私の読者の皆さんが私のバナーをクリックしてくださっても、それが数字として結果に反映されていないとなります。で、私のランキングのINの順位がどんどん落ちて行くです。日本ブログ村ではそれが顕著に解るでした。
で、読者からの指摘もあり、いろいろ回復を試みましたが回復しませんでした。ようやくその原因は解りましたが、それは私個人に修復は出来ない分野であり得ない症状と言えました。そこでその記事をボツにして、再度同じ記事を別の日付で掲載させることをしましたが、それでも回復しませんでした。それは誰かが人為的にいじった物では無いからです。
それは二つのサイトで同時期に起こりましたので、霊的世界から私のブログに対して何らかの干渉があったと思われます。しかしそれは別に邪神界からの攻撃とは一概に言えません。そこには私が住む土地に要因がある可能性もあるからです。
私の家では龍達が争っており、霊的世界で何かが起きた
私が住む一帯は金龍海と言われ、霊界と関わりがある
霊世界と電気とは深い関係があり、霊が電灯やテレビのスイッチを勝手に付けたり切ったりすることは知られておりますが、PCの画面にも辞書には無い漢字に変換させたりするなどの症状もあります。霊が電気を操作するです。PCも操作出来ます。本人さんがPCの前で眠ってしまったのに、画面には文書が書かれていた等の事例もあります。
また霊玉と霊玉がぶつかれば破砕の時は電気ショートの様な火花も発します。それが花火が打ち上がったような状態も起こすです。
霊と電は【雨】が共通、雨に稲妻(牛頭虎パンツの鬼)
電気は霊世界と深い関わりがあると気づくべき
私は大本教の信徒ではありませんが、私の前に大本教の出口なお開祖と思われる霊と出口王仁三郎聖師と思われる二人の霊が出て来られて、出口なお開祖と思われる霊から【大本教はまな板の上の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第。】と告げられて、大本教神諭や霊界物語に書かれている内容の吟味と解説をさせて貰って来ました。それに関してはもう終わったと言えます。
大本教の解説は終わっており、最終局面に入っている
私は鍾馗神の案内で中国で創造神とも天子とも言われている【盤古】大神に拝謁して、盤古大神とは何者かを知りたくて大本教神諭や霊界物語を読みました。そこに出て来た内容は、今から約三十五万年前に艮(牛虎)金神・国常立尊様が地上神界の主宰神たる立場を追われて引退状態になっていたが、時節が巡って来て天の神界の主宰神の座に復帰されると予告した大本教神諭並びに霊界物語に書かれた内容の論証的な事柄でした。
しかしそれは臭い物には蓋をしていた霊界の反国常立尊派の勢力から、私に対しては【静かにしていないと攻撃するぞ。】と脅かされるでした。国常立尊の呼ばれる神のことを宣伝などするなと言うことでしょう。それで黒龍神達から警告として軽い怪我も負わされました。そうした霊界で何とか命を保ったのは、私の守護陣にそれなりの勢力があったからです。
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、それは本物だったのかを知りたくて多くの霊能者に見て貰ったところ、全員が全員とは行きませんが7〜8名の霊能者から貴方の本守護神は国常立尊様ですと指摘をされました。それが本当ならば、私はどうして邪神達の攻撃に晒されているのですかとなりますが、そこには国常立尊様は引退の【艮(牛虎)】状態があったなのです。
その旧約聖書の神と名乗る声は私に対して、【そなたがこの私に敵対する勢力に攻撃されても、私はそなたの命に関わる事でないとそなたを守らない。そなたは私の反対派の勢力から攻撃されても、自分の身は自分で守りなさい。】と告げられており、本当の守護神とは自分を24時間守ってくれている様な存在では無いと知ったなのです。ただ命に関わる様な時には助けるです。
守護神が常に助けていれば、その魂は自力で育たない
魂はこの世に降りると、誰かに叩かれ潰される修羅場
ある龍男は、本人は自分は元金龍神であったが国常立尊様の御引退で神界の勢力が赤龍神や黒龍神が主体となったことから、その身を金龍から黒龍にと色を塗り替えて生き残りを図ったと言われます。それは霊的映像を見せられると、その通りでした。
色を変えて生き残るとは、龍神界から発した言葉か!
国常立尊は多くの黒龍神が生き残る為に落ちたをご存じ
仮にそうした反国常立尊派の勢力の妨害で私の記事が出せなくなっても、もう別に問題はありません。何故ならば、もう立替と呼ばれる流れは誰にも止めることが不可能な状態に入ったからです。私のブログ記事など反国常立尊派の勢力から消されようが消されまいが、もう立替そのものには何の影響も無いのです。立替は起きるなのです。
今、世の中は悪が炙り出されていますが、大本教神諭が予告した【神が表に現れて、善と悪とに立て別ける。】的な事柄が起きているわけです。過去の罪が世の表に出て来るです。
私自身は自分の任務として知らせるべき事柄は全て出しました。もう弥勒世に渡る魂の選別も終わっています。その日が来れば一気に【即分け(節分)】となりますので、大本教神諭にあります【その時は、上の世界に行く者。下の世界に落ちる者などでごった返すので、この神も一々構っておられない。】となります。この世の者は、その事柄が来る日を待つしかないなのです。
大本教から三月三日の桃の花。五月五日の桃の実が出されましたが、今年の三月三日の桃の節句から霊世界での変化が大きくなったと見受けられましたので、近く何かが起きるであろうと予測はしていましたので、何が起きて来ても特に驚きも無いなのです。
私自身が現在一番恐れているのは立替とされる時には一部の霊能者から発信されている大地が踊るで、その大地の踊りを味わうと人の魂にトラウマ(心的外傷)が生じてしまいます。為にその時までにこの地球から新天地に向けて出発しなければなりません。それらの準備は既になされており、人々が予想していたよりも遙かに多い人達が新天地(みろく世)に向かうでしょう。
が、その前に一部の反国常立尊派の龍神達が【電気】と呼ばれる物を操り、それによって衛星通信の分野。銀行の決済システム。AIの暴走が予想されることです。今の様なコンピューターに支配される時代は電気で操作する機器の数字を狂わせることで、近代社会など簡単に崩せるからです。電気が送れないと電車が走らないだけでなく、水道水も送れなくなります。
それが太陽のフレアーから来るものであっても、北朝鮮が考えている様なパルス爆弾の様なものであっても、近代社会は【電気信号】を狂わせるだけでインフラを破壊させることが出来るのです。
大本教から霊界物語が出されたのは大正十年の十月になりますが、私が住む場所はその霊界物語が出される以前(大正九年?)に大本教の出口王仁三郎聖師が数名の大本教信徒に【教団には内密でその土地を死守して欲しい。】と頼まれた土地の一角で、私は何も知らずに伏見稲荷大社の豊受姫様の命令により、その地に居を構えました。
その為にその地で3年間にも及ぶ大ラップ現象を体験したり、その地に関わる龍神と呼ばれる存在の【浄霊】で肉体的にはボロボロになっているとも言えます。
霊界に関わって驚いたのは、霊の浄化が説かれていない
日本神道の祓い戸の神だけでは、霊的汚れは消えない
私にその土地に行けと命じられた豊受姫の御代をされていた方が、あんな土地に行けば貴方は殺されると言われましたが、霊能者ならば逃げて行く土地と言えます。よくぞ生きられたと言えます。死んでいても別におかしくはありませんでした。なまじ霊が見えるではないので、逆にそこに住めているがあります。
私が住む場所に来ようとした霊能者の方達は一部の方を除いて、あんな恐ろしい土地はと逃げられました。その地に留まれた霊能者のみが、その土地が持つ意味が解られたと言えます。そこに在るのは今の時代の神々ではなく、今の人類が知らない神代の時代に起きた出来事。そしてその神々とは、この宇宙創造に関わった時代の神々です。
大本教の説明ではそれらは今から約三十五万年ほど前の出来事で、人類の歴史では証明出来ない事柄を大本教霊界物語として出しましたが、霊界物語は霊的世界(神代時代)には起きたと言える事柄なのです。
この世にある物は霊界には全て在るとされますが、逆に霊界には存在していてもこの世に無い物も多数あります。それらも昔は存在していたです。この世を創った神の働きとしての【龍神】と呼ばれる存在も抜くことが出来ず、この世には【龍男・龍女】と呼ばれる人達も存在します。そこに蛇霊から来た【龍】とそうではない【龍】が出て来ますが、それらは【流】としての括りなのです。こうした説明が出来るのが日本語だけなのです。
その人類の歴史では解らない超古代の龍神の浄霊ともなれば激しい下痢を伴い、命に関わって来るものなのです。自分にはいくら何百万騎や億とも言う蛇霊系の龍神を従えていると豪語される人でも、それが何の浄霊もされていない龍神であれば龍神浄霊とはどれほど過酷なものか理解すら出来ないとなります。
私が住む一帯の土地に関して、大本教の出口王仁三郎聖師は綾部の大本教神苑内の金龍池は型であり。本当の金龍池があった場所と指摘された場所の一角で、有能な霊能者によればそれら一帯の土地は【陸(あげ)の龍宮城】との指摘があります。
綾部の陸の龍宮城の龍神の呼吸口と称される土地からは、若狭湾の国常立尊様の島と言われる冠島(別名龍宮島)や豊雲野尊様の沓島(鬼門島)に繋がる龍神が通る専用の水脈道があると指摘する霊能者の方達もあります。私は霊場と霊場を結ぶ土中に龍神専用の霊道が有ったことから、海中にも龍神専用の高速道路的な霊道が有っても不思議ではないと見ています。
私が住む土地そのものではありませんが、同じく出口王仁三郎聖師が当時の信徒さんにその土地を死守してほしいと頼まれた土地に関して、出口王仁三郎聖師は一部の弟子達にその土地には弥勒世で使われる無尽蔵に有る龍宮城のお宝が埋められていると言い残されて、出口王仁三郎聖師が死去された後、それを聞かされていた弟子達がその信徒さんの遺族を探し許可を得て、その土地をショベルカーで掘り返したが何も出て来なかったがあります。
龍宮城は高次元界の存在で、お宝はこの世では無い
私の神霊界修行の世話を頂いた豊受姫は【綾部は神の聖都】と言われましたが、その理由として人類がその姿を見たことが無い創造神が綾部の土地にやがて降下されると私に告げられたがあります。その場所とは【霊的に汚れた場所】と言われます。その土地を先に清めておかないと、創造神その方が天下れない。
人類がその姿を見たことが無い創造神とは、稲荷大神秘文に【それ神は唯一にして御形無し。虚にして霊あり。天地開けてこの方、国常立尊と拝し奉れば豊受の神の流れと】ありますが、その国常立尊様よりも上位の御神霊とされています。で、人類は誰も見たことが無い神なのです。見たことが無いから誰にも解らないのです。
ただ大本教から、その神の名は【天之峰火夫皇大御神】として出されました。
天之峰火夫皇大御神の降臨月は、七の月とされる
そのエネルギーは凄まじく、ブラックホールの様な物だとする説もあります。天の峰の火の言葉からすると、神の火の働きとも言えます。
何の汚れも無い場所を選んで霊場とする神霊もあれば
逆に汚れた場所を清めに清めて鎮座する神霊も有る
3月7日にブログ記事を投稿して一週間、異常を起こしていましたが一週間後の3月14日に入ると、その異常を起こしていた原因の部分が日本ブログ村に関しては正常に戻っていました。そして12日付けに移行した7日の記事も見られるようになりましたが、未だランキング表示は正常には戻っていません。
またairw.netでは異常状態が今も継続しています。記事そのものは見られますが、INのカウントが上がらずにランキングが落ちるです。明らかに霊界から何等かの干渉があったと思われます。
霊的世界は何を知らせたかったのでしょうか?
もしこれが霊界からの何らかの警告だとすると、電気に頼る生活の見直しです。
私のブログの異常にいち早く気づいて連絡を下さった読者の方、お礼を申し上げます。今後ともよろしくお願いします。ブログを借りまして、御礼申し上げます。
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明治29年旧12月2日の大本教の神諭には【艮の金神はこの世の閻魔と現れるぞよ、この日本は、元は神の直系の分霊(わけみたま)が授けてある。外国霊魂とは一段も二段も上の身魂であるぞよ。言葉もその通りであるぞよ。時節参りて煎豆にも花が咲きて・・・・・・】とあります。そこに日本で使われる言葉とは西洋が使う言葉とは違うぞとあるわけです。
どうして民族で言葉が違う?。霊界で言葉の翻訳は?
この大本教神諭の日本人の魂とは俗に【大和魂】のことで、外国霊魂とは一段も二段も上の身魂であるぞよとあることに関しては、明治36年旧6月4日の大本教神諭に【日本も外国も別に違うた事はない筈じゃ。同じ神の造りたる国であるのに、日本、日本と依怙贔屓を致す、世間知らずの狭い勝手な神じゃ」と申すものは沢山現れて来るなれど、ソレは天地の先祖の神の広い御心が判らん、悪の守護神の憑(うつ)りて居る外国身魂であるから・・・・・・】と有る内容に関係しているのです。
日本の国土とは大本教から出された【世界の大陸の雛形】となっています。それが理解出来ない人にはその大本教神諭の文面の理解は難しいのかも知れません。人の魂の輪廻転生から言えば、黒人種から白人種。白人種から黄色人種にが見られます。そして日本生まれ出ることは神に上がる一歩に近づいて来ているなのです。それは日本には皇室の祖神とされる天照大御神が祭られているすることとは、まったく関係が無い事項なのです。
日本神道の世界に入ると、日本は旧約聖書の世界か?
私は子供の頃、キリスト教の家系でも無い自分に旧約聖書の神と称する声が臨んで来ることを不思議に思っていました。しかし自分が日本神道の世界に入って、この日本こそが旧約聖書の神の国ではないかです。
私は多くの霊能者の霊査を受けて、7〜8名の霊能者から貴方の本守護神は国常立尊様ですよと指摘をされて、大本教から出されたウシトラ(牛虎)金神国常立尊とは旧約聖書の神であると解って来たと言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師の自分(出口王仁三郎聖師)と開祖(出口なお師)は旧約聖書に予言された男女二人の預言者であるの言葉は、間違いないであろうです。ただどうして旧約聖書の神が日本の国祖たる神なのか?。そこには宗教の世界では解らない霊界での物語があるのです。するとキリストたる【救世主】は何かとなります。そこに来るのが大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水)】となるなのです。
一輪の言霊に救世主(キリスト)の役割が授けてある
霊界を見聞していると面白いことが解って来ます。それは西洋人の霊が語りかけて来る言葉も自動で日本語に翻訳されていることです。霊的世界の存在を信じていない人は英語が解らない日本の霊能者が、どうして外国人の言葉を理解しているのかは謎だったはずです。
そうした時、日本の恐山のイタコなどに見られることは外国人の霊がズーズー弁で語りかけて来るとなりますが、それはイタコを務めている人がそこに出て来た霊の想いを自分が受け取り、その霊の想いを自分が使っている言葉でしゃべろうとすることからズーズー弁になってしまうなのです。そこにあるのは霊の直接の言葉では無く、自分の意思が入り、純粋な霊媒者が告げる霊の言葉とは違っているのです。それは【想念の伝達】に過ぎないなのです。
この想念の伝達は【霊の憑依】と同様のことであり、そこに出て来た霊の想いを受け取る。スピリチュアルに見られる【霊感】的な要素で、純粋な霊媒者による霊からの伝達とは違って来たりするなのです。神霊からの言葉も完全霊媒者の口を借りて降りる神示と霊感で受け取る物とは違うと言ってもよいのです。
純粋の霊媒者は自分の肉体を霊に貸して、その霊に自分の肉体を貸している間は霊界の違う場所に行っていて、自分の肉体が如何なる言葉をしゃべっていたのか知らないとなります。それが完璧なタイプの完全霊媒者ですが、それが出来る霊媒者の数が極端に少ないことから世間的にはその存在が知られていないとなります。単なる霊感とその違いも理解されていないとなります。
霊の想いを受けて告げる内容と、霊直接の言葉とは違う
霊界には人を欺して喜んでいる霊や俺々詐欺団も多い
霊的世界に関わると霊界には嘘を出して、欺したぞと喜んでいる霊や俺々詐欺師の様な集団で欺しに来る霊団もあると解って来ます。特にこの俺々詐欺団は分担して詐欺に掛けて来ますので、それに欺された宗教家や霊能者は多いとなります。時にはその俺々詐欺集団が大宗教と化すもあります。
霊世界には俺々詐欺団の宗教が創った大教団も見られる
そうした霊界の俺々詐欺集団が創った宗教団体に入信しても、連れて行かれるのは地獄界。この世ではそうした宗教団体に大金を巻き上げられる。
一般的に霊の想いを受けてその言葉を告げる人を巫女とかシャーマンとかイタコとか口寄せとかその言い方は違っていますが、そうした存在を【霊媒】者と呼んでいます。そうした中でスピリチュアル標榜者が語る自分の霊感と完全霊媒型者が出す霊の言葉とではまるで違うことが世間的には理解されていません。霊感を振りまく人の数は多いが、完全型霊媒者はその数が極端に少ないことから解らないのです。
完全型の純粋な霊媒者だと、その霊媒者の肉体を占有した霊が直接にその肉体の口を借りてしゃべるので、英語圏の西洋人の霊ならば英語でこちらに語りかけて来るとなります。そうなりますと日本語しか解らない日本の霊能者は、相手がしゃべる言葉が今度は自分には解らないとなります。それはその霊の想いを受け止めてその想いを告げるのとは意味が違うからです。
しかし宗教の世界では、そうした異国の霊がしゃべる言葉はどうなっているのかの議論すらなかったことが解ります。説明もされていません。
宗教の世界ではキリスト教はイエス一人を主の御子と信じてさえいれば人類の原罪が赦されて天国に行けるの一点張りですし、イスラム教はアラーの神は偉大なりと唱えていれば天国界式の教えで、死者と成った霊との会話はどうなっているのとか、そうしたことにあまり言及していません。
イスラム教においては霊は偶像に宿ることは理解していて、偶像禁止だと仏教の寺院等を破壊して来ましたが、ではどうして霊は偶像に宿っているのか?。その理由が解っていたとは言えません。イスラム教の開祖ムハンマドはお釈迦様とは違い、識界レベルが低かったがありますが、基本的に西洋で天使長とか大天使とされたミカエルとかカブリエルと呼称していた霊そのものが、霊界での識格が低かったもあります。
特にキリスト教は中世ヨーロッパに見られた霊と会話したと言えば、イエス以外の者に神と会話など出来ないとして魔女の烙印を押して、掴まえて裁判で火炙りの刑と言う暴挙を積んで来ただけなのです。為にキリスト教はキリスト教自身が過去に犯した罪のカルマの数々で、もうどうにも成らないところまで来ていると言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師が残された【地獄を覗けば牧師で一杯だ!】も嘘とは言えないのです。
ただキリスト教系とされるモルモン教の聖書を読みますと、天使が伝えた事柄として異国の霊で使っている言葉が違っている霊との会話には【自動翻訳機】と言う言葉が出て来ます。今は便利な時代となって異国の人との会話は文字に起こして、文字を通して異国の人と会話することが出来るようになりつつありますが、そこには【翻訳機】と呼ばれる機械が必要になります。
しかしモルモン教の聖書に出て来ます【自動翻訳】には機械は無いはずなのです。それは私自身外国人であった霊との会話に、そうした機械を必要とせずに、私自身外国で生まれ育った霊の言葉を日本語で受け取っていたからです。別にその霊から言葉の意味が理解出来ないと言われたこともありません。その言葉の翻訳が機械的なことでないことは、そうした外国人だった霊との会話の【声質】はその言語を替えようが同じ【音質】であることから、その霊だと解って来るからです。
霊にも変えられない物に、魂の霊臭や霊の声質がある
私は子供の頃はその姿を見たではありませんが、旧約聖書の神と称する声から教えを受け続けていました。それで何れ自分は神霊世界に関わらなければならない時が来る。そうした覚悟をしていました。それはそうした神界の用務の為に、今生は人として降りたと聞かされていたからです。人は霊的世界など関わらなくてよければ、関わらない方が人間としては幸せなのです。スピリチュアルは儲かりますと言っているのは、スピリチュアル界だけなのです。
神の世界は奉る(たてまつる)で、奉仕の精神で進む
この世は霊世界の存在を知るで無く、汚れた魂を磨く
そうした覚悟の上で私が神霊世界に関わったのは、私の目は開いてているにも関わらず、何の光も見えて来ない真っ暗闇の中に落とされて、私にこんな恐ろしい声があるのかと震え上がらせる霊声が臨み、そのあまりにも恐ろしい【霊声】から神霊世界の修業に入ったと言えます。それは私が子供の頃に聞いていた旧約聖書の神と称する声とはまったく異質の恐ろしい声だったのです。
そして4年間ばかり稲荷神界で豊受姫にお世話になり、日本神道の天津神、国津神、仏教で語られる如来、菩薩、明王などの世界。そして眷属と呼ばれる龍神とか蛇霊、狐霊の存在。それに仙人や天狗と呼ばれている存在も見て来ました。世に言われている霊的事物は全て有るなのです。霊界には天国界や地獄界だけでなく、【中有界】と呼ばれる世界が在り、その中有界こそ【輪廻転生】の大元の界と言えました。
魂は中有界を経て、悪しき想念を落として天国に向かう
中有界に留まる限り、魂は輪廻転生から脱却は難しい
で、霊界を語る人は誰も特別に大きな嘘を言っているのではないと解って来ました。霊界はその人が見る世界の見方によって、神や霊の世界の解釈が違っているなのです。すなわち次元と呼ばれる界によって、霊達は隔てられた界に在るです。お釈迦様で言われる八次元の世界から降り立った様な魂と六次元の世界から降り立った様な魂では、まったく違っているです。そこに【天使の記章】と呼ばれる【神霊には階級がある。】なのです。
私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。私の教えはこの日本の国の中に在る。この私のことは日本以外の国では解らない。】と告げられました。
私の家の浴室の前に大本教の出口王仁三郎聖師と思われる霊が【漢字】と描かれた浴衣姿で出て来られましたが、そこに【漢字】から学べのアドバイスがありました。その出口王仁三郎聖師霊は私に【アラーの神とは、ア門ラー】と暗示されたのです。アイウエオのアの門から入って、【ラ】に到るのがアラーの神。それはミカエルだとガブリエルと称する者達が言うアラーの神とは違っていたなのです。
大本教から出された牛虎金神の意味は、牛頭虎パンツの【鬼が云う】は【魂】と呼ばれる漢字を教える為の仕掛けです。艮の漢字に【点(天)】を付ければ【良】の漢字になる。そこに大本教から【天に帰る】までの【艮(ウシトラ)】が出ました。悪魔とは魂の真ん中の【核】の部分を【空く間】にすれば悪魔と成る。全て日本語で神の存在が解ける様になっているではないかです。
私達は盗みをする人を【泥棒】と言いますが、どうして泥の棒なのだろうと思っていましたが、魂は丸い玉で、円い球には必ず【心棒】があります。この心棒が泥の棒と化した状態が泥棒で、魂の心棒はこの世の苦の【辛抱】で磨かれると解りました。悔い改めるとは、その魂の心棒たる【杭】を改めるです。そこには魂は永遠に不滅では無く、腐るもあるなのです。
大本教神諭の【この世の閻魔大王】として現れるも、この世の閻魔とは人の魂の中にある良心神のことであり。魂は【○に・(黒点)】でこの世の【円真(エンマ)】として解るようになっているのです。それを日本の言葉で解らせる為に、出口王仁三郎聖師は日本の【尊は御言(みこと)】のことであると出されたと言えます。
国常立尊とは【日本の国に常に立つ御言(みこと)】となるなのですが、それは【日本語】のことであるとなるのです。そして日本では神を【尊や命】の漢字で表しますが、命は【イノチ】も振ってあるわけです。新訳聖書の初めに言葉は神と共に在ったよりも、命は御言として在ったの方が解りやすいでしょう。
人は祝詞や御経を上げても言葉の仕掛けは知らなかった
霊界を見聞していますと、金色の発光で【漢字】が出て来ます。俗に【金文字】と呼ばれているのですが、この金文字には特徴があるのです。
霊は嘘の言葉を出すが、金文字で出た言葉に嘘は無い
日本語の特性は【漢字】がないと【感じ】が掴めない
新約聖書において【初めに言葉は神と共に在った。】は有名な出だしですが、これで【神は言葉なり】を理解することは不可能と言えます。識界レベルで創造神を第十識界とするとお釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。ムハンマドは第四識界と言われていますが、【言葉と神の関係】に関しては大本教の出口王仁三郎聖師が世に出て来られるまでは誰にも解らなかったと言えます。
私は自分が神霊界見聞をさせて貰って【金文字】に触れたのですが、それは霊界と呼ばれ空間上に現れる光の金文字なので、写真に写るではありません。ただその金文字を見ていると、その母体は【象形文字】であると解るのです。何故に、象形文字はエネルギーを発している?。スピリチュアルでは万物は【光から生まれた】としますが、光が元となって万物が産まれた。為に万物は光の残影を持つなのです。その万物の象形が文字と成ったのが【感じ(漢字)】なのです。
そして漢字の【神】は、言葉を申し示す【?】と成っているなのです。それをエネルギーと見る時は火水(かみ)と呼ばれるです。そこに西洋人には【神は言葉】は理解出来ないとなるのです。
この世に現れた事物は【象形】でエネルギーを有した
象形文字(絵文字)で伝える【絵伝】は解釈力が必要
霊的世界に関わっていますと、不思議な出来事に出会います。それは出版された本でも悪臭を放っている本もあれば、香しい匂いを放っている本もあります。それは日本で出された本に書かれた文字が象形文字から起きることで、西洋のアルファベット文字の様な表音記号ではそうした霊的事物が発生して来ないなのです。
汚れた言葉を放つ本は、その文字からも悪臭を放つ
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霊が告げる言葉に絶対は無い。どの次元界の霊かが重要
霊能力がある方から、貴方は昨日は何を食べましたねと食べた物を細かく言い当てられる。どんな人と出会ったかを指摘される。また浮気していますね等の不倫を指摘される。そうした類いのことはよく見えていて当たるのですが、大地震とか火山の爆発とか天変地異に関わる様な肝心要と呼ばれる重要な事柄となるとまるで当たらないがあります。
