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人の子の手で創作されたイエス救世主論でなく、個々の人に自己の救世主は存在する 

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    最近、これは何かがおかしいぞと感じる人達は増えて来ていると思われます

     

    そうしたこともあるのでしょうが、私のブログを読んでいる方から意見を頂きました。私が説いているお釈迦様の本当の悟りであった「人に内在する良心神ではなく、大きな愛をもって全人類を無条件で救う神人たる救世主だろう!。真理などどうでもいいことだ」。そうした無条件で全人類を救う【神人】の登場だと言われる方は、その方以外にも多々おられます。

     

    かって私が出会った悪党(神代と呼ばれる時代からの悪党)は、神は困っているから助けてくれと頼みに来た者だけを救っていればいいのだ。自分の様に悪をする者に対してシャシャリ出て来るなと言いました。自分の悪行を反省することなど一度も無く、神代の時代からの輪廻転生も、いくらこの世に生まれ出ても悪行を続けるでした。そうした改心をしない悪党と同じ論理です。

    ある意味、神は今日まで【悪の存在を赦して来ておられた】とは言えます。悪が存在しなければ、善も解らない。それはどんな時代の舞台であろうとも、悪は物語の終わりの時が来ない限り滅びないからです。弥勒の世に悪は存在しません。

     

    悔い改めない存在まで無条件の愛で救って行くということは、今の世と呼ばれる物語に終わりの日は永遠に来ないことを願うであり、別に【弥勒の世】と呼ばれる日の到来など何も望んではいないということなのです。

    しかしながら、今の地球環境を知るならば、これはおかしいぞと誰しも感じるところなのです。この地球がどこまで持つかです。そうした時、この地球そのものを救うだけの力を持った神人たる救世主待望論は出て来るでしょう。

     

    確かに、全人類を無条件の愛で救う救世主等と言う存在があるとするならば、そうしたことを言っていればこと済むことです。私もほとんど知られていない霊界を知る為に、こんな苦労をする必要などどこにもなかったのです。全ては救世主たる神人に任せて、自分は遊んでいたり寝ていれば済むことだからです。

    私が霊的世界を知る為にこれまでに費やした金額は家一軒分にも及びます。神々が何もかも教えてくれるではないので、調べるために膨大な時間も金銭も費やして来ました。何の為にこんなことをしているのだと、自分でも疑問に思うような日々でした。神など知らない方がどれだけ楽だったかです。

    自分は何の努力もせずに、全人類を無条件の愛で救う神人の救世主だろう!。そうしたことを平然という方は、私はその方には「みろく世」などは永遠に来ないと言います。

     

    巷には自分が【救世主】ですと名乗っておられる方は多々おられます。そうした方の中にはある程度の規模の宗教団体を起こされている方もあります。でも、全ての人がその人を救世主とは思わない。【無条件の愛で全人類を救う神人の救世主だろう】と言っていても、そうした自分が救世主だと称している人達のことは本物の救世主とは認めない。思わない。

     

    だとすれば、人は何をもって【無条件の愛で全人類を救う神人の救世主】と認定するのか?。となります。

     

    一部の方からですが、【救世主とか自称創造神とかを称している方】を救世主だと思い。その方の信徒となって、あの御方は「救世主」様です。貴方もその方の元に参加してくださいと言って来られる方達も多々ありました。

    私もこれまで自分が救世主ですと称される方の何人かに出会って来ましたが、救世主論には困惑するだけです。何をもって自分が救世主だとか創造神だとか名乗っているのか?。

    私は全ての霊界を見た身ではありませんが、そうした方が持つ霊能力で自分が救世主だとか創造神だとか称するにはあまりにも霊力が弱いのです。救世主だと名乗ったところで何も出来ない。地球環境はどんどん悪化して行くだけで、地球環境の破壊を止められない。で、救世主?。

     

    大きな愛をもって全人類を救う神人の救世主だろう!。そうしたことを平然と言っている人達は、どんな存在が救世主だと思っておられるのでしょうか?。

     

