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霊学癸掘,釈迦様の悟り【人に内在する良心神】は何故埋没?。良心神だけでは人は食べていけない

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    私は豊受姫のお代であった最初の師匠の元で伏見稲荷山をベースにして霊界修行をさせて貰いました。その時に見てきた霊的数々とは、多くの人が現世の幸せとか御利益を求めて神社に参拝しているのとは違う世界。多くの行者さんが【神を求めて】修業している世界と言えました。

     

    行者は今世の幸せではなく、死後に神上がりの修行

     

    スピリチュアル系だと人は死後に神上がりが出来るなどは知らないと言えます。人と神とは別物だと思っていたりするからです。人は一人一人が創造神だと言う方の論は行き過ぎですが、神社に鎮まっている御祭神などは過去に人であった霊等と解っているがあります。為に神と成ってから比較的若い霊が多く。超古代の神代の出来事はまるでご存知無いがあります。 そうした神霊にいくら質問しても何も答えられないが起きます。

    私は昭和【五十五年】に私自身の身に起きた摩訶不思議な出来事から、子供の頃に旧約聖書の神と称する声を聞いていたので、覚悟を決めて神霊界修業に入ったなのです。最初の頃、三つ目青黒憤怒相の仏が出て来られ、それが超古代の大黒天(大国主命)たるお姿と解り、これは一体いつ頃の時代の話かとなりましたが、何万年前何十万年前の光景が出て来るなのです。そこには【霊界物語】があるなのです。

    大本教霊界物語には主の神【三十五万年前に御引退】がありますが、これが一つの【鍵】なのです。今は遺伝子でいろんなことが判明して来て、今の人類は20万年前からでその前の人類とは別の遺伝子との学説が出て来ましたが、人類は幾度か滅びているのです。今は【七の世】とされ、次に【八の世】が来るなのです。

     

    私は最初に霊相談に行った出雲大社教関係の霊能者の方から、いきなり【貴方は救世主様ですか?】と尋ねられて面食らったしだいです。私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり。そなたはこの日本に満ちあふれている私の教えを人々に告げなさい。】と告げられていました。

    だが、神力に関しては、【そなたにはこの神の神力を何一つ与えない。】と告げられていました。【自分は救世主です。】と名乗る様な霊的な力は何一つ持っていないなのです。為に多くの人々が思う。その人を拝めば自分を助けてくれる【救世主】等ではないのです。私の言うことを信じれば貴方を助けて上げますなどの権限は、私には何一つもありません。

    ただ、旧約聖書の神と称する声は、【そなたの背後にこの私が居ることが解り。そなたの教えに従う者達はこの私が助ける。】で、そうした神の存在が私の背後にあるのではないかなのです。

     

    私が豊受姫のお代であった最初の師匠に連れられて初めて伏見稲荷山に上がった時、伏見稲荷山における首座神の豊受姫から、【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方で、貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)と同じであり、貴方の教えが聞けないと言う神は如何なる神であっても天帝に対する反逆の神と見做されて天帝により罰せられる。】と告げられたなのです。それが私に【言葉の仕組】を紐解かせる要因になったとは言えます。

    私が子供の頃に臨んでいた【旧約聖書】の神と称する霊声の真偽は解りませんが、最初の師匠と2番目の言霊の師匠の元を離れた後、多くの霊能者に【自分は誰だろうか?。】と霊査してもらったところ、7〜8名の霊能者の方から貴方の本守護神は【国常立尊】ですと指摘されて来たなのです。豊受姫からも貴方の本守護神は【国常立尊】様ですと告げられていたこともあり、私は【旧約聖書の神】と【国常立尊】は同一神かと調べたところ、同一神とすべきだとは言えました。

     

    私は伏見稲荷山で修行している時には、さほど【霊障】という問題には関わりませんでした。狸霊や狐霊の霊障程度です。蛇霊は伏見稲荷山でも神霊として祭られていることが多いことからも、蛇霊による霊障を知ることは少なかったと言えます。だが、2番目の師匠の元で霊査をしている中で数々の蛇霊による【霊障】に遭遇し。蛇霊による霊障を調べている時に不思議な光景が見えたなのです。

    私自身は伏見稲荷山で修業時代、ヴェダー典に残されている【人の中に眠るコブラ(眼鏡)蛇が目覚めて走り上がる時、その人は「真理」に目覚める。】を体験したのですが、その【真理】とは何かがまるで雲を掴むような話だったのです。人は蛇霊によって【真理】に辿り着くが出来ないなのです。つまり真理が見えない【眼鏡】を蛇霊(眼鏡蛇)から掛けられているなのです。

    その蛇霊による【霊査】で見えて来たのは、何かの棒(柱)に巻き付く蛇霊の光景でした。

     

    蛇霊が巻き付いている棒(柱)は何か?

