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私への質問から。悔い改めたならば、過去の罪は赦されるのですか?

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    私はブログ上で【悔い改めることによって、過去の罪は赦される。】という記述をしています。このブログ上では質問を受け付けていませんが、HPからだと質問が出来ますので、そこから質問されて来られる方達があるわけです。

    但し、私は霊界見聞者であって霊能者とは言いがたい者なので、霊障等から起きる困り事相談には応じてはおりません。そうした霊障解決には霊を見る霊能力が要りますので、有料であっても既存の霊能者の方にお頼みください。

    私がしていることは【言葉の仕組み】と【霊界】と呼ばれる「死後の世界」の存在を如何に正しく知らせるかであって、霊障に関わる様な人助けはしておりませんと言うよりも、そうした力を保有しておりません。

     

    私の元に来るそうした「悔い改めたならば、過去の罪は赦されるのですか?。」という質問には、これまではそうですと答えて来ましたが、理論だってその理由を説明をして来なかったことに気づきました。私の膨大なブログには、その意味がどこかに書いてはあるのですが、理論をまとめた物ではありませんでした。

    霊的世界で起きることは単純な論理ではなく、複雑に絡み合っていますので、そうしたものを総合した知識を持たないと説明が難しいのです。そうした証拠として、霊能力がある方が神社を訪ねて御神霊と会話をされるなどがありますが、そうした神霊からのメッセージとして霊界に関しての説明がほとんどされていないという不思議に出会うはずなのです。

    神霊と呼ばれている存在の方が詳しく説明をなされない。一部の宗教開祖の方達がそうした問題に取り組んで来られたで、論理としてまとまった物が見当たらないのが現状と言えます。

     

    霊的世界に起きていることは「奇跡」という概念ではなくて、【理論】として見て来ますと、そういうことかと解るのです。だが、スピリチュアルでは「理論」ではなくて、【直感だ!】等と言っていると、そこに何故?。という疑問が発生して来ません。霊界の【真相真理】に何時まで経っても到達出来ないなのです。

     

    だが、【悔い改める】と言うことは言葉で言うほど安易ではありません。

     

    口先の申し訳ありませんでなく、心の底からでないと【改心】出来ません。

     

    私は霊界修業に入って2番目の師匠の元に居た頃、サニワ(審神)の中で蛇霊に言向けをしていました。すると蛇霊化した存在の多くは、【悔い改めるぐらいならば死んでやる。】と返して来ます。蛇霊に【悔い改め】をいくら説いても、その言葉を聞いてくれるのは僅かだということなのです。当時の私は悔い改めるぐらいならば死んでやると言う蛇霊達の言葉がさっぱり解りませんでした。死ぬ道を選ぶより、悔い改めの方が難しいのか?。です。実は死ぬと言うのは簡単であり、悔い改めるは難しいのです。良心が欠如していると【悔い改める】ことそのもが出来ないのです。

     

    人は簡単に、【悔い改める】等は出来ない

     

    悔い改めは【良心】に目覚めないと難しい

     

    私は二人の師匠の元を去った後、東京でテレビの初期時代に活躍された著名な霊能者の元に行き、【霊査】をしていただきました。すると、その著名な霊能者の方は私に言われたのです。

    俗に仏の声が聞こえる者は千人に一人はあり。神の声が聞こえる者は万人に一人はある。そうした者が修業を積んでも、本物と呼ばれる者はその中の千人か万人に一人だけしか出ないと言われます。

    それだと一千万人に1人とか百万人に1人しか本物と呼ばれる様な霊能者は居ないことになります。それはかなり厳しい見方ですが、この日本で100本指に入る様な霊能者であれば本物級と言えるのでしょう。

    私の最初の師匠は豊受姫のお代さんでしたが、その師匠の元に霊が見える。霊の声が聞こえると言う相談者が来ると、その霊能力を封じていました。なまじ霊が見えたり、霊の声が聞こえると本人の為には成らないからです。封じても封じても霊が見える。霊の声が聞こえる方だけに【修業】を勧めたのです。

