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霊学癸魁 ̄宙の始めは無なれども、ひふみ(一二三)の論理によって成り立った

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    仏教では、私達が住む宇宙の始めは【無】であったが、その【無】から【有】が生じたとします。

     

    されど、科学や物理学では【無から有は生じない】

     

    科学では宇宙の初発は小さじ一杯程度の物質が【ビッグバン】を起こして膨張して成り立ったとします。その論理でも、その小さじ一杯程度の物質はどこから湧いたのか?。があります。どうやっても科学の大原則では【無から有は生じない】なので、どうあがいても科学では神の説明は出来ないのです。

     

    日本語における【ひふみ】の並びは祝詞とされていますが

    ひふみ(一二三)で宇宙の成り立ちの説明は出来る

     

    日本の記紀神話では、この宇宙は【混沌(物事の区別・成り行きがはっきりしないさま)】から生じたとします。西洋では【カオス(天地創造以前の状況で、混沌が転じて大混乱)】とします。どちらも似たようなものなのです。

     

    ここから私が書くことは、大本教の【霊界物語】に似た内容ではありますが、私自身が霊界から見せられた宇宙の成り立ちです。

    それが本当に正しいのか?。私は霊的世界から単に欺されている者なのかは私自身もよく解りません。ただ、私が見せられた宇宙誕生の初発時の霊的映像からの説明です。

    私は幼い子供の頃から、この宇宙の涯(果て)。その涯(果て)はどうなっているのか知りたいと思っていました。光的には約137億光年先。論理的には480億光年とする説などがありますが、宇宙が膨張している先端はどうなっているのか?、まったくイメージが掴めないがあります。宇宙の境界がよく解りません。もしもその先に空間があるならば、そこはどうなっているのかとなります。

    いくら科学が発達しても、実際に神社等に鎮座されている御神霊の存在すら今の科学では証明が出来ません。そうした科学者達は自分の目に霊界の存在が見えないことから単に脳内妄想と片付けて、死後の世界などを言うとインチキとかオカルトとか馬鹿にされるだけなのです。さりとて、そうした神社に鎮座されている神霊にそうした宇宙のことを質問しても何も解らないなのです。答える神霊も居ないでしょう。神と呼ばれる自分達がどうして神霊と呼ばれているのか?。それすら理解出来ているとは思えません。

    つまり、世に出ている神々にも宇宙のことはよく解らない。為か、神々には創造神の存在すら解らないが起きていると言えます。この地球は記紀神話に【根の国・底の国】とあるように、宇宙次元と呼ばれる世界では低次元界にあたります。為に、宇宙創造神の存在はよく解らないとなります。

     

    ・私が霊的に見せられた宇宙の初発には何も無かった(無)。

    ・そこに微細な霊的存在が湧いて来た。混沌の始まりです。 

    ・その微細な存在は膨大になり、そこに【力】による回転運動が生じた。

    ・やがてその中心部が大きく孕んで、その真ん中に【目(宇宙の膣)】が開いた。

      この状態は【台風】の水蒸気の集約で台風の中心に目が出来るのと似通っていました。

      最近語られるブラックホールとかホワイトホールのことかも知れません。

    ・その膣から、宇宙の卵たるカプセル状の物(霊界物語では円筒形)が生まれ出た。

      このカプセル状(円筒形)から宇宙の星々がバラ播かれて誕生をした。ビックバンです。

     

    ・その後、大宇宙の【意識】が万物の【想像】に入った。

      だが、それらは想像の【絵】であり、命を宿していなかった。単なる【絵】です。

    ・宇宙の大意識体は、それらの絵に神の【息】を吹いたことによって【想像】から【創造】にと入った。

     

    ここに【想像神(意識体)】=【創造神】

    その大宇宙意識体たる神の【息】を、創造神の【自らの心】と呼ぶ

     

    この世には善悪と呼ばれる事柄があります。そうした悪も全て創造神が源になっているので、悪だと攻撃するべきではないと言う意見があります。確かに悪も源は創造神だと言えばそうなります。しかし、創造神は意図して【悪】を生み出したのではないのです。

    命(いのち)とは【息(い)の霊(ち)】の言葉の意味とされますが、その息は【誰の心】かとなります。前にも書いていますが、【悪の亞】は主(創造神)を亡き者(墓に葬った)の意で、創造神の存在を忘れた人達の心のことなのです。

     

    その宇宙意識体(想像)神の【息吹】で万物が【命】を宿したことから、この【命】を【御言(みこと)】と言う。

     

    日本では【命】の漢字を「ミコト」と呼ぶのはそこにあります。

     

