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人の【尻】を行く下座行の【しんがり】の言葉は何故に【殿】なのか?

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    人がこの世に生まれ出て来るのは【魂の修業】と言うことではあるのですが、それが今日迄の宗教においてもどれだけ理解されていたかとなりますと、お釈迦様が悟られたことは自らが【仏陀】と成る【小乗】の道でした。そこにお釈迦様の死後、自分だけ仏陀と成ればそれでいいのかという【大乗】の教えが起きて来ました。

    確かに、自分だけ仏陀になれば他の人のことはどうでもいいでは【狭い了見】とは言えます。その大乗の教えにおいて、願えば私達を救ってくれると言う諸仏の存在が説かれて来たと言えます。ただ、それは諸仏にすがるだけの【他力往生】と言えます。

     

    為に、【人は何故にこの世に生まれ出て来るのだろう?】。お釈迦様が疑問に思われて修業に入られた経緯すら、どこかに行ったと言えます。

     

    そうした【大乗】の教えの起こりで、お釈迦様の本来の「悟り」は埋没したとも言えます。誰も他力で救われるのであれば、何も自力の【苦労】などしたくもないからです。誰かにすがれば救われる。為に、お釈迦様の本当の悟りは消えたと言えます。

    そのお釈迦様の悟りはお釈迦様の死後【五十六億七千万後】に現れる【弥勒菩薩】が出て来ないと解らないともされていました。その弥勒菩薩を【みろく神】として、世の大立替論と共に打ち出したのが戦前の大本教と言えます。

     

    私は今回、大本教が【みろく】神を世の表に出して、大本教神諭に【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を予告してくれたことから、そこに【五十六億七千万】の数字を秘めた【みろく神】の関係のみならず。お釈迦様の悟りが何であったかを知り得ました。

    それのみならず、大本教が告げた【この世の閻魔大王として現れる】。【節分の炒り豆にも花が咲く】などで、実に不思議な日本語による【言葉の仕組み】を理解することが出来たと言えます。もしも大本教と呼ばれる宗教が世に出ていなければ、【日本語による言葉の仕組み】など、永遠に誰からも理解されることもなかったでしょう。

     

    大本教神諭が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を最初に明らかにしたのは大本教に在籍して反出口王仁三郎聖師派で知られて後に神道天行居の開祖と成られた【友清九吾】師でしたが、最近その「友清九吾」師が書かれた古本を手に入れることが出来ました。

    それを読むと、友清九吾師は「言霊」を単純に【音霊】として捉えておられたことが解って来ました。確かに【言の葉】とは【音の葉】ではあるのですが、「音霊」として捉えてしまいますと【言葉の仕組み】そのものが解らずに、先行きが出来なかったと解って来ました。【音霊】だと出て来るのは【観世音菩薩】の【世の中の音を観じなさい】程度の解釈で、言葉で組み立てられた仕組みの解読までには行き着かないなのです。

     

    音霊では、言葉の変換が理解出来ない

     

    西洋由来のスピリチュアルでは「言霊」とか、文字が【金色の光】は放つなどはあまり聞きません。私もアルファベット文字が「金色の光」を放っているのは見たことがありません。だが、【漢字】や【漢数字】は金色の光を放つ。これは、何だとなりました。そこにあったのは【漢字は象形文字】だからと言えます。

    聖書には神は【言葉】なりとあり、この日本は古来より【言霊の幸はふ国】と言われて来ました。その言葉を告げる文字には【象形文字】と【表音文字】があります。西洋のアルファベット等の文字は表音文字となります。

    大本教の出口王仁三郎聖師は【漢字】の研究をなされたのですが、大本教の出口なお開祖は「文盲」ということもあり、大本教神諭は「ひらかな」で出されました。そこに、当時の大本教団内において「ひらかな」の開祖派と「漢字」を研究する聖師で激しい闘争があり、出口王仁三郎聖師の漢字研究書は当時の出口なお開祖派の信徒達によって焼かれてしまったがあります。

     

    大本教で出された「ひらかな」の【いろは】は【表音文字】なのです。表音文字は象形文字と違って、言葉の【観じ】が出せないのです。そこに出て来るのは【音霊】です。だが、そのイロハ文字も漢字から創られた物で、元と成る漢字を見ていると意味がある程度は解って来るのです。それは「ひらかな」も【象形文字】から創られているからです。

    これらの象形文字は【絵文字】とは違い、絵文字は絵字太(エジプト)文字等で世界に知られますが、言葉の広がり(変換)がありません。言葉の【感じ】を掴む為の「漢字」とは、また違って来るのです。 

     

    その大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】とは、それ自体は【将棋盤】に見立てて言霊を【駒】と理解することで理解は出来るのですが、そんなに単純な論理だけではありませんでした。友清九吾師の単に真ん中が天之御中主で「41」は【ラ】神論だけでは紐解けないなのです。

    もしも【ラ神(天之御中主)】論だけで紐解けるものであれば、大本教に在籍して反出口王仁三郎聖師派で知られた神道天行居の開祖「友清九吾」師によって既に解説が出来たはずなのです。私は今回手に入った「友清九吾」師の著本で、音霊論では【言葉の仕組み】を解き明かすことは無理だったと解りました。

