祓いの犬に隠された靴は、弥勒の「勒」の改革の力か?。戦いの迫りの靴音か?。

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    子犬の行動を見ていますと、脱いでおいた履き物を咥えてどこかに持って行くがあります。愛犬の【靴泥棒】と呼ばれる行為です。子犬にとってはそれは一種の遊びと言えます。

     

    私はここ一〜二年間ほどの間に、実に奇妙な夢を七〜八度見ていました。それは夢の中で私が世の立替の講演をしている会場で、講演を終えて会場から帰ろうとすると私の「靴」だけが何故か無くなっている夢です。会場の他の人にはそうした被害が起きておらず、私一人だけが被害者なのです。

    どこを探しても私の靴が見つからないのです。時には裸足で靴屋に駆け込んでも、何故か私が履くサイズの靴だけは無く、大弱りしている夢もありました。そんな夢が七〜八度も出て来ますと、さすがに【靴】の言葉の意味が気になります。だが、意味がまったく解らないのです。

     

    そして、犬の年を迎える昨年の師走に、またもや靴が消えている夢です。だが、今度は会場の靴箱を探したところ、これまで消えて行った過去の全ての「靴」が並んでいたのです。これまで失せた靴が全て戻って来ている?。です。

    いったい誰が私の靴をこれまで隠して来たのだ!。その時、これまで私の「靴」を隠したのは「犬」の所行だと出たのです。犬?。犬が私の靴を隠していた?。

     

    酉年の師走の後に来るのは「犬」の年です。犬に祓いの意味があるのは分かります、その「祓い」がどうして【靴】とつながるのかの意味が解らないなのです。だが、靴が戻って来た夢は、【靴】が揃う仕組みと考えられるわけです。

     

    弥勒の「勒」を分解すれば改革の【革の力】で

    弥勒とは「いよいよ始まる改革の力」と読めます

    私は【弥勒世】の到来を告げる宣伝マンをして来ました。だが、それは何時かとなった時、言葉だけでは読み切れません。

     

    革の字は、毛物の毛を治去して、これを【革変】するなりで【革命】をも意味します。政治の世界では保守の旧を改めるのが革新とします。しかし、政治の世界の革新はその多くが唯物主義者の集まりで、唯心主義者とは一線を画します。

    明治維新は間違いなく【改革】でしたが、日本の民主党の革新政権は、実務が解らないお粗末な政権でした。危機管理が出来ない革新政権ならば必要は無いとなります。

     

    今年の年明けに中国の軍艦が尖閣列島の接続水域に入り、何時、中国が尖閣列島に上陸作戦を敢行しても不思議ではなくなって来ています。中国の習主席は新年の軍事パレードで、軍に【戦争準備】を訓示しました。どの国に対しての訓示かは解りませんが、国家の指導者であれば、あらゆる不足の事態に備えるのは当たり前のことであり、日本の様な平和ボケでは国は守れないのです。

    無論、戦争は厭だからその時は日本は中国の属国に成る。そうしたことを平気で言う人達は必ず出て来ます。そんな日本人が増えれば増えるほど、この日本は天から見放されるでしょう。

     

    世界の人類が戦いの無い平和の世界に住むには、日本の戦国時代の世を織田信長が天下統一に導いたように、一つの神による神界統一が必要です。唯一の神だけを神と崇めるです。

    今の神霊世界を見るならば、まるで群雄割拠の戦国時代のようなものなのです。為に、宗教が戦争を起こす元凶となっていると言っても過言ではありません。

    同じ旧約聖書を聖典ともしながら争っているユダヤ教、キリスト教、イスラム教を見れば解るように、未だ本当の創造神は出ていないとも言えるのです。もしもそうした創造神が世の世の表に出ていれば、宗教間での戦争は起きないからです。

     

    唯一神が告げる【革新】は、毛物(獣)の魂からの脱却です

     

    今の世は、人の顔をしていてもその魂は【毛物(獣)】なりの状況で、新しき永遠の世に入る為には、魂の毛物の除去がなされなければなりません。だからこそ、【弥勒】の世は黙っていても来るのではなくて、大規模な【変革】を伴うなのです。

     

    そうしたことから、世の立替は一種の神界革命(クーデタ)とも説かれるのです。

     

    だが、ここまで私の夢に「靴」が出て来るとは別の意義があるかと、再度調べましたところ 革は獣の皮ですが、改に通じて「あらたまる(新たまる)」です。ですから【改革】でよかったのです。さらに、さし迫るとか病気が重くなる。危篤になるなどの意味もあるのです。そこに、改革がさし迫って来たと読めます。

    そして「靴」の「化」は、【人が死す】形なのです。単に化けるではなくて、複数形の人達が死ぬ形です。化けるの意味合いは、人の肉体は死ねば消えても骨は残る。その骨と化した意味が「化け」るだったのです。違う形になることです。

     

    人は死しても【魂】は残る。それが【化け】です

    靴は、改革で人は死しても「魂」は残る 

     

    そうしたことから、私達はこの世を去ってもこの世に残っている霊を【お化け】と言います。霊がいろんな姿(神霊をも装う)に化けるのもその意味合いです。

     

    私は今回【犬】の字に関して調べていて、かなり見落としがあったことを知りました。犬の字が使われる常用漢字には、

     

    伏、臭(臭)、突(突)、戻(戾)、状、就、献(獻)、黙、器(器)、類(類)、抜(拔)、髪(髮)等があります。

     

    これらの犬の字は動物の犬その物の意ではなくて、祓いの【犮】から来ている犬性なのです。私達が気がつかなかったのは【器(四口と犬】が、神事や祭事に用いる道具のことなのです。

    私達の肉体は【神の容器】ともなります。しかしそれは「一霊四魂」の四魂ではなく、直霊とされる部分が【神】と言えます。

    私は世の大立替で審判されるのは各自の【良心神(直霊)】だと述べて来ました。それは魂に点数が出ることを見たからです。

     

    私達の【心臓】は「田の字型」の四室となっています。

     

    人の心臓は【田】の字型、心を持って【思う】の働き

    何故、稲荷でなく【米】教の仕組みであったのか

     

    心臓は【魂の型】であり、血は「霊」でもあります。聖書に「汝、他人の血を食べてはいけない」とありますが、他人の血の輸血を拒否することではないのです。これは【汝、他人の霊(チ)を食べてはいけない】なのです。

     

    今の世の霊的世界においては、自分の魂の汚れを霊媒質者に勝手に送りつけるが行われています。すなわち他人の汚れていない霊(チ)を食べるです。これらは霊的に行われているので、大多数の人はその現実を知るではありません。

    自分の霊(チ)の汚れを自分の肉体が祓わないで他人の霊(チ)を利用するです。何も知らず解らずに、他人の霊(チ)の汚れを受けて病を起こす。そうしたことが起きているのです。

     

    自分には名だたる神々が出て来られるで、自分はとんでもない高い者だと思っている霊感者の方を見た他の霊感者が、あの方は美しい魂の持ち主だと言っておられましたが、実際はその方の魂の汚れは霊媒体質者に無断で転送されていたがありました。そのことを霊感を持つ肉体は気づいていなくても、その肉体の魂がしていたなのです。

    それは、本当に磨かれた魂ではなく、他の霊媒質者に自己の魂の汚れを転送して見せかけの美しさを誇っていたのであれば、いずれ破綻する日が来ます。それを美しい魂だと賞賛していた人達の魂も、実に低い魂の持ち主達だったと言えます。

    自己の魂が汚れていれば、自分と同格の汚れた存在の魂を見ても、その魂が汚れているとは見えないのです。汚き水の池の中に居て、自分の居る池の水は綺麗だと思っているなのです。高き山に登って見る光景と、低き山に登って見る光景は違うのです。

     

    人の魂は脳に宿るのではなく、心臓に宿る

     

    その心臓の四室は、私達の血の汚れを集めて浄化(祓い)しています。そして、新鮮な血を送り出しているのですが、心臓が弱ると死につながって行きます。

    ほとんどの方は神霊が神罰として人の命を取ることを知らないと思いますが、神霊が人の命を取る時には【心臓発作】などであの世に持って行きます。但し、むやみになされているのではありません。時には起きるなのです。

    人の病の多くは【血の汚れ】から発祥しますが、これは【霊(チ)の汚れ】からも起きて来るなのです。悪しき想念が魂の霊(チ)を汚しますので、スピリチュアルでも【悪しき想念】を持つなと言う教えそのものは正しいのです。

     

    人を嫉んだり恨んだり憎しんだりしている人が、【自分の魂は美しい】など、絶対に出せない言葉なのです。本人は霊(チ)の汚れを発しているからです。

     

    一霊四魂の四魂を祓うと、直霊は汚れを持たない

     

    また、弥勒の勒には

    勒=くつわ(勒)を並べる。戦闘前に軍馬を一斉に並べるがあります。

    戦争の靴音が聞こえて来る等と言いますが、戦火の前に「靴」です。 

     

    私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声は、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国で有り、この神の仕組みはそなた一人だけには解るようにする】でした。ただ、それは豊受姫から【貴方は言葉で教える者】と告げられたことから、言葉の仕組みだと解っただけです。

    また、その旧約聖書の神と称する声は、【この神が演出監督する神の舞台の筋書きは、世に出ておられる神達は誰も筋書きをご存じない】と告げられましたが、大本教神諭も同様に、【世の立替があると云うことは、どの神柱にも判りていれど、モウ一厘の肝心の事は判りておらん知らない】とありますように、実は神々にも創造神の立替の筋書きは解らないがあるのです。

     

    それは、神霊と呼ばれる方達が私の前に現れて、私に創造神の仕組みを教えるとか説くではなくて、私の魂が鍾馗神の案内で中国で天子とされる数万体数十万体の配下霊を従えた「盤古大神」に拝謁し、大本教の出口王仁三郎聖師の姿をした霊が私の前に【漢字】と描かれた浴衣で出て来られたことから、大本教霊界物語の盤古大神から国祖国常立尊様に神界の【大政奉還】の内容に触れて、神界の大政奉還ではなくて、日本語は【感じ】を学ぶのに【漢字を変換】する必要に気づいたわけです。

    しかしながら、いくら辞書を見ていてもその言葉がどのように仕組まれているかは解りません。私の場合は見せられた霊的映像から言葉を読んでいるのです。

     

    私は大本教霊界物語の記述の弥勒の神の紋章は【○に十字の定めなり】を、実は戦いの前に軍馬を一斉に並べる「勒(くつわ)」の意味があることに気づいていました。それは、大本教と同じウシトラ金神でも、【宇志採羅根真】の綾部藩主九鬼神道家に関わる古文書の絵に描かれた○十からです。その○十は勒(くつわ)?。

    神界には創造神が存在すると思われますが、現実にはよく解っていません。特に私達が居る地の神界は大本教で説かれた【地の神界の主宰神・国常立尊】の追放劇が【地の神界の神々の多数の力】により生じたからと言えます。

    そこに【勝てば官軍、負ければ賊軍】や【下克上】が起きたのです。私がそれを知るのは大本教霊界物語の記述からではなく、私の魂はその当時に存在していて国常立尊様に仕えていたからです。微かながらもその当時の記憶を私自身が持つからです。

     

    弥勒世の前には、四魂(四器)の汚れの祓いが必要で

    天帝に従えぬ神霊達は、天帝の軍馬に蹂躙される

     

    私は現在地に豊受姫の命令で、この神業は【世に出ている神々には出来ぬ。このご用が勤まるのはそなた一人】と言われて現在地に住みましたが、その土地は大本教出口王仁三郎聖師が大正九年以前に大本教信徒の一部に、「教団に内密でその土地を死守せよ」と告げられた土地の一角であることが解りました。

    また、出口王仁三郎聖師がその直弟子の一部に、【みろく神業に使われるお宝が埋められている】と告げられた土地の側でもあるのです。

     

    私が所有する土地そのものではありませんが、やはり出口王仁三郎聖師に命じられた方の土地に関して「豊受姫」は、私に【米】型の屋根の霊的建物を見せてくださり、【米】型が単に大本教神諭予告【九つ花】を紐解くだけではなくて、もっと重要な意味があることを教えて頂いたしだいなのです。

    世に自分には【豊受姫】が出て来ると言われる方は多々あるでしょうが、大本教では綾部の聖地である本宮山(鶴山)に豊受姫が降臨されたと述べていますが、私も豊受姫からそのように伺っています。その豊受姫が【米】型の意味を知らないとなれば、それは本物の豊受姫様かとなります。だからこその【稲荷大神】でもあるからです。

     

    伏見稲荷大社は全国の稲荷の総本社ですが、私は【伏】の字に首を捻っていました。犬が伏して人に従うは俗説で、人に従い。犬に従うなのです。この伏は【厄災を防ぐ】の意味合いと言えます。祓いにつながっているのです。 

    明治維新は薩長連合軍が【鳥羽伏見】の戦いで雌雄を決めました。大本教神諭予告【九つ花】は十里(鳥)の八根(羽)型であり、そこに【犬性(祓い)】によって魂から獣を除去するとも言えます。

     

    大本教霊界物語に、白狐は下郎の役として参加するとありますが、

    鳥羽(十里・八根)伏見で戦う皇の官軍に、白狐は下郎の役として参加する

     

    私が伏見稲荷大社講社に所属している時、支部を併発していた稲荷神社の御祭神である豊受姫が支部の月次祭(つきなみさい)の時、【神鏡】を持ち出されていました。その神鏡とは考古学で言う神鏡とはまったく別の物で、鏡から白光を放ち講員さんに獣霊が取り憑いていないかを見る【獣鏡】と言えました。その人の【心境】を見る鏡です。

    私が言葉遊びをしていると思っているような人は、辰蓮攜斥佞納┐型修后曚、まったく理解出来ない存在となります。私は霊界の様を見て、言葉の意味を理解して解説しているのです。

     

    霊的世界には存在していても、現実界では造ることが出来ないのが【神鏡】なのです。ただ、私も神霊からそうした物を見せられなかったならば、私も【言葉】が持つ意味を紐解けなかったとは言えるのです。

     

     

     

