この世の良い思い出だけをあの世への土産として、この世の悪しき思い出はこの世に捨てなさい

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    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、私に【人の一生とは魂の世界からすると、人が修学旅行に行ったような僅かな時間にしか過ぎない。その僅かな時間の修学の為のこの世で、刹那心に溺れて自分の魂を腐らせてはいけない。いくらこの世が苦しいからと言って、自らの命を絶ってはいけない。人は死んでは生まれ、死んで生まれるの繰り返しである】。

    【人はこの世での修学を終えて、あの世に帰って来る時、この世での良い思い出だけをあの世の仲間達への土産話として持ち帰り、この世での悪しき思い出は一切この世に置いて行かなければならない。】とも告げられました。

    それは、仏教の葬儀でも説かれているあの世に旅立つ時、「喝」で、この世の【未練・執着】を捨てなさいと言うことです。つまり、この世での悪しき思い出はあの世に持って行くなです。

     

    この世は魂の【修学の場】であり、一時の住まいでしかない

     

    つい先日、私の従姉がこの世を去りました。歳は80そこそこですが、突然だったのでびっくりしたのですが、胃がんが発見されて入院予定の前に別の病で急死してしまったのです。その通夜が終わった後に、その従姉の顔が私に大きく出て来ます。その想念です。何か私に言い残すことがあるのかと感じていました。

    私の家系は祖父が養子になりますが、五代前の御先祖霊が霊能者の調べで日蓮聖人の御分魂であったことが判明しています。私は父方の筋で、その従姉は母方の筋で同じ御先祖霊が居るとなって来ます。家系とは何も肉体の血がつながる必要はありません。養子養女に入ると、その家系の霊脈に変わるからです。魂は後から肉体に入るので肉体の「遺伝子」とは関係がないのです。その家筋に入ることで、その家系の霊脈を継ぐなのです。血がつながらなくても、どうしても先祖霊の影響は受けます。

    私の家の仏壇では、その日蓮聖人の御分魂が霊能者には出て来られるがあります。そうしたこともありますので、その従姉の行く末はその御先祖霊に任せるです。あの世のことはあの世の者に任せるです。

     

    その葬儀の後に霊的な疲れを覚えて一眠りして目が覚めると、その従姉の御主人の姿が見えて来ました。今は80歳代ですが、私に見える姿は40歳〜50歳当時の姿です。今から30年〜40年前の出来事と思われます。その御主人が妻であったその従姉にひどい家庭内暴力を振るっている光景です。今で言うDV(配偶者に対する暴力)です。それが従姉の心のトラウマとなって出て来たのです。

    もう80代になった御主人は今は穏やかですが、若い頃はイケメンで女性にモテモテで浮気は数知れず。毎夜毎夜麻雀で遊んでいました。で、従姉が泣かされていた話は聞いていましたが、家庭内暴力を振るっていたことまでは知りませんでした。

    自分が生んだ子供達は父親側に付いて、自分を何一つ応援してくれないという愚痴は聞いていました。それが、従姉がこの世を去った葬儀の後に、その光景が私に出されたのです。

     

    仏教で人は死ねば皆仏様だと言いますが、閻魔庁は晩年は穏やかだったからと言って若いの時の所業をチャラにはしません。チャラにするには、その人の善行と悪行との天秤が平行でなければなりません。イスラム法の【目には目を、歯には歯を】であり、スピリチュアルでも言う【正負の原則】が存在するからです。

     

    自分が犯した罪は、本人に償わせるがカルマの大原則

     

    従姉霊の訴えは、自分が生きている時に自分に一言でも謝って欲しかった。そうでないと、良い思い出だけを土産としてあの世には行けないなのです。これは49日忌までに、その御主人が位牌に向かって自分が悪かったと謝ると感じましたので、機嫌良くあの世に旅立ってはくれそうです。私の伯母は霊感が強く。幼い私が後光を放っていたので、この子は神仏の生まれ変わりだと語っていましたが、その女の子供達も霊感が強く、霊を見るが有りましたので霊界否定論者ではありません。

     

    私は霊能者をしていないのは日常的に霊を見る者ではないからです。しかし、必要な時には私の御先祖守護霊が見させてくれます。なまじ霊が見えると、いろんな訴えが来ます。中には人を騙しに来る神霊達も多々あるわけです。

    私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、【そなたの前世は武将であった。そなたは武将ながらあまりにも人がよくて、人を疑わない者であった。為に、人の魂胆が解らずに悪の魂胆を持った者達の策略により悲劇の最期を遂げた武将である。そなたの今生の学びは、人の魂胆を見抜く力を養うことでである。】と告げられました。善悪の判断力で、相手の腹の中の魂胆を見抜く力です。

    この相手の腹の中を見抜く力とは、自分の前に出て来る神と称する霊に対しても要求されます。相手の自分は〇〇大神ですと名乗る神名などに惑わされて、その言葉に踊らされていてはいけないからです。

    その○○大神などと名乗る霊の魂胆が見抜けないと、それが本物ではなかったと解った時には、自分がボロボロにされているからです。俗に言われる【行者の末路哀れなり】の状態に入るからです。

     

    私が霊界修業に入った当時。夜、眠ろうとすると霊的な光景が見えて来ます。すると【バチン】という大音響と共に、その霊的映像が遮断されるがありました。どこかの霊が私に見させようとする霊映像が私にとっては悪いものと思った時、御先祖霊がその映像を強制的に遮断するでした。時には日蓮聖人の直弟子であった方の霊が、私が寝ている間も不寝番として見張ってくれていました。

    その御先祖霊は私が2番目の師匠の元で言霊を習っている時、その御祭神は【国常立尊】と称されていましたが、その神霊に楯突いて、その師匠からお前には糞坊主が付いていて、このわしに楯突くと言われたものです。当時の私はそれが「ニセの国常立尊」とは思えず、どうして先祖霊は楯突いているのだろう?。さすがに「国常立尊」と呼称するだけに凄まじい霊力の主であり、楯突けるのだろうかと不思議に思っていました。

    その先祖守護霊の霊力は出雲大社教の教師から出雲大社の神と比べても遜色がないと告げられて、出雲大社の神と並ぶほどの霊力?。に首を傾けていたところ、日蓮聖人の御分魂で私の家系に生まれ出た方だと判明したのです。

     

    私は神霊とほとんどしゃべりませんが、それに関して最初の師匠は、豊受姫が豊受姫の許しなき神霊は私と直接会話してはならないと神界に命令を発したからと言われます。私は人(性格)がよいで下級神霊の言葉に騙されない為の予防です。

    その豊受姫のお代であった師匠は、貴方が見る霊的光景は本物ですと言いましたが、それは私の家系の御先祖霊が私に見せるべき映像か見させてはいけない映像かを判断していると言えます。

     

    自分がこの世で周囲からどんなにひどい仕打ちを受けたとしても、死後の世界でそうした想いをトラウマとして持つと浮かばれない霊ともなります。

     

    それは、神の愛で何をしても赦されると説くスピリチュアルの論理ではない 

     

    この世で他人にしたむごい仕打ちは、その本人がカルマとして背負うからです。悔い改めない限り逃げられません。

    それは子供だからと言って、赦される事柄ではありません。一人一人の子供にも守護霊と呼ばれる霊は存在しており、そうした守護霊が子供であってもその行動を見ていて、悪い行動に走ることは阻止しなければならないからです。ですから、子供の場合はその責任はその子供の守護霊として就いた霊が責任を負わなければならないとなります。

     

    霊能者相談で、自分の子供は盗みばかりをするの親の相談に、霊能者が御祭神に頼んでその子供の守護霊を交代させるをしたところ、その子供の盗み癖が治ったなどの事例があります。その守護霊自身に盗み癖があったなのです。守護霊と呼ばれている多くは副守護霊(神)と呼ばれている段階で、必ずしも正しいことと悪しきことの判別が出来ているではありません。人はそうした副守護霊と共に魂の修業をしています。

    何故にそんな先祖霊が副守護霊になっているか?。ほとんどの人はどうして自分がそうした家系に生まれ出たのかの理解すら至っていないのです。親は子供を立派に育て上げると神から賞されます。すなわち、自分の天国行きの道も開けて来るなのです。自分がだらしない親をしているでは天国行きは起きないなのです。逆に死後に自分が苦しいからと子孫に懸かって子孫を苦しめるなのです。

     

    私達の肉体は、この世の学びで自己の魂を磨くと共に、未だ天国世界に渡ってない自分を守護している霊の霊界での向上にも勤めなければならないのです。この世での肉体を貰うということは、それだけの価値があるのです。他者も霊も助けることが出来るからなのです。

    神の愛で何をしても赦されます等は、結果的に地獄行きを推奨する論理なのです。

     

    単にこの世は楽しいで、遊んでいた肉体の魂は天国には行けません

     

    お釈迦様の悟り【この世は苦界】。そこから何を得たかです

     

    貴方がこの世でどれだけ他人からひどい仕打ちを受けたとしても、その恨みを果たしてはいけないのです。この世での貴方が受けた仕打ちは、あの世に持って行ってはいけないのです。忘れるのではなく、この世に捨てるのです。

     

    貴方の恨みは、艮の心で【閻魔大王】が貴方に代わって果たす

     

    艮(ウシトラ)金神【国常立尊】の意味が理解出来ましたか?

     

     

     

     

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    西暦2018年の犬の祓い年の現時点で、弥勒世に渡る有資格者は3億8千5百万の神柱か?

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      私は今の世が立て替わって、やがて永遠性を持った嬉し嬉しの弥勒の世(神の御国)が到来して来ると語って来ました。しかし、現在のスピリチュアルの世界ではそうしたことを語っている方は少数も少数になってしまいました。今では火が消えたようになっています。

      この地球の置かれた環境は日増しに悪化しており、自然災害も多発して来て、今の人類の力では病んだ地球は救えません。創造神と呼ばれるような神が存在していて人類を救済するでなければ、遅かれ早かれ人類は消滅するでしょう。私は人類は創造神と呼ばれる神によってのみ新しい世に向かうと思っている一人です。

      それは子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【私は永遠の嬉し嬉しの未来の世に人類を渡す】と告げられたからです。

       

      弥勒の世の到来を語る人達の中では、だいたい私と同様の論調がなされています。新しい弥勒の世とは今の地球上ではなくて、聖書のヨハネの黙示録にも記載される新天地、新地球上です。その新地球を「宇宙船」と呼ぶのも一緒です。ただ、次元が異なっているので科学的にはその存在証明は出来ないのです。そもそも現代の科学では霊界そのものが証明不可能です。為に多くの学者は霊界の存在を否定しています。死後の世界を否定して、神の存在を否定しない等の矛盾の科学者も出ています。

      いくら聖書に書かれていても、常識的に言えば新地球などとても信じられる話ではありません。私達人間は霊能力が備わっていれば神社仏閣に鎮まる神霊の存在は確認出来ますが、【創造神】などよく解らないのです。世に出ておられる神々ですら、創造神の存在に関してはよく解っておられないがあります。神界の末端の霊等は、創造神?。そりゃ何じゃとなります。まず聞いてもムダです。

       

      その新地球論を言う少数派の中で、以前はみろく世に渡れるのは世界で一億人あるかないかの論がありました。それから数年後、ようやく2%に達した。次に、二億人には達していないが二億人弱まで増えたとの説が出ていました。しかし、あまりにもその数が少ないので、実際に立替が実施されるのかの疑問も出ていました。そうした論者は次々とこの世を去られましたので、そうした論も今では僅かな人だけとなりました。待てど暮らせども、一向にその兆しが見えて来ない弥勒世の宣伝マンの悲哀です。

      そうした新地球論は架空論であり、現実にはそぐわないとなります。だが、その時が現実に私達の目の前に襲って来た時には手遅れだとなります。霊界に関わることは実にやっかいなことで、自分に他人に目に物を見せる奇跡力が無いと、それは人々に信じて貰えないとなります。

       

      死後の世界など無いと言う人達に霊界があることを解らせるのは「奇跡力」ですが、霊界の奇跡力は龍神と呼ばれる存在が起こして来たりしますが、結局は龍神をバックにしたおかしなおかしな自称救世主と名乗る人達の続出だけで終わります。

      龍神と呼ばれる存在が人に見せて来る奇跡としては体や手に金粉現象が現れることは知られていますが、それでこの地球が元の地球環境に戻せるなどの霊力はありません。龍神に個々の人を助ける霊力はあっても、地球を救うだけの霊力は無いからです。

       

      その弥勒の世とは、俗に【五六七】と言われるように、最低の基本次元界が五次元霊界となります。単に死ねば誰でも入る四次元霊界ではないのです。その世界そのものが【第三天国とされる天国界】が最低ラインとなるのです。

      霊界が天国や地獄や中有界などの階層を持った世界であることが認識出来ると、こんな我欲にまみれた世界よりも、天国天人達が本当に嬉しそうに暮らしている世界にこそ、人々の本当の平和と幸せの世界があると解って来ます。すると、この世には何の未練も無くなるのです。仏教で説かれた「この世の執着」から離れるが出来て来たりします。

      その為には、今の地球上に居る人達の意識を【天国界天人の意識レベル】まで引き上げなければならなくなります。スピリチュアルで、何もしなくてもこの地球が自動的に五次元世界に行くのですの論調は言えないなのです。

       

      世の大立替説は、日本では大本教が最初に出したとされますが、調べると天理教からも出るには出たのです。しかし、何と言っても大予言者とされる大本教の出口王仁三郎聖師の存在が大きかったと言えます。出口王仁三郎聖師の存在を知って、その予言を的中させた内容の数々を知るならば、その凄さが解ります。スピリチュアルの比ではありません。神社に鎮まる神霊で、そんなことが言えただけの神霊そのものが居ないなのです。

      私は大本教の出口王仁三郎聖師を高く評価されている霊能者の方が、その出口王仁三郎聖師と違うことを言われた時、貴方と出口王仁三郎聖師では言われることが違っていますが、どちらが正しい説なのですかと質問すると、だいたい自分の方が間違っていましたと訂正されます。それぐらい出口王仁三郎聖師は正しい霊能者達の間では高く評価されています。

      そうした霊能者の方達は、自分はとてもその神界の域に達していないと理解されているのです。俗に言う神界の高山のレベルが自分と出口王仁三郎聖師とでは違っているなのです。

       

      しかし、出口王仁三郎聖師の肉体の行動が全て正しかったのかと言うと、それは違っています。その大本教の出口王仁三郎聖師は、自分は「ニセ者」であったと発表されましたが、本番は自分とは「似ても似つかない人」だと残しておられます。それは出口王仁三郎聖師的な行為行動の持ち主ではない肉体の存在とも言えます。

       

      本当に霊格の高い方達とは、大本教には所属せずとも大本教の出口王仁三郎聖師の霊界での格の高さを理解されています。一方、自己の霊格が低いことが解っていない霊感者レベルでは、大本教の霊界物語を「あほだら長い経」と批判して、そこに書かれている意味合いが解らずに、直感だ!。直感だ!。で、蛇霊や野狐霊達が化けた神霊の言葉にコロリと欺されるが起きています。

      自分では自分に臨んできている霊が、天照大御神や大国主命だと思っていても、他の霊能者からそれは蛇霊や野狐霊が化けているだけだと言われていることに自分では気づけないなのです。

      言うなれば、蛇霊や野狐霊段階では、あんな「あほだら長い経」そのものが書けないのです。意味すら解らない。為に、批判だけをする。そのあほだら長い経の中に「宝石」的な内容をちりばめてあることが解らないなのです。それは邪神達には意味が紐解けないようになっているからなのです。

       

      世の立替を説いた大本教からは人類の「3分」だけが新しい世に行けると説かれたようですが、その3分が全体の1/3のことなのか?、単に割分厘の3分なのかはっきりしません。大本教の出口王仁三郎聖師は人類の3%(3分)などあってたまるかと述べておられますが、私も同意見です。それでも聖書の14万4千人よりも遙かに多い数とはなります。

      この1/3とは天下を三分けに構成させてあることから解ります。天国と中有界と地獄の三分け。第一、第二、第三と天国を三分け。第一、第二、第三と地獄を三分け。そこに2/3の「666」と1/3の「333」に分けがあるにはあるのです。

      単に「666」の数字だけを持ち出して、三つ六でみろくとか悪魔の刻印だと言っても意味が解りません。神界の力が正神界333、中間派333、邪神界333ならば、その中間派の帰属如何によって神界の力関係は「666」と変わるからです。

       

      可能であるならば、全ての人類を弥勒の世に渡したいは【国常立尊】様の願望であろうと思い、私も微力ながらも一生懸命みろく世に全ての人が渡れるように【悔い改める】ことを主眼にした、人に内在する良心神を説いて来ました。

      しかし、スピリチュアルでは何もしなくてもいいのです。神の愛で全ての罪は赦されるのですの一点張りです。誰も【悔い改める】を言わないわけです。確かに、神の愛で何をしても赦されるであれば、【悔い改める】などと説く必要はないのです。時には【良心の呵責は重いので、良心などは捨てましょう】です。スピリチュアルでは言われることは私とは真逆の説明なのです。

      スピリチュアルの言葉が本当に正しいのであれば、どうして【地獄界】が存在して来るのか?。その説明すら出来ていないのです。本当に霊能力があるならば、【地獄界】を一度も見ていないなどあり得ないはずです。地獄界の存在を見れば、【神の愛で何をしても赦される】など言えないのです。

       

      私が子供の頃、私に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、【そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れずに、イエスの愛の教えを乗り越えよ。】と告げられました。どの神からも貴方に教えることなど出来ないと告げられて、今は埋没してしまっていたお釈迦様の菩提樹の下の本当の悟りが、【悪魔は実態を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在する。】であり。それは大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】で、五六億七千万の「みろく(369)」を出せると解ったのです。

      今日知られるお釈迦様の悟りも、後世の者達によって書き換えられたものであり、そうしたことになると事前に解っていた国常立尊(祇園精舎の守護神たる牛頭天王)によって、日本の言葉であっても、それを言葉と数霊で仕組まれたと言えるのです。それは伊勢神宮に鎮座する神でもなければ出雲の神でもないのです。

       

      西暦2018年は犬年で、祓いの年と昨年出ました。しかし、神社で見られる祓い串による祓いとは、人の肉体に降りかかった霊的なチリや誇りの類い。すなわち霊的な【ダスト】程度の祓いであって、魂そのものを汚した場合には祓だけでは解決しません。

       

      汚れた魂は【身削ぎ(禊ぎ)】によってのみ、汚れが落とされる

       

      何故、禊ぎの漢字は神との【契約の示し(示契)】なのか? 