    私は神霊界に修業に入って、イエスが見せたとされる水上を歩くことが出来る力とか。空中を飛ぶことが出来る力とか。空から食べ物を降らせる等の物質移動の力とか。医学では不可能と思われる病も治す力とか。そうした霊力を駆使する人達がこの世には何人か存在することは知りました。

    それらは【奇跡】と呼ばれるものですが、それを全ての人に対して見せられるかとなれば、そうではありません。やはり肉体を持つ身は限られた範囲で終わります。そうした奇跡の示しを少人数の場では出せたとしても、【全人類を救う救世主】には成れないのです。限定された霊力にしか過ぎていないのです。

    巷の自称救世主と称する方の中には、自分が科学でも起きるとされている南海トラフ地震などの超大型地震を事前に止めたので起きないと言っている方達もありますが、そんな話ならば誰でも言えるのです。ほら話とどこが違うかなのかです。そうした地震が起きたならば、「自分の力足らずで、ごめんなさい」で終わりです。

     

    私は修業に入って4年ほど後、大黒龍神の浄化問題に遭遇しました。その黒龍神が私に語ったのは嘘のほら話かどうかは解りませんが、豪雨の夜に私の寝所に現れて、【自分がノアの方舟の話にある40日間昼夜の大雨を降らせた存在だ。こんな大雨が40日間連続して降ればどうなる】と言いますので、私は【大洪水にはなるだろう】と返しました。すると、返事はそれだけかと言うので、それだけだと言うと。怒って帰ると言います。

    その黒龍神を私の背後霊団が私の肉体で浄化させようしたのですが、その時の私は精神的にも未熟でその浄霊に失敗しましたが、自分は霊界が何たるかを知ろうともせずに、全人類を救う神人の救世主だと叫んでいれば、そうした魂を汚した存在の浄化が出来るとでも思っているのでしょうか?。

    人は必ず死ぬ者で、魂が一瞬の間だけ物質界たるこの世で肉体を持つ存在にしか過ぎません。【霊(ヒ)止(ト)」なのです。仮に創造神が助けるとすれば半永遠の命である魂の存在であり、必ず死を迎える定めの肉体の方ではないのです。

    全霊界の霊や魂と呼ばれる存在の全ての汚れを受けきれる肉体を持った神人などあるかです。もしもそんな存在があるとしたならば、それは地獄を消すほどの存在と言えます。

     

    悪業を改心しない肉体を救って、その魂を地獄に落としたでは本末転倒

     

    その時の私は、それが黒海黒龍神とは知らなかったのですが、2番目の師匠からそれは黒海の大黒龍神だと聞かされて、黒海ならば場所からしてノアの方舟の話にも通じるかとは聞いていました。

    全人類の魂を浄化出来る霊力とは、一体の大龍神の浄化程度ではすみません。救世主待望論者は、個々の人が自己のカルマを解消する為にこの世に生かされてことすら学んでいないと言えます。

     

    誰も【お釈迦様を救世主とは思いません】。お釈迦様は全人類を救うなどと一言も発しておられません。自分の自己努力の悟り等で仏陀と成る小乗の道を説かれたのであり、法華経にはお釈迦様の教えを聞こうと集まった比丘や比丘尼達に対して、この場から立ち去れと命じられて立ち去った比丘や比丘尼五千人とあるように、仏法を学ぼうとしたから仏陀の道に行けるというものでもないのです。

    また、その道を求めたからと言って、その態度が学ぶ者として相応しくないであれば、お釈迦様とて自分の前から立ち去れとなります。

     

    お釈迦様は、仏に救いを求めるならば【観世音菩薩】に頼みなさいと他の仏に救済を投げておられます。で、観世音菩薩が全人類を救うおうと祈願されているかとなると、それもなさそうです。観世音菩薩に必死に願った人だけが助けられたという実績はありますが、全ての人を救っておられるとは言いがたいのです。

