高い神霊の分魂を持った者は、生まれ出た時から邪神達に狙われている

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    一部の行者間では知られていることですが、高い神霊の分魂を持って生まれた魂は、これでもかこれでもかと【試練】の波が押し寄せるがあります。西洋では、この世での試練は【神からのプレゼント】と呼ばれていますが、その試練によって自分の魂が成長するがあります。しかし、自分がその試練に潰されても誰も責任を取ってくれません。この世に出ると【自己責任】となるからです。

     

    私が子供の頃、私に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【そなたの役割はとても辛い役なので、他の神の御子には申しつけるわけにも行かず、我が子ゆえにこの神の為に死んで参れと申しつけるなり。その任務を果たさない時は、この私の元に帰って来る必要が無い。地球という星で永遠に輪廻転生をしていなさい】でした。

     

    私にはその声の主が本当に私の魂の父格たる存在なのかは解りませんが、人間の世界ならば任務を遂行しなければ父の元に帰って来なくてもいいなどと突き放す親はほとんどないでしょう。人間の親ならば我が子の幸せの為に動いてくれるものです。

    ただ、獅子は我が子を千尋の谷底に落として、そこから這い上がる子だけを自分の子と認めるとされていますが、我が「師」たる魂はそんな存在なのかも知れないと考えました。この世に出して、自分で這い上がって来ないような者ならば認められないです。まさにそれは【厳父】的な存在とも言えます。

     

    どの神から出た高級な魂でもそれが大原則であり、自分はこの世に出してくれと頼んでいないなどの論理は通用しないのです。この世に生まれ出た以上、どんなに辛くても自力でこの世を泳がないといけないのです。

     

    私は何人かの霊能者の方から、あまり「正義」を振りかざしていると邪神達によって殺されてしまいますよと警告を受けましたが、邪神の攻撃は多々受けて来ましたが、幸いにまだこの世での命脈を保っています。優秀な霊能者の方に見られる人生、あまりの苦しさに自殺を図っても死なせて貰えない。そうなると邪神達に攻撃されたからと言って、その命を簡単に失うこともないとなります。

    しかし、そうした霊能者の警告のように、多くの霊能者がこの世での命を失った事例はあるのです。邪神や悪霊達によって殺されるです。そこに「長い物に巻かれよ」の教えがあります。

     

    今日まで力が無い多くの神々は、長い物に巻かれてその神に従属するより道がなかったなのです。

     

    テレビにも出ておられた某霊能者の方を最近見かけません。で、どうしたのかと調べたところ既に亡くなっておられました。まだ若い方でしたが、死因は「心不全」とのことでした。それが悪霊の攻撃によるものかどうかは解りませんが、この方は正義派だったと思われるので邪神や悪霊に殺された可能性はあります。霊の攻撃で死ぬ原因として「心不全」があるからです。

    ある霊能力者の方は、自分に相談に来られた方に憑いている悪霊に殺されかけたと言われます。その相談者がその方の元に相談に行く前に訪れた二人の霊能力者は、その相談者に憑いている悪霊によって殺されていたなのです。

     

    私の元に悲痛な叫びのメールを送って来られた霊能力者がありました。その方を見た霊能者の方が貴女には○○稲荷の豊受様が守護しておられると告げられたそうですが、自分は許されないことをしました。何人もの方を霊力で殺しました。確かに生半可の霊能者だと太刀打ち出来る方ではないのです。何とか自分を救って貰えませんかです。

    私がその方から聞く内容で判断する限り、その方に豊受姫が憑いていると言った霊能者と称する方は何を見ているのだです。そこで多賀大社に参拝しなさいと言いました。ところが、どうやっても多賀大社に参拝出来ない。自分は多賀大社の神から嫌われていると言われるので、私が行きなさいと言った以上行けますから、勇気を持って参拝しなさいと言ったところ、多賀大社に参拝するとその方から大きな黒蛇が逃げて行く様が本人にも見えたと言われます。お多賀の神の力に抗しきれなかったのでしょう。

