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日本神道の【大祓(天津祝詞)】は予言文ともされるが、読めば読むほど恐ろしい内容

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    私は以前のブログにも【大祓(天津祝詞)】に関しまして記事を出していますが、少し違うことも判明してきましたので、中味を改めて再記事を書かせてもらいます。

     

    私の神霊界修業は日本神道界でお世話になりました。その時、当然に日本神道で日常的に唱えている【大祓(天津祝詞)】を唱えるのですが、その文面を見ていて凄いことが書いてあるなとは思いましたが。しかし、そこに書かれている内容に対する実感が全く湧いて来ませんでした。

    日本神話の天の岩戸開けの部分や、大祓(天津祝詞)に関しましては、一部にはこれらは【予言文】であるとの指摘があります。

     

    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する霊声は、日本の神話の【天の岩戸開け】の様な事実はどこにも存在していない。こうした日本の神話の部分は、この私が【最後の審判の時】の為に創作させたものである。そなたはそうした日本神話を学んで、この私が日本の神話に何を秘めたのか。その意味を読み解きなさいと告げられました。

    私からすれば読み解けではなくて、どうしてその意味を直接に教えてくれないのかとなります。しかし、これほど世にニセ神示と思われる物が出回っているでは、誰もが自分は直に国常立尊(艮金神)様の神示を受け取っていると思っているです。それは旧約聖書にも言えることなのですが、誰が本当に創造神の神示を受けたのか解らないところがあるのです。

     

    人に直接神示を降ろすのは危険なので、言葉の仕組がされたのかも知れません。

     

    私は朝鮮に残されていた予言に最後の審判前、人類を救済する為に最後の教えとして【米】一字の教えが起きる。その教えに従った者達は天罰を受けずに済むが、その【米】一字の教えに従わなかった者達の上には【天罰】が降りるという内容のものがありました。私はそれを見て首を捻っていました。誰が考えても【米】一字で教えが出来るはずが無いじゃないかです。さらに難解なのはその「米」一字の教えに従わなかった者達の上には天罰が降りるが、その天罰を受けている中で現れる【白十字】によって救われるです。

    残念ながら、私も未だこの【白十字】の意味は解りません。何故ならば、私はそうした天罰を受けない者達と一緒に新地球の「みろく世」に渡る仕事があり。天罰たる神罰を受けている存在に関わってはおられないからです。それは別の方の仕事と言えます。

    私は大本教神諭予告、【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】の仕組が【米】一字の仕組であると解って、そこから最後の審判で【救世】される教えを始めたなのです。これを【飯屋(メシヤ)】の教えと言います。

    しかし、自分は既存の御神霊達が見えるで、その「米」一字の教えをバカにされる方達は多数あります。そうした方達は、その「白十字」によって救われるか救われないかは私の知るところではありません。

     

    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【私は最後の審判を実施するに当たって、人類を救済する為にそなたをこの世に遣わした。】と言うことは聞かされています。しかしそれは、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一の国で在り、そなたはその仕組を見て人々に告げなさい。】というものでした。まさか、それが【言葉の仕組】だとは思わなかったのです。

     

    私が初めて伏見稲荷山に上がった時、伏見稲荷大社の豊受姫はお代たる最初の師匠を通じて、私に対して【貴方は言葉の神と呼ばれる貴い御方で、貴方の言葉による教えは天帝の【詔】と同じで、貴方の言葉の教えに従えないと言う神は如何なる立場の神であっても、天帝に対する反逆罪で裁かれます。】と告げられたなのです。

    一部の霊能者の方は私を見て、貴方様は【救世主】様ですかと問いかけられるのですが、私はそれは違うと言っています。私が旧約世主の神と称する声から告げられたのは、【肉体のそなたはバカを演じていればよい。神界で働くのは肉体のそなたにはあらず。そなたの魂の方である。】と、告げられているからです。肉体の私には何の【権限】も存在していません。有していないなのです。

    ただ、私は言葉の仕組は紐解けるし、言葉を見ていると解るとか気づくがあるのです。

     

    私は神霊界修業に当たり、豊受姫のお代をされていた方を最初の師匠としたのですが、その豊受姫様からも日本神話の「天の岩戸開け」などの事実はどこにも存在していないと聞きました。何等かの目的の為に、誰かが日本神話を創作したです。

    この【天の岩戸】の「イワト」に関しましては、既に日月神示の岡本天明師により【一八十】の数字を意味する言葉であることは世に明らかにされました。イロハやヒフミの「四八音」で「ヨハネ」と読ませるのと同じことです。日本語と言う言葉は世界で唯一の神の言葉で創造神の教えが仕組まれているなのです。

     

