<< 何故に霊界は階層社会なのか?。全ての人が満足する一つの世界は存在しない | main | イエスは何故に旧約聖書の神(国常立尊)を地獄の長官で【サタン(悪魔)】としていたのか? >>

汝、偶像を拝むことなかれ?。人も偶像、御守りの文字にも言葉にも霊は宿るが創造神には非ず

0

    イスラム教では【偶像崇拝】は禁じられており、イスラム教過激派は世界的遺産でもある宗教建造物や偶像を破壊して来ました。人類の歴史的美術的価値から言えばもったいない話ですが、何故にそのような教えがなされたのかがあります。

    私は仏像などの偶像に霊が宿ることは知っています。だからと言って美術的価値がある物を破壊したり焼くなどは意味が無いと言います。その偶像に霊が宿っていて差し障りがあるのであれば、その偶像から霊(魂)を抜けばいいだけの話です。

     

    私達日本人は大多数は「仏教徒」ですから、墓や仏壇や位牌や仏像に【魂入れ】とか【魂抜き】をお寺さんにして貰っています。つまり、墓や偶像には霊が宿る証明です。日本の神社でも「お札」や「御御魂」などに魂入れをしています。その「お札」等を返すと「お炊き上げ」と称される事で火で焼きます。また、日本神道では【榊】は神の宿り樹ともします。

    当然に神社の「お札」類にも霊は宿ります。お守りにも宿ります。長い期間お札などを使用していますと、そのお札に宿った霊的事物(光)が汚れて悪霊の住処ともなりますので、定期的に替えて火で焼くとなるのです。古いお札が処分されずにあると、そこに悪霊が住み着くなどもあります。ただ、こうしたことは実践霊能者で無いと解らないがあります。

     

    霊能者として少しは世に知られていた方が描いた龍の絵の写真を掲載したその方の著本がありました。私はその著本の龍絵の写真を見た時、これはまずいと思って書庫にしまったのですが、ある時、霊媒者2人にその著本の写真を見せたら吐いてしまいました。写真からでも波動が来ると云う代物です。それだけこの霊能者の方の背後の龍神は強烈だったのですが、そうした写真や本などにも霊は宿ります。霊能者が書いた本から麗しい花の香が来るものもあれば、悪臭を放っているものもあるなのです。

    ある霊能力がある方が開いたHpを私が覗いた時、その方のHpから悪臭が匂って来ます。そこで霊媒能力がある方にそのHpを見て貰ったら頭がくらくらするです。そのHp開設者に直ちにそのHpを閉鎖するように忠告したところ、パスワードが解らなくなって長く捨てていたとの返事です。捨てておたいことで、そこに何時の間にか悪霊が住み着いたなのです。本でもインターネット上でも霊は動いているのです。

     

    あるキリスト教の日本人牧師は、日本人は日本神道の【紙に書かれた文字を神として拝んでいる。それに対して自分達キリスト教の牧師は、絶対的な神の一人御子であるイエス様の偶像を拝している。】と紙に書かれた文字の意味を理解していませんでした。

     

    それには、聖書に【初めに言葉は神と共にあった。】とあるように、【言葉が神】の概念が必要なのです。だが、【神と紙】の関係をまったく理解出来ていないなのです。言葉を記すには【文字】と【紙】が必要です。白紙ではダメなのです。しかも、その文字は英語のような「表音文字」ではなく、【形】から創られた【象形文字(感じ)】でないと言葉が働かないのです。

    日本語は【象形文字】である【表意文字】と、「ひらかな」や「カタカナ」に「ローマ字」などを混ぜて使っています。私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国】と言われましたが、日本で無いと創造神(想像神)の言葉の存在説明が出来なくなっているのです。

     

    仏像と象形文字の【像・象】。像は【人等の象形】

     

    日本人が使う「漢字」は、日本語の【感じ】を表す

     

    神=紙=文字=言葉=叩文斥佞納┐型修后

    祈り=言葉=御経=祝詞(言葉を出して宣る)

     

    仏教では【万物に霊性】があると説くように、霊というものは万物に宿っています。大切なことは、そこの理解なのです。

     

    元々、聖書では偶像崇拝は禁じられていて、イスラム教にもユダヤ教にも偶像を崇拝する慣習はないのですが、キリスト教では十字架の上で磔になったイエス像を拝む偶像崇拝が公然と行われています。と言って、そのイエスの偶像に必ずしもイエスの霊が宿っているではないのです。

    仏教はと言えば、偶像信仰の花盛りです。が、お釈迦様は偶像崇拝は禁じらておれていたのです。何故なのでしょうか?。

     

    仏像等の偶像には霊が宿り、宿った霊の正体は何者か?