    聖書においては、【始めに言葉は神と共に在った】としますが、それは想像神が何々あれと言葉を発したから万物の命が出来たではないのです。私は【言霊】が何であるかと解った時、私がそれまで持っていた【神観】は全て吹っ飛んだと述べているのもそこにあります。

     

    ある方から私にメールで質問がありました。日月神示に「この神(艮金神)が人民に成り代わって天の神様に日々お詫び申し上げている。」とありますが、これは【天之御中主】様に対してですかとありました。大本教霊界物語を読んでいると、それは【天之御中主】様だと解釈してしまいます。それは【天之御中主】様に対してではなく、【言霊神】と呼ばれる存在に対してなのです。この宇宙を創った力の源が【言霊神】だからです。それらは神社に鎮まっている神々ではないのです。

    大本教からは【スの神】が出されましたが、それは言霊神の中の一部の存在なのです。為に私は出口王仁三郎聖師が出された【スの神】ではなく、【ラの神】で説明して来ているなのです。その【ラの神】の働きは、天においては【天之御中主】様の働きでもあり、伊勢神宮の天照大御神ではない【真性天照大御神】としての働きになるのです。

     

    それらの【言霊神】を全て統括するのが【みろく(三六九)大神】となるのです。これは大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(火水)】を理解すれば解ることではあったなのです。しかしながら、大本教神諭に【九つ花は誠(言成る)から咲く花なので、誠の者でないとそのお世話が出来ない。】とあるように、誠(言成る)をバカにしてスピリチュアル思考で走ると解らないなのです。

     

    想像神の【息】=神の【言葉】

    この【御言(命)】は意識の【識】の漢字で解るように、【言葉と音】なのです。 

     

    すなわち、言葉とは【音の波】で 

     

    音は【日立】であり、霊光を放っている

     

    日本語の【一】を【ヒ(霊)】と言うのは、無から「霊」が湧いた

    日本語の【二】を【フ】と言うのは「吹く・噴く」などの【力】の事象

    日本語の【三】を【ミ】と言うのは「身・実」たる【体】が出来た

     

    大本教では【一】を「ひと(一霊四魂)」

    大本教では【二】を「ふた(厳瑞八力)」

    大本教では【三】を「み(三元)」  

     

    としたのですが、これだけでは宇宙の初発の映像が解りかねないとなります。ただ、【二(ふ)】で表される吹く力とは、陰陽の【厳瑞】に【八力】が関わっているなのです。

    やがて人類は【二つ】の道に別れて行きます。そこに【七の世】は終わり。永遠の【八(∞)の世】が起きるなのです。

    創造神が恐れておられるのは、その時になって【永遠に別れるならば、どうしてもっと早くから宣伝しなかったのだ!】の文句なのです。為に、その前宣伝が明治25年から延々と続いていたのです。

     

    日本語の【一二三(ひふみ)】とは、【霊・力・体】を意味する

     

    だが、ひふみ(一二三)祝詞をいくら宣っても意味が解らずに宣っているでは、空念仏みたいなことになります。これを英語で【ワン・ツゥ・スリー】等と言っても、単にそれは数字の順列の表しであり、【神は言葉なりき】を数字で説明出来ないのです。

     

    私が【神】と言っているのは、この宇宙の【意識体】のことで

     

    神社等に鎮まっている御神霊達のことではないのです

     

    為に想像神(創造神)信仰には何の現世御利益もありません。自分がそうした創造神の段階に少しでも近づく為に努力をしているなのです。

     

    私達は【神】と言ってもよく解らないと思います。夜空を【月夜見】していますと、もう数が数えられない星々が輝いています。その数は「天文学的」数字です。その夜空の星を見ていて、宇宙は広い。それに引き換えて【人は実にちっぽけな存在】だと認識出来ます。

    なのに、自分には神社の神霊が見える。人は一人一人が創造神などとバカげたことを言う方達があります。神と言う存在を【神社】に鎮座している霊界人だと思っているからです。 その夜空に輝いている星々の大部分が【恒星】と呼ばれている【太陽】達です。仮にその太陽神を【天照大御神】と呼んだとしても、宇宙ではその数は天文学的数字であり、私達人類が所属する太陽系の太陽よりも遙かに巨大な太陽達が天文学的数字で宇宙には存在しているのです。

     

    私は自分を【いと小さき者】と言っています

     

    別に自分を謙遜して言っているのではありません。夜空に輝く星々を見た時、どうして自分は偉い者だとか、高き者だと言えるだろうかなのです。

     

     

     

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