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旧約聖書の神と称する声の【レ・ミゼラブル】を読め。良心で神に目覚めて改心と更生をする

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    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていました。その声は私に【そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えて行け。】と命じました。子供心に【イエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り超えて行け。】の意味がよく解りませんでした。

     

    イエスの愛の教え以上のものがあるのだろうか?

     

    それも愛の教えを恐れるな?。乗り越えよとは?

     

    それは小学校の6年生の時のことでした。私はクラスの中で【図書委員】に選出されて、放課後は小学校の図書館で図書司書のお手伝い役となりました。その図書館に居る時、旧約聖書の神と称する声が私に臨んで言いました。

    【私の書は旧約聖書なれども、旧約聖書は暗号書のようなもので意味を紐解くには「鍵」が要る。まともに読むと意味を間違えるようにしてある。それは邪神達を惑わす為である。新約聖書は人の子達が為した書で私の書ではない。そなたは旧約聖書を読む必要がない。私の教えは世界のどの宗教書にも書かれてはいないからである。私の教えは日本の民話やわらべ唄や諺などに入れてある。そなたはそうした物を読んで、私の教えを知りなさい。それとは別に、世界の文豪が書いた「罪と罰」。「レ・ミゼラブル」。「モンテ・クリスト伯」等を読みなさい。必ずやそなたの役に立つ。】と告げられました。

    放課後は他のクラスの図書委員と当番制の交代で図書館に居なければなりませんので、そうした文豪の大書を読んでいました。「モンテ・クリスト伯」だけは【巌窟王】で漫画で読んだことがありますが、【罪と罰】に【レ・ミゼラブル】は知りませんでしたのでその大書を読んだのです。【罪と罰】には感銘を覚えたのですが、「レ・ミゼラブル」は自分の記憶としてはあまり残っていませんでした。

     

    その【レ・ミゼラブル】がNHKで連続8回で放映されました。レ・ミゼラブルは映画化や舞台化がされていますが映画や舞台は2時間程度であり、あの大作を完全に見せるのは難しいと言えます。私はどんな物語であったのか定かに記憶していませんでしたので録画に取って物語を見た時、そうだったのかと、改めて【良心神】の教えであったことに気づかされました。

     

    ジャン・バルジャンは【良心】神に目覚めて更生する

     

    レ・ミゼラブルの主人公は【ジャン・バルジャン】です。1本のパンを盗んだことから19年間も監獄に入れられて、人間不信に陥っていたジャン・バルジャンは出獄後に食事を与えてくれたキリスト教会から銀の食器を盗み。またもや警察に捕まったのですが、司教は私が与えたのでジャン・バルジャンが盗んだのではないと彼を庇い、銀の食器と燭台を与えて真正直な人間に更生させたぐらいは記憶していました。

    罪人を許した司教はジャン・バルジャンを神の愛で許したことから、この物語は【愛】を教えていると解釈されていました。私もそのように記憶していました。

    ところがテレビドラマを見ていて、司教が言ったのは【神の愛】とか【イエスを神と信じなさい】とか言ったのではなかったなのです。司教が言ったのは。【神は良心として貴方の心の中に宿る】ことを教えたのです。それによってジャン・バルジャンは【良心】に目覚めて【更生】するなのです。当時の私は子供でもあったので、そのレ・ミゼラブルの物語が【人に内在する良心神】を教えるものだったとは思ってもいなかったなのです。

     

    神と称する声が言った【レ・ミゼラブル】は良心か!