スピリチュアルではよく宇宙司令官等の言葉が飛び出してきますが、そうした宇宙司令官と名乗る霊が予言した内容で今日まで当たった試しがありません。典型的な霊は嘘つきだ!。となります。そうしたことからそうした霊は蛇霊や狐霊と呼ばれているなのです。
そうした中で20世紀は戦争の時代とされましたが、大本教の出口王仁三郎聖師の予言は日清・日露の戦だけでなく太平洋戦争の戦の様子も予言が的中し、日本の広島や長崎に新型爆弾が投下されて火の海に成るも的中しました。戦争だけで無く関東大震災も予告され、関東に居る大本教信徒は震災から逃げることが出来ました。
私がお世話になった豊受姫も御代をされていた方に阪神淡路大震災を事前に告げておられましたが、神霊段階ではそうした天変地異が起きることは解っていても、それを受け取れるだけの神霊の御代が勤まる取次の霊能者が居なくなったが正解なのです。霊能者と呼ばれる人達が昔の方と比べると小粒に成ったのです。神霊は霊が見える程度では、誰にでもそうしたことを教えないからです。
蛇霊で宇宙的なことを告げて来るのは、爬虫類宇宙人
そうした霊はいくら宇宙人と言っていても蛇霊系と呼ばれます。蛇霊と呼ぶ存在は、別にこの地球の蛇だけの存在ではないのです。蛇霊でも狐霊でも宇宙と関わってはいるのです。それはこの地球は宇宙における魂の修業場という特性を持つからです。
蛇と呼ぶ存在は【虫(無視)と它(舵)】に意味がある
そうした時、その霊を蛇や狐と呼んでいるだけでは、蛇や狐は神にも成れるのに人はどうして神には成れないのかとなります。ただ蛇や狐と呼ばれる神霊から現世御利益を貰う為に必死で祈る。それらを信仰するです。そこに蛇や狐は神と呼ばれる様な存在ともなり、どうして彼らはそうした霊力を持つのか?。人では神と呼ばれる存在に成れないのか?。そうした疑問を出す人が少ないなのです。
蛇霊神と呼ばれている存在が悔い改めると人の姿に戻って行く。時には天人の世界に帰って行く。白狐と呼ばれる存在が人間界と白狐界との間を輪廻往復している。つまり蛇霊や狐霊と呼ばれている存在も、かっては人で在ったとなります。
大本教から出された人は【霊止(ひと)】は画期的な教え
人は自分が霊媒体質者であると、自分に霊が憑依して来ることからこの【人(ひと)は霊止(ひと)】の意味が解ります。人の肉体には多くの霊の思い(想念)が懸かっていて、その想いによって行動しているからです。それが仏教における般若心経の【受想行識】につながるのです。よく自分は悟りを開いたと言われる方がありますが、どこに悟りを開いたと言えます。もし悟りが開いていれば般若心経の【受想行識】の意味が理解出来ていたはずなのです。
人は(ひと)霊止であるが故に、多くの霊の想いを受けています。その霊の想いは重く、他人の想いが自分の魂に付着すると自分の魂の汚れにつながります。魂は非常に軽い物で、魂に霊的汚れが付着すると重くなって沈みます。それが神霊は【高山】に留まるなのです。下界の汚れた層を嫌うなのです。
魂がこの世に降りて来るのは【諸刃の剣】であり、この世は魂磨きの場でもありますが、逆に自分の魂を汚して落ちる場でもあるのです。
この世は悪神悪霊の手先となって霊が見えている人達もあります。そうした人達は魂磨きは辛いから止めましょう。良心の呵責は重いから捨てましょう。神は愛だから何をしても赦してくださいます。そうしたことを言って、その魂が自己の汚れから地獄界に向かうように奨めているからです。それは地獄界の仲間増やしです。
人は霊止故に、汚れた霊の想念を受けると自分も汚れる
この世に出た以上、魂磨きをしていないと霊的に落ちる
しかしこの世に降りないと、霊界での自分の魂の地位を上げることは不可能に近いがあるのです。霊界でいくら自分の地位を上げようとしても、霊界は自分と同じ想念の魂ばかりが集まる習性(類は類を呼ぶソウルメイト)があり、霊界で自分だけが地位を上げるのは実質的に不可能であり、魂の世界で自分の地位を上げようとすると、この世に出る必要があるのです。
もし霊が告げる内容が常に正しいのであれば、人類は既に霊界の全容を掴んでいました。だが未だに霊界の全容が掴めていないわけです。霊界の存在を告げる霊能者は少数は居れども、その内容は人によって違っていて誰の説が正しいのかさっぱり解らないがあります。
例えば仏教を開かれたお釈迦様の教えは自らが仏陀と成る道を行くですが、キリスト教等はイエス一人を主の御子と仰げば罪が赦されて天国に行けるで、根本的に教えが違っています。イエス一人を主の御子と信じても、それだけでは天国界に導かれることは絶対にありません。
アラーの神と称えているだけでは天国界には行けません。アラーの神は偉大なりと言って、銃をぶっ放すをしていればアラーの神が喜ぶかです。そんなアラーの神は存在していないのです。すると天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称して出て来る連中も危ない存在だとなります。
私は大本教の出口王仁三郎聖師と思われる霊から、【アラーの神とは、「ア」の門から「ラ」に到る道】と暗示されて、アラーの道とは何だ?、と思っていました。まさか日本語の【ア】から【ラ】に到る【41(みのおわりの国から)】の道とは、当時は思いもしなかったなのです。
スピリチュアルを呼称する人達の前に自分は天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する霊が現れるはありますが、彼らが地上界に起きる災害等を事前に予告して言い当てたともなれば彼らの実力を認めなければなりませんが、ミカエルとかガブリエルと称する霊が予言して言い当てた実績は数少ないと言えます。スピリチュアルと称する人達の前に現れる宇宙司令官等と称する者が言う予言も、ほとんど当たった試しが無いのと同じ事です。当たらない予言を平気で言って来る。
霊は予言が外れても、間違ったことを詫びるをしない
人の肉体には良心神は見られるが、霊に良心神は無い
日本の神道界では魂の【一霊四魂】が説かれており、その一霊は【直霊】と呼ばれ【天帝の分魂】のことであり、その働きは良心を司っているとされています。がその直霊は肉体の死で天に帰り、この世を去った魂にはその直霊(良心の働き)は無いとされています。キリスト教の様にイエス一人が主の御子など、真っ赤な嘘と見るのです。そこに大本教からは【人は神の子・神の宮】が出されたと言えます。
世紀の大予言者と言える大本教の出口王仁三郎聖師の予言は当たり、大正時代に現在のスマホの登場を予告しておられます。その出口王仁三郎聖師は霊界にミカエル等と呼ぶ名の天使長などは存在しない。日本語の【省みる】の意味だと述べておられますが、すると天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称して出て来る者は何者かとなります。
大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水Or秘密)】を読み解くならば、そこには【言葉の意味】をどう解釈するかがありました。私はその大本教神諭予告の【九つ花】から、五六億七千万の意味を読み切ったなのです。そしてたった一輪の言霊から、お釈迦様の悟りと【みろく菩薩】を仕掛けた神が存在しているに当たったなのです。
もし日本語が神の言葉であるとして、そこに【とりのはねをもて】と出されたならば、私は十里(とり)に八根を持つと読みましたが、私でない者の中には【鳥の羽根を持つことだ!】と解釈する者も出るでしょう。西洋で天使と呼ばれる者達がいくら天使の羽根を羽ばたかせようが、霊界の壁である高山は越せないのです。高山の壁ではなく、霊界の次元界を上がる道が存在したのです。
みろく菩薩と五六七千万を仕掛けた神は想像を絶する
私はその姿を見ないが、宇宙創造神の存在を観じる
日本では伊勢神宮に天照大御神と呼ばれる御神霊が鎮座され、出雲大社には大国主命と呼ばれる御神霊が鎮座されています。私は神霊界の修業時代はその大国主命様に畳の上をゴロゴロと転がされていましたが、その大国主命様からは霊界の真相に関しては何も教えて貰えませんでした。
当時、私の神霊界修行の世話して下さった豊受姫は、私に対して【貴方に教えが出来る神等、世界中探しても存在しませんよ。】と告げられましたが、何人もの霊能者からも同様に貴方に教えが出来る神等は日本には居ないと告げられました。
そうした中で、誰が私の【師】と成ったかです。仏教ではこの世は【虚空蔵】から産まれたとします。その虚空蔵とは【空間】という言葉の意味なのですが、単に【空間】で捉えようとすると難しいと言えます。しかし【虚空】菩薩の漢字から掴もうとすると、あることが解ります。
虚空菩薩は牛年虎年の守護仏。大本教から【牛虎金神】
虚空の虚には【虍】。【七の世】は演(寅)技を秘める
艮(牛虎)金神・国常立尊を世に打ち出した大本教神諭には、【この神が世に出ている神々をたぶらかして使って来た。】とあります。一見すると【誑かす(たぶらかす)】の言葉は神が使う言葉かとなりますが、そこには【嘘から真実を掴む】作業が必要となります。
神の世界を見せる舞台の劇には【虍】の【嘘】が必要で
日本の諺に嘘は誠の皮なりて、嘘を叩いて誠の骨とする
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この私が書いた神の世界の舞台の筋書きは、世に出ておられる神々はどなたも知ってはおられない。この私だけがその筋書きを知っている。そなたも含めて、この神が舞台監督をして人民や神々に演じて見せる舞台に上がる者は、その舞台の筋書きを知らずに演じなければならない。】と告げられたのです。それ自体は大本教神諭に【神も人民も知ることでは無い。】とあります。
その時は何の筋書き(ストーリー)も渡されずに、どうやって神の世界の舞台の筋書きを演じるのだろうと不思議に思っていましたが、そこに在ったのが【牛虎の虚空蔵】。大本教神諭に残される神々をたぶらかして使って来た【嘘を固めて、誠の骨とする。】なのです。その【誠】とは、【言葉で成る仕組み】のことです。
この世を被う嘘(虚空蔵)を叩かないと真理が見えない
嘘が多い神霊は嘘の叩きが少なく、嘘を叩く神ほど当たる
そこに【サニワ(審神)】の重要性が語られるのですが、サニワの重要性を知る霊能者ほど正解率が高い霊能者と呼ばれ、当たりもしない内容を告げている霊の言葉を常に信じる霊能者は低い霊能者と呼ばれるなのです。神霊が言われることは全て正しいと思ってる様では失格なのです。そうした時、自分が霊から聞いて告げられた内容が嘘であったは往々にあるなのです。
私が子供の時に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この神が告げる言葉すら疑え。神の世界からこの世に降ろす言葉は、その途中を悪神達も聞いている。為に真実を降ろすと悪神達に利用される。そこで「言葉を暗号化」して降ろす。その暗号を紐解く能力が試される。】と告げられたなのです。
霊の言葉は嘘が多いと諦めるか!。嘘を突き破るか!
霊能者の間ではお釈迦様とイエスは八次元界。それにモーゼや大本教の出口王仁三郎聖師も八次元界の方と見るがあります。で、欲を描いた幸福の科学の大川氏は自分はお釈迦様とイエスとモーゼを出した本体たる永遠仏陀で九次元界と称していたがあります。そして十三次元等の大嘘の中に入ったです。
世間には自分を救世主だと称された【五井野正】博士やヨガの大家として知られた【本山博】博士は七次元界の呼称でした。それは正当なところでしょう。しかし七次元くらいでは【真相】には遠いと言えます。
霊的世界は、自分が霊階級を上げないと真相が掴めない
霊が言う言葉は当たらないから死後の世界は無いでなく
優れた霊能者と低い霊能者では、見ている霊世界が違う
そうした中で予言者と呼ばれて、未だ来てもいない未来の出来事を言い当てる予言者ともなれば、それはまさしく神の世界から派遣された方と言えます。日本における霊能者の中で大本教の出口王仁三郎聖師に対する評価がズバ抜けて高いのは、その予言内容がみろくの世の到来は未だ訪れていませんが、他の予言は当たっていたからです。過去に言い当てた人の実績としては群を抜いておられるなのです。
多くの相談者が霊能者の元に相談に行くのは、その多くが自分が煩っている病を治して欲しい。自分との悪縁を持った者との縁を切って欲しい。良い就職先。良い恋愛の相談があります。今の現実の苦しみから救って欲しいです。そこには各自の魂には前世が在り。その前世での自分の所業が自分には解らないがあります。
人は誰も自分の過去が解らないから、刹那心に溺れる
そうした悪霊との縁切りや病気治し。御利益的なことは遺憾なく霊力を発揮される御神霊でも、未来を告げる予測となると外れるがあります。それはそうした働きを示す霊の次元格によるなのです。
神霊の言葉が外れたら悪神では無く、嘘は霊界の構造
大本教の出口王仁三郎聖師の様な大予言者は別格として、通常の霊能者として仮にある御神霊のAさんに対して降ろす内容はよく当たるとしても、Bさんに対して降ろす神示はまったく当たらないがあります。どうしてAさんに対しては当たるのにBさんは当たらない不思議があります。そこにあるのはAさんとBさんの魂には霊界での格の違いがあります。
この世に出ている人の魂の霊格は同じ霊界の出身ではないからです。この世は高い霊界の出身の方も在れば、低い霊界の出身の方もあるのです。一緒に学ぶのがこの世の仕組みなのです。それによって、一気に霊界での地位が向上するなのです。
霊界は自分より下の霊は言い当てても、格上は外れる
そこに人には守護神が就いて、その守護神の力がある
例えば霊能者として神霊相談をしている方を守護している神霊よりも、相談に訪れたAさんにその霊能者よりも高い神格の神霊が守護している様な場合、霊能者がそのAさんを助けようとしても手が出さないがあります。そのAさんを守護している霊は、どうやってそのAさんを導こうとしているのか?。そうしたことが解らない為に、要らぬお節介をするなとなります。
霊界は階級社会と解ると、ある程度の意味は解る
天ノ岩戸(一八十)とは、霊界の霊の階級を意味した
霊界は存在しないではなく、虚によって解らないのです
この世に住む私達と霊世界とは霊場と呼ばれる一部の磁場を除いて次元の壁によって隔離されていましたが、現在は霊止たる人と霊の混在化が起きて来ています。すなわち人が死後に渡っていた霊界ではなく、この世そのものが霊界との一体化です。それはスピリチュアルで説かれる次元上昇には当たっているのですが、それでこの地球上が【みろくの世】に成るではないのです。それはこの世は魂の修業場としての使命を終えたなのです。もうこの地球は魂を成長させるでなく【魂の堕落】を促す世界と成ったからです。
この世は魂の修業場として、長らく存在して来たが
高次元世界に進む場として、魂が留まる価値を失った
魂はこの地球に留まっていても天人界に進む修行場としては適さないようになり、このままでは【三次元界と四次元界】とを往復する生死の輪廻の繰り返しのみで、天人界や神界等の高次元界には上がれない世界となります。
そこに魂は高次元世界に【脱出】しなければならない
それが【五六七(みろく世)の次元】界と呼ばれる界
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一時は大本教で説いた国常立尊の地上神界の主宰神として復帰の為に活動されている方はそれなりにありましたが、今は私を含めて少しとなりました。今のスピリチュアル界では【国常立尊】様が語られることはまずありません。語ったとしても【鬼】呼ばわりですが、霊的世界では大きな変革が生じているはずなのです。
その動きは私達に否が応でも宇宙に目を向けさせることになるはずなのです。それは大本教の出口王仁三郎聖師が告げられた【宇宙開闢以来の大ショー(見世物)】が起きる可能性があるからです。日本神話の天の岩戸開けとは、弟君の素戔嗚尊が暴れたから姉君の天照大御神が天の岩戸と呼ばれる洞窟の中にお隠れになった等の子供向けの神話ではないからです。
私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、【私はそなたを霊界の一番下の地位からスタートさせる。】と告げられて、この世における修学で霊界での立ち位置を上げて来ました。その過程では霊がよく見える時期もありましたが、今は稲荷神界を離れ、神社の神々の心の持ち方に愛想も尽きて、今の神霊界に何が起きているのかよく掴めないがありました。
神社は存在していても、もう神社に鎮座しておられる神々には何の期待もしていないです。真実を知る神が存在しておられない。大変革に対処出来る神霊が見当たらない。
今は神社に鎮座する御神霊も、よく見えない解らない時節
大変革の足音は聞こえても、その動きは龍神界に見る
私は稲荷神界で神霊界修行をさせて貰いました。通常稲荷神は【狐霊】神とされていることで解る様に白狐達が活動する世界ですが、白狐霊とは単なる白色の狐のことではないのです。私が初めて伏見稲荷大社講務本庁の支部長で豊受姫の御代をされている方に連れられて伏見稲荷山に上がった時、その支部長に従う霊媒者に入った豊川稲荷の眷属であるところの大幹部の白狐霊は、その支部講員さん達に向かって、
人間の分際で頭が高い。下郎ども下がりおれと一喝した
それを聞いた講員さん達は思わず震え上がって下がっておられましたが、私は思わず吹き出し笑いをしていました。なるほど、白狐界の大物ともなれば、人間の分際で頭が高い。下郎ども下がりおれ!。かです。
人の世では人間は獣達よりも自分は偉い。それだけの感覚です。確かに人類は霊長類の長とされますが、何故に人は霊長類と呼ばれているのか?。その意味を何人の人が理解しているなのかです。
人は霊長類の長だが、霊長類の言葉はどこから来た?
稲荷神界で知られる白狐と呼ばれる存在にしても、単なる白い狐のことだと思っている様な人達が多いのは事実です。そこには霊界は【次元世界】で、霊には階級(天使の階級)があるが解っているではありません。白狐と呼ばれる存在は次元界的には人類よりも上の次元界に在るのです。しかし霊長類の長とされる人間は、その次元界と呼ばれる世界のことをまったく理解していないのです。
人は神に似せられし者、この世次第で高次元界に行ける
諺に【邪の道は蛇】で、死後に蛇霊に成る魂も多い
スピリチュアルに見られる自分は霊が見えるから特別の者だ!。霊的な物が見えるからその人は立派な人だとか、別に高貴な立場ではないのです。人は死後に蛇霊界に進む人が多いとされますが、それはその人は【邪の道は蛇】に行っただけなのです。
スピリチュアル的な霊力を世の為に使った人達と、スピリチュアルは金儲けになりますよで過ごした人達とでは、死後の世界の行き先が違っているのです。為か過去世でシャーマンであった様な人が現世では大変な目に遭っているが見られるのです。ある難病はその人の前世がシャーマンであった様な人が陥っていると言われています。
多くの霊能者が、今の世に過去世の罪が問われている
人の【身(み)】と己の【巳】。巳(み)に身が掛けてある
世に龍神と呼ばれる存在は聖書でも見られる【霊界で年老いた大蛇霊】。行者筋だと霊界の海山川で各千年。合計三千年間の修行を積んだ大蛇霊と言われる様に、そこに仏教の妙法蓮華経で説かれる【解脱の道】が存在していました。
それに対して白狐霊とはそうした世界からではないのです。しかも白狐界の大物ともなれば、その体は人を乗せることが出来る様な【牛】ほどの大きさもあります。明らかに通常の狐とは体躯的にも違う世界の存在なのです。
岡本天明師の日月神示に【半霊半物質体】が出て来ますが、白狐霊は典型的な半霊半物質体でこの世にも霊界にも瞬時にその姿を見せたり隠れたりするです。次元を超えて往来をしている存在です。
そこに【狐(瓜の毛物?)】とは、何を意味した存在か?
多くの人からすれば狐は畜生で下郎とは言えます。大本教の霊界物語には【国常立尊様】の世の立替に当たっては白狐(稲荷)は下郎の役で奉仕するとありますが、稲荷神界で多用されます稲荷大神秘文にも、それ神は唯一にして御姿なし。天地開けてこの方、国常立尊と拝し奉れば豊受の神の流れとある様に稲荷神と国常立尊の間には深い関わりがあります。
私は自分の神霊界修業の世話を豊受姫から賜りましたが、豊受姫によれば【白狐の半数は国常立尊派であるが、半数は反国常立尊派で白狐だから国常立尊様に従うではないと聞き及んでいます。その点では大本教の説明通りには行ってはいないと言えます。
国常立尊様と呼ばれる様な神霊の段階から見れば白狐達は下郎職ですが、この世の人間の立場からすると次元界的には人間界より上の世界の住人なのです。その稲荷神界に仕える白狐とは【次元界】と呼ばれる神霊界で言うならば、【五次元界】とされていました。そうした中で白狐界の動きに【六次元界】上がりが見られて来たの話です。それは何を意味するのかです。
人は三次元界に生きて、死ねば誰も四(死)次元界に進む
五次元界から【神界】で、通常の霊界は四次元の中有界
岡本天明師の日月神示(ひふみ神示)に、今の世は【三四五(みよいづ)】と説かれましたが、それは次元界を意味しているのです。人の魂は肉体を貰って【三次元界】に生きて、肉体の死を以て肉体と呼ばれる服を捨てて【四次元霊界】に戻る。その中で強い霊力を持てば【五次元霊界】と呼ばれる世界の住人となる。五次元界以上の霊は一般霊界よりも【上に在る霊界なので神】と呼んでいたです。人の身で在った者達が神と呼ばれる。しかしその【上(神)】とは、万物の創造神たる神では無いなのです。
自分が救世主と称する方は自分は七次元界と言われる
物質たる質(七)を創り出す段階は【七次元霊界】から上
日本語の、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十は不思議な事を告げて来る
幸福の科学の大川総裁は自分はお釈迦様とイエスとモーゼより上の本体で、九次元界の永遠の仏陀などと称して出て来られましたが、お釈迦様もイエスもモーゼも【八次元界】の存在と言われていたことから、自分で勝手に自分は九次元だと【盛った】なのです。実際にはそんなに高い霊界の方ではなかった。
七次元界から上界には邪神は見られないと言われている
みろく(五六七)の世とは、五、六、七次元界を指した言葉で、そこに五次元界の白狐達が六次元界に渡ったとする見方が世に出て来たなのです。
何事も不必要な事柄はやがては淘汰されます。この世は目的は何であったのか?。この世の目的には魂の次元界を上げる為の修行場があったのです。しかし一部のスピリチュアルに見られる【この世は遊ぶところです。】で解る様に、今やこの地球は魂を堕落させる場所と成って来たなのです。
そこには天人世界の住人の生き方を学ぶ。そうした態度の欠落が起きたなのです。
天人の世界とは、お互いが扶助の精神で生きている世界
人は一人で生きては行けない。互いに扶助の精神が要る
そこに他に対する【感謝】心と自己の【悔い改め】が必要
天人世界では自己本位。自己中的な生き方をする者は天国界の住人としては相応しくないのです。明治25年(西暦1892いち早くに)、丹波の片田舎綾部で【出口なお】と呼ばれる老女に懸かった【ウシトラ金神国常立尊】と称する神霊は、魂の修行場たるこの世が立て代わるから【自己本位・自己中心】主義な生き方をしてはいけませんと忠告をしたなのです。
そうした自己中心主義に陥り、天国天人の生き方とは真っ向から対立する生き方が【蛇霊界】なのです。為に蛇霊は悔い改めるとか懺悔は苦手と言えます。
そこにこれまでの【三次元界】の地球を閉鎖して、
住人を高次元霊界の地球と同型の星に上げる大計画
大本教の出口王仁三郎聖師は【この世は天人の苗床】と説かれました。この世に生きる魂が天人界に進むには【人は一人で生きてはいけないから、互いに助け合う扶助の精神】を学ぶ必要があったなのです。
スピリチュアル標榜で【神は愛だから何をしても赦してくださる。】などのお題目主義を言っていれば、何一つ自分の魂は磨かれないとなります。霊が見えるスピリチュアルと他人の魂の汚れの浄化をさせられている霊媒体質者とでは、何故に魂は磨かないと行けないのか?。そこの捉え方がまったく違うとなります。
単に霊界が見えるだけでは、魂磨きの言葉が出て来ない
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人は魂の罪(カルマ)を洗い落とせば本来の神であり。天人とも成るからです。
この地球は神々の流刑地で有り、天人の苗床でもある
要は、この地球で過去の罪(カルマ)分を解消すればよい
悟りを得たお釈迦様は、自分は二度とこの世には出ない
私は多少なりとも神霊世界を見聞し、有能な霊能力者からは霊界のどこを見ても創造神と呼ばれる神の姿が見当たらないと聞きました。子供の頃は旧約聖書の神と称する声を聞いていましたが、そうした名乗りをしているところの霊の声であって、それが本当に創造神と呼ばれる様な神なのか?。それはその神の神力を見たのではないので何とも言えません。ただ、日本では言葉による仕組みがされているのを見せられて来たです。
私は霊的世界に関わって創造神を探していると言う幾多の霊に出会いましたが、彼らは霊界のどこにも創造神の姿が見当たらないと言います。
そうした中で、私は霊能力者を通じて自分が創造神だと称する神霊には出会って来ました。そうした神霊が出す摩訶不思議な奇跡を見て来ましたが、それでそれが宇宙を創造した神だとするには疑問がありました。創造神にしてはその奇跡力があまりにも小さすぎるです。問題はそうした創造神を名乗る霊が本物なのか?。ニセ者なのか?。
どこにも創造神が見当たらないから、自称創造神も出る
自分が創造神だと証明するには、桁違いの神力が要る
私に臨んだ霊声は、日本に日本語の仕組みをしただけ
神と呼ばれる霊的存在は私達人間の本来の姿と言えますが、私達の様な三次元世界の物質体を身にまとっていませんので、例え嘘を言って来てもその神示の内容が嘘だと判明しない限り、自分は欺されていたとはなりません。この世に生きている間は、その存在を神霊だと信じ続けているとなります。
霊の言うことがまったく当たらないことにより自分は欺されていたとなった時、自分を欺した霊を掴まえようとしても、霊には人間の様な物質体の姿がありませんので逃げられてしまうとなります。
私達の目には見えない霊を捕縛して、不動明王で語られる様な霊をぐるぐる巻きにして縛ってしまう術者やその霊が活動出来ないように封印する術者は存在しますが、それは誰にでも出来るではありません。それだけの行を積んだ霊能者だけとなります。それはスピリチュアル的なものではないのです。今の世は辛い行を積む術者は皆目になったので、そうした霊術も解らない様になってきました。霊的世界を記述した本にも霊を霊縛する物質を書いた本すら存在していないのです。
霊界が存在するは、神霊の現世御利益や病気治しで解る
嘘と成る神示等、いくら告げられても意味が無いとなる
神霊とは現実に起きることを事前に言い当ててこそ本物!
