仏教の【皆由無始貪瞋痴】の三毒 キリスト教の【懺悔】

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    今日まで言い古された事柄なのですが、今の私達日本人が気にも留めていない言葉があります。否、それどころかスピリチュアルと称する人達は、まったく取り上げようとも話題にもしない内容です。

     

    日本人の大多数は「仏教」徒です。その仏教の葬儀の時、葬式を執り行う僧侶はお経として【懺悔文(ざんげもん)】を読み上げる宗派が多数あります。

     

    我昔所造諸悪業 (がしゃくしょぞう しょあくごう) 

    皆由無始貪瞋癡 (かいゆむし とんじんち) 

    従身語意之所生 (じゅうしんごい ししょしょう) 

    一切我今皆懺悔 (いっさいがこん かいさんげ) 

     

     

    仏教の葬式に参列した時、日本人ならばそうしたお経を聞いたはずです。真言宗や曹洞宗などの禅宗系や多くの宗派で唱えます。内容は華厳経から出たものですが、一般的に神仏具店で売られている【観音経】や【不動尊秘密陀羅尼経】の経典などの冒頭にも書かれています。本当に神仏信仰する人達からすればかなりポピュラーなものです。

    だが、大多数の人達はそれを聞き流しているのです。僧侶が読み上げるものだとばかり思っているからです。

     

    その口語訳の意味は一般的に下記の様に訳されています。

     

    私が昔からなしてきた諸々の悪しき行いは、

    すべて始まりもない時からの貪(むさぼ)りと怒りと愚かさを原因として、

    身と言葉と意によって生まれたものであり、

    それら全てを今私は皆懺悔します。

     

    懺悔とは、自分の罪を告白して【悔い改めます】ので赦してくださいですが、この中の【皆由無始貪瞋癡】は、今生においての意味ではありません。人の魂は【輪廻転生】の中にあり、自分の魂が出た時からのことです。自分の前世や過去世からの積んできた悪業の罪(カルマ)です。

     

    その中の【とんじんち(貪瞋癡)】は、仏教では【三毒】とされていますが、その根源は【癡】だとされています。一般的には「愚かな」意味で【痴】の漢字が振られているものがありますが、【癡】とでは少し漢字の意味が違って来るのです。

     

    痴は「知の病」です。知るのではなくて知ろうとなかった罪です。

    癡は「疑の病」です。疑うではなくて疑うことをしなかった罪です。

     

    何でも言われたことに「疑い」を持たないのは【美徳】ではありません。

    私達の目には見えない世界は「霊(0)界」と呼ばれますが、【0界は存在しないではなくて、隠された世界】の意味です。9×0=0ですが、その時の「9」は「0」によって隠れてしまうなのです。

     

    疑問と言う門を叩かない信仰者は、「癡」の者

     

    邪神達は自分が使おうとする霊感霊能者が「知」を得ることを非常に嫌います。この神の言うことを【夢々疑うことなかれ】です。この【癡】は真理に対しての【無知】を意味指します。私は子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声が言った内容を信じているのではなくて、本当かどうかを疑って探って来たのです。 そこに出て来たのが、

     

    【嘘を叩いて、誠の骨とする】でした

     

     そうした疑いから学ぶことを禁じるのは、「痴」に追い込むのです

     

    それでは何をしても神の愛で赦されると「愛」ばかりを言い。懺悔の【悔い改める】を言わなくなります。また、三毒の一つの「貪」は【我愛】にと進みます。さらにそれは「痴」は知ることをしない病ですが、スピリチュアルのように自分の目に見える霊的な物だけに囚われて他から【学ぶ】ことを放棄しますと、自己の魂に【知性】が存在して来ません。

    それが魂の【一霊四魂】の【奇魂(叡智の働き)】を阻害して、その魂が【ハート】型に変形してしまうがあります。そうなると、その魂は自己の汚れを自らが浄化できなくなってしまい「いびつ」な魂となってしまいます。「偏屈」になります。神の愛で自分を救って貰おうと他力に走り、自己努力から離れてしまいます。

     

    お釈迦様が説かれた原始仏教は「小乗」とされ、お釈迦様の死後に起きたとされる「大乗」とは解釈が違って来ました。お釈迦様が本当に悟られたのは【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在する】は小乗の教えとなります。それに対して「仏は慈悲」だから仏に助けて貰うは大乗の為に、自分が悔い改めるよりも他力で救って貰うで【根本】の教えが忘れ去られたとも言えます。

    お釈迦様は「目連尊者」以外の弟子には、霊が見える霊と会話する自己の「霊性」を開くことを禁じられたとされますが、何の修業も無く霊が見えるで走ってしまいますと、自分はお釈迦様やイエスと同格の階層の魂だという、とんでもない錯覚の中に入って行きます。辛い修業を積んだ来た偉大な先人達の教えすら踏みにじるなのです。

     

    貪瞋癡の【瞋】は、通常「怒り」の意味とされて来ました。しかし、この漢字本来の意味は「顛死(てんし)の人」という意味で、顛(眞頁)死とは【顛倒】することなのですが、同異義語に「転倒」があります。転落でも顛落も同じ意味合いなのです。そこから不慮の事故等で倒れて死んだ人の意味合いなどとされて来ています。

    しかしながら、この「顛(眞頁)」は頂のことで「山顛」。頭のいただき。元や根本や先や末の意味です。この先の末の時、根本の意識を真に【顛(転)じて】おかないと、

     

    真が死ねば、神の怒りを買う

     

    末は【顛末書】を書いたでは許されない

     

    私達は「本末転倒」を言いますが、これは【本末顛倒】でもあるのです。真理に向かう人のことを「真人」と言います。

    PC上では本字ではなくて俗字が主に使われますので、PCの関係で俗字の「顛」の字を出しています。

     

     

    日本人の大多数は仏教徒でありながら、仏教で【懺悔】が言われている感覚を持たず、懺悔と言えばキリスト教の感覚を持っています。

    キリスト教の教会に行きますと、教会の中に神に対して自分の罪を告白する【懺悔室】があります。葬式の御経の時に僧侶が自分に代わって「懺悔文」を読むのではなく、生きている時の自分が【自己の良心に基づいて神に自分が犯した罪の懺悔】するのは、明らかに懺悔でも仏教とは別だという感覚は誰にでもあるでしょう。

     

     

    懺悔は自分がしてこそ「値打ち」があるのであって

     

    僧侶が自分に代わって「懺悔」しても意味がないのです

     

    懺悔とは、自己の良心に基づいて神に自分の過ちを告げる

     

    自己に良心神がないと、神に向かって懺悔は出来ない

     

    日本の神社でも、神様に自分のお願いを聞いてくださいと欲を祈る人ばかりで、神に自分の罪を赦してくださいと悔い改める人など数少ないと言えます。祝詞でも神主ではなくて自分で読み上げれば、自分の罪を祓ってくださいと宣(の)っていいるではないですか。

     

    私は神霊界修業に初めて入って、伏見稲荷山で最初の師匠の元に属する講員さん達の信仰の様を見ていて、その師匠から自分の信徒さんの信仰態度はどうでしょうかと聞かれたので、私は【皆さん、信仰は熱心ではあられる。されど、その信仰は神様から何かして貰おうの現世御利益信仰です。それでは、自分が拝んでいる神様を乗り越えることなど出来ません】と、何故か自分の意思では無い言葉が口から出たのです。

    すると、その師匠は驚いて、【人は自分が拝んでいる神様を乗り越えるなど可能なのですか?】と尋ねられたので、私は【神様から何かをして貰おう信仰ではなくて、逆に自分は神様に対して何が出来るか?。神の世界に奉仕する信仰に入って行きますと、現世御利益主体の神様達よりも上の世界に行きますよ】と、口から言葉が出たのです。

    それを聞いた師匠は、【さすがに、神その方が言われることは違う】と言いましたが、神その方の意味が私にはよく解りませんでした。私は時々、自分では意識していない言葉を口に出すがあります。

     

    私が伏見稲荷講に入った時、最初の師匠から【貴方には何の御利益も出ませんが、貴方のお母さんに御利益が出ます】と言われます。その後、私の母が商店街の籤引きなどをしますと、大当たり。特等の連続です。しかし、私が伏見稲荷講から離れると、昔のカス籤の連続になってしまいました。

     

    一部の方は「米」の教えなど信じても何の御利益も無いと言われます

     

    確かに、「米」の教えは稲荷信仰と違って現世御利益とは無縁です 

     

     

    しかしながら、「米」の教えから【自分に内在する良心神】の気づきに入った方から、自分が置かれていた環境が良くなって来た。自分の周囲が変化して来た。特に悪しき存在が自分の周囲から消えて行った。そうしたメールもいただきます。

    そうした方達からは、私が何かをしたのではないかとお礼の言葉を受けますが、私は何もしておりませんよと返答します。それは私が何かしたではなくて、その方が自己の良心神の目覚めから、自己の【カルマ】の解消に向かって行き、自分が置かれていた悪しき環境が好転して来ているなのです。

     

    良心神の御利益とは、自己の過去世からの【カルマ】の解消

     

    良心神の効果とは、すぐに目に見えるものではありません。少しずつ少しずつ薄皮を剥ぐようなもので、時間と共によくなるのです。人によって過去世で犯した罪の重さは違うので、他の人と同じようには行かないのです。

    だが、自己に内在する良心神を捨ててしまいますと、自己の魂の中に悪しきものが蓄積して行きます。やがては、肉体として生きている時には解りませんが、その魂は【奈落の底】にと墜ちて行くなのです。

    自分に内在する良心神とは私を拝むことではなくて、各自が自分で創り上げて行くもので、やがて用意されているのは、大本教神諭予告【九つ花】で解るように、宇宙の真理。万物の創造神に近づいて行くなのです。そして自分が【神上がり】なのです。

     

    大本教神諭予告、【人には神とも成れる魂を授けてあるにもかかわらず】なのです。それは日本神道で【直霊】と呼ばれる天帝の分魂で、自己の良心を司る働きだからです。大本教神諭予告、【この世の閻魔】として現れるです。自分で自分を悔い改めるをしなければ、この世の閻魔は出て来ないのです。

     

    悔い改め(懺悔)ない者には、良心神は裁きの時は閻魔として現れる

     

     

     

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    人の肉体は「魂」の浄化器官であり、【便】などで人を更(新)つ

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      大本教の出口王仁三郎聖師は、人は【霊主体従】と【体主霊従】に別れると説かれました。そして【体主霊従】は悪だとされました。しかし、そこに一つの勘違いが起きているようです。

      それは、自分は「霊」が見えるから霊の言葉に従っているから【霊主体従】であり、自分は悪では無いと言う誤った見方です。

      確かに一般的には、霊と関われる人が【霊主体従】であり、霊の存在が解らない人が【体主霊従】と捉えられている向きがあります。

       

      私は霊界修業として最初に伏見稲荷大社講に所属しました。その中で、講員さんの中に後で弁財天さんのお代となられた方が、瀧場で私が瀧受け中に周囲に居た講員さん達が持つ複数の水子霊に懸かられて、その苦しさに私にそうした複数の水子霊を転送されたがあります。その複数の水子霊達は私の背後霊団が浄霊して、しかるべきところに送ったようです。

      その様子を見守っていた最初の師匠が、あの程度の数の水子霊の懸かりなど貴方にとってはどうということもなかったはずですよと言ったように、少々の水子霊が自分に懸かったなどはどうということもなかったのです。

      為に、私は伏見稲荷大社講に所属している時は、霊に憑依されて自分が苦しむ人達のことがさっぱり解っていませんでした。ある意味、私自身は稲荷の神達に守られて安泰だったのかも知れません。

       

      私が霊に憑依されて苦しむを知ったのは、2番目の師匠の元に居た頃、仕事の関係で受付をしている時、若い夫婦と思われる男女が来て、見た感じは若い良さそうな夫婦だと好感度を持って接している時、その若い男女の二人から黒い塊の様な物が私に飛び込んで来て、私は即座に【下痢】すると気づいて、受付を他の人に代わって貰ってトイレに飛び込みました。即座に【下痢】です。

      あんな涼しい顔をした若夫婦から、その人の魂の汚れを送りつけられるとは想像だにしていなかったからです。その魂の汚れとは、今の人生からではなく前世から持ち越して来ているカルマとしての罪汚れがあるからなのです。

       

      霊の浄化に【下痢】を伴うことは、優れた霊能者は解っています 

       

      私が師事した2番目の師匠が住んでいた家は当時は汲み取り式便所でした。そこに、相談者が来るとその相談者がバケツに半分ほどの下痢便を出すで、すぐに便所の便槽が一杯になり、便槽がたまる都度、臨時に汲み取りに来てもらっていました。

      こうしたことは力のある霊能者であれば必然的にあり、某女優さんの父親は名が知れた霊能者の教祖でしたが、その方の元を訪れた相談者はバケツに半分ほどの下痢便を出すことでも知られていました。

      だが、ほとんどの人は何故にそれだけの便を出すのか?。そうしたことは解っておられなかったと言えるでしょう。

       

      私が師事した2番目の師匠も、某女優さんの父親で霊能者教祖であった方も、龍神をコントロールするほどの霊能者で、スピリチュアルと呼ばれるような存在の持ち主ではなかったのです。霊界の殺し合いの世界を行くタイプです。

       

      こうした話をすると医学者はあり得ないと言いますが、断食等をする人達は【宿便】を言います。何も食べていないのに出て来る便です。これは便秘により大腸に溜まった便のことではありません。医学者には絶対に解らない事柄で、X線でも解りません。内視鏡でも解りません。行を積んだ者だけが知る世界です。医学者も自らが行者となれば宿便があると解ります。もしかすると、「宿便」という言葉の説明そのものが間違っているとも言えます。

      私は二番目の師匠の元に居る時、黒海黒龍神の浄霊に失敗しました。男なのに自分の腹が妊婦のように膨れる。そこで、太陽に向かって天津祝詞を上げると、即座にトイレに入って下痢です。トイレから出て来ると、またもや腹が妊婦のように膨れる。また天津祝詞を上げるとトイレに走って下痢として流す。その繰り返しが続くのです。いったいどこからそんな大量の便が出て来るかです。量的にはあり得ないのです。それはその黒龍神の汚れなのです。

       

      さすがに私も肉体的に参って二番目の師匠に電話したところ、耐えに耐えてその黒海黒龍神を浄霊すれば、お礼としてお前の力になる。これほどの龍神、もったいないと言われましたが、当時は未熟故に耐えきれずに自分の体内からその黒海黒龍神を外してもらいました。しかし、今度は私が浄霊しなかったことにより、その黒海黒龍神の恨みを受けて攻撃されるとなりました。

      後にこの話を最初の師匠にしたところ、絶対に龍神浄化をしてはいけません。命を取られます。命を取られなくても病院送りです。それぐらい黒龍神などは汚れた存在だからです。ただ、世の中には自分は龍神を浄化したと言われる方もあるようです。しかし、その数は少ないでしょう。悪は腹膨るる業と言いますが、妊婦のようになるのはたまりません。

      一方、相手が稲荷と称していても野狐霊のような存在だと、霊媒質者でも肉体的には辛いけれども可能となります。悪霊を肉体で浄化するなどは、とてもきつい作業なのです。

       

       

      為に、楽な手段として祝詞や御経を唱えるのですが、魂の浄化は肉体の苦しみをもって消し去るが一番効果的なのです。それを自分でするのか。他人の肉体に押しつけるかです。

       

      肉体が無い霊や魂は、自分で浄化する手段がないのです

       

      そこに、人は霊に憑依されるが起きるのです

       

      大本教の出口王仁三郎聖師は、人は【霊(ひ)止(と)】と言われた意味は、そこにもあるのです。

       

      私の元には、霊媒質者から悲痛な叫びのメールが幾つも送られて来ました。まったく見知らぬ人から汚れの塊を送りつけられたです。その苦しみを訴えるメールです。

      霊媒質者は、電車や映画館でも人混みの中に入れば、汚れた想念を持つ人達の汚れを自然に受けてしまいます。そうした時は、自分が眠ることで対処は出来るのですが、ひどくなると大都会には住めません。

      誰でも気づくように田舎に住めば魂は汚れにくいのですが、大都会に住めば他の人からの汚れを被ってしまうのは、どうしょうもないことなのです。

       

      自分には霊が見える。高い神が降りて来る。そうしたことを言って、自分に汚れた想念を送って来る人がいると他の人に自分が苦しんでいると訴えていながら、実態はその汚れを自分では浄霊せずに何も知らない霊媒質者に送りつける。そんな霊能力を持った人がいます。いくら自分は正義面してもダメなのです。

      本当に自分が霊を浄霊していれば、軽ければやたらに眠る。強ければ下痢でトイレに往復。その回数たるや1回や2回ではすまないのです。お尻の穴すら痛くなるのです。

       

      自分が犯した罪の汚れの為に浄化の苦しみや下痢ではなくて、他の人が犯した罪の汚れを押しつけられて苦しんだり、下痢を伴って浄化をする。それは、「不条理」だと言えば不条理なことです。しかし、それが今の霊界の現実なのです。

       

      私は2番目の師匠の当時、その師匠から【歩く霊界の浄霊バキュームカー】と名付けられるほどの浄霊マシンでした。今は、人の汚れを吸い取って浄化してあげる役目は終了しましたが、今も不思議な下痢をする時があります。普通の下痢であれば、当然に茶色の物が尻から出るのですが、白い透明のゼリーのような物だけが出て来るです。それを便というかどうかは未だ私も解らないなのです。

       

      何故に人の魂の浄化に【便】が伴うのか? 

