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天の岩戸(一八十のイハト)開け。大悪党の改心は小善の者より勝る

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    日本では【天の岩戸】が語られます。そして全国各地に【天の岩戸】と呼ばれる場所が存在します。しかし、そこを訪れた時、誰しもある疑念を抱くでしょう。どうしてここが天の岩戸?。太陽神が隠れたとするにはあまりにも小さなものばかりです。

    そもそも太陽を意味する神がそんな小さな穴に隠れたなど、いくら神話と言えども変だと思うはずです。

     

    私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、【日本神話の天の岩戸開けなどの事実はどこにも存在しない。日本神話は私がある意図をもって創作させたのであり、そなたはその意味を紐解け】と言われました。その時は紐解けではなくて、どうして直接に教えて貰えないのかと疑問を感じていました。

    私の神霊界修業のお世話をしていただいた稲荷神の豊受姫も、「日本神話の天の岩戸開けの事実など存在しない」と告げられました。私達日本人は本来は存在しない「天の岩戸」を見ているとなります。

     

    日本神話には大きな矛盾があることは解っています。例えば、素戔嗚尊は伊弉諾尊が禊ぎ祓いをされた時、伊弉諾尊単独から生まれた存在とされます。母神無しです。なのに黄泉の国に渡った伊弉冉尊を母恋しと追いかけて黄泉の国に行ったなど、どうなっているのかです。こうした矛盾が何一つ整理されていないがあります。

    その点からすると、大本教霊界物語などは筋は通っています。素戔嗚尊は坤金神「豊国姫」の精霊体から誕生したです。その豊国姫は艮金神「国常立尊」の妻神であり、その豊国姫の上位となる神は「豊雲野尊」とします。豊雲野尊は大国常立尊の妻神とされます。艮金神「国常立尊」の妻神は坤金神「豊国姫」となるのは、神界における階層を語っているです。

     

    私は日本神話には登場して来ない坤金神「豊国姫」の存在に関しては、最初は【懐疑】的でした。日本の神社には見当たりません。本当にそんな神が存在しているのだろうかです。

     

    素戔嗚尊は地球の地母神たる女神から誕生したで、瑞霊である坤金神「豊国姫」から出た男神なので、男神でも瑞霊の豊国姫から出た神なので【変性女子】とも言えます。それは人としての肉体が男で、その魂は女神ということではないのです。これらは厳霊か瑞霊かで語っているだけなのです。

    私の元にナザレのイエスは【瑞霊】であったとメールを寄越される方が多々あります。私はイエスと思える霊から【スイスの十字架】の映像を見せられたことがあります。その意味を日本語という言葉で紐解くと【瑞霊】であったとなります。

    素戔嗚尊は、その坤金神「豊国姫」を母恋しで「根の国底の国(地球)」に渡ったです。そして、その母神たる豊国姫の遺体を綾部の大本教が聖地とした本宮山に葬ったが大本教の主張です。そうしますと、坤金神「豊国姫」の夫神は艮金神「国常立尊」様なので、素戔嗚尊は「国常立尊」と「豊国姫」の間の子供ともなります。

     

    一部の霊能者の間に【素戔嗚尊=月夜見尊】説があります。この地球は月から生まれたとする説があります。月が地球の母体です。その月の女神が坤金神「豊国姫」であることからすると、【素戔嗚尊=月夜見尊】も成り立つのです。日本神話の中で月夜見尊に関する記述が非常に少ない謎もそこにあるとなります。

    では、伊勢神宮の天照大御神はどうなのかとなりますと、日本神話では天照大御神は天の岩戸の中に隠れられた女神となっています。伊勢神宮に行かれた霊能者・霊感者も伊勢神宮では女神を見た。それが大勢とは言えます。

     

    だが、一部の優秀な霊能者は伊勢の天照大御神は【男神】であると言われます。私も男神たる天照大御神に拝謁しています。豊受姫のお代であった私の最初の師匠も伊勢神宮の天照大御神は「男神」であると言っておりました。しかも、今の伊勢神宮の天照大御神は本当の方では無いでした。では、伊勢神宮に鎮座されている御神霊は誰かと言う質問に関しては、豊受姫は堅く口を閉ざされたのです。

    それに関しては、男神と女神の二体の天照大御神説があり、女神として出て来られるのは【若稚姫】か日本の歴史で知られる太陽神を拝んでいた【卑弥呼】霊ではないかの説があるのです。

    それらはあくまで説であり、実際のところははっきりしていませんが、そうした説から【真性天照大御神】は未だ世には出ていないと言う霊能者の方達もあるなのです。

     

