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早く【帰幽】するメリット、デメリット。天の典(法)は一律には説けない

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    人はこの世に生まれ出て来る前、その【籍】は天国界からであろうと地獄界からであろうとも霊界にあります。この世での魂の修行を終えると、元の霊界にと戻るわけですが、今の世でよく学び体験すれば霊界において【進級】が出来ます。逆に今の世で魂を汚してしまうと元の霊世界より【降級】となります。

     

    この世に出て来ることにはメリットとデメリットがある

     

    スピリチュアルで説かれる【この世は遊んでいてもいいのです。】と言った類いの教えに引っかかると、間違いなく元居た霊界よりも降級処分を受けます。

    この世に人として出たい魂は大量にあるからです。その中で選ばれたという論理は嘘ではないのです。しかしながら、そうした教えですらメリットとデメリットがあるのです。

    この世に出て来ると、それまで自分が居た霊世界の仲間(ソウルメイト)に囲まれていた世界ではなくて、魂の修行場なので自分より優れた魂を持った人達。どんなにあがいても追いつけない高い魂を持った人達。自分とはまったく異質な考えの魂を持った人達。そうした魂の人達に出会って激しい劣等感に悩まされるが起きます。人の魂とは今の世がスタートではないからです。

    また、地獄界から赦されて出て来た様な魂の人達とも交わるともなりますと、その影響も受けます。そうした人達の悪しき行為に悩まされるも起きて来ます。俗に言う、【赤信号、皆で渡れば怖くない。】で、悪を覚えてしまいます。為に、この世では降りて来るまでは【汚れていなかった魂】も「悪」に染まるがおきます。この世に降りるデメリットです。

     

    霊界における大原則として、人は【自殺してはいけない】があります。この世に出て来たことが「自殺」に追い込まれる原因だと言っても、この世に出て来ることは誰かから強制されたのではなくて自分で選んだからです。自分でこの世に出て来ることを選んでおいて、予想しなかったと出来事に遭遇して自殺したでは天から赦されないなのです。

    よく子供が思春期になると、【誰が自分を産んでくれと頼んだ!。】と親に突っかかるがありますが、本当はこの世に降りると決めたのは自分なのです。

     

    自分がこの世に生まれ出るのが厭ならば、

    別の魂にこの世に生まれ出るチャンスを譲ればよかったのです

     

    この世に降りて来ることは【諸刃の剣】です。自分が他の人を言葉や暴力等の剣で切ることもあれば、他の人から剣で切られてしまうもあります。為に自分の魂(心)に深い傷を負うもあります。

    この世には他人を自殺に追い込むようなことを平気でする人達が居ます。おかしな優越感を持っていたり、言葉の暴力で人を追い込んだりします。そうした魂は間違いなく魂が捻れ曲がった人達です。魂が【丸い】人は性格が温和であり、そうした行為も言動もしないからです。

    魂に捻れがあっても、その捻れの程度が軽ければこの世に出るがあります。幼児でも性格が温和な子はこの世に出る前の魂が丸く。こんなに幼いのに、この子の捻くれぶりはと思う様な子は元々の魂に軽い捻れがあったりします。人はオギャーと誕生した時、そのスタートラインは同じではありません。生まれ出る環境に過去世の自分のカルマが影響しているのです。だが、魂の捻れは修復可能な程度の捻れなので、この世に出ることが出来たなのです。

    若い頃は捻くれ者であっても、社会の荒波に揉まれて長い年月を経て、年老いた頃は穏やかな人になった。これは捻れていた魂がこの世は魂の修業場であるが故に、魂が丸く(温和)になったのです。その意味から言えば長生きする方が得なのです。長生きすることが【更生】の機会が多くなるからです。

     

    ある時代には人殺しをした。そうした過去を持つ魂も全てこの世に出て来ます。自分の過去世は【聖人君子】でした。それはあり得ないなのです。お釈迦様の前世に関する話として、その真偽は別として船乗りの時代に安酒場で喧嘩をして人を殺めて、その罰として次の世は「猿」に転生させられたがあるという話があります。