    ところが現代スピリチュアルはその真逆で、貴方も霊が見えますよ。霊と会話が出来ますよと、金儲けの為に霊を人に憑けようとしてしまうのです。霊に憑依されると、どれだけ恐ろしいかを知らないと言えます。正神界の高級霊など、人が勝手に憑けられるような存在ではないからです。

     

    行者が修業に修行をするのは、自分が高い霊に近づく為なのです

     

    では、その段階に入ってない霊能者は何を見ているのかとなります、確かに霊は見える。霊の声は聞こえているのですが、そこに出て来る霊は本物では無い。大きな神名や天使名を名乗るニセ者霊等で、それに騙されているなのです。

    それは例えば、自分に天照大御神様が降りて来ると言う方を100人集めても、その100人の答えは必ずしも一致して来ません。各自が見ている天照大御神が別々だからです。で、自分に降りて来られるのが本物で、後は蛇霊や狐霊に騙されている者で終わってしまうのです。

    神社等に参拝して、そこの御神霊からメッセージを賜る霊能者の方達があります。だが、その神社と別の神社で出て来られる御神霊の名乗りは御神名は同じでも、同一の方ではないことは霊能者ならばほとんどが知っていることです。為に、どこどこ神社の誰々と名乗る霊と言う言い方になるのです。

     

    私の最初の師匠は豊受姫のお代で豊受姫によれば、その当時の日本の霊能者の中の10本指に入り、稲荷行者としてはトップだと告げられていて、実際に伏見稲荷山で多くの稲荷行者でもある伏見稲荷講社支部長等の諸先生からも、一目置かれておられました。そうした諸先生には、私の最初の師匠は霊能者として抜きん出いる存在と解るわけです。

    多くの修業を積んだ行者さん達が太鼓判を押していた私の最初の師匠を【黒狐】と言った霊感者レベルの方が居られます。その霊感者の方を見た行者筋は、その方に憑いているのは「八尾の野狐」と言っておられましたが、本人はそれが八尾の野狐とそのグループ達によるものだとは気づかないわけです。こうなると、誰が忠告を与えてもその本人の耳には届き来ません。自分は選ばれた特別の者だの錯覚です。

    そうした邪神達の囁き段階を突破して来ないと、本物の霊能者とは成らないとされているわけです。為に、修行者の千人に一人とか万人に一人しか本物級は居ないとされているわけです。 

     

    霊能者の江原啓之さんは自称スピリチュアル界の大御所だそうですが、その師匠と言うべき【美輪明宏】さんは、多くの霊能者の元を訪れ、霊能者として看板を上げている人の中の20人に1人程度(5%)しか本当の霊能者と言える人は居ないと語っておられますが、霊感者レベルまで下げて来ますと本当の霊能者と言える方は百人に1人程度と言われているわけです。

    日月神示には【九分九厘】は邪神とありますが、それは霊が見える見えない。霊と会話する会話しないではなく、本当の【正神界】段階に辿り着くまでには山超え谷超えをしなければならないと言うことなのです。

     

    宗教の世界では、どの宗教でも原則論として、この世で善行を積めば天国で、悪行を積めば地獄に落ちると説きます。自然な論理です。ところが我が宗教の教えを信じる者は天国で異教徒は地獄に落ちると、自分達の宗教の教義の覇権争いをする為に、宗教が世界の戦争の陰の要因ともなってしまったわけです。ですから、宗教不必要論が起きても致し方ないと言えます。だからと言って、万物の創造神の存在否定は行き過ぎと言わざるおえません。

    一方、多くのスピリチュアルでは【何をしても神の愛で赦されるのです。】と、暴論に近いことを説かれる方達があります。で、何をしても神の愛で赦されるのであれば、今日迄の宗教で説かれて来た【地獄界】は論理的にも存在しないことになります。だが、今日迄に説かれた宗教の地獄論の中身は正しいかどうかは論議の必要はありますが、地獄界そのものは存在しています。スピリチュアルの教えなどまともに聞いていると、死んでから後の世界が恐ろしいことになるのです。

     

