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西暦2018年の犬の祓い年の現時点で、弥勒世に渡る有資格者は3億8千5百万の神柱か?

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    私は今の世が立て替わって、やがて永遠性を持った嬉し嬉しの弥勒の世(神の御国)が到来して来ると語って来ました。しかし、現在のスピリチュアルの世界ではそうしたことを語っている方は少数も少数になってしまいました。今では火が消えたようになっています。

    この地球の置かれた環境は日増しに悪化しており、自然災害も多発して来て、今の人類の力では病んだ地球は救えません。創造神と呼ばれるような神が存在していて人類を救済するでなければ、遅かれ早かれ人類は消滅するでしょう。私は人類は創造神と呼ばれる神によってのみ新しい世に向かうと思っている一人です。

    それは子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【私は永遠の嬉し嬉しの未来の世に人類を渡す】と告げられたからです。

     

    弥勒の世の到来を語る人達の中では、だいたい私と同様の論調がなされています。新しい弥勒の世とは今の地球上ではなくて、聖書のヨハネの黙示録にも記載される新天地、新地球上です。その新地球を「宇宙船」と呼ぶのも一緒です。ただ、次元が異なっているので科学的にはその存在証明は出来ないのです。そもそも現代の科学では霊界そのものが証明不可能です。為に多くの学者は霊界の存在を否定しています。死後の世界を否定して、神の存在を否定しない等の矛盾の科学者も出ています。

    いくら聖書に書かれていても、常識的に言えば新地球などとても信じられる話ではありません。私達人間は霊能力が備わっていれば神社仏閣に鎮まる神霊の存在は確認出来ますが、【創造神】などよく解らないのです。世に出ておられる神々ですら、創造神の存在に関してはよく解っておられないがあります。神界の末端の霊等は、創造神?。そりゃ何じゃとなります。まず聞いてもムダです。

     

    その新地球論を言う少数派の中で、以前はみろく世に渡れるのは世界で一億人あるかないかの論がありました。それから数年後、ようやく2%に達した。次に、二億人には達していないが二億人弱まで増えたとの説が出ていました。しかし、あまりにもその数が少ないので、実際に立替が実施されるのかの疑問も出ていました。そうした論者は次々とこの世を去られましたので、そうした論も今では僅かな人だけとなりました。待てど暮らせども、一向にその兆しが見えて来ない弥勒世の宣伝マンの悲哀です。

    そうした新地球論は架空論であり、現実にはそぐわないとなります。だが、その時が現実に私達の目の前に襲って来た時には手遅れだとなります。霊界に関わることは実にやっかいなことで、自分に他人に目に物を見せる奇跡力が無いと、それは人々に信じて貰えないとなります。

     

    死後の世界など無いと言う人達に霊界があることを解らせるのは「奇跡力」ですが、霊界の奇跡力は龍神と呼ばれる存在が起こして来たりしますが、結局は龍神をバックにしたおかしなおかしな自称救世主と名乗る人達の続出だけで終わります。

    龍神と呼ばれる存在が人に見せて来る奇跡としては体や手に金粉現象が現れることは知られていますが、それでこの地球が元の地球環境に戻せるなどの霊力はありません。龍神に個々の人を助ける霊力はあっても、地球を救うだけの霊力は無いからです。

     

    その弥勒の世とは、俗に【五六七】と言われるように、最低の基本次元界が五次元霊界となります。単に死ねば誰でも入る四次元霊界ではないのです。その世界そのものが【第三天国とされる天国界】が最低ラインとなるのです。

    霊界が天国や地獄や中有界などの階層を持った世界であることが認識出来ると、こんな我欲にまみれた世界よりも、天国天人達が本当に嬉しそうに暮らしている世界にこそ、人々の本当の平和と幸せの世界があると解って来ます。すると、この世には何の未練も無くなるのです。仏教で説かれた「この世の執着」から離れるが出来て来たりします。

    その為には、今の地球上に居る人達の意識を【天国界天人の意識レベル】まで引き上げなければならなくなります。スピリチュアルで、何もしなくてもこの地球が自動的に五次元世界に行くのですの論調は言えないなのです。

     

    世の大立替説は、日本では大本教が最初に出したとされますが、調べると天理教からも出るには出たのです。しかし、何と言っても大予言者とされる大本教の出口王仁三郎聖師の存在が大きかったと言えます。出口王仁三郎聖師の存在を知って、その予言を的中させた内容の数々を知るならば、その凄さが解ります。スピリチュアルの比ではありません。神社に鎮まる神霊で、そんなことが言えただけの神霊そのものが居ないなのです。

    私は大本教の出口王仁三郎聖師を高く評価されている霊能者の方が、その出口王仁三郎聖師と違うことを言われた時、貴方と出口王仁三郎聖師では言われることが違っていますが、どちらが正しい説なのですかと質問すると、だいたい自分の方が間違っていましたと訂正されます。それぐらい出口王仁三郎聖師は正しい霊能者達の間では高く評価されています。

