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私は諸霊から悪神と言われて、その理由は解るのですが、逆に霊界で動きが出たとも言えます

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    私を直接に知る霊能力がある方から電話が来ました。その電話によると、その方の夢の中に「神野公園は悪神だから、あの者から離れなさい」。それが一度の夢のみならず、いろんな諸霊が同様の内容をその方に告げる夢が幾度も出たとのこと。
    一度ならば単なる夢で片付けもしますが、同じ内容が幾度も出て来るとなれば、さすがにこれは単なる夢ではないと思って、私に直接に電話して、自分はこれからどうしたらいいのでしょうかのお尋ねです。

    私は霊能者ではないのでその方に何が懸かっているのか霊的に見ることは出来ませんが、その電話を聞いた私は、多くの霊が私を悪神だと言って私から離れなさいと言うのであれは、そうした霊の言葉に従って私から離れてもいいのです。別に私から離れることを止めません。自分の意思に従えばいいのですと、返答しておきました。

    神霊世界はある意味、勝てば官軍。負ければ賊軍で、創造神とされる「国常立尊」様でも悪神の汚名を着せられて神界の表舞台から退かされて「艮」金神にされたとする世界ですから、別に諸霊からの悪神呼ばわりを気にする必要はないわけです。
    ただ、遙かなる昔に「国常立尊」様の部下的な立場に在った霊は、今は地に落ちたとしても主君であった「国常立尊」様に対する忠誠心が残っている為に、神の紐に結びついているので「国常立尊」様を慕うのです。

     

    以前、日本ブログ村の上位におられた方が「国常立尊」は悪神だと盛んに宣伝されていましたが、霊界では「国常立尊」を悪神とする勢力の方が多数派ではあるのです。本来の創造神を邪神呼ばわり、悪神呼ばわりは多数派である「反国常立尊派」の霊達のお家芸とも言えます。要は勝てば官軍、負ければ賊軍なのです。多数派の論理なのです。


    逆に私が諸霊から悪神だと霊能力がある人に懸かって言われるということは、私の存在が諸霊達の目にも触れて来たとなります。ありがたいことです。出来うれば多くの人に懸かっていただいて、「神之公園」は悪神だと吹聴していただければ、私が言っている内容がより多くの人の目に触れます。どちらの論が正しいかを考える切っ掛けともなります。その判断はその人まかせればいいことなのです。

    こうした霊は、自分はどこの誰兵衛とはまず名乗りません。元々この世に関わって出て来る霊の名乗りはほとんど信用置けません。そうしたことから、例え名乗ったとしてもサニワ(審神)せよと言われているわけです。サニワ(審神)すると、そのほとんどはその名乗りの神名とは違うニセ者の霊だったりします。
    私の2番目の師匠は神仙界修行をされた「言霊師」で、その背後の神霊の名乗りは「国常立尊」でしたが、本物たる存在ではありませんでした。ただ、並外れた霊力を持った御神霊でした。その師匠はそれが見破れずにおられたのです。ある意味道理より見せる奇跡の霊力に縛られたなのです。

     

    仮にも創造神とされる神名を名乗るニセ霊が数多くあるということは、本物の創造神が霊界でも見当たらないなのです。

    どなたでもそうなのですが、自分に力を与えた神霊を【ニセ者】だと疑う者はありません。奇跡力とか魔力に魅入られるからです。ニセ者同士でどちらが【本物】かのやりあいは、霊術合戦で決めようなのです。当然、霊力が強い方が本物の名を取り、負けた方は「ニセ者」の烙印です。
    この世を創造した神が他の神霊の力に負けたでは、そうした名乗りすら吹っ飛んでしまいます。あり得ない話になるからです。