    死後の世界にそうした地獄界が存在しているのに、どうして私は【悔い改めたならば赦される】と説けるのかと言いますと、それは大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた【人は霊止(ひと)なり】の論にあるのです。この人は霊(ひ)止(と)なりは、聖書を学んでも仏教を学んでも神道を学んでも理解出来ません。そうした宗教書には、人(霊止)の意味がどこにも説かれていないからです。これは【霊学】の分野だからです。また、日本語が持っていると特製です。日本語が【神の言葉】であると理解していないと、単に【ヒト】の言葉遊びではないかとなります。

    人は死ねばその魂は【霊界】に行くのですが、人の肉体は一つの魂だけでなく、多くの霊の【想念】を受けて行動しています。自分では自分の行動は肉体の意思だと思っているのですが、実は自分の肉体に関わっている霊達の【総合意識】なのです。人の魂とは、その肉体の【霊的中心センター】を担っているのです。その多くの霊達の「想念」を受けて人は行動しているのですが、これは仏典の般若心経における【受想行識】とも言えます。

     

    受想行識=多くの霊の想念を受けて、識で行動する

     

    多くの霊能者の調べで既に解って来ていることですが、人には守護霊、指導霊、背後霊、憑依霊等の多くの霊が付随しています。少ない方だと六霊ぐらいと言われていますが、時にはゼロと言われた方もあるとは聞きます。通常ゼロはあり得ないのですが、よほど偏屈な性格の人で霊が寄って来ないという方なのかも知れません。大体心根の優しい人には多くの霊が憑いているものなのです。多い方だと数十体ぐらいの霊は付随しているのです。

    霊能者と呼ばれる方は、その人に付随霊として憑いている霊が多く、数千体霊もあれば優秀な霊能者だと言われています。私の最初の師匠は豊受姫のお代で、竹生島に参拝した時、その師匠を見た神か仏のどちらかの管長さんが、この人には一万五千体の霊が付随していると驚かれたがあります。竹生島などは多くの霊能者が参拝されますが、さすがにそれまで1万5千体もの霊を付随させている霊能者を見たことがなかったなのです。

     

    私も霊能者の方に、時には【救世主】様ですかと尋ねられることがあるのですが、その理由を聞くと、私の背後に付随している背後霊団の大きさが霊能者と呼ばれる人に付随している霊団に比べて桁違いに大きいことから、救世主でないとあり得ないと等と言われます。断っておきますが、私は救世主ではありません。神の言葉の仕組みの宣伝マンです。ですから特別の力は授けられていません。

    だが、私が東京で霊査を受けた著名な霊能者の方からは、逆に貴方にはあまりにも多くの霊が付随している為に【精神統一】が出来ておらず、そうした諸霊の思惑に貴方自身が流されている。霊達に振り回されている。で、早く【正守護神】との統一が必要だと告げられたのです。日本新神道系で説かれる【神人合一】です。あまりにも背後霊の数が多いので、そのセンターとなる「正守護神」の必要性です。

     

    日本の新神道系では、ほとんどの人に見られるのは【正守護神】ではなく、【副守護神】の段階とされています。御先祖霊とされる霊も、ほとんどがその「副守護神格」だと言われています。未だ本当の意味の天国界に渡れていない御先祖霊が自分の子孫を守護して、子孫が正しく天国界に進めれば、天国界に導いた御先祖霊もまた天国界に行けるです。

     

    よく、弘法大師と【同行二人旅】などが言われていますが、人は【副守護霊と同行二人旅】をしているのです。この「副守護霊」の働きが弱いと、自分の肉体に憑依して来ている背後霊や憑依霊によって、自己の行動に間違いが生じて来るのです。

    自己の【良心神(この世の閻魔大王)】が目覚めて来ますと、自己の肉体に憑依して「悪しき行動を唆していた邪霊」は、自らが反省しない限り、その肉体から振り落とされて行きます。それまでは肉体の者に懸かって安楽に行けたのに、より地獄にと落とされるとなるのです。

    この時、それまで自己の悪の元凶であった霊は落ちて、その肉体に残っている貴方自身の魂は元の汚れが無い魂にと向かって行きますので、その魂自身には罪が残らないなのです。

