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自分の本守護神・正守護神・肉体に内在する玉も、神社に鎮座する神々の玉も大小以外は同じこと

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    新日本神道系の宗教では【本守護神】【正守護神】の存在が説かれます。この本守護神・正守護神はスピリチュアルで言うところの「ハイヤーセルフ」と一見同じ存在を説いているようには受け取られますが、スピリチュアルはどうも話におかしな面があります。それは魂の大きさをまったく論じていないからです。

     

    西暦2018年10月23日の私のブログにも書きましたが、スピリチュアル標榜でも自分がスピリチュアルの言葉を広めたと自画自賛しておられる自称スピリチュアル界の大御所、霊能者【江原啓之】さんやその師匠と言うべき【美輪明宏】さんなどは、コップ一杯の水とスポイトの一滴論で間違ってはおられないのですが、【ハイヤーセルフ】を口走っているスピリチュアル標榜者は、本当に理解しているのかとなります。

    もし、そのことが理解出来ているのであれば、【ハイヤーセルフ】の言葉の連発が自己の魂磨きにつながっていないと理解出来ないはずがないからです。再度、その時の図を出します。この絵だけだと肉体にある魂と「正守護神」の魂との関係程度なのです。それで別の図も追加します。

     

     

     

    そのコップ一杯の水とスポイトの一滴の関係は、

     

    肉体の魂を汚すと本体のコップ(正守護神)に戻れず

     

    肉体の魂は浄化が出来るまで【輪廻転生】に入る

     

    大本教の出口王仁三郎聖師は、ウシトラ金神国常立尊様が地球上全体の全海の水だとすれば、肉体の自分達とは【柄杓の一杯】の水の分量に過ぎないと語っておられます。それこそ、コップの水とスポイトの一滴の比ではないのです。天文学的数字の違いです。

    コップ全体の水とスポイトの一滴とされる段階は、肉体の自分にある魂と自己の【正守護神】との違いの意味合いなのです。人の魂が増えるのは、本守護神から出た正守護神段階の魂の分派によるのであって、人にある魂がまず神界に帰る目標は【正守護神】段階にあるからです。

     

    新日本神道系では【神人合一】が説かれて来ましたが、それは自分の魂の【正守護神】に帰結することを説いているのです。それはスピリチュアルの「ハイヤーセルフ」などで理解出来ることではないのです。更に、その上には「本守護神」とされる宇宙サイドの【天津神】の段階があるからです。

     

     

     

     

     

    上記の図は正確な比率ではありません。そうした違いがあることの意味です。この日本でかなり著名な某宗教家の方がそのお弟子達と撮られた集合写真の中に、その背後に巨大な玉が写った白黒写真があります。もしこれがカラー写真であったならば、いろんなことが読み取れたでしょう。

    その写真の玉の大きさは、日本の神社に鎮座されている御神霊の玉よりも遙かに大きなものでした。この宗教開祖が霊界でもかなり高い地位から降りて来られたのは間違いないとなります。私もこの宗教家の方は尊敬しています。この宗教家の方はスピリチュアルの言葉は使われましたが、巷に溢れているスピリチュアル標榜者の方達とは、その魂の違いは歴然としています。

     

    ただ、この宗教組織から出されている出版物にはその手の写真はありません。それらの写真は、その宗教開祖の側近たる幹部の方達が【御神体】として密かに管理されているものです。私はその開祖の側近であったらしい方から複写を頂きましたが、世には見せないようにして欲しいで、信義上その写真の公開は出来ません。だが、その写真を見るとスピリチュアルのハイヤーセルフなどは何を言っているのだとなります。

    私自身は自分の霊視上では神社の御神霊の玉を見ることはありましたが、どれもスピリチュアルで言うところのオーブ玉のような小さな物ではありません。神社の神々の段階であれば離れたところから写真に撮ることが可能ならばフレーム内に入るでしょうが、本守護神級になりますと写真のフレーム等に収まる様な大きさではありません。魂を磨くとは、玉を磨くのです。玉を育てるのです。

     

    多くの人の勘違いは、神社に鎮座されている御神霊の方達が神で、

     

    自分の魂の先祖たる魂。【本守護神】の存在を理解していない。

     

    私なども「オーブ写真」は大量に撮っていますが、さすがに魂の写真ともなると撮れていません。そこで、私のブログでは何度か出しましたが、故人である霊能者【田響降仁】氏が撮影されたものを借用して来ました。