     

    私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、私に【下座行】を告げて来られました。その下座行の中で【人の尻】を歩け。という教えが幾度もなされました。人の尻を歩く???。まさに疑問符(クエスチョンマーク)のオンパレードです。その人の尻を歩くに関して、旧約聖書の神と称する声は【しんがり】という言葉を幾度も使われたのです。

    下座行そのものは【天の一八十(イワト)を開けると、上下が入れ替わる【峠】にて、大本教神諭にあります【下の者が上に行き。上の者が下に行く】で【一八十】度転換を指しますので、言葉を見ていると解ることです。だが、その実施時期に関しては解らないなのです。その時期を意味しているのが【しんがり(殿)】と言えます。

     

    尻=九の尸(しかばね)。米の尸は【屎】、水の尸は【尿】

     

    屎は【米】の死骸。尿は【水】の死骸で、それなりに言葉の意味が解ります。しかし、尻は【九】の死骸です。では、【九が死んでいる?。尻】とは、どういう意味かと深く考えて来ました。また、尸は【形代(かたしろ)】です。それによって【九】を形代とする意味をも考えて来たのです。

    西洋では【九】には「9」の字が使われます。これではさほど意味が解りません。西洋でも【9】の数字は深い意味を持っていることが知られています。 9×?数=はその数字を足すと必ず9の【基数】に戻ります。例えば、5478×9=49284。その4+9+2+8+4=27。2+7=9。です。そうしたことは数学では既に知られています。【循環】です。だが、数学の論理としては解っていても、そこには【?】の疑問が起きます。何故なのだろう?。そこには【九】の数字が持つ特性が未だ解明されていないのです。

    私達は【九】の漢字と【丸】の漢字を見た時、漢字学者は【九】と【丸】は漢字の成り立ちが違うことから関連性を考えません。だが、私は【神は言葉なり】でそこに関連性はないかと考えるのです。【九(キュウ)は球(キュウ)】です。すると、九と丸(球)には言葉の関連が出て来ます。

     

    私は鍾馗神の御案内で中国で天子とされる【盤古大神(木星神)】に拝謁したことで、大本教霊界物語に【盤古大神は地上一切の幽政の御権利を艮金神国常立尊に御奉還(神界の大政奉還)】とありますが、私は中国語の漢字そのものが盤古大神が創り上げたものではなく、全ては【宇宙創造神の作為】と読んだのです。国常立尊とは【日本の国に常に立つ御言】で日本語の意味ではないかです。 

    それは私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が告げた。【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。】からです。中国と呼ばれる国が神の御国ではなく。日本は神の御国であり、その神の遠大な計画の元にです。

     

    私は大本教神諭が予告した【九つ花】の仕組みが【九(九×九)の魔方陣】のことで、また【龍宮の乙姫(音秘め)】とは、その九の魔方陣を展開させる「3×3」の三の魔方陣の意味だと解りました。それらの【数理】は宇宙を作り上げて来た働きであり、それらの数理と「言霊」とが結びついているのが大本教神諭予告【九つ花(九の魔方陣)】と言えます。

    大本教から出された【七福神の舟遊び】とは、7×7の魔方陣のことであり、これだと「いろは四十八」は出せても「三六九(みろく)」にはなりませんし、五十六億七千万の数字を秘めることも、今の世が【七の世】で、次の世が【八の世】とも出せないのです。

     

    私はこの仕組みは何だ!。と愕然としたのです

     

    しかしながら、実際に神霊世界に関わりますと、大本教霊界物語に書かれたように、聖書に人類の原罪としてある【蛇霊の囁き】に乗った神霊や人類によって、この地球に関わる環境はもはや【風前の灯(ともしび)】に成ったとしか言えません。

    明治に出された大本教神諭には、【世に出ておられる神達の心の持ち方が悪かった。】とあります。世には神社に参拝して、その神社に鎮座する御神霊からメッセージを受けられる霊能力者の方達があります。だが、そうしたメッセージを聞いていると、人はどうあらねばならないなどの教訓論などほとんどありません。人の魂を磨かせる方向に、既存のこの世に関わる神霊達は向き合っていなかったと言えます。

     

    私の最初の師匠は豊受姫のお代で、霊能者としての当時の実力は日本でもトップクラスと言われていましたが、この世を去る少し前に、私に【自分は信徒の導き方を間違えていました。神様から現世御利益を頂く方向に信徒を導くのではなくて、人は何故にこの世に生まれて来たのかを信徒達に教えて、その魂を磨くようにしなければいけなかった。】と悔いておられました。

    宗教家とは、その信徒に人の【胸(宗)に宿る存在(魂)】を教えて正しく導くであり、【人は神の子・神の宮】であることを教えるべきだったのです。現世御利益を与えるのが世に出ている神霊の本来の勤めではなかったのです。まして、霊界で自己の【覇権】を争うなどは、正しい神の道とは言えないのです。

