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神国日本の皇の菊の紋章とは太陽神の徴で、【三六九】による仕組み

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    私は神霊界修業として最初は伏見稲荷講に所属したこともあり、未だ大本教に特別の関心も持たない当時、一つの夢を見ていました。

    それは平成に入って、大本教では天の御三体の神様を祭る場所として建造された平成大神殿群が建つ土地に並んで農林省の広い施設があり、昔は【米と蚕】を研究していた試験場と呼ばれる建物と土地があります。今はその名称を変えていますが、地元では昔ながらに上野の【試験場】と呼んでいました。

     

    私の夢に、その試験場の東北の角地の場所に五:六:七の割合の大きな白色の立方体の建物が建っています。それは「みろく講堂」と出て来ます。その土地の西北には、五段の円柱たる石塔が建っています。その塔は「太陽」神を意味する塔でした。

    石塔の一番下の円柱には、その周囲に「三十二ヶの半円」の様な物で囲まれているのが見られます。その上の円柱には同様に周囲に「二十四ヶの半円」があります。その上の円柱の周囲には「十六ヶの半円」があります。更にその上の円柱の周囲には「八ヶの半円」があり、一番上部の円柱だけには何もありません。つまり、中心が【芯】となる円柱です。

     

    夢の中の私はその五段の円柱を見ていて、何故にこれが「太陽神」を意味する構造物だと首を傾げているのですが、円柱を囲む半円の存在は光の放射の意味であり、それを花に例えると【菊】の花を象徴していることに気づきました。

    すなわち真ん中からすると「八弁の菊」「十六弁の菊」「二十四弁の菊」「三十二弁の菊」。つまり、日本の皇室を指して言う太陽神たる天照大御神の【菊の紋章】とは、光の放射状を形どったものであるです。

     

    ただ、当時は五:六:七の割合の立方体が「白色のみろくの講堂」と出たことに、五六七の意味合いは「白の立方体」を指しているで、五×六×七=二百十。この二百十とは【米の実り】の日であるとしか理解は出来ませんでした。何故に【米の実りと五六七】とが関係するのか?当時はまるで解りませんでした。

    その夢の中に出て来たのは、大本教が天の御三体の神様を迎える場所として建造した場所とはズレているでした。昔の綾部は西日本最大の【蚕都】と呼ばれていました。そこで農林省の「蚕の試験場」たる施設もあったのです。

     

    日本神道で【高天ヶ原】とは【米と蚕】を意味する場所とされますが、蚕は天の虫で【綾を織る】。言葉の綾で【米】を実らせる。それらは体験の【験】にて【言葉の式(試)】とする試験。その当時は、そんなことだとは露ほど思ってもいなかったわけです。

     

    大本教神諭に【九つ花】は綾部で咲く花とありますが、綾部に【米と蚕の試験場】があった

     

     

    私の最初の師匠は豊受姫のお代で娘時代は大本教の少年少女隊に所属して、大本教の出口王仁三郎聖師を直に見た時代の人ですが、やはりその農林省の場所が重大な聖地であるとは語っていました。しかし、その土地を買収して宗教施設にするなどは、とんでもない費用が掛かり膨大な信徒を持った大宗教でない限り現実には出来ない話です。

    私の最初の師匠は、私が綾部で全盛期の大本教以上の教団を創り上げて、その地に神殿を建てると思っていましたが、私に下されている命令にはそれはないのです。私が受けた命令は、この日本に満ちあふれている「言葉」の仕組みの解読です。

     

    現状では天の御三体の神様を迎える場所が例え違っていたとしても、別にさほど問題は無いと思われます。何故ならば、私の夢に出たその農林省の施設がある場所の神殿への入り口として南大龍門と北大龍門があったのですが、その北と南の龍門が現在の北と南とでは逆転しており、今の世の時代を示した霊的映像では無いと言えたからです。みろく世が到来してからの話と見ました。

    各種の予言で【どんでん返し】とか、地球の【N極とS極】の反転が言われています。そうなれば、北と南が入れ替わる事態にはなります。どちらにしても、その時は今の世ではないでしょう。

     

    私は旧約聖書の神と称する声から、この地球と同型の新地球に人類は次元上昇して移るというとんでもない【神の大望】を聞かされた一人であって、そうした新しい地球の存在を言う方達は私の様に「国常立尊」様に関わっている人達で、そうしたことを聞かされていたり、外国でもそうしたことを言われる方達もそれなりにあります。

    旧約聖書の神が国常立尊であったとしても、その存在を【悪神】と言われる方達は西洋にも日本にもあります。誰しも今の自分が置かれた現状が良ければそれを変えたくないでしがみつく、今の自分が置かれた現状が悪ければそれを変えたいという想いは起きるからです。

     

    悪神というのは善悪からだけではなく、自分の置かれた現状を【保守】するか、【革新】するか、そこにもあるからです。

     

    気をつけておかなければならないのは【弥勒】の漢字 

     

    いよいよ始まる【改革の力】を意味しているからです

     

    そうした事が本当に起きるのか起きないのかは、起きてみなければ解らないであって、神霊界のどなたかがそうした【神の大望】を抱いておられるなのです。それは当然にヨハネの黙示録に昔から書かれていることであり、【旧約聖書】の神と言う存在にはなるわけです。それを日本では【ウシトラ金神国常立尊】とお呼びしているです。

    日本では、西洋の宗教が説く【唯一神】の存在は消されています。皇室神道たる日本神道により退かされている状態ではあるのです。では、日本の皇室神道で世界に行けるのかとなったら、それは無理なのです。そこに大本教以後の新日本神道系の教団では、本当の【真性天照大御神はまだ天の岩戸の中】に隠れておられるなのです。