    その【真性天照大御神】に関しては、一部の霊能者の方達は【素戔嗚尊】ではないかとされています。しかしながら、素戔嗚尊は【瑞霊】であり、【厳霊】ではないのです。天照大御神とは【厳霊】である必要があるからです。

    一般的に言われている【天の岩戸開け】とは、その【真性天照大御神】を世に出す意味ではあるのですが、その【イワト】には別の意味も存在するのです。

    日月神示において、【一八十】の数字に岩戸(イワト)の漢字が振られました。それに関しては、【八】に【ワ】は少しきつい感じはしますが、○○は、と言う言葉使いをする時には発音として、「ハ」ではなくて「ワ」音を出していることに気づかないといけません。一(イ)八(ハ)十(ト)で、「イワト」と発音してしまうなのです。

     

    大本教から正神界「一八十」段。邪神界「一八十」段が出されました。それを見た時、ほとんどの人はそれを基線から上下「一八十」の「三六十」段と見てしまうでしょう。それだと意味が解らなくなるのです。合計の360は「円」だと気づく必要があります。

     

     

     

    神の言葉として、

    【大悪党の改心は小善の者より勝る】

    があります 

     

    私は単なる【小善】だけでは【天国門】が開かないのを見させられて、何故に「小善」だけでは天国門が開かないのか疑問を持ちました。無論、小善の者は「地獄」に落ちるではありませんが、その行き先は「輪廻転生」を激しく起こす【中有界】でした。

    宗教世界では、「我が宗派の教えを信じれば天国」と説きますが、それでは天国に行けていないという事実です。特定の宗派の教えに片寄ると、その教えの中味ではなくて「教祖個人信仰」等に至ります。偶像化された教祖像を拝んでいればどうにかなるではないなのです。

    その中有界にも天国かと思う様な世界も、地獄かと思う様な世界も存在しました。が、中有界では本当の天国では無いのです。またもや、この世に出されてしまうです。世界の宗教を見た時、仏教では出されている【輪廻転生】が説かれていない事実に突き当たってしまいます。

     

    一見すると日本の仏教は「輪廻転生」を説いていないように見えますが、例えば曹洞宗の御経である修証義を読むならば、【因縁】と【三時(さんじ)】の教えとして、輪廻転生の【輪廻】に関しては出ているのです。

    しかし、仏教では聖書における人類の原罪【人類に邪を囁く蛇霊】によって、神の園を追われた人類が解らないとなるのです。

     

     

    私は人の魂に「良心神の点数」が出ることを知りました。一部の霊能者や超能力者の方も最後の審判は「各自の良心神の点数」で判定がなされると言われていますが、魂の良心神の点数によって最後の審判後の新しい世(みろく世)の地位が決まるです。しかし、そうしたことをいくら知っていても、どなたもそうしたことを積極的に発信はされていません。

    どうせ聞く耳を持たない人の世で、そうしたことを発信続けるのは面倒くさいし疲れるだけです。今の世に出ている御神霊でも、そうしたことを告げられる御神霊は僅かであり、多くの霊感者の前に出て来る神霊とはそのほとんどが人を欺して喜んでいる様な愉快霊とか低級霊動物霊で、そうした発信はしないとなります。

     

    何故に、創造神は悪霊を罰するではなくて、悪霊の存在を許されて来たのか? 

     

    そこには神霊界の階級が正神界も邪神界も「一八十」段の仕組みがあったからと言えます。正神界と邪神界は上下ではなく、左右の「バランス」にあったからです。俗に言われる「正神と邪神」が引き合いをしているです。

    例え自分が邪神と化しても、その邪神界の階段を上がって行きますと、邪神界も最高段階では正神界の最高段階と隣り合わせとなるのです。

     

    多くの人に解らないことがありました。それは日月神示などにある【善も悪も抱きまいらせそうろう】です。 日月神示には【悪霊自身は自身を悪と思うてないぞ】とありますが、邪神界も自分が悪霊だとは思っていません。

     

    邪神は自分が邪神だと理解が出来ない

     

    それは、その神霊の魂に「良心」神が備わっていないからです。正神とか邪神の判定は魂の中の「良心神」がしているからです。

     

    私は日月神示の中味が全て正しいとは言いませんが、その中に、また【まことの善は悪に似ているぞ、まことの悪は善に似ているぞ、よく見分けなならんぞ、悪の大将は光り輝いているのざぞ】とありますが、スピリチュアルで自分に見える存在が「光」輝いていればそれが正神だと言う方達は、まったく解っておられないがあります。光輝く存在にコロリと欺されるです。 

     