       

      つい先日、そんな中で私は不思議な夢を見ていました。とある場で大工の棟梁が新しい家を建てる為に無数の柱を立てています。その棟梁が新しい家の柱立てのお祝いに、私に【三億八千五百万】とお囃子をしてくださいと言います。私は言われるがままに、棟梁の祝い歌の間に【三億八千五百万】とお囃子を入れるのです。

      夢から覚めて、【三億八千五百万】が【柱】の数の意味だと気づきました。これは新しい地球船に渡る人(神柱)の数は以前は二億人弱と言われていましたが、ようやく三億八千五百万神柱まで、その数が膨れあがったです。立替そのものは「柱」の意味で表現されます。ですから、柱立ての祝い歌です。

       

      祝い歌が出たとは、立替は実施されると思われます

       

      しかし、これらは私が単に見た夢でしかありません。その計画の主にそれだけの神力がなければ「ポシャる」でしょう。

       

      仮に立替が起きるとしても、この数は入試の様に定まった数ではなく、現時点でそれだけの数に達したです。未だ犬の祓いの年は来年の節分まであり、その数は更に増えて行くはずです。私より少し前に、その三億八千五百万よりもいくらか少ない数を受け取った方があったようです。たぶん、三億八千五百万前後に近い数字を受け取った方達も既に世には出て来ているはずです。

      2018年度中の地球の人口は76億人規模と推察されます。仮に弥勒の世が創設されるとしても、未だ5%程度の人数しか確保が出来ていないとなります。それでは未だ永遠の嬉し嬉しのみろく世に渡る人の数としては少なすぎます。未だ最終確定人数ではないと思えます。現時点でみろく世行きが決定したこの世の人の数と考えられます。

      その時の問題はみろく世に渡る人数ではなく、大本教神諭に記載される霊界の【上・中・下】の三段。【五・六・七】の三段に振り分けが起きることなのです。大本教神諭にある魂の段階の入れ替えで「上の者が下に行き。下の者が上に行く」で【不満】を出す者が出るなのです。ですから、早くから立替が予告されたのです。

       

       

      これから先は、強制的な魂の身削ぎ(禊ぎ)洗いによって、みろく世に渡る人の数は一段と増えて行くと予想されます。

       

      創造神の大望は神々や人民が創造神の【栄光】を讃えるで、滅ぼすではないからです

       

      為に、表舞台から退(艮の道)いてまで仕組んで来られたのが【ウシトラ】なのです

       

      私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【そなた一人だけにはこの神の仕組みを見せる。】と告げられて来ましたが、その仕組みとは、夢で意味を教えられて来たのです。霊界は情報が【筒抜け】であり、言葉で降りたのではないのです。言葉で降ろすと邪神達もその仕組みを知るからです。

      私が霊界修業に入って言霊師の師匠の元に居たある夜、夢に私の姿をした人形が浮かんでいて、声が聞こえて来ます。それは童謡の「人形」のメロディーに乗せて、【私の人形は良い人形。どの神様の人形よりも、その見かけは悪いけれども、私の心を受け継ぐ良い人形。】と歌っているのです。その歌声に乗って、私の姿をした人形が動かされているのです。以後、夢の中に私の姿をした人形が出て来て、いろいろと演じる内容を夢に見ていて、その行動から言葉の仕組みを紐解いて来たと言えます。

      私は霊界修業中、どの神からも貴方に教えなどは出来ないと告げられて、豊受姫は豊受姫以外の神霊が私と直接会話することを禁じられたと最初の師匠が言っておりましたが、例え神霊が出て来られても私に教えるではなく一言とか二言です。大国主命様も幾つもの姿を変えて私の前に出て来られましたが、その言葉は一つも聞いていません。なのにどうして言葉の仕組みが解けたかと言いますと、私の夢の中で自分が出て来て何かをしている。その内容を言葉に置き換えるだったのです。

       

      では、その三億八千五百万人だけが弥勒の世に渡るのかと言いますと、これはこれから来る立替の大嵐。その嵐には【禊ぎ(魂の身削ぎ)】を伴いますので、その禊ぎの期間を楽に越せる人数と考えられます。それらの数は、今日までに既に自己の魂を浄化浄霊して来た人の数とも言えます。蛇霊の囁きから脱却して、みろく世の神柱の地位を手に入れた人達の数だと考もえられます。

      大本教神諭に、【人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらず】とありますが、その神とも成れた存在です。

       

      されど、

      未だ地球に関わる神霊世界は、力の強い者が勝つであり

      力による獣の論理が支配しています。

       

      より多くの人達が【嬉し嬉しの五六七の世】に行く為には、神界における最終戦争が未だ終わってはいません。

       

      それはモーゼ外伝にもあるように、蛇霊神達との戦いになります。蛇霊神を帰すミカエル(巳帰る)の働きが必要なのです。蛇霊の囁きから脱却しないと本当のエデンの園(神の御国)には戻れないからです。どんな事態になろうとも、その時を楽に越せる現時点での人数かと思われます。

       

      私が修業時代、蛇霊に改心の言向けをすると、【改心など殺されても絶対にしない。その時が訪れたなれば暴れに暴れて死んでやる。】等と返して来ました。立替の時は、その蛇霊達の死を覚悟の暴れが危ないのです。

       

      言葉上では簡単に立替などと言えますが、実施ともなればかなり難しいと言えます。容易な事柄ではないのです。蛇霊達がどう動くのか?。その影響が如実に私達の上に現れるからです。

       

       

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      2018年は【祓】の犬年で、2019年の猪年は【獣の者】と【亥】の者とに別れ?

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        明治25年(西暦1892年・いち早くに)に世の大立替を宣伝した大本教から、艮(丑寅)金神国常立尊と坤(未申)金神豊国姫の存在が世に出されました。

        国常立尊の神名は日本書紀には初発の神として、古事記では最初が「天之御中主」で、別天津神の後に神世七代の最初の神として「豊雲野尊」と共に出て来ます。だが、記紀神話では「豊国姫」と呼ばれる存在は出て来ておりません。大本教が最初かと考えられます。

        私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【日本神話は私が創作させたものであって事実には有らず。何故に私がそうしたことを仕組んだのか?。そなたはその意味を紐解きなさい】と告げられました。

        また、私の霊界修業のお世話になった豊受姫からも、日本神話は事実にはあらずと承りました。神話とは時の権力者の都合が良いように何等かの作為がなされたものであることは、世界の神話を見てもそれは言えます。神話から真実を掴むなど困難と言えます。まして、今の世に出ておられる比較的若い末端の御神霊達は、それが事実だとまで思い込んで居られる節があります。

         

        大本教から出された【艮(丑寅)】と【坤(未申)】は、十二の方位と時を示した言葉でもあります。

         

        子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

         

        そこに、誰も考えなかったのでしょうが、何故に一年間は365日で、一日は24時間で、24×60分で、一分は60秒であらねばならないのか?。

         

        そんなこと、誰が決めたのでしょうか?。誰がそれを見つけたのでしょうか?。今日まで、私達はその説明を誰かから聞いたでしょうか?。どこを調べても解らないのに西洋でも日本でも時計は「12」の数値を持っているわけです。そこには宇宙の【法(のり)】があります。

         

        私が西暦1998年に見せられたものは【神の時計】であり、大本教霊界物語に記載された、主の神は約【三十五万年前に御引退】で、神の時計を見ていてとんでもないことを知ったのです。

        そこに大本教出口王仁三郎聖師の遺言とされる【時節を待っていたならば、みのか尾張の国から現れる誠の女子】の意味があったとも言えます。【言霊】は言葉の構成ですが、【数霊(かずたま)】と呼ばれる存在も霊的世界では働きを持っていることは知られています。

        そこに【言霊】と【数霊】が密接に絡み合っているとも言えます。

         

         

         

         

        私が昨年見せられたことは、西暦2018年の【戌(犬)年は祓いの年】であり、次の西暦2019年は【猪(獣の者)の年であり、亥の年】となるです。

         

        私の夢に【馬小屋の救世主】ではなくて、女子で【豚小屋の救世主】と出て来た時には何の意味かと考え込んでしまいました。豚に掛かる意味は「猪」です。豚は元は猪からの改良です。猪には【獣】偏の漢字が出ますが、豚の漢字には獣偏がありません。すなわち、豚は【獣偏】たる存在では無くなったなのです。

         

        猪(獣の者)とは

         

        人の顔をしていても、その魂は獣(毛物)のことであり

         

        亥の者とは、亥は【核】を意味しており

         

        人に内在する魂の核(天帝の分魂で良心神)が表に出ている者 

         

        この【亥】の漢字だけを見ていると、あまり意味がよく解りません。大本教からウシトラ(丑寅)とヒツジサル(未申)が出されましたが、丑寅は神が掛けた【紐によって演じ(劇)る】意味であり、未申は【未来を申す】様に、【亥】に関わる漢字を見ることによって意味が解るようになってはいるのです。

        私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれ世界で唯一つの国であり、そなはそれを見て人々に告げなさい】と、言われたことでもあるからです。

        大本教神諭に、この仕組みに三千年かかったとありますが、大本教霊界物語の【中国の盤古大神から、国祖国常立尊に神界の大政奉還(返還)】とは、漢字の変換であり、漢字で言葉の仕組みを組み立ててきたのは実は中国の盤古大神ではなくて国常立尊であり、言葉の仕組みは日本で紐解けるものだからです。

         

        私達は時間のことを【時刻】と言います。この「刻」は【亥の刑】で【きざむ】ということです。そして時計は時を刻んでいるのです。

        また、刻は獣の皮を刻剥する。そこから【苛刻(苛酷)】の言葉が出ます。

         

        創造神は私達に神とも成る為に【犠牲】を課しておられました

         

        その犠牲は、犠牲の漢字を見れば【牛】と【羊】が出て来ます

         

        しかし、今回やっと私に解ったのですが、犠牲と云う漢字以外に犠牲の示しの働きとして【豚】がありました。確かに、牛、羊、豚は私達に肉として食べられているのです。私はどうして牛と羊だけが犠牲で、豚はどこに行ったのかと首を傾げてはいたのです。

         

        大本教の出口王仁三郎聖師は【漢字】の研究をされていましたが、出口なお開祖派の過激な信徒達は大本教神諭が「ひら仮名」であったので、「ひら仮名」を重んじるのではなくて漢字を研究をしているで出口王仁三郎聖師の住まいを襲い、その研究書を全て燃やすという事件がありました。

        それらの信徒は、日本の「ひら仮名」が【漢字】を元にして創られたものであることすら何も理解していなかったと言えます。信仰の狂信が起こしたのです。

         

        この場合重要なのは「豚」の漢字ではなく、肉月が無い【豕】の漢字です。この「豕」がどの漢字に使われているかに意味があると言えます。

        一番解りやすいのは【スイ】の漢字ですが、これは通常のPC上では出せません。紙に書かれたものでしか解りません。隧道(墓に通じる道・トンネル)の【隧】の漢字の一番右の部分の漢字です。

        私が子供の頃、トンネルのことを【豚(トン)が寝る(ネル)】などと言っておりました。それは単に語呂合わせなどと思っておりましたが、漢字としても意味を持っていたと言えます。

        この【スイ】の漢字は、犠牲として殺された獣によって願うことで、願いを達成する意味が【遂行】なのです。古代において、神に何等かの動物を犠牲に差し出して願うはシャーマン達がして来ました。すなわち「豚」もまた犠牲と言えます。

         

        私達は【切磋琢磨】という言葉を知ります。切は刻む。磋はとぐ。琢は打つ。磨はみがく。私達の【魂】はこの社会で、刻まれて打たれて研ぎ磨かれるのです。琢の字そのものは【玉を遂行】させるなのです。

        スピリチュアルで【何をしても神の愛で赦されます】と説いている存在は、真逆の道を教えている者達なのです。霊界には【正負の原則(目には目を、歯には歯を)があり】。それらは私達に【カルマ】として起きています。それを無視続けるということは、そうした人達の教えに従うと案内されるのは【墜ちる】道なのです。

        何も知らない人達は神社仏閣に参拝すれば、そこに正しい神仏霊が存在しているとばかり思っています。今の神霊世界は【力の強い者が勝つ】の獣の論理が支配しているのです。

         

        今年の「犬」年は【祓い】の年で、来年の節分までは祓いの期間でしょうが、【祓い】とは魂の表面に付着したゴミやチリ程度の霊的な【ダスト】の除去(祓い)であって、魂を大きく汚して魂から【毛物(獣)】を発生させた【禊ぎ(身削ぎ)】の状態ではありません。来年の節分以降が、人の顔をしていてもその魂は獣(毛物)の者と、そうでない人達を霊的に分離する流れになるのかも知れません。

        西暦2019年節分から各自の救世主たる【魂の核】の動きが世の表面に現れて、その後の西暦2020年に、地、水、火、風、空とされる【五輪】の働きが御臨終に向かい。私が豊受姫から聞かされた【立替の嵐】がやって来るとも考えられます。

         

        その立替の嵐の期間を【楽に越せる】か、【苦しむことになるか】は自分の魂を獣(猪)にしているか、魂の中味の【核(亥)】を出しているかとなります。

         

        その時、人々は神は【むごい仕打ち(刻)をする】と言うのかも知れません。

         

        だが、それは【一時苦のイチジク(無花果)】であり、魂の実りの時となる

         

        イエスの教え、イチジクの葉が色づく頃を知りなさい。

         

         

         

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        この世と地球の霊界は重なり、霊場の霊に移動が起き出している可能性?。に、注意

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          私達は死後の世界を一般的に【あの世】と称していますが、その霊界はどこに在るのだとなります。宇宙の星に行く魂もあれば、この地球に留まる魂もあると言えます。

           

          今の日本では一般的に人は死ぬと【天国】だと云う言い方がなされていますが、それは最近の話で以前の日本では【死者は草場の陰から見守っている】などと云われて来ました。

          また、一部に仏教の理想王国として【シャンバラ帝国】が云われて来ました。仏陀が説いたとされる【理想郷(極楽浄土)】のことだとする説です。この「シャンバラ帝国」とは人は死ねば空の上とされる天国世界では無く【地底王国】とも呼ばれていますが、それは理想王国だとする説もあれば、地底の中だから地獄界ではないかと考える人もあるようです。