     

    唯一神は偶像には宿らず、偶像崇拝は唯一神に繋がらない

     

    問題は、例えば観音像を彫り上げて鎮座させます。そして、魂入れをします。その時、その観音像に如何なる霊魂が宿ったのか?。誰がその確認をしているのですかなのです。単に仏師や僧侶だからと言って、霊が見えているわけではないのです。

     

    私が豊受姫のお代であった最初の師匠の元に修業に入った頃、私の家系の菩提寺で父の供養をしてもらっていると、私の手が上下に振れます。俗に言う霊波動です。お寺のご本尊は釈迦如来三尊。そちらのご本尊の像からではなくて、本堂の横奥の別室に観音像があるはずで、そこから来る霊波動だと解りました。

    そこで、和尚にこのお寺は元は観世音菩薩さんのお寺だったのですかと聞くと、この寺の前身であった寺は尼寺で当時は観世音菩薩が祀られていましたが、今は曹洞宗に代わって釈迦如来三尊を本仏としています。その当時の観世音菩薩像は奥の別室に祀っていますと言われます。私の感は当たっていたです。

    その話を最初の師匠にしたところ、一喝されてしまいました。【貴方はいったい何をしてるのですか。それは観世音菩薩様からではなくて、その観世音菩薩像に入っている「黒龍神」からです。貴方は黒龍神がごときに、自分の手がコントロールされたのです。黒龍神程度が出して来る霊波動に負けていてどうするのですか。】です。

     

    私の叔父が骨董屋で【薬師如来像】を見つけて買って来て祀った途端、これは祀りきれないで骨董屋に返しに行くと、骨董屋がお願いですから返さないでください。あまりにも恐ろしい仏像で、自分には手が負えませんと泣きつかれます。で、叔父も少しは霊能力があり、やむなく引き取ったのですが、この仏像はあまりにも【霊験】がきつすぎると、家人にはそのお給仕を一切させずに自分がしていました。

    その叔父が亡くなって、遺族がそのお給仕が出来ない【薬師如来像】をどうするかで、私が拝して見ましたところ、とんでもない「代物」です。暴れ「薬師如来」です。確かに「霊験」は凄まじい。病気治しをさせたら一級物です。 だから「薬師」なのでしょうが、その正体までは判りませんでした。

    この薬師如来像をお寺に預かって貰うとしたら、やがては霊験あらたかな薬師如来として寺は評判になると解りましたが、問題はそれをお寺の僧侶に管理が出来るかです。単なる「薬師如来像」ではなくて、暴れ「薬師如来」の像だからです。霊験を発揮させるには、その仏像の守りとなる人の霊能力が問われます。霊を抑えきれないと、その守りが出来ません。

     

    私は子供の頃から真偽のほどは別として旧約聖書の神と称する声を聞いていた身で、そこには任務がありますので、その像を祀ることは出来ません。だがそうでなかったならば、この「薬師如来」像を祀れば、ある程度の大きな寺院にさせることは可能だと見ました。それだけの霊力がその仏像には宿っているのです。この仏像は力が強すぎるのでお寺に預けることも家人にも残すことが出来ない。危険すぎる。その霊力を封じることしかないなのです。

    行者ならばそうした仏像の霊力を封印出来る方もありますが、私は行者の様に霊を封印する作法を知りませんので、約30分間ほどその薬師如来像と対峙して般若心経の御経で封じました。私は神霊界修業に入る前、最初に行った霊能者の方から貴方にはお不動様が守護に就いておられるで、初めて行われた近畿36不動尊を一堂に御開帳に行ったところ、そこに鎮座していた有名な7〜8体の不動明王像から得体の知れない物をビシビシ飛ばされまして、【この野郎。やる気か!】となっていましたが、それと同じ物をその薬師如来像も飛ばして来たのです。

     

    私が豊受姫のお代であった最初の師匠に、その近畿36不動尊の初御開帳で起きた事件のことを話しますと、その師匠は笑って、【お不動様達は貴方がどれほどの実力の持ち主なのか試したくて飛ばされたのです。貴方にとっては、そんなものはどうというほどの事でもなかったはずです。】と笑いながら言います。

