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全国一の宮 吉備津(彦)神社3社と「鳴釜神事」考察

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    私達は子供の頃に桃から生まれた桃太郎ときび団子の話を聞かされるものです。この「きび団子」とは「黍(きび)」という稲科の実を粉にしてまぶした団子のことです。
    この「桃太郎」の原型は、一般的には吉備津彦命「五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)」と見られています。
    その吉備津彦命を祭った神社が「吉備津神社」並びに「吉備津彦神社」となります。

    私は子供の頃に臨んだ声から、桃太郎の話は単なる子供向けの話ではなくて、私に臨んだ神の教えが秘められた物であると聞かされました。その桃太郎の話をどう受け取るかは個々の人の問題です。
    桃の実に秘められた意味は新しい魂に「誂える」です。そこに西王母が三千年の命を授ける「桃」の話もあれば、伊弉諾尊が黄泉の国から逃げ帰ると時に「桃」の実を投げて、追っ手の醜女達がそれを必死に拾って難を逃れたなのです。
    どうして醜女達が必死に桃の実を拾ったのか?。そこに疑問を持たないようでは秘められた意味が解らないわけです。桃の実を食べたからと言って不老不死になるはずもないことです。それは黄泉の国(黄泉帰り)からの輪廻転生ではなく、神の世界に入れる新しい魂に誂える実(魂)の意味であって、言葉の仕組みだからです。

    大本教神諭に「3月3日と5月5日」は良き日である式の記述があり、これが当時、明治「五十五」に世の大立替が起きると宣伝されました。
    大本教の出口王仁三郎聖師は3月3日とは「桃の花」であり、5月5日は「桃の実」とまでは書き残されましたが、5月5日は「粽(ちまき)」の節句が抜けています。
    私が紐解いた大本教神諭予告「九つ花」とは、「米の宗」教の「粽」によって「五と五」を説いているのです。
    私が紐解いた「米」教は、「5月5日」の鯉のぼり。中国の故事に黄河を上る鯉は龍と化すにあるように、「神の世界への登龍門」であり、霊界で三千年の月日を修業した蛇霊が龍(聖書では霊界で年老いた蛇霊)と化す話ではないのです。

    私は子供の頃、きび団子の「黍(きび)」と吉備津の「きび」が同じ「きび」であることに違和感を持っていました。この「吉備」は「吉に備える」意味合いではないかです。ですから、新しい魂に誂える為には自分の魂から悪鬼退治をしなければならないのです。
    もし、自己の魂の中に「良心」神が無ければ、悪鬼退治など絵に描いた餅を食べる話になってしまいます。桃太郎とは成らないのです。

    大本教神諭に、神は仕組みの為に三千年の月日を要したとありますが、私も子供の頃に臨んだ声から、日本神話などは全てその神が最後に手の内(仕組み)を明らかにする為に仕組んで来たと聞かされています。ですから、神社などに参拝してそこに鎮座されている御神霊が仮に出て来られても、お役目ご苦労様でございます的な感覚になってしまいます。
    私が真に神と崇めるのは、万物を創造された神のみです。ただ、私も神が創造された世界の一員なので組織の上位の存在に対しては敬意を払います。私は神社で頭を下げますが、それは敬意であって、忠誠を誓うのは創造神のみなのです。ですから神社に参拝しもお願い事ではなく、ありがとうございますとなります。
    こうしたことが解っていない方は、自己の魂の中に存在する内在神と外在神の意味の違いが理解出来ないことになります。私は自宅の神棚で創造神はお祭りしていません。創造神とは自宅の神棚でお祭りできる存在ではないからです。自宅の神棚でお祭りするのは外在神として自己の守護神・指導神・縁神に留めています。

    この「吉備国」とは、備前・備中・備後・美作の四ヶ国を指します。その備前国と備中国の境に中山と呼ばれる山が有り、その山を御神体として吉備津彦命が祭られている為に、備前国一の宮たる吉備津彦神社と備中国一の宮たる吉備津神社が存在して来ます。
    今は両社とも岡山市北区になりますが、昔は国が違っていたので不思議な形になっているのです。地図を見ればわずか一駅の違いです。
     

