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何故、大本教の仕組みにラ神論とス神論の二つがあるのか?。霊界の愛国の太陽神。霊国の月神の両目

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    私達はこの世に生きていて、ある現実を誰もが知ります。それは、この世には生きた神様。生きた仏様と言いたいような素晴らしい行動の持ち主が居られます。自己犠牲をものともせず、世の為に人の為にと働かれる世根(米)たる人です。

     

    つい先日も山口県周防大島で2歳児が行方不明になり、78歳の国民年金暮らしの方のボランティア活動により助け出されました。もう少し発見が遅れていれば悲劇的なことで終わったかも知れません。この方など、まさに生きた神様、仏様としての活動に等しいと言えます。社会での世根(米)の実践です。この世を去れば菩薩界とも言えます。あるいは高い神上がりです。

     

    どんな立派な聖人でも、この世では完全な善だけでは動けません。この世では善なる者も悪なる者も混じって暮らしますので、悪たる者から受ける感情の影響を排除出来ません。悪たる者との交流においては、どうしても悪に染まる行為も起きて来ます。朱に交われば赤くなるですが、と言って周囲を隔離するなど現実には出来ません。それらの悪行を打ち消す作業が、社会に恩返しの世根(米)として活動するなのです。

    大本教の出口王仁三郎聖師は、【地獄を覗けば、牧師や僧侶で一杯だ!】と残しておられますが、宗教家と言えども【世根(米)】の行いが無い限り、天国門を開かせるとはならないのです。 多くの宗教家が死後に地獄に墜ちている現実があるのです。

     

    私は某スピリチュアル教団の教祖と出会うことが出来ましたが、その信徒達はその教祖をキリスト的に崇めていましたが、そこの信者の皆さんの頭には白の三角頭巾があり。死後はその信徒全員が亡者道に入ると解りました。

    また、その教祖自身は脱税で刑務所に収監されましたが、出所後に言った言葉は自分はイエスと同様に信徒の罪を被って刑務所に入ったと、信徒達に自分をキリスト化させていました。

    その教祖自身が自分が信頼する霊能者に言った内容は、「自分は死後には地獄に墜ちるであろう。その時は自分の信者諸とも地獄に道連れで、地獄で自分の王国を創って自分の信者達の上に君臨する」でした。そこの信徒達は教祖を盲信している為に、その信徒達は助けることは出来ないと見ました。死後に亡者道はやむ無しです。

    その教祖の本質を見破れなかった信徒にも罪はあるのです。上辺の愛の教えで教祖に欺されましたは通用しないのです。スピリチュアルで愛さえ言っていれば、あの人は正しい人だは道を誤ります。

     

    私が「玉置山」に参拝した時、そこに現れた平安期か鎌倉期の法華行者とその信徒と思われる霊約300体を、同行していた方と二人で別けて救う騒動に巻き込まれてしまいました。そうした霊は当時は何も解らずにその行者を信仰したのでしょうが、700年以上も成仏出来ずに居たとなります。

    どうしてこうした教祖に欺されるのかと言った時、そこに人々の霊界に対する【無知】があるからです。そうした一例でも解る様に、【みろくの世】など簡単に出来るものではないのです。

    今、スピリチュアルの世界では過去世でシャーマンであったと見られる霊が肉体を貰って続々と出て来ています。未だ自分が【魔界】に落とされていたことに気づかず、またもや同じ轍を踏もうとしてしておられます。

     

    その反対に、どうしょうもない自己中心主義者で、おまえは人間の屑かと言いたい人達も居ると言う事実にぶつかります。そうした人達の魂を見れば、どす黒く汚れていたり、捻れていたり、腐ったりしています。

    何故に、同じ人間としてこの世に生を受けていながらも、こんなにその生き方が違うのだろうか?。そうした疑問を持つ人もあるでしょう。そんなことすら何一つ考えない人もあるでしょう。たぶん、大多数の方はそうしたポランティア精神の人は素晴らしいと拍手をしても、自分は動かないが大多数なのです。

     