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    多様な三千世界故に【霊界保険】を掛けておく

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      日本の心霊科学の分野で著名なある方は、その霊界研究に霊媒者を通じて霊界と通信をされていました。その霊媒者の前世とされる霊を通じて霊界を学ぶです。その方が帰幽された後、その方の志を継がれた方達が霊媒者を通じてその方が行かれた霊界の様子を聞いたところ、その方が生前に霊媒者を通じて霊から聞いていた世界とはまるで違う世界であったと言われたとされます。

       

      何故にそうしたことになるのかと言いますと、霊界は非常に多様であり、日本神話を持ち出して来て語れるような狭い世界ではないからです。

      私達は地球という一つの星で暮らしています。その地球にも多様な民族が有り、多様な言葉が存在しています。その中で【神の言葉】を使っている民族が唯一つだけあり、それが「日本語」であり日本民族だとされます。

      だが、地球のそれらの国に入り、その国や民族を見ることによって、まったく異質の世界を見るではないのです。私達日本人も地球では一つの星の共通基盤の上に住んでいます。国境と呼ばれるものがあっても、その国が鎖国でもしていない限り、私達は他国を知ることが出来ます。だが、霊界はそうは行かないのです。

       

      個々の霊的世界が隔離されていて、かってに他の霊的世界を見るなどの自由が存在しないのです。ただ、天使とも呼ばれる一部の霊だけが他の世界も見るがあるのです。こうしたことはスウェーデンボルグの霊界探訪記に第二天国天使でも、第一天国のことが解らないとあるように、神々(神司)でもその階級に応じていて、霊界の全てが解るではないのです。

       

      私が伏見稲荷大社講に所属している時、【霊界の壁】と【腐汁地獄】と【白骨街道】を見まして、豊受姫のお代としては日本一とされていた師匠にそれらの世界のことを聞いたところ、そんな世界は無いと言われます。

      私はそれを聞いて、その世界は存在するはずなのに無いとはおかしいで、そうした世界が無いかと調べました。無論、インターネットや書物にそんな世界は語られてはいません。霊能力を持つ方の中で探したのです。

      その中で、5〜6名の方が「霊界の壁」の存在を知り、「腐汁地獄」を知る方にも「白骨街道」を見た方にも出会いました。その「霊界の壁」を知る何人かは豊受姫の分霊を貰っておられる方でした。最初の師匠は豊受姫のお代であっても、その魂は豊受姫の分魂ではなかったので、知らされてはいなかったようです。

      自分には霊能力があるから何もかも解るではないのです。誰しも霊界の部分しか解ってはいないのです。

       

      私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨み、【人はその一生において何もかも知る立場ではない。自分が見ていない知らないことも見ている者が居る。自分が見ていないからと、他の人の見た物を否定に走るのは愚かな行為である。自分は見ていなくても、その人は見たのである。】と告げられました。

      私は霊的世界の見聞に入って、その人が見たという霊的世界は確かにその人は見ているですが、高級霊の名乗りをしていても本当の高級霊ではなくて低級霊だとか、グループでマッチポンプで見せるニセ者霊達であるとかで、霊が見えるのは実にやっかいな問題だと認識しました。自分が見えた世界の物しか信用しょうとしない。だから、その人が見たという霊的なことは否定はしませんが、サニワ(審神)をしなさいと口酸っぱく言うのです。

       

      明治25年に発祥して【三千世界一度に開く梅の花】と大宣伝したのは大本教と呼ばれる宗教でした。そして、その神は【ウシトラ金神・国常立尊】でした。

       

      この【三千世界】とは仏教用語で、私達が住む世界を一つの世界として、そうした世界が千個あって小千界として、その小千世界が千個集まって中千世界と言い、その中千世界が千個集まって大千世界とします。これらを総合して【三千世界】と言います。数が三千個の世界のことではありません。

      すなわち、1000×1000×1000で、10億個の世界を指します。全宇宙を示した言葉とされています。

       

      では、全宇宙は10億個の世界で構成されているのかとなりますが、実際のところは創造神と呼ばれる段階の神以外には誰にも解らないでしょう。

      しかし、あることが言えます。それは霊的には【多様な世界が展開されている】なのです。その数は10億個以上の世界かも知れません。私達が所属する銀河系だけでも二千億個以上の太陽(恒星)があるとされるからです。私達の魂は死後に、この地球の太陽系たる一つの世界に展開される霊界に行くだけとは限りません。他の星の霊界に行く人も出ます。実に奥深いと言えます。

      霊界はあまりにも多様であり、自分が見た世界だけがあるのではなくて、他の方が見ている霊的世界とは違うは当然にあり得るなのです。

       

      私がそうした中で気がついたのは【霊界保険】なのです 

       

      この世は多くの違った思考を持つ人達が集まっています。あの人は神様のようだ。仏様のようだと言われている人もあれば、あれは社会の癌だとか屑だとかどうしょうもない者だと言われている人達もあります。

      霊界はスピリチュアルでも語られるように、【類が類を呼ぶ世界】であり、また【引き寄せの世界】とも言います。

       

      天人のような人達は天人のような人ばかりが引き寄せられて集まって天国界を為します。一方、自分勝手な自己中の人はそうした人達ばかりが集まって、自分が中心に成る為に争うのでどうしても地獄と呼ばれるような争いの世界を創って行きます。仏教で語られる【修羅】もそうした世界の一つと言えます。

      天国とか地獄は創造神が創られたではなくて、【類が類を呼ぶ】とか【引き寄せ】の原理が働いて出来上がった世界とも言えます。この世で自分勝手で自己中でいながら、自分は死ねば天国だと思っても、自分の意識や思想や行動によって行けないのです。

      善良な人達を【子羊】と言いますが、もし、その中に【狼(良心を獣とした)】を放り込んだら、天国界などは一変に崩壊してしまいます。為に、次元層とか霊界の壁が存在しており、勝手に他の霊世界には行けないのです。

       

      霊界にはその為に【関所(ゲート)】があり、違う霊的世界に行くことを阻止しているとされています。私はある霊能者の方から、その方が帰幽した後にはそうした宇宙の関所の責任者にして欲しいと頼まれたことがあります。私にそんな権限があるとは思えませんが、もし私にそうした権限があるとしたならばその役に就くことが出来るように取りはからいますと告げました。

       

      自分が天国界を望むならば、自分が天人として相応しい行動をする。誰に対しても親切や謙虚で他人とは無益なことは争わない。それは、そうした人ばかりが集まる世界に行くからです。

      スピリチュアルのように、死後の霊界では自分の好きな世界に行けるなど、霊界ゲートの存在を知っていれば出せる話ではないのです。

       

      私達はこの世で生きて行くにあたって、【生命保険】を掛けています。自分が死んだ後に家族が困らないようにとか、せめて自分の葬式代だけでもと掛けるがあります。

      しかし、自分が死後に行く世界に対しての【保険】が掛けられていなかったり、掛けたつもりの保険が三千世界に対して何の効力もないがあるのです。

       

      一般的な霊界保険とは、我が宗教の教えを信じれば天国への【空手形】の保険です

       

      私達日本人は大多数が仏教徒です。その仏教では、死んだ時に仏としての名前である【戒名】が授けられます。院殿とか軒号とか居士とか信士です。

      これらの戒名の号は、昔はお寺に功績があった人に授けられた階級です。だが、今はお寺に大金を払えば誰でも院殿などがもらえます。金次第が仏教に蔓延したのです。だいたいその戒名をつける僧侶に何の権限があるのですか?。なのです。形ばかりの仏弟子では、死者に極楽を約束出来るのではなくて、大本教の出口王仁三郎聖師が述べられた【地獄を覗けば牧師や僧侶でいっぱいだ】となるのです。

       

      某信徒組織の大宗教で、その教団幹部が信徒を集めた講演で、【金を出せ。金を出せ。教団が金を出せと言っているのだから、金を出せ。地獄に行きたくないならば教団に寄進しろ】と流されたテープが出回っていました。

      その金とは一本が100万円単位でした。貧しい人が多いとされるその組織の信徒さんは、どうやってそうした大金を工面するのかと心配でした。また、そうした言葉を平気で出す者が幹部とは驚いた宗教と言えます。

       

      こうしたことは別に仏教の信徒団体だけではなく、キリスト教会においても【贖罪】の名で行われています。西洋の某著名な文豪は地獄に落ちたくないと全財産をキリスト教会に寄進して、最後は何の財産もなく野垂れ死にをしたと記録が残されています。

      こうした大金で【院殿】の戒名の号を取得するとか、信徒団体の組織に大金を寄進する。キリスト教会では【贖罪】の名の下に全財産を差し出すは一種の【霊界保険】ではあるのです。

       

      かって、オーム真理教に入信して全財産を寄進して職場を去って出家した職場の同僚がいました。麻原彰晃をお釈迦様の再来だとか、変則蛙跳びを空中浮揚だと信じてしまったことから、自らが「破滅」の道にと入ったと言えます。

      本当の空中浮揚とか、トンボ(正座して宙に浮いて百八十度転回して着地)。ホッピング(正座したままで、宙に飛ぶを繰り返す)などを見ていないから簡単に騙されてしまいます。私は霊界見聞の中でそうした現象も見て来ました。

      単に自分には霊感があり、自分には高級神が出て来るではなくて、本当の神霊が見せる【奇跡】とされる現象を見て来た者なのです。

       

      問題は、今日の宗教の教えは【空手形】に等しいなのです

      霊界保険としての機能が限定されているのです 

       

      もしも、今日の宗教の教えが事実だとすると、【金持ちは天国に、貧乏人は地獄】にとなってしまいます。

       

      本当の霊能力者からすると、一般の人が正神とか邪神とかを判断するのは難しいと言います。それは、なまじ霊能力がある為に【邪神の罠】に引っかかっている方が多いからです。

      確かに、本人はその霊能力において〇〇大神と名乗る霊を見ている。同じレベルの霊能力者に見て貰うと太鼓判が出る。しかし、それ以上に優れた霊能者がその霊をさらに透視して行くと、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊の姿で見えて来るなのです。

      霊能者と称していても、本物は数少ないと言われているのはそこにあります。

       

      されど、たとえそれが邪神だと解らずに信仰したとしても、その人が差し出した【真心】からの金ならば、本当の神様の元に行くと言います。 だが、その差し出された【浄財】を宗教家が自分の欲望の為に使っていれば、その宗教家は地獄界に行くとなるのです。ですから、こうしたことを罪の売り買いの【贖罪】と言います。贖の貝は財の意味です。

       

      日本の仏教では、人は死ねば皆仏だから死者に鞭を打つなと言います。確かに、この世を去った人に鞭を打っても意味はありません。過ぎたことを元には戻せません。だが、どんな悪人でも死ねば仏様で極楽往生は、あまりにも間違った観念だと言わざるおえません。ならば、【地獄は存在しない】になるからです。

       

       

      つい最近、東京深川の富岡八幡宮の社家の弟である前の宮司が、今の姉の宮司を殺して自殺するがありました。有名神社の社家であったので宮司職でしたが、裕福な社家の宮司であることから姉も弟も金にだらしない生活態度をしていたとされます。どちらも、死後は神の世界に行くのではなく地獄界でしょう。

       

      そんな宮司が奉仕する神社にまともな神霊など鎮座していない

      そこに本来の神霊が鎮座しているかいないかは、宮司しだい

      まともな神霊が鎮座していれば、そうした宮司は既に追放されている

       

      人は誰しもこの世で永遠に生きたいと願っても、必ず【肉体には死】が訪れます。その時にはあの世とやらの【霊界】に行かなければなりません。それは誰一人として免れない道なのです。

      その時、【霊界保険】を掛けていた者と掛けていなかった者とでは違って来ます。それは神社や仏閣や宗教団体に寄進するではないのです。神社や仏閣や自分が信仰する集団に寄進するのであれば、欲得ではなくてお世話になった【感謝】からでないと有効ではないのです。

       

      この世の貧しい人達。恵まれていない人達に対して「寄進」するのが一番有効なのです。

       

      自分が信仰する教団が【貧しい人達の為に慈善事業に力を入れている】であれば、それは霊界保険としては効いて来ます。だが、そんな教団ばかりではありません。

      イエスの有名な教えに【金持ちが天国に行くなどは、針の穴をラクダが通るようなものだ。幸いなるかな貧乏人】がありますが、貧乏人であれば誰でも幸いではないのです。貧乏人でも欲が無く、清貧であればの話です。逆に、貧乏であるが故に犯罪を犯してしまうがあるのは、この世を見ていれば誰の目にも歴然としているのです。

      逆に、とんでもない大金持ちとなって、そのお礼にと言って慈善団体や社会福祉の為に多大な寄付をされる金持ちがあります。そうした人達が地獄に行くでしょうか?。自分は金持ちとなれたからこそ、誰よりも世に恩返しが出来るなのです。しかし、そうではない自分は金持ちだ式で、人を人とも思っていない方が目につくなのです。こうした方達は間違いなく地獄行きなのです。

       

      お釈迦様の教えに【貧者の一灯】があります。これはことわざの【長者の万灯より貧者の一灯】で、意味することは「金持ちの見栄をはったり、儀礼的な多くの寄進よりも、貧しい人の真心が籠もった寄進のほうが尊いという」ことわざです。

      お釈迦様が説法されていた時、招待した王がお釈迦様の歩かれる道筋を灯火で明るくした。それを見た貧しい老婆が、自分もなんとかして布施をしたいとお金のやりくりをして、たった一つの灯火を燃すことが出来た。

      王がともした灯火は消えても、その老婆がともした灯火は朝になっても消えなかった。お釈迦様はその貧者の老婆の真心の布施に対して、来世はよき世界への生まれ変わりを約束されたという故事から来た話です。これが本当の【幸いなるかな貧乏人】です。

       

      こうした行為が【三千世界に対しての保険】ともなるのです。

       

      神に対する真心は、【金銭の大小の額ではなく】て、その人の行為が何によってなされたのかです。

      天国に行きたい。天国に行きたいで大金を宗教に寄進するではないのです。いくら宗教に大金を寄進しても、【天国キップ】は買えません。金にだらしない宗教家はゴロゴロしています。その寄進する人の【真心】がどこにあったかです。

       

      物事は宗教の教えを【鵜呑み】にするのではなく、【道理】をわきまえるが必要なのです。

       

      私はインターネットで日本語という限定はありますが、【言葉の仕組み】を解説しています。その意味では私は教えの主です。しかし、人を集めて組織化する宗教家ではありません。明らかに既存の宗教の教祖型ではありません。