           

          西洋で言う天国とは【パラダイス(楽園)】の意味であり、仏教で言えば【極楽】ですが、それは「空の上」だと勘違いしたのが人は死ねば「天国」論と言えます。別に「パラダイス(楽園)」は空の上とは限らないのです。

           

          地球に関わる霊界は、この地球と重なる様に層として存在する

           

          地球の内部に霊界が存在すること自体も、何の不思議でもない

           

          私は霊能者と呼ばれるほどの霊能者ではありませんが、熊野本宮の元跡地や各地の瀧場や神社等から地底に降りる道があることを霊的に見たことがあります。それは俗に言われる【亡者道】とは別の道とは言えます。神霊達そのものが地下に存在するです。

          伏見稲荷山に行くと一万基とも称されるお塚群があります。死者を葬る【墓石】的なものです。そのお塚に祀られている神霊や白狐等の眷属霊はどこに居るかとなります。死ねば天国の空中でしょうか?。地球の地下内部が地獄界だと決めつけるのは理解不足と言えます。

          そうした霊的な道を見た時、出来ることならばこの肉体から魂(意識)を脱いで、その世界がどうなっているのか見たいという好奇心はあったのですが、如何せんそうした時に限って肉体から自己の魂を飛ばせないとなります。

           

          元の熊野本宮跡地にある二つの石塔の一つから白いモヤの様な物が現れて、私と同行していた女性を覆ったので何事かと御本人に聞くと、二人の白いドレス(日本の飛鳥天平時代の貴族女性の様な衣装)の女性霊が、その石塔から現れて自分をその石塔の中に連れ込もうとしたので振り払ったと言います。そこで私は、せっかくのチャンスだったので、その石塔の中から地底に入って見聞してくれば良かったのにと言ったことがあります。

          そうした霊能力がある人は、そうした世界を見聞するのも霊界を知る貴重な体験になるからです。無論そうした時には肉体は失神状態になりますが、そこは元に肉体にその魂を戻す自信はあったのです。私は霊能者はしていませんが、私の背後にはそれが出来るだけの霊達が存在しているからです。

          私は霊能者から幾度か命を狙われましたが、その攻撃から命を守ってくれたのもそうした守護霊達のおかげです。

           

          私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、社会人となって霊的世界に修行に飛び込んだところ、豊受姫を初めとして7〜8名の霊能者の方から貴方の本守護神は「国常立尊」様ですと告げられて、それは旧約聖書の神と同一神でないのだろうかという考えに立ちました。

          そうした中で私に告げられたことは、【みろくの世】とはこの地球ではなくて、未だ人類が知ることが無いこの地球と同型(瓜二つ)の【新地球】であると告げられたのですが、そんな途方も無い話を信じる等は霊に【騙されている】と言われたならば、その可能性は否定は出来ません。しかし、今の人類は霊的世界に対してあまりにも無知であり、もっと霊界を知る必要はあるのです。

          ただ、私は日本語であれ【言葉の仕組み】を知った時、これは単なる霊。神社等に鎮まっている神霊では無理だと気づかされて、単なる霊の存在云々ではなく【言葉の仕組み】をした神の存在があると確信に至ったなのです。

           

          私はUFO肯定派の者です。実際にUFOを見るではありませんが、自分の夢の中ではよくUFOが出て来ます。それもUFOの大軍団の来襲です。最終局面では夜空を覆い尽くすほどのUFO群団が出現するのではないかと見ています。ノストラダムス予言の【恐怖の宇宙大王】の正体です。

          こうしたUFOは宇宙の彼方の星から母船と共に来る物もあれば。この地球の地底に存在するとする説もあります。私達が持っている科学の常識からすれば地底にそうしたUFO基地がある等は納得し難いでしょうが、次元が違って来るとそれも可能となります。

          私の2番目の師匠は、日本の幾つかの山である地名を上げて、そこにはUFOの出入口があると言っておりましたが、【シャンバラ帝国(地底王国)】があるとするならば、そうしたこともありえるなのです。

           

          私の自宅を2回も訪れてくれた精神世界系列の霊能力者の人気ブロガーさんが、私の自宅の神棚に出て来た白狐霊から、【この家の神棚を通した地下は忍者屋敷のようなもので道には秘密のカラクリが幾重にも施されており、霊能者だからと言ってこの家の下の地下世界の様子を知ることは出来ない。】と告げられたと私に語ってくれました。

          私は自分が住んでいる自宅の地下のことは解りかねますが、前に住んでいた家では横に天之御中主を祭る神社があり、私の家の横に霊的な地下に降りる道は見ました。そうした地下に降りる道がある場所が【霊場】等と呼ばれていたりします。

           

          大本教から出された世の大立替説は、正神界も邪神界もそれは三次元世界の終わりであり、人類が五次元世界に向かうは一致しており、その時には聖書に記載される今の太陽は輝いていないで、国常立尊派は新地球に移行して、反国常立尊派はこの地球内に人工太陽を創り自分達の帝国を築くで動いてはいるのです。元々、地底王国とされるシャンバラ帝国も人工太陽で明かりを持っているとする説もあります。

          この反国常立尊派の霊能者の方達はある【マーク】を使いますので、それで見分けがつきます。この派は国常立尊を唯一神と拝することはしません。反国常立尊を鮮明にしています。そこには多くの実践霊能者達も参画しています。しかし、最近はそのマークそのものをあまり見かけなくなって来ました。霊的世界で何か変化が起きている可能性があります。

           

           

          アメリカの貿易センタービルに旅客機を乗っ取ったイスラム教過激派のテロ一味がビルに突っ込む同時多発テロを起こし、これは【9.11事件】として人々の脳裏に焼き付きましたが、この事件の前に私の最初の師匠に不思議な出来事が起きました。

          私はその当時はその師匠の元を離れていましたので、後日、その話をその師匠から直接に聞いたしだいです。それを後付け話と言われれば、それもいいでしょう。後付けの話は何とでも言えるからです。

          ただ、私が霊界修業のお世話になった豊受姫は、阪神淡路大震災や普賢岳爆発を事前にその師匠に告げていた存在です。頭から後付け話だと否定も出来ません。【9.11事件】の数日前、その師匠に豊受姫が不思議なことを言われたとその師匠が私に言いました。

          それは、【代、そなたには少しの間だが眠って貰わなければならない。】です。その師匠は豊受姫の言葉には絶対服従だったので眠りに就くことを了解されて、神社の社務所は当分の間は留守なので相談お断りとしたのです。神社の境内地にある自宅も鍵を閉めて、誰も家に来ないようにしたのです。

           

          その師匠が目覚めて、自分はいったい何日間眠っていたのだろうとテレビをつけると、そこに映し出された映像は【9.11事件】のアメリカの貿易センタービルに乗っ取られた旅客機が突っ込んで貿易センタービルが崩れ落ちる悲惨な光景です。

          そこで、その師匠は慌てて社務所の祭壇に額づいて豊受姫から話を聞くと、アメリカの貿易センタービルは多数の霊が眠る霊場の上に建っており、【9.11事件】が起きることは豊受姫は事前に解っており、その霊場にこのテロで亡くなった霊達を収容するので、以前からその地に居た霊を別の場所に移行させる為に、その霊達の浄化を代の肉体を持ってした。その為の代の眠りである。】と告げられたと私に言うのです。

           

          そんな話は一般的にはにわかには信じられる話でないことぐらいは、私も重々解っています。ただ、その地に居た霊を他所に移行させる為に霊媒質者の肉体を使って霊を浄化させることで、その霊媒質者が眠るということはあります。現に私はそうした作業を長年して来たのです。

          私は子供の頃、どうして自分はこんなに眠るのだろうかと不思議に思ってましたが、その師匠に出会って他者の霊(自分を供養してくれる肉体の子孫を持たない霊)の為に、そうした浄化浄霊作業があることを知ったのです。

           

          最近、とある話を聞くようになって来ました。そこに霊が居た(霊力を感じた)と思われる場所に霊の存在を感じなくなった。これまでは霊を感じなかった場所で霊の存在を感じるなどの話です。つまり、霊が住む場所を移動したのではないかと言う話です。

          この手の話は以前からありました。そこには元々は神霊が存在していたが、その神社が何時の間にか空の神社になっているです。こうした【空神社】の存在は霊能者サイドからかなりの報告がされていました。そこにある疑問がなされていました。

           

          神社に鎮座していた神霊達どこに行ったのかです

           

          私が前々回に伏見稲荷山に上がった時、荒れ果てたお塚を見て、そこにはもう本来の祭神たる稲荷の神霊が居らず。仕えるべき主(ぬし)神達が居なくなった眷属の白狐霊達を大量に引き取って帰って来たがありました。その白狐霊達のことを書いたのが私がブログの4番目の記事になりますので、今から七年も前の話になります。

          その中で私が首を捻ったのは、これらの白狐霊が仕えてた主(ぬし)たる稲荷神は自分の部下達を稲荷山に残して、いったいどこに行ったのだ!。です。そうしたことに関しては、一部で神霊達の引き上げが起きているとの説はありました。

           

          その後、一時は寂れて露店も減った伏見稲荷山は信仰の山から外国人の観光地のようになり人の数は賑わっています。今はこの世から去りましたが豊受姫のお代であった最初の師匠の著本であったかと思いますが、その師匠が伏見稲荷山は信仰心を持たない外国人が大量に来る観光の山となったことで、白狐霊達が外国人を恐れてその姿を見せなくなったと書いています。

          私は霊能者商売をしている者ではなく、一介の霊界見聞者にしか過ぎません。私が神霊世界から見せられる光景には限りがありますし、何もかも語れる者ではありません。ただ、今は神社巡りは卒業して神社参拝もしておりませんが、観光で訪れた神社仏閣で、ここにはもう本当の神霊は存在していないのではないだろうかと感じる場所が増えています。

           

           

          今年(西暦2018年)の9月上旬、伏見稲荷山は台風30号により、甚大な被害に見舞われました。一週間ほど閉山を余儀なくされたようですが、私が修業時代にお世話になった豊受姫たる伏見稲荷山三ノ峰の白菊社のお塚もひどい惨状となったようてす。

          かなり前ですが、私はある事柄で京都市を直撃予想の台風を豊受姫に対して、その事柄が神界で必要な事案であるならば台風の進路を変えてくださいと願ったことがあります。すると、和歌山の手前で京都市を直撃予想の台風が右に変わるという気象予想を外れるコースを取ったがあります。

          その頼みとは私個人のことではなく、神界に関わる重大な出来事だからお頼みしたことですが、そうした力を持った豊受姫が首座神の伏見稲荷山に、何故にあれほどの被害が起きたのかとなります。

          大本教が時の官憲の手により、神殿群はダイナマイトで爆破される等の大弾圧事件がありましたが、大本教の出口王仁三郎聖師は大本教が潰されることが、それまでの日本の国のカルマの解消になったと述べておられます。前回のブログに書いた【代物弁済】が起きたか?。です。

           

          磁場たる霊場も霊力が強ければ、自然災害の猛威を防ぎます

           

          しかし、その磁場たる霊力が弱くなっていると自然の猛威には逆らえないが起きて来ます。

          鰯の頭も信心からと言いますが、お釈迦様もイエスも【偶像信仰】を禁じられましたが、偶像も多くの人がそれに対する祈りを捧げれば霊が宿り、その霊力も増します。それは、祈りたる祝詞や御経の言葉には【言霊の光】が存在するからです。

          私は修業時代、神霊から祝詞や御経を要求されるがありました。それがそこに居る神霊の力ともなるからでした。神霊に願い事ばかりをする人の祝詞や御経は神霊に対してもマイナスに働きます。モウ人々がいくら感謝心で祈っても手遅れ状態になっていると思わなければなりません。

           

          人々が神仏に対する感謝の祈りを忘れて来ると、災害の被害も大きくなる

           

          私は霊能者をしているのではないので断言は出来ませんが、全国的にも有名な霊場の幾つかは、昔に比べるとその面影がありません。寂れています。参拝者の数も以前と違って大きく減って茶店などもシャッターが降りています。門前町そのものが廃れているです。某霊場は以前は参道に多数のお店がありましたが、今は一軒も残っていないがあります。

          それに反して、新興宗教は次から次へと起きて信徒で賑わっています。はっきりと現世御利益的なことが出るからでしょう。しかし、そこに鎮まる神霊の正体を知るならば、とても危なくて近づけないとなります。

           

          人は現金なもので、現世御利益がたっぷりあるとその神社仏閣に参拝して来られます。だが、さほど御利益が無いとなると、手のひら返しとなります。参拝者を対象にした食堂や売店が次々と潰れて行きます。広大な参拝者用の駐車場も、正月以外はがら空きとなっているのが今の現状です。それらは私が最初に行った時からさほど時間は経ってはいないのです。大きな様変わりを起こしたと言えます。

          そこに、本来は存在すべき神霊がモウそこには存在して居なくなって来ていると感じられるのです。 あるいは、そこに居た神霊が別の場所に行った?。それは霊界に大きな変革が起きて来ている可能性を否定出来なくなって来ているとも言えるのです。

           

           

           

           

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          輪廻転生における過去世のカルマの代物弁済

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            人の魂は基本としては「輪廻転生」をしています。しかし、それは全ての魂に当てはまるのかと言うと、魂を腐らせたり捻らせて破砕される魂も存在します。そうした魂がどうなるかを言われる霊能者の方は数が少ないと言えます。ほとんどの霊感者レベルだとそこまで知らないなのです。

            もし、そうしたことが解っていれば、スピリチュアルの【神は愛だ!。光だ!。何をしても神の愛で赦されます】のお題目は言えるはずがないからです。それでは、魂のことが何も解っていないとなります。

             

            それよりも、その人の魂を腐らせたり捻れることがないように教えをします。魂を汚す悪だけであれば、魂そのものは残ります。つまり【悔い改める】の教えが主体にならなければ嘘だからです。

             

            イエスも【神の世は近い。悔い改めよ】が本来の教えでしたが、蛇霊達に支配された後世の牧師達の会議によって、その言葉は書き換えられて、イエス一人が神の子で、イエス一人を神の子だと認める者だけが人類の原罪(蛇の囁き)から赦されて神の御国に入るのデッチ上げ教義がなされたと言えます。

            大本教から、【人は神の子・神の宮】と出されたことは、宗教的に言えば革命に等しいことを言ったのです。それは仏教における人は死ねば誰でも「仏」様だとは意味が違うからです。神界と呼ばれる世界があることも示唆したのです。

             

            私が初めて伏見稲荷山に最初の師匠に連れられて上がった時、その師匠は【自分の講員(信徒)の信仰態度はどうでしょうかと】私に尋ねられたので、私は【一人一人の講員さんの信仰態度は熱心であられる。感心はしました。だが、その信仰態度は神様から何かをしてもらいたいという現世御利益を求めての信仰です。それでは自分が神とも成れません】と答えたのです。

            すると、その師匠は私の言葉に驚いて、【人は神に成れるのですか?】と聞かれましたので、私は【人は神とも成れます。だが、現世御利益信仰であるならば、その神霊以上の神には成れません。神の世界に対して自分が何をするかで、そうした現世御利益の神達よりも上の世界の神と成れます。】と答えのです。

            その師匠は私のその言葉を聞くと、【さすがに神その方の言葉は違う】と言ったのです。その時、私は「人は蛇霊や狐霊の神よりも上の神界に行けますよ」と言おうとしましたが、新入りの私が口にすべきではないと止めました。しかし、私が神その方とは何だ?。です。

            その師匠に初めて出会った時、貴方は【白龍神の御子】ですと告げられており、自分は白龍神かと首を傾げていました。後日、私は自分が【白龍】として存在したことも知ったなのです。

             

            その後に伏見稲荷山にて、その師匠の口を通じて稲荷神界首座神の豊受姫より【貴方は言葉の神と呼ばれる貴きお方。貴方の言葉による教えは「天帝の詔(みことのり)」と同じであり、貴方の言葉による教えに従えない神は、如何なる神であろうとも天帝に対する反逆罪として天帝から裁かれます。】と告げられたしだいです。

