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低級霊の憑依は犯罪を誘発し、高級霊の憑依はその人の性格の向上心につながる

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    大本教から【人は霊止(ヒト)】であると発表されたのですが、人の肉体とは魂の服と言われるように、魂の容器にしか過ぎません。現在、新日本神道系の多くでは【人は霊止(ひと)】であると言いますが、これは特筆すべき内容だったのです。何故ならば、こうした教えはキリスト教やイスラム教等の古来の教えには存在しないからです。

    人の肉体から魂が抜けますと、肉体そのものは生きてはいますが【腑抜け】と呼ばれる様な状態になります。【心ここに在らず】です。それは自分の肉体に【精神】が無いでもあるのですが、人の肉体と魂とは別物の証と言えます。

    仏教には人に死後の世界の存在を教える事柄として、魂の【輪廻転生】の教えはありますが、人の肉体は【魂の服】だという追求論までには行っていません。何故、魂は【肉体】と言う服を必要としたのか?。そこが解っていないと、人間以外の別の肉を持った存在に魂が【転生】する意味すら理解出来ないとなります。単に人から動物等に転生したら大変ですよ的なことで終わっています。

     

    魂が肉体を有するのは、魂の汚れを取る浄化の器官

     

    汚れたままの魂で永遠に行けるのか?。それが解っていないと何故に人の魂は他の肉体を持った動物にも【転生】しているのか?。何故に霊が人に【憑依】するのか?。意味そのものが解りません。

    人は肉体の命を終えれば魂の本来の世界である霊界へと旅立ちます。これが本籍は霊界で現住所はこの世と言われていることです。霊界とこの世はまったく別の世界なので、死後の世界をあの世(彼の世)と言い。向こうの世界に渡ることを仏教では【彼岸に渡る】と説いたのです。

    だが、彼の岸に渡ると言う意味は別に春分とか秋分の日とは直接には関係はないのです。何故ならば、年に2回の彼岸の日でないと霊は彼の岸に渡れないのかと言いますと、そんなことはないからです。

    しかしながら、彼の岸に渡れずにこの世にウロウロしている霊に人は憑依されたりします。そうした霊は低級霊とか不浄仏霊等と呼ばれているのです。そうした霊を供養をして【彼の岸】に渡らせる意味を知る為の【習慣】として、彼岸の供養日はあっていいとなります。自分の肉体の御先祖霊に対する供養を忘れてはいけないからです。

     

    彼の岸を渡った人は、この世のことは過去の彼方

     

    自分の夢の中に死んだ親が頻繁に出て来る様だと、これは未だその霊は【彼の岸】を渡れていないのです。自分が親が夢枕にさいさい出て来る様では、肉体の縁で家族として縁を結び。親と成ったことから肉体の子供が心配で心配で彼の岸に渡れていないのです。また霊界に渡る条件に関して問題があるなのです。

    そうしたどっちつかずの世界のことを【中有界】と呼んでいるのです。未だ天国とも地獄とも定まらずです。これが解っていないと仏教の【三途(天国・中有界・地獄)の川】の意味が解らず、人は死ねば天国だと言う誤った論理に入ります。ほとんどの魂は【輪廻転生】を煩雑に起こす【中有界】にあるとも言えるからです。

    今、スピリチュアル世界でも新興宗教でも【中有界】が消滅して行くと言われていますが、最後の審判と呼ばれれる事柄を持って「中有界」は消えて、天国界か地獄界かに別れるなのです。魂が消滅するのならば話は簡単ですが、永遠に地獄界等の苦しみの世界になってしまうのです。為に、心ある御神霊達は人を使って早くから【警告】を発し続けておられると言えます。

     

    人の肉体は遺伝子によって親子関係は成り立ちますが、魂の世界の親子関係ではないのです。肉体の親子は一時の親子関係なれども、魂の親子関係は永遠性を持ったものなのです。

     

    つまり肉体のルーツと魂のルーツは別物なのです

     

    魂のルーツとされる存在のことが新日本神道系で【正守護神・本守護神】と呼ばれていることなのです。こうしたことはスピリチュアルでは教えてくれません。せいぜい「ソウルメイト」の存在なのです。