    しかしながら、未だこの世の神霊世界は【力こそ全て】と考えている神霊達が大半だと言えます。

     

    まず第一に、この世に出ていた神々の猛反省

     

    第二に、人類の悔い改めがないとお先真っ暗

     

    遅かれ早かれ、この地球は人類が住む環境としては命運が尽きます。だが、誰がそんな地球に存在する人類の魂を救い出せるかとなった時、巷で自分が【救世主】ですと称している人達では絶対に無理であり、不可能と解ります。

    私は神霊世界を部分的ですが見聞して、そこに【奇跡】を見て来ました。だが、それらの奇跡は人々を驚かすには充分でも、私達の目には見えない神霊の存在を認識させることは出来ても、地球規模の天変地異を消すなどは不可能に近いなのです。

    今、お釈迦様がこの世に出て来られようが、イエスが出て来ようが、人の肉体を持った身では地球そのものを救うなど、そんなことは出来ません。小さな奇跡の現出では対処出来ないからです。また、日本の伊勢神宮に鎮座されている御神霊であろうとも、出雲の大国主命様であろうと無理だし不可能と言えます。

    一部の方達は、国常立尊様が世の立替に当たって【九億九千万】の龍神を従えて現れると説いておられますが、私は現実にそんな力を持った神霊を見たことなどないので何とも言えませんが、その【九億九千万】の意味は「九×九の九の魔方陣」を語っているのかも知れません。

     

    私は人の【尻】を歩けと告げられました。その【尸と九】の魔方陣の形代の仕組みは、大本教で出口なお開祖派とされた神道天行居の開祖友清九吾師が世に告げられても、誰もその重大性に気づいていなかったとは言えます。

    朝鮮に残されていた予言。最後の審判前に人類救済の為に【米】一字の教えが起きる。その教えに従った者達の上には天罰は降りないとありましたが、【米】一字型を世に説いてみても何が【米】教だ!。【糞】の教えか!。それが実態だったと言えます。そうした人達は自分は「偉い者」で、人の尻を歩けなかったと言えます。

     

    人の【尻】を歩くことを、【しんがり(殿)】と言う

     

    どうして人の尻を歩くことが【殿】に成るのだろうか?

     

    始めにして終わりの神は、世の終わりのしんがり(殿)

     

    この人の尻を歩くとは、「ストーカー」的な意味ではありません。私達の肉体の「尻」のことは【臀部】とも言います。「臀」は肉体(月)と「殿」です。一般的に「殿」は宮殿や殿堂で【神の鎮座する場所】の意から出た言葉です。そこに、古来より【殿】に【尻】の意味は出ているのです。

     

    殿の漢字は【尸と共に殳(人を追い払う兵力)】

    旧約聖書は創造神を【万軍の主】と称える。何故に万軍の言葉が使われたのか?。軍事力の【殿】を見た時、今と呼ばれる世は創造神の【武力】で終わる。

     

    みろく世に至る世の大立替論を宣伝した大本教の出口王仁三郎聖師は、世の大立替の質問に対して、

    世の大立替とは、牛の糞が天下を取るようなもの

     

    すなわち、【糞(屎)】と呼ばれるような社会の底辺に居た人達で、今の世の中を正しく見つめて、どうすればいいのかと思考して来た様な人達がみろくの新しい世では【殿】と呼ばれるような段階に上がるなのです。今の世における不合理不条理を体験した様な人で無いと、新しい未来の世の指導者には向かないからです。大切なことは人の痛みや苦しみが解る人で、自分は【偉い】などと誇る人のことではないのです。

     

    神の最終の教えは、【殿(しんがり)の尻】

     

    大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】は、【尸と化していた九】の意味を紐解かせると共に、弥勒の世にはスピリチュアルで説く今の肉体が何もしなくても次元上昇をするのではなくて、個々の肉体を捨てる【屍】で、高次元霊界用の肉体たる霊(幽)服と魂とで新しい世に渡るなのです。

    ただ、私は大本教の出口王仁三郎聖師の様な大予言者ではなくて【言葉の仕組み】の解説者なので、言葉の仕組みを解読するとそうなりますよで、別に私の言葉を信じていただく必要はありません。ただ、そうしたことが実際に現れた時にはモウ遅いなのです。せっかくの【譱(善)】の【羊(未来)の道】も、遅(羊の尸)くなってしまうのです。

     

    人は、今の肉体のままでは高次元霊界には進めない

    また、肉体がヨボヨボの老体になって高次元霊界に行っても意味がないのです。既にこの世を去った魂達も、皆が若々しい姿の神達と成るなのです。私も肉体は既に老体で弱っていますが、私の魂の本体たる正守護神は若い【貴公子】姿です。どこにも「老いた」姿などはありません。

     

    人はこの世にどれほど長く生きていたいと願っても、肉体には必ず【死】が訪れます。魂のこの世の服である肉体を捨てて、霊幽体と魂となって魂本来の世界へと帰って行きます。その魂を腐らせたり壊して死なせてはいけないのです。

     

    人が言う【死(尸)】とは、この世での魂の服を脱ぎ捨てた殻

     

     

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