    私は霊能者はしていませんが、地縛霊とか不浄仏霊には遭遇はしました。そうした時に多用するのは【般若心経】であり、そうした霊に【大祓(天津祝詞)】を使うなどはしませんでした。

    どの実践霊能者の方でも、【般若心経】と【大祓(天津祝詞)】の使い分けをなされているかと思います。霊に対する【効能】に違いがあるからです。仏教では、よく【真言】を多用される方があります。仏教の【真言】は短い言霊の並びで効率がよいがあるからです。

    しかし、私個人の体験からすると絶対的な霊パワー能力は【大祓(天津祝詞)】にあると感じられました。霊能者の方達は、特に旧大祓の方が威力があると言われます。地縛化した霊とか不浄仏霊に【大祓(天津祝詞)】はきついのです。ですからそうした霊に対しては【般若心経】が良いとなります。

    だが、霊媒体質者が【般若心経】を上げると、救いを求めているそうした地縛霊とか不浄仏霊に憑依されるがあります。私を助けてください。私を助けてくださいと懸かって来るのです。誰も死後の世界で自分がこんなことになるとは思ってもいなかったからです。ただ、こうしたことは霊媒体質者でないと解っていなかったと言えます。

    仏教で説かれるこの世で悪いことをすれば、閻魔さんに叱られると信じて悪いことをしなかった方は良かったと言えます。 誰しもまさか死後の世界で【閻魔大王】が居るなどとは、口では言っても本気で信じているではないからです。キリスト教神学においては、それどころか冥府の長官を【サタン(悪魔)】扱いにすらしているからです。

    閻魔大王とは、反対に見れば【創造神】であり、イエスがどうのこうのと言える立場ですらないなのです。

     

    霊媒体質者はそうした憑依(霊懸かり)に苦しむのですが、そうしたことを訴えても世間には解りません。まず信じて貰えません。まして医師などには原因が絶対に解りません。そこで神仏の世界に助けを求めて、運良く優秀な霊能者に出会えたならばその弟子となって神霊界修行を積む。その修行によって、そうした霊の憑依(霊懸かり)から脱却出来たり、霊障が緩和されるがあります。

    そうした霊の憑依(霊懸かり)を脱却する修業として、俗に【山の行】と言われる霊山を巡ったり、断食をしたり、瀧に打たれるがあります。何も知らない方からすると、どうして行者は霊山に登り、瀧に打たれたり、断食をするのかとなりますが、霊に憑依される苦しみとは何の憑依も受けたことがない人にとっては解らないものなのです。

    ただ、【山の行】は霊障とか霊憑依には効果があるのですが、自分の魂磨きは【里の行(田の土で実る米)】でないとダメなのです。ですからいくら霊力はあっても、人品卑しい行者が世に出るのです。人としての人格が実らずに霊力ばかりが強いです。そうした行者には【黒龍神】とか【黒蛇霊】ばかりがつきます。

     

    私の最初の師匠は豊受姫のお代で、多くの霊能者からあの先生ならば間違いが無いと言われるほどの実力を持った実践霊能者でしたが、それでも霊の憑依で倒れています。霊からの攻撃で命を落とした行者は数知れずなのです。

    今日迄、霊の世界の存在はほとんど説かれていません。為に、そうしたことを知らない人は、自分が苦しかったら【神頼み】という安易な道を選ばれます。あまりにも霊界の実相に蓋がなされているからです。さりとて、その霊界の実相を知るには大変な作業となります。私にしても、何で多これほど多額の金銭を使って一銭の儲けにもならないことをしているのだろうと思うことが多々ありますが、自分も何かに憑かれてしているとしか言えません。

    スピリチュアルでは金儲け主義の方が多く見られますが、この世で大金を得ても霊界での【徳(悳)】を積んでいなければ、死後の世界はあにはからんやで蛇霊界に墜ちたりします。

     

    私の最初の師匠は豊受姫のお代さんでしたが、私に【信徒さんや多くの相談者から先生、先生と言われていますが、こんな仕事はしたくはなかった。出来れば普通の人として生きたかった。】と語っていましたが、本当の霊能者と言える方は大変な苦労をなされています。そうした苦労を積んで来なければ、他人の悲しみや苦しみを体験として【共有】出来ないからです。

    霊能者と称して、積まれた大金次第で何事も受ける方もあれば、金銭的なことではなく、その人が気の毒だからと金銭抜きで働かれる方もあります。それは自分が苦しんだ体験の【共有】からだと言えるでしょう。だが、気の毒だ!。だけで走っていると金銭的にも体力的にも自分に掛かる負担が大変なことになります。

    そもそもそうした霊障の原因の多くは、その人の過去世のカルマが原因していることが多く、安易に助けてもその人に【自己反省】が見られません。神霊ならばタダで見てくれるのが当たり前式の方がかなり多いのです。

