私の読者の皆さんが私のバナーをクリックしてくださっても、それが数字として結果に反映されていないとなります。で、私のランキングのINの順位がどんどん落ちて行くです。日本ブログ村ではそれが顕著に解るでした。
で、読者からの指摘もあり、いろいろ回復を試みましたが回復しませんでした。ようやくその原因は解りましたが、それは私個人に修復は出来ない分野であり得ない症状と言えました。そこでその記事をボツにして、再度同じ記事を別の日付で掲載させることをしましたが、それでも回復しませんでした。それは誰かが人為的にいじった物では無いからです。
それは二つのサイトで同時期に起こりましたので、霊的世界から私のブログに対して何らかの干渉があったと思われます。しかしそれは別に邪神界からの攻撃とは一概に言えません。そこには私が住む土地に要因がある可能性もあるからです。
私の家では龍達が争っており、霊的世界で何かが起きた
私が住む一帯は金龍海と言われ、霊界と関わりがある
霊世界と電気とは深い関係があり、霊が電灯やテレビのスイッチを勝手に付けたり切ったりすることは知られておりますが、PCの画面にも辞書には無い漢字に変換させたりするなどの症状もあります。霊が電気を操作するです。PCも操作出来ます。本人さんがPCの前で眠ってしまったのに、画面には文書が書かれていた等の事例もあります。
また霊玉と霊玉がぶつかれば破砕の時は電気ショートの様な火花も発します。それが花火が打ち上がったような状態も起こすです。
霊と電は【雨】が共通、雨に稲妻(牛頭虎パンツの鬼)
電気は霊世界と深い関わりがあると気づくべき
私は大本教の信徒ではありませんが、私の前に大本教の出口なお開祖と思われる霊と出口王仁三郎聖師と思われる二人の霊が出て来られて、出口なお開祖と思われる霊から【大本教はまな板の上の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第。】と告げられて、大本教神諭や霊界物語に書かれている内容の吟味と解説をさせて貰って来ました。それに関してはもう終わったと言えます。
大本教の解説は終わっており、最終局面に入っている
私は鍾馗神の案内で中国で創造神とも天子とも言われている【盤古】大神に拝謁して、盤古大神とは何者かを知りたくて大本教神諭や霊界物語を読みました。そこに出て来た内容は、今から約三十五万年前に艮(牛虎)金神・国常立尊様が地上神界の主宰神たる立場を追われて引退状態になっていたが、時節が巡って来て天の神界の主宰神の座に復帰されると予告した大本教神諭並びに霊界物語に書かれた内容の論証的な事柄でした。
しかしそれは臭い物には蓋をしていた霊界の反国常立尊派の勢力から、私に対しては【静かにしていないと攻撃するぞ。】と脅かされるでした。国常立尊の呼ばれる神のことを宣伝などするなと言うことでしょう。それで黒龍神達から警告として軽い怪我も負わされました。そうした霊界で何とか命を保ったのは、私の守護陣にそれなりの勢力があったからです。
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、それは本物だったのかを知りたくて多くの霊能者に見て貰ったところ、全員が全員とは行きませんが7〜8名の霊能者から貴方の本守護神は国常立尊様ですと指摘をされました。それが本当ならば、私はどうして邪神達の攻撃に晒されているのですかとなりますが、そこには国常立尊様は引退の【艮(牛虎)】状態があったなのです。
その旧約聖書の神と名乗る声は私に対して、【そなたがこの私に敵対する勢力に攻撃されても、私はそなたの命に関わる事でないとそなたを守らない。そなたは私の反対派の勢力から攻撃されても、自分の身は自分で守りなさい。】と告げられており、本当の守護神とは自分を24時間守ってくれている様な存在では無いと知ったなのです。ただ命に関わる様な時には助けるです。
守護神が常に助けていれば、その魂は自力で育たない
魂はこの世に降りると、誰かに叩かれ潰される修羅場
ある龍男は、本人は自分は元金龍神であったが国常立尊様の御引退で神界の勢力が赤龍神や黒龍神が主体となったことから、その身を金龍から黒龍にと色を塗り替えて生き残りを図ったと言われます。それは霊的映像を見せられると、その通りでした。
色を変えて生き残るとは、龍神界から発した言葉か!
国常立尊は多くの黒龍神が生き残る為に落ちたをご存じ
仮にそうした反国常立尊派の勢力の妨害で私の記事が出せなくなっても、もう別に問題はありません。何故ならば、もう立替と呼ばれる流れは誰にも止めることが不可能な状態に入ったからです。私のブログ記事など反国常立尊派の勢力から消されようが消されまいが、もう立替そのものには何の影響も無いのです。立替は起きるなのです。
今、世の中は悪が炙り出されていますが、大本教神諭が予告した【神が表に現れて、善と悪とに立て別ける。】的な事柄が起きているわけです。過去の罪が世の表に出て来るです。
私自身は自分の任務として知らせるべき事柄は全て出しました。もう弥勒世に渡る魂の選別も終わっています。その日が来れば一気に【即分け(節分)】となりますので、大本教神諭にあります【その時は、上の世界に行く者。下の世界に落ちる者などでごった返すので、この神も一々構っておられない。】となります。この世の者は、その事柄が来る日を待つしかないなのです。
大本教から三月三日の桃の花。五月五日の桃の実が出されましたが、今年の三月三日の桃の節句から霊世界での変化が大きくなったと見受けられましたので、近く何かが起きるであろうと予測はしていましたので、何が起きて来ても特に驚きも無いなのです。
私自身が現在一番恐れているのは立替とされる時には一部の霊能者から発信されている大地が踊るで、その大地の踊りを味わうと人の魂にトラウマ(心的外傷)が生じてしまいます。為にその時までにこの地球から新天地に向けて出発しなければなりません。それらの準備は既になされており、人々が予想していたよりも遙かに多い人達が新天地(みろく世)に向かうでしょう。
が、その前に一部の反国常立尊派の龍神達が【電気】と呼ばれる物を操り、それによって衛星通信の分野。銀行の決済システム。AIの暴走が予想されることです。今の様なコンピューターに支配される時代は電気で操作する機器の数字を狂わせることで、近代社会など簡単に崩せるからです。電気が送れないと電車が走らないだけでなく、水道水も送れなくなります。
それが太陽のフレアーから来るものであっても、北朝鮮が考えている様なパルス爆弾の様なものであっても、近代社会は【電気信号】を狂わせるだけでインフラを破壊させることが出来るのです。
大本教から霊界物語が出されたのは大正十年の十月になりますが、私が住む場所はその霊界物語が出される以前(大正九年?)に大本教の出口王仁三郎聖師が数名の大本教信徒に【教団には内密でその土地を死守して欲しい。】と頼まれた土地の一角で、私は何も知らずに伏見稲荷大社の豊受姫様の命令により、その地に居を構えました。
その為にその地で3年間にも及ぶ大ラップ現象を体験したり、その地に関わる龍神と呼ばれる存在の【浄霊】で肉体的にはボロボロになっているとも言えます。
霊界に関わって驚いたのは、霊の浄化が説かれていない
日本神道の祓い戸の神だけでは、霊的汚れは消えない
私にその土地に行けと命じられた豊受姫の御代をされていた方が、あんな土地に行けば貴方は殺されると言われましたが、霊能者ならば逃げて行く土地と言えます。よくぞ生きられたと言えます。死んでいても別におかしくはありませんでした。なまじ霊が見えるではないので、逆にそこに住めているがあります。
私が住む場所に来ようとした霊能者の方達は一部の方を除いて、あんな恐ろしい土地はと逃げられました。その地に留まれた霊能者のみが、その土地が持つ意味が解られたと言えます。そこに在るのは今の時代の神々ではなく、今の人類が知らない神代の時代に起きた出来事。そしてその神々とは、この宇宙創造に関わった時代の神々です。
大本教の説明ではそれらは今から約三十五万年ほど前の出来事で、人類の歴史では証明出来ない事柄を大本教霊界物語として出しましたが、霊界物語は霊的世界(神代時代)には起きたと言える事柄なのです。
この世にある物は霊界には全て在るとされますが、逆に霊界には存在していてもこの世に無い物も多数あります。それらも昔は存在していたです。この世を創った神の働きとしての【龍神】と呼ばれる存在も抜くことが出来ず、この世には【龍男・龍女】と呼ばれる人達も存在します。そこに蛇霊から来た【龍】とそうではない【龍】が出て来ますが、それらは【流】としての括りなのです。こうした説明が出来るのが日本語だけなのです。
その人類の歴史では解らない超古代の龍神の浄霊ともなれば激しい下痢を伴い、命に関わって来るものなのです。自分にはいくら何百万騎や億とも言う蛇霊系の龍神を従えていると豪語される人でも、それが何の浄霊もされていない龍神であれば龍神浄霊とはどれほど過酷なものか理解すら出来ないとなります。
私が住む一帯の土地に関して、大本教の出口王仁三郎聖師は綾部の大本教神苑内の金龍池は型であり。本当の金龍池があった場所と指摘された場所の一角で、有能な霊能者によればそれら一帯の土地は【陸(あげ)の龍宮城】との指摘があります。
綾部の陸の龍宮城の龍神の呼吸口と称される土地からは、若狭湾の国常立尊様の島と言われる冠島(別名龍宮島)や豊雲野尊様の沓島(鬼門島)に繋がる龍神が通る専用の水脈道があると指摘する霊能者の方達もあります。私は霊場と霊場を結ぶ土中に龍神専用の霊道が有ったことから、海中にも龍神専用の高速道路的な霊道が有っても不思議ではないと見ています。
私が住む土地そのものではありませんが、同じく出口王仁三郎聖師が当時の信徒さんにその土地を死守してほしいと頼まれた土地に関して、出口王仁三郎聖師は一部の弟子達にその土地には弥勒世で使われる無尽蔵に有る龍宮城のお宝が埋められていると言い残されて、出口王仁三郎聖師が死去された後、それを聞かされていた弟子達がその信徒さんの遺族を探し許可を得て、その土地をショベルカーで掘り返したが何も出て来なかったがあります。
龍宮城は高次元界の存在で、お宝はこの世では無い
私の神霊界修行の世話を頂いた豊受姫は【綾部は神の聖都】と言われましたが、その理由として人類がその姿を見たことが無い創造神が綾部の土地にやがて降下されると私に告げられたがあります。その場所とは【霊的に汚れた場所】と言われます。その土地を先に清めておかないと、創造神その方が天下れない。
人類がその姿を見たことが無い創造神とは、稲荷大神秘文に【それ神は唯一にして御形無し。虚にして霊あり。天地開けてこの方、国常立尊と拝し奉れば豊受の神の流れと】ありますが、その国常立尊様よりも上位の御神霊とされています。で、人類は誰も見たことが無い神なのです。見たことが無いから誰にも解らないのです。
ただ大本教から、その神の名は【天之峰火夫皇大御神】として出されました。
天之峰火夫皇大御神の降臨月は、七の月とされる
そのエネルギーは凄まじく、ブラックホールの様な物だとする説もあります。天の峰の火の言葉からすると、神の火の働きとも言えます。
何の汚れも無い場所を選んで霊場とする神霊もあれば
逆に汚れた場所を清めに清めて鎮座する神霊も有る
3月7日にブログ記事を投稿して一週間、異常を起こしていましたが一週間後の3月14日に入ると、その異常を起こしていた原因の部分が日本ブログ村に関しては正常に戻っていました。そして12日付けに移行した7日の記事も見られるようになりましたが、未だランキング表示は正常には戻っていません。
またairw.netでは異常状態が今も継続しています。記事そのものは見られますが、INのカウントが上がらずにランキングが落ちるです。明らかに霊界から何等かの干渉があったと思われます。
霊的世界は何を知らせたかったのでしょうか?
もしこれが霊界からの何らかの警告だとすると、電気に頼る生活の見直しです。
私のブログの異常にいち早く気づいて連絡を下さった読者の方、お礼を申し上げます。今後ともよろしくお願いします。ブログを借りまして、御礼申し上げます。
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明治29年旧12月2日の大本教の神諭には【艮の金神はこの世の閻魔と現れるぞよ、この日本は、元は神の直系の分霊(わけみたま)が授けてある。外国霊魂とは一段も二段も上の身魂であるぞよ。言葉もその通りであるぞよ。時節参りて煎豆にも花が咲きて・・・・・・】とあります。そこに日本で使われる言葉とは西洋が使う言葉とは違うぞとあるわけです。
どうして民族で言葉が違う?。霊界で言葉の翻訳は?
この大本教神諭の日本人の魂とは俗に【大和魂】のことで、外国霊魂とは一段も二段も上の身魂であるぞよとあることに関しては、明治36年旧6月4日の大本教神諭に【日本も外国も別に違うた事はない筈じゃ。同じ神の造りたる国であるのに、日本、日本と依怙贔屓を致す、世間知らずの狭い勝手な神じゃ」と申すものは沢山現れて来るなれど、ソレは天地の先祖の神の広い御心が判らん、悪の守護神の憑(うつ)りて居る外国身魂であるから・・・・・・】と有る内容に関係しているのです。
日本の国土とは大本教から出された【世界の大陸の雛形】となっています。それが理解出来ない人にはその大本教神諭の文面の理解は難しいのかも知れません。人の魂の輪廻転生から言えば、黒人種から白人種。白人種から黄色人種にが見られます。そして日本生まれ出ることは神に上がる一歩に近づいて来ているなのです。それは日本には皇室の祖神とされる天照大御神が祭られているすることとは、まったく関係が無い事項なのです。
日本神道の世界に入ると、日本は旧約聖書の世界か?
私は子供の頃、キリスト教の家系でも無い自分に旧約聖書の神と称する声が臨んで来ることを不思議に思っていました。しかし自分が日本神道の世界に入って、この日本こそが旧約聖書の神の国ではないかです。
私は多くの霊能者の霊査を受けて、7〜8名の霊能者から貴方の本守護神は国常立尊様ですよと指摘をされて、大本教から出されたウシトラ(牛虎)金神国常立尊とは旧約聖書の神であると解って来たと言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師の自分(出口王仁三郎聖師)と開祖(出口なお師)は旧約聖書に予言された男女二人の預言者であるの言葉は、間違いないであろうです。ただどうして旧約聖書の神が日本の国祖たる神なのか?。そこには宗教の世界では解らない霊界での物語があるのです。するとキリストたる【救世主】は何かとなります。そこに来るのが大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水)】となるなのです。
一輪の言霊に救世主(キリスト)の役割が授けてある
霊界を見聞していると面白いことが解って来ます。それは西洋人の霊が語りかけて来る言葉も自動で日本語に翻訳されていることです。霊的世界の存在を信じていない人は英語が解らない日本の霊能者が、どうして外国人の言葉を理解しているのかは謎だったはずです。
そうした時、日本の恐山のイタコなどに見られることは外国人の霊がズーズー弁で語りかけて来るとなりますが、それはイタコを務めている人がそこに出て来た霊の想いを自分が受け取り、その霊の想いを自分が使っている言葉でしゃべろうとすることからズーズー弁になってしまうなのです。そこにあるのは霊の直接の言葉では無く、自分の意思が入り、純粋な霊媒者が告げる霊の言葉とは違っているのです。それは【想念の伝達】に過ぎないなのです。
この想念の伝達は【霊の憑依】と同様のことであり、そこに出て来た霊の想いを受け取る。スピリチュアルに見られる【霊感】的な要素で、純粋な霊媒者による霊からの伝達とは違って来たりするなのです。神霊からの言葉も完全霊媒者の口を借りて降りる神示と霊感で受け取る物とは違うと言ってもよいのです。
純粋の霊媒者は自分の肉体を霊に貸して、その霊に自分の肉体を貸している間は霊界の違う場所に行っていて、自分の肉体が如何なる言葉をしゃべっていたのか知らないとなります。それが完璧なタイプの完全霊媒者ですが、それが出来る霊媒者の数が極端に少ないことから世間的にはその存在が知られていないとなります。単なる霊感とその違いも理解されていないとなります。
霊の想いを受けて告げる内容と、霊直接の言葉とは違う
霊界には人を欺して喜んでいる霊や俺々詐欺団も多い
霊的世界に関わると霊界には嘘を出して、欺したぞと喜んでいる霊や俺々詐欺師の様な集団で欺しに来る霊団もあると解って来ます。特にこの俺々詐欺団は分担して詐欺に掛けて来ますので、それに欺された宗教家や霊能者は多いとなります。時にはその俺々詐欺集団が大宗教と化すもあります。
霊世界には俺々詐欺団の宗教が創った大教団も見られる
そうした霊界の俺々詐欺集団が創った宗教団体に入信しても、連れて行かれるのは地獄界。この世ではそうした宗教団体に大金を巻き上げられる。
一般的に霊の想いを受けてその言葉を告げる人を巫女とかシャーマンとかイタコとか口寄せとかその言い方は違っていますが、そうした存在を【霊媒】者と呼んでいます。そうした中でスピリチュアル標榜者が語る自分の霊感と完全霊媒型者が出す霊の言葉とではまるで違うことが世間的には理解されていません。霊感を振りまく人の数は多いが、完全型霊媒者はその数が極端に少ないことから解らないのです。
完全型の純粋な霊媒者だと、その霊媒者の肉体を占有した霊が直接にその肉体の口を借りてしゃべるので、英語圏の西洋人の霊ならば英語でこちらに語りかけて来るとなります。そうなりますと日本語しか解らない日本の霊能者は、相手がしゃべる言葉が今度は自分には解らないとなります。それはその霊の想いを受け止めてその想いを告げるのとは意味が違うからです。
しかし宗教の世界では、そうした異国の霊がしゃべる言葉はどうなっているのかの議論すらなかったことが解ります。説明もされていません。
宗教の世界ではキリスト教はイエス一人を主の御子と信じてさえいれば人類の原罪が赦されて天国に行けるの一点張りですし、イスラム教はアラーの神は偉大なりと唱えていれば天国界式の教えで、死者と成った霊との会話はどうなっているのとか、そうしたことにあまり言及していません。
イスラム教においては霊は偶像に宿ることは理解していて、偶像禁止だと仏教の寺院等を破壊して来ましたが、ではどうして霊は偶像に宿っているのか?。その理由が解っていたとは言えません。イスラム教の開祖ムハンマドはお釈迦様とは違い、識界レベルが低かったがありますが、基本的に西洋で天使長とか大天使とされたミカエルとかカブリエルと呼称していた霊そのものが、霊界での識格が低かったもあります。
特にキリスト教は中世ヨーロッパに見られた霊と会話したと言えば、イエス以外の者に神と会話など出来ないとして魔女の烙印を押して、掴まえて裁判で火炙りの刑と言う暴挙を積んで来ただけなのです。為にキリスト教はキリスト教自身が過去に犯した罪のカルマの数々で、もうどうにも成らないところまで来ていると言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師が残された【地獄を覗けば牧師で一杯だ!】も嘘とは言えないのです。
ただキリスト教系とされるモルモン教の聖書を読みますと、天使が伝えた事柄として異国の霊で使っている言葉が違っている霊との会話には【自動翻訳機】と言う言葉が出て来ます。今は便利な時代となって異国の人との会話は文字に起こして、文字を通して異国の人と会話することが出来るようになりつつありますが、そこには【翻訳機】と呼ばれる機械が必要になります。
しかしモルモン教の聖書に出て来ます【自動翻訳】には機械は無いはずなのです。それは私自身外国人であった霊との会話に、そうした機械を必要とせずに、私自身外国で生まれ育った霊の言葉を日本語で受け取っていたからです。別にその霊から言葉の意味が理解出来ないと言われたこともありません。その言葉の翻訳が機械的なことでないことは、そうした外国人だった霊との会話の【声質】はその言語を替えようが同じ【音質】であることから、その霊だと解って来るからです。
霊にも変えられない物に、魂の霊臭や霊の声質がある
私は子供の頃はその姿を見たではありませんが、旧約聖書の神と称する声から教えを受け続けていました。それで何れ自分は神霊世界に関わらなければならない時が来る。そうした覚悟をしていました。それはそうした神界の用務の為に、今生は人として降りたと聞かされていたからです。人は霊的世界など関わらなくてよければ、関わらない方が人間としては幸せなのです。スピリチュアルは儲かりますと言っているのは、スピリチュアル界だけなのです。
神の世界は奉る(たてまつる)で、奉仕の精神で進む
この世は霊世界の存在を知るで無く、汚れた魂を磨く
そうした覚悟の上で私が神霊世界に関わったのは、私の目は開いてているにも関わらず、何の光も見えて来ない真っ暗闇の中に落とされて、私にこんな恐ろしい声があるのかと震え上がらせる霊声が臨み、そのあまりにも恐ろしい【霊声】から神霊世界の修業に入ったと言えます。それは私が子供の頃に聞いていた旧約聖書の神と称する声とはまったく異質の恐ろしい声だったのです。
そして4年間ばかり稲荷神界で豊受姫にお世話になり、日本神道の天津神、国津神、仏教で語られる如来、菩薩、明王などの世界。そして眷属と呼ばれる龍神とか蛇霊、狐霊の存在。それに仙人や天狗と呼ばれている存在も見て来ました。世に言われている霊的事物は全て有るなのです。霊界には天国界や地獄界だけでなく、【中有界】と呼ばれる世界が在り、その中有界こそ【輪廻転生】の大元の界と言えました。
魂は中有界を経て、悪しき想念を落として天国に向かう
中有界に留まる限り、魂は輪廻転生から脱却は難しい
で、霊界を語る人は誰も特別に大きな嘘を言っているのではないと解って来ました。霊界はその人が見る世界の見方によって、神や霊の世界の解釈が違っているなのです。すなわち次元と呼ばれる界によって、霊達は隔てられた界に在るです。お釈迦様で言われる八次元の世界から降り立った様な魂と六次元の世界から降り立った様な魂では、まったく違っているです。そこに【天使の記章】と呼ばれる【神霊には階級がある。】なのです。
私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。私の教えはこの日本の国の中に在る。この私のことは日本以外の国では解らない。】と告げられました。
私の家の浴室の前に大本教の出口王仁三郎聖師と思われる霊が【漢字】と描かれた浴衣姿で出て来られましたが、そこに【漢字】から学べのアドバイスがありました。その出口王仁三郎聖師霊は私に【アラーの神とは、ア門ラー】と暗示されたのです。アイウエオのアの門から入って、【ラ】に到るのがアラーの神。それはミカエルだとガブリエルと称する者達が言うアラーの神とは違っていたなのです。
大本教から出された牛虎金神の意味は、牛頭虎パンツの【鬼が云う】は【魂】と呼ばれる漢字を教える為の仕掛けです。艮の漢字に【点(天)】を付ければ【良】の漢字になる。そこに大本教から【天に帰る】までの【艮(ウシトラ)】が出ました。悪魔とは魂の真ん中の【核】の部分を【空く間】にすれば悪魔と成る。全て日本語で神の存在が解ける様になっているではないかです。
私達は盗みをする人を【泥棒】と言いますが、どうして泥の棒なのだろうと思っていましたが、魂は丸い玉で、円い球には必ず【心棒】があります。この心棒が泥の棒と化した状態が泥棒で、魂の心棒はこの世の苦の【辛抱】で磨かれると解りました。悔い改めるとは、その魂の心棒たる【杭】を改めるです。そこには魂は永遠に不滅では無く、腐るもあるなのです。
大本教神諭の【この世の閻魔大王】として現れるも、この世の閻魔とは人の魂の中にある良心神のことであり。魂は【○に・(黒点)】でこの世の【円真(エンマ)】として解るようになっているのです。それを日本の言葉で解らせる為に、出口王仁三郎聖師は日本の【尊は御言(みこと)】のことであると出されたと言えます。
国常立尊とは【日本の国に常に立つ御言(みこと)】となるなのですが、それは【日本語】のことであるとなるのです。そして日本では神を【尊や命】の漢字で表しますが、命は【イノチ】も振ってあるわけです。新訳聖書の初めに言葉は神と共に在ったよりも、命は御言として在ったの方が解りやすいでしょう。
人は祝詞や御経を上げても言葉の仕掛けは知らなかった
霊界を見聞していますと、金色の発光で【漢字】が出て来ます。俗に【金文字】と呼ばれているのですが、この金文字には特徴があるのです。
霊は嘘の言葉を出すが、金文字で出た言葉に嘘は無い
日本語の特性は【漢字】がないと【感じ】が掴めない
新約聖書において【初めに言葉は神と共に在った。】は有名な出だしですが、これで【神は言葉なり】を理解することは不可能と言えます。識界レベルで創造神を第十識界とするとお釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。ムハンマドは第四識界と言われていますが、【言葉と神の関係】に関しては大本教の出口王仁三郎聖師が世に出て来られるまでは誰にも解らなかったと言えます。
私は自分が神霊界見聞をさせて貰って【金文字】に触れたのですが、それは霊界と呼ばれ空間上に現れる光の金文字なので、写真に写るではありません。ただその金文字を見ていると、その母体は【象形文字】であると解るのです。何故に、象形文字はエネルギーを発している?。スピリチュアルでは万物は【光から生まれた】としますが、光が元となって万物が産まれた。為に万物は光の残影を持つなのです。その万物の象形が文字と成ったのが【感じ(漢字)】なのです。
そして漢字の【神】は、言葉を申し示す【?】と成っているなのです。それをエネルギーと見る時は火水(かみ)と呼ばれるです。そこに西洋人には【神は言葉】は理解出来ないとなるのです。
この世に現れた事物は【象形】でエネルギーを有した
象形文字(絵文字)で伝える【絵伝】は解釈力が必要
霊的世界に関わっていますと、不思議な出来事に出会います。それは出版された本でも悪臭を放っている本もあれば、香しい匂いを放っている本もあります。それは日本で出された本に書かれた文字が象形文字から起きることで、西洋のアルファベット文字の様な表音記号ではそうした霊的事物が発生して来ないなのです。
汚れた言葉を放つ本は、その文字からも悪臭を放つ
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霊が告げる言葉に絶対は無い。どの次元界の霊かが重要
霊能力がある方から、貴方は昨日は何を食べましたねと食べた物を細かく言い当てられる。どんな人と出会ったかを指摘される。また浮気していますね等の不倫を指摘される。そうした類いのことはよく見えていて当たるのですが、大地震とか火山の爆発とか天変地異に関わる様な肝心要と呼ばれる重要な事柄となるとまるで当たらないがあります。
スピリチュアルではよく宇宙司令官等の言葉が飛び出してきますが、そうした宇宙司令官と名乗る霊が予言した内容で今日まで当たった試しがありません。典型的な霊は嘘つきだ!。となります。そうしたことからそうした霊は蛇霊や狐霊と呼ばれているなのです。
そうした中で20世紀は戦争の時代とされましたが、大本教の出口王仁三郎聖師の予言は日清・日露の戦だけでなく太平洋戦争の戦の様子も予言が的中し、日本の広島や長崎に新型爆弾が投下されて火の海に成るも的中しました。戦争だけで無く関東大震災も予告され、関東に居る大本教信徒は震災から逃げることが出来ました。
私がお世話になった豊受姫も御代をされていた方に阪神淡路大震災を事前に告げておられましたが、神霊段階ではそうした天変地異が起きることは解っていても、それを受け取れるだけの神霊の御代が勤まる取次の霊能者が居なくなったが正解なのです。霊能者と呼ばれる人達が昔の方と比べると小粒に成ったのです。神霊は霊が見える程度では、誰にでもそうしたことを教えないからです。
蛇霊で宇宙的なことを告げて来るのは、爬虫類宇宙人
そうした霊はいくら宇宙人と言っていても蛇霊系と呼ばれます。蛇霊と呼ぶ存在は、別にこの地球の蛇だけの存在ではないのです。蛇霊でも狐霊でも宇宙と関わってはいるのです。それはこの地球は宇宙における魂の修業場という特性を持つからです。
蛇と呼ぶ存在は【虫(無視)と它(舵)】に意味がある
そうした時、その霊を蛇や狐と呼んでいるだけでは、蛇や狐は神にも成れるのに人はどうして神には成れないのかとなります。ただ蛇や狐と呼ばれる神霊から現世御利益を貰う為に必死で祈る。それらを信仰するです。そこに蛇や狐は神と呼ばれる様な存在ともなり、どうして彼らはそうした霊力を持つのか?。人では神と呼ばれる存在に成れないのか?。そうした疑問を出す人が少ないなのです。
蛇霊神と呼ばれている存在が悔い改めると人の姿に戻って行く。時には天人の世界に帰って行く。白狐と呼ばれる存在が人間界と白狐界との間を輪廻往復している。つまり蛇霊や狐霊と呼ばれている存在も、かっては人で在ったとなります。
大本教から出された人は【霊止(ひと)】は画期的な教え
人は自分が霊媒体質者であると、自分に霊が憑依して来ることからこの【人(ひと)は霊止(ひと)】の意味が解ります。人の肉体には多くの霊の思い(想念)が懸かっていて、その想いによって行動しているからです。それが仏教における般若心経の【受想行識】につながるのです。よく自分は悟りを開いたと言われる方がありますが、どこに悟りを開いたと言えます。もし悟りが開いていれば般若心経の【受想行識】の意味が理解出来ていたはずなのです。
人は(ひと)霊止であるが故に、多くの霊の想いを受けています。その霊の想いは重く、他人の想いが自分の魂に付着すると自分の魂の汚れにつながります。魂は非常に軽い物で、魂に霊的汚れが付着すると重くなって沈みます。それが神霊は【高山】に留まるなのです。下界の汚れた層を嫌うなのです。
魂がこの世に降りて来るのは【諸刃の剣】であり、この世は魂磨きの場でもありますが、逆に自分の魂を汚して落ちる場でもあるのです。
この世は悪神悪霊の手先となって霊が見えている人達もあります。そうした人達は魂磨きは辛いから止めましょう。良心の呵責は重いから捨てましょう。神は愛だから何をしても赦してくださいます。そうしたことを言って、その魂が自己の汚れから地獄界に向かうように奨めているからです。それは地獄界の仲間増やしです。
人は霊止故に、汚れた霊の想念を受けると自分も汚れる
この世に出た以上、魂磨きをしていないと霊的に落ちる
しかしこの世に降りないと、霊界での自分の魂の地位を上げることは不可能に近いがあるのです。霊界でいくら自分の地位を上げようとしても、霊界は自分と同じ想念の魂ばかりが集まる習性(類は類を呼ぶソウルメイト)があり、霊界で自分だけが地位を上げるのは実質的に不可能であり、魂の世界で自分の地位を上げようとすると、この世に出る必要があるのです。
もし霊が告げる内容が常に正しいのであれば、人類は既に霊界の全容を掴んでいました。だが未だに霊界の全容が掴めていないわけです。霊界の存在を告げる霊能者は少数は居れども、その内容は人によって違っていて誰の説が正しいのかさっぱり解らないがあります。
例えば仏教を開かれたお釈迦様の教えは自らが仏陀と成る道を行くですが、キリスト教等はイエス一人を主の御子と仰げば罪が赦されて天国に行けるで、根本的に教えが違っています。イエス一人を主の御子と信じても、それだけでは天国界に導かれることは絶対にありません。
アラーの神と称えているだけでは天国界には行けません。アラーの神は偉大なりと言って、銃をぶっ放すをしていればアラーの神が喜ぶかです。そんなアラーの神は存在していないのです。すると天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称して出て来る連中も危ない存在だとなります。
私は大本教の出口王仁三郎聖師と思われる霊から、【アラーの神とは、「ア」の門から「ラ」に到る道】と暗示されて、アラーの道とは何だ?、と思っていました。まさか日本語の【ア】から【ラ】に到る【41(みのおわりの国から)】の道とは、当時は思いもしなかったなのです。
スピリチュアルを呼称する人達の前に自分は天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する霊が現れるはありますが、彼らが地上界に起きる災害等を事前に予告して言い当てたともなれば彼らの実力を認めなければなりませんが、ミカエルとかガブリエルと称する霊が予言して言い当てた実績は数少ないと言えます。スピリチュアルと称する人達の前に現れる宇宙司令官等と称する者が言う予言も、ほとんど当たった試しが無いのと同じ事です。当たらない予言を平気で言って来る。
霊は予言が外れても、間違ったことを詫びるをしない
人の肉体には良心神は見られるが、霊に良心神は無い
日本の神道界では魂の【一霊四魂】が説かれており、その一霊は【直霊】と呼ばれ【天帝の分魂】のことであり、その働きは良心を司っているとされています。がその直霊は肉体の死で天に帰り、この世を去った魂にはその直霊(良心の働き)は無いとされています。キリスト教の様にイエス一人が主の御子など、真っ赤な嘘と見るのです。そこに大本教からは【人は神の子・神の宮】が出されたと言えます。
世紀の大予言者と言える大本教の出口王仁三郎聖師の予言は当たり、大正時代に現在のスマホの登場を予告しておられます。その出口王仁三郎聖師は霊界にミカエル等と呼ぶ名の天使長などは存在しない。日本語の【省みる】の意味だと述べておられますが、すると天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称して出て来る者は何者かとなります。
大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水Or秘密)】を読み解くならば、そこには【言葉の意味】をどう解釈するかがありました。私はその大本教神諭予告の【九つ花】から、五六億七千万の意味を読み切ったなのです。そしてたった一輪の言霊から、お釈迦様の悟りと【みろく菩薩】を仕掛けた神が存在しているに当たったなのです。
もし日本語が神の言葉であるとして、そこに【とりのはねをもて】と出されたならば、私は十里(とり)に八根を持つと読みましたが、私でない者の中には【鳥の羽根を持つことだ!】と解釈する者も出るでしょう。西洋で天使と呼ばれる者達がいくら天使の羽根を羽ばたかせようが、霊界の壁である高山は越せないのです。高山の壁ではなく、霊界の次元界を上がる道が存在したのです。
みろく菩薩と五六七千万を仕掛けた神は想像を絶する
私はその姿を見ないが、宇宙創造神の存在を観じる
日本では伊勢神宮に天照大御神と呼ばれる御神霊が鎮座され、出雲大社には大国主命と呼ばれる御神霊が鎮座されています。私は神霊界の修業時代はその大国主命様に畳の上をゴロゴロと転がされていましたが、その大国主命様からは霊界の真相に関しては何も教えて貰えませんでした。
当時、私の神霊界修行の世話して下さった豊受姫は、私に対して【貴方に教えが出来る神等、世界中探しても存在しませんよ。】と告げられましたが、何人もの霊能者からも同様に貴方に教えが出来る神等は日本には居ないと告げられました。
そうした中で、誰が私の【師】と成ったかです。仏教ではこの世は【虚空蔵】から産まれたとします。その虚空蔵とは【空間】という言葉の意味なのですが、単に【空間】で捉えようとすると難しいと言えます。しかし【虚空】菩薩の漢字から掴もうとすると、あることが解ります。
虚空菩薩は牛年虎年の守護仏。大本教から【牛虎金神】
虚空の虚には【虍】。【七の世】は演(寅)技を秘める
艮(牛虎)金神・国常立尊を世に打ち出した大本教神諭には、【この神が世に出ている神々をたぶらかして使って来た。】とあります。一見すると【誑かす(たぶらかす)】の言葉は神が使う言葉かとなりますが、そこには【嘘から真実を掴む】作業が必要となります。
神の世界を見せる舞台の劇には【虍】の【嘘】が必要で
日本の諺に嘘は誠の皮なりて、嘘を叩いて誠の骨とする
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この私が書いた神の世界の舞台の筋書きは、世に出ておられる神々はどなたも知ってはおられない。この私だけがその筋書きを知っている。そなたも含めて、この神が舞台監督をして人民や神々に演じて見せる舞台に上がる者は、その舞台の筋書きを知らずに演じなければならない。】と告げられたのです。それ自体は大本教神諭に【神も人民も知ることでは無い。】とあります。
その時は何の筋書き(ストーリー)も渡されずに、どうやって神の世界の舞台の筋書きを演じるのだろうと不思議に思っていましたが、そこに在ったのが【牛虎の虚空蔵】。大本教神諭に残される神々をたぶらかして使って来た【嘘を固めて、誠の骨とする。】なのです。その【誠】とは、【言葉で成る仕組み】のことです。
この世を被う嘘(虚空蔵)を叩かないと真理が見えない
嘘が多い神霊は嘘の叩きが少なく、嘘を叩く神ほど当たる
そこに【サニワ(審神)】の重要性が語られるのですが、サニワの重要性を知る霊能者ほど正解率が高い霊能者と呼ばれ、当たりもしない内容を告げている霊の言葉を常に信じる霊能者は低い霊能者と呼ばれるなのです。神霊が言われることは全て正しいと思ってる様では失格なのです。そうした時、自分が霊から聞いて告げられた内容が嘘であったは往々にあるなのです。
私が子供の時に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この神が告げる言葉すら疑え。神の世界からこの世に降ろす言葉は、その途中を悪神達も聞いている。為に真実を降ろすと悪神達に利用される。そこで「言葉を暗号化」して降ろす。その暗号を紐解く能力が試される。】と告げられたなのです。
霊の言葉は嘘が多いと諦めるか!。嘘を突き破るか!
霊能者の間ではお釈迦様とイエスは八次元界。それにモーゼや大本教の出口王仁三郎聖師も八次元界の方と見るがあります。で、欲を描いた幸福の科学の大川氏は自分はお釈迦様とイエスとモーゼを出した本体たる永遠仏陀で九次元界と称していたがあります。そして十三次元等の大嘘の中に入ったです。
世間には自分を救世主だと称された【五井野正】博士やヨガの大家として知られた【本山博】博士は七次元界の呼称でした。それは正当なところでしょう。しかし七次元くらいでは【真相】には遠いと言えます。
霊的世界は、自分が霊階級を上げないと真相が掴めない
霊が言う言葉は当たらないから死後の世界は無いでなく
優れた霊能者と低い霊能者では、見ている霊世界が違う
そうした中で予言者と呼ばれて、未だ来てもいない未来の出来事を言い当てる予言者ともなれば、それはまさしく神の世界から派遣された方と言えます。日本における霊能者の中で大本教の出口王仁三郎聖師に対する評価がズバ抜けて高いのは、その予言内容がみろくの世の到来は未だ訪れていませんが、他の予言は当たっていたからです。過去に言い当てた人の実績としては群を抜いておられるなのです。
多くの相談者が霊能者の元に相談に行くのは、その多くが自分が煩っている病を治して欲しい。自分との悪縁を持った者との縁を切って欲しい。良い就職先。良い恋愛の相談があります。今の現実の苦しみから救って欲しいです。そこには各自の魂には前世が在り。その前世での自分の所業が自分には解らないがあります。
人は誰も自分の過去が解らないから、刹那心に溺れる
そうした悪霊との縁切りや病気治し。御利益的なことは遺憾なく霊力を発揮される御神霊でも、未来を告げる予測となると外れるがあります。それはそうした働きを示す霊の次元格によるなのです。
神霊の言葉が外れたら悪神では無く、嘘は霊界の構造
大本教の出口王仁三郎聖師の様な大予言者は別格として、通常の霊能者として仮にある御神霊のAさんに対して降ろす内容はよく当たるとしても、Bさんに対して降ろす神示はまったく当たらないがあります。どうしてAさんに対しては当たるのにBさんは当たらない不思議があります。そこにあるのはAさんとBさんの魂には霊界での格の違いがあります。
この世に出ている人の魂の霊格は同じ霊界の出身ではないからです。この世は高い霊界の出身の方も在れば、低い霊界の出身の方もあるのです。一緒に学ぶのがこの世の仕組みなのです。それによって、一気に霊界での地位が向上するなのです。
霊界は自分より下の霊は言い当てても、格上は外れる
そこに人には守護神が就いて、その守護神の力がある
例えば霊能者として神霊相談をしている方を守護している神霊よりも、相談に訪れたAさんにその霊能者よりも高い神格の神霊が守護している様な場合、霊能者がそのAさんを助けようとしても手が出さないがあります。そのAさんを守護している霊は、どうやってそのAさんを導こうとしているのか?。そうしたことが解らない為に、要らぬお節介をするなとなります。
霊界は階級社会と解ると、ある程度の意味は解る
天ノ岩戸(一八十)とは、霊界の霊の階級を意味した
霊界は存在しないではなく、虚によって解らないのです
この世に住む私達と霊世界とは霊場と呼ばれる一部の磁場を除いて次元の壁によって隔離されていましたが、現在は霊止たる人と霊の混在化が起きて来ています。すなわち人が死後に渡っていた霊界ではなく、この世そのものが霊界との一体化です。それはスピリチュアルで説かれる次元上昇には当たっているのですが、それでこの地球上が【みろくの世】に成るではないのです。それはこの世は魂の修業場としての使命を終えたなのです。もうこの地球は魂を成長させるでなく【魂の堕落】を促す世界と成ったからです。
この世は魂の修業場として、長らく存在して来たが
高次元世界に進む場として、魂が留まる価値を失った
魂はこの地球に留まっていても天人界に進む修行場としては適さないようになり、このままでは【三次元界と四次元界】とを往復する生死の輪廻の繰り返しのみで、天人界や神界等の高次元界には上がれない世界となります。
そこに魂は高次元世界に【脱出】しなければならない
それが【五六七(みろく世)の次元】界と呼ばれる界
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一時は大本教で説いた国常立尊の地上神界の主宰神として復帰の為に活動されている方はそれなりにありましたが、今は私を含めて少しとなりました。今のスピリチュアル界では【国常立尊】様が語られることはまずありません。語ったとしても【鬼】呼ばわりですが、霊的世界では大きな変革が生じているはずなのです。
その動きは私達に否が応でも宇宙に目を向けさせることになるはずなのです。それは大本教の出口王仁三郎聖師が告げられた【宇宙開闢以来の大ショー(見世物)】が起きる可能性があるからです。日本神話の天の岩戸開けとは、弟君の素戔嗚尊が暴れたから姉君の天照大御神が天の岩戸と呼ばれる洞窟の中にお隠れになった等の子供向けの神話ではないからです。
私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、【私はそなたを霊界の一番下の地位からスタートさせる。】と告げられて、この世における修学で霊界での立ち位置を上げて来ました。その過程では霊がよく見える時期もありましたが、今は稲荷神界を離れ、神社の神々の心の持ち方に愛想も尽きて、今の神霊界に何が起きているのかよく掴めないがありました。
神社は存在していても、もう神社に鎮座しておられる神々には何の期待もしていないです。真実を知る神が存在しておられない。大変革に対処出来る神霊が見当たらない。
今は神社に鎮座する御神霊も、よく見えない解らない時節
大変革の足音は聞こえても、その動きは龍神界に見る
私は稲荷神界で神霊界修行をさせて貰いました。通常稲荷神は【狐霊】神とされていることで解る様に白狐達が活動する世界ですが、白狐霊とは単なる白色の狐のことではないのです。私が初めて伏見稲荷大社講務本庁の支部長で豊受姫の御代をされている方に連れられて伏見稲荷山に上がった時、その支部長に従う霊媒者に入った豊川稲荷の眷属であるところの大幹部の白狐霊は、その支部講員さん達に向かって、
人間の分際で頭が高い。下郎ども下がりおれと一喝した
それを聞いた講員さん達は思わず震え上がって下がっておられましたが、私は思わず吹き出し笑いをしていました。なるほど、白狐界の大物ともなれば、人間の分際で頭が高い。下郎ども下がりおれ!。かです。
人の世では人間は獣達よりも自分は偉い。それだけの感覚です。確かに人類は霊長類の長とされますが、何故に人は霊長類と呼ばれているのか?。その意味を何人の人が理解しているなのかです。
人は霊長類の長だが、霊長類の言葉はどこから来た?
稲荷神界で知られる白狐と呼ばれる存在にしても、単なる白い狐のことだと思っている様な人達が多いのは事実です。そこには霊界は【次元世界】で、霊には階級(天使の階級)があるが解っているではありません。白狐と呼ばれる存在は次元界的には人類よりも上の次元界に在るのです。しかし霊長類の長とされる人間は、その次元界と呼ばれる世界のことをまったく理解していないのです。
人は神に似せられし者、この世次第で高次元界に行ける
諺に【邪の道は蛇】で、死後に蛇霊に成る魂も多い
スピリチュアルに見られる自分は霊が見えるから特別の者だ!。霊的な物が見えるからその人は立派な人だとか、別に高貴な立場ではないのです。人は死後に蛇霊界に進む人が多いとされますが、それはその人は【邪の道は蛇】に行っただけなのです。
スピリチュアル的な霊力を世の為に使った人達と、スピリチュアルは金儲けになりますよで過ごした人達とでは、死後の世界の行き先が違っているのです。為か過去世でシャーマンであった様な人が現世では大変な目に遭っているが見られるのです。ある難病はその人の前世がシャーマンであった様な人が陥っていると言われています。
多くの霊能者が、今の世に過去世の罪が問われている
人の【身(み)】と己の【巳】。巳(み)に身が掛けてある
世に龍神と呼ばれる存在は聖書でも見られる【霊界で年老いた大蛇霊】。行者筋だと霊界の海山川で各千年。合計三千年間の修行を積んだ大蛇霊と言われる様に、そこに仏教の妙法蓮華経で説かれる【解脱の道】が存在していました。
それに対して白狐霊とはそうした世界からではないのです。しかも白狐界の大物ともなれば、その体は人を乗せることが出来る様な【牛】ほどの大きさもあります。明らかに通常の狐とは体躯的にも違う世界の存在なのです。
岡本天明師の日月神示に【半霊半物質体】が出て来ますが、白狐霊は典型的な半霊半物質体でこの世にも霊界にも瞬時にその姿を見せたり隠れたりするです。次元を超えて往来をしている存在です。
そこに【狐(瓜の毛物?)】とは、何を意味した存在か?
多くの人からすれば狐は畜生で下郎とは言えます。大本教の霊界物語には【国常立尊様】の世の立替に当たっては白狐(稲荷)は下郎の役で奉仕するとありますが、稲荷神界で多用されます稲荷大神秘文にも、それ神は唯一にして御姿なし。天地開けてこの方、国常立尊と拝し奉れば豊受の神の流れとある様に稲荷神と国常立尊の間には深い関わりがあります。
私は自分の神霊界修業の世話を豊受姫から賜りましたが、豊受姫によれば【白狐の半数は国常立尊派であるが、半数は反国常立尊派で白狐だから国常立尊様に従うではないと聞き及んでいます。その点では大本教の説明通りには行ってはいないと言えます。
国常立尊様と呼ばれる様な神霊の段階から見れば白狐達は下郎職ですが、この世の人間の立場からすると次元界的には人間界より上の世界の住人なのです。その稲荷神界に仕える白狐とは【次元界】と呼ばれる神霊界で言うならば、【五次元界】とされていました。そうした中で白狐界の動きに【六次元界】上がりが見られて来たの話です。それは何を意味するのかです。
人は三次元界に生きて、死ねば誰も四(死)次元界に進む
五次元界から【神界】で、通常の霊界は四次元の中有界
岡本天明師の日月神示(ひふみ神示)に、今の世は【三四五(みよいづ)】と説かれましたが、それは次元界を意味しているのです。人の魂は肉体を貰って【三次元界】に生きて、肉体の死を以て肉体と呼ばれる服を捨てて【四次元霊界】に戻る。その中で強い霊力を持てば【五次元霊界】と呼ばれる世界の住人となる。五次元界以上の霊は一般霊界よりも【上に在る霊界なので神】と呼んでいたです。人の身で在った者達が神と呼ばれる。しかしその【上(神)】とは、万物の創造神たる神では無いなのです。
自分が救世主と称する方は自分は七次元界と言われる
物質たる質(七)を創り出す段階は【七次元霊界】から上
日本語の、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十は不思議な事を告げて来る
幸福の科学の大川総裁は自分はお釈迦様とイエスとモーゼより上の本体で、九次元界の永遠の仏陀などと称して出て来られましたが、お釈迦様もイエスもモーゼも【八次元界】の存在と言われていたことから、自分で勝手に自分は九次元だと【盛った】なのです。実際にはそんなに高い霊界の方ではなかった。
七次元界から上界には邪神は見られないと言われている
みろく(五六七)の世とは、五、六、七次元界を指した言葉で、そこに五次元界の白狐達が六次元界に渡ったとする見方が世に出て来たなのです。
何事も不必要な事柄はやがては淘汰されます。この世は目的は何であったのか?。この世の目的には魂の次元界を上げる為の修行場があったのです。しかし一部のスピリチュアルに見られる【この世は遊ぶところです。】で解る様に、今やこの地球は魂を堕落させる場所と成って来たなのです。
そこには天人世界の住人の生き方を学ぶ。そうした態度の欠落が起きたなのです。
天人の世界とは、お互いが扶助の精神で生きている世界
人は一人で生きては行けない。互いに扶助の精神が要る
そこに他に対する【感謝】心と自己の【悔い改め】が必要
天人世界では自己本位。自己中的な生き方をする者は天国界の住人としては相応しくないのです。明治25年(西暦1892いち早くに)、丹波の片田舎綾部で【出口なお】と呼ばれる老女に懸かった【ウシトラ金神国常立尊】と称する神霊は、魂の修行場たるこの世が立て代わるから【自己本位・自己中心】主義な生き方をしてはいけませんと忠告をしたなのです。
そうした自己中心主義に陥り、天国天人の生き方とは真っ向から対立する生き方が【蛇霊界】なのです。為に蛇霊は悔い改めるとか懺悔は苦手と言えます。
そこにこれまでの【三次元界】の地球を閉鎖して、
住人を高次元霊界の地球と同型の星に上げる大計画
大本教の出口王仁三郎聖師は【この世は天人の苗床】と説かれました。この世に生きる魂が天人界に進むには【人は一人で生きてはいけないから、互いに助け合う扶助の精神】を学ぶ必要があったなのです。
スピリチュアル標榜で【神は愛だから何をしても赦してくださる。】などのお題目主義を言っていれば、何一つ自分の魂は磨かれないとなります。霊が見えるスピリチュアルと他人の魂の汚れの浄化をさせられている霊媒体質者とでは、何故に魂は磨かないと行けないのか?。そこの捉え方がまったく違うとなります。
単に霊界が見えるだけでは、魂磨きの言葉が出て来ない
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人は魂の罪(カルマ)を洗い落とせば本来の神であり。天人とも成るからです。
この地球は神々の流刑地で有り、天人の苗床でもある
要は、この地球で過去の罪(カルマ)分を解消すればよい
悟りを得たお釈迦様は、自分は二度とこの世には出ない
私は多少なりとも神霊世界を見聞し、有能な霊能力者からは霊界のどこを見ても創造神と呼ばれる神の姿が見当たらないと聞きました。子供の頃は旧約聖書の神と称する声を聞いていましたが、そうした名乗りをしているところの霊の声であって、それが本当に創造神と呼ばれる様な神なのか?。それはその神の神力を見たのではないので何とも言えません。ただ、日本では言葉による仕組みがされているのを見せられて来たです。
私は霊的世界に関わって創造神を探していると言う幾多の霊に出会いましたが、彼らは霊界のどこにも創造神の姿が見当たらないと言います。
そうした中で、私は霊能力者を通じて自分が創造神だと称する神霊には出会って来ました。そうした神霊が出す摩訶不思議な奇跡を見て来ましたが、それでそれが宇宙を創造した神だとするには疑問がありました。創造神にしてはその奇跡力があまりにも小さすぎるです。問題はそうした創造神を名乗る霊が本物なのか?。ニセ者なのか?。
どこにも創造神が見当たらないから、自称創造神も出る
自分が創造神だと証明するには、桁違いの神力が要る
私に臨んだ霊声は、日本に日本語の仕組みをしただけ
神と呼ばれる霊的存在は私達人間の本来の姿と言えますが、私達の様な三次元世界の物質体を身にまとっていませんので、例え嘘を言って来てもその神示の内容が嘘だと判明しない限り、自分は欺されていたとはなりません。この世に生きている間は、その存在を神霊だと信じ続けているとなります。
霊の言うことがまったく当たらないことにより自分は欺されていたとなった時、自分を欺した霊を掴まえようとしても、霊には人間の様な物質体の姿がありませんので逃げられてしまうとなります。
私達の目には見えない霊を捕縛して、不動明王で語られる様な霊をぐるぐる巻きにして縛ってしまう術者やその霊が活動出来ないように封印する術者は存在しますが、それは誰にでも出来るではありません。それだけの行を積んだ霊能者だけとなります。それはスピリチュアル的なものではないのです。今の世は辛い行を積む術者は皆目になったので、そうした霊術も解らない様になってきました。霊的世界を記述した本にも霊を霊縛する物質を書いた本すら存在していないのです。
霊界が存在するは、神霊の現世御利益や病気治しで解る
嘘と成る神示等、いくら告げられても意味が無いとなる
神霊とは現実に起きることを事前に言い当ててこそ本物!
キリスト教ではイエス一人が創造神と呼ばれる神の御子で、創造神と呼ばれる神に出会うにはイエスを通さないと誰も出会えないとしています。私はその生前はイエスではないかと思う霊に三度ばかり出会いましたが、重い十字架を引きずっていて、それが生前はイエスだった霊だとするならば、あまりにも【気の毒】としか言いようがありませんでした。
それはイエスは【犠牲心】でキリスト教徒の罪を背負っているではなく、神の愛で何をしても赦されると思っているキリスト教徒の罪人たる霊にしがみ付かれているなのです。彼らはイエス様。イエス様と言っていれば自分を天国界に連れて行ってくれると教えられ、イエス霊に離されまいとしがみ付いているなのです。
それは日本の行者霊にも同様の光景が見られるのです。日本の行者霊にしがみ付いている霊は平安朝の頃から迷っているのです。そうした霊は自分の罪は自分で祓うことを教えられていなかったからです。それには【輪廻転生】の教えが必要だったのです。
芥川龍之介の【蜘蛛の糸】、助かりたい一心でしがみつく
私はこの日本で自称救世主と名乗っている人の信徒達の生き霊が、地獄界に行く亡者道を歩いている光景に驚いたがあります。そこには地底王国(地獄界にある各種の王国)にその信徒達を連れて行き、自分の王国の奴隷とする存在が有るなのです。それが大本教の出口王仁三郎聖師が残しておられる【天国に案内すると言いながら、地獄に案内する取次ばかり。】のそうした霊に連れられて地獄界に行くなのです。
地獄界とは別に閻魔庁の鬼が出て来て、罪人を捕まえているではないのです。多くの霊が自ら進んで地獄界に向かっているなのです。
カルマと呼ぶ原則がある中で、他人の罪を背負う必要無し
私は子供の頃に自分に臨まれた旧約聖書の神と称する声に、【あなた様はイエスの上に幾度臨まれたのでしょうか?。】と質問したところ、【私はナザレのイエスの上に臨んだことなど一度も無い。ナザレのイエスは私の子ではない。イエスは私以外の他の高い神の御子で在る。】と答えられたのです。
その時の私は、その旧約聖書の神と称する声は本物かと疑いました。それは私はキリスト教徒ではありませんが、イエスは創造神から出た高い存在だと思っていたからです。
だが霊世界に関わると、キリスト教の教義では冥府の長官を【サタン(悪魔)】と教えています。冥府の長官とは仏教では地獄界の【閻魔大王】とされていますが、閻魔大王とは悪を取り締まる霊界の役所の長官。それを悪魔だとかサタンだとしている存在は、本質的に正義を知らない者達と言えます。悪人を捕まえる者は悪魔呼ばわりか?。その閻魔庁の邏卒(警察官)たる存在を鬼として炒り豆をぶつける。それは悪の栄えを望む行為ではないかとなります。
大本教では国常立尊を、仏教で説かれる閻魔大王とした
閻魔大王を悪魔だと言う人達は、悪を理解していない?
大本教からはみろく大神は【六六六】としても出されました。この【666】はキリスト教では悪魔(サタン)たる存在とします。キリスト教の教義ではイエスを主の一人御子と信じる者は天国界で有り。その天国界に行くキリスト教徒の信徒達を輪廻転生を起こす冥府に連れて行く存在はイエスに逆らう【悪魔(サタン)】としたことは、イエスを絶対的存在としたキリスト教の論理としては別におかしくはないのです。ただキリスト教の教えは本当なのか?。それとも嘘なのかの問題だけです。
しかしイエスを絶対的存在とすると、スピリチュアル等に観られる神は愛だから何をしても赦される等と説くとなりました。
問題は本当にイエスは主の一人御子だったのか?
大本教から出されたみろく(666)大神は、キリスト教では反イエス。悪魔(サタン)扱いされている存在だとすると、これから人類の上に起きる出来事とは天国はお花畑ですと言っているようなことでは済まないのです。
大本教から艮金神国常立尊は日本書紀において創造神とされながら【節分の炒り豆で鬼は外と追われている鬼。】だと出されました。地上神霊界で神々による多数決で悪神とされて追放された鬼門の金神。西洋のサタン(悪魔)と同じ扱いの神なのです。
世に【閻魔大王は悪魔だ!。】と言う者達も多い
正神界と邪神界とでは、その立場を変えれば正反対
そこに霊界は常に勝てば官軍、負ければ賊軍となる
私は旧約聖書の神と称する声からナザレのイエスは我が子にはあらずと聞かされたのですが、大本教霊界物語を読んでいてもそうした内容はどこにもありません。ただ大本教の出口王仁三郎聖師は20世紀を代表する希代の霊能者で、大本教霊界物語の中にミカエルと言う名の天使長は存在して居ない。ミカエルとは【省みる(カエリミル)】の日本語の意味だと残しておられるなのです。
私の前に現れた大天使ガブリエルと思われる存在に対しては、何故か【大口彦】という日本語が出て来ました。日本語だと大口彦は【ガブリと得る】の意味になります。
しかしスピリチュアルと称している人達の前に天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する霊が臨んでいるのも事実なのです。その彼らが現実にしたことは、キリスト教とイスラム教を創ることに関わりながら、両派を血と血を流す戦いを仕掛けているだけであって、どこにも【真理】を説こうとする姿勢が見られないのです。
世界の戦争にミカエルやガブリエルが関わっている
真理でなくて、力で押し通そうとすると戦いになる
私は伏見稲荷山で修行を積んでいた時、豊受姫から【貴方はこの豊受姫をしても見通すことが出来ない霊界の壁の奥から来ている神力にコントロールされていると告げられました。
世界の霊学において、霊界は第一、第二、第三天国界。第一、第二、第三地獄界と中有界が在ることは知られておりましたが、中有界にも天国界に近い世界。地獄界に近い世界。本当に真ん中の三層で全体で【九層】が存在。そこに大本教の出口王仁三郎聖師から既存の第一天国界より上に更なる天国界が在り。そこに【創造神】と呼ばれる神が存在していると出されました。
すると、霊界は【十】界(階)に分かれているとなる
大本教は最高創造神を【天之峰火夫皇大神】と告げた
この【天之峰火夫皇大神】の名前こそ大本教から世に告げられましたが、誰もこの神を知らないと言えます。この神の働きは【天の峰の龍待ち】であり、無数の無尽蔵の龍神達を従えて来るなのです。為にそこに【最高龍神】の存在が関わって来ます。
大本教の艮金神とは、創造神の偉大な【神芝居】か?
魂の修行場と目されるこの地球には最初から最高創造神は臨んではおらず、この地球に住む魂達はこの地球を管理する神達の元で自治権的な物を所持しているなのです。
住民自治の中では、世の為人の為に尽くした魂は偉大
神様、神様と言う人達よりも、犠牲心の発露の人が神
人類に人類が見たことも無い神が【みの終わり】で降臨
その時をもって第七の世は終わり。次に第八(∞)の世
真理(ダルマ)は【七転八起】と最初から仕組んである
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無論、明治維新より以前の日本古神道には【天の数歌(かずうた)】と呼ばれる日本神道特有の言霊による【真言】も存在しました。
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。と書いて
ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、こ、と。と読む
言霊と数字が結びついている働きです。
この【ひふみよいむなやこと】は単なる数字の並びでは無く、この世が成立して来た順番も語っています。しかし【ひふみよいむなやこと】だけでは、霊的な働きの意味の説明が出来ていませんでした。
そうした中で大本教から【ひと(一)、ふた(二)、み(三)、よ(四)、いつ(五)、むゆ(六)、なな(七)、や(八)、ここの(九)、たり(十)】が出されました。
その数字に漢字を当てて、一霊四魂(ひと)、厳瑞八力(ふた)、三元(み)、世(よ)、出(いつ)、燃(むゆ)、地成(なな)、弥(や)、凝(ここの)、足(たり)です。その後に諸(もも)で【百】。血(ち)で【千】。夜出(よろづ)で【万】を指します。十三の仕組みです。
ただ私がここに示したのは大本教の出口王仁三郎聖師の直弟子から伝わったもので、今の大本教の教義かどうかは解りません。
この世の成り立ちを数字で説明した
スピリチュアル標榜だと、日本古来の古神道から来ている【一霊四魂】とか【厳瑞八力】などまったく意味が解らないとなります。私は日本神道の世界に入って、その一霊四魂とか厳瑞八力とか三元が理解出来て、キリスト教におけるイエス一人が主の御子だと信じていれば天国等の教えはまったく役に立っていないと解って来たと言えます。イエス一人を主の御子と信じている程度では、それだけでは誰も天国界には行けていないなのです。
私はバラモン教の聖典ヴェーダに残されているとされる【人の胎内に眠るコブラ蛇が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める。】の霊的体験をして、お釈迦様は真理を正しく説かれたがイエスは真理が説けなかった。しかしそのお釈迦様が説かれた【真理】は今は世に埋もれていると閃いて、お釈迦様の教えとイエスの教えの違いにその真理が埋もれていると探求を続けてきました。
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【この国は(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国であり、私の書は旧約聖書なれども旧約聖書は暗号を紐解く鍵を持たないとその意味を間違える様に創ってある。新約聖書は人の子達が為した書で私の書では無い。】と告げられました。
イエスの言葉が神の言葉ではなく、この日本にある
この日本の国に満ち溢れている私(旧約聖書の神)の教えの意味は、当時は解りませんでしたが、伏見稲荷山で稲荷大神首座神たる豊受姫から【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方。】と告げられて、稲荷神界から言霊の世界に修業を転じたがあります。
その中でお釈迦様の悟りとは、大本教から出された【みろく】と大本教神諭の【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水・秘密)】を導き出すことだと解ったと言えます。ただそれを紐解くに当たっては、大本教から出された【言霊】とは何か!。それが必要だったのです。大本教を知らずして、霊の世界を語ると勉強不足になるのです。
大本教では大本教出口直(なお)開祖と二代目教主補であった出口王仁三郎聖師とで【厳霊】と【瑞霊】の型演技。それと三代目教主であった出口直日さんを【龍宮の乙姫】役として、三代目教主補であった出口日出麿さんを【日之出神】とする型演技がなされました。
龍宮の乙姫は【龍宮の音(言霊)秘め】、龍の音秘め?
その原点は、中国の落水に現れた亀の甲羅が示した数字
紀元前30世紀頃、中国の黄河の落水で甲羅に不思議な紋を付けた亀が見つかった。
その亀の甲羅には、2.9.4.7.5.3.6.1.8の数を語る丸の紋があった。この型を【三方陣】と呼び。その一つ一つの数字が【霊界】を表していたことから、【龍宮の乙姫(音秘め)様と亀】との関係となり、その中に【ひふみ(123)】の仕掛けも出て来るのです。
大本教神諭に出て来ます【九つ花】とは、大本教で【神旗】とした【九曜紋】旗のことでなければ【十曜紋】旗のことでもないのです。大本教神諭にある福知山舞鶴十里四方外囲いで示された【九の魔方陣】の数理版の数字と言霊を結びつけた物のことなのです。
この九の魔方陣(縦横斜の総和が三六九)から日本語ならば解読できる【五十六億七千万】の数字と【一輪の言霊の経緯(秘密)】を導き出すと、お釈迦様の悟りが何で在ったかが日本語の【言霊】で解るようになっているなのです。
そこに、真ん中の【41】はモーゼが紅海を渡ってカナンの地を目指す【41】年目。イエスが荒野をさ迷って悪魔を退けて主の一人御子と成ったとする【41】日目。大本教の出口王仁三郎聖師がみのか尾張の国の中から現れる女子とした、美濃か尾張の国から出る国道【41】号線などを数字を秘めているなのです。
その日本語による言霊の並べ方の【41】位は、いろはの【み】か?。ひふみの【す】か?。アイウエオの【ラ】か?。が有り。そこに創造神の仕掛けがあると言えます。
【み・す・ら】のどれかで、艮に天(点)を付けると【良】
明治25年(西暦1892)に丹波の片田舎の綾部から発祥した大本教の二代目教主補であった出口王仁三郎聖師は希代の大予言者で、その予言された事柄は数々当たったことが知られています。それだけでなく大正時代に出された霊界物語の中には現代で言う【スマホ】と思われる内容すら存在していました。
大正時代に今の様なスマホの世の中が想像出来たか?
その大本教の出口王仁三郎聖師は【いろは歌】は祝詞だよと出されました。私は稲荷神界に所属していた時はそうした【言霊(ことだま)】のことはよく解りませんでした。だが稲荷神界を離れて言霊学に転じて言霊とは何かと解った時、それまで私が持っていた【神観】など吹っ飛んだと言います。その言霊の存在の前には、仏教の如来も菩薩も明王すら吹っ飛んだのです。
仏典を開いても、無から有を生じたで創造神のことはよく解りません。ただ仏教では虚空蔵(牛歳・虎歳の守り本尊)から出たと解る程度なのです。すなわち艮の【牛虎(ウシトラ)】からです。
言葉を創った神は、仏教の如来や菩薩で説明が出来ない
聖書のヨハネの福音書で知られる内容は【初めにことば(ロゴス)があった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。】は有名な内容ですが、それで人々がどれほど【ことばは神であった。】が理解出来るかなのです。
西洋では【一二三四五六七八九十】と書いて、【ひふみよいむなやこと】と数霊と言霊とを結びつけることは出来ません。大本教の出口王仁三郎聖師は自分はナザレのイエスと比較して何一つ劣っていないと述べられましたが、神霊界の天使に見られる【天使の記章】としては、大本教の出口王仁三郎聖師はイエスより階級は上にあると思われます。
私は子供の頃、【イエスの愛の教えは美味なれども、真ん中が無いドーナツ型のパンの教えであり、そなたはイエスの愛の教えを説く者達の数がどれほど多くても、そうした数の多さを恐れずに乗り越えて行かなければならない。】と告げられました。
イエスの愛の教えは真ん中が無いドーナツ型のパンとは、魂と呼ばれる存在の真ん中に在る【核】。そして魂の【心棒(杭)】と呼ばれる存在が解った時、なるほどイエスの教えはドーナツ型の真ん中が無いパンの教えと言えると解ったのです。
日本の神智学では、愛ばかりを言っている人達は【蛇霊の容器】と化した人と言われていますが、愛と蛇とは深い結びつきがあるのです。
神は愛だで、個々の魂が積んだカルマは解消出来ない
神も自分が汚した尻は自分で拭けの原則は変えられない
霊的世界に関わると、トイレの夢が頻繁に出て来るようになります。そうした夢に出て来るトイレの多くは、そのほとんどが汚いのです。美しく磨かれた綺麗なトイレはめったにはありません。この夢の中のトイレ(便所)とは【便(人の更生)】の意味で、正しい神の教えを説いている宗教施設(場所)を指します。
世界に魂の更生に相応しい宗教は極端に少なくなった
一部の霊媒体質者は自分を犠牲に、下痢等で浄霊をする
現代の宗教の多くは、人の魂の更生場所たる便所につながっていないのです。非常に力がある霊能者の元に行くと、そこでどこにそんな便が自分の胎内に有ったのかと言うほどの大量の便が出ます。こうしたことは行者筋ならば知っているのですが、大多数のスピリチュアル標榜者はそうした事実すら知りません。
それはスピリチュアルでは魂の汚れを浄化するが何一つ解っていないからです。世界の宗教の教会そのものが汚れた便所と化しているのです。それではこの世は魂の更生の為に【甦る輪廻転生】の場として支障が起きているなのです。
魂の更生場の意義を失った地球は、存続の必要性が薄い
この日本では【姓名判断】と呼ばれる占いが存在します。私達の【氏名】を告げる言葉の音波(言霊)の個々の響きと数霊の働きとを結びつける占いです。それと私達日本人が名前として使用している【漢字】の画数をも併用するです。
西洋においては各自の生年月日に基づく【占星術】が主体ですが、自分の姓名として使う漢字の画数で占う姓名判断等、西洋人からすればびっくりするです。私は神霊界修行に入り驚いたのは【数霊】と呼ばれる霊的な働きです。数霊と書いて【かずたま】とか【すうれい】等と呼ばれています。
易学の世界では【数霊】の働きは常識ですが、宗教界ではほとんど数霊の働きを説いて来なかったがあります。キリスト教等のイエス一人を創造神の御子と仰いでいれば良いでは、そんな数の霊力の働きなど何の関係も無いとなります。ただキリスト教では【十三】の金曜日を悪魔として言っているだけです。
それに比べると、日本は九は【苦】。四は【死】につなげる
九と四の十三で【串(九四)刺しの磔(はりつけ)】が出る
イエスが串刺しの刑に処せられたは、別にイエスが人類の原罪を背負ったからではないのです。スピリチュアルと称してイエス様は人類の原罪を背負って下さったと言っている様では、何も解っていないとなります。
西洋におけるスピリチュアルとは白魔術とか黒魔術と呼ばれる様な事柄をトランプカードとかタロットカードで占うが主体です。こうしたカード占いでよく当てる方はその方の背後には必ず俗に言われる魔女的な守護霊が存在していて、その守護霊的存在が霊的世界の情報を加味して相談者に回答をアドバイスするです。
よく当たる霊感占い師の背後には、必ず霊の存在がある
大正時代に現代のスマホや空中メール等の登場を予言した大本教の霊界物語は、霊界でも特別高い世界から降りた予言内容だとは解りますが、多くの人はそんな高い世界の大事の予言よりも、今の自分の恋愛の行く末とか就職や仕事や金儲けを知りたい。そうした流れになるのは人間としての性(さが)なのかも知れませんが、そうした占いは蛇霊や狐霊の世界に結びつくなのです。それではこの世の目的たる自分の【魂磨き】が入って来ないなのです。
この日本では数霊の働きだけでなく、方位も言います
私は自分が稲荷神界に籍を置いて、俗に金神の巡航などと言われておりますが、その人にとってはその時間には行ってはいけない方向があり、その方位を犯せば大事故に出会ったり死に到る。そうしたことを見聞して来ました。そこに自分が信仰する神霊がその人がそうした方向に行かないように【足枷(あしかせ)、足止め。】と呼ばれる術を掛けて、その方向には行かせない様にするがあります。
そこに信仰をすれば大難が中難に、中難が小難にがある
人に金儲けや名声を与えるのが守護神では無く、魂磨き
昔、霊感少女としてその名を馳せて。その相談者の多くは一流の政治家や経済人ばかりで、テレビが無い時代だったので映画館のニュースでその映像が流れていた霊感師藤田小女姫さんは、自分がハワイに行けば殺されて命を落とすかも知れないとの予知を持ちながら、その小女姫さんのご子息がハワイから母親の小女姫さんに助けを求められたことからハワイに行き、親子共殺される事件がありました。
霊感師として【予知能力】を持ちながら、災難に出会う方向に行ってしまったなのです。人は誰しも今日は出ない方が良いと言う霊感を感じたが、その霊感を無視して強行して事故に出会った。そうしたことがあるのです。それは人は霊的世界の住人だからです。
その方向に行けば、自分は事故る等の方位や数霊がある
神を信仰していても、数霊や方位の災いは止められない
藤田小女姫さんの場合、霊感はよく当たるけれどもその背後に居たのは【狐霊】であったと言われていましたので、その方位に行けば殺されてしまう予知力を得ながら守護霊たる狐霊の力では及ばない処に行ってしまったとなります。
私は霊能者から死に神を送りつけられたり、霊能者の生き霊が天狗霊と共に私を殺しに来たり。いろいろ遭遇しましたが、守護霊と呼ばれる存在によって【瀬戸際】の体験を積まされて来ました。
そうしたこともありまして、私は霊的世界はスピリチュアルで説く【お花畑】だけでは危ないと言います。
貴方が神と信じる存在は貴方をどこに導く?。瀬戸際
狭い地球に縛られて、大宇宙に向かわないと閉じ込めらる
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その一方、私個人に関しては次の様にも言われたのです。【神界の御用で働くのは肉体のそなたには非ず。魂のそなたの方である。肉体のそなたはバカを演じていれば良い。】です。そこには【人の肉体とは、自分の魂を傷つけない為の防御の服としての役目がある。】とも言われました。魂と肉体は=(イコール)では無いと言われたのです。
大本教神諭には一つの魂に一つの肉体が授けてあるとありますが、その肉体とは魂を守る為の物で有り。魂の服に過ぎないなのです。今の世で着る肉体たる服はボロボロになれば捨てて、新しい服を授けるです。その服(肉体)そのものに執着するなです。
魂の世界では霊的防御の為の服は存在せず、戦いとなる
為に霊的バリアーで防御された無数の世界が存在する
霊的世界を見聞していると、自分の魂を守る為のバリアーが形成されます。もしバリアーで外部からの攻撃を守れないと、大変なことになるのです。今の霊的世界は力で押し通すであり、多くの魂の集団を守る為の大きなバリアーが形成されて防御するです。そうでないとその集団が他の勢力に奴隷化させられるが起きます。また【そこに魂の波動による引き寄せも生じます。そうしたバリアーが多数在ることが、霊界には多様な天国界や中有界や地獄界が存在するなのです。
私は霊界見聞の為に稲荷神界に所属している時は豊受姫の庇護下にありましたが、稲荷神界を離れて言霊の世界に転じると稲荷神界からの防御の助けが無くなり黒龍神の群団に攻撃されて逃げ回るとなりました。霊的バリアーの重要性を見せられたなのです。そこには正義や公平云々よりも、霊界は力による支配があるなのです。
霊界では自分を守る為に、寄らば大樹の陰がある
私はかっては金龍神の魂で有った存在が、黒龍神の数の力には戦えず。その身を黒龍神に変えて黒龍神界で生き残っているを見て来ましたが、どこにも創造神の姿が見えないと言われている背景には、そうした事柄もあるなのです。
人に前世はあれども、その前世は解らない様にしてある
しかしながらスピリチュアル標榜では、人がこの世に降りて来る前の【前世を見る商売】が流行っています。私は旧約聖書の神と称する声から【そなたの前世は他人の魂胆が見抜けないお人好しで、為に魂胆を持った者に利用されて最後は悲劇で命を落とした武将であった。今生のそなたの学びは他人の魂胆を見抜く力の養いぞ。】と聞かされ、その武将が誰であったかまでは教えて貰えませんでした。
が、霊界を見聞して行く中で、旧約聖書の神と称する声が私に告げた私の前世は武将と告げられた武将が誰であったかは解りました。しかしそれで本当に合っているのか?。どうかとなると、世間には自分の前世がその武将であったと称している霊能者の方もおられます。魂の分魂(分裂)からすると、他にも自分と同じ魂を持つ肉体が居るはあり得ない話ではありませんが、その方の魂と私の魂とでは性質も系列もまったく違うとも解りました。するとそこで起きるのは自分が正しい者のか?。それともその名を名乗るニセ者だの論争ばかりとなります。誰も自分がニセ者だとは考えません。自分はニセ者と思わないが霊的世界の特質だからです。
為に自分の前世は誰で有ったかは必ずしも正しいとはなりません。私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【人には前世はあるが、人がこの世に降りて来るのはその前世に「失敗」があったからである。】とも言われました。悟りを得たお釈迦様は二度と自分はこの世には降りない(出て来ない)と言われたとされますが、悟りを得たならばもうこの世には降りて来ないなのです。すなわちこの世に生きているのは【落伍者】でもあるのです。
ところが自分の前世は釈尊で有った等と名乗る人が後を絶たないなのです。で、そこにお釈迦様の悟りはお釈迦様では無く【弥勒菩薩】が告げるとする神芝居の脚本を描かれた神が存在しているのです。その神とは仏教の根本道場たる【祇園精舎】の守護神【牛頭天王】で、日本では牛頭の【ウシトラ金神・国常立尊】と呼ばれるなのです。
前世が失敗でこの世に出るに、前世に意味があるのか?
そこに自分の前世は正しいと主張すると危ないがある
私は大本教の出口王仁三郎聖師が大正九年以前に、一部の大本教信徒に【教団には内密で、その土地を死守して欲しい。】と託された土地を私の母親が買い。そこに住むと言う【縁】を持ちました。それは偶然では無く、最初から何神かの仕組みからです。私も私の母親も神界の舞台の筋書きの演技をさせられていたなのです。
その土地は当時私がお世話になった豊受姫によれば、今の世に出ておられる神々以前の神々が何らかの理由により押し込まれた土地と言われます。その神々とは大本教霊界物語に記載される【国常立尊様は約三十五万年前に地上神界の主宰神の座から御引退】に関わる土地で、その土地に関しては今の世に出ておられる神々の力ではどうにもならないと言われます。
肉体を持たない神は何も出来ず、肉体を持った神が要る
そこに有ったのは、押し込められた神々を浄霊する肉体
旧約聖書の神と称する声は私の前世は悲劇の武将で命を終えたと言われましたが、武将らしく緋色の鎧に身を固め、その緋色の兜の吹き返しの一方には太陽。反対の吹き返しには三日月があしらわれていました。私に太陽と月を従える【兜率天(兜で天を率いる)】姿を言って来られる人達が見られた武将姿の存在が、私の前世で悲劇の武将。今は私の正守護神と言えます。
しかしその武将霊はこの世に出た当時の姿を私には見せていますが、その世に出た時の魂その物ではないのです。それは人に宿る魂とは肉体の心臓に宿る関係から大きな玉(球)ではありません。私の前世の姿をした魂は肉体に入る魂の何万倍何十万倍の大きさを持つ魂なのです。本守護神と呼ばれる存在ともなれば、もっともっと巨大な球となるのです。
私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から告げられた【神界の御用をするのは肉体のそなたには非ず。そなたの魂の方で有る。肉体のそなたはバカを演じていればよい。】と言われた魂のことです。
スピリチュアル界の大御所と自認される霊能者江原啓之さんやその師匠と言われる美輪明宏さんが言われた。この世に出ている自分がスポイトの水一滴の分量だとすると、その本体はコップ一杯の水の分量とする論理のコップの存在です。
スピリチュアル標榜者が言うハイヤーセルフは魂的に言うと、そんな巨大な魂を指していません。日本神道系で言う正守護神とは肉体に存在する魂と比べるとスポイト一滴の分量とコップ一杯の水の分量の違いになるので巨大な大きさになるのです。すなわちそこに【人は神の子・神の宮】が立つのです。イエス一人が神の子説などあり得ないとなるのです。
そこには【天使の記章】と呼ばれる物があるのです。それを明らかにすることが日本では【天の岩戸(一八十)】開けと言う神の世界の階級を告げるなのです。言葉的には同じ意味合いなのです。
人は本守護神や正守護神の魂の分派から出た神の子
私は自分の前世名で、牛虎金神の仕組みを理解した
大本教霊界物語では、大本教の信徒の【氏名】で神の【使命】を語るがなされました。そこには人の氏名には神からの【使命】があるです。それは人の【氏名】に依る【言葉】の働きです。こうしたことを日本神道系では【型】とも言います。人の目には見えない霊界を語るには【型】を演じるが重要な面を持つなのです。
大本教が告げた【氏名】に【使命】を授け、神の舞台を演技
型を持った人が演じる役が見えない世界を【型】で動かす
仏教では個々の魂の【因縁】に基づく【縁起】の働きにより、この世で各自の魂が演じる役割の【演技】を説きました。しかしそこには【ひらかな】文を【漢字】にすることでその働きが違って来る。そうしたことまでは何も解説されていなかったなのです。
ひらかなを漢字にすると神の型が解るが大本教から出た
この世に起きる出来事は全て良い事象とは限りません。悪しきことも多数起きます。しかしそうした悪しきことも含めてそこには【必然性】があるのです。
この世では悪の行為も魂の修業の為に赦されるがある
しかしそれはスピリチュアルの【神は愛だから、何をしても神の愛で赦される】等はどこにも無く、神霊界に蔓延る悪の存在は【第七の世から第八の世】に到る神の舞台が変わる日まで、その舞台を悪神だからと言って取り締まるがされていないのです。
人は七度生まれ変わっても、この恨みを果たさん等
悪が赦されて来たのは【八の時代の幕開け】の時まで
この新しい時代と呼ばれる時は一般的には【みろく(567)の世】や【松の世】とも宣伝されて来ましたが、末で広がることから次の世は【八(∞)の世】ともされます。
松の世と宣伝されたのは、【八(公)の世】と教える為
八(8)の世に無限(∞)の意味が秘められるから永遠の世
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、この世は魂の修学の場と説きながら、その一方で【この世は神の世界の舞台を演じる場。】でも有ると告げられました。
神の舞台の演目に【節分の炒り豆にも花が咲く!】がある
私達はこの世に生きている存在だけが【自分】だと思っています。しかしながら魂とは自分の魂の祖神と言うべき本守護神。自分の魂の親神とされる正守護神。またピリチュアル標榜でも言われる指導神たる副守護神などが存在しています。人は死ねば単に霊界に入るでは無く、自己の魂の血統たる本守護神や正守護神との【帰結(合一)】に進まなければなりません。
そのことを日本の新神道系の教団では【神人合一】と説きますが、その神人合一には自分の魂の次元界を上げる必要があるなのです。
自分の魂の産み親である魂ともなれば、巨大な玉となる
正守護神、本守護神たる玉は肉体に宿る玉とは桁違い
それはスピリチュアル標榜者の【ハイヤーセルフ】の言葉では説明が出来ないのです。スピリチュアル標榜者の多くは【神は愛だから何をしても赦される。】で、この世の目的である【魂の汚れを浄化する目的】そのものを見失っているからです。スピリチュアル標榜者のハイヤーセルフ論だと、そのコップ本体の水の【浄化】論がどこにも出て来ないのです。
為に自分の魂の汚れを霊媒素質者に押しつけている不届き者が多数出るとなったなのです。
スピリチュアルを標榜すると、魂の汚れの浄化を見失う
私は子供の頃に臨んできた旧約聖書の神と称する声から、【この世は自分の魂を磨く修学の場であり。神の舞台の演技を見せる場所でもある。その神の演技を見せる舞台に上がらせて貰えれば誉れと思え。その神の舞台を見るのは、その神の舞台の上には立ってはいない神々や人民である。その神の舞台の役者には善役も有れば悪役も有る。神の舞台に上がる役者もその舞台が終われば、その悪役の化粧も落とさないといけない。だがその悪役の化粧を洗い落とせないのであれば 次の舞台に上がらせるわけには行かない。】と述べられたのです。次の舞台とは【みろく(567)の世】と呼ばれる永遠の神の御国のことです。
世に【悪】役は必要だが、今の世の舞台の終わりの日迄
この世の悪は【善(羊の言葉・譱)】を学ぶ間は赦された
戦前の日本が犯した日清日露の戦のみならず第2次世界大戦の内容や結末を事前に告げて言い当てた世紀の大予言者というべき大本教の出口王仁三郎聖師は、その霊界物語に世界の【型】はこの日本にあり。その日本の型は【大本教】にあると出された。
大本に現れた【型】には、幾つかの重要事項が演じられた
一番は、天照大御神(厳霊)と素戔嗚尊(瑞霊)の戦い
ただその天照大御神(厳霊)とは伊勢神宮に鎮座されている御神霊のことではないのです。私の神霊界修業のお世話をしていただいた豊受姫や優秀な霊能者が言われることに、世に天照大御神と呼ばれている存在には男の神御霊と女の御神霊が有り。スピリチュアル標榜者が伊勢神宮に参拝すると出て来られるのは女の天照大御神と名乗っておられる御神霊で、それとは違う男の御神霊が着ておられた着物の胸の部分には金鶴の刺繍、着物の裾には金糸の亀甲紋が見られ、私に臨まれた旧約聖書の神と称する声が私に言われたのは【鶴と亀が滑る】で、それが何を意味しているのかなのです。
金の鶴と金の亀が滑る時、後ろの正面の鬼は誰なのか!