            私はそれまで【言葉の神】など聞いたことがない神なので、何事かと首を掲げたのですが、外国に【異国の人が異国の言葉で主を語る。その人はその国では言葉の君と呼ばれている。言葉の君は自分は主を知らないと言うが、万軍の主は言葉の君のことを知っていて、全ての裁きを終えた後に言葉の君を万軍の主の元に呼び寄せる。その時を以てユダヤ人は救われる。】とするものを思い出して、そう名乗ったしだいです。

            私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたを終わりの日には私の側に来させる。その日まで私はそなたには私の力は何も授けない。】と告げられてもいたからです。為に、終わりの日までは私は万軍の主を知る立場ではないのです。

             

            私が何故にその内容を覚えていたかと言うと、「ユダヤ人」を救う存在に興味を持ったことで覚えていたのです。また、【異国の言葉】と呼ばれる内容からです。もしかすると、その言葉とは【日本語】かです。私が子供の頃、私に臨んでいた霊声の主は、旧約聖書の神と称していたからです。ユダヤ人と旧約聖書の神の関係からです。 

            しかし、それで私が大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を誠で紐解くとは想像すらしていなかった話なのです。 大本教神諭には、【人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらず】とありますが、それを知らずに口に出していたとも言えます。

             

            みろくの世と宣伝されて来たことは、私達の魂が高次元世界に転出することではあるのですが、為には各自の魂が持つ【カルマ】が精算されなければなりません。最終的には全ての魂に対してカルマの精算に入りますので、それが終われば全ての魂はみろくの世に入るとはなりますが、この魂の精算の【浄化浄霊】が激烈を極めることになります。とても苦しいものなのです。

            為に、その精算の日が来る前に魂の浄化を進めておくことが良いわけです。そうすればその時を楽に越せるからです。その一番良い方法が創造神の存在を認識して、世の為に人の為にと奉仕する【世根(米)】と成ることなのです。

             

            大本教の出口王仁三郎聖師は「良心神」を直接に出さずとも、その代行として【愛善】と説かれたのです。 つまり「神の愛」で何をしても赦されるではなく、自分自身が他者に対して「愛をもって善」を施すです。ならば、働きとして「良心」神の代行となります。そこには単なる愛の言葉のお題目ではなく、【善】の施しがないと良心神の働きとは認められないのです。

            何故にそれが有効かと言いますと、良心(愛善)の行動は【自己犠牲】を伴っているからです。そこに来るのが【義(良心)】なのです。

             

             

            神の祭壇に「牛と羊の血を捧げ」は【犠牲】の言葉の意味で

             

            旧約聖書、義の者が一人も居なければ私はこの世を終わらせる

             

            大本教の出口王仁三郎聖師の演技から、救世主は【源の義経】のことだとされて、巷には自分の前世がその源の義経であったと呼称している霊能者の方達は幾人もありますが、その意味が解っておられないのです。

             

            源の義経とは、【我れは羊(義)】の経が源の意味

             

            義(良心による犠牲心)の人達は、神の世界へと上がって行く

             

             

             

            自己の魂のカルマや自分や家系のカルマの代物弁済として認められる事柄。

             

            一つに、自分の持っている財の中で、余力があれば弱き者に対する施しをするです。

             この自分より弱い他者に対する施しは、仏教では古来より説かれて来ました。

             イエスの教えの金持ちが天国に行くのは針の穴をラクダを通すようなものだではなく、

             金持ちであれば貧しい国の子供達の為に教育や生活改善に大金を出せます。世に恩返しです。

             先祖霊に問題があった場合は、先祖の名前の元で社会福祉に寄進するのが有効なのです。

             その場合は「地獄沙汰」が変わります。これが「地獄の沙汰も金次第」の由縁。

             

            一つに、神仏の存在を認識して、霊に祝詞や御経を差し上げる。

             これは御経や祝詞は【言霊】の働きであり、神霊や霊を清める働きがあるからです。  

             祈りとは自分に幸せを下さいではなく、世の為に人の為に祈る。経を唱える。

             自分の御利益の為ではなく、神仏や霊を助ける力となるからです。

             先祖霊の供養に自分が御経を上げるのもその一環です。言霊には光が宿るからです。

             

            一つに、自己の命を犠牲にして、他者の命を救う。

             こうしたことは仏教における【捨身飼虎】でも説かれて来たことです。

             この世で【義】で亡くなった人達は神上がりをしているがその証明なのです。

             

            一つに、言わずもなの社会に対する【奉仕活動】。世根(米)の働きです。

             こうした社会に対する「奉仕活動」はどの宗教でも説きます。

             仮にその教団が蛇霊神教団であっても個人の社会奉仕活動は有効に働きます。

             

            一つに、宗教家に「贖罪」で大金を出して自己の魂や家系のカルマの罪を売る。

             どの宗教でも「贖罪」を説きます。日本最大の宗教組織と思われる教団は、

             金を出せ。金を出せ。金を出さないと地獄に墜ちぞると説かれていますが、

             大金で教団指導者がその罪を被ってくれて、地獄は宗教家で一杯だとなります。

             

            一つに、社会に役立つ仕事に就く。

             特に人の命に関わるような職。警察官、消防士、自衛官等の命を落としかねない仕事。

             医師や看護師などの犠牲で成り立つ使命感を持った職。人を育てる使命感の教師等。

             一つの道を究める匠や職人なども社会に貢献して行きます。

             世に社会の底辺と揶揄される職業でも、社会に絶対必要な汚い辛い仕事をする。

             自分は汚い仕事は嫌だで、汚れないことを求める人の地獄行きが証明論。

             大本教の出口王仁三郎聖師、世の立替とは【牛の糞が天下を取るようなものだ】。

             世間から、どこの馬の骨か牛の糞と言われても、コツコツと社会の底辺でやり遂げる。

             

            今の世は、天国ではなくて逆に地獄界に行く道を選んでいる方が多いので、地獄界に落ちるケースを語った方が早いのかも知れません。

             

            私は稲荷神界を経て、言霊師の元に修業に入りました。その当時、夜に寝ようとすると多数の霊が【言い訳】をする声が聞こえて来て、あまりにも多数の霊の声が一度に弁明して来ますので眠れません。私は十人の声を一度に聞けたと言われる聖徳太子ではありません。そこで、当時の2番目の師匠に相談すると、【お前は地獄閻魔庁の判官でもあり、地獄界の天使だから、自分の罪を軽くして貰おうとお前の元に地獄に落ちた霊達が押しかけて来るからだ。夜でなく昼に来いと宣言すれば来なくなる】と言います。そこでそう宣言したならば、夜に無数の声の言い訳は来なくなりました。

             

            私はその2番目の師匠から【地獄界の天使】と呼ばれた言葉そのものは嬉しくありませんでしたが、私の背後には【閻魔大王】が居られることは解っています。自分ほど凄い霊能者は世に居ないと豪語して、生き霊で仲間と私を殺しに来た霊能者がその背後の天狗霊共々、閻魔庁の役人から御用と捕まえられたなどがあります。

             

            閻魔庁とは悪人や悪神を直接に捕まえる神界の警察ではなく、その魂が来世に人としてこの世に出して欲しい場合には羅城の【来世門】をくぐる為に出頭して来る霊界の役所です。ですから霊界で悪神達はこの世に人として転生を望まない限り存在して来ます。

             

            そこに【閻魔大王】の別名を【来世を授ける】羅城の【羅(ラ)王】とも申し上げているのです。

             

            羅城門のことを【来世門】と言うのもそこにあります。

             

            その来世門の門番たる邏卒が【鬼】と呼ばれ、【節分の煎り豆で鬼は外】と打たれているなのです。

             

             

            宇志採羅根真(ウシトラ金神)の九鬼神道の江戸時代の綾部藩では

             

            福は外、鬼は内

             

            現代の綾部藩の総氏神社であった神社では節分祭は行いません。福は外。鬼は内など意味が解らないから言えないのです。さりとて節分で鬼は外などはその神社の由来からしても出来ません。節分の煎り豆で、創造神を追うなどの行為は出来ないからです。

            なお、大本教では鬼は外ではなく、【福は内、鬼も内】で節分祭を行っています。

             

             

             

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            毒には毒をもって制する。蛇霊退治に強い蛇霊を持って制するで起きる新興宗教

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              私達は【毒を持って毒を制する】という言葉を知ります。薬は「毒」だという論が生じるのも、薬にはそれなりの毒の要素があるからです。だからと言って、薬を飲まないよりも飲んだ方が効き目があるわけです。

              そうしたことによる薬の弊害が【副作用】ですが、それをもって薬は不要論は行き過ぎとなります。薬を飲まないで自分のこの世での命を縮めるよりも、少しでも長く生きた方がいいからです。

              この世に長く生きているほど、【悔い改める】学びもチャンスも出て来ます。

               

              この「毒をもって毒を制する」は、自己を襲う悪しきものを制する為に、他の悪を利用する手法の意味にも使われます。

               

              例えば、自分がチンピラや暴力的な人から因縁をつけられたり脅かされた時、過去にはそれを排除する為に【ヤクザ】にお願いするがありました。結果、そのヤクザに恩義が出来て、なかなかヤクザと手が切れないが起きます。

              これまで大企業等と総会屋などのヤクザの間には持ちつ持たれつの関係がありました。政治家も然りです。だが、それは許されない時代となって、何時までヤクザ稼業が残るかです。

               

              暴力の排除を【893(ヤクザ)】に頼み。病の排除を【薬座(893)】に依頼する。薬も飲み出すとなかなか縁が切れません。薬とヤクザ(893)の間には、言葉による不思議な関係があるのです。

               

              宗教は一種の【麻薬】と言われて来ました 

               

              薬で【人の苦しみ痛みを緩和させる】

               

              宗教での【覚醒】、薬での【覚醒】剤

               

              スピリチュアルでは「覚醒」しなさいと盛んに説いています。一方、私達は麻薬などの「覚醒」剤が危険な薬物であることも認識しています。どちらも同じ【覚醒】です。何故に、同じ【覚醒】の言葉が使われて来たのか?。

              日本神道では【祓い串】として「大麻(おおぬさ)」が使用されます。刑法の大麻とは別物ではあるのですが、日本は国際条約に加盟しており、「大麻」栽培は禁止されていますが、神事に使われる「大麻」や麻繊維の収穫の為だけは免許制で栽培が許可されています。

               

              元々、大麻は宗教の世界では利用されて来ました。精神を「覚醒」させる効能です。精神を落ち着かせる薬効の反面、ありもしない幻影を見るなどがあって、薬物中毒で人を殺せなどの幻声を聞いて犯罪の引き金となる事件も起きています。それと同様に精神世界に入って覚醒による【毒される】も起きて来ます。

               

              覚醒は「薬」にもなれば、「毒」ともなる

               

              私が神霊世界の修業をしている時、幾多の【霊障】の事柄に関わりました。その多くは「蛇霊」による障りでした。しかし、それは全て蛇霊が悪いとは一概には言えなかったのです。【盗人にも三分の理】ありです。

              私が修行中に直接に関わった霊障事件から事例を挙げますと。

               

              時代は明治の初め頃かと思われます。一人の大工の棟梁の元で働いていた大工が屋根から落ちて大怪我をしました。ところがその棟梁はその大工を医師に診せて治療するではなく、ただ寝かせるだけ。食事も働いていないのだからとろくろくに与えずに、その大工は衰弱して死んだのです。

              その大工の霊は恨みから蛇霊と化して、その子孫を根絶やしにするで祟っていたのです。本来はその恨むべき相手は棟梁の大工ですが既に死亡していて、その恨みは子孫達に向かったなのです。そこに起きたのはその子孫の【精神異常】でした。

              その霊障を取るには、その子孫がその霊を【供養】すべき立場でしたが、恨み霊と化していた本人の霊がこちらの説得で自分の恨みを捨ててくれるで、この件は無事に解決したのです。ただ、その異常を起こした方の精神が正常に戻れたかまでは経過日時の関係で把握は出来ていません。霊障が取れたで即元に戻れるではないからです。

               

              蛇霊は全て悪とは片付けられないのです。蛇化した【目的】が何であったかです。

              蛇霊化はその「目的」に対する執着心の度合いとかで起きて来るからです。

               

              もう一つの事例は、当時の私は医療従事者ではなかったのですが医療に関する職場にいまして、肌が蛇のうろこの様な幼児に接しました。一般的には「魚鱗癬」と呼ばれますが、この幼児の場合は「難病」指定となっていました。極端な魚鱗癬でした。

              両親は最初の子がそうした難病指定だったので、次の子を産むのを躊躇されていたのですが、次の子は普通だと思って出産されたら、その子の肌も同じ「魚鱗癬」だったのです。私はその二人の子供を見ていて、これは蛇霊の祟りだと直感して、当時の2番目の師匠の元で「霊査」に入ったのです。

              その結果は、その子の御先祖様が畑で作業をしていて、そこにたまたま居た神霊に仕える神蛇を鎌で斬り殺して、その死骸を吊したのです。相手が神霊に仕えるところの神蛇であったが為に、その蛇霊が祟ったなのです。相手が神蛇霊ともなれば、解決は容易ではありません。

               

              私はその時の二番目の師匠に、この子供達の難病は治せますかと聞いたところ、治すことは出来るが、その両親が治してくださいと頼んでこない限り、かってに治してやることは出来ないと言われます。頼まれてもいないことに勝手な手出しは出来ないです。まして相手は神霊に仕えていた神蛇霊なので、両親の頼み無しでは無理なのです。

              と言って、その両親に霊能者で解決出来ますよと見知らぬ者が言ったならば、某宗教団体のようにニセ霊能者を使って高価な物品を売りつける者と看做されてしまいます。現在の新興宗教はそうした存在が多いからです。

               

              もし、その神蛇霊がこちらの説得に応じない時は、その神蛇霊との戦いになります。そうした神蛇霊には多数の部下霊が存在して来ます。こちらもそれだけの覚悟が要るのです。

              ほとんどのスピリチュアルと称される方達は安易なことばかり言われて、霊界での切った張ったをあまりご存じないと見受けられます。霊界の切った張ったの中で過去にどれだけの霊能者や行者が命を落としたかです。そうした事例をあまりにも御存じないなのです。 

              為に、頼まれもしていないことに、可哀想だからと言って手を出す神霊も霊能者も居ないでしょう。神社に参拝して、神様ならば何で適えてくれると勘違いしている人が多すぎるのです。時には神霊と神霊とがぶつからないと解決出来ないも起きて来るのです。そこに神霊と言えども、力が大切なのです。

               

              神霊世界は霊の力関係で動く、力が無い神は去れ

               

              こうした存在と関わって命を落とされた霊能者や行者はあるのです。よほどの霊力に差がなければ手出しは出来ないのです。私はこうしたことを霊界の切った張ったと言っており、単に霊が見えるでは飛び込めない世界なのです。

              テレビのオーラの泉で霊能者江原敬之さんが、俳優宇梶さんに憑いていた数十体の背後霊集団の攻撃を受けてのびてしまわれて、急遽側に居た美輪明宏さんが九字を切って江原敬之さんを助ける場面がありました。霊界における切った張ったはあの程度では済まないのです。単に霊がよく見えるのと霊達と戦えるのとでは違うのです。

               

               

              その人が過去世から持って来た【カルマ】が原因によるものは、自分が困っているから助けるのが神の務めだと言う論理は、自分勝手な論理なのです。そして、自分を助けないのは悪だと「罵詈雑言」を浴びせて来る人達がいますが、自分が反省すべき立場であることを忘れ去っているのです。

               

              私が最初の師匠の元に居た時、その師匠の御祭神である豊受姫は、病気治しは神の仕事にはあらず。まず、医師の元に行け。医師では治らないとなれば、その時はこの神に頼み込めでした。

              最初の師匠も二番目の師匠も、お金では絶対に動かない方であり、医師で治らない病を治癒しても料金は取らないでしたが、頼まれてもいないことには手を出さないが大原則と言えました。しかし、世の中には大金さえ出せば動いてくれる霊能者もあるなのです。そうした場合は何百万円も取られるとなるのです。

               

              私は霊能者をしている者ではありませんし、何神様かの「お代」をしている立場の者ではありません。為に、そうした能力を何も与えられていません。

              私の任務は創造神と呼ばれる神が存在している。その為の言葉に仕組まれたことを解き明かしているだけであって、自分が困っているから救わないのは悪神だと言われるのであれば、私は悪神と呼ばれても結構ですと言っています。

