言えます。

                    囲碁の世界で【十段位】がありますが、これはたった1名です。十段が複数存在するのではありません。そのタイトル保持しない棋士は、最高が【九段】となるなのです。それを一部の霊能者達は【次元界】に置き換えているなのです。

                    実際の神界の段位は【一八十】段とされます。これがすなわち【イ(一)ハ(八)ト(十)】開けとされることです。人の魂は、正神界【一八十】。邪神界【一八十】のどこかの段位に所属しているなのです。ですから第三天国と言えども、そこには段位の差はあるとなります。

                     

                    スピリチュアルの世界では、貴方が望むのであれば【白狐】を憑けて上げましょうがありますが、白狐は五次元界位の段階なのです。私は伏見稲荷山で豊川稲荷の大眷属が稲荷講の信徒さんに向かって、【人間の分際で頭が高い】と来た時には、思わず吹き出してしまいましたが、人は死ねば誰でも四次元には行けますが、誰もが【五次元】の段階に行けるではありません。

                    その意味では五次元界にある白狐からすれば、【人間の分際で頭が高い。】と来ても、不思議ではないのです。白狐達を使役しているのであればそれ以上の次元段階者となりますが、逆に白狐に使役されているのであればそれ以下の次元段階となるのです。

                     

                    優秀な霊能者筋では、未だ神の高山論で言うところの【九次元界】の魂を持った人間は降りていないとされる一方、既に降下しているとする説もあります。但し、本人が気づいていないのか。解っていても名乗らないかで、見つかっていないとされます。

                    無論、巷には幸福の科学の大川氏の様に初めは自分は九次元界。次に十三次元界の存在と次元を上げられましたが、そうした名乗りをされている方達は他にもあります。ただ、優秀な霊能者筋はそれを追認していません。御本人の自称に過ぎません。

                    それは八次元の魂を持っていたとされるお釈迦様やイエスや弘法大師や出口王仁三郎師でも大変であったことが解る様に、人知では計り知れない苦労を背負うなのです。

                     

                    私はそうした人物が出て来られたならば草履取りでお仕えするで、2番目の言霊師の師匠は自分が国常立尊の【現身(うつそみ)】と名乗っていたので、そのご苦労を思いお仕えしました。仕えるとはその方の手足となって、まさに奉仕なのです。

                    その国常立尊と名乗っていた言霊師の師匠は結果的にはニセ者で、私に死に神まで送りつけてこられましたが、私にとっては【恩師】と言うべき方でした。何故ならば、私はその師匠に出会わなければ、【神は言葉なりき】を理解しなかったからです。

                    私はその師匠から死に神を送りつけられたことにより、長い間その後遺症に苦しみました。神の世界を行くということは、自己の命を捨てていかないと解らない世界なのです。

                    大本教の幹部信徒で【獄死】をされた方達は、自己の命を捨てて【信仰】をされたので、高い次元界に入られたとなります。

                     

                    大本教神諭に、この神は【ダルマ大師】として現れたとありますが、ダルマとは【真理】のことであり、真理に手足は無いのです。

                     

                    真理(ダルマ)の手足となるは、国常立尊様に仕える

                     

                    神の世界に奉仕する者と、願いの為に集まる者は違う

                     

                    神様、自分は困っています。助けてください。そうした人は神の世界から見たら要らない人達なのです。ですからいくら熱心な信仰でも、その目的が【現世御利益】を求める信仰であれば、高い次元界には進めないとなります。

                    本当の天国界に進む方は数が少なく。現世御利益信仰でも神信心をしているとなれば、また人間をやりなさいと【中有界】に入り。この世に誕生するを待つとなります。スピリチュアルでは中有界での期間は天国界に進む為の短い期間と思っている方が多いようですが、この世にまたもや出る機会を待っているに過ぎないのです。今の人類の魂はほとんど中有界なのです。天国界に進む人は少数です。

                     

                    神の世界の為に自分は何が出来るか?