     

    しかし、世界の宗教書をいくら調べても何かの棒(柱)に蛇霊が巻き付いているなど書かれた書は存在しないのです。しかもその棒が八方に光輝くと蛇霊がその棒(柱)から去る。すると、その人に起きていた蛇霊による霊障が消えると言う不思議な光景だったのです。蛇霊が去ることにより霊障が消える?。

    私は霊界で修行をする中で、蛇霊が巻き付いている【棒(柱)】は【魂の心棒】であることが解って来ました。魂とは【玉形の思惟(心)】で永遠の命たる存在です。

     

     

     

     

    魂は【球体】なので、丸い球ならば必ず【心棒】がある

     

    私達日本人は二つの輪の真ん中の中心を通す物を【心棒】と言いますが、何故【心棒は心】の漢字なのか?。まったく理解出来ていなかったなのです。

     

    現代ではオーブ等は写真やビデオに写ることから、その存在自体は解って来ていますが、魂の内部構造に関しては未だ何も解っていないと言えます。しかしながら魂は球体なので【心棒】があることは論理として解るなのです。そして魂の内部には【核】があることも論理として解るわけです。

    この地球と私達の魂はその大きさは比較にならないほど違いますが同じ【球形】で同様の形なのです。その地球には【核】があり、心棒たる【地軸】が存在しています。人の魂も同じなのです。

     

     

    聖書には人類の原罪として、【蛇霊の言葉に唆されて、エデンの園から蛇霊と共に追放された人類】とありますが、蛇霊と呼ばれる存在は単なる邪心の囁きだけでなく、人の魂の【心棒】まで巻き付いて来るなのです。

     

    人類が元の神の園に戻る為には、人と一緒にこの地球(魂の流刑地)に来た蛇霊を帰さない限り、人の魂は元の神の御国には戻れないなのです。

    スピリチュアルでは何かと自分に【天使長ミカエル】が臨むと言われますが、大本教の出口王仁三郎聖師は【天使長ミカエルは存在していない。省みる言葉の意味だ。】と述べておられますが、本当の天使長はミカエルと呼ぶ存在ではないのです。 天使長ミカエルとは、最後の審判において蛇の尾を踏む【巳(蛇)帰る】を働かせる役の意味なのです。

    日本語は【神の言葉】ともされますが、今の人類の歴史だけが人の歴史だと思っていると、ヘブライ語と日本語に共通点がある意味も理解出来ません。今の人類以前の人類にその歴史があるからです。ただ、最後の審判前であれば蛇霊を帰らせる為には【自己を省みる】が必要なのです。【悔い改め】です。

    西洋のキリスト教ではイエス一人が神の御子で、イエスを信じれば人類の原罪は消えて神の御国に戻れる式の教えに懲り固まっています。為に蛇霊の存在がよく解りません。イエスは自分の弟子達に蛇の様に賢くあれと説いているだけです。蛇霊がもたらす【知恵】です。それでは【智慧】とならないなのです。お釈迦様とイエスとでは、根本的に【悟り】が有るか無いかの違いがあるのです。無論、マホメットにも【悟り】はありませんでした。それはスピリチュアルが言う【大天使】と称している霊達にもありません。

    一方、この日本では【巳(蛇霊)さん】信仰が盛んなので、行者系の霊能者ならば日常茶飯事に【蛇霊】には接するなのです。

     

    行者系霊能者とスピはまるで違うのは蛇霊の見方

     

    私は言葉の仕組に気づく前、行者見習いの様な立場で蛇霊に言向けをして来ました。【蛇霊の姿など脱いで元の天人界(神の御国)に帰りませんか?。】です。蛇霊が改心すると、元の天人の様な姿に戻るからです。そうした時、現実界の蛇が【直立】した姿を見せてくれます。聖書のモーゼとエジプトの神官のがどちらの神が高い神か、コブラ蛇を棒の様にして投げ合うがありますが、現実界の蛇が【棒】のようになるのです。

     

    何故、蛇霊は改心すると【蛇が棒の様になる?】

     

    蛇の漢字は宇宙の【ヒ】を無視(虫)したなのですが、舵が真っ直ぐに取れなくて蛇行する。それではいくら【仏陀】を目指しても【它】の意味が解らないなのです。

     

    私が蛇霊に対して言向けしても返って来る言葉とは、【人が助けて欲しいと願って来るから、その命や病を救ってやっている。金銭的な物質面も願いも叶えてやっている。その御礼として幾ばくかの金や酒を要求するが、それのどこが悪い。】という返事がほとんどなのです。

    それに対する私の返答は、【人の命を救ってやっている。病を治してやっている。それでお金や酒を要求することが悪いと言っているのではないのです。貴方自身、自分の身を見た時、蛇の姿でしょう。そうした蛇の姿では無く、どうして人間の様な元の天人の姿に戻ろうとしないのですか?。そこを問うているのです。貴方は永遠に蛇の姿でいたいのですか?。】と返すなのです。

