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魂は丸くないと玉が【歪(不正)む】、魂に心棒が出来ずに良心が真柱神とはならない

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    私は人の魂を見て来て、その魂に【良心神】の点数が出ることを見させられました。だが、そうしたことは今日までの宗教や精神世界で説かれたことがありません。だが、魂に点数が出ることは私以外にも知る方があり、私だけではないと安心したしだいです。

    最近、ある霊能力がある方から人の魂が見えるようになって、その人が見た知人の魂は○型ではなくて△型であったので愕然とした。道理で角ばかりが立っていた人だです。

    このように人々に他人の魂が見えて来るようになると、この人の魂は何だとなります。魂は丸くてもどす黒く汚れている。歪んでいる。変形している。捻れている。腐って来ている。臭い匂いを放っている。一方、あの人は光輝いている。そうしたことが一目瞭然となってしまうなのです。

     

    私が何故に大本教が世に出した【牛虎(ウシトラ)金神・国常立尊】様のことばかりを言っているのかと言いますと、鬼が云う【魂】のことを言わぬ神仏達の存在に呆れかえっているからです。一部の神仏のみが自分の魂を磨けと言われているだけだからです。

    この【鬼が云う】を世に出してくれたのは大本教なのです。

     

    私は最初の頃、魂に出る点数の意味がよく解りませんでした。何の点数だろうです。その当時は単に魂全体の点数だろう思っておりました。大雑把に言えばそれでもよかったのですが、厳密には違ったのです。

    イエスが説いたとされる「愛」の教えと、お釈迦様の菩提樹の下の悟りが「慈悲」だったとされていることから、そこにはさほどの差異はありません。

     

    私が子供の頃、私に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えて行け】でした。恐れずに行けとは、イエスの「愛」の教えが私が説くことの【障害】になるです。どうして「愛」の教えが障害になるのか?。イエスの愛の教え以上のものがあるのだろうか?。ただただ戸惑うだけでした。

     

    イエスの愛の教え以上の存在?

    その意味が解らずに来たのです

     

    そうしたなかで、数十年前に曹洞宗の機関紙たる小冊の中に、お釈迦様の菩提樹の下の悟りは慈悲ではなくて、【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在する】と悟られたとあるのを見て小躍りしたしだいです。お釈迦様の悟りは「慈悲」ではなく、人には良心神が内在するが本当の悟りだったのです。

     

    仏教ではなく、日本神道で「みろく大神」を全面に打ち出した大本教が起きた時、多くの人にとっては何故に仏教ではなく日本神道が「みろく」神を世に出して来たのか奇異に思ったはずです。だが、誰にもその意味が解らなかったと言えます。

    それは大本教神諭が予告した「九つ花」を紐解けば、そこに「五十六億七千万」と「369」となる数字の仕組みの「みろく」神が、【言霊】の仕組みとして成り立っているという驚くべき仕組みがあったとなります。

    仏教でも「八十一体の仏」の形は出されてはいるのですが、その意味が今日まで何を語るのか意味不明でもあったのです。

     

    私が子供の頃、私に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなた一人だけにはその仕組みを見せるので、それを人々に説きなさい】と告げられました。

    私は、【この日本に満ちあふれている】とされるものが何なのかさっぱり解らなかったのですが、鍾馗神のご案内で中国で創造神とされる盤古大神に拝謁したことから大本教の「霊界物語」を読み、出口王仁三郎聖師の姿をした霊から「アラー」の神の示唆と、別の日に私の家の風呂場前で【漢字】と書かれた浴衣を着て立たれたことから、裸(ラ)身に成る前?。

     

    そうしたことから、大本教霊界物語の中の「盤古大神から日本の国常立尊に返還」の意味が、中国で造られた漢字を日本語の「感じ」に変換する仕組みに気づいたと言えます。

    ただ、その前に聖書に記載される【初めに言葉は神と共にあった。言葉は神であった】の言葉を構成する言霊が何であるかを知ったことから、私の神観は「百八十度」ひっくり返ったと言います。ここが解っていないと、大本教の演技が解らないのです。

     

    そうした中で、どうして私が【人に内在する良心神】に至ったのかは、別にお釈迦様の悟りが「人に内在する良心神」であったからではないのです。大本教神諭予告の「九つ花」を「ラ神論」で紐解いたからではないのです。

    最大の「理由」は【棒に巻き付く蛇霊】にあったのです。現実界ではなくて霊的世界の光景ですが、いったい蛇霊が巻きついている【棒】は何の棒かです。 考えて見るならば、心棒とは不思議な言葉です。心の棒ですが誰もそんなものを見たことがないのです。

    その棒が【魂の心棒】のことだと行き着くまでにはそれなりの時間がかかりました。何故ならば、誰もそれを教えてくれないからです。教えが出来るだけの御神霊が日本には存在しておられなかったからです。ですから、どの宗教書にもそうしたことが述べられていなかったのです。

    もし日本の伊勢神宮の天照皇大御神でも出雲の大国主命でも世にそうしたことを教えておられれば、人類はそのことに早くに気づいたでしょう。

     

    下記の図は以前のブログにも出したものです。

     

     

     

    最後の審判は【火の審判】と呼ばれていますが、

     

    火では無くて【光(火借り)】の審判

    良心神は蛇霊神と常に対峙(退治)する

     

