<< 霊学24 子は神からの預かり者故に輪廻があり。魂の【螺旋道】で悠久の時代から時の加速が進むと終着に向かう | main | 霊学26 新型爆弾で広島や長崎は火の海で黒い雨が降るの出口王仁三郎予言に関して、何故に神は止めなかったの批判論 >>

霊学25  自分が蒔いた種の果実は自分が刈り取る【目には目を、歯には歯を】は【カルマ】の原則と理解しなかった者達

2

旧約聖書の世界を知るには【目には目を、歯には歯を】の言葉が知られています。通常【ハムラビ法典】とも言われているようですが、旧約聖書の出エジプト記にも記載されていていますので、どちらが先からあったのかは学者の方達が研究されたらいいでしょう。それはどちらが先などは、事の本質の論議にはならないからです。

 

ただ、この【目には目を、歯には歯を】は、自分がそれを受けたらやり返して良いと言う意味ではないのです。その意味で誤ったのはイスラム教と言えます。

 

【目には目を、歯には歯を】は、因果律の法則

 

自分が犯した罪業は、後世の自分に跳ね返る

 

ただこうしたことを知るには、【輪廻転生】の理解が先に無いと難しく、その教えを間違えてしまうことになります。特に顕著なのがイエスの教えです。ほとんど【輪廻転生】を理解していなかったと言えます。

イエスは人々が犯す【目には目を、歯には歯を】の教えの弊害を語る上で、新約聖書には【あなたがたも聞いているとおり、目には目で、歯には歯を命じられている。しかし、私は言っておこう。悪人に報復してはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬も差し出しなさい】。イエスを代表する有名な教えです。

表面的に実に良い教えに聞こえますが、これはある意味【失態】の教えなのです。悪人に報復してはならないは正しくても、【因果律】を理解していなかったと解るからです。そのどの部分間違っているのかと言いますと、【あなたの右の頬を打つなら、左の頬も差し出しなさい】の部分と言えます。

 

私の2番目の師匠等は自分は国常立尊の現身(うつそみ)と、その師匠の背後の霊から自称させられていましたが、【あなたの右の頬を打つなら、左の頬も差し出しなさい】の部分を取り上げて、イエスは悪神だとまで言ったほどなのです。それで自分の頬を打つ者が意味を理解するかです。逆に罪を増長させる教えになっているです。それよりも相手を叩き返した方が、相手にもその痛みが解るです。

私は霊的世界の見聞の中で、前世で自分を強姦殺害した魂の肉体を今生で交通事故で殺した事例にぶつかりましたが、それを閻魔庁は五分と五分で不問に付したことを知りました。言うなればその魂は【目には目を、歯には歯を】したに過ぎないです。前世で何かをしたから今生でやり返されたです。それは閻魔庁の役人からすると、【仇】討ちでも犯罪と見るか、正負の原則とされる善悪の【差引勘定】で【〇(ゼロ)】と見るかがあろうと思われます。

 

霊界では常に【正負の原則】たる差引勘定がある

 

人の足を踏む者に、踏まれた者の痛みが解るかです

 

大切なことは、感情に溺れて人の頬を打つ者に、反対の頬を差し出すのではなくて、自分の頬を打った理由を聞く。それが正当で無いならば、その頬を打つ者にそれは行けないことだと諭すとか教えるべきことなのです。逆に自分が頬を打たれたならば、相手がどう思うかをその者に考えさせるです。それをせずに反対の頬を差し出せば、相手はより打って来ると言えるのです。それでは頬を叩いている者は何時まで経っても気づかないとなります。必ずしも【無抵抗主義】が正しいではないのです。

私は【無抵抗主義】のガンジー師を尊敬はしています。しかしながら、こちらが無抵抗主義に徹していても【悪が改心】するなどは永遠にないなのです。逆に【無抵抗】だからと相手は【殲滅】に来ます。そうしたことは歴史の数々が証明しているのです。それによって民族が消滅したもあるのです。そこに力の強い存在に対して【事なかれ主義】を蔓延させるとなります。また、人々の心に【変節】が起きるなのです。強い者には勝てないから従おうです。

日本の諺に【長いものに巻かれよ】があります。その長いものとは【蛇】のことで、権力等を意味します。権力と闘って勝つということは容易なことではないのです。だがどんな物語であっても、最後の場面では悪は滅びるなのです。間もなく【七の世(代)】は終わります。そして永遠(∞)の【八(∞)の世】が開かれるなのです。その時、悪は滅びるなのです。

