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人は自己の天命・宿命に従うのか?。人の世に生じる合縁奇縁

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    人は誰しも持った生まれた【天命・宿命】とか【星】があり、誰もそれからは逃げられないとされて来ました。

     

    天命とは辞書には次のように書かれています。

    ‥靴量仁瓠E靴人間に与えた使命。天のめぐりあわせ。天道。天理。

    天から与えられたいのち。天の定めた人間の寿命。天寿。

     

    宿命とは

    \犬泙譴覦柄阿ら定まっている運命。宿運。

    ∧語。宿世の生命。前世の生命。過去世での受報の差別・善悪苦楽などの総称。

     

    【前世の生命】とは【輪廻転生】があることであり

     

    【過去世での受報の差別】は【カルマ】と呼ばれる

     

    スピリチュアルでは、人は自分でこの世での「プログラム」を決めて出て来る等と主張される方が大勢です。ならば、誰も今生の自分が【不幸】に成るようなプログラムを組んで出て来るでしょうか?。

    誰も組まなかったはずです。現実にこの世に出て来たならば、上手くいかない事ばかり。どうしてこんな人生なのだ!。こんなはずではなかったのにとなります。

    その自分でプログラムを組んで出て来たと言う主張を補完する為か、【運命】は変えられますと主張される方が多いとも見受けられます。だが、そこに見られるのは自分が主宰する高額料金のセミナー等に人を巻き込もうとする戦略が見られます。

    そうした論理は、仏教で説かれて来た前世・過去世から来る【カルマ】の要因を見ていないがあります。

     

    大本教神諭に【この神(ウシトラ金神)は病気治しの神ではなく、心の立て替へ立て直しの神である。】とありますが、現在の神霊世界の神々は、【現世御利益】が主体の神達であり。その神達を信仰することによって、病気が治ったり。金銭的困窮から助けられた等は起きて来ます。

     

    神を認識することで、自分の運命が変わる

     

    霊力がある神霊なら、病が平癒するもある

     

    また、相手が何神であろうとその神を信仰することで、大難が中難に、中難が小難に、小難が消えるがあります。

    しかし、そこに新興宗教の実態として知られることに、その人に憑いていた霊障を起こす黒蛇霊等の存在を、より力が強い黒龍神とか大黒蛇霊がそうした霊障の黒蛇霊を剥がしただけのことであり、人がこの世に出て来る原理原則である【カルマ】の解消に繋がっていない問題が指摘されています。それらは、一時しのぎの対処法で終わるです。

    過去世からの【カルマ】を消せていないなのです。それだと今生での「苦」を逃れたとしても、来世でまたもや【カルマ】が出て来ます。いたちごっこの繰り返しになってしまうのです。

     

    そこにあるのは、自分で自分のプログラムを組んで来た云々ではなくて

     

    人は何故にこの世に出て来たのか?

     

    過去世の自分のカルマを解消する為 

     

    人の魂は、魂の「更生」の為に後世に「甦る」を起こして来た。

     

    人の魂は【輪廻転生】で幾度も生まれ変わり。良い人生の時もあれば、悪しき人生の時もあります。良い人生の時は文句を言わないが、悪しき人生の時は【不平不満や愚痴のタラタラ】。この世の「苦」をカルマの解消として【感謝心】で進む人は、自己の過去世からの【カルマ】が消えて行く。

     

    お釈迦様の悟りの教えとして、【この世は苦界】があります。だが、そうした教えも現在では無視されているのです。

    私が子供の頃、自分は旧約聖書の神と称する声が臨んでいました。【人は生まれて死んで。生まれて死んでの繰り返しである。人はこの世に出て来た時、その姿や形は前世の自分の姿や形とは違う。肉体の両親もその時は前世の親とは違う。兄弟も違う。友達も周囲の人も違う。置かれた環境も違う。同じなのは、前世の自分の心と今世の自分の心は同じである。人が自分の前世が解らないのは、この神の恩寵である。過去の失敗の人生を思い出しても何の意味も無い。】と告げられたのです。

    さらに、【人はこの世で様々な違う魂と出会い縁(えにし)を結ぶ。この世での悪しき縁はこの世に捨てて、良い縁だけは魂の思い出としてあの世に持って帰りなさい。】と告げられました。

     

    魂がこの世で創った【カルマ(因縁)】は、この世に置いてある

     

    霊界に帰ったからと言って、霊界で「カルマ」の解消道は無い

     

    しかし、再度この世にオギャーと誕生して来ると、この世に置いていた過去世の自分が行った悪しき因縁が絡んで来ます。【カルマ】と呼ばれるものです。

    その【縁】によって、自分には予想外のことが起きて来ます。自分の予定通りには行かないなのです。これが仏教で説かれる【宿命】と言えます。前世の生命。過去世での受報の差別・善悪苦楽が出て来るなのです。

