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何故に霊界は階層社会なのか?。全ての人が満足する一つの世界は存在しない

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    人が死後に【霊魂】となって渡って行く世界は【霊界】と呼ばれています。一般的には【あの世】とやらにです。

    キリスト教等は【二元論】で成り立っていて、【イエス一人だけを神の御子と信じる者は天国】で、犯罪者やイエス一人を神の御子と認めない異教徒は地獄に行く。そこから【思考回路】が完全に抜けているがあります。

    世界の中には【キリスト】と【マイトレーヤ(弥勒菩薩)】を同一視する方達もありますが、弥勒菩薩とは【思考】する菩薩として知られています。【思考】を欠かしてしまいますと、【真理】は見えて来ません。

     

    そうした宗教の教えではなく、霊的世界を見聞をして来た者達による霊学における体勢の意見は、霊界は【第一天国界、第二天国界、第三天国界、中有界、第一地獄界、第二地獄界、第三地獄界】があるとします。その中でもさすがに第一天国界は難しいとは言えます。仏教的に言えば【如来】界のような世界だからです。

    如来の世界は【智慧(真理を明らかにして悟りに至る)】が必要となります。イエスはその弟子達に蛇の様に賢くあれと説いたとされますが、蛇の場合は「知恵」であり「智慧」ではないのです。単に知恵では知識で「真理」に至らないのです。みろく菩薩は【思考】する像で有名ですが、魂とは【玉思惟】であり。深く思考(思惟)する姿勢が無ければ仏陀とはならないなのです。第二天国界であれば、自分は他を助ける【菩薩】行を積んできたとなります。

    ほとんどの人の場合は、単にこの世に生きただけで終わってしまうので【中有界】となります。そこにもう一度この世に戻って【やり直せ】で、魂の【更生】の為に【甦(更生)る輪廻転生】を煩雑に起こすとなります。で、何度も何度も生まれ代わるです。

     

    ほとんどのスピリチュアル標榜者の言うことを聞いていると、【輪廻転生】からの解脱は難しいと思われます。そこに【輪廻転生】から外れて行かれた、お釈迦様の【悟り】が重要となるのです。

     

    何故に、ここまで【みろく】の存在が言われたのか?

     

    そこには、【輪廻転生】から外れるがあるのです。

     

    そうしたことが

    仏教で説かれる死後に【三途の川】を渡るとは、【天国界、中有界、地獄界】の三途のどこかの途に行くということを語ったのです。せめてそれぐらいの「知識」は必要です。

     

    出来得れば、誰しも【天国界】に行きたい

     

    そこに、我が宗教の教えを信じれば【天国界(極楽)】に往生する等の教えが起きて来たなのです。問題は、我が宗教の教えを信じれば天国界で、異教徒は地獄に墜ちる式をやりすぎたなのです。

    大本教の出口王仁三郎聖師は、地獄を覗けば【牧師や僧侶で一杯だ!】と残しておられますが、これはそうした宗教家が「我が宗派の教えを信じれば天国で、他宗の教えを信じた者は地獄だ!」と説いたことが要因となっていると考えられます。

     

    宗教とは、人の胸(宗)に宿る【魂】の存在を教える

    そこに、大本教は【鬼が云う】の【牛虎(艮)】による【魂】論を秘めたのです。

     

    大本教の出口王仁三郎聖師は、【信徒を天国に案内するといいながら、地獄に導く者ばかり】と嘆いておられましたが、これは現代の【スピリチュアル】にも当てはまるのです。

    スピリチュアルで自分には【宇宙神】が降りて来る式の方を、一部の日本神道系では密かにサニワ(審神)するが行われていました。そこでは、スピリチュアルで「宇宙語」と称している今の世で聞いたことが無い言葉で語る謎なども、言語学者を動員して調査されて来ました。すると、その言語は古代の言葉で現在は使われていない過去の言葉であり、それらの宇宙人とは「蛇霊」であったなども記録に残っています。

    但し、この手の本は発行部数が極端に少なく、中古本で売られることも無いのでほとんど手に入りませんので、多くの人がそれを知ることはありません。日本神道系の本は非常に高価な物が多いのです。私の2番目の師匠が持っていた集本を私も欲しかったのですが、聞くと神田の古本屋で当時で100万円も支払ったと言います。知識を得るにも大変な労力が要ります。

