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天国界に一気に上がる超特急エレベーターと天国に一歩一歩上がる既存の階段

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    私達はこれまで【輪廻転生】の中で、神の御国たる天国界に進むのに一歩一歩階段を上がっていました。その道は果てしなく遠い道で、仏教では【化城喩品第七】にそうしたことが説かれて来ました。

     

    その【化城喩品第七】が説く内容とは、インターネット上に出ているものから一部を抜粋させてもらいました。

     

    【たとえば、人跡未踏の荒野があるとする。五百由旬の悪路を大勢の人たちが、宝を求めて歩いていくとする。道は険しく、 人びとは途中で口々に不平をいい始める。疲れた、これ以上は歩けない、前途なお遠い、引き返そう、と。道案内人は、このままでは 宝の処まで行けないと判断し、方便を使って一行を導こうとした。すなわち神通力で、道の途上に城を作って、一行に言ったのである。 あそこに城がある、ゆっくり休んでいこう、そこに滞在してもいい、と。一行は大いに喜んで、そこに止宿した。そうして道案内人は 人びとが、ゆったり保養し元気を回復したのを見はからって、城を消滅させて、言ったのである。諸君、宝の場所はもうすぐ近くだ、 この城はみんなを休養させるために、私が仮に作ったものだ、と。一行はまた元気よく、宝の場所へ向かって歩き出した。

    僧たちよ、如来もまたこのようなものである。衆生のために道案内となり、生死、煩悩の悪路を通り過ぎなければならない。 もし衆生が一仏乗のみを聞いて導かれるならば、衆生はこうおもうだろう。 仏道ははるかに遠い、久しく苦しい道のりを 歩いていかなければ、到達できない、と。こうして仏は方便をもって、道の途中に止宿するため、 二乗すなわち声聞乗と独覚乗 を設けて、言うのである。この城は仮のものだ、宝の場所はすぐ近くだ、と 】

     

    このことを【化城(まぼろしの城)】と言います。

     

    仏教においても、他の宗教においても【我が宗派の教えを信じれば天国(極楽)】は、こうした「化城(まぼろしの城)」の教えと言えます。天国は遙かに遠い等と言えば悲観する人達も当然に出ます。そこには【嘘も方便】もあります。

    世には葬儀の時にお坊さんにお経を上げて貰えば極楽に行けると信じている人達があります。しかし、仏典には僧侶がお経を唱えたから極楽に往生だとは書かれてはいないのです。学ぶことによって。自分が思っていたことが間違っていたことに気づくなのです。

     

    大本教の出口王仁三郎聖師は、魂の旅は辛いものだと記しておられます。この世に人として出て死んで、この世に人として出て死んで。そうした繰り返しの「輪廻転生」の中で天国への階段を一歩一歩を歩んで来たわけです。

    その階段は霊界でと言うことではなく、【この世での私達の生き方】において天国階段を登っているわけです。二歩登って一歩下がる。三歩登って二歩下がる。だが、時には失敗もします。その時には一気に階段を降りてしまうです。

    私達は自動車の任意保険でそうした体験をします。一年間無事故であれば保険料が割り引かれて一等級あがります。しかし、事故を起こせば事故によっては三階級ぐらい落とされます。一年に2回も事故を起こせば一気に五〜六等級ぐらい落ちます。そこから元の階級に戻すのにそれだけの年数が余分にかかってしまいます。

     

    そして、これは肉体を持った魂だけではなく、人にはその肉体を守護しているところの守護霊で本守護神・正守護神ではなく、その肉体を指導することで自分達の霊界での階級を上げようとしている霊達、一般的には【副守護神(霊)格】の存在もその肉体と同じ状態にあるのです。自分が指導して導いていた肉体が階段を上がれば、自分達も霊界での階段を上がれるです。

    一部の霊感者には、大本教や他の神道系でも説かれた【本守護神・正守護神】は肉体が道を誤れば一緒に落ちるものだとの錯覚があるようですが、自己の内在神たる【本守護神と正守護神】は階級が落ちることはなく、その地位は不動なのです。

    それは肉体を指導しているのは本守護神や正守護神ではないからです。肉体はその本守護神や正守護神が居る段階まで上がらないと、自己の魂には帰結出来ないからです。それまでは他の指導神霊に従っています。

    スピリチュアルでは貴方の本守護神とか正守護神などはほとんど出て来ないのが一般的です。貴方には天使が就いている式で終わってしまうからです。自分の本守護神や正守護神が下の界に落ちるのではなく、その人を背後で指導や守護していて○○大神や天使など称している外から来た外在の神霊が下位の霊と交代したりするのです。

     