     

    初めに言葉は神と共あった、その言葉の仕組みとは、とてつもなく大きなもの

     

    私が大本教神諭予告「九つ花」を紐解いたのは、やはり夢の中の光景に【天の頂に白十字路】があり、その角地に【五重の塔】があり。対たる角地には【ひょうたん池】があったのです。その二つを見ていて、五重の塔を上から見たとする作図をすれば「将棋盤」。ひょうたんからは【駒】が出る。駒を走らせるのは「九と九」の将棋盤。駒は言葉の句たる【言霊】のことだと気づいて、大本教神諭予告の【九つ花】が紐解けたと言えます。

    私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声の、【そなた一人だけには、この神の仕組みを見せる】の一環だったのでしょう。

    私はスピリチュアルに見られる霊が出て来て、その霊が語った内容を言っているのではないのです。私に出て来た【霊的映像】を見て、そこから「言葉」の意味を紐解いているのです。つまり、子供の時に言われた、【そなた一人だけには、この神の仕組みを見せる】からです。

     

    大本教神諭に予告された【九つ花】は、大本教では【九曜紋】の事だと思い込んでしまった節があります。ところが、大本教に在籍していた当時は出口なお開祖派で反出口王仁三郎聖師派とされ、後に「神道天行居」を開いた【友清九吾(ともきよ きゅうご)】師。後に「友清 歓真(ともきよ よしさね)」と称されますが、その【九吾】師にとある神が大本教神諭が予告した【九つ花】とは、「九の数理盤」のことであることを教えた神があったとされます。

    そこから起きたのが、真ん中の「41」は【天之御中主】様のことである。あるいは本当の【真性天照大御神】様のことである等は既に世に発表されているのです。だが、【九つ花】の事の重大性には誰も気づけなかったなのでしょう。それは【誠の者】ではなかったからです。

     

    【本名が九吾だから、九つ花の仕組みを教えた神がある】

     

    友清師に何が抜けていたかと言えば。「五×六×七=二百十」の【米の実り】の意味が抜けていたなのです。私がいくら朝鮮に残されていた救世の為に【米】一字の型の教えが出るとされる予言の中味を説いても、理解出来ないのは「米の実り」の意味が出来ていないということなのです。宇宙の【立法】の意味が解らないなのです。

    その点、私は伏見稲荷大社講に所属していたので、「米一字」ではなくて、その前の「稲成り」の元には居たのです。

     

    稲が実れば【米】たる者は殻(肉体)を脱いで、脱穀(脱国)しなければならない

     

     

    大本教の出口王仁三郎聖師は日本人は「米」が主食で「バン」は副食。西洋人は「バン」が主食と説いておられますが、みろくの教えは「米」と実った稲の刈り入れで、旧約聖書はパンとなる「小麦」の刈り入れとなっているのです。

     

    大本教神諭に、【野だったのか地だったのかを忘れましたが、落ちた米粒は一つだに拾い救い上げる】がありますが、

     

    「米(世根)」たる者を救うは、天からのお約束ごとなのです 

     

    天照皇大御神の代理者としての日本の皇室は【十六弁菊】を紋章としましたが、一部の方達はその「菊」は太陽神の光の放射を意味したものだと気づいてはおられたようですが、その上には「二十四弁菊」や「三十二弁菊」もあるということです。

    私達日本人も一番気づいていなかったことは、聖書にある【初めに言葉は神と共に在った】が日本語による「三六九」の仕組みであったことなのです。

     

    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【日本神話は意図をもって私が作為させたものであり、その様な事実があったのでは無い。そなたは日本神話に私が如何なる意味を秘め作為させたか、意味を読み取りなさい】でした。

    また、私が師事した豊受姫からも、「日本神話の内容は事実では無い」と承りました。大本教神諭にある三千年前から日本の言葉で仕組まれているなのです。

     

     

     

    私の夢に真ん中が無い丸形のパンが出て来て。イエスの教えは美味なる【パン】の教えなれども、そのパンは真ん中が抜けている「ドーナツ」型のパンの教えと出て来て、イエスは【真ん中】の教えが説けなかったに、?と考えていました。

    また、私は夢の中にコブラ蛇が上に駆け上がり。ヴェーダ典に残される【人の中に眠るコブラ蛇が目覚めて走り上がる時、人は「真理」に目覚める】を体験して、【真理】を目指す道にと走りました。

    その時、お釈迦様は「真理」を悟られたが、イエスは「真理」を悟らなかったと出て来て、お釈迦様とイエスの教えの違いは何だろう?。そこに「真理」が隠されていると追求に入ったと言えます。

     

    しかしながら、お釈迦様の菩提樹の下の悟りは【慈悲】とされていて、それではナザレのイエスの教えと何等変わりはありません。私が旧約聖書の神と称する声から告げられたことは、【そなたはナザレのイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えて行け】でした。愛を越えた教えでないといけないのです。

    その当時は、イエスの教えは【真ん中が無い丸形のパン】。それが何を語るのか?。もう一つ理解不足だったとは言えます。

    だが、【九つ花】を円形にすることで、イエスの教えは【真ん中が無いドーナツ形のパン】と出た意味が、今になってようやく解ったなのです。イエスは太陽神が座る場所に座ってしまったからです。

     

    スピリチュアルの霊が自分に告げたなどは「田安い(容易い)教えでして、米として実れるような教えではないのです」。そうした霊達では大本教神諭予告【九つ花】を紐解けるような段階の霊達ではないからです。こうして私が紐解いて世に見せたとしても、それですら理解が出来ない段階なのです。

     

     

     

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