キリスト教ではイエス一人が創造神と呼ばれる神の御子で、創造神と呼ばれる神に出会うにはイエスを通さないと誰も出会えないとしています。私はその生前はイエスではないかと思う霊に三度ばかり出会いましたが、重い十字架を引きずっていて、それが生前はイエスだった霊だとするならば、あまりにも【気の毒】としか言いようがありませんでした。
それはイエスは【犠牲心】でキリスト教徒の罪を背負っているではなく、神の愛で何をしても赦されると思っているキリスト教徒の罪人たる霊にしがみ付かれているなのです。彼らはイエス様。イエス様と言っていれば自分を天国界に連れて行ってくれると教えられ、イエス霊に離されまいとしがみ付いているなのです。
それは日本の行者霊にも同様の光景が見られるのです。日本の行者霊にしがみ付いている霊は平安朝の頃から迷っているのです。そうした霊は自分の罪は自分で祓うことを教えられていなかったからです。それには【輪廻転生】の教えが必要だったのです。
芥川龍之介の【蜘蛛の糸】、助かりたい一心でしがみつく
私はこの日本で自称救世主と名乗っている人の信徒達の生き霊が、地獄界に行く亡者道を歩いている光景に驚いたがあります。そこには地底王国(地獄界にある各種の王国)にその信徒達を連れて行き、自分の王国の奴隷とする存在が有るなのです。それが大本教の出口王仁三郎聖師が残しておられる【天国に案内すると言いながら、地獄に案内する取次ばかり。】のそうした霊に連れられて地獄界に行くなのです。
地獄界とは別に閻魔庁の鬼が出て来て、罪人を捕まえているではないのです。多くの霊が自ら進んで地獄界に向かっているなのです。
カルマと呼ぶ原則がある中で、他人の罪を背負う必要無し
私は子供の頃に自分に臨まれた旧約聖書の神と称する声に、【あなた様はイエスの上に幾度臨まれたのでしょうか?。】と質問したところ、【私はナザレのイエスの上に臨んだことなど一度も無い。ナザレのイエスは私の子ではない。イエスは私以外の他の高い神の御子で在る。】と答えられたのです。
その時の私は、その旧約聖書の神と称する声は本物かと疑いました。それは私はキリスト教徒ではありませんが、イエスは創造神から出た高い存在だと思っていたからです。
だが霊世界に関わると、キリスト教の教義では冥府の長官を【サタン(悪魔)】と教えています。冥府の長官とは仏教では地獄界の【閻魔大王】とされていますが、閻魔大王とは悪を取り締まる霊界の役所の長官。それを悪魔だとかサタンだとしている存在は、本質的に正義を知らない者達と言えます。悪人を捕まえる者は悪魔呼ばわりか?。その閻魔庁の邏卒(警察官)たる存在を鬼として炒り豆をぶつける。それは悪の栄えを望む行為ではないかとなります。
大本教では国常立尊を、仏教で説かれる閻魔大王とした
閻魔大王を悪魔だと言う人達は、悪を理解していない?
大本教からはみろく大神は【六六六】としても出されました。この【666】はキリスト教では悪魔(サタン)たる存在とします。キリスト教の教義ではイエスを主の一人御子と信じる者は天国界で有り。その天国界に行くキリスト教徒の信徒達を輪廻転生を起こす冥府に連れて行く存在はイエスに逆らう【悪魔(サタン)】としたことは、イエスを絶対的存在としたキリスト教の論理としては別におかしくはないのです。ただキリスト教の教えは本当なのか?。それとも嘘なのかの問題だけです。
しかしイエスを絶対的存在とすると、スピリチュアル等に観られる神は愛だから何をしても赦される等と説くとなりました。
問題は本当にイエスは主の一人御子だったのか?
大本教から出されたみろく(666)大神は、キリスト教では反イエス。悪魔(サタン)扱いされている存在だとすると、これから人類の上に起きる出来事とは天国はお花畑ですと言っているようなことでは済まないのです。
大本教から艮金神国常立尊は日本書紀において創造神とされながら【節分の炒り豆で鬼は外と追われている鬼。】だと出されました。地上神霊界で神々による多数決で悪神とされて追放された鬼門の金神。西洋のサタン(悪魔)と同じ扱いの神なのです。
世に【閻魔大王は悪魔だ!。】と言う者達も多い
正神界と邪神界とでは、その立場を変えれば正反対
そこに霊界は常に勝てば官軍、負ければ賊軍となる
私は旧約聖書の神と称する声からナザレのイエスは我が子にはあらずと聞かされたのですが、大本教霊界物語を読んでいてもそうした内容はどこにもありません。ただ大本教の出口王仁三郎聖師は20世紀を代表する希代の霊能者で、大本教霊界物語の中にミカエルと言う名の天使長は存在して居ない。ミカエルとは【省みる(カエリミル)】の日本語の意味だと残しておられるなのです。
私の前に現れた大天使ガブリエルと思われる存在に対しては、何故か【大口彦】という日本語が出て来ました。日本語だと大口彦は【ガブリと得る】の意味になります。
しかしスピリチュアルと称している人達の前に天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する霊が臨んでいるのも事実なのです。その彼らが現実にしたことは、キリスト教とイスラム教を創ることに関わりながら、両派を血と血を流す戦いを仕掛けているだけであって、どこにも【真理】を説こうとする姿勢が見られないのです。
世界の戦争にミカエルやガブリエルが関わっている
真理でなくて、力で押し通そうとすると戦いになる
私は伏見稲荷山で修行を積んでいた時、豊受姫から【貴方はこの豊受姫をしても見通すことが出来ない霊界の壁の奥から来ている神力にコントロールされていると告げられました。
世界の霊学において、霊界は第一、第二、第三天国界。第一、第二、第三地獄界と中有界が在ることは知られておりましたが、中有界にも天国界に近い世界。地獄界に近い世界。本当に真ん中の三層で全体で【九層】が存在。そこに大本教の出口王仁三郎聖師から既存の第一天国界より上に更なる天国界が在り。そこに【創造神】と呼ばれる神が存在していると出されました。
すると、霊界は【十】界(階)に分かれているとなる
大本教は最高創造神を【天之峰火夫皇大神】と告げた
この【天之峰火夫皇大神】の名前こそ大本教から世に告げられましたが、誰もこの神を知らないと言えます。この神の働きは【天の峰の龍待ち】であり、無数の無尽蔵の龍神達を従えて来るなのです。為にそこに【最高龍神】の存在が関わって来ます。
大本教の艮金神とは、創造神の偉大な【神芝居】か?
魂の修行場と目されるこの地球には最初から最高創造神は臨んではおらず、この地球に住む魂達はこの地球を管理する神達の元で自治権的な物を所持しているなのです。
住民自治の中では、世の為人の為に尽くした魂は偉大
神様、神様と言う人達よりも、犠牲心の発露の人が神
人類に人類が見たことも無い神が【みの終わり】で降臨
その時をもって第七の世は終わり。次に第八(∞)の世
真理(ダルマ)は【七転八起】と最初から仕組んである
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無論、明治維新より以前の日本古神道には【天の数歌(かずうた)】と呼ばれる日本神道特有の言霊による【真言】も存在しました。
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。と書いて
ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、こ、と。と読む
言霊と数字が結びついている働きです。
この【ひふみよいむなやこと】は単なる数字の並びでは無く、この世が成立して来た順番も語っています。しかし【ひふみよいむなやこと】だけでは、霊的な働きの意味の説明が出来ていませんでした。
そうした中で大本教から【ひと(一)、ふた(二)、み(三)、よ(四)、いつ(五)、むゆ(六)、なな(七)、や(八)、ここの(九)、たり(十)】が出されました。
その数字に漢字を当てて、一霊四魂(ひと)、厳瑞八力(ふた)、三元(み)、世(よ)、出(いつ)、燃(むゆ)、地成(なな)、弥(や)、凝(ここの)、足(たり)です。その後に諸(もも)で【百】。血(ち)で【千】。夜出(よろづ)で【万】を指します。十三の仕組みです。
ただ私がここに示したのは大本教の出口王仁三郎聖師の直弟子から伝わったもので、今の大本教の教義かどうかは解りません。
この世の成り立ちを数字で説明した
スピリチュアル標榜だと、日本古来の古神道から来ている【一霊四魂】とか【厳瑞八力】などまったく意味が解らないとなります。私は日本神道の世界に入って、その一霊四魂とか厳瑞八力とか三元が理解出来て、キリスト教におけるイエス一人が主の御子だと信じていれば天国等の教えはまったく役に立っていないと解って来たと言えます。イエス一人を主の御子と信じている程度では、それだけでは誰も天国界には行けていないなのです。
私はバラモン教の聖典ヴェーダに残されているとされる【人の胎内に眠るコブラ蛇が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める。】の霊的体験をして、お釈迦様は真理を正しく説かれたがイエスは真理が説けなかった。しかしそのお釈迦様が説かれた【真理】は今は世に埋もれていると閃いて、お釈迦様の教えとイエスの教えの違いにその真理が埋もれていると探求を続けてきました。
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【この国は(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国であり、私の書は旧約聖書なれども旧約聖書は暗号を紐解く鍵を持たないとその意味を間違える様に創ってある。新約聖書は人の子達が為した書で私の書では無い。】と告げられました。
イエスの言葉が神の言葉ではなく、この日本にある
この日本の国に満ち溢れている私(旧約聖書の神)の教えの意味は、当時は解りませんでしたが、伏見稲荷山で稲荷大神首座神たる豊受姫から【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方。】と告げられて、稲荷神界から言霊の世界に修業を転じたがあります。
その中でお釈迦様の悟りとは、大本教から出された【みろく】と大本教神諭の【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水・秘密)】を導き出すことだと解ったと言えます。ただそれを紐解くに当たっては、大本教から出された【言霊】とは何か!。それが必要だったのです。大本教を知らずして、霊の世界を語ると勉強不足になるのです。
大本教では大本教出口直(なお)開祖と二代目教主補であった出口王仁三郎聖師とで【厳霊】と【瑞霊】の型演技。それと三代目教主であった出口直日さんを【龍宮の乙姫】役として、三代目教主補であった出口日出麿さんを【日之出神】とする型演技がなされました。
龍宮の乙姫は【龍宮の音(言霊)秘め】、龍の音秘め?
その原点は、中国の落水に現れた亀の甲羅が示した数字
紀元前30世紀頃、中国の黄河の落水で甲羅に不思議な紋を付けた亀が見つかった。
その亀の甲羅には、2.9.4.7.5.3.6.1.8の数を語る丸の紋があった。この型を【三方陣】と呼び。その一つ一つの数字が【霊界】を表していたことから、【龍宮の乙姫(音秘め)様と亀】との関係となり、その中に【ひふみ(123)】の仕掛けも出て来るのです。
大本教神諭に出て来ます【九つ花】とは、大本教で【神旗】とした【九曜紋】旗のことでなければ【十曜紋】旗のことでもないのです。大本教神諭にある福知山舞鶴十里四方外囲いで示された【九の魔方陣】の数理版の数字と言霊を結びつけた物のことなのです。
この九の魔方陣(縦横斜の総和が三六九)から日本語ならば解読できる【五十六億七千万】の数字と【一輪の言霊の経緯(秘密)】を導き出すと、お釈迦様の悟りが何で在ったかが日本語の【言霊】で解るようになっているなのです。
そこに、真ん中の【41】はモーゼが紅海を渡ってカナンの地を目指す【41】年目。イエスが荒野をさ迷って悪魔を退けて主の一人御子と成ったとする【41】日目。大本教の出口王仁三郎聖師がみのか尾張の国の中から現れる女子とした、美濃か尾張の国から出る国道【41】号線などを数字を秘めているなのです。
その日本語による言霊の並べ方の【41】位は、いろはの【み】か?。ひふみの【す】か?。アイウエオの【ラ】か?。が有り。そこに創造神の仕掛けがあると言えます。
【み・す・ら】のどれかで、艮に天(点)を付けると【良】
明治25年(西暦1892)に丹波の片田舎の綾部から発祥した大本教の二代目教主補であった出口王仁三郎聖師は希代の大予言者で、その予言された事柄は数々当たったことが知られています。それだけでなく大正時代に出された霊界物語の中には現代で言う【スマホ】と思われる内容すら存在していました。
大正時代に今の様なスマホの世の中が想像出来たか?
その大本教の出口王仁三郎聖師は【いろは歌】は祝詞だよと出されました。私は稲荷神界に所属していた時はそうした【言霊(ことだま)】のことはよく解りませんでした。だが稲荷神界を離れて言霊学に転じて言霊とは何かと解った時、それまで私が持っていた【神観】など吹っ飛んだと言います。その言霊の存在の前には、仏教の如来も菩薩も明王すら吹っ飛んだのです。
仏典を開いても、無から有を生じたで創造神のことはよく解りません。ただ仏教では虚空蔵(牛歳・虎歳の守り本尊)から出たと解る程度なのです。すなわち艮の【牛虎(ウシトラ)】からです。
言葉を創った神は、仏教の如来や菩薩で説明が出来ない
聖書のヨハネの福音書で知られる内容は【初めにことば(ロゴス)があった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。】は有名な内容ですが、それで人々がどれほど【ことばは神であった。】が理解出来るかなのです。
西洋では【一二三四五六七八九十】と書いて、【ひふみよいむなやこと】と数霊と言霊とを結びつけることは出来ません。大本教の出口王仁三郎聖師は自分はナザレのイエスと比較して何一つ劣っていないと述べられましたが、神霊界の天使に見られる【天使の記章】としては、大本教の出口王仁三郎聖師はイエスより階級は上にあると思われます。
私は子供の頃、【イエスの愛の教えは美味なれども、真ん中が無いドーナツ型のパンの教えであり、そなたはイエスの愛の教えを説く者達の数がどれほど多くても、そうした数の多さを恐れずに乗り越えて行かなければならない。】と告げられました。
イエスの愛の教えは真ん中が無いドーナツ型のパンとは、魂と呼ばれる存在の真ん中に在る【核】。そして魂の【心棒(杭)】と呼ばれる存在が解った時、なるほどイエスの教えはドーナツ型の真ん中が無いパンの教えと言えると解ったのです。
日本の神智学では、愛ばかりを言っている人達は【蛇霊の容器】と化した人と言われていますが、愛と蛇とは深い結びつきがあるのです。
神は愛だで、個々の魂が積んだカルマは解消出来ない
神も自分が汚した尻は自分で拭けの原則は変えられない
霊的世界に関わると、トイレの夢が頻繁に出て来るようになります。そうした夢に出て来るトイレの多くは、そのほとんどが汚いのです。美しく磨かれた綺麗なトイレはめったにはありません。この夢の中のトイレ(便所)とは【便(人の更生)】の意味で、正しい神の教えを説いている宗教施設(場所)を指します。
世界に魂の更生に相応しい宗教は極端に少なくなった
一部の霊媒体質者は自分を犠牲に、下痢等で浄霊をする
現代の宗教の多くは、人の魂の更生場所たる便所につながっていないのです。非常に力がある霊能者の元に行くと、そこでどこにそんな便が自分の胎内に有ったのかと言うほどの大量の便が出ます。こうしたことは行者筋ならば知っているのですが、大多数のスピリチュアル標榜者はそうした事実すら知りません。
それはスピリチュアルでは魂の汚れを浄化するが何一つ解っていないからです。世界の宗教の教会そのものが汚れた便所と化しているのです。それではこの世は魂の更生の為に【甦る輪廻転生】の場として支障が起きているなのです。
魂の更生場の意義を失った地球は、存続の必要性が薄い
この日本では【姓名判断】と呼ばれる占いが存在します。私達の【氏名】を告げる言葉の音波(言霊)の個々の響きと数霊の働きとを結びつける占いです。それと私達日本人が名前として使用している【漢字】の画数をも併用するです。
西洋においては各自の生年月日に基づく【占星術】が主体ですが、自分の姓名として使う漢字の画数で占う姓名判断等、西洋人からすればびっくりするです。私は神霊界修行に入り驚いたのは【数霊】と呼ばれる霊的な働きです。数霊と書いて【かずたま】とか【すうれい】等と呼ばれています。
易学の世界では【数霊】の働きは常識ですが、宗教界ではほとんど数霊の働きを説いて来なかったがあります。キリスト教等のイエス一人を創造神の御子と仰いでいれば良いでは、そんな数の霊力の働きなど何の関係も無いとなります。ただキリスト教では【十三】の金曜日を悪魔として言っているだけです。
それに比べると、日本は九は【苦】。四は【死】につなげる
九と四の十三で【串(九四)刺しの磔(はりつけ)】が出る
イエスが串刺しの刑に処せられたは、別にイエスが人類の原罪を背負ったからではないのです。スピリチュアルと称してイエス様は人類の原罪を背負って下さったと言っている様では、何も解っていないとなります。
西洋におけるスピリチュアルとは白魔術とか黒魔術と呼ばれる様な事柄をトランプカードとかタロットカードで占うが主体です。こうしたカード占いでよく当てる方はその方の背後には必ず俗に言われる魔女的な守護霊が存在していて、その守護霊的存在が霊的世界の情報を加味して相談者に回答をアドバイスするです。
よく当たる霊感占い師の背後には、必ず霊の存在がある
大正時代に現代のスマホや空中メール等の登場を予言した大本教の霊界物語は、霊界でも特別高い世界から降りた予言内容だとは解りますが、多くの人はそんな高い世界の大事の予言よりも、今の自分の恋愛の行く末とか就職や仕事や金儲けを知りたい。そうした流れになるのは人間としての性(さが)なのかも知れませんが、そうした占いは蛇霊や狐霊の世界に結びつくなのです。それではこの世の目的たる自分の【魂磨き】が入って来ないなのです。
この日本では数霊の働きだけでなく、方位も言います
私は自分が稲荷神界に籍を置いて、俗に金神の巡航などと言われておりますが、その人にとってはその時間には行ってはいけない方向があり、その方位を犯せば大事故に出会ったり死に到る。そうしたことを見聞して来ました。そこに自分が信仰する神霊がその人がそうした方向に行かないように【足枷(あしかせ)、足止め。】と呼ばれる術を掛けて、その方向には行かせない様にするがあります。
そこに信仰をすれば大難が中難に、中難が小難にがある
人に金儲けや名声を与えるのが守護神では無く、魂磨き
昔、霊感少女としてその名を馳せて。その相談者の多くは一流の政治家や経済人ばかりで、テレビが無い時代だったので映画館のニュースでその映像が流れていた霊感師藤田小女姫さんは、自分がハワイに行けば殺されて命を落とすかも知れないとの予知を持ちながら、その小女姫さんのご子息がハワイから母親の小女姫さんに助けを求められたことからハワイに行き、親子共殺される事件がありました。
霊感師として【予知能力】を持ちながら、災難に出会う方向に行ってしまったなのです。人は誰しも今日は出ない方が良いと言う霊感を感じたが、その霊感を無視して強行して事故に出会った。そうしたことがあるのです。それは人は霊的世界の住人だからです。
その方向に行けば、自分は事故る等の方位や数霊がある
神を信仰していても、数霊や方位の災いは止められない
藤田小女姫さんの場合、霊感はよく当たるけれどもその背後に居たのは【狐霊】であったと言われていましたので、その方位に行けば殺されてしまう予知力を得ながら守護霊たる狐霊の力では及ばない処に行ってしまったとなります。
私は霊能者から死に神を送りつけられたり、霊能者の生き霊が天狗霊と共に私を殺しに来たり。いろいろ遭遇しましたが、守護霊と呼ばれる存在によって【瀬戸際】の体験を積まされて来ました。
そうしたこともありまして、私は霊的世界はスピリチュアルで説く【お花畑】だけでは危ないと言います。
貴方が神と信じる存在は貴方をどこに導く?。瀬戸際
狭い地球に縛られて、大宇宙に向かわないと閉じ込めらる
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その一方、私個人に関しては次の様にも言われたのです。【神界の御用で働くのは肉体のそなたには非ず。魂のそなたの方である。肉体のそなたはバカを演じていれば良い。】です。そこには【人の肉体とは、自分の魂を傷つけない為の防御の服としての役目がある。】とも言われました。魂と肉体は=(イコール)では無いと言われたのです。
大本教神諭には一つの魂に一つの肉体が授けてあるとありますが、その肉体とは魂を守る為の物で有り。魂の服に過ぎないなのです。今の世で着る肉体たる服はボロボロになれば捨てて、新しい服を授けるです。その服(肉体)そのものに執着するなです。
魂の世界では霊的防御の為の服は存在せず、戦いとなる
為に霊的バリアーで防御された無数の世界が存在する
霊的世界を見聞していると、自分の魂を守る為のバリアーが形成されます。もしバリアーで外部からの攻撃を守れないと、大変なことになるのです。今の霊的世界は力で押し通すであり、多くの魂の集団を守る為の大きなバリアーが形成されて防御するです。そうでないとその集団が他の勢力に奴隷化させられるが起きます。また【そこに魂の波動による引き寄せも生じます。そうしたバリアーが多数在ることが、霊界には多様な天国界や中有界や地獄界が存在するなのです。
私は霊界見聞の為に稲荷神界に所属している時は豊受姫の庇護下にありましたが、稲荷神界を離れて言霊の世界に転じると稲荷神界からの防御の助けが無くなり黒龍神の群団に攻撃されて逃げ回るとなりました。霊的バリアーの重要性を見せられたなのです。そこには正義や公平云々よりも、霊界は力による支配があるなのです。
霊界では自分を守る為に、寄らば大樹の陰がある
私はかっては金龍神の魂で有った存在が、黒龍神の数の力には戦えず。その身を黒龍神に変えて黒龍神界で生き残っているを見て来ましたが、どこにも創造神の姿が見えないと言われている背景には、そうした事柄もあるなのです。
人に前世はあれども、その前世は解らない様にしてある
しかしながらスピリチュアル標榜では、人がこの世に降りて来る前の【前世を見る商売】が流行っています。私は旧約聖書の神と称する声から【そなたの前世は他人の魂胆が見抜けないお人好しで、為に魂胆を持った者に利用されて最後は悲劇で命を落とした武将であった。今生のそなたの学びは他人の魂胆を見抜く力の養いぞ。】と聞かされ、その武将が誰であったかまでは教えて貰えませんでした。
が、霊界を見聞して行く中で、旧約聖書の神と称する声が私に告げた私の前世は武将と告げられた武将が誰であったかは解りました。しかしそれで本当に合っているのか?。どうかとなると、世間には自分の前世がその武将であったと称している霊能者の方もおられます。魂の分魂(分裂)からすると、他にも自分と同じ魂を持つ肉体が居るはあり得ない話ではありませんが、その方の魂と私の魂とでは性質も系列もまったく違うとも解りました。するとそこで起きるのは自分が正しい者のか?。それともその名を名乗るニセ者だの論争ばかりとなります。誰も自分がニセ者だとは考えません。自分はニセ者と思わないが霊的世界の特質だからです。
為に自分の前世は誰で有ったかは必ずしも正しいとはなりません。私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【人には前世はあるが、人がこの世に降りて来るのはその前世に「失敗」があったからである。】とも言われました。悟りを得たお釈迦様は二度と自分はこの世には降りない(出て来ない)と言われたとされますが、悟りを得たならばもうこの世には降りて来ないなのです。すなわちこの世に生きているのは【落伍者】でもあるのです。
ところが自分の前世は釈尊で有った等と名乗る人が後を絶たないなのです。で、そこにお釈迦様の悟りはお釈迦様では無く【弥勒菩薩】が告げるとする神芝居の脚本を描かれた神が存在しているのです。その神とは仏教の根本道場たる【祇園精舎】の守護神【牛頭天王】で、日本では牛頭の【ウシトラ金神・国常立尊】と呼ばれるなのです。
前世が失敗でこの世に出るに、前世に意味があるのか?