    本守護神・正守護神は自分の魂の源元で、高い霊世界に存在している

    その世界に帰るのか、帰らないのかの帰結の問題

     

    一部の霊能力者の方達が既に説かれるように、今は各自の外在神ではなくて、自分の魂の系譜たる内在神に切り替わろうとしています。外在神の霊力を頼るのではなくて、自己の内在神を成長させる時なのです。それは高い霊界に帰る為にです。

    外在神に頼って霊力を誇って、自分は凄いのだ!。偉いのだ!。等とおかしなプライドを振り回していても、自己の本守護神・正守護神には何一つ帰結していないのです。逆にそのプライド(誇り)が、【埃(ほこり)】的なものに化してしまいます。

    自己に懸かる外在神の名は解っても、自己の内在である本守護神や正守護神がどこからも出ていないとすれば、それは実に変な話なのです。

     

     

    通常、霊界に行くには仏教で説かれた死後の世界は三方向の途がありますよの【三途の川】を渡って天国への途です。仏教で「化城」の教えにあるように天国への道は遠いのです。為に、大多数の方は輪廻転生が強く働く「中有界」です。中有界と言ってもその上界では天国に似たような世界も存在して来ます。ただ、本当の天国と違って輪廻転生が強く出て来るです。あるスピリチュアルの女性は、自分は一万回も輪廻転生して来たと誇っておられましたが、それは自慢にはならない話です。

    天国に入るには僧侶のお経ではなく、神主の祝詞でもなく、自分がこの世で積んだ【徳】分がどれだけあるかてす。良心神の点数です。

     

    ところが、大本教の出口王仁三郎聖師はそうした「三途川」だけではなくて、神一筋の「少途川」の存在を説かれました。だが、この道を行く人は当然に【希(まれ)】なのです。

    これは【天帝】たる万物の創造神を命を賭しての信仰なのです。出口王仁三郎聖師と共に苦難の道を歩まれた当時の大本教の宣伝使達は、皆さん高い霊界に行かれたと、宇佐八幡宮の御使いと称する霊は私に伝えて来ました。ただそれは、出口王仁三郎聖師に率いられたいた当時の宣伝使達で、今の大本教の信徒と言うことではないのです。

    だが、創造神に向かう道は少途で解るように厳しき道で、一歩道を誤れば谷底に墜ちるなのです。私がこれまで接して来た豊受姫や木花咲耶姫の分魂の持ち主は、皆さん「国常立尊」様で走っておられました。

     

    私は、これを【天神様の細道】と言っています

     

    私が言う天神様とは、人間であった学問の神として信仰される「菅原道真」公のことではありません。西洋ではエホバの神、アラーの神。日本では【天之御中主(地上界は国常立尊)】と呼ばれる存在です。

    今日まで誰も仏教では聞いたことがない【少途川】。大本教から「少途川」の存在は出されましたが、詳細が述べられていません。しかし、私が知る「艮金神・国常立尊」様を主神と仰ぐ霊能力がある方達は、少なからずもこの川の名前を知らずにその道の存在のことは知っておられるなのです。

     

    ただ、私が言霊の教えを受けた二番目の師匠の御祭神は「国常立尊」と名乗っておられましたが、ニセ神でした。その師匠の元に自分が本当の国常立尊様を祭神としている者だと称する霊能者の方も多数出て来られて、その中でどちらが本物かの霊術合戦も行われました。そうしたことでも解る様に国常立尊と名乗るニセ神も存在するように、豊受姫と名乗るニセ神も存在しています。天照皇大御神や大国主命と名乗るニセ神達も多数跋扈しています。

    私が今の神霊世界は一筋縄では行かないと言っているのは、そうした神霊達の跋扈があまりにも多いからです。

     

    大本教の出口王仁三郎聖師か説かれた「少途川」以外にも、天国への特急コースは存在しています。例えば、四国八十八カ所遍路旅がそうです。バスや自家用車で回るのではなくて徒歩コース。おそらく【善根】を知る【四国の米(八十八)】の世根コース版とも言えるでしょう。

    ただ、この特急コースは霊界の壁を登るコースで、その登り方を指導する神霊や天使の補助が無ければ何人も自力では上がれません。これは【この世概念】に縛られてしまうと無理なのです。牧師や僧侶をしていると、神仏を拝んでいればとその教義に縛られてしまい、概念が邪魔してしまうなのです。実践として神仏の存在を素直に信じるのが良いのです。

     

    神仏の存在を「ス直(すなお)」に信じるのがスの神論

    信じる者は【儲(信じる者)かる】の道です

     