    下部の巨大な涅槃像から見てもかなり大きな玉と思われます。カラー写真なので、この玉には色があることが解ります。世に出ておられる御神霊達の玉もこの様に各種の色があるのです。しかし、日本でも著名な宗教家であった方が信徒達との集合写真に写っている玉とは、もっともっと巨大な玉なのです。

     

     

     

    人の魂は【輪廻転生】しているとされますが

     

    それは【正守護神・本守護神】の段階ではありません 

     

    この世に降りて肉体に宿った魂が、この世で自分の魂を汚したことによって、本体たる正守護神の元(コップの水本体)に帰れなくなっているなのです。

     

    大本教から【人は神の子・神の宮】が出されましたが、人は誰であっても「正守護神」以上から出た分派魂だからです。中にはそうでない魂もありますが、基本的は大本教が出した【人は神の子・神の宮】にあるのです。自分が【創造神】と呼ばれる様な存在に出会えるとか出会えないの問題は、自分の魂が霊界のどの次元に所属しているかの話であって、イエス一人だけが神の御子などの論理はどこにもないのです。

     

    その神の世界に帰れなくなった【分派魂】は、神の世界に帰れるまでの長い旅路に入ったなのです。それが【輪廻転生の原因】なのです。

     

    お釈迦様は、自分は2度とこの世には出て来ないと言われたのは、その必要がなくなったからです。巷で自分はお釈迦様の生まれ変わりと称する方は全員ニセ者の呼称なのです。そう名乗ると、引っかかって来る人が世には多いからです。オーム真理教の「麻原彰晃」などがその典型です。そうた教祖の新宗教などは俺俺詐欺集団だと言えるのです。

    この世に「再来」しないお釈迦様の悟りは「みろく菩薩」が代わって語るとされている意味が、大本教から【みろく】神として出された要因です。但し、それには【九つ花】の解読が必要だったのです。 

     

    人によっては、その方の元の魂は霊界でも非常に高い地位から降りたにも関わらず、その時のこの世の生き方に失敗をして「地獄界」に落ちたような方もあります。通常、各自の副守護神は自分が生まれた家系の御先祖霊で地獄から抜けられる一歩手前の方が、子孫の肉体を守護して一緒に天国(神界)を目指して副守護神の地位に就くともされていますが、自分の魂が過去世において地獄に落ちている様な方の場合、その方の自分の過去世霊がその副守護神格にあるなども起きています。

    新神道系で【神人合一】が叫ばれて来たのは、ほとんどの方に出ているのは【副守護神】の段階で、これでは【神界】に戻れません。【輪廻転生】から逃げ切れないなのです。

    為に、自己の【正守護神】段階に戻る為に【神人合一】が説かれているのです。 自己の「正守護神」が表に出て来ていると、もう「輪廻転生」の世界からは離れるなのです。

    但し、ほとんどの方の正守護神とはこの世に出た人生は必ずしも歴史に残る有名人ではありません。市井の人(庶民)として正しく生きて正しく信仰した等であって、その時の名を突き止めることはほとんど出来ないのです。その名を求める必要はないのです。

     

    その神界の最低ランクたる次元界が【五次元界】であって、スピリチュアルでも【五次元界】上昇と宣伝するのは間違ってはいないのです。人類は【五六七(みろく)の世】に向かっており、人は死ねば誰もが行く中有界(四次元界)が徐々に消滅しつつあるという説も一理あるのです。

     

     

     

    私達の魂はこの世で自分の魂の汚れを取って神界の自分に戻る

     

    自分の肉親であった存在が霊界に帰ってから、○○神社の祭神として赴任せよとの命令を受けて、その地の神社に赴任した等の報告があります。その場合、その名乗りはこの世に生きていた当時の名前ではなく、その神社の御祭神たる神の名になります。

    神霊の名乗りは記紀神話等に出て来る神名の名乗りが多用されますが、同じ神名使用でも平社員格、主任格、課長格、部長格、取締役格等の違いがあるのです。また、場合によっては神社などでは、その眷属霊が名代として名乗る。その上に完全なニセ者霊も出て来ますので、神名の名乗りだけでは信用がおけないがあります。

    しかし、その玉を見られてしまったならば、それが本物かニセ者かは歴然として来るなのです。 ただ、そうした玉を霊視でも見ると言うのは、人の形で出て来る存在を「蛇や狐や狸や猫」霊などと見破るよりも難しいでしょう。何故ならば優れた霊能者は「蛇や狐や狸や猫」などを言い。人形の姿をしていても見破りますが、玉の大きさに関しては今日までさほど語られていないからです。それは霊的にも見た方が少ないということなのです。

     