     

    蛇霊とは私達が日常的に見る蛇のことではありません。人であった身が蛇霊化して蛇の様な姿になっていることを言っているだけであって、古代人の霊であったりするなのです。ですから、そうした霊に憑依されるとその古代時に使われていた言葉で、そうした憑依された者達の間ではその消えた古代語で会話が成り立つです。それをスピリチュアルで「宇宙語」だと言っていた等がサニワ(審神)によって明らかになったなどです。

     

    しかし、今はそうしたサニワ(審神)をする人達は減っており、その活動内容がはっきりとしません。何故かと言いますと、個人的には「一円の金儲けにもならないからです」。有料相談ではなく霊界の実体を知る為のサニワ(審神)とは完全に神霊世界でのボランティア活動であり、その活動にはそれなりの費用もかかります。研究する人が自分の金の持ち出しです。それ以上に優秀な霊媒者がもう居なくなっているからです。

    サニワ(審神)には霊を下ろす霊能者に霊媒者が必要であり、時にはアクシデントも起きますので、何人もの人が集まって行っています。皆、自分の時間をその為に使うのです。それでも霊に懸かられて心臓停止などもあります。素人集団では出来ないのです。私もそうした場に居て、憑依霊による心臓停止を起こしています。

    現代スピリチュアルとは、霊界を真摯に研究するではなくて、いかに金儲けをするかに走っているからです。出始めの頃は、よい霊能者なり霊媒者だと思っていても、有名になって来ると金儲けに走って背後の神霊が何時の間にか蛇霊に交替している等となるのです。為に、そうしたスピリチュアルの高額のセミナーに行くと、黒蛇等を着けられたなどで一悶着起きるのです。

     

    スピリチュアル標榜者で【魂磨き】を言う方は数少ないと言えます。ひどい方になると、【この世は遊ぶところだ!】とか【好き勝手をしていいところ】だと説いておられます。それが「あるがまま」などととんでもないことを言われます。

    もっとひどいスピリチュアルになると、【良心など持っていると重たいだけだから捨てましょう。】となります。良心が重いものと知っているのです。それが解りながら、【神の愛で何をしても赦されるのです】等と説いているなのです。

    ところが、そうしたスピリチュアルの言葉に何の「疑問」も抱かずに、その人が名乗る【聖者】などの言葉を信じて付いて行く人達が多数あるなのです。

     

    巷には、自分が【救世主】ですと称している方を宣伝している信徒のブログがあり、そうした一つ内容を読んで唖然としました。その方が見せる【小さな奇蹟】で、その方が救世主だと頭からの信じ込みです。

    私は霊能者としては「失格者」の部類ですが、霊能者としては飛び抜けた二人の師匠を通じて霊界見聞を積ませていただきました。人が空中に浮くとか、お菓子などの食べ物が飛んで来る等の物理現象に反するものです。そうした奇蹟はイエスやサイババでも知られています。そうした奇蹟を見せる霊能者の背後に居る神霊と呼ばれる姿が、【蛇や狐や狸や猫霊】として見えて来るなどです。

     

    巷で自称「救世主」と名乗って居る人達の背後には、より強烈な力を見せて来る龍神などが見られます。私は修業の過程において、そうした【黒龍神】群団に襲われて逃げ回っていた者ですから、偉そうなことは言えません。しかも、黒龍神達からあまり霊界のことを暴露をすると殺すぞと脅迫も受けて来ました。

    ある霊能力者の方から、【貴方はあまり正義を振り回していると、そうした勢力に殺されてしますます。自分はそうした正義を貫いて、邪神に殺された霊能者達を多数知っています。貴方も殺されてしまいます。あまり正義を言わない方が貴方の為になります。】と忠告を頂きました。

    その忠告を受ける以前に、既に私は黒龍神群団から【おとなしくしていないと殺すぞ。】と脅迫を受けて来ていますので、この世での命を惜しんで、彼らに従うなど殺されても出来ないなのです。

     

    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたの骨は拾ってやる。】と告げられましたが、この地上世界に降りて【真理】を紐解いて説くなどは容易なことではないなのです。骨を拾ってやるなどは、殺されることを覚悟して行けです。自分の命を惜しんでいれば出来ない作業なのです。

     