    私がこれまで接した「国常立尊」様を言われる方達は、皆さん、霊界の壁の登り方を知っているがありました。私の母親は霊が見えるではありませんでしたが、夢の中で女神からその霊界の壁の登り方を教えられた言います。たぶん、その指導神は「豊国姫」だっと思われます。

     

    優秀な霊能力者達が、人はその存在が正神なのか邪神なのか見分けるのは難しい。仮にそれが邪神と知らずに信仰したとしても、その人の信仰が【至誠】に通じていれば、天はその人を助けると言われます。至誠天に通ずるです。

     

    その信仰の「姿勢」が悪ければ、【至誠】は天に通じず

     

    日月神示などでは、【九十九%は邪神】との説が出ていますが、数多くの小さな力の邪神のパワーと数少ない力強い正神のパワーとでバランスが取られていると言えます。 だからこそ、その教団の教義を鵜呑みにするのではなく、自己の良心神を磨いて照らし合わせなければならないのです。

     

     

    大本教からは【世の大立替】が予告されました。それは今日までの【輪廻転生】の終わりを告げます。そうすれば、これまで「輪廻転生」で天国への階段を上がっていた人達からすれば、【冗談】ではないとなります。俺達はもっともっと上の霊界に行きたかったのにそのチャンスを奪い取るのかです。

    そこに天の御国に一気に上げる「超特急エレべター」が用意されているのです。それは【天の御柱(天之御中主)】と【地(国)の御柱(国常立尊)】とを結ぶ神界の超特急エレベーターです。大本教から天の主宰神たる天之御中主と、その地位を追われた元の地の主宰神の国常立尊は【同一】神であると説かれて来ました。

     

    これは天の御柱神と地の御柱神の直結にしか出来ない仕組みなのです。

     

    一部の霊能力者の方は、それを【神界機密ゲート】と称しておられます。しかし、その機密ゲートの存在を知っているからと言って、誰もそれを大々的には言われません。それは、未だゲートそのものが機能していないからです。

    世の大立替時には【天帝たる創造神】が現れると考えられています。それに処するものとして、天と地を結ぶ場所が無いと、その【超特急エレベーター】が運航出来なくなります。そこに大本教神諭は、綾部は【神戸(かんべ)】と出しました。

     

    つまり、綾部には天の岩戸は無いが、【神の出口たる戸】が「直」にあるなのです。 大本教開祖は【出口直】。

    綾部(あやべ)の古来名は【漢部】

    漢部(かんべ)は【神戸(かんべ)】

     

    大本教神諭の、ここは綾部に「神戸」の漢字を振られたのは出口王仁三郎聖師です。当時の大本教内部では出口なお開祖のお筆先がひらかなであったことから「ひらかな」文字に固執する開祖派と漢字の研究に没頭した出口王仁三郎聖師との間には確執がありました。綾部は、ここは「漢部」だからこそ、漢字の仕組みが存在していたのです。綾部は漢からの帰化人「秦氏」が絹の織物をしていた土地なのです。そこで、漢の人達(部)で漢部と呼ばれたのです。

     

    綾部に創造神の降臨が起きた時、このエレベターは機能するです。階段ではなくて、一気に天国に渡すです。

     

    そこに大本教は綾部に天の造化三神が降下されると、綾部は神の【聖都】と予告したのです。大本教では平成に入ってその造化三神が降臨される場所としての【平成神殿】群が建立されましたが、創造神はその「依代」として人の肉体を使って降下するのであり、建物や神像や道具類に降りるではないのです。 いわんや紙に書かれた「文字」に降臨するではないのです。

     

    こうしたことは、私達の魂には【霊子線(西洋ではシルバーコードと称されるが、必ずしも銀色線ではない)】の存在が説かれていますが、地球の玉にもそうした「霊子線」が存在しているなのです。私達の目には見えない霊界であっても、一つ一つ証拠を固めて行けば、そうした存在も解ることなのです。

    私は【霊子線】の存在を神から教えられたではなくて、自分の目で見てきたことからその存在の正しさを言いますが、その存在すら説明しない○○大神と名乗る霊が自分に出て来たからでは、その人の目は狂っているなのです。「霊子線」のことは、大本教や日月神示や他の書やスピリチュアルですら既に出されていることなのです。

    邪神達はそうしたことを他から学ばれることを非常に嫌います。自分達がそれらに対しての説明能力を持たないからです。

     

    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えで満ちあふれている】と言われましたが、自分に臨んで来た神霊の言葉ではなく、この日本には創造神の仕組みが満ちあふれているのです。自己の努力の学びしだいで、日本人ならば創造神の仕組みが見えて来るなのです。

     

    神社参りをしたからと言って、天国階段が上れているとは限りません

    それらは神の存在を認識するだけであり、自己の魂磨きとは別物です

     

     

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