      私はHPでもブログでも邪魔な広告が入らない有料版で費用の持ち出しをしています。私は宗教を起こそうとしているのではありません。自分が「蛇霊」を帰らせることによって【真理】の学びをして来て、より一人でもそうした「真理」に近づいて欲しいと願っている者なのです。 

      私が説いているのは宗教の為ではありません。スピリチュアルと称して金儲けをしている者でもありません。

       

      一人一人が、その存在は解らないけれども、創造神の分魂(直霊)を授かっている者であり、それに目覚めてくださいです。

       

      日本語という言葉に限定されますが、私達日本人が使っている言葉には、言葉を創った神の存在が読み取れます。その存在とは、神社仏閣に鎮まっている神霊の段階などではないことぐらい、奇魂を働かせれば誰でも理解出来ることなのです。

      自分の前には神霊達が現れる。では、その神霊達は【言葉の仕組み】を解き明かしたでしょうか?。また、言葉で仕組みを組み立てられるほどの力があるでしょうか?。

       

      誰でも掛けられる霊界保険は、創造神の存在を信じて

      世の為人の為にと世根(米)として働き実ること

       

      世根の意味を理解せず

      【米】と【稲荷】の違いも分からぬでは

      狐霊を使うのではなくて、狐霊に使われてしまうだけ

       

       

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      西暦2018年【戌】年の漢字が示す【烕(めつ)】の越中越え

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        西暦2018年の犬(戌)年。必ずしも「明けましておめでとうござます」とは言えない面があります。

        それは「戌」の漢字が持つ意味にあります。私達は【祓い】の字に【犬】の字があることは理解していました。ところが、その【犬】年に使われる【戌】の漢字の意味を見落としていたと言えます。戌の元字は【戉】です。戌の字を見ても「戊(つちのえ)」しか気づいていなかったからと言えます。

        五行で「土は戊に生じ、戌になる」で、【斧(おの)鉞(まさかり)】の象であるとの認識が足りなかったと言えます。

         

        しかも、今年は【戉戌(つちのえのいぬ)】と言う「戉」の並び 

         

        【戌(いぬ)】の字には「けずる」の意味があります。まさかり(戉)で削るからです。何故にそれが「犬」の年の意味に仮借として使われたかなのです。

         

        戉(まさかり)=大斧

        戉を王座の前に置いたのが【王】の字で

        その上部に玉飾りを置くと【皇】の字となる

         

        私達日本人は【皇】の字の意味を理解せずに、今日まで使用していたと言えます。

         

        大斧(戉)を振るう=未開の分野の開拓

         

        私達は【弥勒の世】がどういう世なのかは定かに知るではありませんでした。それはまだ【未開の分野】だからです。 ただ、一部の人達の魂が分割されて、その「未開の分野の開発」に赴いていたことは解っていますが、魂を分割されてこの世に残る魂と弥勒世の開拓に赴いた魂の間の通信が遮断されている為に、新しい世の子細が掴めないがありました。

         

        この戌の字に【火】が加わりますと【烕(けつ・べつ)】となります。私達は【滅亡】の滅の字を見ても、ほとんどその「烕」に気づくことはありませんでした。

         

        烕(ケツ・ほろぼす)=【戌に火を加える】

        逆に、真珠(誠の心魂)をもって鎮火(火は戌に死す)する

         

        これまで【犬】に【戌】とすることは解っていても、そこには何の関連性も無いとされていましたが、【滅亡の滅には戌が隠されて】いたのです。そこには関連性があったのです。

        【滅】の字は「ほろびる、きえる、うしなう」の意味ですが、【烕】は【戉】に火を加えて、逆に【火で清める】の意味ともなります。

         

        この「戌」の字を構成する「戉」は【まさかり】の意味で、まさかりは天子が軍に【掃討】を命じる時に与える「印」ともされます。また、「戌」に隠されている意味として、そこには実りの【刈り取り、刈り入れ】の意味があるともされています。

        聖書においては、終わりの時は【神が蒔いて実った小麦を刈り入れる】が説かれていますが、いよいよ実った果実の刈り入れ時に近づいた意味が秘められて来ます。

         

         

        大本教の出口王仁三郎聖師は、有名な【みのか尾張の国から誠の女子】を予告されましたが、それを自分のことだと思うのは「曲津人」だとして、人のことではないとの暗示を残されました。

        私はそれを大本教神諭予告【九つ花】から、美濃か尾張の国から出る国道41号線で、駒(馬)で【神の高山】に飛ぶ単一(飛騨)の道と読みました。しかし、その道は【神通川】を渡って【十三(富山)】に入ります。

         

        しかしながら、巷には自分がその誠の女子だと称する女性や変性女子だと称する男性が数多く出て来られました。私自身は言葉の意味だと理解していましたが、多くの方がそうした名乗りをされました。

        そのどなたもそれなりの霊能力を持っておられて、そのバックには神霊達の存在が有り、これはなかなか一筋縄では行かないと思い。それには神霊世界の【大掃除】を伴うと睨んでいました。

        無力の私一人がどうあがいても、そうした数多くの神霊達を処罰など出来ません。ただ、自分の無力を知るだけだったと言えます。

         

        私自身が受けた「霊示」は、【最後の火の雨の時は越中「富山(十三山)」】に逃げなさいでした。それは大本教で説いた【ス(第十三位)】神のことなのか、それとも別の意味なのかが解けませんでした。

        この【越】は「越える」ではなくて、神に通じる川を【渡る】なのです。越えると渡るでは意味が変わります。

         

        その鍵は【越中】の意味だったと言えます。

        越=戉で走る

         

        この【戉(まさかりに近い柄のある矛)】が【走る】と【越える】となります。で、そこに【みのか尾張の「女」】はどこにとなりますと【威(戌に女を加える)】が出ます。

         

        威(戌と女)

         

        この「威」は権威・脅威などの脅かしの意味ではなくて、【聖器(邪悪を退ける聖なる兵器)】をもって【祓い】を受ける。威儀を正すなのです。

         

        創造神の【威光(創造神の意向に従う)】です

         

        私は子供の頃に臨んだ声から、この神(旧約聖書の神と名乗る声)だけを唯一の神とせよと命じられました。日本における伊勢神宮の神や出雲の大国主命様を唯一神として仰いでいる者ではありません。またお釈迦様やイエスを神とも思ってはおりません。

         

        一部の霊能者の方から、西暦2018年戌の年は、一時騒がれた西暦1999年の【二線に分ける手前】の意味があるとの声があります。その差は【十九】年。卆の意味を出します。

         

        私自身は【創造神】の降臨を待ち望んでいる者の一人ですが、それが今年であるとは思えません。

        それは、私自身が子供の頃に旧約聖書の神と名乗る声から聞かされたことは、神の舞台を演じる役者達の登場です。そうした役者が多く揃ったとは思えないからです。

         

        逆に犬年は株相場が上がるとされていて、今年の大発会に大幅に株が上昇しました。この株がバブルの崩壊時と同様に【大暴落】を起こすと、今度は二度と立ち上がれない可能性が出て来ます。日本の資本主義の崩壊です。

        また、アメリカのトランプ大統領の登場によって、世界はかなりきな臭くなって来ていることは誰しも感じるところであり、何が起きて来るか解らない状態になって来ています。

         

         

        ある方の夢に、数多くの犬が出て来て、【祓いだ!。祓いだ!】と言う夢を見られたと言われます。 今年は各自の魂のカルマの【借金払い】に集中した方がいいのかも知れません。カルマの借金払いをすれば【福】が来る。

         

         

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        【神が表に現れて、善と悪とを立て分ける】?。その前には【祓い】が必要

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          明治25年(西暦1892)の【いち早くに】で世の大立替の宣伝に入ったのは大本教(本来は教の字は使いませんが、私は便宜上、教の字をつけています)と呼ばれる宗教でした。この大本教の役目は「艮金神・国常立尊」による三千世界の大立替が起きますよの前触れ宣伝と言えます。

          この「国常立尊」とは日本では名ばかりの神と言えましたが、大本教から艮(ウシトラ)の名で世に出されて、大本教の説明で旧約聖書の神と性格が似通っていることで宗教学の学者の間ではその両方の類似性に関して議論が起きています。

           

          大本教の出口王仁三郎聖師は、広島や長崎に新型爆弾(原子爆弾)が落ちて火の海になり、その後に黒い雨が降ると予告されてその通りになりましたが、他にロシアが不可侵条約を破って参戦して来る。日本敗戦。関東大震災も事前に予知して大本信徒を退避させています。

          それだけではなく、大正時代に出された霊界物語には現在のテレビや電子メールと思われるものが出て来る未来の時代のことまで予言されています。今、私達はそうした予言された時代に生きています。では、今が【みろくの世】かと聞かれれば、未だ来ていません。みろくの世が如何なる世なのか?。その具体性に欠けている節がありました。

           

          その出口王仁三郎聖師の予知能力とは希代まれなるものであり、スピリチュアルなどと呼ばれるものとは段違いのものでした。では、そうした予知能力は誰からなされたかと言いますと、高級神霊からとされていますが日本に見られる神社に鎮座する御祭神の段階ではなく、もっと上の神界からとは言えます。

           

          その大本教の基本宣伝歌として

          【神が表に現れて、善と悪とを立て分ける】があります

           

          神と呼ばれる存在を「イエス」や「お釈迦様」のような人格神だと捉えてしまいますと、この地球上には現在70億人近い人が存在すると考えられますが、それらの人々の前に突然に人の姿をした神が立って、善と悪とを立て分けると思い込んでしまいます。それは冷静に判断すれば不可能だと解ります。

          日本人全員の前に一柱の神が立つだけでなく、地球で日本の反対側にあるブラジルなどでもその神が同時に現れるかとなったなら、いくら神と言えども考えづらいことになります。

           

          私は【ウシトラ金神】から、大本教神諭の【牛虎もあるぞよ】で解るように、【節分の煎り豆にも花が咲く】から牛頭虎パンツの「鬼」が「云う」から、これは【魂】論であることを理解しました。

          また同じく大本教神諭の【この世の閻魔大王として現れる】から、魂の【核】の存在は日本神道では「直霊」と言い、天帝の分魂であり、その働きとして【善と悪とを立て分ける良心神の働き】であることを、大本教神諭予告【九つ花】による言霊の仕組みから出口王仁三郎聖師の【ス神】論ではなく、本当は【ラ神】論であることに気づいた次第です。

          ラ神論であれば、天岩戸に隠れてしまった【真性天照大御神】ともなります。

           

          神は光だとする説は、世界中で言われています。日本における祝詞の一つである「稲荷大神秘文」を見ますと、狐霊を【光の玉】とします。狐霊のみならず魂とは全て【光の玉】ではあるのです。

          しかし、霊魂と称する様に「霊」は光ではなくて「姿形」を備えているのです。そうした姿形が天使と呼ばれる様な姿や十二単衣の姫姿で見られて、それらを天使や神霊だと認識するわけです。しかし、それらの姿形は霊なので自在に変化が出来ることから【贋(ニセ)者】をも排出させることにもなります。

          優秀な霊能者ならば言われることですが、自分の前に仙人姿。平安時代の衣冠束帯姿の男子霊や十二単衣の姫姿霊が現れても、それを深く透視して行きますと、蛇や狐や狸や猫の姿が浮かび上がって来るがあります。それらは、その霊の【心の持ち方】が、漢字が示す蛇や狐や狸や猫等の字の意味の姿で見えて来るなのです。

           

          それらの霊にしても、それらの魂は「光の玉」であって、善霊だから光で有り、悪霊だから光が無いとはならないのです。 光は【火(か)水(み)】たるエネルギーなので、善霊であれ悪霊であれ魂に火水のエネルギーを所有していれば【火水(かみ)】の光として現れるのです。

           

          火水(かみ)はエネルギー体なので、善霊であれ悪霊であれ光(火借り)として顕現する

           

          悪霊とは、その魂を汚れさせた存在であって、魂を汚すとその表面に【毛物】が発生することから【獣(毛物)】の霊的姿を見せるなのです。逆に言えば、その各の魂の表面の汚れを取れば、その魂は【本質】の状態となります。

           

          大本教が予告した【三千世界の大立替】は、聖書で言われる【最後の火の審判】のことであり、ミロクの世(聖書では神の御国)に入ることであり、各自の魂に汚れを持たないなのです。

          日本神話で予言ともされる【天の岩戸開け】とは、別に伊勢神宮の天照皇大御神云々ではなくて、各自の魂の【核】として存在する魂の中から光(火借り)を放つエネルギーの存在で有り、大本教で予告された各自の魂の中から放つ神(火水)の火のエネルギーで自己の魂の汚れが焼かれてしまう意味合いと言えます。

           

          通常であれば、日本神道の【禊ぎ】で語られるように「水」によって汚れを落とすがあります。これらは【水の審判】と呼ばれて来ました。しかし、魂に汚れがこびり付くと水の審判だけでは洗い落とせず、【火の審判】にと向かわざる終えないのです。人類の歴史の過去に幾度か【水の審判】は行われたとする説はありますが、火の審判は【最後の審判】と言えます。ですから簡単には起きない審判ではあるので、【天の岩戸閉め】ともされることになります。

           

          一度、各自の魂の汚れは霊的な光(火借り)の働きで焼き払わないと、新しい永遠の世には進めないのです。

           

          大本教はその時の苦しみが辛いから、早くから【改心】を説いて来たのであって、それで開教が西暦1892(いち早くに)年となったのです。

          大本教で宣伝した【神が表に現れて、善と悪とを立て分ける】は、聖書で説かれる【最後の火の審判】そのものではなくて、その【前段】として、善なる者と悪なる者とを誰の目にもより分かりやすくする為に、正しき者・善なる者は【より正しく、より善なる者】にと鮮明にする。悪しき者は隠れていることを許さずに【より悪しき者】と誰でも分かるように、その魂に懸かっているその魂以外の霊的なものを祓って行く必要があると言えます。

           

          どんな悪人も肉体を持っていると肉体に【理性】の働きがあり、その魂の本質が表に出て来ないがあります。表に解らないように陰でこそこそする。だが、その理性の働きを解除すると、人はその魂の本質を見せて来ることになります。