    霊界は【階層社会】だと知られています。一般的に言う【次元界】の違いです。黒龍神を背後に持たれて【自称救世主】と名乗る方の多くは、そうした黒龍神達が持つ霊的パワーで【病気治し】が出来る。それで教団化がなされて教祖と成る。より多数の黒龍神が集まる教団ほど大きくなるが見られます。

    出口王仁三郎聖師の弟子で、出口王仁三郎聖師をして自分より霊視能力が高いと云わしめた世界救世教開祖の岡田茂吉師は、信徒数十万の某教団の御祭神天照大御神は「赤龍」だと残しておられました。龍神と呼ばれる存在をバックにしないと「奇蹟」の現出は難しいがあります。そうした龍神を天照大御神だと信じて信仰するなのです。 そうした教団の教義とは、ほとんど【真理】には向かっていません。奇蹟力で人々を惑わすです。

     

    黒龍神等の龍神か説く【神論】では、【真理】が見えないがあります。

    黒龍神の真理とは、数は力なり。力こそ全て

     

    黒龍神等の論理では【六次元界】迄が関の山

    それでは、「幽の幽界(世に出ている神々ですら知らない神界)」に存在するとされている創造神の事がよく解りません。

     

    何故に霊界は【階層社会】なのか?。それは人は誰が見ても【多様な意見】を持っていて、皆、自己主張をします。要するに意見がまとまらないなのです。自分と同じ主義主張の者が集まって【徒党(グループ)】を組むとなります。

    スピリチュアルでは【類が類を呼ぶ】と言いますが、霊界ではその【類】の者ばかりが集まって、一つの社会を形成して行きます。天国も地獄も、その類が集まって社会を形成しているのです。天国とは、天国的な人ばかりが集まって社会を形成するので、その世界では争い事が生じません。平和な世界です。一方、地獄的な人ばかり集まった霊社会では俺が俺がで争い事が絶えない世界となるのです。

    それは、類は類を呼んでいるのですが、私は霊界は【どんぐりの背比べ】と言っています。霊界で一つのグループに行くと、そこは皆同じ思考の持ち主ばかりで顔まで似通って来ます。その世界は【思考】が同じだからです。

     

    霊界は【思考】の違いで、住む層が隔離されている

    みろく世は【五六七】と宣伝されて来ましたが、それは三つの【次元】のどこかの次元に行くと説明しているのです。

     

    仏教では【三千世界】を説きます。この三千世界とは三千の世界があるのではなくて、千の世界が一つに成る世界が千個あり。その千の世界を一つにして、更に千個もの世界があると言う意味で、1000×1000×1000=1,000,000,000(10億)もの世界が在ると言う意味が【三千世界】ですが、実際には10億個などの数ではなく、もっと膨大な数の世界だと言えるでしょう。

    私達が日常的に言う霊界とは「地球霊界」の意味であって、宇宙全体の霊界を意味しているわけではありません。行者筋には【天使の記章】を言われる方達がありますが、この地球霊界に関わっておられる御神霊は、宇宙における【天使の記章】的なことで見るならば、トップクラスの御神霊が地球上に降りておられるではないのです。そこに、大本教神諭の【世に出ておられる神々の心の持ち方が悪かった。】があります。

     

    この地球は【魂の刑務所】や【天人の苗床】説があります。この世が魂にとっての【修学の場】であることは確かなのです。その世界で、遊んでいれば良いなどと説いているスピリチュアルなどは論外なのです。私達はこの世の【在り方】しだいで、上の霊界にと進めるからです。

     

    自己の魂を磨くことで、高い霊世界にと進める

     

     

    世の大立替と【みろく】神を宣伝した大本教の出現により、大本教神諭予告の【九つ花】を紐解きますと、そこに【五十六億七千万】の数字と、お釈迦様の本当の悟りであった【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在する。】と悟られた意味が出て来ます。

     

    一部の霊能者達は知っていることですが、人の魂には点数が出ます。その魂の点数とは各自の魂の【良心神】の点数です。その点数に応じて、第一天国界、第二天国界、第三天国界、中有界、第一地獄界、第二地獄界、第三地獄界が定まって来ます。決して、自分が信じた宗教の教えに依るではないのです。