    その時は近畿36不動明王の何体かの不動明王達は私の力量を試そうとされたのでしょうが、その「薬師如来像」は本気で私を攻撃して来ます。こうなると、逃げるわけにはいきません。戦うのみです。九字すら切れない私が持つのは「般若心経」の御経だけです。仮に行者が切る九字ではその仏像に宿る霊には効果がなく、反対に倒されていたでしょう。

    そのビシビシと飛んでくる得体の知れないものを受けながら、般若心経を続けていると、やがて何も飛んでこなくなりました。御経だけでその暴れ「薬師如来像」の霊をぐるぐる巻きにしてしまったということです。

     

    この時、その薬師如来像や近畿36不動明王の幾体かの仏像が私に飛ばして来た霊的物。実は霊的世界の戦いの中では飛んでいるのです。私の最初の師匠は、不動明王様達が貴方の力量を試す為だったと言っていましたので、それは何かが解っていた様ですが、経典などいくら調べてもそうした記述はどこにもありません。霊的世界は体験無しでは学べないものです。 単に書いてある書物だけに頼っても、こうしたことは学べません。本当に体験している行者等は、著本を出す気も無ければ世に教えようともしないからです。

     

    霊界は世に出回っている御経や書物だけでは解らない

     

    私が浄霊の恐ろしさを体験したのは伏見稲荷大社講を離れて言霊師の師匠の元で言霊を習っている当時、私の元を訪れて来た黒龍神と称する龍神との間で悶着があり、私の守護神が私の肉体を使ってその黒龍神を浄霊をしようとして、とんでもない苦しみを味わうとなりました。そんな体験はどんなに書物を調べても書いてありません。後に私の最初の師匠にその話をしたところ、通常の霊能力者ならば命を取られていただろうと言います。

    私はその黒龍神が何者かを知らなかったのですが、当時の言霊師の師匠から黒龍神界の癸欧梁臺の黒海黒龍神で、その長さは四十キロに及ぶと聞かされました。そんな四十キロもの長さがある黒龍神を私の体内に入れるなど不可能と考えるのが筋でしょうが、そこには霊界なりのある意味があるのです。

     

    大本教の出口王仁三聖師は、10センチ四方の社でも霊界では10キロ四方の社地になると言われています。すると、10万倍の縮小率となります。私の胎内が飲み込んだのは40センチ程度に見えている黒龍神でしたが、その10万倍となると40キロの長さの龍神と言えます。

    私の肉体は一見すると単なる人です。しかし、私は霊能者としては失格ですが霊媒体質者であり、自己の体内に大きな霊的空間を保有しているなのです。それは私の肉体の【腹】であり、私の肉体そのものが神社の様な「ヤシロ地」となっているなのです。人の腹は【原】であり、肉体の腹は【高天ヶ原】とも言いますが、こうしたことは実は霊媒体質者には備わっていたりするのです。

     

    霊媒体質者の霊浄化は、その肉体の【腹】でする

     

    で、他霊の浄化で霊媒体質者は【下痢】を起こす

     

    自分が霊媒質者であることを気づかない人達は、人混みの中に入ると眠くなったり、下痢を起こす原因が自分が霊媒質者であり、汚れた霊の浄化の為に眠くなったり下痢をすることに気づいていないがあります。社会の人々は、何をしても良いとか自分勝手を推し進めます。その想念の汚れを霊媒質者はモロに受けているのです

    単に霊が見えたり霊と会話するは霊感者や霊能者ですが、霊媒質者は必ずしも霊が見えるではないのです。霊を浄化する力が強いなのです。為に、霊能者の間では優秀な霊媒者が欲しいで取り合いになることもあるのです。

     

    私が大本教の出口王仁三聖師が【陸の龍宮城】とされた場所で見た金龍神は約40メートルぐらいの大きさで、そんなに大きいとは思わなかったのですが、出口王仁三郎聖師の論理の10万倍ともなれば四千キロの長さとも言えます。無論、その時の縮小率に関しての断定は出来ません。