     

    罪人から更生したジャン・バルジャンは会社経営にも成功し、人柄が良かったことからやがて【市長】にまでなります。だが、彼は司教と出会う前に一人の少年から銀貨を奪ったことにより、指名手配をされていました。そこに現れたのが「シャヴーエル」という警察官で、名を変えて市長になっているのはジャン・バルジャンではないかと疑いを持ち、無実の者をジャン・バルジャンとして裁判にかけます。無実の者が自分だとされて監獄に送られる。それは自分に「良心」があるならば耐えられないことです。彼は自分がジャン・バルジャンであると名乗って捕まってしまうなのです。判決は終身刑。

    その前にジャン・バルジャンが工場を経営している時に働いていた女性の【言い訳】をまともに聞こうともせずに解雇したことにより、その女性は売春婦となります。自分の娘コゼットを預けた宿の主人夫婦に騙されて金を取られていたからです。落ちぶれたその女性と再会した時、ジャン・バルジャンは自分が解雇した過ちを恥じて、その女性とその子供コゼットを救う約束をしていたことから脱獄をします。そしてその子供を救って隠れて生活をします。やはり自己の【良心】がなせる行為です。

    それは愛ではありませんでした。自分がした約束を果たす為に脱獄をしたのです。お釈迦様の悟りであった【人に内在する良心神】をいくら説いても、スピリチュアルで「愛」ばかりを言っている方は良心神とは単に【良い心】のこと程度としか理解されませんので、そこに【神】を見るがありません。

     

    ジャン・バルジャンを執拗に追いかける警察官シャヴーエルにはある信念がありました。【悪人はどこまで行っても罪人で、更生など絶対にしない。】でした。

    そのシャヴーエルはフランス革命の前の暴動の時、その指導者がジャン・バルジャンではないかと考えて暴動を起こしている民衆の中に紛れ込みますが、身分がばれてスパイとして処刑されるとなりました。そのシャヴーエルの命を救ったのが娘としたコゼットが恋するマリユスを暴動騒ぎに紛れて殺す為にその場に来ていたジャン・バルジャンでした。

    娘コゼットを溺愛するジャン・バルジャンは娘と恋をして娘を奪うマリユスを殺そうとしたのです。だが、自分の良心が愛を押しのけたのです。シャヴーエルを殺せば片が付くのに助けたジャン・バルジャンの行動がシャヴーエルには理解出来ませんでした。それは【愛】ではなくて【良心】の行為だからです。

    別にジャン・バルジャンは自分を監獄に送ろうと執拗に追いかけるシャヴーエルに「愛」を示したのではないのです。ジャン・バルジャンは「良心」に目覚めた者である以上、自分にとってはいくら邪魔者であってもシャヴーエルを殺すなど出来ないからです。

    また娘であるコゼットが愛したマリユスも殺すことが出来ずに、マリユスを助ける為にバリの下水道の中を這いずり回ります。そこに現れたのが自分が命を助けて逃がしたシャヴーエルでした。コゼットの恋人マリユスを救う為に、ジャン・バルジャンはまたもやシャヴーエルに捕まります。

    だがシャヴーエルはそのジャン・バルジャンをわざと逃がします。自分が受けた恩義の返しです。しかしそれは警察官にあるまじき行為です。責任を取ってシャヴェールは警察を辞職して川に身を投じます。悪人は絶対に【更生】しないの信念のシャヴーエルには、ジャン・バルジャンはどうにも理解不能だった為に自分の精神がおかしくなったのです。

    ジャン・バルジャンは娘のコゼットをマリユスと結婚させて、マリユスには自分はジャン・バルジャンでお尋ね者の罪人であると告白して、その元を去ります。長い新婚旅行の旅から帰って来たコゼットは父であるジャン・バルジャンの姿が見えないことからマリユスに尋ねます。マリユスから自分を救って助けてくれたジャン・バルジャンが指名手配をされていた罪人であることを知ります。

    ジャン・バルジャンが居る場所は、かってコゼットと隠れ住んだ修道院で働いているのではないかとそこに行きます。そこでコゼットはジャン・バルジャンで出会うのですが、病でジャン・バルジャンはコゼットやマリユスに見守られながら死んで行くで物語は終わります。

     

    人は自己に内在する神に目覚めると、愛とは違う行動を取ります

     