       

      それは「便」の字を見れば解ることなのです。便は、人を更つ(新)つ。単に食べた残りカスを排泄しているのではないのです。下痢は「利」の病です。

       

      魂の【更生は甦る】。人の肉体で更生させるが【便】

       

      下痢の【利】は稲を鎌で刈る形

       

      天津祝詞に【焼鎌(やきがま)の敏鎌(とかま)もて打掃(うちはら)ふ事の如く、遺(のこ)る罪は在(あ)はじと】とありますが、鎌で刈るはその魂の【毒素】を消して行く意味合いもあるのです。

       

      大本教神諭に、種を蒔いて実ったら刈り取るぞとあります。また、旧約聖書にも同様の内容があるでしょう。これは、神の鎌で刈り取るであり、この鎌とは皆さんが日常的に見ている鎌ではないのです。私はこのことを【戸隠の鎌】と言います。この鎌で刈り取られた人達は神の御国行きであり、もう魂に過去の罪は全てありません。

       

      まさに、残る罪はあらじなのです

       

      最近、本人自身は自分が霊媒質であることを認識していない人達の間に、医師では原因が解らない下痢が続くが起きて来ています。医師が調合する薬では止まりません。その人の魂を「浄化浄霊」する肉体の働きの一種と思われます。

       

      そこには、何故魂は「肉体」を必要としたのか?。隠された鍵があるなのです。

       

      肉体がある内に悔い改めて、自己の魂の汚れを取るなのです。

       

       

       

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      自己の魂の磨きと御先祖霊供養、先祖供養が出来ておらずに発生する家庭内問題

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        人はこの世で魂を磨くために肉体を貰って出て来ます。しかし、そこには肉体の御先祖霊と言う存在と深い関わりが生じます。この世は「天人の苗床」ともされますが、自分は【天人と成る神上がり】をする為に出て来たのだと言っても、その肉体は自分を産んでくれた。育ててくれた父と呼ぶ肉体。母と呼ぶ肉体。そこには【恩】が生じます。

        そして、その父母の父母(祖父母)。その父母(曾祖父母)。その父母(高祖父母)。そしてその父母です。人の魂は「輪廻転生」をしますので、あまり遠い先祖霊のことは考える必要がありません。だいたい五代前の御先祖霊以上は考える必要が無いと言われています。生まれ変わっている可能性が高いからです。霊界に居ない人の供養は必要としないからです。また、神上がりや天人と成った御先祖霊も供養する必要はありません。

         

        ちなみに私に日蓮聖人が臨んで来られて何事かと調べたところ、私の祖父母は養子であったので肉体的にはつながりはないのですが、祖父母が養子となった私の家系の五代前の御先祖霊が日蓮聖人の分魂であったと判明しました。

        霊能者の方の中には貴方の前世は日蓮聖人ではないかと言われる方達がありましたが、五代前の家系の御先祖霊が日蓮聖人の分魂で私の家系からの私の守護霊であったことから、霊能者にはそういう見え方をしていたのです。

        私の家系を見て、国常立尊との関係を指摘された霊能者の方は幾人かありましたが、日蓮聖人もまた「国常立尊」様と深い関わりを持ってはおられるのです。その関わりから日蓮聖人の分魂であった方が私が出た家から出られたと言えます。

         

        恩は、【因の心】。そこに御先祖霊との【因縁】が生じる

         

        ある実力派霊能者の方が、五代前までの直系の先祖霊供養(計10体霊)を言われており、その供養料が高すぎると批判しているスピで有名な霊能者の方が居られますが、そのスピで有名な霊能者の方は霊的なことはよく見えておられるが、先祖霊供養が出来るだけのお力が無い。少々の不浄仏霊に懸かられたら本人自身がのびてしまわれる。

        私もその供養料金を聞いた時には驚きましたが、10体の先祖霊供養の合計料金だと知って、それならばスピリチュアルで一時間程度の個人鑑定で大金を取る貴方はどうなのかとなります。霊を見る鑑定と浄霊とでは使うエネルギーの量が違うからです。

         

        スピ系で霊がよく見える方は多数居られますが、霊界での切った張ったの修羅場をくぐって来た行者系霊能者でないと、悪霊化して来た霊を押さえるは簡単には出来ないのです。

         

        最近、凶悪な事件が見られます。その犯人の家系に問題があったことなどが報道されて来ます。そうした時、あれは自分の子では無いと言う親の発言が見られますが、自分の意にそぐわなかったから自分の子では無い。そんな論理は許されないのです。

        確かに、日本では間もなく成人は十八歳からとなりますが、大人と成った者の行為は本人の責任で親の責任ではありません。霊的世界から言えば、ユダヤ教では十三歳から大人と見なされていると思いますが、この日本でも終戦迄の明治40年以降は満6歳で尋常小学校(6年)に進み、次に高等小学校(2年)に進み、その卒業でほとんどの方は社会人となりました。親の元を離れたのです。

        それは現代の中学2年生で卒業の14歳で、一人前の大人として社会から認められていたということなのです。私が中学校を卒業した当時の日本でも、十五歳で中学校だけを卒業して社会人と成られた比率は50%以上ありました。金の卵と言われて、東北方面からは集団の就職列車で働くために上京だったのです。そこには子供だからと言う概念は無かったはずです。立派な大人です。

         

        魂の世界からすると、15歳〜16歳で犯罪を起こしたからと言って減刑などはありません。それは本人の魂の責任であり、親の魂の責任ではないのです。犯罪を犯せば当然に本人の魂は先行きカルマを背負ってしまいます。

        何故ならば、15歳〜16歳ぐらいになっていれば、してはいけないことの判断が出来る「良心神」は備わって来ているからです。親の責任とは、しては行けないことを判断できる良心を我が子に教えなかった点なのです。善悪を判断させる教えです。

         

        今の時代は自分を産んでくれた両親のことすら忘れて、勝手気ままに生きる人が増えて来ました。育ててくれた親の【恩】すら解ろうとしないです。

         

        人は魂の世界からこの世に出るにあたっては、生まれ出る家を選ばないといけません。その時、肉体の父母のどちらかと魂の世界での縁があり、またその家系に自分の魂と縁がある家を選んで生まれ出ます。

        私は実の母が死ぬ前に母が如何なる存在の分魂であったかを知りましたが、それは私の魂とは必然的な関係で、母がこの家に嫁ぐはこの世に生まれ出る前から決まっていた道だったのです。

         

        魂は生まれ出る家の【恩】により、家系の【因縁】を持ちます

         

        どの神仏も【先祖供養】を言うのは、そこに家系の【因縁】があるからです。家系の先祖霊が全て成仏しているであれば、その家系に何等問題は生じません。しかし、現実には不浄仏霊が多いのです。この世に生きている時に好き勝手をしていれば、天国などには当然に進めません。

         

        私は霊能者とは言いがたい者ですが、それでも霊的世界の見聞者としていろいろな事例を見て来ました。御先祖がその使用人にむごい仕打ちをして病気で死なせ、その霊が蛇霊化してその家系の子孫を恨んで祟っていた。御先祖が神蛇と思われる蛇を斬り殺し、その神蛇霊が子孫に祟り、その子孫の肌が鱗肌になって顔を出せない等もありました。

        こうした場合、他からの祟り等なので【霊障】として神仏が解決に乗り出していただけるはあります。霊能者の活躍の場です。ところが、霊能者が霊障と判断せずに、あまり相手にしないケースがあります。それは、御先祖霊が成仏には至らずに、自分の家族に供養を求めている問題の場合等です。

         

        私は修業の最初の頃には伏見稲荷講に所属していました。最初の師匠は隣市にある藩主が創建された稲荷神社の神主で、御祭神は豊受姫で、そのお代をされていました。

        その師匠は神社の社務所で神霊相談に乗っておられたのですが、相談者の家系の先祖霊の供養問題から起きる災いに関しては、豊受姫は【先祖供養は僧侶に頼みなさい。神が関わる問題ではない。】と、一蹴されていたのです。

        豊受姫が何を言われようとしていたのかと言いますと、先祖供養がきちんと出来ていないことから供養を求める先祖霊によって起きる家庭内の諸問題は、神が手を出す話では無い。浮かばれていない先祖霊を上げる先祖供養はその子孫が負うべき問題であり、そうした先祖供養の件は神ではなくて僧侶に頼みなさいなのです。

         

        だがです。そうした家庭内に起きる諸問題を僧侶に持ち込んで先祖供養をしてもらったら解決しました等はさほどないのです。ある著名な仏教系の霊能者は、僧侶をしている方の家庭内問題を僧侶自身が解決出来ないで、その僧侶から先祖供養を頼まれたと話されたことがあります。未だ成仏が出来ていない不浄霊を供養するとは、通り一遍の御経を唱えればの問題ではないからです。

        私は地方新聞で列車に幽霊が出ると報道された幽霊に偶然に遭遇して、般若心経一巻でその霊を上げた経験もありますが、死んでから何百年もの時間が経過しているように地縛霊などは般若心経を何十巻と上げ続けたもあります。通り一遍ではなくて、その供養に何日もの時間を要するもあるのです。

         

        先祖霊供養は、神に頼んだでは解決しないのです。また、霊能者でも無い僧侶の簡単な御経程度では解決するとは限りません。自分や家族が日々、仏壇にお花やお線香やお灯明にご飯とお茶を供えて御経を上げる。そうした日々の供養が続いてこそ解決するのです。

        以前に少し書きましたが、家の仏壇に蛇が上がってきてとぐろを巻いています。取りに来てくださいと職場に電話が来て、そうした職場ではないのですがたらい回しは禁物とのことで、仏壇に蛇がとぐろを巻いているで供養の問題だと解り聞いたところ、御主人が亡くなってから仏壇にお花もお茶も御飯も上げていない。御経なども唱えたことがないとの返事。だが、御主人や先祖供養をなされていないと言うわけにも行かず。それなりの対処をしてくれる役場に相談するように手配をしたがあります。

         

        私は満9歳で実父を亡くしました。その父は死ぬ直前に私に対して、自分に天からお迎えが来ているので、間もなくこの世を去る。私が死んでも泣くな。おまえが泣くと、私も後ろ髪を引かれる。おまえは男だから絶対に泣くな。男の約束だと言うので、父親が死んでも泣きませんでした。

        その父の位牌の前で、49日まで生前の言葉から天国に行ったとは思いましたが、「親父、霊界での道を迷うなよ」と、般若心経を上げ続けていたのです。それを見た当時の菩提寺の和尚は、こんな子供が御経を上げ続けていると感心したと言います。

         

        私は霊が供養を求めている場合、その霊に肉体の血縁者が一人も居ない様な場合は手助けをしますが、その霊に家系につながる肉体の人があるならば、その人に供養を求めなさいと言います。神の世界が手を出す問題ではないからです。

         

        自分の幸せばかりを求めてスピに走っても、御先祖霊が浮かばれていないとなると、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が言った。【この世での刹那心に溺れると自分の魂を腐らせる】と告げられたことになりかねません。

         

        まず、自分の御先祖霊をしっかり上げる

        そうすれば、自分の身内に起きる諸問題も好転するでしょう 

         

        今は霊界では流動的な動きがあり、いろんなことが動いて来る時節かと思われます。私が修業時代、言向けをした蛇霊は私に言いました。【悔い改めるぐらいならば死んでやる。終わりの時が来たならば暴れに暴れて、皆を道連れにする】。肉体が有る者には解らずとも、そうした時節は霊界の方が早く察知します。その時は、悔い改めることなく、暴れに暴れて死んでやると言う蛇霊と不浄霊が結びつく可能性が高いのです。

        一部の霊能者の方は、悔い改めようとしない蛇霊征伐が既に起きていると言われます。これまでは眠っていたような霊も揺り起こされて、どうするかを決めなければならない時期に向かって来ていると思われます。

         

        御先祖霊が成仏出来ているならば、そうした時には守られるでしょう。先祖あっての自分というのも、また事実なのです。

         

         

         

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        龍宮城と龍女の解脱 最後のフィナーレ時を演じるは龍女達

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          龍女と呼ばれる言葉を聞いたことがあると言う方は少しはあるでしょう。しかし、龍女に関してインターネットで検索しても、あまり正しく書いた物にはヒットしないがあります。

           

          多くの人は「竜(龍)」と言うと、六千万年以上の昔に地球上から絶滅したとされる【恐竜】と混同される方もあります。そうした化石で知る恐竜と呼ばれる様な存在のことではありません。どちからと言うと【ドラゴン】と呼ぶ姿に近いのでしょうが、ドラゴンの様な羽根は必ずしも存在しません。頭部以外は大蛇に近い姿ですが蛇と違って短い足があり、古来からの仏画などに描かれている様な絵姿のものです。この世では架空動物と考えられていますが、霊界には存在しています。

          仏画などで知られる龍は、霊的世界で見ることが出来て、霊視でその姿を見た人達が絵に描いたとも考えられます。霊能力があればその存在は見えます。霊感者レベルでも、その姿はたまには見るでしょう。

           

          龍女と呼ばれる言葉が出て来ますのは、仏典の【妙法蓮華経提婆達多品、第十二】にその記述があります。娑竭羅(しゃから)龍王の8歳の娘が,畜生に分類される龍女から一瞬に解脱して「変成男子」になったの話です。

          その位置づけは、お釈迦様と文殊菩薩に対してはへりくだりますが、お釈迦様の十大弟子の一人である舎利仏(舎利子)などは下の者と見なしています。解脱すれば、それぐらい高貴な位置となります。

