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霊学癸后/佑寮い量燭話擦て魂の世の命は永遠。全ての魂は修学の場から、元の霊界にと戻る

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    私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、【人の世の命は僅かである。魂の世界からすると修学旅行に出たよう僅かな期間にしか過ぎない。この世に出て、その永遠の命である魂を「刹那心」に溺れさせて腐らせたり捻らせてしまってはいけない。魂はその修学旅行の場(この世)で何を学んで魂の世界に帰って来るかが大事である。その修学旅行先で何も学ばずに遊んで来ましたと言うのであれば、何の為にこの世に出たのか!。そのことが問われる。】と告げられたなのです。

    優れた行者や霊能者の方が、この世は【魂の修業場】と言われるのは正しいことなのです。各自の魂がその修学場に行くことが、一つ一つの魂の【輪廻転生】となるのです。人は死ねば天国ではないのです。この世で何を学んだかで、霊界での天国界や中有界や地獄界が決まって行くなのです。そうであっても、この世の生き方で魂を腐らせたり捻らせてしまうと、永遠性の魂そのものを失うなのです。

     

    本物の霊能者は、この世は【魂の修学場】と告げる

     

    この世の【苦】を超えた後、天人界での【楽】あり

     

    精神世界とかスピリチュアルの論調を見ますと、そうしたことを言う方はさほどありません。まったく方向違いのことを言っている方が大多数なのです。

     

    僅かなこの世の時間だけの幸せを言っている

     

    私の最初の師匠は豊受姫のお代さんで、当時伏見稲荷系の行者としては癸韻慮討喟爾發△襪曚匹如∨受姫の言葉によればその当時の日本のベスト10位の中に入る霊能者と言われていました。が、さすがにベスト4位の中には入れず、そのベスト4位の霊能者は全て男性で自分は知らない方と言っていました。稲荷系ではない行者の方のようでした。それは世には無名でも、凄い霊能者の方達がこの世には居られるということです。が、最初の師匠は女性としては当時の女性霊能者の癸韻任△辰燭任后

    テレビで世に知られる女性霊能者としては【下ヨシ子】師。【木村藤子】師。【前田和慧】師が有名でしたが、それよりも霊能力はありました。

    私が伏見稲荷山で知り合ったある行者は、その師匠を見てあれはあんたの先生か。どえらい先生が居るものじゃ。男でもこれほどの先生は滅多にはおらんと見抜いていましたが、私も伏見稲荷山に上がって、それなりの行者さん達を見て来ましたが、本物と呼ばれる行者さんは持っておられる波動そのものが違うのです。その波動がビービットこちらに来るのです。そうした霊波動は【ブログ】の記事や著本を読んでいても解るのです。

     

    ブログ記事などは、いくら御本人が自分には創造神が降りて来る等と言われても、その方から何の霊波動も感じないとなると、低級霊のオレオレ詐欺の騙しに引っかかっているなと読めるわけです。私は伏見稲荷山で4年間ほど修業をさせていただき、瀧にも打たれたりで、そうした霊感覚が少しは研ぎ澄ませれたと感じています。ただ、いくら瀧に打たれて霊感覚を研ぎ澄ましても、人間として卑しいでは本末転倒になるわけです。

     

    その最初の師匠は、私に【人としての期間がどれほど辛いものであったとしても、それはたかだか50年間程度。それに耐えて、神様にして貰ったら最低500年間は神様として過ごせます。どちらが得かと考えたならば、この世では辛くても霊界で神様に成った方が得でしょう。】と語っていました。その師匠の霊は私の元に来て、自分は東京の九段坂付近のどこかの神社に白龍神を伴って祭神として赴任しましたと挨拶に来られました。白龍神等を従えていないと神霊としての力が弱いからでしょう。

    こうした人としての死後に天人界に入って、抜擢されて神社の祭神として赴任したなどは数々の事例が存在します。大本教神諭に【人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらず】とありますが、神と成ると言うことは【天国天人】とも成るなのです。誰かを拝んだからでは、【天国天人】にはなれません。

