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霊学17 仏教が説く。この世に起きる出来事に偶然はなく、全て必然の【カルマ・縁起】の結果

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    仏教では、この世に起きる出来事に偶然などはなく、全て必然に基づいていると説かれます。これを一般的に【縁起】と言っています。

    よく私達は【縁起】が良い等と言いますが、その【縁起】の意味を理解しているかとなった時、あまり理解していないと言えます。

     

    日本の辞書である広辞苑の【縁起】とは、 綿〕一切の事物は、さまざまな原因(因)や条件(縁)が寄り集まって成立しているということ。因縁。因果。 はっきりと、縁起は【因縁】【因果】であると書いてあります。何か【縁起】と言うと、【因果】と別物だと思っている人が多いと言うことです。

    縁起はサンスクリット語pratitya-samut padaの意訳で、因縁性起と言うことですが、簡単に言えば【ダルマ(真理・法)】により起きる意味なのです。

    大本教神諭に艮金神・国常立尊は【ダルマ(達磨)大師】として現れたとありますが、この意味を皆さん取り間違えたと思われます。このダルマとは【真理・法】を現したものなのです。小乗仏教の時代においては【人間が犯した業(カルマ)】により様々なことが起きると説かれていたのですが、大乗仏教が起きるに従っておかしな方向にと走って行ったと言えます。

    仏教においてはお釈迦様の死後500年間(千年とする説もあり)は【正法】の時代で、正しい【悟り】が得られるとしましたが、大乗仏教に入った時点でお釈迦様の悟りは消えてしまったなのです。何か訳が解らぬ難しい難しい学問的な方向に走ったなのです。学僧達が【真理・法】をこねくり回してしまったなのです。

     

    私がヤフーにあった【輪廻転生】の板で論陣を張っていた時、魂の【核や心棒】を理解しない方が私に論争をして来られました。その方の前世は仏教の「学僧」で難しい論理ばかりで挑んで来られます。生まれ代わっても生まれ代わっても、何とか悟りを得たいと「学僧」の道を選んで来られたなのです。いくら仏教学を学んでも難しい論理を学んでも、お釈迦様の本当の悟りは【人には良心と呼ばれる神が内在する】であった等、そうした宗教書のどこにも書かれていないのです。たまたま曹洞宗ではその文献を見つけ出して、小冊の機関誌で出されたことによって門徒である私は知ったなのです。

     

    歴史の実証として、お釈迦様の弟子に弥勒菩薩と呼ばれる方は存在していません。仏教が中央アジアに広がっていく過程で【ミスラ教(ミトラとする教えもある)の神】が仏教に取り入れられて弥勒菩薩になったがあります。

    何故に実在していなかった弥勒菩薩が仏教に入り込んで来たのか?。その弥勒菩薩の本来の意味は、お釈迦様の悟りを忘れた人々に、お釈迦様の本当の【悟り】を告げて、人類を【未来の世】に渡す菩薩の意味ですが、大本教の出口王仁三郎聖師は最初の頃は自分が【みろく大神】だと呼称されていました。が、これも自分はニセ者であったと発表されています。

    大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は本当のみろく下生は昭和20年に起きたと告げられたのですが、イギリスのベンジャミン・クレームが宣伝した【世界教師マイトレーヤ】と呼ばれている人物以外には昭和20年生まれでそうした名乗りをしている方はいないようです。

    巷で自分が【みろく】大神ですと名乗る方はありますが、そうした名乗る様な仕組ではなくて、日本語の【言霊】によって紐解き明かす仕組だったと言えます。そうでないと、【五十六億七千万】の意味すら説き明かせないなのです。 

     

    大本教神諭が予告した【九つ花】を紐解くと、その中心となる「41」の場所は、出口王仁三郎聖師の予言である【みのか尾張の国から現れる誠の女子】で紐解く高山と富山に向かう国道【41】号線が出て来るのですが、

     

    【イロハ】であれば、【ミ】であり

    【ヒフミ】であれば、【ス】であり

    アイウエオであれば、【ラ】となる

     

    日本語の【ミ】【ス】【ラ】は、「みろく大神」の働きを意味しているのです。大本教ではその一つ【イロハ】を出し、大本教で機関誌の編集長をしていたこともある「岡本天明」師は、【ヒフミ】を出したわけです。しかし、どちらも【41】では出ていないのです。大本教のイロハでの【ス】は「47」番目。私は【アイウエオ】で紐解いているわけです。

     

    私が子供の時、旧約聖書の神と称する声から拝火教(ゾロアスター教)のことを知りなさいと告げられたのですが、当時は調べようもなかったがあります。ゾロアスター教の【ミスラ(Mithra)】神とは、軍神、雨神、光明神で知られますが、【契約】の神としても崇拝されていました。これが後日、みろく菩薩(マイトレーヤ)として仏教に取り入れられたなのです。