               

              自分を助けてくれるのが正神で、助けないのは邪神

               

              こうした考えの方は、何を教えてあげてもムダなところがあるのです。

              単に神社に参拝して、神様お願いしますと言ったところで、その頼みが聞き届けられるかと言ったならば、その願い人とその神社の祭神との間に何等かの「縁」がなければ、願いが聞き届けられるはあまりありません。しかし、神の取次をしているお代を通じてその祭神が約束してくれれば、その願いは聞き届けられるのが実情と言えます。

              神霊がその願いを聞き届けるには、頼む人の「熱心」さがあり、その「必死」さがその神に伝わらないと難しいのです。また、神の取次をしている人の存在の心が動かないと、本気では動かないとなります。神社の神主でもなおざりに宜っている人と、心を込めて宜る神主とでは違うと言うことです。僧侶も然りなのです。

               

              日本でもかなり大きな某新興宗教は、優秀な霊能者の間では【邪神の黒龍神群団】だとされています。私も豊受姫からあの宗教団体は【邪教黒龍神】と聞かされました。その信徒達に黒蛇霊を憑けて守りもしますが支配もするです。

              この宗教の開祖の教義は、あちらこちらの宗教のパクりだと言われています。確かにそうなのでしょうが、その背後にそれなりの霊力がある神霊団が存在しないと、その宗教は大きくなりません。その教団に【奇跡力】がなければ、何十万人もの信徒を持てる教団とはならないからです。

              この教団の場合、その背後に存在する神霊は名目上は【宇宙神】でも、力がある黒龍神だとされています。しかも、そうした教団の黒龍神の数は桁外れであり、ある意味そうした数の力が無いと大教団は創れないのです。

               

              多くの人に現れる【霊障】の多くには、蛇霊の祟りとか災いがあります。しかし、それらの霊障は小さな蛇霊からであり、その教団に入信するとそうした小さな蛇霊を巨大な龍神達が排除してくれます。それは、その教団を信じた人には【奇跡】力の現れとなります。自己の霊障が消えるからです。

               

              そこにあるのは、小さな毒を大きな毒で制した

               

              こうした教団で霊能力があり、信徒の内部リーダーをしている人からメールが来ました。その人が見た霊夢に、今の世から新しい世に代わる時、この教団がみろく世に渡すとする船が天から降ってくる火の焼夷弾のようなものでことごとく沈む光景です。一隻とて港を出航できない。このままこの教団に居たならば、自分はみろく世には渡れない。

              だが、その教団の仲間達は皆良い人達であり、いくらこの教団が邪教蛇霊集団だと解っていても、その仲間達を置いてはいけない。どうすればいいのかです。既に脱会した人からは脱会を薦められているが踏ん切りがつかないなのです。

               

              その教団の仲間達はその人の目から見れば、皆、良い人かも知れません。その教団の正体が邪教蛇霊だと解っても、仲間を置いてはいけない。自分は教団に残って内部から立て直して仲間達を救おうと思っても、それらの人達は既にその宗教団体に洗脳されており、個人レベルでは如何ともしがたいなのです。

               

              この教団の売りの一つは、教団の信徒達を【みろく世】に渡すです。おそらく、この方に教団が用意するみろく世行きの船はことごとく焼夷弾ようなもので海の藻屑として沈む光景を見せたのは、この方の家系守護神かと推察されます。しかし、この方は自分の肉体の【情】に囚われている為に、そうした光景を自己の守護神から見せられても脱会の踏ん切りがつかないなのです。

               

              人は情に流されて、道を外すが起きます

               

              この手の教団は【ス】の神を言っていますが、【ス】の神は世界救世教の岡田茂吉開祖が言ったものだと思い込んでいます。ですから、この手の教団からは【ス】の神が大本教から出たと理解出来ていないので、大本教神諭予告、【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】が出て来ません。為に、【みろく】神の意味すら知らないで「みろく世」を言うなのです。

               

              この宗教団体に居た方達が、脱会して幾つかの新興宗教団体を起こされました。そうした教団の一つに所属していた方が、あまりの体の不調で霊能者の元に相談に行ったならば、その霊能者から貴方の背後に黒蛇霊が見えますが、貴方は「蛇神」様を信仰しているのですかと質問されて、自分が信仰していた教団が蛇霊信仰であったかと気づかれて脱会されたがあります。

              その教団に入信した時、蛇霊によって起きていた【霊障】を取って貰った。で、それは宇宙の神であったと思っておられた。だが、それは力の強い蛇霊(黒龍神)が力が弱い蛇霊を制しただけで、根本的な【カルマ】を消すではなかったのです。

               

              ヤクザ(八九三)に助けられて、薬座(八九三)の毒を飲む

               

              そこに気がついたならば、仲間達は皆、良い人だから置いて行けないの情に流されるのではなく、終わりの時は後ろを振り向くな。神の高山に逃げなさいなのです。その神の高山とは国道「41」号線の41で示される言霊の意味なのです。それを【ス】の神として置くか、【ラ】の神として置くかで意味が違うのです。

               

               

               

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              この世における各自の魂の「縁起(演技)」と定めの道(宿命)

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                仏教では【縁起】が説かれます。仏教で説かれる【縁起】とは、

                この世における全ての現象は、原因(因縁)と条件が相互に関係して出て来るというものです。それらは「偶然」的なものではなくて、全て「必然」制を伴っているのです。しかし、今ではかなり学説的になっているので、逆に意味が解りづらくなっています。

                 

                この世に起きる出来事は全て偶然ではなくて必然(因)

                 

                私達の魂はこの世に肉体を変えて【輪廻転生】という【魂の更生(甦)】を起こしています。魂がこの世に出て来るのは、どこまでも【魂の更生(甦り)】の為です。その必要が無ければ、何もこの世には出て来ないのです。

                そこに、この世に出て来る魂は【出来損ないの魂】などの極論も出ますが、それは違います。そうした存在の魂も見受けられるですが、全ての魂がそうではありません。

                魂の「更生(甦り)」は、その更生しなければならない【因業(カルマ)】によるのです。それは【宿命】を伴います。自分はそんなことをしていないではないのです。過去に自己の魂がその因を積んだのです。そしてその因を消していないからです。だが、そのカルマが現象として今の世に吹き出して来るには、そこに【条件】が存在しているのです。

                ですから、何等かの条件が重なると、その人の【カルマ】が突然に吹き出して来るのです。その条件が出て来なければ【カルマ】はずっと眠っています。

                 

                事故等もそうですが、そこに行かなければ事故らないがあります。その時がずれていれば起きないです。なのにそれが解らずにその時にそこに行く。結果、事故に見舞われるです。もらい事故でもそうなのです。因と条件が一致したのです。

                私は最初の修行は伏見稲荷山の豊受姫の庇護の元にして来ました。そうした時、その信徒の多くの人はその条件に出会わないように眷属達が動いていました。そこに行かなければ事故に遭わないから事前に防ぐです。そこには【足止め】ということさえ起きたのです。そこに行くと危ないからその人の足を止めて行かせないです。

                 

                JR福知山線事故の時、その手前の駅で突然に一人の老母から車両から引きずり降ろされた人の体験談がありました。その人は事故を起こした列車に乗っておられたのです。だが、その手前の駅で老婆が手を引っ張って強引に下車させた。そして、その老婆はその人の前から忽然と姿が消えてしまったです。その駅で次の列車を待っていて、前の列車の大惨事を知ったの体験です。

                こうしたことは希には起きます。その老婆は神の化身だったなのです。だとすれば、あの事故は起こるべくして起きた事故なのです。必然の事故なのです。偶然などはないのです。

                 

                よくこうした時、神は事故が起きると解っているならば事前に止めるべきだと、言う方達があります。神界とこの世では論理が違うのです。神霊世界は神の存在を信じる者は助けても、信じない者は助けないがあるのです。全員を助けるのではなくて、神が選別した人だけを助けるです。 

                私は神霊世界の修行に入った時、神は全員を助けるのではなくて、神を信じている者だけを助けるの意味が解らずに、豊受姫のお代をしていた最初の師匠と、よく論じていました。その師匠は神を信じない者は「神の子」ではないので神から捨て去られるでした。

                 

                信仰する者は【儲(信者)かる】なのですが、信仰することで大難を中難にして、中難は小難にして、小難は消すで、カルマの完全消滅ではないのですが少しは軽くする。それは神信仰の御利益とは言えますが、それ自体は正神とか邪神とかは関係無しになされます。ただ、それが出来る力がある神霊なのか、力が無くて何も出来ない神霊かの違いだけです。力がある神霊だと大教団を創るなのです。

                私はかって同一の自家用車を単独事故で3回破損させました。しかも同じ箇所を一車検の間に3回もです。そうなると偶然ではありません。必然として起きたです。私はその事故による車の損害は自分のカルマを車が代わって取ってくれたと解りました。カルマの代物弁済です。

                そうした代物弁済は物質の損害によるカルマの解消で、いろんな出来事から体験しています。つまり偶然などはないなのです。

                 

                各自の魂の【縁起】は、この世で自分が【演技】する

                 

                自分は辛い苦しい。どうしてこんな目に遭うのか?。その多くの事柄は神が与えられた【試練】ではなくて、自己の魂のカルマと呼ばれる過去の遺産たる罪からの自己の魂の【縁起】なのです。それを世間の人がその人の【演技】として見ているのです。それも神からの「試練」とは言えば言えます。

                スピリチュアルでは自分の未来など決まっていない。どのようにも変えられると言う方達があります。だがその論には無理があります。未来は変えられる部分と変えられない部分があるのです。

                スピリチュアルでは、人はこの世に出て来る時、自分でプログラムを組んで出て来るとします。もし本当にそうであるならば、自分と関わる人達も自分でブログラムを組んでおり、自分のプログラムと他人のプログラムとが同じ計画でなければぶつかります。自分のプログラム通りに事が進まないなど歴然とした事実なのです。

                 

                人には宿命(定め)があります。それは何人も逃げられないのです。それは私の以前のブログに図解で出しましたが、それは自分の【因果】を解消する為の道筋でもあるからです。その人生にも各所に【岐路】が出て来ます。間違った道を選ぶと、獣道とか外道の道に入るのです。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声からそのことを教えられました。

                その運命の分岐点たる「岐路、岐路」に来た時、正しい方向に導くのが各自の肉体の魂の守護神なのです。御利益を与えるのではなくて、守護する肉体の命を守るのが守護神の本来の役目なのです。

                信仰による日常茶飯事的に現世御利益に走っている守護神とは、自己の魂の本当の守護神ではないのです。外在神と呼ばれる立場です。ただ、その外在神と思われた神霊が自己の正守護神だったり本守護神となる人も希にはあるだけです。

                 

                その肉体の守護神とは、主に副守護神と呼ばれている存在が主体ですが、それが分岐点で行く道を間違えると獣道とか外道の道に入ってしまうのです。それが【運命の分かれ道】なのです。ヤクザになる。犯罪者になるの分かれ道です。善い守護神が就いていると事前に犯罪阻止で犯罪者にはならないなのです。

                その分岐点の時、【蛇霊の囁き】が起きます。皆で赤信号も渡れば怖くないなどの主義です。自己の良心に反することを囁くのです。自分さえ儲かればいいじゃないか等や自分だけ得をしょう等です。他人のことなどどうでもいい。大切なのは自分なのだとか、遊興の世界にと自分を導くのです。

                聖書の蛇の囁きからエデンの園を蛇霊と一緒に追放されたアダムとイヴの話のように、全人類にはこの世にオギャーと誕生した時から蛇霊はついています。それは各自に課せられた蛇から脱却の【宿命】でもあるのです。その蛇霊の囁きから脱却出来たかどうかが、エデンの園(神の御国)に戻れるかどうかなのです。

                 

                以前に出した図を再掲します

                 

                 

                 

                天国界に進むには、大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた【神一筋の少途川】と仏教では説かれた【三途川】からの二つのコースがあります。この少途川の存在は大本教の出口王仁三郎聖師が世に出られる前までは解らないコースだったのです。創造神に向かって行く神一筋の道筋だったからです。僅かな人しかその道は存在しなかったのです。

                 

                大本教からそれが出されたのは、創造神「国常立尊」たるウシトラ金神を世に出せた教団だからと言えます。創造神の存在を認めない者は創造神を知る世界には進めません。また、日本の神社の多くは創造神など祭りません。ほとんど消された神に近いのです。ですから、表舞台から退くの【艮(ウシトラ)】神です。

                三途川とは、【天国・中有界(現界差し戻し、輪廻転生が極端に早い)・地獄界】の三つの途があるで「三途川」と呼ばれています。その渡し場には脱衣婆(本当は麗しい女神)が居て、この世の執着たる身ぐるみを剥がして【ラ(裸)】にして舟に乗せるです。この舟に乗れると地獄界には行きません。 天国界か中有界です。

                臨死体験で三途川の手前に行ったなどの話はあります。渡ったら帰れないのです。ただ、黄泉帰り(蘇り)の場合はありますが、その場合はその人の人生は神仏の世界に奉仕するとなります。タダではこの世には帰さないです。

                 

                私が説いている【米】一字型の教えとは、大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を誠の者がそのお世話をするですが、そこに説くのは【創造神のみを唯一神】とせよであり、三途川渡しのコースではなくて、神一筋の少途川コースを語っているのです。

                別に自分は旧来型の三途川コースで「天国」に行くでもかまわないのです。ですから、聖書を信じる立場であっても仏教を信じる立場であっても日本神道で行く立場であってもかまわないのです。ただ、既存の天国界は第一、第二、第三があると知られているように界がありますので、単に天国だけでは界が違って来ます。三途川コースで第一天国界行きはかなり難しいのです。少途川コースは創造神に向かっての信仰なので界上がりが早いとなるのです。

                戦前の大本教では特高警察による拷問で多くの信徒さんが獄死されました。これらの霊は霊界でも非常に高い世界に行かれたと報告されています。創造神に向かう神一筋の少途川コースだったからです。

                 

                みろく世に渡る人には宗教宗派を問わず全てに【水晶玉】が与えられます。ただ、天国門は【良心神】の点数で判定されるので、神は【愛】だと言っているだけの愛の教えでは良心神の点数が低くて、天国門が開かないなのです。仏教の盂蘭盆の起源となる目連尊者の母親は目連尊者に惜しみなく愛を注ぎました。しかし、結果としては餓鬼地獄界に墜ちたなのです。私は生前はそれなり宗教家や行者が地獄界に墜ちている様を見た一人です。

                愛一辺倒のスピリチュアルでは「良心神」の意味は解りません。単に良い心のことだ程度の感覚でしょう。良心神とは魂の「核」と呼ばれるもので天帝からの分魂たる「直霊」のことです。その働きは各自の良心として働くのですが、その点数を上げるとは世根として世の為に人の為にと尽くした点数なのです。その世根のことを「米(ヨネ)」と言うだけです。

                自分は霊が見える。霊と会話出来るで低級霊界と関わっていても、そうしたことは教えてくれません。

                 

                ですから、米の教えは大衆に迎合する教えではありません。現世御利益主義でもありません。その数字で示される言霊によって成っている【九つ花】の仕組みを見て、誰がこんな仕組みをしたのか?。既存の神霊では無理だと言っているのです。

                 

                それで自分自身が創造神に向かって行くかどうかなのです。私を宗教団体の教祖の様に拝むとか私に天国行きキップを頼るのではなくて、自分自身が創造神の【僕】と成るなのです。

                最近、某神霊系で多数の黒龍神を配下とする霊団の指導霊達が、私のことを言葉の神、【孤高の覇者】と言って来られましたが、私は日本のどの神にも与しません。私が仕えるのは【創造神】と呼ばれる神だけです。その【僕】で充分なのです。

                私が霊界修業に入った頃、伊勢神宮に鎮座する御神霊から万体に及ぶ絢爛豪華な神霊行列を見せてもらいましたが、既存の御神霊に仕える気はないので今も神界の素浪人をしているのです。

                 

                人は今の世の自分の生き方しだいで、【五六七】次元の世にも行けますし、【七八九】次元の自分の魂の御親神(本守護神)にも逢えるなのです。

                神は愛だ!。光だ!で、六次元黒龍神で太陽の様な光を見せて来る霊界で、何をしても神の愛で赦されます等のスピリチュアルに引っかかっていれば、一説では六次元界までは邪神達も存在するとされる霊界で仮に五次元界に行けたとしても、自分の魂の御親神となる本守護神には出会えないとなります。