私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【どんな物語でもその物語が終わる時には必ず悪は裁かれる。悪が終わって物語は終える。この世を終える時、総ての悪は終わる。それが物語というものである。】と告げられたのです。

 

神は悪は最後は滅びると、物語を考えて来られた

 

そこには、人の痛みを知る者になりなさいがある

 

人の痛みを知る為に、魂はこの世で体験経験する

 

この日本で本当の霊能者と言える方達の間ではイエスの評価は高くありません。本気でイエス一人が主の御子だと思っている方は無いでしょう。それはイエスには霊界に対する理解力が欠けていたからです。霊能者ならば解るのです。

中世のヨーロッパ社会では霊能力がある者達はキリスト教会から【魔女の烙印】を押されて【火炙りの刑】に処せられて来ました。イエスと同様に神が見える等と言う者は、キリスト教においてはあってはならない存在だったからです。

キリスト教という宗教がイエスの名の元に積んだ【カルマ】とは、キリスト教徒の想像を絶するものがあります。キリスト教の牧師は【カルマ】とは何かをまったく理解していなかったからです。

巷に現れるマリア霊が、我が子イエスを神と信じる者達が最後の審判時に大地の割れ目に飲み込まれていく様を涙で語って来ると言う方達があります。霊界にそうした映像があるからでしょう。キリスト教と呼ばれる宗教が過去に積んだ数々の【カルマ】は最後の審判時にはキリスト教を信じる者達が分担してその罪を負うとなりますので、そうした光景が現れているのかも知れません。絶対にそんなことは起こりえないとは言い切れない面があるのです。

イエスの教えには常に言葉足らずがあります。この【目には目を、歯には歯を】は、貴方が蒔いた悪の種の果実は自分で刈り取らなければならない【因果律】の教えと魂の【輪廻転生】だと理解していれば、その事の本質の理解はより進んでいたはずなのです。

 

人の魂は輪廻転生しており、

この世で悪を犯した者を死後の霊界で罰するは閻魔大王

 

故に、人は例え悪人と言えども個人が罰してはいけない

 

ところがキリスト教の教学では、【輪廻転生】を統括する【閻魔庁の羅王(冥府の長官)】を【悪魔(サタン)】とまでしています。それはイエスの教えが単に天国と地獄の二元論に陥ったが為に、天国界の反対は地獄界だから、地獄界は悪魔(サタン)式の単純な思考になったからと言えます。

逆に、日本の曹洞宗の信徒向けの教えである修証義等には【三時】の教えが出されています。今の人生で自分が犯した罪分を今の世で支払えないのであれば、次の人生でその罪分を支払う。その次の人生でも支払えきれない時には、更にその次の人生で残った罪分を支払うです。三時に渡ってその罪を支払うです。

実際にはその【三時】だけで終わるではありません。自分が犯した罪が残り続ける限り、この世に生まれ続けなければならないのです。修証義そのものには【輪廻】の言葉は出て来ませんが、その経典を読んでいれば【輪廻】のことが書いてあると誰でも解るわけです。霊学では、そうした過去から現在に到るまでの罪分を魂の【汚れ】と言うわけです。

 

人の魂は罪分を残している限り、輪廻は免れない

 

それが魂は【更生】の為に【後世に甦(更生)る】

 

魂の【輪廻転生】が解っていないと、今の世でその罪分を支払えと【目には目を、歯には歯を】をすると過激なことになります。そうした典型が【イスラム教】に見られるなのです。そうした理由として、キリスト教にしてもイスラム教にしても【冥府の長官(閻魔大王)】の役割がまったく理解されていないがあります。

そこにキリスト教徒は、【イエス】を主の一人御子と信じれば全ての罪が赦されるのだという、大過ちに入ってしまったと言えます。

 

自分が蒔いた悪の種の果実は、自分が刈り取るのが因果

 

スピリチュアルではカルマ(因果)の恐ろしさが解らない

 

私がスピリチュアル標榜者を批判するのは、【神の愛で何をしても赦されます】などと、とんでもないことを発信しているからです。それだと【因果律(目には目を、歯には歯を)】が理解出来ないことになります。霊界が天国と地獄しかないのであれば、短絡的に地獄を主宰するのは【悪魔】だというバカげた論理の教えに入ってしまいます。

そうしたスピリチュアル標榜者の前に現れる大天使「カブリエル」等とか称する霊達が、そうした【輪廻転生】を説明したなど一度でもあったでしょうか?。

 