           

          為に、立替(最後の火の審判)前には【祓い】の霊力が要求される

           

          世の大立替(神の御国の到来)は、イエスの時代から語られており、実際にそうしたことが起きるのかとなりますと、誰も「絶対」と言う言葉を発することなど出来ません。

          しかしながら、大本教の出口王仁三郎聖師という希代まれなる大予言者が出て実際に当てて来たことは消せない事実で有り、神は未来を告げてそれが実際に起きることで評価が出来ます。まだ来てもいない時代のことを予告する。それは現世御利益主体の神とは一段どころか、月とスッポンほどの差があると言えます。

           

          本当の神の力とは、未だ来ていない未来を言い当てる

           

          大本教と言うトドメの宗教が起きた以上、出口王仁三郎聖師の登場で数々の予言が的中して来た事実を考えれば、あまりにも【途方も無い】話であっても、そこに留意しなければならないのです。

           

          来年は「犬年」です。

          【祓】の字は、【犬】の字から作られたもの

           

          犬の年とは12年に一度は回って来るので、別に何とも思ってない人が大多数ではあるでしょうが、来年の西暦2018年の「犬」年は、善と悪とに分ける祓いの力が強く出て来ると思われます。魂の世界の2極化です。

          それは一つに霊的に【祓いの龍神】が動き出して来ていることから推察されるのです。そうした立分の為の祓いの力は以前から出てはいるのですが、より強く、本格的になるなのです。

          西暦2017年は会社でも個人でも世に隠していた悪しきことが次々と暴露されて来ましたが、より強まるです。 これまでは金や力で【もみ消し】が出来たことが、もうもみ消せなくなって表に出て来ています。

           

          そして、犬年の次は【亥(猪)】の年となるのですが、【亥】の字で分かるように魂の【核】の存在が重要になって来ます。

          大本教から【牛虎】金神に【羊猿】金神が世に出されたように、私達が使っている【十二支】には、言葉を創った神からのメッセージが秘められていると思われます。

           

          祓いの力が強まると、善でも悪でも守護神レベルでは対処が効かず、その個人の魂の本質が露わになって来るのです。

          悪しき守護霊や憑依霊をそのままにしておくと、自分の悪事は自分を守護していた霊や自分に懸かっていた悪霊の仕業ですと逃げることが出来ますので、そうした逃げ口上を一切許さないがあるのです。

           

          すべては、貴方自身の魂がしたことではないか。他の霊に責任を転嫁して逃げるのかです。

           

           

          昨年当たりから一部の霊能者の方にしか過ぎませんが

           

          外在神の時代は終わり、自己の魂たる【内在神】にと切り替わっている

          そうしたことが告げられて来ました。天帝から最後の審判をされるのは各自の魂で有り、個々の人が信仰している神仏や個々の人に懸かっている霊が審判の対象ではないからです。外在神には【天帝】による審判からは助けようがないのです。外在神もまたその御魂改めをされて、どうなるか解らないからです。

           

          自分の魂を助けるのは自分自身となるのです

           

           

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          魂を磨く/人は【霊(ヒ)止(ト)】故に、誰しも霊の憑依を受ける

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            三千世界の大立替を予告した大本教の出口王仁三郎聖師によって、人は「霊止(ヒト)」のことであるとの説が出されました。現在、出口王仁三郎聖師の大本教霊学で何等かの学びを得た人達の間では、人は「霊止(ヒト)」の意味であるという考え方は成り立っていると思われます。「霊」の字に「ヒ」とする呼び方があるからです。
             

             

            人=霊止(ヒト) 人は肉体に霊を止めている物

            この「霊」の漢字は知られているのですが、あまり知られていない「同字」が存在しています。ほとんどの人は見られたことはないと思います。PCでは第四水準漢字に所属していますので、新しい機種ならば出て来る漢字ですが、第四水準だと出て来ない機種もあるかと思いますので画像として示します。雨の漢字の下に示し申すの「叩廚了があるのです。雨は「あめ」と発音するので解るように「天(あめ)」をも意味します。



            人は誰しもこの世を去れば霊魂となって【霊界】へと帰ります。本来は【天(あめ)から降りた身(魂)】なので、天に帰るのが【責務】なのです。しかし、この世で自分が為した行為によって「天に帰れなく」なったりします。
            そうした一つが【黄泉国(よみのくに)】で、この「黄泉国」からこの世に出ることは【黄泉帰り(甦り・蘇り)】ともします。
            この天に帰れなくなった時、地獄に落ちる。あるいは地獄に落ちるほどでもないが天にも帰れないで天国と地獄の中間と言うべき【中有界】などに留まっていると、現界に差し戻しとなる【輪廻転生】の中に入ってしまいます。

            そこに「示し申すの雨(あめ)の叩廚函嵎造留(あめ)で示す霊」とがあるとなります。大本教から【本守護神】が出されました。この本守護神とは各自の魂の【御親神】であり、天に在る自分の【天津神】でもあるのです。
            全ての人の魂は、その霊的段階を遡っていけば誰しも御親神の【天津神】に到達はするのです。大本教霊学の真髄は、その【本守護神】の存在を世に知らしめたことです。

            自分は〇〇の神様が好きだとか、惹かれるというようなたわいの無い話ではなく、自己の魂の【源】の存在です。自分の魂は如何なる神から出たのであろうか?。そのルーツを探すことが、正守護神・本守護神につながる道なのです。人には肉体のルーツと魂のルーツが存在しているのです。肉体は死ねば終わりですが、魂は半永遠性を持っていると言えます。

            人は神に【似せられし者】と言われるように
            人は【神の容器】ともなるのです
            ですから、人は霊止(ヒト)でもあるのです 


            しかし、それは肉体人間のことではないのです。私達の肉体の中に宿る【霊魂】の本質が神であったからなのです。ですから、人の魂は【神の世界に戻る】ことが可能となっているのです。

            ここに、大本教で説かれた
            【人は神の子・神の宮】の神の宮が出るのです

            日本では神社で神として祭られている存在は、神界の高級霊もあれば、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊のみならず、過去の人として出た存在も神として祭られています。ただ、それれは人々が神霊として祭っただけで、本来の神霊でない場合もあります。
            日本で使われる「神」には、「上(かみ)」たる存在を含め、守護の「守(かみ)」、頭たる「頭(かみ)」たる存在も含まれて来ます。
            いくら日本の朝廷が神社の神霊に「正一位」などの称号を贈ったとしても、神でも無い人間天皇の朝廷が贈った神号など神界では別に意味をもなさないのです。

            人間が贈った称号や名誉は、人の身であるこの世では価値はあれども
            神霊世界に戻れば、その人はこの世で何を成したかが問われる


            ある宗教団体をバックボーンにした某国会議員さんは大臣を勤めたことから国からの勲章を辞退して、自分が欲しいのは国が下さる勲章ではなくて、「神からの勲章」だと言われました。人間がくれる勲章にいかほどの価値があるかです。霊界に渡って、この世の【勲章】を見せびらかせることは出来ないのです。
            あの世に持って行けるのは、この世の勲章や地位や名誉や財ではなくて、その人がどれほどこの世で他の人の為に社会の為に役立ったかの功績の章なのです。

            古来より、健全な心に正しき神が宿ると言われて来ました。 
            人を罵ったり悪口を言っているでは、その人には健全な神など宿ってはいないのです。


            人は「霊止(ひと)」である為に、常に霊の【憑依】を受けます。

            それらの憑依はその人の【表意】として表に出て来ます。

            スピリチュアルの世界ではまったくなされていないものの一つとして、【サニワ(審神)】があります。
            霊学の分野では「サニワ」に「審神とか審神者」の漢字を当てていますが、辞書でサニワを調べたら、この「審神とか審神者」の漢字は出て来ません。これは明治以降の新宗教からとされています。
            元は神霊を霊媒者に降ろして神託を聞く清められた庭の【清庭(さやにわ)】の意味なのですが、実際に霊降ろしをすれば、霊媒者に降りて来る霊は必ずしも本来の神霊ではなくて、俗に言われる蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊と言われるような神霊とか、本来の霊界に渡ってない不浄仏霊とか霊界にウロウロしている愉快犯霊等が出す言葉に惑わされてしまうことから、それを吟味する「審判をする人」から審神とか審神者の漢字が当てられて来たようです。

            自分には霊が見えるで、神社などに参拝して出て来た霊が名乗る神名に疑いを持つ霊感者はまずないでしょう。で、その神霊が言う言葉を真に受けてしまいます。
            それに対して「サニワ(審神)」者は、見える霊の姿形からではなく、その神霊が告げて来る言葉の内容に何かおかしいところがないか?。と聞いていて、ここは何かおかしいと思うとその神霊に質問をして行きます。その質問で高い神名を名乗る霊を追い込むので、かなりの博学が要求されます。
             

             

            聖書に、「龍神とは霊界で年老いた蛇霊」とあるように、相手は霊界において長い時間をいますので、歴史的なことを聞くことはあまり意味がありません。それよりも、その高い神名を名乗る霊の【心の持ち方】に関して、詰問を加えるなのです。それは大本教神諭に、【世に出ておられた神々の心の持ち方が悪かった】とあるように、その神霊が如何なる【心の持ち方】をしているかです。心の持ち方が悪かったら、〇〇大神と名乗ろうと臆すること無く突っ込むのです。
            また、対峙している霊の力が強いと、その霊の攻撃を受けてしまいますので、自分に霊的防御能力が無いと、その霊に殺される場合もありますので、誰でも彼でもサニワ(審神)が出来るではないのです。命がけとなります。

            相手がいくら高級神霊と名乗っていても、サニワ(審神)の権限として質問することが許されるのです。その時、相手が高級な神霊の名を語る霊であつてもサニワ(審神)者として言葉を出すと、そのサニワ(審神)者のきつい言葉は【神の剣】ともなって行くのです。
            私達が出す言葉が【神の剣】とも成るは、ヨハネ黙示録には言葉が剣になると書かれていますが、ほとんどの霊感者レベルではその実態は知られていないのです。
            このサニワ(審神)者のことがあまり世に知られていないのは、サニワ(審神)には非常に優秀な【霊媒者】を必要とするからです。世に霊が見えると言う方はかなりあるでしょうが、優秀な「霊媒」が出来る方は非常に数が少ないからです。まして神霊降ろしともなればその霊媒者の魂の格が高くないと勤まりません。霊能者の間では優秀な霊媒者は取り合いになるぐらいなのです。

            サニワ(審神)において、スピリチュアルで盛んに言われる宇宙からのメッセージも、本物は一つも無いともされます。スピリチュアルの宇宙語とされる言葉にしても、言語学者を動員したところ、今は使われていない古代の異国の言葉で蛇霊の仕業とサニワされた事例も存在しています。今の人類の姿をしていない太古の霊も存在するのです。
            ただ、それらは人には遙かなる古代からの霊が憑依して来ているなのです。聖書における人類の祖とされるアダムとイヴを唆した蛇霊の教えにも意味があるのです。肉体は滅びても、霊魂は生きている証明論にはなるわけです。

            今の世に住む私達にしても、その本質は【霊魂】を持った者であり、この世を去れば霊世界に戻るなのです。

            すなわち、私達は【霊止(ひと)】なのです 

            人にはどれほどの霊が懸かっているかとなりますと、諸説あります。私が2番目の師匠の元でサニワ(審神)をしている時、その人の本来の魂を表に出すにあたっては、その人に憑いている俗に言う背後霊とか憑依霊を次々と除去して行かなければなりませんでした。

            人はそうした憑依している霊の総意たる「表意」の元で行動しています 

            少しばかり霊能力が備わっていると過信して、その人の外側に居る憑依霊でその人を判断すると大きな過ちに入ります。その本体の中心たる霊は、そうした霊達の奥に存在するからです。
            こうした憑依霊の数は霊能者をしている人ほど多く、かなり名が知られた某霊能者の方は自分には三千体の霊が背後に従事していると公言されていました。その三千体の霊はその霊能者の正守護神(自己の前世で神霊に昇格)が管轄しているでした。
            私の最初の師匠が竹生島に参拝した時、神社か寺院のどちらの管長さんだったのかは解りませんが、その師匠と同行していた優秀な霊媒者に、【あの女性は何者です。こんな人は見たことがない。少なくとも一万五千体の霊が憑いている】と言われたそうです。

            霊的世界の戦いは、自分の背後に霊の数が備わっていないと戦えないがある

            私はその話をその師匠と同行していた霊媒者の方から聞いて、その管長さんの霊能力に感心しました。スピリチュアルではそうした霊の数が読み切れない人が大多数だからです。
            例えば、軍隊で言えば師団長クラスならば部下は1万人から2万人などと持つでしょう。連隊長ならば2千人ぐらい持つでしょう。大隊長ならば600人ぐらいは持つでしょう。中隊長ならば200から100人ぐらいは持つでしょう。小隊長ならば数十人程度は持つでしょう。
            軍隊であれぱ、それらは将官とか佐官とか尉官とかの軍隊の階級で決まります。神の世界にも階級があるのです。行者の世界ではそれらは「天使の階級」とも言い。自分に憑いている霊の数が少ないと、その人の霊界での階級はあまり高くもないとなるのです。ただ、霊界でも管理部門になりますと部下は少なくても階級が高いとなります。自分に天使長が降りて来るで、その天使長に数名の部下しかいないとなれば眉唾物となりかねないのです。
             
            霊能者としての実力を知る上で、その人に憑依している霊の数を言い当てるがあります。それが解らないで、その人の背後に憑いている霊の一つや二つを見て言う霊能力では、まったく見当違いのことを言うことになってしまうからです。
            自分に白狐霊を数体とか数十体従えている古狐が憑いているとしても、膨大な背後霊団を持つ人の存在を見るなど不可能となります。

            私自身が驚いたのは近辺の職業霊能者の方に私の最初の師匠の名を出すと、どなたもあの先生ならば間違いがないと太鼓判をおされましたが、SNSの世界では自分は特別の霊能者だと過信している方が多く、その師匠も黒狐にされたりします。
            いくら霊的世界は【騙し合い】が横行している世界と言えども、数十体とか数百体の霊の憑依では、その人の前に出て来た神霊は本物ですかとなるのです。 また、数十体程度の霊の憑依でのびてしまうでは、とても本物と呼ばれる霊能者の段階には進めません。