    しかし、全ての【カルマ】が悪しき物とは限りません。カルマは「因縁」とされますが、当然にこの世での良い「因縁」も残して置いたりしています。そうした時は過去世で良い因縁(縁)を持っていた魂と出会うと、何かと助けられたり援助を受けたりも出来るのです。

     

    スピリチュアル等は高額のセミナー募集が主体のようですが、そのセミナーの料金が低額であれば、それはそれなりの意義もあるでしょう。しかし巷に見られる料金には、あまりにも法外な料金が見られます。私が知るスピリチュアルの方は【ワンコイン(500円)】程度でセミナーを催しておられましたが、そんな方は少数です。大金を取る方が【愛】を説く。本来の【愛】とは無償で与えるものなのですが?。無償の愛を説く人が高額料金を設定する???。

     

    多くの人は間違った感覚を持っておられます。神は全て無料だ!

     

    私達が肉体を持ってこの世で生きて行く為には水や空気が必要で、そうしたものは【自然】と言う名の下に万物の創造神が無償で授けてくれています。創造神はそれらの使用にお金を要求されていません。それらの自然や空気や水を汚したの人間サイドなのです。自分達が儲かれば何をしてもいいと地球環境を破壊して来たのはユダヤの悪鬼と呼ばれる【資本主義】でもあるのです。

     

    万物の創造神からの【恵み】は無償であったとしても、神のお代とか霊能者は肉体を持つ身なので、自分の生活があります。その為に祈祷料とか相談料を頂くのは当たり前のことです。それをお金を取ると批判する人は、感覚がおかしいとは言えるでしょう。

     

    霊能者でスピリチュアラーでもいいのですが、私が伏見稲荷山に詣でている時、高価な指輪を無数にはめて、首には宝石の首輪をチャラチャラさせて、その信徒達に自慢気にその何百万円何十万円の高価な宝石類を見せびらかしている霊能者がいました。霊能者になれば、こんなに儲かるのだ。金持ちに成れるのだ。

    この手の霊能者やスピリチュアラーで、御膳谷の瀧場を覗いた為に豊受姫から金縛りにされて、高価な着物を着た状態で空中に吊されて、その高価な着物に瀧の水を厭と言うほど浴びせられた事件があります。

    自分には霊能力があり守護神と一体化していると言っても、豊受姫はその守護神霊ごと肉体を金縛りにしてしまうもありました。

     

    私に【おまえはどこ馬の骨か】と悪態をついた不動明王が、そのお代たる肉体と一緒に金縛りにされて、ゲーゲーと地面を転げて吐きまくるに遭ったことがあります。いくら霊が見える。霊と会話する霊能者やスピリチュアラーだからと言っていても、私を見て「どこの誰だか解らぬ馬の骨」と言った不動明王がごときがと、豊受姫が怒られた出来事でした。 誰に向かってそんな無礼なことを言うのかです。

    私は秘密裏に天から下ろされた者であり、神霊世界での自分の身分を明らかにしていません。それは、その霊に私の背後に存在する神霊が見えているのか、見えていないかを知る為でしょう。

     

    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【今生のそなたの人生はとても辛い人生となる。あまりにも辛い役だから、他の神の御子にその役を命じることも出来ず。我が子なれば、死んで参れと告げるほどの役である。】と告げられており、ある程度の覚悟はしていました。

    しかし、ここまで自分を辛い目に遭わせるのかです。自殺を考えたことも幾度かあります。しかし。自殺が出来ないと解って、ある意味開き直ったとも言えます。ならば、生きてやれです。泣いて泣いて、その涙も涸れ果てたです。

    私は神霊世界の修業で学んだことは、人の魂は「輪廻転生」しており、その全ての人生が「幸福」であった等はあり得ないです。どこかの人生では幸福であっても、ある人生ではどん底で悲惨な人生もあったなのです。

     

    逃げても逃げても逃げ切れない道があるでした 

     

    自分がそうした悲惨な目に遭った時、人を恨み。社会を恨み。先祖霊を恨み。神をも恨む。それは間違いなのです。

     

    私は旧約聖書の神と称する声から、【そなたの前世は悲劇の武将であった】と告げられました。その自分の前世霊は恨みから地獄に墜ちていました。私はそれが自分の前世とは知らずに、私に見えた武将霊に対して恨み辛みを捨てることを説きました。その武将霊が恨み辛みを捨てた時、その武将霊は一気に霊界の高い地位にと上がって行きました。それが私の【正守護神】です。自分の前世だからです。

    しかし、肉体の私には私の魂が武将であった時、いくら武士の習いが戦であったとしても多くの人を殺めました。その罪は今の肉体の私が被るなのです。

     