    それはスピリチュアルで説く、【何をしても神の愛で赦されます。】と説くのとは、まったく次元を異にしているなのです。中身的にも違います。

     

    人がある日を境にして、突然に別人の様に変わったなどは、その人の周囲に居た悪しき霊がその人の元を去ったなどがあります。自分に憑依していた悪しき霊が去ったことにより、その人の【意識】そのものが別になるのです。別人に生まれ変わるです。時にその逆パターンもあり、その人に悪しき霊が憑依始めると、その【意識】も悪しき行動を起こして来るなのです。徐々に行動が悪くなったです。朱に交われば赤く染まると言われるのもその為です。

    ですから、

     

    人は【霊(ひ)止(と)】の意味ですよと、大本教から出されたのです。

     

    逆に、【何をしても神の愛で赦されます。】等と説いているスピリチュアルの教えに従ってしまいますと、まったく【改心】が出来ずに、落ちて行く先は地獄界にとなってしまうのです。

    大本教の出口王仁三郎聖師が、地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だ!。と述べられたことは、聖書の基本原則である【自分が播いた種の果実は自分で刈り取る。】を忘れて、イエス一人を主の御子と信ずれば天国に救われる等と誤った教えを続けたことからなのです。仏教で言えば【カルマ(目には目を、歯には歯を)】の存在を教えなかった僧侶達です。偶像に宿った霊達を頼っていれば、その罪が消えると思っていた錯覚です。

     

    では、自分がこの世で「悪を犯した時」。自分の悪は邪霊に唆されてしたことであって、自分には罪はありませんは通るかとなると、これは通りません。それは言い訳であって「改心」そのものではないからです。人には元々【良心神】と呼ばれる天帝の分魂が備わっているからです。

    この世の肉体は、この世で犯した犯罪は「けじめ」として刑務所でその罪分の支払いをします。刑務所に行かないような罪分は、【社会奉仕】などで代償として支払えばいいのです。だが、どちらにしても【改心】が無いと、その魂を更(新)つにすることは出来ないなのです。

     

    今の宗教界では【魂】と言う言葉は使われますが、それが【玉型の思惟】であると説いておられる方はほとんどありません。それをスピリットと説いて何の意味が解るのでしょうか?。日本語でないと「魂」意味は解りません。

    魂は丸い玉なので、そこには【心棒】が存在して来ます。その心棒が腐っていたり捻れていると、もう魂としては破砕されたりするのです。この魂の心棒のことを【杭】と言います。

     

    悔い改めるとは、魂の杭(心棒)を改める

     

    日本の神智学では、【愛】だけを説いている者は蛇(邪)霊に犯された者ともしますが、私が「愛」ではなくて【良心神】を説いているのは、それが【魂の心棒】のことだからです。今の人の魂は腐ったり捻れたりします。そうした魂の杭(心棒)を取り替えることが出来る神は、大本教から宣伝された【牛虎金神・国常立尊。閻魔(閻羅)大王】の名称で知られる【創造神】だけなのです。その神を【鬼】だと、節分の炒り豆で鬼は外と追いやっていませんか?。と大本教は宣伝したのです。

    どこにも【創造神】は見当たらない?。確かに、創造神としての現出はありませんが、キリスト教神学でサタンは【冥府の長官】とされた【エンマ(円真)大王】としての現出はあるわけです。

     

    悔い改めたら赦すは、創造神の御言(みこと)なのです

     

    悔い改めることで、更(新)つ魂となり弥勒の世に進む

     

    だが、こうしたことをいくら説いても多くの人は解ろうとはしないなのです。まして【日本語】は神の言葉であり、その日本語の中に神の教えが秘められていたなど、誰も気がつかないことではあったのです。

     

    刑務所の刑には【⛩】の型がある

     

    こうした【人(霊止・ひと)】の意味が解って来ますと、【改心】すれば赦されると言う意味と霊界のシステムが解って来て、聖書の【自分が播いた悪の種の果実は自分で刈り取る。】や仏教の【カルマ】やスピリチュアルの【正負の原則】が同じ意味合いだと解って来るのです。

    どこにも【何をしても神の愛で赦されます】などは存在しないのです。

     

     

     

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