             

            いくら自分には〇〇の神様が出て来ると言っても、その神名を乗る霊が何十万何万の部下を従えて出て来るのと、数体程度しか従えていないとでは、同じ神とは言えないのです。霊がよく見えると霊界での力を持った霊と出会うのは次元が違っているのです。

            単にその人に【憑依(表意)】している霊の言葉に惑わされてはいけない

            人の表意(憑依)ではなくて、その人の本質(魂)を知る


             

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            魂を磨く/神霊は何でも知っていると言うが、天帝の詳細はよく解らない

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              豊受姫が私の霊界修行のお世話しますで稲荷講社に所属した時、豊受姫のお代であった師匠は私に、【豊受姫様があなたのお母さんが一度だけ伏見稲荷大社に参拝して来たと言われています。】と言われます。
              私はその前の10年間ほど東京に居て母の様子を知らなかったのですが、不信仰の母親が伏見稲荷大社に参拝したなど聞いたことがないので、母親に質したところ、ある人に連れられて正月に初詣として伏見稲荷大社に一度だけ連れて行って貰い参拝したと言います。
              正月の初詣となると、伏見稲荷大社では何百万人もの参拝者があります。そうした中で豊受姫は私の母を見ておられたとなります。

              私が稲荷講に所属した時、その師匠から朝夕に天津祝詞を3巻。般若心経を10巻上げることを命じられました。だが、当時の私は仕事で遠くに出張が多く、朝の5時30分頃には起きて、朝の6時頃には家を出るがありました。そうなると、朝の朝拝は柏手をパンパンと打って出て行く日がありました。
              その師匠は私に、【あなたは朝のお勤めをおろそかにして、パンパンと柏手を打って家を出て行くと豊受様がおっしゃっていますが、本当ですか。】と聞いて来られます。事実ですとしか答えようがありませんでした。
              私の従姉妹の旦那が京都の病院に入院したので、伏見稲荷大社に寄ってお守りを買って渡したところ、その師匠から私の母親に電話が来て、【息子さんが何月何日に伏見稲荷大社に来たと豊受様が言われていますが、息子さんはその日に伏見稲荷大社に行かれたのでしょうか。】と聞いて来られたがありました。

              私が朝拝していると、面白い風体の御神霊が出て来られて、私が奏上する天津祝詞を聞いておられます。誰かと思っていると、【鍾馗神】だと解りました。だが、何の為に中国の鍾馗神が私の元に来られたのだろうと首を捻っていました。
              その翌日、私の留守にその師匠から母親に電話があり、私への伝言として、【お宅に鍾馗神が守護として赴かれたので息子さんに伝えるようにと豊受様から話がありました。】です。
              後に、この鍾馗神のご案内で数千の将軍霊を引き連れた中国で創造神ともされる【盤古大神】に拝謁して、盤古大神って誰?。から、その盤古大神のことが書かれていないかと大本教霊界物語を読み、盤古大神から国祖国常立尊様に神界の【大政奉還】と書かれていたことから、【日本語は漢字で変換(奉還)する】に気づいたのです。

              また、その師匠は私に【豊受姫様があなたは生まれた時、未熟児で片手に乗るほどのお芋の大きさしかなく、また大病を患われて何時死ぬか解らない状態で、神々はあなたを死なせないように必死で守られたそうですが、事実ですか?。】と聞いて来られましたので、神々が守ったは解りませんが、事実ですと答えました。
              戦後生まれの私は日本が敗戦で何も無い頃、七ヶ月児で誕生してお芋程度の大きさで片手に乗り保育器も無く、ミカン箱に裸電球を入れた中で暖められ、母親は母乳が出なかったので、叔母の子である従姉妹と歳が近かったので叔母の母乳と山羊の乳で育てられ、戦後間もないので医薬品も無い中でジフテリアを罹って、伝染病院で二人の医師の一人から助からないと告げられた身です。両親が必死で看護してくれたのです。

              豊受姫のからのこうした類いの話の内容はいくらでもあり、私は神霊の前では【隠し通せない】を体験して来たしだいです。
              無論、こうした内容は私が師事した阪神淡路大震災も普賢岳爆発も事前に告げた豊受姫だからであり、巷で豊受姫と名乗っている霊ならば、どの霊でも言えるとは限らないものなのです。

              最近、私に敵対している方が、SNSの世界で私の悪口を羅列しておられると聞きました。その話の内容は事実なのですか?。と、それを見た方から聞かれたので、その内容を聞くと、まったくの嘘のでっち上げの内容としか言えません。そんな事実はなかったからです。よくもここまで嘘をでっち上げられるなです。
              そうした時、その人に向かって嘘をでっち上げてSNSの世界で拡散されることを抗議しないのですかと聞かれましたが、私はしませんが答えなのです。SNSの世界など嘘の情報の垂れ流しの世界です。そうした世界の嘘話を信じる者はそれだの者にしか過ぎないからです。

              それは、私は【本当の神霊は何でも知っている】であり、【神霊に対してお詫びしなければならない行動は何もしていない】からです。世間がそうした悪意がある者の嘘話に乗せられて、私をどう思おうと関係が無いの一言なのです。
              私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から言われていました。【世の人は全て善人にはあらず、何等かの魂胆を持って人を陥れようとする者達がある。大切なことは世間の評価ではない。この神(旧約聖書の神と称した霊)に対して、自分が恥ずかしい行為をしたかしないかである】と告げられたからです。

              神に対して恥ずかしい行動をしなければ
              本当の神はきちんと見ているなのです


              そうした嘘話をでっちあげて、SNSの世界で拡散している者は死後にその人に応じた世界に行くだけなのです。その人は自分は【良心神】を捨てましたと公言されていました。自己の良心神を捨てて、本人が悪霊に憑依されて落ちて行ってしまっても、それはどこまでも自己責任なのです。

              神は全ての人に手を差し伸べて、救う手合いの存在ではないのです
              ただ、神霊の中にはそうした者を救い、自分の配下として拾う神霊もあるなのです
              ​そうした神霊は、終わりの日が来ても【悔い改めない】と言います


              この世で何をしても【神の愛】で助けられますと言っている手合いの方の言葉に騙されて、死後に霊界に渡って「しまった」と思っても、その時には既に遅いのです。


              霊界の高い階層には正しい神達が居られます。しかし、低層界に入れば入るほど低い霊達、正しくない神霊達、悪霊達の世界にと入って来ます。特に禁物なのは、恨み心を持つことです。自分が悪霊の餌食となってしまいます。為には、自分自身がこの世に居ても恨みや妬みや未練や執着を捨てて霊的階層を高める必要があるのです。

              恨みを持つと、後退の「艮の心」となる

              古来より説かれて来たことに、人を恨んだりこの世に執着すれば自分が蛇霊化を起こすです。自らか【悔い改める】をしないで、他力本願では天国界など行けないのです。

              霊的世界の見聞をして行くと、その時の世ではシャーマンや霊能者や行者をしていた方で、今は落ちている霊が多数見受けられます。それらの方はこの世に生きている当時、神仏信仰をされていたのです。では、自分が信仰していた神仏は自分を救ってくれなかったのかとなります。だとすれば、天国や地獄の二元論の既存の宗教の教えでは合致していないとなります。

              我が宗教の教えを信じれば天国の宗教の神仏ではなく
              自己のこの世の行いが天国や地獄を決める


              日本の神社にはそれなりの御神霊が鎮座されています。私が師事した豊受姫は阪神淡路大震災や普賢岳爆発などを事前に語られました。だが、そうした御神霊に仕えている他の霊能者の方達からは、当時そうした予告はあまりされませんでした。
              それには、そうした御神霊と会話する能力があったとしても、その人の【霊格】で何も教えて貰えないが起きます。されど、そうした神々が霊界に存在する事実は消せないわけです。なのに、人は死ねば終わりだと言っている人達は、本当に救われるのかとなります。

              だが、そうした神々をもってしても、宇宙を創成して来た神(創造神)のことはよく解っておられないがあります。

              私が師事した豊受姫は、阪神淡路大震災や普賢岳爆発を事前に予告するほどの御神霊でしたが、【この神をもってしても見通せない高い神霊界がある】と告げられました。そして、大本教で大宣伝された世の大立替に関しては、その時期は何時かは解らないが貴方はその嵐の中を突破するだろうとは告げられたしだいです。その言葉が嘘かどうかは、私が死ぬ時を見ないと嘘とも言えません。何故ならば、私は未だ生きているからです。


              ​その世の大立替を宣伝し、広島や長崎に新型爆弾(原子爆弾)が落ちるや関東大震災を事前に予告された大本教の出口王仁三郎聖師にしても、立替が何時起きるかは言えず、大本教よりも後の芝居があると予告はされたのです。
              ​私は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を紐解いて解説はしていますが、それがどれほどの【絶対性】を持つのかとなりますと、やはり【解らない】としか言いようがありません。ただ、それを言葉で組み立て仕組んだ神があるなのです。


              ​ただ、霊界で何が起きているのか?。そこから推察するよりこれから何が起きようとしているのか知る方法はないと言えます。

              私自身が感じることは既存の神霊界のパワーは間違いなく落ちています
              ​世の大立替を告げられるだけの神霊が数少なくなって来ているからです。

               

              西洋に伝わる話として、人がこの世を去った時、その人のこの世での行いを天帝に【告げ口】する存在があると言われています。
              告げ口と聞くと、あまりよろしくない存在の様に思ってしまいますが、日本神道の【一霊四魂】で言うならば、一霊の【直霊】は天帝の分魂であり、私達一人一人の【お目付役】であり、【良心神(この世の閻魔大王)】としての働きを持っています。私達がこの世で積んだ悪行を天帝に告げ口する存在とも言えなくありません。
              私達が死後のあの世と呼ばれる世界に行った時、人のこの世の行いは自分の魂の中に存在する【直霊(良心神の働き)】によって、全て天帝に報告されているとなります。

              そこに来るのが、本来の【神は何でも知っている】でしょう

              私は豊受姫を通じて、自分の行動は全て把握されていたことを知りました。神霊の前では【赤子】心でいないとダメなのです。なまじ自分を着飾っても無意味なのです。隠し事など何一つ通じません。だからと言って、神霊がその人の隠し事を世間に告げるはありません。
              それは
              世に犯罪者があり、例え人殺しをしていても、神霊はその犯人を知っていても警察に告げるはしないからです。

              ​私が豊受姫のお代をしていた師匠から学んだある事件は、ある相談者が自分のロッカーから度々現金が盗まれることに関しての相談でした。すると、豊受姫はある人物の名を告げて、その人に対して、【悪いけれども私のお札が貴方の財布の中に紛れ込んでしまったので、貴方の財布の中にこの番号のお札が間違って紛れ込んでいませんか。そしてこれは神からの言葉だと言いなさい。】でした。
              それを言われた方は、自分を泥棒扱いするのかと怒り、その財布の中を見せるとその番号のお札が入っていたのです。だが、その人は言われたお札の番号が自分の財布にあったことで悔い改めるではなく、神と称する存在が自分を泥棒扱いをしたとその師匠を裁判に訴えて、裁判では神は存在しているのか、存在していないのかとなり、その師匠は裁判長の前で神が存在する証明をしなければならなくなったのです。

              ​その裁判の席で、裁判長の机の前に空のグラスを置いて、その空のグラスに水が入るかの実証となったのです。その師匠が曰く、神が存在していれば、その空のグラスの中に水が満たされるです。そして、裁判長の前に置かれた空のグラスに水が満たされたのです。それを見た師匠を訴えた方は、自分がお金を盗んだことを認めて謝罪し、その訴えを取り下げたのです。この事件は当時のその地方での新聞にニュースとして載ったと言います。

               

              現代ならば、空のグラスに水を満たす手品が存在するかも知れません。お札の番号にしてもそうです。しかし、その師匠は手品師ではなくて豊受姫のお代であり、手品が出来るではありませんでした。私はそうした奇跡的なことは伏見稲荷山で幾つも体験して来ていますので、あり得ると言います。単に自分には神霊が見えると言うスピリチュアルの段階ではないからです。

              これは、豊受姫がその人物が神の存在を知り、真人間に立ち返るチャンスを与えられたからでしょう。裁判まで行くと見越しておられたと思われます。

              人は本当に神の存在を認識すれば、悪事に手を染めることはないでしょう
              とても怖くて、そんなことは出来ないのです。

              いくら善人の仮面を被っていても、本当の神霊には通じない
              全ては見通されているのです
              天帝ならば、なおさらのこと



               

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              魂を磨く/前世の記憶から学ぶ人としての在り方

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                キリスト教などでは死後は天国か煉獄(地獄)の二元論世界で、人の魂が【輪廻転生】している等の教えは存在しません。そうなりますと【カルマ】の存在すら否定されてしまいます。

                一応、【輪廻転生】は仏教における【六道輪廻】の教えはありますが、お釈迦様の原始仏教にはそうした教えが見当たらないようで、後世の物だとする仏教関係者もあります。日本の仏教でも某宗派は公然と死後の世界はないとしています。

                ならば、その某宗教が説く【仏】とは何ぞやとなります。死後の世界は無い。霊界は無いと公然と言いながら説く仏とは、どこに居るのかです。あまりにも誤った知識に支配されている宗教とも言えます。
                 

                 

                私達日本人が住む日本では、ほとんどの人は仏教徒ではありますが、仏とは別に神と呼ばれる存在を祭り崇拝しています。その神には西洋で説かれる創造神もありますが、日本ではどちらかというと八百万(よおよろず)の神達を主体に祭っているわけです。日本では創造神はある意味消された神と言えます。

                私達日本人はそうした神社に行った時、霊能力が備わっていますと、そこに神霊と呼ばれる存在が鎮座していることを確認出来たりします。では、この神霊達はキリスト教やイスラム教の教義で説明が出来るかとなった時、説明など出来ません。そもそもそうした教義が西洋の宗教には存在していないからです。

                日本人のあるキリスト教の牧師は、日本人は【紙に書いた神を祭っている。自分たちは創造神の一人御子であるイエスを祭っている】と、日本神道をバカにしていました。どちらが無知なのかです。

                聖書に【言葉は神であった】と期されていても、その言葉は「紙」に示さないと解りません。その時、「神」と「紙」が同じ発音を持つ【日本語】に疑問を持たないでは、実に智力が欠落しているとなります。
                 