    だが、蛇霊の姿に墜ちた霊が【悔い改めて改心する。】などは数少ないと言えます。その多くは、【創造神が最後には自分達を罰すると言うのであれば、その時には暴れに暴れて死んでやる。】なのです。

     

    私は永遠に蛇の姿でいたければそうしろと突き放します

     

    日本の新興宗教で病気治しを主体にしている宗教団体の祭神の多くは【黒龍神】であることは行者系の霊能者達には知られています。大本教の出口王仁三郎聖師が主の神は【ス】神と出された関係上、そうした宗教の多くは【ス】神の意味を知らずに、主(ス)の神と呼称しているなのです。そうした宗教開祖の誰一人として、【大本教の仕組】を理解出来ていなかったと言えます。

    大本教の出口王仁三郎聖師は霊界物語全八十一巻の第十三巻において、この大本教に現れた変性女子はニセ者だと発表されたのですが、その意味が理解出来なかったなのです。日本語のアイウエオの第十三番目に【ス】は置かれているなのです。それが「ニセ型」の意味なのです。【ス】神では【中心柱】神とは成らないなのです。

     

    お釈迦様の悟りの【良心】神とは、魂の【心棒】のこと

     

    これは大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密】で紐解けるのです。

     

    ◎何故、お釈迦様の悟りの【良心神】の教えは埋没したのか?

     

    一つに、仏教では魂の輪廻転生は説かれたが、魂が見える人が減った

        そして、魂は球体だから【心棒】があると気づかなかった

     

    一つに、邪神の捨て台詞として、【良心】など言っていて食べていけるか!

        確かに、人はこの世で食べて行くには【良心】を閉じる必要がある

     

    しかしながら、魂の【心棒】が【良心神】なので、悪の誘惑に【辛抱】しなければならないのです。

     

     

    食の漢字は、【良心の良を閉じる】

     

    人はこの世で生きて行くには、他の命を殺して頂かないと生きて行けない宿命があります。為に、そこに自分の為に犠牲になった命に対して【感謝心】がいるのです。自己勝手な行動は天が赦さない。

    昔の仏教の僧侶は他の命を殺して自分が生きながらえることを嫌って命ある物は食べないで、野菜などの【精進料理】が起きたなのです。 仏典には末法の時期には僧侶は妻帯し、酒を飲み、肉を喰らうとありますが、その行為が特にいけないなのではなく、人に内在する良心神の意味が理解出来なくなるなのです。

     

    日本語は神の言葉なので、

    【今はラ(良)を閉じる】で、良心神の働きを封じてある

     

    地獄界に墜ちた先祖霊の【供養の養】は、良心を入れた羊の言葉たる【善(譱)】で、地獄に墜ちた霊に食事を出す膳ではなく、【良心】の働きたる【善】を故人に代わって世に差し出すことが、【地獄の沙汰】も変えてあげられるなのです。それは、自分が【世の為、人の為】に尽くすと、その良心による善の行いの【功績】は自己の肉体の親の魂まで波及して行くのです。

     

    その親には、よくぞそんな【心がけの良い子】を育てましたね。それは貴方が親として立派な子を育てる功績を積まれたので賞するなのです。

     

    お釈迦様の【悟り】は【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ぶ神が内在する】でしたが、重要なことはそこではないのです。

    大本教の出口王仁三郎聖師は、最初は自分が【みろく神】だと称しておられましたが、これも晩年は自分は【みろく神】ではなかったと告げられました、大本教の出口王仁三郎聖師はみろくの【五十六億七千万】はこの地球が出来てからの年月だと書いておられますが、この地球は科学的に調べても誕生から【四十六億年】です。どこにも【五十六億七千万】が出ないのです。

    ところが大本教神諭予告の【九つ花】を紐解くと、お釈迦様の悟りと【五十六億七千万】の数字を出せるのです。大本教神諭は【この仕組をするには三千年かかった。】とありますが、日本語と言う言葉であれ、そこまで言葉で仕組むには【三千年】の月日はかかります。そして伊勢神宮の神や大国主命様に出来るような代物でもないのです。

     

    私は大本教神諭予告の【九つ花】を知って

    万物の創造神の存在を確信した

     

    巷には自分には創造神が降りて来る等と言う方は山ほどあります。そうした方の背後にいる霊とは、どこにも【創造神】の姿が見当たらないことから、これ幸いと自分が創造神だと名乗りを上げておられるのでしょうが、あまりにもスケールが小さいと言えます。言葉の仕組が解って来ると、とても恥ずかしくて自分が創造神だと名乗ることも出来ないでしょう。

     

     

     

     

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