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私達の魂はどこから来たのか?。本守護神・正守護神から分魂で生み出された

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    人の肉体は死ねば終わりです。肉体は時と共に衰えて、やがて滅します。それは誰も逃げられない定めと言えます。私達の肉体に【不老不死】などはありません。

     

    では、何故に【魂】という永遠性の【心】の存在が説かれるのでしょうか?。

     

    この宇宙の初発に【おおいなる意識】が存在したのです。この大いなる意識は、あらゆる【命(みこと)】を生み出したのです。それは大いなる意識による【想像】であり、想像による創造物に【命(みこと)】を与えたのです。

     

    ですから、想像(創造)神は存在していないのではなく、宇宙に存在はしているなのです

     

    この【命(みこと)】たる息吹を【御言(みこと)】と言います。これが聖書における【言葉は初めに神と共にあった。言葉は神であった】となります。

    その言葉の働きは【流(龍)】たるエネルギーであり。想像神の【息吹】とも言います。命として「想像神の心を吹き込んだ」のです。想像神が死すると、この宇宙そのものが消えてしまいます。 ですから、想像(創造)神は永遠に不滅なのです。

    私達の魂は創造(想像)神とは比較にはならない小さな存在ですが、想像神と同様に【意識】を持ちます。この意識は【玉型の思惟】なので【魂(玉思惟)】と言います。想像(創造)神とは心が無い存在ではなくて、【心】という存在を万物に与えたのです。

    仏教では万物は【無】から生じたとしますが、確かに最初は【無】であっても、創造に関わる段階で「主の御心」が入ったのです。ですから、【心】が永遠性を持ったのです。そしてその【心】は【意識】とも呼ばれるのです。

     

     

    魂(玉思惟)の【思惟】は、【意識(心)】のこと

     

    万物には創造神の【息吹(命)】が宿り、命を【ミコト】と言う

     

    ミコトは【御言】で、創造神は御言で仕組みをされたのが日本語

     

    この宇宙の初発に誕生した想像神の息吹たる【流(龍)】の存在が、金龍(国常立尊)とか銀龍(豊雲野尊)とか言われているわけです。この【流(龍)】とは、瀧場など行くと祀られている「龍神」とは別物で、龍神と称される多くの存在は聖書における【霊界で年老いた大蛇霊】のことなのです。

     

    そこから、万物を創った存在は【蛇霊】であるとの説まで出て来ました。蛇霊こそが神なりです。そうなりますと、聖書の【言葉は神であった】が解らなくなり、蛇霊神信仰にと傾いて行ったと云えます。

    世界中で蛇霊が【聖なる存在】として、また【神的存在】として祀られているのはその為であり、それらは周知の事実です。

    聖書における【人類の原罪】は、人類の祖と説かれるアダムとイヴが蛇の囁きからエデンの園から【蛇と共に追放された】とありますが、誰もそこを見向きもしていないが今の世の現状と云えます。蛇の囁きとは何か?。です。

     

    真の天国に帰るには、【巳(蛇)帰る】が条件となる

     

    私はヴェーダ典の【人の中に眠るコブラ蛇が走り上がる時、その人は真理に目覚めるを体験して、以後、【真理】とは何かを模索して、お釈迦様はそれを説かれたがイエスは説けなかった。お釈迦様とイエスの教えの違いにそれがあると閃いて、それを求めた結果。お釈迦様の本当の悟りは【人に内在する良心神】に行きついたなのです。

    それ自体は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】で解き明かすお釈迦様の死後【五十六億七千万】の「みろく」であり、出口王仁三郎聖師の予言【みのか尾張の国から現れる誠の女子】の仕組みにおいて裏打ちされたと云えます。

     

    大本教神諭には、【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸。それは誠の者でないとそのお世話が出来ない】とあり。大本教の出口王仁三郎聖師は【神の九十九織り】。それを見ないと神の仕組みが解らぬと告げられましたが、【九と九】で織られた物を見ない限り、万物の創造神が言葉で何を仕組まれたかは解らないのです。

     

    日月神示において、【九十九%は邪神】とありますが、これは「99%」は蛇霊からの脱却が出来ていない意味なのです。

     

    では、蛇霊とは何かです。

     

    蛇霊とは、よこしま(邪)な心 【邪の道は蛇】

     