                     

                    そうした人達の信仰が、神の世界を形成して行く

                     

                    為に、神の為に命を捨ててまで信仰した方達と、単に神様困っていますので助けてください。御利益下さい式の方とでは死後の世界での行き先がまったく違っているのです

                     

                    高い神霊ほど、人間の困窮には無関心であり

                     

                    蛇や狐と呼ばれる神の段階ほど人間に寄り添う

                     

                    それは何故かと言った時、 人は神と成る為に、この世で修行しているから

                     

                    大本教の出口王仁三郎聖師は、この世は【天人の苗床】と説かれたように、この世の生き方で天人や神霊にと成って行くからです。

                     

                    そこに【人は神の子・神の宮】

                     

                    神様頼みだけの方はこの世での修業の放棄であり、神様。神様と言っていたから天国に迎えいれられるではないのです。 キリスト教においてはイエス一人を主の御子と信じれば天国と説きますかが、イエスをいくら崇拝していても天国門が開かないを起こしたなのです。キリスト教徒であれ、イスラム教徒であれ、仏教徒であれ、 

                     

                    貴方はこの世で何をしましたかが問われる

                     

                    貴方が信じる宗教は何教でもかまわない

                     

                    そこには宗教の【優位性】などありません

                     

                    宗教が自派の優位性や宗教界の覇権を巡って戦争を起こす。最悪の愚を犯して来たなのです。

                     

                     

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                    旧約聖書の神と称する声の【レ・ミゼラブル】を読め。良心で神に目覚めて改心と更生をする

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                      私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていました。その声は私に【そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えて行け。】と命じました。子供心に【イエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り超えて行け。】の意味がよく解りませんでした。

                       

                      イエスの愛の教え以上のものがあるのだろうか?

                       

                      それも愛の教えを恐れるな?。乗り越えよとは?

                       

                      それは小学校の6年生の時のことでした。私はクラスの中で【図書委員】に選出されて、放課後は小学校の図書館で図書司書のお手伝い役となりました。その図書館に居る時、旧約聖書の神と称する声が私に臨んで言いました。

                      【私の書は旧約聖書なれども、旧約聖書は暗号書のようなもので意味を紐解くには「鍵」が要る。まともに読むと意味を間違えるようにしてある。それは邪神達を惑わす為である。新約聖書は人の子達が為した書で私の書ではない。そなたは旧約聖書を読む必要がない。私の教えは世界のどの宗教書にも書かれてはいないからである。私の教えは日本の民話やわらべ唄や諺などに入れてある。そなたはそうした物を読んで、私の教えを知りなさい。それとは別に、世界の文豪が書いた「罪と罰」。「レ・ミゼラブル」。「モンテ・クリスト伯」等を読みなさい。必ずやそなたの役に立つ。】と告げられました。

                      放課後は他のクラスの図書委員と当番制の交代で図書館に居なければなりませんので、そうした文豪の大書を読んでいました。「モンテ・クリスト伯」だけは【巌窟王】で漫画で読んだことがありますが、【罪と罰】に【レ・ミゼラブル】は知りませんでしたのでその大書を読んだのです。【罪と罰】には感銘を覚えたのですが、「レ・ミゼラブル」は自分の記憶としてはあまり残っていませんでした。

                       

                      その【レ・ミゼラブル】がNHKで連続8回で放映されました。レ・ミゼラブルは映画化や舞台化がされていますが映画や舞台は2時間程度であり、あの大作を完全に見せるのは難しいと言えます。私はどんな物語であったのか定かに記憶していませんでしたので録画に取って物語を見た時、そうだったのかと、改めて【良心神】の教えであったことに気づかされました。

                       

                      ジャン・バルジャンは【良心】神に目覚めて更生する

                       

                      レ・ミゼラブルの主人公は【ジャン・バルジャン】です。1本のパンを盗んだことから19年間も監獄に入れられて、人間不信に陥っていたジャン・バルジャンは出獄後に食事を与えてくれたキリスト教会から銀の食器を盗み。またもや警察に捕まったのですが、司教は私が与えたのでジャン・バルジャンが盗んだのではないと彼を庇い、銀の食器と燭台を与えて真正直な人間に更生させたぐらいは記憶していました。

                      罪人を許した司教はジャン・バルジャンを神の愛で許したことから、この物語は【愛】を教えていると解釈されていました。私もそのように記憶していました。

                      ところがテレビドラマを見ていて、司教が言ったのは【神の愛】とか【イエスを神と信じなさい】とか言ったのではなかったなのです。司教が言ったのは。【神は良心として貴方の心の中に宿る】ことを教えたのです。それによってジャン・バルジャンは【良心】に目覚めて【更生】するなのです。当時の私は子供でもあったので、そのレ・ミゼラブルの物語が【人に内在する良心神】を教えるものだったとは思ってもいなかったなのです。

                       

                      神と称する声が言った【レ・ミゼラブル】は良心か!