そこに自分の前世は正しいと主張すると危ないがある
私は大本教の出口王仁三郎聖師が大正九年以前に、一部の大本教信徒に【教団には内密で、その土地を死守して欲しい。】と託された土地を私の母親が買い。そこに住むと言う【縁】を持ちました。それは偶然では無く、最初から何神かの仕組みからです。私も私の母親も神界の舞台の筋書きの演技をさせられていたなのです。
その土地は当時私がお世話になった豊受姫によれば、今の世に出ておられる神々以前の神々が何らかの理由により押し込まれた土地と言われます。その神々とは大本教霊界物語に記載される【国常立尊様は約三十五万年前に地上神界の主宰神の座から御引退】に関わる土地で、その土地に関しては今の世に出ておられる神々の力ではどうにもならないと言われます。
肉体を持たない神は何も出来ず、肉体を持った神が要る
そこに有ったのは、押し込められた神々を浄霊する肉体
旧約聖書の神と称する声は私の前世は悲劇の武将で命を終えたと言われましたが、武将らしく緋色の鎧に身を固め、その緋色の兜の吹き返しの一方には太陽。反対の吹き返しには三日月があしらわれていました。私に太陽と月を従える【兜率天(兜で天を率いる)】姿を言って来られる人達が見られた武将姿の存在が、私の前世で悲劇の武将。今は私の正守護神と言えます。
しかしその武将霊はこの世に出た当時の姿を私には見せていますが、その世に出た時の魂その物ではないのです。それは人に宿る魂とは肉体の心臓に宿る関係から大きな玉(球)ではありません。私の前世の姿をした魂は肉体に入る魂の何万倍何十万倍の大きさを持つ魂なのです。本守護神と呼ばれる存在ともなれば、もっともっと巨大な球となるのです。
私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から告げられた【神界の御用をするのは肉体のそなたには非ず。そなたの魂の方で有る。肉体のそなたはバカを演じていればよい。】と言われた魂のことです。
スピリチュアル界の大御所と自認される霊能者江原啓之さんやその師匠と言われる美輪明宏さんが言われた。この世に出ている自分がスポイトの水一滴の分量だとすると、その本体はコップ一杯の水の分量とする論理のコップの存在です。
スピリチュアル標榜者が言うハイヤーセルフは魂的に言うと、そんな巨大な魂を指していません。日本神道系で言う正守護神とは肉体に存在する魂と比べるとスポイト一滴の分量とコップ一杯の水の分量の違いになるので巨大な大きさになるのです。すなわちそこに【人は神の子・神の宮】が立つのです。イエス一人が神の子説などあり得ないとなるのです。
そこには【天使の記章】と呼ばれる物があるのです。それを明らかにすることが日本では【天の岩戸(一八十)】開けと言う神の世界の階級を告げるなのです。言葉的には同じ意味合いなのです。
人は本守護神や正守護神の魂の分派から出た神の子
私は自分の前世名で、牛虎金神の仕組みを理解した
大本教霊界物語では、大本教の信徒の【氏名】で神の【使命】を語るがなされました。そこには人の氏名には神からの【使命】があるです。それは人の【氏名】に依る【言葉】の働きです。こうしたことを日本神道系では【型】とも言います。人の目には見えない霊界を語るには【型】を演じるが重要な面を持つなのです。
大本教が告げた【氏名】に【使命】を授け、神の舞台を演技
型を持った人が演じる役が見えない世界を【型】で動かす
仏教では個々の魂の【因縁】に基づく【縁起】の働きにより、この世で各自の魂が演じる役割の【演技】を説きました。しかしそこには【ひらかな】文を【漢字】にすることでその働きが違って来る。そうしたことまでは何も解説されていなかったなのです。
ひらかなを漢字にすると神の型が解るが大本教から出た
この世に起きる出来事は全て良い事象とは限りません。悪しきことも多数起きます。しかしそうした悪しきことも含めてそこには【必然性】があるのです。
この世では悪の行為も魂の修業の為に赦されるがある
しかしそれはスピリチュアルの【神は愛だから、何をしても神の愛で赦される】等はどこにも無く、神霊界に蔓延る悪の存在は【第七の世から第八の世】に到る神の舞台が変わる日まで、その舞台を悪神だからと言って取り締まるがされていないのです。
人は七度生まれ変わっても、この恨みを果たさん等
悪が赦されて来たのは【八の時代の幕開け】の時まで
この新しい時代と呼ばれる時は一般的には【みろく(567)の世】や【松の世】とも宣伝されて来ましたが、末で広がることから次の世は【八(∞)の世】ともされます。
松の世と宣伝されたのは、【八(公)の世】と教える為
八(8)の世に無限(∞)の意味が秘められるから永遠の世
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、この世は魂の修学の場と説きながら、その一方で【この世は神の世界の舞台を演じる場。】でも有ると告げられました。
神の舞台の演目に【節分の炒り豆にも花が咲く!】がある
私達はこの世に生きている存在だけが【自分】だと思っています。しかしながら魂とは自分の魂の祖神と言うべき本守護神。自分の魂の親神とされる正守護神。またピリチュアル標榜でも言われる指導神たる副守護神などが存在しています。人は死ねば単に霊界に入るでは無く、自己の魂の血統たる本守護神や正守護神との【帰結(合一)】に進まなければなりません。
そのことを日本の新神道系の教団では【神人合一】と説きますが、その神人合一には自分の魂の次元界を上げる必要があるなのです。
自分の魂の産み親である魂ともなれば、巨大な玉となる
正守護神、本守護神たる玉は肉体に宿る玉とは桁違い
それはスピリチュアル標榜者の【ハイヤーセルフ】の言葉では説明が出来ないのです。スピリチュアル標榜者の多くは【神は愛だから何をしても赦される。】で、この世の目的である【魂の汚れを浄化する目的】そのものを見失っているからです。スピリチュアル標榜者のハイヤーセルフ論だと、そのコップ本体の水の【浄化】論がどこにも出て来ないのです。
為に自分の魂の汚れを霊媒素質者に押しつけている不届き者が多数出るとなったなのです。
スピリチュアルを標榜すると、魂の汚れの浄化を見失う
私は子供の頃に臨んできた旧約聖書の神と称する声から、【この世は自分の魂を磨く修学の場であり。神の舞台の演技を見せる場所でもある。その神の演技を見せる舞台に上がらせて貰えれば誉れと思え。その神の舞台を見るのは、その神の舞台の上には立ってはいない神々や人民である。その神の舞台の役者には善役も有れば悪役も有る。神の舞台に上がる役者もその舞台が終われば、その悪役の化粧も落とさないといけない。だがその悪役の化粧を洗い落とせないのであれば 次の舞台に上がらせるわけには行かない。】と述べられたのです。次の舞台とは【みろく(567)の世】と呼ばれる永遠の神の御国のことです。
世に【悪】役は必要だが、今の世の舞台の終わりの日迄
この世の悪は【善(羊の言葉・譱)】を学ぶ間は赦された
戦前の日本が犯した日清日露の戦のみならず第2次世界大戦の内容や結末を事前に告げて言い当てた世紀の大予言者というべき大本教の出口王仁三郎聖師は、その霊界物語に世界の【型】はこの日本にあり。その日本の型は【大本教】にあると出された。
大本に現れた【型】には、幾つかの重要事項が演じられた
一番は、天照大御神(厳霊)と素戔嗚尊(瑞霊)の戦い
ただその天照大御神(厳霊)とは伊勢神宮に鎮座されている御神霊のことではないのです。私の神霊界修業のお世話をしていただいた豊受姫や優秀な霊能者が言われることに、世に天照大御神と呼ばれている存在には男の神御霊と女の御神霊が有り。スピリチュアル標榜者が伊勢神宮に参拝すると出て来られるのは女の天照大御神と名乗っておられる御神霊で、それとは違う男の御神霊が着ておられた着物の胸の部分には金鶴の刺繍、着物の裾には金糸の亀甲紋が見られ、私に臨まれた旧約聖書の神と称する声が私に言われたのは【鶴と亀が滑る】で、それが何を意味しているのかなのです。
金の鶴と金の亀が滑る時、後ろの正面の鬼は誰なのか!
その旧約聖書の神と称する声はキリスト教やイスラム教では創造神と呼ばれているはずなのに、何故か日本神話の【天の岩戸開け】の話を私にされたのです。
キリスト教徒イスラム教徒に天の岩戸開け神話は無意味
私は日本神道の世界に入り驚いたことは、日本神道の世界とは【旧約聖書の世界】であったことなのです。
創造神の最大の演目は【節分の炒り豆にも花が咲く!】
節分とは即分けで、瞬時に分けるが完了するの意味
その日は【喜の㐂(七七七)】の数字で表される日
大本教神諭には予言の形で【七人の女子】等で出されて来ましたが、岡本天明師の日月神示等では【嬉し嬉し】と出て来ます。嬉は【女の喜】ですが、その【喜】の漢字は㐂(七七七)の日を告げているなのです。
九十で次元界の【卆】を表したり、七七七で【喜】を表したり、言葉と数字でいろんな仕掛けをしておいた。それが大本教における神三千年の仕組みとは言えます。
創造神は存在していないでは無く、退くで隠れている
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スピリチュアル標榜者の中にはこの世は魂の修学の場ではなくて、【この世は遊ぶ処】等と語る人もあります。どちらが正しいではなくて、神霊界には邪悪の神達も有り。正神の世界か!。邪神の世界か!。どちらの世界に導くかです。
邪神界は当然に邪神達を育てたい。その勢力を増やしたいなのです。しかしその正神、邪神は立場の違いで有り、自分達の反対勢力を邪神と呼んでいるはあります。ただ日本語では【邪の道は蛇】と言うで、蛇神達を邪神とするなのです。
天人とは【神】のことかとなると、神そのものでは無い
私達日本人は神社に鎮まる霊達を【神】と呼んでいます。その神の意味は【上、守、火水(かみ)】の意味が含まれて来ます。その火水(かみ)の力を発揮する存在を霊能者達は【龍(流)】神等とも呼んで来ました。
その龍神が解脱すると天人界に行く。そうしたことが妙法蓮華経には【龍女の解脱】として説かれているなのです。
神は霊力で在り、天国界にも地獄界にも存在して来る
天国界とは住人が立派な服を着て、豪華な食事をしている世界。そうした世界だと人々に植え付けたのは宗教と言えます。極楽思想です。天人界はそうした世界では無く、生活的には【質素】な世界ですがその天人界に住む天人達はどなたも【心が穏やかで優しい】なのです。すなわちその心が【宝玉】として輝いているなのです。
天人界に悪人は居ないが、神界には悪神や邪神達が居る
神と呼ばれる存在の世界と、天人と呼ばれる存在は別界
その天人達はどこかに行くのに自動車にも飛行機にも乗らないで【瞬間移動】が出来ることから、天人界は今の私達が住むような乗り物を必要とする近代的な世界では無く、縄文時代の人の様な質素な格好をしているなのです。天人達は絢爛豪華な衣装を欲しないなのです。それは必要性の問題からです。
天人達は自分を着飾らない
その天人達が縄文時代の人の様な白の装束であることが霊能力がある人達に見られているなのです。で、天人と言えば白装束の仙人の様な姿が言われるなのです。それに対して神社などに鎮まる神霊と呼ばれる存在は、人の世界の対比からするとかなり高価な衣装をまとっておられるが見られるなのです。豪華な衣装で威厳を保つです。
霊能力がある方が神社などに参拝すると男神ならば【衣冠束帯】姿。女神ならばお祭りの時は【十二単衣】。通常だと【巫女】姿で見るなどがあると言えます。そこには神界で働く霊と天人界に住む霊とでは、住む霊世界そのものが違うが見られるのです。大本教霊界物語にはその違いの説明がありますが、その違いの重要性はほとんど説かれていないと言えます。
西暦2024年は、龍神界に大変革の動きが起きると見られる
その背景は【恐怖の宇宙大王】の出現が数年先に迫った?
世界の宗教は一部の異端の宗教を除いて、基本的に死後の世界を語ります。しかしこの世に住んでいて、死後の世界が在るなど簡単には信じられません。科学や医学は死後の世界の存在証明が出来ずに、死後の世界など嘘と決めつけています。その原因に宗教が説く死後の世界の論理が宗教宗派によってバラバラがあります。どの宗教の説を信じれば良いのかが、さっぱり解らないがあるのです。
キリスト教やイスラム教を見ますと、我が宗派の教えを信じる者は天国界で異教徒は地獄界に落ちるであって、そこには論理的な検証がなされていません。現実としては自分が信じた宗教によって行き先の天国や地獄が違うではないのです。カルマの原理原則に応じて霊界は動いているのに、その法則を宗教が無視しているなのです。カルマの原理原則から見て行くと、宗教の教えには疑問が出て来るなのです。
キリスト教やイスラム教とは違って、仏教には【輪廻転生】の教えが存在します。それは天国と地獄ではなくて【中有界】と呼ばれる世界を見て来ると解って来るのです。
何故にキリスト教やイスラム教には【中有界】の存在が説けなかったのか?。
そこにはキリスト教の教義が冥府の長官を【サタン】扱いにしていたがあります。イエスが創造神の一人御子たる絶対的な存在ならば、輪廻転生を起こす冥府の存在を悪魔(サタン)とするは論理としては解りますが、イエスはそんな偉大な存在ではなかったのです。
中有界(冥府)が存在するから【輪廻転生】が有ると解る
人の魂に【良心】の点数が出て、天国界はその点数次第
岡本天明師の日月神示等に有る【一厘がある神と一厘が無い神】。神と呼ばれていても、そこには違いがある。霊力が有るから神と呼ばれていても、正しい神も有れば邪悪の神も有る。
霊界は広大で無数の世界が存在、誰も全容が解らない
人は死ねば天国で無く、天人に成るまでは生まれ出る
世紀の大予言者として知られる大本教の出口王仁三郎聖師は、地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だと残しておられますが、そうした宗教家とは【カルマの原理原則】を忘れた宗教家と言えます。他に天国に案内すると言いながら地獄に案内する取次ばかりとも残しておられますが、この取次とは現代ではスピリチュアルともなります。スピリチュアル標榜者に見られるこの世は遊ぶ処です等は、カルマの原理原則を忘れているのです。
スピリチュアル標榜者の【神は愛だから何をしても赦される】はどこにもなく、そうしたスピリチュアルが蔓延る背景に何があるのか?。それはスピリチュアル標榜者の前に出て来て天使等呼称する霊の正体にあるとも言えます。地獄界の勢力を増やしたい者達が居るなのです。
霊界に存在する【俺々詐欺団】に引っかかってしまう
イエスが主の一人御子等、誰がそれを証明したのですか?。なのです。キリスト教やイスラム教は人が死後に渡る霊界の内容に関しては、仏教やヒンズー教に比べると論理が弱いがあります。それは識界レベルとして、イエスもムハンマドもお釈迦様の識界レベルには達していなかったと言われています。お釈迦様は第七識界と言われており、イエスは第五識界。ムハンマドは第四識界とも言われています。当然に神や霊界の説明に差が出ます。
それは幸福の科学の大川氏の様に、自分がお釈迦様とイエスとモーゼの三体を出した本体たる永遠の仏陀だと名乗れば良いではないのです。名乗ったからと言って【証明した】ではないのです。それを理解していない人は霊界の俺々詐欺師に引っ掛かったなのです。まずはその方がお釈迦様レベルの識界に達しているかどうかなのです。
霊的世界では、自称救世主のニセ者やニセ天使。ニセ神が続出している様に、まず現状の霊界の様を認識する必要があるのです。伊勢神宮には日本の最高神とされる天照大御神に出雲には大国主命様も居られますが、それらの神が現状の神霊界を全面的に支配をされてはいないなのです。それは神霊世界を見渡した時、誰しも判断出来る話です。今の霊界はいったいどうなっているのだと言えるのです。
そこに大本教から宇宙創造神の国常立尊様は厳格の為に嫌った神々に悪神として強制的に引退させられた後、中国で創造神ともされる盤古大神(西洋ではジュピター神)が神霊界の主宰神の座に就かれた。だが霊界の支配力が弱く、力のある神達の群雄割拠を招いたと記されています。それが力が有る霊能者がどこを見ても創造神が見当たらないと言われる状態を引き起こしているなのです。
スピリチュアル標榜者の中には、イエス様が人類の罪を背負って下さった等と言う人がありますが、?。それならば地獄界など存在しないはずですが、地獄界はあります。その地獄に落ちた人達は別にイエスを主の一人御子と信じなかったからではなく、イエスを主の一人御子と信じていようがいまいがこの世での自分の善悪の行為の結果で地獄行きです。イエスが人類の罪を背負った事実など、霊界のどこにあるのだとなります。
そのスピリチュアルを自称している人達が前世においてキリスト教に関わっていた意識を持ちながら、今生はキリスト教など関係が無い日本国に生まれ出ている。自分が輪廻転生している意味を理解していないに陥っているなのです。過去世でイエスを神と拝んでいた自分のことは思い出せても、この世に出ている意味を理解していないなのです。
スピリチュアルのルシファーが悪魔などの説も、今日ではヘブライ語とラテン語の翻訳の過程で生じた言葉の間違いからであると解って来ています。お釈迦様の弟子にみろく菩薩と呼ばれる存在が最初から居なかったのと同様に、ルシファーもまた悪魔として存在して居なかったがでっち上げられたなのです。そこには何神かが【意図した】霊界の仕組みがあるなのです。
私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、【人は死んでは生まれる。死んでは生まれるを繰り返している。人がこの世に生まれ出るのは魂の修学の為に降りているのであって、この世は魂の修学の場として私が創った世界である。】と告げられた。
大本教ではその神を旧約聖書の神とは呼ばずに、ウシトラ金神国常立尊として世に告げたがあります。その神の働きは【閻魔大王】として、地獄界をも支配するです。地獄界の長官だから悪魔(サタン)ではないのです。だがイエス一人が主の御子式にすれば、イエスを信じていれば罪人を罪に問えないとなります。如何なる大罪者でもイエスを信じる者は解放しなければなりません。だから閻魔庁を悪魔呼ばわりはおかしいとなります。
また大本教神諭に【牛虎】と示してあるように、牛虎を【鬼と云う】で【魂】の漢字を導き出せるように仕組まれていました。私は中国の盤古大神に拝謁して【漢字(感じ)】の仕組みが解って来たです。
私に臨んで来た旧約聖書の神と称する声が私に告げた内容は、旧約聖書で語られる天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する者達が言う内容とは違っているがありました。そこにはその旧約聖書の神と称する声が私に告げた中味には【旧約聖書は我が書であるなれども暗号書で、その暗号を紐解く鍵を持たないと言葉の意味を間違えるように創ってある。新約聖書は人の子達が創った書で私の書では無い。私の教えはこの日本にある。】です。
そして最後の審判に関しては、西洋ではなくて【日本神話の天之岩戸開け】のことであるとも言われたなのです。岡本天明師の日月神示は、その岩戸(イハト)を神界の階級は一八十段の意味だと出されましたが、そうしたことはこの日本でないと出せないのです。
キリスト教やイスラム教は天国界と地獄界の二元論で、西洋の人達はキリスト教やイスラム教に出て来た天使長ミカエルや大天使ガブリエル等と名乗って出て来た霊の言葉だけを信じた経緯があります。その天使長とか大天使と称した霊達に問題があったかどうかの検証が何もなされていませんでした。
スピリチュアル標榜者の多くは自分の前に天使長ミカエルや大天使ガブリエルと名乗る者が出て来ると言われますが、誰も天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと名乗った霊に何の疑問の質問も浴びせていないのです。すなわち日本神道で説く【サニワ(審神)】が何もなされていなかったなのです。
私は日本神道の世界に修業に入り、そこに出て来た神霊が本物かどうかを調べるサニワ(審神)をする重要性を学ばさせて貰いました。そこに相手が自分は○○大神と名乗っていようが、その神名の名乗りで判じるのでは無く、その返答次第でその神霊の姿が蛇霊や狐霊の姿に【身変える】を見て来たです。
蛇霊の意味は?。狐霊の意味は?。そこに狼の睫毛!
自己の良心を毛物化させることで、言葉が示す動物姿
世紀の大予言者として実績を持たれた大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界にミカエルという名の天使長は存在しないと述べておられますが、このミカエルの本来の意味は最後の審判時に蛇の尾を踏む物の意味で【巳(蛇)帰る】の日本語の働きを指していると思われます。大本教の場合はその【巳(蛇)帰る】の意味を【省みる(かえりみる)】だと出したなのです。
そうしたことを知るには、この地球が関わる霊的世界を現実に支配しているのが蛇霊や狐霊と呼ばれている存在であるとの認識が必要だったのです。スピリチュアルでは何かと言えば宇宙人を持ち出して来ますが、日本の神社等に祀られている存在を見れば蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊や龍神や天狗や仙人等で、スピリチュアルで宇宙人とされている霊的存在も蛇霊であったりしているなのです。今日ではそれらは【爬虫類宇宙人】とも言われているです。宇宙人と呼ばれる存在も【蛇】で出て来る。
スピリチュアルで音楽をかけるとその周囲の者達が踊り出す。俗に踊る宗教がありますが、その人達を操って踊らせる存在をそのスピリチュアルでは宇宙大元霊と称していましたが、蛇霊系の龍神と呼ばれる存在であったりがあります。そうしたことは龍神と呼ばれる存在と霊界で戦った者で無いと解らないがあるのです。
人は死後の世界で、蛇(巳)霊の姿に身変える魂が多い
その巳(蛇)の姿から脱却させるが本来の天使長の役目
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声の教えを聞いていました。無論、それが本当に旧約聖書の神なのかどうかは解りません。それを確認するにはそれなりの霊能者を探し出す必要があるからです。ただその声の主は私に不思議な映像を見せられたのです。
それはアラビア半島の紅海に数えられない龍神が垂直に立って海の中に壁を造り、その龍神達の壁の間が道となり。その道をモーゼに導かれた人達が逃げて行く映像です。まるで映画のワンシーンなのですが、その海水が龍神達で割られて創られた道を行く人達にはその海水の道の壁の存在が龍神達であるとは知らずに進んでいる映像です。
それを私に見せたのは私が子供の頃から臨んでいた旧約聖書の神と名乗った霊でしょうが、それが本物の旧約聖書の神かどうかは私にも解りません。もし無数の龍神を動員してそうしたことが行われたのであれば、そこには本当の神の霊力を見せたとはなります。
私に自分は一億体もの白龍神を従えているとか、三輪山の神は六次元界黒龍神で自分の指揮下に入ったとか言って来られる方達はありますが、重要なことは【実際に霊力】を振るえかなのです。私の様な【口先】による解説は、そこに力の現出を見ないと意味はありません。私は口先だけのチャラ男で終わるなのです。
何の力の示しも出来ない神は、神としては生き残れない
私は霊能者とは言い難い者ですが、霊的世界の存在を知る為に少しは霊達を見る力があり、龍神と呼ばれる存在は見て来ました。また私自身が易者の方から龍眼だと指摘されるように、元は龍男であった要素を持っています。
霊界では霊的映像を創り出すがあり、その霊的映像だけでは証拠とは言えません。実際にその光景を創り出してこそ【神】なのです。
されど紅海を行くは、日本語で【後悔】を渡るにつながる
大本教から出された国常立尊は【三十五万年前に御引退】は、この世と神界時間を対比させると、そこに【四十年】の数字が出て来ます。大本教神諭に予告された九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)が【四十一】番目の言霊であることは、モーゼの四十年間荒野のさ迷いと関係しているなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は、自分(出口王仁三郎師)と開祖(出口直師)は旧約聖書に予言された男女二人の預言者だと述べられておりますが、大本教から世に出された仕組みの数々は旧約聖書の神が仕組んだ物と言えるのです。
私は日本神道界に入り、見たのは旧約聖書の世界
イエスも四十日間は荒野をさ迷い。明けて四十一日目に悪魔を退けたで神の一人御子に成られたは、型の演技としては短かすぎるなのです。四十日間では三十五万年間の仕組みが出せないのです。そこにこの地球の一年間は【365.22】日も出るのです。
モーゼの四十年間のさ迷いは、大本教と連動している
大本教から出された神仕組みに出て来る56億7千万を導く為の【369】。それらの数字を展開させる為の【龍宮の乙姫】。龍宮の九霊界に含まれる【123(ひふみ)】。みろく神が反イエスであることを教える【666】。また国常立尊御引退として出された【35万年】間などは、そこには数字の謎が秘めてあるのです。
大本教神諭の【神も時節に敵わない】に数霊の働きがある
しかし世界の宗教は【数霊】を説かず。理解もしなかった
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大本教が出したみろく大神とは、万物の創造神たる存在
だが大本教から出された艮(ウシトラ)金神・国常立尊と【みろく大神】との関係性は説かれませんでした。方や国常立尊は、国常立尊を悪神とする多数の神達の多数決によって、地上神界の主宰神の座を追われたことから引退の退くのウシトラ(艮)金神国常立尊とし、方やお釈迦様の死後五十六億七千後に現れるみろく菩薩が同じ存在だとすると、まったく意味が解らないなのです。
それに大本教の出口王仁三郎聖師を【みろく大神】としたことはやり過ぎと言えます。大本と呼ばれる宗教を起こさせた霊界の存在は、大本教を通じて立替の予告をする為の存在であったとする説もあります。立替の予告とされるのは、もしその時に大本教から【みろく大神】そのものが出ていれば、その時点で人類の上に【永遠の神の御国】が到来していたからです。
大本教を予告と言うは、人類は未だ創造神を見ていない
その大本教では、みろくの意味で使われる【五十六億七千万】の数字を単に【五六七】で【みろく】と読ませました。今の日本で【五六七】と書いて【みろく】と呼ぶことはスピリチュアルを含めて知られるようにはなりました。それを岡本天明師の日月神示から知った人の方が多いようですが、岡本天明師からではないのです。岡本天明師は大本教で機関誌の編集長をしていたからであり、五六七の基本は大本教にあるのです。
大本教以後に乱立して出た○○○神示などは、その【みろく大神】の基本論から離れており、大本教から世に出た神示の後継書とはとても言えないのです。そこには【ニセ神達】を世に炙り出させる仕組みがあったなのです。
大本教をもって【止め】とすることは、大本教神諭に【天理、金光、黒住、妙霊、先走り、とどめに艮金神が現れて】と予告されているなのです。【五六七(みろく)】が出た後に【一二三(ひふみ)】が出たでは、後先の順序が違うとなるのです。
誰が考えても、お釈迦様の死後五十六億七千万は無い
そこに本物とは言い難い神達の【神示】が蔓延った?