    私はこの世での生きた神様。生きた仏様のような行動の方達は魂の点数が高く、自己の本位の方達の魂の点数は非常に低い事実にぶつかりました。神様、仏様と言っていれば死後に天国などは無いが私の持論です。

    いくら自分には天照大御神や大国主命と名乗る霊や天使長や大天使が降りて来ると豪語されても、貴方自身の魂の点数を見るならば、その低い点数は何ですかとなります。世の為人の為にと自己犠牲を払っている世根(米)の方達よりも遙かに低い点数ではないかです。

     

    なまじ霊が見えると、言葉で仕組まれた「米」の教えを頭からバカにして来る人ばかりです。幾度も言いますが、日本語という言葉であっても言葉で仕組む等は人間術で出来ることでもなければ、世に神霊として出て神社に鎮座されている御神霊にも出来ないことなのです。そうした理解力が何一つ無いで、貴方が見ている神霊とはいったい何の神霊を見ているのですかと言いたくなるのです。

    元は人としてこの世に出た存在でありながら、その姿は光輝く神霊のように見えても、さらに洞察すれば霊界の蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊の姿に【身変える】事実に突き当たるならば、それを一言で言えば仏教で説かれる【転生】ですが、そうした神霊を拝している限り、自分自身が【輪廻転生】から抜けきれないとなります。

    私は霊能者をしている身ではありませんので、何の妖術も使わなければ何の奇跡の現出も出来ません。だが、私の魂が見えるだけの霊能者の方であれば、私の魂の美しさを言われます。魂にさほどの汚れを持っていないと告げられます。

     

    私は何一つ悪をしないのではなくて、悪をすることに喜びを持つ感覚が私にはよく理解出来ないだけなのです。それは悪をしてはいけませんと言う神の教えに従うのではなくて、そこに何の喜びも見いだせないだけなのです。

    自己の魂に汚れが少ないと、悪に走りきれないのです。人が大きく変わるのは、自己の幸せに物質的な喜びを持つのではなくて、世の人々に感謝されることに喜びを得る。そこに尽きるのです。それが天国住人の生き方だからです。

    霊能者で金儲けをして、その指先には高価な宝石をこれみよがしに飾り立てている方がありますが、貴方の死後の行き先は天国界では無く、地獄界とか魔界ですよ。どうしてそれに気づかないのですかなのです。

     

    私達の魂がこの世に人として誕生して来る前、この世から去った後に帰る世界は一般的には【霊界】と呼ばれています。

    その霊界は第一天国、第二天国、第三天国。中有界。第一地獄、第二地獄、第三地獄界に区分けされて言われています。だが、それだけでは説明がつかない面があります。西洋の様な唯一神信仰の元にある方に関してはよく解りませんが、日本では既存の信仰する神霊が【主宰者】となっている霊界が別に存在していることなのです。

    そうした事柄は、有名なスエーデンスウェーデンボルグの霊界日記などを読んでも書かれてはいません。私の場合は「稲荷神界」でこの世に関わる霊界修行を引き受けていただきました。すると、そこにスエーデンスウェーデンボルグの霊界日記では説明が不可能な事柄にいくらでもぶつかって来るのです。

     

    それは、御経の「般若心経」の前文に出て来ます【眷属】と呼ばれる龍神とか白狐とか天狗等の霊です。聖書には龍神とは【霊界で年老いた大蛇霊】とあり、日本の優秀な霊能者であれば「龍神とは、巳さん(蛇霊)が霊界で三千年の修業を積んだ存在」と言われます。大本教の出口王仁三郎聖師は龍神と呼ばれる存在の多くは蛇霊であるが、そうでない龍神があるとしか言われていないので、解らない面があったのです。

    私には感覚としてよく解らないことがあります。蛇霊と落ちて悔い改めるのではなく、霊界で辛い修業を何千年も続けて龍神となって、そこに何の【意義】があるのですかなのです。

    私は霊的な場面ですが、幾度か「龍神」の攻撃を受けて来ました。時には龍神群とチャンバラもありましたので、ヨハネの黙示録にあります「ハルマゲドン」は人類が起こすと思われる核戦争とか第三次世界大戦では無い。【神界における最終戦争】との立場を取っています。

