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三つ星ベルト?。三種の神器と創造神の三位一体 その1

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    私は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を紐解く前、いろんな霊的映像を見させられて、その霊的映像からこの日本の日本語という【言葉】による仕組みの謎解きをして来ました。それ自体はほぼ終了しています。もう、そうした解読の為の霊界映像がほとんど降りて来なくなって来ているからです。

     

    しかしながら、大本教神諭が予告した【九つ花】だけで、何もかもが紐解けるということはありません。大本教は「世の大立替」の為に予告教団として出たとの指摘もあります。為に他に類を見ない大予言者と言える出口王仁三郎聖師を出したとも言えます。

    その大本教から出された数々の予言の中で、最終的な【鍵】を握る一つに【綾部に天の御三体の神が天下ったならば】がありますが、それが何を意味しているかです。出口王仁三郎聖師が述べられた霊界物語の第22巻では、天の御三体の大神として【天照大御神、日の大神(伊弉諾尊)月の大神(伊弉冉尊)】となっています。

     

    私は伊勢神宮(天照大御神)や多賀大社(伊弉諾・伊弉冉尊)や国生み神話の淡路島の伊弉諾神宮(伊弉諾・伊弉冉尊)を参拝させていただき、大本教霊界物語の天の御三体の大神に【天照大御神、日の大神(伊弉諾尊)月の大神(伊弉冉尊)】としていることにおかしいと気づいたのです。

    その天の御三体の神達であるならば、そこに【綾部に天下ったならば】の言葉を別に必要とはしないからです。現に伊勢神宮や多賀大社や伊弉諾神宮があるではないかとなります。そこから分魂を勧請するという方法もあるわけです。勧請とは、そうした本社本院から分魂を迎え入れることです。

    私自身は多賀大社の伊弉諾尊と称する声から、ある女性を連れて多賀大社に参拝して来なさいと命じられてその女性を連れて参拝したところ、霊能者の方達から伊弉冉尊が本守護神と言われているその女性に伊弉冉尊が出て来られたがありました。その時の光景を巻き戻した別の霊能者の方が、その時の内容の意味をその女性に解説されたがあります。

    そうしたことからも、これは言葉の意味の内容が違っていると思ったしだいです。

     

    大本教が隆盛を極めた当時は、大正天皇や昭和天皇を現人神(あらひとかみ)とした時代です。文章の表現に何か不都合があるならば、悪名高い【特高】に捕まり、獄死さらせれた人が続出していた時代です。特高の拷問で獄死した有名人に小説家の小林多喜二が知られていますが、戦前の日本が暗黒の時代とされる一翼にその「特高」の存在がありました。

    戦前の日本に【言論の自由】ありませんでした。自分達に不都合な言論は全て特高が封じて弾圧したからです。その反省に基づいて戦後の憲法には【言論の自由】が取り入れられたのです。

     

    特高とは【特別高等警察】の略で、国家組織の根本を危うくする行為を除去する警察のことです。当時の大本教はその信徒の中に宮家の方や高級軍人達がいて、海軍の軍艦の中には大本教の神が祀られる等の有様で、出口王仁三郎聖師は皇居前で白馬に跨がり三千もの民兵的な組織の前でこれ見よがしに閲兵するなど、あまりのやり過ぎに国家皇室神道の日本国の根本を覆そうとしている危険思想の邪教集団と見られていたわけです。

    実際に大本教はこの特高警察により、治安維持法を持って神殿群をダイナマイトで爆破され財産没収。出口王仁三郎聖師以下の幹部信徒は囚獄に入れられて幾多の信徒さんが獄死したのです。第二次大戦後に裁判で大本教は無罪となったのです。しかし、大本教は日本が敗戦国になったこともあり、その弾圧被害による国家賠償金は受け取らなかったのです。

     

     

    天下るは、本来ならば【造化三神】と表現すべきところでしょう。が、それでは伊勢神宮の天照大御神を超えてしまうので「特高」に逮捕されるのは目に見えています。日の大神や月の大神とすることで、【厳瑞霊大神】に【厳霊大神】に【瑞霊大神】の働きを意味していることは解るのです。神の質たる「陰陽」と「火水」の働きからです。

     

    私はこの天の御三神の働きを【三つの玉(星)】で表現しました。厳瑞霊大神は【緑色玉】。厳霊大神は【赤色玉】。瑞霊大神は【青色玉】で表現しました。厳霊大神の働きは「火」であり、瑞霊大神の働きは「水」だからです。つまり創造神と言えども、火と水の働きがなければ何も出来なかったなのです。火(か)水(み)たるエネルギーです。

    その赤玉と青玉に付する神名としては、通常の祝詞に書かれる神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)であろうとも、伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉(いざなみ)であろうとも、神の働きである「陰陽」と「火(か)水(み)」の意味であることが理解出来ればいいだけのことなのです。

