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霊的世界の体験幽体離脱で学ぶ「人の子が雲に乗ってやって来る」

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    聖書を信仰する方から聞く言葉に、この世の終わりと新しき世に入る内容として【人の子が雲に乗ってやって来る】があります。聖書におけるそれらの内容は、黙示録やマルコ伝にあるわけです。

    新約聖書 マルコの福音書13章21から  イエス自身の言葉として、
    『見よ、ここにキリストがいる』『見よ、あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起こって、しるしと奇跡を行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。だから気をつけていなさい。いっさいの事を、あなたがたに前もって言っておく。

    その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、大いなる力と栄光をもって、【人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。そのとき、彼は御使いたちをつかわして、地の果てから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
    イエスはこの【雲に乗ってやって来る人の子】を、【彼】と呼びイエス自身のことだとは言っていなのです。それがどうしてイエスだと解釈されたのかが不思議な話ではあるのです。
    イエス自身は大予言者(大預言者)として、その弟子たちに言っているのです。


    ヨハネの黙示録14章の14から
    また見ていると、見よ、白い雲があって、その雲の上に人の子のような者が座しており、頭には金の冠をいただき、手には鋭いかまを持っていた。
    すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲の上に座している者にむかって大声で叫んだ。「かまを入れて刈り取りなさい。地の穀物は全く実り、刈り取るべき時か来た」。
    雲の上に座している者は、そのかまを地にげ入れた。すると、地のものが刈り取られた。

    キリスト教徒は、この「人の子のような方」をイエスその方だと思っているわけです。だがイエス自身が雲に乗る人を「彼」と三人称で語ったように、それはイエス本人ではないのです。
    また、スピリチュアルで自分には天使長ミカエルとか大天使カブリエルが降りて来ると言っているような天使も、マルコの福音書に記載される「にせキリストやにせ預言者」と同様に、終わりの日の近づきには「にせ大天使」達も続出して現れるのです。今は面白いほどそうした「にせ大天使」達が出て来ています。それは単に【世の終わり】が近づいたことの現象に過ぎないのです。

    実際にそうした大天使と称する霊がスピリチュアルの方に告げた内容で、現実にその内容が予言として当たったなど、今日までどこにもないでしょう。いい加減に目を覚まさないといけないわけです。

    地の穀物の刈り取りそのものは、私は「米」教の「みろく」の仕組みで解説しましたが、それは日本語を知らない民族には解らない仕組みです。日本語を持たない西洋人には小麦の「パン」の教えだけなのです。
    大本教の出口王仁三郎聖師は日本人は「米」が主食で、西洋人の「麦」のパンの教えは副食だと説かれたように、小麦は副の二義的な意味の教えでしかありません。

    どちらにしても「実った米・麦」は新しい世(神の御国・みろくの世)に向かい、そうでなかったものは新しき世には向かわないなのです。
    だがその時とは、マルコの福音書にイエス自身の言葉にあるように、【その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使いたちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる】。その到来日は天の御使いさえも知らないことであり、世に出ている神々もまた知らないことなのです。
    私は豊受の神や木花咲耶姫と名乗る御神霊から【世の大立替】が起きると聞きましたが、その時期は解らないでした。創造神でも無い神々にも時期など解る話ではないのです。

    この「人の子が雲に乗ってやって来る」に関して、世界教師(マイトレーヤ)の存在を説いている「ベンジャミン・クレーム」氏は西暦1945年にヒマヤラ神界で光合成で造られた人造人間で「飛行機」に乗ってやって来ると説きました。その人物が「マイトレーヤ」である為には、この【雲に乗ってやって来る】の言葉がどうしても外せなかったのでしょう。
    確かに、人の子が雲に乗って来るなど物理的には考えられません。飛行機に乗って来るの方が妥当性があります。しかし、飛行機に乗って来るでは、どこの誰だかさっぱり解らないとなります。

    私は大本教が「みろく(マイトレーヤ)」大神を世に大宣伝をし、大本教神諭予告「九つ花」を紐解いてその仕組みで五十六億七千万の「みろく(369)」を出せると解った時、万物の創造神たる神がなされた言葉の仕組みとは、人間の浅はかな知恵で創造神は語るようなものではないと気づかされました。
    私達人類や神々は【創造神に踊らされているのではないか?】。だから自分がみろく(マイトレーヤ)などと言ってしまうです。