                       

                      罪人から更生したジャン・バルジャンは会社経営にも成功し、人柄が良かったことからやがて【市長】にまでなります。だが、彼は司教と出会う前に一人の少年から銀貨を奪ったことにより、指名手配をされていました。そこに現れたのが「シャヴーエル」という警察官で、名を変えて市長になっているのはジャン・バルジャンではないかと疑いを持ち、無実の者をジャン・バルジャンとして裁判にかけます。無実の者が自分だとされて監獄に送られる。それは自分に「良心」があるならば耐えられないことです。彼は自分がジャン・バルジャンであると名乗って捕まってしまうなのです。判決は終身刑。

                      その前にジャン・バルジャンが工場を経営している時に働いていた女性の【言い訳】をまともに聞こうともせずに解雇したことにより、その女性は売春婦となります。自分の娘コゼットを預けた宿の主人夫婦に騙されて金を取られていたからです。落ちぶれたその女性と再会した時、ジャン・バルジャンは自分が解雇した過ちを恥じて、その女性とその子供コゼットを救う約束をしていたことから脱獄をします。そしてその子供を救って隠れて生活をします。やはり自己の【良心】がなせる行為です。

                      それは愛ではありませんでした。自分がした約束を果たす為に脱獄をしたのです。お釈迦様の悟りであった【人に内在する良心神】をいくら説いても、スピリチュアルで「愛」ばかりを言っている方は良心神とは単に【良い心】のこと程度としか理解されませんので、そこに【神】を見るがありません。

                       

                      ジャン・バルジャンを執拗に追いかける警察官シャヴーエルにはある信念がありました。【悪人はどこまで行っても罪人で、更生など絶対にしない。】でした。

                      そのシャヴーエルはフランス革命の前の暴動の時、その指導者がジャン・バルジャンではないかと考えて暴動を起こしている民衆の中に紛れ込みますが、身分がばれてスパイとして処刑されるとなりました。そのシャヴーエルの命を救ったのが娘としたコゼットが恋するマリユスを暴動騒ぎに紛れて殺す為にその場に来ていたジャン・バルジャンでした。

                      娘コゼットを溺愛するジャン・バルジャンは娘と恋をして娘を奪うマリユスを殺そうとしたのです。だが、自分の良心が愛を押しのけたのです。シャヴーエルを殺せば片が付くのに助けたジャン・バルジャンの行動がシャヴーエルには理解出来ませんでした。それは【愛】ではなくて【良心】の行為だからです。

                      別にジャン・バルジャンは自分を監獄に送ろうと執拗に追いかけるシャヴーエルに「愛」を示したのではないのです。ジャン・バルジャンは「良心」に目覚めた者である以上、自分にとってはいくら邪魔者であってもシャヴーエルを殺すなど出来ないからです。

                      また娘であるコゼットが愛したマリユスも殺すことが出来ずに、マリユスを助ける為にバリの下水道の中を這いずり回ります。そこに現れたのが自分が命を助けて逃がしたシャヴーエルでした。コゼットの恋人マリユスを救う為に、ジャン・バルジャンはまたもやシャヴーエルに捕まります。

                      だがシャヴーエルはそのジャン・バルジャンをわざと逃がします。自分が受けた恩義の返しです。しかしそれは警察官にあるまじき行為です。責任を取ってシャヴェールは警察を辞職して川に身を投じます。悪人は絶対に【更生】しないの信念のシャヴーエルには、ジャン・バルジャンはどうにも理解不能だった為に自分の精神がおかしくなったのです。

                      ジャン・バルジャンは娘のコゼットをマリユスと結婚させて、マリユスには自分はジャン・バルジャンでお尋ね者の罪人であると告白して、その元を去ります。長い新婚旅行の旅から帰って来たコゼットは父であるジャン・バルジャンの姿が見えないことからマリユスに尋ねます。マリユスから自分を救って助けてくれたジャン・バルジャンが指名手配をされていた罪人であることを知ります。