    そうした霊能者の方達は、自分はとてもその神界の域に達していないと理解されているのです。俗に言う神界の高山のレベルが自分と出口王仁三郎聖師とでは違っているなのです。

     

    しかし、出口王仁三郎聖師の肉体の行動が全て正しかったのかと言うと、それは違っています。その大本教の出口王仁三郎聖師は、自分は「ニセ者」であったと発表されましたが、本番は自分とは「似ても似つかない人」だと残しておられます。それは出口王仁三郎聖師的な行為行動の持ち主ではない肉体の存在とも言えます。

     

    本当に霊格の高い方達とは、大本教には所属せずとも大本教の出口王仁三郎聖師の霊界での格の高さを理解されています。一方、自己の霊格が低いことが解っていない霊感者レベルでは、大本教の霊界物語を「あほだら長い経」と批判して、そこに書かれている意味合いが解らずに、直感だ!。直感だ!。で、蛇霊や野狐霊達が化けた神霊の言葉にコロリと欺されるが起きています。

    自分では自分に臨んできている霊が、天照大御神や大国主命だと思っていても、他の霊能者からそれは蛇霊や野狐霊が化けているだけだと言われていることに自分では気づけないなのです。

    言うなれば、蛇霊や野狐霊段階では、あんな「あほだら長い経」そのものが書けないのです。意味すら解らない。為に、批判だけをする。そのあほだら長い経の中に「宝石」的な内容をちりばめてあることが解らないなのです。それは邪神達には意味が紐解けないようになっているからなのです。

     

    世の立替を説いた大本教からは人類の「3分」だけが新しい世に行けると説かれたようですが、その3分が全体の1/3のことなのか?、単に割分厘の3分なのかはっきりしません。大本教の出口王仁三郎聖師は人類の3%(3分)などあってたまるかと述べておられますが、私も同意見です。それでも聖書の14万4千人よりも遙かに多い数とはなります。

    この1/3とは天下を三分けに構成させてあることから解ります。天国と中有界と地獄の三分け。第一、第二、第三と天国を三分け。第一、第二、第三と地獄を三分け。そこに2/3の「666」と1/3の「333」に分けがあるにはあるのです。

    単に「666」の数字だけを持ち出して、三つ六でみろくとか悪魔の刻印だと言っても意味が解りません。神界の力が正神界333、中間派333、邪神界333ならば、その中間派の帰属如何によって神界の力関係は「666」と変わるからです。

     

    可能であるならば、全ての人類を弥勒の世に渡したいは【国常立尊】様の願望であろうと思い、私も微力ながらも一生懸命みろく世に全ての人が渡れるように【悔い改める】ことを主眼にした、人に内在する良心神を説いて来ました。

    しかし、スピリチュアルでは何もしなくてもいいのです。神の愛で全ての罪は赦されるのですの一点張りです。誰も【悔い改める】を言わないわけです。確かに、神の愛で何をしても赦されるであれば、【悔い改める】などと説く必要はないのです。時には【良心の呵責は重いので、良心などは捨てましょう】です。スピリチュアルでは言われることは私とは真逆の説明なのです。

    スピリチュアルの言葉が本当に正しいのであれば、どうして【地獄界】が存在して来るのか?。その説明すら出来ていないのです。本当に霊能力があるならば、【地獄界】を一度も見ていないなどあり得ないはずです。地獄界の存在を見れば、【神の愛で何をしても赦される】など言えないのです。

     

    私が子供の頃、私に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、【そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れずに、イエスの愛の教えを乗り越えよ。】と告げられました。どの神からも貴方に教えることなど出来ないと告げられて、今は埋没してしまっていたお釈迦様の菩提樹の下の本当の悟りが、【悪魔は実態を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在する。】であり。それは大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】で、五六億七千万の「みろく(369)」を出せると解ったのです。

    今日知られるお釈迦様の悟りも、後世の者達によって書き換えられたものであり、そうしたことになると事前に解っていた国常立尊(祇園精舎の守護神たる牛頭天王)によって、日本の言葉であっても、それを言葉と数霊で仕組まれたと言えるのです。それは伊勢神宮に鎮座する神でもなければ出雲の神でもないのです。

     

    西暦2018年は犬年で、祓いの年と昨年出ました。しかし、神社で見られる祓い串による祓いとは、人の肉体に降りかかった霊的なチリや誇りの類い。すなわち霊的な【ダスト】程度の祓いであって、魂そのものを汚した場合には祓だけでは解決しません。

     

    汚れた魂は【身削ぎ(禊ぎ)】によってのみ、汚れが落とされる

     

    何故、禊ぎの漢字は神との【契約の示し(示契)】なのか? 