          この「変成男子」に関しては、当時の仏教は女性は成仏が出来ない者としていましたので「変成男子」にしたのではないかの説がありますが、もしかするとそうだったのかも知れません。

          大本教から「変性男子」と「変性女子」が出されたことに学者は批判しました。単に法華経の「変成男子」を持って来ただけだろうです。大本教の「出口なお」開祖は女性でしたが、その神的働きは男神たる「艮金神国常立尊」の代理役です。だが、一方で大本教の出口なお開祖の御魂は「若稚姫」としたので、変性男子そのものが論理的に成り立っていません。

           

          龍女に関して何も知らない人にとっては、龍女とは頭は人だが肉体は龍のような架空の存在だと思われる方があるかと思いますが、そうではなくて人たる存在です。ただ、単なる普通の人ではなくて、そこには【龍】が就いているのです。

          聖書に【龍】とは、【霊界で年老いた大蛇霊】とありますが、世間一般に龍神と言われている存在は、蛇霊が「海・山・川」で各々千年。合計三千年修行を積んだ霊界で年老いた大蛇霊と言われています。また、「山・川・火」の三千年という説もあります。何れにしても聖書にある「霊界の年老いた大蛇霊」を指します。豊受姫のお代であった最初の師匠も、龍神さんは三千年の修業を積んだ蛇霊だと言っていました。

          ところが大本教の出口王仁三郎聖師は、世間で龍神と呼ばれている大多数は霊界の年老いた大蛇霊ではあるが、そうではない龍神が存在すると述べておられます。この大蛇霊ではない龍神が住む場所を【龍宮城】と言い、そこに住む姫達を龍宮の【乙姫】と言います。解脱を終えている天人界よりも下だが人間界よりは上界です。

           

          聖書にありますこの宇宙が創成された時、いきなり人の様な姿の神が現れて、言葉で何々あれと言ったら万物が出来たではないのです。これはキリスト教などは大間違いの中にあるからです。

          大本教では宇宙の初発に「みろく大神」の御言もちて、大国常立尊(厳霊)と豊雲野尊(瑞霊)の両尊に宇宙創成を命じられ、その指揮(識)の元に多くの龍神(流神エネルギー体)達が加わって宇宙を創り上げて来たです。

          その大国常立尊は「金龍」であり、豊雲野尊は「銀龍」とされています。私は現在地で地鎮祭の時にこの地でとぐろを巻いた「大金龍」神を見たのですが、私の家に来られた霊能力者もこの地で金龍神を見るがありました。

           

          宇宙創成の役割が終わった後、それらの龍神は流神たる姿が必要がなくなったので龍(流)体を脱ぎ、人の姿の神化をしたとされています。これらの神達を【天津神】と言います。為に「龍女」は天津神系としての分類は出来るのです。

           

          宗教界の我が宗派の教えを信じれば天国や極楽論から、人は死ねば天国で天人に成れるという大錯覚が起きてしまいましたが、聖書に人類はアダムとイブを唆した蛇霊と一緒に神の園から追放されたとあるように、天人界の天人に成るには蛇霊からの【解脱】が必要なのです。全ての人に「蛇霊性」は存在します。

           

          私はヒンズー教のヴェダー典にある【人の中に眠るコブラ蛇が走り上がる時、その人は真理に目覚める】を体験したことにより、【真理】の道に向かっただけのことです。私はそれを【巳(蛇)帰る】現象と言っています。

          十二支において蛇と龍は別のものとなっています。漢字の部首で蛇は【巳】で、己(自分)と同じ部に所属します。一方、龍は【辰】で振動で解る様に【力・エネルギー】を指しています。五行において「火」に当てますが、霊的世界で龍神に襲われると霊的な「火」を噴いて来ます。 不動明王の火炎も熱いですが、それ以上のものなのです。

           

          一部の方達は、日本列島は「国常立尊」の背骨だとも言われますが、それぐらいの大きさの龍神だったと言われているわけです。スピリチュアル系の女性の中には、「自分には宇宙龍神が憑いている」と盛んに言われますが、サニワをするとその多くは宇宙創成時の龍神ではなくて「霊界の年老いた大蛇霊」ではないかと思われる節があります。

          龍神とは流エネルギーの姿なので、そこに霊力があれば姿だけでは本物の龍神なのか?。それとも巨大な霊力を持った「霊界の年老いた大蛇霊」なのかは見分けが難しいと言えます。

           

          私が日本神話の龍宮の乙姫が豊玉姫説に疑いをもったのはある光景からです。それは豊受姫が龍船を仕立てて、フィリピン沖にある中国が自国領と支配している南沙諸島に向かっておられる光景からです。この南沙諸島には龍宮城があるとされます。龍宮城があるとする場所の説にはオーストラリア大陸なども言われています。世界各地にあっても不思議ではありません。そのオーストラリア大陸を日本に当てはめると四国になります。

           

          その豊受姫を中心にして龍宮の乙姫スタイルの女神達がずらりと並ばれた時、それらの龍宮の乙姫は全て豊受姫と呼ばれる存在だったのです。伊勢外宮と伏見稲荷山の豊受姫は同一神と言われていますが、岡山県の最上稲荷の豊受姫や佐賀県の祐徳稲荷の豊受姫とはお顔立が違っていると豊受姫系の霊能者の方は言われます。同一の玉から出た姉妹ではないかの感覚を受けるです。

           

          私の最初の師匠は豊受姫のお代さんでしたが、その豊受姫は伏見稲荷山のトップの豊受姫様ではないと言っていました。為に、トップの豊受姫様に目通りする為には伏見稲荷山に直接に行くでした。こうしたことは大本教の出口王仁三郎聖師が正神界180段。邪神界180段と述べられたように、同じ神名でも個々の神霊で神界の階級が違うなのです。私はそうしたものを見て来て、【神名機関説】を言っています。

          こうしたことは行者の世界では【神界ピラミッド】とか【天使の階級章】とか言い。行者がスピリチュアルを批判するのは、霊が名乗って来た神名だけでその神霊の神界での格付けをまったく理解していないことなのです。

           

          豊受姫のお代であった最初の師匠は、豊受姫と名乗ることが許されている本当の豊受姫は、はっきり記憶していませんが900体ぐらいはあると言っていました。これは魂の姉妹と言うことになるのです。しかしながら、最近はニセ豊受姫もかなり出て来ていると思われるのです。

          宇宙創成時に活躍した龍神達は龍体神から天津神にと「解脱」したと言えます。しかし、流体たる龍神の姿のままでは【解脱】したとはなりません。【解脱】の意味は霊界における【力】の行使から離れて行くことになります。霊界で力を行使をしようとするならば何時までも【龍神(流神)】の姿であらねばならないのです。為に、龍神は解脱を終えた天人界よりは一段下の界とするだけのことです。

           

          龍女と呼ばれる存在の女性は意外とおられます。その背後には必ず【龍】の存在が認められます。黒龍、白龍、青龍、緑龍など様々です。当時、16歳ぐらいの高校生の女性で私の家には生き霊として来ただけで、実際の肉体には出会っていないのですが、ある出来事の関わりからその龍女に従っている数百体の黒龍神から攻撃されて、私の正守護神とその配下霊達とが戦い、私の正守護神を応援する為に天軍の降下まで起こした出来事があります。

          そうしたことを言うと、オオボラと取る霊能者の方もありますが、私の背後には霊能者をしている方とは比較にならない背後大霊団があると言われる霊能者の方もあります。

           

          それほどの龍神を従える龍女は珍しいとは言えますが、もしも霊能者になっていればとんでもない存在となるはずです。通常の龍女と呼ばれる存在は、一体から数体ぐらいの龍神が従っていいるものだからです。

           

          龍女とは、【龍神が従っている女性】のことです

           

          この【龍女】とは、元々が仏教で言う天部で神的世界から降りた魂なので、普通の【人間の男】とは交わってはいけないとされています。もしも若い時に普通の男性と結婚すれば、相手の男性は死に至る。死ななくても重い病に至る。その男性の社会的地位が守れずに相手を破滅させる。仮に相手が命を亡くさないとしても、子供を置いて離婚に至るです。易学では天下相・後家相とされます。この世では家庭的な幸せはまず望めないのです。

          また、霊的特徴として電磁波の影響が強く、電化製品がすぐに壊れたりします。写真を撮ると不思議な霊的写真が撮れたりします。そうした時には、自分は「龍女」かと疑って見る手もあります。なまじスピリチュアルに走ると、良いことがありません。

           

          ただ、豊受姫のお代であった最初の師匠は、【数え年で40歳を過ぎてからの結婚であれば、それらの不幸は訪れない】と語っていました。龍女も神の世界の一員なので【四十】荒野の彷徨いの中に置かれるのです。これは龍女のみならず龍男にも当てはまるのですが、龍男は龍神の特性として「風雲児」とか「英雄」の素材となりますので、誰が龍男であったのかの判断は難しいところがあります。たぶん、独眼竜政宗などはそうであったのかも知れません。男ならば英雄になれても、女性ならばその強さが後家相なったりするのです。

          とある男性は元は天使級の龍男で、若くして結婚すると言うので心配していたところ、子供が生まれると奥さんが病床に伏す事態になってしまいました。生まれた子供の世話がのしかかったのです。龍男も家庭的には同じです。ただ、龍男と龍女の結婚であれば若くして結婚しても幸せだとされています。龍神界の祝福の元だからです。

           

          魂の大元が天津神系列で宇宙創成時の龍体から解脱をして来た存在であれば、龍神そのものを配下として従えることが出来るがあります。自分の遠い過去の記憶の中に龍の時代を思い出すは、宇宙創成時に自分が龍体として存在していたなのです。

          龍女の特徴に関しては、書かれている宗教書や霊能者の発言もあるので、自分で怪しいと思ったら調べるのがいいでしょう。大きな特徴としては、非常に気位が高い人が多いのです。通常の霊能者ではその背後に龍が存在するので、怒らせると太刀打ち出来ません。非常に霊力が強いのです。

           

          歴史的に【龍女】と判定できる存在があります。

           

          源義経の愛妾の静御前は龍女と考えられます

           

          その証拠となるものが「義経記」にあります。ここではコピペを貼ります。

          日照りが続いたので、後白河法皇は神泉苑の池で100人の僧に読経させたが効験がなかったので、100人の容顔美麗な白拍子に舞わせ雨を祈らせた。99人まで効験がなかったが、静が舞うとたちまち黒雲が現れ、3日間雨が降り続いた。静は法皇から「日本一」の宣旨を賜った。また法皇は、静を見て「カノ者ハ神ノ子カ?」と感嘆したと言う。その後、住吉での雨乞いの時に、静を見初めた義経が召して妾にしたという。

           

          100人の僧が集まってもどうにも成らぬことが、龍女ならば出来るです。それだけ神霊界に対する影響力が違うということです。 自分は天候を左右させると言われる霊感者や霊能者が居られます。女性の場合、龍女である可能性があるともなります。ただ、そこには【龍女の解脱】という問題が起きて来るなのです。そうしないと、悲しい涙を出すことになりかねません。

           

          霊能者と呼ばれている人達の中には、自分がそうした「龍女」を自分が手に入れようと暗躍している方々があります。法華経は法華経が説く叡智の教えを学ぶことによって、「解脱」の道があることを語っています。

           

          大本教で説かれたのは【龍宮の乙姫殿と日之出神(真性天照大御神)】の揃い踏み

          大本教、大予言は何を告げようとしているのか?

           

          私が見せられた霊的光景は、この世の最後の舞台の幕は女性ばかりの宝塚(龍宮の乙姫達)が演じる舞台でした。そこには女性が男役を演じる【変性男子】達と女性はいましたが、男で女役を演じる【変性女子】は存在していませんでした。弥勒の世は龍宮のお宝が吐き出されるからです。

           

           

           

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          今回起きた大阪府北部地震も、霊界からは3日前に通報されていた模様

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            本教の出口王仁三郎聖師は大正12年の関東大震災(M7.9以上)を事前に予知され、当時の大本教は政府から邪教として弾圧を受けていた頃であり、世に発表すると、またもや邪教と弾圧をされる口実に使われるで、東京周辺にいた信徒達だけに逃げるように指示され、東京周辺の大本教の信徒は命の難を免れたがあります。その時の関東大震災の被害は、当時はほとんどの家が木造であった為に、死者・行方不明者10万5千人に及ぶ大災害になってしまいました。

            それが絶対に起きるであればそうでもないのでしょうが、霊界が教える事柄に絶対と言う言葉は使えない面があります。もしも外れたら、世間を惑わした邪教として徹底的に弾圧されてしまう可能性があります。為に、世間に大々的に公表するのではなくて、教団内だけとなるのはやむ得ない面があります。もし外れても、信徒の信頼が完全になくなるではないからです。

            確か、これは大地震の一週間前であったかと記憶していますが、私の記憶なので多少の日数の間違いがあるかも知れません。

             

            こうした地震の事前予告は、外れた場合大きな影響が出ます。阪神淡路大震災が起きる数年前、神戸のある教祖様が御祭神から神戸に大地震が起きると告げられて、その信徒さん達に家を売って神戸市から離れるように告げられました。教祖様にすれば、神示が外れるなど思いもつかなかったからでしょう。

            だが、待てども暮らせども大地震が起きて来ません。家を売った信徒さん達は教祖にどうしてくれるかと詰め寄られて、自分は祭神に欺された。信徒さん達に申し訳ないと腹を切られたのですが、幸いに命は助かりました。その数年後に神戸に大地震が起きたのです。

             

            結果論としては、その時に家を売った信徒さん達は家を売られたことは幸いとなったのですが、2〜3年も時期が外れていれば予言と言えるかとなります。その教祖様は腹を切り、霊的世界からは足を洗われたようです。

            大地震が来るからと家を売らせるは自分だけが得をする道であり、例えその財産を失うことになっても、命だけを助けるで、大地震が来るのは間違いがないと思われるその直前の避難勧告にとどめるべきなのでしょう。

            私の最初の師匠も阪神淡路大震災の3日前に豊受姫から神戸に大地震が起きると告げられて、大阪や神戸に在留する信徒さんの家族に避難命令を告げられました。連絡がつかなかった信徒さんの家族達は全てその日は別の場所に居て、信徒さんの家族の一人も人的被害を出さなかったがあります。が、その住む室内は被害が出たです。そこは致し方がないなのです。

             

            今回、大阪方面に居を構えておられる霊能力がある方が、大蛇霊から大阪に地震が起きると3日前に告げられたと言われます。この方は信徒を持つ教祖系の霊能者ではないので、そうした内容を世には発信はされていません。しかし、この方の霊能力はスピリチュアルの段階ではないのです。霊界の切った張ったの殺し合いの世界を体験してこられた方です。 

            スピリチュアル系の方は、後出しで大阪に地震が起きたことを騒がれますが、事前にそれを掴んでいたとの情報が聞こえて来ません。自分には大天使が降りて来る。天照大御神様が降りて来る。そうした情報は厭というほどされますが、それほど有名な神霊や大天使が何も伝えずに、自分は大蛇霊ですと正体を明かしている霊の方が正しい情報を伝えたなのです。

             

            私は自分は狐霊です。蛇霊(巳)です。こうした正体を告げる霊は比較的安心だと言っています。そうした名乗りならば何も嘘を出す必要がないからです。なまじ自分を高い存在の神霊に見せようと、大天使とか名だたる神名を名乗る霊は逆に危ないと言えます。

