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「うんこ」臭い霊と浄化浄霊の更正(古いものから新しいものに)

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    私の母親はこの3月にあの世に旅立ちましたが、生前時々、母の手が「うんこ」臭いと言います。それで母の両手を確かめると、左手だけが何故か「うんこ」臭いなのです。
    こうしたことは母の手に霊が憑依していると解りますので、それを「ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、もも、ち、よろず。いろはにほへとー、ちりぬるを」と言霊を唱えて祓います。一度でダメな時は二度ほどやると、まず消えてしまいます。

    但し、言霊の発生鍛錬をさぼっていると、効果が薄れて来たりします。

    ところが最近掃除をしていて、部屋に「うんこ」の匂いが立ちこめているので、場所を見ると、なんと掃除機の中の排気口からです。そうした存在を掃除機が吸い取ったのかも知れません。
    次ぎに私の手も「うんこ」臭い。それも左手。これまでは母に懸かっていた「うんこ」臭い霊が私の手にも憑依したようなので、これも言霊で祓い。

    修業時代、言霊師の師匠が霊媒者に低い霊を懸けてサニワしていると、どうしても霊媒質の方が低い霊に憑依されて、足先が冷たくなったりがあります。それがどんどん増えて来ると言うか、集まって来ると足の膝付近まで冷たくなって来ます。そうなると、弟子である私が言霊で祓っていました。
    そうした足指から足の膝付近まで懸かる冷たい大量の低い霊によって、足が曲がってしまった霊媒質の方がおられましたが、本人の神仏修業が終わると平常の足の状態に戻られたと聞きます。

    白檀の様な香を漂わせている神霊とか、お線香をいっぱい貰っておられる仏様とか神霊はお線香の香が漂って来ます。白狐は昔の女郎さんの様な白粉の匂いをプンプン漂わせて来るはいいのですが、「うんこ」臭い霊にはさすがに参ります。
    弁天さんの御使いとされる白蛇霊も、独特の蛇の匂いを漂わせていたりしますので、この匂いもかなりきついと言わなければなりません。

    ある方が、御自身のブログに霊は姿は化けても霊臭はごまかせないと書かれておられましたが、霊臭はごまかせないようです。が、霊が常に霊臭は放っているとは限らないようです。

    こうした「うんこ」臭い霊に出会う方は、ママあるようです。そうした方は、足先から足の膝付近まで低い霊が懸かる現象なども御存知のようです。足先に懸かるのは非常に低い霊の段階ですが、それに比べると手先は霊的にはそれよりも高い位置にあることから、足先に懸かるような低い霊ではないということになります。

    しかし、どうして「うんこ」臭い霊が居るのか?。私のこのブログの前の方に、光と思ったら天狗さんの記事を書いておりますが、私を霊剣で殺そうとした神通力者の背後神である天狗は羽根落としの刑に処せられ、その神通力者の霊は罰として便所の便槽落としとなりました。
    浄化浄霊に「うんこ」は非常に大切なものではあるのです。優れた霊能者の元に行くと解ることなのですが、神霊浄化ともなれば光で浄化出来ました等と言う類の話ではありません。臍下丹田。肉体の高天原である腹で浄化して「うんこ」と一緒に神霊をも便槽に流し落とすわけです。

    大本教と呼ばれる宗教が起きて、その名が知られることになった神に【金勝要神(きんかつかねのかみ)】があります。通称大地の金神さんですが、トイレの神様と言った方が解り易いわけです。
    この聞き慣れない【金勝要神】とは、大本教によれば真澄姫(ますみひめ)、純世姫(すみよひめ)、言霊姫(ことたまひめ)、竜世姫(たつよひめ)、高照姫(たかてるひめ)の五柱の女神の総称だと言われています。便所に落とされて、艱難辛苦を味わわれたです。

    どうして便所なのでしょうか?。それは神霊が「更正」する場所でも在り、浄化浄霊の意味でもあるのです。で「うんこ」を溜める場所を「浄化」槽とも言うわけです。

    さて、霊界にそんな「うんこ」臭い匂いを放っている場所があるのかと言いますと、存在しているのです。自分で浄化浄霊出来なかった人は、この「うんこ」の匂いを放っている池(腐汁池)の中を通って行きますと、「霊界の壁」にと辿り着きます。その壁を登ると「分かちの国(神の御国)」です。

    ただ、何人かの霊能力がある方が「霊界の壁」は登ってはおられましたが、この「うんこ」臭い腐汁池の中は通っておられませんので、この池に落とされるのは神的世界に関わる者に対して罰的要素が絡んでいるのでしょう。

    名だたる神でも便所神として落とされた

    落とした神はどなたなのか?



    ですから「救世主」ではなくて、「更正主」でなければ行けないのです。救世主と呼ばれる存在はその場の一時凌ぎにしか過ぎません。例えば、あなたが野球チームに所属しているとしてチームが危ない時、それを誰かが救って救世主と呼ばれても、その試合だけの話なのです。悪神の中にも悪の仲間を救えば救世主と呼べるでしょう。身内的な意味合いでしかありません。根本的には「更正」でなければなりません。


    すると、貴方は更(古いものは捨てて、新しいものとなる)で

    甦りとなる「更生」になるのです。

    創造神は「言葉」と共にありと言われるように、このように「言葉による仕組み」をされました。
    それすら解らぬで神通力者でございます。霊能者でございますでは「便所」落としを覚悟すべきでしょう。
    そうした人が見る「光」など、創造神の光の世界の段階ではないからです。




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