    霊能者が指摘した豊受姫の分魂は当たっているようでしたが、その魂が神界に居る時に何等かの過ちでで墜ちてしまったようです。その前身は天女さんとは言えるでした。

     

    霊力で人を殺すは別に珍しい話ではありません。西洋では黒魔術と称しますが、日本では調伏の名で神仏に頼んで命を取る行者の存在は今も語られています。私も2番目の師匠から死神を送られました。

     

    私が未だ未熟な頃、ある霊能力者から心臓にグサリと何かが突き刺さる攻撃を受けました。心臓がキリキリと痛むのです。とっさに私の側に居た2番目の師匠が鎮魂帰神の手組を命じたので大事に至りませんでしたが、2番目の師匠が現在地に来る前に住んでいた道場を預かっていた女弟子で、私との面識は無かったのですが私に嫉妬して霊剣で私の心臓を刺したのです。 

    霊能力を持っている人でそうした霊的な攻撃を平気でする人達がいます。人を嫉んだり恨んだりすると、その恨みが霊的な剣や針などに変化して人を攻撃することは解っているのですが、霊能者の場合それを「印」を結んでわざとする人達がいます。為に防御をする印もあり、大本教から出された鎮魂帰神の印はその防御が出来る印なのです。

     

    この世に関係する霊界の神々とは、全てが正神でありません。邪神もまた多いなのです。神は正義だの論理は通用しません。いくら自分は正義だ!。正義だと振りかざしていても、神力が無ければ邪神の軍門にひれ伏すより道はないのです。

     

    人が増えると、その肉体に入る魂も当然に増えて来ます。その魂はどこから供給されるのかです。人の肉体に入る魂の大きさとは心臓に宿るので「リンゴ」程度の大きさです。リンゴ程度の大きさの魂が、その魂を分派させるわけには行きません。為に、ある程度大きな魂でないと、魂を分裂させることは出来ません。自己の魂を大きくすると、分魂を出せるなのです。ですから、そこに人は高い神霊からの分魂(四魂)とされるがあります。

     

    人は高い神霊から分派された魂なので、そこに【正守護神】【本守護神】の論理が出るのです。で、元の神の世界に帰ることも出来るなのです。帰れなくなって輪廻転生です。

     

    そこに出て来るのが、大きなコップの水とスポイトの一滴の論理です。この世に出ている私達の魂はスポイトの一滴であっても、本体はコップの水ほどの大きさがあるなのです。そこに、コップ本体たる【本守護神】の存在が説かれるのです。私の魂の本体の大きさは別として、この世に出た私はスポイトの一滴の様な存在にしか過ぎません。ですから、

     

    自分はいと小さき者と言います

     

    スポイトの一滴として出された自分が、どうなったところで本体には響きません。どれほど高い魂から出された分魂でも、この世の大海を自力で泳ぎ、自らが魂として成長してコップ本体に戻らないとコップの水は増えないし、コップ自身も大きくならないなのです。

     

    自分は高い魂から出たなどの主張は、この世に出た以上は通らないのです

    人は誰しも一からのスタートであり

    この世で自分は何をしたか、何を学んだかが問われるのです

     

    私は最初に豊受姫のお代をされていた師匠に師事しました。その師匠によれば、その師匠の魂は豊受姫の分魂では無いとのことでしたが、この世にはその豊受姫の分魂たる存在は百名程度は居ると言います。そうした中で、豊受姫の分魂で和魂を持つ筆頭格と思われる女性がいました。最初の師匠はその女子を見て待ちに待った女子だと言います。

    私は一時期、この女子が大本教の出口王仁三郎聖師が予告された【みのか尾張の国から出る誠の女子】かと思ったことがあります。

     

    一つに大本教のみろく神殿で、出口王仁三郎聖師と思われる霊がその女子をみろく殿の祭壇に引っ張って行こうとしたからです。その時、もう一人豊受姫の分魂の持ち主ともされる女性も居ましたが、そちらの方は引っ張られなかったのです。