            その霊自身が自分を高い存在に見せる為に嘘を出しているので、言って来る内容に信用がおけなくなるのです。まして、何月何日にアセンションなど言えるはずがないのです。

             

            そうした神霊の実力を知るには、その予言が常に外れない。当たるが要求されます。

             

            阪神淡路大震災でも東日本大震災でも事前にそうした大地震情報を霊界から手に入れておられた霊能者の方は、数は少なくてもおられたようです。

            そこにあるのは、力が強い霊ならば、そうした情報を事前に発信できるなのです。私が出口王仁三郎聖師の様な【予言者】が必要だと言うのは、そうした理由からです。

            世界には有能な予言者が居て、未だ来ていない以前からそうした情報を発信をして、それが現実化した事実は霊界否定論者の学者でも認めざる得ない面があります。どうして未来が予知できるのか?。数々の仮説は出されていますが、未だこれと言った論証は成立していません。

             

            大本教から出された【艮金神国常立尊】は、この金神は初発の時からの神であり、先を見通すことが出来る神と告げられています。また、大本教神諭に告げられたように、三千年前から仕組んできた来た神とは、未来を見通して来た神でないと出来ないのです。お釈迦様もイエスもモーゼも全てその「三千年内」に入るからです。

            だからこそ、大本教の出口王仁三郎聖師が戦前に広島や長崎に新型爆弾が落ちて火の海となり、その後に黒い雨が降ると、そこまで予言が出来たとなります。だが、出口王仁三郎聖師は最後の審判の【火の雨】とは、その程度の規模ではないとも言われています。

            大予言者としての評価が高い出口王仁三郎聖師の予言の中でも、まだ未成就の予言と言えます。核爆発以上のものです。

             

            大本教が告げた艮金神とは、未来を見通す力を持つ神

             

            私は東日本大震災の前、事前地震とされている三陸沖地震(2011.3.9日11:45分)が起きた時、【今、地震が起きた。マグニチュードはM7.2。震度は5弱】と脳裏に出て来ました。慌ててテレビを点けたのですが、何の情報も出て来ません。

            しばらくして、三陸沖で地震があり、マグニチュードM7.2。登米市で震度5弱と出て、その情報そのものは正しかったのですが、これは地震の予知ではなくて単に起きた出来事の情報の伝達にしか過ぎません。

            まさか、これが未曾有の大地震となる東日本大震災(2011.3.11)の前触れとは、その時は想像他に出来なかったと言えます。

             

            大本教の出口王仁三郎聖師はスマホもテレビも無い時代に、今、東京駅で原敬首相が暗殺されたと述べられた時、原敬首相が暗殺された事件がありますが、そうした事柄が起きた時、そうした情報が瞬間にもたらされるはあるのです。しかし、それは【予言】ではありません。予言は未だ起きていない事柄を事前に告げるです。

             

            中国四川省の大地震(2008.5.12日14:28)の前夜、私が就寝しようとすると大地に割れ目が走る光景が見え、これはどこかに大地震が起きると考えていましたところ、朝方に霊感者の方達が体に変調が起きて、どこかに大地震が起きると騒いでおられると連絡が来ました。鳥などが騒いでいる。空気がどことなくおかしいなどです。エネルギー変化の察知です。

            そうした中で、それはこの日本ではなくて【中国】で起きるから、日本には直接関係無いとの声を出された方もありました。霊能者の方ではありませんでしたが、過去世は天使級の魂の方です。そして、昼過ぎに中国四川省において、阪神淡路大震災の20倍〜30倍のエネルギーとされる四川省の大地震が起きたのです。

             

            スマトラ沖の大地震(M9.3)の時、観光客を背に乗せていた観光用の象が山に向かって事前に逃げ、像に乗っていた観光客が助かった事例があります。大本教神諭に動物でも大地震を事前に察知して逃げるのに、人間たるものがそれすら解らないのかの内容がありますが、そうした危険予知の感覚は動物の方が強いと言えます。当然に霊力が強い動物霊も優れています。

             

            人には霊性あれども、ほとんどの人の霊性は退化している

             

            私が伏見稲荷山で所属していた稲荷講の信徒さん達と参拝している時、優秀な霊媒者に懸かった豊川稲荷の眷属の大白狐霊が、講員さん達に【人間の分際で頭が高い】と一喝して来ました。それを聞いていた私は思わず吹き出してしまいましたが、そう言われても仕方がないなのです。信仰が現世御利益中心信仰になっているからです。

            稲荷の行者でも白狐霊にこき使われている行者さんは多数あります。白狐を下郎として使役される行者さんは数が少ないのです。

            蛇霊であれ狐霊であれ、そうした存在から一目も二目もこの方は自分達よりも上の方だと思われている霊能者ならば、そうした地震情報もそうした蛇霊や狐霊からも得られるのだろうと思うしだいです。

             

            これから先、世界各地で火山の噴火。大地震は科学でも予測されています。私自身が過去に霊的に見せられたものは、地球内部の「核」のコントロールの問題で、地球内部のマグマが地上付近に吹き出して来るです。当然に地球内部のマグマの問題であれば、火山の噴火や大地震につながって来ます。

             

            地球の核は人の魂の核の集合されたものと連動しますので、人々が魂の核たる良心神に目覚めない。自己に内在する良心神を軽んじてしまった結果、悔い改めるをしない人間の祈りで、どうにかなる段階ではないのです。もう、全人類が自己に内在する良心神を取り戻すのは難しいかも知れません。だが、自己に内在する良心神に気づいても、私達はそうした自己に内在する良心神を捨てた人達ともこの地球で「一蓮托生」で住みますので、私達はそうした天災からの被害に遭わないように、どう安全な場所に逃げるかなのです。

             

            為には、優れた予知能力による予言が出来る霊能者の登場が必要とはなるのです。

             

             

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            天道別命(モーゼ)でなくて、天路別命(あまじわけのみこと)

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              私はある霊能者の方とお会いしたところ、その霊能者の方は「貴男の前世はモーゼではないのですか?」と尋ねられたことがあります。私は即座に自分の前世に「モーゼ」の時はありませんと否定はしました。そこは私にも解っているのです。ただ、魂の世界では国常立尊様との関係でモーゼとの関連性があるだけです。

              私が子供の頃に臨んで来た霊声は、「私は私であり、旧約聖書の神であり、アブラハムの神であり、そなたの神である」と言って来たことから、それが偽りの神でなければ旧約聖書の神と関連するからです。私は長じて、幾多の霊能者に出会って来たところ、7〜8名の霊能者の方から「貴方の本守護神は国常立尊様です。他に天之御中主様、あるいは閻魔大王」と告げられて、アラーの神も記紀神話の創造神も同じと知ったしだいです。

               

              その霊能者の方は私を見ると、何故か「モーゼ」と思われる姿が貴男から出て来ると言われるのです。

              この日本に自分は「お釈迦様とモーゼとイエス」を出した永遠の仏陀その者だと名乗っておられて、多数の信徒を持っておられる方もありますが、私の様に大本教神諭を基本解説にしている者からすれば、そうした名乗りをすることが正しいのか疑問には感じるところです。何の証拠も出せないからです。霊的世界に関わっていると、何の証拠も出せないから言った者が勝ちが多々あります。

              その人が言っていることが本当なのか?。その【証明】も「反論」も難しいからです。その言葉を信じるか信じないかだけになってしまいます。

               

              私が大本教神諭解説に特化したのは、私が修業中に私の肉体に大本教出口なお開祖と覚しき霊が私に懸かり、それに追随して出口王仁三郎聖師と覚しき霊が懸かり、霊媒通しで出口なお開祖と覚しき霊が【大本教はまな板の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕しだい】と言われたことから、大本教をどう料理するか。そこにあったと言えます。

               

              ただ、私の役割にモーゼのような役割があることは否定しません。モーゼは牛頭の像で知られることから、日本で大本教から出された【牛虎金神・国常立尊】と関係があるのではないかと言われています。仏教で言えばお釈迦様の根本道場たる【祇園精舎】の守護神は【牛頭天王】とされています。私も霊界では【牛頭】の姿の存在だったからです。自分が「牛頭の姿」であった光景を見た時、自分は「牛頭の人」かとがっくりもしましたが、そこから【太一】の言葉に行き着くことも出来ました。

               

              そのモーゼはユダヤ人をエジプトから脱出させて【紅海】を渡らせて、四十年間荒野を彷徨って【カナン】の地に行かせるをしたわけです。これは歴史的な事実と言えます。

              私は大本教神諭予告の九つ花を解読して、人々に今の地球を脱出させる【後悔】を渡らせて、日本語のアイウエオの「四十」の先の「ラの言霊からみろく(369)の良心神」を説いていますが、その行き先はカナンではなく【華南】と出たのです。

              その「華南」とは中国の「華南」省の形式を取りますが、中国そのものではなくて鮮やかな花(華)が一面に咲く南の世界と言う意味です。天国は【お花畑】だと言われるように、美しい花が咲き誇っているからです。天国世界に渡る意味が「カナン」だと考えられるのです。

               

              私が子供の頃に臨んで来た霊声は、【私は私であり、アブラハムの神であり、そなたの神である。旧約聖書の神であり。我の書は旧約聖書であるなれども、旧約聖書の内容は暗号書の様なものであり、旧約聖書をいくら読んでも意味は解けぬ。この日本は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり。この国に満ちあふれている物からその意味を知ることができる】と告げられていました。で、私は旧約聖書の内容はこの日本で紐解けると見て来たのです。

               

              また、私が日本神道の世界に飛び込んで、日本神道とは「旧約聖書」の世界かと感じるところが多々あったのです。ただ、私が見ている世界とは今の人類の歴史ではなく、大本教霊界物語で展開されるような超太古からの引き継ぎなのです。今の世に出ておられる神々では解らない。知らない世界です。

              しかしながら、今の神社に鎮座されている比較的若い神々や諸霊には解らずとも、国常立尊様の御引退劇の当時、国常立尊様の天使(神司)団に所属していたような魂を持った方達が、今の世に少なからず生まれ出ておられます。そうした人達の遙かな記憶の先に超太古のことが出て来るのです。どの方も、今の世の歴史の縄文時代とか弥生時代などとは言いません。遙かなる超太古です。

               

              大本教霊界物語において、モーゼの神は神代の時代には【天道別命(あまじわけのみこと)】と言い、その後に【エリヤの神】として出たとします。「エリヤ」とは旧約聖書に出て来る預言者のことで、ヘブライ語の意味は【ヤハウェ(主)は我が神なり】なりです。

              私は日本語は日本の「国に常に立つ御言(みこと)」と言っています。で、私は【国常立御言は我が神なり】としています。

              ヘブライ語の「ヤハウェ」は、アラビア語で「アッラーフとかアラー」となります。日本語のアイウエオの並びは「ア」の門を出て「ラ」に至るまで四十荒野の彷徨いとなるわけです。

               

              その「あまじわけのみこと」に大本教の出口王仁三郎聖師は【天道別命】の漢字を振られたのですが、私に【天路別命(あまじわけのみこと)】と【道】と【路】違いの漢字が最近になって出て来ました。すると意味が変わって来ます。

              天と路を組み合わせた漢字は存在しません。だが「天」は「雨」に通じます。そこに出て来るのは【露】なのです。大本教霊界物語では「露国の悪神」が出て来ますが、私に出て来たのは【露国への旅立ち】です。私はその「露国」と「ロシアの悪神」とではどう違うのかと首を捻っていたのですが、これは「ロシア(露西亜〉国」に行くという意味ではありませんでした。

               

              露の意味は、暴露や発露で解る様に、露の意味は内部に潜むものが表面に現れる。隠れていることが出来ずにはっきりと目に見えてくる。露見、露呈のこと等です。道は自分とは異なった者達の首を取ってその首を携えて進むであり、路は神霊が天下る道を指します。単に天の道を別れて行くのではなくて、全てが暴露されて天の神の降臨において【各の足】の行く路が別れるなのです。

               

              一部の霊能力者の方達は、既に人類は【二方向】に別れて進んでいると言われます。それが誰の目にも解らないのは、肉体がこの世に一緒に同居しているからです。この世は魂の修業場であり勉学の場なので、悪もこの世では同居を許されています。

               

              元々、人は死ねば世界のどの宗教でも説いて来た【天国と地獄論】で解る様に、「二方向」に別れて行きます。ただ、創造神の慈悲において【輪廻転生】があったので、別に天国界に行かなくても三途の一つ「中有界」からこの世(現界)に差し戻し。地獄界に行ったとしても、ある程度の地獄(霊界の刑務所)生活を経ても人間界に戻すがあったのです。また、天国界からも更なる上の天国界に進むためには、一度この世に出るがありました。

              だが、【輪廻転生】のシステムが終了すれば、人の魂は天国界(みろく世)と地獄界に大別されて、もう地獄界から天国界の路は遮断されてしまうのです。その時をもって、この世で縁をもっていても、天国と地獄との永遠の別れに入ることになります。もう、霊界でも二度と相まみえることもなくなるのです。

               

              みろく世に渡るには【後悔(悔い改める)】が必要なのです

               

              何の【悔い改め】もしない者が天国に行っても、そんな天国はまたもや汚れた世界に成ることぐらい常識があれば解る話です。

              みろく世に行くキップとは、スピリチュアル霊感者が自分勝手に発行出来る様なキップではないのです。また、宇宙人云々ではないのです。

               

              みろく世に渡るキップとは善悪判定の【閻魔(閻羅)大王】が発行するもので、この世の閻魔大王は各自の良心神で【魂の○の中の真柱で円真】なのです。

              ただそれを、大本教の出口王仁三郎聖師は「ニセ型」の第十三の「ス神」論で展開されたなのです。そこに、この大本教に現れた変性女子(出口王仁三郎聖師)はニセ者だ。待っていたならば【みのか尾張の国から誠の女子の尻尾が見えたならば】と、みのか尾張の国から出る第【四十一号線】の路に【良子】の型を告げられたのです。

               

              私の神霊世界の旅は、昭和【五十五】年に私の目の前を真っ暗にして臨む大音響の霊声によって「良子」と呼ぶ女性と知り合い、その女子が大阪の【十三(じゅうそう)】に消えたことから、何故に「良子」は「十三」に消えたのか?。その謎を追いかけのです。

              私が伏見稲荷山で修行中、私の【腹】から男性の太い声で、良子に出会わせると言う稲荷神に対して【何時まで稲荷神に騙されていたならば気が済むのだ!】と私を叱責する声が出て、私は現世御利益主義の稲荷神の元を去り、【言霊】の世界にと転じたのです。そのことによって、十三(ス)に消された【ラ(良)】子の意味が解って来たのです。稲荷では「米」型の言霊の仕組みが解けないなのです。

               

              言霊の世界で知る【米】型は「稲荷」神にはあらず

              【ら】のひら仮名も【ラ】の片仮名も元字は【良】

              良の漢字は【艮の部】で、艮を理解すれば辿り着く

               

              私は霊能者をしている者ではありません。霊的要素は持ちますが、霊能者としては蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊等のこの世を支配している下級霊界に関われる能力がない致命傷を持ちます。ある霊能者の方が、貴方には霊世界で貴方の目になる者。杖になる者が必要だと告げられましたが、そうした人が居ないのです。まるで、手足を持たない【ダルマ】状態なのです。

              私の元に霊的な災いからの相談が持ち込まれますが、私の目には霊が見えないから何も対処も出来ません。しかし、私の目にその原因が何かと見えた時には、その問題は解決します。暴露です。解決が出来た時だけ、私の背後の霊団が見せてくれるからなのです。

               