オーム真理教の開祖であった松本智津夫(麻原彰晃)は、自分の前世を【釈尊】であったと称して、その弟子であった上祐史浩(元アーレフ代表)を弥勒菩薩と名乗らせていました。そこにはお釈迦様の本当の悟りを告げる存在が弥勒菩薩だとされている【型】を演じようとしたなのです。
しかし冷静に考えれば、お釈迦様の死後五十六億七千万年を経過した後に現れる弥勒菩薩がお釈迦様と同じ時代に相見えていることそのものがおかしいとなります。そもそも悟りを得たお釈迦様は【自分は二度とこの世には出て来ない。】と言われたとされており、その代わりとして【弥勒菩薩】が出るのですから、自分の前世は【釈尊】で在ったと名乗った者はその時点で全員が全員【偽者(にせもの)】なのです。
そうした意味では幸福の科学の大川氏も実に解りやすいニセモノの演技だったのです。しかし現在の神霊界はニセ者達の正体を暴くでは無いのです。ニセ者達を泳がせるなのです。そうしたニセ者達が名乗る救世主に欺されたとしても、それは自分が悪かったなのです。問われるのはその真偽を判定する能力と言えます。
そこには霊界を見渡しても、万物の創造神の姿が見えないがあるからです。すなわち嘘を出している神霊や天使と称する霊達を掴まえて、それを裁く存在が霊界そのものに見当たらないなのです。
それは自分が犯した罪は自分が祓う原理原則が在るから
キリスト教では自分が犯した罪を金で売り買いする【贖罪】が説かれます。それ自体は仏教で説かれる【地獄の沙汰も金次第。】と同様のことであり、【罪】と呼ばれる物はそれを消さない限り流動していると言えます。
言うなれば【トランプのババ抜き】で、誰にジョーカーを掴ませるかです。
罪は流動しているので、金で解決する方法もある
霊的世界では自分の魂の罪の霊的汚れを、他人に押しつけて逃げるがあります。そこに【霊的憑依】と呼ばれる物が起こり、霊媒質者は他人の罪の霊的汚れを被るという現象を起こすなのです。
罪は金で消せないが金で流すで、宗教家は金で罪を被る
スピリチュアルは金儲けになりますで、セミナーと呼ばれる会を催して生徒に蛇霊や狐霊を着けて霊的世界を見させることが出来るなどがありますが、その結果として自分が地獄界に向かうがあります。それは霊的世界を利用してする金儲けには【罪】が流動して来るからです。そうしたスピリチュアルセミナーでは、この世での自分の罪が【カルマ】として積まれることはまず教えません。と言うよりも、スピリチュアルだと叫んでいる人が生きている時は霊界を利用した金儲けは【罪】に当たることが解らないのです。
前世でシャーマンだった人で今世で苦しんでいるが多いのは、霊的世界を金儲けに利用したかどうかなのです。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【人がこの世で積んだ罪は肉体の死で、この世に置いて元の霊的世界に帰る。次にこの世に降りて来た時に、その過去の罪を背負う。】と告げられました。すなわち罪とは肉体の【死に非ず】なのです。人の肉体の死によって人の罪は消え去るではないのです。
人がこの世で犯した罪は、肉体の死を持って消え去らない
日本仏教の曹洞宗の御経の修証義(しゅうしょうぎ)に記載される【人は過去・現在・未来の三時】に分けてその罪を解消するとある様に、この世に生まれ出て、過去の罪を解消する存在が【カルマ(業)】と呼ばれている事柄なのです。
世に人は死ねば終わりだから悪をしなければ損だという方達がありますが、創造神の絶対法則である【業(善悪の行為は因果の道理によって、後にその結果を生む)】が働いており、スピリチュアル標榜者の神は愛だから何をしても赦されるなどの論は地獄界に御案内の論なのです。生きている時は解らないが死後に後悔するなのです。
ただそれは神社に鎮まる神々が正神界の神なのか邪神界の神なのかの論議だけでは説明がつかず。その神霊の霊力によって神として君臨している為に、創造神と呼ばれる神の存在証明が重要となるのです。
私に対して自分には一億体の白龍神が従っていると私に言って来られた方は、【おまえは天帝からの言葉の仕組み等と振りかざしているが、天帝に仕えるところの天使の一人にしか過ぎない。いざとなればおまえなどは数の力でひねり潰すぞ。】なのです。この世に関わる霊界で天帝の名を出しても、それで神々が従うではないのです。
今の神霊世界は力の支配で在り、話せば解るでは無い
そこに勝てば官軍、負ければ賊軍の習いが起きた
大本教から艮金神国常立尊の引退の経緯が世に出されたことは意外な話ですが、そこには五十六億七千万のみろく大神の仕掛けが絡んでいるなのです。
人の魂はカルマの原理原則、業による【縁起】の中にある
日本におけるスピリチュアルは西洋の神智学の影響を強く受けていますが、西洋の神智学で言われる世界教師のマイトレーヤとされている存在は仏教の弥勒菩薩のことです。が、そもそも仏教に弥勒菩薩と呼ばれる存在が取り込まれたのは仏教が中央アジアに入り込んだ後に、古代ペルシャ地方等に在った【ミスラ】神信仰の光と司法の最高神がお釈迦様の弟子であった様な形で弥勒菩薩として取り込まれたなのです。後世の作り物です。
ですから弥勒菩薩と呼ばれる存在は【大乗仏教】が創った産物と言えます。それらはお釈迦様の死後に起きた内容なのですが、五十六億七千万と言う数字を載せたのは如何なる存在かなのです。
お釈迦様の死後に誰かが五十六億七千万を仕掛けた
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、その声は私に【拝火教のことを学びなさい。】と言って来ました。しかし私が子供の頃はインターネットそのものが無く【拝火教】などは田舎の図書館には何の専門書も無いで、解りようがない宗教でした。
私自身は自分が摩訶不思議な体験をして、鍾馗神の案内で中国で創造神ともされている盤古大神(木星神とされる)と呼ばれる神に拝謁しましたが、盤古大神など聞いたことも無い神でした。その盤古大神のことが書かれていないかと大本教霊界物語を買いましたが、その全巻の購入費は当時の私の一ヶ月分の給料に匹敵しました。だがその霊界物語でも拝火教のことはよく解りませんでした。ただ盤古大神に関しては解ったなのです。
今は無料で知識を得られるインターネットの便利な時代に入り、拝火教の原点と言うべき【ミスラ】教に辿り着いて、その神がみろく菩薩に繋がっていると解って、ようやく五十六億七千万の【みろく】の大仕掛けが解って来たと言えます。
お釈迦様の悟りは、みろく菩薩でないと世に出ない?
数々の予言を当てた大本教は何故【みろく大神】を出した
明治31年旧12月26日の大本教神諭には、【綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ。】とあります。この【九つ花】とは同じ大本教神諭明治31年旧11月6日に【九つ花は誠から咲かせる花であるから、三千年の経綸を致した。】とあるようにお釈迦様が世に出る前から仕組まれた物で、誠と示される事で解る様に言葉で成る仕組みを指します。
この【九つ花】の解説は本来ならば大本教から出されるのが筋だったのでしょうが、大本教からでは無いのです。大本教に在籍していた当時は出口なお開祖派で反出口王仁三郎派で知られた後に神道天行居の開祖となった【友清歓真(九吾)】師に、ある神が大本教神諭の【九つ花】とはこういう物(九の魔王陣)と教えたことから世に先んじて発表されました。
友清歓真師が出したのは、大本教から出された【ス】の言霊は間違いで【ラ】の言霊。そのラの言霊は【天之御中主(真性天照御大神)】を意味しているです。
その友清歓真師の解き方そのものは間違っていません。真ん中の【41】は【ラの言霊】で、意味することは【天之御中主(真性天照大御神)】で間違いではないのですが、九つ花の紐解きとしては2〜3点程度なのです。すなわちそこから【五十六億七千万】の数字を出す【みろく(369)】の意味を読み切っていなかったからです。
みろくを語るのであれば、お釈迦様の悟りと連動
そしてもう一つに五十六億七千万の数字に秘められた意味は
物質の【七の世から、精神の八の世に代わる】
日本語の【イロハ】の41番目は、【ミ】
日本語の【ひふみ】の41番目は、【ス】
日本語の【アイウエオ】の41番目は、【ラ】
みろく菩薩とは、私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から告げられた【拝火教】の最高神【ミスラ】神のことであり。そのミスラ神の性格は【光と司法】とされます。大本教神諭は艮金神を【この世の閻魔】と告げましたが、仏教の閻魔大王だけの感覚だと閻魔大王は裁きの神ばかりが入り、【光と司法】の神の感覚が抜けてしまうなのです。
天の岩戸開けは、何故に司法の裁きなのか?
私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【日本神話の天の岩戸開け等の事実はどこにも存在していない。全てはこの私が最後の審判に向けて人を使って創作させた物語である。そなたは私がどうしてあのような日本神話を創作させたのか?。その意味を調べるがよい。】と告げられたがあります。
艮(牛虎)金神国常立尊で牛頭に虎パンツ。節分の炒り豆で打たれる【鬼】は掴めますが、そこに【光と司法】の要素は見いだせなかったとなります。私達日本人は日本神話の天の岩戸開け神話だと、天皇家の祖神とされる天照大御神が洞窟にお隠れになって世の中が真っ暗闇に成りました。そうした子供騙しの話を聞かされるとなります。その光の話には何の【司法】も含まれていないことから西洋で語られる最後の審判の【光】とは結びつかないがありました。
伊勢神宮に鎮座されている天照大御神として出て来る御神霊には男神と女神があり。その男神の方の着物の胸の付近には金糸鶴の刺繍。裾には金糸の亀甲紋が縫われていたことにより、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から告げられた。【私の教えは聖書には非ず。日本の昔話や童歌に入れた。もっとも重要なのは「かごめ歌」である。】と告げられて【鶴と亀が滑る】の意味を探ったがあります。
光と司法の神で、天之岩戸開けの意味が出て来る
もし弥勒菩薩の原典となる【ミスラ】教に辿り着いていなければ、大本教が告げた艮金神・国常立尊神(みろく大神)とは人類の想像など許さないほどの神で在るとの認識に立てなかったでしょう。私は私の前に自分には一億体の龍神が従っていると言って来られる人がいても、その人は何一つ怖くないがあります。それはその方に本当に一億体もの龍神が従っていようとも、こうした【五十六億七千万】の数字と言葉の仕組みを組み立ててることが出来ないからです。
そこに仏教の祇園精舎の守護神【牛頭天王】とは、お釈迦様と呼ばれる方を世に出す仕掛けの中に【五十六億七千万の数字】を秘めておられた。ただその解明には【日本語】と呼ばれる言葉を必要としたなのです。
私が子供の頃に臨まれた旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。】と言われましたが、それは嘘では無かったなのです。
大本教神諭予告九つ花に、五十六億七千万を秘めた
大本教から仏教の五十六億七千万のみろく菩薩の【みろく大神】が世に出されたのは、三千年前から仕掛けてある言葉の仕組み。
ただそれらの仕組みを理解するには、仏教で説くこの宇宙は【无(ム)から有を生じ、混沌(カオス)から生じた。】一連の仕組みを理解した者でないと解らないとは言えるのです。スピリチュアル的な要素で見たり知る霊界では、こうした大仕掛けは解らないのです。何故ならば世に出ておられる神々その方達が、そうしたところまで踏み込んでおられないからです。
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私は白狐の世界を見聞し、白狐界⇔人間界を往復をしている存在を視認しました。そこに人の姿をしている時が天人界に昇格する【チャンス】と解ったのです。そこにはイエス一人を神の御子だと信じれば等の論理は無いなのです。
スピリチュアルでは【愛】の言葉をバカの一つ覚えのように言いますが、愛だ!。愛だ!で如来界に進んでいるような霊の存在はありません。仏教では如来の叡智を説きますが、そこにはスピリチュアル標榜者の様な【愛】一辺倒を言っていないと解ります。この【愛の言葉に踊っている者達の本当の正体は何者?。】かなのです。
大本教神諭に【ユダヤの悪鬼が、この世を泥海にする仕組み。】がありますが、この意味が以外と知られていなかったがあります。その泥海とは霊的な【ヘドロの海】で、この世に関わる霊界で見られます。このヘドロの海を固めるは容易なことではなかったなのです。誰も手がつけれなかったのです。
ヘドロの様な世界の土壌を固めたて大地としたが造物神
大本教の前に起きた天理教において【泥鰌】が出て来て神は泥鰌かと思わせるが内容があり、この言葉だけで天理教を邪教呼ばわりしている方が見られます。この泥鰌は神がヘドロの様な世界の【土壌】を固めた意味なのです。その泥は霊的掃除(浄化)を行っていないと、またもやヘドロになるが在ったわけです。為にこの地上界では土を固める【型】が必要だったと言えます。
ユダヤの悪鬼達とは、そうした霊界の浄霊浄化を何一つ言わなかった存在です。霊世界の浄化など、スピリチュアル標榜で語る人はどこにも存在しません。愛と言う言葉で不都合なことは覆い隠すです。
ユダヤの悪鬼とは、霊的浄化浄霊を一言も言わなかった
愛という言葉で、不都合なことは覆い隠し続けて来た
人は愛という言葉を出されると、その裏に不都合な事を覆い隠す働きがあってもそれを見抜くことが出来ません。頭からこの人は愛と言う言葉を言っているから、間違いが無い人だ!。私は人の魂に出る点数が最初は解りませんでしたが、行者筋からそれは人が持つ良心神の点数だと教えられて納得したがあります。何をしても神の愛で赦されますでは、自己の魂の良心神の存在など解るはずもないことです。
地獄の言葉には【獣】の漢字が入って来るのですが、天人界で無ければそうした動物の姿を取るであり、そこに【輪廻転生】が説かれていたと言えます。そうした動物の世界に住む者からすると、人間として世に出して貰っておきながら【その様は、何だ!。】となります。
白狐とは毛が脱色したで無く、霊的世界に存在する神獣
何故に狐は【瓜の獣】と成っているのか?。【ウリ】に秘密
そうした時、日本のキリスト教の牧師などは自分達は創造神の一人御子であるイエス様を神として仰いでいるのに、日本人は稲荷信仰で獣の【狐】を神として拝んでいると非難される方達があります。世紀の大予言者として実績を誇られた大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界物語の中に地獄を覗けば牧師で一杯だと記しておられますが、そこにはキリスト教徒は天国界に入るのが難しいがあります。それはキリスト教の教義はイエスを神として拝むが主体で、個人を崇拝するで霊界論に間違いが多々あるからです。
キリスト教の教義では冥府の長官を【サタン】と定義していますが、死後の世界を意味する【冥府】と呼ばれる世界の存在に対して、イエス一人が創造神の一人御子でイエスを主の一人御子と拝めば人類の【原罪とされる罪(カルマ)】が赦されると言う、あまりにも極端な間違った論理を展開したことに原因があったとなります。
イエスは霊的世界においてどのような地位にあったのかとなりますと、イエスは八次元霊界とする説を言われる霊能者が多いのですが、私はイエスは八次元界には到達していなかったと見ています。八次元界に近い段階の七次元界止まりでしょう。それは自分が救世主ですと名乗る方達の多くが自分は七次元界出身と言われるように、七次元界と八次元界とではそこに霊界の【層】があると見られることからです。イエスはその層を突破出来ていないなのです。
悟りを得たお釈迦様は、【自分は二度とこの世には生まれ出ない。】と告げられたとされますが、そこには【七次元界】を抜けられたがあるのです。
七次元界を抜けることで、自分は二度とこの世に出ない
日月神示の岡本天明師から【一二三(ひふみ)】【三四五(みよいづ)】【五六七(みろく)】の次元界説が出されましたが、その上にある【八九十(はくと)】の次元界の存在が出されなかったがあります。三と五と七はダブル霊界で横に渡れますが、七から八に行く道は切れているのです。そこまで論理を進めるには、イエスを超えた世界の説明が必要となるのです。
識界レベルの判定として創造神が第十識界とするとお釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。ムハンマドは第四識界とする説があり。イエスもムハンマドはお釈迦様のレベルには到達はしていなかったと言われています。
私は数少ない【新地球】の存在を述べる者ですが、この新地球とはスピリチュアルで語られる【裏地球】とか【平行宇宙】で隠れた地球が存在するの話では無く、その星には今日まで誰も住んでいなかったことにより霊的にも何も解っていない星とされています。つまり神々ですら、その新地球(みろくの世)のことはよく知ってはおられないなのです。するとそれは裏地球とされる星の話では無いなのです。
神々ですら行ったことが無い星のことなど解るはずが無い
ただ最近になってその弥勒世に渡る門が開門したことにより、一部の霊能者からその弥勒世の一端が告げられるようになって来ましたが、スピリチュアル標榜だとイエスの愛の教えに凝り固まっている為に反イエス(六六六)である【みろく世】のことは解らないと言えます。
西洋の神智学者達は、最高レベルの識界から人類界に降り立つ存在を【マイトレーヤ(弥勒菩薩)】と呼ばれる存在と見ていたのですが、本質的にお釈迦様の直弟子に【マイトレーヤ(弥勒菩薩)】たる存在は過去に人としては出てはおらず、この【マイトレーヤ(弥勒菩薩)】とはその姿を人類の上には見せていなかった万物の創造神と呼ばれる【神の仕組み】の関係上の架空の存在であったなのです。これらもそうした西洋の神智学者の背後に居る霊達を炙り導き出して、世に明らかにする仕組みと言えます。
大本教から【みろく大神】が世に出されて、大本教の出口王仁三郎聖師がその【みろく大神】の型を演じられましたが、これは大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)は、五六億七千万】の数字の秘密を解き明かせなければならなかったからです。その五十六億七千万が解らないと、八次元界以上の識界のことが解らないからです。
五十六億七千万の数字には、それだけの意味がある
単に思いつきの数字で【五十六億七千万】の数字が出されたのではないのです。大本教の出口王仁三郎聖師は地球が出来て五十六億七千万と間違ったことを言われましたが、地球の誕生とは関係が無く霊界の所在からです。それを知るには【龍宮の乙姫】を知る必要があったなのです。ここまで綿密に組み立てられているのかと驚くべきことなのです。
その大本教から、国常立尊の世の立替に【白狐は下郎の役で奉仕する。】が出されました。世の大立替に入った時、国常立尊は【白狐】と呼ばれる存在を使って人類の救済に入られるなのです。龍と呼ばれる存在は巨大な力を持った存在であり、個々の人のレベルを救うとなれば白狐的存在が向いているとなります。
稲荷神界は狐の世界で、キリスト教では説明が出来ない
稲荷の【米】に秘めた人類救済法
世の大立替を宣伝した大本教は日本で創造神とされる【国常立尊】は、その性格が厳しかったことから、神々から鬼と嫌われて神界の主宰神の座から多数決によってその座を追放されたとしました。それは今から【三十五万年前】としましたので、今の人類がそれを歴史的に知ることは出来ないのです。そこで【霊界物語】となりますが、この世だけを見ていれば霊界のことは解らないのです。
ただそこに最高神の座から追放された神なので【引退の艮(ウシトラ)金神】の名が生じたなのです。
が、【艮の牛虎で鬼と云う魂】の総親神とも示された
私は鍾馗神の御案内で中国で天子とも創造神ともされる【盤古大神】に拝謁して、大本教から出された仕組み(世の大立替)の背景を探ったと言えます。大本教の霊界物語にこの盤古大神は【木星神】と記載されたことから、ローマ神話で世に語られて来た【ゼウス】とか【ユピテル】に当たる神だと解ります。西洋では【ゼウス】を最高神として仰いでいるのは事実と言えます。
大本教から予告として出された世の大立替とは、この宇宙開闢以来の大立替と予言されたこともあり、自分個人の幸せを祈っている様な話では無いと言えます。その背景に【何が在るのか?】です。
地球は宇宙で唯一の【魂の更生(甦)場】の側面を持つ
私は神霊界修業の中で大本教神諭にある【ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にする仕組み。】の存在に気づきました。
霊界を見渡すと、ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にした
スピリチュアルの99%は、霊的汚れの浄化をしなかった
スピリチュアル標榜者のお題目は、【神は愛だから何をしても神の愛で赦して下さる。】で、自分が霊界の掃除たる浄化をせずに汚しに汚しまくった。
スピリチュアルで、霊的浄化をした人が世に幾人居る?
ほとんどは口先だけで、何一つ祓えずに清めてもいない
ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にするが解っていなかった
スピリチュアルの世界では自分が霊的汚れを祓いました。清めましたと豪語されている方は多数あります。しかし霊的な汚れとは、神社に行けば神主が祓い串で祓いました。清めましたと言われる様な言葉で片付くような話では無いのです。
誰しも【カルマ(業)】と言う言葉そのものは聞きますが、実務派の霊能者であればカルマ(業)はそんな簡単に祓えないと知ります。何故ならば人は自己の過去の罪を洗う為にこの世に降りて来ているのであり、その過去の業(カルマ)が噴き出した時の災いを知るからです。人のカルマが集約されると天変地異につながる。それは自分が勝手に取れるような安易な物では無いなのです。
神社の祓い串で祓える霊とはチリや埃の類の霊的な汚れであり、罪と呼ばれる事柄に起因した【罪悪の祓い】では無いなのです。
人が積んだ魂のカルマとは、神社の祓い串では祓えない
この世の天変地異は、人類のカルマの吹き出しとされる
私は二番目の師匠であった言霊師の方から【おまえは霊界の霊的掃除をしているバキュームカーの様な存在だ。】と告げられましたが、一銭の金にも成らない霊界の掃除屋として取り組んで来ました。しかし私の力だけでは霊界の汚れが完全に清まるだけの力は、多勢に無勢で祓えるだけの力を持ってはいません。
霊界の汚れは龍男龍女と呼ばれる存在が浄化をして来た
その症状は、霊的汚れを吸って下痢を起こす。異常に眠る
スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と言って霊的世界の見聞は出来ても、霊的世界の汚れの拭き掃除に助力して来なかった者はいくら霊的な世界が見えたとしてても、誤った道を目指したとなります。
スピリチュアルの神は愛だから何をしても神の愛で赦されますなどの論理は、冥府の閻魔庁の存在を何一つ見ていなかったなのです。キリスト教の様に冥府の長官は【サタン】だと言っていれば良いのか?。なのです。スピリチュアル標榜で神は愛だから何をしても赦されると言っている人は、閻魔庁の存在を見たことが無いなのです。
閻魔庁の羅城門を何故に【来世門】と呼んだのか?