    神霊のお代(取次)している方は、自分が仕える神霊が常時出て来られますが、その神霊の名乗りそのものも嘘だったりします。天照大御神と名乗っていても、その正体は龍神であったり狐霊であったり狸霊であったりもします。信徒何十万の某教団の天照大御神は霊能者サイドで赤龍であると言われています。龍神と呼ばれる段階でないと、何十万人もの信徒を持つほどにはなりません。
    だが、そうした諸霊でも「99%」までは行けるとされているように、ある程度のところまでは行けるのです。些細なことなら事前に当てることも出来るなのです。あの方は目を見張る霊力があるとなれば、人はそちらに流れます。

    そうしたことから、自分に例え神霊が臨んでいても自分でその判断をしてはいけませんし、一人の霊能者の判断のみを鵜呑みにしてもいけないのです。

    私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声が臨んでいましたが、昭和五十五年に私の身に起きた摩訶不思議な事件から、多くの霊能者を訪ねました。本当に子供の頃に私にそんな神が臨んでいたのかです。真偽の確認です。
    最初の師匠とした方は当時伏見稲荷大社講務本庁の信徒団体の婦人部長を勤めていて、稲荷講の中では癸韻領酣充圓箸靴討寮爾高かった方です。その実力はしかと見させていただきました。スピリチュアルを標榜している方の段階ではありませんでした。


    その師匠を通じて豊受の神から私の本守護神様は「国常立尊」様だと告げられたのですが、それ以外にも多くの霊能者の方に霊査を頼みましたところ、全員が全員ではありませんが、そうした霊能者の中の7〜8名の方から貴方の背後は「国常立尊」様ですよと指摘されたので、そうなのかと思っているだけです。

    旧約聖書の神とは、大本教が世に広めた「国常立尊」様となりますので、それからすると子供の頃の旧約聖書の神の名乗りは合っていたのかも知れません。ただ、大本教から出た出口なお開祖に懸かった国常立尊様とは、頂上神たる国常立尊様ではなかったとされています。未だ頂上神たる国常立尊様は世には出ておられないなのです。
    ですから、その頂上神とされる国常立尊(天では天之御中主と呼称)の神力は世に出ておられる神々の段階では解らないはずなのです。
    大本教神典に「君が臣となり、臣が君となる」とありますが、これが何を語っているか解らないでは、根本論から解っていない者となります。


    霊能者の看板を上げていても、実にひどい方などいくらでもおられます。あまりにも酷い状態なので、時間と金の浪費になるので私は今は霊能者頼りはしません。単に人を助けるだけの話ならば、別に蛇霊や狐霊や狸霊でもいいわけです。霊さえ懸かっていれば、その霊を通して霊界は見えるので蛇や狐や狸でもいいわけです。
    確かに一流の霊能者の方は存在しておられるようですが、それはテレビに出て来られる霊能者江原敬之さんの段階ではありません。御本人は素戔嗚尊の魂と言っておられると聞き及びますが、それではあまりにも弱すぎです。八岐の大蛇退治すら出来ません。
    前にも書きましたが、数十体の霊の憑依でのびるでは、もっと上の段階に入って行くと命など取られてしまいかねません。実際に多くの霊能者・行者の方が命を落としているのです。ある意味霊界は怖い世界でもあるのです。

    私は修業時代、黒龍神群団の攻撃を受けて逃げ回っておりましたが、数十体の憑依霊で伸びていたのでは霊界で通用などしません。単に霊が見えるだけなのです。またそうした黒龍神から見て、相手にするような存在でなければ攻撃もされません。力がなければ見逃してくれます。


    私のブログで書かせて貰った方の大蛇霊の配下霊は八千体に及ぶそうですが、私の最初の師匠は豊受様のお代で一万数千体の霊が従っていました。その数を見抜いたのは某霊場の管長さんですが、霊が見えたとか霊の声が聞こえたではなくて、どれだけ実力(配下霊)を持つかが重要なのです。
    霊感者にも白狐が一体ぐらいは見られますが、神のお代と呼ばれる段階の方だと白狐でも数百匹数千匹と従っていたりするのです。
    神霊世界における最終戦争は「龍神」の動員力となります。一体や二体などの数ではなくて、数百万、数千万、数億体などの龍神を従えての話になるはずなのです。


