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かごめ歌は予言歌として知られるが、伊勢の神に見られた鶴と亀

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    最近、複数の人から自分の頭の中に「かごめ歌」が流れ込んで来たとの連絡を受けました。童歌の「かごめ歌」は精神世界に関わっている者であれば、それが【予言歌】であることは知られていますが、解釈がかなり難しいと言えます。その解釈は人様々です。誰の説が正しくて、誰の説は間違いだと断定は出来ません。

     

    私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、【私はこの日本の「民話」や「昔話」に私の教えを秘めた。日本の童歌の「かごめ」や「通りゃんせ」もそうしたものであり、重要な意味がある】と告げられました。

     

    かごめ歌は幾通りかの解釈が可能で、私の説が絶対に正しいと言うのではありません。ただ、私自身の摩訶不思議な体験の中で伊勢神宮の神霊が着用していた金糸で刺繍された【鶴と亀】に何等かの意味が秘められているのではないかです。

     

    カゴメの駕籠の中の鳥として、霊能力がある人が見た鳥には架空の鳥である【鳳凰】を見た方もあれば、【不死鳥(火の鳥)】を見たと言う方もあります。私も夢の中では【鳳凰】を見たがあります。鳳凰の「凰」の字の中は【皇】なので、皇鳥の意味でしょう。

     

    不死鳥(火の鳥)であれば、死んでも蘇って永遠に生きる意味

     

    駕籠の中の鳥が「不死鳥」であれば、人類は一度は死んでも蘇って永遠に生きる存在となります。聖書で説く、待ちに待った一度は死んで【神の御国】に蘇って復活する時を意味して来ます。

     

    いずれにしても、それは今の世が【終焉】となることを意味する鳥と言えます。

    終焉の「焉」は「正しき鳥」 で、終わりに駕籠の中から出る

     

    私が神霊界に修業に入って間もない頃、家の祭壇で祝詞を上げているとある光景が見えて来ました。伊勢神宮の宇治橋の真ん中で正座した霊の私が居て、その私に向かって神主姿の方が走って来られて私に頭を下げられます。そうした光景が一週間ほど続きましたが、それから一週間ほどは何も見ないです。

    その時に私が見ていた伊勢神宮の宇治橋は、私は幾度か伊勢神宮を訪れていますが寸分と違わぬ光景でした。ただ、そこには現実の伊勢神宮であれば多くの参拝者があるはずなのに、そうした人達はどこにも見られないのです。

     

    そして、またもや宇治橋の上で正座する私が居て、神主姿の方が走って来て祓い串で修祓をしてくれます。ただ、その神主は以前に出て来た神主とは別でした。それは来ていた神主の衣装の柄がまったく別物だったからです。

    ある日、私に見えたのはその祓い串をもった神主が宇治橋の欄干で川面を見ながら何かに思いふけっています。私が自宅の祭壇の前に座る時間が遅れたので、未だ来ぬ私を待っていてボケッとしていた模様です。私の姿が見えたのか、慌てて駆け寄って来て祓い串を振ってくれた日もあります。そうした光景が一週間ほど続いて、またもや何も見ない一週間です。

     

    次に私が見たのは、伊勢神宮の拝殿前の大樹の前で私とこれまで出て来られた神主よりも更に上の神主と思われる方と一緒にたたずんでいますと、拝殿の門から神官姿の何十名〜100人程度と思われる一団が出て来ました。その後にはいろんな道具を持ったきらびやかな行列が出て来ます。一つのお道具の行列で数百名も並ぶ神霊行列です。

    こんな絢爛豪華な神霊行列など現実世界では見たことがありません。唖然として、延々と続く絢爛豪華な神霊行列を見ていましたが、肉体の私は会社勤めで出勤しなければなりません。すると、大樹の側でその神霊行列を見ていた霊界の私が神官姿の方にお礼を述べると、その光景は消えてしまいました。その時に見た神霊行列の数は一万体に及んだでしょう。

    だが、驚くにはあたりません。霊界の私が鍾馗神のご案内で西王母と盤古大神が座る神殿に招かれた時、数千に及ぶ将軍と思われる霊達が綺羅星の様に居並び、宮殿の外の大広場には何万もの兵士霊達が並んでいました。たぶん、その神霊の力の誇示でしょう。

     

    そのことを豊受姫のお代をされていた最初の師匠に報告すると、あなたは霊界の伊勢神宮に行かれたのです。私は豊受姫様に付き添われて伊勢神宮の天照皇太御神様には拝謁をしましたが、そんな絢爛豪華な神霊行列は見せて貰えませんでしたと言われます。なるほど私以外に宇治橋を渡る人の姿が見えなかったのは、私は霊界の伊勢神宮を見ていたのかと変な納得をしていました。

    ただ、どうして私にそんな光景を見せて来られたのだろうと考えますと、考えられるのは私に伊勢神宮の神霊に仕えよではないかです。

     

    その後、平安時代の御所のような塀が続く道に3台の御簾で囲まれた牛車が現れて、先頭の牛車から一人の老婆が降りて来て私を見ています。その後ろの牛車にはとんでもない方が乗っていると解りましたが、私に顔を見せられませんでした。その老婆の方は後ろの牛車に乗っている方のお世話の位が高い女官と思われました。

    そのことを豊受姫のお代であった最初の師匠に報告すると、それは○○○さんです。後ろの牛車は伊勢神宮の天照皇太御神が乗っておられたのです。貴方は間もなく伊勢神宮の天照皇太御神様を見られますよ。本当の天照皇太御神様が現れて来る前には、必ずその下見として○○○さんが本人の顔を見に来られます。その○○○さんが先に出て来られないで、突然に自分に天照皇太御神様が出て来られたはある意味危ないのですと言います。