その旧約聖書の神と称する声はキリスト教やイスラム教では創造神と呼ばれているはずなのに、何故か日本神話の【天の岩戸開け】の話を私にされたのです。
キリスト教徒イスラム教徒に天の岩戸開け神話は無意味
私は日本神道の世界に入り驚いたことは、日本神道の世界とは【旧約聖書の世界】であったことなのです。
創造神の最大の演目は【節分の炒り豆にも花が咲く!】
節分とは即分けで、瞬時に分けるが完了するの意味
その日は【喜の㐂(七七七)】の数字で表される日
大本教神諭には予言の形で【七人の女子】等で出されて来ましたが、岡本天明師の日月神示等では【嬉し嬉し】と出て来ます。嬉は【女の喜】ですが、その【喜】の漢字は㐂(七七七)の日を告げているなのです。
九十で次元界の【卆】を表したり、七七七で【喜】を表したり、言葉と数字でいろんな仕掛けをしておいた。それが大本教における神三千年の仕組みとは言えます。
創造神は存在していないでは無く、退くで隠れている
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スピリチュアル標榜者の中にはこの世は魂の修学の場ではなくて、【この世は遊ぶ処】等と語る人もあります。どちらが正しいではなくて、神霊界には邪悪の神達も有り。正神の世界か!。邪神の世界か!。どちらの世界に導くかです。
邪神界は当然に邪神達を育てたい。その勢力を増やしたいなのです。しかしその正神、邪神は立場の違いで有り、自分達の反対勢力を邪神と呼んでいるはあります。ただ日本語では【邪の道は蛇】と言うで、蛇神達を邪神とするなのです。
天人とは【神】のことかとなると、神そのものでは無い
私達日本人は神社に鎮まる霊達を【神】と呼んでいます。その神の意味は【上、守、火水(かみ)】の意味が含まれて来ます。その火水(かみ)の力を発揮する存在を霊能者達は【龍(流)】神等とも呼んで来ました。
その龍神が解脱すると天人界に行く。そうしたことが妙法蓮華経には【龍女の解脱】として説かれているなのです。
神は霊力で在り、天国界にも地獄界にも存在して来る
天国界とは住人が立派な服を着て、豪華な食事をしている世界。そうした世界だと人々に植え付けたのは宗教と言えます。極楽思想です。天人界はそうした世界では無く、生活的には【質素】な世界ですがその天人界に住む天人達はどなたも【心が穏やかで優しい】なのです。すなわちその心が【宝玉】として輝いているなのです。
天人界に悪人は居ないが、神界には悪神や邪神達が居る
神と呼ばれる存在の世界と、天人と呼ばれる存在は別界
その天人達はどこかに行くのに自動車にも飛行機にも乗らないで【瞬間移動】が出来ることから、天人界は今の私達が住むような乗り物を必要とする近代的な世界では無く、縄文時代の人の様な質素な格好をしているなのです。天人達は絢爛豪華な衣装を欲しないなのです。それは必要性の問題からです。
天人達は自分を着飾らない
その天人達が縄文時代の人の様な白の装束であることが霊能力がある人達に見られているなのです。で、天人と言えば白装束の仙人の様な姿が言われるなのです。それに対して神社などに鎮まる神霊と呼ばれる存在は、人の世界の対比からするとかなり高価な衣装をまとっておられるが見られるなのです。豪華な衣装で威厳を保つです。
霊能力がある方が神社などに参拝すると男神ならば【衣冠束帯】姿。女神ならばお祭りの時は【十二単衣】。通常だと【巫女】姿で見るなどがあると言えます。そこには神界で働く霊と天人界に住む霊とでは、住む霊世界そのものが違うが見られるのです。大本教霊界物語にはその違いの説明がありますが、その違いの重要性はほとんど説かれていないと言えます。
西暦2024年は、龍神界に大変革の動きが起きると見られる
その背景は【恐怖の宇宙大王】の出現が数年先に迫った?
世界の宗教は一部の異端の宗教を除いて、基本的に死後の世界を語ります。しかしこの世に住んでいて、死後の世界が在るなど簡単には信じられません。科学や医学は死後の世界の存在証明が出来ずに、死後の世界など嘘と決めつけています。その原因に宗教が説く死後の世界の論理が宗教宗派によってバラバラがあります。どの宗教の説を信じれば良いのかが、さっぱり解らないがあるのです。
キリスト教やイスラム教を見ますと、我が宗派の教えを信じる者は天国界で異教徒は地獄界に落ちるであって、そこには論理的な検証がなされていません。現実としては自分が信じた宗教によって行き先の天国や地獄が違うではないのです。カルマの原理原則に応じて霊界は動いているのに、その法則を宗教が無視しているなのです。カルマの原理原則から見て行くと、宗教の教えには疑問が出て来るなのです。
キリスト教やイスラム教とは違って、仏教には【輪廻転生】の教えが存在します。それは天国と地獄ではなくて【中有界】と呼ばれる世界を見て来ると解って来るのです。
何故にキリスト教やイスラム教には【中有界】の存在が説けなかったのか?。
そこにはキリスト教の教義が冥府の長官を【サタン】扱いにしていたがあります。イエスが創造神の一人御子たる絶対的な存在ならば、輪廻転生を起こす冥府の存在を悪魔(サタン)とするは論理としては解りますが、イエスはそんな偉大な存在ではなかったのです。
中有界(冥府)が存在するから【輪廻転生】が有ると解る
人の魂に【良心】の点数が出て、天国界はその点数次第
岡本天明師の日月神示等に有る【一厘がある神と一厘が無い神】。神と呼ばれていても、そこには違いがある。霊力が有るから神と呼ばれていても、正しい神も有れば邪悪の神も有る。
霊界は広大で無数の世界が存在、誰も全容が解らない
人は死ねば天国で無く、天人に成るまでは生まれ出る
世紀の大予言者として知られる大本教の出口王仁三郎聖師は、地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だと残しておられますが、そうした宗教家とは【カルマの原理原則】を忘れた宗教家と言えます。他に天国に案内すると言いながら地獄に案内する取次ばかりとも残しておられますが、この取次とは現代ではスピリチュアルともなります。スピリチュアル標榜者に見られるこの世は遊ぶ処です等は、カルマの原理原則を忘れているのです。
スピリチュアル標榜者の【神は愛だから何をしても赦される】はどこにもなく、そうしたスピリチュアルが蔓延る背景に何があるのか?。それはスピリチュアル標榜者の前に出て来て天使等呼称する霊の正体にあるとも言えます。地獄界の勢力を増やしたい者達が居るなのです。
霊界に存在する【俺々詐欺団】に引っかかってしまう
イエスが主の一人御子等、誰がそれを証明したのですか?。なのです。キリスト教やイスラム教は人が死後に渡る霊界の内容に関しては、仏教やヒンズー教に比べると論理が弱いがあります。それは識界レベルとして、イエスもムハンマドもお釈迦様の識界レベルには達していなかったと言われています。お釈迦様は第七識界と言われており、イエスは第五識界。ムハンマドは第四識界とも言われています。当然に神や霊界の説明に差が出ます。
それは幸福の科学の大川氏の様に、自分がお釈迦様とイエスとモーゼの三体を出した本体たる永遠の仏陀だと名乗れば良いではないのです。名乗ったからと言って【証明した】ではないのです。それを理解していない人は霊界の俺々詐欺師に引っ掛かったなのです。まずはその方がお釈迦様レベルの識界に達しているかどうかなのです。
霊的世界では、自称救世主のニセ者やニセ天使。ニセ神が続出している様に、まず現状の霊界の様を認識する必要があるのです。伊勢神宮には日本の最高神とされる天照大御神に出雲には大国主命様も居られますが、それらの神が現状の神霊界を全面的に支配をされてはいないなのです。それは神霊世界を見渡した時、誰しも判断出来る話です。今の霊界はいったいどうなっているのだと言えるのです。
そこに大本教から宇宙創造神の国常立尊様は厳格の為に嫌った神々に悪神として強制的に引退させられた後、中国で創造神ともされる盤古大神(西洋ではジュピター神)が神霊界の主宰神の座に就かれた。だが霊界の支配力が弱く、力のある神達の群雄割拠を招いたと記されています。それが力が有る霊能者がどこを見ても創造神が見当たらないと言われる状態を引き起こしているなのです。
スピリチュアル標榜者の中には、イエス様が人類の罪を背負って下さった等と言う人がありますが、?。それならば地獄界など存在しないはずですが、地獄界はあります。その地獄に落ちた人達は別にイエスを主の一人御子と信じなかったからではなく、イエスを主の一人御子と信じていようがいまいがこの世での自分の善悪の行為の結果で地獄行きです。イエスが人類の罪を背負った事実など、霊界のどこにあるのだとなります。
そのスピリチュアルを自称している人達が前世においてキリスト教に関わっていた意識を持ちながら、今生はキリスト教など関係が無い日本国に生まれ出ている。自分が輪廻転生している意味を理解していないに陥っているなのです。過去世でイエスを神と拝んでいた自分のことは思い出せても、この世に出ている意味を理解していないなのです。
スピリチュアルのルシファーが悪魔などの説も、今日ではヘブライ語とラテン語の翻訳の過程で生じた言葉の間違いからであると解って来ています。お釈迦様の弟子にみろく菩薩と呼ばれる存在が最初から居なかったのと同様に、ルシファーもまた悪魔として存在して居なかったがでっち上げられたなのです。そこには何神かが【意図した】霊界の仕組みがあるなのです。
私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、【人は死んでは生まれる。死んでは生まれるを繰り返している。人がこの世に生まれ出るのは魂の修学の為に降りているのであって、この世は魂の修学の場として私が創った世界である。】と告げられた。
大本教ではその神を旧約聖書の神とは呼ばずに、ウシトラ金神国常立尊として世に告げたがあります。その神の働きは【閻魔大王】として、地獄界をも支配するです。地獄界の長官だから悪魔(サタン)ではないのです。だがイエス一人が主の御子式にすれば、イエスを信じていれば罪人を罪に問えないとなります。如何なる大罪者でもイエスを信じる者は解放しなければなりません。だから閻魔庁を悪魔呼ばわりはおかしいとなります。
また大本教神諭に【牛虎】と示してあるように、牛虎を【鬼と云う】で【魂】の漢字を導き出せるように仕組まれていました。私は中国の盤古大神に拝謁して【漢字(感じ)】の仕組みが解って来たです。
私に臨んで来た旧約聖書の神と称する声が私に告げた内容は、旧約聖書で語られる天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する者達が言う内容とは違っているがありました。そこにはその旧約聖書の神と称する声が私に告げた中味には【旧約聖書は我が書であるなれども暗号書で、その暗号を紐解く鍵を持たないと言葉の意味を間違えるように創ってある。新約聖書は人の子達が創った書で私の書では無い。私の教えはこの日本にある。】です。
そして最後の審判に関しては、西洋ではなくて【日本神話の天之岩戸開け】のことであるとも言われたなのです。岡本天明師の日月神示は、その岩戸(イハト)を神界の階級は一八十段の意味だと出されましたが、そうしたことはこの日本でないと出せないのです。
キリスト教やイスラム教は天国界と地獄界の二元論で、西洋の人達はキリスト教やイスラム教に出て来た天使長ミカエルや大天使ガブリエル等と名乗って出て来た霊の言葉だけを信じた経緯があります。その天使長とか大天使と称した霊達に問題があったかどうかの検証が何もなされていませんでした。
スピリチュアル標榜者の多くは自分の前に天使長ミカエルや大天使ガブリエルと名乗る者が出て来ると言われますが、誰も天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと名乗った霊に何の疑問の質問も浴びせていないのです。すなわち日本神道で説く【サニワ(審神)】が何もなされていなかったなのです。
私は日本神道の世界に修業に入り、そこに出て来た神霊が本物かどうかを調べるサニワ(審神)をする重要性を学ばさせて貰いました。そこに相手が自分は○○大神と名乗っていようが、その神名の名乗りで判じるのでは無く、その返答次第でその神霊の姿が蛇霊や狐霊の姿に【身変える】を見て来たです。
蛇霊の意味は?。狐霊の意味は?。そこに狼の睫毛!
自己の良心を毛物化させることで、言葉が示す動物姿
世紀の大予言者として実績を持たれた大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界にミカエルという名の天使長は存在しないと述べておられますが、このミカエルの本来の意味は最後の審判時に蛇の尾を踏む物の意味で【巳(蛇)帰る】の日本語の働きを指していると思われます。大本教の場合はその【巳(蛇)帰る】の意味を【省みる(かえりみる)】だと出したなのです。
そうしたことを知るには、この地球が関わる霊的世界を現実に支配しているのが蛇霊や狐霊と呼ばれている存在であるとの認識が必要だったのです。スピリチュアルでは何かと言えば宇宙人を持ち出して来ますが、日本の神社等に祀られている存在を見れば蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊や龍神や天狗や仙人等で、スピリチュアルで宇宙人とされている霊的存在も蛇霊であったりしているなのです。今日ではそれらは【爬虫類宇宙人】とも言われているです。宇宙人と呼ばれる存在も【蛇】で出て来る。
スピリチュアルで音楽をかけるとその周囲の者達が踊り出す。俗に踊る宗教がありますが、その人達を操って踊らせる存在をそのスピリチュアルでは宇宙大元霊と称していましたが、蛇霊系の龍神と呼ばれる存在であったりがあります。そうしたことは龍神と呼ばれる存在と霊界で戦った者で無いと解らないがあるのです。
人は死後の世界で、蛇(巳)霊の姿に身変える魂が多い
その巳(蛇)の姿から脱却させるが本来の天使長の役目
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声の教えを聞いていました。無論、それが本当に旧約聖書の神なのかどうかは解りません。それを確認するにはそれなりの霊能者を探し出す必要があるからです。ただその声の主は私に不思議な映像を見せられたのです。
それはアラビア半島の紅海に数えられない龍神が垂直に立って海の中に壁を造り、その龍神達の壁の間が道となり。その道をモーゼに導かれた人達が逃げて行く映像です。まるで映画のワンシーンなのですが、その海水が龍神達で割られて創られた道を行く人達にはその海水の道の壁の存在が龍神達であるとは知らずに進んでいる映像です。
それを私に見せたのは私が子供の頃から臨んでいた旧約聖書の神と名乗った霊でしょうが、それが本物の旧約聖書の神かどうかは私にも解りません。もし無数の龍神を動員してそうしたことが行われたのであれば、そこには本当の神の霊力を見せたとはなります。
私に自分は一億体もの白龍神を従えているとか、三輪山の神は六次元界黒龍神で自分の指揮下に入ったとか言って来られる方達はありますが、重要なことは【実際に霊力】を振るえかなのです。私の様な【口先】による解説は、そこに力の現出を見ないと意味はありません。私は口先だけのチャラ男で終わるなのです。
何の力の示しも出来ない神は、神としては生き残れない
私は霊能者とは言い難い者ですが、霊的世界の存在を知る為に少しは霊達を見る力があり、龍神と呼ばれる存在は見て来ました。また私自身が易者の方から龍眼だと指摘されるように、元は龍男であった要素を持っています。
霊界では霊的映像を創り出すがあり、その霊的映像だけでは証拠とは言えません。実際にその光景を創り出してこそ【神】なのです。
されど紅海を行くは、日本語で【後悔】を渡るにつながる
大本教から出された国常立尊は【三十五万年前に御引退】は、この世と神界時間を対比させると、そこに【四十年】の数字が出て来ます。大本教神諭に予告された九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)が【四十一】番目の言霊であることは、モーゼの四十年間荒野のさ迷いと関係しているなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は、自分(出口王仁三郎師)と開祖(出口直師)は旧約聖書に予言された男女二人の預言者だと述べられておりますが、大本教から世に出された仕組みの数々は旧約聖書の神が仕組んだ物と言えるのです。
私は日本神道界に入り、見たのは旧約聖書の世界
イエスも四十日間は荒野をさ迷い。明けて四十一日目に悪魔を退けたで神の一人御子に成られたは、型の演技としては短かすぎるなのです。四十日間では三十五万年間の仕組みが出せないのです。そこにこの地球の一年間は【365.22】日も出るのです。
モーゼの四十年間のさ迷いは、大本教と連動している
大本教から出された神仕組みに出て来る56億7千万を導く為の【369】。それらの数字を展開させる為の【龍宮の乙姫】。龍宮の九霊界に含まれる【123(ひふみ)】。みろく神が反イエスであることを教える【666】。また国常立尊御引退として出された【35万年】間などは、そこには数字の謎が秘めてあるのです。
大本教神諭の【神も時節に敵わない】に数霊の働きがある
しかし世界の宗教は【数霊】を説かず。理解もしなかった
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大本教が出したみろく大神とは、万物の創造神たる存在
だが大本教から出された艮(ウシトラ)金神・国常立尊と【みろく大神】との関係性は説かれませんでした。方や国常立尊は、国常立尊を悪神とする多数の神達の多数決によって、地上神界の主宰神の座を追われたことから引退の退くのウシトラ(艮)金神国常立尊とし、方やお釈迦様の死後五十六億七千後に現れるみろく菩薩が同じ存在だとすると、まったく意味が解らないなのです。
それに大本教の出口王仁三郎聖師を【みろく大神】としたことはやり過ぎと言えます。大本と呼ばれる宗教を起こさせた霊界の存在は、大本教を通じて立替の予告をする為の存在であったとする説もあります。立替の予告とされるのは、もしその時に大本教から【みろく大神】そのものが出ていれば、その時点で人類の上に【永遠の神の御国】が到来していたからです。
大本教を予告と言うは、人類は未だ創造神を見ていない
その大本教では、みろくの意味で使われる【五十六億七千万】の数字を単に【五六七】で【みろく】と読ませました。今の日本で【五六七】と書いて【みろく】と呼ぶことはスピリチュアルを含めて知られるようにはなりました。それを岡本天明師の日月神示から知った人の方が多いようですが、岡本天明師からではないのです。岡本天明師は大本教で機関誌の編集長をしていたからであり、五六七の基本は大本教にあるのです。
大本教以後に乱立して出た○○○神示などは、その【みろく大神】の基本論から離れており、大本教から世に出た神示の後継書とはとても言えないのです。そこには【ニセ神達】を世に炙り出させる仕組みがあったなのです。
大本教をもって【止め】とすることは、大本教神諭に【天理、金光、黒住、妙霊、先走り、とどめに艮金神が現れて】と予告されているなのです。【五六七(みろく)】が出た後に【一二三(ひふみ)】が出たでは、後先の順序が違うとなるのです。
誰が考えても、お釈迦様の死後五十六億七千万は無い
そこに本物とは言い難い神達の【神示】が蔓延った?
オーム真理教の開祖であった松本智津夫(麻原彰晃)は、自分の前世を【釈尊】であったと称して、その弟子であった上祐史浩(元アーレフ代表)を弥勒菩薩と名乗らせていました。そこにはお釈迦様の本当の悟りを告げる存在が弥勒菩薩だとされている【型】を演じようとしたなのです。
しかし冷静に考えれば、お釈迦様の死後五十六億七千万年を経過した後に現れる弥勒菩薩がお釈迦様と同じ時代に相見えていることそのものがおかしいとなります。そもそも悟りを得たお釈迦様は【自分は二度とこの世には出て来ない。】と言われたとされており、その代わりとして【弥勒菩薩】が出るのですから、自分の前世は【釈尊】で在ったと名乗った者はその時点で全員が全員【偽者(にせもの)】なのです。
そうした意味では幸福の科学の大川氏も実に解りやすいニセモノの演技だったのです。しかし現在の神霊界はニセ者達の正体を暴くでは無いのです。ニセ者達を泳がせるなのです。そうしたニセ者達が名乗る救世主に欺されたとしても、それは自分が悪かったなのです。問われるのはその真偽を判定する能力と言えます。
そこには霊界を見渡しても、万物の創造神の姿が見えないがあるからです。すなわち嘘を出している神霊や天使と称する霊達を掴まえて、それを裁く存在が霊界そのものに見当たらないなのです。
それは自分が犯した罪は自分が祓う原理原則が在るから
キリスト教では自分が犯した罪を金で売り買いする【贖罪】が説かれます。それ自体は仏教で説かれる【地獄の沙汰も金次第。】と同様のことであり、【罪】と呼ばれる物はそれを消さない限り流動していると言えます。
言うなれば【トランプのババ抜き】で、誰にジョーカーを掴ませるかです。
罪は流動しているので、金で解決する方法もある
霊的世界では自分の魂の罪の霊的汚れを、他人に押しつけて逃げるがあります。そこに【霊的憑依】と呼ばれる物が起こり、霊媒質者は他人の罪の霊的汚れを被るという現象を起こすなのです。
罪は金で消せないが金で流すで、宗教家は金で罪を被る
スピリチュアルは金儲けになりますで、セミナーと呼ばれる会を催して生徒に蛇霊や狐霊を着けて霊的世界を見させることが出来るなどがありますが、その結果として自分が地獄界に向かうがあります。それは霊的世界を利用してする金儲けには【罪】が流動して来るからです。そうしたスピリチュアルセミナーでは、この世での自分の罪が【カルマ】として積まれることはまず教えません。と言うよりも、スピリチュアルだと叫んでいる人が生きている時は霊界を利用した金儲けは【罪】に当たることが解らないのです。
前世でシャーマンだった人で今世で苦しんでいるが多いのは、霊的世界を金儲けに利用したかどうかなのです。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【人がこの世で積んだ罪は肉体の死で、この世に置いて元の霊的世界に帰る。次にこの世に降りて来た時に、その過去の罪を背負う。】と告げられました。すなわち罪とは肉体の【死に非ず】なのです。人の肉体の死によって人の罪は消え去るではないのです。
人がこの世で犯した罪は、肉体の死を持って消え去らない
日本仏教の曹洞宗の御経の修証義(しゅうしょうぎ)に記載される【人は過去・現在・未来の三時】に分けてその罪を解消するとある様に、この世に生まれ出て、過去の罪を解消する存在が【カルマ(業)】と呼ばれている事柄なのです。
世に人は死ねば終わりだから悪をしなければ損だという方達がありますが、創造神の絶対法則である【業(善悪の行為は因果の道理によって、後にその結果を生む)】が働いており、スピリチュアル標榜者の神は愛だから何をしても赦されるなどの論は地獄界に御案内の論なのです。生きている時は解らないが死後に後悔するなのです。
ただそれは神社に鎮まる神々が正神界の神なのか邪神界の神なのかの論議だけでは説明がつかず。その神霊の霊力によって神として君臨している為に、創造神と呼ばれる神の存在証明が重要となるのです。
私に対して自分には一億体の白龍神が従っていると私に言って来られた方は、【おまえは天帝からの言葉の仕組み等と振りかざしているが、天帝に仕えるところの天使の一人にしか過ぎない。いざとなればおまえなどは数の力でひねり潰すぞ。】なのです。この世に関わる霊界で天帝の名を出しても、それで神々が従うではないのです。
今の神霊世界は力の支配で在り、話せば解るでは無い
そこに勝てば官軍、負ければ賊軍の習いが起きた
大本教から艮金神国常立尊の引退の経緯が世に出されたことは意外な話ですが、そこには五十六億七千万のみろく大神の仕掛けが絡んでいるなのです。
人の魂はカルマの原理原則、業による【縁起】の中にある
日本におけるスピリチュアルは西洋の神智学の影響を強く受けていますが、西洋の神智学で言われる世界教師のマイトレーヤとされている存在は仏教の弥勒菩薩のことです。が、そもそも仏教に弥勒菩薩と呼ばれる存在が取り込まれたのは仏教が中央アジアに入り込んだ後に、古代ペルシャ地方等に在った【ミスラ】神信仰の光と司法の最高神がお釈迦様の弟子であった様な形で弥勒菩薩として取り込まれたなのです。後世の作り物です。
ですから弥勒菩薩と呼ばれる存在は【大乗仏教】が創った産物と言えます。それらはお釈迦様の死後に起きた内容なのですが、五十六億七千万と言う数字を載せたのは如何なる存在かなのです。
お釈迦様の死後に誰かが五十六億七千万を仕掛けた
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、その声は私に【拝火教のことを学びなさい。】と言って来ました。しかし私が子供の頃はインターネットそのものが無く【拝火教】などは田舎の図書館には何の専門書も無いで、解りようがない宗教でした。
私自身は自分が摩訶不思議な体験をして、鍾馗神の案内で中国で創造神ともされている盤古大神(木星神とされる)と呼ばれる神に拝謁しましたが、盤古大神など聞いたことも無い神でした。その盤古大神のことが書かれていないかと大本教霊界物語を買いましたが、その全巻の購入費は当時の私の一ヶ月分の給料に匹敵しました。だがその霊界物語でも拝火教のことはよく解りませんでした。ただ盤古大神に関しては解ったなのです。
今は無料で知識を得られるインターネットの便利な時代に入り、拝火教の原点と言うべき【ミスラ】教に辿り着いて、その神がみろく菩薩に繋がっていると解って、ようやく五十六億七千万の【みろく】の大仕掛けが解って来たと言えます。
お釈迦様の悟りは、みろく菩薩でないと世に出ない?
数々の予言を当てた大本教は何故【みろく大神】を出した
明治31年旧12月26日の大本教神諭には、【綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ。】とあります。この【九つ花】とは同じ大本教神諭明治31年旧11月6日に【九つ花は誠から咲かせる花であるから、三千年の経綸を致した。】とあるようにお釈迦様が世に出る前から仕組まれた物で、誠と示される事で解る様に言葉で成る仕組みを指します。
この【九つ花】の解説は本来ならば大本教から出されるのが筋だったのでしょうが、大本教からでは無いのです。大本教に在籍していた当時は出口なお開祖派で反出口王仁三郎派で知られた後に神道天行居の開祖となった【友清歓真(九吾)】師に、ある神が大本教神諭の【九つ花】とはこういう物(九の魔王陣)と教えたことから世に先んじて発表されました。
友清歓真師が出したのは、大本教から出された【ス】の言霊は間違いで【ラ】の言霊。そのラの言霊は【天之御中主(真性天照御大神)】を意味しているです。
その友清歓真師の解き方そのものは間違っていません。真ん中の【41】は【ラの言霊】で、意味することは【天之御中主(真性天照大御神)】で間違いではないのですが、九つ花の紐解きとしては2〜3点程度なのです。すなわちそこから【五十六億七千万】の数字を出す【みろく(369)】の意味を読み切っていなかったからです。
みろくを語るのであれば、お釈迦様の悟りと連動
そしてもう一つに五十六億七千万の数字に秘められた意味は
物質の【七の世から、精神の八の世に代わる】
日本語の【イロハ】の41番目は、【ミ】
日本語の【ひふみ】の41番目は、【ス】
日本語の【アイウエオ】の41番目は、【ラ】
みろく菩薩とは、私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から告げられた【拝火教】の最高神【ミスラ】神のことであり。そのミスラ神の性格は【光と司法】とされます。大本教神諭は艮金神を【この世の閻魔】と告げましたが、仏教の閻魔大王だけの感覚だと閻魔大王は裁きの神ばかりが入り、【光と司法】の神の感覚が抜けてしまうなのです。
天の岩戸開けは、何故に司法の裁きなのか?
私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【日本神話の天の岩戸開け等の事実はどこにも存在していない。全てはこの私が最後の審判に向けて人を使って創作させた物語である。そなたは私がどうしてあのような日本神話を創作させたのか?。その意味を調べるがよい。】と告げられたがあります。
艮(牛虎)金神国常立尊で牛頭に虎パンツ。節分の炒り豆で打たれる【鬼】は掴めますが、そこに【光と司法】の要素は見いだせなかったとなります。私達日本人は日本神話の天の岩戸開け神話だと、天皇家の祖神とされる天照大御神が洞窟にお隠れになって世の中が真っ暗闇に成りました。そうした子供騙しの話を聞かされるとなります。その光の話には何の【司法】も含まれていないことから西洋で語られる最後の審判の【光】とは結びつかないがありました。
伊勢神宮に鎮座されている天照大御神として出て来る御神霊には男神と女神があり。その男神の方の着物の胸の付近には金糸鶴の刺繍。裾には金糸の亀甲紋が縫われていたことにより、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から告げられた。【私の教えは聖書には非ず。日本の昔話や童歌に入れた。もっとも重要なのは「かごめ歌」である。】と告げられて【鶴と亀が滑る】の意味を探ったがあります。
光と司法の神で、天之岩戸開けの意味が出て来る
もし弥勒菩薩の原典となる【ミスラ】教に辿り着いていなければ、大本教が告げた艮金神・国常立尊神(みろく大神)とは人類の想像など許さないほどの神で在るとの認識に立てなかったでしょう。私は私の前に自分には一億体の龍神が従っていると言って来られる人がいても、その人は何一つ怖くないがあります。それはその方に本当に一億体もの龍神が従っていようとも、こうした【五十六億七千万】の数字と言葉の仕組みを組み立ててることが出来ないからです。
そこに仏教の祇園精舎の守護神【牛頭天王】とは、お釈迦様と呼ばれる方を世に出す仕掛けの中に【五十六億七千万の数字】を秘めておられた。ただその解明には【日本語】と呼ばれる言葉を必要としたなのです。
私が子供の頃に臨まれた旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。】と言われましたが、それは嘘では無かったなのです。
大本教神諭予告九つ花に、五十六億七千万を秘めた
大本教から仏教の五十六億七千万のみろく菩薩の【みろく大神】が世に出されたのは、三千年前から仕掛けてある言葉の仕組み。
ただそれらの仕組みを理解するには、仏教で説くこの宇宙は【无(ム)から有を生じ、混沌(カオス)から生じた。】一連の仕組みを理解した者でないと解らないとは言えるのです。スピリチュアル的な要素で見たり知る霊界では、こうした大仕掛けは解らないのです。何故ならば世に出ておられる神々その方達が、そうしたところまで踏み込んでおられないからです。
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私は白狐の世界を見聞し、白狐界⇔人間界を往復をしている存在を視認しました。そこに人の姿をしている時が天人界に昇格する【チャンス】と解ったのです。そこにはイエス一人を神の御子だと信じれば等の論理は無いなのです。
スピリチュアルでは【愛】の言葉をバカの一つ覚えのように言いますが、愛だ!。愛だ!で如来界に進んでいるような霊の存在はありません。仏教では如来の叡智を説きますが、そこにはスピリチュアル標榜者の様な【愛】一辺倒を言っていないと解ります。この【愛の言葉に踊っている者達の本当の正体は何者?。】かなのです。
大本教神諭に【ユダヤの悪鬼が、この世を泥海にする仕組み。】がありますが、この意味が以外と知られていなかったがあります。その泥海とは霊的な【ヘドロの海】で、この世に関わる霊界で見られます。このヘドロの海を固めるは容易なことではなかったなのです。誰も手がつけれなかったのです。
ヘドロの様な世界の土壌を固めたて大地としたが造物神
大本教の前に起きた天理教において【泥鰌】が出て来て神は泥鰌かと思わせるが内容があり、この言葉だけで天理教を邪教呼ばわりしている方が見られます。この泥鰌は神がヘドロの様な世界の【土壌】を固めた意味なのです。その泥は霊的掃除(浄化)を行っていないと、またもやヘドロになるが在ったわけです。為にこの地上界では土を固める【型】が必要だったと言えます。
ユダヤの悪鬼達とは、そうした霊界の浄霊浄化を何一つ言わなかった存在です。霊世界の浄化など、スピリチュアル標榜で語る人はどこにも存在しません。愛と言う言葉で不都合なことは覆い隠すです。
ユダヤの悪鬼とは、霊的浄化浄霊を一言も言わなかった
愛という言葉で、不都合なことは覆い隠し続けて来た
人は愛という言葉を出されると、その裏に不都合な事を覆い隠す働きがあってもそれを見抜くことが出来ません。頭からこの人は愛と言う言葉を言っているから、間違いが無い人だ!。私は人の魂に出る点数が最初は解りませんでしたが、行者筋からそれは人が持つ良心神の点数だと教えられて納得したがあります。何をしても神の愛で赦されますでは、自己の魂の良心神の存在など解るはずもないことです。
地獄の言葉には【獣】の漢字が入って来るのですが、天人界で無ければそうした動物の姿を取るであり、そこに【輪廻転生】が説かれていたと言えます。そうした動物の世界に住む者からすると、人間として世に出して貰っておきながら【その様は、何だ!。】となります。
白狐とは毛が脱色したで無く、霊的世界に存在する神獣
何故に狐は【瓜の獣】と成っているのか?。【ウリ】に秘密
そうした時、日本のキリスト教の牧師などは自分達は創造神の一人御子であるイエス様を神として仰いでいるのに、日本人は稲荷信仰で獣の【狐】を神として拝んでいると非難される方達があります。世紀の大予言者として実績を誇られた大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界物語の中に地獄を覗けば牧師で一杯だと記しておられますが、そこにはキリスト教徒は天国界に入るのが難しいがあります。それはキリスト教の教義はイエスを神として拝むが主体で、個人を崇拝するで霊界論に間違いが多々あるからです。
キリスト教の教義では冥府の長官を【サタン】と定義していますが、死後の世界を意味する【冥府】と呼ばれる世界の存在に対して、イエス一人が創造神の一人御子でイエスを主の一人御子と拝めば人類の【原罪とされる罪(カルマ)】が赦されると言う、あまりにも極端な間違った論理を展開したことに原因があったとなります。
イエスは霊的世界においてどのような地位にあったのかとなりますと、イエスは八次元霊界とする説を言われる霊能者が多いのですが、私はイエスは八次元界には到達していなかったと見ています。八次元界に近い段階の七次元界止まりでしょう。それは自分が救世主ですと名乗る方達の多くが自分は七次元界出身と言われるように、七次元界と八次元界とではそこに霊界の【層】があると見られることからです。イエスはその層を突破出来ていないなのです。
悟りを得たお釈迦様は、【自分は二度とこの世には生まれ出ない。】と告げられたとされますが、そこには【七次元界】を抜けられたがあるのです。
七次元界を抜けることで、自分は二度とこの世に出ない
日月神示の岡本天明師から【一二三(ひふみ)】【三四五(みよいづ)】【五六七(みろく)】の次元界説が出されましたが、その上にある【八九十(はくと)】の次元界の存在が出されなかったがあります。三と五と七はダブル霊界で横に渡れますが、七から八に行く道は切れているのです。そこまで論理を進めるには、イエスを超えた世界の説明が必要となるのです。
識界レベルの判定として創造神が第十識界とするとお釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。ムハンマドは第四識界とする説があり。イエスもムハンマドはお釈迦様のレベルには到達はしていなかったと言われています。
私は数少ない【新地球】の存在を述べる者ですが、この新地球とはスピリチュアルで語られる【裏地球】とか【平行宇宙】で隠れた地球が存在するの話では無く、その星には今日まで誰も住んでいなかったことにより霊的にも何も解っていない星とされています。つまり神々ですら、その新地球(みろくの世)のことはよく知ってはおられないなのです。するとそれは裏地球とされる星の話では無いなのです。
神々ですら行ったことが無い星のことなど解るはずが無い
ただ最近になってその弥勒世に渡る門が開門したことにより、一部の霊能者からその弥勒世の一端が告げられるようになって来ましたが、スピリチュアル標榜だとイエスの愛の教えに凝り固まっている為に反イエス(六六六)である【みろく世】のことは解らないと言えます。
西洋の神智学者達は、最高レベルの識界から人類界に降り立つ存在を【マイトレーヤ(弥勒菩薩)】と呼ばれる存在と見ていたのですが、本質的にお釈迦様の直弟子に【マイトレーヤ(弥勒菩薩)】たる存在は過去に人としては出てはおらず、この【マイトレーヤ(弥勒菩薩)】とはその姿を人類の上には見せていなかった万物の創造神と呼ばれる【神の仕組み】の関係上の架空の存在であったなのです。これらもそうした西洋の神智学者の背後に居る霊達を炙り導き出して、世に明らかにする仕組みと言えます。
大本教から【みろく大神】が世に出されて、大本教の出口王仁三郎聖師がその【みろく大神】の型を演じられましたが、これは大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)は、五六億七千万】の数字の秘密を解き明かせなければならなかったからです。その五十六億七千万が解らないと、八次元界以上の識界のことが解らないからです。
五十六億七千万の数字には、それだけの意味がある
単に思いつきの数字で【五十六億七千万】の数字が出されたのではないのです。大本教の出口王仁三郎聖師は地球が出来て五十六億七千万と間違ったことを言われましたが、地球の誕生とは関係が無く霊界の所在からです。それを知るには【龍宮の乙姫】を知る必要があったなのです。ここまで綿密に組み立てられているのかと驚くべきことなのです。
その大本教から、国常立尊の世の立替に【白狐は下郎の役で奉仕する。】が出されました。世の大立替に入った時、国常立尊は【白狐】と呼ばれる存在を使って人類の救済に入られるなのです。龍と呼ばれる存在は巨大な力を持った存在であり、個々の人のレベルを救うとなれば白狐的存在が向いているとなります。
稲荷神界は狐の世界で、キリスト教では説明が出来ない
稲荷の【米】に秘めた人類救済法
世の大立替を宣伝した大本教は日本で創造神とされる【国常立尊】は、その性格が厳しかったことから、神々から鬼と嫌われて神界の主宰神の座から多数決によってその座を追放されたとしました。それは今から【三十五万年前】としましたので、今の人類がそれを歴史的に知ることは出来ないのです。そこで【霊界物語】となりますが、この世だけを見ていれば霊界のことは解らないのです。
ただそこに最高神の座から追放された神なので【引退の艮(ウシトラ)金神】の名が生じたなのです。
が、【艮の牛虎で鬼と云う魂】の総親神とも示された
私は鍾馗神の御案内で中国で天子とも創造神ともされる【盤古大神】に拝謁して、大本教から出された仕組み(世の大立替)の背景を探ったと言えます。大本教の霊界物語にこの盤古大神は【木星神】と記載されたことから、ローマ神話で世に語られて来た【ゼウス】とか【ユピテル】に当たる神だと解ります。西洋では【ゼウス】を最高神として仰いでいるのは事実と言えます。
大本教から予告として出された世の大立替とは、この宇宙開闢以来の大立替と予言されたこともあり、自分個人の幸せを祈っている様な話では無いと言えます。その背景に【何が在るのか?】です。
地球は宇宙で唯一の【魂の更生(甦)場】の側面を持つ
私は神霊界修業の中で大本教神諭にある【ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にする仕組み。】の存在に気づきました。
霊界を見渡すと、ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にした
スピリチュアルの99%は、霊的汚れの浄化をしなかった
スピリチュアル標榜者のお題目は、【神は愛だから何をしても神の愛で赦して下さる。】で、自分が霊界の掃除たる浄化をせずに汚しに汚しまくった。
スピリチュアルで、霊的浄化をした人が世に幾人居る?
ほとんどは口先だけで、何一つ祓えずに清めてもいない
ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にするが解っていなかった
スピリチュアルの世界では自分が霊的汚れを祓いました。清めましたと豪語されている方は多数あります。しかし霊的な汚れとは、神社に行けば神主が祓い串で祓いました。清めましたと言われる様な言葉で片付くような話では無いのです。
誰しも【カルマ(業)】と言う言葉そのものは聞きますが、実務派の霊能者であればカルマ(業)はそんな簡単に祓えないと知ります。何故ならば人は自己の過去の罪を洗う為にこの世に降りて来ているのであり、その過去の業(カルマ)が噴き出した時の災いを知るからです。人のカルマが集約されると天変地異につながる。それは自分が勝手に取れるような安易な物では無いなのです。
神社の祓い串で祓える霊とはチリや埃の類の霊的な汚れであり、罪と呼ばれる事柄に起因した【罪悪の祓い】では無いなのです。
人が積んだ魂のカルマとは、神社の祓い串では祓えない
この世の天変地異は、人類のカルマの吹き出しとされる
私は二番目の師匠であった言霊師の方から【おまえは霊界の霊的掃除をしているバキュームカーの様な存在だ。】と告げられましたが、一銭の金にも成らない霊界の掃除屋として取り組んで来ました。しかし私の力だけでは霊界の汚れが完全に清まるだけの力は、多勢に無勢で祓えるだけの力を持ってはいません。
霊界の汚れは龍男龍女と呼ばれる存在が浄化をして来た
その症状は、霊的汚れを吸って下痢を起こす。異常に眠る
スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と言って霊的世界の見聞は出来ても、霊的世界の汚れの拭き掃除に助力して来なかった者はいくら霊的な世界が見えたとしてても、誤った道を目指したとなります。
スピリチュアルの神は愛だから何をしても神の愛で赦されますなどの論理は、冥府の閻魔庁の存在を何一つ見ていなかったなのです。キリスト教の様に冥府の長官は【サタン】だと言っていれば良いのか?。なのです。スピリチュアル標榜で神は愛だから何をしても赦されると言っている人は、閻魔庁の存在を見たことが無いなのです。
閻魔庁の羅城門を何故に【来世門】と呼んだのか?
人は生まれ変わるの輪廻を司ったのは【エンマ庁】
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朝鮮半島に残されていた予言に最後の審判前、救世の為に【米】一字の教えが起きる。その【米】一字の教えに従った人達の上には天罰は降りないが、そうで無かった人達の上には天罰が降りると云う不思議な予言が存在しました。そんなたった【米】一字の漢字で救世の教えが出来るのだろうかと?。と取り組んだところ、それは大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】を解き明かすことでした。
その最後の審判の裁きから救うとされる救世の為の米一字の教えが終わったことで、西暦2020年に【地獄の釜の蓋開け】の霊映像が出てきて、世に大きな菌の災いが出てきました。ようやく菌の騒動が終わったかと最近の世を見ていると、これまでは闇に隠れていた悪が、これでもかこれでもかと噴き出して来ています。こんな状態はこれまでは無かったことです。それはまるで大本教の【神が表に現れて、善と悪とに立て分ける。】が起きている様に見えます。
そして新年早々。能登に大地震が起きました。被災に遭われられた方達にはお悔やみを申し上げます。日本は火山が多いことで解る様に地震国です。為に地震は日本国中どこに住んでも免れない事象ですが、能登に起きる地震には霊界の【型】があり、私が霊世界から受けた事柄に能登には【龍が登る働きの龍登】があるでした。で、龍が登ると出た能登は他の場所より注意をしていたがあります。その能登に辰(龍)の年の元旦に辰の動きが起きたことは、偶然なのか?。
神社に鎮座される神にも止められない地震とは何か?
スピリチュアルの世界では、霊的災いが起こす事象を自分が祓ったと豪語される方は少なからず居られます。ならば大地震も来ないように祓えるはずですが、そうした方達の霊力で地震が起きなかった、自分が大地震が起きないように鎮めたという話はありますが、証拠として他の霊能者からそれが認知されたの話はありません。世紀の預言者と言われた大本教の出口王仁三郎聖師でも、関東大震災の予言は言えても阻止は出来なかったがあります。
そこには神社に鎮まる神霊でも地震を阻止することは出来ずに、事前に自分を神と仰ぐ信徒達をその地から逃がすなのです。私が神霊界修行をお世話になった豊受姫も【阪神淡路大震災】を御代たる方に事前に告げられて、その豊受姫を仰いでいる信徒だけに告げて事前に逃げさせられたがあります。
創造神は大地が沈むような大地震から人類を逃げさせる
私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて私に告げられたことは、【私はこれまでの世を閉めて、人類を永遠に嬉し嬉しの新しい世に渡す。そなたはその時の光景を見て、それを新しい時代の歴史書に書かなければならない。】と告げられたことです。
私は戦後生まれですが、当時の日本は太平洋戦争に負けて疲弊していた時代でした。日本各地に白衣を着た傷痍軍人と呼ばれる人達が物乞いの為に立っていました。国の為に傷ついた傷痍軍人の人達の生活の面倒すら見られない貧しい国。それがこの日本だったのです。
最初の東京オリンピックがあった昭和39年、東京の上野駅の通路には未だそうした傷痍軍人の人達の姿が見られました。もし東京にオリンピックが無ければ、そうした光景はもっと続いていたでしょう。今の若い人には解らない貧しかった時代です。世界で貧困貧困と叫ばれていますが、今の貧困とは度合いが違ったと言えます。そんな貧しい時代なのに、霊声に永遠に嬉し嬉しの世と言われてもまるで雲を掴むような話です。
そんな大事が実際に起きるなど、いくら子供で在ってもとても信じられる様な話ではありませんでした。それで私はその声の主にに対して、【それは何時のことなのでしょう。私がその日まで生きている保証などどこにあるのでしょう。私が何時、病や事故で死ぬかも知れないでしょう。】と返したのです。
するとその旧約聖書の神と称する声は、【それは何時のことなのか?。その日時は言えない。ただ間違いなく言えるのは、それはそなたがこの世に生を持って生きている時に起きる。そなたはその時の光景を見て、この世を去る。私はそなたを「最終の者」と定めた。そなた以前にそなたが説く様な内容を教える者は世に出ておらず。そなたの後にもそなたが説いた内容を教えられる者も出ない。そなたが説く教えは、そなたを持って終わる。そなた一代限りの教えで在る。】と告げられたなのです。
私が説く教えは、私一代限りで終わる教え?
人に内在する良心神は、最後の審判で終わる
私はその旧約聖書の神と名乗る声が私に告げられた内容を信じたのではなく、本当にそんな永遠に嬉し嬉しの世の到来が来るのだろうか?。私は単に旧約聖書の神と名乗る声に欺されているのではないだろうか?。そうした疑念から神霊界修業に入ったと言えます。そこで伏見稲荷山で修業のお世話になり、豊受姫から【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方です。貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)に等しい物。】と告げられて、大本教神諭に示された【神三千年に渡る仕組みとは、日本語と呼ばれる言葉で組み立てられた仕組み。】と解ったしだいなのです。
仏教では全宇宙を指して【三千世界】と言います。その三千世界とは私達が今住む世界を一つの世界として、そうした世界を千個集めた世界を一つの世界とする小千世界が在り。更にその小千世界を一つとする世界を千個集めた世界を中千世界と呼び、その中千世界を一つとした世界を千個集めた大千世界が在るとします。すると千✕千✕千の十億個の世界が在ることになります。
実際にそんな十億個もの世界が存在するのか?
それは途方もない話で在って、それは真実なのか嘘なのか解らないと言えます。
旧約聖書の神と称する声の主は【人が死後に渡る世界(霊界)は実に膨大な数の世界が在り。人の身たる物が全霊界を語ることなど出来る物では無い。人の身が死後の世界のことは知った被りで説いてはならない。】と注意を受けていました。
私は自分が見聞出来た霊世界の内容は霊界の僅かな部分であるでしょうが、それでも実に多彩な世界を見たと言えます。実際に漫画家水木しげるさんが書かれたゲゲゲの鬼太郎の様な妖怪の世界もあったからです。
京都の伏見稲荷山には【豆ちゃん大神】と呼ばれる小さな神様を祀った御塚も存在します。豆粒の様な神様も存在しているのです。自分は凄い霊能者だと豪語している人でも、その人が知る霊界とはほんの僅かな部分にしか過ぎないと解りました。その人がいくら優れた霊能力者でも、本人が体験していないとそれを無いと言います。人の身は断言したら間違うのです。
霊能者も自分が見ていないと、否定論に走る
霊的世界の事物は絶対に無いは断言出来ない
私は神霊界の一部分に過ぎないでしょうが見聞して来て、蛇霊、狐霊、狸霊、猫霊と呼ばれる存在。天狗や龍神と呼ばれる存在。そして仙人や西洋で天使と呼んでいる存在。妖怪などの諸々の存在を通して、大本教神諭が告げた【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水)】が何を語るのか?。が解って来たと言います。
私の元には自分が創造神です。自分か救世主です。自分には一億騎の白龍神が就いています。自分には何百万もの黒龍神が配下として従っています。そうしたことを言って来られる方達が多数ありました。その方に一億体の白龍神が就いておられようが、何百万の黒龍神が従っていようが、神霊界は最終的には力で決まると言えます。
神霊世界は自分に力が無ければ、他に従わざる得ない
問題は全宇宙を支配する力を持った神は存在するか?
誰しも不思議に思うのは万物の【創造神】と呼ばれる神が存在しているならば、全霊界は一つの神の名の下に在らねばなりません。大本教の神諭に末で世界の宗教は一つの川の流れのように集約されるとありますが、世界はキリスト教やイスラム教やヒンズー教や仏教などに分かれ、キリスト教でも新教と旧教が在り。イエスを御本尊とするキリスト教には派だけでも千派以上在ると言われています。日本における仏教でも多数の派に分かれているのは周知の事実です。
皆、バラバラなことを言って、自分が所属する派の覇権争いをしているだけであって、真理を追い求めているではありません。
今の世からみろくの世への立替を宣伝した大本教から、【神が表に現れて、善と悪とに立て別ける。】という大宣伝がなされました。しかしそうした宣伝はなされても、現実に善と悪とが表に現れて来るは起きませんでした。
これまで隠れていた善と悪とが大きく浮かび上がって来た
もう悪は赦されない時節となって来て、二つに別れて来た
西暦2023年は右左岐(卯)の年で、魂が二つの世界に別れて行く選別がなされていましたが完了したと言えます。自分は永遠に嬉し嬉しの弥勒の世に進む側か?、それともこれまでの世に残る側か?。それはやがて個々の魂に通知されるでしょう。その時が永遠に【左様ならば】サヨウナラとなります。それは私がどうにかして差し上げましょうと言える様な事柄ではないのです。
私達は別れの時に【サヨウナラ】と言う言葉を発していましたが、どうしてサヨウナラと言うのか?。知ることはなかったと思います。サヨウナラは【左様ならば】から来た言葉なのですが、意味することは【それならば】の意なのです。
今はインタネットー上から消えてしまいましたが、一時期【ウシトラコンジンのトドメのフミ】と呼ばれる予言文が出ていました。その中に【左様ならば、サヨウナラぞ。】ともありました。左に進めば破滅的な道に行くぞなのです。
私は最後の審判に関して、下記のY路標識を幾度も見させられました。そしてそこに出て来たのは【右の道】を選べです。絶対に【左の道】を取るな!。左の道を取れば、やがて破滅の道を行くです。
神は愛だ!。神は何をしても赦してくださる。愛!。愛!。愛!。ばかり言っている者達は愛を具体的に実践しない悪党達の永遠の教師として、二つに別れる世ではその悪党達を愛の教えに目覚めさせて、愛を実践できる様に残される今の世界で【愛】の教えを永遠に説きなさいで、悪党達が集まる地獄的世界に行かされるなのです。
何故ならば愛ばかりを言っている人は、いくら良心神の存在を教えても愛の言葉に狂って聞く耳を持っていなかったからです。神は愛だ!。を説く者達は最後の審判で悪党達が住む世界に行って、その悪党達を自分の愛で改心させない限り、永遠にその世界から出られなくなるのです。それが二つの世界に別れて行く隠された意味でもあったなのです。
艮に秘められた言葉の謎は【良(ラ)】を隠していた
左に進む者は、根っからの悪党と神は愛だ!の連呼者
右に進む者は、右に倣えで頭(唯一神)の存在に従う者
私はそれほどの数ではありませんが、宇宙の軍団が宇宙総統に対して【頭、右】で行進している様を見て、頭は左でなく右とは何を意味するのか?、と考えていた時期があります。
スピリチュアルと称して、神は愛だから何をしても赦して下さる。そうしたことではみろくの世には進めないなのです。何故ならば永遠に嬉し嬉しのみろくの世に進む者を選別するのは、大本教で予告した【神が表に現れて、善と悪とに立て別ける。】と大宣伝されたのは【閻魔大王】の裁きだからです。
最後の審判は【閻魔大王(国常立尊)】自らが別ける審判
閻魔大王=国常立尊(天之御中主)が解らない霊は迂闊
私は霊能者と呼ばれる様な相談者の前世を見て、占いが出来る様な霊能力を持った者ではありません。しかし子供の頃に私に臨んでいた旧約聖書の神と名乗る声は、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。そなた一人にはその仕組みを見せるので、そなたはそれを世に告げなさい。】と命じられた者と言えます。
その為か?。私の前に現れた大本教の出口なお開祖に人類の歴史上、最高の予言者と言うべき出口王仁三郎聖師の両名。その出口なお師が霊媒者を通じて私に言われたことは【大本教はまな板の上の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第。】と告げられて、大本と呼ばれる宗教の演技には何かが秘められているのかと料理したなのです。
そこには私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と名乗る声が私に告げたある言葉があったからです。その言葉とは【この世と呼ばれる世界を舞台にした私の筋書きは、神々や人民が知ることでは無い。この私だけがその筋書きを知っている。そなたも私の筋鍵を知る者では無い。神の世界の舞台に立つ役者は、この私の筋書きを知らずにその筋書きに沿って演じなければならない。その神の舞台の観客は神々で在り。人民で在る。】
大本教神諭を読みますと【世に出ている神々や人民が知ることでは無い。】と、私が旧約聖書の神と名乗る声から告げられた同様の内容が有り、実際に世に出ている神々に当たっても、【世の立替?。そりゃ何じゃ!。】となります。スピリチュアル標榜の方達からは【世の立替】論が出ることはまずありません。
一部の霊能者の方の中には、貴方(私)の背後には万物の創造神と呼ばれる様な神の存在が在ると告げて来られます。しかしそうした声も私が何の霊力も持たないと者と解ってくれば、自然と消えて行きます。
私が幼い頃に臨んでいた旧約聖書の神と名乗る声は、【私はそなたに何の力も与えない。為にそなたが説く内容をバカにして来る者達が続出するであろう。何の力も示さないそなたの教えに従う者達は、この私が創る永遠の嬉し嬉しの世界に行く。】と告げられたなのです。
大本教で演じられた神の舞台の裏には創造神が存在する
最近、世の中の様子を見ていると次々と諸悪が浮かび上がって来ています。今までには考えられない状態です。そしてもう一つにこれまで霊的世界に関わって来た人達の引退が出て来ているなのです。
スピリチュアルで金儲けしていた人達の一線からの退きは
その霊能者の背後に居た霊達が、その力を失って来た
スピリチュアルの世界では未だスピリチュアルは儲かるで、その勢いは完全に衰えているとは言えませんが、金儲け主義では無い者達による霊世界の正しい発信、またヒーラーと呼ばれている病気治しの分野で活動されていた方達の活動が弱って来ているがあります。
私が説いていることは単なる【法螺話】的なことなのか?。それとも日本語にこんな仕組みがしてあったのかと驚いて万物の創造神と呼ばれる神の存在を認識するか、それはまったく違った道とは言えます。
これまでは龍の力で隠せた悪事も、表に出されてしまう
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人は十人十色と言いますが、人の魂も十人十色
そこには美しい玉と汚れた玉の持ち主がある
日本語の霊は英語では【スピリット】の言葉になりますが、西洋の教えはソウルとスピリットの区別の説明はかなり曖昧と言えます。日本では【霊魂は霊と魂】の合体です。
魂は肉体の【心臓】の部位に宿り、霊は【血】に宿る
西洋の宗教ではそうした事柄の説明が希薄と言えます。日本だと【心は心臓に在る】と言葉でも解っているのです。
私は日本神道界で神霊界の見聞をさせて頂きましたが、西洋で天使と称して出て来る存在は比較的新しい時代に出て来た者達と思われます。為に彼らは宇宙創造に関してはほとんど知らなかったのではないでしょうか?。もし知っていれば、イエス一人が主の一人御子等とあり得ない事柄を言ったりしていないはずなのです。
そこに西洋から出た天使と称している者達の正体には、疑いを持つ必要があったと言えます。
人類の起源はアフリカの高山から起きた猿人の様な物だと思ってしまいますと、神と呼ばれる存在も魂と呼ばれる玉の存在も人の体を解剖して探しても見つからず。まして人の魂が輪廻転生しているなど、どこをどうやっても科学や物理学の要素からは見つけることも調べることも出来ません。
ノストラダムスの予言詩と呼ばれる中に、【西洋の人がいくら待ち望んでも西洋からは現れない東洋の叡智(深遠な道理をさとりうるすぐれた才知)の飼い葉桶。】がありますが、私は日本では神は龍蛇だとか狐(稲荷)だとされている中で学ばさせていただいて、日本の言葉はそうした世界を教えていることに驚きました。イエスや聖母マリアを信じていればの西洋のキリスト教の教えでは、永遠に神等理解出来ないだろうと言います。
宗教が説く魂と呼ばれる存在は、科学的には立証不可能
しかし、人は【心が苦しむ】を体験出来る。その心とは?
そして神を知るということは、人であった存在を見て神だとするような感覚では神とは実にちっぽけな存在と言えます。人して出た存在が、私を拝めば天国に案内すると言う天国そのものが説明出来ているのかなのです。単にお花畑では済まないのです。現在の霊学では天国と言っても第一天国界、第二天国界、第三天国界の三層天国の上に、創造神と思われる神が存在する世界が在りそうだと解って来ました。それらはキリスト教のイエス一人を主の御子と信じればの天国界とは違っているのです。イエスその者がそうした世界を知ってはいなかったなのです。
大本教の神諭に【人には神とも成れる魂が授けてあるにも関わらず。】がありますが、
人は神世界の一員に成れるが、万物の創造神ではない
私は稲荷神界で神霊界修行のお世話になりましたのでよく解ったのですが、稲荷神界は病気治しや現世御利益が主体でした。多くの人は自分の病気治しをして貰ったり、現世御利益を授けられればそれで良しとする向きもありますが、私が神霊界修行の中で疑問を抱いた事柄とは、未だ来てもいな時期に未来に起きる出来事を【予告】して、その予告の内容が実際に起きることです。
私の稲荷神界での修行の世話をして頂いた豊受姫は、【阪神淡路大震災】や【普賢岳爆発】等を事前に伝えられました。その豊受姫の御代をされていた方が東日本大震災の時にも生きておられたならば、その口から東日本大震災の事前予告もされたであろうと言います。
神霊の中には、事前に予告が出来る神が居られる
されど上位の御神霊は、誰彼にと情報を流さない
大本教の出口王仁三郎聖師は未だ起きていない出来事を事前に告げて、その内容は驚くほど当たっていたことは知られています。巷で自分が創造神だとか救世主だと称される方は後を絶ちませんが、そうした方で大本教の出口王仁三郎聖師を上回る予言を出して言い当てられた方は存在していないと思われます。
世に未だ来てもいない出来事を事前に予告して、その事柄が実際に起きたことが予言者と呼ばれる方の予言なのですが、今日まで数々の事柄を予言して言い当てて来た実績では大本教の出口王仁三郎聖師を超えている方は一人も居ないでしょう。
その出口王仁三郎聖師の予言として戦前に広島や長崎に新型爆弾(原子爆弾)が落ちて火の海に成る。その後に黒い雨が降ると予言されて、広島や長崎という地名のみならず広島には原爆投下の後に黒い雨が降って、その黒い雨に当たった人達が原爆症になったことで、その日はお天気で有ったことから黒い雨など降るはずが無いとする国との間で裁判が起きました。そして裁判では広島には黒い雨が降ったと認定されました。
私は伏見稲荷神界で修行のお世話になり、病気治しや現世御利益を授けるは稲荷神信仰の特徴であって当たり前と言います。そうした中で市会議員選挙のレベルの予言だとその立候補者に何票の票が出るの予告がなされて、その票数が出るがありました。そこには白狐達を動員して、当選に必要な選挙の票を獲得させるです。しかしそうしたレベルの予言と、国家間における戦争等の予言とではレベルが違いすぎるとなります。
大地震や大噴火が事前に予言され、それが当たるがある
人類は原子爆弾と言うこれまで体験したことが無い新型爆弾の登場のみならず、大正時代に出された大本教の霊界物語には現在のテレビやスマホのことだと解る様な内容も予告されています。
大本教が予告した内容は百年近く経って、ようやく現れた
百年以上前に予告された神の【立替】は起きるのか?
大本教の広島や長崎に新型爆弾が落とされて火の海に成るの予言が当たったことは知られていますが、そのことに関して【広島や長崎に新型爆弾が落とされて火の海に成る。】と解っていながら、神はどうしてそれを阻止しょうとしなかったのだ!。艮金神国常立尊は悪神であるなどの感情論が起きていました。
そこには【神とはこの世に住む人民に幸せを与える者だ。】と言う、この世の意味を間違えた論理が走っていると言えます。
日本に原爆投下が解っていたならば、止めるのが神?
そこに誤解があるのは、一部の霊能者達が語る【この世は宇宙の魂の刑務所の様な場所である。】なのです。すなわち自分の魂を汚したことにより、日本神道で語る根の国・底の国(地獄界)に落とされている者達なのです。
そしてもう一つの要因として【国魂(国玉)神】と呼ばれる存在です。世界の人民で言葉が違っている。神は唯一であるならば、どうして世界の人々で使う言葉が違っている?。その疑問に突き当たるべきなのです。白人は日本人をイエロー・モンキーとかバカにして来ますが、人種によって肌の色が違っている。そこにも何故なのか?。がなされなかったのです。
神の世界から見れば、この世は根の国・底の国(地獄界)
元の天国に帰れない魂が輪廻転生の旅を続けている
スピリチュアルに見られる【神は愛だから、何をしても神の愛で赦して下さる。この世は遊ぶところです。人は自由好き勝手に生きればいいのです。】などの論は、日本の江戸時代において罪の贖いとして八丈島に島流しがありましたが、魂に罪を背負って地球と呼ばれる星に島流しになっている自分を自覚しないで、神は愛の権化だとする誤った感覚の弊害論なのです。
それはキリスト教のイエス一人が創造神の御子だと信じる者は、何をしてもイエスが愛で信徒の罪を被って(背負って)下さるで、イエスを一人を生け贄すれば良いの論を信じているなのです。
誰かに自分の罪の償いを押しつけ、その罪を償わない
そんな論で天国界に行けると思うのは、浅はかそのもの
仮にも霊的世界を見聞できる能力があることからスピリチュアルの言葉を呼称するのであれば、世紀の予言者として名高かった大本教の出口王仁三郎聖師が告げられた【地獄を覗けば牧師で一杯だ!。】の地獄界を覗いておくべきだったのです。地獄界を覗けばキリスト教の牧師のみならず、多くの宗教家もまた地獄界に落ちているのが解るのです。
地獄界には、この世で自称救世主や宗教家達が一杯居る
そこに見られるのは罪の償い論に、贖罪で罪を売り買い
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【自分が犯した罪分は、この世で自分が払わなければならない。他の者に自分の罪分を押しつけてはならない。自分が他人の罪分を代わろうとするのであれば、自分が過去から積んで来た徳分の中からその徳分を吐き出さないと行けない。】と言われて来ました。すなわちそこには魂の輪廻転生の過程の中で積んだ【借金返し】が念頭になければならないのです。
他人の罪を自分が被る場合は、自分の徳分から支出する
イエス一人に罪を負わせる犠牲論は、真実に蓋をした
イエスが見せた奇跡の数々は【龍神】と呼ばれる存在を抜きにして語ることは出来ません。それはサイババもしかりです。霊界が見せる奇跡の数々は輪廻転生が在るとすれば、それを起こす【冥府】の存在も説かれなければなりません。しかしキリスト教の教義では冥府の長官を【サタン(悪魔)】扱いにしており、そこには【悪魔】の定義がなされていません。
キリスト教ではイエスの教えと違うことを言う存在が悪魔(空く間)で、仏教と比較すると真理が説かれていません。イエスの教えには間違いが多数存在しているのです。無論、日本においても国常立尊は鬼門の艮金神とされ、節分の夜にはその異相の存在たる冥府の長官は閻魔大王のことだとしても、悪を取り締まる牛頭虎パンツの配下の邏卒達は【鬼は外】と炒り豆をぶつけられているなのです。
誰しも節分の夜に炒り豆をぶつけられている鬼達とは、悪鬼と断りを入れなければそれは閻魔庁の邏卒達だと解っているはずです。それを知らなかったは無いでしょう。何も考えないお気楽からです。
悪魔とは、魂の【核(良心の働き)】を空く間化した
日本神話では伊弉冉尊が【黄泉の国】に旅立ち、伊弉冉尊を黄泉の国(冥府)まで追った伊弉諾尊は伊弉諾尊の配下の醜女達に追われて、黄泉(よもつ)平(比良)坂で桃の実を投げることで天人界に戻る黄泉帰り(甦り)が説かれていますが、その甦り(黄泉帰り)には新しい魂に誂える【桃の実】の存在が秘めてあるのです。
大本教から明治五十五年の世の立替説として、三月三日の【桃の花】。五月五日の【桃の実】が出されました。意味することは誂えの桃。挑むにある【兆】は【二つにはじけて割れる】時で
世界は二つに別れて、新しい世界に入る魂は誂えられる
ただ魂と呼ばれる存在は誰でも新たに自由に生み出せるではありません。既存の魂の分裂で魂そのものは増えて行きますが、それは分裂であり、新しい魂を生み出せる神とは【鬼と云う】存在で、大本教から出された牛虎(ウシトラ)金神には魂を生み出す(新しい命を生み出す)神の意味があるとなります。
キリスト教はイエスは処刑後に蘇ったで、冥府(霊界)の存在の教えは皆無に等しいがあります。為にキリスト教の信徒はこの世を去った後にイエスが再来する日まで、どこに居ればいいのだ?。の論理となり。そこに教えの矛盾が生じてしまいました。既にイエスがこの世を去って二千年以上経過しているのに、未だに神の【千年王国】論にしがみついていると言えます。
キリスト教にも仏教の様に神の御国(みろくの世)の到来の日まで【輪廻転生】の教えが存在していれば、その日までは流転という教えも出来たのでしょうが、あまりにもイエス一人だけを神の御子とする間違った過大評価な教えをした為に、キリスト教徒は逆に天国への道が難しくなったがあります。
私達日本人は神社などに参拝すると、そこで病気治しや現世御利益を受けることから神の存在を認識するはありますが、大本教から【人には神とも成れる結構な魂が授けてあるにも関わらず。】と出された事柄に関しては認識しているではありません。
多くの人が神社に参るのは現世御利益を貰えることが主眼であり。自分自身が神と成れる【神の子】等、あり得ない話としか理解出来ないのです。
大本教からこの世は【天人の苗床】と出されたが
そもそもその【天人】とは如何なる存在なのか?
この宇宙を創ったのは【火水(かみ)】と呼ばれるエネルギー体で、その宇宙創成のエネルギーの体の流形たる姿を【龍神】と言うのです。その龍神が宇宙を創成した後に、その流体(龍体)を脱いで人型に変化した存在を初発の【天人】と呼ぶなのです。
日本神道系で説く【本守護神】とは、その【天人】達
その次元格としては、【八九十】次元の段階とする
私達人類の魂がこれから向かおうとしているのは、その【八九十】の段階ではなくて、俗に【五六七(みろく)】の世と呼ばれる段階なのです。この世と呼ばれる私達が住んでいる世界は岡本天明師の日月神示(ひふみ神示)に【三四五(みよいづ)】とされている三次元・四次元・五次元で構成された世のことですが、その世は間もなく終わるなのです。
しかし、
仏典に龍女の解脱が無かったなら、天人の関係が不明
最近、これまでは一線の霊能者として、病を治すヒーラー型霊能者として活動されていた方達のリタイヤが進んでいます。これまでに無い出来事が見られます。そこには神霊世界に大きな変革の兆しが現れたと見られます。特に顕著な変化が龍神界に見られると言えます。それは【威風堂々】と列をなしている龍神達の存在です。それらの龍はこれまでのどこかの神社に鎮まっている神霊の配下の龍とは別物と言えます。
これまでの龍神界の龍神達は、その体に憑いた汚れが洗いきれていません。そうではない汚れを洗い終えた龍神達と言えます。
いったいどこの龍神達が現れて来たのか?
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そうした龍を見た人達が絵画に龍の姿を描いて残し、彫刻に掘ったとも言えます。もし龍が霊的世界にも存在していなければ、これほど姿が一致した絵や彫り物も存在しないでしょう。
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する霊の声を聞いておりましたが、自分が実際に神霊世界に修行に入る迄は世に龍神と呼ばれる存在は寺院の天井や襖絵に描かれる龍の姿や神社等の彫刻に掘られた龍の姿をした様な蛇系の存在だとばかり思っていました。
当時伏見稲荷大社の信者組織である伏見稲荷大社講務本庁の婦人部長で豊受姫の御代をされていた砂沢たまゑ師とその支部講の幹部信者さん達と丹後半島の伊根の漁師民宿で催された少人数の忘年会に出席していたところ、私の横に座る砂沢師に若い男性姿の霊が入身して砂沢師の肉体を借りて酒を飲んでいると解りました。
砂沢師は通常見られるスピリチュアル標榜者とは霊格と呼ばれる物が違い。荒行を積んだ完全型霊媒者で、その肉体は豊受姫や諸々の御神霊を降ろすことが出来る超一流の霊媒体質者で、当時は稲荷行者としての実力は?1とも?2ともの呼び声が高かった方です。
実践派の霊能者としては、スピリチュアル界の大御所と自認されている江原啓之さんを遙かに上回っている霊能力の持ち主と言えました。その肉体に神霊と呼ばれる存在が降下すると、不思議な神力や霊力を発揮出来るのです。そうした奇跡力の現出の大型版がナザレのイエスやサイババの様な存在だったと言えるでしょう。私は稲荷神界を通じて、イエスやサイババの奇跡の裏に何があったのかが解ったと言えます。
全てのマジックに種があり、神の奇跡にも種が有る
行者の世界を見て来ますと、スピリチュアルを標榜する人達の霊能者としての実力には首を傾げる面があります。単に霊が見えるだけでは、当たり障りの無い世界を語っているにしか過ぎません。テレビ番組のオーラの泉で江原啓之さんは俳優の宇梶さんに憑いていた霊に倒される醜態を演じられましたが、霊世界では【死に神】と呼ばれる様な人を殺しに来るような霊も存在しています。一歩間違えれば自分がそうした霊に殺されるがあるのです。自分ほど凄い霊能者は居ないと豪語する方で、生き霊で私を殺しに来た方もありました。
行者が関わる霊界はそうした殺し合いをしている様な世界なので、自衛の為に霊剣等を保有する必要があります。また世に神々や天使と呼ばれる存在もそうした霊剣を携えています。そこには何故?。がありますが、それは霊界には剣で切った張ったがあるからです。何故に行者は自分を守る為に印を結びのか?。霊と殺し合いをする為の霊剣を持つのか?。霊的世界を甘い言葉でお花畑と言っていたならば、自分が霊に倒されるなのです。
霊的世界には霊と霊が戦いぶつかることから起きる【ラップ(騒霊)音】現象がありますが、玉と玉がぶつかると一瞬にして花火の様な大閃光が走ります。それを持ってその玉の命を終えるです。霊界には霊界の光があるのですが、三次元世界の私達にはそうした霊光が見えないがあります。
霊と霊がぶつかるとラップ(騒霊音)現象が起きる
行者は九字と呼ばれる印を結び、霊達の攻撃を防御する
その豊受姫が自分の御代として使う霊媒者の肉体に豊受姫や大国主命と呼ばれる様な世にその名を知られた高い御神霊ではなく、一見して未だ若い人間界で言えば高校生の様な神霊がその肉体に入身して酒を飲む?。私は一喝して追い出そうかと思いましたが、何者が豊受姫の御代たる砂沢師の肉体に入っているのかを調べようと、逆に酒を奨めてぐいぐい飲ませました。するとその顔を隠すようにして酒をぐいぐい飲みます。しかし私に対して一言も発しません。ただ酒が飲みたいだけの霊か?。
砂沢師は酒は下戸なので、酒は神霊が入身しない限り飲まれることはありません。なのにぐいぐいと飲むなのです。それは砂沢師の肉体が飲んではいるのですが、実際に飲んでいるのはその肉体に入った霊なので、砂沢師が二日酔いを起こすはありません。そこで私はどこまで酒を飲むのかと飲ませたのですが、私が飲め飲めと奨めるので一升は飲んだと思われました。
その翌朝、砂沢師に昨夜先生に入って酒を飲んでいた若い男の神霊は誰でしたかと尋ねたところ、誰だかは解らなかったと言われたのですが、その足で伊根の宇良神社に参拝されたところ、木綿の様な質素な服装で高校生の様な若い感じの男の霊が現れて【自分は伊根の宇良神社の末席を汚す黒龍神で、まだ若い黒龍神なので満足に酒を飲ませて貰っておらず、勝手に宴会の席に押しかけて貴方の横に座っていた男の方からたらふくにお酒を頂きました。】と感謝の言葉を受けたと言われます。
霊媒者に龍神と呼ばれる存在が入ると、生卵を何十ケと食べたり酒でも一升など平気で飲んでしまいます。しかしその霊媒を務めた人の腹にはそうした生卵も酒も残っておらず、本人はそれらを飲み食いしたら。あゝ、腹が減ったとなります。
霊媒者が霊媒状態で食した食べ物はどこかに消えた?
そこには三次元界と【霊界】の間に物質移転がある
私も霊媒体質で、大量の龍神に憑依されると腹がグゥーグゥーと鳴き、何かを食べるとなります。人間の腹は高天ヶ原の【原】とも言われますが、龍神浄霊は霊媒者の腹(高天ヶ原)を使用して、下痢で浄霊するがあるのです。霊が見えるとか見えないでなく、龍神と呼ばれる様な存在をどれほど浄化浄霊出来るかがその人が持つ神格に関わるなのです。
単なるスピリチュアル標榜だと、そうした自分が食べた物がどこかに行く。そうしたことは何も知らないかも知れませんが、それだけでなく肉体に発生した異物【癌】も同様に移転するがあります。癌はカルマが原因とも言われており、カルマを取れば癌は消えるとも言われています。某宗教開祖の方は末期癌を消すで、一説に七百万円とも八百万円とも言われる大金を受け取ったが癌が消えずに本人が死んだことで、その遺族から寄進という名で出された大金を返せと訴えられた裁判がありました。
が、その教団は自分達は癌を消すなどとは一言も言っていない。教団に出された大金は純粋に教団に出された信徒さんのありがたい寄進で、神様に出された寄進なので返す必要は無いと反論していました。宗教法人の教団が癌を消す等の約束で大金を受け取っていたともなれば、これは医療法に引っかかって刑事事件となります。しかし神霊界が末期癌をも消す。そうした事実があることは知る者は知っているのです。
病の原因にカルマが在り。カルマを消すで病も消える
世界の人類が平和でありますようにのスローガンで知られる白光真宏会の開祖である五井昌久師は、病は過去世からのカルマが消えて行く過程だと正しい認識を語っておられました。蛇足ながら五井昌久師は世界救世教の岡田茂吉氏の弟子の方の弟子に入り、次に成長の家の谷口雅春師の弟子に成られたのですが、岡田茂吉師と谷口雅春師はどちらも大本教の出口王仁三郎聖師の右腕左腕と言われた直弟子に当たります。そこには大本教霊学の流れはあるのです。
一部の霊能者と呼ばれる人達の中には、大金さえ出せば癌を消したり。その病を別の人に転移させる等を秘密裏にしているがあります。すなわち【カルマ】を別の存在に移転させるです。
カルマ(因業)は霊的世界の異物として、存在する
明治に入り刑法で呪詛が禁止されましたが、それ以前は呪詛として殺しを依頼された人を祈り殺すも陰で行われていました。その時には【式神】とか【死に神】等の存在を使うもあります。私も霊能者から死に神を送りつけられて病になったり、霊剣で攻撃されたりがありました。その死に神から私を殺そうとした詫びから、人を殺したい時には何時でも私を呼べ。その者を殺してやると告げられたことがあります。神霊界はこの世とは【論理】が違っているなのです。
今の神の世界とは、正義とか公正とか平等の論理が走っているではないのです。
今の神霊世界は勝てば官軍、負ければ賊軍
神の世界に誠や正義を求めても、見当たらない
それから二十年ほど経過した後、私は豊受姫の分魂を持つと言われていた女性達と神霊界の御用の旅をしていた道中で、その時の伊根の宇良神社の黒龍神と言った男の神霊が今度は青年の様な姿で私達の前に現れました。その衣装は昔の木綿の様な衣装とは違い、高価な絹物の衣冠束帯姿で出世したと思われました。
そして私と同行していた豊受姫の分魂を貰っていた女性に、伊根の宇良神社の主宰神たる御祭神が大怪我をされたが私達の手には負えない。それで豊受姫様のお力でなんとか助けて欲しいと願って出て来たと言います。私に会うが目的ではなく、私が同行していた豊受姫の分魂の女性に用事があったなのです。
豊受姫は与謝郡の一宮である天橋立の籠(こも)神社から伊勢内宮の天照大御神の食事の為に伊勢外宮に出られた神と言われており、伊根の浦島伝説の宇良神社とは関わりがあります。その青年姿の黒龍神が泣く姿を見て、その翌日に私達一行は伊根の宇良神社にその御祭神の怪我の様子を見に参拝したがあります。
伊根の宇良神社は浦島太郎伝説で知られる神社ですが、その浦島神社には龍神と呼ばれる神霊達が鎮座しているとなります。その宇良神社に鎮座する龍神の存在で、私は龍神と呼ばれる存在も人の姿形を取ると解ったのです。
世に龍神と呼ばれている存在も、人の姿形で現れる
龍神と【籠】神社。私は豊受姫で龍宮の乙姫を知った
一般的には龍宮の乙姫には日本神話の【豊玉姫】を当てる方が多いのですが、私は豊受姫に龍宮の乙姫姿を見たなのです。豊受姫は【衣食住を司る神】と言われていますが、物質界と龍宮とは密接な関係を持つなのです。
大本教から予告として出された【みろくの世】は、人民が【衣食住】に困らないように、龍宮城の乙姫殿がその財は吐き出すとなっています。
みろくの世の嬉し嬉しの財は、龍宮城の乙姫殿が出す
人は恨みや怨念を抱いて死ねば蛇霊と化すことは行者ならば語ることです。しかしその恨みや怨念を捨てると、元の人の姿に戻るがあります。人の姿を取るのか?。蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊と呼ばれる姿を取るのかは、その霊の【心の状態】を表していると言えます。すると人とは何かとなりますが、それは大本教が世に出した【人とは霊止(ひと)】であるとなります。
霊能者やスピリチュアル標榜者の中には自分には【龍神】様が就いていると言われる方達があります。それはその人を龍神が守護しているではなく、その人自身が龍神の魂の持ち主で在るがあります。
龍神の魂で人として出た存在は【龍男・龍女】と呼ばれる
世に一代で偉業を為した人の中には、龍男・龍女が多い
この世に人として生まれ出た龍男、龍女の存在は仏教や日本の新神道系の教団からはその存在が説かれておりますが、西洋のキリスト教やイスラム教世界には存在して来ません。そこにはイエスやマリアも龍男・龍女であったことを隠そうとした勢力があったなのです。
大本教からは龍男や龍女が居る世界が龍宮城で天人達の世界に準じているが、天人達の世界に進む為の【解脱】が出来ていない。龍神は神だが未だ【畜生】の部類に当たるとしています。そこには【天人】には霊力が無く、【龍人】ならば霊力が有るとなります。
龍神は神的存在で神と呼ばれるが、畜生界とされる
そこに畜生界から解脱する必要があるのです。仏教の妙法蓮華経の提婆達多品第十二には【龍宮】に関する記述が出て来ます。その中では文殊菩薩が龍宮の衆生達を導いて来ているとあります。その現代口語訳は、
文殊菩薩は【私は海中において、ただ法華教のみを説いていたのです。】とありますが、そこに龍宮城は【海中】に在るとなっています。
私達日本人は日本昔話の中で【浦島太郎が助けた亀に連れられて龍宮城に来て見れば、鯛やヒラメの舞い踊り。】している海中の龍宮城の話を教えられるのですが、霊的世界を知るならば海中にも空中にも土中にも【龍宮城】的な世界は存在しているのです。
そこには私達人間と同じ姿をした人の存在が見られるのです。しかしそれは私達の様な三次元世界の存在では無い為に、自分に霊的力がないとその存在は掴めません。為に存在しない世界と思われていたなのです。
霊的世界の存在を頭から否定する人達は仏典に【龍男・龍女】の存在が記されていても、それを認めることはまず無いでしょう。それどころか、その人自身が自分が龍男や龍女でありながら、その肉体は自分が龍男や龍女であることが解らないがあります。それはこの世に人として出る時は、過去の自分の魂の【記憶】が消されるからです。が、一部の人にはその記憶が残り、自分は龍男であったとか龍女であったであり、自分を龍が守護していることを霊的に見るとなります。
龍男・龍女でも、肉体を持つと自分が龍と自覚しない
私は霊界修行に入って、そこに龍神と呼ばれる存在だけでなく、龍男・龍女と呼ばれている人達の存在を知ったと言います。と言うよりも、私も今の人類が誕生する以前は白龍神として存在した身ではあるのです。ただ私自身は既に【龍男の身を解脱】しているのです。
そこに妙法蓮華経の提婆達多品第十二に書かれている八歳の龍女の解脱は理解は出来るですが、それがどうして【八歳】に成っているのか?。そこに疑問があったなのです。どうして十歳ではいけないのか?。にります。【八】の数字には何が隠されているのか?。
法華教において龍女が解脱する時が【八歳】に成っているのは、その【八】に意味があったなのです。何故ならば浦島太郎が龍宮城に行っていた期間とは、人間界の時で語る【八歳】では解る様な時間ではないからです。浦島太郎の伝説は短い時間と思っていたが、途方もない長い時間であったとなっているでしょう。
大本教では大本教の教祖は【七代女子の教祖で続く】の予言がなされました。今の大本教の教祖はその正統の教祖の系列では無い系列が教祖の職に就いていますが、本来の教祖の系統は既に七代の女子が誕生しています。そこに有るのは、大本教は出口一族の女子の教祖で七代続くのでは無く。妙法蓮華経の【八歳の龍女の解脱】として説かれている事項のことなのです。
それは今は七度目の世であり、龍神界と呼ばれる世界の働きによって、八度目とされる世界が開かれるなのです。
聖書は神は六日で世界を創られ、七日目を安息日とした
日本神道は、今の世は神世七代目の質(七)の世とする
大本教は大本教が発祥した綾部の大本教の土地に関して、その地を【陸(あげ)の龍宮城の館門】としました。すなわち【出口】姓は龍宮城の門の司の意味です。そこに出口王仁三郎聖師による神門の鬼(王仁)の演技もなされたなのです。
私達人類はアフリカの高山から発した猿的な存在が進化したのでしょうか?。そんな思考では霊界の存在は理解出来ないとなります。
霊界に関わっていますと、人には【魂】と呼ばれる科学ではその存在の証明は出来ない物があると解って来ます。それは丸(円)い玉(球)で、深い思考力(思惟)の玉で【玉思惟】なのか?。自分本位や自分勝手な思考をする恣意の玉の【玉恣意】なのかの違いはありますが、どちらも人の目には見えない。レントゲン線にも写らない霊的な玉なのです。死者の生前の体重を計っても計測は出来ません。
しかしそこに霊媒体質者が居るならば、そこに霊媒体質者が居ることで魂が写真に写るがあります。テレビの超常番組などに写り出される【オーブ玉(思念)】等もそうした類と言えます。オーブ玉自体は小さな物で、スマホでも写るでしょう。また最近は監視カメラに幽霊と呼ばれる存在が写るケースが多くなっていますが、それは時代の流れとして現実界と霊界の接近が起きていると言えます。
魂を写した写真として、玉の形態がよく解る一枚(オーブ玉とは違う)。
太陽も地球も月も球体。私たち人の魂もまた球体。
魂が【玉思惟】と解るのは日本語の世界で西洋では無理。それは何を語るのか⁉。
明治25年に丹波の片田舎の綾部から発祥した大本教の神諭には、人の自己本位、自己中的な生き方を戒めています。しかし日本においてのスピリチュアル標榜者の多くは神は愛だから何をしても赦して下さる。この世は魂の修業場ではなく遊ぶところですで、自己中、自己本位の生き方を説きます。
それでは龍女の解脱にはほど遠いとなります
スピリチュアル標榜で案内する世界とは天国界ではないのです。大本教の出口王仁三郎聖師が残された神典には、天国に案内すると言いながら地獄に案内する者ばかりなのです。
大本教から出された人は霊止(ひと)は革命的な教え
人の魂は心臓の部位に宿り、霊は人の血の中に宿る
この論理が解っていないと、エホバの証人の様に輸血を神の大罪と勘違いするが起きます。それは【血(チ)が意味するのは霊(チ)】で、霊に憑依されるとその憑依された人の思考が犯されるがあります。それが汝は他人の霊(血)を食べてはならないなのです。
他人の血を自己の肉体に入れると違う【思考】が入る
しかしこの世で生きるか死ぬかの瀬戸際の時、他人の血(霊想念)を自分の体内に入れたとしてもそれは長い時間ではないのです。人の心臓は【汚れた血(霊)を浄化】しているのであって、魂(心臓)がしっかりしていれば他の想念(血)を入れたとしても大きな問題ではないのです。
それは動物の血も同様であり、血が滴る様な獣の肉を食べるとその獣が持つ想念を自分の血に取り入れるが起きます。それは獣としてこの世に出ている生命体にも過去世には人として出た想念が残っているからです。獣食の西洋人の気性が荒く、東洋人の気性が優しいのは獣の想念を受ける肉食主義と米の様な穀物主義の違いも一因なのです。
そこにイスラム教などにみられる動物の血(霊)は、作法に従って処理しなければならないがあるのです。ただそれは何故なのか?。キリスト教やイスラム教には【輪廻転生】の基本論が無い為に、意味不明を起こさせているのです。
そこに仏教は動物の肉を食べない【精進料理】を言う
血(霊)の汚れだけを言うのであれば、動物の肉食は止めてベジタリアン(菜食主義)にすればいいのです。で、菜食主義の僧侶に成れば死後は如来で、西洋人の様に肉食ばかりしていると地獄界かとなりますとそうではないのです。自分の中に入って来る他人の想念をどう浄化(消す)かするかに関わるからです。
西洋のキリスト教の愛の考え方は非常に偏っており、鯨の肉を食べるのはけしからんと怒り、愛だ愛だと言いながら牛や羊を家畜として殺して食す。そこにある【愛】とは何だ?。となります。キリスト教徒は天国界には遠いとされるのは、基本論理が仏教と比べて間違いが多いからと言えます。イエス一人にキリスト教の全信徒の【カルマ】は被りきれないのです。
イエスは魂とか霊の役割。カルマとか輪廻転生を理解していたではないのです。そこに識界レベルの判定として創造神を第十識界とするなら、お釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。ムハンマドに到っては第四識界とされているなのです。第七識界を超えていないと霊界を説明するのは難しいとなります。
為に自称創造神と言われる方達が説く内容は、どうしても自分を拝めば天国にとなってしまうのです。
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霊界の年老いた大蛇霊と龍神が同じ姿を取るのは、それがエネルギーが見せる霊としての姿形だからだと言えるでしょう。
最近、この地球の様子が変だと感じる方が大多数でしょうが、それは単に地球環境の温暖化だけの影響ではないのです。一部の霊能者はそれに関して神霊から聞かされていますが、科学では否定するでしょう。それはこの地球が【自転】しているエネルギーに関して、そうしたエネルギーが無ければこの地球が自転や公転が出来ない。その意味を科学も宗教もほとんど理解していないからです。それでは神とは何かが解らなくなると言えます。西洋のキリスト教の様にイエス一人が神の御子だと言っているようでは、そうした火水の力を意味する神は理解には到らないのです。
神と呼ばれる存在が出す火力、水力、風力等を見ていますと、そこに龍と呼ばれる姿をしたエネルギー体を見ることが出来ます。私は伏見稲荷山で狐霊神達と関わっていた4年間は龍神と呼ばれる存在を見ても、それは行者筋や聖書で示される霊界の年老いた大蛇霊程度の認識の元でしかありませんでした。
だが狐霊や蛇霊が神として語られる神霊界から【言霊】と呼ばれる世界に転じて知った龍神とは、そうした霊界で年老いたところの大蛇霊では語れないところの龍神だったと言えます。そこに【流】の言葉が存在するとなります。
龍神と呼ばれる存在には、宇宙創成の存在と蛇霊もある
大本教から世に告げられた艮金神国常立尊は【金龍神】で、豊雲野尊と呼ばれる存在は【銀龍神】で、その金龍神の長さは日本列島に匹敵していると言われています。日本列島に匹敵するような長さを持った龍神等、どうして見るのかとなりますが、この地球の大外たる宇宙空間から地球を見ないと解らない長さと言えます。
確かに自分という意識の存在を地球の上空に置いて、この地球と呼ばれる星を見下ろしますと、日本列島も一目で見ることは出来ます。そこには【意識】と呼ばれる存在は、この地球という星すら小さな存在としか見えないがあります。意識は時空を超えて宇宙そのものに展開して行くなのです。
意識の世界は時空の感覚が無いとされ、宇宙空間も瞬時
大本教から出された【みろくの世】とは、この宇宙の開闢以来の立替の宇宙ショーに成るとも言われておりますが、想像を絶するような出来事が起きるとも言われています。すなわち神様とは私達に安心立命とか現世御利益を授けてくれる様な存在式だと考えていると、そうした神々の世界では無い世界の神達が動いて来る事象とは解らないのです。それらの神は個人に利益を授ける神では解らない神達です。
その時には太陽が二つも三つも出て来るかも知れません。その時には【腰を抜かすなよ。】なのです。聖書のヨハネの黙示録には太陽も星も輝かないとありますが、私は自分の目の前の光景が何も見えない暗闇に落とされて、そこに臨んだ恐ろしい声で神霊界に修業に入りました。私にすれば実に恐ろしい体験だったのです。それは例え天地が引っくり返っても驚くなよなのです。そうした大仕掛けは、人類が弥勒世(第八の世)に入る為なのです。
物質の【質(七)】の世界から、永遠の八に移行する
物質の三次元世界から、精神の五次元世界に上昇する
日本では神霊と呼ばれる存在を【龍】として見るがあります。金龍神は国常立尊。銀龍神は豊雲野尊。白龍神は素戔嗚尊と言われています。だが金龍神の姿を見たからと言って、即座にそれを以て国常立尊様だ!。銀龍神の姿を見たからと言って、即座にそれを豊雲野尊様だ!。とは言えないなのです。何故ならば金龍と言っても無数に存在するからです。
私の元に自分は一億体もの白龍神を従えていると言って来られた方がありました。普通に考えれば大洞を吹くにも度が過ぎるとなりますが、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、私に【霊的世界は自分は見たと言う話を頭から否定してはいけない。その人は見たのかも知れない。その人が見た物が何かが解るまでは、それを否定してはいけない。】と忠告されていましたので、その一億体もの白龍神の正体が何であるかが解る迄、黙ってその人の言うことを否定をせずに聞いていました。
もし白龍神を素戔嗚尊とするならば、その人には一億体もの素戔嗚尊が附帯しているのかとなります。
で、その人が言う一億体の白龍神の正体が何であるのかが見えた時、私にはそういうことかと解りました。外形的には白龍神の様な姿をした存在で、数も一億体はあるでしょう。しかしそれは素戔嗚尊とされる白龍神の様な存在ではありませんでした。ですからいくら自分には一億体もの白龍神が従っていると言われても、霊界の力としてはさほど役に立たないとなります。その一億体を持ってきても、地球という星すら創れないなのです。
私の元には自称救世主と名乗る方達からメールが来たりしますが、その人に私の名前や住所程度は解る霊能力が備わっていても、その霊能力は太陽や星などを創れる様な霊能力なのですか?。なのです。私は伏見稲荷山で神霊界に関わっていて、相談者の名前や住所などは白狐の段階でも見抜いて行くを見て来たのです。逆に私の名前も住所も解らないとにると、その人は霊能者と言えるのかとなります。龍と呼ばれる存在には宇宙創造にも関わって来ている存在も有り、数では無くて【霊力】なのです。病気治しだけでそれを神と思うと、神の意味を間違えてしまうのです。
霊界は次元界によって、見えている物の正体が違う
霊界は次元で出て来る霊力は、その桁が違って来る
霊的世界に関わっていますと一般的に語られる超古代の生物であった恐竜と呼ばれる存在ではなく、ドラゴンと呼ばれる存在を目にします。但し西洋で言うところのドラコンは【羽根】を持った存在が語られ、東洋で語られるドラゴンは希に羽根を持った形の物も語られますが、そのほとんどは羽根を持たない蛇形を指します。そこにその蛇形は【鰻】だとも言われる方もありますが、龍神には鰻と違ってウロコが見られるのです。
これまで何回も書いて来たことではありますが、行者の方々に龍とは何かと尋ねますと霊界の海山川(Or火海山等)で各千年間、合計三千年間も霊界で修業を積んだ蛇霊だと言われます。それ自体は聖書にも龍とは霊界で年老いた大蛇霊とあり。実際に霊界を見聞して来ると、その説は間違ってはいないと言えます。
そうした龍として現れる存在には【火を吹く】。【水を吹く】。【風を吹く】が見られます。そうした霊的な映像を見なければ龍神は怖いと言われても解らないのですが、自分の目でそうした霊的光景を見えるとその力の様は怖いとなります。
世紀の大予言者として能力を発揮された大本教の出口王仁三郎聖師は、龍と呼ばれる存在の多くは霊界の年老いた大蛇霊であるがそうではない龍神があると書いておられます。国常立尊の金龍神。豊雲野尊の銀龍神。素戔嗚尊の白龍神などは、龍は霊界の年老いた大蛇霊説ではとても説明が出来ないのです。
通常の黒龍神は霊的汚れから【黒色】に見えるのですが、神社に鎮座される御神霊よりも高次元霊界に存在する黒龍神ともなると、まったく違う美しい黒色となってきます。
日本神話の八岐大蛇退治は、世界に類無き機密を入れた
霊能者と呼ばれる方であれば、人が死んだ後に蛇霊と化すは見て来られた経験を持たれるでしょう。この世で人を恨んだり怨念を持つと死後にその人の姿が蛇霊に変化するがあります。日本では安珍・清姫の娘道成寺の物語もあります。色情の因縁が深いと死後に蛇霊に身を落とすは行者筋の霊能者ならば知るところです。そうした事象を否定する人達は単に【体験経験不足】と言えます。
しかしそれだけではなく、その地域に住む人達を守りたいと願って自らの身を蛇霊化させて、霊界で三千年間もの修行を積んで龍神と呼ばれる存在と成り、その地域の守り神として人民を守っている様な存在の魂もあるなのです。一概に蛇霊を悪と決めつけることは出来ないのです。
私はそうした人民や日本の国土を守る為に蛇霊となって、辛い修業を経て龍神と成られた存在に対しては、もう弥勒の世は目前に来ましたので蛇霊の身を脱ぎましょうよ。と申し上げています。もう霊力を誇示しても、それが通る時代は終わったなのです。
すなわち、霊界の力を求めて蛇霊から龍への道があった
そこに【蛇】という言葉、【龍】の言葉に意味がある
地震の【震は辰(龍)の力】で、大地震には龍と呼ばれる力が働いています。東日本大震災の時、東北で起きたことで一部の霊能者は悪神艮(東北)金神が龍神を動員して起こした地震だ!。そうした発言をする方も見られたように、地震に辰(龍)は関係は無いとは言えないのです。ただ蛇霊では地震等は起こせません。それだけの力が無いなのです。天変地異の大災害には龍神の働きたる姿が出て来る。そうした龍神は、病気治し等の神としては世に出ていない。病気治しは蛇霊系の神から出るです。
病気治しの龍神と宇宙を創造した龍神とは別物
蛇の漢字で導かれる内容は舟の舵、真っ直ぐか曲がるか
ある霊能者の方は蛇霊とは【辺に美を求めたからヘビ】と語られましたが、どうでもよいようなことに美意識を持っているです。ヘビの漢字を見ると仏陀の【陀】にある【它】があります。この【它】は船の【舵】等で解る様に真っ直ぐ舵を取ると正【中】であり、真っ直ぐに【舵を取れない】と正中を無視した虫(無視)の意味を持つなのです。すなわち辺に走る曲津(まがつ)神とされるなのです。で、くねくねと曲がることを【蛇行】と言います。
私は霊界修行で改心した蛇霊が【棒】状に成るを見た
私が言霊の世界に転じた最初の頃、改心した蛇霊が棒の様に成るを見た時、その意味がよく解りませんでした。映画の十戒の中でモーゼとエジプトの神官がどちらの神がコブラ蛇を棒の様にさせるかでコブラ蛇の投げ合いのシーンがあったと覚えていますが、何故に蛇霊が【棒の様】に成るのか?、それを解説した書物は見つかりません。
エジプトの神官とモーゼの神が強いか競争は蛇が棒?
