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人は神の姿に似せられし者。神は光で姿形が無いと言う霊能者。出口王仁三郎聖師が描いた国常立尊の肖像画は嘘か?

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    大本教からはウシトラ金神【国常立尊】の世の大立替が予告されました。日本最高の予言者と言うよりも、今日まで世に出た予言者の中では世界最高ではないかと言われているのが大本教の出口王仁三郎聖師とされます。確かに、その数々の予言を的中させて来たがあります。そして、何故に長崎や広島に墜ちた原子爆弾だけでなく、大正時代に現在の「テレビやスマホ」の様な存在まで予言できたかがあります。

    優秀な霊能者達によれば、出口王仁三郎聖師は【素戔嗚尊】の分魂で神界ピラミッドとしては【八合目】であったという説が有力のようです。希に九次元だと言う人もありますが、そうしたことを言う方の霊界でのレベルを考察すると、八合目説が一番正しいように見えます。大本教の出口王仁三郎聖師は自分はナザレのイエスに何一つ劣っていないと言われたようですが、ナザレのイエスも神界の八合目の瑞霊魂であったとする説もあります。それが事実ならばイエスと同格に等しい方となります。

     

    但し、神界「八合目」では本当の【救世主】ではあり得ないとも言われています。まだ、それ以上の段階の神の分魂を持った人の存在は世に出ていないという説です。そこに出口王仁三郎聖師自身の【自分は(救世主としては)ニセ者】であった発言があります。それで、初めは自分が救世主と呼称しておられたが【聖師】に改めたられたとの説もあます。本物であれニセ者であれ、自分が本物と思い込まなければやっていられないのが霊界とは言えます。

    巷には自分が救世主ですと名乗りを上げている方はゴロゴロ居られますが、どの方も神界の八合目どころか七合目にすら行っていないがあります。自分の神力のなさを自覚せずに名乗っているです。そうした方の背後に居る神霊とは、邪神界の神霊ともされます。

     

    私達が関わっている今の地球霊界は力の強い者が勝ち(価値)で、

     

    正義とか不正義の論理で語る神霊では無いのです。

     

    その大本教の出口王仁三郎聖師は、絵や書道のみらず陶芸や仏像彫りなどの多彩な才能を持っておられました。そうした描かれた絵の中で【国常立尊】を描いた画があります。インターネットの世界では簡単にその絵を拾えます。下記の図はそうしたインターネット上から拾ったものです。

     

     

    出口王仁三郎聖師が描いた国常立尊画

     

     

    出口王仁三郎聖師が描かれた「国常立尊」の肖像画が、本当に国常立尊のお姿か?。これは証明が出来ません。ほとんどの霊能者は、国常立尊が存在するであろう段階に容易にアクセスそのものが出来ないからです。

     

    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていましたが、その姿を一度も見たことがありません。霊声のみです。神霊世界に修行に入って豊受姫や7〜8名の霊能者の方から、貴方の本守護神は【国常立尊】様ですと告げられても、どうしてそれが「国常立尊」様と言えるのか?。霊能者とは言えない私には、それ自体がよく解らないと言えました。

    私が言霊を学ぶ為に通っていた2番目の師匠の御祭神は「国常立尊」と称しておられまして、その神霊の姿は私も拝見出来ました。で、この御神霊が「国常立尊」様かと当時は信じていたのですが、大本教の出口王仁三郎聖師が描かれた肖像画とは似ても似つかないお顔の方でした。肖像画は写真ではない為に、どれほど絵がうまくても確かなのかが解らないからです。

     

    私の最初の師匠は豊受姫のお代で、その豊受姫の言葉によれば、豊受姫にお仕えするお代としては当時の稲荷行者としては癸盈酣充圓塙陲欧蕕譴討い董△修譴亘受姫のお代をされていた他のお代さん達からも認められていました。○○先生、○○先生と尊敬されていたです。他の豊受姫に仕える霊能者の方達からもあの先生が実力癸韻世噺世錣譴討い燭里蓮⇔酣充圓寮こΔ任歪舛靴い噺世┐泙后

    豊受姫のお代であったその師匠は少女時代、出口王仁三郎聖師が存命中に大本教少年少女隊に属していましたが、豊受姫のお代になってから、一度だけ「国常立尊」のお姿を見たことがあると言います。それは伏見稲荷山の某お塚にてです。