    お釈迦様がその前世において、猿に転生したという話はよく出来ています。それは「猿」は奇魂の働きを示しているからです。日本神道で「一霊四魂」が語られますが、和魂は牛。幸魂は羊。奇魂は猿。荒魂は虎。とされますが【牛虎(艮)金神、羊猿(坤)金神】で示されているのです。お釈迦様は奇魂の働きである【智慧】をもって、人々に教えをされたです。

     

    現代スピリチュアルを標榜する人達は霊は見える。霊と会話が出来るとしても「奇魂」の働きがほとんど出来ていないがあります。為に、お釈迦様の教えの説明が出来ずに「愛」一辺倒なのですが、それは「奇魂」がほとんど働いていないことが如実に解ります。愛の「幸魂」と智慧の「奇魂」は相反する立場にあるからです。為に、「愛」ばかりを言っている方の魂の総合点数は低いと成ります。

    私の場合は過去に何をしたのか記憶にはありませんが、【牛】に転生していた時代が存在しています。その時は牛として尻を叩かれ苦役をさせられた。その時の光景が走馬灯の様に出て来たがあります。また、私には【牛頭の人の時代】もあったなのです。それは私が「和魂」の働きが強かったからと言えます。

    そうした他人を虐めて優越感を持つ様な人は、魂が捻れ曲がりが軽度であれば地獄界で済みますが、極度に捻れていると魂の破砕に行きます。あいつは死後には地獄に墜ちて行くのだと解っていても、そうした人から被害を受ける方からするとたまったものではありません。人を虐める者を叱責もせずに、そうした人達を「愛」で赦すことだと言っている人達は本末転倒者なのです。

     

    そうした時、そのいじめられた人を守護している存在が龍神であったりすると、その虐めた者が病気したり事故死したりするがあります。龍と人の子の間のハーフで、言葉を忘れてしまいましたが○○チルドレンと呼んでいます。非常に念力が強い人達が世には居られます。私も人類と呼ばれる存在が誕生する以前には「白龍神」であった時代があります。

    聖書に龍神とは霊界の年老いた大蛇霊とありますが、そうした蛇霊系の龍ではなくて、宇宙創成時の龍神と呼ばれた存在の龍です。

     

    自殺するくらい追い詰められた人ならば、なまじ【この世の苦】に堪えなさいと教えるよりも、【この世を楽しみなさいとか遊びなさい。】と楽な方向に進めてあげる方が、自殺されるよりもいいなのです。

    この世を遊んで終われば、元の霊界よりも降級するかも知れません。しかし、自殺するよりもましだと言うことです。自殺すると地縛霊化をすることを霊能者は体験として知るからです。

    だからと言って、それをメインの教えにしてしまいますと、この世に霊界での進級をする為に出て来ている魂達に対してまで、元の霊世界の地位より【降級】させることになりかねません。

     

    霊能者によっては【水子の祟り】等無いと言われる方達もありますが、私は霊界修業の過程の中では水子霊の浄霊に関わったことがあります。この世に出て霊界で進級しょうと思っていた魂からすると、その芽を奪われたからです。霊能者と称している方達の中には水子霊の霊障など無いと公言される方達はありますが、それは自分がそうした事例に遭遇していないだけの話なのです。霊能者と言えども、自分が体験経験していないと自己過信から否定論に走ってしまうのです。

    しかし流産などにおいては、それだけで魂としての目的が果たされたとする場合もあります。それは魂が肉体に宿る時の苦痛が尋常ではないからです。人の肉体に魂が宿る時とは、精子と卵子が結合した時ではないからです。

    ただ、この説はスピリチュアルの大御所と称される霊能者江原啓之さんやその師匠である美輪明宏さんの精子と卵子が結合する妊娠時とする意見ではなく、実際に御神霊のお代を勤めている実践霊能者や行者の多数のご意見です。悪阻(つわり)の時とします。魂が肉体に入る時の苦しみです。また、母親の産道から出て来る時の苦痛の体験で、この世に出て来る時に大きな苦痛を体験もしているなのです。

     

    そこに、

    霊界における法は、人を見て説けがあります

     

    霊世界における教えは一律に説くことは難しいのです。その師匠は、その弟子の力量に応じて「法」を説かなければならないのです。力量が備わっていない弟子に一律に説いてしまうと、弟子が間違った解釈に入ってしまうからです。どの宗教でも開祖は解っていても、弟子の段階になると教義は学んでいても実務体験が備わっていないとなります。間違った理解をしたりします。