人は生まれ変わるの輪廻を司ったのは【エンマ庁】
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朝鮮半島に残されていた予言に最後の審判前、救世の為に【米】一字の教えが起きる。その【米】一字の教えに従った人達の上には天罰は降りないが、そうで無かった人達の上には天罰が降りると云う不思議な予言が存在しました。そんなたった【米】一字の漢字で救世の教えが出来るのだろうかと?。と取り組んだところ、それは大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】を解き明かすことでした。
その最後の審判の裁きから救うとされる救世の為の米一字の教えが終わったことで、西暦2020年に【地獄の釜の蓋開け】の霊映像が出てきて、世に大きな菌の災いが出てきました。ようやく菌の騒動が終わったかと最近の世を見ていると、これまでは闇に隠れていた悪が、これでもかこれでもかと噴き出して来ています。こんな状態はこれまでは無かったことです。それはまるで大本教の【神が表に現れて、善と悪とに立て分ける。】が起きている様に見えます。
そして新年早々。能登に大地震が起きました。被災に遭われられた方達にはお悔やみを申し上げます。日本は火山が多いことで解る様に地震国です。為に地震は日本国中どこに住んでも免れない事象ですが、能登に起きる地震には霊界の【型】があり、私が霊世界から受けた事柄に能登には【龍が登る働きの龍登】があるでした。で、龍が登ると出た能登は他の場所より注意をしていたがあります。その能登に辰(龍)の年の元旦に辰の動きが起きたことは、偶然なのか?。
神社に鎮座される神にも止められない地震とは何か?
スピリチュアルの世界では、霊的災いが起こす事象を自分が祓ったと豪語される方は少なからず居られます。ならば大地震も来ないように祓えるはずですが、そうした方達の霊力で地震が起きなかった、自分が大地震が起きないように鎮めたという話はありますが、証拠として他の霊能者からそれが認知されたの話はありません。世紀の預言者と言われた大本教の出口王仁三郎聖師でも、関東大震災の予言は言えても阻止は出来なかったがあります。
そこには神社に鎮まる神霊でも地震を阻止することは出来ずに、事前に自分を神と仰ぐ信徒達をその地から逃がすなのです。私が神霊界修行をお世話になった豊受姫も【阪神淡路大震災】を御代たる方に事前に告げられて、その豊受姫を仰いでいる信徒だけに告げて事前に逃げさせられたがあります。
創造神は大地が沈むような大地震から人類を逃げさせる
私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて私に告げられたことは、【私はこれまでの世を閉めて、人類を永遠に嬉し嬉しの新しい世に渡す。そなたはその時の光景を見て、それを新しい時代の歴史書に書かなければならない。】と告げられたことです。
私は戦後生まれですが、当時の日本は太平洋戦争に負けて疲弊していた時代でした。日本各地に白衣を着た傷痍軍人と呼ばれる人達が物乞いの為に立っていました。国の為に傷ついた傷痍軍人の人達の生活の面倒すら見られない貧しい国。それがこの日本だったのです。
最初の東京オリンピックがあった昭和39年、東京の上野駅の通路には未だそうした傷痍軍人の人達の姿が見られました。もし東京にオリンピックが無ければ、そうした光景はもっと続いていたでしょう。今の若い人には解らない貧しかった時代です。世界で貧困貧困と叫ばれていますが、今の貧困とは度合いが違ったと言えます。そんな貧しい時代なのに、霊声に永遠に嬉し嬉しの世と言われてもまるで雲を掴むような話です。
そんな大事が実際に起きるなど、いくら子供で在ってもとても信じられる様な話ではありませんでした。それで私はその声の主にに対して、【それは何時のことなのでしょう。私がその日まで生きている保証などどこにあるのでしょう。私が何時、病や事故で死ぬかも知れないでしょう。】と返したのです。
するとその旧約聖書の神と称する声は、【それは何時のことなのか?。その日時は言えない。ただ間違いなく言えるのは、それはそなたがこの世に生を持って生きている時に起きる。そなたはその時の光景を見て、この世を去る。私はそなたを「最終の者」と定めた。そなた以前にそなたが説く様な内容を教える者は世に出ておらず。そなたの後にもそなたが説いた内容を教えられる者も出ない。そなたが説く教えは、そなたを持って終わる。そなた一代限りの教えで在る。】と告げられたなのです。
私が説く教えは、私一代限りで終わる教え?
人に内在する良心神は、最後の審判で終わる
私はその旧約聖書の神と名乗る声が私に告げられた内容を信じたのではなく、本当にそんな永遠に嬉し嬉しの世の到来が来るのだろうか?。私は単に旧約聖書の神と名乗る声に欺されているのではないだろうか?。そうした疑念から神霊界修業に入ったと言えます。そこで伏見稲荷山で修業のお世話になり、豊受姫から【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方です。貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)に等しい物。】と告げられて、大本教神諭に示された【神三千年に渡る仕組みとは、日本語と呼ばれる言葉で組み立てられた仕組み。】と解ったしだいなのです。
仏教では全宇宙を指して【三千世界】と言います。その三千世界とは私達が今住む世界を一つの世界として、そうした世界を千個集めた世界を一つの世界とする小千世界が在り。更にその小千世界を一つとする世界を千個集めた世界を中千世界と呼び、その中千世界を一つとした世界を千個集めた大千世界が在るとします。すると千✕千✕千の十億個の世界が在ることになります。
実際にそんな十億個もの世界が存在するのか?
それは途方もない話で在って、それは真実なのか嘘なのか解らないと言えます。
旧約聖書の神と称する声の主は【人が死後に渡る世界(霊界)は実に膨大な数の世界が在り。人の身たる物が全霊界を語ることなど出来る物では無い。人の身が死後の世界のことは知った被りで説いてはならない。】と注意を受けていました。
私は自分が見聞出来た霊世界の内容は霊界の僅かな部分であるでしょうが、それでも実に多彩な世界を見たと言えます。実際に漫画家水木しげるさんが書かれたゲゲゲの鬼太郎の様な妖怪の世界もあったからです。
京都の伏見稲荷山には【豆ちゃん大神】と呼ばれる小さな神様を祀った御塚も存在します。豆粒の様な神様も存在しているのです。自分は凄い霊能者だと豪語している人でも、その人が知る霊界とはほんの僅かな部分にしか過ぎないと解りました。その人がいくら優れた霊能力者でも、本人が体験していないとそれを無いと言います。人の身は断言したら間違うのです。
霊能者も自分が見ていないと、否定論に走る
霊的世界の事物は絶対に無いは断言出来ない
私は神霊界の一部分に過ぎないでしょうが見聞して来て、蛇霊、狐霊、狸霊、猫霊と呼ばれる存在。天狗や龍神と呼ばれる存在。そして仙人や西洋で天使と呼んでいる存在。妖怪などの諸々の存在を通して、大本教神諭が告げた【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水)】が何を語るのか?。が解って来たと言います。
私の元には自分が創造神です。自分か救世主です。自分には一億騎の白龍神が就いています。自分には何百万もの黒龍神が配下として従っています。そうしたことを言って来られる方達が多数ありました。その方に一億体の白龍神が就いておられようが、何百万の黒龍神が従っていようが、神霊界は最終的には力で決まると言えます。
神霊世界は自分に力が無ければ、他に従わざる得ない
問題は全宇宙を支配する力を持った神は存在するか?
誰しも不思議に思うのは万物の【創造神】と呼ばれる神が存在しているならば、全霊界は一つの神の名の下に在らねばなりません。大本教の神諭に末で世界の宗教は一つの川の流れのように集約されるとありますが、世界はキリスト教やイスラム教やヒンズー教や仏教などに分かれ、キリスト教でも新教と旧教が在り。イエスを御本尊とするキリスト教には派だけでも千派以上在ると言われています。日本における仏教でも多数の派に分かれているのは周知の事実です。
皆、バラバラなことを言って、自分が所属する派の覇権争いをしているだけであって、真理を追い求めているではありません。
今の世からみろくの世への立替を宣伝した大本教から、【神が表に現れて、善と悪とに立て別ける。】という大宣伝がなされました。しかしそうした宣伝はなされても、現実に善と悪とが表に現れて来るは起きませんでした。
これまで隠れていた善と悪とが大きく浮かび上がって来た
もう悪は赦されない時節となって来て、二つに別れて来た
西暦2023年は右左岐(卯)の年で、魂が二つの世界に別れて行く選別がなされていましたが完了したと言えます。自分は永遠に嬉し嬉しの弥勒の世に進む側か?、それともこれまでの世に残る側か?。それはやがて個々の魂に通知されるでしょう。その時が永遠に【左様ならば】サヨウナラとなります。それは私がどうにかして差し上げましょうと言える様な事柄ではないのです。
私達は別れの時に【サヨウナラ】と言う言葉を発していましたが、どうしてサヨウナラと言うのか?。知ることはなかったと思います。サヨウナラは【左様ならば】から来た言葉なのですが、意味することは【それならば】の意なのです。
今はインタネットー上から消えてしまいましたが、一時期【ウシトラコンジンのトドメのフミ】と呼ばれる予言文が出ていました。その中に【左様ならば、サヨウナラぞ。】ともありました。左に進めば破滅的な道に行くぞなのです。
私は最後の審判に関して、下記のY路標識を幾度も見させられました。そしてそこに出て来たのは【右の道】を選べです。絶対に【左の道】を取るな!。左の道を取れば、やがて破滅の道を行くです。
神は愛だ!。神は何をしても赦してくださる。愛!。愛!。愛!。ばかり言っている者達は愛を具体的に実践しない悪党達の永遠の教師として、二つに別れる世ではその悪党達を愛の教えに目覚めさせて、愛を実践できる様に残される今の世界で【愛】の教えを永遠に説きなさいで、悪党達が集まる地獄的世界に行かされるなのです。
何故ならば愛ばかりを言っている人は、いくら良心神の存在を教えても愛の言葉に狂って聞く耳を持っていなかったからです。神は愛だ!。を説く者達は最後の審判で悪党達が住む世界に行って、その悪党達を自分の愛で改心させない限り、永遠にその世界から出られなくなるのです。それが二つの世界に別れて行く隠された意味でもあったなのです。
艮に秘められた言葉の謎は【良(ラ)】を隠していた
左に進む者は、根っからの悪党と神は愛だ!の連呼者
右に進む者は、右に倣えで頭(唯一神)の存在に従う者
私はそれほどの数ではありませんが、宇宙の軍団が宇宙総統に対して【頭、右】で行進している様を見て、頭は左でなく右とは何を意味するのか?、と考えていた時期があります。
スピリチュアルと称して、神は愛だから何をしても赦して下さる。そうしたことではみろくの世には進めないなのです。何故ならば永遠に嬉し嬉しのみろくの世に進む者を選別するのは、大本教で予告した【神が表に現れて、善と悪とに立て別ける。】と大宣伝されたのは【閻魔大王】の裁きだからです。
最後の審判は【閻魔大王(国常立尊)】自らが別ける審判
閻魔大王=国常立尊(天之御中主)が解らない霊は迂闊
私は霊能者と呼ばれる様な相談者の前世を見て、占いが出来る様な霊能力を持った者ではありません。しかし子供の頃に私に臨んでいた旧約聖書の神と名乗る声は、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。そなた一人にはその仕組みを見せるので、そなたはそれを世に告げなさい。】と命じられた者と言えます。
その為か?。私の前に現れた大本教の出口なお開祖に人類の歴史上、最高の予言者と言うべき出口王仁三郎聖師の両名。その出口なお師が霊媒者を通じて私に言われたことは【大本教はまな板の上の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第。】と告げられて、大本と呼ばれる宗教の演技には何かが秘められているのかと料理したなのです。
そこには私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と名乗る声が私に告げたある言葉があったからです。その言葉とは【この世と呼ばれる世界を舞台にした私の筋書きは、神々や人民が知ることでは無い。この私だけがその筋書きを知っている。そなたも私の筋鍵を知る者では無い。神の世界の舞台に立つ役者は、この私の筋書きを知らずにその筋書きに沿って演じなければならない。その神の舞台の観客は神々で在り。人民で在る。】
大本教神諭を読みますと【世に出ている神々や人民が知ることでは無い。】と、私が旧約聖書の神と名乗る声から告げられた同様の内容が有り、実際に世に出ている神々に当たっても、【世の立替?。そりゃ何じゃ!。】となります。スピリチュアル標榜の方達からは【世の立替】論が出ることはまずありません。
一部の霊能者の方の中には、貴方(私)の背後には万物の創造神と呼ばれる様な神の存在が在ると告げて来られます。しかしそうした声も私が何の霊力も持たないと者と解ってくれば、自然と消えて行きます。
私が幼い頃に臨んでいた旧約聖書の神と名乗る声は、【私はそなたに何の力も与えない。為にそなたが説く内容をバカにして来る者達が続出するであろう。何の力も示さないそなたの教えに従う者達は、この私が創る永遠の嬉し嬉しの世界に行く。】と告げられたなのです。
大本教で演じられた神の舞台の裏には創造神が存在する
最近、世の中の様子を見ていると次々と諸悪が浮かび上がって来ています。今までには考えられない状態です。そしてもう一つにこれまで霊的世界に関わって来た人達の引退が出て来ているなのです。
スピリチュアルで金儲けしていた人達の一線からの退きは
その霊能者の背後に居た霊達が、その力を失って来た
スピリチュアルの世界では未だスピリチュアルは儲かるで、その勢いは完全に衰えているとは言えませんが、金儲け主義では無い者達による霊世界の正しい発信、またヒーラーと呼ばれている病気治しの分野で活動されていた方達の活動が弱って来ているがあります。
私が説いていることは単なる【法螺話】的なことなのか?。それとも日本語にこんな仕組みがしてあったのかと驚いて万物の創造神と呼ばれる神の存在を認識するか、それはまったく違った道とは言えます。
これまでは龍の力で隠せた悪事も、表に出されてしまう
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人は十人十色と言いますが、人の魂も十人十色
そこには美しい玉と汚れた玉の持ち主がある
日本語の霊は英語では【スピリット】の言葉になりますが、西洋の教えはソウルとスピリットの区別の説明はかなり曖昧と言えます。日本では【霊魂は霊と魂】の合体です。
魂は肉体の【心臓】の部位に宿り、霊は【血】に宿る
西洋の宗教ではそうした事柄の説明が希薄と言えます。日本だと【心は心臓に在る】と言葉でも解っているのです。
私は日本神道界で神霊界の見聞をさせて頂きましたが、西洋で天使と称して出て来る存在は比較的新しい時代に出て来た者達と思われます。為に彼らは宇宙創造に関してはほとんど知らなかったのではないでしょうか?。もし知っていれば、イエス一人が主の一人御子等とあり得ない事柄を言ったりしていないはずなのです。
そこに西洋から出た天使と称している者達の正体には、疑いを持つ必要があったと言えます。
人類の起源はアフリカの高山から起きた猿人の様な物だと思ってしまいますと、神と呼ばれる存在も魂と呼ばれる玉の存在も人の体を解剖して探しても見つからず。まして人の魂が輪廻転生しているなど、どこをどうやっても科学や物理学の要素からは見つけることも調べることも出来ません。
ノストラダムスの予言詩と呼ばれる中に、【西洋の人がいくら待ち望んでも西洋からは現れない東洋の叡智(深遠な道理をさとりうるすぐれた才知)の飼い葉桶。】がありますが、私は日本では神は龍蛇だとか狐(稲荷)だとされている中で学ばさせていただいて、日本の言葉はそうした世界を教えていることに驚きました。イエスや聖母マリアを信じていればの西洋のキリスト教の教えでは、永遠に神等理解出来ないだろうと言います。
宗教が説く魂と呼ばれる存在は、科学的には立証不可能
しかし、人は【心が苦しむ】を体験出来る。その心とは?
そして神を知るということは、人であった存在を見て神だとするような感覚では神とは実にちっぽけな存在と言えます。人して出た存在が、私を拝めば天国に案内すると言う天国そのものが説明出来ているのかなのです。単にお花畑では済まないのです。現在の霊学では天国と言っても第一天国界、第二天国界、第三天国界の三層天国の上に、創造神と思われる神が存在する世界が在りそうだと解って来ました。それらはキリスト教のイエス一人を主の御子と信じればの天国界とは違っているのです。イエスその者がそうした世界を知ってはいなかったなのです。
大本教の神諭に【人には神とも成れる魂が授けてあるにも関わらず。】がありますが、
人は神世界の一員に成れるが、万物の創造神ではない
私は稲荷神界で神霊界修行のお世話になりましたのでよく解ったのですが、稲荷神界は病気治しや現世御利益が主体でした。多くの人は自分の病気治しをして貰ったり、現世御利益を授けられればそれで良しとする向きもありますが、私が神霊界修行の中で疑問を抱いた事柄とは、未だ来てもいな時期に未来に起きる出来事を【予告】して、その予告の内容が実際に起きることです。
私の稲荷神界での修行の世話をして頂いた豊受姫は、【阪神淡路大震災】や【普賢岳爆発】等を事前に伝えられました。その豊受姫の御代をされていた方が東日本大震災の時にも生きておられたならば、その口から東日本大震災の事前予告もされたであろうと言います。
神霊の中には、事前に予告が出来る神が居られる
されど上位の御神霊は、誰彼にと情報を流さない
大本教の出口王仁三郎聖師は未だ起きていない出来事を事前に告げて、その内容は驚くほど当たっていたことは知られています。巷で自分が創造神だとか救世主だと称される方は後を絶ちませんが、そうした方で大本教の出口王仁三郎聖師を上回る予言を出して言い当てられた方は存在していないと思われます。
世に未だ来てもいない出来事を事前に予告して、その事柄が実際に起きたことが予言者と呼ばれる方の予言なのですが、今日まで数々の事柄を予言して言い当てて来た実績では大本教の出口王仁三郎聖師を超えている方は一人も居ないでしょう。
その出口王仁三郎聖師の予言として戦前に広島や長崎に新型爆弾(原子爆弾)が落ちて火の海に成る。その後に黒い雨が降ると予言されて、広島や長崎という地名のみならず広島には原爆投下の後に黒い雨が降って、その黒い雨に当たった人達が原爆症になったことで、その日はお天気で有ったことから黒い雨など降るはずが無いとする国との間で裁判が起きました。そして裁判では広島には黒い雨が降ったと認定されました。
私は伏見稲荷神界で修行のお世話になり、病気治しや現世御利益を授けるは稲荷神信仰の特徴であって当たり前と言います。そうした中で市会議員選挙のレベルの予言だとその立候補者に何票の票が出るの予告がなされて、その票数が出るがありました。そこには白狐達を動員して、当選に必要な選挙の票を獲得させるです。しかしそうしたレベルの予言と、国家間における戦争等の予言とではレベルが違いすぎるとなります。
大地震や大噴火が事前に予言され、それが当たるがある
人類は原子爆弾と言うこれまで体験したことが無い新型爆弾の登場のみならず、大正時代に出された大本教の霊界物語には現在のテレビやスマホのことだと解る様な内容も予告されています。
大本教が予告した内容は百年近く経って、ようやく現れた
百年以上前に予告された神の【立替】は起きるのか?
大本教の広島や長崎に新型爆弾が落とされて火の海に成るの予言が当たったことは知られていますが、そのことに関して【広島や長崎に新型爆弾が落とされて火の海に成る。】と解っていながら、神はどうしてそれを阻止しょうとしなかったのだ!。艮金神国常立尊は悪神であるなどの感情論が起きていました。
そこには【神とはこの世に住む人民に幸せを与える者だ。】と言う、この世の意味を間違えた論理が走っていると言えます。
日本に原爆投下が解っていたならば、止めるのが神?
そこに誤解があるのは、一部の霊能者達が語る【この世は宇宙の魂の刑務所の様な場所である。】なのです。すなわち自分の魂を汚したことにより、日本神道で語る根の国・底の国(地獄界)に落とされている者達なのです。
そしてもう一つの要因として【国魂(国玉)神】と呼ばれる存在です。世界の人民で言葉が違っている。神は唯一であるならば、どうして世界の人々で使う言葉が違っている?。その疑問に突き当たるべきなのです。白人は日本人をイエロー・モンキーとかバカにして来ますが、人種によって肌の色が違っている。そこにも何故なのか?。がなされなかったのです。
神の世界から見れば、この世は根の国・底の国(地獄界)
元の天国に帰れない魂が輪廻転生の旅を続けている
スピリチュアルに見られる【神は愛だから、何をしても神の愛で赦して下さる。この世は遊ぶところです。人は自由好き勝手に生きればいいのです。】などの論は、日本の江戸時代において罪の贖いとして八丈島に島流しがありましたが、魂に罪を背負って地球と呼ばれる星に島流しになっている自分を自覚しないで、神は愛の権化だとする誤った感覚の弊害論なのです。
それはキリスト教のイエス一人が創造神の御子だと信じる者は、何をしてもイエスが愛で信徒の罪を被って(背負って)下さるで、イエスを一人を生け贄すれば良いの論を信じているなのです。
誰かに自分の罪の償いを押しつけ、その罪を償わない
そんな論で天国界に行けると思うのは、浅はかそのもの
仮にも霊的世界を見聞できる能力があることからスピリチュアルの言葉を呼称するのであれば、世紀の予言者として名高かった大本教の出口王仁三郎聖師が告げられた【地獄を覗けば牧師で一杯だ!。】の地獄界を覗いておくべきだったのです。地獄界を覗けばキリスト教の牧師のみならず、多くの宗教家もまた地獄界に落ちているのが解るのです。
地獄界には、この世で自称救世主や宗教家達が一杯居る
そこに見られるのは罪の償い論に、贖罪で罪を売り買い
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【自分が犯した罪分は、この世で自分が払わなければならない。他の者に自分の罪分を押しつけてはならない。自分が他人の罪分を代わろうとするのであれば、自分が過去から積んで来た徳分の中からその徳分を吐き出さないと行けない。】と言われて来ました。すなわちそこには魂の輪廻転生の過程の中で積んだ【借金返し】が念頭になければならないのです。
他人の罪を自分が被る場合は、自分の徳分から支出する
イエス一人に罪を負わせる犠牲論は、真実に蓋をした
イエスが見せた奇跡の数々は【龍神】と呼ばれる存在を抜きにして語ることは出来ません。それはサイババもしかりです。霊界が見せる奇跡の数々は輪廻転生が在るとすれば、それを起こす【冥府】の存在も説かれなければなりません。しかしキリスト教の教義では冥府の長官を【サタン(悪魔)】扱いにしており、そこには【悪魔】の定義がなされていません。
キリスト教ではイエスの教えと違うことを言う存在が悪魔(空く間)で、仏教と比較すると真理が説かれていません。イエスの教えには間違いが多数存在しているのです。無論、日本においても国常立尊は鬼門の艮金神とされ、節分の夜にはその異相の存在たる冥府の長官は閻魔大王のことだとしても、悪を取り締まる牛頭虎パンツの配下の邏卒達は【鬼は外】と炒り豆をぶつけられているなのです。
誰しも節分の夜に炒り豆をぶつけられている鬼達とは、悪鬼と断りを入れなければそれは閻魔庁の邏卒達だと解っているはずです。それを知らなかったは無いでしょう。何も考えないお気楽からです。
悪魔とは、魂の【核(良心の働き)】を空く間化した
日本神話では伊弉冉尊が【黄泉の国】に旅立ち、伊弉冉尊を黄泉の国(冥府)まで追った伊弉諾尊は伊弉諾尊の配下の醜女達に追われて、黄泉(よもつ)平(比良)坂で桃の実を投げることで天人界に戻る黄泉帰り(甦り)が説かれていますが、その甦り(黄泉帰り)には新しい魂に誂える【桃の実】の存在が秘めてあるのです。
大本教から明治五十五年の世の立替説として、三月三日の【桃の花】。五月五日の【桃の実】が出されました。意味することは誂えの桃。挑むにある【兆】は【二つにはじけて割れる】時で
世界は二つに別れて、新しい世界に入る魂は誂えられる
ただ魂と呼ばれる存在は誰でも新たに自由に生み出せるではありません。既存の魂の分裂で魂そのものは増えて行きますが、それは分裂であり、新しい魂を生み出せる神とは【鬼と云う】存在で、大本教から出された牛虎(ウシトラ)金神には魂を生み出す(新しい命を生み出す)神の意味があるとなります。
キリスト教はイエスは処刑後に蘇ったで、冥府(霊界)の存在の教えは皆無に等しいがあります。為にキリスト教の信徒はこの世を去った後にイエスが再来する日まで、どこに居ればいいのだ?。の論理となり。そこに教えの矛盾が生じてしまいました。既にイエスがこの世を去って二千年以上経過しているのに、未だに神の【千年王国】論にしがみついていると言えます。
キリスト教にも仏教の様に神の御国(みろくの世)の到来の日まで【輪廻転生】の教えが存在していれば、その日までは流転という教えも出来たのでしょうが、あまりにもイエス一人だけを神の御子とする間違った過大評価な教えをした為に、キリスト教徒は逆に天国への道が難しくなったがあります。
私達日本人は神社などに参拝すると、そこで病気治しや現世御利益を受けることから神の存在を認識するはありますが、大本教から【人には神とも成れる結構な魂が授けてあるにも関わらず。】と出された事柄に関しては認識しているではありません。
多くの人が神社に参るのは現世御利益を貰えることが主眼であり。自分自身が神と成れる【神の子】等、あり得ない話としか理解出来ないのです。
大本教からこの世は【天人の苗床】と出されたが
そもそもその【天人】とは如何なる存在なのか?