    大本教では厳霊を「大国常立尊」とし、瑞霊を「豊雲野尊」としました。それによって、神の理論だてが非常に解りやすくなったと言えます。その神界での段階が下がった神霊の働きとして、厳霊は「艮(牛虎)金神・国常立尊」として、瑞霊は「坤(羊猿)金神・豊国姫」とする大本教【神芝居】が演じられたわけです。

     

    私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【この私が仕組んだ神の世界の舞台の筋書きの観客は、神々や人民である】と告げられました。世に出ている神達に対して、この(創造)神の仕組みを見せてやる(創造神と一般の神霊の違い)です。こうしたことは大本教神諭にも書かれています。

     

     

     

    今回、私に【三つ星ベルト】という言葉が出て来ました。「三つ星ベルト」?。この日本に「三つ星ベルト」と呼ばれるベルト製造の会社があります。自動車のエンジンのところにある伝動ベルト等で名が知られる会社名です。しかし、その会社とは何の関係もありません。

     

    何が出て来たのかと言いますと、下記の様な霊図が出て来たのです。三つの玉が伝動ベルトで動力が伝わる様です。実在する三つ星ベルトの会社ロゴマークは、三角型の中に星が三つですが、私の場合は丸い玉(星)で駆動方式で出されたのです。

     

     

    造化三神を意味する玉(星)が「ベルト」によって力を伝動する構図。 

     

     

     

     

    しかし、そこに一つの言葉が出ます。三角型なので三つ角で【ミカド】を語るです。

     

    帝(ミカド)は、造化三神の働きを一体化した働き

     

    日本神道では【三種の神器】が語られます。八咫鏡(やたのかがみ)。草薙剣(くさなぎのつるぎ)、別名天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)。八尺瓊勾玉(やさかにただのまがたま)で、この三種を所有することが天皇の証とされています。皇位継承権です。しかし、皇位継承権は現代の学説では9世紀頃に成り立ったものとされています。元々神代時代からあったものではないなのです。

     

    そこに来る謎は、何故にその三種類が皇位継承の徴とされたかです。

     

    霊能力を持たれている方の中には、自分は霊的な「三種の神器」を持っている。だから自分が本当の天皇であると主張されている方達があります。「三種の神器」とは本来は霊界に在る事物で、この世に存在するものではないので、その主張を無碍に間違っているとまでは言えません。しかしながら、自分は霊的な「三種の神器」を持っているから自分が天皇だ!。その主張には正当性も見られないなのです。

    それはどの神社の御祭神でも、【神刀と神鏡と玉飾り】を保有しておられるからです。そのことをもってどの御神霊も、それで自分が「皇神」の証だとは主張されることはありません。そこにあるのは、

     

    神剣と神鏡と飾り玉の三種が何を語っているのかです

     

    日本の神道における「三種の神器」とは、霊的能力が在った人が霊界に在る事物から、レプリカ的な物を創り上げたのではないかと推察が出来ます。9世紀頃に成り立ったものと、日本神道における神話をごちゃまぜにして論じて何の意味があるかです。

    草薙剣は「熱田神宮」に奉納されているとのことですが、仮に何等かの鉄製の剣が存在していても、今では見る影も無いほどボロボロでしょう。下手に触れば崩れるです。それは鉄製だから錆で腐って来るからです。そんな物を保有していても、どれだけ神的な意味があるかです。

     

    私は修業を初めた頃は伏見稲荷大社講に所属していました。その支部は隣市の稲荷神社の社務所に併発されていました。最初の師匠がその神社で宮司を務めていて、伏見稲荷大社講の支部長でもあったからです。

    その支部を併発する神社の社務所での月次祭の時、出座された豊受姫は私がこれまで見たことがない霊的「神鏡」を持って出て来られました。色は【白銀】色のように見えました。その神鏡から霊的な白い光が放射されて行くのです。それは、月次祭に参列している講員さん一人一人に獣の霊が取り憑いていないかを見る鏡だったのです。つまり、講員さんの魂が獣化しているかを見る【獣鏡】です。

     

    考古学で掘り出される神鏡は「獣鏡」とされますが、ああした物でその人に獣霊が取り憑いているかを見ることなどは出来ません。霊界の神鏡を見た者が、レプリカ的に造ったものが今日の考古学で言う神鏡とされていると見るべきでしょう。

    また、神刀にしてもこの世で見る鉱物で造られたものでもないなのです。鉄製ではないのです。だが、霊界にはそうした霊的鉱物があると推察は出来たのです。

     

