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この世の不合理・不条理の被害者は、恨みを捨てれば霊界では助けられる

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    世の中には、【神などどこにも存在していない。】と言う方達があります。その理由を尋ねると、この世には【正義】などはどこにも無いとか、あまりにも不合理・不条理がまかり通っていると主張されます。

    確かに、【神は正義だ!】とか、この世に存在する不合理とか不条理を考えるならば、どこに神が存在するのだと言う意見はまともとも言えます。

     

    仏教やヒンズー教には「輪廻転生」の言葉が存在しますが、詳細はあまり語られておらずに「六道を輪廻」するとされている程度で、その六道そのものが本当に正しいのかどうかさえ実証が進んでいません。為に、日本の仏教でも死後の世界を否定する宗派も存在しています。

    霊的分野を知るには、霊能力を持つ人達による説明を受けないと解らない分野ではあります。そうした霊能者の中には神仏に仕えて、神仏と会話をされる霊能者や行者が居ます。

     

    巷には、自分は聖母マリアとか天使ミカエルやガブリエルと会話するという方が多数居られます。特にスピリチュアル標榜者は日本の神仏系よりも、そうした天使名ばかりを言う方達が大多数だと言えます。これらの霊は「愛」の言葉をお題目としているだけで、彼らに霊界の実相を尋ねたところで何も出て来ませんし、言いません。語りません。私も稲荷山で修業時代はそうした大天使等と称する霊にも出会いましたので、そうした名乗りをする霊達が居るとは言いますが、彼らから神界の情報を得られるではありません。

     

    私はヴェーダ典に記載される【人の中で眠るコブラ蛇が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める】と書かれている現象に遭遇して、それから【真理】を求めて来た者であり、自分には高級神霊が憑いていると言う霊能力者ではありません。霊的世界のことは必要がある時は私の守護霊等が見せてはくれますが、必要が無いことは何一つ見せてもくれません。真理の【探求者】であっても、それ以上ではないので、霊力を持って人を助けるなどは出来ません。そうした類いの物は見せてはくれません。

    私は真理の道を求めるに当たって、自分には膨大な数の龍神が従っていると豪語して私を攻撃して来る人に対しても、今は何一つ恐れもしていません。昔は逃げ回っていましたが、今はそれも卒業しました。いくら霊能者に従う霊の数だけを揃えても、そこから何一つ【真理】が見えて来ないからです。それは何故かとなると、霊界には次元の呼ばれる階層があり、五次元とか六次元と呼ばれる世界の霊をいくら集めても、何も見えて来ないからです。

    生前は行者と呼ばれて神仏の力を背にして、それなりの霊力を誇られていた行者霊が死後に不浄仏霊と化している。それもその信者諸共です。人として生まれ変われずに、死後も霊的世界で行者的存在で力の誇示だけをしている。そうしたことにも遭遇して来ました。

     

    行者の末路、哀れなり

     

    と言われていますが、そうした実体を見てきたのです。霊力と呼ばれる力だけに溺れて、自己の魂を磨いてこなかった為のなれの果てです。その霊能者の霊力がいくら強くて多くの龍神を従えていても、自分の性格がなっていないとなれば、その霊能者の死後の世界の行き先は【邪神界】となります。

    ただただ、自分の霊力を誇示する為にだけ修業を積む。しかし、いくら修行を積んでも低次元世界から抜けられない。為にそうした霊には、高い神霊世界の存在がまったく解らないとなります。

    俗に言われることですが、高い神霊は人間に別に興味等ないのです。神が人間に近づくのではなくて、人が神に近づく努力をするです。それが【上(かみ)】の意味です。そこに勘違いが起きて、人に近づいて来るのは動物霊だともされるわけです。

     

    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【そなたにはこの神の神力を何も与えない。為に、そなたをバカにする者達が続出するであろう。そなたの背後にこの私が居ることが見えない神などは使い物にならぬ神である。】と告げられました。

    私には私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する神がどれほどの神であったのかが解らないので、その旧約聖書の神と称する声が私に告げた。【この国は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国だと言われたことが、その神の存在「証明論」ともなる】かと、日本語ですが【言葉の仕組み】を紐解いて来たしだいです。

     

    日本で神仏に仕える行者筋と呼ばれる方達には稲荷系や出雲系等があり、仏教では不動明王を初めとする明王系が存在します。また霊山から大峰系とか吉野系とか羽黒系とかがあります。そうした行者筋の方達は日本における神や仏(如来・菩薩・明王)と会話をされたりします。

    日本は神仏混合ですが、神や仏だと別ける必要は特段にありません。どちらも密接に絡んでいるからです。日本の大国主命様は仏界の大黒天として知られていますが、インドの神と日本神話の国造り神が同一等は学問的に言えばあり得ないことですが、実体はそうなのです。だが、その意味の説明が何も出来ていないなのです。

     

