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神の高山は、同じ土俵でないと相撲を取ってはいけない

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    日本の神事で国技とされる相撲は、序の口、序二段、三段目、幕下、十両、幕内等の階級があります。その取り組みは基本的にその階級内で行われることから、【階級が違う下の者とは同じ土俵で相撲が取れない】ことから、【同じ土俵で戦わない】と言う言葉が出ました。

    無論、稽古で上位の者が下位の者に胸を貸すは戦いではないのでいいわけです。 特に神霊世界に関わる者は、この【同じ土俵で戦わない】が告げられます。神霊世界は神の高山と言われる【ピラミッド型】を構成をしているからです。

     

    行者間で、この神の高山を【合目】で表現される方達があります。ある著名な行者の判定では、大本教の出口王仁三郎聖師は神の高山たる神界「八合目」の魂であり、大本教の出口なお開祖は「七合目」の魂だったと言われています。伊勢神宮に鎮座されている天照大御神も「八合目」の神だと言われています。

    大本教が【世の大立替】を宣伝しながら失敗したのは、大本教の出口王仁三郎聖師は素戔嗚尊の分魂ではあったが「八合目」神で、伊勢の天照大御神も「八合目」神。同じ土俵で相撲を取ったが、必ずしも勝てないがあったとする説があります。

     

    で、大本教そのものではなく宣伝された【世の大立替】時には、世に出ている神々、今の伊勢神宮に鎮座する御神霊よりも高い九合目とか十合目の神の分魂を持った肉体人が出るという説があります。そこに、自分が創造神ですかとか救世主と名乗る人達も出て来るなのです。

    そうした方達は、自分は伊勢神宮の神からも大国主命様からそうした者だとして遇されたと言われます。そこに「しかし」と言う問題が出て来るのです。本当に大本教の出口王仁三郎聖師の段階を越えられているか?。です。神の高山の合目で判定すれば、四合目、五合目段階で何を言っているのだとなります。

     

    では、霊界ビラミッド(神の高山)が何を語っているかです。この図そのものは、以前にも出していますが、少し新たな説明を加えたいと思います。

    これ自体は大本教教の出口王仁三郎聖師が告げられた神霊の階級の【一八十(イハト)】とは違いますが、それを十段階にしたのと同じ様なものでしょう。 囲碁や将棋の世界で【十段位】は一人しか存在しないように、十段は【唯一神】を意味して来ます。ですから、創造神以外は【九段】位の神が一番上となります。だが、立替時にはその「十段」の神が入れる容器と成る肉体人が出て来る可能性も否定は出来ないわけです。

     

    私の元には、自分がその【該当者】だと認定して欲しいと言うメールが時たま来ます。それにしては、あまりにも「無知」の方が多いが私の印象です。もっと勉強しないとダメですよなのです。霊の世界は騙しがあまりにも多いからです。霊に騙されても騙されても、また騙されに行くなのです。

     

     

     

    では、何故に段位が違う者とは【同じ土俵で戦わない】とされるのかです。それは自分が位置する「合目、合目」で関わる神霊が違って来るからです。自分で合目を上げて行かないと、下級霊の言葉に騙されてしまいます。

     

     

    人の魂は多くの体験や経験を経て、その【思考回路】がより【創造神・天主】に近づいて行きます。創造神に近づくとは、単に霊が見える。霊と会話が出来るではなくて、自己の【意識】の問題に関わるからです。 私達は「みろく菩薩」の仏像を見た時、その弥勒菩薩は【半跏思惟像】で表されているものが大多数だと気づきます。

     

    弥勒菩薩とは、【思考(思惟)】する菩薩

     

    私達の魂は【玉型の思惟】

     

    玉思惟(魂)を磨くとは、そこに【思考回路】も加わって来るのです。【五十六億七千万】のみろくの仕組みは、創造神の【思考】によって成り立っているのであって、ただ闇雲に自分が「みろく」神ですと名乗ることではなかったなのです。

    私達が持っている魂の【思考(思惟)】が【創造神・天主】の思考回路に近づいて行くほど、私達の魂は天帝に近づいているなのです。

     