    神仏の前で少しだけ手を合わせて、自分を救ってください。その願いを聞き届けてくれる神仏が世界のどこに居るでしょうか?。自分が困っている時に縁がある神霊であれば助けてくださるもありますが、誰も彼も助ける神仏など存在しません。為に、自分と縁がある神仏を求めて全国の神社仏閣を渡り歩くもあるのです。そうやって自分と縁がある神仏に出会われた方は多数あります。

     

    自分を捨てる神あれば、拾ってくれる神もあり

     

    私の以前のブログに【自分を観音菩薩として祀れと言った大白蛇霊】の記事を書かせて貰いました。一部の観音菩薩像に宿っている霊の正体が何かと言った時、大蛇霊であったりもしているのです。

     

    偶像には霊が宿りますが、しかし、その霊力は全地球に及ぶでは無い

     

    単に困っている者の今だけを救うであれば、別に蛇霊や狐霊でも出来るのです。だが、蛇霊や狐霊でその人の魂の【カルマ】が消せるではないのです。一時の救いと魂の根本的救いとを一緒に論じてしまうと間違いの元になります。魂を根本的に救わないと何時までもこの世で「輪廻転生」となるのです。

    世の大立替と宣伝されたことは、霊界における【輪廻転生】のシステムが終了してしまうことなのです。その時点における魂の点数が固定された点数になってしまいます。今の苦しみさえ除去出来ればよいという事案ではないわけです。

    これから先も輪廻転生が延々と続くとするならば、その苦しみは来世に行きます。またもや、来世で不満たらたらなのです。

     

    私は修業時代、蛇霊から【困っているから助けてくれと頼んでいる者を救ってどこが悪い】と反論されたことがあります。私はそれに対して、【困っている人を助けることが悪いなどと言っているのではないのです。どうして貴方は自分の身が蛇霊なのか?。それに対する気づきを言っているのです。蛇の身を脱却すべきではないのですか?】。

    そうした気づきをされた蛇霊は、蛇霊の身から麗しい天人の姿となって天に帰られる。私はそこを言っているのです。単に全人類を救う神人の救世主だと言っている人達と私とでは捉える視点そのものがまるで違うのです。

     

    おそらく、大きな愛をもって全人類を救う神人の救世主だろう!。そうした事を言う方の概念にはキリスト教で説く「イエス救世主論」があるのでしょう。

    自分が犠牲となって他を救う人は【奇特】な行いであり、キリスト教は【基督】教と呼ばれますが、【奇特】であってもそれによって全人類を救える神界パワーがイエスに備わっているではないのです。

     

    今の世に、仮にナザレのイエスであった魂が肉体を持って出て来ても、全人類を救う救世主などには成れません。イエスがこの世に居た当時、その信徒数に関しては諸説ありますが、ロドニー・スターク著によれば紀元40年のローマ帝国内のキリスト教の信徒数は一千人だったが、西暦350年に3400万人になったします。いずれにしても、イエスが居た当時はそれほどの信徒数ではなかったのです。当時のキリスト教はユダヤ教のセクトたるミニ教団だったと言えます。

    キリスト教が世界宗教になって来たのはイエスの弟子達の活動にもありますが、弟子達ではなくてローマ皇帝「コンスタンティヌス1世」によるものなのです。一部の霊能者の間で、イエスとして現れる霊は「コンスタンティヌス1世の霊」であるとの説まであるのです。コンスタンティヌス1世は神の存在を見たローマ皇帝です。そのローマ皇帝の信仰によって、キリスト教は世界宗教なって来たのです。

     

    しかも、イエスは全人類を救うなどと一言も言っていないと思います。自分の教えが聞けない者は「地獄に墜ちろ」と激しく言っています。キリスト教ではイエス一人だけを神の子として認める者だけが人類の原罪(蛇の囁きによる罪)から助かるです。そして、イエス一人だけを神の子と信じない者達は地獄に墜ちろです。キリスト教の教義そのものに異教徒も含めて全人類を助けるなどはないのです。