     

    そうした眷属は聖書を経典とする西洋の宗教では意味がまったく解らず。この日本では解ると言う不思議な事実に遭遇します。また、白狐は単なる霊的存在ではなく、【この世の物質を纏って】人の目に現認される事実にも遭遇して来ました。また、人の目に人の姿としても現れることから、狐狸に欺されると言う話も起きたと考えられます。

    私が神霊世界に入る切っ掛けとなった事柄は、私が師事した二人の師匠から、【貴方が出会ったのは人ではなくて、白狐が化けた人と出会った】と告げられましたが、人ではなくて白狐が化けた人と言われても当時は釈然としませんでした。白狐に憑依された人ではなくて、白狐そのものが人の姿で現れたなのです。

    こうした霊が人の姿に顕現して出て来て欺しただけでなく、人を救った話は無数にあります。こうした出来事は聖書一辺倒に陥っていると、また解らない世界となります。

     

    大本教の出口王仁三郎聖師は、スウェーデンボルグが説いた霊界のことを【愛国】と言っておられます。愛国では天照皇大御神は【霊界の太陽】として現れるです。

    この霊界の太陽とは、私が神霊世界に修業に入った当初、夜で眠ろうとすると瞑っている瞼の中に青空が出て来て、太陽がギラギラと輝く。あまりの光量とその熱で吹き出す汗でシャツ等の下着はズクズク。だが、目を開けるとそこはこの夜の暗闇。で、目を瞑るとまたもや青空に太陽が見えて来て熱で汗が噴き出す。そうしたことの繰り返しで眠れずに夜の暗闇の中で目を開けていたがありました。

    それを当時の最初の師匠に告げると、【貴方は神界の入り口に来られました。神界の入り口に来ると霊界の太陽が出て来ます】と言われます。その後、私は眠る為に、その霊界の太陽を遮る為に霊界の雲をイメージで出して、その雲で霊界の太陽を遮るを覚えました。そして、普段通りに眠れるとなったのです。

     

    天の岩戸の太陽は無かったが、霊界の太陽はあった

     

    その後、こうした現象は何人もの人が体験していることを知りました。スピリチュアルの単に霊的な光を見たではなく、【霊界に現れる太陽】なのです。霊が見せて来る光とは瞬間的な光で持続しない光であり、【霊界の太陽】は熱くて熱くて汗が噴き出て来るなのです。ただ、そうした現象は不動明王が出て来られる時にも火炎で熱くて汗が出るはありますが、規模が遙かに違うとは言えます。

    この霊界の太陽は私が見た限り、スウェーデンボルグが説いている霊界の太陽とは違います。スウェーデンボルグが説いている霊界の太陽は、他の霊界人がその間に入ると太陽が遮られると言っていますので、霊界で頭上高く輝く太陽とは違っているとは解ります。

    スウェーデンボルグの体験記は言うなれば個人専用の太陽話であり、それが霊界の太陽と言えるかどうかとなります。私はスウェーデンボルグの高価な「天界の秘義」全28巻を購入しましたが、結局は書庫の肥やしと化しました。 第二天国界の天使の解釈などほとんど意味をなしていないからです。

     

    大本教の出口王仁三郎聖師は、天照皇大御神が霊界の太陽として現出される【愛国】では、第一、第二、第三天国界でその太陽の大きさが違い、上の天国世界では太陽の光が強すぎると残しておられます。

    私自身は霊界の太陽で夜の重要性を認識したのですが、出口王仁三郎聖師は神司や天使達が住む世界は天人達が住む【愛国】ではなくて【霊国】と言い、月の素戔嗚尊として現出される世界と説いておられます。気候的には穏やかな世界とされています。

    それよりも重要なことは、神司(日本で言う神々)や天使(西洋での神司)達は本物であれば素戔嗚尊が主宰される【霊国】の住人と言えます。また、出口王仁三郎聖師が言われたことは天照皇大御神も素戔嗚尊も同一神であり、その顕現の出方と言えます。