              私に【天路】別の字が出た以上、霊的世界では【天路別】が出ていると思われますが、それが何時この世に出て来るかは、まだまだ解らないなのです。

              しかしながら、その時が【刻々と近づいて来ている】のは解る者には解るのです。

               

               

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              高い神霊の分魂を持った者は、生まれ出た時から邪神達に狙われている

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                一部の行者間では知られていることですが、高い神霊の分魂を持って生まれた魂は、これでもかこれでもかと【試練】の波が押し寄せるがあります。西洋では、この世での試練は【神からのプレゼント】と呼ばれていますが、その試練によって自分の魂が成長するがあります。しかし、自分がその試練に潰されても誰も責任を取ってくれません。この世に出ると【自己責任】となるからです。

                 

                私が子供の頃、私に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【そなたの役割はとても辛い役なので、他の神の御子には申しつけるわけにも行かず、我が子ゆえにこの神の為に死んで参れと申しつけるなり。その任務を果たさない時は、この私の元に帰って来る必要が無い。地球という星で永遠に輪廻転生をしていなさい】でした。

                 

                私にはその声の主が本当に私の魂の父格たる存在なのかは解りませんが、人間の世界ならば任務を遂行しなければ父の元に帰って来なくてもいいなどと突き放す親はほとんどないでしょう。人間の親ならば我が子の幸せの為に動いてくれるものです。

                ただ、獅子は我が子を千尋の谷底に落として、そこから這い上がる子だけを自分の子と認めるとされていますが、我が「師」たる魂はそんな存在なのかも知れないと考えました。この世に出して、自分で這い上がって来ないような者ならば認められないです。まさにそれは【厳父】的な存在とも言えます。

                 

                どの神から出た高級な魂でもそれが大原則であり、自分はこの世に出してくれと頼んでいないなどの論理は通用しないのです。この世に生まれ出た以上、どんなに辛くても自力でこの世を泳がないといけないのです。

                 

                私は何人かの霊能者の方から、あまり「正義」を振りかざしていると邪神達によって殺されてしまいますよと警告を受けましたが、邪神の攻撃は多々受けて来ましたが、幸いにまだこの世での命脈を保っています。優秀な霊能者の方に見られる人生、あまりの苦しさに自殺を図っても死なせて貰えない。そうなると邪神達に攻撃されたからと言って、その命を簡単に失うこともないとなります。

                しかし、そうした霊能者の警告のように、多くの霊能者がこの世での命を失った事例はあるのです。邪神や悪霊達によって殺されるです。そこに「長い物に巻かれよ」の教えがあります。

                 

                今日まで力が無い多くの神々は、長い物に巻かれてその神に従属するより道がなかったなのです。

                 

                テレビにも出ておられた某霊能者の方を最近見かけません。で、どうしたのかと調べたところ既に亡くなっておられました。まだ若い方でしたが、死因は「心不全」とのことでした。それが悪霊の攻撃によるものかどうかは解りませんが、この方は正義派だったと思われるので邪神や悪霊に殺された可能性はあります。霊の攻撃で死ぬ原因として「心不全」があるからです。

                ある霊能力者の方は、自分に相談に来られた方に憑いている悪霊に殺されかけたと言われます。その相談者がその方の元に相談に行く前に訪れた二人の霊能力者は、その相談者に憑いている悪霊によって殺されていたなのです。

                 

                私の元に悲痛な叫びのメールを送って来られた霊能力者がありました。その方を見た霊能者の方が貴女には○○稲荷の豊受様が守護しておられると告げられたそうですが、自分は許されないことをしました。何人もの方を霊力で殺しました。確かに生半可の霊能者だと太刀打ち出来る方ではないのです。何とか自分を救って貰えませんかです。

                私がその方から聞く内容で判断する限り、その方に豊受姫が憑いていると言った霊能者と称する方は何を見ているのだです。そこで多賀大社に参拝しなさいと言いました。ところが、どうやっても多賀大社に参拝出来ない。自分は多賀大社の神から嫌われていると言われるので、私が行きなさいと言った以上行けますから、勇気を持って参拝しなさいと言ったところ、多賀大社に参拝するとその方から大きな黒蛇が逃げて行く様が本人にも見えたと言われます。お多賀の神の力に抗しきれなかったのでしょう。

                霊能者が指摘した豊受姫の分魂は当たっているようでしたが、その魂が神界に居る時に何等かの過ちでで墜ちてしまったようです。その前身は天女さんとは言えるでした。

                 

                霊力で人を殺すは別に珍しい話ではありません。西洋では黒魔術と称しますが、日本では調伏の名で神仏に頼んで命を取る行者の存在は今も語られています。私も2番目の師匠から死神を送られました。

                 

                私が未だ未熟な頃、ある霊能力者から心臓にグサリと何かが突き刺さる攻撃を受けました。心臓がキリキリと痛むのです。とっさに私の側に居た2番目の師匠が鎮魂帰神の手組を命じたので大事に至りませんでしたが、2番目の師匠が現在地に来る前に住んでいた道場を預かっていた女弟子で、私との面識は無かったのですが私に嫉妬して霊剣で私の心臓を刺したのです。 

                霊能力を持っている人でそうした霊的な攻撃を平気でする人達がいます。人を嫉んだり恨んだりすると、その恨みが霊的な剣や針などに変化して人を攻撃することは解っているのですが、霊能者の場合それを「印」を結んでわざとする人達がいます。為に防御をする印もあり、大本教から出された鎮魂帰神の印はその防御が出来る印なのです。

                 

                この世に関係する霊界の神々とは、全てが正神でありません。邪神もまた多いなのです。神は正義だの論理は通用しません。いくら自分は正義だ!。正義だと振りかざしていても、神力が無ければ邪神の軍門にひれ伏すより道はないのです。

                 

                人が増えると、その肉体に入る魂も当然に増えて来ます。その魂はどこから供給されるのかです。人の肉体に入る魂の大きさとは心臓に宿るので「リンゴ」程度の大きさです。リンゴ程度の大きさの魂が、その魂を分派させるわけには行きません。為に、ある程度大きな魂でないと、魂を分裂させることは出来ません。自己の魂を大きくすると、分魂を出せるなのです。ですから、そこに人は高い神霊からの分魂(四魂)とされるがあります。

                 

                人は高い神霊から分派された魂なので、そこに【正守護神】【本守護神】の論理が出るのです。で、元の神の世界に帰ることも出来るなのです。帰れなくなって輪廻転生です。

                 

                そこに出て来るのが、大きなコップの水とスポイトの一滴の論理です。この世に出ている私達の魂はスポイトの一滴であっても、本体はコップの水ほどの大きさがあるなのです。そこに、コップ本体たる【本守護神】の存在が説かれるのです。私の魂の本体の大きさは別として、この世に出た私はスポイトの一滴の様な存在にしか過ぎません。ですから、

                 

                自分はいと小さき者と言います

                 

                スポイトの一滴として出された自分が、どうなったところで本体には響きません。どれほど高い魂から出された分魂でも、この世の大海を自力で泳ぎ、自らが魂として成長してコップ本体に戻らないとコップの水は増えないし、コップ自身も大きくならないなのです。

                 

                自分は高い魂から出たなどの主張は、この世に出た以上は通らないのです

                人は誰しも一からのスタートであり

                この世で自分は何をしたか、何を学んだかが問われるのです

                 

                私は最初に豊受姫のお代をされていた師匠に師事しました。その師匠によれば、その師匠の魂は豊受姫の分魂では無いとのことでしたが、この世にはその豊受姫の分魂たる存在は百名程度は居ると言います。そうした中で、豊受姫の分魂で和魂を持つ筆頭格と思われる女性がいました。最初の師匠はその女子を見て待ちに待った女子だと言います。

                私は一時期、この女子が大本教の出口王仁三郎聖師が予告された【みのか尾張の国から出る誠の女子】かと思ったことがあります。

                 

                一つに大本教のみろく神殿で、出口王仁三郎聖師と思われる霊がその女子をみろく殿の祭壇に引っ張って行こうとしたからです。その時、もう一人豊受姫の分魂の持ち主ともされる女性も居ましたが、そちらの方は引っ張られなかったのです。

                そしてもう一つには、大本教からは告げられていませんが、優秀な霊能者の中では言われているある出来事に関わっておられたからです。

                しかし、最初の師匠は豊受姫が自分の分魂を持つ肉体の一人でありながら、その女子は肉体の自我があまりにも強いので神業が出来ないと告げられたのです。だとすれば、大本教の仕組みは最初からそうしたことは織り込み済みともなります。大本教の出口王仁三郎聖師すら本当のことは知らずに、神の世界の舞台を演じられたか!。です。

                そこにあるのは、私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声が、【この神が書いた舞台の筋書きは、どの神々も神の舞台を演じる役者も知らない。この私だけが知っている。全ての舞台が終われば、神々も人民もこの神に拍手喝采である】と告げられたことです。

                 

                この女子の本守護神は伊弉冉様で、その魂を見た岡山の霊能者がこんな存在はあり得ないと言ったそうですが、豊受姫のお代をしていた最初の師匠は、他にも同様の組み合わせの魂の持ち主は数名は存在すると言います。だが、同時にこの人は潰れると言います。それはあまりにも肉体の自我が強かったからです。

                しかし、最初の師匠はその肉体の自我の強さは、もしもそうでなかったならばこの人は既に邪神達によって殺されていたなのです。この世に出た高い神の分魂がこの世を生き抜く為には、邪神から見てもこれだけ自我が強いと世には出られないと判断することで、その命を保つたなのです。天界がこの世に高い神の分魂を人に降ろすことは、非常に困難な作業とも言えるのです。

                 

                イエスは四十日間荒野を彷徨って悪魔を退けて、「四十一」日目に神の子となったとされますが、高い世界から降り立つ魂とは、自分は高い神だと言うことではなくて、悪魔や邪神と対峙する覚悟が定まっていないといけないのです。悪魔や邪神に負けるようではその任務が果たせないとなるのです。

                だが、肉体の自我があまりにも強く成りすぎると、その分魂を出した神霊そのものにもコントロールが出来なくなってしまうなのです。その時には、その分魂は本体たる神の元には帰結出来ないなのです。

                 

                高い魂の分魂をこの世に降ろすと、それを邪神達が見張っていて、その分魂を自分達の仲間に取り入れるか、取り入れることが出来ないと見れば殺すがあります。つまりその存在は邪神達に見つかってはならないのです。

                今の神霊世界は数は力なりと力が強い者が勝つで、その覇権を競うがあります。キリスト教などはキリスト教と言ってしまえば一枚ですが、カトリックとプロテスタントの二派に大別されて国家戦争もし、さらに何々派と呼ばれる派は1000派以上あるとされています。イスラム教でもシーア派とスンニ派に大別されて争い、また数多くの派があるわけです。

                それらの派の争いは創造神が起こしているのではなくて、聖職者と呼ばれる肉体の存在に懸かっている霊達が、自分達が起こした派の制覇を狙っているからなのです。

                 

                西洋やイスラム教の様な世界宗教においても、唯一神を言いながら、実体は宗教家の覇権派閥争いの中にあるのであって、誰が本当に正しいのか解らない状態ではあるのです。

                為には自分の力を世間に見せる為に、そのお代や配下となる霊能者を物色するがあります。自分に霊能力が備わっていると、そうした神霊達から狙われるのです。そうした霊能力を持つ魂は、子供の時から邪神界に目を付けられていて、大人になれば自分達の陣営に取り込む作戦が行われます。

                 

                一部の霊能者の間では、霊界マッチポンプが知られています。自分達がその人を不幸にさせて助けて信頼を勝ち取るです。悪質な霊能者は自分の手元に霊媒質者を置いて、相談者の汚れた物や病気となる因を自分で取るのではなくて霊媒質者に転送してしまうです。

                私自身は悪意からではないのですが、後に弁天様のお代と成られた方から瀧場で何体かの水子霊を転送されたがあります。後に弁天さんのお代に成られた方は、その瀧場に居た伏見稲荷講の支部講員さん達が持つ数体の水子霊に懸かられて、そのあまりの苦しさから瀧を受けていた私ならば大丈夫だと思って私に水子霊を転送されたのであり、別に悪意があっての話ではありませんでした。その方が私ならば大丈夫だと思われたように、私にとっては別にどうということはありませんでした。

                その時のことは、私のHPの「貴方の知らない伏見稲荷山」には書いていますが、最初の師匠のみならず、瀧場に居た優秀な霊媒者達も見ていた事実です。その様に霊を他の霊媒質者に転送は霊能者には出来るのです。癌ですら霊媒質者に転送が出来ることは解っています。為に悪質な霊能者の間では、優秀な霊媒質者は取り合いになるのです。

                 

                邪神達にとって一番欲しいのはそうした優秀な霊媒質者ではなくて、肉体の本人が意識しているか意識していないかは解りませんが、人の汚れを他人に押しつけることが出来る転送能力を持つ霊能力者です。霊の転送者です。他人に念を飛ばす霊能者です。

                霊媒質の方達の中には、スピリチュアルのセミナーなどに参加して蛇霊を着けられたの被害報告が多々ありますが、実体を知らないで霊的世界に興味を持つと、被害者になりかねないのです。

                一部の正しい霊能者の方の中には、スピリチュアルや新興宗教のセミナーなどに行き、蛇霊を着けられたような霊媒質者を救済している方もありますが、逆に霊力が強い新興宗教の教祖様に縛られてしまうなどもあるのです。

                 

                一流の霊能者達が正神と邪神の見分けは一般の人には無理だと言いますが、邪神はバイ菌で描かれるような絵姿ではないのです。時には光輝き、絢爛豪華な衣装に身をまとっています。単に霊が見えたでは見分けが出来ません。為に光の存在に欺される霊感者も後を絶ちません。光とは「エネルギー」なので正神とか邪神でなく【霊力】があれば光は出て来るのです。

                ある小さな宗教団体の教祖様は、太陽そのものだと崇められていましたが、その太陽とは少し高次元界の龍神でした。五次元界程度の霊能力者ではその龍神の光を太陽と間違えてしまいます。光に騙されるです。

                 

                ただ言えることは、本物の霊能者は他の人に汚れた霊物を送らない。転送しないで自己の肉体に備わった浄化能力や法力をもって浄霊してしまうなのです。私は二番目の師匠の元に居る時、その師匠からおまえは【霊界の歩くバキュームカー】とあだ名を付けられましたが、私には霊能者の様に霊を見るとか会話するは出来ませんが、霊界の掃除屋たる浄霊能力は強いのです。

                邪神達の狙いは自分達の勢力の拡大であり、霊界の覇権争いに加わることです。その為には自分のお代が出来る霊能者は神々の中で取り合いとなります。私も一時期はそうした神々の取り合いの中に置かれた者ですから知っているのです。だが、私は下の霊界が見えない致命傷があったので、そうした霊能者には成らなかっただけと言えます。

                 

                高い神の分魂でこの世に出て、自分に押し寄せて来る社会の荒波たる環境の元での試練に耐えかねて、一時はぐれたり悪に走ってしまうがあります。それは【悔い改める】に入れば、過去のことは巨悪をしていなければ浄化されるのです。それまでの間は邪神達に狙われていたからです。

                 

                自己の魂の中に【良心神】が備わって来れば、もう【鬼に金棒】なのです

                 

                良心神が確立出来ていれば、邪神に取れ込まれることはないのです。だが、良心神に目覚める前に邪神に取り込まれてしまいますと、自分の目が曇って行きます。何を忠告しても反対に行ってしまいます。悪く取ってしまいます。それを脱却出来るのも自己の魂の内の良心神しだいなのです。