    神界での自分の「合目」が低いとは、その思考回路の視野が狭く【井の中の蛙大海を知らず】で、その魂の器は小さな物ともなります。そこに片寄った人としての感情による主張が入り、物事に囚われが生じてしまいます。

    実に愚的なことに拘り、それに命を賭けようとします。どうして、こんなことを解ろうとしないのかと言ったところで、聞く耳など無い。【問答無用】となります。神の高山の合目が低いほど【狭量】の心の持ち主となるのです。

     

    行を積んできた優秀な行者筋からすると、単に霊が見える。霊と会話ができるだけのスピリチュアルでは神の高山の【合目】が低く、そこに出て来る霊が名乗る神名や天使名などに簡単に欺されるなのです。その霊の正体を確かめようとしないからです。

    そうした霊が審神(サニワ)されると、蛇霊や狐霊や狸霊等の動物名で表現される低級霊ばかりと言われているわけです。

     

    そこに、単に霊が見えるとか霊と会話するだけで、その霊の本当の正体が見えない者と【同じ土俵で戦うな】があるのです。仮に同じ土俵に乗って「相撲」を取ったところで、自己主張するだけの相手に無駄な労力を使うだけだからです。

    本人は、端から自分には偉い神霊がバックに就いているで、自分に出て来ている神霊が本物かどうかすら調べようとしないからです。

     

    私達の魂は「輪廻転生」を経ながら「神の高山」に登っています

     

    神の高山は「体験・経験」を経て学ぶ高き山

     

    私は日本の神霊の神名は【神名機関説】ではないかと見ています。それは私自身最初の修業を伏見稲荷山で始めさせて貰いました。その時、豊受姫と名乗る御神霊は一柱ではなくて千柱までは行かなかったのですが数百柱以上も居られることが解りました。それらは全て豊受姫であっても、そこに順列が存在したからです。つまり神界の「合目」の問題です。

    ある行者の方の説では、「大国主命」と名乗る霊は1万体以上も居られるもあります。当然にそれだけ同じ神名を名乗る霊があるならば、序列たる「合目」が生じていなければおかしいのです。

     

    同じ豊受姫であっても平社員、主任、係長、課長・部長。重役、社長の様な立場の階級があるということです。御本社と出先の神社の御祭神は同じ神名でもその立位置が違っているなのです。無論、その人が本社に行けばトップ神が出て来られるような方ならば、即座に出先の神社まで出向いて来られることはあるでしょう。

    こうしたことは行者の間では【天使の階級章】とも言われおり、単に自分に天使長ミカエルが降りて来る式ではなくて、その天使と称する霊の霊界での階級を確かめなさいです。やはり、神界の【合目】と言えるでしょう。

     

    しかしながら、どのような神社であろうともその神社に鎮座する本当の神霊ではなく、ニセ者の霊もその神社から出て来ることが知られています。いくらその神社の御神霊が他の霊を入れない【結界】を張られていても、人に懸かっている霊はその結界を破り、その神域に入ることが出来るからです。

    神社等によっては結界が張ってあり、立ち入り禁止の表示があります。では、そこを勝手に入ったら何事か起きるかと言うと、立ち入った人のほとんどは何も起きなかったと言われるでしょう。よほどの霊媒質で霊にコントロールされている人でも無い限り、肉体を持った人には霊的世界の結界はあまり意味をなしません。

     

    ですから、人の肉体に懸かった霊はその神社の神霊の結界を破り、その神社の神霊に成り済まして、その神社から姿を見せることも出来るのです。

     

    実際に伊勢神宮で「そなたがまことのみの尾張の女子だと」告げられて、伊勢神宮の御神示だから間違いがないと大本教に押しかけた男性霊能者の方がありました。 

    私は自己の体験の中で、蛇霊が私の頭の上に載って、2番目の師匠が張った結界を破ってその師匠を攻撃したなどで、人は【霊(ひ)止(と)】の意味であることを理解しています。また、そうした人の肉体に載って結界を破る霊達の存在も見てきました。

     

    伏見稲荷山に参るにも、本殿当たりで霊に載られて、その霊を山の上に運ぶなどもあります。その霊単独では上に行けないことから下で人の肉体に載っかってしまう。やけに肩が重たいと思っていても、山の社に行くと肩が軽くなるなどがあります。その霊からありがとうございますと言われて、霊が自分に載っかっていたと気づくなどもあるわけです。