私が子供の時に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。この日本でないと私の教えは解らない。】と告げられました。
そして私は鍾馗神の案内で中国で創造神とも天子ともされる盤古大神に拝謁をしました。その時はどうして盤古大神?。と思いましたが、大本教の出口王仁三郎聖師の姿をした霊は私の前に【漢字】と書かれた浴衣姿で立たれたがあります。
それ以前に出口なお開祖と揃って私の前に立たれた時にはイスラム教の宣伝使姿で、アラーの神の元はアモン・ラーで、それは日本語の【アの門から、ラに到る迄のアイウエオの道】との示しでしたが、当時の私は言霊に気づかなかったなのです。
ただ霊界物語の中の盤古大神から国常立尊に神界の奉還で【漢字を変換】させるに気づいたと言えます。そこで【蛇】の漢字をよく見ると、仏陀の【它を無視(虫)】で蛇霊が改心するとこの世の蛇が【棒】状に成る意味は解けたのです。
中国の鍾馗神は日本では【五月五日】の五月人形で知られていますが、中国では科挙試験に落ちて自殺した実在の人物説もあります。が、私は当時お世話になった豊受姫から貴方の家の守護に鍾馗神が行かれたと聞かされ、その後にその鍾馗神の案内で中国で創造神とも言われる盤古大神に拝謁したことで、大本教で大宣伝された【五月五日の鯉のぼり】の仕掛けであろうと見ました。
大本教では【五月五日】を【みろく大祭日】とした
中国から来た諺に【黄河を登る鯉は龍と化す】があります。これは科挙試験の様な難関を突破した存在は【龍】と変化して天に登る(昇る)と言う意味です。
霊能者の間で、みろく世は五次元は一致するところ
霊的世界における龍に関しては、出雲大社に参拝されると大国主命は【龍蛇神】と書かれているかと思います。蛇から龍と化す道もあれば、鯉から龍と化す道もある。
鯉から【龍】と化す道の途中には【八聖堂(八正道)】が出てきます。しかしそれを仏教の四諦八正道の教えで理解しようとしても、悟りには到達しないでしょう。これは大本教神論予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】から来る【米】型の八正道の理解が無いと悟りにはほど遠いなのです。
鯉は【里(田の土)で、実った米が粒(りゅう)】
それが大本教神論の【米ならば野に落ちていても一粒だに救う】となるのです。
豊受姫から私の使命は【八角堂の夢殿】の意味を紐解くことだと告げられ、法隆寺の八角堂に行ったがあります。法隆寺の八角堂は【救世観音】ですが、そこには朝鮮半島に残されていた【最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きる。】とある救世の「米」型を出す意味もあったと言えます。そして【観ずる音の観音】です。
西暦2023年は、右左岐(兔)でみろく世に行く者を選別
西暦2023年は小さな出来事ですが、不思議な事件が多発していました。個々の人のレベルでこれでもかこれでもかと諸悪が吹き出しているです。まるで個々の過去の罪の精算です。
西暦2024年は、みろく世の幹部と成る者を登龍させる
西暦2024年はこれまでの神霊界は一種の店閉めに入り、みろく世で幹部と成る神々達の店開け。すなわち【登龍門の門が開く】となります。衰退して行く者達と新たに起き上がる者達です。
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日本においては【命】の漢字を【ミコト】とも呼ぶ
大本教はその【ミコト】に【御言】の漢字を振った
何故に【命(イノチ)】が【ミコト】に成るのか?
日本では国常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、素戔嗚尊等に【尊(みこと)】の漢字を振り、大国主命等には【命(みこと)】の漢字が使われます。
命を御言(ミコト)とするのは別に西洋の特許ではなく、【言葉と神】の関係が解るので有れば【言霊(ことだま)】の働きが解っては来るのです。私は伏見稲荷山で四年間に渡って狐霊や蛇霊が支配する神霊界を見聞し、それから【言霊】の世界に転じました。そして言霊とは何かが解った時、自分がそれまで持っていた神観は百八十度ひっくり返ったと言えます。
聖書の言葉は神と共に在ったは、言葉の意味が違う
聖書で創造神を知ろうとするのは不可能に近い
仏教においてはこの宇宙は【無から有が生じた。】と成っていますが、突然に神と呼ばれる存在が現れて、何々有れと言われたから万物が生成されたではないのです。よく言われることに【鶏(親)が先か、卵が先か】がありますが、霊的世界に在るこの宇宙の成り立ちの映像には科学が語る【ビッグバン】の前に宇宙の卵が産まれる過程の映像が在るのです。
始めは【女の胎】と言う漢字が教えている
宗教界が説いた宇宙の成り立ちに関しては、霊的映像を見る限り仏教における【無から有が生じた】なのですが、その後の混沌(カオス)から宇宙の卵が産み出されたなのです。その光景を人類に語った宗教は大本教霊界物語以上の物は存在していないと思われます。
私が愕然としたのは、西洋では創造神は説けない
キリスト教では【父なる神】を説きましたが、【母なる神】が出せていません。それをイエスの生母であるマリアに代行させようとしても無理なのです。大本教は父なる神の存在を【大国常立尊】として、母なる神を【豊雲野尊】と出しましたが、こちらの方が遙かに真理には適っているなのです。
私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から【日本神話(記紀神話)の天之岩戸開けなどの話は、この私が人を使って創作させた物語であって、そうした事実があったのではない。そなたはどうして私がそうした神話をこの日本に創らせたのか?。その意味を学びなさい。】と告げられました。岡本天明師の日月(ひふみ)神示において天之岩戸の岩戸とは【一八十】の意味だと出されましたが、その百八十は神霊世界の神々の階級を意味していたとは驚くことではあったなのです。
私は神霊界に修行に入って、日本各地に在る天之岩戸と呼ばれる処に行って見ましたが、どう考えても天照大御神とする太陽が隠れる様な洞窟の話は無理筋なのです。それは太陽そのものが人の様な姿で顕現したとすることに無理があるのです。
人の【額】には第三の目と言われる心眼が在るとされ、そこに神社等に参拝するとその神社の御神霊が出す【神光】を受け取れますが、龍神と呼ばれる様な巨大なエネルギー体に憑依されると神社の御神霊から受け取る神光では如何ともし難いがあります。また神社のお札の類もそうですが、低級霊には効果があっても相手が龍神と呼ばれる様な存在ともなると神社のお札では、まったく効果が無いなのです。
そうした時、目を瞑って太陽に向かって天照大御神様。惟神霊幸倍坐世(かんながら、たまちはえませ)等と繰り返して唱えれば、その額(第三の目)の部分に普段浴びている太陽の熱ではあり得ない強烈な光が入って来て、そうした龍神等の憑依霊が外れて行きます。だがそした真言を唱えないと効果は無いなのです。
何故宗教が教える真言を唱えると、効果があるのか?
私はそうした事実から伊勢神宮の御神霊は本当の太陽神では無いと言います。日本の総氏神とされる御神霊だとしても、太陽を産み出した神ではありません。大本教神諭にこの艮が世に出ている神々を誑かして使って来たとありますが、世に出ておられる神々や天使と呼ばれる存在は、その姿を見せていない創造神の様な存在の神により背後からコントロールをされているのではないかなのです。
私は稲荷神界で神霊界修行の世話になったのですが、そこで漢字が金文字で現れる等を体験して来て、言葉を光透波(ことは)とするだけでは【神と言葉の関係】は解らないと言うのです。
新訳聖書における洗礼者(バプテスマ)ヨハネがキリストと認定したのが【ナザレのイエス】ということになります。私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、イエスを高貴な神の御子ではあるが我が子ではないと言われ、ナザレのイエスが旧約聖書が告げるところのキリストではあることを否定されました。それはイスラム教の開祖ムハンマドがイエスは尊敬される偉大な預言者ではあるがキリストでは無いと言ったことと同様のことです。
信徒達が犯した罪を、全て救える様な存在があるのか?
そこに自分が天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称して出て来る霊が、本当に正しい霊で有ったかの疑いが生じて来ます。ナザレのイエスを救世主だと思い込んでいると、ノストラダムスが残した【西洋の人がいくら待ち望んでいても西洋からは現れない東洋の叡智の飼い葉桶。】となるのです。
しかしナザレのイエスは【40】日間も荒野をさ迷い。明けて【41】日目に悪魔を退けて神の一人御子と成られたとするように、大本教神諭予告の九つ花で紐解きで解る九つ花の芯は【41】の数字で示される主の息子の型の演技はしているなのです。
されど旧約聖書の神がキリスト登場の前に現れると予告したのは男女の二人の預言者であり、バプテスマのヨハネと言われるたった一人の予言者ではないのです。そこには何故に【男女二人】の必要性があるのかとなります。大本教から出された厳霊と瑞霊の男女を揃えないと【キリスト】は無理なのです。
旧約聖書のキリストとは、九つ花に咲く一輪の言霊か?
九つ花は、みろく(369)で56億7千万を出すが?
私は仏教徒の家の子で、キリスト教とは何の関係もありません。そんな私に旧約聖書の神と称する声が臨んだことに、子供でも困惑していました。しかもその声はイエスをナザレのイエスと呼び、イエスは高い魂の御子たる存在ではあるが旧約聖書の神の御子では無いと否定して来たのです。
その当時、私は大本教のみろく殿の近くに住んでいて、旧約聖書の神と名乗る声ながら、その声の主は大本教関係の神だろうと感じていました。だがそれを証明するには艮金神国常立尊と旧約聖書の神が同一神である論理的証明が必要であり、単なる論証では駄目となります。
大本教から鬼門の艮(牛虎)金神が世に出された時、その神の性質と旧約聖書の神の性質の同一性が議論されました。しかしそれを証明するのは大変な困難がつきまとうなのです。
旧約聖書の神も鬼門の金神も、どちらも恐ろしい神
確かに旧約聖書の神の言葉とされるものを見ると、実に恐ろしいことを述べた神の様に受け取れます。しかし私がその言葉の元に成ったと思われる【霊的映像】を見ると、その映像をそのままに言葉に【直訳】すればそうでも、映像から読み取れる意味を【日本語に置き換える】と、まったく別の意味に成ると解ったのです。
性器の割礼とは、【生まれながらの心の器(魂)の割礼】
霊界の映像は、日本語に置き換えないと意味を間違える
私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国で有る。この私の教えはこの日本で無いと解らない。】と告げられました。それは大本教神諭に【日本の言葉】は世界で使われる言葉とは違っていると説かれているのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は自分が救世主(キリスト)だと名乗り。その一方、自分と大本教の出口なお開祖は旧約聖書で予言されていたキリスト登場前に現れる男女の二人の預言者だとも述べておられます。また自分を【弥勒】と称する等、神霊界の型を演じる獅子奮迅の活躍をされたなのです。
しかし霊的世界に関して疎い方達は、その【型】を演じるそのもの理解がほとんど出来ません。
人の目には見えない神霊界を解らせる為には【型】が必要
出口王仁三郎聖師は霊界物語の第十三巻に記載される【信天翁(アホウドリ】の中で、この大本教に現れた変性女子はニセ者だと発表されて、巷には自分は素戔嗚尊の魂で救世主だと自称する人達が多数輩出しました。それは【十三】の数字の意味がニセ型なのです。
無論、そうした自称救世主の方達は単に名乗ったのではなく、そこには霊的世界が見せる【奇跡の現出力】を持っておられたなのです。自分に何の奇跡も現出させる力も無いのに、自分が救世主ですと名乗る者が世が居るのかとなります。何の奇跡も見せずに自分が救世主だと名乗っても、誰も信じてはくれません。
そこに、真理を説くよりも【奇跡】の現出合戦が起きた
人は【奇跡】を見ないと、人の目に見えない神を信じない
しかしその奇跡力を振るう人達は、その奇跡の力がどこから出て来ているのか?。その認識が出来ていないがあります。ある自称救世主はその方に臨んだ光が創造神だと思っていましたが、私がその方にサニワ(審神)の方法を教えたところ、その光は大蛇霊だと白状したがあります。自分では創造神と思った巨大な光は大蛇霊が放つ光であったなのです。
出口王仁三郎聖師は大本教から出した変性女子(素戔嗚尊)の役のみならず、大本教の出口なお開祖に降りた出口王仁三郎聖師が【みろく様】のみろく神も、自分はニセ者であり。本当のみろく大神たる存在は昭和20年に降臨したと述べておられます。
この昭和20年に降臨したとするみろく(マイトレーヤ)説は英国神智学協会のベンジャミン・クレームが世界を講演して説いた世界教師マイトレーヤが昭和20年にヒマラヤに降臨したとする等が西洋の神智学でも言われたがあります。その1945年とは終戦の年ですが、その終戦の年から世の大立替の時が【カウント・ダウン】される仕組みが存在しているなのです。
その西洋から起きた神智学協会のロゴを見ると、その周囲を蛇が囲む。
西洋における神智学は蛇の知恵から起きている
西洋から起きた神智学のマーク
西洋の神智学のマークは、弥勒神の紋章とするが
大本教は弥勒の紋章は【○十】で、その解釈は違う
そもそも最初からお釈迦様の弟子に弥勒菩薩たる仏は存在しておらず。西洋の神智学では56億7千万の数字に秘められた意味すら紐解けていないのです。それは何神かは解りませんが、そうしたことを日本の言葉で仕組んだ神が存在しているのです。みろくの意味は【369】であり、それを出さないと【五六億七千万】の数字を導くのは日本語でない限り無理な話なのです。また【みろく神】を反イエスの【666】にさせるのも同様のことなのです。
日本神話には黄泉(よみ)の国から【甦る(黄泉帰る)】が出されていますが、日本語の仕組みなので西洋人に意味など解りません。魂の更生で【甦る】であり、表音文字ではそうしたことが解らないなのです。
神霊世界を見聞して来ますと、【頭上の蛇】に関する出来事に遭遇します。イエスはその弟子達に【蛇の様に賢くあれ!】と説いたと言われていますが、蛇は【知恵】を意味します。しかし知恵は人の心の【善悪】は解らないのです。蛇霊が囁く言葉に乗ると、お釈迦様の悟りで有った【人に内在する良心神】は出て来ません。その理解が出来ないのです。
私にはそれがどなたかは解りませんが、【イエスのパンの教えは美味なれども、真ん中の無いドーナツ型のパン!。そなたはイエスの愛の教えを恐れずに乗り越えなさい。】と告げられて、愛では解らない人に内在する良心神に行き着いたと言えます。それはお釈迦様の悟りであり、それを一輪の言霊で紐解ける仕組みが大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(火水)】と成っているのです。
頭上の蛇は【知恵】でも、心の【善悪】を知らない
大本教の出口王仁三郎聖師は霊界に【ミカエル】と言う名の天使長は存在していない。ミカエルとは日本語の【省みる】の言葉の意味だと述べておられます。この頭上の蛇が天上世界に帰る時が【巳帰る(ミカエル)】の言葉の意味なのです。
旧約聖書が語る本当の天使長とは、人の中に入り込んだ蛇霊を帰らせる働きのことで、モーゼ外伝では【蛇の尾を踏む者】とされる【巳帰る】の意で、ミカエルと言う名を名乗る天使長のことではないのです。
大本教の出口王仁三郎聖師が自分を【素戔嗚尊】と名乗ったのは、出口王仁三郎聖師の魂が素戔嗚尊の系列の魂であったということと、素戔嗚尊には【武塔神】の異名がなされているように【軍神】であり、西洋で語る天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する霊達の天使の刀などはその前では何の役にも立たないがあるからです。
何故にミカエルとかガブリエルと名乗る霊は間違えたのか?。
そこには十里(トリ)で八根(ハネ)を持てがあった
それは仏教で説かれた【みろく】とは、西洋で神智学と称する者達が言うところの【マイトレーヤ】そのものが、最初からお釈迦様の弟子に存在していなかったという事実と照らし合わせると、そこにそれらを仕組んだ神が存在しているなのです。
人の魂は脳に宿るのか?、心臓に宿るのか?
西洋における神智学者達は、神は蛇霊説を採った
そこに爬虫類宇宙人等も説かれる
聖書には龍とは【霊界で年老いた大蛇霊】とありまして、日本における行者筋に龍とは何かと聞きますと、【龍とは霊界の海山川(or火海山等)で各千年の合計三千年修行した大蛇霊】のことだと言われます。が、大本教の出口王仁三郎聖師も世に言われる龍神の多くはそうした大蛇霊のことではあるが、そうでない存在の龍が在ると述べておられます。しかしながら、その大蛇霊で無いところの龍のことがあまり詳しく記述されていないがあります。
龍とは霊界のエネルギー体で、【流神】を意味する
大本教が世に出した艮金神国常立尊御引退説は、多くの神々が蛇霊の囁きに乗っ取られて多数決の原理で国常立尊を地上神界の主宰神の地位から追放して、その後に主神の座に就いたのが中国では盤古大神(木星神でギリシャ神話だとゼウス)と呼ばれる神のことで、私は鍾馗神の案内でその盤古大神に拝謁したなのです。それで私は盤古大神とは何神かを調べることで大本教霊学に入ったがあります。
そうした神界のことを何も知らない私は、それを調べるのに大変な労力を必要としたなのです。私の前に出て来られる神々や如来や菩薩や明王達は誰もそうしたことを誰も語ってくれず、奇跡力で人々を驚かして神の存在を説く。それはインドのサイババで解る様な奇跡力さえあれば誰にも出来ることです。が、それでは【真理】には行き着かないなのです。
サイババは何も無いところからメイドインセイコー社の腕時計を出して、霊界からの贈り物だと人々を驚かせていましたが、霊界を見聞してくればお菓子や食べ物を空から降らせるもあります。また歩けない躄り(いざり)を立たせる。目が見えない人の目を開けさせる等、そこには科学の目では見えないものがあるなのです。豊受姫の御代をしていた私の最初の師匠も、そうした奇跡の数々は世には見せていたのです。
神は言葉では無く、言葉は【音波】の働き
その音波の衝撃は、光(音は日立)すら生む
大本教で演じられた三代教主直日師の【龍宮の乙姫(音秘め)】役と、その夫の出口日出麿師が演じた【日之出神(日立)】は一つの型演技でもあったなのです。音と光は【対】と成る役割と言えます。
西洋の宗教には【龍宮の乙姫(音秘め)】が出ていない
私達は【龍宮の乙姫様】と言えば、浦島太郎物語が頭に浮かびます。私は豊受姫伝説を追っていて、その【龍宮の乙姫(音秘め)】様とは何を語っていたのかが解って来ました。 仏教には【龍神】の存在は説かれるが、それは聖書で語る事柄とは違っているのです。
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日本における伊勢神宮の神は日本の天皇家の祖先とされる天照大御神、奈良の春日大社は藤原氏の氏神(先祖神)とされる武甕槌(たけみかづちのおのかみ)を祀るであり、第十五代天皇であった応神天皇を祀るのが八幡社となります。それは西洋でイエスを神として祀るのと同様に【人であった存在】を神として祀っているなのです。
すると宇宙の初発に突然人の様な姿の神が現れて、何々有れと言えばそれらの万物が出来たのかとなります。人間の様な存在が出て来たのは、それほど昔では無いのです。しかし人類が誕生するまでの歴史はほとんど説かれていません。ただ絶対的に言えるのは、科学では【命】を産み出すことは出来ないのです。その【命】は、いったい誰が創り出したのか?。なのです。
私が持つ創造神の概念とは、【命】を産み出した存在
創造と呼ばれる言葉には自動車などの産物を産み出す。スマホなどの電気製品を産み出すがありますが、それらは【命】とは関係が無いことなのです。命を生むことが【生命】なのです。自動車やスマホに【命】が宿っているではないのです。
自らが生きる【命】を生みだしたのが創造神
生物の【命】は、どの様に創られたのか?
私達人類の肉体の命を養う作物の【種】などの命の元と成る物を産み出して来たのは【万物の創造神】と呼ばれるところの神であり。それは仏教の開祖のお釈迦様でもキリスト教の開祖のイエスでもイスラム教の開祖のムハンマドでは無いのです。
イエスが命の元を産み出したでしょうか?
人類と呼ばれる存在を産み出したのは命ある万物を産み出した神であり。お釈迦様もイエスもムハンマドも、言うなれば【人】としてこの世に出た存在なのです。それは人類にとっては先達(指導者・案内者)と呼ばれる存在に過ぎないのです。
西洋で創造神を【農夫】とした意味は解ります。私達が生きて行く為の作物の種を産み出したのは創造神と呼ばれる神だからです。旧約聖書には、旧約の神とはそうした種を作り出した存在とする記述がありますが、新約聖書は単に人の子で在ったイエスが述べた言葉に過ぎないなのです。
私に臨まれた旧約聖書の神と名乗る声は、【旧約聖書は「暗号」を秘めた書で私の書ではあるが、その暗号を解く鍵を持たないで読むと意味を間違えるように創ってある。新約聖書は人の子達が為した書で私の書では無い。】と告げられました。その旧約聖書を読むと麦や果実の種を撒いて実れば、それを刈り入れるとあります。かなわち【農夫】です。
その旧約聖書の神と称する声は私に【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国であり。この日本で無いと私の教えは解らない。】と告げられました。その一つに【百姓】と呼ばれる言葉があるのです。どうして【農夫】を【百姓】と呼ぶのか?。
創造神が告げる百姓とは、創造神には百の姓名が有り
霊的世界に関わると創造神の呼び名には【百の姓名】が有るとも言われています。日本で使われる神名には国常立尊、天之御中主。そして大本教神諭に出されたこの世の閻魔大王として現れると宣伝された【閻魔大王】などがあるのです。
私が子供の頃には旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、幾多の霊能者や稲荷神界首座神であった豊受姫から、貴方の本守護神は【国常立尊(天之御中主)様】と指摘されたがあります。ただ私が霊的に見たのは【閻魔大王】と呼ばれる姿をした方で、その一つ一つはそうした【百の姓名】の一つと言えるでしょう。
私は物心が付いた幼い頃、誰から告げられたでもないのに自分は天帝と呼ばれる神から特別の【使命】を授かってこの世に降りた者。私はこの世に降り立つ為に、この家系の先祖霊の承諾の元にこの家筋にお世話になっていると言う感覚を所持していました。私が持っている神と呼ばれる存在に対する感覚は、この世の宗教から学んだのでは無く先天的な事柄と言えます。
私が生まれ出た家系は世に名家として知られる様な家系ではありませんが、万物の創造神と関わりを持つ家系だと言う感覚は持っていました。後日、霊能力者と呼ばれる方達から貴方が生まれた家系の先祖たる霊脈は【国常立尊】様ですと聞かされるがありました。ただ先祖霊と呼ばれる存在を辿れば、誰しも最終的には創造神と呼ばれる神の元に行き着くことにはなります。何故ならば初発の神は唯一つの神だったからです。
人は誰しも最終的には創造神の元に行き着くが
そこに長き年月の魂の分派があり、逆に集約も出来る
私の家の神棚と仏壇の両方を見た霊能力者の幾人かの方は、私の家の神棚には国常立尊様は見当たらないが、仏壇の御先祖霊を辿って行けば【国常立尊】様に繋がっていますよと告げられたことが幾度かあります。それをもって、【自分を見て。主を見よ!。】などのバカげたことは言えないわけです。
私は自分が生まれ出た家系は単なる飲み百姓の家系だと思っていましたが、名字帯刀は許された庄屋筋で、豊受姫の御代(取次)をされていた方は、私の家系は天皇家の血が流れていると言っておりましたが、日本人ならば誰もが先祖霊を辿って行けば、どこかの段階で天皇家にぶつかっても別に何の不思議もありません。で、それを持ち出しても意味はないのです。
が、私の叔父が幾つかの神社に参拝したところ、天皇の勅使を迎える勅使門が開けられて、叔父はそこから拝殿に迎え入れられる不思議に幾度か出会い、その神社の宮司に理由を聞いたところ、神社の御祭神から天皇に準じた扱いで迎え入れなさいと告げられたと聞かされたと言います。
それはその宮司にその神社の御祭神たる神霊と会話が出来る霊能力が無いと起きえない話ですが、叔父はこれは何事かと霊能力者の方に頼んで調べて貰ったところ、私の家系は清和源氏の系列で清和天皇に行き着いたと言っていました。
私自身は幼い頃から誰に言われたでもなく、自分は天帝の密命を帯びて秘密裏にこの世に降ろされた者で有るという認識を持っていて、幼稚園児の頃に地元のキリスト教会に見学に行った時、そこに在ったイエス像に向かって【イエスよ!。私が磔姿で祀られている貴方を祭壇から降ろして救ってあげる。】と心の中で叫んでいました。そうしたこともあり、小学生の頃に自分に旧約聖書の神と称する声が臨んで来ても、それを特別に不思議とも思わなかったがあります。ただそれを自分の両親に語っても信じて貰えないから言わないです。自分の両親ですら、私が神と会話をしているなど信じて貰えないと黙していたなのです。
私が中学生に成った頃から旧約聖書の神と称する声は臨まなくなりましたが、代わりに私を坊主姿の家系御先祖霊が私を守護しておられると解って来ました。そうした家系の御先祖霊がその家系の子孫を守護しておられるという話はよく聞く話で、当時はそうし類いのことだと思っていました。ただ私が生まれ出た家系の御先祖霊に僧侶に成った方は居らず。どうして自分を僧侶姿の方が守護しておられるのかと不思議に思っていました。
その後、その御先祖霊と日蓮聖人と想われる霊が入れ替わり立ち替わりで私の前に出てこられるで不思議なことだと思っておりましたが、数名の霊能力者の方から私の祖父母は養子の形で入っていますので、私の肉体にはその御先祖霊の血は流れていませんが五代前の御先祖霊は日蓮聖人の御分霊であったことが判明しました。道理で私の前に現れる日蓮聖人と思われる霊と五代前の御先祖霊が入れ替わり立ち替わり出て来られた理由は、私が生まれた家筋は【国常立尊】様の霊系を出す家系であったことから起きていると解って来たがあります。
人の魂はこの世に出るに、出る【家巣】を必要とする
自分を受け入れる家巣が無ければ、人間界以外に出る
世間一般には、御先祖霊が子孫を守護しておられる。そうした話は日常的に言われていますが、私の家系の祖父母は夫婦養子の形となり、それ以前の御先祖霊とは肉体の血は関係して来ません。
しかしながら大本教から【霊】の漢字を書いて、血の【チ】と同様に発音することが出されました。人の魂は肉体の心臓の部分に宿りますが、霊は【血】の中に宿るのです。
霊(血)の汚れは、魂(心臓)が浄化している
こうした事柄は大本教と呼ばれる宗教が起きて来るまでは解っていないことなのです。そこに病は【霊(血)の汚れから発症する。】となるのです。
実はそうした家系と呼ばれる存在がある為に魂の輪廻転生には、【本守護神・正守護神・副守護神】の存在とその家系との関わりが具体的に解って来たと言えます。私の家系はたまたま私と血が繋がる祖父母が養子で、それ以前の御先祖霊とは何の血の繋がりが無かったことにより、魂の輪廻転生における【家系と魂】の関係がより具体的に解ったのです。
この日本では先祖の因果がその子孫に報いとして現れる等が言われますが、スピリチュアルと称してイエス様、イエス様と言っていても何の役にも立たないがあります。イエスが人類の罪を背負った等、真っ赤な大嘘なのです。キリスト教はイエス一人を創造神の一人御子と信じていれば天国に救われるを教義としていますが、そもそもイエスにそんな多くの人の罪(カルマ)を被るだけの能力は無く、キリスト教徒だと言ってそれだけでは誰も天国界に入れるとはなってはいなかったのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は地獄を覗けば【牧師で一杯だ!】と残しておられますが、私が見て来た自称救世主達はその信徒達を自分を救世主(メシア)と信じ込ませることで、その信徒達を地獄界に送っているが見受けられました。
カルマの基本原理が解れば、イエス救世主説は?
私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、私に魂の【輪廻転生】を説いて来られましたが、実際に霊的世界を見聞をしてくれば【魂の輪廻転生】を知らずして、創造神の存在は出せないと解って来ます。
スピリチュアルと称して人の前世を見るで大金を得る商売をしていて、イエス様は人類の救い主だと発信しているでは、その頭は一度かち割って覗いて見る必要があると言えます。イエス一人が人類の救い主と信じているだけで天国に救われている者など霊界のどこにも居ないからです。キリスト教徒であれども【輪廻転生】のシステムの中に入っているのです。
輪廻転生に黒人から白人、白人から黄色人種がある
白人の優越主義の背景に、イエスの間違った教え
アメリカで眠れる偉大な予言者と言われたエドガー・ケーシーのリーディングに多くの白人の前世を見た時、その多くは黒人であったがあります。黒人として生まれ出た時は白人達に虐げられて、次に自分が白人に生まれ代わったら黒人を虐げているです。
この説そのものは、輪廻転生が解らないキリスト教社会からは受け入れられることはありませんでした。エドガー・ケーシーその者は、いくらイエス様イエス様と言っても、キリスト教はイエス一人を主の御子と信じる者は天国界に行く教えに、そこに輪廻転生などのあってはならない教えを説いた者として扱われたがあります。
輪廻転生を説く限り。反【イエス】と見做される
が、霊的世界を見聞して来れば黒人から白人世界に。次に黄色人種に生まれ変わって行くはあるのです。そこに大本教神諭は日本人として生まれ出るは、魂の輪廻転生の道筋としてどれほど重要かを説いてはいるのです。
王仁三郎聖師は西洋のパンの教えは副食の麦の教え
この日本には、主食として【米の教え】が有る
日本神道系では【本守護神・正守護神・副守護神】が語られます。守護神霊として世に語られることは一般的には家系の御先祖霊の守護を指し、副守護神格と言われています。神社や寺院で祀られる稲荷神を信仰することで稲荷神界からの御加護が有り。不動明王を信仰することで不動明王神界からの御加護が有り。観音菩薩を信仰することで観音菩薩の御加護が得られるは、その信仰神が守護神霊として働く【事実論】があるなのです。
そうした守護神霊の存在が世に語られるのですが、そこにあるのは【現世御利益主義】が主体と言えます。私は伏見稲荷山で神界修行のお世話になったので、稲荷神界が見せる現世御利益の実態を見て来ました。特に凄かったのが大国主命様が見せられた現世御利益は、頼んだ人も信じられないほどの何億円もの額の大金が動いたがあります。
私が初めて手にした大本教神諭には、この神は【病気治しの神では無く、心の立替立て直しの神】とありました。私達が一般的に信仰する神とは、病気治しや現世御利益が主体の神々です。そして天国(極楽)に案内するです。日本神道で語られる正守護神とは、過去にこの世に出た自分の魂で【神たる位】を得た神上がりをした自分の魂を指します。
それはスピリチュアルで語るハイヤーセルフと同じ立場にはなりますが、日本神道系で説く【正守護神】とスピリチュアルで説く【ハイヤーセルフ】とでは、次元格としての段階が違っていると見受けられます。
スピリチュアルで語るハイヤーセルフは、スピリチュアル界の大御所と自認されている江原啓之さんや美輪明宏さんも言われるスポイトの一滴とコップ一杯の水の論議のスポイトの一滴の自分ことしか言っていないからです。その本体たるコップ一杯の水に言及が出来ているかです。
ほとんどのスピリチュアル標榜者は、魂の分派を説いていないのです。人の人口が増えると言うことは、当然に新しい分派された魂も生まれ出て来たなのです。その分派を語らないと魂の集合も解らないなのです。私の家系御先祖霊は優秀な霊能力者からは日蓮聖人の分魂と指摘を受けて来ました。そこには自分は誰の【分魂】かという【魂の親神】の存在も出て来るのです。単にスピリチュアルだと叫ぶだけでは魂のことは何も解らないのです。
日本神道の世界で説く【本守護神】は【正守護神】の更なる上の次元界に存在する魂で、私は伏見稲荷神界で霊界修業のお世話になった時、豊受姫から【貴方の本守護神は国常立尊様ですよ。】と告げられて、その時に始めて【本守護神】と呼ばれる言葉とその【意義】を知ったなのです。スピリチュアルで連呼するハイヤーセルフでは、この本守護神の説明が何も出来なくなります。
私は霊能者の7〜8名の方からも豊受姫と同様に貴方の本守護神は国常立尊様ですよ指摘をされました。当然にそれらの人は【本守護神】と呼ばれる神の存在を認識されている方達と言えますが、スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と連呼している方達からハイヤーセルフの言葉は飛び出しますが、本守護神・正守護神・副守護神の言葉とその違いの説明が何も出て来ません。この本守護神・正守護神・副守護神の存在が解って来ないと【魂の輪廻転生】も解らないを起こすのです。
大本教から出された霊界物語には、大本教の信徒の【姓名】を借りて物語が展開されています。そのことに関して大本教二代教主補であった出口王仁三郎聖師は、【自分の氏名が物語が織られていたからと、それで自分が神界の御用をしていると勘違いをしては行けない。】と書いておられますが、人の【氏名】に神界からの【使命】が入り、
人の【氏名】に、神から【指名された使命】が働く
創造神の【百姓】も、そこに【百の姓名】が働く
大本教には【出口に直】の役割があり、大本教の開祖に【出口直】師が選ばれたにも、そこには言葉で教える役割の使命(氏名)があったなのです。また出口王仁三郎聖師は婿養子で旧姓は上田喜三郎でしたが、大本の神が婿養子の出口喜三郎の名を鬼三郎に変えよと命じた時、鬼とはあんまりじゃで【王仁】にしたのは有名な話ですが、神の出入り口の門番たる【仁王】の役割も与えてあるなのです。喜三郎さんも婿養子になって出口の【姓】に変えることで、出口王仁三郎聖師のこの世での生き様が変わったがあります。
人は姓を変えると、その人のこの世での人生が変わる
また先祖守護霊が代わることで、その人の運命も変わる
日本では【姓名判断】と呼ばれる占いがあります。その人の姓名に当てる漢字を変えることで、その人の運命が変わる働きがあることが知られています。これは漢字は英語などの表音文字と違って【象形文字】の関係で、その像の形の働きが世に現れることと、日本人の名前を構成する【あいうえお】や【いろは】で知られる【言霊の響き】と【数霊】の働きが複雑に噛み合って、その人の運勢が変わるなのです。
姓名判断では【数霊】の働きが重要視される
私は霊界修行の中で、私の肉体は【数玉(かずたま)】の働きが強く出る体質で、数が持つ霊的働きを見て来ました。そこにあるのは姓名が持つ【言葉の働き】が変わるのと同時に、養子などで姓名を変えるとその人を守護している家筋の守護霊まで交代するが起きることで、その人の運命に変化が起きるなのです。
人は姓名を変えると、守護していた先祖霊も代わる
西洋のキリスト教社会などは【個人主義】で、魂の輪廻転生とか家系先祖霊による守護の話等は出て来ません。キリストが【真理】を指す言葉だとすると、西洋のキリスト教は真理からはほど遠いと言えます。大本教が世に出した【666】は【みろく神】であるならば、そこには何があったのかです。
私達は何気なく【日本語】と呼ばれる言葉を使っていましたが、この日本は古来より【言霊の幸はふ国】と呼ばれ、大本教から【言霊学】が出されなかったならば、言霊とはいったい何だ!?。そこには行かず、どこにも証拠が無いのに自分が救世主だと称した者の言葉に踊らされて欺されて終わるとなっていたのです。
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そうした内容を系統的にまとめて解説するのは非常に難しい話で、大本教の出口王仁三郎聖師が【神の九十九折り】と言われた様に縦に走ったり横に走ったり(経緯)して織りこなしていかなければなりません。そうした難しい説明よりもイエス一人が主の御子だと信じれば天国などと信じ込ませた方が手っ取り早いとなります。そこにキリスト教には【真理】が無いとなります。確かにイエス一人が主の御子と信じるだけでよいのであれば【真理】など必要が無いのです。
日本では伊勢神宮には天照皇大御神と呼ばれる神霊が、出雲大社には大国主命と呼ばれている神霊が鎮座されているのは霊能者であれば誰でも視認できます。だがそれらの神々が【魂】に関して、その神霊の取次者や霊能力者を通じて私達人類に詳しく説明して下さったかとなると何の説明もありません。それは説明することそのものが非常に難しいのです。
世に出た神々や天使が魂とは何かを説明していない
大本教神諭には【世に出た神々の心の持ち方が悪かった。】とありますが、神霊界と呼ばれる世界に怠慢が有ったとなります。そこに大本教が述べた国常立尊の御引退劇と呼ばれる事柄があったとするならば、日本語ですが【艮(ウシトラ)】と呼ばれる引退の言葉であらゆる物を解説出来る不思議な事柄は、それが出来るだけの力を持った神が存在していながら世から隠れていたとも言えます。
人の肉体に宿っている魂とは、三次元世界の生命体に宿れる様に魂そのものが小さいがあります。もし人間の肉体に高次元霊界の大きな魂(神)を直接に降ろすと、その肉体人は発狂して廃人になります。それぐらい難しいのです。大本教の出口なお開祖の娘であった福島久さんにはそれが起きた節があります。その福島久さんに降りた神示は全てが嘘ではなく、部分的には正しい物も含まれるなのです。
神と精神。人の肉体に神霊を降ろすと発狂する危険
為に神霊の言葉の取次たる存在は、特別な育成が必要
霊能力者の間でお釈迦様にイエスにモーゼ。大本教の出口王仁三郎聖師。弘法大師や日蓮聖人等は特別の存在と見做されているのは、その魂の霊界における次元格が高かったがあります。自分が救世主だと呼称された本山博さんとか五井野正さんは七次元界出身と自称されましたが、有名な宗教家達はそうした七次元界とか八次元界等の高次元霊界の格が高い魂であったと言われています。
無論、世間には自分は三千億次元界の魂だとか、五百万次元の魂だとか、おお法螺を吹く人達も居られますが、神の高山説では創造神を【十】合目神と見做して見るがあります。天は【テン】で、10合目と仕組んであるのです。もし自分が十三次元だと称してしまうと、厳瑞の意味が崩れるように仕組んであるのです。自分は十次元以上の者と名乗る者は贋者の類いなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は霊界物語の第十三巻のアホウドリに、この大本教に現れた変性女子はニセ者だと発表されましたが、十三の数字にはそうした仕掛けもなされているのです。十三次元と名乗る阿呆も世に出て来るです。
創造神を【十】合目とするのは、厳瑞霊の意味がある
創造神と呼ばれる神は稲荷大神秘文では天に次玉(つぐたま)であり、とてつもない巨大な玉となります。夜空を見つめると星の数は何京(京は一億の一億倍)なのか解りませんが、その全宇宙を支配するのが創造神だとなります。その大宇宙と比較すれば、人間など実に小さな存在だとなります。そのちっぽけな人の身が、自称でも自分は救世主などは基本的におかしいのです。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、自分が【救世主】だと名乗る者は全て【贋者】の告げられましたが、夜空に輝く星々を見れば自分が救世主だと名乗っている様な者は間違いなく贋作者と言えます。もし自分がそうした人物に引っかかったとすれば、その人は夜空の星々を見ていなかったとなります。貴方に夜空に輝くそれらの星が創れますかと、そうした自称救世主に問うべきことだったのです。イエスもまた救世主等はあり得ないのです。
人の肉体に入る魂も分派されて新しく出た最初は魂自体がひ弱な面があります。そこに魂は【生まれ変わりの回数が多いほど】魂はしっかりして来ると言えます。人の魂の生まれ変わりそのものは【カルマ(過去の業)】が起因ですが、それだけが輪廻転生の原因では無いのです。
蟹などは脱皮して大きく成長しますが、魂もそうした【生まれ変わる脱皮】によって成長するがあるのです。そこに人の魂はオギャーとこの世に生まれた時点で【各自の魂が放つ光の色や量】が違うがあるのです。
人の魂は生まれ変わりが多いほど、魂が固まってくる
スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と言っている人達の中には、自分は一億回もこの地球に転生して来た等と叫んでいる人達がいますが、そうしたあり得ないことを平気で口にするのがスピリチュアルだと思っている様な人が残念ながら居られます。そこにスピリチュアル標榜では魂の【奇魂】が働いていないとなります。まず【道理】で判断せよです。
大本教から人(ひと)は【霊(ひ)止(と)】であると出されたことは、非常に画期的なことだったのです。人が【霊止】であると解っていないと、【霊媒】の意味が解りません。霊媒者とはその肉体を外部の霊に貸して、その霊がその肉体の口を借りて他の存在と会話して来る存在です。
そうした霊媒者とは恐山のイタコで知られる口寄せ的な存在だと思われている節がありますが、霊能者が巫女として使う霊媒者はイタコ的な【霊の思い】を受けて、自分がその思い(想い)を代弁して語るのとは違います。単に霊の思いを告げるのは霊の憑依であり、その霊に肉体を貸すのは憑依でなく霊媒(巫女)なのです。巫女たる霊媒者に神霊が入れば、その肉体に入った神霊の顔形がはっきりと視認出来ます。霊媒(巫女)者の顔が変わることで、どなたが巫女(霊媒)の体に降りられたかの判断も出来るなのです。
霊媒者に弁天様などの降臨があると、その顔が大変な美形に一変したりします。それを実際に見た人は醜女がいきなり美女に変わるに驚くことになります。その霊媒者の周囲に居る者はその霊媒者の顔が変わることでそうしたことが解るがあるのです。
自分の肉体を霊に貸せるのが、本物の霊媒(巫女)
こうした霊媒者は【完全型霊媒】と呼ばれて、霊媒をしている人の意識はその肉体を貸している間、まったく別の場所に行っているのです。自分の肉体を霊に貸していても自分もその霊がしゃべった内容を聞いているのが【半型霊媒】で、その霊が出す言葉に自分の意識を混入させて来るがあります。そうなると【サニワ(審神)】が非常にやりにくいとなります。その霊の言葉なのか?。それともその霊媒者の意思なのかがサニワ(審神)者にも解らなくなるからです。
こうした事柄は行者筋ならば日常として接するがあります。一般的には狐憑きとか狸憑きとか蛇憑きと言われるような動物霊(必ずしも動物霊では無くて、霊が動物の姿形を取る)の憑依。多いのが自殺した霊に憑依された等で、憑依された人の口を通じてその霊の実体に触れるがあります。但し霊界には【愉快犯】と呼ばれる霊も多数居て、霊媒者に懸かって人を欺したと喜んでいるも多いなのです。そこにサニワ(審神)の必要があるのです。しかしスピリチュアルだとその審神(サニワ)がされていないなのです。
霊媒体質者は、体質として自殺霊を引き寄せてしまう
日本では肉体人におかしな霊が憑依すると【狐憑き】とか【蛇憑き】だと言われますが、西洋では【エクソシスト(悪魔払い)】が言われています。ただキリスト教ではエクソシストで知られる悪魔払いの牧師の地位は非常に低く。また人に霊が憑依する事案を理解していないがあります。それはキリスト教そのものは霊界の実相を知るではなく、イエスの名の下だけの宗教だからと言えます。
ある日本のテレビ番組で、アメリカでポルターガイスト現象が起きる場所でキリスト教の悪魔払いの牧師と日本人僧侶の霊能者(慈雲和尚)を立ち会わせたところ、キリスト教の悪魔払いの牧師は聖書と聖水を用いて【悪魔よ!。汝はイエスキリストの名の下に立ち去れ!。】だけで、そのポルターガイスト現象は鎮まりませんでした。
それを見ていた日本人僧侶である霊能者は、そのポルターガイスト現象を起こしているのは幼くして死んだ子供の霊だと解り。その子供の霊をきちんと霊界に導くで、そのポルターガイスト現象は鎮まりました。だが日本でもそうしたことが出来る霊能者は町の拝み屋として扱われ、その社会的地位は低いとなります。
私は霊界修行の中で子供で亡くなった霊がきちんと霊界に旅立っていないを見て来ました。自分が幼いと自分が死んだことが解らず、霊界から自分を向かえに来てくれた先祖霊のことをよく知らないことから、着いて行くことを拒否して霊界で自分が迷ってしまうなのです。その子供の霊が暴れることで起きるポルターガイスト現象は別に悪魔の仕業でも何でも無いのです。
拝み屋と呼ばれても、神霊の取次は簡単には出来ない
スピリチュアルでは霊など簡単に見られますが歌い文句です。日本の神社においては神霊と会話が出来る様な方が宮司を務めている事例は数が少なく、日本の神社本庁のトップでも神霊が解るでは無いのです。日本の神社本庁のトップに座った人の醜聞は時々ニュースで聞こえて来ますが、日本の神社本庁のトップにそうした霊能力を持っておられた方が就いたの話は聞きません。それはローマ法王庁にも言えます。世界宗教の最高指導者達は実際の神霊とは何かを知らないなのです。
私が伏見稲荷大社講務本庁が主宰する教師養成講座(伏見稲荷大社は神社本庁には属さず。稲荷神社の神主に成れる教師免状を受ける講習)で知ったのは、当時の伏見稲荷大社に勤める神職で豊受姫と会話が出来る方はたった一人だけでした。この方は権宮司で伏見稲荷大社を退職されましたが、どこの神社も似たり寄ったりなのです。大多数の神職は神霊と会話が出来ないのです。
しかし町の拝み屋と呼ばれる方達の中には、稲荷行者として豊受姫と会話が出来る方が何人も居られたなのです。私が最初の師匠とした方は、その稲荷行者としては筆頭格の霊能者と言われていた方でした。神霊と会話が出来る町の拝み屋と呼ばれる方が地域の神社を守る為に神主の職を目指しても、日本の神社本庁は学歴主義と社家の世襲制度で最初から低学歴者はオミットをしているのです。霊と会話をしているのは、単に拝むの低俗の者達の先入観念からです。
町の拝み屋で神霊と会話すると言っても、そこに高学歴の者が居ないでバカにしているがあります。神霊は魂の学びの為にその人を社会の底辺に落とす。そうした事柄を知らないなのです。
神社の神主として勤め、死後はその神社が管理する霊界に入って同様に神主をする。しかしそれは非常に狭い霊界で、膨大で高次元界が存在する霊界を知らない。為に神社に出て来る使いの神霊と会話しても、その神霊達は何も知っていないにぶつかるのです。
今ではそうした神霊と会話が出来る方達は、極端に減りました。
神は学歴が無いと会話をしない?。神は学では解らない
神霊の取次が出来る方が町の拝み屋などに成っているのは、この世での苦労をしないと人の心を理解して語る神霊の言葉の意味が解らない為に、逆に無学歴の方が多いのです。天理教の中山開祖。大本教の出口なお開祖など無学歴の方が開祖となっているのは、神は【学歴】では理解出来ない存在だからなのです。
日本の神社本庁が神主職の身分を高学歴に制限しているのは、神に仕える者は偉い者だ!。で神の実態を何も理解していないがあるのです。それは人の考えで物を言っているなのです。
私は旧約の神から東大よりも、神の灯台を告げられた
私は地元の田舎の高校を出ました。今は国立大学に行く様な後輩の話を聞きませんが、私が高校生の頃は東大や京大に進学した同級生や先輩達も多く、私の数年前に卒業された方は東大に入って事務次官にもなっておられます。私の幼なじみ二人も京大に進学しましたが、私は旧約聖書の神から【私はそなたを社会の底辺に置く。社会の底辺をウジ虫のごとく這わせて、人の心の在り方を学ばさせる。】と告げられました。
大切なことは【東大】に進んで社会の偉者(エラモノ)に進むではなく、神の灯台守として成長しなさいと告げられたなのです。だが社会の底辺を歩くとは容易な話では無いのです。人は誰しも上の世界に行きたいから向上心を持つのです。社会の底辺に沈むとその向上心の阻害が起きるからです。しかし旧約聖書の神は私に便所のウジ虫の如く【這え】と言われた。そうでないと言葉の道(這え)が解らなかったのです。
私が生まれた時から私を見守っていたと言われた豊受姫が私に言われたのは、【私はそなたが中学を出た時点で働かせることを考えていたが、そなたの母親が持つ神力(豊国姫の力)に邪魔されてそなたを中学卒で働かせることが出来なかった。それでは苦労が足りていない。】と言われました。この世はスピリチュアルで言う遊ぶ場所ではなくて【魂は苦労を積む】場所なのです。
お釈迦様はこの世は苦界、スピはこの世は遊ぶ処
この世は苦界で魂は玉思惟、この世は遊ぶ処で玉恣意
スピリチュアル標榜でも自己の肉体から自分たる霊魂(意識)が【幽体離脱】を起こした出て行った経験でもあれば、自分が抜けた肉体を別の霊が支配している霊媒者とは、どういう存在なのかが解って来ます。しかしそうした経験を持たない人には、死後の世界に生きている霊魂の理解はかなり難しいのです。
スピリチュアルの世界ではスピリチュアルは金儲けになりますよで、何十万円もの金を払えば蛇霊や狐霊を憑けて貰って自分の肉体の目で霊が見えるように成るはあります。しかし霊が見えるようになることは霊的世界の存在の認識にはつながりますが、人はこの世に魂の浄化の為に肉体を貰って出て来ている。肉体には霊の浄化能力があるとの認識までは繋がらないのです。
人は霊止で霊を止めるが、霊波動が違う霊だと苦しい
女性は妊娠で、別の霊を胎内に入れ時に悪阻が起きる
肉体の性と魂の性の違いは、自分で選んで後から文句
最近はよく出て来ます【性同一障害】とは、魂と肉体は別物であることから起きる症状と言えます。魂が男性の肉体を選んだが、その魂の本質は女性の要素の魂であった。肉体は女性だったが魂の本質は男性であった。そこに肉体の性と魂の性との違いの違和感が起きるがあります。
スピリチュアルの世界では魂は【中性】という説を取っているようですが、中性だと性同一障害が起きえるかとなります。万物には【プラスとマイナスの陰陽】の原則がありますので、魂は【中性】だという原理は必ずしも正しい論とは言えないのです。
それは大本教から陽魂たる【厳霊(プラス)】と陰魂たる【瑞霊(マイナス)】が出されましたが、この問題は単にスピリチュアル標榜だと解らないのです。
日本神道は男神と女神を同じ神名で、比古と姫とに分ける
日本と呼ばれる国は非常に特殊な国で、西洋の論理では理解出来ないがあります。そうした事柄の一つとして、日本の神道に見られる男神(陽)と女神(陰)が結婚すると、同じ神名で表記する神霊の【合体(結魂)】が起きるを理解していないと解りづらいがあります。こうした論理は魂論を何も語らないキリスト教社会では出て来ません。あるのは霊界でイエスとの結婚論だけです。
私などキリスト教の教えなどちんぷんかんぷんだと言います。イエス一人を創造神の御子と信じれば神の花嫁と成る。私は女性と結婚はしたいが男性と結婚するなどお断りだと言います。主の花嫁の意味が理解出来ていないと言うのです。
日本の靖国神社が戦犯であった東条英機の霊を合祀したことを問われて、当時の靖国神社の宮司は合祀した霊は一体の霊と成るので、東条英機の霊だけを今更分離できないと抗弁しましたが、それは日本古来の神道の考え方とは異にしています。
この男神と女神の合体とは、日本では男神を○○彦。女神を○○姫として、結婚をされた神は同じ○○の名乗りでも下には【彦(比古)や姫(日女)】の違いで表すがあります。その代表的事例として知られるのが【金山彦神に金山姫神】です。
この神々の結婚の様に関しては大本教の霊界物語には記載されていますが、西洋ではスウェーデンボルグの霊界日記に霊と霊の結婚が記載されています。魂の世界では陽魂が陰魂を包む形で飲み込むことが【結魂】であり、その時に【エクスタシー(恍惚)】と呼ばれる事柄が発生して【絶頂感】が起きます。そのエクスタシーとは神仏と触れたからではないのです。魂と魂の結魂による性の違いを超えた絶頂感なのです。
魂と魂は【結合】も出来れば、結魂から分離も出来る
が、霊波動が違う魂同士を結魂させることは出来ない
靖国神社の宮司が言う英霊達を合祀すると一体の神と成るので分離が出来ないではなく、霊は波動が違う同士はそもそも結魂自体が出来ないので合祀で一体の霊とは成らないのです。靖国神社で日本の為に亡くなった英霊達を祀るということと、靖国神社に多くの英霊達が居るということは個別の話であって、神社の神主だからと言って霊の世界が解るではないのです。
人の魂の【輪廻転生】は、人の魂を神上がりさせる為
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しかし仏教は個々の人がお釈迦様の様に【仏陀の道】に進むことを説いているのであって、西洋で語られる様な万物の創造神の存在を説くではありません。
仏教は、人をお釈迦様の様に【仏陀】の道に行かせる
もし霊能力者の間で語られる神の高山説で十合目の神。すなわち創造神が世に出たとするならば、この世界は一瞬にしてひっくり返っていてもおかしくないのです。この地球は創造神と呼ばれる神が住む世界では無く、罪を犯した魂が更生する宇宙的刑務所。大本教からは天人の苗床と称されるように、魂にとっては修学的な場所であるからです。この世は創造神の存在を告げる場では無いなのです。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【この世の人の一生とは、魂の世界からすると修学旅行に出たような短い時間である。】と告げられました。魂が今の人間の肉体に入り込んだのは宇宙の歴史的からすると比較的に浅いのです。それ以前は魂の容器は人の様な姿では無かったのです。
しかしこの世は魂が修学に出ている場だとすると、この世の命を終えたら本来の【場所】に戻ることになります。それが霊界なのですが、それがこの世に住む者には正しく説明されていないなのです。
未だ人類の上に十合目の国常立尊は出ておられない
しかしながら大本と呼ばれる宗教を先兵として予告されてきた関係上、万物の創造神が人類の上に降り立つとすれば【綾部】の地に成るとする向きもあるのです。私の神霊界修行の世話をしていただいた伏見稲荷山の首座神である豊受姫は、綾部は万物の創造神が降り立たれる聖地と告げられたがあります。
その大本教の二代教主補であった日本における大預言者の出口王仁三郎聖師は、自分と出口なお開祖は旧約聖書に予言されるキリスト登場前に現れる男女二人の預言者であるとも述べておられます。しかしそのキリストの意味はイエスの様な人間だと思う大勘違いを起こさせたなのです。
ナザレのイエスの教えを見ると明らかな間違いを幾つも出していることから、人の身であると誰しも間違いを出しかねないのです。だとすれば【誠のキリスト】とは、人の身では成りえないのです。ロゴスに真理が在るとすれぱ、言葉を出す人間のことではなくて、それは【言葉の仕組み】そのものと言えます。
ロゴスとは言葉であり、誠のキリストとは言葉の仕組み
イエスの教えに間違いが多いのは、その弟子達の霊的力量が低すぎたがあったなのです。もしその弟子達の霊的能力が高いと、師匠の教えで解らないと疑問をぶつけます。すると教えをする方も慎重にならざるを得ないのです。だがその弟子達が師匠に教えを聞くだけで、何の疑問も出すだけの力量がないと、師匠の話はごもっともで終わりです。で、師匠も間違いに気づかなくなるのです。お釈迦様の十大弟子達の方が、イエスの弟子達よりも遥かに霊的な力量が高かったと言えます。
私は神霊界修行でサニワ(審神)をして来ました。私は神霊が言う言葉で解らないことがあると質問を浴びせます。それに対する神霊の答えに少しでも疑義があると、さらなる追求をしていきます。すると私の質問に神霊が答えられないで黙ってしまうがあります。そこで私はその神霊に対して【貴方は本当に神なのか?】と詰問に入ります。すると私の疑問の追及に答えられない神霊は私から逃げ回るを起こすなのです。私の元にはやって来なくなるなのです。
豊受姫の御代で在った最初の師匠から、【貴方は神様に対してあまりにも疑問をぶつけられます。それでは神様たちは貴方を恐ろしがって貴方に近づいて来られません。】と言われるので、私は私の質問に答えられない神など必要はありませんと答えたがあります。
私は何かと天使長ミカエルの名を出す方に、その天使長ミカエルに私の元に来るように頼んでいます。もし私の元に来れば【質問責め】をします。私の元には自分は億体からの龍神を従えていると言って来られる方もありますが、私はその神でも人でも何億でも何十億もの龍神を従えていると言われても、それで怖いとは思わないのです。私は【真理】を求めるからです。
大本教神論は、言葉のキリストとして【九つ花】を予告した
朝鮮に残されていた最後の審判前、救世の為に【米】一字の教えが起きる。その教えに従った者達の上には天罰は下りないが、そうでなかった者達の上には天罰が下りるとあるのを読んで、どうして【米】一字で教えが出来る?。私はあまりにも不可能ことが書かれていると思っていました。
その【米】一字が、大本教神諭予告【九つ花】で解けた
何故に大本教は仏教の【みろく】大神を世に出したのか?
大本教から出された【みろく】は、【369】が必要で
真ん中の【41】に【一輪の言霊の経緯】が秘められる
イエスは40日間荒野をさ迷い、41日目に神の御子となる
モーゼは40年間荒野をさ迷い、41年目にカナンに入る
私は子供の頃は綾部の大本教に勤める神職の人達が住んでいる地域に住んでおり、その地域に住む神職の子供達は私の遊び仲間で、そうしたこともあって綾部の大本教神苑は私の遊び場でもありました。その神職の子供達と大本教みろく殿の中や廊下を走り回り、罰としてみろく殿の廊下掃除をさせられましたが、その褒美として食堂で御飯も頂きました。私にとっては大本教は心の故郷とも言えるのです。
そんな私に旧約聖書の神と称する声が臨み、私にいろんな教えをして来たと言えます。その内容は通常の宗教書が説くような内容では無く、私に【人としての心の在り方】を一貫して説かれたと言えました。
私の良(ラ)心神とは、その旧約聖書の神が教えた心
良(ラ)神を教える為に、艮(魂)に点(天)を付ける
お釈迦様の悟りは、人には良心と呼ばれる神が内在する
大本教神論予告【九つ花】で、五十六億七千万が解ける
大本教神諭に【この神は病気治しの神では無く、心の立替、心の立て直しの神】とありますが、人の心の持ち方を説かれたのです。世に説かれる宗教は【病気治しや現世御利益】が主体であり、それに死後の世界の安心立命で天国や極楽に往生の保証です。されど我が宗派の教えを信じる者は天国で異教徒は地獄に落ちるでは、そこには【真理】が何一つ説かれていないがあります。実際には宗教の教えでは天国界には進めていないなのです。
ただそうした教えの中で、その旧約聖書の神と称する声は【私は今の世を終わらせて、人類を永遠に嬉し嬉しの新しい世に渡す。】と告げられたのです。その過程の中で私の魂は神界の用務に就き、肉体のそなたはバカを演じていればよいと言われたのですが、別に演じなくても豊受姫から私のことは【あれはオッチョコチョイ】と言われる天然バカ振りがあるのです。名実共にオッチョコチョイの天然バカと言えます。
しかし私の魂は、前世では【策略家】として世に知られた武将なのです。そして一部の霊能者の方達は、天に存在する貴方の魂の本体は元は国常立尊の天使長だったと言われるのです。そして私はその本体ではなく、その魂の分魂に過ぎないなのです。それはこれまで説明をして来たように、この世に降りている自分とはスポイトの一滴の水に過ぎないなのです。この世で肉体を持つ魂とは【いと小さき存在】で、自分を見て主を見よなどの言葉は絶対に出してはいけないのです。
旧約聖書の神は魂と肉体は、同一では無いと説かれた
そこに大本教から【霊主体従】と【体主霊従】の教えが出されました。肉体には肉体の【自我】と呼ばれる物が発生し、必ずしも肉体に存在する魂の命令に従わないがあるのです。それが【体主霊従】であり、魂の命令通り動く肉体が【霊主体従】と呼ばれるわけです。
肉体には肉体の我があり、魂には【真我】が存在する
昔は【真我】とは何かとなった時、【悟り】と結びついており。かなり的確に真我の意味が捉えられておりました。しかし今は無茶苦茶な論理が蔓延り、神は絶対愛などとまったく方向違いのことを言う方が増えて来たと言えます。
そうした方達の論理は魂は【玉形の思惟】が理想である。そのことが根本的に欠如しているのです。もしその方の魂は【玉形の恣意】の方だとすると、神は何をしてもいい好き勝手を許しておられるで論理が違って来るのです。
私の場合は子供の頃に【イエスの愛の教えは美味なれども、真ん中が無いドーナツ型のパンの教え。】と告げられており、さらに子供の時に【そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えていきなさい。】と命じられて来ました。実際に天国界に入るのは神の愛などでは無く、魂に出る【良心神】の点数だと確認して来ましたので、そうした神は愛だの論者の数は多くても【真理】からかけ離れた者の意見に私は沿えないとなります。
人は【霊止(ひと)】であり。この世で暮らす肉体は【食べないと生きられない】宿命を負います。そうした時、魂に存在する【真我】の声に従っていると、この世では生きてはいけないを起こすがあります。そうした時、魂の声よりも肉体の自我の働きで【体主霊従】の立場を取るともなります。
私が子供の頃に臨まれた旧約聖書の神と称する声は、私に【人はこの世で生きて行くに当たり、食べて行くためにはこの神を捨てても構わない。この神を信じてその為に死ぬではなく、この世を生き抜くことが大切である。生きて時節を待つ。その為にこの世で悪行を犯したとしても、生きるが為の悪はこの神はその罪を問わない。】と告げられたなのです。
スピリチュアルの神は愛だから何をしても赦されるではなく、この世を生きる為に犯した悪は罪には問わないなのです。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、小説【罪と罰やレ・ミゼラブル】を読みなさいと告げられました。そこには神の教えはあるのです。小説の罪と罰やレ・ミゼラブルは深く考えさせられる内容です。
人は【食】べる為には【良】心を閉ざさないといけない
日本の神霊界をバックにする方達はその【霊主体従】と【体主霊従】を言われますが、イエスだ!。イエスだ!。そんなことばかり言っているスピリチュアルでは、その言葉の意味すら解らないとなります。
そうしたスピリチュアルの方の前世にはキリスト教社会に生まれた等があり。そのキリスト教社会時の意識が魂の中に宿ることで、何時までもそのイエス第一主義の意識を引きずられるとなります。どうして自分は今回はキリスト教社会に生まれないで、古来より【言霊の幸はふ国】と言われた日本に生まれ出たのか?。その意義すら気づかないとなりまのす。
肉体の私は間もなくこの世での使命を終えます。しかし私の心(魂)は肉体の死で終わるではないのです。私は旧約聖書の神と称する声が私に告げた内容を信じるならば、前世では腹に魂胆を持った者達に良いように利用されて悲劇の武将でこの世の命を終えたようですが、今生は本当のキリストと言える【真理】を得ることが出来たなのです。
恨みの艮金神、艮(牛虎)に秘めた鬼と言う【魂】論から
五六億七千万で、釈尊の悟りの良心神と8の世を知る
私が知る神は、私を見て父を見よなどでは説明は不可能
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もし何をしても神の愛で赦されるならば、人は誰も【反省】すらしないでしょう。それだとその世界はやりたい放題と化します。スピリチュアルに見られるそうしたお題目は、イエスの愛の教えの影響を受けたと言えるでしょう。イエス一人が人類の罪を背負って下さったと本気で思っている人達が世には居るなのです。
こうした人達にお釈迦様の本当の悟りが【人には良心と呼ばれ神が内在している】だったと教えても理解することはありません。もし自分の中に【良心の目覚め】があれば、他人に自分の罪を押しつけることはしないし、そんな他人の犠牲の上に成り立つ教えは教え自体がおかしいと解るはずなのです。
悪魔の目的は、人々が自分の【良心神】に目覚めないこと
愛の教え一辺倒の人達は仏教の縁(因)から物事は起きる【縁起】とか、輪廻転生を起こすカルマ(業)に関してさほど理解はされていないようです。
実際に霊界の一部でも見聞して来ますと、神は愛だから何をしても赦して下さるは話が違うではないかとなります。それは【加害者を詭弁で擁護する】論の展開であって、【被害者の感情意識】をまったく理解していないと言えます。
イエスの有名な教えは【自分の頬を叩く者があれば、反対の頬を差しだせ。】ですが、その教えをおかしいと思わなかったなのかです。もし自分の妻子が誰かに無惨に殺されたとして、私には未だ他にも家族がいますからと言って自分の家族を更に殺して下さいと差し出すのですか?。となるのです。
自分の家族が誰かに殺されて、自分は愛で犯人を赦しますという人は詭弁だと言えます。それよりも自分は例え地獄に落ちても犯人に復讐したいと思うのが家族を愛している者の論理と言えるでしょう。自分は自分の妻子を殺した犯人を赦しますと言う者は、実は家族をさほど愛していなかったのではないかとなるのです。家族を本気で愛しているか愛していないかで、愛の反作用の【憎しみ】の度合いが違うからです。
被害者は加害者を恨む。霊界には被害者の恨みが渦巻く
イエスの愛の教えで、魂の恨みが癒やされるのか?
被害者の恨みは、ハムラビ法典に見られた【目には目を、歯には歯を】で、少しは癒やされます。だが恨みを果たし終えた後、そこに虚しさが起きるなのです。そこに加害者の罪を赦しなさいがあるのですが、それは【愛】では無いのです。愛と言う言葉で安らかな心が得られるものではなくて【悟り】の部類なのです。それは他人から得られるのではなくて、自己の心の持ち方に起因するなのです。
イエスの教えにある自分の反対の頬を差し出したとして、叩いている方も叩かれている方もそこまでの境地を得ることはないのです。
下記の図は、主に大本教から出された日本神道界の一部で説かれた【一霊四魂】を私流に解説した図ですが、
愛の働きは反対に走ると【憎しみ】の元凶となる
スピリチュアル連呼の人達は【奇魂】の働きが弱い
お釈迦様の教えに入ると奇魂(叡智)の働きが出て来ますが、イエスに走ると奇跡的な方向に走って奇魂(叡智)の働きが阻害されて来ると言えます。
愛は何も畏れないが、事の善し悪しの判断をしない
悪魔とは良心(直霊)の位置を【空く間】化させる
霊的世界を見聞していると、前世で無惨な殺され方をした方の今生の肉体が、その時に自分を無惨に殺した魂の今生の肉体に遭遇して仕返しをするがあります。その時、互いの肉体は自己の魂の経緯は何も知らない。気づいていないがありますが、しかしその魂は前世の出来事を覚えていて今世で復讐を遂げるです。この時、閻魔庁は復讐した人の罪を問いません。何故ならば、それで五分と五分のチャラだからです。
その人の前世に何があったのか何も解らないこの世の裁判所は、前世の出来事など知る由もなく裁判をしますので今生だけの罪を問いますが、人の【輪廻転生】を司って来た閻魔庁は過去の出来事もきちんと把握しているのです。
私は霊能者江原啓之さんの様な霊能者ではありませんので、その方の前世を知ってアドバイスなどは出来ませんが、それでも私の背後の神霊からその人の前世の所業を見せて貰えるがあります。それでこの方の今生はそうなったかです。時には巷で自称救世主とか創造神だと名乗っている方の前世も見させられるです。オーム真理教の教祖松本智津夫の前世を知ると、なるほどそれで今生はああした行為をしたのかとなります。
人の今生の運命は、過去世からの流れを受けている
自分の運命を変えるには、自分のカルマを解消する
人がこの世に誕生するのは、自分の過去世から積んだ【カルマ(因業)】の解消であり、過去からのカルマを今の世で解消すれば自然と運命は好転するのです。
イエスを主の一人御子と信じても、イエスに全キリスト教徒の魂を浄化浄霊させる能力は存在していません。イエスを主の一人御子と信じるだけでは、天国の門は開かないのです。天国の門を開くには、自己の努力が要求されるのです。
神と云うよりも、閻魔大王は何もかも見ておられる
霊世界に関わっていると、この世で酷い仕打ちを受けた人の霊が恨みから蛇霊と化しているにぶつかります。その酷い仕打ちを受けて蛇霊と化した霊に、神は愛だから何をしても赦されます等のお題目が通じるかです。自分が酷い仕打ちを受けて恨みから蛇霊と化しているのに、この恨みを果たすまでどうして成仏が出来るか!?。となります。
恨みから蛇霊と化した霊は【成仏】よりも、相手に同じ苦しみを与えないと溜飲が下がらないのです。
その霊を成仏させる為には、その願いを叶えてやる
人の輪廻転生は、どこかで過去の罪の精算が必要
今の世はどちらかと言えば罪を犯した人を愛で庇う(救う)のが正義で、被害者の感情を考えない【愛】的な要素が強いと言えます。しかし逆に言えば、加害者に被害者と同様の五分五分の仕打ちを与えることも【愛】と言えるのです。加害者側に偏った意見が愛ではないのです。
カルマの原則は正負の原則で、五分五分にする
霊界の見聞をしていると霊能者の間ではこの世で金権等の財。地位や権力等に溺れた人。他人を恨んだり妬んだりしていた人。また色情の因縁を生んだりしていた人達は死後の世界で蛇霊化すると言われている事実に遭遇します。
魂の嫉妬や怨念が蛇霊化なのに、愛で赦されている?
私は伏見稲荷神界と言う狐霊世界で神霊界修行をさせて貰いました。霊能者の間でこの地球の神霊界は狐霊や蛇霊の世界だとされる事柄も学びました。その狐霊や蛇霊の世界を学んだことにより、逆に西洋の一神教には大きな間違いがあると解ったと言えます。大本教の出口王仁三郎聖師は霊界にミカエルと言う名の天使長は存在しないと述べておられますが、西洋では唯一成る神の名の下に特定の霊により【真理】が葬られて来たとも言えるのです。
霊界を語る時、恨みから蛇霊化した存在を外せない
丹波の片田舎綾部で発祥した大本と呼ばれる宗教開祖の出口直に降りたのは、【艮(ウシトラ)金神・国常立尊】と呼ばれる神でした。ただ優秀な霊能者の事後判断としては、大本に降りた艮金神国常立尊とは神の高山の合目説では七合目段階の神との説があり、本家本元とされる十合目の国常立尊では無かったとも言われています。そこから大本教は【本番】に備えた【予告の為の教団】とする説があります。
大本教の出口王仁三郎聖師の予言には【大本は七代女子の教祖で続く】と出されましたが、今の教祖の筋ではなくて本来の筋の家系は既に七代の女子を生んでいます。すなわち大本教は予告教団としての使命を終えようとしているのです。予言教団と言われた大本教がその使命を終えるは、【みろく(五六七)世】の到来なのです。
大本教に世の大立替の予告教団の使命が与えられたので、二代目教主補の出口王仁三郎聖師は比類無き大預言(大予言)者として霊力を発揮された。その魂の格式はナザレのイエス以下では無かったなのです。イエスの千年王国等、イエスが死去して既に二千年以上経過しており、キリスト教徒は待ち望んでも起きえないのです。
艮金神は【恨み霊】で【祟りの金神】と恐れられた
旧約聖書の神も祟り神で、その同一性が言われた
恨み霊だから【艮】金神と言うは、ある意味解りやすい神名となります。しかしそれは節分の夜に炒り豆で【鬼は外】をされている鬼だとなると、これは単純な話では無いとなります。節分の炒り豆で【鬼は外】と打たれている鬼達とは、キリスト教の教義にはサタン(悪魔)は冥府の長官とする説がありますが、鬼とは冥府の長官たる【羅城の閻魔大王】の配下の邏卒達のことです。
されどその羅城門を別名【来世門】と呼び、その羅城の門をくぐればこの世で罪人であった人も来世も人としてまた世に出して貰えると言われていました。すなわち【輪廻転生】の大元です。
羅の漢字に死者の【維新】が読めるので、来世の授け
この世を去った人の魂はその前世がどれほど極悪人であったとしても、地獄界で罪を償い終え、この世に再度人として出される時はその肉体は赤子として真っ新な肉体になります。その肉体に過去の魂の罪状は書いてないのです。それが創造神の【恩寵】なのです。しかしその魂には罪の精算が終わるまで、カルマ(業)として残るのです。
鬼(牛頭虎パンツ)と云う魂に【来世】が授けてある?