    よこしま(邪)を心を持つとは、他人に対する恨み辛み妬みなどから起きる未練や執着。権力や地位で人を支配する力の誇示。自分の欲望の為には他人を蹴落とす。力の暴力。自己中心主義。自分勝手。また、異性に対する過度の色情。過度の飲酒により事件を起こす。ゲームやスマホに見られる遊戯などに過度の依存。麻薬などの常習。そうしたことが霊能者の間では蛇霊化の原因とされています。現代人の多くは地獄への道を目指していると云えます。

     

    日本の神智学で「愛」しか言わぬ者は蛇霊の教えに犯されている者としますが、スピリチュアルと称する人の中には、良心など重たいから捨てましょうと平気で言う方があります。良心と呼ばれる存在があることは誰もが知っています。しかし、良心の呵責は重たい。そこは理解はしているのです。だが、下手に良心など持つと自分が苦しいから捨てましょうとなるのです。

    人に内在する良心神が解らないのは蛇霊の教えに毒された者で有り。日本のスピリチュアルで見られる多くの霊感者の前世は古代「シャーマン」や魔女であったりで、当時は「蛇霊」神に支配されていたなのです。

    日本の神社に行っても、「蛇や狐」霊が神として祀られている現状を知るならば、その霊力がどこまでこの世を支配していたかは見えて来ることなのです。

     

    私は人の魂の心棒(良心神)に蛇霊が巻き付くを見てきました。それを見た時、これは一体何だろうと思いました。世界の宗教を見ても、そうした教えがどこにも出ていないからです。また、改心した邪神が涙を出すと、現実界の蛇が棒の様に直立をするを見て、【蛇】の漢字の意味を理解したのです。

     

    私の霊界修行の最初に抱いた疑問は、蛇霊や狐霊は神として祀られているのに、どうして人は神として祀られていないのか?。この世を去った人達の霊はいったいどこに行ったのだろうかでした。無論、本当の天国界に行った霊はこの世の神達が支配する対象ではないので、この世の霊界に居なくても不思議ではないのです。

    過去にこの世に人として出た魂で神霊として祀られているのは、この世に生きている時には【義人】であった様な神上がりした方や、菅原道真公で解る【怨霊】となったことで、その祟りを恐れて神霊として祀られているなど僅かなのです。

     

    大本教神諭に、【人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらず】とあります。人は神とも成れるはずなのに、これはどうなっているのだとなります。

     

    さて、この記事の本題である「人の魂はどこから来たかです」。当然に、元の元を言うなれば、全ての万物を生み出したのは【想像神】であり【創造神】です。

    それを持って、人は【一人一人が創造神】だと叫いているのは邪神に毒された者と言えます。いくら、霊が見える。霊と会話出来ると言っても、低い霊界に関わっているだけで、自分の魂を見て見なさいとなります。魂の点数がまるで上がっていない。ひどければその魂は捻れてしまっているです。腐っているです。それでは、創造神などには永久に辿り着けません。

     

    人の魂は、創造神による宇宙創成に関わって来た段階の諸神。人の立場から言うと大本教から出された【本守護神】の段階。その本守護神たる【天津神】と称される段階から分魂された高級魂。その高級霊の段階が【正守護神】であり、私達の肉体の魂は前回のブログで書いたコップの水のスポイトの一滴であり、まずは自分の魂の本体たる【コップ】に戻らないと行けないのです。ですから【次元】という言葉の存在を抜きにして語ることなど出来ないのです。

     

     

    正守護神→本守護神→創造神の段階を無視して 

     

    一人一人が創造神だはあり得ない

     

    いくら霊が見える。霊と会話が出来る。呪術にたけていても正守護神段階の霊を倒すなどは容易ではないのです。行者や呪術師の中には神霊すら封印するなどがありますが、本当に力を持った神霊を封印するなどは人間には出来ません。次元が低い世界に居る霊が次元の高い霊を封印するなど不可能なのです。

     

    大本教神諭に、【人には一体の守護神が就けてある】とありますが、では、それは正守護神かと言いますと、正守護神のことではありません。本守護神・正守護神は自己の魂の【内在神】であり、外在神ではないからです。

     

    内在神は自分の魂の汚れを浄化させないと出て来ません

     