    今の自分の人生は辛い。それは前世の自分の魂の罪を償う過程でもあるのです 

     

    私は今の肉体が切り刻まれて殺されても誰も恨みません。全ては自分の魂が犯した罪が消えて行く過程と知るからです。

     

    聖書 【自分が播いた悪しき種の果は、自分で刈り取れ】

     

    自己の魂の過去世の罪を払い終えれば、魂は高次元に向かう

     

    世の【立替】とは、過去の自分の全ての罪を清算して永遠の未来たる【みろく世】にと入る

     

    私は小学生の頃までは、旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、中学生になった頃からはその声を聞かなくなりました。高校を出て社会人となって神の存在を忘れていたのですが、30歳に成る少し前から別の霊声を聞くようになりました。それで、自分は誰なのかを知りたくて多くの霊能者の方の門を叩きました。

    最初の師匠の門を叩く前、出雲の大国主命を祀る霊能者から、貴方の守護神は「不動明王】様だと教えられて、初めて催された近畿36不動尊が一堂に会する御開帳があり、そこに行くと7〜8体の不動明王からビシビシと得体が解らない物を飛ばされて、この野郎。やる気かとなったこともあります。子供の頃、本物かどうかは解りませんが旧約聖書の神と称する声が臨んでいたので、不動明王に負けるはずもないという意識があったからです。

     

    私が神霊世界に修業に入ってから、如何なる御神霊かは解りませんでしたが、【今生でそなたが仕事の関係で出会っている女性の何人かは、過去世でそなたとは深い縁があった者達である。そなたとの今生の出会いは、そなたの魂との永遠の別れになるから、今生が最後となるので出会わせるようにした。】と告げられます。

    私は自分の過去世を思い出すではありませんが、私が出会った方の中で過去世に出会っていたのではないかと思う人との出会いはありました。

     

    合縁奇縁(因縁と言う不思議な力による出会い)

     

    この合縁奇縁は【相縁機縁】とも書きます。人は縁と縁で結ばれているなのです。お釈迦様の教えに【縁無き衆生は度し難し】があります。これは仏縁のない者は慈悲の仏でも救えないの意味ですが、ここで言う【仏】とは人は皆死ねば「仏」の御先祖霊を指すのではありません。この宇宙を創って来たような段階の神仏のことです。

     

    人は神仏など自分には関係が無いと無縁で生きていても、ある日、突然に神仏世界に導かれるがあります。それは、今の世ではなくて、自己の魂の過去世に神仏との御縁があって、それが今の世に吹き出し来るなのです。

     

    私が子供の頃、私に旧約聖書の神と称する声が臨んで来て、【この神だけを唯一の神とせよ。】と告げて来られました。そして、【私はこの私だけを本当の唯一の神とする者達は、永遠の嬉し嬉しの世に渡す。が、この神を唯一の神としない者達とは永遠の別れになる。】と告げられたのです。それを聞いた時、私は【唯一神】とは何だろう?。と首を傾げました。西洋で言う創造神とか唯一の神の概念の言葉の内容では無いと感じたのです。

    大本教霊界物語に触れて、出口王仁三郎聖師の【唯一神】以外の神々は,神ではなくて「神司」とか「天使」のことであるの説は私も納得するでしたが、もう一つ理解には至りませんでした。何か腑に落ちないのです。だが、【縁】で意味が解けたなのです。

     

    鰯の頭も信心からと言います。蛇霊や狐霊も神として祀れば上(神)です。そこに出て来るのは【縁】なのです。この日本では創造神と呼ばれる様な神は【消えた神、消された神】と同様です。

    だが、その唯一神は私達の魂の中の核(円真)として存在して、日本神道では【直霊】と言いますが、人の【良心】の働きを司っておられます。スピリチュアルの様に自分には創造神が見えるとか見えないとかではなく、唯一神とされる【創造神】の存在は見えなくても、創造神の存在を信じることそのものが創造神との【縁結び】なのです。創造神だから神社や仏閣や教会やモスクに祀られるのではなく、各自の心の中に生きるなのです。

     

    旧約聖書の神と称する声は、子供の私に【この神を唯一の神として認める者は全て救う。】と告げられたましたが、【縁】が無ければ救えないと言う意味合いでもあったなのです。

     

     

    人の過去世の良縁は、この世で良縁として現れて

     

    人の過去世の悪縁は、この世で悪縁として現れる

     

    今の時さえ良ければそれで良い。それは大きな過ちを犯してしまいます。魂は永遠だ!。不滅だ!。と言われるように、魂は長い時間を生きます。今の僅かな時間の一生に囚われて、その永遠性の魂を無くすなどは実にもったいないことなのです。

     

     

     

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