大本教神諭は艮には【牛虎】もある。牛虎で鬼と云う
その羅城の門番を邏卒(悪を取り締まる警察官的存在)と言い、その邏卒は牛頭馬頭で虎パンツでこれを【鬼】と呼んだです。
大本教から世に出された艮金神とは、大本教神諭に【艮には牛虎もあるぞよ】で、この仕組みは日本語の言葉で解読させる仕組みになっていたなのです。その証拠として大本教が発祥した綾部藩の殿様は九鬼くかみ)神道家で、元は鳥羽藩主で熊野本宮の別当職の家系であり。そのクカミ神道では宇宙の元津神を【宇志採羅根真(うしとらこんしん)】としていたなのです。大本教から出されたのは【艮金神】で、ひらかなに当てる漢字を変えているなのです。
ウシトラ根真とは、宇宙を創世した元津神
そんな言葉の仕組みの芸当は文盲であった大本教の出口なお開祖に出来ることではありません。何故に艮金神と呼ばれる存在が文盲の老婆を使ったのかは、それは出口なお開祖が神界で罪を犯して、地上界に落とされた魂であったことに起因しているのです。
閻魔大王とは、人の輪廻転生を預かっている冥府の長官
黄泉(よみ)の国からこの世に戻るのが【黄泉帰り】
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでおり、その声はナザレのイエスは人類が思っている様な救世主たる存在では無いと告げられました。確かに、誰かに自分が犯した罪を押しつける。そんな教えがまかり通ってはいけないなのです。自分が犯した罪は、自分が払わないと神の子とは言えません。
大本教からみろく大神を【六六六】とする内容が出された時、日本では新約聖書で【666】を反イエスの悪魔と説いていることからどういうことだとなりましたが、反イエスの立場でないと【人に内在する良心神】が説けないのです。
良心神は各自の魂に内在する創造神の一人御子の立場
当然に、イエス一人が主の御子とする説とは対立する
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魂(玉思惟)は個々で大きさが違い、その働きも違う
人の魂は玉型の思惟(深い洞察力を持って生きる)か恣意(自分勝手な気ままに生きる)かの二つに分かれます。西洋で発達した近代神智学などは魂は球体程度のことは理解していますが、鬼が云うの【魂】は【玉形の思惟(シイ)か恣意(シイ)】であるかの理解力があったではありません。この二種類の違いが理解出来ないと【転生】の意味すら間違えてしまうなのです。恣意であると転生を続けなければなりません。思惟に成るとお釈迦様の様に【もうこの世には降りない】となります。
そこにも【日本語】でないと、霊的世界の説明は出来ないとなります。たましいと呼ぶ言葉に幾つかの漢字を振ると、その意味が解るなのです。神が大本教の出口喜三郎師に喜三郎ではなくて鬼三郎と名乗れと言った意味も、大本教に日本の言葉を変換する仕組みを告げさせるでもあったのです。
?は言葉を申し示す、言葉の変換=神界の支配を返還
それは神とは人間が困った時に助けて下さいと頼る様な存在では無いと言うことなのです。自分が神として成長するで、大本教から出された【人は神の子・神の宮】で在り、キリスト教の様にイエス一人を神の御子だと拝むようであってはならないなのです。神は神様。自分を助けて下さいと頼るのではなく、人は自らが神として成長しなければ成らない存在なのです。
私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。私の教えは世界の宗教書には非ず。この日本の民話や諺や童歌などに私の教えは秘めてある。日本以外でこの私の教えを知ることは出来ない。】と告げられましたが、大本と呼ばれる宗教が起きて来るまではそうした事柄の理解は日本でも出来ていなかったと言えます。
ただ日本には古来より【言霊(ことだま)の幸はふ国】と言う不思議な内容があったなのです。
私は神霊界修行を稲荷神界でお世話になりました。キリスト教の牧師から言えば、自分達は主の一人御子たるイエスを拝んでいるのに、貴方は狐霊等を神として拝んで来たのかとなります。しかしそうした論は、イエスの玉と呼ばれる魂がどの程度の物かを知らない論と言えます。この世にイエスとして化現した魂が世に神霊と呼ばれている存在の魂と比較して、どれだけ違っていたのか?。それを把握しての論理ではありません。
伊勢神宮に鎮座している天照大御神と称する霊。出雲大社に鎮座して大国主命と称する霊。伊勢外宮の神であり稲荷大神首座神である豊受姫の霊。こうした霊とイエスたる霊とではどこがどうちがうのだ!。そうした説明が何もなされていないのです。
イエスの最大の間違いは、自分を見て父を知りなさい
イエスを見て万物の創造神が解る者など、この宇宙が誕生して以来、一人として存在していないでしょう。それはイエス自身が【魂(玉形の思惟)】とは何かをほとんど理解していなかったからです。その名残が西洋を主体にした近代神智学に見られます。イエスから抜け切れていない。
イエスが見せたと伝わる奇跡の数々は世に【龍神】と呼ばれる存在が見せる霊力によるもので、俗に金龍、銀龍、白龍、青龍、赤龍、黒龍、黄龍、緑龍等の龍と呼ばれるエネルギーを駆使する存在の力によるもので、それらの龍が見せた奇跡をもってイエス一人が主の一人御子などにはならないのです。
私は龍神、蛇霊、狐霊、天狗などの存在を見て来て、西洋の宗教は何だ?。となりました。
この世に肉体を持ってイエスとして現れた肉体の魂だけならば、この世に肉体を持つ他の人の魂とその大きさが違うではないのです。それは肉体に宿る魂の大きさには限界があるからです。この世に肉体を持って出てる人の魂とは、その魂本体の一部分に過ぎないなのです。
この世に肉体を持って出たイエスにしても、その肉体を守護している【正守護神】と呼ばれる存在が在ったのです。こうした正守護神をスピリチュアルでは【ハイヤーセルフ】という呼び方をしていますが、スピリチュアルのハイヤーセルフ論だとその魂の大きさの説明が的確ではないと解って来ます。通常の人の正守護神とイエスの正守護神ではその存在そのものが違うなのです。
しかしながらスピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。ハイヤーセルフだ!。ハイヤーセルフだ!。そうした言葉を連呼している人達から【魂】とはなんぞや?。そうした話は一切出て来ません。鬼が云う【魂】そのものを理解していないからです。
私は稲荷神界で霊界見聞をさせてもらった関係上、【稲荷大神秘文(いなりおおかみひぶん)】と呼ばれる祝詞を読み上げて来ました。その稲荷大神秘文と呼ばれる祝詞の出だしの内容を書きますと、
夫神(それかみ)は唯一にして。御形(みかた)なし。虚にして。霊有り。天地開闢(あめつちひらけ)て此方(このかた)。国常立尊を拝し奉れば、天(あめ)に次玉(つくたま)。地(つち)に次玉(つくたま)。人に次玉(やどるたま)。以下略。
稲荷大神秘文では、本来の神は唯一であり、虚でその形は無い。天地が開闢してからはその神を国常立尊と拝して来ました。その結果、天には天に宿る玉。地には地に宿る玉。人には人に宿る玉が出来ましたと教えているのです。一概に魂と云っても、天と呼ばれる大きな魂(玉)。大地と呼ばれる魂(たま)。人と呼ばれる魂(たま)があるです。
私は霊的にはイエスと覚しき存在に三度ばかり遭い。そのイエスと覚しき存在の魂の玉も見て来ました。イエスの魂は神霊の玉とは言えますが、天として存在する玉。大地として存在する玉。そうした天地そのものを意味する玉と比較した時、イエスを創造神の様な存在として見ることそのものが大きな間違いの元と言います。
イエスをいくら拝んでも、救世主と呼ばれる様な力を持って人類を救える様な存在ではありません。いったいイエスが救世主として何かを救世したか?。そんな事実すら過去のどこにも無いのに、勝手な救世主論だけが一人歩きしたなのです。
イエスはお釈迦様と同様に宗教世界の【先達(せんだち)】とは言えますが、イエスはお釈迦様より【叡智】が優れていたではないのです。そこに識界レベルの判定として、創造神を第十識界とするとお釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。弘法大師や日蓮聖人は第四識界とする向きもあります。
キリスト教会は【神は愛】だと説きながら黒人奴隷売買の先兵となり、この地上世界に大きな【カルマ】を産み出しました。キリスト教にはカルマの概念が無かったのです。全ての罪は全てイエスが受けてくれるです。その残された【カルマの精算】はキリスト教社会全体に及ぶことになります。
人には誰しも【魂】が存在します。その人に宿る玉は稲荷大神秘文では【人に次玉(やどるたま)】で、野球ボール程度の大きさなのです。それ自体はスピリチュアルでも語られる自分の霊界における本体たる魂をコップ一杯の水に例えると、この世に出ている肉体に宿る魂とはスポイトの一滴の水のような物だとなるのです。
スピリチュアル標榜でもスピリチュアル界の大御所と自認される美輪明宏氏や霊能者江原啓之さん当たりならばそうした魂論を展開されるでしょうが、ハイヤーセルフだ!。ハイヤーセルフだ!。と言っているだけのスピリチュアだと、この【コップ】本体の説明が出来ていないのです。
このコップ一杯の水を日本神道では【正守護神】とする
各自の魂の正守護神は通常【五・六・七】次元界に在る
ある自分が救世主だと呼称する方は自分は七次元界の素戔嗚尊の魂で、その配下に三輪山の六次元界黒龍神団が就いた。その三輪山の黒龍神達を動員して貴方の正守護神を見つける為に六次元界をくまなく捜索させたが、あんたの正守護神の存在は見当たらなかったと言って来られました。その六次元界を捜索したは、既存の神霊界の感覚なのです。
私は大本教神諭を通じて、大本教で演じられた【神の型】を解説して来ました。大本教では数々の予言をして、その予言の数々は当たりました。その予言とは広島や長崎に新型爆弾が落ちて火の海になる等や当時の世界大戦に関する出来事が主体でしたが、大正時代に現代のスマホの様な物の登場も予告されて来ました。それらはスピリチュアルで見る貴方の恋愛とか就職の様な個人レベルの予言ではありませんでした。
すなわち大本教からは【未来を見通す】神の存在が世に出され、その大本教は【世の大立替】という今の世から新しい世(みろくの世・永遠の8の世)が来ることを予告したのです。
永遠(8)と無限(∞)の末広がりの【八の世】の到来
大本教を知らないと、みろくの世の到来が理解出来ない
世界の宗教を見た時、イエスやムハンマドを通じて天使長ミカエルとか大天使カブリエルと称する霊が出て来て、キリスト教とイスラム教で血と血で争うように仕向けていますが、そこに起きている現象はその背景に【神界の覇権】争いがあります。今の神界の現状は【勝てば官軍。負ければ賊軍】で、神界は統一されてはいません。
私は鍾馗神と呼ばれる神の御案内により、中国で【盤古大神】と呼ばれる神に拝謁するまで、そうした神霊世界のことは知りませんでした。豊受姫から私の元に中国の鍾馗神が行かれたとは聞きましたが、盤古大神など聞いてもいない神だったからです。
そこに大本教から日本書紀で創造神と記載される国常立尊ですら、神界の主宰神の座から追放されるほどの神界の権力闘争の話が出されたなのです。そこに在るのは、伊勢神宮とか出雲大社に参拝と言うようなレベルの話ではなく、宇宙的規模で展開される【神界最終戦争】があるのです。
神界戦争は、国常立尊派の龍神と反対派の龍神が戦う
自称救世主と称する方達は、どなたも自分には龍神が従っていると言われます。そうした龍神達が多く従っていないと、神界の最終戦闘においては逃げ回らないといけなくなるからです。神霊界に何らかの関わりを持つ様な人の魂ならば、通常は五次元界か六次元界を捜索すれば【正守護神】を見つけることは出来るはずなのですが、私の場合は私の正守護神は特別の任務を持つので【五・六・七】次元界では見つけることは出来ないのです。
いくら自分は凄い霊能力者だと言われても、そうしたことが必ずしも解っているとは言えないのです。八次元界と呼ばれる様な世界に見る龍神と五次元とか六次元と呼ばれる様な世界で見る龍神とでは【天地の様な差が】あるのです。
宣伝される【五六七】とは、自分の正守護神と同一神界
日本神道は、肉体の魂と正守護神の【神人合一】を説く
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声の主は私に【あの世(霊界)は多種多様の世界で在り、計り知れない広大な世界で在る。人がその一生をかけても見聞などとても出来ない。為に自分の力で全てを知ることが出来ないので、人が見た知識を自分の物としなければならない。自分は見ていないからと言って、そんな世界は無い等と否定すべきでは無い。自分は見ていないけれども、その人は見ているのかも知れない。他人が見た物を否定するのではなく、そうした世界が在るかも知れないと考えなさい。】と注意を受けて来ました。
私に臨んだ旧約聖書の神と称する霊も小さな存在かも
何故ならば、私はその神の実力を目にしたでは無い
私は霊能者ではありません。霊的世界の解説者として霊界の一部を見聞して説明をしているです。しかし自分は凄い霊能者だと称したい方の中には、私の霊能力を推し量ろうと嘘を言って来られる方もあります。もし私が霊能者として優秀な者ならば、自分が出す嘘等簡単に見破るだろう式です。で、私に嘘をついて来られる。
しかし私は幼い頃から旧約聖書の神と称する声から、自分は見ていなくてもその人は見ているかも知れないで、その人の言葉を最初から嘘だと決めつけて言わないようにしているのです。黙って聞いていれば嘘であれば何れボロを出して来るです。
それは霊をサニワ(審神)する時、その霊を贋神と決めつけずにその神だと聞いておいて、その話がおかしいぞとなると追求に入るです。問題は疑問を呈するには、それだけの知識量を必要とするなのです。何の知識も保有しないと疑問を疑問としてぶつけられないのです。スピリチュアルで直感だ!。直感だ!。と叫んでいる人達が簡単に霊に欺されるのは、【疑問】を提示しないからです。
自分で嘘を出して喜ぶ。それはその程度の存在でしかないのです。イエスに関して起きた霊的事物にしても、サイババの奇跡にしてもそうですが、霊的世界を見聞していればそのメカニズムは解って来ます。彼らは霊的世界宗教世界の偉大な先達の一人であっても、完全に神霊界を語り切れてはいないなのです。
その人の魂(心)の本質を掴むには、スポイトの一滴とされる肉体に宿っている魂では無く、その魂を出した【コップ一杯の水】と形容されるコップ本体の容器の大きさとそのコップの水の汚れを見ないといけないとなります。
肉体にある自分はスポイトの一滴の分量だとしてもその水を汚せば、コップ本体に戻るにはその水を【浄化】しなければならないのです。スピリチュアル標榜者のお題目である【神は愛だから、何をしても赦してくださる。】は、その汚れた水の浄化を何一つとして理解していない者達の発言と言えます。
汚れたスポイトの水を元のコップの水に戻すは出来ない
私の本守護神は伏見稲荷山の首座神である豊受姫から貴方の本守護神は【国常立尊様ですよ。】と告げられました。私が出会った多くの霊能者の7〜8名の方からも貴方の本守護神は国常立尊様ですと聞かされたことからその様に思ってはいます。しかしあんたにそんな偉大な神等就いていない。あんたは欺されているのだと言われる方達の方が圧倒的に数が多いのも事実なのです。それは霊能者だからと言って、何もかも見えるとか解るでは無いなのです。
ただ私にはどうして日本の言葉で創造神の説明が出来るのか?。そうした不思議が残るのです。豊受姫が私に言われたように、【貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)に等しい物】であるならば、日本語による言葉の組み立ての不思議にどれだけ気づけたかとなるのです。
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一方、みろく大神とは仏教におけるお釈迦様の悟りを忘れた人類に、お釈迦様の死後【五六億七千万】後に現れて、お釈迦様の本当の悟りが何であったかを人類に告げて永遠に嬉し嬉しの世に渡す【弥勒菩薩】のことですが、物理的にはこの地球が出来て未だ四十七億年程度で在り、この先に来る五十六億七千万後まで人類が存在しているのかとなると、誰でも疑いたくなる数字とは言えます。
仏教においてはお釈迦様の死後、【正法・像法・末法】が説かれて既に末法に入っていると言えます。だすとれば仏教でお釈迦様の死後五十六億七千万後と説かれるその五十六億七千万の数字は、【秘密の数字】で解読を必要とします。
この日本では大本教や岡本天明師の日月(ひふみ)神示において【五六七】と書いて【みろく】と呼ぶなど、言葉本来の読み方からするとあり得ない読み方をさせたわけです。誰もまさかその【五六七】の数字は、次元界と呼ばれる世界を語っているなどと理解すら至らなかったわけです。特に西洋の宗教の天国と地獄の二元論では理解すら出来ないなのです。
【国常立尊】と【みろく大神】は同一神と暗示した大本教
だが大本教からは、その違いと同一性が説かれなかった
私達日本人は世界的に見れば皇室の祖神とされる伊勢神宮の内宮の神を日本国の主神と仰いでいるのですが、その伊勢神宮に鎮座する神を創造神と呼ぶでは世界中が納得する神とは言いがたいとなります。日本の皇室の祖神が宇宙を創った神等、一神教で来ている西洋等の世界に通用するような内容ではないからです。
また実際に伊勢神宮に鎮座される御神霊を拝見した時、その神を創造神とするのは無理があると解ります。それはイエス一人を主の御子と呼ぶのも無理があるのと同様と言えます。世界の宗教を鑑みた時、真理を無視して無理だらけの解釈をして来たと言えるのです。
私は霊界修業に入った頃、多くの霊からどこを探しても創造神と呼ばれる様な神の姿が見当たらない。そうした訴えを受けて来ました。私自身は子供の頃は旧約聖書の神と称する声を受けてはいましたが、それが本当に創造神レベルの神で有ったのかは解らないと言います。何をもってその神が創造神だと判定するのかです。
しかしながら霊界のどこを見ても創造神の姿は見当たらないが、霊界のシステムとして創造神が存在していないのはおかしいとなるのです。それはどこに創造神と呼ばれる神は【隠れている?】のかなのです。
創造神の痕跡は?、漢字の【艮】に隠される引退?
現在の霊学においては、死後の霊界は【天国界・中有界・地獄界】の三層(仏教では三途の川)のどこかに入るとします。その天国界も第一、第二、第三の天国界に別れて、地獄界も第一、第二、第三の地獄界とに別れているとするのが正しい説明と見做されています。それは宗教界にある我が宗派の教えを信じれば天国界等と言う教えでは無く、【次元界】に基づいた説明と言えるでしょう。
幸福の科学の開祖大川隆法氏がお釈迦様とイエスとモーゼは八次元霊界出身の魂で、自分はその本体たる魂でそれより上の九次元霊界の永遠の仏陀だと名乗って出た等は、大川氏の九次元界出身は事実ではないとしてもお釈迦様やイエスやモーゼは八次元と呼ばれる霊界の存在と霊能者の世界では見られているなのです。
世に自称救世主と名乗る人達の間では自分は七次元霊界の存在だと称される方が多いのですが、スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と叫んでいる人達の大多数は五次元霊界位までしか行けていないがあるなのです。
識界レベルだと創造神は第十識界。お釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。ムハンマドは第四識界と見る向きがあります。それでも解る様にイエスとムハンマドで自分達の天下を狙った天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称して出て来る霊も識界レベルだと低い霊だと言えるのです。為に彼らはお釈迦様を超えられずに【魂論】が展開出来なかったと言えます。為に西洋で天使と称する霊は魂が玉形の思惟とか玉形の恣意の論理がどこにも無いとなります。
日本神道で説かれる【一霊四魂】説などは、西洋で天使と称する霊にはさっぱり解らないとなります。
大預言者とされる大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界は旧来の七層説の第一天国界の上に更なる天国界が有り、その最上級天国界に創造神と呼ばれる神が居られると出されたのです。私は神霊界修行のお世話になった豊受姫から、貴方は世に出ている神々には解らない神界から霊的にコントロールをされていると聞かされました。私が日本語ですが魂を【玉思惟】とか【玉恣意】等と説くのは、これまでの霊界から来る知識を超えた物とは言えます。
創造神が見当たらないは、第一天国界よりも上界に在る
お釈迦様やイエスは神社の神よりも魂が高い次元界出身
お釈迦様やイエスや弘法大師や日蓮聖人等の様な人として出た身は神社や仏閣に鎮まる通常の神霊や仏霊よりも霊界での地位が高い存在として敬われるのは、そこには【次元格】と呼ばれる出身の次元界が在るのです。一概に天国界天人と言っても第一天国界は如来界に匹敵し、第二天国界は菩薩界に匹敵し、第三天国界は羅漢等の世界に匹敵しているがあるのです。そこに一度天国界に入っても、更なる天国界の高みを目指してこの世に出て来るがあるのです。
イエスに対して、私は貴方を主の一人御子と認めていますと言って天国の門を叩いても、それだけでは天国の門は開かないのです。そんな言葉は何の役にも立たないがあるのです。何故ならばイエスは天国界を支配する神ではないからです。イエスと同じミカエルとかガブリエルと称する霊に指導された後発のムハンマドが、イエスは救世主では無く尊敬される偉大な預言者だとしたのも、そこに天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称した霊には最初にそれが解るだけの力量が無かったと言えます。天国に入る資格は各自の魂に出る【良心神】の点数で、入る世界が決まって行くからです。
神社等の神霊が人に教えを説かないのは、行政担当
世界の宗教を見た時、信徒数が一番多いのはキリスト教で次はイスラム教です。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三派は【旧約聖書】の神を形式としては唯一なる創造神とする立場を取っていますが、しかしその三派は互いに互いを殺し合う関係にあります。
宗教の世界を見た時、不可解なのはその三派で天使長とするミカエルや大天使ガブリエルと称する霊の動きと言えます。片やイエスを主の一人御子と持ち上げて、片やムハンマドにイスラム教を起こさせて、キリスト教徒とイスラム教徒とを血で血を争うように仕向けています。
それどころかキリスト教内では新教(プロテスタント)と旧教(カトリック)で殺し合いをさせ、イスラム教ではシーア派とスンニ派とで殺し合いをさせるです。それではどこをどうやっても天使長とか大天使等と称する霊にしては、することがおかしいとなります。
仏教ではこの世の初発は【無から有が生じた】ですが、霊界に残る映像を見ると確かに【無から有が生じた】なのです。しかし科学的に言えば無から有は生じないのですが生じたのです。お釈迦様のその件に関して【思い悩むな】と言われたとされていますが、確かにいくら思い悩んでも無から有が生じた理由は解りません。
その無から有が生じた後に【混沌(カオス)】があるのですが、そのカオスは日本神話でも混沌として語られます。しかしそれは聖書にある【始めに言葉は神と共に在った。】では無いのです。
霊界に在る混沌(カオス)から生じたのが【始】
聖書に記載される創造神が何々在れと言われたら万物が出来たは、霊的世界における【識】の話になるのです。しかしイエスはその【識】に関しては、ほとんど説けていないと言えます。
私達日本人は仏教徒なので経典の般若心経の中にある【受想行識】で学ぶことは、想を受けて行(業)を行い識を知るということなのですが、この識を単なる知識の様な事柄と捉えてしまいますと、識の重要性が理解出来ないとなります。
仏教で語る識で無く、言葉の言と音で織りなす【識】
聖書の神は言葉の【言】は、【音】派の説明が出ない
大本教から【アオウエイ(アイウエオ)】と【いろは歌】が出されて言霊学が説かれましたが、もしそれが無かったならば世界で【言霊】を理解する者が出たかとなります。私はそれだけでも大本教の出口王仁三郎聖師はイエス以上の存在だったと言います。そこに西洋における近代神智学をいくら持ち出しても、話にならないがあったなのです。西洋で近代神智学を語る者で【ロゴス】と言う言葉を発しても、言霊とは何かが何一つ解けていなかったなのです。
明治26年の不詳の大本教神諭に、【この日本は結構な国であるぞよ。元は神の直系の分魂が授けてあるから、外国の霊魂とは一段も二段も上の身魂であるぞよ。言葉もその通りであるぞよ。網掛けたら神は離さぬぞよ。】があります。そこに世界の民族で言葉が違っている謎があるのです。
日本語と呼ぶ言葉を使う民族は、魂が一段も二段も上位
近代神智学では1850万年前【サナト・クマーラ】が金星を経由して、この地球上に降り立ったとします。日本ではこの【クマーラ】が鞍馬山の【鞍馬(クラマ)】に転化したとされ、鞍馬山の護法魔尊が今から 650万年前に金星を経由してこの地球上に降り立ったとする説があります。
大本教は天地分離で、天は天之御中主、地は国常立尊
私の神霊界修行の世話をしていただいた豊受姫は、おそらくその出身星はシリウス星と思われますが、金星を経由してこの地球上に降り立たれ、大本教が禁足地として立ち入りを禁止にした綾部の本宮山に降り立たれた霊映像を見せられたことから、大本教からその存在が出された国常立尊と鞍馬山の護法魔尊、そして世界でサナト・クマーラと呼ばれる存在とは何か関係はあるのだろうとは見ています。
大本教から本来の宇宙創造神であった国常立尊は【悪神】として艮金神の名前で世の中から退かされた神と出されましたが、この地球に何時降り立ったのは何時の頃なのか?。そうしたことは明らかにされなかったがあります。
西洋から発祥した近代神智学では、そのサナト・クマーラがこの地球上に在った動物の魂が宿る器たる存在を遺伝子操作等で今日の様な人の形に造り上げたとします。そこにこの地球は本来は自由で在った魂に人間と呼ばれる肉体の服を着させた【刑】の社会と見る向きがあります。魂に人という服を押しつけたサナト・クマーラは悪神とする説です。大本教から出された内容に艮金神は世に悪神とされて来たとありますが、本来は自在の魂が人(霊止)という服を着た。その意味はどこに在るのかとなるのです。
土の刑としての【型】は、何を意味していたのか?
大本教神諭が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】を紐解くと、この西洋から起きた近代神智学では【マイトレーヤ(弥勒菩薩)】の意味を理解していなかったと解ります。単に言葉(ロゴス)はコミュニケーション的な会話の道具としか見ていなかったと思われます。為に西洋の近代神智学では魂の存在は説いてても、単にエーテル体だという様なことだけで終わってしまったのです。西洋から起きた近代神智学は【イエスが宇宙教師】という罠に嵌まって、そこから逃げられないになったと言えます。
創造神の地球降臨と、人類誕生には連動性が必要
西洋から発祥した近代神智学では、このサナト・クマーラは、ヒンズー教における最高神トリムールティ(三神一体)のブラフマー(四つの顔を持つ)、ヴィシュヌ、シヴァの三神で語られるのですが、三神一体は日本では【造化三神】で語られる要素とも言えるでしょう。そして「四つの顔を持つ」は、大本教から【六合大神(宇宙全体)】が打ち出されましたが、東西南北だけを考えると【四方向の顔の神】が出て来ます。
私は神霊界修行の中で創造神と呼ばれる神には【六体(天地東西南北)】の六つの顔が有ると解って来て、宗教によってその顔の見方が違っていると理解しました。
この【六合大神】という概念を保有しますと、イエス一人が主の神の御子などは実に馬鹿げた論理を張ったなと言いたくなります。それでは宇宙という存在があまりにもちっぽけな存在になるからです。
神の世界の説明には、日本語が一番一番適している
しかし一体誰が日本語という言葉であっても、そうした言葉の式(識)を組み立てなのかとなります。
日本の国の常に立つ御言(尊)は【国常立尊】
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を受けていました。その声は【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国で有り。私の教えは世界の宗教書には有らず。この日本の国に満ち溢れている。】と告げられましたが、言霊の論理が有るのはこの日本だけなのです。西洋の近代神智学の【ロゴス】では、言葉は神の説明は出来ないなのです。
その証拠として西洋の近代神智学では【マイトレーヤ】を言うのですが、それではお釈迦様の死後五十六億七千万年の説明が誰一人として出来ないとなります。五十六億七千万の数字の意味は大本教神諭が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】を解読しないと、五十六億七千万の数字の意味が出せないようになっているのです。そこにはその仕組みが解る様に、この世そのものを仕組んだ神の存在が有るなのです。それが大本教における【神三千年】の仕組みと言えます。
弥勒菩薩の五十六億七千万の仕組み解読は日本語のみ
大本教神諭が予告したこの日本に仕掛けてある数々の仕組みを見た時、イエスが説いている内容など創造神を語るにはあまりにもちっぽけな内容だと解って来ます。それは私に出た【イエスの愛の教えは美味なれども、真ん中が無いドーナツ型のパン】だからです。それは西洋で創造神を語る天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する霊に対しても言えるなのです。
そこには大本教神諭の【この神が世に出ている神々を誑かして使って来た。】があると言えます。
しかし私達は大本教の出口王仁三郎聖師が明治、大正、戦前の昭和で数々の予言をして、それらの予言の内容は実際に起きたことは歴史として学べますが、大本教から予告として出された艮金神国常立尊が旧約聖書の神であるは、出口王仁三郎聖師の自分と出口なお開祖は旧約聖書で予言されている男女の二人の大預言者に該当していたとしても、その旧約聖書の神にどれだけの神力が有るのかとなります。未だ誰もその神の神力を見ていないからです。
そうした中で私に【店じまい】と【新しい店開け】の言葉が出て来ました。
三次元世界の店じまいと五次元世界の幕開け
この世(三次元世界)の店じまいの兆しは西暦2020年から起きたと思われますが、みろくの世(五次元世界へ移行)の店開けがはっきりと見定めが出来ないがありました。
この日本を見渡しても、もう何もかも行き詰まった状態と言えます。私などは年金暮らしなので物価の高騰に悲鳴を上げていますが、物価のみならず社会保険料の高騰もそこには少子化問題があります。人口減で必然的に年寄りを支えきれなくなるのです。今の物価高は露国のウクライナ侵攻に起因はありますが、円安も物価を押し上げます。日本の経済力が強い時は円高で物価も安いのですが、円安は日本の国の力が落ちたなのです。国が強いとは国を指導する政治家もしっかりしているのです。しかし今は無為無策の政治家だらけと言えます。
私に出た霊示では、この日本では安倍晋三氏が日本の栄光の終わりを告げる政治家で、安倍氏の後は政治家らしい政治家は出て来ない。誰が首相を務めても元の栄光の日本には戻れないなのです。
そうした状態の世が来ることを見通しておられた創造神は、大本教を通じていち早くに(西暦1892年)世の大立替の宣伝を開始されたと言えます。
西暦2023年は【右左岐(兔)】の年で、世に悪行を積んでいる者達の過去の罪が表に浮かび上がる年となっていました。そして世に次々と諸悪が暴かれるです。
誰しも今の世を見渡すと【流動化】して来たと解ります。そうした中で私は一体の龍が出て来るのを見ておりまして、その龍が【最後の審判】に関連する龍だと感じました。そしてその龍が五次元世界の【幕開け】を告げたなのです。この龍が出て来ないと、日本神話の【天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)】の意味が解らないのです。
自称救世主と名乗る人達から、自分は日本神話の天叢雲剣を持っていますなどと言われますが、何故にあのような神話が仕組んであるのかを知らない霊の囁きに乗せられているなどがあるのです。それは天叢雲剣の漢字をよく見なさいということなのです。
天叢雲剣の【叢】は【業(カルマ)を取る】で天の雲剣
来年、五次元世界に上がれる【登龍門】が開かれる
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私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、【そなたの前世は人の魂胆が読めぬお人好しで、魂胆を持った者達に好いように利用されて最後は悲劇の武将でこの世の命を終えた。今生のそなたは人の魂胆を見抜く力の養いである。】と告げられました。
確かに世の中には自分の利益の為には、他人を騙したり落としたり泣かす者達が後を絶ちません。自分が地位や名誉を得ると、その自分を利用しようとする人達がやって来るは歴史を学べば普通なのです。
人に欺されるは、欺す者が一番悪いが欺された者も悪い
人は人を欺す者よりも欺された者の方が罪は軽いのですが、欺される者にも罪があるとするのは、ただのほほんとしていて世間をよく見ていなかったがあるからです。各自の魂はこの世に修学の為に降りているのであって、スピリチュアル標榜者が説く遊ぶ為にこの世に降りて来たわけではないのです。遊ぶことに呆けて、人を欺す者が世に居ることを学ばずに欺されたならば、欺されることは罪なのです。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【お人好しも度が過ぎてはいけない】と叱られていました。
この世は修学の場で、悪は罰を受けるが活動は許される
疑うも必要で、神の言葉すら疑うでないと邪神に欺される
この世に降りて来て、人はこの世には善人と呼ばれる人も悪人と呼ばれる人もあるを知ります。霊界を見聞すれば善神も悪神の存在も見ます。何故?。
その旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたが何者か?。神々に解らないようにしておく。もしそなたの本当の身分が解れば、己の立身出世を目論む者達がそなたの周囲に集まって来る。その時に集まって来る者の魂胆が見抜けぬようでは、自ずから道を誤ってしまう。そなたが未だ何者か世間に解らない頃にそなたの元に集まる者であれば、誠の者とも言えよう。】と言われたなのです。 人は誰しも権力や財を持てば、その周囲には必ず人が集まります。そして自分に対しておべっかいとかゴマ摺りをして来る人達が出ます。そうした人達は権力者や金持ちにはペコペコして、自分より下者には威張り散らすがあります。上に立つ立場の者であればあるほど、そうした人を見抜く者に成らないといけないと言われるのです。
人は権力を得ると、魂胆を持つ者達が自分の周囲に来る
私はその旧約聖書の神と称した声が本当に旧約聖書の神かどうかは確かめようはありませんでしたが、霊界修行の中で人の魂胆が読めぬお人好しでいいように利用された悲劇の武将が誰であったかは解りました。私が持つ【気性】は、今日に伝えられているその武将の【気性】と似ているのです。
私が子供の頃に臨まれた旧約聖書の神と称する声は、【今生のそなたは前世のそなたとまったく同じではない。前世のそなたとはその顔も体つきも違う。その身体能力、生まれ育った社会環境。その家族。その仲間達。全て今生とは違う。生れ出る時代の環境によって人は違う。されど今生のそなたの「心」は、前世のそなたの「心」と同じ物である。】と告げられたのです。
輪廻転生は同じ姿で生まれるではなく、人としては別者
輪廻とは、自分の心が【過去も来世も同じ心】を持つ
人の生まれながらの性格は、過去世から続いている性格
私はその悲劇の武将霊がその部下達の霊と共に、私の家の仏壇や神棚に入り神霊として居る状態を見て、私はその武将霊を【御館(親方)様】と呼んでいました。その時、ふと親方様と御館様?。頭領のことをどうして【親方】と言うのだろうかと疑問を浮かべました。
その武将姿の霊が私の前世で在ったとしても、肉体の私とは別の存在として霊的には出ているのです。そこにはこの世に出ている肉体の私に宿る魂と、霊界において神霊と呼ばれて多くの霊を従えている自分という二つの存在です。同じ心を持っていても、別の自分が存在して来るなのです。
人の魂にも、その魂を生んだ【親方】が存在して来る?
私の肉体の祖父は養子なので血脈は生じませんが、私の家系の先祖霊として出て来られた方は霊能者の調べでは日蓮聖人の御分霊でした。日蓮聖人として私の前に出て来られる霊と先祖霊として出て来る霊とでは、微妙な違いが存在しており完全に同一霊とは言えないでした。それは日蓮聖人とその分霊の家系の御先祖霊とでは所属している霊界の次元格が違っていると解って来ました。
人の魂は本体と分魂では、魂世界での次元格が違う
キリスト教のイエス一人が創造神の御子だと信じた者は天国に入るなどは、人を欺している典型的な教えと言えます。それはその天国界に入る魂は、いったい誰が産んだ魂なのか?。魂の親に関して何の説明もないからです。キリスト教の教えとは、そうした何も無い【すっからかん】状態なのです。
全ての魂の根源は、全て唯一神と呼ばれる神に行く
イエス一人が主の御子説は、魂のルーツを忘れさせる
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【人がこの世で自分が積んだ罪は自分に帰結するものであり、他人の罪は自分が代わりに被るものではない。もし他人の罪を自分が代わりに被ろうとするならば、自分が持つ徳分の中でしか換えることは出来ない。】と告げられたのです。それはキリスト教が説いているイエスは人類の贖い主とする教えは嘘であると言われたなのです。
誰であっても自分が犯した罪は自分に帰結すべきものであって、誰かを拝んだら自分の罪が消えるなど。論理的におかしいと気づくべき教えだったと言えます。またイエスの有名な教えの一つに、自分の頬を叩く者があれば反対の頬を差し出せがあります。一見すると素晴らしい教えだと受け取ってしまいます。
しかしそれは自分の頬を叩く者に対して、自分の中で自分は聖人君子だろう的な優越感を作り出す教えです。人は誰しも電車の雑踏の中で【自分の足が踏まれたら、踏まれた者はその痛みが解るが、自分の足を踏んでいる者にはその痛みが解らない。】を学びます。そうした体験は誰もが積んで来たはずなのです。
愛で何事も赦すは、その人の魂の学びに成るのか?
そうした体験を積んで来た時、イエスの教えはおかしいぞとなります。自分の頬を叩いた者にもっと叩けと反対の頬を差し出せば、そうか!。もっと叩かれたいかと更に叩かれます。【他人の頬を叩く者は、叩かれている者の痛みが解らない】を理解していなかったなのです。逆に殴り返せば自分の頬を叩いた者にも、叩かれた者は痛いを教えることにはなるのです。
私の肉体の父は私が泣き虫でいじめっ子に泣かされて帰って来ると、一発殴り返して来い。自分は力が強いと誇っている者は、弱い者を殴ることには慣れているが、逆に自分が殴り返されたら弱いと言います。その時に人を殴っては行けないと気づくと言いました。私は自分は弱いけれども、殴られたら例え一発でも殴り返します。絶対に自分の頬を殴る者に、反対の頬を差し出すはしません。
そこには【正負の原則(五分五分)】が在るのです。何事も許してあげるは正しいではないのです。
旧約聖書、目には目を歯には歯をは人の痛みを知る
自分を殺した者を殺し返しても、閻魔大王は罰せず
旧約聖書の神の教えとは、人を叩いたら叩かれた者は痛がる。それを自分の身で体験しなさいがあったのです。人は痛みを体験すれば、人を叩かなくなるからです。ところが目には目を歯には歯をは残虐だ!。そうした誤った論理が蔓延したなのです。それは魂は輪廻転生をしている。それ自体が解らないと、残虐と捉えかねないのです。
神は愛で何をしても赦すは、神を理解していない
しかしながらイスラム教における泥棒をした者は手が悪いのだ!。で、その手を切り落とすなどは、その論理を出す【思考】そのものがおかしいと解ります。人は手癖が悪いから盗みをするではないのです。そこにあるのは【意識】の問題であって、悪をしては行けないの教えの希薄。また食べて行けない等の貧乏で犯罪などを犯す世のシステムの問題です。そこに意識が回らないと行けないのです。イスラム教における罰は明らかに神がする行為ではありません。まさに残虐者そのものなのです。
イスラム教国家の一部にある結婚式を挙げる前の男女に性行為があれば、石を投げて打ち殺すなども神がする行為ではありません。そこにはもっと深い意味が存在したのです。イスラム教は神の教えを曲解したと言えます。そこにミカエルとかガブリエルと名乗る霊達がそれに関わったなのです。識界レベルで言えば、彼らはとても天使長とか大天使の職が勤まる様な識界レベルの存在では無いなのです。
ミカエルやガブリエルには如来の叡智が無い
キリスト教徒はイエス一人が主の御子で凝り固まった為に、【真理(魂の直霊)】をまったく知らない教えになってしまいました。
スピリチュアル標榜でも【ハイヤーセルフ(高い霊世界での自分たる魂)】を説きますが、日本神道ではそのハイヤーセルフは【正守護神】と言います。更にその上に【本守護神】の存在を説きます。
私は初めて豊受姫の元に行った時、豊受姫は私に対して【貴方の本守護神は国常立尊様です。】と告げられて、多くの霊能者に調べてもらったところ、全員が全員ではありませんが7〜8名の霊能者から貴方の本守護神は国常立尊様ですと告げられました。私はそれまで正守護神とか本守護神等の言葉すら知らなかったのです。
しかし【本守護神】は誰かと解っても、【正守護神】が誰かがなかなか判明しませんでした。私自身霊界見聞をしていて、本守護神が出ている人達は確認出来ても、正守護神は簡単に解らないを見て来ました。
正守護神とは、自己の前世霊で神の位を得た魂のこと
本守護神、正守護神、肉体の魂は大きさは違う
魂を汚す度合いで、その魂が住む識界次元が違って来る
自分の魂の親元たる次元界に帰るには、魂の汚れを取る
この本守護神とされる存在は、神の高山説では【八合目以上】の神と呼ばれます。イエスは神の高山説では【八合目(八次元)】の存在とされますが、それは八次元界の神々と同じクラスで、別にイエス一人だけが創造神の御子と呼ばれる様な存在では無いなのです。当然にイエスに全人類の罪どころか、キリスト教徒の罪すら引き受けるだけの神力は存在していないのです。
イエスよりも高次元界の存在の魂と見做されているお釈迦様は、自分が開いた仏教徒が犯した罪を自分が肩代わりしようなど一言も発せられませんでした。私の元には自分が救世主ですとかメシアですと称する方からメールが来ましたが、自分で他人の罪を取って上げますと言う方は実に【奇特】の方なのです。
スピリチュアルでは貴方の前世は何々でしたの前世商売が行われています。特にそれは霊能者江原啓之さんの登場からブームになったがありました。だが自分の前世など【嘘八百】告げられても自分で見ないと解らないと言えます。霊能者と称する人に嘘をつかれても証明が簡単に出来ないわけです。
文鮮明の統一教会の様にニセ霊能者を用意して相談者のデータを集めておいて、あたかも本物の霊能者の様に装って多くの人を食い物にする宗教団体があります。そうした教団の幹部はそうした人を欺して食い物にした事実を知りながら抗弁を繰り返しますが、人は一度【邪神が説く真理】に狂うと、してはいけない基本すら失うのです。そこに多くのスピリチュアルは愛を説いても、良心という教えを捨てさせるなのです。
人の魂は輪廻転生をしているにも関わらず、自分に自分の前世が解らないことに関して旧約聖書の神と称する声は、【人がこの世に出て来るのはその前の人生において失敗が有り。その失敗を更生する為にこの世に出る。その失敗を覚えていると、またもや失敗をする。それをさせない為に自分の前世を忘れてこの世に出る。人が自分の前世を思い出さないのは、この神の恩寵からである。】と告げられたのです。
人がこの世に出るのは、過去の失敗の【更生】で甦る
精神世界の存在を語る人達は【次元界】と呼ばれる存在を語ります。現代の科学はそうした次元の存在界を証明するところまで進んでいません。しかし人間は神の分与の存在である為に、異次元と呼ばれる世界を見ることが出来る能力を潜在的に秘めています。肉体を持った私達は三次元界に所属する為にその身(み・三)を持ち。肉体の死(し)を持って四(し)次元界にと進みます。
日本語における、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十は単なる数字の進み方ではなくて、次元界と呼ばれる世界の進み方も説いているのです。岡本天明師の日月神示(123神示)において、今の世は【三四五(みよいづ)】で次に新しい時代として【五六七(みろく)】が示されましたが、それは次元界を語ってもいるのです。
仏教においてお釈迦様の死後五六億七千万年後に現れて人類を弥勒の世に案内する弥勒菩薩とは、その【五六七】次元との関わりから出された神仕組みなのです。大本教の出口王仁三郎聖師は最初は自分が救世主だとかみろく大神とか称しておられましたが、全て贋物と発表されたのは本物ではなく【型見せ興業】だったからです。
大本教に創造神が与えられたのは、型を見せる仕組み
もしその【型見せ興業】の予告が無ければ、誰も本番がどのような物になるのか解らないがあったなのです。世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は、広島や長崎に新型(原子)爆弾が落とされて火の海に成る。その後に黒い雨が降ると予言されてその通りになりました。
ほとんどの日本人は広島に原爆が投下された後に【黒い雨】が降った事実は映画化(田中好子さん主演)されて、初めてその事実を知ったが多かったと言えます。だが大本教の神は原爆投下の後には黒い雨が降る。そうしたことも解っていたので事前に告げられたなのです。
大本教の神は原爆投下の後に黒い雨が降るを予言した
それらの出来事は、三次元世界に住んでいる者達はその上に高次元世界があると認識するのは難しいのですが、死後(四五)の世界が在るなのです。
三次元界よりも、死後(四五)の方が次元界が高い
私は自分が神霊界に修行に入る前までは、家系の先祖霊や日蓮聖人や豊受姫や大国主命様を見ていても、この世に肉体を持っている自分が自分としか考えていませんでした。自分に神霊が見えるということは、自分がこの世とは違う世界に行ったからに過ぎないなのです。そうた感覚はこの世に居る人達の99.9パーセントの人は霊世界と関わったとしても、そうした感覚だと思います。
だが肉体に宿る自分と言う魂と私の正守護神として出て来る魂の大きさを見ると、その大きさがまったく違うなのです。スピリチュアルでも高次元界に存在する自分の存在は説いていますが、玉(心)の性質は同じでも生きる世界(次元界)が違って来るのです。
スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と叫んでいる人達を見ているとピンキリで、日月神示で語られた【三四五(みよいづ)】の世界しか見えていない人達もあれば、新しく来る永遠の【五六七(みろく)】世を説く人達もあり、そうした人達は【正守護神や本守護神】と呼ばれる存在も告げて来るなのです。
特に【本守護神】と呼ばれる段階の霊は、イエス以下ではないのです。スピリチュアルでイエス様は人類の贖い主と言っている様では、貴方は自身の魂の【元親】を認識しているのですかとなります。本守護神とはイエスよりも次元格が高いのです。
各自の魂の元親は本守護神で、イエスでは無いのです
大本教神論の明治35年旧7月16日には【世界の人民には、一人に守護神が一人附けてある。】との記述があります。仏教においては酉歳は不動明王が守り本尊として守護しておられる。牛歳と虎歳は虚空蔵菩薩が守護しておられる等は世に語られますが、キリスト教のキリスト教徒やイスラム教のイスラム教徒にも大本教神論が説いた守護神が附いているのかとなりますと、就いているなのです。
人を守護する霊の存在は西洋でも守護天使として語られていますが、大本教神諭にある【一人に守護神が一人附けてある。】とは、明らかに違っています。そんなことはイエスもムハンマドも、彼らを指導した天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと名乗る霊も何も言わなかったとなります。
スピリチュアル標榜だと【ハイヤーセルフ】と呼ばれる存在を口にします。セルフとは自分自身で、ハイヤーは高級で【ハイヤーセルフとは、高い霊世界に存在する自分自身に助けられるで自分の守護神】を意味します。
スピリチュアルでも、肉体と霊界の自分は解っている
スピリチュアルでも【多次元世界に生きる自分】を説いています。多次元世界とは三次元世界に生きる自分。それと共に四次元とか五次元世界に存在している自分。そうした存在が有ると言うことは解るのです。すなわち人は死ねば霊界に渡るでなく、元からこの世に居る自分と霊界にも居る自分の存在は解っているのです。
一般的守護神とは、自分が稲荷神信仰すれば稲荷神。不動明王を信仰すれば不動明王やその眷属の童子達。そうした信仰をすることによって自分を守護してくれる存在を守護神と思っていますが、そうした守護神とは信仰による指導神とか背後霊と呼ばれたりする霊で、ハイヤーセルフと呼ばれる自己の魂による守護神ではないのです。
日本神道で言う守護神には
本守護神、正守護神、副守護神、指導や信仰神等が在る
スピのハイヤーセルフとは日本神道では正守護神に該当
大宣伝をされて来た【五六七(みろく)】の世とは、肉体にの中にある個々の魂が自分の魂の【親方(正守護神)】の元に帰結するか、それとは永遠に離れるかの話になるなのです。
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イエス一人を主の御子と信じれば天国のはずが、それを説いている牧師達が地獄界に落ちている。これは何だ!。となります。それ自体はこの日本でも自分が救世主です。メシアですと自称されている霊能者の方達が幾人も居られます。その信徒さん達の死後の行く先を見ますと、皆さん亡者道(死後は地獄界に落ちる道)を歩いておられます。その人をメシアと信じて地獄界に案内されるです。
これらの自称救世主の方達は、どなたも【神の愛】を説かれます。その信者の方達は【神の愛】を説く方は救世主やメシアだと言う先入観念の中に有るのです。為にそこには【奇跡】を見せる競争となり。自分が蒔いた悪の種の果実は自分で刈り取らなければならないの【正負の原則】の欠如があるのです。
人は自分の罪を被る者がいれば、救い主だと勘違いする
自分が救世主です。メシアですと名乗る者に惑わされる
一部なりとも霊界を見て来ますと、魂の輪廻転生を司っている【冥府(黄泉国)】の存在が出て来ます。スピリチュアルでは何をしても神の愛で救われますが定番ですが、何をしても神の愛で赦されるのであれば輪廻転生を司っている【冥府】の存在は何だ!。となります。その存在理由が解らなくなるのです。
キリスト教の教義では、冥府(黄泉国)の長官(閻魔大王)はサタン(悪魔)と定義されています。イエス一人だけが神の子だと信じる者は如何なる罪人であろうとも、それを天国に連れて行くのがキリスト教の基本原則となっているからです。
誰でも解る天国とか地獄の論理とは【善−悪=正負の原則(カルマ)】であり、その原則を貫く存在はイエス一人だけが主の御子だと信じる者だけが天国界に行けるとするならば、それを阻害する存在である以上、それを悪魔(サタン)だと形容しても別におかしくは無いと言えます。
そこに出てくるのは、
キリスト教のイエスは、閻魔大王よりも上位の存在か?
スピリチュアルでお題目とする何をしても神の愛で赦されるならば、地獄界と呼ばれる世界が在っては成らないとなります。しかも何をしても神の愛で赦されるのであれば、天国界もまた存在していないとなります。何故ならば何をしても赦されるのであれば、悪は永遠に残り続けるからです。悪で何をしても良い世界は、そこは本当の天国界ではないなのです。
スピリチアル標榜者は自己の言動の矛盾に気づかない
だが何故にその様なスピリチュアルが輩出するのか?
日本で大本教と呼ばれる宗教が起きた時、その神は世に悪神とされる鬼門の金神のことであると世に出されました。私は大本教の教義に触れた時、そこに説いている意味が最初はよく解りませんでした。大本教は何を持って【ウシトラ金神・国常立尊】は世に悪神とされる存在なのか?。その具体的自由が解らなかったのです。
大本教から出された艮金神とは【節分の炒り豆にも花が咲く】から、その存在は牛虎(牛頭虎パンツ)金神のことで【閻魔大王】のことだと解ります。日本人の多くは仏教徒で、閻魔庁とはこの世で悪をした者達を死後の世界で取り締まる霊界の刑務所や警察のことだと理解しています。その霊界の刑務所の刑務官や警察官の【邏卒】達に対して、節分の夜は炒り豆で【鬼は外】とぶつけているのは世に知られることです。
私は子供の頃、悪を取り締まる閻魔庁(冥府)の役人(邏卒)は鬼の様な形相だが悪の取締官。その存在に炒り豆をぶつける行為を見ていて、人々は【正義より悪が大切】と考えているのか?。と思っていました。
大本教から出た艮金神国常立尊は、世に悪神とされた?
節分の炒り豆で鬼は外とは、自分は罪人だと宣言する?
節分の炒り豆で鬼は外の牛虎金神は 閻魔大王だが?
私は大本教から【節分の炒り豆にも花が咲く】の大宣伝歌が出されていなかったならば、閻魔庁の閻魔大王とその別名羅王の羅城城門を【来世門】と言う言葉の仕組みを見落とすところでした。
大本教が発祥した綾部の殿様は元は鳥羽藩の九鬼(クカミ)氏の子孫で、熊野水軍と熊野神道で知られた家柄です。その九鬼家が内紛で二つの藩に分かれた時、熊野本宮別当家職を引き継いだ九鬼氏が綾部藩主となりました。その九鬼神道では宇宙の元津神を【宇志採羅根真】としています。ウシトラの言葉に、どのような漢字を振ったか?。の違いと言えます。
綾部藩の九鬼氏の節分とは、【鬼は内、福は外】でした
キリスト教の教義でサタン(悪魔)とされた冥府の長官(閻魔大王)は、日本では節分の炒り豆で【鬼は外】をされている鬼(牛虎)達の長官ではあるけれども、それはウシトラ金神・国常立尊(閻魔大王)は本当に【悪神】だったのでしょうか?。なのです。
私は仕事で丹後のある小さな町に出掛け、その昼休みに近くの小さな書店に入りました。そこで某著名な宗教家の方が書かれた著本をパラパラとめくってみましたが、さほどたいしたことは書かれていないとその書店を出ました。
その書店を出て数百メートルほど行ったところで、先ほどの書店でパラパラと見た本に私の体内から一匹のコブラ蛇が出て行った体験のことが書かれていると閃いたので、慌ててその書店に戻りその著名な宗教家の方の本を買いました。すると少しだけ書かれてていましたが、中味的な解説はありませんでした。
その著本に書かれていた内容は、ヒンズー教の奥義書とされるヴェーダ典には【人の中に眠るコブラ蛇が目覚めて走り上がる時、その人は「真理」に目覚める。】とだけ書かれていたのです。それで私が見た光景の意味は解りました。
ただ人の中に眠れるコブラ蛇が目覚めて走り上がる時、その人は【真理】に目覚めるだとしても、そこには【真理】とは何だ?。となります。その時、私にあることが走ったのです。
お釈迦様は真理を悟られたが、イエスは悟れなかった
スピリチュアル標榜者は別として行者筋からお釈迦様とイエスの差を語る時、創造神を第十識界としてお釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。ムハンマドは第四識界とする説があります。この一段の識界差は格がまったく違った存在とします。この一段を上げるのは容易ではないのです。世に出ておられる神々も識界レベルとなると低いなのです。
その人の中に眠れるコブラ蛇が走って上がる時、その人は真理に目覚める【真理】とは、お釈迦様は真理を悟られたがイエスは悟れなかったとなります。私には【イエスの教えは美味なれども、真ん中が無いドーナツ型のパン。】と出ましたが、イエスの教えとはスピリチュアル女子が【神は愛だから、何をしても神の愛で赦されます。】と発信している【神の愛】が主体となります。
一方、お釈迦様の菩提樹の下での悟りとは何かとなりますが、通常は【仏の慈悲】だと言われています。ならばお釈迦様の【仏の慈悲】とイエスの【神の愛】でさほど変わりはないとなります。どうして私にお釈迦様は【真理】を悟られたが、イエスは真理を悟れなかったと出たのか?。もう【迷宮】に入った様な物だったのです。ただそれは仏教が大乗に走った時、大乗の教えによって消されているなのです。
仏教において説かれる【みろく菩薩】とは、その大乗仏教によって埋没していたお釈迦様の本当の悟りを世に出す菩薩のことでもあります。しかしそれはお釈迦様の死後【五十六億七千万年】後に現れる仏とされています。丹波から出た大本教は、その【五十六億七千万年】後に現れるとされている【みろく大神】を世に説いたなのです。
五十六億七千万のみろく菩薩とウシトラ金神の関係は?
私に旧約聖書の神と称する声が臨む前の幼い頃、幼稚園児で地元のキリスト教会に引率され見学に行っていて、その教会でイエス像を見た私は【在ってはならない偶像。私は貴方をその十字架で磔になっている様を解き放って上げる。】と、心の中で叫んだのです。私は幼い頃からイエスの教えには大きな間違いがあると認識をしていたなのです。しかしその間違いが何かが解らなかったと言えます。
霊界修業に入って幾度かイエスと覚しき霊を見ましたが、今更イエスを叱ったところでイエス一人が悪かったではないなのです。
日本の行者でイエスを主の一人御子と思う者はいない
スピリチュアル標榜者はイエスは人類の罪を背負ってくれたと言っていますが、そこには【カルマ(因業)】と呼ばれる事柄を理解しているか、理解していないかがあるのです。スピリチュアル標榜者は【カルマ】を理解していないから、イエス様一人が人類の罪を背負ってくださっているとなり、地獄界の存在を悪魔の仕業だと言う偏見の中に入ってしまうとなります。
私は初めて豊受姫の元に伺った時、豊受姫は【貴方には天之御中主様の御使者神が二対来ておられる。】と告げられましたが、4〜5歳位の頃から自分は天帝からの密命を帯びてこの世に降り立った者と思っており、小学生の頃に自分に旧約聖書の神と称する声が臨んでも別に驚かなかったがあります。
その旧約聖書の神と称する声は【私はそなたが本当は何者かを神々に解らないようにしておく。当然にそなたも自分が何者かを知らない。それでもそなたが何者か解るような神でないと、この神が使える様な神とは言えない。それすら解らない様な神などは捨てておきなさい。】と告げられたがあります。それを豊受姫は貴方の本守護神は国常立尊と告げられたなのです。当時の私にはその天之御中主と国常立尊とではどう違うのか?。それすら解らなかったなのです。
ある霊能者は、貴方の背後には天之御中主様と呼ばれる存在も国常立尊様と呼ばれる存在も両方出ておられますと言われましたが、そうした存在が見えるとか見えないとかは個人の能力になるなのです。私を見てたいしたことが無いと言う霊能者の方が数は多いなのです。
私は霊能者をしている者ではありませんので、自分は霊能者だ。私に対して嘘を言ってその霊能力を確かめてやろう式の方が私に嘘の内容を言われても、私はそれを見抜くではないのです。私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、それを最初から嘘と決めつけてはならない。嘘と思えても真実かも知れない。嘘も真実と思って対処する様にと教わったからです。人を騙して喜んでいる者には、最初から【良心】などはないなのですから教えても理解は出来ません。
ただ私は天帝から、自分はどのような密命を受けたのか?。それが思い出せないのです。豊受姫は私を【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方で、貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)に等しき物で、貴方の言葉による教えが聞けぬ神は如何なる地位の神であろうとも天帝に対する反逆者として、天帝により裁かれます。】と告げられたなのです。
その神々を裁く天帝が本当にこの世に出て来るのか?
私は言霊師であった方の元で霊界修業中。ある相談者が霊障で苦しんでおられる。その霊障の原因を探っていたところ、蛇霊が出てきました。その蛇霊は生前はその方の先祖さんが大工の棟梁で、その元で働いていた大工だと言います。だが屋根から落下して大怪我をして働けなくなったら、その治療もせずに食も与えないで自分を餓死させてしまった。その生前は大工であった霊が恨みから蛇霊化してその子孫に祟っていると判明し、その蛇霊に言向けをしていました。
その蛇霊と化した霊がその子孫を恨む気持ちは解ります。自分の身を蛇霊化してまで恨んでいるのです。しかしそれはその子孫が犯した罪ではありません。その子孫は当事者では無いのです。その辛かった気持ちは汲み取って上げますので、もう恨みを忘れて本当の霊界に戻りましょうと言ったのです。
その時、私にある光景が見えてきました。一本の棒が在り。その棒に蛇霊が巻き付いているのです。その棒から八方に光が放射されると、その棒に巻き付いていた蛇霊が去ったのです。
一本の棒が光を放つと、巻き付いていた蛇霊が去った
この時、私に旧約聖書の主の一人御子の意味が解けた
日本神道では神を【柱】と言います。神と呼ばれる存在は人の様な姿で見る場合もありますが、大きな丸い玉で見る場合もあれば、神霊が【光の柱】として立つもあります。様々な事象があるのです。日本では神を【柱】と形容していますが、人に入っている魂では柱ではなく【杭とか棒】的な大きさと言えます。
どんな魂もタマシイならば【玉型】で、思惟(深い洞察力を持つて周囲を図る)の玉か、恣意(この世は遊ぶところだと好き勝手放題)の玉かに別れます。
魂は玉恣意から玉思惟に成長する為に、この世で学ぶ
私は子供の私に旧約聖書の神と名乗る声が臨むことを不思議に思っていました。私は日本人で仏教徒の子供であり、旧約聖書も新約聖書も何の関係もない立場です。そんな仏教徒の子の私に旧約聖書の神が何故に臨むのかです。
しかも【旧約聖書は我が書なれども、暗号化された文章で暗号を紐解く鍵を持たないで読むと意味を間違えるように造られている。新約聖書は人の子達が創った書で、私の書では無い。私の教えは世界の宗教書に記載されていない。私の教えはこの日本の昔話や民話。わらべ歌等に秘めた。この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つ国であり、この日本以外の国では私の教えは出せない。】と告げられたなのです。
日本は、神の教えが満ち溢れている世界で唯一の国?
鍾馗神の案内で中国で創造神とも天子ともされる盤古大神に拝謁し、盤古大神など聞いたこともない神名で、その盤古大神を知りたくて大本教霊界物語を買い求めました。大本教霊界物語によれば盤古大神は国常立尊様が退かれた後の地上神界の主宰神の座を襲われたとあります。しかしそれは地上神界の主宰神の立場であっても、創造神たる神の立場では無いなのです。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私は全神々が束になって、この私に敵対しても私は一柱でも勝てる。】と告げられていました。
私は稲荷神界から【言霊】の世界に転じて、言霊とは何かが解った時、私が持っていたそれまでの神観はすべて吹っ飛んだと言えます。聖書の【言葉は最初に神と共に在った】を西洋で天使と称して出て来る霊達は何も解っていない存在だということです。
この宇宙は霊界に在る霊的映像から読み解く限り、仏教で説かれた【無から有が生じた】であり、その後に混沌(カオス)があり、神は言葉で何々在れと説かれたから万物が出来たの言葉の意味が違っていたのです。それは【言葉】と言えども、言葉とは何ぞやが解っていなかったなのです。そこに出て来るのが【龍宮の乙姫】と呼ばれる事柄だったのです。
大本教の出口王仁三郎聖師が神界にミカエルという名の天使長等は存在していないと言われた事柄は、日本語をもって解き明かすキーワードだったなのです。それで旧約聖書の神と称された神は【旧約聖書は暗号を秘めた書で、鍵を持たないと意味が解けないように創ってある。】と言われたなのです。
人の魂は玉形で、円球ならばも必ず【心棒】が存在する
心棒とは種々の活動の中心でも、何故【心の棒】か?
宗教においては【改心】を説く、改心は心棒を改める
人の魂の心棒を改めるが出来る神は、閻魔(円真)大王
そこに創造神を信じる者は【後悔(紅海)】を渡る型が必要
円球の魂は、丸くならないと【心棒(辛抱)】が出来ない
旧約聖書の神(日本ではウシトラ金神・国常立尊)と称する声は【この私を唯一神と信じる者は、一人残らずこの私が救おう。】と告げられましたが、すなわち人の魂の核の部分と結ばれる【心棒】に良心神が授けた造物神は、【後悔をした者】を救う型としてモーゼの紅海を渡ると呼ばれる型を人類に見せられたなのです。
そこに出て来るのが四十荒野をさ迷った後に来る【41】の数字で、日本では国道41号線は出口王仁三郎聖師の大予言【みのか尾張の国から出る】となります。
そして汚れた【心棒】も新しい心棒に取り替えることが出来る神は【閻魔大王】と呼ばれる【円真】であるなのです。
この世の出来事の解釈は、最終的に日本語で紐解ける
日本列島は世界の大陸の雛形論は、型の仕組みの説明
大本教から出された【節分の炒り豆にも花が咲く】は、深い深い創造神の仕組みの中にあるなのです。
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旧約聖書、自分が蒔いた種の果実は自分が刈り取る
イエスに全信徒の罪を被るだけの力など存在しない
その宗教宗派の教えを信じれば天国界に行けるとする教えでも、その教えが真理に基づくまっとうな教えであれば、その教えを信じて行動した人は天国界には進めますが、自分が過去世に罪を犯していた場合は輪廻転生をしてまでその罪を消さなければならない。そうしたことは仏教以外の教えには見当たらないがあるのです。
キリスト教などは【真理(キリスト)】から言えば間違った教えと言えます。それは【真理】を人の事だと勘違いさせたからです。ですからキリスト教には【魂】の説明論が無いなのです。大本教から【人は神の子・神の宮】論が出されましたが、それは【魂(牛虎)】論に則っているのです。
過去世で蒔いた悪の果実は、どうやって刈り取る?
キリスト教徒になってイエス一人が自分の罪を被ってくれると思っても、イエス一人に大多数の信徒が犯した罪の重さは負いきれません。霊能力者からキリスト教徒はどれほどの愛の実践者で有ったとしても第一天国界(如来界)には進んでいないことが謎とされます。愛の実践だと菩薩界(第二天国界)までは進めるでしょうが、イエスの教えでは如来界に進むのは無理と言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師は自分はナザレのイエスに何一つ劣っていないと言われましたが、神の高山の次元説の合目では出口王仁三郎聖師の方がイエスよりも若干上の次元だったと思われます。
識界レベルとしては創造神を第十識界とすれば、お釈迦様は第七識界でイエスは第五識界。ムハンマドは第四識界とする説があります。で、お釈迦様は自分を神として拝めばその人の罪を自分が背負うなど一言も発信されていないでしょう。それは魂の【輪廻転生】を理解されていたからと言えます。
お釈迦様は菩提樹の下での悟りとして【悪魔は実体の無い現れで、人には良心と呼ばれる神が内在している。】と覚られていたようですが、それは大本教から五十六億七千万のみろく大神を大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(経綸)】から引き引き出す【言霊】がないと、解らなかったがあります。それは日本人では無いナザレのイエスでは演じることそのものが無理だったがあるのです。
人類にとって、お釈迦様の【如来の悟り】を知るということは非常に困難なものだったのです。
悪魔は実体の無い表れで、悪魔よ!。去れではない
魂の核を失った者に核を授けるは、円真(閻魔)大王
そこには創造神は【天と地】に別れていて、天国の主も地獄の主も同じ創造神であるの認識の必要があったのです。お釈迦様の悟り、【悪魔は実体の無い表れ】です。
大本教から今は退いているの【艮】金神は【牛虎】でもあるぞよと出されたのは、魂の漢字は【鬼(牛頭で虎パンツの牛虎)が云う】であり。出口王仁三郎聖師の本名は上田喜三郎でした。その【喜】の漢字の代わりに【鬼】の漢字にせよの神の命令に、出口王仁三郎聖師は鬼はあんまりじゃで【王仁】にしたの話は有名です。そこには漢字を使って日本語と呼ばれる言葉で神の教えを出すがあったなのです。
私は鍾馗神の案内で中国で創造神とも天子ともされる【盤古大神】に拝謁した時には意味が解りませんでしたが、出口王仁三郎聖師の姿をした霊が私の家の浴室の前に漢字と書かれた浴衣を着て現れて、私に【貸し】があるぞと暗示されたことから、日本語の漢字による言葉の【変換】の仕組みに気づいたなのです。
その前に私が初めて伏見稲荷山に上がった時、伏見稲荷大社の首座神である豊受姫は【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方。貴方の言葉による教えは天帝の詔に等しきもので、貴方の言葉による教えを聞けないという神は如何なる地位の神であろうとも天帝に対する反逆罪で裁かれます。】と言われたなのです。
私が説いている内容は一見すると何の御利益も無いように見えますが、実は閻魔大王と呼ばれる存在から【良心】神の点数加算がなされています。
人は良心神の存在を知ることで、天国界への切符が入る
私が子供の頃には旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【私はそなたが何者かを解らないようにしておく。当然にそなたも自分は何者かを知らない。そうであってもそなたが本当は何者なのかが解る様な神でないと使い物にはならない神である。神界の御用で働くのは肉体のそなたでは有らず。魂のそなたである。肉体のそなたはバカを演じていればよい。】と告げられたがあります。肉体の私のバカは演じなくても本当のバカなので、バカと言われても気にならないがあります。
私は自分が何者かを知りませんでしたが、豊受姫から【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方です。】と告げられて、肉体の身で有る私が神と称するなどもっての他のことであり。西洋に残されていたある予言を思い出したなのです。
それは【その人はユダヤ人ではなく。異国の人で異国の言葉で主を語る。その人はその国では「言葉の君」と呼ばれているが、自分は主を知らないと言う。が、万軍の主はその言葉の君を知っていて、終わりの日。万軍の主は全ての裁きを終えた後、その言葉の君を召しだす。その日を以てユダヤ人は救われる。】と言うユダヤ人の救い主に関する予言的な物がありました。
その時は、それがユダヤ人の救い主の存在を告げる事柄とは考えも及ばず、その異国の言葉とは【日本語】で可能なのかと取り組んだだけの話に過ぎないのです。ただ私が子供の頃に臨んでいた霊の名乗りは【旧約聖書の神】であり、大本教から出された【艮金神・国常立尊】ではなかったなのです。旧約聖書の神と称する声が本当に旧約聖書の神であるならば、その神は私を知っておられるなのです。
ユダヤ人の救い主とは、異国の言葉で主を語る者???
私が見た霊界物語は、ユダヤ人とは超太古の日本人?
私は地獄の底に落ちていた晒し首の武将霊に【弥勒の夜明けはもう近い。これまでの恨み辛みは捨てましょう。】と言ったのです。するとその地獄の暗闇に居た晒し首が目を見開いた途端、その周囲に光が射したなのです。その晒し首であった霊が緋色の鎧を着て私の前に立ってから、私に【言葉の八艘(発想)飛び】が起き出しました。
しかもそれは朝鮮に残されていた予言。【最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きる。その米一字の教えに従った者達の上には天罰は下りないが、そうでなかった者達の上には天罰が下りる。その天罰の最中、白十字が現れてその白十字に救われる。】という物がありました。白十字は別にしても、誰が考えても【米】一字で救世の為の教えなど説けません。
が、大本神論【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密】で解けた
ノストラダムスの予言に【西洋の人がいくら待ち望んでも西洋からは現れない東洋の叡智の飼い葉桶。】があるとされますが、それだけだと意味が解りません。しかしその予言の背景を調べますと、ノストラダムスはユダヤ教徒であったとされます。ただ中世のヨーロッパはキリスト教社会でイエスを主の一人御子と認めないユダヤ教徒が生き抜く為には、イエスを神と仰いでいるように見せかける必要があります。
ユダヤ教徒はイエスを主の一人御子とは認めていません。だが私達は何故にユダヤ教徒はイエスを主の一人御子と認めないのか?。その根拠を知りません。何も知らずに大多数の人がイエス一人が主の御子と言っているから主の御子だ!。と言うようなスピリチュアルだと何を見ているのだとなります。
ノストラダムスはキリスト教徒の新約聖書でなく、新約聖書は聖典と見做さないユダヤ教徒の旧約聖書側なのです。そこにはヨーロッパのキリスト教徒が思う。イエス救世主論を否定していると言えます。西洋の人がいくら待ち望んでいても西洋キリスト教社会からは現れない【東洋の叡智たる馬小屋の飼い葉】なのです。
出口王仁三郎聖師は大本教の信徒から弥勒世に関して聞かれて、弥勒世とは【牛の糞が天下を取るような話だ。】と述べておられます。それは大本教神諭に、あんな者がこんな者になった。こんな者があんな者になった。とある様に、弥勒の世ではそれまでの世では社会の底辺に居た者達の大抜擢があるからです。
弥勒の世とは、社会の底辺に居た者達の大抜擢がある
ただ社会の底辺に落ちていた者達とはかっての天使達
大本教から国常立尊は創造神でありながら、邪神(悪神)達の多数決により地上神界の主宰神として座を追われた。その座を襲ったのが【盤古大神】であると出されましたが、それは今の人類が知る歴史の話ではありません。西洋で光の天使長で有ったルシファーが悪魔とされて落とされた話とも関わっているなのです。すなわち堕天使として汚名を着せられた天使達とは、本当に堕天使であったかどうかです。
これまでの神霊界は勝てば官軍、負ければ賊軍が習い
弥勒の世とは今の世の社会での地位では無く、その人の魂の【構成】から、この者はと思う者を永遠の弥勒世の指導者に抜擢するなのです。その人物を見つめ続けていた神とは【閻魔大王】と呼ばれる存在なのです。この世とあの世を通して、弥勒世で抜擢する魂を見続けておられた。
それが大本教神諭にある【これはと思う者には紐が付けてある】なのです。牛虎金神国常立尊からの紐を付けられている人とは、魂の核(天帝の分魂たる直霊良心神)がしっかりしている人達のことなのです。
スピリチュアルの神は愛だから何をしても赦されると言っている人に従ったら、逆に永遠の地獄界に御案内なのです。弥勒の世は輪廻転生を起こさないので、その地位が永遠に確定するのです。【円真(閻魔)大王】を知らないのか!。
もう弥勒世までの時間はさほどなく、準備せよです
イエスを主の御子と信じても、空く真は埋められない
私は自治会に所属して組長などの通常の役は若い頃からしていましたが、それは組の中での順送りです。当番制です。退職してからは時間があることから地域の神社の総代や自治会の役員をして来ましたが、そうした業務は【感謝心から来る奉仕】活動の一環となります。それが嫌な人は最初からそうした職務を受けないからです。何でそんな金にも成らない煩わしいことをしなければならないです。
そこには誰かがそうしたことをしなければならない。そうした自覚心の欠如があるのです。
最近は自己主義がもて囃され、この世の意味が薄れた
キリスト教社会は、この世の意味が何も解っていない
私の地域で嫌われ者の方がおられ、名誉心から自治会長を長く続けてそれなりに働かれた。名誉心から成った自治会長と言っても、自治会は自治体からの下請け業務が多く、安易な考えでは自治会長は勤まりません。それは自治会の役員をすれば、その大変さは身に染みて解ります。何事もその大変さを自分がして解るなのです。そこにこの世の価値があるのです。
その方は地元の神社の総代としても、神社のお世話を長くされた。それらの行為によって、その方の魂の表面の汚れを大国主命様が持っている神剣で削られるを見ました。すなわち魂の汚れを削ぐ身削ぎ(禊ぎ)が大国主命様の手によってなされたのです。その方は死後に天国行きが大国主命様から約束されたなのです。
少し本題からは離れますが、私の地元の神社の御祭神は大国主命様ではありませんが、丹波という土地名は大国主命様の【田庭】の言葉が丹波に変化したと言われています。出雲と呼ばれるのは島根県のみならず新潟県の糸魚川近くまで在った帝国説があり、それは出雲の玉造の石は糸魚川に在ったからです。大本教が発祥した綾部も、その大国主命様の神域(田庭)でも在るなのです。そこに本当の出雲は綾部に在ったという説もあります。
私が住む土地は豊受姫によれば、大国主命様の直轄地で元の出雲屋敷地と言われます。確かに私の家では大国主命様の姿はよく見かけます。その付近の沼伝説(伝説上は底なし沼で大本教では金龍海)に【杵】の話があります。その杵が出雲大社の別名を杵築宮と言ったのではないかの説を出します。
大本教の出口王仁三郎聖師は自分の魂は【素戔嗚尊】だと称されましたが、生まれ出られた同じ丹波の亀岡には国常立尊様を御神体山とし持ち、御祭神は大国主命とする出雲大神宮も存在して来ます。
亀岡の出雲大神宮は、境内の御影山を国常立尊とする
この亀岡の出雲大神宮では社伝として、丹波の地より大国主命様の霊を出雲の杵築宮(現出雲大社)にお遷したとあります。出雲大神宮は西暦709年に造営。出雲大社は造営年が不明。この出雲大神宮付近は大和勢力と出雲勢力がぶつかったと言われています。
大本教で聖域として入山を禁止した綾部の本宮山には、その【杵】を祭る神社が存在していたそうですが、明治の廃藩置県で九鬼神道の家柄であった藩主の九鬼氏が東京に行くに当たって、その杵は藩主で在った九鬼氏の先祖霊を神として奉斎する綾部の若宮神社の九鬼神社に合祀されているとされます。
地域や神社の奉仕をした人は、死後で行き先が違う
さて本題に戻りますが、そうした自治会活動の中には自治会費を徴収して地域の街灯の電気代や修繕。地域の神社の維持や地域の子供達の見守りもあります。ところが自分が住む地域の街灯等の電気代は誰が払っているか、何も解っていない人が続出しています。地域の街灯の電気代等は、地方自治体が払っているでは無くて地域住民の集まりである自治会等なのです。
最近よく聞く話は、自治会に入ったら自治会費は取られる。自治会の活動を強制的にさせられる。忙しいばかりで何のメリットも無い。為に自治会を脱会するです。地域の街灯の電気代を誰が払っているか、ゴミステーションの掃除を誰がしているのか?。そのゴミを捨てる土地は誰の土地か?。何も考えていないで自分はゴミを捨てるだけ。そのエゴイズムが解らない人が多数になって来ています。
そしてスピリチュアルがエゴイズムを煽っている
無論、そうした貧しい概念を持つ人は死後に天国界に渡ることは最初から考えもされないでしょう。神は愛だから何をしても赦してくださる存在ではないのです。
地域の許可が無ければ、ゴミは自分が清掃工場に運ぶ
権利を主張して義務を果たさない人は、人では無い
そうしたことを何も考えないで地域トラブルを起こして、自分は正しいと発信している人達の魂は【恣意(自分勝手・自己本位)型】で、死後は天国界に進まれることはまずないのです。天国界に進むには自分の魂は【思惟(深い洞察力)型】の必要があるのです。魂と言っても、【玉思惟】と【玉恣意】があるのです。
天国界には、エゴイズムを持った人は住んでいない
最近の世の傾向は、地獄界に行く人の自己権利の発信
宗教が説くように死後の世界とは【天国界】と呼ばれる世界と【地獄界】と呼ばれる世界があります。それと天国とも地獄とも言えない【中有界】によって構成されており、ほとんどの人は未だ天国界に入るまでには至っていないのです。さりとて地獄界に墜ちるほどではないとなると【中有界】に向かいます。その中有界が【輪廻転生】を起こす基本世界と言えます。
この世に降りて来る人は、必ずしも天人では無い
自分は過去の罪(因業)を背負っているの自覚が必要
この世で【罪滅ぼし】の精神で【感謝と奉仕】で過ごす人達と、自己のエゴを振りかざしている人達とでは死後の行く先がまったく違うなのです。それは宗教に所属していてもその人の生き方が【感謝と奉仕】の精神で向かっているのと、その宗教の教祖を単に神として拝む宗教とでは違って来るなのです。
良心神とは善−悪の単純計算でも、自己本位は悪に加算
自己中的な人は可哀想だ!、気の毒だ!。では済まない
明治25年丹波の片田舎綾部で【出口直(なお)】に神懸かりをしたウシトラ金神国常立尊は、【自己本位。自己中心主義の生き方】をしてはならないと忠告しました。このウシトラ金神とは大本教神諭に【牛虎もあるぞよ。】と示された様に、その異相姿としては冥府の地獄閻魔庁の長官もあるのです。
それは自己中、自己本位の者は天国界には進めない
生かされているに感謝と奉仕心が無いと天国界は無理
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仏教と言っても、仏教の本質を理解していなかった派も存在するのです。人は死んで土に還るだけと説いていても、多くの仏教宗派で魂は不滅だと教えている様に魂とは如何なる存在かを教えて貰わないと、その魂の存在を否定する宗派の教えに従っていると死後にその信徒の魂は迷いの中に入るが起きてしまいます。
日本仏教会に所属している派であれば、当然として死者は霊魂と成ってあの世に旅立つです。禅宗の曹洞宗は更に踏み込んで三時(過去・現在・未来)で【因業(カルマ)】を解消する為と教えています。当然にそこには魂の【輪廻転生】が有るなのです。
輪廻転生は、三時(過去・現在・未来)でカルマを解消する
この世で過去の自分の罪を解消すれば、天国界にと進む
但し、その三時(過去・現在・未来)で因業(カルマ)を解消するは輪廻転生が有ることを説いているとしても、それで霊界が理解出来るかと言えば出来ません。霊界を見聞していると輪廻転生で生まれ変わって行く魂の存在を見ることは出来ますが、その逆の輪廻転生をしないで、その魂が生きていた当時の姿をしたままの霊達の存在も見るからです。どうしてその霊達は【生まれ変わろうとしないのだろうか?】の逆の疑問が出ます。
古い時代の姿だから神では無く、生まれ変わっていない
生まれ代わらないは、自己の意思か?。別の理由か?
仏教においては【閻魔庁】の存在が説かれます。閻魔庁は冥府の役所とされ、閻魔庁はあの世(霊界)での【刑務所・警察】の様な役割を担った機関とも言われて来ました。スピリチュアル標榜では神は愛だから何をしても赦されますなので、悪を取り締まる閻魔庁は存在していないと見ているなのです。
そこには実際問題として、閻魔庁は必ずしも霊界の悪神や邪霊達を取り締まっていないからです。この世に関わる霊界は悪の野放しがあるのが実体なのです。そしてこの世の霊界は力が強い者が勝つ。勝てば官軍、負ければ賊軍なのです。それが多くの神々が汚れた色から来た黒龍神である実状なのです。
霊界の汚れの浄化として蛇霊を浄霊した方を希に聞きますが、汚れから黒色に見える龍も浄霊すると色が変わります。ただ龍神の浄霊は浄霊者の命に関わるほどのことなので、それに取り組むがないのです。霊界に正神界と邪神界と在ることは知られていますが、その力は拮抗しており神界を正義だと言うのは、この世の霊界の実状を理解していないなのです。龍神を浄霊するはどれほど苦しい作業になるか、したことが無い者には解らないことなのです。
この世の霊界の悪の野放しは、創造神が見当たらない
創造神は引退状態の【艮】か?。この世は修業場か?
悪霊達を取り締まっていない冥府とは?。そこにキリスト教の教義においては閻魔庁(冥府)の長官たる閻魔大王をサタン(悪魔)扱いにしています。日本でも閻魔大王は地獄界の長官で、その配下の馬頭牛頭の邏卒の存在を鬼として、節分の夜は【鬼は外】で炒り豆をぶつけるです。ここに大本教から【節分の炒り豆にも花が咲く】の大宣伝が行われました。そして大本教は鬼は外でなく【鬼は内】なのです。鬼は内?。
鬼と云う【魂】は、人の内なのか?。それとも外か?。
イエスは閻魔大王よりも格上で、罪を免除出来る?
私はナザレのイエスと覚しき霊に幾度か出会いました。それがイエス霊だと断言はできませんが、私がイエスと思った霊はその足に重い十字架を繋ぐ鉄の鎖の足枷を課せられており、それはとても天国界とは言いがたい光景と言えました。私はそのイエスと覚しき霊の姿を見た時、思わず号泣してしまったほどです。
子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【人はこの世において他人が犯した罪分を代わって被ってあげることは出来る。しかしその罪分は自分が持っている徳分の範囲の中であり、自分が持つ徳分を超えてまで他人の罪分を払おうとすれば、その罪は自分の罪となって自分が地獄に赴かないと行けなくなる。】と告げられたなのです。それは安易に人の罪を被って上げてはいけないなのです。
キリスト教の贖罪は罪の売買で、誰かが代わりに落ちる
キリスト教ではイエス一人を主の御子と信じれば天国が教義なので、輪廻転生を司る冥府(黄泉国)をサタン(悪魔)の支配下とした意味は解ります。しかしそこにはイエスが持つ【徳分】が如何ほどの物で有ったのか?。それは自分(イエス)を唯一なる神の子と信じる者達の罪を消すほどの【無尽蔵の徳分】であったのか?。そうしたことが何にも説かれていないのが現実で、イエス一人を主の御子と信じただけでは天国門は開かないなのです。そこにはカルマとは、誰かが代償しても支払うがあったなのです。
閻魔大王の別名は【閻羅大王】で、羅城の門は【来世門】
輪廻転生を司る役所は閻魔庁で、人は黄泉(よみ)帰り
日本神道の死者は【黄泉(よみ)の国】で、そこに甦(よみがえ)る【黄泉還る】を秘めてあったなのです。
キリスト教では魂の更生である【甦り】では無く、【蘇り】を言います。蘇りは死者が息を吹き返す蘇生の意味で、蘇りはこの世から死ぬ時の姿をした自分が最後の審判を経て復活するを説きます。人の魂は【魂の更生たる甦り】下にありますので、それはこの世に再度復活する時にはその姿は昔の自分の姿ではなく、新たな人に成る【赤子】からのやり直しなのです。
ただ仏教にはそうした輪廻転生の教えはあるとしても、どの宗派であれ霊界の具体的内容は説けてはいません。それは僧侶と呼ばれていても単に僧侶の肩書きだけでは霊界の見聞が出来ないからです。ある僧侶の家で先祖霊に関わる霊障害が起きたがあります。その解決をその僧侶がお寺の御本尊に頼んでも出来ずに、他の僧侶の霊能者に頼んだがあります。
その人へ直接に神仏の声が臨んだことから霊界修業に入った人でないと、簡単には霊界に導けない。スピリチュアル標榜でも現実に神社仏閣に鎮座する霊から確約を取れる方であれば、それなりのことが出来るなのです。
しかし霊界では次元と呼ばれる階層が存在しており、魂がこの世に出て来るのは霊界での自分が住む次元界を上げるが目的で、この世は永遠に住む場所では無いのです。それがこの世は魂の【修行場】で、仮初め(一時)なのです。
禅宗の僧侶は、葬儀で死者に対して【喝!】の言葉を出す
葬儀の時の喝!は、この世に【未練】を残さず旅立てです
だがその【喝!】の大声を出す僧侶は、何故に死者は霊魂と成ってこの世に未練を残してはならないとするのか?。そうした説明になると、実際に自分が霊魂と関われる霊能者で無いと【喝】の意味が解らないとなります。
ただ霊魂と関わり霊魂と会話するにしても、韓国の文鮮明開祖が起こした統一教会で解る様に贋の霊能者を使い。事前に相談者の名前や住所を調べておいて、その贋の霊能者を本物と思わせて御先祖霊が苦しんでおられますと嘘を言い。高価な品物を買わせる霊感商法等も出て来ます。霊的世界を金儲けの道具とする輩の嘘も出せるなのです。
この世の霊界は魂の修業場の為、邪神の存在が許される
私は霊能者を商売にしている者ではありませんが、それでも死者の名前やその霊が生きている時に住んでいた場所やその人が亡くなった年が【光の金文字】で出て来るの体験を積み、本当に霊能者で有れば今の時代を生きている人の名前や住所も生年月日も解ると言います。邪神でも霊力さえあれば人の名前や住所は簡単に解るのです。それだけではその人が正神界か邪神界かは解りません。
霊能者とは座ればピタリと解ると言われている様に、霊能者の背後にはその守護神や守護霊が存在し、その守護神が相談者の守護霊を通して見るからです。私は稲荷神界で豊受姫のお世話になりましたが、豊受姫には私の家の預金通帳の額まで金利計算して知られていました。そしてそれらは霊界の【光の金文字】でも解るです。必要な場合は神業で使わなければならないお金の金額まで計算して金文字で出る。私はそうしたことから神霊に対して嘘を出すのは無意味だと言います。
ただ、
相談された神より相談する人の魂が高いと、見えない
仏教においては死者があの世に旅立つ道として【三途の川】が説かれます。しかし仏教の僧侶と呼ばれる人達がその三途川を見ているかと言えば、この三途の川は霊能力が無ければ見ることはありません。霊能者のみが見る霊界の川と言えます。
その三途の川は三本の川がそこに在るのでは無く、この世からあの世に渡る時その三途の川は【三途の方向に分かれる】意味の三途の川で、この川そのものはその人の【この世での生き方】で大海のような大河にも、激しい濁流の川にもなります。この川は見たことが無い者には語れない霊界の川なのです。
大本教霊界物語にはこの三途の川の渡し場には脱衣婆が居ると説かれていますが、脱衣婆の姿を見るのか!。それとも美しい女神の姿を見るのか!。それは貴方次第となるのです。
臨死体験で三途川を見たと言うのは主に仏教徒で、キリスト教徒の臨死体験では三途の川の報告がないことから学者は仏教の三途川は教えられた意識で見た光景ではないかとしますが、問題はキリスト教徒はイエス一人が神の子だの洗脳を受けている為に三途川を見ても解らないことと、ミカエルとかカブリエルと称して出て来る天使と呼ばれる霊に問題があったことの認識がないからなのです。
霊能者は自分の意識で三途川を見たではなく、霊的にその存在を見たなのです。私は豊受姫から【龍船】の存在を見させられ、神々からも【天空を飛ぶ船】も見させられて、イエスの教えとは実に狭い教えだと知ったなのです。
仏教で説かれる岸の彼方は彼岸なれども、その岸は遠い
新天地の弥勒世に渡る場合は、川でなく大海原で現れる
地獄に落ちるとは、この三途の川を渡ろうとした時、それまでは穏やかな流れの川が一転して濁流と化して、その人を飲み込んで地獄界に落とすなのです。スピリチュアル標榜者の【神は愛だから何をしても赦して下さる。】等を信じて三途川を渡ろうとすれば、間違いなく怒濤の波に押し流されて地獄界に行きます。
で、地獄界に行かない方法として、この世の霊界に留まる
この世の霊界に留まる限りは、地獄界からお迎えの鬼が来るなどは無いでしょう。平の清盛に関しては死ぬ前の夢の中に地獄の鬼達が火車と共に現れたとされますが、死後の世界たる霊界からのお迎えと呼ばれる現象は、天国行きとか地獄行きとかが確定している場合には生前に本人がそうした光景を見ます。が、それは数少ないと言えます。だがこの世の霊界に留まる限りは、次の世に人として出してもらえないとなります。例え地獄界に落ちても罪を償って、次も人の世に出して貰う方が正解ではないのか?。となります。その為の【輪廻転生】です。
某著名宗教家は多くの人を助けたいと願い。その力を欲して悪魔に自分の魂を差し出す条件で悪魔の力で多くの方を助けたと言われています。その代償として自分の魂を悪魔に食べさせたので、その死に様は凄まじかったと言われています。この話は霊能者と呼ばれる方達の中では有名な話で、私もその宗教開祖の側近の方からその経緯を聞いたがあります。
その方はその教祖が死ぬ間際も付き添っていて、その死に様を直接に見たが凄かったと言われます。その教祖はこの世における不幸の数々はカルマが消えていく過程と説きながら、今を救って欲しいと懇願する信徒を助けたいと悪魔の力に頼られた。その気持ちは私も痛いほど解ります。自分に人を助ける力が無いと、いくら人を助けて上げたいと思っても助けられないは誰しも解るからです。カルマと呼ばれる事柄は、通り一遍の【愛】の言葉では解決しないのです。
何の代償も支払わないで、貴方を助けますは無いのです
カルマの原則、自分が蒔いた種の果実は自分で刈り入れ
自分が犯した悪事の数々を忘れて、神様、どうか私の尻を拭いてくださいは無いのです。尻拭いをして貰えば、その代償はどこかで払わないといけません。スピリチュアル標榜者の大嘘は、【神は愛だから何をしても赦される。】は地獄界に導く悪魔達の罠なのです。イエス一人を神の御子と信じたから天国界も大嘘です。全ては仏教で説かれた【自業自得】の結果なのです。
私は大本教から世に出された【牛虎金神・国常立尊】から鬼を調べていて、仏教で説かれる【羅生門】の別名が【来世門】であることから、どうして閻魔大王の別名で有る閻羅大王の羅城門が【来世】に繋がるのかを考えていて、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の火水(秘密)】から、その意味が解けたと言えます。
大本教から宣伝された事柄は、大本教からは直接には出されませんでしたが【みろくの世とは新天地に移行する。】であり、聖書と深い関わりがあるのです。それが大本教の出口王仁三郎聖師が自分と出口直開祖は旧約聖書に予言されたキリスト登場前に出る二人の男女の予言者だと言われた事柄なのです。
キリストとは真理の言葉で、人の様な身と思うと誤る
私が子供の頃に臨んでいた声は【旧約聖書の神】との名乗りでしたが、豊受姫によれば私の本守護神は天では天之御中主、地では国常立尊と呼ばれている神。7〜8名の霊能者からは貴方の本守護神は国常立尊様ですと告げられたことから、私が子供の時に旧約聖書の神と名乗る霊から告げられた【私(旧約聖書の神と称する霊)は人類を永遠に嬉し嬉しの新天地に案内する。】が起きる可能性があると見ているなのです。
その時、重要なことは【この地球が所属する霊界に執着心や未練心】を持つなということなのです。
大本教から【人は霊(ひ)止(と)】だと出されたことは、宗教の教えとしては画期的なことなのです。私は霊界修行で多くの完全霊媒者と出会って来ました。その完全霊媒者は神霊や他人の霊に自分の肉体を貸して、その霊の言い分を自分の口を貸して語らせます。そこには人は魂を【霊止】としている存在だと解ります。
しかしそうした霊界修行をしていない人に【人が霊止】が解るのは、ホラー映画等に見られる【エクソシスト】なのです。エクソシストとは、悪魔に取り憑かれた人の肉体から悪魔を追い出す作業を指す言葉ですが、その人に悪霊が宿ったです。だがその肉体は一時的に悪霊に乗っ取られただけなので、その肉体からそうした悪霊を追い払えばいいなのです。
人の肉体から悪霊を追い出せば、その人は天人と同じ
愛ばかりを言っていると、その肉体に悪霊がはびこる
キリスト教の悪魔の定義は、イエス一人だけが神の御子だとした為に、まったく意味が解らなくなってしまったがあります。イエス一人が神の子説は弊害が大きかったなのです。
神懸かり現象と、悪魔憑きとではどこがどう違う?