     

    私はその某お塚に優秀な霊能者達から豊受姫の分魂を授かっていると言われている方と一緒に参ったところ、その女性はその某お塚で、おじいさま。おばあさまと言って、出て来たと思われる霊と会話をしていました。

    その時に私に見えたのは、能舞の高砂で知られる「尉(じょう)と姥(うば)」の姿をした二体の霊でした。その二体の姿を見て、私は何故かその尉の姿は「大国常立尊」様であり、姥の姿は「豊雲野尊」様ではないのだろうかと感じましたが、私は絵を描く能力がありませんのでその霊姿を描くことは出来ません。ただ、そのお塚は最初の師匠から国常立尊様が出て来られる塚と聞いていましたので、だったのかも知れないと思う程度です。

     

    一部の霊能者の方達は、【神は光であって、神に人の様な姿は無い。人の様な姿で出て来るのは低級霊で蛇霊や狐霊である】と発信されています。確かに、十二単衣の姫姿や衣冠束帯の貴族姿で出て来た霊が、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊であったりするのは事実とは言えます。私も白狐霊のいろんな変化姿を見ています。蛇霊の場合も猫霊の場合も見ています。

    優秀な霊能者の方が、十二単衣の姫姿や衣冠束帯の貴族の様な男霊を見て、その本当の姿は蛇霊や狐霊だと見破る。そうした方達は単に霊感を振りかざしているスピリチュアルの段階の方達よりも、遙かに霊的能力が優れているとは言えます。日本昔話の【狼がくれたまつげ】の話が例え話です。

     

    私と同じ時期に最初の師匠の元で一緒に修業していて、後にお不動様の教会主と成られた方の元に豊川稲荷神の御分霊を勧請したところ、不動尊の関係で多くの不動尊行者がその祭壇にお参りをして、間違いなくこれは豊川稲荷様だと言っておりましたが、そうした不動尊行が見た豊川稲荷神とは衣冠束帯の貴族姿の男霊で、その顔は扇子で隠していたと一致していました。多数の不動尊行者の証言です。でも、その扇子を取ったら白狐の顔をしていたはずなのです。

    眷属とその本体神とでは姿が違います。ほとんどの場合は眷属たる霊を見るなのです。眷属であれば、その神名を名乗ることも許されています。代理者だからです。

     

     

    私の最初の頃のブログに、【神は光だ!で天狗さん。神は光でも姿が見える】を出しました。

    http://kamikotokai-b.jugem.jp/?day=20111216 

     

    このブログ記事の中の霊能者の方は、自分は千年も続く高木の神《日本神話の高御産巣日神(たかみむすびのかみ)とされる》を祀る神官家と称しておられ、自分はそんじょそこらの霊能者の比では無いと豪語しておられました。確かに、霊波動を滅多に感じない私が希に見る霊波動の持ち主と感じて、うかつに逆らうと、その霊力で人を殺しかねない危険な霊能者だと解りました。

    私は霊能者で霊力を持って人を殺して来た存在を見て来ています。私の2番目の師匠もそうでした。霊能者同士で命の取り合いをするです。ある大変優れた霊力を持っている方から、あまり邪神界を批判ばかりしていると貴方自身が殺されます。その人はそれまで正しい霊能者が邪神の霊力で殺されて来た数々を見て来た方であり、私に忠告して下さったのです。

     

    当時の私はヤフーの輪廻転生の版で論陣を張っていたので、私の周囲の方がその霊能者の方に下手に反論をすると何をしでかすか解らないと危惧していましたが、周囲の方ではなく、お前は生意気だ。お前を殺してやるとヤフーの版上でわざわざ宣言をして、その生き霊とその仲間の神官達の生き霊達と共に私の自宅に押しかけて私を霊刀で殺しに来たので、当時の私の家は汲み取り式トイレだったので、その神官の生き霊を閻魔庁に仕える霊達が捕まえて便槽に落としたしだいです。

    一部の霊能者の方達は貴方の背後には【閻魔大王様】があると言って来られていましたが、その霊能者にはそれが見えていなかったのでしょう。閻魔大王とは「国常立尊」でもあるとされています。牛虎金神「閻魔大王」で、大本教の【節分の煎り豆】の意味が解けて来るのです。

     

