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三次元世界にしがみつく人、エデンの園(神の御国)に戻ろうとする人 その1

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    私達が持っている魂とは、元々【高次元世界】に所属している存在です。しかし、私達人間は魂に肉体と言う物質界の服をまとった為に、どうしても三次元界という社会の概念に縛られてしまいます。【物質界の欲】です。

    古来より、【賢者】達はそうした肉体の束縛から脱出する道を説いてくれました。仏教における【この世の執着心】から離れよはその典型たる教えです。

     

    そして、説かれて来たことは人の執着心は魂を【蛇霊化】させるです

     

    聖書における人類の原罪は【蛇霊の囁き】です。すなわち、蛇霊の囁きから脱出が出来た人だけが、エデンの園たる【神の御国】に戻れるのです。意外なことですが、聖書の教えも仏教の教えも中味的には【蛇(執着)心】から離れなさいと説いているのです。

    私は【悔い改めた蛇霊神】は、現実界の蛇が棒の様に直立をして、その蛇霊神は麗しい元の天人の姿に戻って、本当の【天人界】に入ると書いて来ました。

     

    何が大切かと言いますと、自分を【悔い改める】なのです

     

    私が説いている【人に内在する良心神】は、自己に良心が備わっていなければ【悔い改める】が出来ないからです。良心無くして、【悔い改めが出来ますか?】、と言っているのです。

    それは、人の魂の心棒に蛇霊が巻き付くと、人は蛇霊の囁きに対抗できなくなるからです。蛇霊が人の魂の心棒に巻き付く心棒そのものが【良心神たる真柱】なのです。ですから、スピリチュアルで「愛」ばかりを連発する人は、良心神を理解することは出来ません。愛では何をしても赦されるで「悔い改める」ことが出来ないからです。

     

    日本の神智学では、愛の教えばかりを言っている者は蛇霊の唆しにあっているとされますが、イエスの教えの本質は「悔い改める」でした。しかし、新約聖書は悪魔達に支配された牧師達によってある会議でその内容か書き換えられたとされます。「愛」さえ言っていれば、自分は正しい者と見なされる。そうした錯覚からでしょう。

     

    私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、【旧約聖書は我が書であるなれども、その内容は暗号化されたものであって、表面通り読めば意味が解らぬ】と告げられました。為に意味がよく理解出来ないので、悪魔に支配された司祭や牧師達も意味が解らずにそのままにしたのでしょう。逆に暗号化されていれば意味を紐解くことは困難となります。

    私は日本神道の世界に足を踏み入れて、日本神道は「旧約聖書の世界」かと戸惑いが生じました。そうしたことは一部の人達から日ユ同祖論として出ていますが、それは今の人類以前に源があるのです。そのことは今の日本の神社に鎮まる若い御神霊達が知る内容ではないのです。

     

    ユダヤ教は旧約聖書でも「タナハ」とされるトーラー・モーセ五書を指します。イスラム教はコーランと旧約聖書。キリスト教は旧約聖書と新約聖書ですが、キリスト教はその重き比重は新約聖書でイエスの教えとされるものです。それを私に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【新約聖書は人の子達が為した書】と言われたのです。書き換えられているからです。

    このユダヤ教とキリスト教とイスラム教の三宗教に共通するのは【旧約聖書】なのですが、単に読めば恐ろしいだけの書です。この神を信じない者達は奴隷にするとか、割礼をしていない者は赦されないなどがあります。それらは「暗号」だとは理解されずに、それに引っかかったのが独国のヒトラーと言えます。

     

     

    大本教の出口王仁三郎聖師は、地元の古老達の話によれば、元の金龍池の周囲を下半身の裾をまくり上げて性器丸出しに見せて歩いておられたと聞きました。地元の人達からはとんでもないうつけと思われたでしょうが、まさに珍(うず)の宝を見せておられたわけです。それで「割礼」の意味もある程度解けるのです。

    それは、節分の煎り豆にも花が咲くの【牛虎(艮)金神】が「鬼で云う魂論」と解っていなければ意味は紐解けません。また、魂の中には心棒があるを知らないと無理です。魂の【心棒】を真柱とも言います。仏教で男性のシンボルを「魔羅(真ラ)」ともしますが、割礼の本来の意味がどこにあったかなのです。

     

    性器とは、生まれながら心の器

     

    私は大本教の出口王仁三郎聖師の姿をした霊から、天帝はアラーの神との示唆を受けました。大本教からは「いろは」の言霊が出されたのですが、アイウエオの「ア」門を出て「ラ」の言霊に行く道筋となります。

