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【天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず】 なれども、魂の世界には高い低いの階級がある

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    慶應義塾の創始者である「福沢諭吉」翁は有名な名言を残しておられます。よく知られている有名な言葉とは、【天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず】ですが、これは「現世」たるこの世における人の立ち位置であって、死後の世界たる霊界に当てはまるではないのです。

     

    この内容は福沢諭吉翁の「学問のすすめ」にあり、【天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤きせん上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資とり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり」。

    この冒頭の部分は「アメリカ合衆国の独立宣言」を持ってきたものとされています。ただし、その文の後半を読んでいくと福沢諭吉翁は差別主義者であったとの批判も出てきます。「霊界と輪廻転生」の意味を完全に理解しておられなかったことは内容から読み取れます。

     

    この学問のすすめは、どこまでもこの世における表面論です。しかしながら、人はこの世に「輪廻転生で幾度も出される」。そこにあるのは【魂の学び】であり、何も学ばなかったならば意味をなさないのです。

    単に自分には霊が見える。霊と会話が出来るで、霊とは如何様にも化けて出てきます。その霊の言葉だけを鵜呑みにしているでは、霊的世界の学びにも人としての学びにもなっていません。

    私の元にはそうした霊が見える。霊と会話が出来る方達から種々のメールが来ます。どなたもご本人自体、そうした霊にこれまでどれほど欺されたかと言いながらも、まだそうした霊と手を切れないがあります。また霊の言葉に欺されて行くなのです。

     

    お釈迦様は目連尊者以外の弟子には【霊性開発】を禁止されたと言われていますが、霊の言葉に欺されないだけの人でないと安易に霊界に関わってはいけないのです。自分に言葉を囁いてくる霊以上の知識を学んでおかないと簡単に欺されてしまいます。

     

    仏教の開祖であるお釈迦様に対して、一部に【お釈迦様も俺達と同様に飯を喰って糞を垂れる。この自分と何等変わらない】と言われる方達があります。確かに、お釈迦様は霞を食べておられたわけではないし、霊の様にこの世の食を必要とする存在ではありませんでした。肉体を養う為にはお釈迦様とて「食」さなければならないし、排泄も必要だったのです。

    ただ、この世に肉体を持ったならば、如何なる高貴な魂を持った者でも【天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず】の中に置かれるのです。

     

    私達は日本人は八百万の神達と称しますが、本来の神は唯一柱で在り、他の霊は【神司(かむつかさ)】とか「天使」と称するのが正しいのです。私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、そなたは「神司」の一員と聞かされました。そうしたことは大本教の出口王仁三郎聖師も創造神以外の霊は「神司」とか「天使」と称すると述べておられます。日本の神々も身分的には「神司」であり「天使」なのです。

    霊能力がある方が伊勢神宮に参拝されて、天照大御神と名乗られた霊から私に対する伝言を賜ったと連絡をいただきました。その言葉には「私(伊勢大神)は日本国の総氏神である」との言葉がありました。ですから、創造神以外は「神司」とか「天使」であり、人や万物を生み出した存在ではないのです。霊界における魂の地位が高いとか低いの話に過ぎないのです。

     

    優れた霊能者達は誰しも【この世は魂の修業場】だと言われます。厳しい言い方で知られる著名な行者の方は、【この世は出来損ないの魂の集まり場で、地球は魂の刑務所】だと言われていました。それも、一つの見方なのです。大本教の出口王仁三郎聖師は、【この世は天人の苗床】だと言われてます。言い方が綺麗なのです。

     

    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この世は魂にとっては修学旅行に出向いたような時間の世界であり、その修学旅行の場所で自分は何を学んだかが重要なことである。何も学ばずしてあの世に帰って来るのであれば、それは何をしに修学旅行に言ったのかとなる】と告げられました。

     

    この世は魂の学びの場で、学びの場において魂が高いも低いもない

    そこに、【天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず 】

     