    日本では天皇や徳川将軍(公方様)を【雲の上の人】と言いました。自分達の目には届かない人の存在です。普通ならば私の様な下々の者には「拝謁」出来ない存在のことです。


    私の神霊世界の修業見聞の中に【人の空中浮揚】が存在しました。万有引力に反していますので物理学では説明不可能です。それはオーム真理教の変則蛙跳びの様なものではありませんでした。だが、空中浮揚とされるものは、雲に乗るなどの高い所まで上がることは出来ません。雲の上とは完全に別なのです。

    私達は仏教画を見ると、観世音菩薩や如来達が雲に乗って来る絵を頻繁に見ます。また西遊記でおなじみの「孫悟空」は觔斗雲(きんとうん)に乗って空を飛ぶです。孫悟空は物語なのでフィクションと言えばフィクションです。
    その孫悟空は「須菩提祖師(すぼだいそし)」という仙人の弟子になり、孫悟空と言う名を与えられたとされます。この須菩提祖師(すぼだいそし)は釈迦の十大弟子の1人とされていますが、諸法皆空を悟った第一人者のことです。

    私は孫悟空という名を見た時、
    悟空は「空」を「悟った」物の意であることは簡単に理解しました。その「悟り」は「吾(わ)れ」の「心」です。自分(吾)の心を覚ることが「悟」です。「空」は般若心経の「色即是空・空即是色・受想行識」で理解出来ることです。座禅で坐ったから解るではないのです。
    私は何事も座れば解ると言う人は【座禅バカ】と言っています。単一の示(衣)しか頭の知恵が回っていないのです。同じ座るのであれば禅の開祖達磨大師の「壁面九年」の故事を知って、初めて「ダルマ(真理)」の意味が解るのです。「九」から学ぶのです。

     

    私は大本教神諭の「ダルマ(達磨)大師として現れた」を見た時、?と首を傾げました。ダルマとは「真理」のことであり、達磨(ダルマ)大師の壁面九年の事柄は壁を見つめて「九」で、壁でなく紙に「九×九」を示した意味かと勘づきました。禅は「単」を示す以上、そこから一つの事柄が見つけられるです。

     

    言葉の仕組みとは、皆さんの想像を絶するほどの仕組みで成り立っているのです。

    禅(禪)=単なる示し
    九つ花の上下左右とも「五番目の口」は「41」の位置に成り立ちます

    五番目の口で悟る心は、人に内在する良心神です

    この存在は私達の魂の内では天帝の分魂が坐る位置ですが、私達からする私達の魂の天帝の分魂は主の御子格ではなくて、主の「孫格」に当たるのです。で、「孫悟空」となるのです。

    大本教神諭が予告した「九つ花」とは、西遊記を読めば魔王が出した【九の数理盤】のことだと簡単に解るのです。

    その孫悟空の「猿」が意味することは奇魂の働きである【叡智】なのです。叡智をもっての「悟」りなのです。いくら「禅」で坐っても「単」の示(しめすへん)しにしか過ぎないのです。

    西遊記ではこの須菩提祖師(すぼだいそし)は「仙人」とされますが、この雲に乗るは仙人の術である「仙術」とされますので仙人ならば雲に乗るとなります。
    この日本で「雲に乗った仙人」として有名なのが【久米仙人】の話です。今昔物語集などではその話が語られています。仙人修行で仙術を得て雲に乗ったが、川で洗濯している女性のふくらはぎに見とれて雲から落ちてしまった。そしてその女性と結婚をして俗人となったが、その後に遷都に運ぶ木材を仙術で都に運んだことで有名になった話です。
    それはフィクションであるかどうかは解りませんが、昔話としてあっても、誰も現実に雲に乗った人など見たことはありません。しかし、霊体であれば観音菩薩や如来図で描かれるように可能な話なのです。