    それは神社に行けば10円20円程度の賽銭で聞き届けて貰っているなのです。そんな10円や20円程度のお賽銭で、その人の過去からのカルマが原因で来ているような事柄を解決してくださる御神霊などは世に一体とて存在しません。もし、助けて貰えたら他の要因です。過去世からのその方と神仏との御縁からと言えます。

     

    私の最初の師匠がこの世を去る少し前、私に【自分は自分の信徒さん達に現世御利益信仰で神信仰をさせるのではなく、人としての「心の在り方」を説いていくべきでした。】と反省されていました。私からすれば、それでも死ぬ前に間違っていたことに【気づいてくださればそれで良し。】です。生前に自分は間違っていたと認識しないと、死後では間に合わないからです。

    そうした内容は私が初めて伏見稲荷山に上がった時、師匠の信徒さんの信仰態度を見ていて、その師匠から自分の信徒達の信仰態度に関して、どうですかと聞かれたので、【どの信徒さんも信仰熱心です。しかしその信仰は神様から何かをして貰おう信仰です。そうではなくて、神様達に対して何をして差し上げるか。神霊世界に対して功績を挙げれば、世に出ておられる神様達よりも上の世界に行けますよ。】と言ったことに対してです。

    するとその師匠は、私に【神様達よりも上の世界に行けるのですかと】と尋ねられたので、【その信仰如何で、神社に祭られている御神霊達よりも高い世界に行けますよ。】と答えた経緯があります。 何故、その時にその師匠は弟子にした私に聞いたかと言いますと、豊受姫から私が【言葉の神】と呼ばれる存在で、【天帝】の遣いたる存在だと告げられていたからです。

    それは私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、【人の心の在り方】と【自己の魂を磨く】ことを幾度も幾度も教えられていたからです。

     

    現世御利益は、神の存在に目覚めさせる【手段】

    そこからの【踏み出し】が大切なのです。そして、【人は神の子・神の宮】です。

     

    インターネットの時代となり、インターネット上で無料の霊相談されていた霊能力がある方達が、次々とインターネット上から撤退されました。まるで無料が当たり前で相談を持ち込んでくる人達に嫌気がされたのでしょう。自分の【好意が仇】になっている。ことからです。自分の置かれた現状に文句ばかり言って、自己の向上心がどこにも見られないからです。

    優秀な霊能者の方達は、自分が死後に行く霊界の次元をほぼ把握されているがあります。だからと言って、相談者本人に魂の向上心が無いと、その人を霊界での次元を上げてはやれないなのです。それは大金を積まれたからと言って出来ないのです。本人に気づきの覚りが要るからです。誰かを拝めば霊界での次元を上げて貰えるではないのです。

     

    私の最初の師匠は、ある相談者があちらの神社こちらの神社と参り、何の御利益も無いとなるとその神社のお札をポイ捨て。どこかの神社の御祭神の怒りを買って、その息子さんは失明にいたりました。

    それを気の毒と思ったその師匠は、伏見稲荷山の【眼力大神】の元に行き、その人の目を開けてやってくださいと24時間も土下座平伏して眼力大神の前で祈り続けて、少しは目が見えるようになったがあります。神をも拝倒すと言われるものです。何神かの怒りを買っている者を助けるは、その怒っている神との悶着も考えなければならないので簡単に引き受けなどできないのです。

    無論、それはナザレのイエスが盲目者の目を一瞬に開かせたと言う話とは比較にはなりませんが、それを一銭の礼金も貰わずにしたがあります。自分の中に金銭ではなく必死になれる感情が湧かないと出来ないのです。

    そうした奇跡の数々は、その祈る人の魂の段階に応じて違います。お釈迦様やイエスや弘法大師や大本教の出口王仁三郎聖師は非常に魂の世界で位が高い方であったから、不思議なことも出来たとも言えます。

     

    私も修業の初めの頃は、相談者に頼まれてどうしても断ることが出来なくて渋々お祈りをして、大国主命様でしたが、御神霊がここまで聞き届けをしてくださるのかを体験しましたが、助けた人が私から神様に御礼をしてくださいと言っておいても何の御礼もされない。誰かに頼めば神様が何とかしてくださると言う安易な人達。そうした体験をして、私は肉体を持った人の為には基本的には祈らないと決めたと言えます。

    私が助けているのは自分がすがる為の肉体を持たない霊に対してだけです。肉体がある方が自分が困って助けて欲しいのであれば、自分で神霊に直接に祈りなさいと言うだけです。その人の祈りが神をも動かすはあるのです。

     

    大本教霊界物語には【言霊合戦】が出て来ます。日本神道で使用されている天津祝詞(大祓)は強力であり、相手が神霊であっても祝詞で倒すほどのものです。

     