                 

                神(紙に示す言葉)で示し申すの【神】が理解出来ていない
                 

                 

                私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいました。その声は【人は生まれて死んで、生まれて死んでの繰り返しである】と輪廻を告げられました。それは人には【前世】があるなのです。

                その【前世】に関して、人が自分の前世を記憶しないのは前世の失敗を繰り返させない為に、この神の恩寵として忘れさせていると告げられたのです。

                その旧約聖書の神と称する声は私の前世に関して、【そなたはあまりにも人が好くて、人を疑うをことを知らず。人の魂胆が見抜けぬ者であった。為に、人に利用されて悲劇の武将となって最期を遂げた。そなたの今生の学びは人の魂胆を見抜く力の養いである。されど、そなたの前世が誰であったかは教えない。】と告げられたのです。

                私は自分の前世に関して教えては貰えませんでしたが、神霊世界に関わっている中で自分の前世のみならず、大本教霊界物語に書かれているような神代と呼ばれる遙かなる太古にユダヤの悪鬼達と戦っていた者であり、国常立尊様の部下として活動していた時代があることも解って来ました。私の記憶の断片の蘇りです。

                大本教霊界物語によれば、国常立尊様の御引退は35万年前とされています。私自身それ以後、海底に何万年と眠っていた時期もあります。

                 


                私自身は自分が幾度かこの世に蘇って(甦って)来たことを知る者であるので、この世での命など魂の世界の寿命からすると一瞬の間に過ぎないと理解していますので、この世には何の未練も執着も無いと言えます。

                私は霊能者はしていませんが、霊界修行の過程の中で何百年と「さ迷っている」霊との遭遇があります。私からすると、何を「さ迷っている」のだとなります。くだらないことに未練や執着心を持つからこの世の霊界でウロウロするのだです。サッサと本当の霊界に渡って、また人として出てこんかです。
                 

                 

                一部の霊能者やスピリチュアルでは、盛んに【前世商売】をされている方達があります。貴方の前世は何々であったです。 しかし、霊世界を見ていきますと、常に【憑依】の問題に突き当たります。それはその人の本当の前世ではなくて、「憑依」している霊が見せる光景です。
                 

                巷では自分の前世は「天照大御神」であった。「素戔嗚尊」であった。「釈迦」であった。「弘法大師」であった。そうしたことを名乗る人が後を絶ちません。オーム真理教の教祖「麻原彰晃(松本智津夫)」と幸福の科学の教祖「大川隆法(中川隆)」の自分の前世は【釈迦】であったの争いは、オーム真理教の動向を見張っていた幸福の科学の信徒により、目黒公証役場事務長の拉致監禁致死事件を暴くことになりました。怪我の功名と言えます。
                 

                 

                私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【人に前世有り。されどその前世を名乗って、自分を崇拝させることはしてはいけない行為。人から崇拝されるのは今生の名をもってすべし】と告げられました。

                人には【前世】はあれども、それはどこまでも前世で自分が為した行為で有り、今生の自分ではないのです。
                 

                 

                今生には今生の勤め(役目)がある
                 

                 

                まして、それが本当に当たっているかどうかも分からない前世など、持ち出すべきものではないのです。前世など、嘘八百並べても分からないのです。誰がそれを証明出来ると言うのでしょうか?。私は前世と憑依を間違われた著名な霊能者の方を知りました。それぐらい憑依と前世の見極めは難しいとは言えます。

                多くの霊能者が貴方の前世はと告げて一致しているのならばともかく、一人の者の言葉では信頼はおけないのです。時には10人が10人とも憑依で間違えるも起きているのです。

                本当にその人の前世が分かる霊能者であれば、その人の過去の前世が全て言い当てられるとなります。どこにそんな霊能者やスピリチュアルの人が居ると言えるのでしょうか?。
                 

                 

                私は豊受姫のお代であった師匠から、一度も貴方の前世はなどと聞かされたことはありませんでした。だが、自分の魂が過去世の時代に関わった幾多の霊の訪問を受けて、少しづつ解って来たと言えます。
                 

                 

                私の元に、自分は国常立尊様のお代で、貴方の前世は【明智光秀】だと国常立尊様が言っておられると言って来られた方がありました。確かに、明智光秀も私が子供の頃に聞かされた【そなたの前世は悲劇の武将】に当たりますが、しかしながら、私の前に出て来たのは別の悲劇の武将でした。神霊世界に足を踏み入れる前から、その武将の足跡地に行くと自然と涙していたのです。どうしてここで自分は懐かしさで泣くのだろうです。過去の記憶の蘇りです。
                その国常立尊様のお代と称する方が告げて来られた国常立尊様の言葉と、私に臨んだ旧約聖書の神と称する声の武将は別物だったと言えます。つまり、その国常立尊と称する声が言った私の前世は間違っていたのです。
                私は2番目の師匠の元で「ニセ国常立尊」の存在を見て来ましたので、その霊の名乗りを頭から信じるなどはしません。

                人には【前世】があります。しかしながら、その「前世」を詮索する必要はありません。何故ならば今の自分とは「前世」の自分の【カルマ】を引き継いでいるからです。私は武将として多くの人達の命を殺めたでしょう。決して、聖人君子とは言えません。
                また、国常立尊様に仕える天使の時代は剣を振るい。そして自分も反国常立尊派によって殺されています。しかし、私は現に生きているのです。

                国常立尊様は、汝の敵を殺すことなかれと説かれたされます 

                その時は敵に殺されていたとしても、現に今は復活して来ているのです。人に前世がある以上、人は過去・現在・未来と三世に生きます。ただ、それは肉体ではなくて【魂】なのです。
                ですから、大本教で【鬼が云う】の「魂論」である「ウシトラ(牛虎)金神」の仕組みも成り立っているのです。

                人は死を恐れる必要はないのです
                肉体の死は、三次元世界から去るだけの話です

                しかし、人はこの世の生き方しだいで霊界での位置が決まります。 恐れるべきことは、この世での生き方なのです。
                この世で永遠の命ともされる魂を腐らせたり破砕するなどは、愚の骨頂と言えるのです。

                 

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                魂を磨く/正神界も邪神界も共通して説けることは「感謝心」を持て

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                  よく「正神」だとか「邪神」だと言葉を発する方が居られます。その人は何を持って正神と邪神の基準を決めておられるのだろうかです。おそらく、自分が信じる神が正神界で、自分が信じていない神以外の存在は邪神だ式なのでしょう。
                  自分が創造神だとか救世主だと名乗っている方を100人集めれば、100人が100人とも自分以外の人は蛇や狐や狸や猫の類いの神に騙されていると言われます。ということは、そうしたことを名乗っている人の背後も蛇や狐や狸や猫の類いの霊となります。

                  今の神霊界の実態は、どこにも創造神と呼ばれる神など見当たらない

                  そうしたなかでは、信ずべき存在は自分が見ている神。霊声が聞こえて来る神霊だけであって、それ以外は違うという実に狭い了見の中に嵌まってしまいます。
                  私自身、二番目の師匠の御祭神は【国常立尊】と言うことで、本当にその御神霊が国常立尊様だと信じた時期もあります。その神霊の驚くべき【奇跡力】に惑わされたなのです。だが、その師匠の御神霊は「猫科」の姿でした。すなわち「苗」が獣化したか、「描く」の意味が違ったかです。

                  今の神霊世界そのものは、【勝てば官軍、負ければ賊軍】で、力の強い者が勝つ獣の世界とされるように何の正義も公平も重んじられているとは言いがたい面があります。
                  それは私達がこの世に生きていて、常に力が強い者が勝つ。長いものには巻かれろ式で生きていることからも解ることです。それに逆らえば、自分が大変なことになるです。

                  私は日本語という言葉に限られていましたが言葉の仕組みを知って、世に出ておられる既存の御神霊でこんな仕組みが出来るような御神霊が見当たらないので、どこかに【創造神】と呼ばれる神が存在していると説いていますが、別に霊能者をしているわけでもありませんし、神霊の力を背後に持って説いているわけではありません。
                  そうしたことから生半可の霊能力を持った方の中には、私を今の世の終わりを説く邪神だとおっしゃる方達もあります。何の神力の示しも見せないで、【良心神】などとせせら笑っておられる方が大多数のことも承知しています。

                  確かに、今の世が終わるなどと説く者は邪神だとする意見は解らなくはありませんが、大本教神諭に「こんなことならば、もっと早くに説いて貰わなければと」あるように、その土壇場になって説いていたのでは間に合いません。
                  そこには、悪神だと罵られることを承知の上でしなければならないがあります。そんなことは絶対に起きないと言っていて、仮に起きたならば責任の取りようがないからです。そこにあるのは万が一の備えの為です。
                  大本教が世に大宣伝した【世の大立替】など、別に無かったら無かったでもいいわけです。捨てておけば、人類は近い将来自然に滅びるでしょう。科学の力で自然の崩壊に勝てません。誰しもこのままでは地球が保たないなど解るからです。ただ、立替はあった時は恐ろしいなのです。

                  幾多の宗教団体の教えには、天国に行きたければ大金を教団に寄進しろがあります。私はそうしたことを説いているのではありません。自分の【良心神】によって、これから来るであろうと思われる【永遠の弥勒世の地位が決まる】と言っているのです。
                  その弥勒世の地位には、どこにも神に対する金銭要求などはありません。【自己のこの世における行為の結果論】にしか過ぎません。それすら解らない人からいくら邪神呼ばわりされても、別に痛くも痒くも無いなのです。

                  【自己の魂を磨かせる教えが悪なのか?】
                  逆に、人の魂を堕落させる教えが正しいのか? 


                  自己の魂の良心を磨くのは辛いから捨てますと言われるのならば、それはそれで致し方のないことなのです。今の霊界の現状でもそうした魂は腐ったり破砕されて行く運命から逃げられていないからです。
                  邪神や悪魔系は、人を楽な方向に楽な方向にと堕落の方向に導きます。それは霊界における多数派工作の為です。太古の昔、多数派を形成出来たことから創造神でもあった「国常立尊」様を退かせることに成功しているからです。

                  狭い了見の教えにしがみつけば、その魂の器は大きくはなれない

                  私が言う邪神は、人殺しや強盗のような「犯罪」霊を意味していません。そうしたこの世での凶悪な「犯罪」霊は、警察でも捜査一課で取り扱う凶悪犯であり凶党と呼ばれる霊で本質的に神霊として崇める存在ではありません。そうした凶党は正神界であろうと邪神界であろうと受け入れがたい存在と言えます。

                  大本教から元の創造神として「ウシトラ金神・国常立尊」が世に出されました。地上神界の創造神であった国常立尊様が何故にその座を退かれたかの経緯です。そこにあったのは、幾多の神々が蛇霊に犯されて、反国常立尊派に回ったでした。その多数派の数の力によって、やむなく「国常立尊」様は退かれた。
                  この「ウシトラ金神は邪神」ともされて来たとします。それは勝てば官軍負ければ賊軍の中で邪神とされたのでしょう。勝った方が正義です。それは聖書における人類の原罪である「アダムとイヴ」を唆した蛇霊の囁きと同じことなのです。

                  日本で、【邪の道は蛇】と言います
                  つまり、【よこしまの心】を持つことが邪神なのです


                  しかしながら、太古の神霊界で起きたことは蛇心に犯された神々の多数決による結果であり、そこに【勝てば官軍、負ければ賊軍】が発生したのです。また、大本教で説かれた【下克上】があったなのです。下位の神霊達が上位の神霊を下克上。臣が君を亡き者とする。子が父を殺す等です。

                  そこに来る言葉が主を墓に葬った形の【亞の心】

                  すなわち【悪】の漢字です

                  今の神霊世界は、力こそが正義です。
                  そこに今の神霊世界は【力の強い者が勝つ】獣の世と化したなのです。

                  岡本天明氏の「日月神示」において、今の世は「99%」は邪神だの言葉が一人歩きしたように見られます。そうすると100体の神霊がおられたとして、99体の神霊は邪神だと言う概念に嵌まってしまいます。すると、残りの1体の神霊だけが正神だとなってしまいます。その1%とは100柱の神々の中で1柱の神だけの意味ではないのです。
                  では、その残りの「一厘」は何なのですか?、となります。いろんな方がいろんなことを言っておられますが、どれもピンと来ません。九九は「百引く一で白」などと言われる方がありますが、そうなると何が何だか意味不明となってしまいます。

                  大本教神諭は、九つ花に咲く【一輪の火水(言霊)の経綸(しくみ)】を予告しました。大本教霊界物語に記述される「一厘の仕組み」と大本教神諭の「一輪の火水(言霊)の経綸(しくみ)」では、一見すると別物とも見られます。確かに大本教霊界物語を持ち出すと、一厘の仕組みは国常立尊がシナイ山に秘密に隠された神宝となります。
                  私は神霊世界に修業に入って気づいたのは、神とは【良心を失った存在か?】でした。全ての神霊の神示が嘘ではないにしても、嘘を平気で出す神霊世界の体質です。

                  大本教からは「九つ花」ではなくて「九曜紋」から「スの神論」が出たのですが、その大本教が出したのは「いろは歌」であり、いろは歌の末は「す」であり、その「いろは歌」の初めにも「す」があったで、初めにして終わりの神を「す」としたのですが、日本語の並びとは何も「いろは」歌だけではありません。
                  今から35年以上も前になるでしょうが、曹洞宗の小冊の機関誌にお釈迦様の菩提樹の下の悟りとは、【人には良心と呼ばれる神が内在している】とあったのを見て、私は小躍りしたしだいです。これまではお釈迦様の悟りは【仏の慈悲】にされていたからです。

                  本教神諭予告【九つ花】に咲く一輪の言霊の経綸で「ラ神論の良心神」となり、九つ花で「みろく(369)」が出て、今の世が七度目で「五十六億七千万」が導き出されるからです。しかも、それは「龍宮の音秘め」だけではなく、「ひふみ(123)」も含まれているのです。
                  そこには、私の前に出て来られた出口王仁三郎聖師霊がイスラム教の宣伝使の姿で、アラーの神を私に暗示してくださったこともあります。日本語のアイウエオは【ア】の門を出てから【ラ】に行くまでのアラーの「41」の道筋です。