    大本教からはアイウエオの第十三番目「ス」の神論が出されたのですが、それは霊界物語第十三巻にある【信天翁(あほうどり)】において、この大本教に現れた変性女子はニセ者だ発言で、「みのか尾張の国から現れる」と言葉の道の示しが出されていたとなります。美濃か尾張から出る道は国道は【41】号線です。

    それは、「ひふみ」で演じれば41番目は「スの神」となりますが、それでは大本教神諭予告【九つ花】は織れません。日本語の「アイウエオ」で、太陽神「アモン・ラー」で言えばアイウエオの第41は、「ア」の門を出て「ラ」に至る道筋となります。

     

    それは何を意味しているかとなった時、「ラ」には「良」の漢字が当てられますので、お釈迦様の本当の悟りは【人に内在する良心神】であり、大本教神諭が予告した【九つ花】を紐解けば、そこに「みろく(369)と56億7千万」の数字が浮かび上がって来るとなります。

     

    そこに【神代七代】の仕組みを終えて

    次は【神代八代】に入る仕組みが読み取れるわけです

     

    神代八代とは、「8」は無限(∞)を指して来ますので【永遠の世】と言えます。為には、蛇霊からの「解脱」をしなければいけないのです。

     

    聖書にあります人類の原罪。蛇霊に唆されてエデンの園(神の御国)から追放された人類ですが、大本教霊界物語にあります国常立尊の追放劇も、蛇霊の囁きに毒された当時の神々の多数派工作によるものでもあったなのです。

     

    蛇霊と共に神の御国(エデンの園)から追放された人類

    神の世界に帰還する為には、【巳(蛇)帰る】が必要なのです

     

    力を持たれた優秀な霊能者の方達は、魂の蛇霊化は【奢った権力、莫大な財、怨念、執念、執着】。そして、【色情】から魂が蛇霊化することは御存じなのですが、単なるスピリチュアルと本当の霊能者の違いはそこにあるのかも知れません。

    ある方が大本教霊界物語を読んで、結婚は二度までしか許されないと書かれていたことに対して、何回結婚しようが不倫をしようがそれ認めないような神ならば、まつぴら御免だとブログに書いておられましたが、全ての魂や神々が天帝たる創造神に遵(したがう)はあり得ないのです。為に、永遠の別れの時が近づいて来ているのです。

     

    創造神に遵(したがう)は、尊(御言)の道を行くことであり

    その神霊の力が強いから従属する従うではないのです

     

    聖書に龍神とは霊界の年老いた大蛇霊とあるように、蛇霊神の力は非常に強い為に、それと面と闘う方は数少ないと言えます。霊能者でも命あつての物種です。しかしながら、それでは長いものに巻かれろで「正義」は死んでしまうのです。

     

    私が 現在の神界は善悪ではなく、どれだけ【力】があるかだと言っているのは、そこにあります。蛇は【力】の象徴でもあるからです。

     

    ただ、全ての蛇霊がこの世で言う悪の存在ではないのです。例えば、その地域と住民を守りたいという念から力を欲して蛇霊となって龍神化して、その地域と住民を守護している例があります。しかしながら、それは主の神からすれば、もうその仕事はいいから、自分の魂の身を洗って天に帰りなさいがあります。主の神は怨念とか執念心を嫌っておられるのです。

    私は以前ある事件で、弁天様のお使いの10メートルもあろうかの大白蛇霊に出会ったのですが、その息の臭ささに閉口したがあります。「臭い」ということが、問題を提起しているのです。

     

    エデン園(神の御国)に戻ると決めたならば

    蛇を自分の身から帰らせる【ミカエル】の作業が要る

     

    だが、蛇を帰らせてしまうと自分に備わった霊力を失うなので、霊能者商売をしていると死活問題になりかねません。 神の御国(エデン園)に帰るには、この世に対する「執着心」を捨てなければなりません。この世(三次元世界)に執着すれば、元の神たる世界には帰れないと覚悟しておくべきなのです。

     

    日本の神社に見られる「現世御利益」は、人の目には見えない霊的世界の存在が解るように許されて来ました。また、人々の目が霊的世界に目が向くように奇跡的の示しもありました。

    しかしながら、多くの人はそうした「奇跡」や「現世御利益」に触れたとしても、意識の面で人は元々高次元世界の住人であるの意識まで到達しなかったと言えます。ただただ現世御利益をくださいにしがみついた節があります。

     

    創造神は私達肉体が生きて行く為に、この地球に空気や水や太陽の熱を与えてくれました。そうした自然を見て【神の息吹】を知るべきであったにも関わらず、それすら理解出来ていないのです。日本の神社に存在する神霊段階では、空気も水も太陽の熱も人類には贈れないのです。

     

    私は子供の頃、人々が自然を見て「神の息吹」を感じないことに不思議な違和感を感じていました。

     

    次に続く

     

     

     

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