    よく自分が想った感じたことを全て「霊的」世界のことだとする方がありますが、それでは本当の霊界を見たとは言い切れません。間違いなく自分自身が霊界に入ったと解ることの一つに【幽体(霊体)離脱】があります。
    一部に【生き霊】を飛ばす方がいます。この【生き霊】とはその方の想念的なことであって、その生き霊の行為を全て本人が覚えているでないと本当の【幽体離脱】とは言えない面があるのです。
    幽体(霊体)離脱は自分の体から死後の世界に渡る【霊界仕様の肉体】と【魂たる意識】が完全に肉体から抜け出てしまって、地上界には殻の肉体のみが留まっている状態を指します。幽霊と同じような状態です。ただ、肉体から「霊体と魂」が抜け出ても【霊子線(西洋ではシルバー・コード)】が切断されていない限り自分の肉体に戻ることは出来ますので、そうした現象に出会っても別に心配はないのです。

    私が現在住む土地ではなくて「天之御中主」を祀る神社の側に居を構えていたある夜、ふと目覚めると布団には私が眠っています。その眠っている自分を上から私の意識が見守っているのです。よく臨死体験をされた方が語られる病院のベッドなどで自分の姿を見ている自分が居たという類いのものです。
    すると上半身から私の霊体が肉体の頭から抜け出ようとしています。俗に言う「脱皮」的要素です。私の意識は肉体に戻らないといけないと感じた時、私の耳の側ではゴーゴーと鳴る凄まじい風圧が起きていました。そのゴーゴー鳴るような風圧は、肉体から霊体が抜け出す為のものかと感じたのです。

    それらは幽体離脱をされた方の報告にあるゴーゴーと響く風圧、そして上空に引っ張り上げられる力です。そうした体験の方からはトンネルの中を通過するとありますが、その風圧の凄さがトンネルを上空に上がっている様な感触として受けただけかと想われます。
    私の肉体から抜け出た霊体はまだ横たわった状態で上昇に入ります。そこには天井があります。私がぶつかると思ったら屋根も通過します。幽霊が物質界を自在に抜けるのと同じです。霊には屋根とか壁とかの物質は関係がないのです。

    少し上空に上がったところで、当時私の世話をしてくれていた日蓮聖人さんのお弟子だった2体の僧侶霊が、私の両脇を支えるようにして上空に上がり、雲の上に私を乗せると、その雲を操縦しなさいと言います。
    イエスが亡くなった後に、イエスを支える霊達を見た報告がなされていますが、肉体から抜け出て日が浅い霊体だと上空に上昇は支えが必要なのかも知れません。

    私はどうやって雲を操縦するのかと思っていたら、なんとなく操縦法が解って、孫悟空になったような気分で面白くて面白くて飛んでいましたが、「もうこの程度でいいだろう。元の自分の元に戻れ」と言う声が響きます。
    すると、私の霊体は地上に向かって凄いスピードで頭から落下を始めます。このままでは地上に激突だと思ったところ、私の家の屋根の上で急ブレーキがかかり、私の霊体は横になると徐々に屋根を通過して布団に眠っている自分の肉体の中に入って行ったのです。
    全てが終われば、それはなんとも不思議な夢を見たなのです。だが、私の両脇を支えて上昇した日蓮聖人さんのお弟子であった2体の僧侶霊は、私の前に幾度もその姿を現した存在なので、単なる夢ではなかったと言えます。

    私は自分が霊体であっても「雲に乗る」の体験をしたので、私がその聖書に記載される該当者だと言うのではありません。それは仏教における観音菩薩や如来図に描かれるように神霊ならばどなたも「雲に乗る」の話であって、聖書にある「鎌を地に投げ入れて刈り取る者」だと言っているのではないのです。
    聖書に記載される雲の上の内容は、「霊体」ならばあり得るなのです。しかしながら、霊体で現れたならば、それを人々が見ることはほとんどないなのです。実際に大部分の人に幽霊など見えないからです。仮に肉体の人が雲に乗ったとしても、地上から見ればその人は豆粒に等しくて解らないでしょう。

    私が言いたいことは、【人の子が雲に乗ってやって来る】などは、まったくデタラメな話ではなくて、霊界に入れば如来・菩薩達が雲に乗っておられるように見る世界であって、霊界の現象で霊界が存在している証明論ではあるなのです。

     

     

     


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