    そうした神社の御神霊となった玉と、自己の正守護神が出ていた場合、自己の正守護神の玉の方が遙かに大きいがあります。そうなりますと、神社の祭神と言えども立場上、下にならなければならないが起きます。それこそ、誰に向かって物を申しているのかです。そこに、高い正守護神が出ている様な方の場合。神社の御神霊が平伏して歓待するなどがあります。神社の御神霊よりも、自分の正守護神の方が霊界での地位が高い場合などです。

    ただし、そうした場合でも何十体かの霊が集まっていれば、各種の神霊に化けて劇場型俺俺詐欺を見せて来ます。自分がそうした神霊に平伏されて、それに欺された霊能者は数知れずなのです。

     

    私は、そこに出て来た神霊の自分は天照大御神等の名乗りではなくて、その神霊にどれほどの部下数の霊が見えるか、そこが重要だと言っているのです。例え、それが「ニセ神」であっても今の神霊界は【数は力】なりなので欺されてもやむ得ないとなりますが、小さな集団だと疑ってかかるべきなのです。

     

    私が修業に入った頃、私に【どこの馬の骨かと】悪態をついた不動明王が、豊受姫の怒りを受けてその不動明王と一体化していた肉体を金縛りにされて、その場の座敷をのたうち回ってゲーゲーと吐き続けるがありました。その当時の私には自己の「正守護神」が出ておりませんでしたので、豊受姫が代わって不動明王と言えども「どこの馬の骨か」の言葉に怒られたのでしょう。

    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【肉体のそなたはバカを演じていればよい。神界で働くのは肉体のそなたには非ず。そなたの魂(正守護神)の方である。肉体のそなたを見ても、この私は見えない。神々には簡単には解らぬぞ。】と告げられました。

     

    が、私が子供の頃は旧約聖書の神と称されていましたが、幾多の霊能者から貴方の本守護神は【国常立尊】様と告げられました。その本守護神ではなくて、霊界で働く私の魂である私の【正守護神】を見た方達の多くは、その姿は若武者で緋色の鎧兜を身につけておられる。その兜の吹返の片方には【太陽】が、片方は【月】が表されていると言われます。

    そんな緋色の鎧兜姿で、兜の吹返に「太陽」と「月」がある存在の霊を見たならば、それは私の【正守護神】です。軍馬や兵をも率いておられますので、その霊を見たならばどなたかが解って来ます。とても若い美青年の顔立ちの方です。

    この私の本体たる正守護神の魂と肉体の私の魂の大きさは、5〜6万倍ぐらい違います。同じ魂ではあっても肉体の私とでは比較にはならないのです。肉体の私の魂は低次元界仕様の物なのです。

     

    つい最近、六次元界と思われる黒龍神が大集合している某霊山とその麓の著名神社を根拠とする霊達から担がれている方が、その神霊団が私の「正守護神」調査をしたところ、霊界のどこにもその姿が見当たらないと言って来られました。そこは日本有数の霊場です。その霊場の霊には私の正守護神は居ないではなくて、見るだけの力がなかったのでしょう。

     

    いくら自分には霊が見える。神霊と会話が出来る。で、一人一人の霊能者の方に出ている神霊と言えども、他の人の神霊を判断した時、それが全員一致しているではありません。私は多くの霊能者の方から霊査を受けましたが、その中で本守護神名が一致した方は7〜8名。また、それ近い存在を言われた方が別に5〜6名ありました。だが、それ以外の方はまるで違うでした。当然に、貴方にはたいした方は就いてえおられませんと言われる霊能者もあります。霊能者と称しておられても、その実情はピンキリなのです。

     

    巷には自分の前世は釈迦であったとかイエスであったとか称しておられる方は多数あります。誰の言葉を信じるかの判断はその方の守護神(多くは副守護神段階)です。いくらその方に霊が見える霊と会話できる能力があっても、自己の「正守護神」「本守護神」が解ってないとなると、その方を指導している霊的存在は副守護神格で、そうした名乗り者の言葉を見誤るが起きて来るのです。だが、自己の守護神が高ければそうした方の元には行かないとなるのです。

     

    私に言葉の仕組みを紐解かせているのは、私の「正守護神」です

     

    自己の肉体に内在する魂ではなくて、外から来る天之御中主とか天照大御神と名乗る霊ではなくて、自己の魂の本体たる「正守護神」に帰結する。自分が生まれ出た「神界に戻る」。それを学ぶ必要があるのです。

    そうしなければ、いくら外から来る魂が高い神霊であったとしても【輪廻転生】の輪から抜けられないのです。

     

    肉体にある魂とは、いと小さき者用なのです

     

     

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