人に霊が憑依してその肉体を支配している時、その人に向かって【喝!】の大声を出すと、その肉体に懸かっていた霊が抜ける現象があるのです。すなわち、葬儀の時に僧侶が【喝!】の大声を出すと、その肉体に未だ霊魂が宿っている場合、その大声でその肉体の霊魂は霊界に向かうです。
人は肉体の命が終わったからと言って、簡単に霊界には向かえません。自分自身が生きている時に【幽体離脱】を体験すると、肉体から離れても生きている自分に驚くとなります。それが肉体の死で初めて訪れると、霊界からお迎え人が事前に来ていないと生きている自分に迷うが起きるのです。
死んだと思ったら生きている。どこに行けばいいのだ!
私の幽体離脱は、当時私の世話をして下さっていたのは私の家系先祖霊が日蓮聖人の御分霊であったことから、日蓮聖人のお弟子さんの二人が私の幽体離脱の世話をして雲の上に乗せる等をしてくれたので無事に体験することが出来ました。霊界からの世話が無いと、そうした体験で知るは難しい面はあります。
人はこの世の命を終えたからと言って、瞬時にあの世での自分に【意識】を切り替えることは出来ません。霊界とは魂の修業場として創られたこの世とは違い。膨大な広さの世界となります。しかも次元界と呼ばれる異次元世界が広がり、あの世に渡ったならばこの世で聞いていた内容とは違うぞともなります。どうしてもこの世での生活に未練を残します。
霊界で自分が住む世界とは、スピリチュアルでも語られる【同一波動の者が集まる世界】である意味面白みが無いのです。ドングリの背比べです。この世は魂の学びの為に悪が一定許されているので、ある意味面白いなのです。誰しも悪的な事柄をして面白いと思う体験をして来たはずです。つまり悪を知って善を知るのです。その為にこの世は一定の悪が許されるのです。
この世に未練を持つと、元の霊界に馴染めないが起きる
そこに仏教で説かれた生まれ変わるの羅城門(来世門)を通らない霊達も出て来るとなります。縄文時代の姿をしていたから、それが神霊とは成らないなのです。そこに現れて来る霊が生きていた当時に関してはその服装で解るとは言えますが、魂は自分が生きていた過去の時代に縛られるのではなくて【進化】という道も辿らないと行けないともなるなのです。
人の魂は進化の道を進むので、過去世の自分を忘れる
この世は魂の修業場であれば、修行場の閉鎖は起きうる
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霊能力で神仏と語れても、神霊世界は簡単に解らない
私も霊界修行に入った当時はその不動明王の現出が特に多かったのですが、火炎を上げた不動明王が出て来られると全身に汗が噴き出すです。しかし豊受姫の御台で有った最初の師匠から不動明王程度を出していて、どうする気だと叱られてしまいました。天之御中主様とか国常立尊様の段階とは比較にならないという意味のお叱りでした。大本教から創造神として天では天之御中主、地では国常立尊が出されていなければ、天之御中主と国常立尊の違いすら解らなかったなのです。ほとんど世に説明がなされていません。
その師匠も最初は四国小豆島の某不動明王の御台をされていたのですが、ある人の命を救うことが出来るか出来ないかで、その命を救えないと告げられた不動明王と、自分の御台に転じればその命を救ってやろうと約束された豊受姫。そこでその人の命を救って欲しいと不動明王の御台から豊受姫の御台に代わった経緯を語られました。
神霊は約束をすれば、その願いを叶えてくれるが多い
私は神霊界修行に入った当初は豊受姫様の庇護を受けており、ある不動明王と一体化している行者が私に対してどこの馬の骨か解らん奴が奉納した神酒など不味くて飲めないと私を馬鹿にして来られて、豊受姫がその不動明王に対して誰に対して偉そうな物言いをしているのだと怒られて、その不動明王とその行者たる肉体を一緒に金縛りにされて畳の上をゴロゴロ回転させ、その方は畳にゲーゲー吐くという大醜態を晒すとなりました。その不動明王は私が本当は誰なのかを見抜けない段階の存在だったのです。私はその時、世に出ておられる不動明王よりも豊受姫の方が神界では上位であると見させられたのです。
豊受姫の御台(取次)をされていた最初の師匠は、日本人は豊受様の神霊界における本当の身分も神力も知ってはいない。豊受姫は伊勢神宮の天照大御神よりも上位の神霊で、不動明王を縛ることも出来ますと言われます。それを見させられたなのです。
伊勢外宮の神で稲荷大神首座神としての豊受姫と不動明王とでは、霊界での力関係は違っているのです。そこには人類に衣食住を与える立場の神と不動明王とでは役割そのものが違っているがあります。
不動尊行者で知られる事柄に不動の金縛り術があります。不動尊行者は不動明王の力を持って悪霊等を霊縛したり、霊界の霊道の入り口を封印するがあります。そうした中で生きた人の行動の自由を縛って動けなくする術もあり、そうした事柄が不動の金縛りの術と言われています。そうした霊縛とか霊を封印するのは行者系で、単に霊が見えるのスピリチュアル系とは意味が違って来ます。
スピリチュアル界の大御所と自認されている霊能者江原啓之さんは霊はよく見える方ですが、テレビ番組で悪霊に攻撃されると倒れてしまわれたがあり、行者として邪霊と戦える霊力と霊がよく見えるは次元が違うことを世間に解らせてくれました。
悪霊と戦えないから逃げる!。それは何を意味する?
霊感の強い方だとホテルや旅館に宿泊し、出て来た霊に【金縛り】にされた等の経験をされた方もあるでしょう。霊的な存在に鈍感な人はそうした場所に泊まっても、ラップ(騒霊)音が鳴っていてもそれすら気づかないがあります。否、ラップ音は必ずしも万人に聞こえないからです。ただ霊が見えなくても、ラップ音が聞こえる人は霊が見える人よりも数は多いと言えます。
ラップ音は聞こえない。霊も見えない。何も感じなくても、写真などを撮るとオーブ玉が写っているホテルや旅館は予想以上にあります。私の場合は自宅よりホテルや旅館に泊まる方がラップ音をよく耳にします。某温泉旅館に泊まった時、ラップ音がうるさいなと思っていると私と同行していた方には高層階の窓の外に人が立っている様が見えたと言います。高層階の窓の外に見える人とは幽霊になります。この世の霊界は本当の霊界に旅立っていない霊、浮遊霊たる幽霊が意外と多いのです。
この世で見る幽霊の多くは、本当の霊界に渡れていない
不浄仏霊に金縛りにされるは、自分の守護霊の力が弱い
私は霊界修業に入った当初は気がつかなかったのですが、私が行く先々で【ラップ音現象】を引き起こすで何が原因かと探ったところ、その土地に鎮まる霊と私の背後の守護霊団との小競り合いが原因でした。私は霊界修行に入る迄は、別にラップ音が聞こえる者ではなかったのです。
神霊界修行とされる滝行や水行に断食行。お経や祝詞三昧を積むと自分の霊力が研ぎ済まれ、霊的な事柄がよく見える様にはなります。死後の世界など無いと主張される方は、そもそも霊界修行を積んでいないのです。霊山に籠もり松葉や熊笹などの仙人食で生きていれば仙人的要素も備わって来ますが、そうした修行をおろそかにすれば元の木阿弥で元の段階に戻るです。仙人も仙人としての霊能力を失うなのです。
私の2番目の師匠であった方は数年間霊山に籠もり仙人食をしている時代は、本人が空中に浮いているだけでなく、その庵を訪れた人達も皆が正座した状態で空中に浮いたとその体験をされた方達から聞きましたが、豊受姫の御台(取次)をされていた私の最初の師匠も空中に飛んだり、空中で180度転回(トンボ)をしていましたので、そうした世界は修行を積まないスピリチュアルでは何も解らない世界と言えます。
今の世は辛い霊界修行を積んで神霊を目指す人は皆無
私は神霊界修業のお世話になった稲荷神界から離れて言霊学に転じた頃、豊受姫の庇護を離れたことから黒龍神の群団に攻撃されるようになって逃げ回っていました。豊受姫の庇護の元だと黒龍神も私に簡単に手が出せなかったのでしょうが、その庇護を離れたとなるとあいつは生意気だからやっつけてやれです。
しかし今は私にもそれなりの反撃能力が備わって来ましたので、黒龍神から攻撃されて逃げ回るもなくなりました。それ以前は神仏からの攻撃に対抗するにはお経や祝詞で神仏を霊縛するより方法を持たなかったからです。お経や祝詞で霊を縛るには時間が掛かり、そうしたやり方の霊縛では素早い動きの龍神には対処できないがあったのです。
行者は自分の身を守る為に【霊剣】等を保持する
行者は神仏を祝詞や経や九字で霊縛して封印もする
私は現在地に住むに当たって、豊受姫から私に対して【そなたは神界の御用で、あの土地に住みなさい。その御用は肉体を持たない私達神には出来ない事柄で、肉体を持ったそなたでないとその御用は勤まらない。その神界の御用を出来る人間は、そなた以外の者は無理である。】と告げられたのです。
ところがその言葉を私に告げられた豊受姫の御台(取次)で私の最初の師匠は、あんな土地に行ったならばあなたは殺されてしまう。私ならば行かなければ殺すぞと言われても絶対に行かない。殺される道を選ぶ。あんな恐ろしいところは殺されても嫌だと言います。
私は霊能者の様に霊が見える者ではありませんので、豊受姫の御台を勤める方が何故にそんなに恐ろしがったのかよく解りませんでしたが、他に数名の霊能力者から私が住む土地は実におぞましい。吐き気が出る。身の毛がよだつほど恐ろしい怪物姿の存在が住む。霊界の汚れが集まっている特殊な土地だと聞かされました。
私が豊受姫の命令でその土地に新しい家を建てて数年後、とんてもない大ラップ現象が始まったのです。そのラップ現象を霊能者の方達に鎮める様に頼んだところ、このラップ現象は伊勢神宮の天照大御神でも出雲の大国主命でも不動明王でも稲荷神でも鎮めること等は出来ない。今の神霊界の神々では無理だ!。その大ラップ現象を鎮めることが出来るのは肉体を持った貴方だけだ。自分で鎮めないと、誰をもってしてもそのラップ現象は鎮めることは出来ないと告げられたなのです。
世に出ておられる神々の力で鎮められないとなると、もう自分で取り組むより道はありません。しかしその方法が解りません。ただただ祝詞を上げ続ける。お経を上げ続ける。ラップ現象は主に夜中に起きるので夜は眠れない。よくぞ死ななかったなのです。最初の師匠があんな場所に行ったら貴方は殺されてしまうと言った、そうした現象が三年間も続いたのです。
私が住んだ一帯は神霊でも、祓い清めが出来ない土地
幾人かの霊能の方には私がそうした現象下で暮らしたことが見えていました。それは神々ではなく肉体を持った貴方でないと無理だったと言われます。それは人の肉体には霊を浄化する能力が有り。世に神霊として出ておられる方の浄化能力では出来ないものだったのです。私の肉体は一体ずつならば龍神をも浄化する能力を持っており、通常の霊能者よりも遙かに霊の浄化能力が優れているなのです。為に私の肉体はボロボロになってしまいました。
霊を浄化するがどれほどの作業か解らないでは【カルマ】の恐ろしさも何一つ理解出来ないと言えます。
霊の浄化で肉体がボロボロに成るを知らぬがスピ
私が住む土地は今の世に出ている神々ではなく、それ以前の神々。今の人類は今から20万年ほど前に出た種とされますが、それ以前の世に存在した神々が押し込め(封印)られた土地だと言われています。
霊界物語は国常立尊様は約三十五年前に御引退と記す
その土地にあった古家(後日に判明したことは、大本教の出口王仁三郎聖師が大正九年以前、一部の信徒達に教団には内密で、その付近一帯の土地を死守をして欲しいと頼んだ土地の一角に立つ家)を壊して地鎮祭を執り行いますと、その土地に大金龍がとぐろを巻いているのが見えます。
そこで地鎮祭を執り行っている最初の師匠に、【この土地は金龍神がとぐろを巻いていますが?。】と問うたところ、金龍神がとぐろを巻いて上から押さえておられますが、この土地の下には今の世に出ておられる神々では無い。私達人類が知ることがない超太古の神々が無数に押し込められていて、この付近一帯はその怨念が封じられた恐ろしい場所です。】と言われます。
それはその最初の師匠だけで無く、幾人もの優秀な霊能者からも告げられました。本当に優秀な霊能者ならば、今の世の時代の神々では無い超太古の時代の神々が見えているはずなのです。今の人類は七度目(日本神道は今は神代七代目、聖書は七の安息日)に在るなのです。過去に人類は幾度か滅びてはいるのです。そして今度が最後なので、最後の審判を受けて永遠の弥勒世が語られるなのです。
有能な霊能者は告げる、超太古の神々の怨念が渦巻く土地
叩かれた者は叩いた者を忘れないが、人を叩いた者は忘れる
私の元には自分は凄い者だ式のことを言ってこられる霊能者と称する方達は多々ありますが、私が住む土地は今の世の神々以前の神々が封じられた因縁の土地と見抜けない霊能者の方とは語らないようにしています。そうした方達は【因縁】とか【カルマ】をほとんど理解されていない存在だからです。ほとんどがノホホン教と言えます。為に霊界の【次元】界すら理解せずに自分は凄い者だ式だからです。
大本教や岡本天明師の日月神示では神霊界は正神界も邪神界もイハトで語る一八十の【百八十】段とされていますが、こうした神霊の階級の違いは【天使の階級章】とも言われており、その霊の名乗る神名ではなく、実際にその霊の【天使の階級章】が霊界でどのランクなのか?。そこに意味があると言えます。
霊的なことは高い霊界に所属するからよく見えるではなく、逆にこの世は地獄界的な低い霊ほどよく見えるし働けるなのです。ただいくら低い霊界がよく見えるで邪神界での階級を上げても、そこに何の意味があるのかとなるのです。
人がこの世に降りる原因に、天人界の階級を上げる
そのことが見える霊能者からは、貴方で無いとこの土地に関わる神業は出来ませんでしたよと言われます。この土地に関して何も見えないスピリチュアル的な人は、私が霊能者の様に霊が見えない。それに対して自分は霊能力を持っているで私をバカにして来られるのですが、本当に霊的世界が見える霊能力者であれば、こんな恐ろしい不浄の土地には住めないと言われていたなのです。
そこにあったのは、肉体を持った者で無いとその土地に封じられた神霊の浄化が出来ない。豊受姫が自分のような神霊には出来ない。肉体を持った者で無いとその御用が出来ないと告げられたのは、私の肉体には並外れた【神霊をも浄化する】能力が備わっていたなのです。
私が豊受姫の命令で住んだ土地は今の世の神々ではなく、今の人類が知らない姿をした超古代の神々達で、誰かがその土地に当時の神々を【封印】してしまったなのです。それが大本教霊界物語に国常立尊は今から約三十五万年前に【御引退】と記した事柄なのです。私はこの地で私に懸かった霊から【三十五万年間に関わる苦しみ】を告げられたなのです。それは伊勢神宮に鎮座されている御神霊では知る時代の話では無かったのです。
三十五万年前、この地球上神界を揺るがす何かが起きた
時間を費やして、そうした恨みの神霊達の浄化は終わった
豊受姫は私に【その土地は非常に汚れた土地である。本当に力が有る神は汚れていない土地に降臨するではなく、あえて汚れた土地を選んでその土地を浄化に浄化して鎮座する。高山に降臨する神霊よりも低い土地に降臨する神の方が神力がある。その土地は汚れが清まれば、万物の創造神が降り立たれる場所。】と言われました。
力が有る神は高山でなく、低い汚れた土地を祓い清める
スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。そうしたことばかり言っている人達は別として、日本には【不動尊行者】と呼ばれる不動明王を信仰をして、それなりの山行を積まれている方達がかなりあります。こうした方達のことを通常【行者】と呼びます。一般的には両部神道で不動尊信仰者が一番多いのですが、稲荷神信仰の稲荷行者に観音菩薩信仰の観音行者と呼ばれている方達もあります。
こうした行者の方が見る霊世界とスピリチュアルで語る霊世界とではほぼ同じ世界を見てはいますが、中身的にはかなり違って来ます。行者と呼ばれる人ほど汚れた土地に関われるです。 霊の汚れが理解出来るのです。
単にスピリチュアル標榜だと霊的な汚れとか、霊を浄化する。そうした話はしないでしょう。霊的な汚れとは何事かを知らないからです。霊は見えても、その霊が汚れているのか汚れていないのかすら解らないなのです。スピリチュアルのお題目の神は愛だから何をしても赦される等は無く、何をしてもよいは自分の霊体を汚して行くなのです。
行者は神霊をも封印する?。結界を張るとは何事?
不動尊行者とスピリチュアルで違うのは【霊縛】能力
私は大本教から世に出された大本教霊学に基づいて、行者の端くれとして神霊をも霊縛する術を学びました。ただ一部の神仏を霊縛することは出来ても、生身の人間を縛するまでの段階には進めませんでした。大本教の出口王仁三郎聖師はその生身の人間を縛することが出来たことは知られていますが、それは優秀な不動尊行者にも見られます。
昔はその不動金縛り術を使える行者さんがそれなりにおられました。しかし今はほとんど見かけることはないと思われます。それはそれだけ霊術を使えるだけの行を積む人が世に見当たらなくなったからです。悪霊を霊縛しても金儲けにはつながらないのです。そして行無しで霊術の行使は難しいのです。
ある行者の失敗談として、肉体人を霊縛をする術を不動明王から授かったが、その霊縛を解く術を受けていなかった。不動明王から金縛りの術を受けた嬉しさのあまり、当時は肥担桶を畑に運ぶ時時代でその肥担桶を担いでいる人に不動金縛りの術を掛けてしまった。だが術を解けないことに気づいて、その行者は慌ててその場から逃げた等の話があります。
霊が見える段階と不動金縛り等の術を使う段階は違う
霊界では行者は神仏霊と言えども霊縛したり、封印と称して神仏霊そのものを一定の場所に封じて閉じ込めてしまうがあります。ではどうして人には神仏すら霊縛したり封印が出来る能力があるのか?。
人は単に霊止(ひと)でなく、物質体を身に纏った神
その霊界における最大の封印とされる事柄が、俗に【天ノ岩戸開け】と呼ばれている事柄なのです。大本教神典は天ノ岩戸を開ける役に閉める役。閉める役が難しいと予告しましたが、そこには【封印】された事物があるなのです。
その封印解除は人の身たる肉体を持った者によって為されるです。大本教神典は天ノ岩戸を開ける役に閉める役。男女の働きがあると予告したなのです。が、その男女は大本教の出口直開祖と出口王仁三郎聖師はその該当者ではなかったなのです。それは巷で自分が救世主ですと名乗る様な事柄では無いなのです。
その封印の解除は【言葉】の力で為されると言われていますが、言霊の並び方です。俗ぽく言えば【開けゴマ】たる呪文です。開けゴマの由来で有るゴマは単に胡麻の実のことではなく、言葉には霊力が宿っている意味が秘めてあるなのです。当然に開けゴマと言えば、磐の扉が開くでは無いのです。目に見える世界の事象を語るものでは無いからです。
胡麻はアラビア語では【simsim】で【毒】という意味を持ちます。しかしヘブライ語の天国に繋がる意味も出せます。その毒を取り除かないと、誰も【秘密の天国】の扉を開けることは出来ないなのです。
開けゴマは、弥勒の世の嬉し嬉しの財の原資を出す
いくら嬉し嬉しの弥勒の世の宣伝したところで、その原資となる財が無いと誰も幸せにはなりません。大本教神典はその原資たる財を無尽蔵に持つ【龍宮の乙姫】様がその財を吐き出すと予告したのですが、それらは秘密の洞窟に秘められた無尽蔵の宝を出す意味です。その封印を解く鍵が言葉と繋がっているなのです。
神の世界から語られて来た事柄は、最終的には【一点】に結びついて行く。
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最近の日本では一時間当たり 100ミリ前後の大雨は珍しくもありません。こうしたことは数年前から一部の霊能者から【神界の働きたる火水(かみ)からの警告】として出されていたことです。起こるべくして起こっているなのです。
しかし何故に神界からの火水(かみ)の攻撃が始まったのかとなると、地球の温暖化が原因と言われていますが私が霊界から見せられたのは地球の温暖化が主たる原因では無いのです。それは創造神による神罰でも無く、
この地球を動かす核のエネルギーに異常が起きている
しかし自分は凄い霊能者だと豪語される方からは、この地球の核エネルギーには何の異常も無いとの返事が返って来ます。私は霊界で数を揃えた勢力では無く、未来を見通す力を持った神からの警告が一番重要だと考えるのです。いくら数の勢力を誇っても未来が見えていないとなると、それは神か?。となるのです。
世紀の予言者として知られた大本教の出口王仁三郎聖師は、神の【葛折り(九十九折り)。折(織)られた物を見ないと解らない。】と告げられましたが、それは大パズルなのです。大本教神諭で【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸。それを紐解く者が世界に一人用意してある。】と予告された内容物で、数の力を誇って紐解けるではないなのです。
この地球は365日かけて公転しています。しかし誰もどうして地球は365日で一公転しているのか?。その意味は?。その源動力は?。そうしたこを何も考えていなかったなのです。私は大本教から大宣伝された【五十六億七千万】と【三十五万】年前とモーゼの【四十】年間の荒野のさ迷いから意味が読み解けたなのです。
創造神が織った神の【九十九折り】を見ないと解らない
日本の霊能者ならば神は【火(か)水(み)】とも言い、神の働きとして火山の噴火や強風を伴った大火事、そして集中豪雨の大雨、さらに大地震を上げます。こうした災いは神たる火水(かみ)の力が作用していると見るからです。その火水(神)とは何かと言いますと、世に【龍神】と呼ばれている存在なのです。
関東大震災の大火炎には、霊的な火炎龍の姿が見える
私はモーゼが渡る紅海に道を付けた龍の映像に驚いた
行者と呼ばれる方達の間では、通常龍神と呼ばれる存在は霊界で蛇霊と化した存在が三千年間も霊界修行を積んで龍神と呼ばれる存在に成ると言われます。聖書にも龍とは霊界で年老いた大蛇霊とありますが、世紀の大予言者として知られた大本教の出口王仁三郎聖師は通常の龍は蛇霊からの龍であるけれども、そうではない龍も存在していると述べておられます。天変地異に関わって来る龍とは、そうした蛇霊からでは無いところの龍達なのです。
そうした龍は神社仏閣に龍神として祭られて鎮座をしていない龍と言えます。為に人の【情】によって流されたり動かされるでは無いなのです。私達の様な人間の病を治すとか、金儲けには何一つ関わって来ていない存在と言えます。
日本では祓い戸の神も【龍神】と見る。祓いの時期か?
私は稲荷神界から言霊の世界に転じたとある大雨の夜、黒海黒龍神と呼ばれる黒龍神の訪問を受けました。その黒海黒龍神は私に【聖書のノアの箱舟で知られる40日間の大雨を降らしたのは自分だ。こんな大雨だ!。】と言います。私はそれを聞いて、ノアの箱舟の話は黒海と関係があるのかもしれませんが何の確証も無い話であり、その黒龍神の話を信じるではなくて、40日間もこんな大雨が続けばそりゃ大洪水になるでしょうと返しました。そうすると私の返事はたったそれだけかと怒っていました。
世界を調べると中国にもそれまでの人類を終わらせた大洪水の話はありますし、そうした出来事があったのかも知れません。文明はそれが滅びると、その痕跡を残さずに消え去ってもさほど不思議ではないのです。この地球に住む人類はいったい宇宙のどこからやって来たのか?。そうしたことも未だはっきりしていません。
魂は輪廻転生で人の肉体に宿ると考えますと、人は猿的な存在から進化した等の論は成り立たなくなるのです。またそうした宇宙からの存在を考えないと、宇宙人であれ【神】と呼ばれる存在の説明すら出来ないのです。
この日本には実際に神社と呼ばれる場所があり。そこには神と呼ばれている霊達が鎮まっています。その神と呼ばれる存在に願いをすると、時にはその願いを叶えてくれます。入学試験問題を事前に教えてくれるもあります。難しい病気を治してくれるもあります。そこには輪廻転生をしている【魂】と呼ばれる存在があり、それはナザレのイエスを主の一人御子と信じていれば天国に渡れると言う甘い甘い考え方で解る様な世界ではありまん。
スピリチュアル標榜だと神は愛だから何をしても赦されると宣伝しますが、それを本気で信じて死後の世界に渡れば、地獄と呼ばれる世界の存在に驚かないといけなくもなります。神は愛だから何をしても赦されるは、実際に地獄界の存在を見ていないから地獄界は無いと思っているだけであって、自分の目で地獄界の存在を見てくれば神の愛で何をしても赦される等はまったくもって勉強不足で在ったと解ります。
特に火を噴いたり水を噴く龍を見ると、これは何だ!
この地球に関わる天変地異には、龍神が深く関わる?
私は言葉の仕組みを知る為に、特別に見させられる霊世界がありました。だが通常の霊能者の様に霊世界が見える者ではありません。幾人もの有能な霊能者から【貴方は低い霊界が見えないから、霊能者としては使い物にはなりません。この地球の霊界は狐霊や蛇霊の世界です。蛇霊や狐霊と関われないと、霊能者としては世では出られませんよ。】と告げられて来た者であり。言葉の仕組みを解ろうとしない霊能者と同じ土俵場に立つ者では無いのです。
あるかなり大きな宗教団に所属される霊能者の方から私にメールが送られて来ました。その内容は、その教団は表面的には教団の信徒達をみろくの世に渡すことを歌っています。その方はその教団で霊能者として活動されているそうですが、ある日その方が見たビジョンはその教団が最後の審判に当たってみろく世に渡す霊界の船が出航すると、その船団の上に焼夷弾の様な火の雨が降り注ぎ、その教団の信徒が乗った弥勒世行きの船はことごとく焼け沈むビジョンに出会ったと言われます。その方が所属される教団の教義ではみろく世には渡れないです。
その方が信仰している教団に所属していると最後の審判時には火の海の中に入る。その為には教団を脱退すべきなのですが、自分は脱退して助かる道よりも自分の長い信仰人生の中で仲良くしていた教団の仲間達を見捨てて置いてはいけない。為に自分は教団内部から教団の教義を立て直しますと言う決意表明のメールです。
その教団は私がお世話になった豊受姫によれば、その教団は黒龍神が主宰する教団でその信徒を天国界に導いているのではなくて地獄界に導いていると言われます。その開祖はもう亡くなられましたが、多くの霊能者からその開祖は地獄界に落ちたと言われています。
その霊能力がある信徒さんが見た最後の審判時のビジョンでは、その教団の信徒は火の海の中に落とされるで、その教団を中から立て直すことが出来るかと言ったならば、その教団を主宰している黒龍神達が解ろうとしなければ無理だと言えます。
龍神と呼ばれている力の存在が反省しない限り難しい
私を含めて日本人とは非常にのほほんとした民族と言えます。周囲に危険が迫っていてもそれを察知しない民族と言えます。それは大陸と切り離された防御された島国に住むからです。異民族の襲撃を受けて来なかったことから物の考え方が甘い。世界に食糧不足が起きれば自国民を食べさせることが困難になる。国民を飢えさせない為には農業は自国で自給自作の必要がある。そうした考えすら持たない政策を続けて来ました。
今、世界中で山火事や熱波の火攻め。線状降水帯と呼ばれる集中豪雨の水攻めの洪水が起きています。そうしたことは過去から自然災害とされて来た事柄ではあるのですが、今世界に起きている火攻め水攻めは単なる自然現象にしてはこれはおかしいぞと気づく人は少ないようです。
今、世界は火水(かみ)の力の火攻め水攻めの中にある
神は【火(か)水(み)】の働きと解るのが日本語
霊能力者と呼ばれる人達からは、そうした天変地異は驕り高ぶった人類に対する神界からの警告だと言われますが、そんなに単純なことでは無いのです。
東日本大震災が起きた時、大本教から世に出された【艮(ウシトラ)金神】の別名は【東北】金神であったことから、東日本大震災は悪神国常立尊が起こした地震だと叫んでいる方達がありました。大本教でウシトラ金神を【東北】金神としたのは、方位において丑寅は磁石の針が東北の示しで在り、別に牛虎金神国常立尊と呼ばれている神が東北に存在しているではないのです。そうした方達は、日本語に仕組まれている言葉の謎の意味が紐解けているでは無いなのです。
地震も【辰(龍)】と呼ぶ神のエネルギーから起きる
ただそこにあるのは神の火(か)水(み)たるエネルギーが【流神】として流れ、その霊的姿は俗に言われる【龍】の姿で見えるなのです。霊界で力を欲して蛇霊と化し、約三千年間ほど修行を積むと俗に龍と呼ばれる様な霊的姿になってそれなりの霊力は得ます。
ただそうした人の身から蛇霊と成って修業を積んで龍と呼ばれる存在に成ったとしても、そのエネルギーは【大地震】を起こすほどのエネルギーではないのです。東日本大震災に見られる様な大地震を起こす【流たるエネルギー】は、もっと巨大なエネルギー体と言えます。
そこでこれはおかしいぞと気づいても、私達人類はそれに対処する方法を知りません。また世に出ておられる神々の神力では巨大地震が起きることをを防ぐことも出来ないのです。阪神淡路大震災では神戸の大神社も倒壊しました。今の世に出ておられる神々のエネルギーでは、この地球に起きる大地震のエネルギーを食い止めるだけの神力が有る神霊は存在していないのです。
だとすれば、この地球から弥勒世と呼ばれる新しい新天地に旅立たないといけなくなるのです。私の様な新地球に移行する論を説いている者は新地球派と呼ばれ、そんなに数は多くありません。少数も少数派です。
その少数派に所属する霊能者の方達からは、その新地球は国常立尊が宇宙創成時にこの地球にもしもの時はその星に人類を移せるように創られた高次元界に存在する地球で、世に出ておられる神々は何も知っておられないと言われます。しかも徐々に移行するのではなく、一気に移行すると言われています。
新地球に移行する日は、ある日突然にやって来る
永遠に嬉し嬉しのみろく世に住む家や仕事は用意済み
ただその事がこの世に住む者達には【証明】出来ないのです。
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【私はこの世の幕を一度は降ろすが、その代わりとして私は人類を永遠に嬉し嬉しの世に渡す。そのことを伝える為に、私はそなたをこの世に降ろした。】と告げられました。
私は子供心に驚いて、それは何時のことなのですかと尋ねたところ、【それは何時とは言えないが、間違いなく言えるのはそなたはこの世の終わりの日の光景を自分の目で見るだろう。そなたはその光景を自分の目に留めて、次の世の歴史書に何故に人類は終わりの時を迎えることになったのか?。その理由を書かなければならない。私はそなたを終わりの者と定めた。新しい嬉し嬉しの世に渡る人を乗せる船は数多出るが、そなたはその最終便の船長を務めなければならない。多くの魂を収容した船がこの地球から離れたならば、私はこの世の幕を降ろす。】と告げられたなのです。
無論、そんな内容は【狐の神】の仕業だと言われる方達もあるでしょう。何故ならば誰も万物を創られたとされる神の力を見ていないからです。
創造神の神力は誰も見ていない、為に信じられない
私は自分が稲荷神界に修業に入って、子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称していた声は天においては天之御中主。地上界では国常立尊と呼ばれている御神霊であることが解って来ました。だがそれは人類に対して現世御利益や病気治しをしている神では無いなのです。
私はその旧約聖書の神と称する声から永遠に嬉し嬉しの世は今の地球上ではなく、高次元界にこの地球と【瓜二つ】の地球が存在しており、その高次元の地球上で永遠に嬉し嬉しの世。俗にみろくの世と呼ばれる世界に入ると聞かされたのです。それはスピリチュアルで語るこの地球が高次元界に進むではないのです。為にこの地球から新地球に【乗り移り】が起きるなのです。
みろくの世とは、今の肉体を終えて永遠の肉体に復活
その論理を知るには、本守護神・正守護神を知る必要
仏教を開かれたお釈迦様は、人は何故に死ぬのだろうか?。人は何故に生まれて来るのだろうか?。そうしたことを不思議に感じられて前人未踏の苦行を積まれて遂に悟りを開かれたなのです。その悟りとは【悪魔は実態を持たない現れであり。人には良心と呼ばれる神が内在している。】だったのです。
この悪魔は実態が無い現れは、ある意味【盲点】だった
為にキリスト教の教義はサタン(悪魔)は実在的な存在と捉えてしまい。輪廻転生の意味が解らずに冥府の長官【閻魔大王】をサタン扱いにしたと言えます。
それはスピリチュアルと称して【神は愛だから何をしても赦されます。】と説くような【低次元界】で解る様な論理ではないのです。一部の霊能者はそれは【識界レベル】と説きますが、創造神を第十識界とするとお釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。ムハンマドは第四識界と言われており、イエスやムハンマドの段階だとそうした疑問を何も持たなかったなのです。
そこにはお釈迦様の悟りは【五十六億七千万のみろく】で語る。それは【日本語】で紐解く大仕掛けであり、そこに創造神は大本教と呼ばれる宗教を世に出したなのです。
お釈迦様が抱かれた疑問の原点に戻る必要があった
ただ最終幕は、大本教は七代の女子教祖で続くと予言された正統の七代の女子の系列は教団から追われましたが既に誕生を終えており、予言教団として世に知られた大本教の予言は終わりの準備に入っていると言えます。どうして大本教は七代の女子教祖で終わると予言されたのか?。その理由が定かでなかったからです。ずっと続く仕組みであれば、別に七代として切る必要がそもそも無いからです。
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西洋や中近東のユダヤ教、キリスト教、イスラム教ではその創造神を唯一の神として、それは【旧約聖書の神】のことだとしています。私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、それは本当に旧約聖書の神なのかどうかまでは解りません。ただその旧約聖書の神と称する声は私には自分は偉い神とか高い神だとかは言わず。私に人としての心の【在り方】を説き、一貫して自分の魂を磨く、そして人の魂は【輪廻転生】をしていると教えられたのです。
私は旧約聖書の神から、人の【心の在り方】を教えられた
その旧約聖書の神と名乗る声は、私の書は旧約聖書なれども旧約聖書を読んでも旧約聖書は暗号書であり、その暗号書を紐解く鍵を持たないで読むと意味を間違えるように創ってある。新約聖書は人の子達が為した書で私の書では無い。この日本は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国で在り。この私の教えを知ることが出来るのは、この日本国だけだと告げられたなのです。
私は自分が稲荷神界に修行に入った時、稲荷神界では下郎の役である白狐像の鍵が付いた石の巻物を見ていて、何故に白狐像は巻物を銜える?。あれが本物の巻物であれば、いったい何が書かれているのだろうかと気になったがあります。日本における言霊学は伏見稲荷大社の神主(社)家であった【荷田春満】からとされています。
日本で大衆に本格的に言霊学を説かれたのは大本教の二代教主補であった出口王仁三郎聖師からとされますが、その出口王仁三郎聖師に言霊を教えたのは母方の家系からで、それは荷田春満からの言霊学の流れだとも言われています。言うなれば日本における言霊学は伏見稲荷大社の流れとも言えます。
万物の創造神の教えが出来るのはこの日本国だけ?
日本の言霊学は、伏見稲荷大社系の荷田春満が関わる
ただ神と呼ばれる存在は通常の【学問】では解き明かせないのです。何故ならば学者と呼ばれる人達は実際に伊勢神宮に鎮座されている御神霊や伊勢外宮並びに伏見稲荷大社首座神である豊受姫。出雲大社の大国主命様。仏界の諸如来・菩薩・明王の存在を見られたことはないでしょう。そして龍神や天狗と呼ばれる存在です。霊的世界を何一つ見ないで学問だけで神を語るのは非常に難しいのです。
神霊の存在は、学者より巷の拝み屋の方が遙かに解る
仏教ではこの世の万物は【虚空蔵】から産み出されたとしますが、何故に【嘘】を示す虚空蔵からとなっているかです。
私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、【この世と呼ばれる世界に住む者は神であれ人であれ、あの世のことはよく解らない。それはあの世とこの世は遮断されているからである。あの世の情報をこの世に下ろすと、その情報はこの世では筒抜け状態になる。悪霊達にも要らぬ情報を与えてしまいかねない。為にあの世からこの世に下ろす情報は、多くの嘘の中に少しの真実を混ぜて下ろす。この世に居る者は何が真実で何が嘘なのか。それを見極める力が要求される。】と告げられたなのです。そこに【虚空蔵】の言葉には嘘の字が含まれているのです。
神霊は自分は学者ですでは、その姿を見せてはくれない
創造神の最大の嘘は、人は死ねば終わりと思わせた
キリスト教は建前としては旧約聖書の神を唯一なる神としてはいますが、イエスはユダヤ教の神に仕える司祭達を悪魔に仕える者達呼ばわりしていましたので、イエスから言うとユダヤ教の神は悪魔的存在となります。ただそうしたことは既存のユダヤ教の司祭達は悪魔に仕えているが、イエスは自分一人だけは他の宗教家とは違う式のことなのです。そこにキリスト教はイエス一人だけが創造神を知る者などの誤った教義に入ってしまったがあります。
ある時私に臨んだ来る旧約聖書の神と称する声に尋ねました。【あなた様は、イエスの前に臨まれたことがあるのでしょうか?】。すると旧約聖書の神と称する声は、【私は一度なりともナザレのイエスの上に臨んだことはない。ナザレのイエスは我が子には在らず。私では無い他の高い神の御子である。】と答えられたなのです。
確かにユダヤ教徒はイエスを旧約聖書に予言された旧約聖書の神の一人御子とは認めていません。旧約聖書に従えばキリスト登場の前には男女二人の預言者が出なければなりません。大本教の出口王仁三郎聖師は自分と出口なお開祖はその男女二人の預言者だと述べておられます。イエスが出る前にはキリスト登場の前触れと予言された男女の二人の預言者が出ていないのです。ユダヤ教徒にとっては、ナザレのイエスは似せメシアの一人に過ぎなかったなのです。
私はイエスに疑念を持ったのはマリアの処女受胎です。肉体と魂は完全に別物なので処女受胎は不必要な事柄なのです。もしマリアが本当に処女受胎であれば天界の規則に違反しており、それに関わった天使と称した者達は、天帝と呼ばれる存在があるのであれば、それらの天使は不届き者として最後の審判時には天帝に直で裁かれる存在となるからです。
最初にイエスを主の一人御子に仕立て上げた天使長ミカエルと称した霊に大天使ガブリエルと称した霊は、次はムハンマド(マホメット)を最後の預言者に仕立て上げて、キリスト教徒とイスラム教徒を殺し合いの渦の中に誘導させました。私からすると天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称している者達は、本当は何者?。となります。そんな者が本当の天使長とか大天使でありえるはずが無いからです。
大本教の出口王仁三郎聖師は神霊界に天使長ミカエルと呼ばれる存在は無い。省みるの言葉の意味だと語っておられましたが、日本語と呼ばれる言葉は本来はこの日本に在った言葉ではなく、宇宙のプレアデス(スバル)と呼ばれる星の言葉と言われています。日本語は神の言葉であったなのです。するとミカエルとかガブリエルという言葉は、日本語に当てはめないとその言葉の意味が解らないとなります。
ミカエルを日本語にすると?。ガブリエルは?
私はヒンズー教のヴェーダ典に記載されるとされる【人の中に眠れるコブラ(眼鏡)蛇が目覚めて走り上がる時、その人は「真理」に目覚める。】の霊体験を積んで、その真理はお釈迦様の悟りとイエスの愛の教えの差に隠れていると見て、お釈迦様は何を悟られたのか?。それを追求して来たなのです。一般的にお釈迦様の悟りは【慈悲】だとされますが、それだと【真理】には到達しないのです。慈悲では聖書に記載される人類と一緒の【蛇が帰らない】からです。
天使長ミカエルとは、神の御国に人類を戻す役目
ミカエルとは天使長の名称でなく、天使長の役割
だとすれば、イエスの前やマホメットの前に現れた天使長ミカエルとは、ミカエルの言葉の意味を何も知らなかった霊と言えるのです。
私にはその言葉を告げたのは誰なのかは解りませんが【イエスの愛の教えは美味なれども、真ん中が無いドーナツ型のパン。】と告げられて、最初はドーナツ型のパンとはいったい何だと首を捻っていましたが、悪魔とは魂の真ん中が無い【ドーナツ型】の魂を指していると解りました。
スピリチュアルで愛だけを言っていれば、自分の魂は【空く真(悪魔)や空く間】では無いと思い込んでいるなのです。それは日本語という言葉が持つ神の教えの特性なのです。
悪魔とは魂の真ん中に核が無い【空く真】状の魂達
主の御子とは、イエスでなく魂の核たる天帝の直分霊
そうしたことを一気に紐解かせたのは大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水)】なのです。その【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(火水)】を解読することによって、五十六億七千万の「みろく(369)」の仕組みが解ったと言えます。
しかもそれは朝鮮半島に残されていた【最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きる。その教えに従った者達の上には天罰は降りないが、そうでなかった者達の上には天罰が降りる。】の「米」一字で語る教えなのです。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたの教えに従う者達は一人残らずこの私が助けよう。しかしそなたの教えに従おうとしなかった者達は助けない。】と告げられたなのです。そのことは大本教神諭にも【米ならば、野に落ちていても一粒だに助ける。】とある事柄なのです。
それは九分九厘の教えでは無く、たった一輪の教え
西洋で神智学と称している人達は、一人残らずマイトレーヤ(弥勒菩薩)とは人の事だと思っていました。その人たる存在を世界教師だとか宇宙司令官だと言っているのが西洋のスピリチュアルです。そもそもお釈迦様の弟子に弥勒菩薩に該当する弟子は最初から存在していないのです。それは創造神と呼ばれる神の言葉の仕組みの介在があったなのです。ただその仕組みをした神を【みろく大神】とは呼ぶなのです。
お釈迦様の悟りを出す五十六億七千万の弥勒とは人たる身のことではなくて、日本語で解読可能な言葉の仕掛けだったのです。それなのに自分が弥勒と称して出て来るのは、天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称して出て来る者達とさほど変わらなかったとなります。
霊界に関わっていますと【マッチポンプ】的な事柄が多々あります。相談に来た人の病を治して信頼を得る。しかしその人に新たな病の元となる因を送って、新たな病にさせて治すことで更なる信頼を得る。そうした事柄は宗教の世界だけでなく、世間的にもあり得る話です。自分が説く内容でない教えを説く宗教家の神は悪魔で、同じ神名で説いても自分が説いている存在が本当の神だ!。式の話です。
そうしたことは、この日本でも幸福の科学の総裁であった大川隆法氏の名乗りのエル・カンターレは、GLAの開祖であった高橋信次師が先に自分が【永遠の仏陀】として名乗っておられた。後からそれを名乗った大川氏は、先に名乗った高橋信次師は自分の名前をパクった偽物の悪魔で、自分が本物だとされたとことは周知の事実です。
そうしたことは日本でもA教団の天照大御神と名乗っておられる神、B教団で天照大御神と称しておられる御神霊。C教団の天照大御神と名乗っておられる御神霊。それは同じ名前の御神霊でも、そこには何の関係も無ければその系統すら違うとなります。
そうしたことは霊的世界に関わっていますと、自称救世主や自称創造神だと称する方が100人居たとして、その100人が100人共、自分一人が本物で他者は蛇霊や狐霊に騙されている者達だ合戦に入ると言えます。
ただそうした名乗りをされる方達は、皆さんそれなりの霊力を保持されているからです。私の様に何の霊力も持たないとなれば、人はあの人には何の霊力も無いと寄っても来ませんので名乗る必要も無いとなります。霊的能力を発揮することが神の存在と思われることから、神霊界は蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊に支配されているとされるなのです。
しかしながらその蛇霊は虫類霊で狐霊等は動物霊?。本当は如何なる存在の霊なのか?。それが解らないままに、この日本では蛇霊や狐霊が神霊として崇められているなのです。一部の霊能者のみが蛇霊や狐霊は人が死後に変化した姿と説いているだけなのです。何故に人であった霊が蛇霊や狐霊に変化するのか?。その理由を掴まえようとしていないなのです。蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊の言葉が、その意味を教えていたにも関わらず解ろうとしなかったのです。
もし蛇や狐や狸や猫の漢字や言葉を見ていますと、その霊の【心の在り方】で霊界における姿が動物の姿に変化していると解ったなのです。それが日本昔話にある狼がくれたまつげの話なのです。私は自分の肉体を通して龍神や蛇霊や狐霊の【浄化】をして来て、それらの霊が元の天人の姿に戻って行くを経験して来て、ミカエルは【身変える】の言葉にも通じていると解って来たなのです。それが大本教の出口王仁三郎聖師はミカエルは【省みる】の意味だと言われたことだと解ったなのです。
宗教の世界で、自分が本物や偽物はさほど意味は無い
今の神霊界は勝てば官軍。負ければ賊軍で真理より数
誰も自分が本物だと称しても、これはという神力や霊力が備わっていなければ何も出来ません。
宗教の世界は、どの神霊も【九分九厘】の教えは出来る
残された最後の一厘の教えが出来るか!。出来ないか!
これまではその残りの【一厘】を出せる神は存在しなかった。否、存在していないではなくて神界の表舞台から【退いていた】なのです。それが大本教から出された【艮金神】の意味合いであり、その神は【未来】を見通すことが出来る神なので、世紀の大予言者として名を馳せた大本教の出口王仁三郎聖師を世に出して、まだ来ていない時期に将来起きるであろう出来事を予言させて来たなのです。
未来を見通す神の力で【世の大立替】論が起きた
万物の創造神の存在は、霊界に関わっているとこの宇宙の成り立ちの映像があります。その映像は仏教で説かれた【この世は無(ム)から有を生じた】なのですが、科学的には無から有は生じません。お釈迦様はそれに関しては思い煩うなと説かれたとされますが、無から有が生じた因は思い煩っても解き明かすことは出来ないのです。
霊界に現れる宇宙誕生の次の場面はギリシャ語だと【カオス】。日本神話だと【混沌】です。その次には以前の科学では【ビッグバン(宇宙の卵の爆発)】でしたが、最近の学説ではそのビッグバンではなく、宇宙の揺らぎとされているようです。が、その揺るぎではなくて宇宙の卵そのものが生まれ出る映像です。そこに【火(か)水(み)】の論理が出て来ることなのです。科学では宇宙の卵と言っても、それ自体が説明されていません。その宇宙の卵が産まれる前の霊界の映像に鍵があるのです。
この事柄はイエス一人が創造神の御子だ式では理解出来ません。日本神話が解った時、そして大本教から出された【厳(火)霊、瑞(水)霊】の意味が解った時、この宇宙の誕生と創造神の存在が繋がって来るのです。西洋で言う天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称して出て来る霊の段階では、火(か)水(み)そのものが何一つ理解出来ないのです。
科学で神を掴まえようとしても、神は掴まえられない
そこに科学では未来の出来事は当てられないが、神は未来を告げることが出来るなのです。大本教と呼ばれる宗教を知る時、どうして未だその時期でも無い未来の出来事を数々予言して言い当てて来たのか?。そこに万物の創造神の存在の片鱗が解るのです。
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龍とは巨大な蛇?。それが龍の意味を間違わせた
大物主の妻として大物主との間に子(三輪氏の先祖)を産んだのは【百襲姫】ですが、その百襲の漢字にも【龍】の字が入って来ます。その百襲姫が恋する夫の正体を見たところ、それは小箱に入った小さな黒蛇だったとなっています。その大物主の実体は三輪山の大きさを御神体とする黒龍だと一部の霊能者からは言われているなのです。
私自身は世に龍神と言われている存在を人たる姿で見て来ており、単に龍の姿で見るよりも人の顔をした形で見た方が誰だったと解りやすいと言います。龍の姿だと、貴方はいったい誰でしたかとなります。龍神と言えども【人の姿】で現れる。そこに竜宮城に住む人達の姿が人型で現されるにもなります。ただその龍人が走る時の姿は龍蛇形となるなのです。
霊能力者の前にその姿を現していた神蛇が、他の人間の姿を見ると一瞬にしてその姿が小さな鉛筆程度の大きさになって身を隠すがあります。伏見稲荷山などでは豆ちゃん大神と言う豆粒程度の大きさの御神霊の存在が言われていますが、神霊と呼ばれる存在はその姿を大きくも小さくも変えられるがあります。三輪山の神が大きな龍神の姿を取られたり、小さな箱に入る黒蛇で化現されたとしても別に何の不思議でもないのです。そして美男子の人の姿でも出られるです。
出雲大社に参拝すると、出雲の大国主命も【龍蛇神】と記されていますが、それは龍と蛇の中間たる身の神であるなのです。ただどの神社でもその【龍蛇】の具体的な説明がなされていないなのです。
神霊はその大きさが本来の大きさ程度から、小さな存在にも変化が自在に出来るなのです。私は自分のレントゲン写真で腸に異常が写った時、稲荷大神たる豊受姫にその話をすると豊受姫は自分の身を縮小してそなたの体内に入って点検して見ると言われ、そのレントゲン写真に写った腸の異常が何が原因であるかを調べて教えてもらいましたが、医学的にはその通りでした。こうした神霊が大きくなったり小さくなったりの縮小は、人間界の感覚ではとても理解が出来ないとなります。
世界中で蛇霊は神とか神秘の存在と言われて崇められる
龍蛇神の存在を抜きにして神霊界を語るは、無理がある
この世に人として生きる多くの人によく解らないことは三輪山の縁起で知る龍であれ蛇霊であれ、そうした存在が肉体を持った女性との間に子供を産ませることが出来るかです。そこに妊娠の娠の漢字には【辰】の漢字があるとなります。龍蛇神と呼ばれる存在は人の女性を妊娠させることが出来ます。本来、人の肉体と魂とは別の存在で、人間としての肉体を持つ者の精子に拘ると神霊が人間の女性に子供を孕ませるが解らなくなるのです。
神霊は頼まれて、無精子の夫を持った妻に子を授ける
ある男性は自分は黒龍神と人間たる母との間のハーフたる神だと称しておられました。その方は俗に言う龍男ですが、そうしたことは世に知られていないだけなのです。龍と深く関わる家系も存在しています。そうした方の背後には本当の龍と呼ばれる存在が付いていたりしています。本当の龍が付いている人と擬似的龍が付いてる人とではその放つ霊的波動がまったく違っているなのです。自分には龍神が付いていると告げられても、その方から霊波動が出ていないとウーン?となるのです。
大本教神諭にこの神(ウシトラ金神)の前に出て来てその神業を邪魔する存在は【雑魚】との言葉が出て来ますが、強い霊波動が出ていないで龍と称している存在はその【雑魚】としての姿が出て来ます。私は大本教神諭のすごさにびっくりしたのは、そうした表現がなされていることの霊的視認からです。それはスピリチュアル的な人が言う龍神と、大本教で語る龍神とでは霊力がまったく違う存在なのです。雑魚ならば数が多くて群れているなのです。
龍神が肉体の女性に産ませた子供は神の子と呼ばれる
妊娠の娠に【辰(龍)】の字、龍も人の姿で現れる
この龍神と呼ばれる存在が肉体を持った女性に孕ませて産ませた子供は驚くべき【奇跡力】を示すことが出来ます。大本教霊界物語にも、ある神宝を隠し持つ神司(かみつかさ)に子供が生まれ、その子供が大きく成長すると黒龍神と変化してその神司が隠し持っていた神宝を盗み逃げて行く話があります。黒龍神がその神司の妻の腹に知らず知らずに子として宿っていたなのです。
私自身そうした黒龍神がある女性の肉体に宿っていた魂を食い破り、その女性の子たる人として誕生して来る。多くの行者がその子を神の子と称している幼子に直接に出会ったがあります。その幼子は粘土で見事な龍神像を造るのです。それはまさに神的存在でした。
当時私が神霊界修業の世話になった稲荷神界の豊受姫は、その子供をあまりにも嫌われたので気になったがあります。その当時は龍神が人の肉体に宿って人の子として世に産まれる。そうした事柄を何一つ知らなかったからです。
その当時は大本教から出された人(ひと)は【霊(ひ)止(と)】であるという言葉の意味の重要性がまったく解っていなかったなのです。
その子供は霊能者や行者筋から【神の子】だと賞賛され、もてはやされていたのですが、大人になるにつれてその霊力が消えて普通の只の人になったがあります。仮に自分が龍蛇神たる魂であっても人としてこの世に誕生したならば、人として暮らす以上はその魂は人である魂ともなります。
その魂がこの世で人としての命を終えて龍蛇神の世界に帰らないのであれば、その魂から自分の中に存在する蛇霊と化す要素を抜いて行けば天人界の道に行くともなります。俗に言われる【覚悟による解脱の道】です。そこに【神霊への道】と【天人への道】とでは違うともなります。
神仏の御代(御台)と成る運命の下にこの世に生まれて来た人でも無い限り、なまじこの世で霊的な力が備わって霊的な物が見えたりすると、それはその方はまだまだ蛇霊の要素が強いとなります。霊的な事柄が見えることは、必ずしも良い事だとは限らないなのです。
それは次元界によって見える世界が異なることを知らないと、自分が見る次元界に縛られるを起こすからです。この世は魂の修行場で、より高い次元界に行くことを目指しているからです。
そこにスピリチュアルで自分は霊がよく見える。自分には無数の龍神を従えているといくら豪語されても、これはという宗教家には成れないを起こします。そこに言われているのが【識界】なのです。宗教家と成る人達はその【識界】のレベルがスピリチュアル標榜者等よりも高いなのです。スピリチュアルに走ると高次元の霊界に行けない。
それは霊的なことがよく見えるだけでは【思惟】力は増しません。それでは【魂(玉思惟)】に成長が無いなのです。で、自分が行く次元界を上げられない。五次元界が関の山となるなのです。お釈迦様を簡単に超えられないとなるのです。
宗教家とは、霊がよく見えるから宗教家ではない
奇跡力は、龍とか蛇霊の支えで振(振=辰)るえる
人の魂が天人の道を進むは、奇跡力や霊力では無い
大本教の出口王仁三郎聖師は四方の一辺が20センチ程度のお社を奉納すると、霊界ではその一辺が20キロにもなる大きさの社とも成ると言われていますが、その人の魂の格で神霊の見え方の大きさが違って来ます。出口王仁三郎聖師の説で言うなれば、神霊はその大きさが10万倍位まで変化出来るとなります。
逆に自分には長さが20メートルもある龍神が付いていると言われる方の龍神を見ますと、その逆の縮小率を10万分の一まで落とすと塵や埃程度となり見えません。そこでその縮小率を千分の一程度にして見ますと、2センチ程度の長さの龍神として見えて来るとはなります。ただそれはその方には20メートルの長さで見えている龍神が、私には2センチ程度に見えているだけのことです。
龍神は、見る人の魂の次元格で見え方が違って来る
大本教から告げられたウシトラ金神国常立尊様の龍神たる姿は金龍神と言われ、その長さはこの日本の国祖大神なので日本列島の長さ約二千キロに及ぶと言われています。が、二千キロの長さだと宇宙から見下ろさないと誰の目にも触れることはありません。しかし一辺が20センチ程度のお社が20キロの長さに及ぶとなると、2,000キロの逆算は2,000,000メートルでその10万分の一だと20メートルの長さで見ることが可能となります。
その20メートル程度の長さで見られる金龍神、並びに銀龍神を綾部を訪れた幾人かの霊能力者が視認しておられます。但しそれらの存在は大本教神苑内の金龍池のどこにも見られないと言われます。大本教では綾部の大本教神苑内の金龍池が国常立尊が鎮座されている場所としていますが、霊能者と呼ばれる人達は綾部の大本教神苑内にはその姿は見あたらないと言われるのです。そこに国常立尊は本当に実在するのかとも言われているなのです。
一部の霊能者は大国常立尊とその妻神と言われる豊雲野尊は、若狭湾沖の冠島と沓掛島の両島に鎮座されていると言われ、その両島と綾部の間には【龍道】と呼ばれる道で繋がっていると言われます。私はその【龍道】と呼ばれる言葉を聞くまでは、龍とは自在に天空を飛んでいる物だとばかり思っていました。どこにでも自在に行けるであれば、それは【道】とは言いません。
私は【龍道】の存在と、龍道を付ける神業を知った
古くは弘法大師に見られる結界張り。大本教出口なお開祖や出口王仁三郎聖師に見られる行動は、そこに【龍道】を開くがあったなのです。その龍道を行く龍と、蛇霊系の龍とは別系の龍と呼ばれるなのです。私達日本人は三輪山から伊勢への倭姫命(やまとひめ)巡幸の話を知りますが、それは何の目的であったのかが語られることはありません。それは【龍道】の張り巡らしでもあったなのです。
モグラは【土竜】と書きますが、この地球の大地の中に霊的なトンネルが付けられ、その地中のトンネルは龍神達が高速で走っている龍神専用道路です。海中にもそうした霊的なトンネルが有り、霊場と霊場を結ぶ【霊道】が開かれているなのです。その龍道は龍神と呼ばれる存在だけが使用しているので、霊能者にも知られていなかったとなります。空から監視しても見えないからです。
人類は霊道すらほぼ知らず、まして龍道は解らない
綾部と冠島・沓島の両島を結ぶ【龍道】が存在する
私は霊能者と呼ばれる様な人が持つ霊能力は保持していませんが、それでも諸々の神々や諸仏や龍や天狗と呼ばれる存在を見て来ました。ただ霊的世界はいくら自分には霊が見えると言っても、【それはなんぼのものじゃ!】と言われれば、霊が見えたから言ってそれで一国の首相に成れるでもなければ大会社の社長にも成れるでもないなのです。実際に霊力を振るえてこそ、【なんぼ】なのです。
何の力も発揮できない霊を語って、何の意味がある?
しかし2センチ程度の長さで見えた龍神でも油断をすると、その龍の霊力の発揮次第でこちらが大被害を受けるとなります。それは霊の見え方の問題からです。
ただの塵や埃の類いが大量に飛んでいると思っていると、それらは霊であり。霊媒体質者はそうした存在に憑依されてその浄霊で激しい【下痢】を起こしたり、疲労で寝込むとなります。その塵や埃に見えた存在も、霊的には20メートルほどの長さがあり。それなりの霊力を振るって来る場合もあるなのです。
私の家では掃除機を動かすと排気口から臭い匂いが漂って来ます。それは塵や埃の類いまで落ちて汚れた臭い霊を掃除機が吸い込むことによって、霊臭を集めて排気口から吐き出しているなのです。為に掃除機の寿命があまりもたないがあります。
霊物がよく見える?、自分は優れた者でなく魂に汚れ!
龍神をも浄霊する力の魂が、高次元界に存在する神霊
単に自分には龍が付いているという存在の方とお釈迦様に見られる様な大宗教家に成られた方の魂の違いとは、霊的な物がよく見える能力ではなくて【思惟】と呼ばれる【識界】に対する能力の違いと言えます。低い蛇霊が見せる霊的な事柄はいくらは見えても、物事の本質を見失ってしまうなのです。
霊的なことはよく見えても、人品が卑しい人が霊能者?
私は別に宗教家として信徒を集めて宗教団体を起こそうとしている者ではありません。子供の頃の私に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたにこの神の力を何も授けない。ただそなた一人だけにはこの私の仕組みを見せる。為にそなたには何の神力も無いと端からバカにして来る者が続出する。そうした者は自分では偉い者だと思っているが神界の役には立たない。そんな者達のことは捨て去りなさい。】と告げられました。自分に少しばかりの霊力があるで走ると、後で自分が後悔をすることになりかねないのです。
僅かな霊力を誇ると、言葉の大仕掛けに気づけない
私はこれはと言う霊能力を旧約聖書の神と称する声から何も与えられていませんので、特に蛇神が得意とするこの世での病気治しとか金を儲けさせる霊力を持ちません。スピリチュアルの様にスピリチュアルは儲かりますよでセミナー等で生徒を集めて金も取っていません。そもそも私は【困り事相談】の役を言われた者ではないのです。
私はこの日本に満ち溢れている日本語による言葉の仕組みを紐解きなさいと告げられただけなのです。
万物を創造した神の存在証明は、日本語の仕組みで
大本教神諭予告【九つ花】は、お釈迦様の悟りを告げて
旧約聖書の神は、そなたの教えを信じる者達はみろくの世
私の教えは、言葉の仕組みで万物の創造神と呼ばれる神の実存を証明することであり。創造神と呼ばれる神は今は退いた状態(ウシトラ)であるけれども存在しておられると解った方は弥勒世に進むであり。自分はあなたの【日本語による言葉の仕組み】等と言う教えなど一切聞く耳を持ちません。そうした方に対して無理に私の教えを理解しなさいではありません。
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戦後の海上自衛隊においてもこの八八艦隊の構想から、一護衛隊群を8隻編成としています。ヘリ空母1隻に護衛するミサイル護衛艦2隻。汎用護衛艦5隻の8隻編成です。これは艦隊を指揮する場合、指揮の関係上8隻が理論上の上限と見做したなのです。そこには何故【八】隻なのか?。があります。
八の数字で私達が知るのは【八大龍王】や【八岐大蛇(やまたのおろち)】退治で語られる龍神と呼ばれる存在。そして日本では戦の神とされるのが【八幡神】で八の示し。
?と思って考えていると、私の幻視の中に【龍】の姿が見えて来ました。私に出て来た八八艦隊の戦艦や巡洋戦艦とは世に【龍神】と呼ばれる存在を意味し、どうやら龍神同士の神界戦争が勃発する意味と考えられます。日本の神霊世界は主に蛇霊と狐霊の存在が言われていますが【龍神】と呼ばれる存在も語られています。その龍神は、蛇霊や狐霊とは霊界【パワー】が違っていることが知られています。狐霊が歩兵部隊ならば、蛇霊は駆逐艦とか戦車。龍神は戦艦の様な存在と言えるかも知れません。
先だって某テレビ局の番組で【龍神】とは何か?で、某龍神を祭る神社の宮司は【龍神とは霊界で三千年間の月日の修業を積んだ大蛇霊】と語っておられましたが、行者の世界では龍神とは単に三千年ではなくて海・山・川で各々千年の合計三千年間。あるいは火・海・山の各々千年の合計三千年間の霊界修業を積んだところの大蛇霊と言われています。私が霊界修行のお世話になった豊受姫も、龍神とは霊界で合計三千年間の月日を修行した大蛇霊のことだと言われていました。
聖書においても龍神とは霊界で年老いた大蛇霊と記しており、西洋でも東洋でも龍神は霊界で年老いた大蛇霊の見方は違わないとなります。ただ西洋で言う龍神は恐竜の様な存在を語り。東洋ではドラゴンと呼ばれる様な蛇に近い姿を言っているかと思われます。また西洋で語る龍は天使の様に羽根を持った存在を言ったりしています。私が霊界で視認した龍神達とは、羽根を持たない中国で語られて来たドラゴンの様な姿と言えます。
龍神を見た人は数多く、その姿は絵画や彫り物で知る
龍神と大蛇霊の違いは、頭部に【角】があるかどうか
それは大蛇霊が龍神と呼ばれる存在に変化していく時には、その頭上に【角】が出て来るなのです。単に大蛇霊と龍神ではその顔が違っているなのです。また龍神と呼ばれている存在は国常立尊は金龍でその長さは日本列島に匹敵していると言われており、そうなりますとその長さは二千キロに及ぶとなります。スピリチュアル標榜者が見る龍神とは長さが20メートル程度と言われる方が多く、龍神と言ってもその大きさはまったく別物とも言えます。
希代の大予言者と知られた大本教の出口王仁三郎聖師は、世に龍神と呼ばれている存在の大多数は霊界で年老いた大蛇霊のことではあるが、そうではない龍神の存在を説かれています。そうでない龍神の一つとして、日本には【登龍門】と呼ばれる言葉があります。登龍門とは流れが急な【黄河を上る鯉は龍と化す】の中国の諺から来た言葉です。転じて【難関を突破して立身出世をする】に例えられるのです。それがこの日本では【5月5日の鯉幟(こいのぼり)】として知られるなのです。
大本教みろく大祭日の5月5日は登龍門の【鯉のぼり】
大本教から出された【5月5日】の世の立替論には、【登龍門の鯉のぼり】が秘められているのです。
そこに龍でも霊界の年老いた大蛇霊ではない龍の存在が出て来ます。すると【龍】が意味した言葉は違っているとなります。大本教神諭には大本教を指して【龍門館】と記しています。しかし大本教を訪れた霊能者達は大本教でその【龍】を視認していないなのです。大本教の役目は【立替の予告】であり、未だ5月5日の【龍と化すの鯉のぼり(立身出世)】の段階では無かったなのです。大本教神諭は【種を播いて実ったら刈り入れて手柄を立てさせる。】です。そこには【粒】もあるなのです。
聖書の原点には、蛇の唆しからエデンの園(神の御国)を追放された人類の祖とされるアダムとイヴにあります。人類の祖は別にアダムとイブではないのですが、重要なことは【蛇の唆しから神の御国を追放された人類】の言葉にあるなのです。それは人類の【原罪】とされる事柄は、イエスを主の一人御子と信じたらその罪が免じられるものでは無かったなのです。
蛇霊とは、人を唆して神の御国への帰還を阻害している
大本教から世に出された国常立尊様は元は創造神たる神でありながら、蛇霊の囁きに毒された神々の多数決によって地上神界の主宰神の座から追放された。その後を襲ったのが中国で創造神とも言われる【盤古大神(木星神)】とされ、私は鍾馗神の案内でその盤古大神に拝謁したことから、死後の世界とされる神霊界の経緯に関わることになりました。
そうした神界のことは今の人類が知る歴史の書物には無く【神代】と呼ばれる話になってしまい。それを知るには大本教から出された【霊界物語】となりますが、私の記憶の断片にはその当時の事が蘇るがあります。
聖書におけるもっとも重要な事柄は、蛇の囁きでエデンの園(神の御国)から追放された人類にあるのです。本当の神の御国に帰れなくなった魂は、地球と呼ばれる星で【輪廻転生】と呼ばれる【魂の旅】に入ってしまったなのです。そうしたことが一部の霊能者が言われるこの地球は宇宙の出来損ないの魂達が暮らしている世界とか、魂の刑務所ともされるなのです。
人類は蛇の唆しを脱却しないと、神の御国に帰れない
私は伏見稲荷山でお世話になっていた時は、龍神とは霊界で年老いた大蛇霊程度の知識でいました。しかし伏見稲荷神界を離れて【言霊】の世界に転じて知った龍神とは、そうした霊界で年老いた大蛇霊では説明が出来ない存在だったなのです。通常日本で言われる巳さん(蛇霊)信仰は、蛇霊神を信仰することで金運が転がり込んで来る話です。それで自分の財布を蛇皮にしたり、蛇の抜け殻を財布にに入れて置く様な話なのです。
お釈迦様の説話に【蛇に成った長者】の話があろうかと思いますが、インターネットで検索してもこの話は上がって来ません。インターネットは誰かが書いて上げないと出ては来ません。人の魂が死後の世界で蛇霊と化すには各種あり。霊能者が言う人が死後に蛇霊と化すケースとして一般的に上げるのは、生きている時は金の亡者。権力に溺れた者。人を妬んだり恨んだりの嫉妬心を持った者。それに過度の色情の因縁を持つた者等が、死後の世界で蛇霊と化すが説かれるなのです。人殺しとか強盗の悪行で地獄に墜ちた者ではないのです。
私は霊界修業当時、神として崇められている蛇霊に言向けをして来ました。蛇霊の姿で居るよりも元の天人の姿に戻りませんか!。です。その時、私の言う言葉を素直に聞かれた蛇霊神はこの世で使用する蛇が棒の様に【直立】して天に帰られることから、魂とその【心棒】の関係が解って来たなのです。
霊界を見聞して龍神と呼ばれる存在を見て来ますと、そこには龍神とは霊界の年老いた大蛇霊だけでは説明が出来ないことが解って来ます。それで龍神とは【霊界での力】を意味した【流(エネルギー)】の言葉ではないかと気付いたなのです。
龍神は【流神】のことで、霊界でのエネルギーを指す
龍神は、住む霊界の次元界でエネルギーの桁が違う
龍神と呼ばれる存在を見て来た時、その力はその龍神が存在する霊界次元で出すエネルギーが桁違いになるのです。その龍神が火を噴いて来たり。水攻めで来る。私達は神社や寺の手水舎で龍の姿をした蛇口から出る水を見ますが、龍と水。龍と火は関係があるのです。それは彼等は【火(か)水(み)】たる力を持っているからです。
龍(流)神は、火(か)水(み)たる力を持っている
霊界エネルギーが流れる時、龍と呼ばれる顔を見せる
世紀の大預言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は人には2種類有ると言われましたが、人を魂的に言えば日本神道で語る天津系の魂の人達と国津系の魂の人達とに別れます。その天津系の魂の人達の中に【龍男・龍女】と呼ばれる人達が存在しておられます。この龍男龍女の存在は仏教の妙法蓮華経の中の【龍女の解脱】でその存在が語られていますが、そうした龍男龍女と呼ばれる人達の背後には龍神と呼ばれる存在が見られます。
戦国大名の伊達政宗は世に龍男と言われていますが、経済界や芸能界にその龍男・龍女の魂の方達がかなり見られます。また宗教界で名を上げる方達もその背後には龍が見られるなのです。この龍男・龍女とは霊界に帰れば神としての龍でもあるなのです。そこには霊界で年老いた大蛇霊から発生した龍とは別物の龍が存在しているとも解って来ます。
閻魔庁は神位を有する龍神を捕まえることは出来ず、龍神は龍神界の中に在る。そこに【龍宮城】もある。
私は龍神が、人の姿をして化現して来るを見て来た
ただ大本教の出口王仁三郎聖師は龍男・龍女は神霊であっても【畜生の部類】であり、霊界でお釈迦様の様な存在に成るには龍蛇身からの【解脱】が必要だと説かれたなのです。妙法蓮華経を読んでいても龍女の解脱の項の意味がよく解らないのは、僧侶で龍とは何を意味しているのかの説明が出来る人が居なかったなのです。
日本の出雲神話には素戔嗚尊の【八岐大蛇(やまたのおろちたいじ)】があります。また仏教では【八大龍王】が出て来ます。
龍と呼ばれる存在は、数字の【八】と関わっている?
大本教から日本書紀で初発の神と記されるウシトラ金神国常立尊よりも上位の神として、【天之峰火夫皇大御神】と呼ばれる神名が出されました。が、実際にその神を見たという神は神社に祭られる神霊段階には存在していないようです。この【峰】は【蜂(八)】の漢字と関係しており、そこには【峰山の龍待ち】と呼ばれる事柄があるのです。今の世は【七(質)】の世であり、みろくの世は【八】の世で、みろくの世に入るには宇宙創造神。宇宙最高神と呼ばれる龍神の存在を見ないといけなくなります。
宇宙創造神が現れる時、世は一気に流動(龍道)化する
私の元にあんたの名前は○○だろうと告げて、自分は一億騎の白龍神を従えていると言って来られた方がありました。秀でた霊能者ならば私のこの世の名前など見えて当たり前の話で有り、私がお世話になった豊受姫などは何事もお見通しで、神霊に隠し事はムダと学ばしてもらいました。
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、その声は【私は神々にそなたが本当は何者か解らないようにしておく。そなたも自分は本当は何者かを知らない。されどそなたが何者か解らぬ様な神ならば使い物にはならぬ神。】と告げられました。私は豊受姫に出会って、自分が何者かを教えられたがあります。
私が知った霊能者の方達の多くは、人の名前を言い当てる能力を持っておられました。統一教会の様に相談者の名前を事前に調べておいて、いかにも名前を言い当てたようなことをしているのはインチキ教団の姑息なやり方なのです。神霊ならば全て見えて当たり前。当然にその神霊の取次者に相談者の名前等も告げられるなのです。
逆に自分は救世主ですとか出口王仁三郎聖師が残された美濃尾張の該当たる女子ですと主張されても、その人にそうした言葉を言わせている背後の神霊が私の名前も解らないでは、貴方は何神様ですか?。と首を捻ってしまいます。私がこの世で何という名の者かも解らずに、大きな神名を名乗って来る様な神霊ならば簡単にそれは低級霊だと解るわけです。それが霊能者に相談する時には、余分な情報を与えるなと言われているなのです。神霊ならば見えて当たり前なのです。
私は自分の行動が霊界には筒抜けで見られていたので、霊界からはこの世で犯罪を犯した者のことなど全て解っていると言います。この世では罪を犯しても警察に解らないと捕まることはありません。罪が解らなければ刑務所に入る必要もありません。しかし霊界で貴方が次も人として出る事を望んで閻魔庁に行けば、この世でどの様なことをしたかは解っているなのです。そこに魂の更生は、次の世に【甦る】となるのです。しかしこの世に人として生まれる気が無ければ、閻魔庁に出頭する必要も無いなのです。
私はその自分には一億体もの白龍神が従っているという方に首を捻っていました。黒龍神と呼ばれる龍神達は自分達の力を誇示する為に【群れ】て集団化してその霊力を見せつけます。一方、白龍神は一騎でも力があるので集団で群れないのです。何をもって一億体もの白龍神がその人に従っていると言っているのか?。よく解らなかったがあります。
その一億体もの白龍神の正体が解った時、思わず笑ってしまいました。なるほどそれで一億体もが群れで集団行動しているのかです。それでその数が一億体もあるという意味も解ったなのです。しかしそれは一億体集めても、さほど役には立たないなのです。低い次元界の龍神は数を集めただけでは、総合力パワーがあまり無いなのです。
龍神は流神なので数ではなく、総合力パワーで判断
だが、それはいよいよ龍神界に手をつけるぞ!。そうしたメッセージでもあるなのです。そこに【8月8日】の意味があったと言えます。
龍神界が動き出して来るということは、八岐大蛇退治の神話に起源を持つ【天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)】と呼ばれる神の剣の働きが起きるなのです。 その鍵を握るのが大本教神諭が告げた【大本の龍門館】と言えるのです。
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私が生まれた家は普通の仏教徒の家で、死者は三途の川の彼岸(向こうの岸)に渡る。そうした知識の元で来ました。そして稲荷神界と呼ばれる日本神道系の狐霊界を通して学び、死後に渡る川を三途の川と呼ぶ理由は死後の世界には天国界・中有界・地獄界と呼ばれる三途の方向への行き先がある。で、三途の川。そうしたことを知るとなりました。そうした知識は霊的世界に関わると、最初に知るところとは言えます。
日本人のほとんどは仏教徒なのであの世(彼岸)に渡る川を【三途の川】と呼ぶ程度の知識は誰しもあるでしょう。しかしながら仏教の僧侶でそうしたことを説明する者に出会うか?。となると、南無妙法蓮華経とか南無阿弥陀仏の御題目を唱えていれば良いとは言っても、ほとんどの僧侶は説明すらしないでしょう。死後に彼の岸に渡る川ならば、その川はどうやって渡るのか?。橋があるのか?。それとも舟で渡るのか?。世に神としてスピリチュアル標榜者の前に出て来る神や天使と称する連中も語らないなのです。
何も知らないでいると三途の川とは三本の川が在るのかとも思ったりします。一本の川が三通りの川に変化する等は物質界たるこの世では在り得ないのですが、霊界は【識界】であり、識界は自在に変化して来ます。霊的に見聞して来ると、驚くことになります。為には霊界には【型】が必要とか、横のつながりを理解出来ていないとこの世の感覚では解らない世界と言えます。
霊界は自在と言われていますが、霊界でも自分の意思で何もかも自由になるではないのです。その辺がスピリチュアルでは霊界では何でも好きに出来るのです。霊界では自由なのですよの間違った教えが蔓延ったと言えます。この三途の川は本人に霊的能力があれば、その存在は解ります。
三途の川の存在は、宗教ではなくて閻魔庁に関わる?