    一部の説にはなりますが、今や天国界に渡る人は僅かと言われています。【スマホ】や【ゲーム】ばかりにしがみついていれば、それでは天国界は無理なのです。魂の堕落を引き起こすからです。いくら魂は永遠性の時間を持つとしても、人としては僅かな時間しかないのに、【おまえは何をしに、この世に降りたのじゃ!。】のお叱りを受けてしまいます。そうしたことが問われます。

     

    今、多くの霊能者の方が、今の神社には本来の祭神がそこに居なくなっている。祭神が存在しない空の神社だけでなく、本来の祭神の代わりにニセ神の霊が鎮座していると言う報告がなされています。だが、ニセ神の霊が鎮座している神社を一掃するにしても、その数が多すぎて手がつけられないがあります。また、誰がそれをするの?。があります。霊能者だからと言ってうかつに手を出せば、相手は神霊なので自分が殺されるとなります。

    数年前に私が伏見稲荷山に上がったところ、本来の御塚の祭神が居なくなって行き場を失って御塚付近でウロウロしている千体近い白狐霊達が居て、そうした白狐霊を綾部に連れ帰って、綾部の四ッ尾山山麓には幾つかの稲荷神社があり、その一つの稲荷社にお預けしたがあります。いったい本来の御塚の御祭神達はどこに行ったのだ!。

    で、その四つ尾山にはかなりの白狐霊達が居ます。人の目には見えないのですが、飼い犬などはその四つ尾山への道で怯えて背後に隠れてしまうがあります。犬は動物だから感覚で霊を察知するのでしょう。自分が仕える主神が居なくなって眷属である白狐霊も困っているなのです。そこには神霊界で何かが起きているとはなりますが、その子細までは掴めていません。

     

    人は誰しも肉体の【死】を免れません。

    その人の死とは、【ヒ(霊)に列する】です 

     

    人の肉体に【命】を宿している【魂】そのものが亡くなったではありません。単にこの世で生きて行く為の【肉体の服】を脱いだだけのことです。

     

    修学旅行先から元の世界に帰っただけの話です 

     

    お釈迦様は【人は何故に死ぬだろう。生まれて来るのだろう。】と疑問を持たれた。その結果、【人には良心と呼ばれる神が内在する。】と悟られたなのです。そして【輪廻転生】です。

     

    行者の世界で著名な方が居られました。行者系ではその方を崇める方が多い方です。この行者さんは、【自分を殺してくれる者がいれば、自分はその人を恨むどころか御礼を言おう。】とまて言われています。この行者さんは【神仙界】出身の方で、出来るならば【こんな世知辛い世の中の命はさっさっと終わらせて、元の世界に帰りたい。】でしょう。だが、この世で自殺すると罰せられてしまいます。この世はどんなに辛くても死ぬ時まで頑張らないと行けないなのです。

    だが、殺されて死ぬ分には罰せられれません。そこで自分を殺してくれた者を恨むのではなくて、御礼を言おうと言われたわけです。こうしたことは一流の行者筋の方ならば、皆解っておられることです。だが、自分を殺したと相手を恨んでいると、この世の霊界で地縛霊化しかねません。だから、【恨み】は捨てなさいなのです。人の死とは、魂の服たるものを単に脱ぐだけのことであり、肉体の死は元の霊界に帰ることなのです。

    ところが行者筋でも、この【基本中の基本】が解っていない方達がいます。私から言わせれば、そんな行者は【あんた。本当に行者か?。】です。この世の意味をまったく理解していないなのです。

    お釈迦様は【この世に未練を残すな!】と説かれたわけですが、この世に執着して何百年と墜ちている行者霊を見ると、【行者の末路哀れなり】と言われている意味がヒシヒシと解ります。生きている時は神仏に祈願して人助けだと霊力を振るっていても、死後の世界の意味を理解しておらず、何の為に【輪廻転生】と呼ばれる教えがあったかなのです。