    これは記紀神話の天照大御神は素戔嗚尊の姉君という内容には当てはまりません。それは記紀神話では、【厳霊(火)】と【瑞霊(水)】の違いを出し切れないからです。

     

    神の本質は、

     

    言葉で示し申す【叩曚肇┘優襯ーの【火水(かみ)】があるからです

     

    特に西洋の宗教、聖書には神の本質が【火水(かみ)たるエネルギー】が見事なほど抜け落ちています。為に、【言葉は神と共にあった。万物は言葉によって成った】。そのものが理解出来ていないがあります。本当に創造神を理解するには、【日本語】がないと出せないのです。

     

    出口王仁三郎聖師が説かれたことは少し解りづらいので、図式します。

     

     

    私は長らく大本教神諭の【誠の人を西と東に立別けて御用がさして在るぞよ】を、大本教開祖の出口なお師と出口王仁三郎聖師のことかと思っていた時期があります。それにしては綾部と亀岡で【西と東】ではあまりにも近すぎると首を捻っていたのです。

    大本教の出口王仁三郎聖師は【素戔嗚尊系神界】の魂であったことは知られています。一方、出口なお大本教開祖の魂は天照大御神の妹とされる「日稚女尊(若姫君)」とされています。大本教出口なお開祖の魂が天照大御神の分魂であれば別に疑問は出ませんでしたが、その妹の「日稚女尊」であれば?となります。

     

    さらに、大本教では三代教主補であった出口日出麿師に【日之出神】の名を持って来ました。この【日之出神】は調べてもよく解りません。伏見稲荷山の長者社付近のお塚には「日の出神」とする稲荷神のお塚が幾つかありますが、これらは単にお塚を奉納した人達がその稲荷神に「日の出」の名を附しただけにしか過ぎません。

    この日の出神とは俗に言う「日の出」の意味を指すだけで、真性「天照大御神」たる存在を告げたのです。おそらく、伊勢神宮に鎮座される神霊と区分けしておかないと、話がややこしくなるからと考えられます。

     

    大本教神諭の誠の人を西と東に立別けたではなくて、言葉で成る「誠」たる魂を東と西に立別けました。【月は東に日は西に】。あるいは【日は東に月は西に】でもいいのです。元々は【日と月】とは一体のものなのです。

     

    そこに【ラ】神論と【ス】神論があるのです

    どちらも、言葉で成り立つのです。

     

    スの神は【―(瑞霊たる横棒)】で、ラの神は【|(厳霊たる縦棒)】で、組み合わせると【十字】型。十字の神記号となるのです。

     

    スピリチュアルで自分に出て来る天使長ミカエルとかガブリエルと称する霊。こうしたことを何一つ語らないでしょう。

     

    これを記紀神話の様に別物の神として捉えたことが、過ちに入ったとも言えます。否、私が旧約聖書の神と称する声から聞いた、【日本神話の神代の話は私が創作させた】にあるのでしょう。記紀神話に囚われると、それでは何時まで経っても【天の岩戸開け】が何を告げるのか解らないとなるのです。

     

    大本教から出た大預言者出口王仁三郎聖師。素戔嗚尊の魂で【ス】神論を世に出して、大本教霊界物語第十三巻で「この大本教に現れた変性女子はにせ者だ。時節を待っていたならば【みのか尾張の国から】誠の女子が現れる。それを自分の事と思うのは曲津神」と残されました。

    以後、【ス】の神の大流行となりましたが、意味することは第十三の「ス」の言霊は水たる横の瑞霊の働きです。そして「みのか尾張の国から」の第「四十一」の言霊は【ラ】で、火たる縦の厳霊の働きで天照大御神。ところが日本神話では太陽神の天照大御神を女神の物語として出してあるから女子と言っただけなのです。肉体を持った人のことではないのです。そこに、自分がみのか尾張の女子だと称する方は、曲津神に支配されているなのです。

    為に、わざわざ別に太陽神たる【日之出神】の演技の役として出口日出麿師の演技があったと言えるのです。そしてそれらの解読のヒントは【龍宮の音秘め】にあったなのです。

     

     

     

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