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この世の地獄と霊界での地獄 どちらの地獄がよいのか?

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    多くの科学者や医学者は自分の目に見えた世界しか肯定しませんので、死後の世界や魂の存在を否定する方達が大多数です。

     

    無論、霊世界を言う方の中にも精神病に一歩手前の方とか、まったくインチキで霊感商法をする方とか、確かに霊は見えてはいるのでしょうが低級霊に踊らされている方達が多数ありますので、自分の目に見えない物は全て否定する方達から見ればインチキだとかオカルトだとか批判されてしまう側面はあります。

    そうした中で、公然と死後の世界などは無いと言う某仏教宗派もありますが、宗教はどの宗派であろうとも【天国と地獄】論を展開します。では、宗教家達はその【天国と地獄】を見たことがありますかと質問されたら、否。自分は見たことがないけれども、昔からの教えだ。宗教開祖の教えに地獄の存在があるで終わってしまうでしょう。

     

    日本における地獄の概念は、天台宗の僧であった「源信」が仏教の経典等から集約した【往生要集】にあるとされます。

    原始仏教においては【六道輪廻】が説かれました。「天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道」です。その六道を「輪廻」しているです。

     

    仏教の六道輪廻を簡略に言えば、

    ・天道は、天人達が住む世界ですが、未だ解脱には至っていないです。

    ・人間道は、私達が住む世界ですが、「四苦八苦」は免れないです。

    ・修羅道は、戦いに明け暮れて、苦しみや怒りが絶えない世界です。

    ・畜生道は、牛馬などの畜生の世界のことです。

    ・餓鬼道は、餓鬼の世界のことです。

    ・地獄道は、この世での罪を償う、世界のことです。

     

    この【六道輪廻】の観念が本当に正しいかどうかは別として、【輪廻転生】そのものは存在しており地獄界は存在しているとは言えます。

    私自身は少しばかりの霊界体験に過ぎませんが地獄の存在を見て来ました。仏教では八大地獄(八熱地獄)とは別の八寒地獄と合わせて十六の地獄が説かれていますが、私は「氷の世界」を見ましたが、その氷の世界を寒さで分類したのが八寒地獄なのかも知れません。

     

    俗に仏教で言われる地獄には牛頭や馬頭姿の鬼達が居て、地獄に墜ちた亡者達を苛む獄卒とされていますが、私がこれまで見て来た【閻魔庁】の役人達は、神社などに参拝すると出て来る平安時代や鎌倉時代の警備の武士の様な姿で、鬼のような牛頭虎パンツで金棒を持った出で立ちの者は一度も見たことはありません。

    私は大本教の型演技で、この艮(ウシトラ)には【牛虎】もあるぞよで。牛頭虎パンツの地獄の獄卒とされる鬼は、言葉の意味合いで「魂(鬼が云う)」論であることに気づきましたが、そうした鬼的な獄卒が地獄にいたとしても別におかしくはないと言います。霊界はこの世と違って、いろんな存在があるからです。

     

    霊的世界は広大であり、自分が全てを見るなどは出来ません。私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【人はその一生において何もかも解る立場ではない。自分は見ていなくても、他の人は見たのかも知れない。自分が見ていないからと否定するのは実に愚かな者が言う言葉である。他の人が見た物も知識として得るならば自分の知識となる。人はそれによっては多くのことを学ぶことが出来る。】と告げられました。

    霊的世界は霊能力が備わっていないと見えません。しかし、自分に霊的能力があるからと言って、自分が見ている霊的世界だけに固執している方達もあります。【神界ピラミッド】が語られますが、自分がその神界ピラミッドのどの辺に存在するのかそれすら見定めていないで、自分が見た神霊の言葉だけで視野を広げない方達が多数あります。

     

    そうした中で私が見た地獄の一つに、俗に「奈落の底」と呼ばれる世界もありました。私はその底を降りて見ようと降りたのですが、降りても降りても行き着かない。これは「無間地獄」で降りても降りても底に着かないかも知れないと諦めて、途中で反転して帰って来たがあります。

     

    魂は【玉型の思惟】であり【意識体】です。その意思によって、ある程度は【自在】です。だが、いくら自在であっても、自分は天国に行くで天国には行けませんし。自分は地獄には絶対に行かないと頑張っても、地獄に向かって行くなのです。そこには【法則】があり、自己の意思だけでは【法則】を越えられないなのです。

    スピリチュアルでは知識として【引き寄せ】の法則を言います。格言として言えば【類は友(類)を呼ぶ】です。自己の犠牲をいとわずに他の人のことを助ける様な人達は、そうした人達ばかりが引き寄せられるので自然と天国界を創ります。しかし、自己中心主義の自分勝手な人達はそうした人達ばかりが引き寄せられるので自然と地獄界と呼ばれるような世界を創るとなるのです。

     

    宗教家の任務とは、天国天人の生き方。他を救って自らは世根として働く犠牲心。それに向かっての指導なのです。

    ですから、宗教とは【人の胸(宗)】の中にある存在の教えであり、イエスが説いた【愛】の教えもその【人の胸(宗)】の中の存在の一部ではあるのですが、愛は「正義と公平」を失うと自己の家族だけとかの狭い了見になって【偏蛇】に陥りやすいのです。愛は善と結びつかないと【良心神】としての機能が発揮出来ないのです。