私自身一部の霊界を見聞して、それまでの私の知識には霊道とか【霊界ゲート】の存在に関してよく知らなかったがありました。それは既存の宗教は霊界にも霊界の道たる霊道と呼ばれる道がある以上、霊界の道にも【関所】と呼ばれるゲート(門)が存在している。そのゲートを守護している役人は?。そうしたことがほとんどの宗教で語られていないがありました。そうした事柄は行者と呼ばれる実際に霊界と関わる人達を通して知るなのです。
スピリチュアル標榜の人達は霊界は自由にどこにでも行けるのですと主張している以上、霊道とか霊界の関所(ゲート)を語らないがあります。もしも霊界にも霊道や関所(ゲート)があるならば、霊界はどこでも自由に行ける世界という主張は嘘だとなります。その霊界ゲートを自分の意思で通れるかどうかなのです。
宗教界は【霊道】や【霊界ゲート】の存在を語っていない
私が霊界から授けられた鑑札は霊界ゲートの通行手形
私が霊界から頂いた鑑札には【○十】の紋が入っていましたが、これは大本教霊界物語に【○に十字は、みろくの神の御紋章の定め】とある様に、【みろく大神】と呼ばれている神の紋章なのです。別名【薩摩紋】とも言われています。私はそのみろく大神の従者なので、○に十字の紋の鑑札を持つなのです。また幕や旗に使用が許されているなのです。
ただ巷には俺は凄いのだ!。そうした豪語をされる霊能者が後を絶ちません。ある方は自分は億単位の龍神を従えている。あんたは単に天帝の使いたる天使の一人に過ぎない。俺達に勝てるような霊力を持ってはおられない。自分の相手にはならない。そうしたことを言われましたが、果たしてそれで霊界の関所を通行出来るのか?。いくら億単位の龍神を従えていたとしても、そうした問題が横たわっているなのです。
龍神の力とは【数】の多さではなく、その龍神の次元格の違いで話にならな桁違いの差が出るのです。
人の死の原因としては病死等が多く、病死等はこの世を去る前に霊界から御迎役と呼ばれる霊が事前に迎えに来られるなどで、霊界への道案内する者が居ることで迷うことが説かれることはありません。ただ突然の事故死などはその御迎え霊が来るのが間に合わず、その場に本人が留まることから幽霊騒ぎが起こり得ます。本人が死ぬ間際の内容に恐怖心が伴うようなトラウマを発生させない限り、時間の経過と死後の供養でそうした幽霊は消えて行く(本来の治まる場所に行く)が見られます。
ただそこにそうした迷い霊(不浄仏霊)が霊媒体質者に憑依すると、とんでもないことが起きるがあります。そうした霊の憑依には神仏と関わることが出来る力を持った霊能力者に頼らなければならないが生じるなのです。そこに御経とか祝詞とかを必要とするです。御経や祝詞を知らないと【悪霊】から逃げられないはあるのです。
この世を去る前、恐怖を味わうとトラウマが起きる
魂に恐怖が焼き付くと、死後の世界も恐怖に怯える
私は霊的世界に関わっていて、人が死ぬ時の状況がいかに大切かを知りました。天国とか地獄とかは自分のこの世の生き方で決まることです。自分がこの世で悪業を続けて例え地獄界に墜ちたとしても、それは自分がした行いの【自業自得】の結果であり。他人がとやかく言うことではありません。輪廻転生の元では例え地獄に墜ちてもその刑期を勤めれば、また人としてこの世に出して貰えるチャンスもあるのです。ただそのメカニズム(輪廻で魂の修業場)は間も無く終了するなのです。
しかし自分がこの世を去るにあたって起きたる事象からの恐怖心で死を迎えると、その時に体験した恐怖心が自分の魂に焼き付いて、千年でも二千年でも霊界で苦しむが生じているのです。この世で自分勝手な人からパワハラ的なことを味わされて、心に【心的外傷(トラウマ)】を発症させる方達は少なからずあります。そうした心の傷は薬で片付くではないのです。
他人をパワハラで自殺させた様な者は、死後は地獄界
人を呪わば穴二つと言われていますが、人を自分のエゴで死に追いやった様な人は天国界には進めません。自分を呪っている人達が一人残らず浮かばれた時、やっと天国界に入れる道が開くです。自分がした行為で恨みから地獄界に墜ちている魂がある限り、神の愛で何をしても赦されるなど、例えイエスとて赦されないのです。
この世に降りるは諸刃の剣で、自分の魂を潰しかねない
自分に対してパワハラ的な事を言って来る人間に対して、何をこの野郎!。やるならやってみろと啖呵(タンカ)を切れる様な人ならばいいのですが、心(魂)が弱い人はその恫喝に自分の魂に心的外傷を発症させてしまわれます。そのトラウマは死後の世界にも及びます。
その人の魂を浄霊してあげるでは、本人が自分の魂に焼き付けた恐怖心は解決出来ないのです。またスピリチュアルで見られる【貴方に光を差し上げます】等も、そんな安易の言葉で魂に焼き付いた心的外傷は消せず、何の解決にもならないのです。
魂の世界では自分が魂に外傷を起こすような悲惨な出来事を忘れてしまう。それより道は無いのです。
自分が他人から受けた仕打ちを忘れなさいは
愛で罪人を赦すでなく、トラウマを起こさない
もしも自分が他人から受けた仕打ちを何時迄も覚えていると、自分が恨みの世界から脱却出来なくなるのです。死後の世界でその身を蛇霊に落としてでも、自分に対して醜い仕打ちをした子孫に祟っている事例があります。子孫からすれば自分がした行為では無い。御先祖様がした行為で自分とは何の関係も無いと反論されますが、その家系に流れる【先祖のカルマ】が理解されていないがあるのです。
そこに自分に対して苛酷な仕打ちをした者のことも忘れてしまうがありますが、それは「愛」で罪人を赦すと言う論理では無いのです。死後の世界でその身を蛇霊に落としてでも自分に対して酷い仕打ちをしたその子孫に祟っていて、その怨みを果たしたとしてもその結果は虚しいだけなのです。
本人が納得するのは、目には目を歯には歯の同等の苦しみ
そこに【目には目を、歯には歯を】があり、因果の法則【カルマ】が生じるとなります。 されど恨みを果たした時に何が残る!。一時は本懐を遂げたという満足感は起きるでしょう。しかし目的を果たしたならば、ムダな時間を経過した。そうした【虚しさ】も発生して来るでしょう。お釈迦様は【恨みとか未練】を捨てなさいと説かれましたが、人の魂の輪廻転生の過程(プロセス)では恨みとか未練とかは時間を無駄に浪費しているとなるのです。
西洋では曲がりなりにも創造神と呼ばれる神の存在が説かれていますが、この日本は仏教を取り入れた関係で日本人には父なる神とか母なる神を仰ぐ感覚はありません。日本書紀では初発の神を【国常立尊】と記し、古事記では【天之御中主】と記している程度です。その国常立尊を【ウシトラ金神】として世に告げたのが大本教と言えます。当然にそれは伊勢神宮に鎮座する神霊ではありません。大本教が告げた神は西洋で言えば旧約聖書の神と呼ばれる神なのです。
そこに大本教の出口王仁三郎聖師は自分と出口なお開祖は、旧約聖書に予言されているキリスト(ロゴス)登場前に二人の男女の大予言者が出ると予言された該当者であると言われたなのです。出口王仁三郎聖師は自分はナザレのイエスに何一つ劣っていないと言われていますが、霊界の次元格としてはナザレのイエスよりは上であったと考えられているなのです。出口王仁三郎聖師よりも霊的には下位で在るナザレのイエスは、そもそも本来の【キリストの立場】ではなかったなのです。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教では万物の創造神と呼ばれる神の存在を説いてはいますが、実際に人類はその神を見たのか!。となった時、モーゼ以外には見ていないとなります。もしその神が人類の上に臨んでいれば、既に人類はその神の元に集約を終えていたからです。
未だその姿を人類の前に現しておられない万物の創造神と呼ばれる神が、世の立替えを起こされると言われている原因に、ノアの箱船で語られる人類が創造神と呼ばれる様な神に対する感謝心を欠如したから等が言われてますが、万物の創造神と呼ばれる神は人類が自分を拝まないからが主たる原因では無く。大本教の出口王仁三郎聖師に未だ起きてもいない未来に起きる出来事を告げさせて、それを的中させて自分が万物の創造神である事を証明させる。そこにあるのは、世に出ている神々には未来を知る神力が欠けているなのです。
未来を告げられない神は、さほどの神ではない
私は、この地球上に起きるであろう大天変地異を事前に察知して、人類の魂にトラウマを起こさせない為に、その天変地異が起きる前に人類の魂をこの地球上から救助するが【主因】ではないかと、自分勝手な読みをしています。
旧約聖書の神と称する声から、【みろくの世とは、この地球上ではなくて新地球上】と聞かされましたが、新地球を知る人達からは、その新地球はこの地球に【もしものことがあれば、そちらに人類を避難させる為のバックアップ(予備)地球】として、宇宙創世時に産み出された【双生児】星であるとも告げられました。単にこの地球が次元上昇してみろくの世に入るではないなのです。
巷には自分は凄いのだと豪語する霊能者の方はそれなりに居られます。そうした方達は自分には何百万何千万の龍神が従っている。その龍神達を動員して、この地球のエネルギーを調べたがこの地球には何の異常も無いとの報告を受け取っている。そうしたことを言われます。そうした龍神達がその方に億単位で従っていても、そうした龍神達がこれまで予言をして予言を言い当てて来たかとなると、何の実積も無いとなります。
大本教は数々の予言を言い当てて来た実積を持つ
私はある自称救世主の元に集っている信徒達の会合に出席して、その信徒達の霊的な服装を見ていると、全員が全員。白の死装束姿で額には三角頭巾をしているのが見えて来たがあります。現時点でこの世に生きている肉体を持ちながら、その霊体の額に白の三角頭巾が見えるということは、その人達の魂は死後は地獄界に墜ちる亡者道を歩いているなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は霊界物語に【信徒を天国に案内すると言いながら、地獄に案内している取次ばかり。】と述べておられます。その信徒達はそうした地獄に案内する類いの自称救世主をイエスと同様に信仰しているでした。しかしどうしてその信徒達は死後は地獄に向かう道を歩いているのだろうか?。その時にはその意味が解りませんでした。
その信徒達はその教祖が説く【愛の教え】に狂い。その教祖の背後に存在する六次元界黒龍神が見せる霊光で、その人物が救世主だと信じさせているなのです。その自称救世主は自分を信じる霊能者に「自分は自分の信徒達を死後は地獄に連れて行き、地獄に自分が王として君臨する地底王国を創る」と言いました。愛という言葉で、自分を神だと信じる者達を地獄界に連れて行くです。その信徒達が死後の世界で行く道の光景が私に見えていたなのです。
私は霊的世界に関わり、地底王国と言う世界に自分を絶対だと信じる多くの霊を集めて、そこに自分が【王】として君臨する王国を創る。それらの背後には【龍神】とも呼ばれる勢力も深く関わっているを知ったなのです。この世は創造神と呼ばれる神が絶対支配しているでは無いなのです。その地底王国を知るには、やはり【霊道】の存在があったのです。地獄(地底王国)に入る道。
神を語るから天国に案内でなく、地界に案内もある
スピリチュアルと言っても、天国への切符ではない
私は子供の頃に自分に旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、その神が本当に旧約聖書の神と信じているではないのです。逆にその神は本当に旧約聖書の神なのか?。はたまた旧約聖書の神と称する贋神かで、如何なる神なのかを調べて来たなのです。で、自分が疑って進んでいる以上、自称救世主の背後に存在する霊光の正体も見えて来るなのです。もしその自称救世主が本物であれば、私は直ぐにその方の家来にして貰います。
日本の神智学で愛だけを言っている霊能者は【蛇霊】の容器と化した者達とも言われていますが、その背後に【龍神】と呼ばれる存在が出す光に惑わされて導かれるもあるのです。
霊界の光は正神邪神関係無く、火を燃やしたエネルギー
神は光だ!は、その論理が解らずに間違えてしまう
ほとんどの宗教宗派は我が宗派の教えを信じる者は天国界で、異教徒達は地獄界に落ちるです。そこには自派の教えと他派の教えの違いを説明して、どうして他派の教えでは天国界に行けないのか?。そうした理由が何一つ述べられていません。キリスト教の様にイエス一人を主の御子だと信じれば天国など、誰がそれを証明するのだとなります。牧師は先人達が言っているから自分も信じる?。そんな考えでは霊的世界で真実を知るのは不可能に近いと言えます。
私はイエスと思われる霊に何度か出会いましたが、イエス一人だけが主の御子などの教えを信じてもおらず、それで地獄界に墜ちるのであれば地獄界でもいいですよと言います。キリスト教が語る煉獄の火よりも、日本神話で予言する霊界に存在する天の岩戸の光の方が遥かに恐ろしいなのです。天の岩戸の光とは【最後の審判の火】であり、スピリチュアルで【神は光】だと言う様な光の存在では無いのです。霊界の光を見て、その光を創造神と言う様な人達は一人残らず騙されるを起こしているなのです。
スピリチュアル標榜で神は光と言う光は【霊界の太陽】よりも遥かに劣っているなのです。
霊界の太陽を視認せずに、神は光だの光とは何だ!?
スピリチュアルでは何かと言えば天使長ミカエルとか大天使ガブリエルで、確かに霊界には自分が天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称して出て来る様な霊達はいますが、どこをどうやれば彼等が本当に天使長や大天使と言えるのか?。さっぱり解らないなのです。もしそのその宗教宗派の教えを信じれば天国で異教徒は地獄界に墜ちるのであれば、地獄界とはどのような世界なのか?。その具体的説明がされていてもいいはずなのです。
キリスト教の教義では冥府の長官(閻魔大王)をサタン(悪魔)としています。だが魂から見て行くと悪魔とは魂の真ん中が無いドーナツ型の【空く真】の形状の存在で、改心すればその【空く真】の部分が塞がって行くがあります。その時、悪魔とは何を意味しているのかが解って来るなのです。
大本教からみろく大神を【666】とするが出されましたが、それはキリスト教の新約聖書では【悪魔の印】とされています。悪魔と言うよりも666は【反イエス】です。冥府の長官(閻魔大王)は、イエスを主の一人御子とは認めておられないなのです。そこには日本語で無いと意味が解けないを起こさせるのです。
霊界を見聞をしていると妖怪の類いも存在しますが、それをもって地獄と言うのでは無いなのです。そもそも宇宙初発の神とは【人間の様な姿をしていたのか?】。そうした事柄にぶつかるからです。西洋の神智学で語られる創造神とは、どうしてもキリスト教社会で育った人はイエスが頭から抜けきれずに東洋の叡知を知らないで語ったがあります。西洋で神智学を語る人達は創造神は初発から今の私達の様な人間の姿をした存在だと思っています。そして宇宙司令官などの戯言です。
イエスと呼ばれる存在を一度捨てないと、真理に到達は出来ないのです。仏教では無から有を生じたと説きますが、西洋神智学を振り回す方達は【万物の想像の段階】が知恵から抜けているとなります。
西洋神智学を語る者は【玉思惟】の概念が希薄すぎる
私は霊界見聞をしている中で、自分に不思議な権限があること知りました。それは地獄に墜ちている霊を救う権限です。通常そうした権限は地獄の閻魔大王と呼ばれる存在の権限であり。一介の私がどうしてそうした権限を有しているのか解らないがありましたが、二番目の師匠からおまえは閻魔庁に属する判官の資格を有しているとのことで、その権限において地獄に墜ちている霊を救えると聞かされました。
それは自分は救世主ですと称する様な話ではありません。その師匠は私を【地獄界の天使】とも言いましたが、天国界の天使よりも遥かに権限が強いなのです。確かに私の背後には【閻魔大王】と呼ばれている様な存在の神を見るがあります。その権限は地獄に墜ちている霊でも天国界に救えるです。
私は全ての人の前世が見えるではありませんが、人によって【閻魔庁】がその人の前世の行いを見せてくれます。その方が犯した過去世の罪の重さは現世で可哀相だとか思っても、貴方を神の愛で赦して上げます等の言葉は出せないなのです。何故ならば、その人の行いでその魂を恨んで地獄に墜ちている霊を救えずに、被害者を救うのではなくて加害者を救うという間違った行為に走るからです。今の世は被害者目線で無く、加害者を救うという誤った概念が支配しています。被害に遭った者達の魂の叫びを無視しているのです。
自分が犯した罪は、何百年、何千年、何万年掛かろうと自分で罪の代償は払いなさいなのです。
過去の罪の償(人・賞)いを終えた人は賞される
贖罪は財で罪を売り買い、神の愛で赦されるは無い
丹波の片田舎の綾部で発祥した大本と称した宗教がありました。その大本教神諭に【綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ。】とあります。その万古末代枯れぬ花は意味が解らないがありました。私が解き明かしたのは九つ花に咲く一輪の言霊です。それとは意味が違っていて、綾部には魂が天に帰還する【霊道】と【霊界ゲート】が存在しているなのです。
霊道や霊界ゲートの存在も知らずに、我が宗派の教えを信じていれば天国等と言っている教えに引っ掛かっていると後で泣きを見るとなります。
仏教は【覚り、悟り】を説く。それは【覚悟】です
自分は創造神の元に帰る!。そこには【覚悟】がいる
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スピリチュアルでは霊的世界は自在でどこにでも行けると言う人達が多いのですが、言う人が多いからと言ってそれが本当かにはならないのです。天国だ!。天国だ!。と言ったところで、その天国への道。その門のくぐり方。解っているのかとなります。
霊的世界に関わっていますと、私達が知る人類の歴史では無い歴史の映像が出て来ます。大本教の霊界物語においては今の私達が知る歴史ではなくて、超古代には大日本帝国と呼ばれる様な世界帝国の時代が在り。その副都がイスラエルのエルサレムにあったという奇想天外の話が出て来ます。そしてその当時の【聖都】は日本の綾部にあったが、大本教が世に出した説です。
霊的世界に関わっていると霊界が見せる映像が出て来ます。そうした映像の中には俗に空飛ぶ円盤と呼ばれるUFOの類いも出て来ます。今の人類では科学的には未だ創り出せない乗物も飛んでいたです。それは【人類はかっては宇宙人と呼ばれている様な存在とも深く関わっていた。】にもなろうかとなります。
日本の【竹取物語】も単なる話でなく、人は宇宙に帰る
そうした霊的世界に出て来る映像を見ていますと、今の人類は遺伝子としては今から約20万年前に出て来た種とも言われていますが、宇宙のどこからやって来たのかとなると諸説あります。人の本質は魂で在り。その魂がどうして肉体を持つ生物体に入り込んでしまったのか?。そうしたことが未だ何も解明されていないので、西洋においてもエホバ悪神説も出て来ます。旧約聖書のエホバの神が本来は自由な魂を束縛する為に人類と呼ばれる存在を創ったという話です。日本における国常立尊(ウシトラ金神)悪神説と同様の内容です。
エホバは、人類の魂を束縛する為の肉体を産んだ悪神?
その霊界に現れる映像を見ていますと、そこにはこの地球上にはかって大日本帝国が存在した様な映像も出て来ます。それは人類の歴史の中で現実にあった出来事ではあるが、今の人類はそれを知らないだけの話なのか?。それともこの三次元世界の事では無く、異次元の世界や高次元の世界での出来事であったのかははっきりしません。が、そうした世界が消滅したのが今から約三十五万年前ではないかと思われます。
私が現在住んでいる土地は今の私達人類が知らない時代と深い関わりがあり、それは今から約三十五万年前のことだと出て来ます。大本教霊界物語には国常立尊の御引退は今から三十五万年前と出されましたが、その三十五万年前です。霊能力がある方達が私が住む土地に関して言われることに、この地は今の人間の様な姿では無い超古代の神々が封じられた土地だです。
その三十五年前に封じられた神々を見た霊能者は何人もあり。どなたもその姿は表現が難しいと言われます。今の人の姿とはかけ離れた存在だからと言われます。その異様な姿の神々の時代の神界の中心地が【綾部】で在ったです。大本教が世に出した【綾部は神の聖都】は、今の人類には解らない時代の話なのです。
もしそうしたことを追及するともすれば、日本神道の【天津神と国津神】の違いとは何か!。そこまで論じなければならなくなります。一般的に天津神とは、宇宙の星々からこの地球にやって来た魂の保有者。国津神とはこの地球という星で誕生した魂の持主を指します。私は自分の魂の出所はプレアデス星団なので天津系とは言えます。
一部の霊能者は、この地球は宇宙の星に居た魂で罪を背負った者達が流されて来る【流刑地】とも語られますが、神の世界において罪の刑を負った者達が流されて来ている流刑地説もあながち嘘ではありません。それは個々の魂を見た時、その魂は元は神界に在ったにも拘わらず神界での罪で【人間界】に墜されている魂があるのも事実だからです。そして今回の世の立替えと呼ばれる出来事に関しては、プレアデス星出身者のみならずシリウス星出身者も深く関わるなのです。
日本語とは地球上の人類が主に使う英語(中央の語)ではなく、プレアデス語であるという説があることも不思議ではないのです。それは日本神話の神々の名前は、プレアデス星の神々の名であるという説もあるからです。
私は天上界の頂に【白十字路】が在り。その角に【五重の塔】が在り。その五重の塔は【言霊の塔】で、その塔の存在から大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】を理解し、そこから【五十六億七千万】の数字の意味を導き出しました。
その五重の塔と対と成る場所には【瓢箪(ひょうたん)池】が存在し、その【瓢箪池】は何を意味しているのかよく解りませんでしたが、神界におけるその瓢箪池の意味を知る人達に出会いました。神界で罪を犯した者達の魂はその瓢箪池に墜されると人間界に墜ちて、輪廻転生を繰り返してその罪を洗わないと元の神界には戻れないなのです。そうした類いの話は中国にもあります。
人間界に降りた魂は、神界の自分の罪洗いや勉学がある
大本教からは大本教出口なお開祖の神界におけるかっての地位と神界で犯した罪。出口王仁三郎聖師も神界での地位と神界で犯した罪が出されましたが、西洋形の神智学では綺麗事ばかりが説かれ、魂を洗うことがほとんど説かれていないがあります。スピリチュアルに走った人達からは【魂を洗う】の声が何一つ聞こえて来ないのは、この世の意味を理解していない西洋の神智学が世に説かれたからと言えます。
この地球における人類とは、宇宙からこの地球に降り立った最初の神は日本では【国常立尊】。西洋神智学の世界では【サナト・クマーラ】と呼ばれており、このクマーラが日本の【鞍馬山の護法魔王尊】と同一視されているのですが、その鍵を握るのが【鞍馬山の牛若丸】の存在なのです。牛若丸は大本教から出された神三千年の仕組みの中の劇の一コマと言えます。
私は天狗界に所属する霊能者から攻撃されて、その件において大天狗と呼ばれる存在。そして天狗界の最高峰とも言われている鞍馬山の大天狗に御目にかかってその神々しさにびっくりしましたが、それをもって鞍馬山の大天狗が創造神とは言えないと言います。
丹波の片田舎の綾部から発祥した大本教は、二代教主補として世紀の大予言者と言うべき出口王仁三郎聖師を出しました。その予言は個人に起きる事柄では無くて社会で起きる大予言で、それらの予言は当たったのですが、その大本教は【綾部は神の聖都】と予言しました。だが綾部に来た人は、どこをどう見ても綾部に【神の聖都】と言うべく物を見ないとなります。
私は伏見稲荷山神界に関わって豊受姫から【綾部は神の聖都。綾部に帰りたい。綾部に帰りたい。】と泣かれて、豊受様は伊勢外宮の神様なのだから帰りたければ勝手に帰ればいいじゃないかと思っておりましので、その綾部に帰りたいという意味がよく解りませんでした。
その豊受姫から、豊受姫は宇宙(おそらくはシリウス星と推察)からこの地球に降り立った場所が大本教で【本宮山】とする山である事を見させられました。私は大本教霊界物語をよく読んでいなかった様で、大本教霊界物語には本宮山に降り立ったのは豊受姫で、豊受伝説で知られる比治山の降臨伝説は豊受姫ではなくて豊国姫であり。その豊国姫の亡骸を本宮山に葬ったのが豊国姫の精霊体として生まれた素戔嗚尊で、日本神話とはまったく異にする内容が述べられたなのです。
その豊国姫とは何神かとなりますと、大本教では国常立尊の妻神を豊国姫と説きました。日本神話においては素戔嗚尊は伊弉諾尊が単独で産んだ神とされていますが、大本教では素戔嗚尊は豊国姫の精霊体としたなのです。
豊国姫の精霊体とは、その外見は男神であるけどもその性質は女神に近いです。そこに変性女子などが出たとなります。素戔嗚尊は大本教霊界物語の内容が正しいとすれば、豊国姫の夫神は国常立尊となり、素戔嗚尊はその国常立尊の御子ともなるなのです。すると人間界的には親子関係が生じるなのです。
牛頭天王と素戔嗚尊の同一視は起きても不思議でない
そうしますと伊勢神宮に鎮座している天照大御神と言われている神は如何なる立場にあるのかとなって来るなのです。私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は私に【日本神話の天の岩戸開け編などは事実としてあったのではない。この私が将来する事柄の仕組みの為である。そなたは私がこれから先にする仕組みが如何なるものかを紐解くがよい。】と告げられました。そこに大本教における変性男子とか変性女子が何を意味するかがあったのです。
私は伊勢神宮に鎮座する天照大御神と言われている御神霊には拝謁し、日本神話に何かが仕組まれているとは解りました。が、もし旧約聖書の神と称する声から子供の時にそうした内容を聞かされていなければ、さほど日本神話をおかしいと思わなかったかも知れません。
一部の霊能者は素戔嗚尊は真性天照大御神と疑問視?
日本の一部の霊能者は日本神話の素戔嗚尊が本当は天の岩戸に隠れている真性天照大御神のことではないかという疑問を呈しておられます。ただそれは日本の皇室神道の天照大御神と出雲神話の大国主命の関連からと言えるでしょう。
私が旧約聖書の神と称する声から告げられた日本の天の岩戸開け神話に秘められた仕組みには、豊受姫から綾部に帰りたい。帰りたいと泣かれた事柄が重大な意味を秘めていました。
綾部に降りた豊受姫は、天に戻るには綾部から戻る
しかしながら豊受姫の神界に帰還問題は別として、それだけで綾部が【神の聖都】と言えるのか?。そこに大きな謎が残るなのです。
世紀の大予言者と言うべき大本教の出口王仁三郎聖師は、綾部が神の聖都に成るには【上野町】に天の御三体の大神様を迎える場所が出来たならばと残されて、出口王仁三郎聖師が存命中にはそれは出来なかったのですが、平成に入ってその天の御三体の神様を迎える神殿が建立されました。しかしその神殿群内に入っても、そこに天の御三体の神様の息吹を感じるかとなると何も感じないなのです。
幾多の霊能者が綾部の大本教を訪れて、大本教のどこにも創造神とされる国常立尊(ウシトラ金神)を見ないと言われるのも自然なのかも知れません。
そうした中で私はある霊的光景を見ていました。その霊的光景では大本教が平成に入って建立した神殿がある場所は【上野町】なのですが、上野町でも場所が少しずれているなのです。天の三体の神様を迎える場所はその神殿群と道一本挟んで存在した元は国の【蚕業試験場】であった場所で、日本で絹織物の為の蚕が廃れてからはその場は名称を変えて存続を続けた国の施設がありました。
その土地が天の御三体の神様を迎える場所として出た
その土地は大本教では所有しておらず。国の施設が建っているとところだとすると、大本教の神殿は天の御三体を迎える場所とは言えません。私はその土地に関して豊受姫の御台をされている方を通じてお伺いしたところ、私が霊的に見た土地が天の御三体の神様を御迎えする場所だとは言われます。
しかし霊的に現れる映像を見ていますと、それはこの地球上ではなくてもう一つの地球と呼ばれる地球上で、その場所に天の御三体の神を迎える建物が既に建設されているなのです。今の地球上に天の御三体の神様を迎える場所に建設の必要は無いなのです。
現在、その地球上で天の御三体の神様を迎える場所と霊的に出て来た場所は一部を除いて民間に払い下げられることになり、既存の建物の撤去が始まりました。別にこの土地に天の御三体の神様を迎える神殿を建立しなくても、その土地の土を大きく動かしたことで霊的作用は発生します。その地に眠っていた霊達が動くです。
地鎮祭をするのは、土地を動かすと霊的発動が起きる
写真は現在払下げの為に解体が進む国有地。その後に発掘調査が行われて応札でそれらの土地は売却されます。大本教神殿寄りの土地は大本教が払下げに応募するだろうと地元では噂されていますが、そうした【型】が必要なのかどうかはあるのです。
私は大本教が予言して来た事柄が起きるのかどうか?。そこにこの土地の売却を見ていました。もしこの土地に何の変化もなければ、大本教の予言も私が生きている時代では外れる可能性です。その土地の建物が遂に解体されて土地が売却される。例えその土地を悪神や悪霊が手に入れても、土地が動いた以上、立替えの時節をもう止めることは何神にも出来ないなのです。
大本教が予言した時節を動かす時の流れの力が働いた
写真の奥が豊受姫が降臨されたと言われる本宮山(大本教では禁足地として入れなくしている)と平成に入って天の御三体の神様を迎える場所として建立された神殿が見えている。
前の空き地が豊受姫が告げられた【みろく神業】に関わる土地。右奥の建物は国家公務員宿舎で解体されずにこれからも使われる。
私個人は旧約聖書の神と称する声から、【この地球と寸分狂わない瓜二つの高次元界の地球が存在しており、人類はその新地球に移行する。その世界は未来永劫に嬉し嬉しの世である。】と告げられて来ましたが、問題はその新地球は【五次元界】に在るということなのです。人は死ねば誰でも四次元界には行けます。だがその新地球は五次元界に在るなのです。
私が霊界修業のお世話になった豊受姫は、【綾部はこの地上におられる神々が天の故郷に帰還する時、綾部を経て帰られる。】とも告げられました。
世に出た神々が天の故郷に帰る時、綾部を経て帰る!
私は霊能者と呼ばれる様な霊能力は持ちませんし、予言者でもありません。ただ子供の時、旧約聖書の神と称する声から【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。そなた一人だけにはこの神の仕組みを見せてやろう。】と告げられた者にすぎません。ですから神の仕組みの解説に従事しているなのです。
その私の見えてきた幻影は、その整地されて行く土地の表面から無数の蛇霊が出て来て直立しているなのです。蛇の直立とは映画十戒の中でモーゼとエジプトの神官が、どちらの神がコブラ蛇を棒の様に直立させられるか投げ合いをするシーンがありましたが、霊的世界に関わっていると改心できた蛇霊が棒の様に直立をするがあるなのです。蛇の漢字の意味は【蛇行】にあり、蛇は舵を真っすぐに取れない意味なのです。
改心が出来て直立をした蛇は天に帰る
この地球上から天に帰る時期が迫って来た。
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その悪を知り。善を学ぶ為には悪を演じる者も必要で有り。もしも悪を演じる者が世に居なければ【悪とは何ぞや!】が学べないとなります。それではこの世に降りた意味すら無いのです。そんな世は【天国天人界】と呼ばれる世界で、天国界は悪は存在して居ない為に悪から善を学ぶには適していないとなります。
この世は悪を演じる者を必要とする世界です。悪人だからいけないという論理では無く、悪の行為を憎んでも悪を演じた者を憎んではならないなのです。それが人を憎まず。その罪を憎めなのです。そこにあるのは愛で貴方の罪を赦すではないのです。何故にこの者は悪を犯したのか?。その内面を知ることが悪を許さない為の学びであって、表面的な善悪で判断をしてはならないと告げられたのです。
すなわち閻魔庁とは表面的な犯罪を取り締まるのでは無く、その罪の【因】を知るなのです。仏教においてはこの世の出来事はカルマ(因)から生じる【縁起】によって発すると説かれて来ましたが、そこにはこの世に現れる【演技】はカルマ(因縁)の【縁起】が関わっているとなります。
この世の特徴は、魂の成長の為に【悪】も赦される
仏教ではこの世は【苦界】とされましたが、霊界は【九霊界】として成り立っています。だがその九霊界を認識している方はとなると、ほとんど無いのが実状なのです。九霊界と呼ばれる事柄が解って来たのは、大本教以後の宗教からとなります。九霊界とは何かは知らないが、この世は【苦界】であると認識される方はあるなのです。そこには【九】の数字が【苦】を意味するがありました。
大本教からはこの世は【天人の苗床】と出されましたが、この世に生れ出たからと言って死後に誰もが天国天人に成れるではありません。そこにはこの世は【苦界】の認識が出来たかどうかがあります。
古来より、人はこの世の辛さに堪えてその魂は磨かれる
私は魂が汚れるとその魂の表面に【毛】が生えて来て、その人の行動は人の姿をしていても【獣】の様に成ることから、獣と毛者は言葉の意味が繋がっていることを学びました。魂を磨くには、自分は人の姿をしていても【毛者(獣)】には成らないの意味合いが秘められていたなのです。狐霊は毛物(獣)ですが、蛇霊もまた魂が毛物の部類に入っていたなのです。自分の魂が磨かれていると蛇霊や狐霊ではなく【天人】の世界に入って行くからです。
では人はこの世に降りて来ると、何故に魂の世界における自分の事を思い出さないのかとなりますと、その旧約聖書の神と名乗る声は【この世の学びにおいては、魂の世界の自分を思い出さない方が魂の為になる。この世に降りた魂が、自分が居た魂の世界のことを思い出さないのはこの神の「恩寵」である。】と告げられたなのです。
スピリチュアルの世界では霊能者江原啓之さん以後【その人の前世を教える商売が盛ん】ですが、スピリチュアルで語るその人の前世は必ずしも正しいとは言えません。それは人は大本教から【人は霊(ひ)止(と)】だと出されたように、人には【霊の憑依】があり。その肉体を支配しているのはその人の魂なのか、別の霊の憑依による支配なのかが解らないがあるからです。今やそうした霊の憑依を受けた人が言う言葉がまるで正しい様な見方をする世の中に成ったなのです。それは万物の創造神からすると、この世は魂の修業場としての価値を失ったなのです。
私が言霊の修業時代、言霊の師匠であった方から私は毎日毎日違う霊の憑依を受けているで、誰が私に憑依しているのかを毎日霊媒者を通して調査がなされていました。肉体の私は自分では何の変化もしていないと思っていましたが、数千体に及ぶ神霊達に日々憑依をされていたなのです。
私が大量の霊に憑依されていたのは、並外れた浄霊能力を有する霊媒体質者であったがあります。多くの神霊が私の肉体を通して自分の魂の霊的浄化をしていたなのです。それはこの世が自己の魂を浄化する場所でもあり、肉体には霊を浄化する作用があるなのです。もし人の肉体に霊魂の浄化という働きがなければ、魂がこの世に降りて来るメリットがあるのかとなります。
この世は天人の苗床とか魂の修学場と言われている理由として、この世では魂が善悪を学ぶ為に【理不尽や不合理】な事柄がまかり通ると言われています。この世は魂の勉学の為の場であり、【天国界】ではないからです。この世において一定の修学を終えた魂のみが天国界への切符を手にするです。
その旧約聖書の神と称する声は、私にこの世に起きる出来事は【神の舞台の演劇(寅虎)であり。今の世に出ておられる神々とて、この神が主宰するこの世の舞台の観客の立場でしかない。】と告げられたなのです。すなわちこの世に関わっている神々とは、創造神と言われる神のことはよく解っておられないが本当のところなのです。
それ自体は大本教霊界物語に【幽の幽界。幽の顕界。顕の幽界。顕の顕界】と出されました。この世に関わっている神々とは主に【顕の幽界】の神々で、霊界でも幽の幽界ともなりますと、まったくもって解らない神の世界となるなのです。
お釈迦様が開かれた仏教の根本道場の祇園精舎の守護神は【牛頭天王】として知られます。その牛頭天王の姿は牛頭の人型であったです。私は霊的世界に関わっていて三つ目の青黒忿怒相の大黒天と思しき霊に出合い、その時には鬼よりも牛顔をイメージしました。おそらく牛頭天王も、そうした三つ目の姿でなかったのでないかと推測しました。
今の人種でない超古代の人種には【三つ目】の時代があったという説があります。その真ん中の目は衰退して今の人種には存在しませんが、霊的には第三の目は今日も存在していて、その真ん中の目で霊的世界を見ることが【心眼】と呼ばれ、霊能者のみならずスピリチュアル標榜でもその霊的な第三の目の存在は語るなのです。
額の真ん中にある目でありながら、【心眼】とされる
下記の絵はそうした三つ目の仏を描いた【内成就法王】の絵で、通常は【魔王】と呼ばれたりもする仏です。
超古代の神々とは、今の私達の様な人型ではなかった
私は稲荷神界で四年間ばかりお世話になった後、言霊の世界に転じました。稲荷神界の白狐の世界とはある意味楽しい世界なのですが、真理とはほど遠い世界と言えます。御利益を貰っていればそれで良いで終わるのか?。御利益よりも真理を追い求めるかです。私自身は伏見稲荷山に修業に入って、蛇霊や狐霊は神霊として崇められている!。では人間は死後にどこに行った?。となったなのです。
聖書では【初めに言葉は神と共に在った】としますが、言葉(ロゴス)と言う意味と日本で【言霊】と呼ばれる意味合いは別のことなのです。その言霊の世界とは【大本教から世に出された言霊(日本語)】に関わることで、そこには【艮】金神と呼ばれる神の存在を日本の言葉で知るがありました。
言霊の存在を知らずに神や霊を語ると間違える
真理より、奇蹟等で神の存在を説くと魂が説けない
その言霊の修業時代。私に牛頭の侍姿の霊の出現があり、この【牛頭】の侍姿の存在は何を語るのかとなりました。その時に私に出て来た牛頭の侍姿の霊は仏教の祇園精舎の守護神とされる牛頭天王ではないことぐらいは解りましたが、私が子供の頃には旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、今世における私の役目として【モーゼ】と同様の役割を告げられていました。
モーゼは牛頭の主とも伝えられていますが、私が見た牛頭の若侍姿の主は私の魂であり、私の魂にもモーゼ同様の使命が与えられているなのです。ただ私の場合はこの地球から新天地(みろくの世)に脱出を告げられたなのです。為か、私を見て貴方の前世はモーゼかと聞く方もありましたが、私の前世にモーゼ(大本教霊界物語では日本神名・天道別命)の時代はありません。
モーゼは四十年間荒野を彷徨い、四十一年目にカナンに至る
私は大本教神諭予告九つ花に咲く一輪の言霊を四十一で説く
私は旧約聖書の神と称する声から、【そなたの前世は人の魂胆が見抜けないお人好しで、そうした魂胆がある者達に良いように利用されて最後は悲劇の武将でこの世を終わった。そなたの今生は人の魂胆を見抜く力の養いぞ。】と告げられました。私の前世が見えたと言われる方からは、貴方の前世は【源義経】でなかったのではないかと告げられるがありました。そして牛頭の若侍を見て、源義経が【牛若丸】と呼ばれた若牛の言葉と関係しているのかも知れないと感じたなのです。言葉の意味を知る為の役割です。
私を見て霊界に存在するその源義経らしき侍姿の霊を見られた方達からは、その着用されている緋色の鎧の兜の吹き返しと呼ばれる部分の一方には太陽が、その反対には月が刺繍されていると告げられました。その霊世界に現れるその武将の兜の吹き返しの部分を見ますと、確かに一方には太陽が一方には三日月が象取りされています。それは単にこの世で源義経であった霊ではなく、太陽と月を従える【兜率天】の言葉の意味を指しているなのです。
私の神霊界修業の世話をしていただいた豊受姫は、その緋色の鎧を着用した武将霊に【貴方は神界を血の海にする気ですか?。貴方が立てば神界は血の海になります。それは絶対にしないでください。】と告げられて、その侍姿の霊は姿を消してしまいました。
弥勒菩薩の【兜率天】。その兜の日月は何の意味か?
私の前にこの源義経らしき霊(幼名牛若丸)が出てから、私に大本教が世に出した【五十六億七千万のみろく大神】を日本語で解読する【言葉の発想飛び(八艘飛び)】が起き出して、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水)】が私に紐解け出したと言えます。
大本教から人類の前からその姿を隠していた万物の創造神の説明として、ウシトラ(艮)金神国常立尊として【艮】の漢字が出されました。艮は今は退いていますの退を教えますが、その艮に点(天)を付けることで【良(ら)】の漢字の意味が解るような仕掛けもなされていました。
大本教神諭予告九つ花に咲く一輪の言霊は【良】の仕組み
その大本教神諭には、その【艮】のみならず【牛虎】もあるぞよと出されました。その牛虎は【節分の煎豆にも花が咲く】で牛頭虎パンツで【鬼と云う】から【魂】を語らせる事柄でもあったなのです。そして極め付けは大本教神諭の【この世の閻魔大王として現れる。】です。この世の閻魔大王とは各自の魂に内在して来る【良心神】となります。
スピリチュアル標榜だと【神は愛だから何をしても赦される。】で、自分の魂が汚れから魂の表面に毛が発生して毛物(獣)状態に入ってもお構いなしが見られます。
牛頭虎パンツで【鬼と云う魂】の存在を語らせる
丹波の片田舎の綾部で大本教発祥より前に鳥羽の九鬼神道家の九鬼氏が綾部藩主として入り、その九鬼神道では宇宙創造神たる元津神は【宇志採羅根真】としていましたので、そこから牛は【宇志】の意味であるとは簡単に解ります。すると後の【虎】は【採羅】の意味であると推察出来ます。大本教から出された閻魔大王の別名は【羅王】であって、羅は【輪廻転生】を意味させるです。 しかしながら、この大本教から出された【ウシトラ(宇志採羅)】はもっと意味が深いと言えます。それは仏教においては【この世における出来事は全て縁起】から生じるとされた【演劇】です。演劇は【寅虎(トラトラ)】なのです
自分が演じることは【寅】で、劇もまた【虎】の成立ち
大本教の【牛虎の仕組み】が解った時、私は驚愕をした
私は鍾馗神の案内で中国で盤古大神に拝謁した時も伊勢神宮の天照皇大御神や出雲の大国主命に拝謁しても別に驚きもしませんでしたが、この【牛虎(宇志採羅)】の仕組みには驚いたと言えます。大本教から【神三千年の仕組み】と出されましたが、日本の言葉で【綾(文)を織る】には三千年の月日は掛かるでしょう。仮にスーパーコンピューターを駆使したとしても、こんな仕掛けが出来るかです。
虎の漢字には【七】があり、下部の【八】は七から八に開く
それが創造神が人類にその存在を見せる【演劇】と成る
【虎】の漢字の七の下に八が秘められていることは解っていますが、問題はその時期が解らなければあまり意味をなさないがあります。
世紀の大予言者と言われた大本教の出口王仁三郎聖師は、天の岩戸開けとも言われる最終舞台の幕開け(最後の審判)を【宇宙開闢以来の宇宙ショー】と予言されましたが、空前絶後の宇宙ショーとは言えるなのです。
その時に起きる出来事で各自の魂に【トラウマ】を発生させない為に事前に【霊子(たまのこ)線】の一斉切断が行われて、人の肉体に宿っていた魂は強制的に肉体から離脱します。その時には霊界は上の霊世界に行く魂や下の霊世界に行く魂でごった返すので、大本教神諭には神もその時には一人一人の面倒を見てやれないの記述がなされました。
宇宙開闢以来の魂の席替えで、霊界も混乱が生じる
その時が巳の終わり(美濃尾張)で、問題は尻の役
無論、漢字の成立ちだけで論ずれば虎の下部は【八】とは言えぬとなるでしょう。それでは冥土の【冥】にどうして「六」の字が隠れているのか?。八を何故に【開く】の意味にさせるのか?。四の数字を【死】に繋げるのか?。九を【苦】と読むのか?。意味が解らないとなります。私も鍾馗神の案内で中国の盤古大神と呼ばれている神に拝謁するまでは、そこに中国の漢字を巻き込んだ言葉の仕組みがあるとは気付きませんでした。
大本教から天の数歌の解説が出されて、日本語という言葉は世界に類が無い言葉であると解って来たなのです。
私は大本教の出口なお開祖と思しき霊から【大本教はまな板の上の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第。】と告げられて、大本教が演じた【神芝居(寅虎)】を捌いて来ました。大本教の意義はそれで解りましたが、この地球から地球上の魂が一斉に新天地に向かうとなると、その【案内】役が重要視されるなのです。
当然にその役は大本教の出口なお開祖にも出口王仁三郎聖師にも出来ません。
一部のスピリチュアル標榜の方は自分は宇宙のどこにでも行けると豪語されます。そうした力が有る方もあるでしょうが、多くの魂は自分の力で宇宙のどこにでも行けるではないのです。その証拠として仏教で説かれる【三途の川】の存在ですら、あまり理解されていないからです。その新天地とされる場所は、未だ誰も詳しくは知らないはずなのです。為に新天地に向かう船の到着を待たねばならないがあるのです。
何故にそのような仕組みがなされているのか?。それは人類には新天地に進むより道は無く、その仕組みが出来るのは万物の創造神と呼ばれる存在で無いと無理だからと言えるでしょう。ただ、本当に万物の創造神。宇宙の創造神と呼ばれる様な神が存在するのかどうかなのです。私は大本教から出された数々の内容から、創造神と呼ばれる神の存在を確信しているなのです。
その【みのおわり】の日がやっと定まった模様ですが、その日が何時かをもう知る必要はありません。何故ならばその日が何日かを知ったところで、その時から逃れる術が無いからです。問題はその時は霊界は大混雑を起こすを理解しておくなのです。霊達の流れに自分が飲み込まれない様にするなのです。
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そんな時代の人類に【魂とか神】を語って何か意味があるかとなりますと、もうその時代の人類に魂や神の存在を語る意義そのものは無いと言えます。
人々に神や霊の存在を語るのは、人に神魂が宿る時代
人工知能(生成AI)の世は、神や天人には必要が無い
何故ならば、人に魂や神の存在を語るとは万物の【想像と創造を司る命】に関わることだからです。今や【生成AI】に言葉(プログラム)で命令すれば、どのようなフェイク(嘘)ニュースの映像も創り出し、それがあたかも本当に遭った出来事の様に人類に見せることが出来るとなったからです。しかし如何に人工知能が発展しようが、人工知能に【命】そのものは産み出せ無いのです。命を創り生むは創造神と呼ばれる神のみが成し得るからです。遺伝子操作以前の事柄と言えます。
生成AIは自己プログラムで、創造神に置き換わろうとする
魂は玉型の思惟で、人とは思惟の玉に動く人形を与えた
仏教ではこの世における万物は全て【虚空蔵】から産み出されたとします。その虚空(アーカシャ)の意味は【何も存在しない。何も無い空の虚の世界】のことですが、霊の世界です。霊は0(レイ)と同じ意味を持ち、何も無い世界の意味であっても【0】の数字を並べることで無限の世界を広げることが出来るのです。0(レイ)の世界とは何も存在していないではなくて、そこには【隠れて人の目には見えない世界】がある意味なのです。
キリスト教やイスラム教で神を語りきれないのは、0(レイ)の世界と霊の世界を並べることが出来なかったからでしょう。仏教においては【虚空蔵】と言う【0】の世界が語れたとなります。そしてその虚空蔵の【虚空菩薩】は【牛と虎】歳の守り仏として、【ウシトラ】を語れたと言えます。大本教から【ウシトラ】金神が出された時、気付くべき話だったのです
日本人に霊と0の言葉は通じますが、世界の人には無理
人類は【0】の世界を霊界(虚空)と結び付けられなかった
この日本で明治や大正や戦前の昭和に大予言者として活躍されて、その名を世に知らしめられた大本教の出口王仁三郎聖師は、日清日露の戦いではその賠償金額や日本が得られる領土を予言してその通りになりました。第一次大戦では空を飛ぶ兵器(飛行機)とか水中を潜る潜水艦等の新しい兵器の登場も予言され、そうした兵器が出て来ました。太平洋戦争においては広島や長崎に新型爆弾が投下されて火の海となり、その後に黒い雨が降ると予言されてその通りになりました。
またロシア(露国)が日ソ不可侵条約を破って日本を占領して来ると予言されましたが、それを信じない日本軍部は結果として露国に千島や樺太を取られたがあります。その時、どうして大本教の神は未来に起きる出来事が解っていながらそれを阻止しないのか?。やっぱり艮金神国常立尊は悪神だったの論は起きましたが、どうして神と呼ばれる存在は未だ起きてもいない未来の出来事を予言できるのか?。そちらに疑問が向けられていないがあります。
大本教の出口王仁三郎聖師が出された予言が当たったことに文句を言うならば、日本の天皇家の祖神とされる伊勢神宮の神は何をしていたのかとなります。日本がアメリカと戦えば負けると解っていながら戦いに突っ込んだのじゃないかとなります。そして何百万人もの日本人が死んだのです。それをどうして阻止しなかったのだ!。それらの日本人の霊が今日までに全員救われたのかと言うと、救われてはいませんでした。その救済で今日でも一部の霊能者の手を煩わしているのです。
それは日本の天皇は、別に現人(あらひと)神では無かったとなります。本当に日本の天皇が太陽神ならば、露国もその神の光の威光の前に日本の天皇の前にひれ伏すより道はなかったはずなのです。
神や霊と呼ばれる存在は一般の人にはその存在は見えません。その神霊と仲立ちが出来る御代とか御台、杖と呼ばれる霊能力者を必要としています。その仲立ちを出来る霊能者から神と呼ばれる存在から出される予言が告げられます。でスピリチュアル標榜でも予言は出来るのですが、そこに当たる当たらないがあります。
未だ起きてもいない事を言い当てることが出来るのが神
巷には自分が創造神ですとか救世主ですと呼称される方達が少なからず存在します。そうした方達は別に頭がおかしくなったのではなくて、それなりに【霊的】世界に関わってはおられます。その霊的世界をその方に見せて来る存在に原因があります。霊的世界で神は光だと言う方は、霊を霊界の光として見られます。しかしその霊的光の存在に姿と呼ばれる形がある。その認識に欠けるがあります。その霊的光が見せる姿に蛇や狐の形があるなのです。宇宙人と呼ばれる存在も霊界人の一種と言えます。
その霊光であれ、人や動物の形を見せる存在であれ、その存在が神だと名乗って来る【事柄の証明】は?。となります。わらわは天照皇大御神なるぞと名乗って出て来る霊。天使長ミカエルと称して出て来る霊。そうした霊が本当にその名乗りの霊なのか?。はたまたニセ者かなのです。名乗るだけならば、どんな霊でも名乗れるなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師はテレビも無い大正時代に出された霊界物語の中で、やがて東京から離れた遠地の人にも東京の芝居が同時に見えるようになるという、現代の様を予言されていることが知られています。その予言の中には空を飛ぶ郵便。現代のスマホで解る電子メールやその道具が懐中時計程度の大きさとも予言されました。私達は現代のスマホの登場で出口王仁三郎聖師の大正時代の予言の凄さが解りますが、そこにそれらを出口王仁三郎聖師に映像で見せた神の存在を知る必要があるのです。
私は自分が直接に神霊界に関わり、その一部の世界に過ぎませんが仏界の如来、菩薩、明王と呼ばれている方々、伊勢神宮や出雲大社の御神霊とも関わり、それらの諸神諸仏と大本教から出された神は段階が別物との認識が起きました。諸神諸仏は人々に【現世御利益】を授けることで、そこに神としての【証】を出されます。私達人類はその【御利益】を賜って、私達の目には見ない神の存在を確信します。ただその神霊の姿が蛇や狐の姿であるとを見抜くのは一部の霊能者だけとなるのです。
大本教の神は、予言力の違いで神の力の差を見せられた
スピリチュアル標榜者でも一部の方達は個人が出遭うであろう未来を予知されますが、そのほとんどは個人の未来に関わることで関東大震災や阪神淡路大震災や東日本大震災の様な世に起きる天変地異の大災害を予言が出来るではないのです。
私の最初の師匠を勤めて下さった方は豊受姫の御台で【阪神淡路大震災や普賢岳爆発】を告げられてその通りになりましたが、その御代をされた方は白狐界の出身で野球だと誰々が何回にホームランを打つ。相撲ならば誰々が何勝で優勝する。競馬ならば何と言う馬が一着に成る。配当金はいくらになる。そうした予言をされてそれらの予言は当たるでした。
私はスピリチュアル標榜者に懐疑的なのは、神霊の御代(取次)が出来る方がそうした予言をされて、それらが当たるを見て来たからです。それはこの世に起きる出来事は、事前に霊界で起きた出来事がこの世に現れる。それを神霊が見ているからとされます。一般的に世に出ておられる神々は、現世御利益は授けられるが大本教の出口王仁三郎聖師が予言されたような社会情勢やこの地球の行き先を告げる大きな事案の予言ではありません。
霊界に宇宙誕生から地球の終りの日迄の映像は在る
そうした予言の違いとは、私が最初の師匠とした方と大本教の出口王仁三郎聖師の魂とでは、その魂が存在する次元世界が大きく違っていたがあります。私は豊受姫の御台をされていた方を通じて、蛇や狐の神々の世界の見聞は出来ました。そして大本教出口なお開祖と思しき霊と出口王仁三郎聖師と思われる両霊が私の前に出て来られて、霊媒通しで【大本教はまな板の上の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第。】と告げられて、その大本教の意義を料理することで、現世御利益主義の稲荷神界から【言霊】の世界へと視点が変わったと言えます。
日本は古来より言霊が言われ、言霊で病気治しをする
一般的には神や仏に関しては祝詞や御経が使われますが、それらの言葉を使いますが言霊と呼ばれる概念とは違っていました。大本教からは【いろは歌】が説かれ、岡本天明師からは【ひふみ歌】が出され、この日本には古来より【天の数歌(あまのかずうた)】と呼ばれる日本の言葉の並びで霊を縛したりして来ていたなのです。
稲荷神界に所属だと個々の人の【今の幸せ】をどう考えるかが主眼となります。今、自分の目の前に困っている人が居ればその人をどう助けるかです。そこには神霊を拝み倒して、その神霊に相談者の願いを叶えてもらうがあります。そうした神霊を拝み倒すことで世間的には【拝み屋】と呼ばれますが、それで今日まで人の命を救って来られた行者の方達は多数おられます。
豊受姫の御代をされていて私が師としてお世話になった方は自分は【拝み屋】で結構ですと言われていましたが、それが今日までの神霊界に関わる者には【定式】なのです。自分はスピリチュアルで【拝み屋】等じゃないと、神霊に仕える人を侮蔑する様な事を言っている人達の霊界での実力を見ると、実力はほとんど無い方が多いなのです。悪霊とぶつかると戦わずに逃げてしまうです。霊的世界はスピリチュアルと称する人達が言うような甘い世界では無いなのです。そこには【斬った張った】があるのです。
神霊の御代は神霊を拝み倒して、相談者の願い事を叶える
人の願い事を聞くのが神なら、創造神も真理も知る必要が無い
私は霊能者の方の様に日常的に霊は見えませんが、困っている人と神霊との仲立に入り、無理な願いを神霊を拝み倒すで叶えるもしました。しかし今はそうしたことを一切していません。今生で自分のカルマを消すではなく、今生のカルマを来世に持ち越そうとする今が良ければそれで良いの姿勢の虚しさです。私は現世御利益で神を語る世界では無く、大本教霊界物語を通じて【永遠の命で在る魂】をどう説くかに変わったと言えます。今の時の幸せよりも、永遠の命を持つ魂の世継です。
人の魂の輪廻転生は、善い人生の時も悪しき人生の時も有る
例え今の人生が醜くても、次の世の人生も醜いとは限らない
私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【この世に降りて、この世の辛さに負けて刹那心を抱くと、永遠の命を持った自分の魂を殺してしまう。】と告げられました。
何故に創造神と呼ばれる存在は悪を許し、その姿を消しているのかとなりますと、創造神は存在していないではなくて、この世の辛さに悪に走っても刹那心に溺れて自分の魂を死なせてしまうぐらいならば、例え悪に走っても魂の命を生き延びさせる。悪は【改心すれば何れは消えて行く物。】で、自己の魂を殺してしまう【刹那心】を恐れられたのではないかとなります。
聖書のヨハネの黙示録には、やがて人類は【新天地】に向かう記述がありますが、今の世は永遠に続く世ではなくて【新天地】に向かうまでの仮宿の短い時間とも言えるなのです。
創造神は何故に姿を隠してまで、新天地を用意された?
神は何をしても愛で赦すでなく、魂を殺すを恐れられた
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【私はこの世の幕を降ろす。】と聞かされて、子供と言えども非常に驚いたがあります。そもそもこの世は如何なる世界なのか?。それすら解っていないからです。稲荷神界に修業に入って【魂】の存在。神霊と呼ばれている存在が【蛇や狐や狸や猫】と呼ばれる姿に身変えって変化する様。それは霊界は【神は光だ!】と叫んでいる世界では無いなのです。自分ほど凄い霊能者は世にいないと豪語する方達が言う光を見ると、そこには龍とか天狗の存在が見えるであって、その人にはそれが光としか見えていないなのです。それを理解せずに自分は凄い霊能者だと威張っているです。
科学では宇宙の成立ちは宇宙の卵が【ビックグバン(宇宙大爆発)】を起こしたことからとします。ならばその宇宙の卵の説明が出来るのかとなりますと、今の科学では説明出来ません。仏教においてはこの宇宙は【無(无)から有が生じた】とします。だが誰が考えても【無から有】は生じさせられません。どうして無から有が生じたのか?。お釈迦様はそうしたことに関して、【考えても解らないことだから思い悩むな!。】と言われたと伝わりますが、霊界にはこの宇宙が誕生する映像はあるのです。その映像を見ていると【無から有】が生じたなのです。
だがその【無から有】の霊界映像に万物の創造神。父なる神。母なる神の存在が読み取れるのです。日本神道では【造化三神】と言いますが、三柱の神の存在が読み取れるなのです。それは今の私達の様な人の姿をした神ではなくて、宇宙の【意識】映像と言えます。
その霊界の映像を見ますと、この宇宙の成立ちは大本教霊界物語に出口王仁三郎聖師が記述された内容にほぼ近いと言えます。ただ霊界物語では円筒形とされますが、私が見た映像は【カプセル】型に近い物でした。出口王仁三郎聖師が霊界物語を書かれた大正時代は、たぶん円筒形のカプセルの様な物を指すカプセルと言う言葉そのものが存在していなかったと考えられます。
今は霊能力が有る者にしか見えない宇宙創造の映像も、人工知能(生成AI)に命令すれば作り出せる状況に入ったと思われます。
人類は生成AIが創り出す嘘映像を本当と思う処まで来た
嘘映像を創り出す【AI】は、万物の創造神を越えたか?
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【ソナタにはこの私の神力を何一つ与えない。されどソナタを見て、ソナタの背後にはこの私が居る。それが解らぬ様な神ならば使い物にはならぬ神。】と告げられたことから、私の背後にその神の存在が見えない方はその程度の方だと見ていました。そうした方達から何を言われても、別に気にする必要が無いです。
その旧約聖書の神と称する声は、【自分の教えは聖書には在らず。この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。ソナタはこの日本に満ち溢れた物から私の教えを学びなさい。】と告げられました。そうした不思議な言葉が在ったので、私の身に不思議な出来事が起きた時、躊躇無く神霊世界に修業に入ったと言えます。
ただその修業は伏見稲荷山神界のお世話になったことから、白狐や蛇霊と呼ばれる存在を通して見る世界だったと言えます。私は別に創造神と呼ばれる神を見て、創造神の存在を説いているのではないのです。蛇霊や狐霊と呼ばれる存在を通して、万物の創造神の存在を知るです。
私は創造神と呼ばれる【神の力】のことは解りませんが、仏教で【閻魔大王】と呼ばれている存在は見ました。その閻魔大王と呼ばれる存在は【冥府の長官】であり、その冥府との関わりに【黄泉帰り(甦り)】の言葉が存在して来ます。イエス一人を神の御子と信じたら最後の審判で蘇るではないのです。
その冥府の長官をサタン(悪魔)としているキリスト教の教義を知った時、これはおかいぞとなったと言えます。私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はナザレのイエスの前に臨んだことなど一度も無い。ナザレのイエスは我が子には非ず。私では無い他の高い神の御子である。】と告げられたからです。
私は鍾馗神の御案内で中国で創造神とも天子ともされる盤古大神に拝謁して、その盤古大神が何者か知りたくて大本教霊界物語を読みました。その霊界物語では蛇霊の囁きに毒された神々の多数決により、創造神でありながら地上神界の主宰神の地位を追われたのがウシトラ金神国常立尊。その後を襲ったのが中国で創造神とされる盤古大神(ギリシャ神話の木星神でゼウス神)のことだと解りました。問題はその交代劇が今から【三十五万年前】に遭ったのか無かったのかの証拠立が出来ないなのです。何故ならば今の人種は遺伝子調査では今から20万年前の種だからです。当然にそんな時代のことなどまさに霊界(虚空)物語なのです。
大本教が出した【主は三十五万年前に御引退】の証拠は無い
されど九つ花で五十六億七千万のみろく菩薩の仕組みが出る
万物の創造神とされるウシトラ金神国常立尊は世の神々から悪神としてウシトラ(艮)に退かされて【鬼】とされたが、別に霊界から消えていたではないのです。仏教では【閻魔大王】とし説かれ、その国常立尊が引退前は天における同体神であった天之御中主と首座神の地位を交代されるを、大本教が予告予言教団として世に出したなのです。
生成AI(人工知能)が万物想像の絵を出せる時、本物が出る?
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霊能者の世界で語られる事柄として、創造神を第十識界とすればお釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。マホメットは第四識界の魂。人類の歴史からすると、お釈迦様の識界レベルを超えた段階の方は未だ出ていないとする説です。そのお釈迦様を越える段階の存在として【みろく菩薩】の登場が予告されたとなります。巷で自分がみろくですと名乗る方は出てましたが、大本教神諭予告九つ花に咲く一輪の言霊を紐解くと、みろくと五十六億七千万の仕組みとは世に想像されていた事柄とは違っているでした。その一輪の言霊がお釈迦様の悟りを語るです。
その仏教における【真我(真の自分)】とは何かとなりますと、要は鏡を見た時、そこに写る自分は本当の自分の姿では無いなのです。鏡に写っている自分とは、三次元世界に肉体を持って生きている自分ですが、今の世限りの自分です。その今の世限りの自分では無くて、輪廻転生を通して生き続けている魂の自分こそ【真の我(自分)】なのです。
この世の自分は自分でも、一代限りの仮の自分です
人が見ている自分とは、今の世に合わせているだけ
私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【神界で働くのは肉体のそなたには非ず。魂のそなたである。肉体のそなたはバカを演じていれば良い。】と告げられました。別にバカを演じなくても天然のバカで私のことを豊受姫に聞くと、あれは【おっちょこちょい】だと言われました。深読みした行動が出来ない。何事もよく理解しないで直ぐに先走って動いてしまうです。一部の霊能力者の方達からは貴方は高貴な魂の持主だと言われますが、肉体は違っているなのです。肉体はどこをどうやってもおっちょこちょいのバカなのです。これは肉体は死ななければ治らないなのです。
肉体がバカとかおっちょこちょいともなれば、そんな自分の背後に高い魂たる存在が居ると思えません。だがそんな者が今日まで誰も説いたことがない日本語による言葉の仕組みを紐解く。紐解いて来たなのです。私自身そんなことがどうしてこのバカな私に出来たのかと言われた時、私の背後に立つ【霊】が言葉の仕組みを解いて来たと言います。私の前世とされる霊が、言葉の仕組みを紐解いて肉体の私に伝えて来たなのです。
日本語による言葉の仕組み等いくら解き明かしても、そこに言葉で組み立てられた意味がどれほど理解出来る人が居るかとなれば、人は神の力を見せ付けられるとその神の力こそが絶対で有り、大本教の出口王仁三郎聖師は神の【九十九折り。折られた物を見ないと神の綾(文)が解らないと告げられました。】が、その織られたもの見ても解ろうとする人は少ないと言えます。
私は大本教神諭予告、九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)を紐解き開かした時、その恐ろしさに震え上がりました。最近私の元に自分には億単位の白龍神が従っていると言って来られる方がありましたが、億単位の白龍神を動員出来たとしても言葉の仕組み等出来ないのです。その力とは想像が出来ない力のはずなのです。
それは大本教神諭が予告した九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)に関わる事柄は【宇宙時間の組立て】すら行っているからです。何故、その時間で地球は太陽の周りを回っているのか?。そこには仕組みがあると言えます。
私自身、バカの肉体に高貴な存在が宿っていると解る
そうした事柄の関係かも知れませんが、私の元を訪れた霊能者と称する方からは私の背後に居られた高貴な魂の方は神界に帰られました。神界に戻られました。そうしたことを聞きます。私もそうした存在と思われる方が出て来ないと、さっぱり意味が解らないを起こします。人は魂が使っている人形に過ぎないとする説の実感です。
自分という存在は何も偉くない。しょせんは魂の人形。自己の魂が使うこの世の服装。しかしその人形には人形なりの葛藤が生じるなのです。それを自分の魂がどれほど理解しているのか?。があるのです。
スピリチュアル標榜でも、一部の方は自分の魂とは多次元世界に存在すると語られますが、多くのスピリチュアルの方が言われるソウルメイトではその多次元世界に存在すると言われる自分が出なくなります。私自身、過去にこの世に出た自分(通常前世と呼ばれる)が姿を見せる。そしておそらく人としてこの世に降りたことなど一度も無いであろう高次元霊界の自分たる存在。その確認も出来ました。自分の魂ですら、住む霊界次元界が違う魂が在るなのです。
私自身は霊界を見聞して来て、大本教霊界物語に書かれている事象の多くが確認出来ました。だがスピリチュアルと称する方達が語る低次元霊世界も在るなのです。
人は死後に神社の神霊の段階に進むことは出来る
日本神道の正守護神とは、神社の御神霊クラス
日本の神社に御神霊として鎮まる段階の神々からは、万物の創造神と呼ばれる存在の神が語られない不思議があります。それは大本教から世に出された日本書紀では宇宙創造神とされる国常立尊は、今は退いていることから漢字の【艮】に秘められていますが、その存在はおられないでなくて各自の魂の【核】として人類を見守っておられたがあります。その働きは各自の魂に良心神として働き、この世の閻魔(良心)として善と悪とに立て別けておられる
その人の魂に内在している良心神を何一つ言わずに、何をしても神の愛で赦されますと言っているスピリチュアルだとその魂の核が消えているがあります。いくら霊は見えても死後に墜ちて行先は主に蛇霊界です。その蛇霊界において、神としての力を発揮するです。
スピリチュアルで説く【ソウルメイト】とは、肉体を持った自分たる【魂】が住む霊世界での【友・共】たる魂達の意味で有り、魂にとってはこの世は修学の場で、この世での修学を終えたならば自分が住む元の魂の世界に戻らなければなりません。その元の世界に戻るだけの論理がソウルメイトの存在となります。
この世に降りるは諸刃の剣で、間違えると地獄に墜ちる
そんな危険を犯してまで、何故に魂はこの世に降りた?
それを理解するには、スピリチュアル界の一部では語られる自分という存在は【多次元世界】に存在しているとする事柄なのです。今の世に居る自分とは三次元世界に存在している自分であって、死ねば誰でも四次元界に行けますが、俗に言われる神霊や神霊段階の仏霊の世界では無いなのです。
その高次元界に住む自分を新日本神道系の教団では【正守護神】と呼び、その正守護神と自分が合一することを【神人合一】と呼んで来たなのです。その神人合一を起こす段階が通常【五次元界】と言われており、その五次元界に以上に住む自分とは男性であれば【衣冠束帯】姿。女性であれば【十二単衣】姿で視認されて、神上がり状態と言われるのです。その自分とは神人合一状態に入れば【視認】されるのです。
神社に鎮座する神霊の多くは、過去は人たる身を有した
私は神社に鎮まる神霊を見て、過去は人で有った身の果てよと言ったりします。そこに人はこの世の生き方次第で神とも成れるがあります。仏教では人は死ねば【仏様】。日本神道系の宗教団体では人は死ねば【神様】として取り扱いますが、そうした神仏ではなくて霊界で神様とか天人と呼ばれる段階に進むことです。人はこの世を去れば誰でも【四次元霊界】ですが、最低線として【五次元霊界】以上に住む霊を【天人】等と言っているなのです。
新日本神道系は【神人合一】を説くが、スピは語らない
私は神霊世界の修業を伏見稲荷山神界でお世話になりましたが、伏見稲荷大社首座神とされる豊受姫の御代を勤めておられた最初の師匠は、豊受姫の御代を勤めることで死後の世界では豊受姫一門たる神霊に神上がりをして、どこかの稲荷神社の御神霊として赴任することが約束されていました。実はこうしたことは行者筋ならば知っている話なのです。
ただそれらは大本教から出された副守護神、正守護神、本守護神等の論理を学ばないとスピリチュアルに語られるドングリの背比べたるソウルメイトの世界からは一歩も抜けられないとなります。
人は何故にこの世に降りて来た?。上の世界に行く為!
スピリチュアル標榜者の言うことを聞いていると、この世は遊ぶところです。そこには自分の魂を磨くの主たる目的が説かれません。自分がこの世に出て来る前に住んで居た霊界での仲間達はソウルメイトですが、その世界に戻るのであれば何もこの世に出て来る意味が無いなのです。それだけだと霊界から単にこの世に降りて来て【遊んだ】で終わるのです。
この世に出るということは、魂が住む霊界はいくら長く居ても魂の地位(格)を上げられる場所すら在りません。それが霊界では昔、昔の姿をした霊達に御目にかかるです。霊はこの世に降り立った時代の姿を取るからです。今の世の人の姿はこうだからと、今の流行の服に合わせていないなのです。ですから縄文時代の姿をした霊や飛鳥や天平や奈良時代の姿をした霊も出て来るなのです。逆に今の人の姿に近い霊界とは地獄界なのです。地獄界とは別に鬼が出て来て苛む世界では無く、心の平安が得られない世界で近代世界の形態は地獄界により近い形態なのです。
私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【人がこの世に降りている時間とは魂の時間からすると修学旅行に出たような僅かな時間に過ぎない。その僅かな修学の時間を物見遊山で終わらせて、元の世界に戻って来るのか!。それともその短い修学先で何を学んだかで大きく変わる。】と告げられました。その魂の修学先たるこの世とは、大本教の出口王仁三郎聖師は【天人の苗床】と呼ばれた様に、その学びにおいて七次元霊界位までは進めるのです。
大本教や日月神示の岡本天明師から出されたみろくの【五六七】は次元界も意味させ、今の世からみろくの世に進む人達の中には【七次元界】位まで進める魂もあるなのです。
魂がこの世に降りるは、この世では七次元位まで進める
だがスピリチュアルに走ると、元の次元界に戻るだけ
それはスピリチュアルで言う【ソウルメイト】達は、その魂が住む世界から、上の世界に向上する気がまったく無い。元の世界が良いと思っているなのです。それは地獄界に墜ちた霊達も、住めば都でその世界から脱出しようとしない。為に幾度この世に出されても悪業が止まらない。それと同様のことなのです。いくら地獄界の刑期を終えてこの世に出して貰っても、自分自身に向上する気が何も起きないのであれば、上の霊世界に進む努力をしないなのです。 悔い改めるもしないなのです。
魂が自分の霊界次元を上げるには、自分で努力が必要
スピリチュアルのこの世は遊ぶ処は、チャンスを失う
自分は何の為にこの世に降りて来た?。そうした【思考】をするだけで、自分は誰だろう?。となります。より高い霊界の存在を学ぼうとなるのです。
お釈迦様は人は何故に死ぬのだろうか?。何故に生まれるのだろうか?。誰も不思議と思わなかった事柄に目を向けて、仏教と呼ばれる教えを開かれた。そして全ては【縁から起きるの必定の縁起】に辿り着かれて、菩提樹の下で【悪魔は実体を持たない表れであり、人には良心と呼ばれる神が内在している。】の悟りを開かれた。
悪魔にも愛はあるが、悪魔に存在しない物は何か?
だが霊界にはお釈迦様の悟りを一乗として解らないようにしてしまう勢力もあり、それが五十六億七千万後に現れる弥勒菩薩とした事柄を大本教神諭は【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】で紐解かせてしまう日本の言葉での仕組みをした神が在るなのです。それは魂の総親神でもあるので【鬼と云う】で牛頭虎パンツの仕組みもなされたなのです。
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聖書に【人の子が雲に乗ってやって来る】がありますが、幽体離脱を体験すると人の子が雲に乗って来るとは何を指していたか?。その意味が解って来ます。幽体離脱を体験した方達の中では、その人の子が雲に乗るの体験があるでしょう。
幽体離脱の体験は自分の肉体から意識体としての自分が抜けて行く様です。その時に自分の家の壁や天井が見えているのですが、その物質体を抜けて行く自分に驚くことになります。この時の現象が他の人に見られると、肉体では無くて幽霊的な存在がこの世の壁や天井を抜けて行く様が見られるとなります。
私が住む地域で国道のカーブで大型トレーラーがスピードの出しすぎから横転し、その事故の巻き添えで軽自動車を運転していた女性が亡くなられるがありました。その事故の後、そのカーブの側にその女性の幽霊が立っているとする噂が一週間ほど続いていました。かなり多くの人にその方の幽霊が目撃されましたが、自分は死んだのだと納得されたのでしょう。それ以後は幽霊は出なくなったがあります。幽霊の多くはこの世に対する未練等で地縛霊化しているなのです。
一般的に病死などでは、人がこの世を去る前に【御迎え】と呼ばれる事柄が発生したりします。御迎え霊が死の前に、貴方は間も無くこの世を去ると告知してくれるです。その時にだいたいの自分の霊界での行先が解るのです。御迎え霊が来ている場合は天国界行きが多いのですが、稀に逆の地獄界への御迎えもあります。その場合は凄まじい死に方をされるのです。その肉体からその霊体が抜けて行く苦しみが尋常では無いなのです。
巷で自称救世主と称している方の信徒達の霊体がどこに向かっているかと見ると、地獄に墜ちる【亡者道】を歩いておられるがあります。死後は間違い無く地獄界に墜ちられる。これが大本教の出口王仁三郎聖師が残された【天国に案内すると言いながら、地獄に案内している取次ばかり。】かです。
スピリチュアルを標榜して、カルマの原理原則を何一つ理解しないで【何をしても神の愛で赦されます。】と説く者の言葉を信じると、地獄界へと案内されてしまいます。自分が犯した罪を悔いないで、地獄へ迎えの鬼に鬼は外と炒豆をぶつけても地獄行は免れません。死んでから、違っていたと悔いてもその時は遅いとなるのです。
何故ならば冥府(黄泉の国)の長官とは、別に悪魔的存在では無いからです。キリスト教等は輪廻転生の意味が何も解っていないから、冥府の長官を悪魔(サタン)扱いにしてしまったがあります。輪廻転生をしっかり学べば、イエスの教えの間違いは解るのです。
自称救世主を信じた霊が、地獄への亡者道を歩いている
神の愛では無く、魂の心棒の杙(悔い)を改めるが必要
だが事故などは瞬間の出来事であり。その人を守護している守護霊にその事故が事前に解っていなかった場合があります。守護霊も自分が守護している者が事故に遭遇して死ぬことすら解っておらず。事前に霊界からの御迎えの手続が取れなかった。迎えが間に合わないが起きるのです。為に死後の世界への道に迷うが起きることになります。私は霊界修業の中では、そうした迷い霊を霊界に送る。そうしたことも見て来たなのです。為には閻魔庁の存在を知る必要があるわけです。閻魔大王(冥府の長官)を知らないスピリチュアルとは何だ?。となります。
人は自分の死後の行き先は、自分の守護霊とも関わる
そうした事故で自分が死んだことが解らずに、その事故現場でたたずんでいる。そうしたことはママあります。それは自分の肉体から幽霊体が抜けた状態は、【自分は死んだ】ではなく、感覚として自分は生きているが為に逆に迷ってしまうなのです。自分からは肉体の人達が見える。そこで知っている人を見掛けて声を掛けても自分に気付いてくれない。どうして自分が見えないのだとなります。
そうした時、人は死ねば霊界(あの世)とやらに行くのだ!。そうした知識があると、霊界での道を早く歩き出せるとなります。事故死は病死よりも霊界の道で迷う確率が高くなるのです。
宗教の必要性は【死後の世界】を生前に認識させる
宗教を信じたら天国界で無く、この世の生き方次第
私が初めて伏見稲荷山に上がった時、稲荷首座神である豊受姫は【貴方は言葉の神と呼ばれる尊き御方で、貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)に等しい物で、その教えが聞けないという神は如何なる地位にある神でも天帝に対する反逆者として最後は裁かれます。】と告げられましたが、別に私の教えを聞かなければならないでは無いのです。ただみろくの世には進めなくなる。それだけの話なのです。
私自身は如何なる神霊かは解りかねますが、【そなたの教えを学ぶ者達は、みろくの世に進める。】と告げられたなのです。私が説く内容を学ぶことで、その人の魂の良心神の点数が自然に上がって行くからです。しかし私が説く言葉の仕組みを嘲笑う者達は、そのみろくの世は難しいなのです。誰も日本語による言葉の仕組みで、【人に内在する良心神】などを説いていないからです。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、私に対して【そなたが説く教えに従う者達は、一人残らずこの私が救う。】と約束されましたが、それが本当に旧約聖書の神で有るかかどうかは私にも解りません。それが解るのは最後の審判と呼ばれる事柄が実際に起きた時でないと無理だからです。ただ私は大本教神諭予告、【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】から56億7千万のみろくの仕組みを引き出したなのです。
それはスピリチュアルと称して何をしても神の愛で赦されますと説く人達とは明らかに違っているなのです。大本教神諭が予告した【九つ花】には、神の愛で何をしても赦すなどと説ける仕組みが存在していないからです。
キリスト教ではイエス一人だけを主の御子と信じれば天国界で、異教徒は地獄界に墜ちると説きます。それは霊界を見て来ると有り得ません。大本教の出口王仁三郎聖師が地獄が覗けば牧師で一杯だと残しておられますが、キリスト教は基本論が間違っているなのです。キリスト教徒であれ、イスラム教徒であれ、仏教徒であれ、私の様に仏教徒で【日本神道】の両信仰徒であれ、人の魂に出る【良心神】の点数は自分が信じる宗教とは何の関わりも無いからです。
キリスト教徒であれ、イスラム教徒であれ、仏教徒であれ、日本神道の信徒であれ、人の魂に宿る良心神(創造神たる天帝の分魂)は世界の人民の共通事項なのです。
日本では世紀の大予言者として知られた大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界にはミカエルと言う名の天使長は存在していない。反省するの省みる(カエリミル)の日本語の意味だと説かれましたが、それには日本語と呼ばれる言葉が英語などと違って【神の言葉】であることの理解が必要となるのです。それを理解するにはさらに【言霊】とは何かを知る必要があります。
この日本は古来より【言霊の幸はふ国】と言われて来ましたが、残年ながらこの日本で【言霊】とは何かが解る霊能者は若干名に過ぎないなのです。
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。】と告げられました。鍾馗神の御案内で中国で創造神とも天子も言われる盤古大神に拝謁して、出口王仁三郎聖師と思われる霊の御蔭で日本語という言葉が持つ意味を理解出来たと言えます。天使長ミカエルという神名は、日本語でないとその意味が説明が出来ないようになっていたのです。
日本語は【漢字】がないと、【感じ】が掴めない
この世に肉体を持った状態の人からその幽霊的な存在が抜けて、他の場所で視認される状態は霊学としては【生き霊を飛ばした。】と言われる事柄になります。しかしその生き霊を飛ばすには【想念】と呼ばれる存在を飛ばしている場合もあります。そこに【魂】と【念】の違いが語られる必要があったのですが、宗教の世界は【魂と念】の関係をあまり説いていないがあります。
既存の宗教は【宗教界の覇権を争う。】で、真理そのものに目を向けていません。そこに洗脳されて統一教会の文鮮明に見られる天なる父様とか韓鶴子を天なる母様という馬鹿げた教義を宣伝する者も出て来ます。幸福の科学の大川総裁の自分はお釈迦様とイエスとモーゼの三体を生んだ本体たる十三次元などの嘘八百を信じる人達も出て来ます。スピリチュアルだと【何をしても神の愛で赦されます】の一点張りで、それでは魂と念の違いすら説明出来なくなるのです。
生き霊を飛ばす存在に、【念】と【魂】がある
念は【今の心】。人類は今の自分の心を考えたのか?
人の魂は過去世から続いており、何百年何千年何万年とも生き続けることが出来ます。一方念とは、今の一瞬にある自分の心のことです。だが念も自分の心の一部ではあるなのです。
世界のどの宗教でも【魂】と呼ばれる存在は説きます。それは魂は世界のどの人種間でも見られて来たからです。その魂が【丸い玉(球体)】であることも世界で共通しています。
世界の言葉で、魂を【玉思惟】と言えるのは日本語だけ
私は魂は【玉型の思惟】ですよと一貫して説明して来ました。だが私以外の方だと魂を【玉型の恣意】だと説明する方もあります。思惟は仏教用語で【深い洞察力で考えを回らす】こと。恣意は【気ままとか自分勝手】のことです。この世では何をしてもいいのです。好き勝手を進めるのが【玉恣意】論なのです。
人の魂は【思惟型の玉】と【恣意型の玉】とに分かれます
魂を磨くは、この世の学びで恣意型から思惟型の玉となる
明治25年に発祥した大本教から、自己中、自己本位の【恣意】の行動はいけないと出されましたが、スピリチュアル標榜者の多くは何をしてもいいのですと、輪廻転生を通じて出る【カルマの原理原則】すら無視した恣意の玉を目指すなのです。
スピリチュアルの何をしても神の愛で赦されます。そんな言葉を信じていれば死後の世界で間違い無く地獄界に墜ちます。人の魂は玉型で、玉なれば必ず【心棒】が存在します。その玉の心棒は神の【杙】であり、悔い改めるの言葉にはその【杙(心棒)を改める】が秘められていたなのです。その杙改めの学びとして
モーゼの十戒、仏教の【貪瞋痴】等の教えが必要だった
イエス一人を主の御子と信じれば【自分の無知】が解消されるではありません。アラーの神と讃えれば【自分の無知】が解消されるではありません。そこには後付だとしても学びが必要となるのです。
人の魂はこの世で、種々の考えから各種の知識を得る
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【この世は魂の修学場。魂の命からすると修学旅行に出たような僅かな時間に過ぎない。】と告げられました。この世は自分が学ぶ為に降りて来た世界で、何も学ばずに元の世界に帰るか、学んで帰るかは個々の魂の考え方とはなるのです。
スピリチュアルでも霊界は【想念の世界】として知られ、霊界では同じ想念を持った魂同士が一つの社会を創ります。スピリチュアルだとバカみたいに【ソウル・メイト】の言葉を出しますが、ソウルメイトとは自分が住む想念の世界での仲間達のことだと言えます。
霊界のソウル・メイトは、元のドングリの背比べの世界
人はこの世に降りて元の世界に戻るでなく、上を目差す
スピリチュアルで語るソウル・メイトの世界とは、自分と同じ想念を持つ仲間達の世界ですが、その世界では異質の想念を持った者達との公流は難しいのです。
魂は、自分と異質の想念の魂と同一世界に住むは苦しい
自分と同じ考え方の者と一緒の世界だと心は通じ合います。しかしそれだと、他の考え方。それが正しいのか間違っているのかさえも解らないのです。為にこの世は各種の考え方(想念)が違った者と一緒に暮らして、いろんなことを学ぶ合うなのです。善にしてもAの世界ではそれを善としても、Bの世界ではそれを悪とするもあります。で何かが正しいのか?。何が間違っているのかを学ぶのがこの世なのです。
しかし霊世界はその魂の汚れに応じて【霊波動】が違って来ます。この霊波動の違いが、霊は同一の世界では住めないを起こさせるのです。この霊波動の違いを知らないで、霊界は均一の世界と言ってしまうと大間違いを起こさせるなのです。
霊波動が違う魂の学びには、霊を阻止する肉体が必要
ただこのことは霊媒体質者でないと解らない面があったのです。イエスやマホメットはそうしたことが解っていなかったがあります。霊媒体質者は自分の霊体を汚していなくても自己の霊体を汚している者から、その汚れた霊物を投げ付けられるがあります。霊的な汚れを自分の霊体に押し付けられて、その汚物の【浄化浄霊】に苦しむです。もし肉体を持たないと、これほど低い霊が集まる世界では高い魂は暮らせません。
宗教では死後の世界(霊界)は天国界と地獄界を説きます。しかしそこに我が宗派の教えを信じれば天国界で、異教徒は地獄界に墜ちると間違って教えばかりを広めました。イスラム教のタリバン等はその典型になるのです。天国とか地獄とかは自分が信じる宗教とは関係が無いのです。
正しい行為行動をする人達の集団は天国界を形成し
悪しき行為行動をする人達の集団は地獄界を形成した
すなわち【集団意識(ソウル・メイト)】の結果。霊界には【正神界】と【邪神界】の二つの世界が並び立つなのです。
行者系の霊能力者であれば魂磨きを説きます。良心を説く方もあります。しかしスピリチュアル標榜だと良心神は説きません。何をしても神の愛で赦されます。愛こそ全てです。自分達が悔い改めるを捨てて、悪を唆していることに気がついていないなのです。スピリチュアルだと別に良心の存在を知らないではないのです。それは良心の呵責は重いから捨てましょうで、人々を如何なる世界に導こうとしてしているかなのです。
【霊が見えるから、その人は正しい世界の人では無い】のです。正神界と呼ばれる世界に導こうとしているのか?。それとも邪神界と呼ばれる世界に導こうとしているかなのです。自分が所属する世界が正しいという思い込みの発生なのです。
ただ霊世界においては、正神界から見れば邪神界が【悪】ですが、逆に邪神界から見れば正神界が【悪】となるなのです。
どちらが正神界か邪神界かは、勝った方が正しい
邪神界から見れば、力が弱い者は敗者に過ぎない
大本教から出されたウシトラ金神とは、どこにもその姿を見せないことから退くの【艮(ウシトラ)】金神と呼ばれ、本来は万物の創造神でしたが悪神とされたのは神界の戦いで負けたがあります。ですから今も霊能者の間ではウシトラ金神国常立尊は悪神だとする方達も一定の勢力があるわけです。
そこに国常立尊(天之御中主と同体)は隠し秘めておいた新地球に自分を創造神と崇める魂達を集結させて、永遠の世界創りに入られるのです。それが第8の世で∞記号の意味を持ち、末広がりの世とするわけです。今の世は神代七世で、そこに日本語だと解る七が転び八で起きる七転八起の【ダルマ(真理)】の仕組みが組み立てられたなのです。
この仕組み、お釈迦様とイエスとモーゼの三仕組みで
大本教神諭予告九つ花は【41】で、56億7千万を出す
大本教神諭が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊】を解読すると、そこに【五十六億七千万のみろく大神】が出るようになっていたわけです。ただそれを解読するには【龍宮の音秘め(乙姫)】とは何か?。そうしたことまで知る必要があったなのです。私はその仕組みを見た時、万物の創造神は存在しないのではなく、ウシトラ(艮)の漢字で解る今は退いているだけの状況だと思われます。
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現代の医学や科学では人は死ねば終りで、宗教が説く人が死後の世界に行く【霊魂】と呼ばれる存在などは無いとしていますので、そんな肉体から幽体が抜けて行く写真は偽造の一言で片付けられるはあります。当然に人は死ねば終わりならば幽体離脱などは起こり得ないのですが、イエスであれムハンマド(マホメット)であれ、その教えに人と霊魂の関係が説かれていないがあります。
ある悪党は、神社に行けば神霊として祭られている存在が有ることは認めるが、人は死ねば終りだから悪いことをしなければ損をすると私に言いました。私達は神社や仏閣に祭られている神霊から病気治しや現世御利益を賜る。そうした事実に触れます。為にその存在は否定出来ないのです。そこで神社や仏閣に参ったりします。もしも神社や仏閣に参拝しても何の御利益の示しも無いであれば、誰も神社や仏閣に参らないはずです。
私達は現世御利益を通じて、神仏の存在を認識する
が、神社に祭られている神霊やお寺に祭られている如来や菩薩や明王の存在は認めるが、人もそうした神霊や諸仏と同様に死後の世界に生きている。そうした感覚を持てないなのです。そうした神霊は人とは別の存在だと思ったりしてしまうなのです。日本の仏教では人は死ねば皆仏様とは言いますが、その仏様とはお寺で祭っているところの如来や菩薩や明王と呼ばれている仏のことではありません。それらのお寺に鎮座する仏は、仏でも上の存在という認識は誰しも持てるなのです。
寺院に祭られる仏像等には【霊魂】が宿っている
大本教から【人は神の子・神の宮】が出されました。それは仏教で説かれる【人には仏性が宿る】と同じことです。人はこの世に生きて、死後の世界では神社に祭られる神霊とも成る。寺院で祭られている仏とも成れる。そうした予備軍的な存在でもあるなのです。
大本教からはこの世は【天人の苗床】と出されましたが、
人は死ねば皆四次元でも、五次元界以上に進むと神霊
私は自己のブログに魂の写真は幾度も掲載して来ましたが、人の肉体から霊体が抜けて行こうとする瞬間の写真は初めて見たと言えます。私は実務体験としてはそうした幽体離脱に関わる出来事を多く遭遇したのですが、その幽体離脱の瞬間を写真に写す等は奇跡的なことなのです。
どうしてそうした写真がこれまで撮られて来なかったは、まずその肉体が霊媒体質者であることが前提にあります。この霊媒体質と言われる事柄そのものが、現代の医学や科学では理解が出来ないし説明も出来ません。為に霊媒体質者は医学では理解が出来ないことから、そこから来る禍に関して治すこととも出来ずに苦しむとなります。誰にもその理由が解らないから【自律神経失調症】等の病名で片付けられて来たからです。その原因が霊媒体質だからと理解出来るのは霊能者となるのです。
私は自分が神霊世界に関わって神霊が神罰として人の命を取る。古来は呪術(じゅじゅつ)と呼ばれてきた様な事柄の存在も見て来ました。霊的世界はスピリチュアルと呼称している人達が言うようなお花畑で遊んでいる様な世界では無いなのです。時には殺し合いが起きるなのてす。
私が一番ショックを受けたのは、地獄界とは鬼が居て罪人に責め苦をしている様な世界では無く、そこに住む人達がまるでゾンビの様な状態であったことです。そこにうごめいているのは人の姿をしていても、もう人達では無い存在です。その世界は地獄界で、霊能力でその世界を見た人達は口を揃えて自分は絶対に行きたくない世界と言われます。それは魂が存在していない抜け殻の世界と言えます。二度と人間界には出ないし出られないのです。
どれほどの月日を過ごさないと、霊体は朽ち果てない?