この宇宙を創ったのは【火水(かみ)】と呼ばれるエネルギー体で、その宇宙創成のエネルギーの体の流形たる姿を【龍神】と言うのです。その龍神が宇宙を創成した後に、その流体(龍体)を脱いで人型に変化した存在を初発の【天人】と呼ぶなのです。
日本神道系で説く【本守護神】とは、その【天人】達
その次元格としては、【八九十】次元の段階とする
私達人類の魂がこれから向かおうとしているのは、その【八九十】の段階ではなくて、俗に【五六七(みろく)】の世と呼ばれる段階なのです。この世と呼ばれる私達が住んでいる世界は岡本天明師の日月神示(ひふみ神示)に【三四五(みよいづ)】とされている三次元・四次元・五次元で構成された世のことですが、その世は間もなく終わるなのです。
しかし、
仏典に龍女の解脱が無かったなら、天人の関係が不明
最近、これまでは一線の霊能者として、病を治すヒーラー型霊能者として活動されていた方達のリタイヤが進んでいます。これまでに無い出来事が見られます。そこには神霊世界に大きな変革の兆しが現れたと見られます。特に顕著な変化が龍神界に見られると言えます。それは【威風堂々】と列をなしている龍神達の存在です。それらの龍はこれまでのどこかの神社に鎮まっている神霊の配下の龍とは別物と言えます。
これまでの龍神界の龍神達は、その体に憑いた汚れが洗いきれていません。そうではない汚れを洗い終えた龍神達と言えます。
いったいどこの龍神達が現れて来たのか?
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そうした龍を見た人達が絵画に龍の姿を描いて残し、彫刻に掘ったとも言えます。もし龍が霊的世界にも存在していなければ、これほど姿が一致した絵や彫り物も存在しないでしょう。
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する霊の声を聞いておりましたが、自分が実際に神霊世界に修行に入る迄は世に龍神と呼ばれる存在は寺院の天井や襖絵に描かれる龍の姿や神社等の彫刻に掘られた龍の姿をした様な蛇系の存在だとばかり思っていました。
当時伏見稲荷大社の信者組織である伏見稲荷大社講務本庁の婦人部長で豊受姫の御代をされていた砂沢たまゑ師とその支部講の幹部信者さん達と丹後半島の伊根の漁師民宿で催された少人数の忘年会に出席していたところ、私の横に座る砂沢師に若い男性姿の霊が入身して砂沢師の肉体を借りて酒を飲んでいると解りました。
砂沢師は通常見られるスピリチュアル標榜者とは霊格と呼ばれる物が違い。荒行を積んだ完全型霊媒者で、その肉体は豊受姫や諸々の御神霊を降ろすことが出来る超一流の霊媒体質者で、当時は稲荷行者としての実力は?1とも?2ともの呼び声が高かった方です。
実践派の霊能者としては、スピリチュアル界の大御所と自認されている江原啓之さんを遙かに上回っている霊能力の持ち主と言えました。その肉体に神霊と呼ばれる存在が降下すると、不思議な神力や霊力を発揮出来るのです。そうした奇跡力の現出の大型版がナザレのイエスやサイババの様な存在だったと言えるでしょう。私は稲荷神界を通じて、イエスやサイババの奇跡の裏に何があったのかが解ったと言えます。
全てのマジックに種があり、神の奇跡にも種が有る
行者の世界を見て来ますと、スピリチュアルを標榜する人達の霊能者としての実力には首を傾げる面があります。単に霊が見えるだけでは、当たり障りの無い世界を語っているにしか過ぎません。テレビ番組のオーラの泉で江原啓之さんは俳優の宇梶さんに憑いていた霊に倒される醜態を演じられましたが、霊世界では【死に神】と呼ばれる様な人を殺しに来るような霊も存在しています。一歩間違えれば自分がそうした霊に殺されるがあるのです。自分ほど凄い霊能者は居ないと豪語する方で、生き霊で私を殺しに来た方もありました。
行者が関わる霊界はそうした殺し合いをしている様な世界なので、自衛の為に霊剣等を保有する必要があります。また世に神々や天使と呼ばれる存在もそうした霊剣を携えています。そこには何故?。がありますが、それは霊界には剣で切った張ったがあるからです。何故に行者は自分を守る為に印を結びのか?。霊と殺し合いをする為の霊剣を持つのか?。霊的世界を甘い言葉でお花畑と言っていたならば、自分が霊に倒されるなのです。
霊的世界には霊と霊が戦いぶつかることから起きる【ラップ(騒霊)音】現象がありますが、玉と玉がぶつかると一瞬にして花火の様な大閃光が走ります。それを持ってその玉の命を終えるです。霊界には霊界の光があるのですが、三次元世界の私達にはそうした霊光が見えないがあります。
霊と霊がぶつかるとラップ(騒霊音)現象が起きる
行者は九字と呼ばれる印を結び、霊達の攻撃を防御する
その豊受姫が自分の御代として使う霊媒者の肉体に豊受姫や大国主命と呼ばれる様な世にその名を知られた高い御神霊ではなく、一見して未だ若い人間界で言えば高校生の様な神霊がその肉体に入身して酒を飲む?。私は一喝して追い出そうかと思いましたが、何者が豊受姫の御代たる砂沢師の肉体に入っているのかを調べようと、逆に酒を奨めてぐいぐい飲ませました。するとその顔を隠すようにして酒をぐいぐい飲みます。しかし私に対して一言も発しません。ただ酒が飲みたいだけの霊か?。
砂沢師は酒は下戸なので、酒は神霊が入身しない限り飲まれることはありません。なのにぐいぐいと飲むなのです。それは砂沢師の肉体が飲んではいるのですが、実際に飲んでいるのはその肉体に入った霊なので、砂沢師が二日酔いを起こすはありません。そこで私はどこまで酒を飲むのかと飲ませたのですが、私が飲め飲めと奨めるので一升は飲んだと思われました。
その翌朝、砂沢師に昨夜先生に入って酒を飲んでいた若い男の神霊は誰でしたかと尋ねたところ、誰だかは解らなかったと言われたのですが、その足で伊根の宇良神社に参拝されたところ、木綿の様な質素な服装で高校生の様な若い感じの男の霊が現れて【自分は伊根の宇良神社の末席を汚す黒龍神で、まだ若い黒龍神なので満足に酒を飲ませて貰っておらず、勝手に宴会の席に押しかけて貴方の横に座っていた男の方からたらふくにお酒を頂きました。】と感謝の言葉を受けたと言われます。
霊媒者に龍神と呼ばれる存在が入ると、生卵を何十ケと食べたり酒でも一升など平気で飲んでしまいます。しかしその霊媒を務めた人の腹にはそうした生卵も酒も残っておらず、本人はそれらを飲み食いしたら。あゝ、腹が減ったとなります。
霊媒者が霊媒状態で食した食べ物はどこかに消えた?
そこには三次元界と【霊界】の間に物質移転がある
私も霊媒体質で、大量の龍神に憑依されると腹がグゥーグゥーと鳴き、何かを食べるとなります。人間の腹は高天ヶ原の【原】とも言われますが、龍神浄霊は霊媒者の腹(高天ヶ原)を使用して、下痢で浄霊するがあるのです。霊が見えるとか見えないでなく、龍神と呼ばれる様な存在をどれほど浄化浄霊出来るかがその人が持つ神格に関わるなのです。
単なるスピリチュアル標榜だと、そうした自分が食べた物がどこかに行く。そうしたことは何も知らないかも知れませんが、それだけでなく肉体に発生した異物【癌】も同様に移転するがあります。癌はカルマが原因とも言われており、カルマを取れば癌は消えるとも言われています。某宗教開祖の方は末期癌を消すで、一説に七百万円とも八百万円とも言われる大金を受け取ったが癌が消えずに本人が死んだことで、その遺族から寄進という名で出された大金を返せと訴えられた裁判がありました。
が、その教団は自分達は癌を消すなどとは一言も言っていない。教団に出された大金は純粋に教団に出された信徒さんのありがたい寄進で、神様に出された寄進なので返す必要は無いと反論していました。宗教法人の教団が癌を消す等の約束で大金を受け取っていたともなれば、これは医療法に引っかかって刑事事件となります。しかし神霊界が末期癌をも消す。そうした事実があることは知る者は知っているのです。
病の原因にカルマが在り。カルマを消すで病も消える
世界の人類が平和でありますようにのスローガンで知られる白光真宏会の開祖である五井昌久師は、病は過去世からのカルマが消えて行く過程だと正しい認識を語っておられました。蛇足ながら五井昌久師は世界救世教の岡田茂吉氏の弟子の方の弟子に入り、次に成長の家の谷口雅春師の弟子に成られたのですが、岡田茂吉師と谷口雅春師はどちらも大本教の出口王仁三郎聖師の右腕左腕と言われた直弟子に当たります。そこには大本教霊学の流れはあるのです。
一部の霊能者と呼ばれる人達の中には、大金さえ出せば癌を消したり。その病を別の人に転移させる等を秘密裏にしているがあります。すなわち【カルマ】を別の存在に移転させるです。
カルマ(因業)は霊的世界の異物として、存在する
明治に入り刑法で呪詛が禁止されましたが、それ以前は呪詛として殺しを依頼された人を祈り殺すも陰で行われていました。その時には【式神】とか【死に神】等の存在を使うもあります。私も霊能者から死に神を送りつけられて病になったり、霊剣で攻撃されたりがありました。その死に神から私を殺そうとした詫びから、人を殺したい時には何時でも私を呼べ。その者を殺してやると告げられたことがあります。神霊界はこの世とは【論理】が違っているなのです。
今の神の世界とは、正義とか公正とか平等の論理が走っているではないのです。
今の神霊世界は勝てば官軍、負ければ賊軍
神の世界に誠や正義を求めても、見当たらない
それから二十年ほど経過した後、私は豊受姫の分魂を持つと言われていた女性達と神霊界の御用の旅をしていた道中で、その時の伊根の宇良神社の黒龍神と言った男の神霊が今度は青年の様な姿で私達の前に現れました。その衣装は昔の木綿の様な衣装とは違い、高価な絹物の衣冠束帯姿で出世したと思われました。
そして私と同行していた豊受姫の分魂を貰っていた女性に、伊根の宇良神社の主宰神たる御祭神が大怪我をされたが私達の手には負えない。それで豊受姫様のお力でなんとか助けて欲しいと願って出て来たと言います。私に会うが目的ではなく、私が同行していた豊受姫の分魂の女性に用事があったなのです。
豊受姫は与謝郡の一宮である天橋立の籠(こも)神社から伊勢内宮の天照大御神の食事の為に伊勢外宮に出られた神と言われており、伊根の浦島伝説の宇良神社とは関わりがあります。その青年姿の黒龍神が泣く姿を見て、その翌日に私達一行は伊根の宇良神社にその御祭神の怪我の様子を見に参拝したがあります。
伊根の宇良神社は浦島太郎伝説で知られる神社ですが、その浦島神社には龍神と呼ばれる神霊達が鎮座しているとなります。その宇良神社に鎮座する龍神の存在で、私は龍神と呼ばれる存在も人の姿形を取ると解ったのです。
世に龍神と呼ばれている存在も、人の姿形で現れる
龍神と【籠】神社。私は豊受姫で龍宮の乙姫を知った
一般的には龍宮の乙姫には日本神話の【豊玉姫】を当てる方が多いのですが、私は豊受姫に龍宮の乙姫姿を見たなのです。豊受姫は【衣食住を司る神】と言われていますが、物質界と龍宮とは密接な関係を持つなのです。
大本教から予告として出された【みろくの世】は、人民が【衣食住】に困らないように、龍宮城の乙姫殿がその財は吐き出すとなっています。
みろくの世の嬉し嬉しの財は、龍宮城の乙姫殿が出す
人は恨みや怨念を抱いて死ねば蛇霊と化すことは行者ならば語ることです。しかしその恨みや怨念を捨てると、元の人の姿に戻るがあります。人の姿を取るのか?。蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊と呼ばれる姿を取るのかは、その霊の【心の状態】を表していると言えます。すると人とは何かとなりますが、それは大本教が世に出した【人とは霊止(ひと)】であるとなります。
霊能者やスピリチュアル標榜者の中には自分には【龍神】様が就いていると言われる方達があります。それはその人を龍神が守護しているではなく、その人自身が龍神の魂の持ち主で在るがあります。
龍神の魂で人として出た存在は【龍男・龍女】と呼ばれる
世に一代で偉業を為した人の中には、龍男・龍女が多い
この世に人として生まれ出た龍男、龍女の存在は仏教や日本の新神道系の教団からはその存在が説かれておりますが、西洋のキリスト教やイスラム教世界には存在して来ません。そこにはイエスやマリアも龍男・龍女であったことを隠そうとした勢力があったなのです。
大本教からは龍男や龍女が居る世界が龍宮城で天人達の世界に準じているが、天人達の世界に進む為の【解脱】が出来ていない。龍神は神だが未だ【畜生】の部類に当たるとしています。そこには【天人】には霊力が無く、【龍人】ならば霊力が有るとなります。
龍神は神的存在で神と呼ばれるが、畜生界とされる
そこに畜生界から解脱する必要があるのです。仏教の妙法蓮華経の提婆達多品第十二には【龍宮】に関する記述が出て来ます。その中では文殊菩薩が龍宮の衆生達を導いて来ているとあります。その現代口語訳は、
文殊菩薩は【私は海中において、ただ法華教のみを説いていたのです。】とありますが、そこに龍宮城は【海中】に在るとなっています。
私達日本人は日本昔話の中で【浦島太郎が助けた亀に連れられて龍宮城に来て見れば、鯛やヒラメの舞い踊り。】している海中の龍宮城の話を教えられるのですが、霊的世界を知るならば海中にも空中にも土中にも【龍宮城】的な世界は存在しているのです。
そこには私達人間と同じ姿をした人の存在が見られるのです。しかしそれは私達の様な三次元世界の存在では無い為に、自分に霊的力がないとその存在は掴めません。為に存在しない世界と思われていたなのです。
霊的世界の存在を頭から否定する人達は仏典に【龍男・龍女】の存在が記されていても、それを認めることはまず無いでしょう。それどころか、その人自身が自分が龍男や龍女でありながら、その肉体は自分が龍男や龍女であることが解らないがあります。それはこの世に人として出る時は、過去の自分の魂の【記憶】が消されるからです。が、一部の人にはその記憶が残り、自分は龍男であったとか龍女であったであり、自分を龍が守護していることを霊的に見るとなります。
龍男・龍女でも、肉体を持つと自分が龍と自覚しない
私は霊界修行に入って、そこに龍神と呼ばれる存在だけでなく、龍男・龍女と呼ばれている人達の存在を知ったと言います。と言うよりも、私も今の人類が誕生する以前は白龍神として存在した身ではあるのです。ただ私自身は既に【龍男の身を解脱】しているのです。
そこに妙法蓮華経の提婆達多品第十二に書かれている八歳の龍女の解脱は理解は出来るですが、それがどうして【八歳】に成っているのか?。そこに疑問があったなのです。どうして十歳ではいけないのか?。にります。【八】の数字には何が隠されているのか?。
法華教において龍女が解脱する時が【八歳】に成っているのは、その【八】に意味があったなのです。何故ならば浦島太郎が龍宮城に行っていた期間とは、人間界の時で語る【八歳】では解る様な時間ではないからです。浦島太郎の伝説は短い時間と思っていたが、途方もない長い時間であったとなっているでしょう。
大本教では大本教の教祖は【七代女子の教祖で続く】の予言がなされました。今の大本教の教祖はその正統の教祖の系列では無い系列が教祖の職に就いていますが、本来の教祖の系統は既に七代の女子が誕生しています。そこに有るのは、大本教は出口一族の女子の教祖で七代続くのでは無く。妙法蓮華経の【八歳の龍女の解脱】として説かれている事項のことなのです。
それは今は七度目の世であり、龍神界と呼ばれる世界の働きによって、八度目とされる世界が開かれるなのです。
聖書は神は六日で世界を創られ、七日目を安息日とした
日本神道は、今の世は神世七代目の質(七)の世とする
大本教は大本教が発祥した綾部の大本教の土地に関して、その地を【陸(あげ)の龍宮城の館門】としました。すなわち【出口】姓は龍宮城の門の司の意味です。そこに出口王仁三郎聖師による神門の鬼(王仁)の演技もなされたなのです。
私達人類はアフリカの高山から発した猿的な存在が進化したのでしょうか?。そんな思考では霊界の存在は理解出来ないとなります。
霊界に関わっていますと、人には【魂】と呼ばれる科学ではその存在の証明は出来ない物があると解って来ます。それは丸(円)い玉(球)で、深い思考力(思惟)の玉で【玉思惟】なのか?。自分本位や自分勝手な思考をする恣意の玉の【玉恣意】なのかの違いはありますが、どちらも人の目には見えない。レントゲン線にも写らない霊的な玉なのです。死者の生前の体重を計っても計測は出来ません。
しかしそこに霊媒体質者が居るならば、そこに霊媒体質者が居ることで魂が写真に写るがあります。テレビの超常番組などに写り出される【オーブ玉(思念)】等もそうした類と言えます。オーブ玉自体は小さな物で、スマホでも写るでしょう。また最近は監視カメラに幽霊と呼ばれる存在が写るケースが多くなっていますが、それは時代の流れとして現実界と霊界の接近が起きていると言えます。
魂を写した写真として、玉の形態がよく解る一枚(オーブ玉とは違う)。
太陽も地球も月も球体。私たち人の魂もまた球体。
魂が【玉思惟】と解るのは日本語の世界で西洋では無理。それは何を語るのか⁉。
明治25年に丹波の片田舎の綾部から発祥した大本教の神諭には、人の自己本位、自己中的な生き方を戒めています。しかし日本においてのスピリチュアル標榜者の多くは神は愛だから何をしても赦して下さる。この世は魂の修業場ではなく遊ぶところですで、自己中、自己本位の生き方を説きます。
それでは龍女の解脱にはほど遠いとなります
スピリチュアル標榜で案内する世界とは天国界ではないのです。大本教の出口王仁三郎聖師が残された神典には、天国に案内すると言いながら地獄に案内する者ばかりなのです。
大本教から出された人は霊止(ひと)は革命的な教え
人の魂は心臓の部位に宿り、霊は人の血の中に宿る
この論理が解っていないと、エホバの証人の様に輸血を神の大罪と勘違いするが起きます。それは【血(チ)が意味するのは霊(チ)】で、霊に憑依されるとその憑依された人の思考が犯されるがあります。それが汝は他人の霊(血)を食べてはならないなのです。
他人の血を自己の肉体に入れると違う【思考】が入る
しかしこの世で生きるか死ぬかの瀬戸際の時、他人の血(霊想念)を自分の体内に入れたとしてもそれは長い時間ではないのです。人の心臓は【汚れた血(霊)を浄化】しているのであって、魂(心臓)がしっかりしていれば他の想念(血)を入れたとしても大きな問題ではないのです。
それは動物の血も同様であり、血が滴る様な獣の肉を食べるとその獣が持つ想念を自分の血に取り入れるが起きます。それは獣としてこの世に出ている生命体にも過去世には人として出た想念が残っているからです。獣食の西洋人の気性が荒く、東洋人の気性が優しいのは獣の想念を受ける肉食主義と米の様な穀物主義の違いも一因なのです。
そこにイスラム教などにみられる動物の血(霊)は、作法に従って処理しなければならないがあるのです。ただそれは何故なのか?。キリスト教やイスラム教には【輪廻転生】の基本論が無い為に、意味不明を起こさせているのです。
そこに仏教は動物の肉を食べない【精進料理】を言う
血(霊)の汚れだけを言うのであれば、動物の肉食は止めてベジタリアン(菜食主義)にすればいいのです。で、菜食主義の僧侶に成れば死後は如来で、西洋人の様に肉食ばかりしていると地獄界かとなりますとそうではないのです。自分の中に入って来る他人の想念をどう浄化(消す)かするかに関わるからです。
西洋のキリスト教の愛の考え方は非常に偏っており、鯨の肉を食べるのはけしからんと怒り、愛だ愛だと言いながら牛や羊を家畜として殺して食す。そこにある【愛】とは何だ?。となります。キリスト教徒は天国界には遠いとされるのは、基本論理が仏教と比べて間違いが多いからと言えます。イエス一人にキリスト教の全信徒の【カルマ】は被りきれないのです。
イエスは魂とか霊の役割。カルマとか輪廻転生を理解していたではないのです。そこに識界レベルの判定として創造神を第十識界とするなら、お釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。ムハンマドに到っては第四識界とされているなのです。第七識界を超えていないと霊界を説明するのは難しいとなります。
為に自称創造神と言われる方達が説く内容は、どうしても自分を拝めば天国にとなってしまうのです。
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霊界の年老いた大蛇霊と龍神が同じ姿を取るのは、それがエネルギーが見せる霊としての姿形だからだと言えるでしょう。
最近、この地球の様子が変だと感じる方が大多数でしょうが、それは単に地球環境の温暖化だけの影響ではないのです。一部の霊能者はそれに関して神霊から聞かされていますが、科学では否定するでしょう。それはこの地球が【自転】しているエネルギーに関して、そうしたエネルギーが無ければこの地球が自転や公転が出来ない。その意味を科学も宗教もほとんど理解していないからです。それでは神とは何かが解らなくなると言えます。西洋のキリスト教の様にイエス一人が神の御子だと言っているようでは、そうした火水の力を意味する神は理解には到らないのです。
神と呼ばれる存在が出す火力、水力、風力等を見ていますと、そこに龍と呼ばれる姿をしたエネルギー体を見ることが出来ます。私は伏見稲荷山で狐霊神達と関わっていた4年間は龍神と呼ばれる存在を見ても、それは行者筋や聖書で示される霊界の年老いた大蛇霊程度の認識の元でしかありませんでした。
だが狐霊や蛇霊が神として語られる神霊界から【言霊】と呼ばれる世界に転じて知った龍神とは、そうした霊界で年老いたところの大蛇霊では語れないところの龍神だったと言えます。そこに【流】の言葉が存在するとなります。
龍神と呼ばれる存在には、宇宙創成の存在と蛇霊もある
大本教から世に告げられた艮金神国常立尊は【金龍神】で、豊雲野尊と呼ばれる存在は【銀龍神】で、その金龍神の長さは日本列島に匹敵していると言われています。日本列島に匹敵するような長さを持った龍神等、どうして見るのかとなりますが、この地球の大外たる宇宙空間から地球を見ないと解らない長さと言えます。
確かに自分という意識の存在を地球の上空に置いて、この地球と呼ばれる星を見下ろしますと、日本列島も一目で見ることは出来ます。そこには【意識】と呼ばれる存在は、この地球という星すら小さな存在としか見えないがあります。意識は時空を超えて宇宙そのものに展開して行くなのです。
意識の世界は時空の感覚が無いとされ、宇宙空間も瞬時
大本教から出された【みろくの世】とは、この宇宙の開闢以来の立替の宇宙ショーに成るとも言われておりますが、想像を絶するような出来事が起きるとも言われています。すなわち神様とは私達に安心立命とか現世御利益を授けてくれる様な存在式だと考えていると、そうした神々の世界では無い世界の神達が動いて来る事象とは解らないのです。それらの神は個人に利益を授ける神では解らない神達です。
その時には太陽が二つも三つも出て来るかも知れません。その時には【腰を抜かすなよ。】なのです。聖書のヨハネの黙示録には太陽も星も輝かないとありますが、私は自分の目の前の光景が何も見えない暗闇に落とされて、そこに臨んだ恐ろしい声で神霊界に修業に入りました。私にすれば実に恐ろしい体験だったのです。それは例え天地が引っくり返っても驚くなよなのです。そうした大仕掛けは、人類が弥勒世(第八の世)に入る為なのです。
物質の【質(七)】の世界から、永遠の八に移行する
物質の三次元世界から、精神の五次元世界に上昇する
日本では神霊と呼ばれる存在を【龍】として見るがあります。金龍神は国常立尊。銀龍神は豊雲野尊。白龍神は素戔嗚尊と言われています。だが金龍神の姿を見たからと言って、即座にそれを以て国常立尊様だ!。銀龍神の姿を見たからと言って、即座にそれを豊雲野尊様だ!。とは言えないなのです。何故ならば金龍と言っても無数に存在するからです。
私の元に自分は一億体もの白龍神を従えていると言って来られた方がありました。普通に考えれば大洞を吹くにも度が過ぎるとなりますが、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、私に【霊的世界は自分は見たと言う話を頭から否定してはいけない。その人は見たのかも知れない。その人が見た物が何かが解るまでは、それを否定してはいけない。】と忠告されていましたので、その一億体もの白龍神の正体が何であるかが解る迄、黙ってその人の言うことを否定をせずに聞いていました。
もし白龍神を素戔嗚尊とするならば、その人には一億体もの素戔嗚尊が附帯しているのかとなります。
で、その人が言う一億体の白龍神の正体が何であるのかが見えた時、私にはそういうことかと解りました。外形的には白龍神の様な姿をした存在で、数も一億体はあるでしょう。しかしそれは素戔嗚尊とされる白龍神の様な存在ではありませんでした。ですからいくら自分には一億体もの白龍神が従っていると言われても、霊界の力としてはさほど役に立たないとなります。その一億体を持ってきても、地球という星すら創れないなのです。
私の元には自称救世主と名乗る方達からメールが来たりしますが、その人に私の名前や住所程度は解る霊能力が備わっていても、その霊能力は太陽や星などを創れる様な霊能力なのですか?。なのです。私は伏見稲荷山で神霊界に関わっていて、相談者の名前や住所などは白狐の段階でも見抜いて行くを見て来たのです。逆に私の名前も住所も解らないとにると、その人は霊能者と言えるのかとなります。龍と呼ばれる存在には宇宙創造にも関わって来ている存在も有り、数では無くて【霊力】なのです。病気治しだけでそれを神と思うと、神の意味を間違えてしまうのです。
霊界は次元界によって、見えている物の正体が違う
霊界は次元で出て来る霊力は、その桁が違って来る
霊的世界に関わっていますと一般的に語られる超古代の生物であった恐竜と呼ばれる存在ではなく、ドラゴンと呼ばれる存在を目にします。但し西洋で言うところのドラコンは【羽根】を持った存在が語られ、東洋で語られるドラゴンは希に羽根を持った形の物も語られますが、そのほとんどは羽根を持たない蛇形を指します。そこにその蛇形は【鰻】だとも言われる方もありますが、龍神には鰻と違ってウロコが見られるのです。
これまで何回も書いて来たことではありますが、行者の方々に龍とは何かと尋ねますと霊界の海山川(Or火海山等)で各千年間、合計三千年間も霊界で修業を積んだ蛇霊だと言われます。それ自体は聖書にも龍とは霊界で年老いた大蛇霊とあり。実際に霊界を見聞して来ると、その説は間違ってはいないと言えます。
そうした龍として現れる存在には【火を吹く】。【水を吹く】。【風を吹く】が見られます。そうした霊的な映像を見なければ龍神は怖いと言われても解らないのですが、自分の目でそうした霊的光景を見えるとその力の様は怖いとなります。
世紀の大予言者として能力を発揮された大本教の出口王仁三郎聖師は、龍と呼ばれる存在の多くは霊界の年老いた大蛇霊であるがそうではない龍神があると書いておられます。国常立尊の金龍神。豊雲野尊の銀龍神。素戔嗚尊の白龍神などは、龍は霊界の年老いた大蛇霊説ではとても説明が出来ないのです。
通常の黒龍神は霊的汚れから【黒色】に見えるのですが、神社に鎮座される御神霊よりも高次元霊界に存在する黒龍神ともなると、まったく違う美しい黒色となってきます。
日本神話の八岐大蛇退治は、世界に類無き機密を入れた
霊能者と呼ばれる方であれば、人が死んだ後に蛇霊と化すは見て来られた経験を持たれるでしょう。この世で人を恨んだり怨念を持つと死後にその人の姿が蛇霊に変化するがあります。日本では安珍・清姫の娘道成寺の物語もあります。色情の因縁が深いと死後に蛇霊に身を落とすは行者筋の霊能者ならば知るところです。そうした事象を否定する人達は単に【体験経験不足】と言えます。
しかしそれだけではなく、その地域に住む人達を守りたいと願って自らの身を蛇霊化させて、霊界で三千年間もの修行を積んで龍神と呼ばれる存在と成り、その地域の守り神として人民を守っている様な存在の魂もあるなのです。一概に蛇霊を悪と決めつけることは出来ないのです。
私はそうした人民や日本の国土を守る為に蛇霊となって、辛い修業を経て龍神と成られた存在に対しては、もう弥勒の世は目前に来ましたので蛇霊の身を脱ぎましょうよ。と申し上げています。もう霊力を誇示しても、それが通る時代は終わったなのです。
すなわち、霊界の力を求めて蛇霊から龍への道があった
そこに【蛇】という言葉、【龍】の言葉に意味がある
地震の【震は辰(龍)の力】で、大地震には龍と呼ばれる力が働いています。東日本大震災の時、東北で起きたことで一部の霊能者は悪神艮(東北)金神が龍神を動員して起こした地震だ!。そうした発言をする方も見られたように、地震に辰(龍)は関係は無いとは言えないのです。ただ蛇霊では地震等は起こせません。それだけの力が無いなのです。天変地異の大災害には龍神の働きたる姿が出て来る。そうした龍神は、病気治し等の神としては世に出ていない。病気治しは蛇霊系の神から出るです。
病気治しの龍神と宇宙を創造した龍神とは別物
蛇の漢字で導かれる内容は舟の舵、真っ直ぐか曲がるか
ある霊能者の方は蛇霊とは【辺に美を求めたからヘビ】と語られましたが、どうでもよいようなことに美意識を持っているです。ヘビの漢字を見ると仏陀の【陀】にある【它】があります。この【它】は船の【舵】等で解る様に真っ直ぐ舵を取ると正【中】であり、真っ直ぐに【舵を取れない】と正中を無視した虫(無視)の意味を持つなのです。すなわち辺に走る曲津(まがつ)神とされるなのです。で、くねくねと曲がることを【蛇行】と言います。
私は霊界修行で改心した蛇霊が【棒】状に成るを見た
私が言霊の世界に転じた最初の頃、改心した蛇霊が棒の様に成るを見た時、その意味がよく解りませんでした。映画の十戒の中でモーゼとエジプトの神官がどちらの神がコブラ蛇を棒の様にさせるかでコブラ蛇の投げ合いのシーンがあったと覚えていますが、何故に蛇霊が【棒の様】に成るのか?、それを解説した書物は見つかりません。
エジプトの神官とモーゼの神が強いか競争は蛇が棒?