    私達は日本神話の中で、素戔嗚尊の【やまたのおろち(八岐大蛇)】退治の話を知ると思います。これは大本教で語られた八頭神が悪かったにつながりますが、素戔嗚尊がその八岐大蛇たる大蛇の胴から取り出した剣を【天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)】と言います。

     

    天叢は、天が業(カルマ)を取る

    各自の魂の過去の業(カルマ)の清算は、良心神が解消する

     

    最後は魂の内部から発する「光の審判」なので、それが起きるまでは【天の岩戸閉め】でもあるのです。【天の岩戸開け】とは、各自の魂の内部(核)から光が出て来ることなのです。それは魂の「核」であり、魂の核爆発による光と言えます。

    予告され続けた「天の岩戸開け」。それ自体は魂の心棒に巻き付いている蛇霊が存在すれば、それを返して(帰して)しまう働きでもあって、魂の中に「心棒」があれば良心神たる心棒は育っているのです。聖書で人類の原罪とされる蛇霊の囁きから脱却する話です。

    これを日本神道に持って来ると【天の岩戸開き】となるだけのことです。一八十度ひっくり返せるので、【一八十(イワト)開】けに過ぎません。

    問題は、各自の魂の中に良心神たる「心棒」があるかどうかなのです。

     

    魂の【心棒】は心の棒ですが、心棒は【軸】で解るように

     

    魂が丸くないと、魂の「心棒」が育ち機能していない

    魂が歪んでいたり捻れていると、心棒が出来ていない

     

    私はその人の魂が歪(不正)んでいたり捻れていると、もっと【素直】になりなさいと申し上げています。神霊が見えるとか、神霊と会話が出来るだけでは魂に歪みがあったり捻れていると「心棒」が育っていない為に誤った方向に進みます。

    私が説いている【良心神】が何を意味しているのか、何一つ理解すら出来ないのです。

     

    大本教から【ス】神論が出ました。今日では多くの新神道系の教団では【スの神】として出していますが、それらの教えを言う神霊達も【スの神】の意味すら理解には至っていないでしょう。何故に大本教の出口王仁三郎聖師は【ス】の神を出したかです。ス神論は「素(ス)直」の意味ですが、ス神は「光」の神の意味ではないのです。

    私は大本教の出口王仁三郎聖師と思われる霊が私に対して、回教宣伝使の姿で【ア・ラー】だと見せてくれましたので、日本語のアイウエオで「ア」の門を出て「ラ」に行く【みのか尾張】の国から出る【41】の言霊の道だと理解出来ましたので、ラ神(良神・羅神)論に行けました。

     

    自分には神霊が見える。神霊と会話が出来。それで、これだけの仕組みをした神の存在が貴方に解るのですか?。と私は問うのです。仏教も聖書も含めた世界的規模の話だからです。

    霊が見える。霊と会話が出来ると言う者が千人万人に一人出て修業しても、その中から本物は万人に一人程度しか出ないとされる世界で、千人や万人に一人の段階で自分には大身の神名や天使名を名乗る霊が出て来ると言っていても、言葉の仕組みでなされた【良心神】が理解出来ないのは、その人の魂が丸い正球でなく歪んでいたりするからです。

     

    本当に魂に良心神が育っている方の性格とは、穏やかで常識人です

    別に霊が見えたり、霊と会話が出来るが条件ではないのです

     

    大宗教家に成るような魂の方は別として、単に神霊が見えるとか神霊と会話が出来る霊能力者の段階だと魂の点数は低く、社会で世の為に人の為に尽くして常識人で温和な性格の持ち主の魂の点数は、霊能力がある方よりも上回っているものなのです。つまりそうした方達は【菩薩道】に徹しておられるからです。

     

    世の為人の為の【世根(米)】の道は、菩薩道

     

    行者の末路は哀れなりと言いますが、霊能力を誇って地獄界に墜ちていく。私が伏見稲荷山の夏の宵祭り頃に御膳谷の清明舎で宿泊していると、真夜中に清明舎横の豊受姫の瀧とされる清明瀧から天津祝詞や般若心経を上げている声が聞こえて来ます。

    それは真夜中に人が瀧に入って祝詞やお経を上げているのではなくて、生前は行者であった霊達が本当の天国にも渡れずに、死後も瀧に打たれる行を積んでいるのです。もう、【哀れ】としか言えません。私は多くの行者霊が迷っているのを見て来た一人なのです。

     

    いくら霊が見えて会話が出来ても、良心神が解らないのは自己の性格を【悔い改め】なければならないのです。

     

    人としてこの世に生きている肉体の魂には天帝の分魂である【直霊】たる良心神は授けられていますが、死後の世界の魂には天帝の分魂たる直霊は存在していないのです。だから、神々には良心神を言っても解らないのです。

     

    ですから、【人に内在する良心神であり】

    死後の自分の魂には良心神は存在しない

    この世で人として生かされている間が勝負

     

    人の魂が歪むのは自分の行為の「不正」であり、人を恨む。人を攻撃する。憎む。自分勝手な行為。自分は偉いものだと変なプライドに支配される。そうした【心の持ち方】が自己の魂を歪ませるのです。

     

    貴方の性根は曲がっていませんか

    偏屈になると、自己の魂が歪みます

     

     

     

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