     

     

    霊界では第一、第二、第三天国。中有界。第一地獄、第二地獄、第三地獄が語られるように、日本の神霊世界も同様に階級世界であり、いくら自分には霊が見える。霊と会話が出来ると言っても、自分の魂の合目の階級に応じた霊が出て来るのであり、別にその神霊界の頂上神が出ているわけでもないのです。

     

    優れた霊能者や行者筋は、大本教の出口王仁三郎聖師は凄い方であった。そうしたことを言われます。つまり、【合目】が理解出来ているのです。だが、こうした方達はスピリチュアルを非常に嫌われます。それはスピリチュアル霊感女子は合目で見ると非常に低い段階の方が多いからです。そこは行を積まれた女性霊能者の行者とは違うなのです。

    ほとんどが三合目とか四合目等の段階で、自分には天使長ミカエルや大天使カブリエルが降りて来る。伊勢の天照大御神や出雲の大国主命様が出て来られる。で、貴方は自分がどの段階(合目)なのか解っておられるのですかとなるのです。こうしたことは合目だけでなく、【天使の階級章】としても語られるわけです。

     

    これらは別の霊能者からその霊が審神(サニワ)をされると、そうした大多数の方に降りているのは本物ではなくて、ニセ者の低級動物霊や人を欺して喜ぶ愉快霊であったりしているわけです。宇宙○○等と言っていたところで、サニワ(審神)されるとその背後に居る霊的存在は、霊界で年老いた大蛇霊(龍神とも呼称される)であったりもするわけです。

    霊能者でも、他の霊能者からあの方は凄いと評価される霊能者でないとその実力は解りません。自分を騙しに来ている霊から、貴方は高いとか凄いとか言われて信じるなど、愚の骨頂です。低い霊の言葉に踊らされてしまうで終わってしまうなのです。

     

    私は2人の師匠について修業を終えた後、どこかに優れた行者さんが居ないかと人伝に評判を聞いた○○修験道の教会に行きました。すると、その評判が高かった教会長さんは亡くなられており、今の教会長さんはその息子さんでした。その教会長さんは私の質問の趣旨を聞くと、【申し訳ございません。当方の教会の御祭神は霊界での地位が未だ低く、あなたの質問に答えるだけの力はありません。】と言われます。逆に、私に【教えていただきたい】と質問されて来たのです。その立場の逆転です。

    私はその○○修験道の教会長さんに、【今の姿勢を保って修業を続けてください。必ず上の世界と関わることが出来る様になります。】と申し上げて、その教会を去りました。それから数年後にその教会長さんの評判は上がっていました。なかなか、当方の御祭神は霊界での地位が低いなど、言える言葉ではありません。

     

    ほとんどの行者は、自分は偉い者だとか高い者だと鼻高々の為に天狗等の段階で終わっているなのです。スピリチュアル系だと、絶対にそんな言葉は出せません。自分に降りて来る霊は高級霊だと頭から信じ切っているからです。

     

    私達の魂は【輪廻転生】を通じて、神界ピラミッドたる神の高山(みのかおわりの国から出る41号線の仕組み)に向かって上がっているなのです。

    大本教で告げられた【世の大立替】とは単なる世の立替論にはあらず、その時点に置いて各自の魂が位置する合目で終わることなのです。その地位で【永久】の新しい世に行くなのです。

     

    ですから、それまでに自分の神界での合目を上げておくが得策なのです。で、大本教神諭は「そんなことならば、どうしてもっと早くから教えないのか」で、長々と宣伝期間が続いているなのです。別に何月何日で今の世が終わる等は確定されたものではないのです。

     

    ただ、この地球を取り巻く環境はこの地球の存続に関わる危険期に近づいていることは、誰しも感じるところなのです。その時に何等かの人類の魂の救済の道は開かれるでしょうが、その時をもって各自の魂の地位が固定される。これまでの様な【輪廻転生】の道は閉ざされてしまうのです。全ての人が【みろく世の到来。万歳】とはならないのです。

     

     

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