                 

                聖書には第一の死と第二の死が記載されますが、魂が肉体を脱いで霊界に行く時が第一の死であり、その魂が霊界の最後の審判で「創造神派と反創造神派の神々の二線に分別」されることを第二の死とも言います。

                 

                創造神は霊達を裁くではなくて、二つの世界にと捌くのです

                 

                どちら世界を選ぶかは自分しだいです。現在、多くの宗教団体は【黒龍神】の支配下にあります。ただ、黒龍神達が一致団結して、自分達が支配できる世界が人類に永遠の幸福を授けられるとは考えにくいのです。必ず、俺が盟主だで黒龍神同士で盟主の地位を巡って争います。黒龍神界での内部抗争・神界戦争です。

                 

                大本教神諭に【ユダヤの悪鬼】がありますが、その線路を敷設して来た実働部隊が【黒龍神】達なのです。これまでは世の中を支配できたのです。だが、その線路の施設計画自体が甘かった。その線路の先に人類の未来が見えて来ないなのです。大本教神諭にある【この世を泥海にするユダヤの悪鬼の仕組み】です。計画そのものの失敗です。

                スピリチュアルでも人類の未来が見えていないと言われるのは、このままに進めば人類にあるのは泥海の世界だからです。 何故に【世の大立替】論が出て来ているのか?。このままでは人類に先の未来が見えて来ないからです。

                 

                ですから、創造神はそれらの神達を裁くのではなくて【捌く】で、創造神の存在を認めて信じる者達は別の世界にと向かわせるなのです。まったく新しい高次元の世界にです。そこに出て来ているのが【新地球論】による「みろくの世」なのです。その新天地に関してはヨハネの黙示録の時代から予告されてはいるのです。

                 

                 

                 

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                宗教家がき

                私達の魂はどこから来たのか?。本守護神・正守護神から分魂で生み出された

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                  人の肉体は死ねば終わりです。肉体は時と共に衰えて、やがて滅します。それは誰も逃げられない定めと言えます。私達の肉体に【不老不死】などはありません。

                   

                  では、何故に【魂】という永遠性の【心】の存在が説かれるのでしょうか?。

                   

                  この宇宙の初発に【おおいなる意識】が存在したのです。この大いなる意識は、あらゆる【命(みこと)】を生み出したのです。それは大いなる意識による【想像】であり、想像による創造物に【命(みこと)】を与えたのです。

                   

                  ですから、想像(創造)神は存在していないのではなく、宇宙に存在はしているなのです

                   

                  この【命(みこと)】たる息吹を【御言(みこと)】と言います。これが聖書における【言葉は初めに神と共にあった。言葉は神であった】となります。

                  その言葉の働きは【流(龍)】たるエネルギーであり。想像神の【息吹】とも言います。命として「想像神の心を吹き込んだ」のです。想像神が死すると、この宇宙そのものが消えてしまいます。 ですから、想像(創造)神は永遠に不滅なのです。

                  私達の魂は創造(想像)神とは比較にはならない小さな存在ですが、想像神と同様に【意識】を持ちます。この意識は【玉型の思惟】なので【魂(玉思惟)】と言います。想像(創造)神とは心が無い存在ではなくて、【心】という存在を万物に与えたのです。

                  仏教では万物は【無】から生じたとしますが、確かに最初は【無】であっても、創造に関わる段階で「主の御心」が入ったのです。ですから、【心】が永遠性を持ったのです。そしてその【心】は【意識】とも呼ばれるのです。

                   

                   

                  魂(玉思惟)の【思惟】は、【意識(心)】のこと

                   

                  万物には創造神の【息吹(命)】が宿り、命を【ミコト】と言う

                   

                  ミコトは【御言】で、創造神は御言で仕組みをされたのが日本語

                   

                  この宇宙の初発に誕生した想像神の息吹たる【流(龍)】の存在が、金龍(国常立尊)とか銀龍(豊雲野尊)とか言われているわけです。この【流(龍)】とは、瀧場など行くと祀られている「龍神」とは別物で、龍神と称される多くの存在は聖書における【霊界で年老いた大蛇霊】のことなのです。

                   

                  そこから、万物を創った存在は【蛇霊】であるとの説まで出て来ました。蛇霊こそが神なりです。そうなりますと、聖書の【言葉は神であった】が解らなくなり、蛇霊神信仰にと傾いて行ったと云えます。

                  世界中で蛇霊が【聖なる存在】として、また【神的存在】として祀られているのはその為であり、それらは周知の事実です。

                  聖書における【人類の原罪】は、人類の祖と説かれるアダムとイヴが蛇の囁きからエデンの園から【蛇と共に追放された】とありますが、誰もそこを見向きもしていないが今の世の現状と云えます。蛇の囁きとは何か?。です。

                   

                  真の天国に帰るには、【巳(蛇)帰る】が条件となる

                   

                  私はヴェーダ典の【人の中に眠るコブラ蛇が走り上がる時、その人は真理に目覚めるを体験して、以後、【真理】とは何かを模索して、お釈迦様はそれを説かれたがイエスは説けなかった。お釈迦様とイエスの教えの違いにそれがあると閃いて、それを求めた結果。お釈迦様の本当の悟りは【人に内在する良心神】に行きついたなのです。

                  それ自体は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】で解き明かすお釈迦様の死後【五十六億七千万】の「みろく」であり、出口王仁三郎聖師の予言【みのか尾張の国から現れる誠の女子】の仕組みにおいて裏打ちされたと云えます。

                   

                  大本教神諭には、【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸。それは誠の者でないとそのお世話が出来ない】とあり。大本教の出口王仁三郎聖師は【神の九十九織り】。それを見ないと神の仕組みが解らぬと告げられましたが、【九と九】で織られた物を見ない限り、万物の創造神が言葉で何を仕組まれたかは解らないのです。

                   

                  日月神示において、【九十九%は邪神】とありますが、これは「99%」は蛇霊からの脱却が出来ていない意味なのです。

                   

                  では、蛇霊とは何かです。

                   

                  蛇霊とは、よこしま(邪)な心 【邪の道は蛇】

                   

                  よこしま(邪)を心を持つとは、他人に対する恨み辛み妬みなどから起きる未練や執着。権力や地位で人を支配する力の誇示。自分の欲望の為には他人を蹴落とす。力の暴力。自己中心主義。自分勝手。また、異性に対する過度の色情。過度の飲酒により事件を起こす。ゲームやスマホに見られる遊戯などに過度の依存。麻薬などの常習。そうしたことが霊能者の間では蛇霊化の原因とされています。現代人の多くは地獄への道を目指していると云えます。

                   

                  日本の神智学で「愛」しか言わぬ者は蛇霊の教えに犯されている者としますが、スピリチュアルと称する人の中には、良心など重たいから捨てましょうと平気で言う方があります。良心と呼ばれる存在があることは誰もが知っています。しかし、良心の呵責は重たい。そこは理解はしているのです。だが、下手に良心など持つと自分が苦しいから捨てましょうとなるのです。

                  人に内在する良心神が解らないのは蛇霊の教えに毒された者で有り。日本のスピリチュアルで見られる多くの霊感者の前世は古代「シャーマン」や魔女であったりで、当時は「蛇霊」神に支配されていたなのです。

                  日本の神社に行っても、「蛇や狐」霊が神として祀られている現状を知るならば、その霊力がどこまでこの世を支配していたかは見えて来ることなのです。

                   

                  私は人の魂の心棒(良心神)に蛇霊が巻き付くを見てきました。それを見た時、これは一体何だろうと思いました。世界の宗教を見ても、そうした教えがどこにも出ていないからです。また、改心した邪神が涙を出すと、現実界の蛇が棒の様に直立をするを見て、【蛇】の漢字の意味を理解したのです。

                   

                  私の霊界修行の最初に抱いた疑問は、蛇霊や狐霊は神として祀られているのに、どうして人は神として祀られていないのか?。この世を去った人達の霊はいったいどこに行ったのだろうかでした。無論、本当の天国界に行った霊はこの世の神達が支配する対象ではないので、この世の霊界に居なくても不思議ではないのです。

                  過去にこの世に人として出た魂で神霊として祀られているのは、この世に生きている時には【義人】であった様な神上がりした方や、菅原道真公で解る【怨霊】となったことで、その祟りを恐れて神霊として祀られているなど僅かなのです。

                   

                  大本教神諭に、【人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらず】とあります。人は神とも成れるはずなのに、これはどうなっているのだとなります。

                   

                  さて、この記事の本題である「人の魂はどこから来たかです」。当然に、元の元を言うなれば、全ての万物を生み出したのは【想像神】であり【創造神】です。

                  それを持って、人は【一人一人が創造神】だと叫いているのは邪神に毒された者と言えます。いくら、霊が見える。霊と会話出来ると言っても、低い霊界に関わっているだけで、自分の魂を見て見なさいとなります。魂の点数がまるで上がっていない。ひどければその魂は捻れてしまっているです。腐っているです。それでは、創造神などには永久に辿り着けません。

                   

                  人の魂は、創造神による宇宙創成に関わって来た段階の諸神。人の立場から言うと大本教から出された【本守護神】の段階。その本守護神たる【天津神】と称される段階から分魂された高級魂。その高級霊の段階が【正守護神】であり、私達の肉体の魂は前回のブログで書いたコップの水のスポイトの一滴であり、まずは自分の魂の本体たる【コップ】に戻らないと行けないのです。ですから【次元】という言葉の存在を抜きにして語ることなど出来ないのです。

                   

                   

                  正守護神→本守護神→創造神の段階を無視して 

                   

                  一人一人が創造神だはあり得ない

                   

                  いくら霊が見える。霊と会話が出来る。呪術にたけていても正守護神段階の霊を倒すなどは容易ではないのです。行者や呪術師の中には神霊すら封印するなどがありますが、本当に力を持った神霊を封印するなどは人間には出来ません。次元が低い世界に居る霊が次元の高い霊を封印するなど不可能なのです。

                   

                  大本教神諭に、【人には一体の守護神が就けてある】とありますが、では、それは正守護神かと言いますと、正守護神のことではありません。本守護神・正守護神は自己の魂の【内在神】であり、外在神ではないからです。

                   

                  内在神は自分の魂の汚れを浄化させないと出て来ません

                   

                  では、どの人にも就いている守護神とは何かです。大本教からは「本守護神」「正守護神」「副守護神」が出されました。そしてこの論理は、現在の新神道系の教団でも説かれています。人には誰も就いている守護神とは【副守護神】段階と言えます。

                  問題は、その【副守護神】の定義なのです。通常ならば【正】に対する【副】なので、会社で言えば社長と副社長の様な関係に思えますがそうではないのです。同一的段階の存在の補佐役ではないのです。霊界ではずっと霊格が下にあり、次元すら違って来ているからです。 

                  大本教から出された副守護神は、当然に正守護神の段階ではなく、まだ魂が浄化されていない悪神的存在と出されました。悪の副守護神が自分に就いているでは、当然に「ギョッ」となりかねません。副守護神とは自分を悪の道に引きずり込もうとしている存在かともなります。

                   

                  この副守護神の定義はかなり幅広いと云えます。霊能者下ヨシ子師が副守護神とは自己の家系の御先祖霊で、地獄界から抜け出す手前にある霊で肉体の子孫を指導して、子孫の肉体の魂と一緒に修業の結果、自らも天国界に入る一歩手前の御先祖霊と述べておられます。

                  他の霊能者の方にも、自分の家系の五代前か四代前の御先祖霊がその役割を背負っていると言われる方もあります。先祖供養先祖供養と言いますが、だいたい五代前より古い御先祖霊は輪廻転生の中で生まれ変わっている存在が大多数なので、この世に関わる霊界では見当たらないのが現状だからでしょう。

                   

                  私は子供の頃、自分にお坊さんの姿をした霊が就いていていると解りました。自分の家系の御先祖霊だとは感じましたが、私の家系にお坊さんに成った人など居ないと聞いていましたので、坊主姿を変だなと思ってました。

                  私が霊神霊世界に修業に入った頃は、そのお坊さんの姿をした霊がよく出ていました。私を守ってくれていたのです。霊能者の調べで、それは私が生まれた家系の御先祖霊であるとまでは解りました。ただ、私の家系は肉体の祖父は養子で、その先祖霊とは直接的血脈はありませんでした。

                  さらに出雲大社教の霊能者の調べで、それは私の家系の五代前の先祖霊と解りました。私の家の仏壇に白蓮の蕾が出て来てパカッと花が開くと、金文字で「日蓮、日蓮」とフラッシュして、さらに「南無妙法蓮華経」の金文字も出て来るで、遠くに引き籠もっていた最初の師匠の元に慌てて走ったところ、その五代前の御先祖霊たる方は日蓮聖人の御分魂だと判明しました。日蓮聖人ほどの方だったから、自分の御分魂を世に出されたです。

                  その御先祖霊はお坊さんではなかったのですが「法華経」を学び【妙見信仰】に入られて、かなりの行を積まれて、自分の魂の本体たる「日蓮聖人」に近くなられていたなのです。為にその姿を見たサイキッカーなどが、日蓮聖人さんのように見えるが日蓮聖人さんと少し感じが違っていると首を傾げていたりもしたのです。

                   

                  道理で、私の前に日蓮聖人がその弟子たる霊と一緒に出て来られたり、家系の先祖霊と入れ替わったりで、私を悩ましていた謎は解けました。この五代前の御先祖霊は私を指導することで、日蓮聖人霊の本体に戻られるなのです。

                  この日蓮聖人の御分魂は私を法華経や日蓮宗に導くのではなく、「大本教霊学」にと私を導いていかれたのです。それは「法華経」をいくら学んでも解らない。学ぶべきは大本教霊学だったからです。

                  大本教神諭に、【この神の御用をしたい守護神は取り立てる】旨がありますが、各自に就いている副守護神が大本教に気がついていないと、大本教から出された意味がまったく理解出来ないともなります。

                  だからと言って現在の大本教に入信しても教祖以下、何も解ってないとなります。必要なのは大本教神諭と霊界物語の中味を紐解くことなのです。

                   

                  私は幼い頃、不思議なことを思っていました。私は天より特別の密命を受けて、今回この世に出た。この家の御先祖霊はその私の受け入れてくれた家だです。誰しもこの世に出て来るにあたっては受け入れ先の家が決まっているのです。自分を受け入れてくれる家筋がないと、この世に出るにも出て来られないと理解していたのです。

                  よく、自分を産んでくれと頼んだ覚えがないと親に捨てゼリフを言われる方がありますが、その家から生まれ出ると決めて出たのは自分なのです。為に、その家筋の御先祖様には感謝が要るのです。そこに、その家筋のカルマを取ることによる菩薩修行もあります。

                   

                  私の家の仏壇を拝した霊能者の方から、私が出た家系は【国常立尊】様に関わる霊系の家筋だと教えられました。そこには日蓮聖人と国常立尊様には「縁」があったとなります。

                  日蓮聖人は「伊勢外宮」の当時在った寺院に参籠されて、【妙見菩薩】と関わって来られました。この「妙見菩薩」とは【北斗七星の神格化】ですが、妙見菩薩は神道系では【天之御中主(国常立尊)】ともします。

                  私の家の神棚に「閻魔大王(国常立尊)」と日蓮聖人が並んで出られ、伊勢外宮にあった寺に参籠された日蓮聖人の経緯を知るならば、私の家筋にに日蓮聖人の御分魂が出られたことも「神の仕組み」の一環だったと知ったしだいです。

                   

                  私の場合は五代前の家系先祖霊であった方が【副守護神】の任に就いておられました。その副守護神の役に就かれる霊に霊界における力の差はあるでしょうが、一部の霊能者の方が四代前か五代前の家系の御先祖霊だと言われるのは正しい説かも知れません。

                  ただ、大本教の出口王仁三郎聖師が言われた「副守護神」はかなり定義が広いようで、背後霊的存在や動物霊までひっくるめて言われている向きがあります。それは裏を返せば、その副守護神の役に就いた先祖霊の霊力が動物霊等よりも弱いとなります。力が弱いから副守護神としての任務が果たせないなのです。 

                   