     

    100人の弟子あらば、100の教えが必要

     

    そうしたことを100人居れば、100の「真理」があると説くような人は何も解っていないとなります。それは「真理」ではなくて、理解する力量が足りないことから学びきれないなのです。

    自殺しかねない人に、頑張れ。頑張れと説くのは間違いと言うのは間違った説ではありません。だからといって、自分が【愛】を説くことが「聖人君子的」な感覚を自意識として説く者が持ってはいけないと言うことなのです。

    そこに来るのがイエスの難解な教え。狼が居る荒野の柵の中に居た100匹の羊の内の一匹が荒野に逃げ出した。羊飼いはその一匹の羊を助ける為に、九十九匹の羊が狼に食べられる危険性を顧みずその羊を助けに行った。その羊飼いこそが神だと言う教えです。

    このイエスの教えは常に神学論争の種になります。何故に、神は一匹の羊の為に残りの九十九匹が死ぬ危険にさらしたかです。もし、その一匹を助けて戻って来た時、残りの九十九匹の子羊が全て狼に襲われて食べられていたならば、その羊飼いは自分の行いは正しかったと言えるのでしょうかです。イエスの弟子は、一人としてその疑問をイエスにぶつけなかったのかです。

    そこに、創造神たる主の神は愛の神だと言う錯覚があるのです。全ては創造神から出なかった存在はないけれでも、主の元に帰ろうとしない者は主から離れた存在となるのです。

     

    創造神には全人類を助ける【義務】そのものは無い

     

    創造神が助ける者とは、創造神を唯一神とする者達

     

    私は常にイエスの教えは【言葉たらず】と言っています。神を説く時、常に例え話(方便品)で説くのですが、それでは人は割合で考えてしまうからですイエスの例え話は、聞いた人の頭の中を混乱させてしまいます。例え方が悪いと言えます。それならばお釈迦様の【長者の息子】の例え話の方が優れます。創造神(長者)は自分の元に帰って来ることを待ち望んでおられるです。

    その逃げた子羊の一匹は、他の九十九匹の子羊の合計の価値よりも勝る子羊であれば、神は九十九匹の子羊を見捨てても、その一匹を助けられる。それが新日本神道系で盛んに言われる【九分九厘】と【一厘】の違いの意味と同じなのです。

     

    その一厘とは、1%の人だけを助ける意味ではないのです

     

    私はその一厘を、人に内在する良心神として説きました。それは、良心神を持っている者は、良心神は持たないが、他の99%迄は持っている者よりも先に助ける意味合いです。

     

    天は多数決の論理ではなく、その「一厘」を持つ者を救う

     

    天の神にとって、良心神を持っている者は【宝】なのです

     

    世に出回っている神示の中に、【トドメのフミ】と呼ばれているものがあります。その内容を見ますと大本出口なお開祖や天理教の差し添えであった増井りんさんの名が出て出ていますが、「日月神示も九分九厘」とありまして、それらを考察すると戦後に出た神示と思われます。だが誰が出したものかが解りません。インターネット時代になって、誰かが世に出したもののようです。

    その中に、

     

    一厘ある米と一厘無い米とでは大違い

    があります。

     

    私が説いている内容は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸」で、【米】型に一厘の意味を出しています。一方、単なる米の教えとは「稲荷」の教えで、実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな。

    大本教神典に【白狐は下郎の役で奉仕する】があります。但し、この白狐とは全白狐達のことではないのです。私が豊受姫から聞かされたことは稲荷神界そのものが国常立尊派と反国常立尊派とで真っ二つに分かれているです。一厘ある【米】の教えに敵対する稲荷神達も多数あるのです。実際に多くの白狐が悪神の配下とか反国常立尊派の下に存在しています。

    トドメのフミには、「日月神示(ひふみ神示)」も九分九厘とありますが、日月神示をいくら読んでも「米」の教えそのものが存在しないのです。

     

    この世は「魂の修業場」であり、「天人の苗床」でもあります。人として生きるに当たって人には【寿命】があります。その定められた「寿命」が長い方もあれば短い方もあります。この世でより長く生きればよく学べるではありませんが、何も学ばないのであれば長く生きても意味はないなのです。