     

    つい先日、そんな中で私は不思議な夢を見ていました。とある場で大工の棟梁が新しい家を建てる為に無数の柱を立てています。その棟梁が新しい家の柱立てのお祝いに、私に【三億八千五百万】とお囃子をしてくださいと言います。私は言われるがままに、棟梁の祝い歌の間に【三億八千五百万】とお囃子を入れるのです。

    夢から覚めて、【三億八千五百万】が【柱】の数の意味だと気づきました。これは新しい地球船に渡る人(神柱)の数は以前は二億人弱と言われていましたが、ようやく三億八千五百万神柱まで、その数が膨れあがったです。立替そのものは「柱」の意味で表現されます。ですから、柱立ての祝い歌です。

     

    祝い歌が出たとは、立替は実施されると思われます

     

    しかし、これらは私が単に見た夢でしかありません。その計画の主にそれだけの神力がなければ「ポシャる」でしょう。

     

    仮に立替が起きるとしても、この数は入試の様に定まった数ではなく、現時点でそれだけの数に達したです。未だ犬の祓いの年は来年の節分まであり、その数は更に増えて行くはずです。私より少し前に、その三億八千五百万よりもいくらか少ない数を受け取った方があったようです。たぶん、三億八千五百万前後に近い数字を受け取った方達も既に世には出て来ているはずです。

    2018年度中の地球の人口は76億人規模と推察されます。仮に弥勒の世が創設されるとしても、未だ5%程度の人数しか確保が出来ていないとなります。それでは未だ永遠の嬉し嬉しのみろく世に渡る人の数としては少なすぎます。未だ最終確定人数ではないと思えます。現時点でみろく世行きが決定したこの世の人の数と考えられます。

    その時の問題はみろく世に渡る人数ではなく、大本教神諭に記載される霊界の【上・中・下】の三段。【五・六・七】の三段に振り分けが起きることなのです。大本教神諭にある魂の段階の入れ替えで「上の者が下に行き。下の者が上に行く」で【不満】を出す者が出るなのです。ですから、早くから立替が予告されたのです。

     

     

    これから先は、強制的な魂の身削ぎ(禊ぎ)洗いによって、みろく世に渡る人の数は一段と増えて行くと予想されます。

     

    創造神の大望は神々や人民が創造神の【栄光】を讃えるで、滅ぼすではないからです

     

    為に、表舞台から退(艮の道)いてまで仕組んで来られたのが【ウシトラ】なのです

     

    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【そなた一人だけにはこの神の仕組みを見せる。】と告げられて来ましたが、その仕組みとは、夢で意味を教えられて来たのです。霊界は情報が【筒抜け】であり、言葉で降りたのではないのです。言葉で降ろすと邪神達もその仕組みを知るからです。

    私が霊界修業に入って言霊師の師匠の元に居たある夜、夢に私の姿をした人形が浮かんでいて、声が聞こえて来ます。それは童謡の「人形」のメロディーに乗せて、【私の人形は良い人形。どの神様の人形よりも、その見かけは悪いけれども、私の心を受け継ぐ良い人形。】と歌っているのです。その歌声に乗って、私の姿をした人形が動かされているのです。以後、夢の中に私の姿をした人形が出て来て、いろいろと演じる内容を夢に見ていて、その行動から言葉の仕組みを紐解いて来たと言えます。

    私は霊界修業中、どの神からも貴方に教えなどは出来ないと告げられて、豊受姫は豊受姫以外の神霊が私と直接会話することを禁じられたと最初の師匠が言っておりましたが、例え神霊が出て来られても私に教えるではなく一言とか二言です。大国主命様も幾つもの姿を変えて私の前に出て来られましたが、その言葉は一つも聞いていません。なのにどうして言葉の仕組みが解けたかと言いますと、私の夢の中で自分が出て来て何かをしている。その内容を言葉に置き換えるだったのです。

     

    では、その三億八千五百万人だけが弥勒の世に渡るのかと言いますと、これはこれから来る立替の大嵐。その嵐には【禊ぎ(魂の身削ぎ)】を伴いますので、その禊ぎの期間を楽に越せる人数と考えられます。それらの数は、今日までに既に自己の魂を浄化浄霊して来た人の数とも言えます。蛇霊の囁きから脱却して、みろく世の神柱の地位を手に入れた人達の数だと考もえられます。

    大本教神諭に、【人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらず】とありますが、その神とも成れた存在です。

     

    されど、

    未だ地球に関わる神霊世界は、力の強い者が勝つであり

    力による獣の論理が支配しています。

     

    より多くの人達が【嬉し嬉しの五六七の世】に行く為には、神界における最終戦争が未だ終わってはいません。

     

    それはモーゼ外伝にもあるように、蛇霊神達との戦いになります。蛇霊神を帰すミカエル(巳帰る)の働きが必要なのです。蛇霊の囁きから脱却しないと本当のエデンの園(神の御国)には戻れないからです。どんな事態になろうとも、その時を楽に越せる現時点での人数かと思われます。

     

    私が修業時代、蛇霊に改心の言向けをすると、【改心など殺されても絶対にしない。その時が訪れたなれば暴れに暴れて死んでやる。】等と返して来ました。立替の時は、その蛇霊達の死を覚悟の暴れが危ないのです。

     

    言葉上では簡単に立替などと言えますが、実施ともなればかなり難しいと言えます。容易な事柄ではないのです。蛇霊達がどう動くのか?。その影響が如実に私達の上に現れるからです。

     

     

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