                  そこに、各家庭の御先祖霊の力を強める為に供養があります

                   

                  私の2番目の師匠は、私に就いていた家系の御先祖霊のことを【糞坊主】と罵っていました。その2番目の師匠は【国常立尊の現身(うつそみ)】と自称していましたが、それを認めないで楯突いていたからです。肉体の私は見破れていなかったのですが、御先祖霊はその正体を見破っておられたなのです。

                  私の正守護神がその師匠の祭壇の霊的な社を蹴破り、そこに鎮座していた居た霊を私に見させましたが、それは「ライオン(猫科)」の姿をした神霊でした。そして先祖守護霊はその猫霊に消しゴムを食べさせたのです。その意味は、創造神でも無い霊が「描」いた構想を消すです。

                   

                  私が知ったある青年も自称救世主でした。で、誰が貴方を救世主と言ったのですかと質問したら、【苗】を両手に持った【猫人霊】が言ったです。「苗」「猫」「描」の一連の漢字がそれを物語ったなのです。

                  日本神道の【青人草】の「苗」が何の草の意味か解らずに、自分が創造神の演技をする。それは【牛虎の虎】が猫科だからではないのです。

                   

                  牛虎の虎は「猫」科でなく、演技の「寅」と理解しなかった 

                   

                  虎は劇

                   

                  この世の【劇】を見て、創造神の存在が解らぬでは愚かなり

                   

                  スピリチュアルでハイヤーセルフの言葉に酔いしれて多用しているでは、自分の魂がその正守護神や本守護神と切り離されて【輪廻転生】している意味そのものすら理解出来ていないとなります。

                  スピリチュアルなどから離れて、まず自己の家系の副守護神たる御先祖霊をきちんと天国界行き資格まで上げることで、自分もまた天国界に行く資格を得る。そこに出て来るのが自分の正守護神段階にもつながる道なのです。

                   

                  自分の家系の先祖霊が地獄界で苦しんでいる。それをきちんと上げないで、自分には神霊が見える。神霊と会話が出来ると言っていても、それでは貴方は何を見ているのだとなります。先祖霊をきちんと上げることで、自分が置かれた悪しき環境も好転して来るものなのです。

                   

                  多くの神社に神霊として祀られている存在は、蛇霊や狐霊や猫霊や狸霊と呼ばれる段階の霊が多く、その神霊に頼って現世御利益は得られても、天国界行きのキップが貰えるわけではないのです。

                   

                  大本教神諭、【この世の閻魔大王(良心神)】として現れる

                   

                   

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                  みろく(五六七)世とは【高次元世界】のことで、各自の正守護神の存在が重要となる

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                    日本の霊能者やスピリチュアルでも、間もなく【弥勒(五六七)の世】が来るという方は数多くあります。が、そうしたことを言いながら、その時節を見ずにこの世を去られた方は多数あります。すなわち、その時期の到来が何時なのかが解らないなのです。

                    その【みろくの世】とは五次元世界と告げられています。人類がその五次元世界に移行するだけの点に関しては各論にさほどの違いはありません。が、その移行方法に関してはかなり論により違いが生じています。

                    今の世に出て居られる神々ですら、豊受姫や木花咲耶姫様のようにそれを言われる御神霊もあれば何も発しない御神霊もあり、誰の説が正しいとも解らないが生じていると云えます。

                     

                    大本教神諭に、どの神も「世の立替」があることは御存じなれども、肝心要のことが解っていないとあるように、どの御神霊も肝心要が解らないから言いようがない面もありますし、さらに神界の末端に世の立替論などは行き渡っていないが現実としてあります。

                    だとすれば、当然に本当にそんなことがあり得るのかと言う疑問は生じます。大本教神諭と現実とでは中味が違っているではないかです。ただ、大本教からは大予言者と云うべき出口王仁三郎聖師が出られて、未だ来てもいない未来のことを数々予言されて、それが今の世に現実として現れたことは否定出来ない事実なのです。

                     

                    どうして大正時代に現代のテレビやスマホとか電子メールと覚しき存在のことまで予言できたのかです。未来を見通す強烈な力を持った。それだけの御神霊が大本教のバックにあったなのです。その事実を忘れてはいけないなのです。

                    自分は凄い者だ式の霊能者の方は数々居られます。しかし、大本教の出口王仁三郎聖師の様に未だ来てもいない先の時代を予言して、それが本当になったほどの方は存在していないのです。間違いなく大本教にはそれなりの神霊が降りたのです。

                     

                    私は世の大立替え論の確率は万分の1かも知れないと思いますが、万が一に備えておく必要があると考えています。誰がこんな「言葉の仕組み」をしたのかと考えると、今の世に出ておられる御神霊では言葉を仕組むなど絶対に無理なことだからです。御神霊だからで出来ると云う技ではないからです。

                    何故に【万に一】かと云いますと、マイコンピューターの出始めの頃、コンピューターを終わらせるのに「9999(All Outlet)」として、9の数値の4連打か、英字で「Quit」と打つがありました。「Quit」はマイコンピューターを終了させるです。

                    当時は安い給料でありながらマイコンを一式揃えるのに100万円近く掛かったので、ほとんどの人はそんな終わり方の時代があったことすら知らないかも知れません。誰でもマイコンが買える時代になると、シャットダウンで終わらせるしかしていないからです。

                     

                    仏典における末法の世とは「一万年間」とされて来ました。ある日、私に【末法の期間を8000千年縮める】と云う言葉が臨みました。しかしながら、何時から仏典の末法に入ったのかは定かには解りません。

                    すると、終了の9999−8000=1999となります。そこに、私にノストラダムス予言の西暦1999年は暦としては間違っていると出たのです。それで、1999年の意味は西暦ではなくて、言葉の仕組みで【二線】に分ける終了を語るポイントの意味かと理解したしだいです。どこまでも言葉の意味であり、それを暦に当てはめるなです。

                     

                    無論、そん事態は絶対に来ないと言う霊能者もあります。言葉がここまで仕組まれていることすら何とも思わない。ただ、自分の霊眼に見える存在だけに凝り固まっている霊感霊能者では、現実に自分の目に物を見る段階に来なければ絶対に創造神と呼ばれる様な神の存在のことなど解らないでしょう。

                    ただ、その五次元世界に関しては【平行宇宙】に移行するという説もかなりあります。平行宇宙とは「パラレルワード」と言われていることですが、SFの分野では知られるのですが、物理学の世界でも語られてはいます。また、「多元宇宙論」も物理学では研究もなされてはいます。

                    それらは私達の目には見えない世界の存在です。

                     

                    理論物理学の天才として知られるユダヤ人であった【アインシュタイン博士】は、船旅で日本を訪問して朱色の日本の神社や鳥居を見て、【神はこの日本に御座したか】と言われたとの話もあります。天才物理学者でも神の存在否定論者ではなかったのです。

                    全ての学者が目に見えない世界を否定する頑迷論者でもないのです。以前は東大の福来友吉助教授のように霊界研究によって大学を追われるがありました。当時の学者は私達の目には見えない世界があることすら理解出来なかったのです。

                    私が出口王仁三郎聖師の言霊顕彰会で、東日本大震災を当てたことで名が売れた「松原照子」さんとダブルで講師をした時、私の講演が終わると大拍手を受けて、私に差し出された名刺の多くに大学教授の肩書きの方がありました。学者の方達も全てが頑迷な霊界否定論者ではなかったと安心したしだいです。

                    しかし、現在の学問では平行宇宙も【理論】のみであり、【実証】する段階までには至っていません。いくら科学が発展しょうとも【創造神】を知るのは不可能と言えます。

                     

                    霊的世界に関わりますと、【時間と空間】の概念が無い世界と実感出来ます

                     

                    そうしたことから、【次元】の存在が語られて来ます。この「次元」という言葉は元々は数学の概念から発祥したもので、私達が住む世界は【三次元】世界であり、時間という概念が生じます。その時間の概念が無い世界が【四次元】世界とします。霊界は時間の概念が無い世界とされるのは【四次元】世界以上だからです。

                    人はこの世を去れば【四次元】と呼ばれる世界に入って行きますので、時間の概念が無い世界にと行きます。そこに、迷っている霊は時間の概念がなく、そこに留まり続けることになります。地縛霊などはそこに留まり続けることになります。

                    私自身の検証数は少ないのですが、幾多の幽霊と遭遇して、どうして地縛化しているのかの原因を見てきました。そして、そうした霊を本当の霊界にとも送りました。霊能者はすぐに天国に送ったと云いますが、貴方にそんな権限がどこにあるのですかとなります。

                     

                    日本語の「四」は「死」を意味するもそこにあり

                     

                    四次元から先の次元は、決められた形が無い世界

                     

                    霊能者でもスピリチュアルでも「弥勒の世」は五次元界以上と言われますが、五次元界になると【空間】の概念すら無くなって来ます。すなわち魂が【瞬間移動】も出来る世界で、今は一部の霊能者だけがしている魂で宇宙にも行けるです。魂はもっと宇宙的な存在に成るということなのです。だが、霊的世界に関わっていても三次元の肉体の論理にしがみついている霊感者達も多数存在しています。

                     

                    高次元界に行く道よりも、三次元世界にしがみつく霊能者

                     

                    霊能者江原敬之さんは、自分が「スピリチュアル」と云う言葉を広めた元祖だと自画自賛をされていますが、日本にスピリチュアルと云う言葉持ち込んだ最初の方は大本教で世の大立替の指揮を執られた【浅野和三郎師】とされています。明治五十五年に世の大立替が起きなかったことから、責任問題から出口王仁三郎聖師と袂を分かって大本教を飛び出て、日本心霊科学協会を起こされた方です。

                    その浅野和三郎聖師は、自分がスピリチュアルの言葉を日本に持ち込んだ本人でありながら、スピリチュアルという言葉を嫌われました。それは、スピリチュアルと云う言葉そのものに【低級霊との交信】の意味があったからです。

                     

                    浅野和三郎師は大本教を飛び出した後、霊媒者による数々の交霊会を催された。しかしそこに降りて来る霊とは、人を驚かす見世物としては十分で、霊の存在を確信出来たとしても神を知るには至らなかったと言えます。

                     

                    降霊術で本当に高級霊は降りません。大本教神諭に、「この神(国常立尊)は、巫女(女性霊媒)や神主(男性霊媒)には懸からないとあるように、霊媒者に懸かったらニセ神です。その霊媒者の魂の格から調べる必要があるのです。

                    この世の霊界で私達に懸かって来る霊とは非常に低い霊が多く、そうした霊の障りも多いので、霊がよく見えるということは霊の障りの原因を知る意味では必要な分野ではあるのですが、それだけでは本当の高級霊とは関われないという問題が生じます。どこまでも「低級霊界との交信」がスピリチュアルの言葉だからです。

                    神を知ることと、霊の存在を確信出来るのとでは【次元】が違っているのです。

                     

                    では、「みろくの世」になれば誰も宇宙を自在に行動出来るのかとなりますと、霊界には【ゲート】が存在するとされますので、現実には「制約」は起きるはずなのです。完全自在ともなれば好き勝手な「無秩序」な世界になってしまうからです。現実に霊界には天国界も地獄界も神界も在るのは、完全自在ではないからです。完全自在であれば、霊界に地獄界が在ることの説明すら不可能となります。

                    では、次元とは何次元まであるのかです。霊能者と数学者の間では考え方に違いがありますので、次元の考え方は一致していません。数学的には【十一次元】迄と言われていて、十一次次元とは【宇宙の法則】であり、全ての宇宙の存在は、この十一次元の法則に縛られているです。もし、宇宙に【法則】がなければ、宇宙そのものが成り立たないなのです。

                     

                    しかし、それらは数学上の概念であり。霊能者とは次元の考え方が違っていて、ある自称創造神は自分は三千億次元の存在とか、スピリチュアルでも自分は500万次元の存在とか、100万次元の存在とか、まるで次元をバナナの叩き売りをしている感があります。

                    もう両名ともお亡くなりになりましたが、【五井野正】博士はその著本でも解る様に自分は【七次元の使者】と称しておられましたが、ヨガで有名であった【本山博】博士も自分は七次元界と言われていたと記憶しています。この七次元は魂的には非常に高い世界と言われています。地球という星の制約を受けた存在ではないなのです。まさに宇宙からこの世に降りて来た魂です。

                     

                    大本教から【本守護神】【正守護神】【副守護神】が出され、以後、日本の新神道では【神人合一】が言われるようになりました。この神人合一とは、三次元地上界に居る自分の肉体にある魂と神界に居る自分の魂が【合一】状態に入ることを指します。

                    それは死ねば誰でも行ける「四次元」世界に行くのではなくて、更なる上の世界に存在する自分自身の魂に帰結することです。最低で【五次元界】以上の自分の魂と出会うことが【神人合一】の段階と言えます。この段階で出会う自分の魂が【正守護神】と呼ばれて来ます。

                     

                    本来ならば「みろく」は「369」と示すべきところですが、大本教からは【五六七】と出されました。また、「日月神示」も同様です。これは、弥勒の世は【五次元・六次元・七次元】を主体に構成される世のことを語っているからです。別にお釈迦様の死後【五十六億七千万】後の「弥勒」菩薩の数字を簡略化したのではないのです。言葉の仕組みとは、そうした重なりまで組み立てているなのです。

                    日月神示では今の世は「三四五(みよいづ)」。新しい世は「五六七(みろく)」と出されましたが、これらは「一二三(ひふみ)」「三四五(みよいづ)」「五六七(みろく)」「七八九(読み方は不明)」を言っているのです。

                    各自の魂の「正守護神」とは「五六七」次元のどこかに存在し、本守護神は「七八九」次元のどこかに存在して来るのです。

                     

                    スピリチュアルでは【ハイヤーセルフ】という言葉が多用されています。【高次元界に居る自分自身の魂】という意味で、日本の新神道系で言う【正守護神や本守護神】のことにはなりますが、ハイヤーセルフという言葉を多用するスピリチュアル標榜者にその存在が本当に認められるかとなると、大きな疑問が出るのです。それは「五六七」次元世界と「七八九」次元では世界そのものが違っていることに何の言及もないからです。

                    確かに「ハイヤーセルフ」の説明として、高次元界に居る自分自身であり、【輪廻転生】しても変わらない存在は説明としては間違っていません。正しいことは正しいでのです。

                    されど、それでは【正守護神】の上に【本守護神】があり、正守護神と本守護神では魂の大きさがまるで違うことが解りません。また、私達の肉体にある魂とは小さな魂であり、スピリチュアルでも語られる【コップ一杯の水とスポイトの一滴】の理論すらどこにも見えないとなります。

                     

                    私の肉体の魂は小さなものです。それは私だけでなく、この世に生きている人の肉体の魂の大きさにさほどの大きさの違いはありません。私個人の場合と限定はしますが、私の「正守護神」たる魂は肉体の私の魂の数万倍の大きさがあります。それは神社等に鎮座されている御神霊達の玉よりも大きな玉と言えます。

                    それは各自の魂には「正守護神」があり。その存在は神社に鎮座されている御神霊達よりも劣っているのではないのです。霊能力がある人に限られて来ますが、神社に参拝したならばその神社の御祭神から挨拶を受けたなどは、その方の正守護神がより高い場合などに起きる可能性があります。

                    神社に鎮座する御神霊に頼って、それ以上の存在かも知れない自己の正守護神。自己の魂の【内在神】を忘れてしまうと危ないのです

                    無論、個々の人の魂によっては神社に鎮座される御神霊が自己の「本守護神」「正守護神」の場合もあります。私は豊受姫と関わって来て、豊受姫の【分魂】たる人を幾人も知りました。豊受姫のお代をされていた最初の師匠は、豊受姫の分魂を持った肉体人は、今の世に100人は居ると言っていました。

                    しかしながら、誰が何神の分魂を保有しているかは霊査しないと解らないのです。

                     

                    スピリチュアルでも、この世に出て来ている自分の魂の量はスポイトの一滴とするならば、本体はコップ程度の大きさと云われてはいますが、そんなことすら無視したスピリチュアル標榜者が実に多いと見受けられます。

                     

                     

                     

                    新日本神道で説かれてた【神人合一】とは、このコップの水に戻ることなのです。だが、この世に降りた肉体のスポイトの一滴に等しい魂が自分を汚していると、そのコップに戻れないことから、コップの水に戻れるまでの清水になるまで【輪廻転生】に入ってしまったのです。