    大本教では魂の核(奥)たる【良心神】を教えきれなかったので、その出口として「愛善」の教えになったのです。

     

     

    私は奈落の底を見ずに反転して引き返しましたが、私の母親がやはり奈落の底を見ようと降りたと言います。そして底に着いたと言います。そこで私の母親が見たのは意外な光景でした。私の母親の魂は、私の最初の師匠は豊受姫のお代でしたが、その豊受姫をして自分より上の神の分魂だと言った存在です。豊受姫より上位の神とは、大本教で説かれた豊国姫(坤金神)の分魂だったのです。ならば、豊受姫の自分よりも上位の神の分魂の言葉も頷けます。

    そもそも日本の記紀神話には、豊国姫(坤金神)の存在は説かれていません。記紀神話は「国常立尊」そのものが名があるだけで消された神であり、ましてその妻神たる「豊国姫」が無くてもおかしくはないのです。「牛虎(艮)があれば羊猿(坤)」がないとおかしいのです。

     

    私はこの世の地位や身分でその人の魂を判断してはいけないと言っているのは、私自身豊受姫から私の母親の神力は豊受姫より上と聞かされても信じられませんでしたが、その母親がこの世を去る半年前から母親に豊国姫と思われる霊が出て来ておられるのを見て、大本教の出口王仁三郎聖師が一部の信徒達に死守せよと命じた土地を私の母親が苦労の末に買ったのも、全ては神界の仕組みの一環だったのかと認識させられたしだいからです。

    大本教で出した坤金神の豊国姫は日本神話における伊弉冉尊と同じ様な存在になりますので、伊弉冉尊が「黄泉国」を知る立場ならば、豊国姫の分魂であった私の母親が奈落の底まで降りて行ったとしても別に不思議ではありません。

     

    その母親が奈落の底に行き着くまでに見た地獄とは、牛頭馬頭の鬼が罪人を苛んでいる世界ではなかったのです。当然に光が無い暗闇の様な世界で、僅かな明かりの中で見た地獄の住人達は【魂が抜けた】よう腑抜けのような人達がヨロヨロ歩いていたり、寝ていたりボケッとしている世界だったと言います。

    その光景を見た私の母親は、あんな地獄だけは絶対に行きたくないと言いました。あんな世界に住むのはもう人間じゃないです。

    私はそれを聞いた時、その地獄ならば私も過去に見た世界と解りました。簡単に言うと、

     

    私も見た地獄は映画の「ゾンビ」の様な存在の人が集まる世界

     

    私はかって何人かの霊能力者の方達から、ある教祖に出会って欲しいと頼まれて、東京に行って出会いました。その教祖は、単に私の名刺を見ただけで何も言いませんでしたが、その教祖の周りを取り巻いている熱狂的な信徒達を見ると、その頭には白の三角頭巾。この教祖は信徒達を皆、亡者道に行かせると解りました。墜ちて行く先は、そうした「ゾンビ」の様な人の姿の状態の世界にです。

    その教祖はその教祖を一時は崇めていた女性霊能者に、自分は地獄に墜ちるであろう。その地獄に信者達も引き連れて行き、地獄で自分の王国を造る。貴女も一緒にその地獄に行こうと誘ったので、その女性霊能者が断ったところ自分を離してくれないと告げて来られたので、陰からその引き離しを神仏にお願いしたことがあります。

     

    悪魔と契約をすれば、自分の魂を食べられるがこの世での幸せを得られる等と言われています。もうこの世には出られないような状態を言うのかも知れません。ただ、生きているだけ。死ぬことも出来ないのです。

    死後の霊的世界において地縛化した霊は、同じ行為を繰り返していることが報告されています。霊の地縛化(幽霊として出て来る)は、自殺をすれば陥るとされています。そして、同じ光景を繰り返しているとされます。すなわち、ゾンビと同じと言えます。

     

    この世には、この世の地獄と呼ばれるような辛い環境もあります。しかし、霊界に入って映画の「ゾンビ」のような状態になって、どれほどの時間か解らない状態で暮らすよりも、この世の地獄の方がどれだけましかです。

    この地獄の「ゾンビ」の様な世界を見た方は、私や私の母親以外にもおられるようで、どなたもあんな世界には絶対に行きたくないと言われます。あまりにもおぞましい光景なのです。魂が無くなるとは、生ける屍と言えます。

     

    この世の地獄には終わりの日があるが

    あの世の地獄には終わりがあるとは言い切れない

     

    私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【人は死んで産まれるを繰り返す。この世に居る時間とは魂の命からすると僅かな時間に過ぎない。その僅かな時間に「刹那心」に溺れてはいけない。刹那心に溺れると自分の魂を腐らせる】と告げられました。

    魂が腐ってしまいますと、もう人としてこの世に出ることはないのです。

     

    どんなにこの世で置かれた環境が劣悪でも

    それに立ち向かう勇気が要るのです

     

    天国は「禄(6)の世界」で、この世は「苦(9)」界です。天国で「禄(火水)」の花を咲かせるには、この世の「苦」を逆転させなければならないのです。この世では幸せばかりで、あの世でも幸せばかりは、あり得ないのです。

    日月神示などでは「でんぐり返し」の言葉があるようですが、【6と9】のでんぐり返しもあるのです。

     

    天国での花を咲かせるには、この世の「苦労」を積ことです

     

     

     

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