                 

                私はある意味、霊能者は「因果な商売だ」と言います。普通の人には神霊や霊は見えません。宗教家とされる牧師や僧侶や神主でも一部の方を除いて神仏の存在は見えておられません。その人の目には見えない世界を見て、神仏の世界の存在を多くの人に知らせむのは並大抵の苦労ではないのです。

                特に高い神霊から分魂として出された魂は、人より多くの試練を受けて自己の魂を磨かなくてはなりません。自分は高い神なのだ!。ではなくて、自分は邪神の罠にはまったのではないかと、より自己研鑽を積まないと行けないのです。

                 

                 

                 

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                悪が世の表に出て来る背景に、外在神から内在神に切り替わる時節の変化を見る

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                  最近、権力によって封じ込められていた悪事が世の表に次々と出て来るようになって来ました。これでもか、これでもかです。これまでは臭い物には蓋をせよで、権力による悪事が世の表に出て来るなどはほとんどなかったはずなのです。

                  検事や刑事物のドラマなどでは、一線の検事や刑事が権力の不正を暴こうとすると上層部の圧力で捜査が止められてしまうなどが出て来ますが、権力の上層部が腐っている為にどうにも出来ないが現状ではあったのです。もみ消されて来たのです。

                  仮にそうした悪事が世の表に出てきても、それらは氷山の一角でしかなかったのです。その大部分は隠れていました。俗に言う、【悪い奴ほど、よく眠る】です。悪い奴ほどよく眠るは、政治の世界や官庁における悪事が世の表に出る前に下の者が自殺して、上の権力者は常に安泰であるの意味です。黒澤映画の題材で知られた言葉です。

                   

                  この世の権力の表舞台に立つ人には、その本人の努力は当然にありますが、努力だけでは権力の上層部には立てません。その人の背後にいる霊的存在の霊力も加味されていたのです。すなわち力が強い守護神を持つ人達です。

                  この世では真正直と言うか正しい行いの人はまず社会の上には立てませんでした。正直者はバカを見るです。霊的に言えば、その背後の守護神の霊的力が弱いのです。この世から正義が消えた背景として、正義派の神達は霊力が弱かった。自分が生きて行く為には霊力がある悪神に従わざる得なかったがあります。つまり「長い物」には巻かれろです。 

                  自分の背後の守護神・守護霊の霊力が強い方は、この世では【幸運】に恵まれます。しかし、そこには力の強い物が力の弱い物から【搾取】する力も働いて来たのです。俗に言う【弱肉強食】の獣の論理です。

                   

                  この世で上にあがるには、それなりの神霊の守護力があり

                  人も守護神(霊)も権力の仕組みに飲み込まれる

                   

                  俗に言う【正義は常に勝つ】のお題目は、お題目倒れをしていたのです。

                   

                  但し、それは【物語の終わりの時には必ず正義が勝つ】なのです。例えば、映画やテレビで「水戸黄門」がありましたが、その一話の終わりの時は水戸黄門の印籠で正しき者が勝つでした。それがお決まりの定番です。常に正義が勝つためには物語の終わりの時を待たねばならないがあるのです。しかしながら、印籠程度に悪が平伏するなどはあり得ません。逆に返り討ちです。

                   

                  私は今から十数年前、非常に優秀な霊能力を持たれた女性から忠告を受けました。その方の私に対する忠告とは、「自分はこれまで正義を貫いてきた霊能者の方達が邪神に刃向かって殺されて来た事例を幾つも見ました。貴方も邪神達と折り合わないと殺されてしまいます」と言われます。それに対する私の返事は、「私は悪の世で生きながらえようとは考えない」です。

                   

                  私は子供の頃、小学校の担任教師から言われました。「貴方はあまりにも社会正義の力が強く、それではこの社会では生きていけない。もっと周囲に折れないといけない」でした。それが人としてこの世で生きて行く為の「知恵」だと言いました。

                  大本教から【世の大立替論】が出た背景には、宇宙創造神である天帝たる神が最後の決断をくだされた。その前に出来るだけ多くの人も悪も救う為の教えが出たなのです。

                   

                  私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいました。しかし、本当にそれだけの神が私の背後に居るのであれば、世の底辺で埋もれているのも変な話なのです。そこにあるのは「終わりの日を待つ」でした。

                  私を見た霊能者の中で7〜8名の霊能者の方から、貴方の本守護神は「国常立尊」様であるとの指摘を受けましたが、旧約聖書の神と称する声は、【そなたには何の力も与えない。そなたにこの私の力を与える時は最後の最後の時である】と告げられました。

                  私がこの世を去る直前に神の力を与えるでは、【空手形】を発行されたようなものです。何の担保も保証もありません。この世を去る直前になって、何の力も無く、私も神霊の「嘘」の言葉に欺されていたのかとこの世を去るような話です。

                   

                  だとしても、ここまで仕組まれた言葉の仕組み。今の世に出ておられる神達には出来ない作業であり、多くの人達に早く目を覚まして欲しいが私の願いと言えます。

                  スピリチュアル系の方達に「良心」神を話しても、良心神など教えて貰わなくても結構と返されてしまいます。良心の大切さを知ろうとせず、愛の一点張りを言うだけなのです。それでは誰がこんな仕組みをされたのか?。そこに辿り着く叡智が出て来ません。

                   

                  私が子供の時に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【そなたはナザレのイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えて行け】でした。その時には【愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えて行け】の意味が解りませんでしたが、今は愛の教えの恐ろしさをヒシヒシと感じます。愛の教えで自分の魂の中の【良心神】を見失うです。

                   

                  世に出ている神々には天帝の分魂たる【良心神】は存在しません。良心神は人の身にある者に内在するからです。人に内在する良心神では、世に出ておられる神々からの応援は期待出来ません。その意味では、私も何の神の助けも無いような状態の者には近いのです。世の多くの人達と同じ様な状況下ではあるのです。

                   

                  旧約聖書の神と称する声は、【そなたを社会の底辺に置く。そなたは社会の底辺でウジ虫の如く這ってでも生きよ。その社会の底辺で「人の心の在り方」に関して学べ】と命令されたのです。その人の心の在り方から、人に内在する「良心」の大切さを学んだと言えます。

                  もし、私も恵まれた環境に育っていれば、私は【人に内在する良心神】に至ったかと言えば、至らなかったと言えます。苦しい辛い環境の中でこそ、本当の人の【真心】に触れたと言えます。その真心とは良心でした。真の人は社会の底辺に多いからです。

                  イエスは「金持ちが天国に至るのは針の穴の中をラクダを通すようなものだ。幸いなるかな貧乏人」と言いましたが、私は意味の説明が言葉足らずだと言います。貧乏人だから天国に行くのではなくて、社会の底辺に真の人が多いから、そうした真の人達には天国の門が開くなのです。貧乏人が条件とはなっていないなのです。

                   

                  私は修業時代、霊能者から殺してやるの攻撃を幾度か受けました。また、黒龍神の軍団の攻撃も受けて来ました。そうした時だけは天から助けて貰いましたが、別に何神様に仕官するするではありません。普段の生活が幸運だったではありません。

                  私の任務は、旧約聖書の神と称する声が私に告げた。【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなたはその仕組みを見て人々に告げなさい】と言われたことが、大本教神諭予告の【九つ花】による日本語の言葉の仕組みだったので、それをを愚直に伝えているだけです。

                   

                  私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【私はこの世の幕を引いて終わらせる。その時期が何時かは言えないが、そなたはその最後の日を見届ける。その日が何時かは、この世をよく見ておれば自ずから解る】と告げられたのです。

                  その時期とは、これまでの外在神頼りから自己の内在神に切り替わる頃です。これまで活動をされていた外在神の力が弱まり、それらの外在神ではなく、自己の内在神(良心神)の力が試される時節と言えます。

                   

                  自分の良心神が、自分を助けるです

                   

                  先日、日大のアメフト問題がありました。加害者であった20歳の青年は自己の良心に基づいて、とても20歳とは思えない立派な会見をしてくれました。彼は加害者であり、一方では強制された被害者です。誰もが彼が嘘を言っていないと解りました。彼は自分の良心神を取り戻したのです。【悔い改める】と人の良心神は戻るのです。

                  彼の魂の点数は、スピリチュアルに惚けている人達よりも遙かに高いものとなりました。スピリチュアルに惚けて、何神様と出会ったと言っていて、自己の魂の点数をどんどん下げて行く。そんな時間の余裕はさほど無いはずなのです。

                   

                   

                  私は二度ばかり、ブログで下記の図を出しました。 

                   

                   

                   

                  みろく世に渡るのは「自己の内在神たる良心」を持つ人達です。旧来線は今日までの神である外在神に頼って、自己の内在神を疎かにして来た人達の線路です。

                   

                  それは自己の意識が外在神を頼りにするのではなく

                  自己の内在神の存在に芽生える

                   

                  つまり、自己に内在する良心神に向かった人達と旧来の外在神頼りの人達では、未来の行く先が違って来るのです。

                  これが【二線(2000)】に別れる意味で、その分岐点たるポイントのことを「1999」と言っただけのことにしか過ぎません。別に西暦「1999」年の意味が過ぎ去ったではないのです。

                   

                  最終の1999は、恐怖の宇宙大王(天之峰火夫皇大御神)が天下った時のことです

                   

                  大本教では、1000と999の違いで1000の勝ちと表現しました。千分の一の違いとは何だったかです。割分厘で【一厘】の違いです。恐怖の宇宙大王(天之峰火夫皇大御神)が地上に降り立つ時、それが人類にとって最後の別れの時と言えます。

                   

                  大本教で出した【一厘の違い】は、未来に向かって行く線が違って来るなのです

                   

                  この【天之峰火夫皇大御神】は日本の記紀神話には登場して来ません。大本教で初めて世に明らかにされた神名です。この神の働きは【天の龍神軍団】の統括です。それがどうして言えるのかと言えますと、【峰】の字にその意味が隠されているからです。これから向かう未来は「7(質)」の世を終えて永遠(∞)の「8(蜂)」の世だからです。 蜂は8の字型に飛ぶからハチです。

                   

                  人類はこれまで初めで終わりの創造神など見たことなどないのです。

                   

                  人類が未だ見ぬ創造神に【逢】うが【別れの初めなり】

                  999(くくく)の路線に行くと、火の災いが降りかかる

                   

                  私が説いて来た「人に内在する良心神」の教えを読まれた方達の中には、自分が多くの人達と新幹線に乗る夢を見られた方達もあります。そうした人達の魂はみろく世に渡る自己の魂を見られたとも言えます。 新しい世に行く人の夢には、飛行機もあれば新幹線の夢もありますし、みろく丸と言う名の船も夢に出て来るでしょう。

                   

                   

                  最近、変な事件が報道されて来ました。例えば、携帯電話を買いに来た27歳の女性が身分証明書を持って来ていなかったので購入を断られると、店員の尻を蹴ったとか。うどん店でスープを飲んで足りなくなったのでスープを足してくれと言ったら、店主に断られたので暴行したとか、すぐに切れてしまう人が増えて来ています。

                  そうした方達は、自己の魂の中に良心と呼ばれる神が存在していないのです。普通ならば、そうした人を守護しているところの霊が押さえるべきことも、自分の魂の中で内在たる「良心神」に切り替わりつつあるので、自己の魂に良心神が備わっていない人はすぐにそうした切れ方をするとなります。

                   

                  明らかに【選別(線別)】の状態に入って来ているのです 

                  貴方は、永遠の嬉し嬉しの未来の世に行きますか

                  それとも、旧来線のままで泥世界に行くのですか

                   

                  大本教神諭は、ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にする仕組みと言いました。それは旧来線のままに行けば、やがて人類は泥海の世に向かうことが創造神段階の神には解っているからなのです。

                  このユダヤの悪鬼とは、今の人類の世の時代の話ではありません。今の人類以前からの話なのです。

                   

                  スピリチュアルの世界では、よく「サナトクマーラ」が言われます。サナト・クマーラとは、近代の西洋神智学では1850万年前に金星から地球に降り立った創造神とされます。この「クマーラ」が日本では「鞍馬」となって、日本の鞍馬山に今から650万年前に金星から降り立った「魔王尊・尊天」とも呼ばれています。

                  実際問題として、この地球に降り立った「クマーラ」が1850万年前のことだったのか650万年前のことだったのかは私には解りません。しかし、大本教で出した【国常立尊】がその存在であるということは読めるわけです。為に一部の霊能者の方達は、国常立尊は鞍馬山の大天狗だと言われる方達もあるわけです。

                  私がこれまでに自分の霊眼で見て来た霊で、一番神々しかったのは【鞍馬山の大天狗】たる存在でした。だが鞍馬山の大天狗=国常立尊ではないのです。

                   

                  大本教はウシトラ金神・国常立尊は今から約【三十五万年】前に地球神界の表舞台から退かれたとしました。つまり、ユダヤの悪鬼とは今の世の時代の話をしているのではないのです。しかしながら、その鞍馬山の秘伝は【牛若丸】にもたらされるなのです。それは神界の「型」として演じられたわけです。

                  大本教の出口王仁三郎聖師が、【救世主は源日出雄】と名乗って【蒙古】に渡られたのは、そこに「型」があったからと言えます。源義経(牛若丸)が蒙古に渡って【ジンギスカン(成吉思汗)】になったという伝承の型の演技です。 ただ、巷には自分の前世は源義経であったと言う方は少なからず居られます。

                  大本教の出口王仁三郎聖師がその名乗りを【源日出雄】とされたのは、そうした自分の前世が【源義経】だと名乗る人達のことではありませんよなのです。【源日出雄】の意味を理解せずに自分の前世は源義経と名乗る霊能者は曲津神なのです。

                   

                  私自身は、そのユダヤの悪鬼達と超太古の時代に戦って来た記憶を保持しています。但し、私は倒された方です。それは縄文とか弥生時代と言う現代の歴史の時代のことではありません。

                   

                  私が解いた大本教神諭予告【九つ花】の仕組みは「ラ」の言霊を真ん中に置く仕組みです。それも「九真ラ」なのです。 また「九ラ真」です。

                  私達が見ている太陽をも含む地球神界で起きた出来事とは、今の私達人類が知る歴史上の話ではないのです。太古も太古の超太古の時代のことなのです。豊受姫は、その超太古の神達を今の世の神達ではないと告げられました。当然、私達はそんな超太古の神々を知ることもなく、その時の神界の出来事をも知らないのです。

                   

                   

                  自分はすぐに切れる。不満ばかり。常にいらついている。妬み。すぐに拗ねる。そうした症状があるならば、即座に自分の性格を改めるでないといけないのです。もう、外在神頼りでは先には進めなくなるからです。

                   

                  最後の審判たる別れの時、

                  【神は愛だから何をしても赦してくださる】は一切通じないと心得るべき

                  魂の【円真(閻魔)】の裁きは、愛で赦すでなく各自の「良心神」を判定

                  何時まで経っても解らない人達に用意されているのは旧来の線で泥海世界

                   

                   

                   

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                  神は何でも知っていると言うけれども?。蜘蛛の巣インターネットも出来ない神霊

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                    俗に【神は何でも知っている。解っている】と言われています。私は神霊世界の修業に入った当時、豊受姫のお代であった方を師匠として仰ぎました。この豊受姫は阪神淡路大震災や普賢岳爆発を事前に言われたり、隠し事がまったく通らないがありました。あるゆる意味で自分がした行為を全て見抜かれているのです。ですから、私は神霊の前では隠し事はしません。隠したところで暴露されるからです。 