                     

                    輪廻転生の意味を知るには、コップ一杯の水とスポイトの一滴を知る

                     

                    もしも汚れたままの水をコップに戻せば、コップの中の水も全体が汚れます。ですから「神人合一」の段階まで進まないと、正守護神には帰結は出来ないのです。

                     

                    私は多くの霊能者の方に出会ってきましたが、そうした中で7〜8名の霊能者の方から貴方の本守護神は【国常立尊】様ですと指摘を受けてきました。しかし、私はその存在を見たとは云えません。私が見て来たのは私の【正守護神】と呼ばれる存在なのです。

                    その正守護神の魂たる玉の大きさと私の魂の大きさを比較をすれば、まさにその比較はコップ一杯の水とスポイトの一滴と言えます。

                    私は自分の正守護神が霊界で出会っている御神霊達の段階からすると【七次元】界の存在かと見受けました。

                     

                    ある霊能者から、「貴方は自分が何次元の者か解っておられるのですか」と聞かれたので、自分が見えている正守護神と覚しき存在から推察して、七次元界かと思いますがと答えたところ、「冗談はよしてください」と云われます。

                    で、「七次元界では高すぎますか」と問い返したところ、「もっともっと高い存在です」と云われます。その霊能者の方は私の本守護神は「国常立尊」様と告げて来られた中の一人なので、本守護神たる国常立尊様が見えていたのでしょう。しかしながら、肉体を持った私はその段階まで帰結は出来ていません。

                    私は自分は「国常立尊」様のことはよく解らないと云いますが、自分の魂の数万倍の大きさの玉が私の正守護神で、その正守護神の玉の数万倍の大きさの玉があり。さらにその数万倍の大きさの玉が控えていることは確認しました。次元次元に自分が存在すると云う説も間違っていないのかも知れません。 

                    その超巨大な玉と私の魂の玉とでは、玉の大きさなど比較にもなりません。しかし同質の玉(魂)であることは、玉が持つ色で同じと解ったのです。

                     

                    人の魂は人でさほど変わらず、そこに俺様は偉い凄いはない

                     

                    人の魂は創造神や自己の本守護神からすれば、いと小さき者

                     

                    この世に生きている内に天国行きのキップを得ている人達の背後には「正守護神」が存在してきます。別にその正守護神の名を知る必要はありません。それはその人の過去世の一端の存在に過ぎないからです。

                    私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、【自分の前世たる存在が神として祭られている場合がある。それを自分の前世とは知らずに、その存在を敬うこともある。されど、その前世の名をもってして自分がそうだと言ってはならない。今の世で付けられた名前で神の道に上がる努力をしなければならない】と告げられたのです。

                     

                    神界とは、神社に鎮座されている神だけの世界ではなく、世に出ている御神霊とは神界の行政マンなのです。ですから、大本教神諭は【世に出ている神々の心の持ち方が悪かった】と、神社等の祭神として世に出ている神と限定しているのです。

                     

                    高次元界に進む為には、自己の正守護神との「神人合一」を知る必要がある

                     

                    ですから、自分は神社等に鎮まる霊が見える。会話が出来るだけでは自己の魂が「五六七」次元に達しているとは必ずしも云えないのです。逆に霊等見えない人で世の為人の為に尽くしている方には、自己の【内在神としての高次元の正守護神】が存在していたりするのです。

                     

                    霊界修行の最初の頃は神社参りなどが課せられますが、自己の正守護神が出て来ると、そうした神社参りは卒業なのです。自己の神は外在ではなく。内在しているからです。

                     

                     

                     

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                    人の魂は【輪廻】を通して【目には目を、歯には歯を】で、幸せな一生もあれば不幸せな一生もある

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                      私の元には自分はこれだけ精神的に苦しんでいる。その自分の精神的な苦しみを取ってくれるのが神ではないか。そうした訴えをして来られて、私はにはどうすることも出来ませんと返すと、「罵詈雑言」を浴びせて来られる方があります。

                      ある悪党が私に言いましたが、神は苦しんでいる者を助けるのが神であり、それ以外のことはするな。そうした概念の方が多いのかも知れません。そこにあるのは、自分の苦しみだけを神と呼ばれる存在に訴えるです。

                       

                      人々が考える神とは、いったいどういう存在か?

                       

                      人々が持つ神の概念は、自分の苦しみ取る存在?

                       

                      霊的世界は「精神世界」とも呼ばれ、霊的世界と精神世界は「紙一重」であり、うかつに霊的世界に足を踏み入れると自己の精神が狂わされるがあります。 

                      スピリチュアルでは神は光だと吹聴されますが、全ての魂は「光の玉」でもあり、その肉体により強い「光の玉」を受けるだけの力が無ければ、より強い光を受けきれずに精神はズタズタにされて発狂などにも行きます。悪霊もまた「光の玉」ではあるのです。

                       

                      そうした心の病とか精神の病は、神や霊能者で簡単に解決など出来ません。人と交わる娑婆世界を離れて田舎などに引き込み自然とか動物等にふれ合って自分の心を癒やすとか、心療内科や精神科の医師の手助けがないと、娑婆世界で人と人と交わっての治癒は難しいとなります。

                      私がこれまで出会った方の中には自分が霊から救世主だと言われ、誰がそうしたことを言ったのですかと問うと、猫人霊がそう言ったなどがありました。蛇霊や狐霊は知られていますが狸霊とか猫霊なども、貴方が救世主ですなどと言って来ます。確かに霊的なものがその人に関わったのですが、結果的には精神が破壊されてしまわれたなどがありました。そうした霊による幻聴とか幻視とかが起きて来るのです。そして、被害妄想にも発展するなのです。

                       

                      私は人間であって神ではありませんし、別に霊能力者でもありません。私がその人に答えられるとしたならば、貴方の現在の苦しみは貴方の過去世の生き方に何等かの【原因】があったのであり、【カルマ(業)】の吹き出しですとしか言いようがないのです。

                      自己の【精神】が確立しているならば、霊が自分に何を言おうが、それが【道理の筋】に合っていなければ、おまえの言っていることはおかしいと、そんな霊の言葉などに聞く耳など無いと言えます。

                      私は霊が自分は〇〇大神とか名乗って来れば、その言うことをまず聞きますが、その内容がおかしいと思えばその【証拠】を要求します。時には、その霊に対して【一喝】します。そうすると、ほとんど逃げ去ります。本物ではないからです。

                       

                      私は子供の頃に自分に臨んで来た旧約聖書の神と称する声が言ったことを、頭から信じているのではありません。その真偽を確かめているだけです。そこに【言葉の仕組み】を創った存在があることを知っただけです。

                      その学びの過程において霊界が起こす【奇跡】の数々を見て来ました。だからと言って、「奇跡」の現出でそれを創造神等と言っているのではありません。人には【魂】があり、その「魂」論に沿って話しているだけです。 

                       

                      大本教神諭予告、

                      【この神は心の立替、心の建て直しの神である】 

                       

                      イスラム法では、【目には目を、歯には歯を】

                       

                      自分が行った行為は、同じ物が【自分に返って来るのが神の法】と説いてはいますが、それが魂の「輪廻転生」を通じて次の世に自分に現れて来るとは説いていません。しかし、仏教においては曹洞宗などに見られる【三時(過去・現在・未来)】の教えに、自分がこの世で為した現在の「カルマ」は未来に、過去の「カルマ」は現在の自分に現れると説いてはいます。

                      ただ、【カルマ】とはその人が為した行為そのものが、必ずしもそのままで現れるではありません。その形を変えて出て来る場合が多いのです。

                      個々の人が輪廻の中で積んできた【カルマ】。国家とか民族とか社会が積んで来た集団の【カルマ】も存在して来ます。自分だけが幸せであれば良いと言うものではありません。 

                       

                      私が2番目の師匠の元で修業していた当時、一人の女性と知り合いました。その女性は苦難の道を歩いておられました。その原因となったのは、50ccバイクに乗っていて一人の男性を轢き死なせたことから交通刑務所に入ったことと、自分を育てくれた親の膨大な借金問題等からです。もう両親は首つり自殺する寸前まで追い込まれておられたのです。当時の私はその女性と結婚してもいいと思っておりましたが、その借金額は私にはどうすることも出来ません。

                      ところが私の2番目の師匠が私にを言って来たのです。【おまえは女性と付き合っているな。その女性とは結婚してはいけない。この女性は前世において強姦されて殺されている。そのことを今の肉体は知らないが魂は知っていて、前世で自分を強姦して殺した男の魂をたまたま見つけたことで、今生でその時の仕返しをバイクを使ってしたでした。】です。その女性は私と結婚するには相応しくないと言って来たのです。

                      つまり、「目には目を、歯には歯を」をしたなのです。で、この交通事故そのものは過去世の精算であり、過去にその女性を殺した側も今回は自分が殺されたことで過去に殺した【カルマ】が消えたです。この女性の今生での交通事故による人を殺した罪は、その時点で「恨みのカルマ」は解消されました。霊界でその罪が問われることは二度とありません。

                       

                      そして、この女性は私が出した言葉は、自分はこれまで多くの霊能者に助けてくださいと相談に行きました。どの神も助けるから大金を出せ。大金を出せないのであれば、その若い肉体を差し出せです。皆、蛇や狐の神。本当の神様など居ないと思っていました。だが、貴方の言葉に本当の神様が居ると解ったと言われます。私は驚いて、【私が言った言葉のどこに神様が居る?】と聞いたのです。すると、その女性は私が言った言葉そのもではなくて、私が出している言葉たる【音波】に本当の神を見たと言われたのです。

                      それは私が発した【言霊】に本当の神を見ただったのですが、当時の私はこの人は何を言っているのだろうと思っていました。その後に、私が見たのは【言霊の正体】でした。それは【蛇や狐の神】ではなかったのです。宇宙創造に関わった神達です。

                       

                      私の言霊に本当の神を見た最初の女性で、この女性にはある事柄と引き換えに親が自殺するかも知れない途方もない親の借金、現在では2億円程度の借金が一気に片付いたのです。その女性は私に自分はどうなってもいいから親を助けたいと言ったので、これからのその方人生の犠牲と引き換えに、別の【代償】を出して親の借金を払ったなのです。それも「目には目を、歯には歯を」なのです。その手助けをしたのは、私の背後に居る神霊団だったと言えます。

                      その女性は私が出す言葉(音波)に神を見た。その神様の為に働きたいと言ったことに、私の背後神霊団が働いたのです。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいました。その声は【そなたが本当は誰なのか。どの神にも解らないようにしておく。そなたも知らない。されど、そなたの背後にこの私が居ることが解った者は、この神が救う】。その女性は私の背後に居る神の存在が解ったからと言えます。その女性はその親の借金の代償の払いをする為に、私の前から去っていかれたなのです。

                       

                      仏教でこの世に起きることに偶然性はなく、全て必然性と説くことの事例と言えます。全ての事柄に【因】があるなのです。 

                       

                       

                      ただ、カルマとは全てが悪い【業】ではなくて、良い【業】もあり、過去世で自分が積んだ徳分(良いカルマ)は、この世で【幸福】と言う形で返って来るのです。どうしてあの人は幸せなのだろう?。過去世における【徳】があったりするのです。

                      この世は魂の修業場なので、地獄に落とされていた魂も、天国から更なる上の天国を目指す魂も、天国も地獄も定かにならないような魂も、そうした魂に教えをする為にお釈迦様とかイエスとか弘法大師の様な高級霊たる存在の魂も降りて来るなのです。

                       

                      この世で何の悪行もせずに「幸福」な人は、過去世の徳分が出ている 

                       

                      この地球は【魂の刑務所】ともされますが、【天人の苗床】とも言われるように両面があります。それは「魂の修学の場、更生(甦)」の場なので、過去世に罪悪を犯して来た魂。悪からさらなる善を学ぶ為に来ている魂など様々であり、一概論で語ることなどは出来ないのです。

                      更に、魂の修学の場として高い世界から降りた魂には【試練・苦難】の波が押し寄せて来ます。この世の試練とか苦難は魂を磨かせる一環でもあるからです。特に神代と呼ばれた時代に悪を積んだ神的な魂には、恐ろしいほどの苦難が来ます。それに堪えることが元の天人の世界に戻る道筋でもあるからです。

                       

                      キリスト教やイスラム教では一部の霊能力がある宗教家以外は「輪廻転生」などは言いません。仏教には「輪廻転生」の教えがあるとしても、某宗派は仏教でありながら公然と人は死ねば土に還るだけで死後の世界(霊界)など無いと公言しています。そしてこの宗派の信徒は、霊的なことを語る人達に対してオカルトだと攻撃しています。

                      キリスト教であれイスラム教であれ、霊的な世界を語る司祭達は何も見えない他の司祭達から阻害されたり迫害の攻撃を受けるであり、宗教を信仰したからと言って「天国門」が開くとはならないのです。

                      万物を創造した神の姿は見えないとしても、【正負の原則】たる「目には目、歯には歯を」たる【カルマ】がバランスを取っているのです。 

                       

                      天国とは、自分がこの世で何を為したかで行く階層が決まる 

                       

                      私の最初の師匠は豊受姫のお代でしたが、こんなことを私に言っていました。人の世の苦難はどんなに長くてもたかだか「50年程度」であり、その苦難を耐えて神様(この世に出ている神霊達)に成ったならば、500年程度は神社の神様で居られる。どちらが得かと言えば、神社に祭られる神様と成った方が得だです。

                      日本の仏教界においては、日本の神社に鎮まる神霊と言えども【輪廻転生】は避けきれないで、永遠の仏陀ではなくて高い神霊だけには【大菩薩】の称号を贈って来たわけです。神社で神様と呼ばれていても「輪廻転生」からは完全に逃げ切れてはいないなのです。 

                       

                      が、輪廻転生があるからこそ、私達の魂は何万年何十万年と在るのです 

                       

                      私が説いているのは、間もなく【輪廻転生】が終わるなのです

                       

                       

                       

                      霊界は同じ「想念」の者ばかり集まって暮らす社会なので、多様な世界が存在し天国や地獄も構成されて行くのですが、その世界で自分だけが向上するのは難しい。言うなれば【ドングリの背比べ】状態で、この世に降りて来ることで異論な違いを知ることによって魂が向上する。それが【天人の苗床】と言われる由縁。

                      輪廻転生が終わると、その時の段階で霊界での地位が固定されるので、早くから【宣伝】がなされているのです。

                       

                      自分の人生は不幸せだと、【神を恨んだり人を恨んだり】する人生とは、どれほど後ろ向きかとなるのです。今回はたまたま不幸せな人生が訪れたとして、人は恨んだり神を恨んだりする前に、全ての落ち度は自分の過去世に原因があったと、意識を【転換】することが大切だと言えます。

                      たまたま今生が不幸せだったからと言って、それで霊界に帰れば「地獄」ではないのです。各自の魂の【向上過程】においては、そうした人生もあるのです。特に最終過程ほど【苦難】の道があるのです。【卒業試験ほど難関】と言えます。

                       

                       

                      霊界の【目には目を、歯には歯を】は「正負の原則」のこと

                       

                      悪しきことで得た幸福は、次の世で「不幸せ」となる 

                       

                      長い「輪廻転生」の旅においては、恵まれた「良い人生」の時もあれば、何でこんなひどい目に会うのか?。何もかも恨みたいような人生もあるのです。

                      大本教の出口なお開祖は神界での規則違反に問われて、大本教開祖となった最終の人生は屑拾いで生計を立てていた人生が一番ましな人生であったと言われるように、自分の過去の人生に何かがあって今の人生になっているのであって、人を恨んだり神を恨んだりする筋合いものではないのです。

                      どの霊能者でも【自殺だけは絶対にするな】と言うのは、たまたま「どん底人生」の時が来たからと言って、過去の良い人生の時に他に対する【徳】の放出をしなかったからであり、【カルマの解消】だと認識出来ていれば、それに堪えて打ち勝つことも出来るのです。 

                       

                      自分の【カルマ】を精算を終えた時、元の神の世界にと戻る

                       

                      その道は決して楽な道ではない

                       

                      神の存在を信じるとは、信じることでその苦難の道が少しは和らぐ

                       

                      神は自分の苦難を取る「御利益神」と思うと、間違った道を進む

                       

                       

                       

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