                  ​世紀の大予言者、大本教の出口王仁三郎聖師が出された遺文とされる予言は、
                  【いま大本にあらはれた 変性女子はニセものだ まことの女子が現れて やがて尻尾が見えるだろう 女子の身魂を立て直し 根本改造せなくては 誠の道はいつまでも 開く由なし さればとて それに勝りし候補者を 物色しても見当たらぬ 時節を待ってゐたならば いづれ現れ来るだろう みのか尾張の国の中 変性女子が分かりたら モウ大本教は駄目だらう】。

                   

                  大本教の出口王仁三郎聖師は【みのか尾張の女子】を予告されました。私の元にはその女子は自分ですと名乗って来られた方は数知れずでした。だが、本物と思える方は一方も存在しませんでした。
                  しかしながら大本教の出口王仁三郎聖師は、その遺文の終わり、その【みのか尾張の女子】を自分のことだと思うのは曲人だと予告されておりましたが、そもそも人たる存在の意味ではなかったのです。しかし、多くの神々がその予言の仕組みに引っかかってしまったと言えます。つまり【みのか尾張】の女子の意味の取り違えです。

                  美濃か尾張の国から富(十三)山に向かう国道は【41号線】です

                  私は美濃か尾張の国から出る国道「41」号線で【九つ花】は解けるので、どこに女子が出現しなければならない必然性があるのだろうかと首を傾げていました。
                  私が神霊世界に修業に入るきっかけとなった最初に出会った女子は「良子」と呼ぶ名で、十三に消えた【良(ラ)」を示してくれました。その当時はどうして「良子」は十三(じゅうそう)に消えたのかと首を捻っていました。十三のス神ではなく、「良」の字で「ラ」神を知ることなのです。

                   

                  そうした名乗りをした方ではありませんが、一人だけその演技の該当者らしき女性を知りました。その女性の御霊は白山「菊理姫」に属するようでしたが、その方の演技が【753】で、この【753】の演技こそ、私に【龍宮の音秘め】の意味を紐解かせたとも言えます。

                  私は大本教神諭予告【九つ花】を先に解いてしまったので、【龍宮の音秘め】を理解するのが後になってしまいました。
                  そこに出て来たのが【カナン】の言葉でした。聖書で言われる「カナン」の地ではなくて中国の「河南」です。河南と言えば河南省の洛水(洛河)の故事から来る亀の背の文様の【龍宮の音秘め】があります。

                  【九九理】の音に【秘め】たのは【七五三】
                  カナンの地に至る。中国【河南】省洛水の亀甲紋の故事


                  この図は過去に何度も出している図です。



                  すなわち、そこに来るのは数字の羅列で有り、言葉の【音を秘めている】なのです。

                  巷で、自分は「龍宮の乙姫」だとか【白山菊理姫」だと名乗っていることではなく、九九理(括り)を展開させると、大本教神諭予告【九つ花】が見えるなのです。そうしますと出口王仁三郎聖師が出された【ス】神論ではなくて、必然的に【ラ】神論になって行きます。
                  大本教神諭が予告した「九つ花」の紐解き方には、いくつかの答えが存在して来ます。そのどれが正解かとなりますと、そこに【龍宮の音秘め】から展開したものでないと不正解があったのです。
                  幸いに私の「九つ花」の展開が間違っていなかったので助かりましたが、そうした仕組みになっていることが解らなかった神々の中で自分の息が懸かった者を使って、【みのか尾張の女子】とか【龍宮の乙姫】とか【白山菊理姫】を出そうとした為に、世間のあちらこちらにそうした名乗りをする方達が現れたと言えます。

                  日月神示などでも、どの神でも「九十九」までは行けるとあります。仮にその神が「九十九」の段階まで行けていたとして、足りないのは何かとなりますと【良心神】となります。悔い改めるとは、心の棒(杭)を改めればいいわけです。それで【良心神】は得られます。それにはどうすればいいのかとなります。
                  だとすれば、目指すのはまず「九十九」の段階まで行くことです。

                  それには正神であろうと邪神であろうと共通して説く【感謝心】があります。良寛和尚のように泥棒に身ぐるみ剥がれても感謝心を持てとは言えませんが、何事にも感謝、感謝で進むであれば、人は劇的に変わることが出来るのです。
                  この社会に不満を持って、愚痴ばかり述べるのではなくて、自分の命を生かしてくれる為に食の犠牲になってくれている動物達の命や、私達の心を慰めてくれている自然や花や、そして何も語らないが空気や水。そうした万物に対しての感謝心があれば、貴方の愚痴は贅沢だとなります。

                  自分が他の犠牲によって生かされているを学ぶ
                  そこに【感謝心】がなければならないのです


                  感謝とは、言葉が身を助ける

                  一般的には感謝の「謝」は、【人のあやまちを許すこと。自分の犯した間違いをわびること。謝罪する】ことですが、感謝は【ありがたく感じて謝意を表すことです】。意味が違っていることが解ります。
                  謝は「言葉と射」に分解されますが、射を「弓で矢を放つ」と捉えてしまいますと意味が解らなくなります。それは【寸】が持つ意味なのです。私達は感謝のお礼として、僅かですがと【寸志】を出します。この寸は【守】の字にも使われています。
                  そして、大本教が出した【す】神の「す」は、漢字の【寸】の草書体からです。我れよしではなくて、何事にも感謝の「寸志」を持つことなのです。またこの「寸」は【寿】ともなります。

                  大本教が出した【す】の神には【寸】の漢字に意味がある

                  感謝心を持つことは、言葉で感謝の意を他の人に表し
                  あなたの身を守る(助ける)なのです

                  何事にも感謝の心の無い人は、天国界は難しい


                   

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                  魂を磨く/創造神を信仰をするのか、覚者個人を崇拝するのか。神の言葉を使う日本人

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                    私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨み。【この神だけを唯一の神とせよ。他の神を神としてはならぬ】と告げられました。
                    しかし、私は子供心にも疑念を持ちました。【唯一の神って何?】です。ユダヤ教やイスラム教の様に旧約聖書の神と称する声の主を【唯一神】とせよと言う意味なのか?。それとも別の意味なのか?。です。
                     
                    ご承知のようにキリスト教は【ナザレのイエス】だけが主の御子であり、人類はイエスを通さないと創造神たる主の神には近づけないとします。為に、その教義は【イエス個人を神として崇拝する】となっています。そうしないと、人類の原罪であるアダムとイヴを唆した蛇の囁きの罪から逃げられないです。
                    だが、イエスの教えに【蛇】とは何か?。そうしたものが見当たりません。ただ、弟子に言ったことは、【蛇の様に賢くあれ】です。古来より蛇は神秘な存在とされ神とも崇められて来ました。その蛇が【知恵】を意味することは知られています。しかし、それだと知恵と人類に唆しでは合点が行きません。
                     
                    キリスト教より後発のイスラム教においては、イエスは尊敬される偉大な預言者とはしましたが、旧約聖書に予言された主の御子ではないとします。ただ、イスラム教の開祖マホメット(ムハンマド)に下ろされた教えが人類に対する最後の教えとされました。それが「コーラン」とされます。イスラム教では旧約聖書とコーランを聖典とします。
                    しかし、私は自分がヴェダー典に残される【人の中に眠れるコブラ蛇が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める】を体験して、【巳(蛇)帰る】現象において、スピリチュアルで自分には天使長ミカエルが、大天使がガヴリエルが語りかけて来ますの天使達の存在に疑いを抱いたのです。もしかすると、ミカエルの意味は「巳(蛇)帰る」であり、彼らは「羽根」の意味すら間違えた者達ではないだろうかです。
                    その時、何故かお釈迦様は真理を悟られだが、イエスは真理を悟らなかったと感じて、お釈迦様とイエスの教えの違いに「真理」があると感じたのです。

                     
                    世界の民族で、神の言葉を使う民族が唯一つだけあるとされます。その唯一の民族が日本人で、その神の言葉が【日本語】であったならば、「ミカエル」の言葉も「羽根」の言葉も意味が違っていたとなります。
                    一部の説では人類は幾度か滅びたとされています。大本教霊界物語もそうなのですが、今の私達が知る歴史以前に世界の民族は一つの言葉であったとされます。その言葉が「日本語」。言葉の内容から【日ユ同祖】論などもありますが、もしも、太古の言葉が一部に残っていたならば、そうしたことも考えられなくもないとなります。

                    この日本民族だけが神の言葉を使用している論の一つの根拠として、日本列島は【世界の大陸の雛形】説があります。四国は反転させるとオーストリア大陸の形に、九州は南アフリカ大陸に、北海道は北米大陸に似ているとは言えます。ユーラシア大陸は本州に、そして残る南米大陸はかっての日本が統治した台湾島とする説です。それが正しいとすれば、大きな意味を持ちます。
                    そして、世界の民族の中で日本人と他の民族とでは【脳】の左右の働きの違いが指摘されています。日本人の脳は【言語処理能力】が他の民族とは違っているのです。ただ、外国人でも日本で生まれると日本人と同じ脳の働きを持ち、日本人でも外国で生まれると外国人と同じ脳の働きをするです。これは【環境】の違いだとされています。
                     
                    では、脳の働きを変える【環境】の違いとは何かとなります。これは大本教神諭にあります「日本で生まれた人の魂」と、外国で生まれた人の魂とでは違うなのです。すなわち日本で生まれた人の魂には【大和魂】があるなのです。
                     
                    この大和魂とは【八真止】魂と理解すると解りやすいのです
                    八方向の中心に真を止める【八紘一宇(はっこういちう)】
                    世界の民族は一つの屋根(八根)の下で、その中心は日本国
                    こうしたことを書くと、私は天皇絶対の神国日本の国粋主義者の様に思われてしまいますが、【真理】を求めているだけの者にしか過ぎません。私は創造神のみを神として、人の肉体を持つ者を神として見ることはありません。私が見せられた【十六弁菊花】は天皇家の紋章ではなくて、日の神を意味するものでした。それで日本は【日の本の国】なのです。
                    ​一部の霊能者の間では、本当の神仏は「菊座」や「蓮座」に乗っているとされますが、そんなものは「邪神」でも造って乗って来ます。そうした菊座蓮座に踊らされている霊能者や行者も居るなのです。菊座とか蓮座の形を見れば、それが何を語っているのかある程度は解ることなのです。
                    私が【米】として説いて来た型で、日本人だけが神の言葉の日本語で知る
                     
                    日本人以外の民族は言葉に母音がなくて子音だけでも意味が通じるとされています。そこに【アイウエオ】が言われています。
                    大本教からその「アイウエオ」の並びを変えて【アオウエイ】が出されました。
                     
                    そこに、日本で初めて「言霊」を出して来た大本教に注目せざるにはおられなかったと言えます。
                     
                    大本教の出口王仁三郎聖師から【ス】の神が出されました。また、岡本天明師から【日月神示(ひふみ神示)】にも【言霊神】と呼ばれる言葉が出て来ます。この【言霊神】とは何か?。なのですが、それに関しては大本教の出口王仁三郎聖師も岡本天明師も深くは答えてはおられません。
                    ただ、聖書には【はじめにことばがあった。ことばは神と共にあり、ことばは神であった】【万物は言葉によって成った。 成ったもので言葉によらずに成ったものは、ひとつもなかった。 言葉のうちに命があった】。
                    しかしながら、西洋からは誰もこれを深く説明しておられませんでした。
                     
                    そうした中で、大本教の出口王仁三郎聖師はあることを発表されました。

                    命(みこと)=御言(みこと)です
                     
                    これならば、神の【御言】によって、生きとし生けるものに【命】が宿るとなります。

                    私は宇宙の初発にその「御言」によって万物に「命」が授けられる映像に触れて、聖書の【万物は言葉によって成った。 成ったもので言葉によらずに成ったものはひとつもなかった。 言葉のうちに命があった】が正しいことを認識しました。問題はその【言葉】を人類がどう理解したのかです。
                     
                    私が見た【言葉】とは、私達が会話している【言葉】のことではないのです。

                    御言(命)=【想像】から【創造】に至る神の息吹
                     
                    私は【言霊とは何にか】を知った時、私がこれまで持っていた「神観」など百八十度ひっくり返ったと言います。人類はいつたいこれまで何を拝していたのだ!。なのです。それはお釈迦様もイエスも含めて、全ての覚者の言葉さえその前には吹っ飛んだと言えます。
                     
                    そこに来る言葉が【想像から創造】なのです。

                    創造神(想像神)を知る意味で【万物は言葉で成った】となるのです
                     
                    まず、原点に戻らないと創造神(想像神)は理解出来て来ません。
                     
                    残念ながら、キリスト教の牧師で「言葉の意味」が理解出来る方は一人と存在しないでしょう。それはイエス個人崇拝に入ってしまったからと言えます。
                    大本教から【スの神】が出されましたが、大本教以後に多発した多くの新神道系教団では、その【ス】に「主」の漢字を当てて【ス(主)神】と唱えているがありますが、本当の理解の上に成り立っているかとなりますと、疑問符を打たざるにはおられないのです。
                    私は大本教神諭予告の【九つ花】を紐解いて、これは【スの神】ではなくて、【ラの神】でなくてはならないと解ったしだいです。
                     
                    多くの覚者が書かれた本を読み、自分はこの本の内容が最高だと思う。それはそれでいいと思います。しかし、その覚者は【創造神】の存在をどこまで理解しておられたのかとなると、完全ではなかったと思われます。
                    私は神の世界のことなど完全に説明出来ません。私がこれまで触れて来たのは霊界の部分でしかありません。さりとて、世に出ておられる神々で、そうしたことが説明出来る御神霊が一柱でも居られるのかとなった時、やはりどこにも見当たらないなのです。覚者でも世に出ておられる神霊であっても限界があるのです。
                     
                    私も含めて人として肉体を持つ者は、その言葉によって【万物を創る】など不可能なことだと言えます。私は一人一人が創造神だと叫ぶ方達は【思い上がり】も甚だしいと言います。それでは自分が【いと小さき者】と理解に達していないからです。
                     