私に【喰わせ者】は、がぶり得るの【大口彦】と出た

喰わせ者とは、【外観はよく見えても、その実はよくない物、いかさま者。】のことです。

 

 

そこに大本教から【鬼と云う(魂)】の総御祖神たる【牛虎(鬼)金神・国常立尊】の存在が世に明らかにされたのです。そして、【節分の炒り豆にも花が咲く】の宣伝歌も出たのです。当然にそれは【閻魔庁】のことです。もし、自分の前に【鬼】が出て来て貴方を苛(さいな)むとすれば、それは貴方自身が過去世に犯した罪の現れなのです。その人の過去世に過ちや罪の残しがないのであれば、その人の前に鬼が姿を見せるなどはあり得ないのです。

 

キリスト教イスラム教は【天国と地獄】の二元論で

 

魂が輪廻する主体の【中有界】が説かれていない

 

私は昭和五十五年に私の身に起きた出来事から霊界修業に入りました。その時に私の修業の世話をして下さったのは伏見稲荷山の豊受姫でしたが、貴方に教えが出来る様な神はこの日本には居ないと言われ。誰も教えてくれないことから、ただただ霊界を見聞して、この意味は何だろうかと探って来たと言えます。

私は四年間程伏見稲荷山で修業をさせて貰いましたが、稲荷神界にこれ以上留まっていても進歩が無い。稲荷神では【真理】にはほど遠いことから【言霊】の世界に転じたと言えます。そして日本語による【言葉の仕組】で霊界のことが解って来たと言えます。

 

私が言霊師の方を二番目の師匠としていた時、就寝しょうとすると、私に対して【自分が犯した罪の言い訳をして、自分の罪を減じて欲しい】と言って来る霊声が周囲から聞こえて来ます。あまりにもその数が多くて、騒音状態で眠れない日々が続きました。どうして私にそうしたことを言って来るのだ?。

そこで、それを二番目の師匠に尋ねると、【おまえは地獄閻魔庁の判官の一人たる者で、自分の罪を軽くして欲しいと願う霊達が押し寄せている。自分は夜は眠らなければならないので、言い訳は日中に来いと宣言すればその現象は治まる。】と言います。そこでそう宣言するとその現象は治まりました。

するとその言霊師の師匠は、【おまえは地獄界の天使だ!】と言います。私は自分が地獄界の天使だと言われてぶ然としていると、地獄界の天使とは地獄に墜ちている者達を天国に渡すだけの強力な権限を持つ。単なる天使とは霊界での格がまるで違うと言います。確かに、私自身には地獄界に墜ちている者を救うだけの権限があることは見て来ました。多くの霊を助け上げては来たのです。自分でどうして自分は霊界の【法】を超えたことをしているのか?。意味がよく解らなかったなのです。

ただ、それは私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から告げられた。【そなたが誰かを助けてやりたいと思うのであれば、その者が積んだ罪分を、今生のそなたが持つ徳(悳)分の中からの支払いとなり、その徳(悳)分を超えてまで他の魂を助けることは出来ない。】と告げられて来ました。通常、天国界行きの切符と呼ばれるものです。

 

スピリチュアルでは、この【徳(悳)】分が理解出来ない

 

魂の【心棒】として出る直心【悳(徳)】が見えていない

 

私はこの世で肉体を持っている者は私は救えないと言います。それはその魂が肉体を貰っていれば、その肉体で魂の過去の罪(カルマ)を解消しなければならないからです。その為に肉体を貰ってこの世に出た来たからです。だが、その罪(カルマ)を解消させる肉体を持たない魂で、これは気の毒だという魂に関しては私の守護霊団が私の徳(悳)分をそれらの霊に分けて使っていったので、今の私にはそうした天国行きの切符はもう無くなってしまいました。

私はそうしたことを知っているので、イエス一人が持つ徳(悳)分で、全キリスト教徒の罪を払いきれるものではないと言っているのです。

 

私の元には自分が【メシヤ】ですとか、【救世主】ですと名乗って来られる方は多々あります。その時、私はそうした名乗りをする人達の魂にどれだけ【徳(悳)分】があるのかを見ています。徳(悳)分がある方は必ず【人間性】が磨かれています。その性格は穏やかです。いくら霊能力があって強くても性格が悪い方は、その魂は磨かれているではないのです。逆に汚れています。

 

人が持つ魂が磨かれているかは、その人の性格に出る

 