私が子供の時に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。この日本でないと私の教えは解らない。】と告げられました。
そして私は鍾馗神の案内で中国で創造神とも天子ともされる盤古大神に拝謁をしました。その時はどうして盤古大神?。と思いましたが、大本教の出口王仁三郎聖師の姿をした霊は私の前に【漢字】と書かれた浴衣姿で立たれたがあります。
それ以前に出口なお開祖と揃って私の前に立たれた時にはイスラム教の宣伝使姿で、アラーの神の元はアモン・ラーで、それは日本語の【アの門から、ラに到る迄のアイウエオの道】との示しでしたが、当時の私は言霊に気づかなかったなのです。
ただ霊界物語の中の盤古大神から国常立尊に神界の奉還で【漢字を変換】させるに気づいたと言えます。そこで【蛇】の漢字をよく見ると、仏陀の【它を無視(虫)】で蛇霊が改心するとこの世の蛇が【棒】状に成る意味は解けたのです。
中国の鍾馗神は日本では【五月五日】の五月人形で知られていますが、中国では科挙試験に落ちて自殺した実在の人物説もあります。が、私は当時お世話になった豊受姫から貴方の家の守護に鍾馗神が行かれたと聞かされ、その後にその鍾馗神の案内で中国で創造神とも言われる盤古大神に拝謁したことで、大本教で大宣伝された【五月五日の鯉のぼり】の仕掛けであろうと見ました。
大本教では【五月五日】を【みろく大祭日】とした
中国から来た諺に【黄河を登る鯉は龍と化す】があります。これは科挙試験の様な難関を突破した存在は【龍】と変化して天に登る(昇る)と言う意味です。
霊能者の間で、みろく世は五次元は一致するところ
霊的世界における龍に関しては、出雲大社に参拝されると大国主命は【龍蛇神】と書かれているかと思います。蛇から龍と化す道もあれば、鯉から龍と化す道もある。
鯉から【龍】と化す道の途中には【八聖堂(八正道)】が出てきます。しかしそれを仏教の四諦八正道の教えで理解しようとしても、悟りには到達しないでしょう。これは大本教神論予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】から来る【米】型の八正道の理解が無いと悟りにはほど遠いなのです。
鯉は【里(田の土)で、実った米が粒(りゅう)】
それが大本教神論の【米ならば野に落ちていても一粒だに救う】となるのです。
豊受姫から私の使命は【八角堂の夢殿】の意味を紐解くことだと告げられ、法隆寺の八角堂に行ったがあります。法隆寺の八角堂は【救世観音】ですが、そこには朝鮮半島に残されていた【最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きる。】とある救世の「米」型を出す意味もあったと言えます。そして【観ずる音の観音】です。
西暦2023年は、右左岐(兔)でみろく世に行く者を選別
西暦2023年は小さな出来事ですが、不思議な事件が多発していました。個々の人のレベルでこれでもかこれでもかと諸悪が吹き出しているです。まるで個々の過去の罪の精算です。
西暦2024年は、みろく世の幹部と成る者を登龍させる
西暦2024年はこれまでの神霊界は一種の店閉めに入り、みろく世で幹部と成る神々達の店開け。すなわち【登龍門の門が開く】となります。衰退して行く者達と新たに起き上がる者達です。
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日本においては【命】の漢字を【ミコト】とも呼ぶ
大本教はその【ミコト】に【御言】の漢字を振った
何故に【命(イノチ)】が【ミコト】に成るのか?
日本では国常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、素戔嗚尊等に【尊(みこと)】の漢字を振り、大国主命等には【命(みこと)】の漢字が使われます。
命を御言(ミコト)とするのは別に西洋の特許ではなく、【言葉と神】の関係が解るので有れば【言霊(ことだま)】の働きが解っては来るのです。私は伏見稲荷山で四年間に渡って狐霊や蛇霊が支配する神霊界を見聞し、それから【言霊】の世界に転じました。そして言霊とは何かが解った時、自分がそれまで持っていた神観は百八十度ひっくり返ったと言えます。
聖書の言葉は神と共に在ったは、言葉の意味が違う
聖書で創造神を知ろうとするのは不可能に近い
仏教においてはこの宇宙は【無から有が生じた。】と成っていますが、突然に神と呼ばれる存在が現れて、何々有れと言われたから万物が生成されたではないのです。よく言われることに【鶏(親)が先か、卵が先か】がありますが、霊的世界に在るこの宇宙の成り立ちの映像には科学が語る【ビッグバン】の前に宇宙の卵が産まれる過程の映像が在るのです。
始めは【女の胎】と言う漢字が教えている
宗教界が説いた宇宙の成り立ちに関しては、霊的映像を見る限り仏教における【無から有が生じた】なのですが、その後の混沌(カオス)から宇宙の卵が産み出されたなのです。その光景を人類に語った宗教は大本教霊界物語以上の物は存在していないと思われます。
私が愕然としたのは、西洋では創造神は説けない
キリスト教では【父なる神】を説きましたが、【母なる神】が出せていません。それをイエスの生母であるマリアに代行させようとしても無理なのです。大本教は父なる神の存在を【大国常立尊】として、母なる神を【豊雲野尊】と出しましたが、こちらの方が遙かに真理には適っているなのです。
私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から【日本神話(記紀神話)の天之岩戸開けなどの話は、この私が人を使って創作させた物語であって、そうした事実があったのではない。そなたはどうして私がそうした神話をこの日本に創らせたのか?。その意味を学びなさい。】と告げられました。岡本天明師の日月(ひふみ)神示において天之岩戸の岩戸とは【一八十】の意味だと出されましたが、その百八十は神霊世界の神々の階級を意味していたとは驚くことではあったなのです。
私は神霊界に修行に入って、日本各地に在る天之岩戸と呼ばれる処に行って見ましたが、どう考えても天照大御神とする太陽が隠れる様な洞窟の話は無理筋なのです。それは太陽そのものが人の様な姿で顕現したとすることに無理があるのです。
人の【額】には第三の目と言われる心眼が在るとされ、そこに神社等に参拝するとその神社の御神霊が出す【神光】を受け取れますが、龍神と呼ばれる様な巨大なエネルギー体に憑依されると神社の御神霊から受け取る神光では如何ともし難いがあります。また神社のお札の類もそうですが、低級霊には効果があっても相手が龍神と呼ばれる様な存在ともなると神社のお札では、まったく効果が無いなのです。
そうした時、目を瞑って太陽に向かって天照大御神様。惟神霊幸倍坐世(かんながら、たまちはえませ)等と繰り返して唱えれば、その額(第三の目)の部分に普段浴びている太陽の熱ではあり得ない強烈な光が入って来て、そうした龍神等の憑依霊が外れて行きます。だがそした真言を唱えないと効果は無いなのです。
何故宗教が教える真言を唱えると、効果があるのか?
私はそうした事実から伊勢神宮の御神霊は本当の太陽神では無いと言います。日本の総氏神とされる御神霊だとしても、太陽を産み出した神ではありません。大本教神諭にこの艮が世に出ている神々を誑かして使って来たとありますが、世に出ておられる神々や天使と呼ばれる存在は、その姿を見せていない創造神の様な存在の神により背後からコントロールをされているのではないかなのです。
私は稲荷神界で神霊界修行の世話になったのですが、そこで漢字が金文字で現れる等を体験して来て、言葉を光透波(ことは)とするだけでは【神と言葉の関係】は解らないと言うのです。
新訳聖書における洗礼者(バプテスマ)ヨハネがキリストと認定したのが【ナザレのイエス】ということになります。私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、イエスを高貴な神の御子ではあるが我が子ではないと言われ、ナザレのイエスが旧約聖書が告げるところのキリストではあることを否定されました。それはイスラム教の開祖ムハンマドがイエスは尊敬される偉大な預言者ではあるがキリストでは無いと言ったことと同様のことです。
信徒達が犯した罪を、全て救える様な存在があるのか?
そこに自分が天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称して出て来る霊が、本当に正しい霊で有ったかの疑いが生じて来ます。ナザレのイエスを救世主だと思い込んでいると、ノストラダムスが残した【西洋の人がいくら待ち望んでいても西洋からは現れない東洋の叡智の飼い葉桶。】となるのです。
しかしナザレのイエスは【40】日間も荒野をさ迷い。明けて【41】日目に悪魔を退けて神の一人御子と成られたとするように、大本教神諭予告の九つ花で紐解きで解る九つ花の芯は【41】の数字で示される主の息子の型の演技はしているなのです。
されど旧約聖書の神がキリスト登場の前に現れると予告したのは男女の二人の預言者であり、バプテスマのヨハネと言われるたった一人の予言者ではないのです。そこには何故に【男女二人】の必要性があるのかとなります。大本教から出された厳霊と瑞霊の男女を揃えないと【キリスト】は無理なのです。
旧約聖書のキリストとは、九つ花に咲く一輪の言霊か?
九つ花は、みろく(369)で56億7千万を出すが?
私は仏教徒の家の子で、キリスト教とは何の関係もありません。そんな私に旧約聖書の神と称する声が臨んだことに、子供でも困惑していました。しかもその声はイエスをナザレのイエスと呼び、イエスは高い魂の御子たる存在ではあるが旧約聖書の神の御子では無いと否定して来たのです。
その当時、私は大本教のみろく殿の近くに住んでいて、旧約聖書の神と名乗る声ながら、その声の主は大本教関係の神だろうと感じていました。だがそれを証明するには艮金神国常立尊と旧約聖書の神が同一神である論理的証明が必要であり、単なる論証では駄目となります。
大本教から鬼門の艮(牛虎)金神が世に出された時、その神の性質と旧約聖書の神の性質の同一性が議論されました。しかしそれを証明するのは大変な困難がつきまとうなのです。
旧約聖書の神も鬼門の金神も、どちらも恐ろしい神
確かに旧約聖書の神の言葉とされるものを見ると、実に恐ろしいことを述べた神の様に受け取れます。しかし私がその言葉の元に成ったと思われる【霊的映像】を見ると、その映像をそのままに言葉に【直訳】すればそうでも、映像から読み取れる意味を【日本語に置き換える】と、まったく別の意味に成ると解ったのです。
性器の割礼とは、【生まれながらの心の器(魂)の割礼】
霊界の映像は、日本語に置き換えないと意味を間違える
私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国で有る。この私の教えはこの日本で無いと解らない。】と告げられました。それは大本教神諭に【日本の言葉】は世界で使われる言葉とは違っていると説かれているのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は自分が救世主(キリスト)だと名乗り。その一方、自分と大本教の出口なお開祖は旧約聖書で予言されていたキリスト登場前に現れる男女の二人の預言者だとも述べておられます。また自分を【弥勒】と称する等、神霊界の型を演じる獅子奮迅の活躍をされたなのです。
しかし霊的世界に関して疎い方達は、その【型】を演じるそのもの理解がほとんど出来ません。
人の目には見えない神霊界を解らせる為には【型】が必要
出口王仁三郎聖師は霊界物語の第十三巻に記載される【信天翁(アホウドリ】の中で、この大本教に現れた変性女子はニセ者だと発表されて、巷には自分は素戔嗚尊の魂で救世主だと自称する人達が多数輩出しました。それは【十三】の数字の意味がニセ型なのです。
無論、そうした自称救世主の方達は単に名乗ったのではなく、そこには霊的世界が見せる【奇跡の現出力】を持っておられたなのです。自分に何の奇跡も現出させる力も無いのに、自分が救世主ですと名乗る者が世が居るのかとなります。何の奇跡も見せずに自分が救世主だと名乗っても、誰も信じてはくれません。
そこに、真理を説くよりも【奇跡】の現出合戦が起きた
人は【奇跡】を見ないと、人の目に見えない神を信じない
しかしその奇跡力を振るう人達は、その奇跡の力がどこから出て来ているのか?。その認識が出来ていないがあります。ある自称救世主はその方に臨んだ光が創造神だと思っていましたが、私がその方にサニワ(審神)の方法を教えたところ、その光は大蛇霊だと白状したがあります。自分では創造神と思った巨大な光は大蛇霊が放つ光であったなのです。
出口王仁三郎聖師は大本教から出した変性女子(素戔嗚尊)の役のみならず、大本教の出口なお開祖に降りた出口王仁三郎聖師が【みろく様】のみろく神も、自分はニセ者であり。本当のみろく大神たる存在は昭和20年に降臨したと述べておられます。
この昭和20年に降臨したとするみろく(マイトレーヤ)説は英国神智学協会のベンジャミン・クレームが世界を講演して説いた世界教師マイトレーヤが昭和20年にヒマラヤに降臨したとする等が西洋の神智学でも言われたがあります。その1945年とは終戦の年ですが、その終戦の年から世の大立替の時が【カウント・ダウン】される仕組みが存在しているなのです。
その西洋から起きた神智学協会のロゴを見ると、その周囲を蛇が囲む。
西洋における神智学は蛇の知恵から起きている
西洋から起きた神智学のマーク
西洋の神智学のマークは、弥勒神の紋章とするが
大本教は弥勒の紋章は【○十】で、その解釈は違う
そもそも最初からお釈迦様の弟子に弥勒菩薩たる仏は存在しておらず。西洋の神智学では56億7千万の数字に秘められた意味すら紐解けていないのです。それは何神かは解りませんが、そうしたことを日本の言葉で仕組んだ神が存在しているのです。みろくの意味は【369】であり、それを出さないと【五六億七千万】の数字を導くのは日本語でない限り無理な話なのです。また【みろく神】を反イエスの【666】にさせるのも同様のことなのです。
日本神話には黄泉(よみ)の国から【甦る(黄泉帰る)】が出されていますが、日本語の仕組みなので西洋人に意味など解りません。魂の更生で【甦る】であり、表音文字ではそうしたことが解らないなのです。
神霊世界を見聞して来ますと、【頭上の蛇】に関する出来事に遭遇します。イエスはその弟子達に【蛇の様に賢くあれ!】と説いたと言われていますが、蛇は【知恵】を意味します。しかし知恵は人の心の【善悪】は解らないのです。蛇霊が囁く言葉に乗ると、お釈迦様の悟りで有った【人に内在する良心神】は出て来ません。その理解が出来ないのです。
私にはそれがどなたかは解りませんが、【イエスのパンの教えは美味なれども、真ん中の無いドーナツ型のパン!。そなたはイエスの愛の教えを恐れずに乗り越えなさい。】と告げられて、愛では解らない人に内在する良心神に行き着いたと言えます。それはお釈迦様の悟りであり、それを一輪の言霊で紐解ける仕組みが大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(火水)】と成っているのです。
頭上の蛇は【知恵】でも、心の【善悪】を知らない
大本教の出口王仁三郎聖師は霊界に【ミカエル】と言う名の天使長は存在していない。ミカエルとは日本語の【省みる】の言葉の意味だと述べておられます。この頭上の蛇が天上世界に帰る時が【巳帰る(ミカエル)】の言葉の意味なのです。
旧約聖書が語る本当の天使長とは、人の中に入り込んだ蛇霊を帰らせる働きのことで、モーゼ外伝では【蛇の尾を踏む者】とされる【巳帰る】の意で、ミカエルと言う名を名乗る天使長のことではないのです。
大本教の出口王仁三郎聖師が自分を【素戔嗚尊】と名乗ったのは、出口王仁三郎聖師の魂が素戔嗚尊の系列の魂であったということと、素戔嗚尊には【武塔神】の異名がなされているように【軍神】であり、西洋で語る天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する霊達の天使の刀などはその前では何の役にも立たないがあるからです。
何故にミカエルとかガブリエルと名乗る霊は間違えたのか?。
そこには十里(トリ)で八根(ハネ)を持てがあった
それは仏教で説かれた【みろく】とは、西洋で神智学と称する者達が言うところの【マイトレーヤ】そのものが、最初からお釈迦様の弟子に存在していなかったという事実と照らし合わせると、そこにそれらを仕組んだ神が存在しているなのです。
人の魂は脳に宿るのか?、心臓に宿るのか?
西洋における神智学者達は、神は蛇霊説を採った
そこに爬虫類宇宙人等も説かれる
聖書には龍とは【霊界で年老いた大蛇霊】とありまして、日本における行者筋に龍とは何かと聞きますと、【龍とは霊界の海山川(or火海山等)で各千年の合計三千年修行した大蛇霊】のことだと言われます。が、大本教の出口王仁三郎聖師も世に言われる龍神の多くはそうした大蛇霊のことではあるが、そうでない存在の龍が在ると述べておられます。しかしながら、その大蛇霊で無いところの龍のことがあまり詳しく記述されていないがあります。
龍とは霊界のエネルギー体で、【流神】を意味する
大本教が世に出した艮金神国常立尊御引退説は、多くの神々が蛇霊の囁きに乗っ取られて多数決の原理で国常立尊を地上神界の主宰神の地位から追放して、その後に主神の座に就いたのが中国では盤古大神(木星神でギリシャ神話だとゼウス)と呼ばれる神のことで、私は鍾馗神の案内でその盤古大神に拝謁したなのです。それで私は盤古大神とは何神かを調べることで大本教霊学に入ったがあります。
そうした神界のことを何も知らない私は、それを調べるのに大変な労力を必要としたなのです。私の前に出て来られる神々や如来や菩薩や明王達は誰もそうしたことを誰も語ってくれず、奇跡力で人々を驚かして神の存在を説く。それはインドのサイババで解る様な奇跡力さえあれば誰にも出来ることです。が、それでは【真理】には行き着かないなのです。
サイババは何も無いところからメイドインセイコー社の腕時計を出して、霊界からの贈り物だと人々を驚かせていましたが、霊界を見聞してくればお菓子や食べ物を空から降らせるもあります。また歩けない躄り(いざり)を立たせる。目が見えない人の目を開けさせる等、そこには科学の目では見えないものがあるなのです。豊受姫の御代をしていた私の最初の師匠も、そうした奇跡の数々は世には見せていたのです。
神は言葉では無く、言葉は【音波】の働き
その音波の衝撃は、光(音は日立)すら生む
大本教で演じられた三代教主直日師の【龍宮の乙姫(音秘め)】役と、その夫の出口日出麿師が演じた【日之出神(日立)】は一つの型演技でもあったなのです。音と光は【対】と成る役割と言えます。
西洋の宗教には【龍宮の乙姫(音秘め)】が出ていない
私達は【龍宮の乙姫様】と言えば、浦島太郎物語が頭に浮かびます。私は豊受姫伝説を追っていて、その【龍宮の乙姫(音秘め)】様とは何を語っていたのかが解って来ました。 仏教には【龍神】の存在は説かれるが、それは聖書で語る事柄とは違っているのです。
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