    無論、私などはイエス一人だけが神の子だの説は信じません。イエスは神の子であっても、それはイエス一人だけではないのです。大本教が説いたように、全ての人が【神の子、神の宮】で、別にキリスト教を信じないから地獄行きだと牧師から言われても、かまいませんよと言う一人です。

    もし、イエスが「愛」一辺倒の教えの主であるならば、自分の教えを聞けぬ者は地獄に墜ちろとは一言も言わなかったでしょう。イエスが説いたのは、【天国はもう間近、悔い改めなさい】と説いたのではなかったのではないでしょうか。その教えをねじ曲げた者達が後の世に居たということなのです。

     

    イエス救世主論は、後世の者達の作為と言えます

     

    確かに旧約聖書においては、旧約の神は人類の終わりの前に人類を救う為に自分の一人の子を人類の上に遣わすとはあります。しかし、人類を救う為にとあっても、どういう救い方なのか何も示されていないのです。その主の一人の御子がナザレの【イエス】のことだと思われて来たのです。しかし、それには前段があります。その前に男女の二人の預言者を出して1260日の間説かせるです。私はこの「1260」の数字の意味は何だろうかと考えて来ました。

    大本教の出口王仁三郎聖師は、その男女の預言者の存在は大本教出口なお開祖と自分の二人だとも言われています。その男女の預言者をイエスに当てはめようとすると、イエスの場合はその女性の預言者がどこにも存在して来ません。

     

    イスラム教の開祖マホメット(ムハンマド)は、イエスは旧約聖書に記載された該当者ではなくて、偉大な尊敬すべき「大預言者」であったとしています。

     

    大本教の出口王仁三郎聖師は、その「1260日」の証明として、出口王仁三郎聖師が囚獄に収監されていた通算期間と言われています。では、出口王仁三郎聖師はそれでいいとしても、出口なお開祖のどこに「1260」の数字があるのかとなります。

    これは大本教神旗を「九曜紋」から「十曜紋」に切り替えるがありました。この十曜紋の外角は九角で、その総和は「(n-2)×180」で「1260」なのです。このことなのかも知れないのです。

    大本教神諭予告【九つ花】は【九曜紋】のことではないのですが、大本教の演技には言霊と数霊が密接に絡まっているのです。

     

    そして、大本教が世に問うた【いろは四八音】は、今日では言葉として【四(ヨ)八(ハ)音(ネ)】であったともされるわけです。

     

    私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、【私の書は旧約聖書なれども暗号化されており、暗号を解かないと意味は解らぬ。新約聖書は人の子達が為した書で、私の書には非ず】と告げられました。

    私は大本教神諭が予告した【九つ花】に咲く一輪の言霊の経綸の仕組みから、無条件で全人類を愛で救う神人(救世主)など出てこないと言っています。為に、各自の魂にはお釈迦様の悟りの各自の救世主たる「良心神」が存在しており、日本神道の大本教が何故に仏教の【みろく神】を前面に出したかです。その各自の良心神の発露があれば何が起きても助かるでしょう。

    一部の霊能者や超能力者の方も最後の審判は【自分の良心神】が判定されると言われてはいますが、今の愛で何をしても赦される一辺倒のスピ全盛の中ではそれは通らない論理ではあるでしょう。多数決で言うならば愛しか言わないスピが絶対的多数派なのです。

     

    無条件の愛などは、それは大本教神諭に書かれる艮(牛虎)金神の仕組みを知らない各自の副守護神が、この神(国常立尊)の仕組みの邪魔をするそのものなのです。スピで自己の正守護神の存在を説く人などは皆無と言えます。

     