    霊界では自分と同じ意識の者が集まり社会を形成します。その自分と同じ意識レベルの魂が住む世界の「友人達」がソウルメイトなのです。私は「ソウルメイト」に意識を持って行くと、この世に魂の修学に出た意味が解りません。霊界に戻っても同じ意識界で留まってしまうからです。私はソウルメイトを言っている段階は【ドングリの背比べ】と言っています。

     

    全ての人に【魂】と呼ばれる存在があります。その【魂は誰から】生まれたのか?。どこから生まれたのか?。ソウルメイトが自分の魂の親ではないことぐらい簡単に解ることなのです。

     

    ソウルメイトは魂の世界の友人・仲間達であっても

     

    自分の魂の親子関係では無い

     

    平たく言えば、ソウルメイトなどを打ち出している段階は魂の世界での【進級】が出来ていないということなのです。自己の魂が暮らしていた出身の元の世界に戻ろうとしているだけで、自己の魂のルーツで在る正守護神・本守護神に向かっていないなのです。それは神の高山とされる【合目】とか【次元】を知ってれば簡単に解ることなのです。

    ただ、霊界での高次元世界に進級の道を選ぶのか、停滞を選ぶのか、はたまた降級を選ぶのかはこの世に出ている個々の魂の判断と言えます。ソウルメイトを言っている間は、その段階で留まって停滞となるのです。

     

    霊界では同一の意識を持った存在が一つの社会を創って行きます。その魂の意識の状態で【天国界】とか【地獄界】と呼ばれる世界が形成されます。しかし、そこには三千世界と呼ばれる様に多様の世界があるなのです。

    この世は魂の【修学場】なので、いろんな意識の世界の魂が一つの場で生きます。しかし、霊界はそうではありません。お坊さんが葬式の時に御経を上げてくれたから、極楽に往生ではありません。葬式の意味合いは、この世から彼の岸に渡ったことをその魂に告げる意味合いと言えるのです。この世とのお別れを本人に自覚させる為と言えます。

    ですから、そうしたことをキチンと理解している方ならば、葬式などは不必要と言われるでしょう。坊さんや牧師が【天国】に送ってくれるではないからです。そこに死者には霊界からお迎えが来ると言われているのです。

     

    極楽(天国)に往生するかしないかは、この世の生き方次第なのです。

     

    そもそも霊界では同じ意識の魂(ソウルメイト)の集まりなので、違う意識の魂がその世界に紛れ込んで生きる事は難しいのです。ですから地獄に墜ちてしまうと、そこから脱却が難しくなります。そうした意味を知っての「ソウルメイト」の説明ならばいいのですが、スピリチュアルでは「ソウルメイト(魂の友達)」の言葉が、そうした言葉を出すことがまるで自分が特別の存在の様な者だ式に語られています。

    私個人の偏見ですが、私が見る限りスピリチュアルという言葉を連発する方で、【高次元界の魂】の持ち主だと思える方を見たことがありません。お釈迦様やイエスや弘法大師や大本教の出口王仁三郎聖師とはまるで違うのです。

     

    魂は【玉思惟】であり、思惟(意識)を持った玉 

    磨かれた魂(玉思惟)はその表面は磨かれて水晶球のように見えます。逆に汚れた玉思惟はその表面から毛物が出ています。

     

    これが人の顔をしていても、その魂は【獣(毛物)】

     

    その魂が腐った様な状態ならば、その魂は悪臭を放っています。魂の中味まで腐ろうとしているのです。この世を尖って生きている人の魂は丸くなくて、魂が角を持った尖り(トンガリ)だらけとなります。魂が【○】と成らないのです。こうした魂には魂の【核】たる存在が見受けられなくなり、すなわち天帝の直霊たる分魂(良心神)が見当たらないとなります。