魂が汚れていればいるほど魂が出す霊力は強いがある

 

ある自称救世主の方は瞬間湯沸かし器のような性格で執念深い。その魂は丸いのではなくて、捻れて尖っていました。そうした方には【正神】等は絶対に降りて来ないで、邪神界の【龍蛇霊たる神】がその背後にあるなのです。奇跡のオンパレードだけでは、その人が本物の神の使徒かどうかは判定出来ないのです。

 

豊受姫のお代であった最初の師匠は、私に対して【貴方が豊受様に対して地獄行きを命じられたならば、豊受様とて地獄に赴かなければなりません。その時は私も豊受様に従って地獄界に赴きます。】と言います。私は豊受姫にはお霊界修業の世話になって来た者であり、豊受姫が言われた言葉に嘘があったとしても、そんな程度のことで地獄行きなど命じることもありません。何故ならば如何なる神霊と言えども、全知全能と呼ばれる神ではないからです。全てが解る立場ではないからです。そうしたことは世に出ておられる総ての神霊にも言えるのです。

また、その師匠は【貴方を見て、こんな恐ろしい存在を見たことがないと言う霊能者は本物の霊能者ですが、そうでない霊能者は本物の霊能者ではありません。】と言います。私は自分では優しいと思っているのに、どこが自分は恐ろしい者かと思っていましたが、本当の霊能力者と言えるだけの方であれば、私の背後に【閻魔大王】様が見えるからです。

 

私がこれは本物級だと思った霊能者の方がありました。この方の霊能力は神仏の霊姿を写真に撮すほどの能力です。通常、神仏はその姿を写真に撮させるなど許可しないからです。同じ霊と言っても幽霊を写真に撮す方はあっても、神霊の姿ともなると難しいのです。スピリチュアルの太陽の【光のシャワー】を撮って神だと言っているのとでは次元が違うのです。

神仏は光だから姿は無いと主張される方は多いのですが、そうした方達は御本人が主張されるほど霊界での地位は高くありません。私の元に自分は救世主です。是非、貴方には私の参謀になって欲しいと言って来られた方がありました。そこで私がその方が自分は救世主だという証拠は何ですかと聞くと、自分は巨大な光に打たれて死にそうになった。その光が自分は創造神だと言う。その光からおまえは救世主だと言われたと言います。

そこで私はその光に対しての質問内容を書いて、この内容をその光に対して聞きなさいと言ったところ、その光は自分の正体は【大白蛇霊】だと自白したがあります。神霊の魂は【光の玉】であることは正しいのですが、神は光だから姿は無いと主張される方は、それほど霊界次元としては高くはないのです。その光の玉たる神仏の現れである像を写真に撮るという方は非常に霊能力がある方なのです。

 

私はその本物級の霊能者と思った方があまりにも誤ったことを言われるので注意したところ反発をされたので、それならば私の背後に【閻魔大王】様があることを見なさいと言ったところ、私が【閻魔大王】等と口に出すようでは終わりだと言われたのですが、その数日後に【光に殺される】。こんな恐ろしい光の存在は見たことが無い。どうかお許しくださいとメールで詫び状を送って来られました。日本の神仏の段階の霊では見たことが無い光の存在です。

私は【天の岩戸の中の光】を見た者で、日本に鎮座する御神霊達が放つ光を言っている者ではありません。あまりにも恐ろしい光なので、それから人々をどうすれば助けることが出来るのかと霊界修業を続けた者であり、その光の裁きから助かる道として【人に内在する良心神】を説いているだけであって、スピリチュアルが言う【光】等の段階を言っているのではないのです。為に私を拝めば助けて上げよう等の言う者ではありません。また自分が拝まれたからどうにか出来るではないのです。

私は大本教の出口王仁三郎聖師が描かれた【国常立尊】様の神姿を見たことはありませんが、【閻魔大王】と呼ばれる御神霊の姿だけは見ています。

 

為に、ラ神たる【円真(ラ王)】と言う存在を説くのです 

 

神は【光だ!】【愛だ!】だけでは、地獄が待っている 

 

それは、【目には目を、歯には歯を】の【カルマ】の原則の前では、神は【光だ!】【愛だ!】だけの教えは虚しい教えになるからです。

 

 

 

精神世界

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。


calendar
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2020 >>
日本ブログ村に参加しています(よければ応援のクリックを願います)
selected entries
archives
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM

にほんブログ村 哲学・思想ブログ アセンションへ
にほんブログ村