    キリスト教におけるイエス一人を神の子として認める者だけが人類の原罪(蛇の囁きからの罪)を赦されて永遠の神の御国に入るが、そうでない者達は地獄に墜ちるが形的的に正しいとするならば、イエスの地位を「良心神」に置き換えれば、魂の中の良心神を神の子(天帝の分魂)として認める者だけが人類の原罪(蛇の囁きからの罪)から赦されて、そうでない者達は地獄に墜ちるともなるのです。

    イエスは40日間荒野を彷徨って悪魔を退けて41日目に神の子となった。大本教神諭予告の九つ花は、40迄は荒野の彷徨いで悪魔が出ても、真ん中の「41」で悪魔を退治する良心神を得る形式なのです。

     

    【大きな愛をもって全人類を救う神人の救世主だろう!】 

    そんな巨大な霊力を持った神人がどこに居るのかです。

     

    もう、いい加減に目を覚ます時なのです。自己の魂の中に良心神が育っていれば、そんな言葉そのものが出てこないのです。

     

    一人一人に、その人の【救世主】が存在しているからです

     

    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたはバカを演じていればよい。働くのは肉体のそなたにはあらず。そなたの魂である。私は神々にそなたが本当は誰の魂であるかを解らないようにしておく。そなたも自分が誰であるかを知らず。されど、そなたの背後にこの私が居ることが解らぬ神では使い物にはならない。私はそなたが説くことに従う者達は助ける。もしも、そなたがこの神の教えを間違えたならば、それはそなたの教え方が悪いのではなく、この神の「仕組み」そのものが悪かったのである】と告げられました。その仕組みに基づいて説いているだけです。

    それは私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫は【貴方は言葉の神と呼ばれる貴きお方で、貴方の言葉による教えは天帝の「詔」と同じであり、貴方の教えが聞けぬと言う神は如何なる神であろうとも天帝に対する反逆罪として裁かれる】と告げられたのです。そこにあったのは日本語の【言葉の仕組み】から読み取る教えだったのです。

     

    出来の悪い肉体の私を見て云々ではありません。肉体の私をいくら拝んでも何もならないなのです。仰ぎ見るのは大本教が予告した【九つ花】による一輪の言霊の経綸なのです。

    巷には大本教神諭が告げた【九つ花】による「三六九」の型を何も言わずに「三六九神示」成るものを出している方を救世主様と信じている方もあるようですが、大本教神諭をよく読めば、そこに何が書いてあるのかが解りそうなものなのですが?。

     

    今の人類は多様な考えを持ち、非常に自己主張が強いと言えます。それを大きな愛で全人類を救う。いったい、それはどんな【愛】なのでしょうか?。単に【愛】という言葉に酔いしれているだけとは違うのではないでしょうか。 そうした人達は、そうした人達ばかり集まって自分達の国を作るべきなのです。そして、【愛】とは何か?。模索すればいいのです。そこには愛の名の下に何をしても許されるとする悪党が集結するでしょう。そうした者からどつかれ殴られて虐げられても、愛だ!。愛だ!と永遠に叫んでいればいいのです。

    自分の最愛の家族が何の落ち度もないのに無残に殺されて、犯人に愛で貴方を赦します。そんな言葉、自分がその立場に置かれたならば、出せる言葉ですか?。神から言わせればそれは偽善者でしょう。罪を犯した者には罪を償って欲しいが本当でしょう。

     

    旧約聖書の神とは、【目には目を、歯には歯を】

     

    の言葉で解る様に、自分が犯した罪を精算させるなのです。ですから「輪廻転生」には【カルマ】があるのです。もう間もなく人類は永遠の別れの時に入るでしょう。

     

    もし愛で何もかも赦されるであれば、ウシトラ金神【閻魔大王】は要らぬです 

    警察も要りません。悪のやりたい放題で行けばいいのです。

     

    みろくの世は、仕組みを見れば二つの流れの派に分かれると予測出来ます。この地球から出て新天地の地球における神の御国に行く人達は、ヨハネの黙示録の頃から予言されていたことだからです。

     

     

     

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