    サニワ(審神)の中で、この世を10歳ぐらいで亡くなった子供の霊が霊界に帰って、神界の御用に就いた等が解っています。その子供の魂は、この世での修行期間は10年間でよかったなのです。幼くして死んで可哀想なのではなく、元々が10年間がこの世での修業期間だったのです。

     

    私の肉体の父は私が9歳の時に享年39歳でこの世を去りました。○○ガンの末期で、この世を去る一週間ほど前に私をその枕元に呼び、【父さんは間もなくこの世を去る。大きな翼を持った白馬に引かれた馬車に乗ったお迎えの人が来て、この世を去る準備を言われた。何時までも、その天馬に引かれた馬車とお迎えの方達を待たせておくわけには行かない。おまえが泣くと、私も安心してあの世には行けない。ここで私が死んでも泣かないと約束してくれ。おまえが泣くと、私も後ろ髪を引かれてあの世に行けない。残された母さんのことは、男であるおまえが守れ。これでお別れだ!。】と言います。そして、数日後にこの世を去りました。

    私は父親との約束で泣きませんでした。その様子を見た人達は、私が子供だから父親の死が解らないのだろうと言っていましたが、父親との約束からです。その遺骨の前で49日まで般若心経を何巻も何巻も唱え続けていました。【親父、天国への道を間違えるなよ。】です。

    その光景を見た菩提寺の住職は、こんな子供が熱心に御経を唱えているとびっくりしたそうですが、私は幼い頃から自分は天命を受けてこの世に降りて来た者であり、肉体の父親が亡くなる以前より、旧約聖書の神と称する声から教えを聞いていたからです。だが、私が旧約聖書の神と称する声から教えを受けていたことは、実の両親にも話しませんでした。そうしたことをいくら両親に告げても信じて貰えないと解っていたからです。

     

    天は私に苦難の道を与える為に、肉体の父親の命さえ持って行った

     

    私にはその自覚があるので、苦難を苦難とも思わず乗り越えて来たなのです。豊受姫が私の最初の師匠に、【あれ(私)には、もっともっと苦労を積ませるつもりであったが、あれの母親の神力に邪魔されて苦労を積ませる事が出来なかった。あれは苦労が足りていない。」と泣かれたそうですが 、豊受姫の神力すら遮った私の母親の神力とは私の母親の本守護神が「豊国姫(未申金神)」であったからです。

    確かに、豊受姫が告げられた「私には苦労が足りていない。」はあります。だが、豊受姫より上位神である「豊国姫(未申金神)」は、私にあまにも過酷な苦労を積ませて自殺に追い込みたくなかったなのでしょう。神とは現世御利益を授けるではなく、その魂を磨かせる為に「苦労」を積ませるがあるのです。

     

    神が与える苦労は【試練】であり

     

    この世の「試練」無くして、天国界には行けない

     

    本当の【愛】を知る者は【厳しい】ことを言います。甘い言葉ばかり吐いている者は「エセ(似非)」者と言います。

    現代スピリチュアルは【愛】ばかり言っています。しかし、その【愛】とは聞いていると「エセ(似非)物」の愛と言えます。本当の愛とは、自己の「命」を投げ出して他の人を助ける心が求められるのであって、自分が可愛いでは「愛」は成り立たないのです。 人に愛を説くのであれば。まず、自分の命を差し出すことです自分の命を差し出すのであれば、神はその人を「愛」の人だと言われるでしょう。それは他の人の為に【犠牲】を払った人達と同じ扱いになるからです。

     

    良薬は口に苦し、良薬を飲まずに天国?

     

    例え、この世に生きた時間は短くても、その間に密な経験体験を得て、それを自分の魂磨きにした方は、この世での時間の長さに関係がありません。

     

    世の大立替とは天帝たる創造神がなされることなので、私も絶対に起きるとは断言できませんが、朝鮮に残されていた最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きる。その教えに従った者達は救われるとあり。大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を紐解けば、「米」型で56億7千万の「みろく」が出て来たことは覆せないのです。日本ではあらゆることが、その仕組みになっているのです。

     

    この世に生ある人は必ず死にます。誰も永遠にはこの世では生きられません。

     

    人はこの世の命が終える日まで学びの中

     

     

     

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