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魂(玉思惟〈玉形の意識〉)を磨くとは?。その二は自分の魂の出処たる故郷に帰る為に

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    人は何故に魂を磨かないと行けないのか?

     

    それには幾つかの理由が存在するのです。

     

    私達の魂は、肉体の両親から授かったものではない

     

    肉体にはその肉体を産んでくれた両親が存在しますが、人の魂とは魂の世界で生まれた存在が、肉体と呼ばれる魂の器に入ったなのです。ただ、魂が肉体に入った時期に関しては、霊能力者間でも意見が違います。

    例えば、自分はスピリチュアル界の大御所と自認されている霊能者江原啓之さんや、その師匠格である美輪明宏さんなどは、男子との精子と女子の卵子が結合した受胎の時と言われていますが、私が出会って来た伏見稲荷講の諸先生達は【悪阻(つわり)】の時だという見解にありました。

     

    魂が肉体の母胎に入る時が【悪阻(つわり)】

     

    肉体の母親となる魂と、その子供として出て来る魂の波動の違いで、母胎に入ってくる魂の穢れ(悪)を阻止する意識の違いが【悪阻(つわり)】の発生で、その頃に魂が肉体の赤子に入ったとする説です。母胎に入って来る魂と母親の魂との波動に大きな差が無ければ悪阻はきつくなく。その波動の違いが大きいと悪阻がきついなのす。 

    霊媒質者だと解ることですが、自分の意識と違う汚れた意識の波動を受けてしまいますと、吐き気を催して嘔吐もします妊婦の「悪阻」と同じ様な症状が男性霊媒体質者にも起きるなのです。そうなりますと、精子と卵子が結合した受胎時説は出せなくなるのです。だからと言って、別にスピリチュアル界の大御所と自認される霊能者江原啓之さんやその師匠格である美輪明宏さんの説は間違っていると主張しているのではありません。言葉の仕組みからすると【悪阻(つわり)】の時かです。

     

    ただ、そこには自分の親に成ってくれた存在に感謝しなさい

     

    また、霊能力者に見られる事柄に【黄泉帰り(蘇り)】があります。有名な宗教家ですとGLAの開祖であった【高橋信次】師はその【黄泉帰り】の方とされ、人生の道中のどこかで一度【三途の川】を渡っておられるはずなのです。

    この【黄泉帰り】とは、一度は【三途の川】を渡ったけれども、未だこの世でしなければならない任務があるで、この世に戻されてしまうことです。この手の方は宗教家や人並み以上の霊能者になっておられます。その時、それまで世に出ていた魂と霊界に居た自分と同じ魂が入れ替わって出るがあります。

    こうしたことが解っていると、人に魂が降りる時は精子と卵子が結合した時と言う説は否定されなければなりません。世に出ている御神霊と称する霊でも、人は何億個と言う精子の中から選ばれた存在だと、素っ頓狂なことを言われる御神霊もあるにはありますが、魂は父親たる肉体の一つ一つの精子に宿っているではないのです。

     

    お釈迦様やイエスや弘法大師さんなどは、世に出ておられる御神霊よりも霊界では高い次元の魂の持ち主だったことが解っています。そのお釈迦様やイエスや弘法大師さんにも肉体の両親が存在しました。マリア処女受胎説など、本当であれば実に恐ろしいことなのです。もしも処女受胎であれば、必要が無いことを目論んだその正体は誰かとなるのです。

     

    魂は肉体の受胎より後に降りるので、処女受胎の必要性がそもそも無い。

     

    では、その肉体の父親から放出される数億個の精子の一つ一つに、そうした方と成る存在の魂があったのかとなると、違うと解るようでないと霊界では神霊と名乗る者に踊らされてしまいます。

     

    私は霊世界の修業の過程の中で、ほとんど神霊と会話はしていません。そのことに関して豊受姫のお代であった最初の師匠は、【あなたはあまりにも賢すぎて、神様達が近づけない。話せない。もっとバカであるべきです。御神霊がカラスの羽根は白いと言われれば、自分ではカラスの羽根は黒いと思っていても、カラスの羽根は白いと言わなければ神のお代などは勤まりません。】と言われます。

    神霊のお代になるならば、その神霊が出す言葉には逆らわないの意味は解りますが、私はカラスの羽根は黒いと思っている以上、神霊がカラスの羽根は白いと言えば、あんたが間違っていると言うタイプであり。おまえ、本当に神霊か?。と言う者です。カラスの羽根が白いと言うのであればその証拠を見せなさいと、相手がいくら神霊と名乗っていても言う者です。嘘と解るような事を相談者に告げるぐらいならば、神のお代などはしないなのです。また、道理に反する嘘を出す神霊ならば、私はそんな神霊にはいくら霊力がある存在でも仕えないなのです。

    残念ながら、今の神霊世界では100%言い当てる御神霊も、そのお代たる人も存在していません。ですから、神霊世界はまだまだ解らない世界なのです。ただ私達が日常的に接する霊社会は低次元界であることから、動物霊と言われている霊が力を持っているなのです。

     

    私が言霊師たる2番目の師匠の元で【審神(さにわ)】をしている時、その霊が自分は何神と名乗ろうとも、言っている事柄がおかしいと思えば、そこに突っ込みを入れます。相手が自分は何次元の神と名乗ろうとおかまいなしです。そうすると、相手がタジタジとなってその正体が見えるなのです。で、私の主神に成ろうと言う神は存在して来ません。

     

    どの御神霊でも、【賢い者】を嫌います

     