    国常立尊様の働きは金龍神とも言われており、この日本列島の長さに匹敵するとも言われています。だが、金龍神は一体には非ず。無数に存在しています。すると、日本列島の約二千キロの長さでもおかしくはないのですが、見え方の問題とも言えます。また、無数に存在する以上、金龍神=国常立尊は成り立たないとなります。金龍神は国常立尊様の働きと見るのが妥当ではないかと私個人は見ています。

     

    霊的世界は、アラジンの【魔法のランプ】 

     

    霊能者でもスピリチュアルでも同じですが、自分に山ほどの高さに見える御神霊が出て来た。で、自分は凄いのだと自慢される方達があります。

    私の2番目の師匠の御祭神は「国常立尊」と詐称しておられましたが、ある日、その国常立尊と称する霊が私に富士山の火口の上に居る自分の姿を見せてやるとのことで見ていましたところ、霊的に見えて来る映像では富士山の山頂に火口よりも大きな透明の玉があり、その玉の中に一体の御神霊が存在しておられます。その神だと言われます。富士山の火口の直径は700メートルとされていますので、その玉は火口を塞ぐほどの玉なので霊的には800メートルぐらいの玉でしょうか。

    その玉の大きさを見た私の感想は、その大きさに驚いたのではなくて、どの御神霊達も【富士山】の意味を取り間違えておられるのではないだろうかです。富士山の火口の上に立っても何の意味も無い。富士の意味が違うのではないかです。

    神霊段階に入って来ますと、神霊はかなり大きな姿を見せることが出来ます。また、逆に小さな姿に成ることも出来ます。神霊に仕える蛇などは、一瞬にしてその身が鉛筆程度に縮小して、人の目から姿を隠すがあります。そうした自在が神霊とも言えます。

     

    小さな偶像であっても、そこには無数の霊が宿っています。その像自体がある程度の霊界の「社(屋代)」と成るからです。

     

    大きな寺院では大きな仏像建設に躍起になられます。偶像は大きければ大きいほど多数の霊が宿るとなります。 日本のあちらこちらに仏像や祠があります。中には荒れ果てた像や祠などもあります。そうした荒れた像や祠をやたらに拝むなと言う話があります。何故なのでしょうか?。そうした像や祠に宿る霊には正体不明の霊があるからです。なまじそうした像や祠を拝んだことで、蛇霊や野狐霊のみならず、地縛霊などに憑依されるが起きるからです。

    霊媒質者が、お盆などの時期に墓参りに行くと、おかしな霊に憑依されて一騒動があります。お盆の時期など、地縛霊や浮遊霊などが墓場などに出て来るというのは霊媒質者から見ると迷信の類いではなくて現実なのです。

     

    問題は、そうした地縛霊や浮遊霊が世にウロウロしていることなのです 

     

    そうした中で【愉快犯】霊などは、いろんな名乗りをして来ます。例えば、自分は【天之御中主】等の高級神名などです。そうした霊に欺されて信じていれば、図に乗ってあちらの神社に行け。こちらの神社に行け等で、霊感者の中には神業で貯金が無くなった。借金して回っている等も見受けられます。他の人に借金までしての【神業】などは、最初からおかしいと思わなければいけないのです。愉快犯霊と疑って見るも必要なのです。

     

    私は幾度も霊媒質者の苦しみを書いて来ました。世の中には自分が霊媒質者であることが解らずに、そうした苦しみを味わっている方が多数あります。だが、世間の無知からその苦しみがまるで理解されないがあります。

     

    そうした霊媒質者に霊が宿るように、

     

    人はある意味、【歩く偶像(霊止)】なのです 

     

    物質に宿るのが偶像ならば、人に宿るは【霊(ヒ)止(ト)】なり

     

    肉体の人を拝むも【偶像】崇拝。

     

    汝、偶像を拝むことなかれ

     

    神の教えや存在を説く者は全て神の下僕であり、それ以上でなければそれ以下でも無い。

     

     

     

    精神世界

    にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
    にほんブログ村

    この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。


    この記事のトラックバックURL
    トラックバック
    calendar
          1
    2345678
    9101112131415
    16171819202122
    23242526272829
    30      
    << June 2019 >>
    日本ブログ村に参加しています(よければ応援のクリックを願います)
    selected entries
    archives
    recommend
    links
    profile
    search this site.
    others
    mobile
    qrcode
    powered
    無料ブログ作成サービス JUGEM

    にほんブログ村 哲学・思想ブログ アセンションへ
    にほんブログ村