                      ジャン・バルジャンが居る場所は、かってコゼットと隠れ住んだ修道院で働いているのではないかとそこに行きます。そこでコゼットはジャン・バルジャンで出会うのですが、病でジャン・バルジャンはコゼットやマリユスに見守られながら死んで行くで物語は終わります。

                       

                      人は自己に内在する神に目覚めると、愛とは違う行動を取ります

                       

                      それはある意味、常識では考えられないのです。もしジャン・バルジャンが損得勘定だけをする者であれば、自分として監獄に送られようとしていたのは俗に言う浮浪者の類いです。当時の富豪層から見れば社会の屑と思われていた層です。黙っていれば指名手配されていた自分は消えて、別の人間として生きることが出来たのです。

                       

                      人の良心神は目覚めると、自分を偽ることが出来ない

                       

                      私は魂に【点数】が出ることを知りました。この点数は愛ではなくて【人に内在する良心神】の点数なのです。魂の真ん中にある天帝の分魂(直霊)なのです。

                       

                      一部の超能力者や霊能者は最後の審判は【良心神の点数】で、霊界の地位が決まると知っています。だが、知っていてもそれを世間に発信しようとはされていません。愛ばかりを言う低次元界にアクセスしている存在があまりにも多すぎるからです。

                      私は旧約聖書の神と称する声から、【イエスの愛の教えを恐れずに超えて行け。】と告げられましたが、神の高山さえ知らないで蛇や狐と呼ばれる低次元界の霊との関わりばかりで物事を言うスピリチュアル女子の弊害が大きすぎるのです。 自分が見ている世界が最高の世界と思い、それ以上の高い世界があることが解らないなのです。スピリチュアルで関わっている世界とは高くて5次元界。通常は4次元世界なのです。何故ならば蛇霊や狐霊ではそれ以上高い霊界は見えないからです。私も旧約聖書の神と称する声の「恐れるな」の言葉がなかったならば投げ出しています。いくら説いてもいくら説いてもムダで、自分は何をしているのかの「虚脱感」に襲われるだけだからです。

                      最後の審判は行われる。新しい世界に入るに当たってその地位は【良心神の点数】だと解っていながら発信しょうとされない超能力者や霊能者の方を私は責めません。自分を襲って来るのは【虚しさ】だけだからです。そうした方達の頭の中にあるのは、こんな人類を救って何の意味があるかです。私も何度も何度も投げだそうと思いました。

                       

                      日月神示などには【九分九厘】は邪神とありますが、蛇霊や狐霊が見せる物やその言葉に従つているだけでは、蛇霊や狐霊は【良心神】などは言いません。残る「一厘」を知ろうとしないわけです。知ろうとしても無理なのです。何故ならばこの九分九厘は、「百引く1」の仕組ではなくて、大本教神諭予告【九つ花】で解る【九と九】の仕組だからです。言霊の存在が解らないと解けないのです。

                       

                      私が言霊師の師匠の元で修業している当時、その師匠の元を訪ねて来た某大宗教の幹部で霊能者の方を自宅にお泊めした時、その方は【貴方は高い神界からの教えを説く方。だが、この世は蛇や狐と呼ばれる霊が支配している低い次元世界。貴方は霊界ではあまりにも高すぎて低い霊界が見えない。貴方に代わって蛇や狐の世界に関われる女性が出て来て貴方を手伝わないと難しい。】と告げられました。

                      が、私の最初の女性師匠は豊受姫から当時の女性霊能者としては癸院F本全体でも6番目と告げられていて、蛇や狐と呼ばれる世界にはめっぽう強かったのですが、その段階でも私の手伝いは出来ないだったのです。私の元には自分が出口王仁三郎聖師が予言された【みのか尾張の国から現れる誠の女子】ですと名乗って来られた方は多数ありましたが、一人としてその最初の師匠の段階を超えておられない。それでは無理だと解っているのです。

                       

                      その師匠から見て【落第】と言われるような段階で、自分は凄いとか高いとか言われる女性の方があまりにも多いのです。いくら最後の審判が【人に内在する良心神】の点数だと解っていても聞く耳を持たないスピリチュアルの現状を見れば、もう好きなようにしなさいとなります。発信すらムダとなるなのです。私はイエスの愛の教えを何一つ恐れるなと告げられたことから、【多勢に無勢】の中で良心神の啓蒙していますが、心の中ではもう止めたい。されど、動かされてしまうなのです。

                       

                       

                       

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