    しかし、この世での肉体の勤めを終えた後、帰る霊界は「プラス(+)マイナス(−)ゼロ」であれば、この世に出る前に居た元の霊的世界となりますが、道を誤れば前に居た霊的世界よりも下の世界に落とされるし、よき学びがあれば前に居た霊的世界よりも高い世界にと進みます。言うなれば魂の世界はその「修学」度において、入る霊界のクラス(暮らす世界)が違うということなのです。

     

    霊学の分野で一般的に言われていることは、天国には第一、第二、第三界があり。地獄も第一、第二、第三界があり。他に輪廻転生を頻繁に起こす【中有界】が言われています。天国でも第一天国界に入ると簡単にはこの世には出て来ませんが、第三天国界だと天国生活も短く、この世に出て来るとなります。

     

    日本の神社に鎮座されている御神霊達は比較的若い霊達であることが解って来ています。これはお釈迦様やイエスの様な高い霊界から降りた存在とは言い切れないなのです。

    霊界では同じ想念たるクラスの者だけで「暮らす」ので、学びの質が薄く、霊界で自分だけが飛び抜けて出ることが困難なのです。しかし、この世では学びによっては一気に霊界での地位を上げることが可能なのです。

    例えば、この世に出て来る前の霊界が【地獄界】からであったとしても、この世の生き方で一気に【第一天国界】も起きうるなのです。大変なチャンスがあるこの世に出て来て、何をグチャグチャ言っているのだとなるのです。それを愚者と言います。

     

    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたを一番最下位の位置(一)からスタートさせる】と告げられました。相撲の世界では学生相撲を体験していれば、通常の序の口からスタートではなく幕下からとなります。警察職だと上級国家公務員試験採用であれば巡査からではなく警部補からスタートします。そうではなくて、神霊界の一番最下位の位置からのスタートを命じられたのです。

     

    それが、旧約聖書の神と称する声が私に言った。【そなたを社会の底辺に置く。そなたはその社会の底辺をウジ虫の如く這ってでも生きよ】でした。私はその「這って」の言葉が気になっていました。這うとは【言葉の道】です。そして、私は【言葉の道】を行ったのです。

     

    人の肉体は平等世界に生きますが、魂そのものは霊界からこの世に出る時の立ち位置からスタートしているのです。為に、人はスタートラインは一緒だと言われているのに、実際には恵まれた環境の下に生まれ出る人達もあれば、厳しい環境の下で生まれ出る人達もあります。お釈迦様はインドにおける王族からのスタートでした。そこに人の出生の環境は平等では無いが生じます。

    この世での良いスタートラインを得るは【前世からの徳分(良いカルマ)を持つ】であり、悪しきカルマを保持していると良いスタートラインには立てないがあるのです。但し、行者の世界では魂の位が高い人ほど学びの為に厳しい環境の下に出るとされていますが、自らがそうした厳しい環境を選んでいるともなるのです。

    私の場合はその立ち位置を一からのスタートして、魂の階段を自己努力で上げさせるだったのです。ですから、早くして父親を亡くしで貧乏だったので高い学歴は持ちません。別に学歴で人の魂の価値(勝ち)は決まるではないのです。 

     

    福沢諭吉翁の言葉に、【学べば貴・富・賢になる。学ばなければ賎(せん)・貧・鈍になる】と【賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによって出来るものなり】がありますが、霊的世界に関わっていると、なまじ霊が見える。霊と会話が出来ると、その霊が見せる光景と言葉に何の疑いも持たない愚者に成る人が多いと見受けられます。

    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、私に何もかも教えるのではなくて、小学生の時に図書館と言う場に私を置かせて、そこで大量の知識を吸収させるでした。特に日本昔話や民話には私の教えが入れてあるでした。どれだけ日本昔話や民話から人として生きる道を学んだかです。

    スマホのゲームに夢中の子供と日本昔話や民話を学んだ子とでは、魂的に大きな差が生じるのです。今の世は魂を成長させる世ではなくて、魂を堕落させる道になってしまったのです。