                    私がその豊受姫の神から学んだことは、力がある神霊は100%は無理でも、先まで見通していて、その前で嘘の言葉を出しても見破られているでした。ただ、それを相談者に告げるお代さんはピンキリで、ピン的なお代さんでないと何も解らないなのです。神霊のお代をする方しだいなのです。

                     

                    優秀な霊能者の前では、変な隠し事をしても全て見抜かれていると言われていますが、確かにそうしたことがあります。その背後の神霊は見ているからです。

                    しかし、自分は神霊が見える。神霊と会話すると言われる方の背後の神霊が全てを見通すだけの存在かと言えば違います。確かに、その方には見える霊との会話は出来るのでしょうが、その霊が告げる内容がまったく当たっていないがあるのです。

                    つまり霊が見える。霊と会話すると言っていても、【限られたゾーン】としか自分が交信していないことの理解に達していない方が多いと言えます。それが本当に神と呼ばれる存在なのか、蛇霊狐霊狸霊と呼ばれる様な霊が神霊に化けているかもなのです。

                     

                    私の元に大本教の出口王仁三郎聖師が予告された【みのか尾張の国から誠の女子】だと称する方からメールが来ました。そうした方は他にも幾人もありました。 どの方も、自分がその該当者だと○○大神から自分に降りたからで、優秀な霊能者に自分にそうした霊が降りているのか「サニワ」を受けられた節が見られません。単なる霊感者程度ではニセ神は見破れないのです。

                    大本教霊界物語第十三巻【信天翁(アホウドリ)】において、この大本教に現れた変性女子(出口王仁三郎聖師)はニセ者だ。待っていたならば「みのか尾張の国の中から誠の女子が現れる」となるのですが、文の終わりの部分にそれを自分の事と思うのは曲津神とはっきりと記されています。

                    その意味は肉体を持った人の身のことではないと記されているのです。大本教で出された「ス」神論の理解がまったく出来ていないとなるのです。

                     

                    私はその方に「みのか尾張の国から誠の女子」とは貴女のことではないですがと返答したのですが、三輪大神、豊受姫の神様がそう言っておられますで、その主張を曲げられませんでした。

                    で、それらの神々から何月何日に東京直下型大地震。それが外れると何月何日に東海沖大地震。それも外れると何月何日に天から隕石の雨でこの世は終わる。それが外れても、そうしたことをメールで送って来られます。

                    私はそれに対して、どうして神示が外れるのか自分の背後の霊に尋ねなさいと返したのですが、それには無しのつぶてでした。その方に背後に居る霊は、私のことを【筆頭厳霊】だと言い。その女子が本物だとの私のお墨付きを得たいと言うことのようです。

                     

                    三輪大神、豊受姫様等からの神示と言って、ブログの世界で何十万ものアクセス数があれば世にそれなりの影響力も起きます。その方のブログに関して私のブログの読者からも幾つもの問い合わせのメールをいただくのですが、いくら三輪大神や豊受姫からの神示だと言われても、何一つ当たりもしない神示を出しているでは無意味なのです。だが、それが今のスピリチュアル世界の現状なのです。

                     

                    この何十万以上のアクセスがあるブログ主は、この五月五日でその方を含めて28人がこの世たる三次元世界から消える。自分はこの世から消えるので自分が書いて来たブログは、五月六日に豊受姫がブログを消滅させる。貴方のブログも五月十四日を最後にしてくださいと豊受姫の命令ですとメールを送って来られましたが、私が師事した豊受姫と貴方の豊受姫とは別の存在のようですと返答させて貰いました。だが、五月六日を過ぎてもそのブログは消えてはおりません。

                    五月五日には消えずに、次は七月七日に自分達は消えると言ってこられると思っていましたら、次は七月七日だと発信されます。そして七月七日になれば、次は九月九日か十月十日と言われるでしょう。

                     

                    その方を指導しているのは豊受姫や大国主命や三輪大神や菊理姫とのことですが、私は霊能者をしている者ではありませんので、その方の背後の霊が私に見えない限り、頭から貴女は欺されているだけですとは言いません。が、この豊受姫は私の本当の名前をご存じないことが解りました。

                    私は自分のメールアドレスはHPでは開示しています。その場から私に質問などのメールは届きます。しかし、私はヤフーの掲示板の輪廻転生の投稿版では「天典」と名乗り、ブログでは「上野公園」から「神之公園」として名乗っていますが、本名を明らかにしていません。それは私は別に宗教開祖を志している者ではなく、霊能者の様な霊能力も持ちませんから霊能者で金儲けでなく、単に「市井(しせい)の人」として暮らしたいからです。別に地位も名誉も欲していないからです。

                     

                    その【みの尾張の国から誠の女子】と称している方は、その豊受姫から聞かされている私の名前のイニシャル名が完全に違っていることが解りました。私が4年間に渡り伏見稲荷山での修業のお世話になった豊受姫が、私の本名を知らないなどはあり得ないわけです。また私の家の神棚には、伏見稲荷大社からの勧請した豊受姫の御魂も祀られています。自分が鎮座した家主の名を間違える豊受姫などもあり得ないはずなのです。

                    私は霊能者をしていませんので霊と会話はしませんが、私が師事した最初の師匠ほどの霊能者であれば、私の家の祭壇でそうした神霊との会話は不可能ではありません。その実力が試される祭壇ではあるのです。ある人気ブロガーの方は私の家に二度来られて、その祭壇で白狐霊と会話をされていました。

                     

                    私に自分は「国常立尊」様の取次と称される男性からメールが来まして、貴男の名前は「何某何某」さんですねと言って来られました。国常立尊様がその名前を言っておられますとのことですが、まったく違う名前です。まったく違いますよと返答したところ、それ以後は何も言って来られませんでした。

                    自分に臨んでいる「国常立尊」と称する霊が本物かどうかを自ら確かめようとされたのです。告げられた名前が違っていれば、自分に臨んで来た国常立尊と称する霊は嘘の名前を告げたで本物でないと解るからです。

                     

                    私は霊能者の方から質問が来ましたら、私には霊的なことは解りませんが自分で「サニワ」をしてくださいと、その神霊にぶつける質問内容を返します。すると、その方には霊と会話する能力があるので、その質問で神霊の嘘がばれて自分が本当は何者かの白状にもつながって来ます。「サニワ」の重要性です。

                    神霊達は取次者が賢くなるのを恐れるのは、その神示に疑問を持たれると自分の正体がバレてしまうからです。

                     

                    本当に国常立尊とか豊受姫である霊ならば、基本中の基本である人の名前を間違えるなどの過ちは犯さないでしょう。そうした人達は霊が見える。霊と会話する能力はあっても、その方の背後に居る霊は人を間違えてしまう能力しかないとなります。

                    私は幾人もの優秀な霊能者に接して来ましたが、とても優秀な霊能者とは言えない自称霊能者も多数おられます。そうした自称霊能者が集まって見る霊判断とは、ほとんど正しく無いが私の見解です。神界の構造すら理解していないなのです。

                     

                    今の神霊世界は数は力なりで、例えそれがニセ者の神たる存在であっても、何十万人の信徒を抱える教団にもなるからです。 この日本に「天照大御神」を祭神とする教団は多数あります。しかし、それらの教団に横のつながりはありません。当方は【本物】ですが、他の教団は【ニセ神】の論議だけです。それぞれの教団の御祭神で天照大御神と名乗っている存在は、それぞれが別物だからです。

                     

                    私が神霊世界の修業に入った時にお世話になった伏見稲荷講社の支部には、その支部長たる師匠の下に、二人の扱い所長がおられました。一人は九州。一人は山口県で、二人とも伏見稲荷大社から教師としての免状を受けておられて教会を運営されていました。

                    伏見稲荷大社は神社本庁には所属せず、神社本庁が発行する神主資格では教師を務めることが出来ません。神社本庁の神主資格を持っている神社の宮司でも、伏見稲荷講社の支部長に成るには伏見大社からの発行される神主資格を別途必要としていました。

                    伏見稲荷講に所属する講員数が多い教会は支部であり、講員数が少ない教会は扱い所です。扱い所は扱い所として独立したものもあれば、大きな支部の中に入っている扱い所もあるなのです。大きな支部の支部長ほど、伏見稲荷大社に対しての対外的力を持つ関係からです。

                    その二人の扱い所長さんは、若い頃に伏見稲荷大社講の教師養成講座で知り合って、豊受姫のお代であった師匠の卓越した霊能力を見て、その弟子を懇願されたのですが、弟子は持たない主義の師匠の仲間としてその傘下に入られたなのです。そして独自に講員さん達を持ち教会長をされているです。

                     

                    その九州の扱い所長さんが病気で入院された時、その扱い所長さんの病床に一人の僧侶が花束を持って見舞いに来られたそうです。だが、その扱い所長さんは、その僧侶さんは知らない人で面識が無い。どうして、自分に見舞いの花束を持って来てくださったのかと不審に思って尋ねたところ、意外な答えだったのです。

                    その僧侶さんが住職をしているお寺の御本尊が、どこどこの病院に何々と申す者が入院しているので、この仏からと言って見舞いの花束を贈るようにと告げられたので、御本尊に代わって自分がお見舞いの花束を届けに来ましたと告げられたのです。だが、その扱い所長さんはその寺院のことさえよく知らないで面食らったと言われます。

                    この僧侶の方は、その寺院の御本尊と会話が出来る霊能力を持たれた方で、その寺院の御本尊たる仏霊は、その扱い所長さんの本名も入院先の病院名も正しく告げられたなのです。それが霊的世界における本当の情報網なのです。別に不思議ではなく、本当の霊能者ならば普通のことです。

                     

                    霊界では情報がダダ漏れ状態で流れます

                    この世に関わる霊界は蜘蛛の巣ネットワークで、インターネット回線を通じても霊は出て来ます

                     

                    私が現在住む土地は「元出雲屋敷」とも言われていて、私がそのことを知らない当時、私の前に大国主命様が大黒天姿や伏見稲荷山では権太夫と呼ばれる姿で私の前に出て来られることに関して意味が解りませんでした。

                    だが、当時は豊受姫からの命令として、如何なる神も豊受姫の許可が無い限り、私と直接会話をしてはならないと神界命令が発布されたと最初の師匠が言っておりました。いろんな神霊が私に語りに来て、私が混乱を起こさない為の処置であったようです。

                    いろんな神霊が出て来ていろんな事を言えば、人は誰の言葉を聞いたらいいのかと混乱します。為に通常はその人を指導する神霊は主神となる神霊が定まる迄の期間だけなのです。当時、私の場合は本守護神は国常立尊様であると解っていても、誰が私の主神となるのかは定まらなかったのです。

                    私が【神人合一】論などを打ち出したのは、私の「正守護神」が解って来てからなのです。その正守護神が私に言葉の解読の力を与えたのです。それは外からの神ではなくて、私の魂の本体。前世の私からです。

                     

                    私が大国主命様と直接に会話をしないからと言って、自分に出て来る大国主命様が一番上の大国主命様だと思うと大きな過ちを犯します。ある行者さんの説では、世に大国主命と名乗る霊は万体あると言われますが、大国主命と名乗る霊の数が多いのは確かでしょう。

                    私が出雲大社教の教師の元に行った時、出雲大社から私への伝言があり、その神示を聞かれた出雲大社教の教師さんはあり得ない神示だと言われましたが、考えられない神示が降りたのです。それが本当の大国主命様であれば、豊受姫と同様に私の本名も住所も御存じなのです。

                    いくら自分が出口王仁三郎聖師が予告された【みのか尾張の国からの誠の女子】だと神霊から告げられたと言われても、それを言った豊受姫や大国主命と名乗る霊が私の本名も住所も知らない間違っているでは、いったいそれはどなたなのですかとなります。

                     

                    ある女性は神霊から自分が「みのか尾張の国から出る誠の女子だ」と告げられて、私の家を探そうとされたそうですが、そんなことは自分に臨んで来た神霊に聞けば、家まで案内してくれるでしょう。

                    霊的世界では、私が本名たる名前も住所を告げないでも、それを言い当てて来るのが本当の神霊と会話が出来るクラスの霊能者なのです。

                    いくら霊を見れて会話が出来ても、自分がそれが本当の神霊だと思っている存在が、そうした間違いを平気で言って来る霊であれば、その神名の名乗りに自分が騙されている状態なのです。

                     

                    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声からあることを告げられました。【そなたが本当は誰なのか、私は神々に解らないようにしておく。無論、そなたも自分が本当は誰なのかを知らない。肉体のそなたはバカを演じていればよい。働くのは肉体たるそなたではなく、そなたの魂の方である。そうであっても、そなたの背後にこの私があることが解らない神ならば使い物にならぬ神である】と告げられたのです。肉体の私では無く、魂の私はその身分を隠し、その肉体は市井の人として生きるです。

                     

                    霊的世界は蜘蛛の巣インターネット状態と言われています。蜘蛛の巣の糸状の様な回路を使って他の情報を読み取るです。であれば、如何なる霊であっても情報を掴めるはずなのですが、現実にはそれが出来る霊と出来ない霊が見られるなのです。

                     

                    私が豊川稲荷の御本尊たる神霊(多くの豊川稲荷と称する霊は眷属クラスの狐霊)から直接聞かされたことに、霊界では情報は筒抜けになる。為に、ニセ情報の中に本当の情報を少し混ぜて送る。ニセ情報もニセ情報と切って捨てるのではなくて、その情報の中に本当の情報が紛れていないかを吟味しなさいです。

                    私はこのブログ上で、本当の豊川稲荷神の正体を知る霊能者は世に僅かしかいないと書いて来ました。大本教神諭に、【この神(艮金神)が神々を誑かして使って来た】とありますが、神々が大元から出るニセ情報に踊らされているがあるのです。

                    豊川稲荷も本体神は本当の身分を隠しておられるので、表面に出て来る眷属達の動きに踊らされてしまうが往々に起きます。多くの霊能者やスピリチュアルの方はそれに引っかかっておられます。

                     

                    しかしながら、そうしたニセ情報にも意味があり、そうしたニセ情報から得るものもあるのです。単に「ニセ情報」と切って捨てるわけには行かないのです。

                     

                    火の無い処に煙は立たず。その情報は煙で終わるのか、大火となる前触れか

                     

                    私が師事した豊受姫は一万体ぐらいの白狐を動員する力がありましたが、それ以上の白狐達を動員するだけの豊受姫ならば話も変わって来ますが、さほど白狐の動員力が無いと「?」がつきます。 僅かな白狐霊を従えている豊受姫と名乗る霊から、阪神淡路大震災や普賢岳爆発を事前に告げた私が師事した豊受姫は黒狐だと言われて、それを信じている霊感者も居ます。神名の名乗りだけで実際の数の動員力が解っていないなのです。

                    最近とある霊能力がある方から、その方の配下の白狐霊は五千体になって来ましたとメールを頂きましたが、今の神霊世界は【数は力なり】が働きますので、配下霊が少ない神霊の名乗りには注意が必要なのです。

                     

                    龍神でも神社に行ったら見えたでは意味がないのです。その神霊がどれだけの龍神を配下に従えているかなのです。そこに霊界の力の源泉が生じるからです。龍神が見えたではなく、数千とか数万どころか何百万何千万の龍神を動員出来るかなのです。動員力がなければ何も動かないし変わらないなのです。