    その神格からすれば、お釈迦様の弟子ではなくて、お釈迦様よりは上の存在を指していることは解るなのです。 私は子供の時に旧約聖書の神と称する声から、【拝火教(ゾロアスター教)】を知りなさいと告げられていなければ、大本教とのつながりを知ることもなかったと言えます。

     

    そこに、誰がこんな仕組を組み立てかの謎がある

     

    私は【言霊】が何かと解った時、私のそれまでの【神観】など全て吹っ飛んだと言っています。世に言霊師と呼ばれる方は若干名は居られますが、それは単に言霊と呼ばれる存在を知っているだけであって、言霊による仕組まで理解しているのではないのです。これは大本教神諭予告、【九つ花】を理解していないと、どうにもならないなのです。と言っても、【九つ花】を見ても、単に数字の【羅列】で意味がよく解らないとなるのです。

     

    大本教神諭予告【九つ花】は神の法であり。真理

     

    ダルマ(真理・法)に、可哀想とか気の毒はない

     

    仏教では、人には【前世】があり、【輪廻転生】を説いています。その過去世における【罪(業)】により人はこの世に生まれて来る。つまり魂の【更生】の為に【後世】に【甦(更生)り】を起こしているのであって、その業(因縁)は曹洞宗の「修証義」には【三時業】において罪の支払いが説かれてはいるのです。

    曹洞宗の【三時業】の説明は、生きている今の世に受ける順現業、次に生まれ代わって受ける順次業、次の次以降に受ける順後業としています。この世に生まれ出ている人は誰しも【過去世】があります。だとすれば、今の世の私達は順現業として【過去世の業(カルマ)】の支払いをしているのです。今の世の業を来世ではなくて、現世でどう消して行くかが大切なのです。また、過去からの徳分を持っていた様な場合は、逆にその【果実】を受け取っているなのです。

     

    人は何故にこの世に生まれて来るのか?。

    過去に自分が積んだ罪の支払いがあるから

     

    この世の【事象】は、過去からの業(罪)の現れ

     

    私はスピリチュアルを批判していますが、スピリチュアルでは【カルマ(業・因縁)】の恐ろしさをまったく理解していないがあるからです。その【カルマ(業・因縁)】は魂の【禊ぎ(身殺ぎ・身削ぎ)】以外に解消法がないのです。自分の業(カルマ)を解消出来なければ幾度でもこの世に生まれ出て来ます。そして、そのカルマが自己の身に降りかかって来るなのです。

    仏教の僧侶でそうしたことを言われる方はありますが、そうすると、おまえは【情】が無い奴だと攻撃されたりするわけです。何でもかんでも神仏の【情】に訴える。すがるです。

    仏教では【五情】が説かれ、陰陽でも【五情】が説かれますが、私がここで言うところの【五情】とは、そうした五情ではなくて大本教から出された魂の【一霊四魂】から来る五情説になります。

     

    下記の図は以前から説明してきたものです。

     

     

    その一霊四魂で説明される【牛・虎・羊・猿】は、死後の世界でその姿に変化するがあります。真実は解りませんがお釈迦様の前世とされる逸話に、水夫であった時、安酒場で喧嘩をして人を殺めて【猿】にされたがあります。それはお釈迦様は【叡智の奇魂】が並外れた存在であったことを意味します。私は【牛】にされたことがあります。それは【和魂】の働きが強かったからです。

    スピリチュアルに走って【愛】ばかりを言っていると、神を【畏れる】の畏怖が起きません。そして最大の問題は【叡智(奇魂)】の欠如が起きることです。いくら神社に参っていても、自己の魂磨きが出来て来ないなのです。魂が変形を起こす原因になりかねないのです。

    その牛虎羊猿だけでなく、十二支で説明される子(鼠)・牛・虎・兎・辰(龍)・巳(蛇)・馬・羊・猿・酉・犬・猪も人の魂が変化するであり、その十二支にはありませんが、狐・狸・猫にも変化するがあります。輪廻転生の【転生】です。全て【日本語が持つ言葉の意味が関わっているのです】。

     

    大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は霊界に【ミカエルと言う天使長は存在しない。省りみる意味だ】と説いておられますが、私はヴェーダ典にある【人の中に眠るコブラ(眼鏡)蛇が走り上がる時、その人は真理に目覚める。】を体験したことから【真理】の探求に入ったしだいですが、ミカエルとは【巳(蛇)帰る】の意味だと言っています。それは悔い改めた蛇霊が悔悟の涙を流すと、天に帰って行くからです。これもまた日本語の仕組なのです。

     