    その霊が言った言葉の中身がおかしければ突っ込んで来るからです。この「賢い」と言う意味は、頭が良いと言う意味ではありません。【賢明(道理に明るい)】者の意味合いです。頭の良し悪しだけならば「学者」がその役目をすればいいわけです。だが、学者に【審神(さにわ)】者は勤まりません。学者は人の目には見えない世界。物理の法則に反する世界。そうした世界の存在そのものが信じられない世界だからです。否定論から入って来るからです。

    お釈迦様やイエスや弘法大師や日蓮聖人。大本教の出口王仁三郎聖師などは【聖人】と呼ばれる段階で、世に出ておられる神々よりも霊界では上位の魂であったとされます。それに次ぐ様な段階が【賢人(道理に明るい賢い人)】で、世に出ておられる神々の段階では自分の家臣的な従属者にはさせられないのです。神霊と言えども、それにお仕えする立場になってしまうからです。

     

    賢い者たる賢者は、道理で神霊を判断する

     

    ほとんどの御神霊は【人型】で見えるなのですが、他に【玉】として見える場合もあります。その時は肉体人に入っているような小さな玉ではなくて、巨大な玉として見えるがあります。神を語る時、その神霊がどれほど【巨大な玉】なのかで判断した方がより的確だとは言えます。

    精神世界でその名を出せばほとんどの方がその名を知る某著名な宗教開祖の方の背後に巨大な玉が写った白黒写真があります。それはその教団の幹部の方達だけが御神体として保有されているようで、世間に一切公表されていません。その写真を見たら、私が述べていることが一目瞭然に解りますが、その写真を私に渡してくれた幹部信徒との方との信義上から世間に公表は出来ません。さすがにあの教祖様ならばの話です。

    私の元にはスピリチュアル系の方から【光のシャワー】写真が多く送られて来ます。そんな写真が撮れたからと言って騒ぐほどのものでもないのです。それはその方が霊媒体質者であることの証明の類いなのです。 自分を写した写真に光の玉が写っていたとしても、それが超巨大な玉ならばいざ知らず、ほとんどの光の玉は詮索する必要そのものがありません。諸神諸霊の段階だからです。

     

    そうした光の玉の大小で解ることがあるのです。スビリチュアル界の大御所と自認されている霊能者江原啓之さんと、その師匠格である美輪明宏さんも語っておられることですが、人の魂はスポイトの一滴たる大きさだとして、その本体はコップ一杯の水くらいの大きさがあるです。

    こうした自己の魂はスポイトの一滴。柄杓一杯の量だとしても、本体の魂はもっともっと大きい容量です。そこに新神道系誕生以後、【正守護神】【本守護神】論が出て来たなのです。つまり、【正守護神はそのコップ一杯の水】たる存在です。

    たが、一般的にスピリチュアルを標榜している大多数の方はそうしたことをまったく理解していないのです。それは、【何をしても神の愛で赦されます。】などの間違った論理を言い続けていることでも解るなのです。

     

    この世に出て来ているスポイトの一滴と称される自分(肉体)の魂が、その魂を汚したとすれば、そのコップ一杯の水たる本体に帰れますか?。自分が生まれ出た魂の世界に帰れなくなったことから、魂の【輪廻転生】が発祥したのです。

    この世に降りて来て、自分の魂を汚して帰れなくなった。だとしても、魂の世界には自分の魂のルーツたる親神魂が居るなのです。そのことを【神の故郷】に帰ると言います。

    そうしたことは仏典などでも、例え話として書かれているのです。私は私に出て来られた家系の御先祖霊が日蓮聖人の分魂であったとは知らずにいましたが、その御先祖霊は私を日蓮宗には導かずに、大本教霊学にと導いてくれました。

    大本教神典では、人の魂は魂の故郷たる親神魂の元に帰るまでは、長い長い辛い旅路を続けると書いています。しかし、聖書や仏典に取り組んでも、人の魂は【神の故郷たる世界に帰るまでの長い旅路】的な内容は存在していません。

     

    人の魂は穢れを取れば、魂の故郷(本体)に帰る

     

    魂を磨くとは、自分の魂の穢れを浄化して清める

     

    スピリチュアル界の大御所と自認されている霊能者江原啓之さんと、その師匠格である美輪明宏さんは、私達の魂がスポイトの一滴の分量だとすれば、その本体(正守護神段階)はコップ一杯の水だと素晴らしいことを説いてはおられますが、そのスポイトの一滴たる自分の魂を汚してしまうと、そのコップ一杯の水たる本体には帰れない。もしもその水に帰れば、そのコップ全体の水を汚す。そこまで説けきれていないのです。それがスピリチュアルの限界なのです。

    ほとんどのスピリチュアル標榜者は、自分には霊が見える。霊と会話するだけで自分は特別に選ばれた者だと錯覚を起こし、自分の前に出て来た霊の本当の正体すら解らない。ですから、いくら神仏が自分の前に出て来たと言っても、本物と呼ばれる霊能者の存在はそうしたの中の千人に一人程度しか出て来ないと言われているのです。

     

     

    この仕組みが理解出来ていると、スビリチュアル標榜者の常套句

    神の愛で何をしても赦されますは説けない

     

     

    スピリチュアルで、自分には天照大御神様が出て来られます。天使長ミカエルが降りて来ますといくら言っていても、こんな簡単なことさえ理解出来ていなかったのかとなるのです。

    日本新神道系で説かれて来ました【魂】の存在、【正守護神】に【本守護神】の存在、そして日本神道の【禊ぎ(身削ぎ)】等の日本の言葉を理解出来れば、この日本は【創造神の言葉の仕組み】で成り立っていると解るのです。ただ、そうした言葉が縦横と連動していることに気づかなかったと言えるでしょう。

     

    自分には魂が在ると気づくならば

     

    自分の魂の故郷に帰りたいと気づくはず

     

     

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