                    私達が口から発する言葉とは、創造神のように【命(御言)】を生み出すことは出来ません。命を【誕生】させることが出来ないのです。
                     
                    人は【言葉を延べる為に生まれたの誕生】
                     
                    そうした中で、私達は創造神の存在に自然として触れてはいますが、自然から創造神を認識するのは簡単ではありません。容易ではありません。その中で、「真理」を語る覚者を尊敬もし、崇拝もするがあってもおかしくはありません。
                     
                    私は大本教から【艮(ウシトラ)金神が出され、そのウシトラには「牛虎」もあるぞ】よと出され、牛頭虎パンツの牛虎(ウシトラ)から鬼が云うの「魂」論で、大本教神諭予告【九つ花】を紐解くことによって、今の世が七度目の世であり、次に八度目の弥勒世となる。そこに【みろくの五十六億七千万】の仕組みを見たと言います。
                    私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声が私に告げた。【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。そなたはこの神の仕組みを見て、人々に告げなさい】と言われたことをしているのに過ぎません。世界に唯一つの国とは、英語は世界中で使われていますが、日本語は日本人だけで世界には無い言語なのです。
                     
                    私が臨んだ旧約聖書の神と称する声が本当に創造神であったのかどうかは調べようもありませんが、それは【日本の国に常に立つ御言(国立常尊)】ではあるわけです。私は自分は創造神を知る者ではないが、日本語という言葉の仕組みから「創造神」が存在すると思い。その神だけを「唯一の神」としています。
                    私はそれ以外の神々に神という言葉を発しても、【唯一神】とは思ってもいません。どの神であろうと、【創造神】には従うべきだと思っています。
                    ですから、私は偉大なお釈迦様もイエスも尊敬はしても、創造神たる唯一神とは思ってはいない者なのです。
                     
                    信仰は、人は言葉を仰ぎ見よ
                    辰聾斥佞如攫┐型修后

                     
                    私達日本人は、神の言葉を使う世界で唯一つの民族なのです
                    その為には日本語を大切にして、日本語を乱さないことなのです

                     

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                    魂を磨く/枝葉の神の栄えの教えではなく、松(公)の根元神を知る

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                      私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は私にある例え話をして来ました。【海岸に長年の風雪に耐えた見事な枝振りの「松」がある。人々はその風雪に耐えて荒々しい木肌や見事な枝振りの松を見て褒めるであろう。だが、誰がその「松の根元」を見るであろうか。
                      松の枝振りでなく「松の根元」を見る者でないといけない。仮に【松の根元】が解る者がそなた一人であっても、そなたには【松の根元】を見る者になって欲しい。
                       
                      私は子供の頃、この【松の根元】の意味を深く考えていました。
                       
                      大本教神諭には【末(まつ)の世から松(まつ)で治める】があります。また、【枝葉の神ばかりが栄えて、根元の神を枯らして何とする】があります。一般的には弥勒の世は【松の世】と言われていますが、そこには【松の根元】があったのです。その松の根元を枯らして何とするです。
                       
                      この「松」には【末】が隠されていることは、大本教神諭を学ぶ人達には既に理解はされています。【末の世から松で治める】です。仏教では日蓮聖人達か出られた頃が末法の時期に入ったとされます。今はその末法の世なので、とんでもない行為をする人が多数出ます。
                      しかし、松に【公】の意味の字が隠されていることに気づく人は少なかったと言えます。

                      神の公(松)、【仏】の私
                      更生(甦)後の後世(みろく)の世は、【公正】の世
                       
                      今日まで神は神としては「公」に救えない場合は、仏(私)の立場で救って来たのです。大本教神諭にあります。だが、みろくの世に入りますと、【仏(私)の世は終わった】はそこにあるのです。
                       
                      私が2番目の師匠の元に居た頃、就寝しようとすると私の耳元で多数の人が訴える声が聞こえて来ます。霊達の声です。例えば女性の声で「自分の夫は酒飲みでばくち打ち。幼い子を抱えて、お金に困って借金を踏み倒しました」。男性の声で「あまりにも上司が陰湿な虐めをするので思わず殴ってしまいました」等の言い訳をする声の数々です。
                      私は一度に十人の声を聞き分けたとされる聖徳太子ではありませんので、右から左からそうした訴えをされても、聞き分けられるではありません。私に訴えるならば順番にしてくださいです。だが、会社勤めをしている身では、夜は眠らなければならないのに、そうした訴えの声を夜中に聞いているわけには行きません。自分にはこの世で生きて行く為のお給料を貰っている会社勤めがあるからです。私は神ではなくて人の肉体なので自分の生活があるのです。
                       
                      さすがに夜な夜なの霊の訴えに困って、当時の2番目の師匠に相談すると、【おまえは地獄閻魔庁の者。地獄に落ちたくない為に助けを求める霊達が、おまえに訴えに来ているからだ。自分は生活の為の仕事があるので夜は寝なければならない。日中に訴えて来いと宣言すればその現象は鎮まる】と言います。そこで宣言すると、見事に鎮まりました。

                      私はその師匠の元に居た当時、たまたま新聞に幽霊が出る列車と報道された列車に乗って、列車と併走して走る火の玉に出会い、その火の玉として飛ぶ霊が自殺した原因などを知って、気の毒だと本当の霊界に送ったり、太平洋戦争で外地で死亡した兵士霊達が、自分達は霊界に赴かないといけないことは解っていますが、どうか霊としてこの皇国の守りに就きたいという願いに許可を下さいの願いに許可を出したりで、いったい自分は何者だろうと自分でも首を捻るように事柄に度々遭遇して来ました。
                       
                      私は自分一人が見た霊的映像だけでは確信が持てませんので、そうした霊的映像が出て来た時にはなるべく多くの霊能者に当たって見て貰って来ています。霊的世界が見せる妄想に自分が惑わされない為です。しかし、今では金儲け主義の方が多くて、そうした方に見て貰っても無駄骨となることが多く、また優秀な霊能者の方が減ってしまわれています。
                       
                      私の本守護神が【国常立尊】様であるとの指摘は、私が師事した豊受姫の言葉だけでなく、全ての霊能者とは行きませんが7〜8名の霊能者の方からも出された言葉であり、中には【閻魔大王】だと指摘されて来た霊能者の方もありました。
                      私は自分が霊界の【規則】でなく、その【規則】を超えた事をしたのは【閻魔庁付きの者】だったからだと見ています。
                      私の過去のブログに書いたことですが、自分は高木の神に仕える神官だと名乗り、おまえは生意気だから殺してやると仲間の神官霊とともにやって来た霊能者の生き霊が、その高木の神と称する天狗もろとも閻魔庁の役人に捕縛されて、その神官の生き霊は「便所落とし」の刑で天狗は羽根落しの刑となり、その霊能者はその翌日からヤフーの掲示板から消えたがありました。
                       
                      私の最初の師匠は、【あなたを見て、こんな恐ろしい存在は見たことがないと言う霊能者ならば本物ですが、そうでない霊能者はさほどの霊能者ではありません】と言いました。その師匠は三流の霊能者ではありませんでした。

                      その師匠(砂沢たまゑ)のことを書いた内藤憲吾氏著の【お稲荷さんと霊能者 伏見稲荷の謎を解く】はベストセラーにもなっているとと聞きましたが、五流六流の霊能力ではこの砂澤師が見た段階などは超えられないのです。
                      著者の内藤憲吾氏は砂澤師とのお付き合いが15年間とされていますが、私は35歳の頃にたった二人の弟子の一人となり、4年間の修業で砂澤師の元を離れて、言霊の世界にと転じましたが、そのお付き合いは亡くなる前までの30年以上に及んでいます。
                      当時、伏見稲荷大社に所属するお代たる霊能者としては癸韻箸發気譴討い燭里任后この頃は非常に優秀な稲荷神のお代さん達も他に居られました。私はそうした諸先生達も見て来ているのです。
                       
                      大本教で予告された【世の大立替】とは、大本教神典に【世の立替に白狐は下郎の役で奉仕する】とありますように、稲荷神界と関わりがあるのです。しかしながら、稲荷神は枝葉の神で根元神を知るには至らないのです。また、私が師事した豊受姫は、稲荷神界の半分の白狐達は反国常立尊派だと言われていたので、白狐霊だからと言って安心は出来ないなのです。
                       

                      内藤憲吾氏著本

                       

                       


                      私が師匠の著本で持っているのは、今は絶版の霊能一代だけです。その砂澤師と出会っていて、豊受姫から書けと言われて書かれた自著伝です。伏見稲荷大社の参集殿の売店でも販売されていましたので、準公式本に匹敵します。そうでないと伏見稲荷大社の参集殿で販売されるなどあり得ないからです。
                      その自著伝を出される経緯も砂澤師から聞いております。今はアマゾンの中古本でも8万円以上の値がついているようです。
                       

                       

                       

                       


                      ​いくら自分には霊能力があると豪語されても、この砂澤師を超えている霊能者の方ならば話もわかりますが、そうでないと「豊受姫」と名乗るニセ霊に踊らされることにもなりかねません。単に霊が見える。霊と会話が出来る程度では砂澤師の100日間断食2回もの荒修行などこなせるものではありません。

                       

                      私はその砂澤師が仕えておられた豊受姫がされた事柄として、阪神淡路大震災や普賢岳爆発や飛行機事故の事前予告。某地方役場の温泉発掘の依頼で温泉源の場所を教えて、そこには温泉が出ました。また国土省(当時は建設省)の出先の依頼で、某稲荷神の立腹で国道が通せなくなった事案の交渉。霊障が発生した事案で他の神々との交渉なども見て来ました。
                       

                      単にその霊が名乗る神名に踊らされるのではなくて、その神霊が行った【実績】を知ることも必要なことなのです。名乗るだけならばどんな霊でも神名など名乗れるのです。要はその霊の実績です。

                      自分には霊が見える。霊の声が聞こえるで神名を名乗る霊の神示と呼ばれるものをいくら連発しても、何一つ当たっていないとなれば、これはおかしいぞと思わなければならないのです。​少し前、ブログの世界では宇宙連合とか宇宙司令官と称する霊の神示が多発しましたが、予言のどれ一つ現実に起きたものは見当たりません。
                      ​ある方はブログで神示の連発されていますが、その神示を出した神霊の言葉でこれまで何一つ当たったことがないがあります。それでもその方は今でもその霊の神示を信じ込んでいるがあります。もしもその神示が過去に当たった【実績】でもあるならば話は変わりますが、当たらない神示などいくら連発しても意味がないとなります。
                      ​枝葉の神でも、その根元が同じ系列ならばその予言も当たって来る可能性があります。

                      霊の言葉も吟味しないと、大本教神諭が語った【枝葉の神】すら理解出来ていないとなります。
                       

                       

                      枝葉の神を理解しないで、どうして根元神が解るだろうか


                      最近、東名高速でいたましい交通事故がありました。その時、「Iなる者」がした行為は、法律的には罪が重い危険運転致死罪では起訴出来ません。法律の専門家は世間の感情に流されてはいけないからです。法律的にはその人達を死に至らしめたのは後続のトラック運転手の前方不注意だからです。その前方不注意がなかったならば、死亡事故は防げたともなります。
                      しかし、【閻魔庁の判官】であれば、この事件は死ぬかも知れないと予測できた事案の殺人事件であり、全ての罪は高速で車を強制的に停車させた【Iなる者】なのです。この世では裁けない罪もその者の死後に閻魔庁が霊界で裁くなのです。
                       
                      ここに、この世では【罪を憎んでも、人を憎むな】なのです。
                      ​人を憎むと、その心は増し。恨みは魂(心)地位の後退を生むのです。

                       
                      この世で罪を犯し、仮にこの世でのそれ相応の罰を受けなければ、死後に地獄界に落とされるのです。人が罪人を憎むなどしなくてもいいのです。その罪そのものを憎みなさいなのです。自分が復讐する等の行為は自分がしてはならないなのです。
                      もし、人として次の【来世】が欲しければ、【来世門の羅城(閻魔庁)】に出頭して来なさいとなっているのです。そこに私は地獄閻魔庁の鬼が云うの【魂】論を説いて来た理由もあります。人としての来世門(死者の維新たる羅)をくぐらないのであれば、動物霊でいなさいなのです。
                       
                      肉体はこの世を去っても魂は霊界で生き続けます。よく知られていることに【自殺者の霊は浮かばれない】があります。それは【この世は魂の修業場であり、どんなに辛くても生きなければならないからです】。それが自らの自殺に入ると【地縛霊】となってしまいます。その「法」を超えて助けることが出来るのが【閻魔庁】の権限となるのです。
                      こうしたことを書くと、ならば自分を殺してみろと息巻く方が必ずあります。霊能者の中には人を殺すことをなんとも思わない霊能者もいます。

                      私の2番目の師匠は、自分はこれまで何人もの霊能者を霊力で殺して来たと豪語していましたが、私もその師匠から【死に神】を付けられて殺されそうになりました。幸いなことにその【死に神】を発見したので事なきに終えましたが、その時の後遺症の病で長年苦しみました。その時は民間の薬代に大金を使ってしまいました。
                      だが、私はその師匠を恨んではいません。その師匠から教わったことは、スピリチュアルの自分には天使長が大天使が降りて来た等とは一線を画した内容だったからです。私を育ててくれた恩人と思っています。
                       
                      私が今の世の霊界は「公とか正義」などではなく、【力が強い霊が勝つの獣の神の世だ】と言うのはそこにあります。
                      大本教神諭、【世に出ている神々の心の持ち方が悪かった】に起因しているのです。また、【この神は心の立替、立て直しの神である】となるのです。そこにあるのが「私(仏)ではなくて公(松)」となるのです。
                       
                      自分に現世御利益をくださいは私事です。世の中が人々が良くなりますようにと祈るのは【公】となるのです。
                      世の為に、人の為にと【義】を尽くした人達は神上りとなりますが、神の祭壇に【牛と羊の血の捧げ】の【犠牲】を払われたからです。
                      ですから、大本教から【牛虎(艮)金神】に【羊猿(坤)金神】が出されました。そこに犠牲の「牛と羊」が読めないでは、どうしょうもない者となります。
                       
                      枝葉の神を恭しく拝するのではなくて、根元の神(創造神)の「公」に向かわないといけないのです。

                       
                      この世での幸せだけを求めて、地獄に進むのか
                      世の為、人の為に働く犠牲となっても、神にと上がって行くのか

                       
                      道は二つあるのです。


                       

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