    では、どの人にも就いている守護神とは何かです。大本教からは「本守護神」「正守護神」「副守護神」が出されました。そしてこの論理は、現在の新神道系の教団でも説かれています。人には誰も就いている守護神とは【副守護神】段階と言えます。

    問題は、その【副守護神】の定義なのです。通常ならば【正】に対する【副】なので、会社で言えば社長と副社長の様な関係に思えますがそうではないのです。同一的段階の存在の補佐役ではないのです。霊界ではずっと霊格が下にあり、次元すら違って来ているからです。 

    大本教から出された副守護神は、当然に正守護神の段階ではなく、まだ魂が浄化されていない悪神的存在と出されました。悪の副守護神が自分に就いているでは、当然に「ギョッ」となりかねません。副守護神とは自分を悪の道に引きずり込もうとしている存在かともなります。

     

    この副守護神の定義はかなり幅広いと云えます。霊能者下ヨシ子師が副守護神とは自己の家系の御先祖霊で、地獄界から抜け出す手前にある霊で肉体の子孫を指導して、子孫の肉体の魂と一緒に修業の結果、自らも天国界に入る一歩手前の御先祖霊と述べておられます。

    他の霊能者の方にも、自分の家系の五代前か四代前の御先祖霊がその役割を背負っていると言われる方もあります。先祖供養先祖供養と言いますが、だいたい五代前より古い御先祖霊は輪廻転生の中で生まれ変わっている存在が大多数なので、この世に関わる霊界では見当たらないのが現状だからでしょう。

     

    私は子供の頃、自分にお坊さんの姿をした霊が就いていていると解りました。自分の家系の御先祖霊だとは感じましたが、私の家系にお坊さんに成った人など居ないと聞いていましたので、坊主姿を変だなと思ってました。

    私が霊神霊世界に修業に入った頃は、そのお坊さんの姿をした霊がよく出ていました。私を守ってくれていたのです。霊能者の調べで、それは私が生まれた家系の御先祖霊であるとまでは解りました。ただ、私の家系は肉体の祖父は養子で、その先祖霊とは直接的血脈はありませんでした。

    さらに出雲大社教の霊能者の調べで、それは私の家系の五代前の先祖霊と解りました。私の家の仏壇に白蓮の蕾が出て来てパカッと花が開くと、金文字で「日蓮、日蓮」とフラッシュして、さらに「南無妙法蓮華経」の金文字も出て来るで、遠くに引き籠もっていた最初の師匠の元に慌てて走ったところ、その五代前の御先祖霊たる方は日蓮聖人の御分魂だと判明しました。日蓮聖人ほどの方だったから、自分の御分魂を世に出されたです。

    その御先祖霊はお坊さんではなかったのですが「法華経」を学び【妙見信仰】に入られて、かなりの行を積まれて、自分の魂の本体たる「日蓮聖人」に近くなられていたなのです。為にその姿を見たサイキッカーなどが、日蓮聖人さんのように見えるが日蓮聖人さんと少し感じが違っていると首を傾げていたりもしたのです。

     

    道理で、私の前に日蓮聖人がその弟子たる霊と一緒に出て来られたり、家系の先祖霊と入れ替わったりで、私を悩ましていた謎は解けました。この五代前の御先祖霊は私を指導することで、日蓮聖人霊の本体に戻られるなのです。

    この日蓮聖人の御分魂は私を法華経や日蓮宗に導くのではなく、「大本教霊学」にと私を導いていかれたのです。それは「法華経」をいくら学んでも解らない。学ぶべきは大本教霊学だったからです。

    大本教神諭に、【この神の御用をしたい守護神は取り立てる】旨がありますが、各自に就いている副守護神が大本教に気がついていないと、大本教から出された意味がまったく理解出来ないともなります。

    だからと言って現在の大本教に入信しても教祖以下、何も解ってないとなります。必要なのは大本教神諭と霊界物語の中味を紐解くことなのです。

     

    私は幼い頃、不思議なことを思っていました。私は天より特別の密命を受けて、今回この世に出た。この家の御先祖霊はその私の受け入れてくれた家だです。誰しもこの世に出て来るにあたっては受け入れ先の家が決まっているのです。自分を受け入れてくれる家筋がないと、この世に出るにも出て来られないと理解していたのです。