瞬間のこの世の喜びを求めて、永遠の苦しみを得る?
特番で放映された写真は見事に肉体から幽体(霊体)が抜けようとする様が写し出されています。とても偽造されたフェーク写真とは言いがたい写真です。
私自身は自分が【幽体離脱】の体験をして、自分の魂が神界の神々の元に行くことで、肉体と魂とは別物であると認識しています。また私自身は自分では認識していませんでしたが、自分の霊体が霊能者の元を訪れたと指摘され、その時間は肉体の自分はどうしていたのかと思い出しますと、その霊能者の元に行こうとしていて車の運転中で途中で眠くなり、駐車が出来る場所に車を停めて眠ったがあります。自分の魂がその霊能者の元に行こうとして、肉体より先に行動をしたです。
霊能者の元に居ると、今誰々の霊体が来たので、その肉体が間も無く此処に来るよと指摘されると、その肉体がやって来るがあります。多くの場合、霊体が肉体よりも先に行動するがあります。それがスピリチュアルで【想念】として語られる要素になります。想いが先に募るで、霊(想念)が先に行動するです。霊が想念とされるのもそこにあります。しかし霊は想念だとするならば、幽体離脱の時に見られる肉体から抜けて行く【霊体(幽体)】は何だ!。となります。それが単に想念だと肉体から抜けて行く自分の霊体の説明が出来なくなるのです。
そのテレビの特番で放映された写真はそのテレビ局の著作権に関わりますので、このブログでそれを切り出して出す事は出来ませんが、その特番の写真を見なかった方が死と同時に肉体から抜けて行く自分の霊体(幽体)の存在は無いと主張する意見は、全て論破されることを知らないといけなくなります。要はそうした証拠的な物を見なかったことからの霊界否定論は、知らなかったという無知に関わるだけなのです。
死後の世界は無い。霊界も無いは単に【無知】に過ぎない
ほとんどの人は、自分が信じた宗教で教えられた誤った内容の死後の世界は言っても、霊能者が言う死後の世界を否定する現状においては非常に貴重な写真の一枚とは言えます。
一部の幽体離脱経験者の話に自分の魂が肉体から抜けて行く時に長いトンネルを抜けて行く様な風圧を感じるを言われるがありますが、トンネルではないのです。肉体から初めて霊体が抜けて行く時には霊的な風圧が発生し、その感覚がまるで自分がトンネルの中を凄いスピードで飛んでいる様な感覚に襲われるなのです。
通夜などに死者の横に座していると、その肉体から旋風の様な風が吹くに出遭うがあります。その時、今霊界に旅立ったなと解るがあります。
神社や仏閣や墓に宿る霊は肉体を持たない【死霊】であり
人とは、この世の肉体を持つ間は【生き霊】と呼ばれる霊
大本教から人は【霊(ひ)止(と)】だと出されましたが、人は肉体を持っている間は【霊止(ひと)】であり、肉体を脱ぎ捨てた時は霊と魂だけに成るなのです。
古来より世界中で人は死後に【霊魂】と呼ばれる存在になって、あの世(死後の世界)に旅立つと言われて来ました。その時、その存在は【霊魂】とされていますが【霊と魂】の違いはあまり語られて来ませんでした。近世の西洋の神智学においては、人が死後の霊界に入った時には死者の霊は生前の姿をしているが高次元界に進むと【魂】だけの存在に成ると説かれました。
その西洋の神智学が日本におけるスピリチュアルに影響を与えたのですが、その程度の内容では霊界を知る知識としては限界を露呈させたと言えます。
それだけだと説ける内容が【ハイヤーセルフ】程度であり、霊が住む社会構造の一ヒントにはなりますが【輪廻転生】に関する深い考察が出来なくなります。それは自分自身の魂が霊界における次元界の上界に駒を進めると、そこに【神としての自分】が出て来る事柄です。それが大本教の出口王仁三郎聖師が【この世は天人の苗床】と言われた事由なのです。イエス一人が神の子など大間違いなのです。
そこにスピリチュアルのハイヤーセルフ論でなく、日本神道で語られる副守護神。正守護神。本守護神論が必要となるわけです。また神霊界は平旦的世界では無く、次元と呼ばれる層で違いが発生する縦社会です。そうしたことは西洋から来たスピリチュアル学では出せなかったなのです。しかし日本における神社に鎮まる神霊と呼ばれる存在も、そうしたことを霊能者に語らなかったがあります。
そこにキリスト教社会におけるイエス一人が主の御子などは最大級の大間違いで、大本教が説いた人は誰もが【人は神の子・神の宮】の要素の上に立っているなのです。その神の子である存在が間違ったことを続けた為に、地獄界と呼ばれる世界が形成されてしまったと言えます。そして創造神と呼ばれる神霊の姿は確認されていませんが、過去に水の審判と呼ばれる事柄が起きて人類は滅びたがあるのです。そしてまたもや【最後の火の審判】と呼ばれる物が世に語られるなのです。
本来は神で有った魂達は、悔い改めることで天人界に戻れる
人の魂は昔から同じ心であっても、その姿は時代時代に応じて違って来ます。私は子供の頃、私に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から【前世のそなたはお人好しで、他人を疑うことをしなかった。為に他人の魂胆が見抜けず、他人の魂胆に利用されて悲劇の武将としてこの世での命を終えた。】と告げられましたが、霊界を見聞している中で、その過去世のお人好しの自分が誰で有ったかは解って来ました。だがそれは過去の私の話で有って、今の私では無いなのです。今の私が刀を持った武士には成れないわけです。そしてその時の恨みを果たそうではないのです。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と名乗る声は、【仮に自分の過去世が釈尊やイエス等の偉大な宗教家で有ったとしても、そうした名乗りをする者は全て本物には非ず。】と告げられました。自分の過去にそうした時代があったとしても、今の自分はその人物では無いわけです。ただその時も今もその心は同じなのです。
人は転職すれば、今の自分と過去の自分は違うと解る
人の魂は出た時代時代で、その職で得る学びが違う
幽霊と呼ばれる存在は古来より世界中で見られていて、その存在は語られて来ました。その幽霊には【足が有る】と【足が無い】が言われて来ました。幽霊と呼ばれる存在には肉体から抜けた霊体には足の存在が見られて、想念として現れる存在。俗に怨念や未練の【恨めしや!】には足が見られないがあると言えるでしょう。地に足が着いていないの意味合いとなります。
この世に未練として残る想念と、霊界に入る魂とは別
この世の恨めしや!、霊を消しても魂を殺すでは無い
一部の霊能者は霊界に蔓延する想念の様な物を自分が消しました。掃い(祓い)ました。そうしたことを言われます。霊界において魂とは【命】を指します。その魂を勝手に消したりすれば魂殺しに問われることになります。いったい何の権限があって、貴方は魂の命を殺めたのですかが問われてしまいます。しかし想念的な物は消しても構わないとなるのです。想念的な事物は【命】を宿しているのではないからです。単なる【想いが飛んでいる】なのです。それらは【輪廻転生】外なのです。
私は霊能者はしていませんが、霊場と同様の霊地の上に住んで居ます。霊能者の方達によれば、私が住む地は天国にも地獄にも通じる霊界の機密【ゲート】だと言われます。で、非常に多くの【オーブ】が写ります。
私が住む土地は大本教の出口王仁三郎聖師が大正時代に言い残された土地で、その土地で起きたラップ現象は霊能者の方達から伊勢神宮の神でも出雲の大国主命様でも手が出せないと言われた事柄で、ラップ現象が鎮まるまで約3年間もの月日を要しました。その地では日常的にオーブは見られます。
https://www.youtube.com/watch?v=GpzX2UP_zXA
私が霊的世界に関わっているのは、スピリチュアル的なことは金儲けになるではなく、何が真実なのかを追い求めているからです。私が神霊世界に関わる時、伏見稲荷山の首座神で有る豊受姫から【これは世に出ている神には出来ない事柄であり、肉体を持ったそなたでないと出来ない神業。】と告げられましたが、肉体を持たない神では出来ない事柄もあるなのです。
人もまた神なり。神が人(霊止)としてこの世に現れる
自分は死後に神と成る者だ!。その為に苦労を積んで学ばなければならない場所がこの地球界なのです。それをこの地球は遊ぶところですと等と説いているスピリチュアルなどは何者の手先かとなります。世の中には死後に腐って行く人の魂を食べる連中もまたあるなのです。
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最近、同性同士の【同棲】を法的に異性との結婚と同じ待遇にすることが、まるで正しいような論議が起きて来ています。しかもそれに反対する人達が間違っているような論議です。小数の者の意見を大切にすることが正しいとする誤った感覚です。
確かに物事は多数派の意見が絶対に正しくて、小数派の意見が間違っているではありません。ただそこには人間は何から生み出されたのか?。その大本、根元の意味が解っていないといけないのです。その大本、根元たる存在から言うと、人類は神の世界の掟から遊離をしだしたなのです。そこには人(霊止)はやがては神と成る存在で、この世で魂の修業を積んでいることの見落しです。
心(魂)の性と肉体の性が違う?。魂と肉体は本来は別物
肉体の性に違和感が起きるのは、魂には前世が存在する
神霊の世界から見た時、肉体が同性の者同士が一緒に暮らすことは単に【同棲】であり。そこに何の問題もありません。それは神が言われる異性との【結魂】には当たらないからです。そこには同性同士の同棲には、異性との結婚と同じ権利を求めてはいけないがあります。
結婚とは、陰陽の魂の結びで新たな【命】を生み出す
新たな命を生まない同性の同棲は、神が許さざる結魂
私は修業時代【豊受姫】から、結婚とは【子宮を持つ女】と【子宮を持たない男】の組合せだと告げられましたが、男同士とか女同士の組合せは神の世界は結婚とは認めないなのです。そこには【子宮】の言葉があったなのです。それを人間の理論で同性同士の結婚を異性との結婚と同じと認めると、神の世界の掟から離れるとなります。
人類は万物の創造神の怒りを買う道へと進みだした
神霊世界における陰陽の組合せによる神と神の結婚!。それを語っている霊界書。宗教書は存在します。神霊世界においての神々の結婚は、陽魂が陰魂を飲み込む形の結合魂。その時にエクスタシー(肉体を超越した魂の恍惚)が発生します。それが肉体世界では【陽の性器と陰の性器の結び】において発生するとなります。私はセックスの性器が【心が生きる器】となっていることを不思議と思っていましたが、そこに重大な意味が秘められていることを知りました。
セックスの【性】は、何故に【生きる心】なのか?
この世には、この世に住む者達が創ったこの世のルールとしての【自治権】は存在します。言うなれば島流しに遭った者達がその島流しの世界で生きるが為の住む人間のルールです。だがこの世に住む人達が創った人としてのルールは、神が定めた魂の世界のルールにはならないのです。何故ならばこの世とは魂が天人(神)と成る為の修業の場で、スピリチュアルが説く何をしても許される世界では無いからです。
結婚とは、異なった魂の結びで新たな【命】を生む
この日本においてスピリチュアル界の大御所と自認されている霊能者江原啓之さんとその師匠と言われている三輪明宏さんは【魂は中性】式の発言をなされていますが、神様と呼ばれている神霊を見た時、同一の神が男で世に出て来たり女で世に出て来たりと【性を変える】は神霊の御代をされた方達は誰も見ていないはずなのです。そこには魂には元々【陰陽】があるからです。
神の世界の結婚とは、火(か)と水(み)の結魂で有り
人間界の同性同士の結婚を認めろは、神に対しての冒涜
大本教と呼ばれる宗教が出たことで【人は霊(ひ)止(と)】であると解って来ました。【この世は天人の苗床】。人の魂は天人と成るまで【輪廻転生】の中にあると、日本語は言葉の仕組みで解るようになっていました。
しかし【この世は天人と成る為の苗床】説とは真逆のこの世は魂の刑務所説もあります。この世に人として降りて来るのは天人としての資格を未だ貰えていない【未熟な魂】の者達。カルマを残している為にその借銭の払いが未だ残っている者達。人は自己の魂を穢していることで、魂の【更生の為に後世の世に甦(更生)る。】をしているなのです。それは一種の【刑】であることから、人は神の姿の人形(ひとがた)でもあるのです。
鳥居の开の【刑】や【形】。そして【型】の演技
ただこうした日本語による言葉の意味は、私は鍾馗神の案内で中国で創造神とも天子ともされている【盤古大神】に拝謁し、その盤古大神が何者かを知りたくて読んだ大本教霊界物語にその盤古大神から日本の国祖大神国常立尊様に神政奉還の文面があり、出口王仁三郎聖師と思われる霊が私の家の浴室の前に【漢字】と書かれた浴衣姿で出て来られたことから、この日本語の言葉の仕組みの解読には中国の【漢字】が必要だと解って来たであって、単に物事の表面しか見ない人には受け入れられないでしょう。
私にしても幼い子供の時、旧約聖書の神と称する声から【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国で有り。そなたはこの日本でこの神の仕組みを学びなさい。】の命令を受けていなければ、大本教神諭に書かれた日本人の魂は世界の人民の魂より上の魂で、言葉もそうであるぞよがなければ解らないことでした。
性同一障害は魂には前世があることを証明する事柄であり、この世に降りて来る魂は基本として一つの肉体に一つの魂なのですが、その一つの肉体に複数の魂が宿っているがあります。何故にそのようなことが起きるのかとなった時、そこに【神罰】と呼ばれる事柄があります。神が神罰として、一つの肉体に複数の魂を閉じ込めてしまうです。その神とは神社や仏閣に鎮まる霊では無く、もっと上の世界の神と言えます。神社に鎮まる御神霊ではそれを解除することも出来ないからです。
個々の魂は、この世での命を終えるまでその肉体から自分の力で脱却は出来ないのです。自分が意図しなかった肉体に生きなければならないのです。本当の神とは、神社や仏閣に鎮まるではないのです。万物の命を生み出した存在です。この世の神社や仏閣に鎮まる神霊とは、この世に人として出た過去を持つ霊が多いなのです。この宇宙は別に伊勢神宮に鎮まる神が創った物では無いのです。
稀に神罰として、一つの肉体に複数の魂が宿るがある
霊学の世界では性同一障害は神罰から起きるとする説が有力でした。男の心を持った魂が女の肉体を自分が選ぶか?。女の心を持った魂が男の肉体を選ぶか?。そこに一つの肉体に複数の魂が宿る事柄は神罰からだと解って来ますと、心の性と肉体の性を異にするのも神罰の一種と解って来ます。そこに人には誰しも前世があるともなります。
かって著名な占い師としてその名を馳せた細木数子さんは、日本における性転換手術の一号者として知られるカルーセル麻紀さんが性転換手術を受けようとされていた時、そんな手術を受ければ地獄に墜ちると言っておられましたが、そこには神罰と呼ばれることがあるなのです。今生を我慢すれば、次に出て来る世では本来の性に戻して貰える。そこにはこの世はどういう世界で在るかの認識が必要なのです。
が、その我慢が出来ずに【刹那心】に溺れて自分の魂を殺すに走るです。刹那心に溺れることは恐ろしいのです。そこに刹那の【刹】と【殺(ころす)】の【殺】は同類の漢字が入って来るなのです。
人はこの世に降りて来て自由にならない背景にカルマ
この世は天人の苗床として創られた世界ですが、もう天人世界に上がれる人の数は減り。この世は人が神として成長する目的を完全に失いつつあります。
今はこの世と霊界でも【中有界】と呼ばれる霊世界との往復で、人類は創造神とは【遊離状態】と言えます。
創造神が姿を隠してまで、この世を残す意義は失われた
大本教から創造神は【引退状態】にあることから【艮(ウシトラ)金神】の名で地上神界の主宰神の座に復帰の予告がなされました。
しかし創造神と呼ばれる神がどこにも見当たらないことから、巷には自分が創造神だと称する神霊も現れるです。それにしてはそうした神霊の霊力はあまりにも弱く。それでそれらはニセ神と判断が出来るのですが、為に世に出ている神々や人類は創造神と呼ばれる神の力を【甘く】考えてしまっています。
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、私は人としての【心の持ち方】に関して教えを受けていました。
子供で在った私が受けたのは、心と呼ばれる存在
私が神と呼ばれている存在に対して幼い頃から持つ感覚は、死後の世界で自分が安心して暮らせる地位を貰える【安心立命】ではありません。私は自分が犯した罪は自分が支払う。それは絶対原理として、旧約聖書の神と名乗る存在から教えられずとも知っていました。神を信じるから自分は免罪符を受けるではありません。で、自分の罪で自分が地獄に落とされるならば、その命に従って地獄に行きます。
そして自分は稲荷神界で修業の世話になったことから体験した事柄として、この世で神信仰することで受ける【現世御利益】信仰もしていません。神社や仏閣に参拝すると、そこに鎮座される御神霊には御苦労様ですと感謝の意を述べますが願い事はしません。私はこの世は自分の魂を磨く場所と心得ており、何が本当なのか?。ただ【真理】を知りたかったと言えます。
私は神霊界修行の中で、ヒンズー教の奥義書ヴェーダ典に記載されているとされる【人の中に眠るコブラ(眼鏡)蛇が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める。】を自分が霊的体験をして、その時にお釈迦様は真理に到達されたがイエスは真理には到達しなかったの意識が働き、お釈迦様の教えとイエスの教えの違いに【真理】が隠れていると、その両者の教えの差に目を向けたと言えます。
だが自分が神霊世界に関わって解ったことは、神々の世界とは誰も【真理】など求めてはいない。そこにあるのは【真理】を求めるのでは無く。勝てば官軍。負ければ賊軍で、真理よりも霊力の示しだけ。霊界の覇権を握った神が絶対式論理なのです。
霊界は、神霊と呼ばれる存在でも完全に説明が出来ない
その中でどれほど真実に迫れるのか!。未知(道)を学ぶ
私が住む綾部という町は大本教と呼ばれる宗教が発祥した町で、その大本教から日本における世紀の大予言者と呼ばれた出口王仁三郎聖師が出られました。大正時代に今の様なスマホの時代の予言すらしたです。私はその出口王仁三郎聖師と思われる霊に三度出合い、その中で【漢字】の仕組みを示唆されたと言えます。実際に神霊世界に関わると【金文字】と呼ばれる光の漢字が出て来るです。それは漢字が【象形文字】であることから起きます。別にそこにはミミズがのたうち回ったような文字の必要はないのです。
漢字は象形文字で、象形は形で【感じ】を捉えれば良い
その大本教の大本教神諭には【この神は病気治しの神では無く、心の立替え立直しの神】とあります。それまでの神とは、自分を神と信仰する者には天国に案内すると言う【安心立命】や、今の世を生きるにあたっての【現世御利益】を授けるが主体で、その現世御利益の中に【病気治し】が入っていました。そして病気治しをする神が宗教の世界で力を持ったなのです。
日本で病気治し力を発揮する存在は黒龍神等と呼ばれる
龍神の存在を認識しないで、神の世界を語るのは難しい
巷の霊能者で自分が創造神です。自分が救世主です。そうしたことを言われる方達はそれなりにおられます。そのどなたもスピリチュアル標榜者では持たない霊力を保持しておられ、それなりの奇蹟力の示しもあります。その奇蹟力が強いと病気治しが出来て大教団になります。
しかしそこに大教団だからと言って、霊界の【真理】が語れないがあるのです。
明治25年に丹波の片田舎の綾部町で発祥した大本教の神諭に【ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にする仕組み。】があります。この泥海とは霊的な【ヘドロ(泥土)の海】と言えます。一部の霊能力者の人達がその霊的ヘドロの海の浄化に従事されていましたが、あまりにも少数派で焼け石に水と言えます。霊的には霊界のヘドロ(泥土)化はどんどん悪化するのみです。
霊界のヘドロの浄化に働いても、誰も一銭の金もくれない
その代価の払いは創造神、が誰もその存在を見掛けない
大多数のスピリチュアル標榜の人達はこの世は遊ぶ処です。何をしても神の愛で赦されるのです。あるがままでいいのです。そうした発信をされています。そしてスピリチュアルは金儲けになりますよです。セミナーに大金を払っても、直ぐに取り戻せますよです。スピリチュアルでは、ほとんどの方が霊的世界の汚れの無償清掃を説いておられません。されている方は一部の方でしょう。
神社に参拝して祝詞の祓戸(はらえど)の大神とされる瀬織津比?(せおりつひめ)、速開都比?(はやあきつひめ)、気吹戸主(いぶきどぬし)、速佐須良比?(はやさすらひめ)と唱えたからと言って、ヘドロと化している霊界の海は何の解消も出来ないのです。
天理教と呼ばれる宗教が起きた時、そこに【泥海古記(どろうみこうき)】と呼ばれる物が出されました。それだけを見ているとその内容は珍説程度にしか思えません。それをもって天理教は邪教だと主張される方も世にあります。まして泥鰌が出て来て今日は!では、この世しか見ていない人にはおかしな宗教だと思えますが、日本語の【泥鰌と土壌】の言葉が連動している事柄が見えていないなのです。天理教も大本教と同様に日本語による言葉の変換がなされているのです。
私も最初、天理教の泥鰌が出て来て今日は式の内容に驚きましたが、宇宙の初発のヘドロの様な状態を凝り固めたのは創造に関わった神達なのです。その時、世に言う神々はどの様な姿であったか?。
霊的世界を語るならば、鰻(慢心)や鯰(念)を知る
何故に泥鰌の【鰌】に、【尊を意味する酋】がある?
大本教神諭のユダヤの悪鬼がこの世を泥海にする仕組み。霊世界の【ヘドロの海】の存在を確認すると、大本教神諭と天理教のお筆先には何か関連があると解って来ます。
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中世キリスト教社会においてはイエスと同様に神を語ったならば、魔女等の烙印を押されて火炙りの刑に処せられました。そこには牧師と呼ばれる者達の概念には、神と呼ばれる存在の認識はあっても霊魂と呼ばれる存在に対してはあまりにも無知がありました。
キリスト教徒やイスラム教徒には魂の存在の教えが無い
魂論が無いと、輪廻転生やカルマの原則が見えて来ない
私は死後の世界(霊界)で生きる【玉型の思惟(恣意)】から、それが【魂(玉思惟)】と呼ばれる【意識体】であると同時に、玉(球体)であればそこには必ず【心棒(軸)】が存在し、その心棒が日本では神柱とする【神を柱と呼ぶ存在】で有り。その心棒を改めるが【杭改め(悔い改め)】であると理解させました。ただそこには日本語の言葉でないと気付けないようになっている謎があったなのです。
日本語でないと、魂が解らない仕組みが存在している
人の魂には【核】と呼ばれる部分が有り。それは日本神道界では【直霊】と呼ばれる天帝の分魂で人の良心を司る働きであったことから、イエス一人だけが主の御子などは間違った論理で、大本教が世に告げた【人は神の子・神の宮】であると解って来ました。
そして聖書で語られる【神は言葉】とは【言霊】と呼ばれる事柄に有り、大本教から出された九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)を紐解くならば、そこに【56億7千万】の仕組みで成り立つ【みろく大神】の意味が紐解けることを知りました。そしてお釈迦様の本当の悟りが【人には良心と呼ばれる神が内在している。】であったと解った時、日本語という言葉でないと説明は出来ない事柄になりますが、とんでもない仕組みをしている神の存在に気付いたと言えます。
世にはその存在を悪魔や悪神と平気で言う人達が多数いる鬼門の金神。それは何を語っているか?。です。キリスト教においては冥府の長官をサタン(悪魔)とする教義もありますが、魂の輪廻転生とこの世との関係がほとんど説かれていないにぶつかるなのです。
56億7千万のみろく(369)大神等、誰が考えた?
祇園精舎の牛頭天王牛虎金神でモーゼが浮かび上がる
私は霊能者と呼べるような霊能力者ではありませんが、子供の頃は旧約聖書の神と称する声から【人の心の在り方】に関して教えを受けて来ました。昭和五十五年に私の身に直接起きた出来事から伏見稲荷山で稲荷神界を通じて霊世界の一端を学び、次に【言霊】と呼ばれる世界に転じました。伏見稲荷山においては神霊と呼ばれる存在から信仰をすれば【現世御利益】を知ることは出来ますが、稲荷信仰をしていても神とは何ぞや?。霊魂とは何ぞや?。そうした事柄には辿り付けません。
その言霊の世界で見た事柄は、私のそれまでの【神観】を百八十度変えてしまいました。吹っ飛ばしたと言えます。まさに神は言葉なりを知る物だったのです。私がそれまで思っていた神と呼ばれる存在は、既存の宗教の神の考え方でした。それをまったく別の存在と捉えさせたなのです。イエスにしてもマホメットにしても、言霊とは何かをまったく理解をしていなかったなのです。
言霊と呼ばれる事柄を世に出した大本教の出口王仁三郎聖師は霊界にミカエルと言う名の天使長は存在していないと述べておられますが、なまじ霊能力が有るとミカエルとかガブリエルと称して出て来る霊の言葉に騙されるなのです。
その中で霊界の全ての神々とはいきませんが、鍾馗神の案内で中国で創造神ともされる盤古大神に拝謁して、その盤古大神とは何者かを知りたくて大本教霊界物語を読んだと言えます。そして伊勢神宮に鎮座される天照皇大御神と名乗る女神ではなくて男神の存在。出雲の大国主命や大黒天として出て来る存在。そうした神霊達を通じて、神霊世界の一端を垣間見て来ました。
私はスピリチュアル標榜者でも、その方の元に天照大御神と称する霊や天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する霊がその霊能力が有る方の前に臨むを見て来ました。自分の前に天使長ミカエルや大天使ガブリエルと称する霊が現れるの主張そのものは嘘では無いなのです。だがその人の前に現れた霊が本物かとなった時、そこに本物か似せ者かの論議が起きて来るなのです。
例えば日本の神社でそこに出て来る御神霊に出合って何か言葉を掛けられたとして、その神霊が告げてくれる内容に神霊世界のメカニズムが語られるかとなった時、どこにもありません。そのほとんどが当り障りの無い内容なのです。出て来た神霊や天使と称する霊の言葉を聞いていれば、そうしたことに気付けるはずなのです。その言葉に疑問を持って例え尋ねても、それに答えてくれる神霊は皆無と言えます。何故ならば彼等も霊界のメカニズムはよく解っていないからです。
大本教神諭にこの神(ウシトラ金神国常立尊)が世に出ている神々を誑かして使って来たとありますが、霊能力者が出合う御神霊を通して霊界のメカニズムが解らないにぶつかるのです。
わらわは天照大御神なるぞと名乗る霊に入神された霊媒者のお尻を見ると、そこに大きな尻尾が見えていたりします。この日本で関わる神霊世界とは蛇霊や狐霊の世界と言われていますが、それはこの世で蛇や狐の身であったではないのです。そこには【言】の働きによる【身変える】の存在があるなのです。
個々の魂を蛇や狐や狸や猫神の姿に変える【身変える】
地獄の獄の字は、何故に獣の真ん中に【言】がある?
自分に霊能力があれば日本の神社に参拝して、そこに出て来る神霊と会話することが可能です。私の場合、神社に参拝してもそこに御神霊が姿を見せて来られるはまずありません。それは私の霊能力の問題もありますが、私の魂の本体の存在が神々にとっては怖いがあります。それは私は審神(サニワ)者として、その神霊の正体を見抜くがあるからです。為に私の前に出て来る神霊が名乗る名前にビビるは無いなのです。
私は自分が審神(サニワ)者として修業をしたことから解ったのですが、霊達は私の言葉の波動に恐れおののくです。一部の霊能者はそれは私の魂が存在する【次元界】が関係していると言われます。私の魂が所属する次元界が高い為に、その次元界の格の波動に恐れおののくがあるのです。
霊界の波動の存在から、霊界には次元が在ると解る
私は審神(サニワ)修業の中で、自分の大伯父が霊界でどのような世界に入ったのかその大伯父が住んで居た地域の氏神様に問い合わせたところ、その大伯父は生前はその氏神社に石の大鳥居を寄進するほどの功績が有り。その氏神社を預かる神霊が自分などは行くことが出来ない高い次元の霊界に進まれたので、詳しいことが解りませんと言う霊界の段階まで進んでいました。
その大伯父を呼び出して霊媒者を通して話を聞いたところ、龍船と呼ばれる霊界の船で高い霊界に入ったと解りました。後に私は豊受姫からその【龍船】の存在を見せられて、大伯父の【龍宮城】と呼ばれる霊世界へ船で入ったは嘘ではないと解りました。
霊能力を持っておられる方が神社に参拝してその神社に鎮まる神霊と会話をされる。そうした事柄は嘘で無いのですが、そこに霊界の【構図】の説明がほとんどなされていないがあります。
神社や仏閣に鎮座して居る霊に神霊世界が語れない?
霊界を語る人達の中では【天使の記章】と呼ばれる事柄が言われます。それは天使と称する霊達には軍隊の階級の様な【階級】が有るなのです。日本神話の天の岩戸開けの岩戸の意味は、岡本天明師の日月(ひふみ)神示で一八十の階級の意味だと出されたように、
神霊や天使の階級には、百八十の階級が在るとされる
日本でその階級を意味したのが天の岩戸(一八十)開け
日本の一部の霊能者の中には自分は百三十次元の者だと発信されて居る方がありますが、その百三十段などは日本神話の天の岩戸開けに秘められた【一八十】段のなかで、自分は百三十段目の位に在ると主張されているなのです。ただそれは神霊の位を意味するのですが、通常は神界を神の高山ピラミッドと見做して十合目(十次元)を最高神として判断するがあるのです。
霊界の次元を数学的次元で説明される方もありますが、神の高山ピラミッドで説明する法が理解しやすいがあります。自分の前に出て来た霊が自分は天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称しているからその言葉を信じるではなく、その霊が持つ天使の階級章でその霊の霊界での地位をしっかり確認するが重要となるなのです。
天の岩戸開けとは、全ての霊の霊界における位置決め
日本神話の【天の岩戸開け】は、全霊世界の魂の位置を永久に固定させるです。これまでは人の魂は【輪廻転生】を通じて霊界の地位を上げて行くが主眼にありました。為に霊界でも高い地位にあった魂が霊界での地位を更に上げようとすれば、この世に出て来なければならないがあったのです。
魂に九十点が出れば、輪廻転生から【卆業】となる
神霊世界における魂の格付けとして、その天の岩戸の【一(イ)八(ハ)十(ト)】で現すとか高い山を合目で言うことから、その合目を神の高山ピラミッドの合目(次元ともする)説で言うがありました。
この神の高山ピラミッド説を知らないと、巷で自分は素戔嗚尊の魂で七次元格で救世主と称する方がそれなりに出た意味すら解らないのです。
神の高山ピラミッド説では、
その霊が所属する次元格より上の世界は見えない
神霊と呼ばれても、上の霊世界は見えない語れない
為に高い次元格の魂を持った存在が世に降りないと、霊界の高い世界に存在する神霊のことが語れないがあるのです。その霊界で高い次元格の霊とされてきたのがお釈迦様やイエスやモーゼや孔子とされて来た人なのです。そして日本では大本教の出口王仁三郎聖師や弘法大師がそうした高次元界の魂の存在と言われて来たなのです。
神の高山説を語る霊能者の間では、お釈迦様やイエスや出口王仁三郎聖師はその高山の合目説で【八合目(八次元)】とする説が多く、そこに幸福の科学の総裁の大川隆法氏は自分はお釈迦様とイエスとモーゼの三体を出した本体で最高仏、自分は九次元界の魂だと主張されたがあります。もしその神の高山ピラミッド説の【八合目】を理解していなければ、自分は九次元界の魂だと呼称もされなかったでしょう。それが本物かニセ者かの論議では無く、どうしてそうした名乗をする者が世に出て来るのか?。その背景を知るでないと、そうした者が出て来た意味すら解らないのです。
巷には多くの自称救世主と名乗る方が出ましたが、そうした方達の自称次元界は【七次元界】が多いと言えます。それは一つに悪魔と呼ばれる存在が六次元界まで存在しているがあります。単に霊界と関わるは四次元界とされる世界での話で有り。四次元界スピリチュアルとも言われる段階です。六次元界とされる悪魔の存在に打ち勝てるではないのです。修業を積まないで霊が見えるだけで直感だ!。直感だでスピリチュアルに走っていると悪神達の餌食となるなのです。
自分の第六感に頼るは、第六天魔から逃げられない
私個人の見解にはなりますが、お釈迦様は八合目ではなく九合目に到達されたことによって、自分は二度とこの世には降りて来ないと言われたと見ています。イエスは八次元には到達していなかったのではないかと感じています。その一歩手前の段階で、7.9とか7.8の段階です。
しかしイエスが神社や仏閣に鎮まる神霊よりも高い格の霊だと言われているのは、神社や仏閣に鎮まる段階の霊は人々が思っているほど霊界での地位が高く無いからと言えます。為に神社や仏閣に鎮まる霊に霊界の構図を聞いても、それに答えて貰えないとなります。巷で自称救世主と名乗る方達に自分は七次元界出身呼称が多いのも、神社等に鎮まる御神霊には五次元格とか六次元格の方が多いからと推察が出来るなのです。
私は子供の頃に旧約聖書の神と名乗る声からイエスやマホメットや弘法大師の神界における位を聞かされており、霊能者の間でもマホメットや弘法大師は神の高山の七次元界とする説があります。
幸福の科学の大川隆法氏のモーゼが神界においてお釈迦様やイエスと同じ階級の主張は世間的には解りにくいのですが、大本教霊界物語ではモーゼは日本の神名で【天道別命(あまじわけのみこと)】と呼ばれる存在だと既述されました。国常立尊(牛頭天王)の長男たる存在です。
ミケランジェロの有名なモーゼ像の彫刻の頭上に角があることは有名な話ですが、モーゼは牛頭天王と同じ【牛頭】の主として知られているわけです。私も自分の霊姿の中には【牛頭】の姿があることは霊界修業の過程で知りました。その牛の角は【宇志】を意味するのです。
神の牛頭の姿とは悪魔で無く、牛に【宇志】を秘めた!
それが大本教から出された艮(ウシトラ)には【牛虎】があるぞよであり。大本教神諭に綾部の殿様九鬼(くかみ)氏との関係とある九鬼神道で宇宙元津神の【宇志採羅】で、牛は【宇志】の意味となっているなのです。
祇園精舎の牛頭天王とモーゼ?、モーゼは主の御子?
私はこれまで幾人かの霊能力者の方から、【貴方の前世はモーゼでは無いのか?。】の質問を受けました。私は旧約聖書の神と称する声からそなたの前世は悲劇の武将と聞かされており、自分の前世にモーゼは無いはずなので否定をしましたが、どうしてそうしたことを聞くのかと尋ねると【貴方の背後にモーゼの姿が見える。】と言われます。
豊受姫や7〜8名の霊能者から貴方の本守護神は国常立尊様ですよと言われたことや、大本教からウシトラ(牛虎)金神国常立尊が世に出され、祇園精舎の守護神牛頭天王とモーゼには深い関係があると解って来たと言えます。
今から数千年前に出たモーゼは大本教から日本の神名で【天道別命(あまじわけのみこと)】と出されたのですが、私には天道を別ける天道別命の役目では無く、私の役目は【天路別命(あまじわけのみこと)】との漢字が出て来ました。道と路の違いです。道は物流の大動脈を指しますが、路は細い道を指します。天神様の細道と呼ばれる方の道です。
モーゼの役割とは、天路を別にさせる【右左岐】の案内
天道と天路に関しては私の2018年6月22日のブログに記述していますが、それから約5年。私の前に霊能力者の方達が私の背後に見えると言われた【モーゼ】と思われる存在が私にも初めて見えました。無論それが今から三千年以上も昔に出たとされる本当のモーゼなのかは、何の証拠も無い話です。
私は大本教神諭の九つ花に咲く一輪の言霊の経緯を解読して説いて来ましたが、大本教霊界物語には一輪の言霊ではなくて【一厘の仕組み(秘密)】が出て来ます。その一厘の仕組みとは大本教霊界物語では【シナイ山に埋められた神宝】とされています。仮にそんな神宝が有ったとしても取り出せる様な物ではありません。そのシナイ山に埋められた一厘の神宝とは何なのかと考えていたら、モーゼらしき人物像が浮かび上がって来たなのです。
旧約の神とモーゼの契約は、その神だけを唯一神とする
モーゼの役割とは、ユダヤ人をエジプトから脱出させて紅海を割って【カナン】の地に赴かせるが神の型としてあったのですが、私にそのカナンの地とは中近東のカナンと呼ばれる地方のことではなくて、本当の【天国界】のことであると出たのです。私が受けたのはこの地球上の天国界ではなく、新地球と呼ばれる高次元世界に存在すると言われている世界の話なのです。
カナンの地とはこの地球上で無くて、本当の天国界!
エデンの園から追放された人類が帰る世界がカナンの地
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スピリチュアル標榜者の多くに見られるのは【神は愛だから何をしても赦される】等の論理では、人の魂はこの世に何をしに降りて来ているのか?。さっぱり解らないと言えます。仏教で説かれた【輪廻転生】の【転生】に含まれる意味が解って来ません。実際に霊界を歩いたら、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊と呼ばれる神々に出会う。それではその意味が解けないのです。
この世は各自の魂の過去の因果からの必定が起きる。仏教はそれを【縁起】と説きました。縁起は演技となり【神の舞台】もこの世の舞台も演じられるです。想像に創造。縁起に演技等、言葉で神が教える意味を知ることが出来るのが日本語の特徴なのですが、誰がそうした仕組みを長年に渡ってして来たのか?。日本人は大本教と呼ばれる宗教が起きる迄、そうした言葉の不思議すら知らなかったなのです。
この世の出来事は、過去世の縁起から起きるプログラム
個々の魂が自分でプログラム(計画書)を書いて来た?
お釈迦様は人は何故にこの世に生まれて来るのだろうか?。死ぬのだろうか?。そうした疑問から修業に入られて、仏教と呼ばれる教えを開かれたと言えます。
仏教では魂の存在を語り、その魂は【輪廻転生】しているとしました。この世で自分に起きる出来事は各自の魂の過去の行いが【縁起】となって現れるで、そこに【因果応報】が説かれました。されど因果応報の言葉よりも【業(カルマ)】と言った方が解りやすいはあります。
旧約聖書は
人は自分が蒔いた悪の種の果実は自分で刈り取りなさい
旧約聖書のこの内容は、カルマが解っている霊能者であれば【正負の原則】として捉えます。神は愛だから何をしても赦されるなどは存在していないのです。その人として出た時の世において処理出来なかった【負の因】は次の世に引き継がれるのです。
仏教の三時の教えは
自分が積んだ業は、過去・現世・来世の三世で支払う
神は愛だから何をしても赦されると説くスピリチュアル標榜者でない霊能力者であれば、この世ではカルマ(業)の原則から逃げられないが解ります。
人は過去世で犯した業(カルマ)で、自分が苦しむです
日本の芝居等では【親の因果が子に報い。】が言われて来ました。確かにどの家系にも家系の【因果】と呼ばれる物が存在し、その家系の【因果】が子孫に吹き出しているがあります。そこには魂はこの世に出るに当たって、どこかの家系のお世話にならないと生れ出られません。その家系に業(カルマ)がうごめいていると見えても、その家系からしか出ざる得ないがあります。
そうなりますと、スピリチュアルの自分で計画(プログラム)して、自分の業(カルマ)の解消の為に自分でブログラム(計画)しているのかと?。となります。スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と叫んでいる人達は非常に思惟(如来の考察)の底が浅いがあるのです。
それでは仏教が説く【縁起】によって、この世の舞台が【演技】されているが解らなくなるのです。霊界でいくらこの世に生れ出たら自分はこうしようと計画していても、実際にこの世に出て来ると他者の計画とぶつかるもあって自分の計画通りにはなりません。誰もがこの世に出る時には自分なりの【計画書】を持っていても、この世は自分一人で生きる世界とは違っていますので自分の思い通りには成らないのです。必ず他の人の計画(プログラム)と自分の計画(プログラム)はぶつかるからです。
神霊世界を見聞すると、勝てば官軍。負ければ賊軍の論理
そこに在るのは【何が正しいか?】ではなく、まず勝つことが第一義なのです。その様な勝てば官軍、負ければ賊軍の様な考え方が横行したのは、そこに大本教から出された国常立尊は創造神でありながら蛇霊の囁きに毒された神々の多数決による地上主催神の座からの追放劇があったなのです。私は鍾馗神の御案内でその地上神界の主宰神の座を襲った盤古大神に拝謁したことから、そうした経緯が解って来たと言えます。
大本教から露国の悪神が盛んに出されましたが、露国(ロシア)とか現代の中国を支配する霊世界の存在を見るならば、そこに人類愛とか平和主義の考え方は存在しないのです。有るのは力によって世界を支配する考え方だけなのです。為にその戦いは容赦をして来ません。いざとなれば核弾頭の使用もするでしょう。
自分の計画を押し通す為には、他人の計画は排除する
この世で不満だらけの人は、自分の計画通りにならない
この地球上の世とは【三次元世界】と呼ばれる低次元の世界で、宇宙からすると高次元世界に在るのでは無いとされています。だがこの地球に降り立ってしまうと、その三次元の世界だけが唯一の世界だと思い込んでしまいます。そうなると人は死ねば誰でも行く【四(死)次元】界以上の世界が在るとは思いもしないとなります。
私は自分の肉体から自己の魂が俗に言う【幽体離脱】を起し、天人世界や神々の世界の一部なりを垣間見ました。この世に肉体を持って生きる霊達。今は神社仏閣に鎮まるが、かっては人としてこの世に在った神霊と呼ばれている人達。生きるという存在。命と呼ばれる存在。それらは何かと考えた行先に【神】と呼ばれる存在。そして【創造神】と呼ばれる神の存在の確信に至って来たと言えます。
そうした中において、自分が生れ出る家には自分と過去からの縁があったり、肉体の自分の親と成ってくれる魂とは過去からの縁があってその家から生れ出る。が、その家系には蓄積されている過去からの因縁たる【カルマ】が在り、そのカルマを消す(支払う)為に自分の身体を犠牲にして生れ出るもあります。
どうして私がそうしたことを知るのかと言うと、私はスピリチュアルでは無く、審神(サニワ)と呼ばれる分野から霊界修行を積んで来たことから解って来たと言えます。もしもスピリチュアルに走っていると、低次元の霊世界しか解らないを引き起こしていたなのです。スピリチュアルに走ると五次元界と呼ばれる霊世界が関の山なのです。一つの出来事でもそこから多くの事柄を学べないとなります。
神は愛だと叫ぶだけでは、高次元界が見えて来ない
大本教神諭に【一を聞いて十を知る様な者でないと、神界の御用には使えない。】とありますが、神霊世界に入ったならばあれやこれやと親切丁寧に導いてくれる様な御神霊など、どこにも存在して来ません。
例えばある悪党。その魂は黒龍神で元来はその魂は神界にありました。しかし神界で積んだ悪業(悪のカルマ)が元で、その魂は本来の神界を追放されて黒龍神界に墜された。そして人間界と黒龍神界の往復で、人間界に生まれ変わる都度悪業を積んでいたがあります。
仏教で説かれる閻魔庁とは、別に悪神や悪人達の悪を取り締まっている役所では無いのです。閻魔庁の別名は【羅城】とも言われていますが、羅には【死者の世界から再生】の意味が秘められ、その羅城門を【来世門】と言う様に人としてこの世に出た魂に、その門を通ると次の世にも【人として生まれ出る事を約束】する役所です。
大本教のウシトラ金神は【宇志採羅】で宇志は羅を採用
来世の羅城門の門番を【鬼と云う】で、勘違いが起きた
鬼と云うの魂で、出口王仁三郎聖師は【魂の核は仁】王
食物の種を植えると芽を出して葉を茂らせて果実が出来ます。その果実には種が有って、種が有るから次の世に生きる。それらの流れは【転生】を語るのですが、その種の中には【仁】と呼ばれる物が存在して来ます。私達の魂も核に【仁】と呼ばれる物を持つのです。よく知られるのは【梅の種の中には天神(仁)様が眠っている。】の言葉です。大本教から大宣伝された【三千世界、一度に開く梅の花。散りて実を結ぶ。】なのですが、そこに梅の種の中の天神様を知る必要がありました。その仁とは【天道の発想】とします。君主が持つ【心】です。仁はスピリチュアルが叫ぶ【愛】とは違います。
古来の日本神道では魂は【一霊四魂】と呼ばれる構造で成り立っていると考え、その一霊を【直霊】と呼び、天帝の【分魂】とします。動物の魂は四魂のみで有り、人としてこの世に出る魂だけにその直霊が付与されることから【人は神の子・神の宮】の立場となります。そこにはイエス一人だけが神の御子などの説は存在して来ません。
キリスト教徒は第一天国界には進めないが発生したなのです。愛だけに働いて、疑問という門を叩かなかったからです。そして人には人種を問わずに良心の働きである天帝の【分魂】が付与されているにも関わらず、人の子で在るイエスを天帝を意味する神と仰いでしまったなのです。
イエスは人類の為に犠牲などには成ってはいないのです。何故ならば人の良心は、他人の良心を食べることをしないからです。
人の魂の核の働きを日本神道では【良心】の働きとした
もし閻魔庁が霊界で悪神を取り締まる機関であれば、悪神達を取り締まろうとすると【神界戦争】を起こす覚悟が必要です。神界戦争ともなれば、それはもう閻魔庁の管轄ではありません。世間が節分で炒豆を打つ鬼で龍の軍団と戦えるではないからです。
正神界も邪神界も戦争は避ける。火の粉を祓う程度
霊は居心地が良い場所が天国で、人の判断では無い
力の弱い者を苛めて、その力の弱い者が泣いている姿を見て喜んでいる霊は、そうした弱い霊をさらって奴隷とする。自分の慰み物にする。その苛まされる自分を救ってくれる神霊が神霊界に有るのかとなりますと、その霊の為に自分の命を賭けてまで戦ってくれる存在は簡単には見付からないとなるのです。
今の神霊界は【義】を持って戦う神は皆無に等しい
私はある霊能者から救いを要請されました。その霊能者は私がある自称救世主は救世主ではないと告げているにも関わらず、その方は救世主だと信じて、そのニセ救世主の霊団に捕らわれてしまったのです。
その霊能者の方は霊能者として活動されているのでそれなりの霊力はありましたが、如何せん相手は自称救世主と呼称するだけあって、その背後は六次元界の黒龍神達が存在し、とてもその方の霊力で戦って逃げられる相手ではありません。またその霊能者の背後に在る守護霊団には、その自称救世主の背後霊団から逃げられるだけの神力はありませんでした。
霊界では自己に巨大な守護霊団が無いと逃げられない
その自称救世主の教団信徒達はその六次元界黒龍神が出す【火を太陽】と錯覚して、光と呼ばれる物に騙されているなのです。私は霊光は【火が燃える】と出る物であると忠告しています。その存在が光を見せたからと言って、それだけでその背後の神霊を正神と判断するのは間違いの元なのです。
自称救世主を信じると、その背後霊団の餌食になる
人は愛を言っている者を狼(良を獣)と気付かない
私は霊界の天軍を動かす統帥権を持ちませんので、助けてあげたくても助けるだけの霊力がありません。そこで神界でも仏界でもその自称救世主からその霊能者を助けて下さる神仏があるならば助けてやってくださいとお願いしておいたところ、幸いに仏界のある神将霊が私の願いを聞いて、その自称救世主と談判をして、戦いを辞さないと迫ってくれたことでその霊能者と手を切らせることが出来ました。神社や仏閣に参拝したとしても、そうした神社や仏閣に鎮まる神霊が戦ってまで貴方を助けるではありません。
その霊能者の方は神仏の世界は見える方ですが、その方の為に自分の命を賭してまでして助けてやろうとされる神霊は存在していなかったなのです。
では何故にその仏界の神将霊は私の頼みに応じて戦いを辞さずと強硬に行かれたのかと言うと、その仏界の神将霊は私が本当は何者かを理解されており、私の為にその願いを聞き届けて下さったなのです。その霊能者の為では無く、私に恩義を売られたわけです。それは私が元の神界に帰った時には【出世払い】として、私がその神将に対して対価を支払うなのです。私はこの霊能者の方には【恩義】があるので、その御礼の為でもあるなのです。
神仏の世界も何のメリットも無ければ誰も動かない
スピリチュアルは金儲けになるがうたい文句の様に言われていますが、自分の身に何か困ったことがあって神仏の世界に関わっている方に頼みに行ったら、霊からの差障りの理由が告げられて何百万円の謝礼金を要求された。そうしたことは日常的に聞きます。
実際に差障りを起こしている霊を浄霊するともなれは、その霊が持つ【カルマ】をこちらの肉体に入れて浄霊する必要があり、こちらがその憑依霊の浄霊で寝込むがあります。時にはそうした霊の浄霊で死んだ霊能者も多数在るのです。自分の命に関わる様な事柄に無償で助けてくれる人とは【奇特】な人で有り、キリスト教の別名は【基督教】でも自分の罪を金で売り買いする【贖罪】を説くなのです。自分が積んだ罪が神の無償の愛で消されるは無いなのです。
その人に掛かっているカルマを贖罪で自分が受ける
私は未だ自分の霊界修業が未熟な当時に黒海黒龍神の浄霊で苦しみ失敗しました。今は浄霊力は付いて来ましたが大物の黒龍神の浄霊など数千万円、数億円積まれても断ります。命在っての物種があります。
霊能者の元に相談をしに行ったら体が楽になった。そうした人の霊は穢れが軽い段階の話で、霊媒体質者であれば金銭的な話ではなくて日常的にそうした霊の触りを知らず知らずに受けて浄化しています。その為に寝込む人が多いのですが、そのほとんどは自分が霊媒体質者とは知らないがあります。そこには一銭の射礼も受けていないがあります。
謝礼を受けずに霊を浄霊すると、自分の【徳】となる
スピリチュアル標榜で語る各自の魂は自分の計画書を持ってこの世に降りていると、仏教で説かれてきた自分が過去世で犯した罪の数々の償いが今の世で【必定の縁起】として現れるとは同じ事柄です。そこに特段の差異はありません。ただスピリチュアルは、この世に降りる魂には【過去の罪の償い。】が有ることを故意的に消している節があります。
この世で起きる出来事は、自分の過去に【種】がある
魂がこの世に降りて来るのは自己の魂の欠点を【更生】する為に【後世】に出るのであって、それを【自分でこの世での計画書(プログラム)を書いて出て来ている。】と説くと、内容的には完全に間違っているではありませんが、自己の前世における【カルマ】をまったく忘れられてしまうとなります。そうなりますと一部のスピリチュアル標榜者に見られる【この世は遊ぶ処です。】になって、死後は地獄界に落ちてしまいます。
大本教の出口王仁三郎聖師が大本教霊界物語に説かれた【天国に案内すると言いながら、地獄に案内している取次ばかり。】となるのです。そうなりますと、当然に【閻魔大王】の存在が解らないとなります。
スピリチュアル標榜では、【神は愛だから、何をしても赦されます。】が標準の様に成っていて、スピリチュアル標榜者が閻魔大王の存在を語る事はほとんどありません。ただ単に【鬼】と呼ばれる存在程度の感覚なのです。そんな鬼は節分の炒豆で【鬼は外】とぶつければよい程度の考え方と言えるでしょう。
スピリチュアルには【閻魔大王】の存在は見えない?
大本教から世の大立替えの宣伝に関して、【神が表に現れて、善と悪とに立て分ける。】と【この世の閻魔大王として現れる。】の宣伝が為されましたが、それ自体は未だこの世に出ていないのは確かです。ただその意味は人の魂の中には善と悪とを立て分ける良心の働きがあり。神は愛だから何をしても赦されると言っている人達が見る霊的世界とは、創造神と呼ばれる神が存在する世界とは別の世界に当たっているなのです。
大本教の神は宣伝ばかりで、実行力が無いの批判は出る
だが大本教と呼ばれる宗教が世に出て来なければ、イエスの誤った【愛の教え】の中に人類の多くは生き続けるとなります。キリスト教で悪魔とする【666】を【みろく大神】として打ち出した大本教。霊界には【ミカエル】という名の天使長などは存在していないと記した霊界物語。人類を長年に渡って欺し続けた存在。その背景には何があったのか?。
艮(牛虎)金神の言葉に秘めた謎の種明しと言えます
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その豊雲野尊や豊国姫は日本の神典を調べても、よく解らないと言えるでしょう。そもそもどこの神社に豊雲野尊や豊国姫が祭られているかとなるのです。記紀神話に名がある豊雲野尊は別としても豊国姫となると解らないとなります。そうした祭られた神社が無いと、その内容が事実かどうかを差し置いても、その神と呼ばれている存在の由緒的なことも解らないなのです。
聖書は【父なる神】を説きますが、【母なる神】の存在を語っていません。仏教においてはお釈迦様はこの世は【無から有を生じた】と説いておられます。科学的には無から有は絶対に生じません。されど霊界に存在するこの宇宙の初発の映像を見る限り、無から有を生じたとなるのです。その無から有を生じる霊界の映像を見ていると、そこに【母なる神】の存在が出て来ます。その霊界映像を見る限り母なる神は【豊雲野尊】の神名が相応しいのです。
肉体を持ったお釈迦様には母親が居て、肉体のイエスにもマリアと呼ばれる母が居た。母体と呼ばれる存在を抜きして、誰も誕生して来ない。
日本の記紀神話を見る限り、豊雲野尊の名は有っても性別的なことまでは書かれていません。その豊雲野尊を母なる神の存在として打出したのが大本教と言えます。その大本教の出口王仁三郎聖師は【国常立尊】の絵姿のみならず【豊雲野尊】の絵姿も出されました。
私達日本人はそうした父なる神、母なる神の存在として記紀神話で語られる【神世七代】目の伊弉諾(イザナギ)尊を父なる神と見做し、伊弉冉(イザナミ)尊を母なる神と見做して来ました。そしてそこに【国生み】神話が存在して来ます。
霊能力者であれば、この伊弉諾・伊弉冉と名乗っておられる御神霊と出合うは起きます。私も多賀大社に伊弉諾尊として祭られている御神霊から命じられて参拝したがあります。しかし私達日本人が知る伊弉諾尊、伊弉冉尊だと西洋で語る父なる神とは何かスケール感が違うと感じます。日本神話の国生み神話だと、霊世界で見られる宇宙創世映像のスケール感が出て来ないのです。
私が多賀大社に参拝を命じられて見させられた物は
この日本とユダヤの関係は今の時代では無く、大本教霊界物語に既述される時代に在るなのです。
私は神霊界修業を稲荷神界にお世話になった関係で、豊受姫の分魂を保有されている何人かの女性を知ることが出来ました。その方達はこの宇宙が創世される霊映像を見ておられ、その内容は大本教霊界物語で説明されている内容とほぼ同じがあります。その霊界の映像を見ると聖書で語る創造神が何々あれと言葉を出されたら万物が出来たは意味が違うと解ります。それを理解するには【言霊】とは何かを理解する必要があるのです。
すると豊受姫の分魂を貰っておられる方達の魂は、必ずしもイエスよりも魂の段階が低いとは考えられなくなります。それは豊受姫は神霊界でどのような存在なのか?。日本人ですらよく理解出来ていないとなります。日本人の多くが知る豊受姫とは、伊勢神宮の天照皇大御神の御食津(みつけ)神扱いです。しかしそれは伊勢神宮に鎮座している神霊は豊受姫が居ないと食事もままならないの意を持っているなのです。
豊受姫は神界で、イエスより格下か?。格上か?
豊受姫は金星経由で地球に下り立った神霊説がある
俗に救世主は金星経由とする説もあります。すると西洋のイエスは金星経由で救世主だったとする説に対して、豊受姫も救世主かとなります。そして日本で豊受姫とされている存在は、西洋の神話で考えると【アフロディーテ】に当たるのではないかと考えられるのです。
豊受姫は西洋でアフロディーテ?。の疑いが生じる
私の神霊界修業は伊勢外宮の神で有り、伏見稲荷大社を総本社とする稲荷神界の首座神豊受姫の庇護の元で積んで来ました。その伏見稲荷山の下ノ社に行くと、そこでは【豊受姫】と記載された旗竿と【白菊姫】と書かれた旗竿が並んでいることに気付かれると思います。
伏見稲荷山三之峰下之社は豊受姫を奉る神蹟
その旗竿の多くは豊受姫でなく【白菊姫】になっている
伏見稲荷山三之峰下ノ社の神蹟の御祭神は豊受姫とされていますが、そこに並ぶ旗竿は豊受姫と書かれている物よりも【白菊姫】と書かれた旗竿が多いのです。またその周囲にあるお塚群に彫られた神名も豊受姫と彫られたお塚よりも白菊姫と彫られたお塚が多いなのです。その理由を伏見稲荷大社に聞いても、神主は民間信仰で豊受姫は白菊姫とも成っているで、どうして民間信仰では【豊受姫】を【白菊姫】と呼称しているのか?。その理由を知っていないとなります。
私が当時お世話になった方は伏見稲荷大社講務本庁の婦人部長で豊受姫の御台さんでしたが、豊受姫と白菊姫の関係は白菊姫を【若豊受】と呼ぶでした。その師匠の元は離れた後に豊受姫の分魂を所持している方達を通して、豊受姫と白菊姫の違いのみならず稲荷神界に隠された秘密を知ることになって来ました。
私は霊界修業の最初の頃は、豊受姫と白菊姫を拝見してその姿には違いがあり。どっしりとした姿で出て来られる豊受姫に対して若々しい姿の豊受姫。単純に【若豊受】姫と考えておりましたが、そうではなかったなのです。そこには神界そのものが神世七代から【神世八代】に進む意味が秘められているのです。
何故稲荷神界は【狐霊】を眷族として使い。稲荷は【稲成り】になっているかです。
私の元にある自称救世主を称される方から、その方が伏見稲荷山の長者社に参拝したところ、長者社の御祭神の御劔(みつるぎ)大神から七本あるとされている神刀の一本を授けられて、自分が救世主であると認められたと言って来られましたので、あゝ。この方は御劔大神様にからかわれてしまわれたなと思って、ならば三ノ峰の豊受姫の神蹟はどうして【白菊姫】の旗竿が並んでいるのかを説明しなさいと返したところ、返答はありませんでした。
私からすれば、そんなことを知らない者を御劔大神が救世主だと認定されることなどないからです。少し玩んで(もてあそんで)やれなのです。
確かにその方は自称救世主と名乗るだけあって、それなりの霊力は保持されています。その霊力はスピリチュアル標榜者の比ではありません。しかし自分が救世主ですと名乗りを上げるほどの玉(魂)の持主では無い。身の程知らずと言えます。為に伏見稲荷山の長者社の御祭神である御劔(みつるぎ)大神にからかわれて、霊剣と言えどもなまくらの神剣を貰ったなのです。
神霊は事実を告げるでなく、嘘でその者の力量を推し量る
嘘の言葉に踊っていたいならば、永遠に踊っていなさい
私は伏見稲荷山で四年間ほど修業を積み、言霊の世界に転じました。その言霊の世界において審神(サニワ)の重要性を学んだのですが、審神(サニワ)とは神霊が出す言葉は絶対的な言葉だと疑わ無いではなく、逆にその神霊の言葉は嘘ではないか。事実なのかをどうかを調べるなのです。逆の発想が必要なのです。為におかしい思うと、そこを突っ込むなのです。
審神(サニワ)は、神霊が出す言葉は正しいでは臨まない
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声を聞いておりましたが、豊受姫を通じて私の背後の御神霊は【国常立尊】様と呼ばれる存在と告げられました。その豊受姫は私に【綾部は神の都】と告げられたのです。既に大本教からは【綾部は神の聖都】だと出されてはいます。
私は肉体の父親が死ぬ少し前までは大本教のみろく殿の門を正面とする道筋の借家に住み。その付近は大本教の神職の方達の家々で当時の私の幼馴染は大本教の神職の子供さんが多かったのです。私は父親が死ぬ少し前までは綾部の大本教神苑の中を遊び回っていました。そうしたこともあって、私に臨んでいる声は旧約聖書の神と称していても大本教の神様だろうか?。そうした想いを持っていました。
大本教によれば綾部の大本教境内にある本宮山は、素戔嗚尊が母親で有る【豊国姫】を葬った場所であり、豊受姫が宇宙からこの地球に降臨された場所が大本教が所有するその本宮山としました。私の神霊界修業の世話をして下さった豊受姫は、私に綾部に帰りたいと泣かれ、豊受姫が宇宙の彼方(シリウス星と推察される)からこの地球に降り立ったのは綾部の本宮山との映像を見せられたのです。もしそれが事実であれば、大本教の話もあながちでたらめとは言えません。
その本宮山の麓を流れる由良川は現在は堤防が造られて昔の面影はありませんが、私が子供の頃はその対岸は河原で松林でした。大本教ではその松林に架けた天津羽衣を取られたのが豊受姫にまつわる羽衣伝説で、俗に豊受姫伝説として伝わる峰山の比治山に降り立たれたのは豊受姫ではなく、豊国姫の方であったとしたです。そこに初めて豊国姫と豊受姫と呼ばれる二つの神の存在とその違いが世に出されたなのです。
大本教から出された謎は、素戔嗚尊は豊国姫の御子
だが豊受姫が綾部の大本教が聖地とする本宮山に降臨された神であったとしても、それをもって【綾部は神の聖都】とするのは行過ぎと言えます。ところがその豊受姫は、私に信じられないような言葉を告げられたなのです。
綾部は万物の創造神が天降る場所で【神の聖都】
この万物の創造神とは国常立尊様のことではなく、更なる上の神。大本教から出された【天之峰火夫皇大御神】と呼ばれる存在が地上界に降臨される場所が綾部と告げられたなのです。
大本教は【綾部は神の聖都】と宣伝しました。だが大本教を訪れた霊能者の方達は綾部の大本教神殿を訪ねても、どこにも創造神と呼ばれる神の姿が見当たらないと言われます。創造神と呼ばれる神がどこにも見当たらないのに、【神の聖都】とは?。となります。大本教は予告の為に綾部で発祥したなのです。
この日本には西洋のキリスト教やイスラム教では考えられない【狐霊】信仰が存在します。日本のキリスト教のある牧師は、【日本人は紙に書いた文字を神として拝んでいる。私達は創造神の一人御子で有るイエスを神として拝んでいる。】と日本人で有りながら、この日本の神をバカにした発言が見られます。聖書に【初めに言葉は神と共に在った】と記載されていても、言葉と文字と紙の関係がまったく理解出来ていない自分の愚かさに気付いていないなのです。
日本語は言葉と文字と紙で、示し申す?が理解出来る
大本教からは国常立尊は【三十五万年前に御引退】という謎めいた内容が出されました。今の人類は遺伝子調査では今から約20万年前に誕生した種とされており、そんな三十五万年前に何があったのか解る術は存在しません。その意味で大本教から出されたのは【霊界物語】であり、そこには霊的世界とこの世と呼ばれる世界の違いがあるとなります。
私は何名かの霊能者から、その【三十五万年前】とされる時代の神界の中心地が綾部に在ったと聞かされました。大本教神諭に【神も時節には敵わない】が出されましたが、その時節とは三十五万年と言う途方も無い話を秘めているなのです。
神も時節には敵わないの時節は【三十五万年間】
国常立尊と呼ばれる神が三十五万年の時を時を経過して、地上神界の主宰神の座に復帰される。それは神界時間の【四十年間】で、この世の時間に換算すると約【三十五万年】となります。その四十年間が経過した【四十一】年目が重大な時なのです。
モーゼは【四十】年間荒野をさ迷い。イエスも【四十】日間荒野をさ迷った。それらはその【型】の演技であり、正しくは神界時間で【四十】年間。大本教の出口王仁三郎聖師が言われた最大の予言とされるのは【みのか尾張の国から現れる誠の女子・・・・】でみのおわりから出て【神の高山】の頂上神と成るのが【国道四十一号線】で41の数字。
大本教神諭の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】は
五十六億七千万の【みろく】のみならず、空前の仕組み
その神界時間の1年間は顕界(この世)で約8765年間。それが大本教から出された【神も時節に敵わない。時節が参りたならば叶う】となっているなのです。そうしたことを全て踏まえておられたのが【豊受姫】と言えるのです。
私は豊受姫の命令で何も知らずに現在地に住みました。その時に豊受姫から【この神業は肉体を持たない神には出来ない。肉体を持っているそなただけが出来る神業ぞ。】と告げられましたが、そこには【三十五万年前】と言う今の世に出ておられる神々には解らない出来事があったなのです。
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観音様と呼ばれる存在が祀られている観音堂では観音経を聞いたり、不動明王と呼ばれる存在が祀られている瀧場では不動経を聞かされるなどがありましたが、それらは私がその場所に身を置いたことから起きたことで、自分と云う肉体から意識が離れたではありません。
しかし鐘馗神と呼ばれる神の案内で中国で創造神とも天子とも言われている盤古大神に拝謁した時は、私と呼ばれる存在は中国の紫禁城の様な宮殿に入り、その宮殿の中には多くの将軍霊が並び、広場には大軍団の兵士達が並んだ宮殿の広場を見ながら盤古大神と呼ばれる神の前に進み。その横には西王母と呼ばれている存在も座り、私の意識は完全にその宮殿の中に存在していました。その宮殿の大理石に膝まづいた時にはその大理石の冷たさが体に伝わって来るほどです。ハット我に返った時、自分は家の神座の前で座っていたです。
こうした事は自己の肉体から魂が抜けたとか魂を霊界に飛ばすと言われていることで、時間とか空間とか次元と呼ばれる世界を越えた霊体験を自分の魂がしているとなります。
私がある方達と一緒に神業に励んでいた時、伏見稲荷山の奥社付近でふと見ると私と一緒に神業をしていた方の姿を発見して、その人に向かって呼びかけたところ、その姿が瞬時に消えてしまいました。それで今自分が見たのはその人の霊だと思ったので連絡を取ったところ、その方は私がその日は伏見稲荷山に上がっていると知っておられたので、今の時間帯ならば私が伏見稲荷山の奥社付近ではないかと、自分の意識を伏見稲荷山に飛ばして奥社付近を捜したが私の姿が見当たらなかったので、自分には仕事もあるので肉体の元に帰ったと言われます。自分の意識を肉体に戻したです。その時間を聞くと、まさに符合しているのです。
肉体を持った人は生霊で、肉体を持たないは死霊
世に千里眼と呼ばれる持ち主がおられます。例えばその肉体と私とが話をしながらもその方の意識は別の場所に飛んで行って、自分が見ている光景を語ってくれます。もし自己の意識を飛ばして見に行くであれば、それと同時にその肉体と会話をするのは難しくなります。その千里眼で他所に見に行く人を見ていますと、その肉体自体の魂ではなくて、孫悟空の分身術そのものではありませんが、その人の正守護霊(神)がその地に飛んで肉体たる自分の意識にその光景を伝達している等があると理解しました。
これまで千里眼とは、自分の意識を飛ばすとか魂を飛ばしてその場所を見るとされていましたが、その肉体から魂が抜けるとその肉体と会話が出来ないことは霊媒者を通して会話していると解ります。通常の霊媒者は恐山のイタコに見られる様にその霊の想いを感じて、自分の言葉で会話しようとするのでズーズー弁になったりします。しかし完全霊媒者だとその肉体を霊に貸してしまうことにより、その霊が知る言葉そのもので語って来ます。そうした事例の数々を見て来ますと、これまでの宗教は【霊界の真相】を蔑ろにして来たなと解って来ます。
そこに日本神道で説かれる事柄に【神人合一】に重要性があります。この世に居る自分とは別に神その者では無いのです。しかし霊的世界に居る自分は、神に該当している場合もあるです。そこに人はこの世の生き方次第で、神にも成れるし天人にも成れるがあります。
自己の意識が正守護神格ならば、その人は神界を見る
世に言う千里眼は、自分の意識を飛ばして目で見ている
そうしたことは俗に今日までは【自分の魂を飛ばす】と言われて来ましたが、肉体の意識と魂たる意識は別なのです。肉体は肉体の命が尽きると、その時点で【肉体は死んだ】と言えます。しかし自分と云う存在は【意識】の中で存在しています。肉体から意識だけが抜けて生き続けると、そこに【死】はありません。
私は魂とは【玉型の思惟(考えを巡らす)】本体のことなので、それを【玉思惟】と説いて来ました。しかし私以外の方には魂は【玉恣意】だと言われる方達もあります。玉恣意の恣意は【自分勝手、自己本位】の生き方です。スピリチュアル等で推奨する何をしても自由ですの生き方です。
神霊界には【正神界】と呼ばれる神界と【邪神界】と呼ばれる神界が存在して来ます。その邪神界は自己勝手とか自己本位が主体の考え方で玉恣意なのです。【邪の道は蛇】で、その魂は蛇霊化を辿って来たなのです。
イエスが処刑された数日後、その信徒達の前にイエスがその姿を現したのは【肉体の復活とか蘇生をした】のではなく、肉体から抜けた幽体(霊体)が霊性に目覚めていた信徒達の目には見えたなのでしょう。しかし当時のイエスの弟子には、そうした霊界のことが解る様な段階の者は一人も存在しなかったでしょう。で、イエス一人を主の御子だと信じていても、それで天国界に案内されるでは無いなのです。
処刑されたイエスが信徒の前に出た姿とは幽体
私は霊界修行の過程の中では幾多の【生き霊】と会話して来ました。だがその生き霊を出した肉体人で自分の生き霊が私と会話した。そうした事が解っている人は数少なかったと言えます。ほとんどの人は自分の生き霊が私の家を訪問したことすら解っていないなのです。そこに大本教の出口王仁三郎聖師が出された【霊主体従】【体主霊従】があります。こうした霊主体従とか体主霊従を説いた宗教はそれまでは存在していませんでした。それは古い宗教の多くは霊界の内容があまり解っていなかったなのです。
人はこの世で死を迎えると、その肉体に存在する意識は肉体から抜けて行きます。その意識は世界で【魂】と語られて来ました。英語だと【soul(ソウル)】と発音されるですが、日本でスピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。ばかり叫んでいるスピリチュアル女子達のスピリチュアルは英語では【spirit(スピリット)】と呼ばれる分野で、日本では【精神】を意味します。
ソウル(魂)とスピリット(精神)とは同じ事柄か?
誰しも漠然とした感覚では【魂】と【精神】とでは、少し意味が違うのではないだろうかとは感じます。しかしその違いを【説明】せよと問題が出されたら、その説明が出来るかなのです。幸福の科学の大川総裁は大量の○○霊示集なる物を発行されていますが、その中の一冊に魂は脳に宿っていると記しておられます。それが自分はお釈迦様とイエスとモーゼの三体を出した本体たる永遠の仏陀で十三次元界だと呼称されていても、とてもそんな高い次元レベルの方とは思えないとなります。霊子(たまのこ)線の存在程度は説けても、その接続先が間違っているぞとなるのです。
一般的に人の魂は【心臓】に宿っていると言われています。しかし【識】と呼ばれる事柄に触れると、【識】は心臓に宿るよりも【脳】に宿るのではないか?。そうした疑問は誰しも生じて来るのです。何故ならば人は誰でも【心の存在】は認めますが、心が知恵の様な働きをしているかとなったならば、誰でも疑問符を投げざる得ないからです。心(心臓)が物事を考えるのか?。
大本教の出口王仁三郎聖師は【霊にチの発音】を出された。霊を【チ】と呼ぶことで、肉体の血には霊が宿っていることが解って来るのです。人の心臓に魂は宿り。霊は肉体の血として循環するのです。
人の魂は【心臓】に宿るのか?。【脳】に宿るのか?
人は精神を患う。それは心の問題か?。脳の問題か?
そんなことは何一つ考えずに人はこの世を楽しむ為に生まれて来たのです。そうしたことばかり言っているのがスピリチュアルとなるのです。スピリチュアルは精神論は語れるが【魂】論は語れないとなるのです。
私は大本教神諭が随所に予告する【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】が、朝鮮に残されていた最後の審判前。【救世の為に米一字の教えが起きる】に基づいて解読出来ると分かった時、大変驚いたなのです。
日本神道では【狸(タヌキ)神】とは、日本語の【タ抜き】の言葉だと言われています。宝の【タ抜き】で、宝を空(殻)にした者達です。この神の【宝】とは、【田から実る物】で【米】の意味を指しているなのです。
日本神道では人民のことを【青人草(あおひとぐさ)】とします。しかしその青人草は何に実るのか?。どこにも書いていない。
旧約聖書であれば人民は【麦】に例えられる
大本教の出口王仁三郎聖師は【西洋は麦が主食でパンの教え】。日本人は【米が主食】とは出されましたが【飯屋(メシヤ)の教え】とまでは説かれなかったなのです。だが大本教神諭には、【この神は煮ても焼いても食べられる。】となっているなのです。
日本の青人草は稲で、米と実った者を【稲生り】とする
大本教から大宣伝された世の立替えに関して、一部の予言書に【白狐ならば、赦して使わす。】などの神示がありますが、霊的世界で語られる蛇霊とか狐霊とか狸霊とか猫霊等は爬虫類や動物の類いのことを語っているのではないのです。日本語が持つ【言葉の意味】が、そうした存在の姿に【身返る】をさせているなのです。
で、蛇霊と化した魂の多くは【悔い改め】をしませんが、悔悟の涙を流す蛇霊ならばこれを赦して【天人界】に戻す。私はそうしたことを見て来た一人なのです。そこには誰かを拝めば自分が救われるなどはどこにも存在しないなのです。ただ人の魂の【真ん中の核たる部分は天帝からの直霊】の働きで、
神は汝と共にあり。人は神の子・神の宮で魂に良心神
人の魂の中の良心神は、【この世の閻魔(円真)大王】
私は大本教神諭と霊界物語を読んで、ここまで仕組んだ神が在ると言うことは艮(牛虎)金神国常立尊=閻魔大王=牛頭天王=旧約聖書の神は同一の神で、存在しておられないではなく、一時的にその姿を隠した状態。すなわち神界の表舞台から【退(艮の道)】の状態に過ぎないと言います。
私は鍾馗神の御案内で中国で創造神とも天子とも言われてた盤古大神に拝謁して、そんな盤古大神など聞いたことも無かった神なのでその盤古大神のことを知りたくて大本教霊界物語を購入して読んだのですが、そこに在ったことはスピリチュアル的なことに走っているでは永遠に万物の創造神と呼ばれる神のことに頭が回らないなのです。
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この【元々(本来)の魂には何の汚れも無かった。】は、魂の汚れを洗い落とすとその魂には何の汚れも無いことから確かなことだとは言えます。ですからそうしたことを説いている宗教の教えは間違いはないのです。しかしながらそうしたことを説いた宗教が人類に支持されたかとなりますと、そうはならなかったのです。
一部の方達は全ては創造神に帰結することから、悪も創造神が生み出された物だから悪が許されていると説かれますが、大本教から退くの【艮】が出されたことにより、創造神たる神とて悪(魂の灰汁)によって、地上神界の主催神の座から追われたがあるなのです。そうしたことは私も鐘馗神の案内で中国で創造神とされている盤古大神に拝謁するまでは、何も知らなかった者とは言えます。 その背景には汚れの黒龍神とか毒気の赤龍神とか呼ばれる存在があり、誰かを救世主と拝んでいれば良いの話では無かったと言えます。
仏教を開かれたお釈迦様はこの世は【苦界】と説かれましたが、何故にこの世は【苦界】なのか?。そこまでの詳しい説明はなされなかったようです。それはある意味、【悟り】とか【諦観(ていかん)】と呼ばれる分野を極めないとその【域】に達しないのです。
諦観の諦は【あきらめ】ですが、これは物事をあきらめるのではなくて物事の【真理とか道理】を明らかにする。で、私は魂は【玉型の思惟】と説いて来ましたが、諦観とはその【思惟】の働きでもあるのです。
しかしある自称救世主は魂は【玉恣意】だと言うように、スピリチュアルの世界では魂は今さえよければそれでよいの玉恣意(自分本位、好き勝手)の意識だと見ます。この世は魂の修業場(天人の苗床)とか魂の汚れを洗う【洗濯場】とは見ていないなのです。そしてそれが大多数の人の圧倒的支持を受けているなのです。
諦観が秘める事柄は、言葉で帝の仕組みを明らかにする
私はこの日本に生まれ出してもらったことで、【神は言葉なり】の本質を知ることが出来ました。それは聖書に【最初に言葉は神と共に在った。】と記載されていても、西洋の英語圏などではそれを知る事そのものが無理なのです。それは日本語が【神の言葉】その物だったからです。聖書ではそれを知るのは根本的に出来ない仕組みだったと言えます。
魂を識界レベルで判定すると創造神は第十識界。お釈迦様は第七識界。イエスは第五識界とされています。マホメットは第四識界とする説があります。キリスト教やイスラム教で真理に至るのは非常に難しいなのです。そこには天使と称して出て来る霊が、本当は何者であったかまで踏み込まないといけないからです。
私はある霊能者から【貴殿は第十識界に入ってください。】と言われて、第十識界とは創造神のレベルと言われており、いくら何でも無茶ですと答えましたが【識】と呼ばれる存在が解って来ますと、神と呼ばれる存在に対する概念は【イエス】を通してのみ解る様なものでは無いと解って来ます。逆にイエスは神とは何かが解っていなかった。いまだにイエスだと持ち上げている天使などは、泥池に入って修業のやり直しが必要だと言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師は自身と出口なお開祖は、聖書の【キリスト】登場前に出る男女の二人の預言者であると述べられましたが、キリストは【真理】の意味で在り。イエスはそれには該当していないがあったわけです。神と呼ばれる存在を説いていても、霊的世界の説明が何も出来ていなかったからです。
魂(玉思惟)は玉型で有り。丸い玉ならばどんな球でも【心棒】が存在し、その心棒は悔い改めるの【杭】であり。棒は日本で神を柱と呼称する【神柱】です。大本教神論が予告した九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(経緯)が本当は【ラ】音であることから【艮】の漢字に点(天)を付けて【良】、私はその心棒を【人に内在する良心神】と名付けました。それは日本の古神道で説かれて来た魂は【一霊四魂】の構造で、その直霊は【天帝の分魂】とする事柄で、その天帝の分魂の働きは人の良心を司っているとされて来たからです。
人は誰にも天帝の分魂たる良心神が備わる【神の御子】
それを朝鮮に残されていた最後の審判前に救世の為に【米一字】の教えが起きるに当てはめると、大本教から出された【みろくは「369」で「56億7千万」】の数字を導き出すことが可能であり、それがすなわち本当の【キリスト(真理)】のことであると解って来たなのです。
そしてそこには一連の方程式が存在したなのです。
艮金神国常立尊=牛頭天王=閻魔大王=旧約聖書の神
日本で天は【天之御中主】で地は【国常立尊】の同神
私は自分が霊界見聞している中で、自分の背後には閻魔大王と呼ばれる存在が見られ、自分には地獄界に落ちている霊を救う能力が有ると知りました。いくら自分には霊能力があるからと言っても、霊を勝手に救うことは【天則違反】に問われます。しかし閻魔大王の許可の元であれば、自分の持っている徳分(良心神)の範囲で有れば他の人にその徳分(良心神)点を差し上げることで罪の免罪符の発行が可能となります。
すなわち西洋におけるイエス一人が主の御子で、人類はイエスを通さないと創造神に出会えないなどは根本的に間違った教義であるなのです。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨み。【そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えて行け。】と命じられた時には【愛】以上の教えが存在するのかと思っていましたが、自分の罪は自分が払う。カルマの原理原則に従えば、これまでの謎的なことは【良心神の点数】で説明が出来ます。私はそこに万物を創造した神の存在が認められると言うのです。
私は大本教神論が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(経緯)】が【ラ】音で、それは【艮】の漢字に【点(天)】を付けて【良】の漢字にする時、お釈迦様は菩提樹の下で【悪魔は実体を持たない現われで、人に良心と呼ばれる神が内在している。】と悟られたとの記述の経典が有ったと解って来たなのです。お釈迦様が出られたのは今から二千五百年から三千年ほど昔の話であり。それは正解なのか不正解なのか?。はありますが、私は大本教の仕組みから、それらを仕組んだ神はお釈迦様の守護神であった祇園精舎の【牛頭天王】であろうと見るのです。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたには何の力も与えない。そなたにこの神の力を与えるのは最後の最後の時である。神界の御用に働くのは肉体のそなたに非ず。そなたの魂の方である。そなたの魂は本当は何者なのか?。それは神々には解らないようにしておく。そうであってもそなたは本当は誰かと見抜くような神で無いと、この神の御用の使い物にはならぬ神である。肉体のそなたはバカを演じていればよい。】と告げられました。
さらに【されど(そなたには何の神の力も与えないが)、そなたの教えを信じてその教えの内容に従う者達は、終わりの日にはこの神たる私が一人残らず救おう。何故ならばその者達はこの私の教えを信じた者達だから。】とも告げられたなのです。
私は創造神と呼ばれる神の教えを携えている者?