    その大祓を見ますと、

    【我が皇御孫命は 豊葦原瑞穂國を安國と平らけく知ろし食せと 事依さし奉りき 此く依さし奉りし 國中に荒振る神等をば神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 語問ひし磐根樹根立草の片葉をも語止めて】があります。

    この【皇御孫命】とは、天照大御神の孫、瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと) のこととされていますが、これもまた実際にはどうなのかとなります。予言書と見る向きもあるにはあるのです。

    問題は【語問ひし磐根樹根立 草の片葉をも語止めて】にあります。それは磐(いわ)や樹木や立草すら会話する言葉を失うほどのものだと言うことなのです。

    そして、祝詞の後半に罪と言う罪は在じと出て来る物は、【科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝の御霧夕の御霧を朝風夕風の吹き払ふ事の如く 大津辺に居る大船を舳解き放ち艫解き放ちて大海原に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を】とありますが、それは祝詞で宣っていても理解出来ないことなのです。

     

    それは実に恐ろしい光景を宣っているのです

    それは誰も体験したことがないような、あらりあらゆる物を吹き飛ばす暴風雨のようなことです。人の魂の罪(過去世からのカルマ)を祓い清めるとは、神社の神主が祓い串を振っているような事柄ではないのです。

     

    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、豊受姫を初めとして幾多の霊能者から貴方の本守護神は【国常立尊】様との指摘を受けました。その【国常立尊】様は日本神話の天の岩戸開けを含む神話の部分は、全て最後の審判の時の為の自分の創作だと告げられました。

    日本の記紀神話は【奈良時代】に編纂されたものであり、1300年ほど前に編纂されたもので、シュメールとかメソポタミア、エジプトやインドや中国に残る文化や文献には太刀打ちが出来ません。どうしてこの様な内容が日本の神話や祝詞になっているか?。です。 日本神話には何が秘められているのか?。日本の土地は神的にどのような場所なのか?。日本列島は世界の大陸の【雛形】と呼ばれる様な不思議な型を持っています。そうしたことに気づきを持たないと、これから来る大嵐(祓い)に対処出来ないことにもなります。

     

    げに恐ろしきは日本神道の大祓(天津祝詞)の内容

     

    だが、全ての人の魂に【祓い】が出来れば、そこに居る人類とは魂に汚れが無く【光輝く】存在ともなるのです。

    人類の神あがりです

     

    それだけ強烈な【祓い】が来るとも言えます。世の大立替と呼ばれるものは私が豊受姫から【大嵐】と告げられたような事象であって、心に【備え】を持つべきなのです。

     

    私はブログにも書いていますが、黒海黒龍神の浄霊の時、私の腹は妊婦腹となって、目を閉じて額(第三の目)を太陽に向けて天照大御神様と唱えながら天津祝詞を奏上すると、トイレに走って下痢をするをしました。その後も、大量の霊に憑依された時には目を瞑って自分の額の場所に太陽光線が来る様にして天津祝詞を上げます。すると、ほとんど霊の憑依による体力の衰えは解消します。

    スピリチュアルでも神社で祝詞を上げると、自分の額に【光】が入る。そうしたことは語っておられます。確かに、神社で祭壇に向かって祝詞を上げれば微力な【光】は来ます。しかし、それは太陽から受ける光線とはまるで違うのです。

     

    最近、ようやく解って来たのですが、天津祝詞はあまりにも長いので、後半の【かく宣(の)らば】から祝詞の後半の部分を、太陽に向かって目を閉じないと太陽光線で目を焼いて失明する危険性がありますので、必ず目を瞑って額(第三の目の部分)を向けて祝詞を唱えると、単なる太陽光線では説明が出来ないことが起きると以前から解ってはいたのですが、更に光を増しています。

    それは伊勢神宮の神霊からの光ではなくて、

     

    現ナマの【太陽神】の光を身に受けるなのです

     

    それは、自分に憑依している霊を大祓いする

    それは単に太陽の元での「日光浴」ではなく、太陽に向かって【天津祝詞】を「奏上」することに意味があったなのです。人の【額】の部分は【客】の字がありますが、【客神】は第三の目から来ることは知られています。

     

    私は以前にもそうしたことは書いていて、私のブログの読者の方達の中には以前からそれを実行されている方達はありましたが、単に霊の憑依の時から逃れる為の手段ではなく、これから来るであろう【大祓】に対しての道でもあるなのです。

    単に太陽から受ける光と祝詞を上げながら受ける太陽の光とでは、霊に憑依されていなくても違うと解るのではないでしょうか。

     

    私の驚きは、

    創造神の「計画」は、そこまで含んでいるのか!

     

    もう神社に鎮座する御神霊にすがる段階では無いと言えます。

     

     

     

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