                    神社でも空神社が増えて来たとされています。空神社でなくても、そこに祭られている御神霊が本来の御神霊を閉じ込めて、それに成り代わって鎮座しているがあります。その神社の本来の御神霊を救い出すとなれば、霊界の兵力を持っての救出となります。行者の九字切りの法力でどうにかなるの話ではありません。霊界の兵力が必要なのです。

                     

                    私は鍾馗神のご案内で中国で創造神とされる【盤古】大神に拝謁しましたが、その宮殿には二千体とも思われる将軍霊達が控え、広場には何万と言う兵士霊の姿が見てとれました。

                    何の部下も従えていない盤古大神が自分の前に出て来たなどと言われても、それは本物の盤古大神ですかとなります。

                     

                    数は力なりの今の神霊世界では、膨大な霊界の兵力を必要とする

                     

                    スピリチュアル的な霊が見えたではなくて、その霊がどれだけの霊の動員が出来るかです。その力があった方などが大きな宗教家と成られているのです。

                     

                    私の家を二度訪ねて来られた人気ブロガーさんが、私の家の祭壇で白狐から聞かれた内容は、この屋敷は霊能者でございで解る様な場所では無い。忍者屋敷の様にあらゆる仕掛けが講じられていて、中を知ることは出来ないだったそうです。

                     

                     

                     

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                    自分は欺されているかもと進むが【鷺(サギ)】の路。鳥(十里)が行く路

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                      日本では大本教から世の大立替論が出されました。だが、それは大本教だけではなく、天理教も初期の頃は世の大立替論は出ていたのです。ですから、大本教から妙霊、黒住、金光、天理の先走りと出されたわけです。

                      そうしたことは別にこの日本だけではなく、外国でも【人は天から降りて来た者で天に帰る者。だが天に帰れなくなって輪廻転生に入った。人類がこの地球を汚した結果、この地球に間もなく大天災が生じて悪しき人達は滅亡する。正しき人達のみが天に帰還するとします。そして輪廻転生の時代が終わるなのです。その為の警告活動をしている外国の組織もあります。立替論そのものは別にこの日本だけのことではありません。

                       

                      問題は、それをどれだけの世の人々が理解しているかです。その終わり(尾張)の時期が解らない為、立替論を説くと、どうしても【嘘】呼ばわりをされてしまいます。ひどければ邪神呼ばわりです。

                      だが、先駆者にはその時期は解らないが起きることは解っているので、それを説き続けなければならないがあります。大本教の出口王仁三郎聖師は「未だ来ない未来を予言して、その予言の多くを当てて来た世界的な大予言者」でした。その出口王仁三郎聖師は、【霊界に起きた出来事は必ずこの世にも起きる。しかし、それが千年先なのか二千年先なのかが解らない】と述べておられます。

                      聖書のヨハネの黙示録にある「今の地球は消えて、私は新しい天地を見た」の新地球の霊映像が霊界にあります。宇宙の初発を見せる映像もあります。この地球が破滅する映像もあるのです。しかし、その時期が何時かは解らないなのです。解るのは創造神とされる神のみでしょう。

                      イエスの千年王国にしても、イエスがこの世を去って既に二千年以上でないかと突っ込めを入れれば、キリスト教も何をやっているのだとなります。自分に見えた霊的映像が現実化して来る時期を言い当てるのは、非常に難しいとは言えるのです。

                       

                      そうした霊界の映像から立替を警告する人達があり、それによって悔い改める人が多ければ多いほど、その大天災が起きる時期を先に延ばせるがあります。

                       

                      それは【転ばぬ先の杖】なのです 

                       

                      そこには別に正神も邪神もありません。人類のこの先を憂(うれ)いているです。正神とか邪神とかは善悪のみならず、自己の権力の覇権争いがあるからです。勝てば官軍。負ければ賊軍の習いがあるからです。創造神とされる「国常立尊」様にしても神界の戦いの中で敗軍となり、悪神の汚名を着せられて来たがあります。

                      邪神でも自己の欲得からではなく、人類の行く先を憂いて立替の警告をして来た邪神達であるならば、天帝はこれを罰せずに褒められるでしょう。

                       

                      天帝がもっとも嫌われるのは、神の名を利用して自己の欲得を謀る者達です。特に甘い言葉を吐き続けるスピリチュアルです。スピリチュアル標榜者の多くの霊感女性の前世として、シャーマンや魔女の時代が言われています。魔女と言っても白魔術も黒魔術もありますが、魔女となった自分とお釈迦様の様な覚者(悟り)との違いに対する【悔い改め】が足りていないが見られます。

                      いくら霊的な世界が見えても、覚者の路を歩かなければ輪廻転生からは逃げられないとなります。

                       

                      嘘の言葉を作って(偽って)欺くことを【詐欺】と言います。一方、大本教で出された【十里四方外囲い】とは、【トリ(十里)の路】と言います。詐欺と鷺(鳥の路)のサギ違いです。

                       

                      大本教では、福知山舞鶴十里四方外囲いと出しましたので、福知山舞鶴の意味に囚われて【十里四方外囲い】の意味の理解が出来なかったがあります。その意味ではその内容は【詐欺】なので、【鷺】に至らなかったなのです。

                      私は東京から綾部に帰って来て、福知山と舞鶴勤務の仕事を約30年間勤めました。綾部から福知山と舞鶴の路を通っていたのです。当然にその距離からして【十里四方】の言葉がおかしいと気づきました。綾部から福知山迄は3〜4里だからです。舞鶴も西舞鶴が5里、東舞鶴で7里程です。変だと気づきます。

                       

                      私がこの【十里四方】の意味に辿り着けたのは、私に【鷺の宮】に行く夢が幾度も出て来たからと言えます。鷺の宮?。鳥が路を行く?。他に「将棋盤」と駒が出て来ました。そして、天の頂に【白十字路と五重の塔とひょうたん池】。これが大本教神諭予告の【九つ花】の意味だったのです。ひょうたんから駒?。駒は言葉の句?。

                      為に、大本教神諭はこの仕組みは【誠】の者でないとお世話が出来ないと予告したわけです。

                       

                      いくら自分は神霊が見える。神霊と会話が出来ると言っても、【誠】でなければ言葉で成る仕組みの意味が何一つ理解出来ないとなります。

                      日本語は世界で唯一つの【神の言葉】だとされています。日本民族だけが「神の言葉」を使用することが許されているのです。

                       

                      大いなる宇宙の意識から、

                      「さぎのみや」に行けと出されたならば、霊界の詐欺師となるのか

                      「とりのはねを持て」と出されたならば、十里の八根でなく鳥形の羽根を持って天使と称するか

                      誠がなければ言葉の解釈は難しく。【米】型が理解出来ないとなります。

                       

                       

                       

                       

                      縦も横も斜めも総和は【369(みろく)】であり、中心の九つの枡の縦と横の総和はおのおのが【123(ひふみ)】となります。「ひふみ」の言葉の意味すら間違えていないかです。ひふみは最初から「123」と示されたはずです。

                      今は神代七代であり、81枡の7掛けは【567】となり、七度霊(0)界が立ったので五十六億七千万。これを九つの枠たる9霊界にすれば【龍宮の音秘め】の仕組みすら出せるのです。次は8の世で、∞(無限)となる末広がりで「永遠」と予告されるのです。

                      しかもこの仕組みは、お釈迦様の本当の悟りであった「人に内在する良心神」を骨(舎利)としているのです。

                       

                      大本教の出口王仁三郎聖師の予言の「みのか尾張の国の中から誠の女子」で、みのか尾張の国から出る国道【41】号線に乗せまして、モーゼは40年間荒野を彷徨(さまよ)い。イエスは40日間荒野を彷徨う。

                       

                      お釈迦様とモーゼとイエスの3体を合体させた仕組み

                      皇神も神界の40の路の彷徨いで、この世の時間にして約三十五万年

                      地球は何故に一太陽年365.24日で回るのか?

                       

                      それらの謎の紐解きのヒントを出して来たのが大本教と言えます。

                      私は霊能者をしている者ではありません。単に【十里(トリ)の路】を説いているだけの者にしか過ぎません。さりとて、霊能力がゼロと言うのでもありません。必要な時には霊的世界から見させられるはあります。その時に私が見る霊能力は霊能者段階を超えていると言われる霊能者の方達もあります。

                      しかしながら、私はほとんど下の霊界が見えていない。蛇霊や狐霊段階に関わられないから霊能者としては失格だとの指摘を霊能者から受けて来ました。この世では蛇霊や狐霊と呼ばれる神霊が人間世界に深く関わっているからです。そうした蛇霊や狐霊と関わられないでは、実践霊能者としては致命傷なのです。

                       

                      私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたを宗教家にさせる気は無い。そなたが歩く路は、これまでの人類で誰一人として歩いたことが無い路であり、そなたの後にそなたと同じ路を歩く者は出ず。その路はそなたが最初の者で有り最後の者となる】でした。

                      この最後の者とは、私の死後にはこの【九つ花】を説く者の存在は出て来ないと言うことです。それは、この【九つ花】の教えに従った者達は私と同様に新しき永遠の未来の世に行くからです。それは旧約聖書の神と称する声が私に約束したからです。でも、そんなことは空手形なのかも知れません。

                      一部の霊能者や超霊能力者は私がこの世を去る時が三次元世界の終わりで、五次元界に移行との時と言われます。私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【そなたは人類の最期を見届ける役】と告げられましたが、そうした話はどこまで信じられるかを私自身も疑問として抱えているのです。

                       

                      それは旧約聖書の神と称する声の【詐欺】の言葉であったとしても、【鷺】の路を行くのが私の使命だったからです。私は旧約聖書の神と称した霊が言った内容を信じているではなく、その内容の真偽のほどを確かめようとして来たのです。

                       

                      この【九つ花】の中心の「41」は、「みのか尾張の国から出る国道ナンバー」となります

                       

                      そしてその国道41号線は高山を経て富山【十三(富)】にとなるのです。最後には【火の雨】が降る。その時には【十三(富)山】に逃げなさい。創造神たる神がこの日本に仕掛けたであろう言葉の仕組み。何故に大本教から第十三の【ス神】が出たのか?。その意味は今の世に出ておられる神々では解らないことなのです。その証拠に誰も「ス」の神を知らず見ていないはずです。

                       

                      しかし、霊的世界では何の力も無い者が、いくらあれはニセ者だと言っていても敗者となります。

                       

                      この世の霊界では霊力さえあれば、詐欺師も本物と見なされます

                      そうした霊力がない者は、【鷺】の鳥(十里)の路を行くだけ

                       

                      日月神示に99%は邪神だと出ているようですが、蛇霊や狐霊の段階から抜け切れていないのに、自分に天照大御神や三輪大神や豊受姫とか菊理姫とか大国主命と称して出て来る霊が非常に多いということなのです。

                      為に、そうした神を名乗る霊が言った神示が本当に当たるのか?。その吟味がいるのです。嘘の神示を出す霊に、どこまでもついて行くではダメなのです。ところがなまじ霊が見えると、そこから簡単に脱却出来なくなるのです。

                       

                      私が神霊世界に修業に入った時、お世話になったのが豊受姫の神でした。この豊受姫は阪神淡路大震災や普賢岳爆発を事前に伝えられました。この私がお世話になったその豊受姫を黒狐だと言う豊受姫があると聞きましたが、ではその豊受姫は東日本大震災を事前に告げられるほどの存在であったかです。

                      私が修業のお世話になった最初の師匠は豊受姫のお代さんで、当時の日本ではトップクラスの実践霊能者でしたが、もし東日本大震災の時にその師匠が存命であったならば、事前にその師匠には告げていたでしょう。

                      私から見ると、黒狐程度で阪神淡路大震災や普賢岳爆発を事前に告げられるだけの力はありません。白狐など数多く存在しますが、どの白狐も事前にそうした発信をした等の情報すら聞きません。豊受姫と言っても、どれだけ数多くのニセ神が出回っているかなのです。

                       

                      いくら某神社に参拝せよと言われてその神社に行ったら、その神社の御祭神が出て来られたで本物と出会っているとは言えないのです。伊勢神宮に行って、伊勢神宮でそなたが本物の「みのか尾張の国から出る誠の女子」だと告げられて、自分は三河出身なのでと綾部の大本教にその変性女子は自分ですと押しかけた男性霊能者も現に存在していたのです。

                      誰も、伊勢神宮に参拝して出て来た霊がニセ者の霊だとは考えも及びつかないからです。私は修業時代、大社などに行ってもニセ霊が出て来ることを見聞させてもらいました。そんな大社が幾つもありました。

                       

                      そこに出て来る問題は、

                      【未だ神界は唯一神によって神界統一がなされていない】なのです

                      この状態が今は表舞台から退いていますの【艮】の意味なのです。

                      どの神社に行っても、自分の魂の霊格に応じた存在しか出て来ない

                       

                      唯一神の神界統一の為の降臨時には、神界は神々の血の雨が降る(殺戮の丘)

                       

                      最近、一部の霊能者の方の元には天帝に帰順を示す神々の軍勢が集結して来ておられるとの報告があります。私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫から貴方は言葉の神と呼ばれる貴きお方。貴方の言葉による教えは天帝の【詔】と同じであり、貴方の言葉の教えが聞けぬ神は如何なる神でも天帝に対する反逆罪で天帝により処罰されると告げられましたが、その兆候が出始めているのではないかと考えられる節もあります。だからと言って、今日や明日に何かが起きるではないのです。

                       

                      霊的世界の関わりにおいては、どの神社に行っても自分の霊格に応じた存在しか出て来ないがあります。肉体の自分が、人として出来てもいないのに、そんな自分に高級神霊が出て来るかです。

                       

                      古来より、健全な心の持ち主には健全な神が宿る

                      人を嫉んだり悪口の言い放題で健全な心を持ってもいないのに、高級神霊がそんな自分に降りるのがおかしいと気づかないといけないのです。

                      下級霊ばかりと交流している霊感霊能者同志で、互いに貴方は高いと認め合ったところで無意味なのです。

                      いくら霊能力が強くても、邪神に毒されている霊能者も数が多いのです。

                       

                      それが本当にその神なのかを確かめるには、その神霊の神示はよく当たる。また、その霊の配下として数えられないような眷属の霊達が従っている。そうした見極めが必要なのです。

                       

                      いくらその霊が自分は天照大御神、三輪大神、豊受姫、菊理姫、大国主命。イエス、マリア、ミカエル、ガブリエルと名乗っていても、そこに無数の配下霊がいないとなれば数は力なりの現状の神霊界では本物とは言えないのです。

                      某自称創造神と称する方の天照大御神は狸霊で、その自称創造神の方に従っていた龍神とか白狐霊とはさほどの数ではありませんでした。それではいくら自分が創造神だと称しても力の範囲は限られます。その方に憑いている霊団の中で、諸霊が天照大御神や大国主命や諸仏霊の役を演じているなのです。役割分担でニセ神達が演じるなのです。

                       

                      今の神霊世界の現状は力の支配であり、数は力なり

                       

                      それは日本の政(まつりごと)の世界を見れば、自民党の数は力なりで、少数野党が何を言おうが通じないのと同じなのです。

                       

                      神名詐称の霊の言葉ではなく、その霊にはどれほどの配下霊が従っているのか。そうした見極めが必要なのです。

                      だが、【言葉の仕組み】とは、そうした神霊の力の段階では不可能と言えます。大本教が出した「ウシトラ」一つからでも、【牛虎】で鬼が云うの【魂】論となり、今は「退いています」の【艮の道】。東北(艮)金神で【みちのく】も出せるのです。それが言葉の仕組みの特徴なのです。

                       

                      【路(みち)の九】も出るのです

                       

                       

                       

                       

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