    では、そうした日本における神仏筋が霊界の真相を詳しく語って来られるかと言いますと、ほとんど言われません。だが、日本の神仏筋と関わっていると見えて来ることがあります。それは地獄界の長官は仏教で「閻魔大王」と呼ばれていて「輪廻転生」を司っておられる。キリスト教神学における冥府の長官は「サタン」では無いということなのです。

    仏教で教えられた地獄の長官「閻魔大王(羅王)」の存在は、日本の神仏筋に仕える行者ならば誰もが認めることなのです。この閻魔大王の存在を知ると、スピリチュアルの何をしても神の愛で赦されますのスローガンはまったくデタラメと解って来ます。そんな言葉をまともに受けていれば、死後に地獄に案内されるだけなのです。

     

    私はスピリチュアルの言葉に溺れて、死後に地獄界に行かれることを哀れとも思いません。何をしても神の愛で赦されるのですなど、【道理】で考えればあり得ないと簡単に解ることだからです。それならば、この世の【刑務所】も要らないのです。自分が犯した罪の罰分を受けてこそ、赦されるからです。

    また魂は【ソウル】とかでは意味が解りません。日本語で【玉思惟】として説いてこそ意味が解るからです。スピリチュアルだとかソウルとか言っていたのであれば、何も解らないのです。

    ですからイスラム法典の【目には目、歯には歯を】の論理そのものは正しいのです。仏教では【カルマ】です。それはスピリチュアルで説く【正負の原則】と同じことなのです。ただ、目には目を、歯には歯をの言葉だけを聞くときつく感じて、正負の原則だと解らない人達が居ると言うことなのです。正負の原則に従えば、何をしても神の愛で赦されますなどの言葉は絶対に出せないと解っていなければならないのです。

     

    人の魂とは永遠性を持っている為に、死後の世界に渡り、またもや人として出て来るの繰り返しがあります。それらが【輪廻】であり、この世は【天人の苗床】とか【魂の刑務所】と言われる由縁が起きます。その時、基本的に自己の魂の前世の記憶は消されて出て来ますので、人は自己の前世を覚えてはいないのです。

    だが、人の魂の中には【過去世の自分の記録】がありますので、一部の霊能者の中にはそれを読み取る能力を持たれた方が居るなのです。但し、それがその人の本当の前世なのか?。その人に憑依している霊の生きた時代の想念なのか?。必ずしも解らないがあります。また、嘘八百並べても証明が難しいなのです。そこに【霊感商法】も暗躍します。

     

    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【そなたの前世は悲劇の武将であった。人の魂胆が解らないお人好しで、その為に悲劇で一生を終わった。そなたの今生は人の魂胆を見抜く養いである。】と告げられましたが、自分が前世で誰であったかは、自分の正守護神が出て来て誰であったかは解りました。

    だが、霊能者をしている方で私の前世(正守護神)を見た方は非常に数少ないと言えました。

     

    人は誰しもこの世に出て来ると、【この世の不合理・不条理】に遭遇します 

     

    そうした不合理・不条理によって、自分の命が取られることもあります。また、その被害は自分の家族に及ぶこともあります。それによって、自分が【恨】を抱けば自分が沈みます。

     

    魂は【恨】を持てば地獄に沈む

     

    地獄に落ちるとは、自分が間違っていたとか犯罪者だけではなく、どれだけ自分が正しい者であっても、【恨】を持てば地獄に沈むなのです。

     

    私は大本教から【艮金神・国常立尊】で「艮」の漢字が出されたことに、そこには【退いています】の意味があることは解りましたが、艮の心(忄)は【恨】であることに違和感を持っていました。創造神ともされている神が【恨み骨髄で固まっている】とは考えられないからです。

    それは霊的世界を歩いていて、その人の悪事ではなくて世の不合理・不条理によって被害を被って落ちている霊は多数ありました。それに対して、【恨み】は捨てましょうと説いて、その霊が恨みを捨ててくれると天人界にと戻って行く様にあったと言えます。

     

    人の魂はこの世に生まれて死んでこの世に生まれて死んでの繰り返しです。その過程の中にはこの世の不合理・不条理】を味わうがあります。されど、その【恨み】は捨てなさいなのです。

     

    何故ならば、人は輪廻で生まれ変わるからです 

     

    その為には、【カルマの原則(正負の原則)】をきちんと知らなければならないのです。自分が播いた種は自分で刈り取れです。自分は間違っていないかったが、自分を陥れたと恨むのではなく、そうした者達は天によって裁かれる。裁きは天に任せて、自分はそうした「恨み」は捨てましょうなのです。

     

    何時までも恨んでいると天国では無く地獄に落ちる

     

    そこにはスピリチュアルで説く、【神の愛で何をしても赦されるのです。】などの論理はどこにもないのです。

    この世の不合理・不条理によって【恨み霊】と化していた霊は、その【恨み】を捨てるならば、霊界では助けられます。

     

     

     

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