    その良心神の点数とは、【誠とか正義、他者を助けた義の行い。ボランティア(奉仕)活動等の「犠牲心」の積み重ね。社会の底辺で正しく生きた。】等の点数と言えます。

    いくら自分には霊が見えるとか霊と会話すると言っても、その人のこの世での行いが【自己利益や優越感】によるものであるならば、それは良心神の点数とはなりません。つまり、【現世御利益】信仰に走っていると、良心神の点数とは成らないのです。なまじ霊が見える。霊と会話するよりも、この世で【世根(米)】として生きた方が遙かに高い点数が出ています。俗に言う【菩薩】行をこなしたなのです。こうした方の多くは第二天国界にと進まれておられます。

     

    スピリチュアルでは何かと言えば、【ソウルメイト】を連発されますが、【魂世界の友】とは、同じグループに所属していた仲間の魂の意味であり、その世界では同じ【思考】に入りますので徒党的には行けますが、自分は何の為にこの世に降りて来たのかとなりますと、霊界における【地位の向上】が目的であったはずです。

    霊界ではどうしても【類が類を呼ぶ】なので、【思考】の向上には向きません。仲間が皆同じ【思考】だからです。それが「ドングリの背比べ」と云えます。自分が出て来た霊界の位置に留まるのであればそれはそれでいいのですが、自分がこの世に降りた目的はどこにあったのかです。より高い霊界に進むことが目的で、この世に降りたのではないのですかです。

     

    私は霊的世界での地位向上の為には、【同じ土俵上で相撲を取るな】と言っています。地獄行き的な人といくら議論しても、この世の僅かな限られた時間の中で学ばなければならないのに、その時間を無駄にして自分の霊界での地位を落とすだけになってしまうからです。

    残念ながらスピリチュアル標榜者の中には、この世は遊ぶところだと説いている方達がかなりあります。その結果、霊界に戻ったならば、元の霊界での位置よりも墜ちることになったで、泣いたところで【後の祭り】なのです。

     

    この世で苦労や努力した結果は、霊界で反映される

     

    それは、神社に参拝したから、どこどこの神を信じたからではないのです。

     

    自分はこの世で、何を学んだかの結果です

     

    霊界では自分の想念によって「類が類を呼ぶ」で【グループ】化しており、仲間達とは【ドングリの背比べ】で向上が出来ません。この世に降りて来て、世の中にはとんでもない奴が居るで、そこから大きな学びが得られるのです。反面教師です。【赤信号、皆で渡れば怖くない】で、得をしたと思ったら魂的には損をしているのです。エンジェルを見たから等ではありません。私は泥をすすったことがない「エンゼル」など神界では使い物にならないと言っています。

     

    仏教の【南無妙法蓮華経】とは、

    例え根は泥の中にあっても、水面には美しい花を咲かせる

     

    であって、【南無妙法蓮華経】とは「お題目」を唱える教えではないのです。この南無妙法蓮華経の言葉はサンスクリット語においては、【自分は白蓮の様な仏様に帰依します。】の意味であり、根は泥池の中にあっても汚れが無い【白蓮】の意味を知ることにあります。今の自分が置かれた環境は、例え泥や悪の中にあっても魂は【汚さない】にあるのです。

     

    人は各自色々な思考を持ちますので、全ての人が【満足】する一つの世界は存在していません。そうした世界を創ろうとするならば、全員が同じ【思考】を持たない限り不可能と言えます。

    では、絶対に出来ないのかとなりますと、そうではありません。

     

    全員が【仏陀】になれば、

    この世は【おシャカ】にしても良いのです

    お釈迦様は自分は二度とこの世に出て来ないと言われたのは、魂の修業場であるこの世に出る必要がなくなったのです。

     

    為には、お釈迦様は本当は何を悟られたのかが重要だったのです。その悟りは【みろく】によって解き明かされる。それは、自分が「みろく」ですと名乗っている人の言葉を信じるのではなくて、日本語と言う【言葉】による【三六九(みろく)仕組み】だったのです。

     

    人は自分の【奇魂】の働きに応じた内容しか「理解」出来ないがあります。私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫から【貴方は神々に対して教えを説く方】と告げられましたが、今の世に出ておられる神々のどの方もこうしたことが説けなかったのは、【奇魂】の働きにもよるのです。つまり、【奇】蹟の示しではなく、【奇】魂の示しだったのです。

     

     

     

     

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