    この世に起きる出来事は霊的世界を見聞して来ますと、加害者が悪で被害者が善などではないのです。そこには【カルマ】の解消があるのです。 私が出会ったある女性は交通事故で相手を死なせて、交通刑務所に一年間入っていたと言います。当時私は2番目の師匠の元で言霊を学んでいたのですが、私はその師匠に何も言っていないのに、おまえは今一人の女性と付き合っている。その女性は【人殺し】をしていると言います。

    私は付き合っていることまで見抜いているのかと驚いて、その女性は交通事故で人を死なせたのですと説明したところ、その言霊師の師匠は【違う】と言います。その女性の魂は前世で自分を強姦して殺した憎むべき相手が生まれ代わって同じ世に出て来ているをたまたま見つけて、交通事故という形でその時の相手に【仇(復讐)】をしたのだと言います。だが、肉体はそれを知らない。魂の世界が起こした復讐劇だと言うのです。

    その師匠は自分は国常立尊の【現身(うつそみ)】だと名乗っていましたが、国常立尊に仕える者がそうした復讐劇を起こした者と付き合うことはまかりならぬというわけです。

     

    過去世の縁が起因となって、今の世で復讐

     

    実はそうしたことは、この世では起きているのです。すなわち偶然では無くて、必然として起きるなのです。そうしたことを理解している筋からは、この世は【魂の刑務所】等の説も出るのです。

     

    その女性は私が発する言葉に【神を見た】と言われた最初の人で、私に【神は言葉】の気づきを与えてくれた人でした。その人の置かれた現状とその罪の重さを計って、最善の道を行けるように私の守護霊団がしてくれました。私はなるほど、こういう解決法もあるのだと感心したしだいです。

     

    偶然の交通事故ではなく、必然性で起きた交通事故

     

    霊的世界を見聞していきますと、この世に起きる出来事に【偶然】などはないのです。全て仏教で説かれる【必然性(縁起と呼ばれるカルマ)】によって生じていることは解ります。

    ただ、今貴方が苦しんでいるのは貴方が過去に犯した業の償いですよと説いて、誰が納得するかです。人は自分が過去に犯したカルマの原因となる業のことなど知りません。

    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が私に言ったのは、【人には前世がある。しかし人は自分の前世を思い出さない。それはこの神の「恩寵」からである。もし、人は自分が過去に犯した過ちを覚えていたならばその罪の意識により、新しい人生を送れないからである。】と告げられたなのです。

     

    スピリチュアルでは、【神は愛であり、何をしても赦されるのです。】と説く人が一般的ですが、神の愛は罪人である自分が過去に犯した罪を思い出さないことなのです。やり直しの人生において、【過去を引きずるな】と言うことなのです。

     

    スピリチュアルは神の恩寵の意味を間違えている

     

    もし、人がこの世にオギャーと生まれて来るのが魂の初めだとすると、これほど【不公平の世の中】があるのだろうかとなります。人はこの世に生まれ出て来る【スタートライン】が違い。あまりにも不公平だと言わざる得ません。そこに仏教では【前世からの徳分】と言う教えが出て来るのです。良い【因果】です。

     

    この世での自分の境遇に不平不満を言う前に

     

    自分は過去世で罪を犯していたのではないか

     

    だとすれば、不平不満を言う前に、【己を正す】が先に来ないとおかしいのです。他人は良い暮らしをしている。平和に生きていると妬むのではなくて、

     

    自分の悪いところを点検して行くなのです

     

    それによって、必然的に起きるであろう【災い】から逃げられるがあるのです。私は若い頃、【腰痛】に苦しんでいました。で、神仏に頼ってみましたが、よくなりません。しかし腰痛を抱えながら神業を積んでくると自然に腰痛は治っていました。

    人によっては【九死に一生を得る】を体験するがあります。本来はそこで命を落とすような場面で奇跡的に助かるです。この働きは各自の【守護神】と呼ばれる存在がします。私も中学生の頃にその【九死に一生を得る】を体験して、それをしてくれた存在は私の家系の五代前の先祖霊(日蓮聖人の御分霊)でした。

     

    人は時間とか行く方位によって、災難に遭う

     

    その時間を外しておけば、その場所に行かなければ災難に遭わないのに、それに遭遇するように行くなのです。その時間に行く。その方位に行くは偶然ではなく、必然性を伴っているのです。

    スピリチュアルでは常套文句として【人の運命は変えられます】と言います。人はこの世に過去の自分の罪(カルマ)の解消の為に降りたっているのですから、カルマを解消して行けば当然に自己の【未来の運命は変えられます】だが、その自分の運命を変えるとは【個々の人の立場】であって、全人類の意識がそこに向かって行かない以上、この【地球の運命】を変えることは個人レベルでは出来ないなのです。

     

     

     

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