    それはある意味、常識では考えられないのです。もしジャン・バルジャンが損得勘定だけをする者であれば、自分として監獄に送られようとしていたのは俗に言う浮浪者の類いです。当時の富豪層から見れば社会の屑と思われていた層です。黙っていれば指名手配されていた自分は消えて、別の人間として生きることが出来たのです。

     

    人の良心神は目覚めると、自分を偽ることが出来ない

     

    私は魂に【点数】が出ることを知りました。この点数は愛ではなくて【人に内在する良心神】の点数なのです。魂の真ん中にある天帝の分魂(直霊)なのです。

     

    一部の超能力者や霊能者は最後の審判は【良心神の点数】で、霊界の地位が決まると知っています。だが、知っていてもそれを世間に発信しようとはされていません。愛ばかりを言う低次元界にアクセスしている存在があまりにも多すぎるからです。

    私は旧約聖書の神と称する声から、【イエスの愛の教えを恐れずに超えて行け。】と告げられましたが、神の高山さえ知らないで蛇や狐と呼ばれる低次元界の霊との関わりばかりで物事を言うスピリチュアル女子の弊害が大きすぎるのです。 自分が見ている世界が最高の世界と思い、それ以上の高い世界があることが解らないなのです。スピリチュアルで関わっている世界とは高くて5次元界。通常は4次元世界なのです。何故ならば蛇霊や狐霊ではそれ以上高い霊界は見えないからです。私も旧約聖書の神と称する声の「恐れるな」の言葉がなかったならば投げ出しています。いくら説いてもいくら説いてもムダで、自分は何をしているのかの「虚脱感」に襲われるだけだからです。

    最後の審判は行われる。新しい世界に入るに当たってその地位は【良心神の点数】だと解っていながら発信しょうとされない超能力者や霊能者の方を私は責めません。自分を襲って来るのは【虚しさ】だけだからです。そうした方達の頭の中にあるのは、こんな人類を救って何の意味があるかです。私も何度も何度も投げだそうと思いました。

     

    日月神示などには【九分九厘】は邪神とありますが、蛇霊や狐霊が見せる物やその言葉に従つているだけでは、蛇霊や狐霊は【良心神】などは言いません。残る「一厘」を知ろうとしないわけです。知ろうとしても無理なのです。何故ならばこの九分九厘は、「百引く1」の仕組ではなくて、大本教神諭予告【九つ花】で解る【九と九】の仕組だからです。言霊の存在が解らないと解けないのです。

     

    私が言霊師の師匠の元で修業している当時、その師匠の元を訪ねて来た某大宗教の幹部で霊能者の方を自宅にお泊めした時、その方は【貴方は高い神界からの教えを説く方。だが、この世は蛇や狐と呼ばれる霊が支配している低い次元世界。貴方は霊界ではあまりにも高すぎて低い霊界が見えない。貴方に代わって蛇や狐の世界に関われる女性が出て来て貴方を手伝わないと難しい。】と告げられました。

    が、私の最初の女性師匠は豊受姫から当時の女性霊能者としては癸院F本全体でも6番目と告げられていて、蛇や狐と呼ばれる世界にはめっぽう強かったのですが、その段階でも私の手伝いは出来ないだったのです。私の元には自分が出口王仁三郎聖師が予言された【みのか尾張の国から現れる誠の女子】ですと名乗って来られた方は多数ありましたが、一人としてその最初の師匠の段階を超えておられない。それでは無理だと解っているのです。

     

    その師匠から見て【落第】と言われるような段階で、自分は凄いとか高いとか言われる女性の方があまりにも多いのです。いくら最後の審判が【人に内在する良心神】の点数だと解っていても聞く耳を持たないスピリチュアルの現状を見れば、もう好きなようにしなさいとなります。発信すらムダとなるなのです。私はイエスの愛の教えを何一つ恐れるなと告げられたことから、【多勢に無勢】の中で良心神の啓蒙していますが、心の中ではもう止めたい。されど、動かされてしまうなのです。

     

     

     

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