     

    その後、私に一体の神霊が姿を見せられたのです。その姿は女神にも男神にも見えますが、私は男神だと断定しました。私が驚いたのはその服装です。着物の胸の付近には豪華な鶴の金刺繍があり、裾には亀甲紋の金刺繍があります。鶴と亀を意味する存在?。

    私はその時、旧約聖書の神と称する声が言った【かごめ歌】を思い出したのです。鶴と亀がすべったです。そのすべったを「統べる」と取るか、「滑る」と取るのかで違いは出ますが、大切なことは私の【後ろの正面】は誰かです。

     

    全ての霊能力者が指摘して来るではありませんが、私は7〜8名の霊能力者から貴方の本守護神は【国常立尊】様ですと指摘されて来ました。ならば、私の行く道は「国常立尊」様しかないのです。それが私の後ろの正面の神だからです。

    それは「鬼の神」ともされる存在です。 カゴメ歌は自分の後ろの鬼を当てる遊びです。

     

    その時に私が驚いたのは、伊勢神宮の天照皇太御神が女神ではなく男神であったことです。慌てて最初の師匠に聞きに行きますと、伊勢神宮の天照皇太御神は男の神様ですが、別に女の天照皇太御神として出られる女神もあります。一般的にはその女の天照皇太御神と名乗る方が出ておられるのですと言われます。

    その後、幾多の霊能力者に当たった結果、伊勢神宮は本当は男神だけれども女神で出てこられる存在もあると言われる方達が少なからずありました。その女の方は卑弥呼霊ではないかと言う説や天照皇太御神の妹ではないかという説もあるでした。未だはっきりしてはいないようです。

     

    私は男神だとすれば日本神話とは違い、いったいあの方は誰ですかと豊受姫のお代であった師匠に聞くと、その師匠が言うには、豊受姫様は内宮の神は自分より下位の存在ではあるとは言われますが、あの方が本当は何者かと聞いても口を閉ざされますと言われます。豊受姫様が口を閉ざされる以上、神界のタブーなのでしょう。だから、この世の者はそれが誰かとは知らない。

    ただ、その豊受姫のお代である師匠は、豊受姫の本当の夫神は真性「天照皇太御神」だと言われるのですが、その真性「天照皇太御神」様はどこに隠れてしまったのかとなります。

     

    それを知るには、【天の岩戸】を開けなければならなくなります。

     

    私は倭姫巡行が三輪山の檜原神社から出たことで、内宮は「三輪山の神」ではないかと推察しましたが、三輪山の大神は【大物主】とされています。大物主とは、たいへんな力を持った存在の意味です。例えば鳥海山の神も大物忌主と言われていますが、正式には豊受姫です。

    三輪山の神は【大己貴命】とされますが、大国主命の和魂という説もあれば、その妻となったとされる倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)関連の話では三輪山の神は「黒蛇(黒龍神)」とする説もあります。

    もし、三輪山の神たる【大己貴命】が大国主命様であれば、大和朝廷と出雲王朝が戦ったことは同士討ちとなります。まったく矛盾だらけとなります。

     

    この倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は簡略して「百襲姫」とも記されますが、この「百襲姫」が「卑弥呼」であるとの説もあります。

    仮に三輪山の神が伊勢神宮における男神であり、その妻たる「百襲姫」が女神の天照皇太御神として世に出ておられるのであれば、ある意味符合はして来るのです。

     

    少し前、ある方が伊勢神宮に参拝されたところ、天照皇太御神から私に対しての伝言を賜ったとメールが来ました。その内容は【この私が三千年間に渡って、この日本の総氏神を勤めた事実を忘れないでいただきたい】との内容です。確かに、この日本を三千年もの間、総氏神として守っていただいたのでしょう。

    伊勢神宮に鎮座される天照太御神が私のことを御存じなのは、私の魂が霊界の伊勢神宮に参拝に行き、宇治橋で土下座をして霊界の伊勢神宮の神官霊から挨拶や修祓を受けて、一万体に及ぶであろう大神霊行列を見せていただいたことからして、私のことは御存じであろうとは言えます。

     

    最近、大白蛇霊を支配下に持つ霊能力がある方から、その大白蛇霊から【三輪山の神】が何者かの情報が得られました。私はそれを聞いた時、自分の中では納得が出来ました。これまでの三輪山の神が誰かの疑念が晴れたからです。

    それが本当ならば、豊受姫が口を閉ざされる意味も、多くの霊能力がある方が三輪山で巨大な【霊光】を見て来られた現象も合点が行きます。ただ、それは天の岩戸開きの【霊光】とはまったく関係しません。

     

    すなわち、大本教で出た【天の岩戸開け】は伊勢神宮とは何の関係もなく

    鶴と亀が滑ると解釈出来るのです

     

    私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、日本神話の【天の岩戸開け】などの事実はどこにも存在していない。この私が、最後の時の為に創作させた神話であり、そなたはその意味を紐解け】と告げられました。

    もし、伊勢神宮の天照皇太御神から私に託されて伝えられた内容が事実であれば、【この私が三千年間に渡って、この日本の総氏神を勤めた事実を忘れないでいただきたい】は、大本教が告げた艮金神国常立尊の【三千年間に渡る仕組み】の一端であったともなります。

    そこには、【天の岩戸】と称する存在から光を放つ重大な仕組みが暗示されていたからです。

     

    伊勢神宮は正神とか邪神とかではなく、国常立尊の神界大芝居の一端か?

    やがて現れるのが【真性天照皇太御神】か?

     

     

     

     

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