    写真は備前国一の宮である「吉備津彦神社」の鳥居です。
     

    写真は「吉備津彦神社」の神門。
     

    写真は「吉備津彦神社」の本殿。


    今回、私は参拝して意味が飲み込めましたが、写真でよく見かけていたのは備中国にあった「吉備津神社」でした。JRで一駅なので車だと10分もかかりません。

    写真は備中国一の宮である「吉備津神社」の上がり口です。
     

    写真は吉備津神社本殿。
     

    上がったところで、いきなり神門と本殿なので遠景からの本殿写真が存在していません。そこで通常は側面からの写真が出ているわけです。その側面からの写真。
     

    この吉備津神社は回廊の写真がよく見られます。その回廊を下ると吉備津神社の【鳴釜神事」で知られる建物があります。この「鳴釜神事」は別に吉備津神社のみにあらず、私はかって伏見稲荷大社講社に所属していましたので、支部で行われていた「稲荷釜」を見て来ています。同じものです。また修験道における不動釜は見ていませんが、同じでしょう。
    この吉備津神社のHPを見ますと、吉備津神社の神職達はあまりこの鳴釜をよく理解していないのではないかと思われます。
     

    私がかって所属した伏見稲荷大社講社の支部の月次祭において、昼の部では必ず稲荷釜が催されました。当時の私はサラリーマンだったので夜の部に出席でしたが、月次祭が休日や祝日であれば昼の部に出ました。
    その時、支部長であった私の最初の師匠は熱されたお釜の縁を濡れ雑巾一枚で手に持って、四方を歩き回るのです。すると、何か悪い状態の人が座っている場所に来るとお釜が鳴らなくなるのです。そこを離れるとまたもやブォッーと釜が鳴ります。別にそんなみとはしなくても御祭神には解っているのですが、一つには神が見えない解らない人に対する神威もあるのでしょう。
    こうした釜を持って歩くことは「振り釜」と呼ばれていました。そうした振り釜は通常は正方形の木製の箱に釜を置いて、箱の下側を持って歩くのですが、箱ではなくて濡れ雑巾一枚で釜の縁を持って歩けるのは、その師匠によれば日本に数人しかいないだろうと言っていました。
    熱された釜を持っても熱いと感じないのは豊受様の神力との説明を受けました。濡れ雑巾を持つのは釜と手の皮膚を癒着させない為です。いくら神力で釜が熱くないと言っても皮膚が鉄と癒着するかも知れないからです。

    私もこの鳴釜を習おうかと思い言いましたところ、貴方はこうした鳴釜をする立場の方ではありません。鳴釜を覚える必要がありません。こうした鳴釜は私のような下位の立場の者がする役目ですと言われ、支部でも優秀な霊媒者の方には鳴釜の教授をすると言っておられました。
    普通に考えれば誰でも釜を鳴らすことが出来るように見えます。釜自体はよく鳴る釜を持てば鳴るようです。しかし、それで吉凶を占えるかと言えば、釜が鳴ったり止まったりは出来ないでしょう。そこに神霊の働きがなければなりません。私が見るところ、鳴釜をするのは優秀な霊媒者である必要がありそうです。

    吉備津神社のHPの鳴釜では、神官と阿曽女(本来は霊媒者である巫女でないと出来ない役)の二人でするが、その答えは何も言いません。自分の心で音を感じて判断してくださいとあります。自分達では判断できないからと、願い人任せの判断を言っています。
    これは鳴釜に本来の巫女(霊媒者)を使っていないからと言えます。何故ならば豊受様のお代をしていた私の最初の師匠は、何故に釜の音が高く鳴るとか止まるとかの理由が解っていたからです。と言って、それが出来る巫女(霊媒者)を探すとなると容易なことではありません。

    私自身、長く神霊世界を見聞させていただき、霊感者は多数存在しても、本物と言える巫女(霊媒者)を見つけるのは至難の業だと知るからです。

    備前・備中の吉備津神社を後にして、備後国一の宮たる吉備津神社に向かいました。

    写真は備後国一の宮(福山市)の鳥居。
     

    備後国吉備津神社本殿。
     

    この備後国の吉備津神社には「桃太郎像」がありました。
     


     
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