     

    一部の方達は

    魂の本籍地は霊界。この世は魂の現住所

     

    とはっきり述べておられますが、皆、その基本を忘れているなのです。最近、スピリチュアル界の大御所である【美輪明宏】氏が、自分はモウこの世には何の未練も無い。人の死とは魂の服を脱ぐだけのことで、別に命を失うことではないと言われたようですが、遅きに失したと言わざる得ません。

    スピリチュアルと言う言葉を広めるのではなくて、どうしてそうしたことを早くから説かなかったのですか?。為に美輪明宏氏やその弟子とも言われる江原啓之さんを大御所と仰ぐスピリチュアル標榜者の大半は、違う方向に走ってしまったなのです。この世が【魂の修学場所】と解っていないなのです。

     

    仏教においては【彼岸】という言葉が使われます。彼岸とは、別に季節の春分とか秋分の日の意味ではないのです。彼の岸に渡る。その彼の岸とは何の意味?。かです。

     

    彼の岸とは、三途川と呼ばれる川の向こう岸

     

    その【三途川】を渡れば、モウこの世とは【おさらば】なのです。各自の魂は元の霊世界に帰って行くなのです。だから、仏教は【この世に未練を残すな!。】説いていたのです。この世のことに【執着や未練】を残していれば、向こうの岸に渡れないのです。

    お釈迦様は、この世に【魂の修業】の為にモウ降りる必要が無い【卆業証書】を受け取られた方です。この世で自分の前世は釈尊であったと言われる方は全員【贋物】なのです。

    その代わりとして、創造神と思われる神はお釈迦様の悟りを紐解かせる【みろく(三六九)の五十六億七千万】という仕組を日本では解る様に創られて、その前段として大本教と呼ばれる宗教に「みろく神」を演じる役者達を使わされたなのです。ですから優秀な行者や霊能者は大本教は【予告編】と言って来たのです。

    ただ、この仕組は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密・火水)】が鍵なので、その鍵を使って【誠】で紐解く者が世に出ないと、何人にも解らなかったなのです。

    その仕組として、魂は【鬼と云う】なので、鬼姿の【牛虎金神】が出口喜三郎師の【喜(キ)】の字を【鬼(キ)】にしなさいと言ったところ、鬼とはあんまりじゃ!。で、本人が出口【王仁】三郎としたなのです。ですから出口王仁三郎聖師は、これらは全て【神芝居】と言われたわけです。

     

    巷で自分が最高神式のことを言っている方は、この【大本教の神芝居】を誰が演じさせていたのかを、まったく理解していない霊に使われている人と言うことなのです。一流の霊能者や行者筋から【出口王仁三郎聖師】が今日も評価されているのは、その予言能力のみならず、そうした【神芝居】を見事に演じきったからです。自分にその役が当たったとしても、とてもあの役は出来ない。演じられない。そうしたこと理解しているからです。

    そこに、出口王仁三郎聖師自身も【本番は自分とは似も似つかない人】と言っておられるのです。そうでないと、霊界物語にわざわざこの大本教に現れた変性女子は【ニセ者だ!】は、大本教自身も書籍に残してまで出版しないでしょう。全て悪神や邪神を世にあぶり出す為の神仕組なのです。

     

    まあ、邪神や悪神も【99%】までは行けますので、どうぞご自由にと言うことです。残る【一厘】とは【良心神】たる魂の【心棒】のことなので、邪神や悪神では最後は霊界で自己の霊身や魂を光の火で焼かれて【のたうちまわる】となるのです。

     

     

    創造神は魂の修行場を終わらせて、人類を天人界にと導く大計画。で、次は【嬉し嬉しの世】。

     

    この世でなく、天人界で【褒美】を受け取る

     

     

     

     

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