    私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、私に対して【そなたが本当は誰なのか、神々には解らないようにしておく。もしもそなたの本当の身分が解れば、神々が新しき世における自分の出世を願ってそなたの元に押し寄せて来る。そなたも自分が本当は誰なのか知らない方がいい。働くのは肉体のそなたではなくて、霊界のそなたの魂そのものであって、肉体のそなたは「馬鹿」を演じていればよい。遊んでいてもいい。
    そうであっても、そなたが誰であるか解らないような神であれば、その神は使えない。私はそなたに何の力も授けない。そなたに私の力を授けるのは最後の最後の時である】と告げられたのです。

    私は豊受の神から貴方は「言葉の神」と呼ばれる者だと告げられて、いくらなんでも肉体の者が「神」などあまりにもおこがましいで、西洋に残されていた異国の人が異国の言葉で主を語る。その人はその異国では「言葉の君」と呼ばれている。「言葉の君」は自分は主を知らないというが、万軍の主は言葉の君のことを知っていて、万軍の主は全ての裁きを終えた後、言葉の君を召し出して万軍の主の全権を授ける。その日をもってユダヤ人は救われる】。とあったことを思い出して、その異国の言葉とは日本語でも出来るのだろうかと取り組んだだけのことなのです。


    私に臨んだ声の【そなたに力を与えるのは最後の最後の時である】と【万軍の主が裁きを終えた後】で似通ってはいます。だが、そんなものは捕らぬ狸の皮算用でしかないのです。私は主の全権など欲しくも無く、一介の素浪人が似通った愚者です。私は自分かってに【言葉の君】の名を拝借しただけです。それが罪だと言われれば、私は罪人かも知れません。悪神かも知れません。


    ある方が私が本当に「言葉の君」かと某大阿闍梨に霊査を依頼されたところ、この人は「言葉の君」ではなくて「言葉の神」と呼ばれる存在で、言葉の神とは創造神その方ではないが創造神の横に座すほどの存在だと、豊受の神が私に告げられたのと同じ事を言われています。だが、ほとんど「言葉の神(言霊神)」とは知られた存在ではないので、よく解りません。

    私が子供の頃に告げられたのは、神の世界で働くのはそなたの魂であって、肉体のそなたではないと告げられているからです。肉体は肉体で在って、魂は魂であり、必ずしも=ではないのです。ですから私は【そなたは神の人形】だと告げられています。ただ、動く「人形」には人形として【自我】が存在するなのです。そして動く人形には人形なりに「喜怒哀楽」があります。


    単に人形の私でも、もしも豊受の神が私に「言葉の神」などと言われておらなければ、私は大本教神諭予告【九つ花】ですら、何も考えずに通過していたでしょうなのです。
    また朝鮮の予言として残されていた【最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きる】に触れていなければ、「米」教も成り立ちませんでした。だが、それらは【聞く耳持たずであれば、ほとんど意味をなさないものなのです】。



    私は旧約聖書の神と名乗る声の存在から何の神力も授かっていないので、貴方は旧約聖書の神と名乗る声に欺されているだけではないかとの声もあります。

    普通に考えればそれが妥当かも知れません。何の力も授けられずに、霊的世界を歩くのは非常に困難だからです。

    人は見る「奇跡」は信じても、【言葉の仕組み】などには目を向けないからです。

    諸霊が私を悪神と言う論拠の一つには、私が「世の大立替」を説いていることもあるでしょう。

    私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国あり、そなたをそれを知って人々に告げなさい】と言われたことです。それは日本に満ちあふれている日本語という言葉で神の仕組みの解き明かしでした。それは現実に説けたわけです。
    その旧約聖書の神と名乗る声は、私に【私は一度のこの世の幕を降ろして、次に永遠に嬉し嬉の世を創る】と言われたことです。もしもこの言葉がなかったならば、私は【世の立替を世に言わなければ殺す】と言われても、頑として言うことを聞かなかったでしょう。その後に未来永劫の嬉し嬉しの世を言われたから言っているのです。