    そうした魂の多くは優秀な霊能者達は魂が破砕されると言います。そうした破砕された魂は、次の世はミミズとか昆虫とか蟻とかボウフラの様な生命体に成るとされています。

    仏教では万物に霊性が宿ると説きますが、全ての物に【霊性】はあるのです。ただ、魂が在ると説くことと、生命には「霊性」が宿ると説くことは次元を異にするのです。蚊やゴキブリにも魂が在ると説いて、そこにどれだけの意味があるかです。

     

    人の魂とは、神に似せられた肉体を持つ最高の地位

    いくら蚊やゴキブリも命ある物と言っても、そこにはその命に月とスッポン様な差があるのです。一度、そうした世界に墜ちてしまうと、次に人として出て来るには一億年は掛かると言う説すらあるのです。人は人としての肉体を貰っている間に神に成る昇格をする必要があるのですこうしたことを大本教では【人は神の子・神の宮】と説きました。

     

    そうした魂が破砕された欠片も【霊】であり、魂は破砕されても【霊として意識】を持っている場合があります。人の数よりも霊の数の方が圧倒的に多いとされているのは、霊性はあらゆるに物にあるからです。

    そうした魂が破砕された霊の欠片は【埃(ちり)や塵(ゴミ)】の類いですが、霊性を宿していて人に付着憑依する存在でもあるのです。

     

    希に犯罪者の中に自分は霊に憑依されて犯罪を犯したと抗弁する犯罪者が見られます。日本の刑法では、【責任能力(事物の是非・善悪を判別し、それに従って行動する能力(=良心の働き)が存在しない状態を責任無能力(状態)と呼び、責任無能力として【心神喪失や心神耗弱(こうじゃく)】が言われるわけです。

    かって、この日本で幾人かの少女を誘拐して殺して死刑になった事件があります。本人は多重人格者(裁判の精神鑑定では精神分裂症と判定)で霊に憑依されていました。この犯人が申し立てていたことは、裁判では全て否定されましたが、裁判で霊等を言っても通りません。その裁判時の精神医の判定は「精神分裂症」で現在は「統合失調症」と言います。

    しかし、優れた霊能者サイドから見た時には全て霊の憑依が原因と解った事件でした。だが、弁護士が霊能者を精神鑑定人として裁判に呼ぶなどは、天地がひっくり返ってもないでしょう。そもそも裁判所も検察も霊能者を鑑定人としは認めません。

     

    私の最初の師匠は豊受姫のお代で、その豊受姫が言われた内容を「名誉毀損」と裁判所に訴えた方があり、戦後間もない豊岡の地方裁判所でのことでしたが、【神は存在するのか?。存在しないのか?。】となって、神の存在証明として裁判長の机に空のガラスコップを置いて、そのコップに水が満たされるかで神の存在証明とするで、その裁判長の机の空のガラスコップに満々と水が満たされたことから、その裁判は名誉毀損で訴えた方が自らの犯罪を認めて取り下げて結審となり、それはその地方の新聞ニュースで流れたと言われています。

    私は伏見稲荷山で修業をさせていただく過程で、数々の奇跡を見て来ています。学者など絶対に信じられない内容です。そうした中味はスピリチュアルの言葉では語れることではないのです。私は自分が「救世主」だと呼称する人達も見て来ましたが、そうした方が見せる奇跡にしても、本当に【行者】と呼ばれる方でしたら見ているなのです。とてもその人が救世主などとは言いません。

    物理の原則に外れる「奇跡」の数々は、霊界や神霊の存在証明にはつながりますが、【真理】を告げるではないのです。だいたい人には「魂」が存在し、希には一人の肉体に複数の魂が宿っているなど、医学界が認めることなど永遠に無いと言えます。

     

    自分は霊に憑依されたから罪を犯したと言って、その犯罪者を神が赦すとかとなったならば赦すはありません。何故ならば、本人が【心神(精神・魂)喪失】に入った時には、既にその肉体にあった本来の魂は喪失しているからです。こうしたことは、私の以前のブログに蛇霊による魂の食い破りを書きましたが、肉体を持たない霊は自分の汚れを浄化する為に肉体を欲しているなのです。

     