    特に霊能力がある人でもその魂の霊格に応じてですが、御神霊から霊的な神刀を賜ることは多いのです。

    ある女性(豊受姫の分霊とされている方)は、大きな神社に行くとその神社の御祭神から霊的な神刀を賜るで、賜った神刀の数の多さにどうしたものかと悩んでおられたら、ある霊能者からそれは別の神社の神様に贈り物として差し上げたらいいで、霊的な神刀が神霊界で神々間での贈り物として多用されているがありました。

     

    私は修業時代、どの御神霊からも神刀を賜らない。で、行者をしている方達から貴方は神刀も賜らないで敵と戦うのにどうするのだと言われ、それを豊受姫のお代であった最初の師匠に話したところ、貴方に神刀などは要らない。貴方は神々によって守られている。どうしても必要な時には貴方自身の神(国常立尊)様から直接戴けるでしょう。とあっさり言われてしまいました。

    が、二番目の師匠にその話をしたところ、お前のような正義の塊のような男に神刀を授けるような神はいない。お前はその神が不正義だと思えば、その神刀を授けた神ですらその神刀で切ってしまう。そんな人間に神刀を授けるなど、自分で自分の首を絞めるようなものだと言います。確かに私の性格ならばそれはあり得るなのです。

     

    私は、その二番目の師匠の御祭神で「国常立尊」と称している神霊から神刀を賜りましたが、その剣を持っていると霊達が自分を切ってください切ってくださいと押しかけて来るのです。その数が生半端ではないのです。霊が肉体に懸かって来ると自分が苦しいのです。そこで、その神刀を振り回すことになります。

    霊が神刀で切ってくださいと押しかけて来るのは、何も知らない人からすると変だと思いますが、私が豊受姫の命令で現在地に家を建てる時、それを妨害する方がありました。すると、大国主命様が出て来られてその妨害者を神刀で切ってしまわれたのです。それを最初の師匠に話したところ、その妨害者は間もなく死ぬだろうと言われます。

    ところが、その妨害者は死ぬのではなくて、その性格が一変してしまったのです。今度は逆に協力に変わったのです。その意味は解りました。その妨害者の魂は非常に汚れていたのですが、大国主命様が神刀で切られたのは、その魂の汚れた部分を神刀で【削ぐ】われたのです。為にその性格が一転してしまったのです。

     

    日本神道には【禊ぎ】の言葉があります。この「禊ぎ」は

     

    禊ぎ=【神との契約の示し】で、「身削ぎ・身殺ぎ」

     

    自己の魂の汚れた部位を、身削ぎ身殺ぎすることによって汚れ無き玉にする

     

    霊が神刀で切ってくださいと押しかけて来たのは、この禊ぎに「身殺ぎ・身削ぎ」の意味があるからです。

    しかしながら、いくら汚れた魂でもその魂の汚れた表面を削れば、その魂は小さくなります。魂が人として幾度も幾度もこの世に輪廻転生で出た意味には、自己の魂を磨くと共に自己の魂を大きく成長させる意味合いがあります。

    その魂を削って小さくしてしまうことは、魂そのものは救えますが最終的な手段になってしまいます。

     

    すなわち、外科的な手術ではなくて、何等かの薬によって魂の表面を削ぐではなくて、内部から魂の汚れを取ってしまうのが本筋なのです。

    そこに出て来るのが、人には「良心と呼ばれる神が内在する」であり

     

    人の良心神は、魂の汚れを削ぐ神の「神刀」の働きを持つのです

     

    その神刀は魂の「心棒」であり、蛇霊はその剣(心棒)に巻き付くことによって、その人が自己の良心神に目覚めないようにするのです。

    私が「良心神」と「蛇霊の囁き」とは常に対峙すると言うのはそこにあります。

     

    自己の良心神に気づけない間は、蛇霊の唆しに負けている

     

     

    私が2番目の師匠の御祭神で「国常立尊」と称していた霊から賜った神刀は、霊界の妖刀村正かと思うような剣で、霊を切りたくなるのです。で、私はこの神刀は持たない方がいいと思って捨ててしまいました。すると、今度は霊が自分を切ってくださいと懸からなくなって来ました。そちらの方が肉体の身には遙かに楽なのです。

     

    どの御神霊でも三種の神器とされる【神刀・神鏡・神玉】を持っておられます。西洋で言う羽根を持った天使と称する霊にしても剣を保有しています。仏教で言う仏にしても、不動明王などの明王系や神将でも全て「剣」を所有しておられます。もし、神々でも天使でも「愛」だけを言うのであれば、まずその「剣」は捨てるべきものです。愛の論理とは反するでしょう。

     

    スピリチュアルで言う天使達は「愛」の言葉と裏腹に「剣」を持っている意味は何かです。 別に三種の神器をもって、皇位継承権云々ではないなのです。

     

    天の御三体の神の働きそのものが、三種の神器の型取りとも言えるのです。

     

    次回のブログにと続く

     

     

     

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