    そしてもう一つには、大本教からは告げられていませんが、優秀な霊能者の中では言われているある出来事に関わっておられたからです。

    しかし、最初の師匠は豊受姫が自分の分魂を持つ肉体の一人でありながら、その女子は肉体の自我があまりにも強いので神業が出来ないと告げられたのです。だとすれば、大本教の仕組みは最初からそうしたことは織り込み済みともなります。大本教の出口王仁三郎聖師すら本当のことは知らずに、神の世界の舞台を演じられたか!。です。

    そこにあるのは、私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声が、【この神が書いた舞台の筋書きは、どの神々も神の舞台を演じる役者も知らない。この私だけが知っている。全ての舞台が終われば、神々も人民もこの神に拍手喝采である】と告げられたことです。

     

    この女子の本守護神は伊弉冉様で、その魂を見た岡山の霊能者がこんな存在はあり得ないと言ったそうですが、豊受姫のお代をしていた最初の師匠は、他にも同様の組み合わせの魂の持ち主は数名は存在すると言います。だが、同時にこの人は潰れると言います。それはあまりにも肉体の自我が強かったからです。

    しかし、最初の師匠はその肉体の自我の強さは、もしもそうでなかったならばこの人は既に邪神達によって殺されていたなのです。この世に出た高い神の分魂がこの世を生き抜く為には、邪神から見てもこれだけ自我が強いと世には出られないと判断することで、その命を保つたなのです。天界がこの世に高い神の分魂を人に降ろすことは、非常に困難な作業とも言えるのです。

     

    イエスは四十日間荒野を彷徨って悪魔を退けて、「四十一」日目に神の子となったとされますが、高い世界から降り立つ魂とは、自分は高い神だと言うことではなくて、悪魔や邪神と対峙する覚悟が定まっていないといけないのです。悪魔や邪神に負けるようではその任務が果たせないとなるのです。

    だが、肉体の自我があまりにも強く成りすぎると、その分魂を出した神霊そのものにもコントロールが出来なくなってしまうなのです。その時には、その分魂は本体たる神の元には帰結出来ないなのです。

     

    高い魂の分魂をこの世に降ろすと、それを邪神達が見張っていて、その分魂を自分達の仲間に取り入れるか、取り入れることが出来ないと見れば殺すがあります。つまりその存在は邪神達に見つかってはならないのです。

    今の神霊世界は数は力なりと力が強い者が勝つで、その覇権を競うがあります。キリスト教などはキリスト教と言ってしまえば一枚ですが、カトリックとプロテスタントの二派に大別されて国家戦争もし、さらに何々派と呼ばれる派は1000派以上あるとされています。イスラム教でもシーア派とスンニ派に大別されて争い、また数多くの派があるわけです。

    それらの派の争いは創造神が起こしているのではなくて、聖職者と呼ばれる肉体の存在に懸かっている霊達が、自分達が起こした派の制覇を狙っているからなのです。

     

    西洋やイスラム教の様な世界宗教においても、唯一神を言いながら、実体は宗教家の覇権派閥争いの中にあるのであって、誰が本当に正しいのか解らない状態ではあるのです。

    為には自分の力を世間に見せる為に、そのお代や配下となる霊能者を物色するがあります。自分に霊能力が備わっていると、そうした神霊達から狙われるのです。そうした霊能力を持つ魂は、子供の時から邪神界に目を付けられていて、大人になれば自分達の陣営に取り込む作戦が行われます。

     

    一部の霊能者の間では、霊界マッチポンプが知られています。自分達がその人を不幸にさせて助けて信頼を勝ち取るです。悪質な霊能者は自分の手元に霊媒質者を置いて、相談者の汚れた物や病気となる因を自分で取るのではなくて霊媒質者に転送してしまうです。

    私自身は悪意からではないのですが、後に弁天様のお代と成られた方から瀧場で何体かの水子霊を転送されたがあります。後に弁天さんのお代に成られた方は、その瀧場に居た伏見稲荷講の支部講員さん達が持つ数体の水子霊に懸かられて、そのあまりの苦しさから瀧を受けていた私ならば大丈夫だと思って私に水子霊を転送されたのであり、別に悪意があっての話ではありませんでした。その方が私ならば大丈夫だと思われたように、私にとっては別にどうということはありませんでした。