    その霊能者は【神は光だ!】。神は光で姿形が無いの主張を私が否定したから、俺ほどの霊能力者に向かってお前は生意気だから殺してやるだったのです。

     

    私を霊力で殺しに来た時、彼が言う「神は光だ!」の高木の神とは【天狗霊】だと解ったのです。確かに、天狗霊は高木の上に居たりします。この代々続く神官家で祀られていた高木の神とは実際は某霊山の天狗霊で、この霊能者にはそれが「光」として見えていただけで、天狗の姿だと見えるだけの霊能力は無かったなのです。

    その日を境にして、その豪語していた1000年も続く神官家の霊能者は、二度とヤフーの輪廻転生の版には来なくなったのです。それは自分の生き霊が便槽に落とされて【臭い霊】になったからでしょう。臭い霊とは「自分は大きい」と勘違いしていた者だからです。

     

    古来より、人は神の姿に似せられし者と言われて来ました

     

    大本教の出口王仁三郎聖師は、【国常立尊】の肖像画を描いておられます。これは出口王仁三郎聖師は、通常の霊能者ならば【光】としか見えない段階の高級霊でも人の姿として見える段階の方だったからと言えます。 この意味が解るのは、神界ピラミツド(神の高山)の合目を理解していないと難しいとなります。自分より数段高い霊世界に居る霊は「光」としか見えて来ないからです。為か、六次元界龍神と呼ばれる存在の龍神の光を見て、それを太陽だと思って居る霊感者達も多数出て来ます。

     

    神は光だ!、神には姿や形が無いと言っておられる霊能者の方の背後霊が神道系でサニワ(審神)されると、本人は自分では宇宙神とチャネリングしていると豪語されても、その背後は黒龍神であったり、高級神霊だと言っていても黒蛇霊や野狐霊などの低い霊だったりするわけです。

     

    霊が「光の玉」であることは事実と言えます

     

    例えば稲荷信者であるならば目にするであろう稲荷大神秘文と云う祝詞には、「稲荷の八霊、五狐の神の光の玉なれば」とありますが、光の玉も見る者が見ると、それが天狐、地狐、空狐、赤狐、白狐とその姿形が見えるなのです。霊は「光の玉」だから姿形が無いと言うのは、ある意味間違った論理なのです。霊界の【高山のピラミッド】が理解されていないのです。

    例え霊が見えなくても霊的な写真は撮れるがあります。写真などに光の玉は写っても、その霊が何なのかは解らないがあります。霊能者でも解らないが往々にあるのです。光の玉が写真に撮っても、その光の玉の検索はあまり意味がありません。

     

    神は光だ!ではなく、霊は光の玉!

     

    但し、霊が出す光とは私達が見る太陽光とは別物なのです。私達は肉体の死によって肉体と言う服を脱いで霊界に渡ります。その時の自分とは「玉思惟(魂)」と霊界用の魂の服で有る幽体を持ちます。その幽体が俗に言われる幽霊なのです。

    その霊界用の服で有る幽体は、その服を永遠に着用しているのではありません。霊界での階段を上がることによって、その霊界用の幽体はその姿形が変わります。そして、霊界での光を放つようになるのです。

    その光を放っていない時、その姿形は【人の型】で見えるなのです。邪神と言えどもその姿を【目眩まし】する為に、【光(火借り)】を放つがあります。特に黒龍神の様な力の強い存在であれば、「太陽」とさえ錯覚させるもあります。

     

    日本の新神道系で【神人合一】が語られますが、その時の自分とは今の肉体の姿形ではないのです。それが本当に自分かと思うほどその姿形は違います。しかし、それが自分で有ることは解るのです。

    霊界においては神界ピラミッドが語られますが、そのピラミッドの合目に於いて魂が放つ光が違い。自分の置かれた神界の合目が低いと、高い霊は光としか見えて来ないなのです。すると、神には【姿形】が無いの論なります。神は【光だ!】と言うだけでは、自分の魂が神界での合目が低いと言うことになるのです。自分の神界の合目を上げて行くと、その光も【姿形】で見えて来るなのです。

     

    大本教の出口王仁三郎聖師の段階を越えている霊能力者の方が、神は光で姿形が無いと主張されるのであれば、ある意味私も納得が出来ますが、そうでなければ霊界を平面的にしか見ていないのではないかとなります。

     

     

     

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