     

    神霊のサニワ(審神)に臨む時、その神霊のお言葉ごもっともではなくて、その神霊の言葉の内容の矛盾を突く為には知識が要求されるからです。そんな知識は大学では教えてくれません。 スマホのゲームも教えてくれないのです。

     

    中有界は輪廻転生を頻繁に起こすとされていますが、この世に出るのが早い霊だと即座に生まれかわった霊も報告されています。霊能者下ヨシ子さんは実力霊能者として世に知られておりますが、某人気タレントさんの前世に関して、第2次世界大戦のヨーロッパにおいて空軍パイロットで戦死していると言われていました。すると、この人気タレントさんは30年弱でこの世に戻されているとなります。しかも西洋から日本です。

    死者は墓に居るとは限らないとされるのは、輪廻転生において早い転生の方は墓などに居ないなのです。また、天国界に行っても、もう現世の者と関わることは禁じられています。この世に出て来る魂の目標は、より高い【天国界】に行くにあるからです。

     

    スピリチュアル標榜者で前世を言われる方の前世話にはどうかなという疑問が湧くがあります。霊能者下ヨシ子さんほどの実力派であれば、そんなに外されることもないでしょう。しかし、前世などはよほどの実力派霊能者でなければ信じるには足りないがあります。その人に憑依している霊をその人の前世と間違えるが起きるからです。

    私の前世を【日蓮聖人】と間違われた霊能者の方達がありましたが、一時期、私を指導して下さっていた日蓮聖人が私の背後に見えることから私の前世との勘違いです。その人に憑依している霊と前世の勘違いが起きるなのです。

     

    霊界の階層としては日本でも西洋でも第一、第二、第三天国界に中有界。第一、第二、第三地獄界が言われているのですが、大本教の出口王仁三郎聖師は第一天国界の上に更なる天国界の存在を説かれました。これが、私が師事した豊受姫が告げられた、【この豊受姫をもってしても見通せない神界】と告げられた世界で、天帝と呼ばれる神の在所と思われるわけです。

     

    日本では【天の岩戸】開けが言われます。この【岩戸】とは日月神示で【一(イ)八(ハ)十(ト)】と示されましたが、大本教の出口王仁三郎聖師は正神界一八十段。邪神界一八十段と示されたように、人の死後の魂はそのどこかの【一八十(イハト)】の段階に固定されます。

    その「一八十」のどこかの段階に魂の位置が固定されることそのものも「岩戸(イハト)開け」ともなるのです。

    天が創り上げた言葉の仕組みは、一つの言葉でも多岐に意味を持たせてあるのです。それが大本教神諭の【一を聞いて十を知る者でないといけない】です。ですから、一度ひら仮名文字に戻して、それに当てはまる【漢字】を振るなのです。その型が大本教から示されたのです。出口なお開祖はひら仮名で出口王仁三郎聖師が漢字を振るです。

    ただ、通常はこの【一八十】の段階が言われずに、神の高山たる【合目】の【十段階】で言われることが多かったわけです。

     

    天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず

     

    それは魂の修業場であるこの世では人は皆【平等】であり、他人を自分の流儀で【差別】してはいけないのです。しかし、魂本来の世界である霊界に帰ればそこには【区別】があるなのです。

    お釈迦様やイエスは私達と同様に人(霊止)としてこの世に在りましたが、霊界に帰れば霊界で目通りが出来るとは限りません。それぐらい霊界では高い位置にあった魂なのです。

     

    天の仕組みとして、お釈迦様は自分は二度とこの世には降りて来ないで、お釈迦様の悟りの教えは【みろく】菩薩が引き継ぐ仕組みとされていたのです。そこに、自分が「みろく」ですと名乗る人の続出もあるわけです。しかし、自分の前世が【釈尊】はあり得ないなのです。

     

     

     

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