    その時のことは、私のHPの「貴方の知らない伏見稲荷山」には書いていますが、最初の師匠のみならず、瀧場に居た優秀な霊媒者達も見ていた事実です。その様に霊を他の霊媒質者に転送は霊能者には出来るのです。癌ですら霊媒質者に転送が出来ることは解っています。為に悪質な霊能者の間では、優秀な霊媒質者は取り合いになるのです。

     

    邪神達にとって一番欲しいのはそうした優秀な霊媒質者ではなくて、肉体の本人が意識しているか意識していないかは解りませんが、人の汚れを他人に押しつけることが出来る転送能力を持つ霊能力者です。霊の転送者です。他人に念を飛ばす霊能者です。

    霊媒質の方達の中には、スピリチュアルのセミナーなどに参加して蛇霊を着けられたの被害報告が多々ありますが、実体を知らないで霊的世界に興味を持つと、被害者になりかねないのです。

    一部の正しい霊能者の方の中には、スピリチュアルや新興宗教のセミナーなどに行き、蛇霊を着けられたような霊媒質者を救済している方もありますが、逆に霊力が強い新興宗教の教祖様に縛られてしまうなどもあるのです。

     

    一流の霊能者達が正神と邪神の見分けは一般の人には無理だと言いますが、邪神はバイ菌で描かれるような絵姿ではないのです。時には光輝き、絢爛豪華な衣装に身をまとっています。単に霊が見えたでは見分けが出来ません。為に光の存在に欺される霊感者も後を絶ちません。光とは「エネルギー」なので正神とか邪神でなく【霊力】があれば光は出て来るのです。

    ある小さな宗教団体の教祖様は、太陽そのものだと崇められていましたが、その太陽とは少し高次元界の龍神でした。五次元界程度の霊能力者ではその龍神の光を太陽と間違えてしまいます。光に騙されるです。

     

    ただ言えることは、本物の霊能者は他の人に汚れた霊物を送らない。転送しないで自己の肉体に備わった浄化能力や法力をもって浄霊してしまうなのです。私は二番目の師匠の元に居る時、その師匠からおまえは【霊界の歩くバキュームカー】とあだ名を付けられましたが、私には霊能者の様に霊を見るとか会話するは出来ませんが、霊界の掃除屋たる浄霊能力は強いのです。

    邪神達の狙いは自分達の勢力の拡大であり、霊界の覇権争いに加わることです。その為には自分のお代が出来る霊能者は神々の中で取り合いとなります。私も一時期はそうした神々の取り合いの中に置かれた者ですから知っているのです。だが、私は下の霊界が見えない致命傷があったので、そうした霊能者には成らなかっただけと言えます。

     

    高い神の分魂でこの世に出て、自分に押し寄せて来る社会の荒波たる環境の元での試練に耐えかねて、一時はぐれたり悪に走ってしまうがあります。それは【悔い改める】に入れば、過去のことは巨悪をしていなければ浄化されるのです。それまでの間は邪神達に狙われていたからです。

     

    自己の魂の中に【良心神】が備わって来れば、もう【鬼に金棒】なのです

     

    良心神が確立出来ていれば、邪神に取れ込まれることはないのです。だが、良心神に目覚める前に邪神に取り込まれてしまいますと、自分の目が曇って行きます。何を忠告しても反対に行ってしまいます。悪く取ってしまいます。それを脱却出来るのも自己の魂の内の良心神しだいなのです。

     

    私はある意味、霊能者は「因果な商売だ」と言います。普通の人には神霊や霊は見えません。宗教家とされる牧師や僧侶や神主でも一部の方を除いて神仏の存在は見えておられません。その人の目には見えない世界を見て、神仏の世界の存在を多くの人に知らせむのは並大抵の苦労ではないのです。

    特に高い神霊から分魂として出された魂は、人より多くの試練を受けて自己の魂を磨かなくてはなりません。自分は高い神なのだ!。ではなくて、自分は邪神の罠にはまったのではないかと、より自己研鑽を積まないと行けないのです。

     

     

     

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