    ある霊能力者の方は前世が密教の行者で、その当時は大日如来の神力の元で多くの方を救っておられたようです。しかし、その救いとは現世御利益的な内容で信徒の魂を極楽(天国)に救うではなかったようです。現世においてもその当時の信徒の霊達がその後身の肉体にもすがっていて、その方の両足は救いを求める低い霊の懸かりで足先から冷たくなり、それが原因で足の骨まで変形していました。

    その方は今生では前世の様な行者とは成らずに在家として、神仏信仰の修業に努めながら汚れた土地の浄化にも尽くされたのです。すると不思議なことに、その方に前世の縁からすがっていた霊達も何時の間にか浄化され、変形していた足の骨が元の状態に戻ったのです。そして、その方の生活も良い方向へと向かったのです。

    私も低い霊の懸かりで曲がっていた足の骨が元の正常状態に戻ったことには驚きでしたが、汚れた土地の浄化をされたことが、神界に対する【功績】に繋がったと思われます。人が持つ【カルマ】とは容易には解決出来ないと思い知った出来事です。

     

    私も霊媒体質者であり、日本神道で言う【サニワ(審神)】の時には「霊媒者」のお世話になったのですが、霊能者霊感者は無数に居ても神霊を媒介出来る霊媒者ともなれば、極端に数が少ないのです。そうした霊媒者に低い霊が懸かると、その霊媒者の足先は冷たくなります。その時には、言霊でそうした低い霊の【除霊】をしていました。そして、私自身も大量の低い霊の懸かりで、足先が冷たくなるなどは日常茶飯事と言えました。

    私は言霊師の二番目の師匠の元に居た時、その師匠から「おまえは霊界の歩く浄霊マシン」と言われていましたが、その日々が浄霊に明け暮れていたと言えます。こうした足先に懸かって来る低い霊とは救う必要が無い霊と言えます。何故ならば、それらは魂そのものではなくて【思いをもった思念】たる霊だからです。思念たる霊をいくら消しても、それは魂を消すとは意味が違うからです。

    そうした【思念(死ねん)】の霊を消して行かないと、そうした【思念】に憑依された人達が罪を犯すことにもなるのです。 世に霊が見えるとか霊と会話出来るからと言って、スピリチュアル標榜をされる方達は多数在ります。しかしながら、そうした人達が霊界の掃除に尽力をされているのかです。

    最後の審判においては、霊能者やスビリチュアルだからと言って無条件で【みろく世】には渡れません。そうした霊能者は、どれだけ霊界の掃除に尽力したかが問われて来るのです。霊界の掃除をしても誰も一円のお金もくれません。無償で働く精神が要るのです。 創造神は、貴方はそうしたことに【無償】で働けますかと問うておられるなのです。

     

    一方、高い神霊が自分に懸かると肉体が火が燃えるように熱くなることは、優秀な霊能者達には知られています。そうした霊が自分に降りると、自分自身が変化して来ます。自分の魂が【内部】から変化を起こして来るのです。

    そうした時、自分の性格が顕著に変わることが解って来ます。昔の自分の意識がどこかに消えてしまうのです。それまでは悪い連中と連んでいたのに、そうした存在と自然に縁が切れるです。そして神仏信仰に目覚めるです。

     

    悪と連んでいる時はこの世は面白い

     

    何故、人は突然に苦しい神仏信仰に走るのか?

     

    そして更に進んでいくと、【あるがままの精神】に向かって行くなのです。一部のスピリチュアル標榜者は【あるがまま】の言葉を説いていますが、あるがままは言葉では理解出来ません。自己の魂が霊界でも高い霊と同調して行く過程で起きて来るなのです。

    何故に、日本の新神道系で【正守護神や本守護神】に向かって行きなさいと説いたのか?。それは霊が見えるとか霊と会話が出来るではないのです。自分の魂で高次元世界に居る自分の魂との同一化なのです。そうした魂の存在は「ソウルメイト」とは言いません。

     

    正守護神・本守護神はソウルメイトよりも

     

    遙かに高い次元に存在する自分の魂なのです

    高い次元界に居る自分とは、肉体の自分とはまるで違います。それこそ、光輝いている自分なのです。

     

     

     

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