    よく、自分を産んでくれと頼んだ覚えがないと親に捨てゼリフを言われる方がありますが、その家から生まれ出ると決めて出たのは自分なのです。為に、その家筋の御先祖様には感謝が要るのです。そこに、その家筋のカルマを取ることによる菩薩修行もあります。

     

    私の家の仏壇を拝した霊能者の方から、私が出た家系は【国常立尊】様に関わる霊系の家筋だと教えられました。そこには日蓮聖人と国常立尊様には「縁」があったとなります。

    日蓮聖人は「伊勢外宮」の当時在った寺院に参籠されて、【妙見菩薩】と関わって来られました。この「妙見菩薩」とは【北斗七星の神格化】ですが、妙見菩薩は神道系では【天之御中主(国常立尊)】ともします。

    私の家の神棚に「閻魔大王(国常立尊)」と日蓮聖人が並んで出られ、伊勢外宮にあった寺に参籠された日蓮聖人の経緯を知るならば、私の家筋にに日蓮聖人の御分魂が出られたことも「神の仕組み」の一環だったと知ったしだいです。

     

    私の場合は五代前の家系先祖霊であった方が【副守護神】の任に就いておられました。その副守護神の役に就かれる霊に霊界における力の差はあるでしょうが、一部の霊能者の方が四代前か五代前の家系の御先祖霊だと言われるのは正しい説かも知れません。

    ただ、大本教の出口王仁三郎聖師が言われた「副守護神」はかなり定義が広いようで、背後霊的存在や動物霊までひっくるめて言われている向きがあります。それは裏を返せば、その副守護神の役に就いた先祖霊の霊力が動物霊等よりも弱いとなります。力が弱いから副守護神としての任務が果たせないなのです。 

     

    そこに、各家庭の御先祖霊の力を強める為に供養があります

     

    私の2番目の師匠は、私に就いていた家系の御先祖霊のことを【糞坊主】と罵っていました。その2番目の師匠は【国常立尊の現身(うつそみ)】と自称していましたが、それを認めないで楯突いていたからです。肉体の私は見破れていなかったのですが、御先祖霊はその正体を見破っておられたなのです。

    私の正守護神がその師匠の祭壇の霊的な社を蹴破り、そこに鎮座していた居た霊を私に見させましたが、それは「ライオン(猫科)」の姿をした神霊でした。そして先祖守護霊はその猫霊に消しゴムを食べさせたのです。その意味は、創造神でも無い霊が「描」いた構想を消すです。

     

    私が知ったある青年も自称救世主でした。で、誰が貴方を救世主と言ったのですかと質問したら、【苗】を両手に持った【猫人霊】が言ったです。「苗」「猫」「描」の一連の漢字がそれを物語ったなのです。

    日本神道の【青人草】の「苗」が何の草の意味か解らずに、自分が創造神の演技をする。それは【牛虎の虎】が猫科だからではないのです。

     

    牛虎の虎は「猫」科でなく、演技の「寅」と理解しなかった 

     

    虎は劇

     

    この世の【劇】を見て、創造神の存在が解らぬでは愚かなり

     

    スピリチュアルでハイヤーセルフの言葉に酔いしれて多用しているでは、自分の魂がその正守護神や本守護神と切り離されて【輪廻転生】している意味そのものすら理解出来ていないとなります。

    スピリチュアルなどから離れて、まず自己の家系の副守護神たる御先祖霊をきちんと天国界行き資格まで上げることで、自分もまた天国界に行く資格を得る。そこに出て来るのが自分の正守護神段階にもつながる道なのです。

     

    自分の家系の先祖霊が地獄界で苦しんでいる。それをきちんと上げないで、自分には神霊が見える。神霊と会話が出来ると言っていても、それでは貴方は何を見ているのだとなります。先祖霊をきちんと上げることで、自分が置かれた悪しき環境も好転して来るものなのです。

     

    多くの神社に神霊として祀られている存在は、蛇霊や狐霊や猫霊や狸霊と呼ばれる段階の霊が多く、その神霊に頼って現世御利益は得られても、天国界行きのキップが貰えるわけではないのです。

     

    大本教神諭、【この世の閻魔大王(良心神)】として現れる

     

     

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