    神霊世界は行者では神の高山たる【合目】で表現されますが、自分が居る神界の合目より上にある神霊は、正神であろうと邪神であろうと自分よりは光輝いて見えるのです。

    それは、上記「一八十」の図で見れば、一目瞭然で解ることなのです。霊が見える。霊と会話が出来るだけで、自分は偉い者だと勘違いしていると、自分の神霊界における「合目」も「階級」も解らずに邪神に欺されるのです。

     

    私の元には自分が創造神です。救世主です。【みの尾張の女子】ですと言って来られる方は多数あります。しかし、どの方もその論理が破綻しているのが解ります。

    どうしてその程度の論理の中身で、自分が創造神です。救世主です。みの尾張の女子ですと名乗るのか?。非常に低い霊が言う言葉を鵜呑みにして、その人に懸かっている霊の言葉に欺されているなのです。まず、その霊が言う【言葉の中身】を吟味しなさいなのです。それが自己【サニワ(審神)】です。それが出来ていないなのです。

    そんな霊と関わっていると、一歩間違えれば【精神病院】行きになりかねないのです。まだ起きてもいない事柄を予言して実際に当てて来る霊ならばいざ知らず、そんな予言能力を何一つ持たない霊の「戯言」など鵜呑みにするなです。霊が出す嘘の言葉に何時まで付き合っているのかです。

     

    身勝手な人殺しや強盗やレイプなどの罪を犯した悪党は凶党に分類されて、必ずしも邪神とは言いません。改心無いような凶党の魂は肉体を失えばその魂は破砕されて行きますので、【邪神】として生き残る道すらないのです。

    悪神とは自己の魂に【良心神】を失った状態ですが【愛】は持っています。為にその悪行にも一理があったり、時には「善行」も積んでいるのです。

    正神とか邪神の分類は、各自の良心神に基づいて【正しい行いのプラス点と悪しき行いのマイナス点の差し引き勘定】で分類しているだけなのです。実に単純な論理なのです。

     

    例えば、ヤクザや暴力団の極道稼業でも初発の頃のチンピラと呼ばれる段階では小善の道を歩いている者との差はほとんど生じていません。だが、中堅どころとなると大悪に嵌まって来ます。

    しかし、悪も道を究める頂点ぐらいになって来ますと、人としてそれなりのものが備わって来るがあります。ヤクザの大親分となって人助けをしたり、地域の発展に貢献したなどもあるわけです。清水港を開発した清水の次郎長などもそうした一人です。ヤクザであっても、大親分ともなれば人柄も備わり、社会に貢献できるだけの素材ともなる方も出ます。

    そこに大悪党の改心は、小善の者よりも勝るとなります。単に小善では「実行力」が備わっていないのです。 

     

    仮に今の自分が邪神界に居たとしても、悔い改めれば「180度」ひっくり返って正神界の同じ段階になるのです。

    つまり、岩戸(イハト)を開けるとは、180度変わるともなるのです。

     

    正義だ!。正義だ!。と言っている間は、未だ神の階段を上に進めていません。時には正義の暴走を起こします。悪をする人を見ていて批判するのではなくて、何故にこの人は悪をするのだろう?。そこに深い洞察力が求められるのです。そこには必ず原因があるはずなのです。原因が解れば悪から離れるとなるのです。つまり、

     

    悪を反面教師として進まないと神の階段など上がれるものではないのです

     

    スピリチュアルで、何をしても神の愛で赦されます等と言っていると、それでは何の学びにもなっておらず、自己の魂に何等成長がありません。いくら霊が見える。霊と会話出来るであっても、低い霊界とのコンタクトで終わってしまいます。

     

    今の時だけが幸せであればそれでよいでは、その魂は磨かれない

     

    私が幾度も説いて来た【刹那心に溺れて】自己の魂を腐らせるです。か、邪神や悪魔に自己の魂を売って、今の瞬間だけの【苦】から逃げるとなるのです。正神はその人のカルマを強制的には取らずに、その人自身にカルマを償わせようとします。しかし、邪神や悪魔は見かけ上だけカルマを取った振りして、自分達の陣営に引き込むなのです。

    ある方のブログに、力の無い神霊は力がある邪神に従わざる得なかったと書かれていましたが、そうしたことが解っている方で無いとスピリチュアルなどと名乗るべきではないのです。

     

    自己の魂を腐らせたり、ねじ曲げてしまうと天帝とて救えなくなるのです。だが、その魂が天帝に帰順するのであれば、腐った魂でもねじ曲がった魂でも、魂の心棒たる【杭を改め】をしてあげるとなるのです。

    何故に、天の教えとして「悔い改めよ」が出たのか?。各自の魂の心棒たる「杭を改める」からです

     

    誠とは、言葉で成る仕組み

     

     

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