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神は光だ!で天狗さん。神は光でも姿が見える。

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    一般的に神は光だと言う人達が大多数です。私は神は「コトバ」だと言う変わり者かも知れません。
    だが、私は創造神以外の諸々の神達のことは、神は光だと言うことに関して否定しているのではありません。私が修業に入って1年後ぐらいでしょうか。師匠に連れられて、ある滝場で滝行となりました。その滝場は湧き水の滝場で夏は水が冷たい。為に、危険な滝場でもあったのです。
    その滝場での詳しい出来事は、私のホームページのhttp://inariyama.com/byaltuko/page010.htmlに記載していますが、私がモウダメだと思ったその時、三つの光が私に飛び込んで来ました。何の光かと思って師匠に聞くと、最初が観音様、次にお不動様、次に稲荷様と言われます。
    通常、霊感者程度の霊能力者の方は神は光だと言われますが、師匠はその光が観音様、お不動様、稲荷様と言いましたので、光であっても光を姿として捉えているのではないかと思ったのです。
    私自身の修業が進み、観音様は観音様、お不動さんはお不動さん、稲荷神はたくさんおられますので各稲荷神、龍神さんは龍神さん、白狐は白狐としてその姿が認識出るようになってからは、神は光だという言い方をしなくなりました。

    私が某掲示板で人に内在する良心神で論陣を張っている時、自分はそんじょそこらの霊能者ではない。霊能者とは桁違いの神通力者で九州で1000年も続く高御産巣日神(タカミムスビノカミ)に仕える神主の家であると言われます。そして、自分の守護神は高木神(タカギノカミ)だと言われます。当時の私は高木神(タカギノカミ)と言われてもピント来なかったのです。
    その神通力者さんは、波動の感度をほとんど受けない鈍い私でも、波動が私に伝わって来ます。掲示板の世界で、これほどの波動を出す人は体験していませんでした。私は大丈夫にしても、掲示板の常連さんが危険だと感じたほどでした。
    その方が神は光で、光に姿などは無い、神仏での姿を見せるのは蛇や狐の霊だ。神は光で姿など見えないと言われることに対して私が反論すると、お前は何の光も持たないくせに生意気だ。自分の神官仲間を引き連れてお前をやっつけてやると言われます。

    そして、実際に私の家に神主姿をした霊が刀を抜いて私に襲って来ました。その瞬間、閻魔庁の役人がその神官姿の方を羽交い締めにして刀を取り上げて、私にどうしますかと聞かれるので、便槽でも叩き込んでおいてくださいと言いました。私の家は汲み取り式便槽なのです。そして、その神主姿の霊は便槽に叩き込まれました。すると、それを見た他の神官姿の霊は蜘蛛の子を散らすように逃げて行きます。これはたまらんです。
    すると、私にある光景が見えて来ます。閻魔庁の役人が一本の高木の上に居る一体の天狗さんを捕獲して、その羽根を切り落としてしまったのです。私は高木の神とは天狗さんのことかと解ったしだいです。その神官が言う光の存在とは天狗さんだったのです。
    その後が大変です。九州のある霊場の大天狗と名乗る立派な天狗さんが現れて、自分の配下の天狗がとんでもないことをしましたと平謝りされます。さらに、天狗界の総元の大天狗さんまで、二度と天狗界からこのようなフラチナ天狗は出しませんと言われます。その天狗界の総元の大天狗さんは、私が見ても神々しいまぶしい光の存在でしたが、やはり大天狗さんとしての姿なのです。
    だふん、この総元の大天狗さんは普通の霊能者であれば光としてしか感知出来ないのだろうなと感じました。

    その事件から、凄い鼻高々の神通力者さんは二度と掲示板に出て来られなくなりました。たぶん、震え上がられたのでしょう。

    一部の霊能者の方から、私の背後には閻魔大王様がおられるとの指摘を受けたことがあります。うかつにもその神通力者さんはそれが見抜けずに、私が別に光を放っていないので、神は光だと鼻高々で私に霊的攻撃されたのでしょう。光だけで判断していると、そうした間違いも犯すのです。

    ある新興宗教の教祖さんで、その方を宇宙の光輝く仏陀と信じる霊能者の紹介で出会いましたが、私にはその教祖様は狸霊憑きかとしか思えませんでした。だが、その信徒さん達で霊感がある方達は、その教祖様がまばゆい光の存在として映るようでした。霊的力があっても狸霊の様な存在を、それを光として受け取るのは、その方がその存在より低い段階に在るということなのです。
    で、その霊能者の人が私を見ると、別に何の光も感じられないようです。普通のようです。光は次元とか霊界の階段で範囲が違っていて、自分がどの段階に居るかで、光として受け取るようです。

    そうした光程度で驚いていれば、天の岩戸と呼ばれる光など受けきれるものではありません。遙かなる高次元の光だからです。天の岩戸の光を通過させる為には、自己の魂を磨かないと断末摩の様な苦しみを味わうことになりかねません

    コツコツと真面目に自己の魂を磨いている方は、天の岩戸の光も通るでしょうが、我れ好しで自分勝手な行動をして魂を汚していた人は気の毒なことになるでしょう。

    光は次元で異なる

    霊界にも太陽はありますが、この世の太陽では無いのです。
    また、各段階で霊界の太陽は光が違っています。

    精神世界

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