    問題は、その内容は大本教と呼ばれる宗教が大宣伝した【世の大立替】のことですが、その大立替だけでなく未来永劫の嬉し嬉しの世は、この地球と同型(瓜二つ)の【新地球】だと言われたことです。そこが根本的に大本教とは違って来るのです。


    この地球上だけの話であれば、新しきみろくの世、神の御国はスピリチュアルで盛んに説かれる【次元上昇】だけでこと足ります。だが、別の【新地球】ともなれば、それは天文学的にはあり得ない世界であり、私達は一度この肉体を脱がないと行けなくなるのです。聖書で示される第一の死と第二の死が起きるとなります。
    だがそうしたことに触れているのは、ヨハネの黙示録であったり、聖書の一部分となります。私に子供の頃に臨んだ声が「国常立尊」と名乗らずに「旧約聖書」の神と名乗られたのは、そこを私が見る為だったのかも知れません。


    はっきり言って、私もヨハネの黙示録にある「今日までの天地は消えて、私は新しい天地を見た」などは、途方もない内容だと思います。何故ならば、既存の神霊界にそんなことが出来るだけの神霊が見当たらないからです。
    伊勢神宮に鎮座されている天照大御神でも出雲大社に鎮座されている大国主命様でも、どう転んでもそうしたことを起こす力は無理な話なのです。


    もはや信じる信じないよりも、現実にそんなことが起きるはずがない「与太話」とも言えます。


    諸霊から私を見ると、何の神力も持たない者なのに、日本語の言葉の仕組みなどと「抜け作」同然の仕組みばかりを言って、世を惑わしている悪神だと言われたら、私は甘んじてその【悪神】の謗りを受けなければなりません。

    私は万に一つでも立替の可能性があるならば、それに対処する必要があると思っている者なので、それが嘘であろうと無かろうと今後も説きます。
    私は修業時代は黒龍神群団の攻撃に逃げ回っておりましたが、もう黒龍神も諸霊から束になって攻撃されても、それに負けるはありません。そうした攻撃を受けきれるだけの力はついて来ました。

    仮に創造神と呼ばれる神が存在するのであれば、その創造神が求めておられるのは烏合の衆である諸霊達ではなく、「正義と誠」を旗印として立ち上がれる「牢人」達なのです。牛(宇志)でなければ、天帝と呼ばれる神に仕えるなど出来ないことです。

    宇宙の牛=牢(私の魂は牛頭の人でしたが、今は若侍姿)

    私が東京で著名な霊能者に霊査を受けた時、その霊能者の方が貴方の背後には神界統一が出来るだけの霊がありながら、貴方を見殺しにしておられる。私にはこの霊の考えが解らないと告げられましたが、私には何の力も与えないで見殺し状態が神の仕組みであれば、それを受けざるにはおられないのです。どんな姿ですかと聞いたら【若侍】姿と告げられたのです。今は白馬に乗っています。


    イエスは【世の立替】を説きましたが、現実には何も起きませんでした。キリスト教徒はそれはイエスが犠牲になって救ってくれたと思ったことから「救世主」に祭り上げられましたが、【何をしても良いという身勝手な論理】がはびこると、あらゆるものを汚して地球も宇宙も成り立たなくなるのです。



    世に埋もれてしまっていたお釈迦様の悟り、【人に内在している良心神】は、既存の霊界の天国行きの切符でもあるので立替があろうがなかろうが説くべきものなのです。
    どうしてお釈迦様の悟りが【五十六億七千万】だったのか?、それを紐解けるの大本教神諭予告【九つ花】しかなく、それを【言葉の仕組み】で仕上げた神が存在していたことは揺るぎないことであり、諸霊の知恵の及ばざることなのです。

     

    諸霊達の上野公園は悪神だ!。私達の目には見えない霊界で動きがあったのでしょう。

     


     

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