私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫は私に【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方で貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)と呼ばれる物に等しく、貴方の言葉による教えは聞けないと言う神は如何なる地位にある神とて、その時には天帝に対する反逆罪として天帝から罰せられます。】と告げられました。それは私が天帝の教え(詔)を携えている者と告げられたなのです。それが【大本教神諭予告の九つ花に咲く一輪の言霊を導く米教】と呼ばれる物なのです。
それは私が子供の時に旧約聖書の神と称する声から告げられた【そなたの教えに従う者達は一人残らずこの私が救おう。】の内容なのですが、問題は私が子供の頃から聞いていた旧約聖書の神と称する声が、本当に旧約聖書の神たる本物なのかどうかにあります。もしかするとそれは贋神かも知れないからです。
その【そなたには何の力も与えない。】となると、人は私には寄って来ません。人が神と呼ばれる存在に期待するのは自分の魂磨きでは無く、この世は自分の魂を磨く場として成り立っていることすら理解するでもなく、スピリチュアルが説く【この世は遊ぶ処】で、自分の魂が前世に起こした罪から起因する病や困難に打ち勝つ努力をするではなく、そのカルマが消えて行く過程の病や困難を取り除いてくれる神霊を求めるなのです。それが例え悪魔であってもです。幾多の宗教開祖がカルマの原理原則が解らずに、人助けの為の霊力を求めて悪魔に自分の魂を売ってしまったなのです。
悪魔は愛は説いても、良心神は言わない
自分はどうしてこの世に生まれて来たのだろう?。どうして自分は他の人と違って、こんな苦労を背負わせているのだろうか?。そうしたことを何も考えないなのです。
この世に降り立った魂は現世御利益で【真理】を求めない
自分の魂を汚してしまいますと、その魂の汚れを洗い流すにはそれなりの【努力】を必要とします。他人様以上の努力です。そうしたことが解っていないと、魂を洗い清める労力を放棄してしまう人達が出て来ます。そうした人達に【神の愛】という言葉を出して、自分の魂の汚れを洗う作業を放棄させてしまうのです。そうした人達を厳しくたしなめると、【あいつは鬼だ!。】とか逆に【悪魔だ!。】呼ばわりされるとなります。
日本の諺に【良薬(りょうやく)は口に苦(にが)し】があります。それが良薬と解っていても、薬が苦いと人はその薬を飲まないとなります。
私は霊界修業に入って著名な某霊能者に私の魂の霊査を頼み東京に行ったところ、その霊能者の方から【仏(通常の霊)の声が聞こえる者は千人に一人は出て、神の声が聞こえる者は万人に一人は出る。されどそうした者が万人修業しても本物と呼ばれる霊能者は千人に一人か万人に一人程度しか出ない。その本物の霊能者になれなかった者達は、「魔神」と呼ばれる存在に食べられてしまう。】と聞かされました。
それはその霊能者の方以外の霊能者の方からも、霊の声が聞こえるからと言ってうかつに霊世界に飛び込むと修業の途中に【天魔】と呼ばれる存在が入り、多くの霊能者がその天魔の餌食に成ると言われます。私を指導してくれた豊受姫の御代であった最初の師匠も、自分の元にそうした霊が見えるとか霊の声が聞こえるという人が相談に来ると、霊界は騙されてしまう世界だからと言ってその霊能力を封じていました。
すなわち霊が見えるとか霊の声が聞こえるは、自分が特別に選ばれた者ではなく、自分が前世で何らかの罪を背負ったなどの理由が多いのです。自分は相談者の前世が見えると豪語していても、自分の前世は自分には見えず、自分の過去世の行いで神界からの【罪と罰】を受けて、霊界の奉仕者に成っている理由が解らなくなっているなのです。自分に霊的なことが見えることを選ばれた者と勘違いして金儲けに走ったら、その罪がより深くなるのです。逆に金儲けではなくて霊界の奉仕で動けば自分の過去の罪が消えて行くなのです。
私は霊的世界を見聞して、人類は霊が見えなくて正解
されど霊的世界が解らないと神の存在が解らない矛盾
そこに来るのが霊的世界に関わる時、霊的世界を金儲けの対象にしてはいけない。霊的世界は【奉仕】の立場を貫く。
何故に多くの魂が【悪】に走ったのか?。私はその多くは汚れの黒龍神と呼ばれる存在に憑依された神々に在ると見ていましたが、何故にそうした黒龍神が発生してきたのか?。そこが謎でした。
西暦2023年の5月5日のみろく大祭の後、出たのは「煤」
神は火水(かみ)で、火のエネルギー放出時に「煤」が出た
スピリチュアルだ!と叫ぶことに走り、【神は光だ。】と言ったところでその光は【火】が燃えているのであって、その火には【スス(煤)】が生じるのです。その魂が何の悪行を犯さなくても、魂にはそうした【スス(煤)】が着きます。さらに霊界からのチリや埃の類も魂の表面にそのスス(煤)と一緒に付着して来るのです。
私が子供の時に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この世では神の舞台を演じる。その舞台に立つ役者には善役もあれば悪役も必要。見事な悪の役を演じてくれるならば、継ぎの舞台には善役の主演もある。神の舞台の上での悪の演技は咎めない。されどその悪の役の演技に必要であった化粧は、この世の舞台の終演に当たり落とさないと行けない。】と告げられたのです。その化粧は【洗い流せる?】なのです。
この世で悪を演じる為の化粧?。魂に着けた化粧とは?
西暦2023年の5月5日以降、神界の上層階の流れは明らかに変わりました。
西暦2023年の5月5日はみろく大神を世に告げた大本教では【みろく大祭日】としていますが、この5月5日は子供の日で行楽の行事に費やすよりも日本神道の神信仰であれば、【神の元に参拝日とした方が個々の魂の向上には都合が良い日】であるとは言えます。
神の世界から人間を見れば【人は神の子】であって、親元に挨拶に行くです。
大本教が起きた明治25年正月の大本教神論には【世の立替があると云うことは、どの神柱にも判りていれども、モウ一厘の肝心の事は判りておらん。】とありますが、私が神霊界に修行に入って驚いたのは、神霊界の末端の御神霊達は誰も世の立替に関して御存知無いにぶつかったなのです。
末端の神々が誰も知らないで、世の立替等あるのか?
スピリチュアルと称している方達の多くは四次元界スピリチュアルと呼ばれている中有界や地獄界を主体とする霊世界で、高次元界の御神霊に関わっておられるではありません。それは行者の世界で千人に一人は仏の声が聞こえる段階とされる霊世界の話であって、神界の末端の神々が世の立替など何も知らないと言われる状況下では誰も語らないでしょう。
すると大本教神論の世の立替説の内容は疑わしいとなりますが、神界上層部の神々は世の立替は必ず起きると言われます。
西暦2023年のウサギ(右左岐)において、右に行く霊。左に行く霊の確認は出来ましたが、ようやく5月5日のみろく大祭を過ぎて多くの霊が【神の高山】に向かっているが見えて来ました。
一部の霊能者の方は、【貴方が出口なお師や出口王仁三郎聖師に命じて大本教を創らせた張本人ではないか!】。そうしたことを言われますが、私が大本教を創ったではなくて私の本守護神とされる艮金神国常立尊が創らせた支配下教団が大本教ではあるなのです。
艮金神国常立尊(旧約聖書の神)様は、私に【自分の教え(九つ花に咲く一輪の言霊の経緯)に従う者達は、永遠に嬉し嬉しの世に導く。】と言われていましたので、ようやく霊界でその動きが出て来たのかも知れません。
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私は子供の頃にキリスト教の教えに疑いを持ったのは、自分が犯した罪は自分が払う。自分がした罪の償いをするのは当たり前なのに、それを誰かに押し付けて、その罪から逃げることが本当に正しい道なのか?。他の人の罪を自分が被ることが正しい愛なのか?。他人に自分の罪を押し付けて逃げられると説いているのは本当は悪魔達では無いかの疑いです。私は子供心に天使長ミカエルとか大天使ガブリエル等と称する霊の存在に疑いを抱いたなのです。
私は幼稚園児の時、キリスト教会に行き。磔になっているイエス像に対して、私は必ず貴方を磔の十字架から救ってあげると心の中で叫んでいました。その当時から私はキリスト教は間違った教えの宗教だと思っていたなのです。自分が犯した罪の代償は自分が払うのは神以前の問題なのです。
しかし世界の宗教がどうしてそうした間違いを平然と犯しているのか?。それは大本教の霊界物語を読んで、日本書紀で創造神と記載されながらも日本ではほとんど知られていない神。ウシトラ金神国常立尊にまつわる神界での御隠退劇の経緯を知るまでは、私も解らなかったと言えます。そして解ったのは、私自身がその国常立尊様の御隠退劇に深く関わっていた魂であったなのです。天人界からそうした指摘を受けて、私がそれに深く関わっていた以上、私もその責任の一端は逃げられないと解って来たなのです。
人類は聖書の蛇の囁きが原罪の意味を理解していない
私は旧約聖書の神と称する声から【旧約聖書は我が書なれども暗号書で、暗号を解く鍵を持たないと意味が解らないように創ってある。新約聖書は人の子達が集まって為した書であって、私の書では無い。イエスは我が子には非ず。私では無い他の高い神の御子である。】と告げられたのです。そのイエスは「他の高い神の御子」の高い神が誰か、なかなか解らなかったがあります。
イエスは旧約聖書の神をサタン(悪魔)扱いにしています。またキリスト教の教義では冥府の長官(閻魔大王)もサタン(悪魔)と定義しています。イエスが言う父なる神はいったい誰を指したのか?。
大本教の出口王仁三郎聖師は国常立尊様が蛇霊に憑依された神々の多数決で地上神界の主催神の座を追放された。その座を襲ったのは盤古大神と記しておられます。その盤古大神は西洋ではゼウスと呼ばれている神です。確かに西洋で語るゼウス神であれば、大本教霊界物語の記述と整合性は取れます。すると聖書には如何なる意味があるのかとなりました。そこに見えて来たのは聖書は【迷える羊】達に対する書で、迷える羊達でいれば【狼】に食べられるです。
良心神を説かない獣が【狼】で、迷える羊達を餌にする
救世主とは、その迷える羊達を【義の経】で正しく導く
私は大本教神論予告九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)から、人の魂に内在する良心と呼ばれる天帝の分霊の存在に行きつきましたが、それはお釈迦様の本当の悟りであった人に内在する良心神でした。その働きには【義】が生じます。
良心神の働きである【義】は、【我れは羊】を演じる
もし自分が生まれた国がキリスト教でそれが国教であったとしても【自分の中に義の経】があるならば、仮にイエスが主と呼ばれる神の御子であったとしても、その存在に自分が犯した罪の償いを押し付けるでしょうか?。私は押し付けないと思います。
人は神の子で神の奴隷では無い。自分の罪は自分で払う
現代の霊学では霊界と言っても第一天国界、第二天国界、第三天国界。中有界。第一地獄界。第二地獄界。第三地獄界の【七層】の存在が語られます。その七層とは日本では神世七代とか、光は七色、聖書の神は六日でこの世を創られて七日目を安息日とされたの七の数字から来ています。また予言教団として知られた大本教は女子の教祖で七代続くで出されたのも【七】の数字です。
この第一、第二、第三天国界の住人は仏教の諸仏に当てはめると意外と理解しやすいのです。第一天国界は如来界で【如来の叡智】と呼ばれる物が要求されます。第二天国界は【菩薩や明王】と呼ばれる段階で他人を助ける段階が求められます。俗にいえば世の為、人の為に尽くした存在です。第三天国界は仏教で出家をした修行僧を【羅漢】とした様な、神仏の存在を信じる信仰の立場が要求されるなのです。
その霊界の段階は優秀な霊能力者からは【次元界】として語られており、その霊の名乗りが如何なる高い神の名前であっても、その魂の格は次元で表現することが出来ます。この日本で救世主の名乗りを上げた方は自分は七次元格の魂との主張が多いなのです。例えば七次元よりの使者で知られた五井野正博士は熱狂的信者からは救世主と呼ばれておられた。ヨガの大家としても知られた本山博博士等も自分は七次元界の魂の主張で、巷で自分が救世主ですと名乗りを上げている方も自分は七次元格の魂の主張が多いなのです。
霊学に関与する霊能者の間では、お釈迦様にイエスに大本教の出口王仁三郎聖師は八次元格の魂と見做す向きが多く、弘法大師やマホメットは七次元界です。多くの宗教開祖も七次元格とされている方が多いなのです。ただそれはこの世に出る前の出身たる次元界の話で、そうした宗教開祖も死後は地獄界に堕ちているとされる方が多いのです。
そこに幸福の科学の総裁大川隆法氏は自分はお釈迦様とイエスとモーゼを出した本体の永遠の仏陀だと、勝手な主張で九次元界だと名乗った経緯があるのです。御釈迦様が八次元格とされるならば当然にその上の界と名乗るであれば九次元界となります。それにしてはその霊示集には明らかな間違いが認められるなのです。本当に九次元界以上の魂ならば、そんな誤った論理をするかです。
私の元には自分は救世主なので、自分を救世主と認めて欲しいとの依頼が多々来ました。そうした方達の言葉を聞いていますと、そこに【如来の叡智】が認められません。霊力的には六次元界位の霊力の保持は認められますが、叡智が根本的に欠けているがあります。
スピリチュアル標榜でいくら霊は見えてもその魂に叡智が足りないと、霊界の高い神名を名乗り出て来るニセ霊に打ち勝つことが出来ません。その正体が見破れないのです。世に言うサニワ(審神)とは、そこに如来格の様な叡智の保持が必要なのです。論理で打ち負かしてその正体を暴くです。おまえは蛇霊だな!。狐霊だな!。です。宇宙人と称していても爬虫類宇宙人と呼ばれる様な存在だなとなるのです。
審神者とは宗教を起こすような霊力は保持しませんが、代わりに【叡智】と呼ばれる力を持ち、そこに出て来る霊の叡智と戦います。その霊がどれほど叡智を持っているかで、その霊の霊界での地位を判断するなのです。その霊が邪神で、その邪神が説く教義に騙されてしまうようだと審神(サニワ)者は失格なのです。
世に知られていないのが、審神者が出す言葉は剣と化す
霊界に関わっていますと、当然に【如来】と称する霊にもぶつかります。しかしそれは如来と名乗っているだけで、その霊に本当の【如来】として叡智が備わっているではないのです。
私達日本人は古代の天皇が仏教を日本の国教と定められたことにより、ほとんどの日本人は仏教徒です。そして観音様と呼ばれる存在は私達日本人にとってはとても馴染み易い仏と言えます。
観音様に助けられた人は多いが、で観音とは何?
私は稲荷神界で修行中、瀧場の観音堂に安置された観音像から観音経を聞かされて、そのお経のどこにもブレス(息づかい)が無かったことから、霊は私達の様な【空気呼吸】をしていない。空気が無い世界でも生きられると理解しました。
その観音様は【菩薩】として日本では知られますが、どうして【如来】では無いのか?。そうした疑問が出ます。その理由として観音様は非常に慈悲深い。人を助けることが主眼となっていて、如来としての【叡智(悟り・覚りの分野)】が足りていないとする説があります。確かに観音様と呼ばれる存在には【蛇霊系】が多く。多くの人を助けたい助けたいという思いからの蛇霊と化しておられるがあります。
そこに在るのは天帝から見た時、人類とはどのような立場にあるのかなのです。
人を助ける力を欲すれば、自身を蛇霊と化す覚悟が必要
いくら人を助けるは善行でも、過度の助けは間違いの元
そこにはこの世の立ち位置が宇宙的にはどうなっているかがあるのです。この世は天人の苗床とも言われていますが、宇宙的には出来損ないの魂の修業場説もあります。宇宙の刑務所説もあります。本当に魂が磨けていれば、この世には降りて来ないとも言われています。そこに悟りを得られたお釈迦様は、自分は二度とこの世には降りて来ないと言われたがあります。
この世に降りるのは【強制】されたのではなく、自分自身が承知(契約)して降りているのです。そこに来るのが魂の契約の示しの【禊】の文字なのです。その魂磨きの契約の示しを無視して来るのがスピリチュアル標榜者なのです。
この世は魂に欠点がある者が、魂の更生をする為に甦る
だがこの世は単なる魂の更生場ではなく、霊界に居ても魂の成長が進みません。それは霊界そのものが悠久の流れで、何の変化も無い様な時の流れの中にあるからです。それは天人と呼ばれる霊人達を見れば、いったいこの人はどんな時代の人なのかと云うような服装をされているからです。それが何万年前なのか何百万年前なのか解らないようないで立ちと言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師はこの世は天人の苗床と説かれましたが、この世に降りることによって魂は一気に上界(階)に行ける魂磨きの場所でもあるなのです。例え地獄から赦されて出て来たような魂でも、今生のみで第一天国界(如来界)に進める場です。だがそれはスピリチュアルの様に【この世は遊ぶ処です。】等と言っていれば、貴方はいったいこの世に何を目的として修学に行ったのですかと問われるのです。
この世は地獄から出た魂も、一気に第一天国界に行ける
その一気に第一天国界迄も進める教えが朝鮮半島に残されていた最後の審判前、救世の為に「米一字」の教えが起きるであり、大本教神論に記載される【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】なのです。で、私は私が出した米の教えを完全に理解出来るならば、霊界でイエス程度の段階には行けると記しているのです。
私から見ると多くの魂は第一天国界,すなわちお釈迦様や如来達が住む世界に一気に行ける場に居ながら、そのチャンスを無為にしている。実に【もったいない】ことばかりしていると思えるなのです。
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、その声は私に対して【私はそなたをゼロの位置からスタートさせる。】と告げられました。そして【そなたは上の界の格付けからスタートさせるのではなく、一番下の界からスタートさせる。この世の泥を啜って上がって来い。】と告げられたなのです。
私がある自称救世主を救世主と認めずに赤子扱いにしたことで、その自称者は自分に時間さえあれば貴方の教え程度など簡単に行き着けたと言われましたが、時間があれば行き着けるではないのです。その方は自分は七次元界の魂と告げられましたが、その方の背後の御神霊は三輪山の黒龍神とのことですが、三輪山の神は私が居た霊界の次元格を御存知無いなのです。
豊受姫は貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)に等しい物で、如何なる地位にある神でも貴方の言葉による教えが聞けないとなれば天帝に対する反逆罪で裁かれますと言われたように、天帝と呼ばれるサイドが組み立てた仕組みの解説なのです。
仏教における妙法蓮華経の真意とは
根は泥の中でも水面に美し白蓮の花を咲かせる仏に帰依
この世で泥を啜ったことが無い者は天使と呼ぶ資格なし
スピリチュアルで言うエンジェルとは、この世の泥を啜った経験が無い霊界の赤子達なのです。可愛いという事柄と、さほど叡智を持たない存在は同じ世界に同居するではないのです。私がスピリチュアルでエンジェルと呼ぶ霊界の赤子を見たら、つまんで泥池に放り込んでやります。当然に私は鬼とか悪魔呼ばわりされるでしょうが、魂を磨くとか成長させるにはそうした泥被りが必要なのです。
創造神は鬼とか悪魔と呼ばれても、魂を磨かせるを主眼
それはこの世の下の界で自分の悲哀を訴えて、あんたは上の人だから下の自分の苦しみがまるで解らないのだ。そうした声を封じる為に、新しいみろくの世で上に立つ者は、今の世では自分自身が下の界で苦労して上の界に這い上がる必要性を言われたわけです。
この世に降りている人達は、皆、元は神の地位なのです
為に主神の恩寵として、自分が犯した罪を思い出さない
私は仏教徒の立場で稲荷神界にも関わったことで、祝詞の他に【般若心経】の御経を多用し、それなりにお経の威力も知りました。その般若心経は、お釈迦様の弟子である【舎利子】に対して【観音菩薩】が説かれる内容です。般若心経に示される内容は【叡智】が足りないと、とても理解出来る様な内容ではありません。そもそも御経に書かれた【識】が、どれほどの人に理解出来るのか?。があります。
ただ確実に言えるのは、如来として出る次元界と菩薩として出る次元界とでは、次元界の格の違いが生じて来るなのです。この霊界は次元格で大きく違うが理解できると、天国界も第一、第二、第三が在ることが解って来るのです。
第一天国界は【覚悟】の世界で、悟りや覚醒が必要
第二天国界は我れ羊の義、牛と羊の犠牲心で神上がり
第三天国界は神仏の存在を信じて、信じる者は【儲かる】
ただ神仏の存在を信じたから天国界では無く、天国界に入るには口酸っぱく説いています【善徳−悪行=徳分(良心)】点であり、スピリチュアルのこの世は【遊ぶところです。】等の言葉に乗せられていると、徳分(良心)点がまるで足りていないことから中有界や悪くすれば地獄界に行くとなるのです。
私はインドのサイババが日本のテレビのクールの前で、霊界からの贈り物だと取り出した腕時計に日本のセイコー社の刻印が入っているを見て、それは霊界からの贈り物では無く、この世のどこかに在った物を取り出したに過ぎないと解りました。ただそれは手品な様に最初から仕組んであったのではなく、即座にサイババの背後の霊団が瞬間移動でサイババの手に持って来たなのです。ただ多くの人にはその種間移動をさせている霊的存在が目には見えていないなのです。
あの時、サイババは自分が霊界からの贈り物だと出して来た腕時計にセイコーの刻印が有ったことに気が付かずに日本のテレビ局のクールに見せたのは、サイババ自身に叡智の欠如が見られるなのです。日本語が解らなかったとしても英語で刻印されており。サイババに叡智があれば、それはどのようなメカニズムの下なのか、そこに知恵が回ったはずなのです。
私は伏見稲荷山で霊界修行の足を踏み入れると、世に【奇跡】と呼ばれてる現象は全て霊的世界が動かしている【種】の存在に気づきました。それは霊界における瞬間移動等のメカニズムの行使には霊的エネルギーが必要で、この世にいる私達はその霊的エネルギーを使っている存在に関して、あまりにも無知的状態であると解って来たなのです。当然、それはイエスにも言えます。
世に言われるイエスが見せた奇跡の数々も全て霊界のエネルギーが作用したのであり、そのエネルギーを使ったからと言って、イエス一人が主の御子などの論は何の証拠にも証明にもならないなのです。
私はある著名な霊能者に私の霊査を頼んで東京に行きました。その時、その著名な霊能者は私に【霊界に創造神が存在しなければシステムとしておかしい。しかし霊界のどこを見ても創造神と呼ばれる神が存在する痕跡が見当たらない。】と言われます。私はその時、その痕跡は【艮】の漢字に秘められていると口にしようとして止めました。この著名な霊能者にそれを言っても、それを理解されるだけの叡智は無いと見たからです。
創造神が人類の前から姿を隠さないと、【今】が無かった
この世は魂の修業場で、修行に【今】と呼ぶ時期が必要
私は何故に自分が盤古大神に拝謁したのか?。その背景には地上神界の主催神の座が盤古大神から元の元津神【宇志採羅根真】国常立尊に戻すを最高神界(第一天国界より上界)の決定がなされたなのです。その国常立尊様が地上神界の主催神に復帰を支援する為に、天之峰火夫皇大御神と呼ばれている宇宙最高神が人類の上に間もなく臨むなのです。この天之峰火夫皇大御神が存在する神界とは、既存の第一天国界よりも更に上界にあることから世に出ておられる神達はその存在を知らなかったのです。が、大本教の出口王仁三郎聖師は、第一天国界(神界)よりもさらに上に神々も知られざる天国界(神界)があると述べられたなのです。
されど天之峰火夫皇大御神はあまりにも謎で解らない神
私は豊受姫から【貴方はこの豊受をもってしても見通せない霊界の壁に隔てられた神界からコントロールされている。】と告げられました。豊受姫は国常立尊と呼ばれている御神霊とは深い関係があり。国常立尊様のことは御存じなのです。それは国常立尊様では無い神の存在を言われているなのです。
その天之峰火夫皇大御神が出現されることで
霊界は八界層に成り、第七の世から第八の世へ移行する
何故に聖書は神は六日でこの世を創り、七日目を安息日としたのか?。ダルマ(真理)は何故に七転八起にしたのか?。この日本は何故に神世七代としたのか?。大本教の出口王仁三郎聖師は何故に大本教は【七福神の舟遊び】としたのか?。そうしたことを知るには、既存の宗教の教えを持ち出してもそれで理解することは不可能だと言えます。
私が出した【米の教】を完全に理解出来た人はお釈迦様の叡智たる【悟り】の域に達し、二度とこの世には降りない【卆業】免状が付与されます。
私が出したブログは読む方は魂の点数が少しづつ上がって行くことは確認出来ていますが、お釈迦様が住まわれる域に達するにはそれなりの【理解】力は必要なのです。
米教は一銭の金も払わずに、自分の努力で天人界に進む
人々がお釈迦様の域になれば、この世はオシャカでいい
創造神たる艮金神国常立尊は【牛頭天王】の相をして、仏教の祇園精舎の守護神としてお釈迦様の守護神役に任じられたのか?。それは全ての人がお釈迦様の悟りであった【人に内在する良心神】を取り戻すのであれば、その時はこの世はオシャカ(不良品)にしてもよいなのです。何故ならばこの世はこの世に降り立った魂達がお釈迦様の様な悟りを得ることを目標に創られている世界だからです。
そこに人々がお釈迦様の悟りを忘れた頃、みろく(369)を持って五十六億七千万の数字からお釈迦様の悟りを導き出す仕組みを計画されたなのです。その主たる任務を課せられたのが世に予告教団と言われた大本教で、旧約聖書に予言しておかれた男女の二人の預言者を世に出し、艮金神国常立尊(閻魔大王で旧約聖書の神)の存在を宣伝させた。そしてその解説に【神の言葉、言葉の神】と呼ばれている存在を世に出したなのです。
キリストとは【真理】の意味で、イエスのことでは無い
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幽霊と呼ばれる存在は人の構造が【肉体・幽体・魂】の三位一体から成り立っている関係で、この世を去るとは三次元世界に即した肉体から離れて四次元界に進む幽体(霊体)の姿が世に見られているに過ぎないなのです。それを語るには【次元】と呼ばれる分野の知識を必要とします。この霊的次元界の存在は今の科学がどれほど発展しようが明らかにすることは不可能でしょう。
人は霊長類と呼ばれる様に霊的存在ですが、この世では肉体を貰って霊的防御をしています。霊的世界が多様なのは、肉体を持たない霊体は霊的防御として一種のバリアーで防御された世界に存在するからです。しかしそうしたことは古来の宗教では語られて来なかったがあります。古来の宗教とはシャーマン的な要素から発しており、霊界の真相が突き止められたではないのです。
仏教の開祖であるお釈迦様は、人は何故に生まれるのだろうか?。死ぬのだろうか?。そうした疑問から前人未到と呼ばれたバラモンの荒行に臨まれたがあります。しかしそうした荒行では悟りは得られずに菩提樹の下の【瞑想】で悟りを得られたとされています。今日ではその悟りとは【仏は慈悲】的な伝わり方がされているなのです。
お釈迦様の悟りとはお釈迦様の入滅後、500年間か又は1000年間だけはその教えは正しく保たれて【正法(しょうほう)】と呼ばれるが、その後の像法と呼ばれる時期に入るとその悟りの教えは解らなくなるです。形だけの出家はありますが、悟りを得る者は無しとされる時代です。
この像法の時代が大乗仏教と呼ばれる事柄の起こりで、お釈迦様の最初の教えは一乗と呼ばれて【自分だけ助かればそれで良いのかの小さな教えだとして捨て去られた】です。その自分だけ助かればそれで良いのかの批判を受けた一乗が如何なる教えで在ったのかがよく良からないのです。
その大乗の教えに合わせて世に出て来られたのが大乗仏教における如来・菩薩・明王と呼ばれる諸仏達で、その存在は霊能力者ならば確認が出来ます。が、これらの諸仏にお釈迦様の最初の悟りを尋ねても御存知無いにぶつかるわけです。それが何をもってお釈迦様の悟りは小さな教えとされたのか?。
大乗仏教の諸仏は、お釈迦様の悟りが解っていない?
いったいお釈迦様は何を悟られたか?。なのですが、それはお釈迦様の入滅後56億7千万年経過して現われる【みろく菩薩】によって明らかにされるとされて来たわけです。
ところが日本神道である大本教からそのみろく菩薩を【みろく大神】とし、56億7千万を【567】として世紀の大予言者と言える出口王仁三郎聖師をもって、鬼門のウシトラ金神と呼ぶ名称の元に一種の【神芝居】が演じられました。問題はその【ウシトラ】が何を意味していたのか?。なのです。
大本教が出したウシトラは、同じ綾部で藩主であった九鬼神道家に残された宇宙の元津神を【宇志採羅根真】として出された宇宙創造神の立場の神です。
ウシトラとは宇宙創造神【宇志採羅根真】で鬼と違う
方や鬼と云う意味を秘めた【艮】金神に対して、宇宙の元津神の意味を秘めた【宇志採羅根真】。それが同じ綾部と呼ばれる土地に現れた!。そこに神界で機密にされる事柄があるなのです。
魂は【鬼と云】。牛頭虎パンツの牛虎?。今は退くの艮
この問題は、朝鮮に残されていた最後の審判前、【救世の為に米一字の教えが起きる。その米一字の教えに従った者達の上には天罰は降りないが、そうでなかった者達の上には天罰が降りる。】とありました。その米一字を紐解くと、日本語のみですがお釈迦様の悟りとみろく大神と56億7千万が連動しているという不思議な言葉の仕組みにぶつかります。さらに真理は仏教用語として【ダルマ】と言いますが、ダルマの【七転八起】とは七度転んで八で起きるという謎が秘めてあります。
日本神道で今の世は【神世七代】。聖書では七日目は安息日。大本教の出口王仁三郎聖師は【七福神の舟遊び】。大本教の教祖は七代女子で続く等です。いずれにしても七の世は終わりが示されているのです。大本教ではその七の世の終わりは【質(七)】の世の終わりと説いたなのです。
今は七の世で、七の世が転んで八の世が起きるが真理
但しそれには大本教で演じた【龍宮の音秘め】が必要
その米一字の仕組みとは、大本教神論に幾度も出て来ます【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】の解読であり、その一輪の仕組みで人類は永遠に二つの世界たる【右と左】に別れるなのです。その右の世界が【永遠に嬉し嬉し】と呼ばれる世界となるなのです。
しかし物事とは、自分は右の世界でも良い。左の世界でも良い。どちらの世界でも良いもあり。単純な話では無いなのです。魂はその魂の汚染度において、自分勝手な世界が良いと思ったりします。日本の霊能力者ならば霊界は【蛇霊と狐霊の神ばかり】と指摘される様に、蛇霊や狐霊と呼ばれる神々がこの世を支配しています。
そこにスピリチュアル標榜者に見られる霊界とは【何をしても自由・好き勝手な世界】ですよとなります。それはどこにも自分勝手な行動を取り締まる神霊の姿が存在していないからです。仏教で説かれる閻魔大王とは、その羅城の門を【来世門】と言うように来世を保証する羅城の主ですが、別に悪神たる存在を取り締まっているわけでは無いのです。逆に節分の夜には羅城の門番たる邏卒の鬼達が【鬼は外】と煎り豆で打たれているなのです。
悪人を収監して、来世を与える閻魔庁を間違えた
その最たるのがキリスト教で、サタンと混同した
私は自分が何者か知りたくて著名な霊能力者の方に霊査を受けに行きましたが、その時にその霊能力者から【霊界に創造神が存在していなければシステムとしておかしい。しかしその創造神たる神の姿も痕跡も見当たらない。】と告げられましたが、そうした霊界のどこを探しても創造神たる神の姿が見当たらないという多くの諸霊の言葉を聞いて来ました。そこに自分が創造神ですと名乗る霊能者の排出の因もあります。
その時に私が霊査を受けた著名な霊能者の方は、日本心霊協会の創設者であった浅野和三郎師の一番弟子の方でした。浅野和三郎師とは大本教在籍当時は天下の大秀才と言われ、大本教の明治五十五年の世の大立替説の旗振り役でしたが、明治五十五年に何も起きなかったことから責任問題となり大本教を離れた方です。後に日本にスピリチュアルの言葉を入れた方で、その一番弟子の方からも霊査を受けたです。
仏教で説かれた玉型の【思惟】の方はみろくの世で
何をしても好き勝手の玉型の【恣意】の方は行かない
スピリチュアル標榜者の多くに見られる【神は愛だから何をしても赦されます】とか【この世は遊ぶところです】という主張は、魂を【玉恣意】と捉えているなのです。逆に【懺悔、懺悔】をして来た魂は【玉思惟】の道を行くとなります。
スピリチュアルの神は何をしても赦されますという論理の破綻は、世に言う天変地異とか大災害が起きた時、浮かばれずに地縛霊とか不浄仏霊とか呼ばれて【幽霊】と化して現れる霊とか、霊を浄化出来る霊媒体質者に憑依して苦しい苦しいと訴える霊があることです。もしも神が愛と呼ばれる権化だとするならば、話の筋が合わないなのです。
霊媒体質者とは単に霊が見えるスピリチュアル的なことではなく、自分を助けて欲しいと訴えて来る霊の汚れを無償で取っている霊媒質者のことで、霊能者として看板を上げるほど常に霊が見えるではないのです。スピリチュアルではスピリチュアルは金に成りますと宣伝して弟子を取るように、金を出さない霊を無償で助けるようなことはしないからです。
幽霊は宗教の教えでなく、世界で普遍的に語られる存在
幽霊は、霊能者から地縛霊や不浄仏霊と呼ばれる
日本では東日本大震災が起きて多くの方が亡くなりました。そうした方達に対する供養は宗教宗派を問わずになされていますが、優秀な霊能者の方からはそうした宗教界がこぞって供養をしていても、未だに成仏していない霊の存在が告げられます。天草四郎で知られるは原城を初めとして、古戦場ではその当時の姿をした霊の存在が霊能者には確認されています。霊が成仏するというのは御経一編で片付くと言う問題ではないのです。
スピリチュアル標榜の一部の方は自分が光を与えたら成仏した等と安易に言われる方がありますが、本人自身が納得しないと簡単に片付くではないのです。
この日本で【霊学】と呼ばれる物が出て来たのは、主に大本教の二代教主補であった出口王仁三郎聖師以後となります。綾部の大本教で霊学を学んだ世界救世教の開祖岡田茂吉師。成長の家の開祖谷口雅春師。その谷口雅春師の弟子にGLAの開祖高橋信次師。白光真宏会の開祖五井昌久師等が、その大本教霊学を学ばれた系統と分類されています。そして大本教で機関誌の編集長をされていたのが日月(ひふみ)神示の岡本天明師となります。
霊学の分野では、人は死ぬ時の想いが重要だとします
私は霊界修行の過程の中で某地方で幽霊列車として新聞の地方版で報道された列車に乗り合わせて、その幽霊と遭遇して地縛していた幽霊を成仏させて本当の霊界に送りました。また戦国時代の戦いで地縛化していた霊の救いなどをして来て、そこにこの世で死ぬ時の【トラウマ(外傷的出来事)】が重要な意味を持つと理解して来ました。
霊能力者ならば自殺した霊が地縛霊と化しているは常識の範疇で、自殺をしたら救うのは困難に成るとするのは事実なのですが、通常言われて来たことは自殺すれば神罰を受けて成仏しないです。で、戦いなどで自決した霊は地縛霊化しているかとなると、必ずしもそうではないとなります。同じ自殺でも公の責任を取って自決した霊は違っています。すると自殺したから神の罰を受けて地縛霊と化したのか?、それとも他の要因かとなります。
そのことに関して大本教の出口王仁三郎聖師は自分が救世主だと称して蒙古に渡った時、馬賊に捕まってあわや銃殺にされそうになった時、その同行者に銃殺される直前に目を瞑れと教えています。自分が殺される時の光景を自分の目で見るなです。それがトラウマの原因となるです。
確かに霊的世界に関わりますと、人がこの世を去る時の光景が非常に重要な意味を持っていると解ります。自分が受けたトラウマ(外傷的出来事)によって、本当の霊界に渡る成仏が出来ないなのです。
死ぬ時の【恨みや怨念】は、自分が不浄仏霊と化す要因
私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、私はこの世の幕を引く。継ぐに永遠に嬉し嬉しの世(みろくの世)の幕を開ける。そうしたことを告げられた一人です。しかしその永遠に嬉し嬉しの世とはこの地球上では無くて、世に出ておられる神々のほとんどが知らない高次元霊界に隠された新地球であるなのです。それを説明したのが日月神示の岡本天明師による【三四五(みよいづ)】から【五六七(みろく)】となります。ただ日月神示だと、その内容が七次元界位の教えで留まるなのです。
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声を聞き、長じては豊受姫や大国主命様や仏界の如来や菩薩や明王と呼ばれる方々とも関わって来ました。霊能者と呼ばれる方々からもとんでもない高次元界出身の方だと告げられて来た身です。死後は自分の正守護神と神人合一に入り神界に戻ることは解っています。
そこに私は【人は神の子・神の宮の論理】で在り。この世は天人の苗床です。遊び惚ける為に出て来た世では無いなのです。しかしそうしたことは大本教を始めとして一部の宗教でしか説かれていないことに危惧をするなのです。
これまでその存在を世に出ている神々にも隠しておられたこの地球の創造神。国常立尊様がウシトラ金神の名の元に仕組んだ日本語による数々の言葉の仕組み。単に自分に見えた霊の存在を語るだけでは何の証明にもならないなのです。それが事実であったとしても、それは実に小さな範疇の神芝居的な事柄となります。そこに逆に邪神や悪霊を見つける為に仕組んであるとも言えるのです。 もし創造神と呼ばれる神が存在していてこの地上に降り立つとすると、その時はこの地球に物理的危機が迫って来ている時です。今の世に出ておられる神々に物理的に地球に起きている危機を乗り切るだけの力は存在しません。そこに今の地球から新しい地球に移行すると説く私の様な異端派もあるなのです。
この地球が壊滅する光景を見ると、トラウマは永遠に続く
みろく世に進む人達は、その前に地球からの離脱が必要
大本教神論に世の立替時に入ると、ウシトラ金神国常立尊の意味が解らずに、ウシトラ金神国常立尊を鬼とか悪神呼ばわりする者達が出て来るとあります。ウシトラ金神の言葉の意味を知るならば、それが善神か悪神かは個々の人の判断によるでしょう。
大本教神論の内容の中には、ウシトラ金神のウシトラには【艮】もあれば【牛虎】もあるぞよとあります。そして大本教と綾部の殿様九鬼氏との関係が解れば驚くぞよとあります。綾部殿様九鬼氏が祀る御祭神は宇宙の元津神として【宇志採羅根真】でした。
宇宙創造神【宇志採羅根真】を「艮」と「牛虎」で紐解く?
牛頭虎パンツで鬼と云う【魂】は、王仁で何を語るのか?
大本教から鬼門の艮金神とは【国常立尊】様のことであるとは出されたのですが、そのことによって国常立尊様は牛頭で虎パンツの【鬼】の姿をしているのだと勘違いされている方もあるでしょうが、国常立尊様の姿を見ておられる豊受姫はそうした鬼姿は一言も言われませんでした。そうした一連の事柄は【言葉】の仕組み上と言えます。
絵の才能を持っておられた大本教の二代教主補であった出口王仁三郎聖師が描かれた
北東(ウシトラ)出現厳霊神(国常立尊)の御姿
それは別に牛頭虎パンツで【鬼】と呼ばれる姿ではないのです。
宇宙元津神、宇志採羅(ウシトラ)根真の大仕掛け
大本教神論、神三千年の仕組みをどう見るか!
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宗教が【真理】を説いていれば、その教えに違いは無い
だか宗教を見ても、一部しか【真理】が説けていない
各宗教宗派に所属する牧師やラビ(司祭)や僧侶と呼ばれる宗教家の頭(あたま)には、自分達が説く教えが絶対で自分が学んだ教えを世界に広めることこそが【正義】であり、神仏の目に適うことであるの覇権主義です。そこには【真理】を知るでは無く、自分の感情や感覚に支配されているなのです。自分が学んできたことが間違っていると指摘されることの怖さです。
例えば自分が法華経を学んでいれば、その法華経を学ぶ自分達を攻撃する者は悪魔的思考です。自分達が知る事柄だけが絶対で、他の教えの確認をしていないなのです。それは私達が今日まで見て来た宗教世界の状況です。イエスだ!。アラーの神だ!。で、宗教戦争をするです。
私は人の魂は球体で魂に【点数】が出るを知って、この点数は何だろうと思いました。魂は球体であることは今日迄語られていましたが、魂に点数が出る等は宗教では何一つ語られていません。自分達が教える宗教を信じれば天国で、天国と地獄の違いの説明がなされていません。そこで霊能者の方達を当たって尋ねると、その点数は最後の審判と呼ばれる時に自分が行く霊世界の【最終階段】を決める為の点数で、それは魂が持つ良心の点数だと聞かされたなのです。人の魂は輪廻転生を繰り返していますが、最後の審判の時点で各自の魂の【善行−悪行=良心の点数】が最終審査の点となるなのです。
人の魂の良心の点数で、最終審査を判定するのは誰?
大本教の神論には、艮金神国常立尊が【善と悪とに立て分けるこの世の閻魔大王】として現れるとあります。この文章に触れますと仏教の閻魔大王とは【ウシトラ金神・国常立尊】様のことであるとは解ります。だがその善と悪とに立て分ける良心が何故にこの世の【エンマ大王】に成るのか?。
魂の【円真】が審査する?。エンマ大王とは何の意味?
人の魂にその人が持つ良心の点数が出るのであれば、人が死後に行く霊界には天国や地獄と呼ばれる世界があり。それは自分の魂が持つ【良心】の点数の判定の結果だとするならば、それは誰しも納得は出来ることです。しかし世界の宗教を見ても、【人の魂に良心の点数】が出るなど書かれていないなのです。それはキリスト教のイエス一人を創造神の御子と拝んでいれば良いの話では無くなるからです。スピリチュアルの神は何をしても神の愛で赦されるでもないのです。
人の魂に良心が存在する故に、善と悪との戦いが生じる
されど【善−悪=良心】など、宗教として成り立たない
日本古来の神道界が説く魂は【一霊四魂】の説明ならば、その魂に良心の点数が出ることは何ら不思議ではありません。しかしながらその一霊四魂に関して大本教からはそれなりの説明がなされましたが、伊勢神宮の天照大御神と称して鎮座されている御神霊も出雲大社に大国主命として鎮座されている御神霊も、その【一霊四魂】の具体的な説明がお出来にならないにぶつかるなのです。
私は伊勢神宮に鎮座する御神霊や出雲大社に鎮座する御神霊からその御神霊の【神の御代】役を所望されましたが、それは各御神霊も【一霊四魂】を説明が出来る者を自分の御代に使わないと、多くの信徒にその説明すら出来ないがあるからです。
為に神霊世界は人の身で神の世界を語ることが出来る肉体を持つ者をその神の御代として使います。神霊界ではそうした人材の取り合いとなるのです。そこに神の御代と成る人達(宗教開祖等)と単に霊が見えるが神の御代にはとても使えない者(スピリチュアル的)に別れるのです。スピリチュアル標榜者でも神の御代が務まる程の人材であれば、神霊世界が放ってはおきません。
神霊には神界での階級が有り、上の神界が見えない
神界の説明は神霊では無く、人の身でないと語れない
私は子供の頃、仏教徒の子である私に【旧約聖書の神】と称する声が臨んで来るのを不思議に思いました。で、豊受姫に私の背後に存在する御神霊が誰かをお尋ねしたところ、【貴男の背後は天之御中主であり国常立尊である】と聞かされたなのです。天においては天之御中主名。地においては国常立尊と呼ばれている神。世に創造神と呼ばれている神だと告げられたなのです。しかしその神名の違いに関して説明はありませんでした。その豊受姫は、詳しいことは自分で調べて学びなさいで常に努力を求められた。
その後私が見たのは仏教において【閻魔大王】と呼ばれている存在だけです。大本教において告げられた御神霊とは【ウシトラ金神・国常立尊】であり。そのウシトラに関しては大本教神論は【牛虎】もあるぞよとあり。閻魔大王で仏教の祇園精舎の御守護神【牛頭天王】であることは明らかにされています。
最後の審判の旧約聖書の神とは、仏教の【エンマ大王】
丹波の片田舎の綾部で発祥した大本教と呼ばれる宗教から発せられた艮金神国常立尊の発信内容が旧約聖書の神の発信内容にあまりにも似通っていることから、その類似性が言われていました。しかも大本教の出口王仁三郎聖師は自分と出口なお開祖は旧約聖書に記載される【キリスト登場前に現れる男女の二人の預言者に該当している】と言われたなのです。確かに旧約聖書で予言された男女二人の預言者とは、大本教以外からは出ていません。するとそこにイエスは本当は何者であったのか?。そうした謎が出て来ます。
旧約聖書、自分が蒔いた悪の種の果実は自分で刈り取れ
もし自分に良心があれば、イエスに罪を押し付けるか?
なまじ誰かを【救世主】に仕立て上げて、その人に自分の罪の償いを被せる。そんな教えが堂々とまかり通っている。いったい誰がそんな間違った教えを世に広めさせたのか?。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、その声は私に【この世は魂の修学の為の場である。人がその修学の場で作った罪や汚れは、その修学の場たるこの世界に置いて元の魂の世界に帰るが、またこの世に降り立った時、その修学の場に置き残した事柄(カルマ)を学ぶ。】と告げられたなのです。
そこに人の魂は【更生】の為に【後世】に【甦る】
さらに旧約聖書の神と称する声は【人が修学の場たるこの世で犯した罪の解消は、自分が他の人の罪を肩代わりしてやろうと思うのであれば、自分の魂が持つ魂の徳分(善−悪)の中からの善の放出で無いと、逆に自分が助けたいと思う者の罪を代わりに被って地獄界にと向かう。】と、世に言う【救世主】論は間違った教えであると言われたなのです。
贖罪とは罪の売り買いで、善の積金が無いと払えない
スピリチュアル標榜者の神は愛だから何をしても赦されるは、地獄界にご案内なのです。
人は誰しも【カルマ】を背負う以上、救世主は居ない
私の元に【人に内在する良心神等と、ごちゃごちゃ説かなくてもイエス一人の様な救世主が出てくれば簡単に済む話ではないか。】とメールを送って来られた方があります。仮にイエスが今の世に出て来ても全キリスト教徒を助けることなど出来ないのです。それは自分が持っていた徳分を放出すれば、徳分を持っていた時点ではその範囲で人を助けることが出来ますが、その徳分を全て使い切った後に大量に押し寄せる信徒の罪を背負ってしまうと自分が地獄界に落ちる。その認識が出来ていなかったのです。
巷に自称救世主と名乗る方達はあまたありますが、その信徒達を見れば自分が犯した罪を解消する道ではないのです。その自称救世主の肉体は知らずとも、その魂は地獄界で自分の王国を創って君臨しようとしているが本音にあります。そうしたことは肉体の教祖と話していても解らないがありますが、魂だと本音を語って来るなのです。
肉体は本音を隠すが、魂は本音を出すので審神をする
そこに、何故に宗教はそんな単純な論理すら見落としたのか?。が出るのです。日本神道界では神霊を【審神(サニワ)】する事を説きますが、スピリチュアル標榜者は審神(サニワ)の重要性を無視します。蛇霊や狐霊が名乗る神名を頭から信じるです。そこには奇跡の現出で神霊を判断しようとするからです。
人の魂は審判の日迄、点数を上げる為にこの世に出る
最後の審判日は解らないで、神仏世界は危機感が薄い
神仏が住む世界とは、この世に住む私達からすればあの世と呼ばれる死後の世界のことですが、実際はあの世とは【単なる死後の世界】ではなく、魂本来が住む世界で【本地】なのです。すなわちこの世に生きている私達は【一時期】をこの世で過ごしているなのです。
この世は仮初(かりそめ)の世とされますが、そこには「仮に染まる」世の意味があります。人はこの世の生き方次第で【天国界の住人】となります。そのことを大本教の出口王仁三郎聖師は【この世は天人の苗床】と説かれました。
人はこの世の生き方次第で、天国天人界に進めるが
この世で上に立つと、死後の世界で落ちる【69】
私は子供頃、旧約聖書の神と称する声から【この世は誰よりも下に座る競争ぞ。なまじこの世で上に立つと地獄に堕ちると学べ。】と告げられました。そこにあるのは【6と9】の関係だったのです。
この世は9(苦)界の花で、天界で6(禄)の種となる
私が神霊界を見聞して学んだ事柄は、世界の宗教が説く【我が派の教えを信じれば天国界で、異教徒は地獄界に落ちる】ではなかったのです。大本教の出口王仁三郎聖師は【天国界に案内すると言いながら、地獄界に案内している取次ばかり。】と残しておられますが、自称救世主と名乗る者達に導かれて行った信徒達がどうした道を歩んでいるかと見るならば、この世を終えたら地獄に向かう【亡者道】を歩いています。その地獄道の原因を探ると、その自称救世主達に原因があるなのです。自分に存在する良心神に気づいていない。その教祖の個人崇拝に走った。その教祖やその背後の祭神に【徳分の原資】か無ければ、払ってやれない。
それは信徒達が選んで亡者道を歩いているのではなく、そうした自称救世主を名乗っていた宗教開祖が良心神の存在を理解していれば、そもそも個人たる人を救世主とする論は成り立たないの理解です。その教えが間違っており、それが原因でその信徒達は死後は地獄界に落ちて行くなのです。
どの信仰でも、天国界への判定は善行−悪行=良心点
私は仏教徒で曹洞宗の門徒ですが、お釈迦様を拝んでいれば極楽に往生ではなく、曹洞宗の経典と成る【修証儀】には過去世・現世・未来世の三時に渡って魂を修正する事柄が述べられています。そこには誰かを神や仏と思って拝めば助けて貰えるととは書いてはありませんが、【貪瞋痴(とんじんち)】の教えがなされています。
仏教の貪瞋痴は、救世主を求める人とは真逆の自らの道
この世は魂の世界からすると一時的な世界で、神社や仏閣に鎮まり神仏と呼ばれている存在は【霊人】と言えます。その霊人と呼ばれる存在はスピリチュアル標榜者には見えるとは言えます。しかしスピリチュアルだ!。で見る霊人とは、神霊と呼称していても【万物の創造】等はないのです。
この世を創造したのは神であり、神社に鎮まる霊では無い
科学がいくら発達しても、コンピュータに命は造れない
そしてスピリチュアル標榜で見る神と名乗る霊人達は、霊界の説明が出来ないを露呈して来ます。そこに言われるのが霊界は【次元】と呼ばれてい層璧で遮断されていることなのです。その層壁により霊的世界は第一天国界、第二天国界、第三天国界、中有界、第一地獄界、第二地獄界、第三地獄界の七層の存在が語られているなのです。
霊界はそうした次元界と呼ばれる霊界を隔てる層が在ることは解っても、その実態がよく解らないがあり、自分は三千億次元の創造神だとか100万次元の創造神だとか勝手な事を言う人が後を絶ちません。そこに全霊界を【神の高山】と見なして、高い山を【合目】で言うことからその合目を次元層として語るが起きました。そこに神の高山による【次元】説と、識界レベルで語る【次元】説があり。さらに【天使の記章】と呼ばれる階級章が天使達にはあることから、その霊人の霊界での高さを見るがあります。
霊界は【次元層】の壁で遮断され、神霊にも解らない
この地球上に降りられた今日迄で一番高い魂の持ち主は仏教を開かれた【お釈迦様】であることは間違いはないのですが、お釈迦様は創造神では無いのです。お釈迦様は八次元界から降りられた存在と言われており、イエスも同様に八次元界から降り立ったと言われています。マホメットと弘法大師は七次元界とされているなのです。
ただ識界レベルの判定では創造神を第十識界とすると、お釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。マホメット、弘法大師、日蓮聖人は第四識界とする説もあるなのです。
識界レベルとは、その教えがどれほど【真理】に近いか
幸福の科学の総裁で在った大川隆法氏は、自分は釈尊とイエスとモーゼの三体を出した本体たる魂で九次元界の魂だと勝手な名乗りをして、そうだと信じる多くの人を信徒としていました。それはお釈迦様とイエスは八次元界の存在だとする説から、その上の九次元界と言い出されたのでしょう。それどころか、自分は十三次元の魂だと言い出し、その根拠論がどこにも無いがありました。そうした時、それを単に【ニセ者】で終わらせてしまいますと、霊的世界の実態が解らなくなります。
宗教界の自称救世主の乱立は、【真理】が出ていない
宗教と呼ばれる物を起こしていない行者筋の霊能者から、多くの宗教開祖が死後に地獄界に落ちているとの報告がなされています。その宗教組織の背景に汚れの黒龍神や毒気を秘めた赤龍神が見られ、その宗教組織の主たる祭神を務める霊にこの世での病気直しや現世後利益を与える力はあっても、自分に仕えさせ、自分達の為に使った宗教開祖の魂を地獄界から引き揚げてやることが出来ていないとなるのです。
宗教界を操る霊に、閻魔大王の【沙汰】は変えられない?
人はこの世に生まれて出て来る時、その前の【霊的世界】の住人であった記憶は消されてしまいます。それはこの世は魂の修行場であり、そこには魂が輪廻転生していると知られるとまずいがあります。それは今生で生まれた環境が非常に悪かった場合、自分はこんな人生を臨んだのでは無い。違う人生を臨んだのだと、その人生の【リセット】を謀って自殺を企てるが起きるからです。
人の魂は同じ環境に置かれても、それが苦の環境でもその人生を淡々と受け入れる魂もあれば、こんな人生は嫌だ!。こんな人生を望んで自分は生まれ出て来たのではない。こんな環境は受け入れがたい。そんな魂も出ます。同じ環境下に生まれても正しい道を行く人もあれば、悪の道を行く人もあります。
同じ環境下でも、魂の霊格に応じて人は悪や善に走る
天国界に進むだけの霊格を得れば、人は悪に走らない
スピリチュアル標榜者の中には【人はこの世で遊ぶ為に生まれて来たのです。】等と平気で言う方があります。そうした人達の背後には何が存在するのか?。人はそこまで見極められる存在ではありません。霊が見えて霊の世界を語るからと言って、その人は正神界に所属ではないのです。逆に邪神界に導く勢力の方が数は多いのです。いくら霊力が強くても、人品が卑しい霊能力者の方が世に居られます。その背後には蛇霊等が居る等です。それで仮に自分が蛇霊界に行っても、そこは地獄界では無いからです。蛇霊に成ってもそれで良しと思う霊達も多いのです。
日本で蛇霊や狐霊は神とされるが、そこは天国では無い
スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。そうしたスピリチュアルでは神は愛だから、何をしても赦されるで、そうなれば当然に【地獄界】等と呼ばれる世界はどこにも存在しないことになります。そうなりますと、【幽霊】として語られる霊は何だ?、となります。
基本的にスピリチュアル標榜者は、大災害が遭ったような場所では多くの霊が【地縛霊】していることを語りません。もしもそうした地縛化した霊が要る場所に遭遇すると、【あゝ怖い。】で逃げるだけで、そうした地縛化した霊を成仏させるなどの作業もしません。スピリチュアル標榜者の多くは、スピリチュアルは金儲けが出来るで、自分の金儲けに成らないようなことはしないなのです。地縛した霊を無償で助ける霊能者など数少ないのです。ほとんどおられません。
昔、テレビによく出ていた宜保愛子さんという霊能者の方は、そうした幽霊などの低級霊がよく見える方で、そうした場所では幽霊などが見えて逃げておられて、実に解りやすい霊能者でした。お釈迦様の様な存在だけではなく、実際にそうした低い霊が見える方が居ないと宗教の力でどれだけそうした霊を救えるのか実証出来ないのです。その幽霊としての存在が長いと【妖怪】等にも巨大化もします。
スピは金儲けが出来るで走り、自己の魂磨きを言わない
為に霊界の汚れに無関心で、逆に霊界を汚して来た
この世では自己の魂磨きのみならず、一銭の金にもならない【霊界を浄化する】働きをすると、霊的世界での魂の地位を一気に向上させるがあります。それが霊的便所掃除で、霊的便所のみならず霊的汚き場所を清掃する。
これに関する出来事が大本教霊界物語に見られます。便所神とされる大地の金神【金勝要神(きんかつかねのかみ)】に関する内容ですが、通称トイレの神様、便所神と呼ばれる女神で神霊界修行者ならばこの女神を見るがあります。この便所神とされる女神を怒らせると怖いなのです。要は金に勝つ神の神名に見られるように、宗教に大金を払うより【霊的汚れを掃除する】は遥かに価値があるのです。
天人界とは、この世で遊んでいて行ける世界では無いのです。まして金で手に入る世界では無いのです。
創造神の姿は見えずとも、霊世界の浄化に働けば天人界
今日迄の宗教界は、この世の目的が説けていない
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その言葉の後、次の様な内容も告げられたのです。【私が隠れて演出して来たこれまでの世の神の舞台に上がる役者達は、誰も私が描いた台本の筋書きを知らずに演じて来た。為に間違えた演技をした者達も居る。ただ私が身を隠して与えた役割に従って、各自が自分の役割を演じて来た。私はこの世の舞台の幕を引いて、今と呼ばれる世界を終わらせる。一度はこの世の幕を引き、継ぎに新しい世界の舞台を開ける。継ぎの世の舞台の幕を開ける迄に今の世の神の舞台に上がった役者達は、その化粧を落として元の素顔たる自分に戻らなければならない。もし元の素顔の自分に戻ることが出来ないのであれば、継ぎの世と呼ばれる世界の舞台に二度と上がらせるわけには行かない。継ぎの世の舞台とは、誰もがその舞台では嬉し嬉しと喜ぶ演技の世界である。】と告げられたのです。
役者は舞台上の役で死んでも、次の舞台では出て来る
一定の公演期間は最終幕迄は、同じ役柄を演じ続ける
そうした内容は岡本天明師の日月神示にも見られます。悪をも抱き参らせそうろうです。この意味は非常に解釈が難しいと言えます。善と悪は表裏一体の関係であり、この世が神の舞台の演技場であるならば舞台の役として善役も悪役も生じて来るのです。ただそれはスピリチュアルで言う【何をしても神の愛で赦されます。】とは意味が違うなのです。
悪は魂の汚れから生じます。魂を汚さないと悪を演じられないのです。その為には自分の魂を汚して演じなければなりません。その魂の表面を汚す意味が【化粧】です。基本的にスピリチュアルでは魂磨きで魂の汚れを洗うを言いません。魂を汚すことで自分の姿が変わってしまう。いくら神と呼ばれても蛇や狐の姿となる。そこに元の姿に戻ることを【化粧を落とす】と告げられたなのです。創造神は何をしても赦されるならば、閻魔大王と呼ばれる存在も地獄界も無いとなります。
天国界に【悪】は存在しません。どうしてこの世には【悪】があるのだろう?。そうした疑問は誰しも抱くところです。ところがスピリチュアルに走ると、愛と言う言葉に惑わされてそうした疑問を持たなくなるのです。
この世は悪が無いと善が解らず、魂の修行場にならない
悪は魂の汚れから生じ、魂を洗えば元の素顔に戻る
この継ぎの世の舞台とは、嬉し嬉しの世であることはほとんどの宗教で語られて来た事柄ではあるのですが、問題はその内容が我が宗派の教えを信じれば天国界で異教徒は地獄界に落ちるの自画自賛で、宗教そのものが間違った教えに入ってしまったがあります。その嬉し嬉しの世に入る点数は、神は愛だから何をしても赦されるなどでは無く、善行から悪行を引いた点数であることを無視した教えと言えます。すなわちそこには自分が犯した罪の償いを自分に代わって被ってくれる便利な【救世主】等は存在していないのです。自分が蒔いた悪の種の果実は自分が刈り取るなのです。
嬉し嬉しの世の到来が見えた時、この世の幕は降りる
当時の私は子供であったことから、その辺の意味がよく解りませんでした。私は三十五歳を境として神霊世界と呼ばれる世界に関わって、奇跡とか神の現世御利益と呼ばれる事柄は稲荷神界で学びその体験をしました。それは実践行者と呼ばれる人達が関わる神仏世界との交流ですが、【真理】にはほど遠い世界だったとは言えました。私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から告げられた内容とはまったく関係が無い世界でした。
私自身は伏見稲荷山で初めての瀧行をした後、不思議な体験をしました。それはヒンズー教の奥義書とされるヴェーダ典に記載される【人の中に眠るコブラ蛇(眼鏡蛇)が目覚めて走り上がる時、その人は「真理」に目覚める。】と書き残された光景の体験です。私はその症状の文が書かれた書と不思議な出会いをしたのです。
その文を見た時、私の脳裏に【お釈迦様は真理を会得されたが、イエスは真理には至らなかった。】と出たのです。イエスの教えが【愛】であることは、スピリチュアルを見れば一目瞭然です。スピリチュアルでは【神は愛だ!】しか言いません。何をしても神の愛で赦されるで【悔い改め】が疎かになっています。だがお釈迦様の悟りは【仏は慈悲】だと言われています。それならば神の愛と仏の慈悲とでは、そこにどれだけ差があるのかとなります。
イエスの神は愛と釈尊の仏は慈悲では、さほど差は無い
されど私が子供の頃に臨まれた旧約聖書の神と称する声は、【そなたはナザレのイエスの愛の教えを何一つ恐れず乗り越えなさい。】と告げられて来ました。旧約聖書の神と名乗る声はイエス愛の教えは間違っていると告げられたのですが、お釈迦様の悟りが【仏は慈悲】であるとすると、お釈迦様の悟りも間違っていたとなります。
これはお釈迦様の菩提樹での本当の悟りは【仏は慈悲】では無かったが、後世の者達によって慈悲であったと書き換えられてしまったと言えます。だがその本来のお釈迦様の悟りが解りません。それが解るのはお釈迦様の死後、五十六億七千万年を経過して現れる【みろく菩薩】によって、お釈迦様が本当に覚られた内容が明らかになるです。
仏教においてはお釈迦様の本当の悟りは弥勒菩薩が出現されるとする五十六億七千万年後を待つではないのです。お釈迦様の死後500年間か1000年間はお釈迦様の悟りは未だ正しく伝えられる【正法】の時代とされますが、その後は仏法と修行者は存在するが悟る者が居なくなる形だけの像法の時代とされました。この正法から形だけの像法の時代に成る過程で起きたのが【大乗仏教】と呼ばれている教えとなっています。
すなわち大乗仏教が起きた時点で、お釈迦様の本当の悟りは世から忘れられてしまったです。そして今は末法の時代です。確かに大乗仏教ではお釈迦様の最初の教えを小乗とか原始仏教として、その教えをないがしろにしたがあります。
像法の時代に起きた大乗仏教に、お釈迦様の悟りは無く
仏界の如来・菩薩・明王から、お釈迦様の悟りは出ない
丹波の片田舎の綾部で起きた大本教から、その【56億7千万のみろく大神】が出されました。日本神道の世界から仏教のみろく菩薩が説かれるとは奇異なことですが、その大本教の神論には【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密とも火水とも書かれる)】が幾ヶ所に渡って出て来ます。大本教ではこの一輪の言霊の秘密の言霊は【スの神】とし、大本教以後に誕生した多くの新興日本神道系の宗教では大本教を倣って【スの神】論を展開しました。
その大本教から救世主は【スの神】で【素戔嗚尊】が出されると同時に【五六七のみろく大神】も出されました。それでは話が噛み合いません。素戔嗚尊とみろく大神とをどう結び付けるのか?。その説明がなされませんでした。
この【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯】は、大本教に在籍していた当時は大本教の機関誌【神霊界】の編集などをされており、出口なお開祖派であり、大本教を去った後に宗教家として神道天行居を創設した友清歓真(九吾)師に大本教神論予告の九つ花とは【九の魔法陣】のことであると伝えた神霊があったと言われています。
【九の魔法陣】から導き出されるのは【41】の数字で
その41は【ラ神】で、天之御中主様だと世に出された
それ自体は大本教神論の【綾部は福知舞鶴十里四方外囲い】が何を語っているかを理解出来るならば、実は導き出せるものなのです。私自身は大本教神論の【十里四方】から、これが何を語るのかを導き出したと言えます。何故ならは綾部は福知舞鶴十里四方外囲いでは、その方向が違って来るからです。言葉の意味が違うぞとなるのです。
私はたまたま寄った本屋にあった一冊の書を立ち読みしていると、そこに朝鮮半島に残される予言として【最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きる。その米一字の教えに従った者達の上には天罰は降りないが、そうでなかった者達の上には天罰が降りる。その天罰の最中に白十字が現れて、天罰を受けている者達もその白十字によって最終的には救われる。】と言う予言が残されていると、その本に記載されていたのです。
誰が考えても【米】一字で教えなど出来ません。ましてそれが最後の審判前、救世の為の教えだとは、何を言っているのかとなります。その時はそれでその本を買わなかったがあります。
たった一字の【米】が、最後の審判の救世主(メシヤ)?
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【そなたの教えに従った者達はこの私が助ける。】と告げられました。私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫は私のことを【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方で、貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)と言うべきもので、貴方の教えに従えないと言う神々は如何なる地位の神であろうとも天帝に対する反逆罪で裁かれます。】と告げられたがあります。
豊受姫が私に告げられた天帝からの詔(みことのり)とは、私自身は何の力も持たない輩ですが、その私が説く内容は天帝の詔(みことのり)に該当しているなのです。その米一字で説く内容が大本教神論に残された【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】のことかです。
その九の魔法陣における【41】の場所は、日本語のアイウエオの【ラの神】で出口王仁三郎聖師が出した素戔嗚尊ではなく【天之御中主(天照皇大御神)】の解釈は間違ってはいませんが、それだけだと点数的には5点か6点程度の点数しか付けられないものと言えます。そこには出口王仁三郎聖師の魂と友清歓真師との魂とでは歴然とした格の差があり、友清師では理解不能と言えるなのです。
大本教が予告した九つ花とは【メシヤ(飯屋)】の教え
それは大本教神論に【この神は煮ても焼いても食べられる。】とあるからです。米ならば煮ても焼いても食べられるです。が、重大なことはこの九つ花の仕組みに【56億7千万のみろく】の謎解きがあり、今の世は七の世で、次に八の世に入る七転八起の【ダルマ(真理)】が秘められており、大本教神論にはこの神は達磨大師として現れたがあります。さらにそこにお釈迦様が悟られた事柄も書いてあるなのです。ですから大本教から【56億7千万のみろく大神】が出されたなのです。
為に【米】一字を見ても理解できないでは落第
私は曹洞宗の門徒の一人ですが、その曹洞宗の門徒に送られて来た曹洞宗の小冊たる機関誌にお釈迦様の菩提樹での悟りとは【悪魔は実体を持たない現われであり、人には良心と呼ばれる神が内在している】と悟られたと書かれた経典が見つかったとの記事に触れて、私は小躍りをしたなのです。
お釈迦様の本当の悟りは人に内在する良心神で、
それを56億7千万の数で紐説く369の仕組み
それは艮金神の【艮】に、天(点)を付けて
漢字の良(ラ)で、魂の真ん中の円真として説く
いったい誰がこんな言葉の仕組みをしたのか?。この仕組み、スパー・コンピュータをもってしても出来ないと言えます。大本教神論にあります国常立尊が三千年間に渡ってなされた仕組み。この仕組みをした神とは私達人類がこれまで知ることが無かった創造神たる存在なのです。しかし私が出会った霊能者達は、大本教から国常立尊は艮金神として説かれたが、頂上神たる国常立尊は大本教からは出ていない。大本教は【予告】の教団であり、未だ人類の上に国常立尊は出ておられないと言われます。
豊受姫は綾部は神の聖都。創造神が降り立つ処
おそらく大乗仏教下で如来・菩薩・明王の役目を持って世に出られた諸仏達も、その【人に内在する良心と呼ばれる神(天帝の分魂)】のことは理解に至っていなかったと思われます。何故ならば日本の古神道では人の魂は【一霊四魂】で構成されていると説いていて、その一霊を【直霊】と呼び、天帝の分魂で在り。人の良心を司っているとしていたにも関わらず、仏界はお釈迦様の本当の悟りたる人に内在する良心神を消したからです。
それが解るには、魂の心棒に巻き付く蛇霊を知る必要と
ダルマ(真理)には七転び八起が秘められているを知る
しかもこの仕組み、お釈迦様の悟りを56億7千万で出す弥勒(369)菩薩のみならず、イエスとモーゼが果たした役割が何であったまで秘められています。それは自分はお釈迦様とイエスとモーゼを出した本体たる永遠の仏陀と称した幸福の科学の大川隆法氏の自分は東大を出ました程度の学力では解ける様なものではなかったなのです。
本当に大川隆法氏が自称の九次元界以上の魂の持ち主の方であれば、どこかでこの図は見たことがあり。この問題は紐解けていたはずなのです。私はこの問題を見た時、イエスが仮に日本語を知っていれば、ヒントを与えれば解けた段階の魂かと見ました。さすがにヒント無しでは、イエスが日本語を知っていても難しかったでしょう。イエスの次元界はそこまで高くなかったからです。
これは単純に見ても意味は解けないのです。大本教の出口王仁三郎聖師は【神の九十九(つづら)折。折られた実物を見ないと言葉の綾(あや)が解らない。】と言われた事柄なのです。
私は日本語でも、言葉を仕組んだ神の存在に驚愕した
私は鐘馗神の案内で中国で創造神とも言われている盤古大神に拝謁しました。その盤古大神が何者か知りたくて大本教霊界物語を買ったのですが、盤古大神は木星神とあったことからその盤古大神の立ち位置が解ったと言えます。木星神とはギリシャ神話では【ゼウス】に当たるからです。その盤古大神に拝謁は【漢字の変換(返還)】という意味を持っていたのです。
大本教で説かれた艮(牛虎)金神国常立尊とは、仏教では【閻魔大王】たる存在として語られています。この神は人が自分は死んだと思っても復活させる【黄泉帰り(甦り)】を担当されているなのです。
しかしながらキリスト教の教義では冥府の長官(閻魔大王)は【悪魔(サタン)】と定義されています。そこにあるのは人はこの世に出て来て、イエス一人だけを主の御子だと信じたら人類の原罪とされる事柄(人は蛇の囁きで狂う)が許されるを教義としたからです。主の一人御子で何人もイエスを通さないと創造神には出会えないの教義の元、人は死んで冥府に行く。そんな冥府の主などサタン(悪魔)以外の何物でも無いとなってしまったなのです。その結果、大本教の出口王仁三郎聖師が言われた地獄を覗けば、地獄は牧師達で一杯だとなったなのでしょう。イエスの教えだと、人は蛇霊界からの脱却が難しくなるのです。逆に人類を蛇霊界の支配下に置くような教義を出したなのです。
イエスはその弟子達に蛇の様に賢くあれと説いたと言われています。確かに蛇霊は【知恵】を指します。しかし蛇霊は人類を神の御国から追った存在なのです。大本教から出された国常立尊を悪神として追った最大の物とは、キリスト教における教義とも言えます。そこにキリスト教は【666(みろく)は悪魔の印】とするを出したがあります。
イエスの霊界での地位は、キリスト教徒が思っているほど高い地位ではないのです。識界レベルでは創造神を第十識界とすると、お釈迦様は第七識界でイエスは第五識界と言われているからです。マホメットは第四識界と言われていて更に霊界での地位が低いなのです。それはキリスト教やイスラム教の創立に関わった天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する霊も一段と低い存在だからです。そのイエスを一生懸命に拝んでいても高い次元界に進めないを起こしていたのです。
一人一人の魂の中の核には良心の働きを司っている天帝の分魂が存在する為に、創造神以外の存在を拝んだらどうにかして貰えるという問題では無いなのです。それは【閻魔大王】の沙汰を自分ならば引っ繰り返せますと言う様な話なのです。
神は愛だから何をしても赦してくださる等と言っていると、この世に生きている間はよいとしても、死後は間違いなく地獄界に落ちて行くなのです。大本教の出口王仁三郎聖師の言葉。天国に案内すると言いながら地獄に案内している取次ばかり。
スピリチュアル標榜者の神は愛だから何をしても赦されるでは、鬼と言われ悪神(サタン)ともされた閻魔大王と呼ばれる存在は霊界のどこにも居ないとなります。が、閻魔大王は最後の審判官の鬼たる存在としておられるなのです。それが魂を【鬼と云う牛虎】なのです。
閻魔大王は鬼とされても、魂の御親神と知る必要がある
私は真理を求めて、蛇霊や狐霊の世界から言霊に転じた
私が伏見稲荷山に初めて上がった時、稲荷大神首座神であるところの豊受姫は【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方で、貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)に等しいもので、如何なる地位にある神でも貴方の言葉による教えに従わないといけません。その教えに従えないという神々は天帝によって最後の審判で処罰されます。】と告げられました。
だが私自身、稲荷神界に留まっていてもその【言葉】による教えに辿り着けなかったなのです。それはこの日本で神霊世界に関わるとは【蛇霊や狐霊】とされる神に関わることであり、それらの神霊によって現世御利益はもたらされますが、自分の魂磨きには関係して来ません。もしも彼らが人々に魂磨きを口にする存在であれば、彼ら自身が既に蛇霊や狐霊の身の段階から脱却して天人界へと戻っていたなのです。
蛇霊や狐霊は御利益はくれるが【真理】は説かない?
御利益で霊の存在は解るが、この世の目的が解らない
スピリチュアル標榜の方達からは、どこどこの神社に行けば現世御利益がありますよという話はいくらでも出て来ますが、スピリチュアルに走って自分の魂磨きをしましょうの話はほとんど出て来ないなのです。逆にスピリチュアルと称して神社に【霊的汚れのヘドロ】の様な物を平気で置いて行く為に、自分達が神社を汚していることに気づかないなのです。霊的世界の汚れを増長させているなのです。
そうした中での霊的世界の光景ですが、蛇霊が何かの棒に巻き付いている光景が出て来たのです。その棒が金色の光を放つと、それまでその棒に巻き付いていた蛇霊が慌ててその棒から離れて行きました。私はこの【棒】は何だろう?。となりました。
人は死後は【魂】となって、あの世(霊界)に渡るは世界の宗教の共通認識下にはあります。その魂とは【丸い球(玉)】であることも解っています。ただその魂はどのような構造体であるかは日本神道の【一霊四魂】以外にはその理論は人類には出ていなかったなのです。
大本教から牛虎金神が出され、魂の【鬼が云う】を演技
人の魂とは球体で、球体ならば必ず【心棒】が存在する
人の魂の心棒(杭)は、悔(杭)い改めで替えられる
人は悔い改めれば、創造神によってその罪が赦される
日本新道で神を【柱】と言うのは、その【心棒(杭)】のことを【柱】と呼んでいたなのです。
私が子供の頃には旧約聖書の神と称する声が臨み。その声から【ナザレのイエス】や【ムハンマド(マホメット)】の霊界における地位を聞かされています。その霊格ではとても救世主だと名乗れる様な段階では無いのです。大本教の出口王仁三郎聖師は霊界にミカエルと言う名の天使長は存在していないと残しておられます。
そこにあったのは私が子供の頃に臨まれた旧約聖書の神と称する声が告げられた【私が陰から演出して来たこれまでの世の神の舞台に上がる役者達は、誰も私が描いた台本の筋書きを知らずに演じさせた。誰もが私が考えた役割を、自分で考えた筋書きで演じている。】に該当しているなのです。ミカエルという名の役割があったとしても、それは魂の心棒の働きだとは誰も思っていなかったなのです。
旧約聖書の神と称する声が私に告げられたことに【旧約聖書は我が書なれども「暗号」を秘めた書で、その暗号を解く鍵を持たないと意味を間違えるように創ってある。この日本で無いと私の教えは解らない。】と述べられた事柄で、ミカエルの意味は【巳(蛇)帰る】だったなのです。
それは【巳(蛇)帰る】は役とは示されていなかった
それと同様のことに【八根】を羽根と思ったがある
大本教神論には【この神が世に出ておられる神々を誑かし(たぶらかし)て使って来たとありますが、それは世に出ている神霊や天使と呼称する者達が、言葉の意味を正しく取らずに言葉の仕組みに狂うがあったなのです。
それを証明するのが、
イエスは40日間荒野をさ迷って、41日目に神の御子
私は言霊学に入り、聖書の神は言葉なりの本質を知った
私は聖書の【神は言葉なり】の本当の意味を知った時、イエスのみならず。全キリスト教徒の誤りを知ったなのです。それは旧約聖書の神と称する声が【新約聖書は人の子達が為した書で、私の書では無い。】と告げられたことなのです。そして大本教の出口王仁三郎聖師が、みろく大神を新約聖書で悪魔の印とする【666】で出した意味もあると言えます。
そこには人類の歴史には、今の世に出ている神々も知らない深い【闇】の時代があったなのです。
これから先に起きる事は、人は死んだと思えば生き返る
その日迄に、自分の魂の元の姿を取り戻す必要がある
もう少しで嬉し嬉しの弥勒の世の到来がやって来る
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自分が創造神だとか救世主などと名乗ることなど馬鹿でもチョンでも出来ます。このチョンとは半端者という言葉の意味ですが、一人前で無い存在でも自分は創造神だ!と世間に名乗りを上げるのは自由なのです。そうした名乗りをしたからと言って、そもそもその神や人を罰する存在がどこにも居ないからです。しかし創造神と呼ばれる神が世の表に立っていれば、とても怖ろしくてニセ物達も名乗れないでしょう。
どこにも創造神が見当たらない状況下でそうした名乗りをすれば、そうだと信じてくれる人達も世には幾らでもいます。証拠を見せろと言って来る人が居れば、その人は無視すればいいわけです。実際に私達は統一教会の文鮮明や幸福の科学の大川隆法を通して、そうした名乗りに騙されて行く人達を見させられているのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は【人は邪神が説く真理に狂うと覚るべし】と説いておられますが、邪神が説く愛の言葉の教えに人は狂うなのです。
義を知らぬ哀れな子羊は、狼の教えの前には騙される
神霊界では自分を証明するには、力で通すより道無し
勝てば官軍。負ければ賊軍で、真理より力が問われた
、
それは何故かと言った時、創造神と呼ばれる神の名を人々は口に出しますが、人類はその神の存在を直接に見たことが無いからです。為にキリスト教等ではイエス一人だけが創造神たる主の神の御子で、人はイエスを通さないと主と呼ばれる創造神が解らないとしたなのです。で、イエスをその主と呼ぶ創造神の身代わりに仕立て上げたなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は神界にミカエルという名の天使長は存在していないと明言されていますが、実際には天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する臭い連中が出て来ます。こんな連中は一喝すれば逃げて行きますが、それは彼らも旧約聖書の神を知らない者達と言えます。ニセの旧約聖書の神を仕立て上げて担いでいるなのです。そこに同じ旧約聖書の神を言いながら、血で血を洗う骨肉の争いに明け暮れたキリスト教とイスラム教の関係が出て来ます。しかしそこに真実を求めれば、神界の機密とされるタブーの中に入り込むとなります。
臭い物には蓋をせよの蓋を開けると、自分の命に関わる
私はある著名な霊能者に自分の魂の霊査を頼んで東京に行きました。その時、その著名な霊能者は私に【霊界に創造神が存在しなければシステムとしておかしい。しかし霊界のどこを見ても創造神と呼ばれる神が存在する痕跡が見当たらない。】と言われます。私はその時、その痕跡は痕の【艮(ウシトラ)】の漢字に秘められていると口にしようとして止めました。この著名な霊能者にそれを言っても、日本語と言う言葉に仕組まれているを理解するだけの智覚は無いと見たからです。
しかしその著名な霊能者から【貴方の背後には創造神では無いが、神界を統一するだけの力量を持った若侍の姿をした霊の存在を告げられたなのです。その若侍の姿の霊とは私が旧約聖書の神と称する声から告げられた。【そなたの前世は人の魂胆が解らずに他人に利用されて悲劇の武将として命を終えた。】と告げられた前世の自分の姿だったのです。若くしてこの世を去ったのです。その時に自分がされた仕打ちに対する恨みから、地獄界に堕ちていたと言えます。
その霊が出て来たことから私は自分の前世は【英雄】かと錯覚しましたが、英雄などでは無い。単なる【殺人者】だったのです。私は戦いの習いと言えども過去に多くの人を殺した軍の指揮官たる武将であったことから、今生はその【罪の十字架】を背負ったと言えます。
私は豊受姫から【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方です。】と告げられましたが、その若侍の姿をした霊の根源と言うべき段階での異名が【神の言葉】と呼ばれている存在だったなのです。悲劇の武将として出たのは魂の遍歴において出た一つの時代と言えます。私はその若侍の姿の霊の力によって【言葉の仕組み】が紐解けたなのです。豊受姫はこの若侍を姿をした霊に、【貴方は神界を血の海にする気ですか?。神界を血の海にしてはいけません。】と言われて、【未だその時では無い】とその姿を表舞台から隠しました。が、その姿を見るならば白馬に跨り、手には血が滴る剣を抜いているなのです。
ある自称救世主は三輪山の神は6次元界の黒龍神で自分の配下に入った。その三輪山の6次元界の黒龍神達を総動員して6次元界を隈なく捜索したが、あんたの正守護神の姿はどこにも見当たらないと言って来られました。6次元界をいくら捜索しても、その若侍の姿の霊は見当たらないでしょう。その姿を見たある阿闍梨は創造神の横に座している存在と言われているからです。
大本教から創造神は存在していないのではなく、蛇霊に憑依された多数の神達の多数決によって地上神界の表舞台の主宰神の座から追われたと出されましたが、ウシトラとは今は【退】の状態の示しなのです。しかしそこには理由があったのです。
創造神が人類から姿を隠さないと【今】が存在しなかった
この世は魂の修業場で【今】と呼ばれる時期を必要とした
人類は創造神を見た時、永遠に嬉し嬉しの世に向かう
キリスト教のイエスを見て主を見よ!では、創造神とは実に小さな存在だと人類を見誤らせることになってしまったと言えます。イエスの様な人形(ひとがた)を持って、創造神とは説ける様な小さな存在ではありません。そこに自分は創造神だとか救世主だと錯覚を起こさせて、自分が創造神だと名乗るバカな連中を輩出させるとなったのです。
日本の神社に鎮まる神霊達は創造神と呼ばれる様な神の存在を知る段階の霊人達では無い為に、創造神の存在を語りません。大本教から出された【艮金神国常立尊】とされる神のことは、大本教が世に出てから既に130年も経過したにも関わらず、未だに解っていないを露呈しています。
日本の神社に鎮座する神々の多くは、国常立尊の名は日本書紀で初発の神としてその名が記載されている程度の知識で終わっているなのです。それでは最後の審判と呼ばれる事態が起きた時、慌てふためくだけで終わってしまうとなります。
人とは霊(魂)を宿した存在で、大本教から人とは【霊(ひ)止(と)】であると出されましたが、この霊止(ひと)は日本語と言う言葉そのものが神の言葉であり。英語などではそうしたことが解らないようになっています。
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【旧約聖書は我が書なれども暗号を秘めた書で、その暗号を解く鍵を持たないと意味を間違える様に創ってある。新約聖書は人の子達が為した書で私の書では無い。私の教えはこの日本の諺(ことわざ)や民話やわらべ歌に秘めた。そなたはこの日本で私の教えを知りなさい。】と告げられました。
当時の私は仏教徒の家庭の子供にどうして旧約聖書の神と称する声が臨むのか?。意味がまったく解りませんでしたが、大本教と呼ばれる宗教の教えを知り、その大本教から【三千年間に渡ってこの日本に仕組まれた神の仕組み。】と出されました。その三千年間とは日本語と言う言葉の仕組みが含まれていると解って来たと言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師は、自分と出口なお開祖は旧約聖書が予言しいるキリスト登場前に現れる男女の二人の預言者であると告げられましたが、【艮金神国常立尊=旧約聖書の神】であるならば、その説は正しく。大本教の存在意義が成り立ちます。
日本語が解らない民族では、創造神は理解出来ない
それが明治29年旧12月2日の大本教神論にある【艮の金神はこの世の閻魔と現れるぞよ、この日本は、元は神の直系の分霊(わけみたま)が授けてある。外国霊魂とは一段も二弾も上の身魂であるぞよ。言葉もその通りであるぞよ。時節参りて煎豆にも花が咲きて・・・・・・】となります。日本語と呼ばれる言葉は【神の世界】の言葉なのです。
私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、神霊界におけるイエスやムハンマド(マホメット)や弘法大師さんの霊格を聞かされていますので、ミカエルとかガブリエルと称して出て来る霊では創造神は説けないことも解っていました。さりとてお釈迦様の様な方が世に出て来るかとなると、お釈迦様とは巷で自分の前世はお釈迦様で在ったと称するニセモノ達が演じられる様な存在では無いとなります。実に尊敬に値するお方なのです。
幸福の科学の大川隆法の様に、自分はお釈迦様とイエスとモーゼを出した本体たる十三次元の存在だと呼称して、それを本気で信じる人達が世に居たとしても、その人達は【バカ】者だで終わってしまうのです。いくらそうした存在を信じる人達がこの世では良い人とされていても、そうした見分けが出来ないと高次元霊界(天国)は難しいとなります。霊界を見分して来ると、自称救世主に引っ掛かった者達は地獄界に案内されているからです。
自称救世主を信じてしまうと地獄界に案内される?
私はある自称救世主に出会いましたが、その自称者は自分を救世主だと信じる信徒達を地獄界に連れて行き、その地獄界で自分を救世主だと信じる信徒達を奴隷として使う王国の主として、永遠に君臨すると言います。無論、自分のことをキリストだとか救世主だと信じる信徒達にはそうした本音は言いません。逆にその者から離れると、おまえは地獄に堕ちると脅迫するのです。それが宗教界における我が宗派の教えを信じる者は天国界で、異教徒は地獄界に堕ちるです。
そうした自称救世主を名乗る存在は、スピリチュアル標榜者とは違ってその背後に汚れの六次元界黒龍神とか毒気を出す赤龍神と呼ばれる様な存在があり、大きな霊力を保持していますので簡単に手出しが出来ません。なまじぶつかればこちらが殺されるです。
それは多くの人達が地獄とは鬼達が居て、自分の罪をさいなむ世界だと仏教の誤った教えから生じた地獄界では無く、地獄界とは【人の顔をしていてもその魂は毛物(獣)達の世界で、宗教団体の祭神として君臨している御本尊の勝手な神名の名乗りではなくて、その祭神の実態が汚れの黒龍神や毒気の赤龍神が君臨する世界】と言えます。
汚れの黒龍神や毒気の赤龍神が君臨する霊的世界?
国常立尊を悪神と追った汚れや毒気の龍神の目的は?
大本教から出された世の立替とは、背景が関わる
私は朝鮮に残されていた予言に【最後の審判前、救世の為に[米]一字の教えが起きる】とあるのを見た時、どうして[米]一字の教えが救世主の役なのか?。その意味が解りませんでした。ただ米で【飯屋(メシヤ)】の意味なのか?。大本教神論にこの神は【煮ても焼いても食べられるぞ。】とあることから、それが【米】の教えに通じているとは解るです。
大本教神論には【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水・秘密)】が何ケ所も出て来ます。その一輪が多くの日本の新神道系教団で説かれる【ス】の神の論拠となっています。しかし【スの神】では救世主は【素戔嗚尊】を配するのが限界なのです。どこにも【米】一字は出て来ません。その【米】一字が解けて、56億7千万のみろくが成り立つなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師の、【この大本教に現れた変性女子(素戔嗚尊)はニセモノだ!】。の発言の後、巷には自分が素戔嗚尊の魂で救世主だと称する人達が竹の子の様に多数出ました。大本教は内部で出口なお開祖派と出口王仁三郎聖師派があり。この両派は激しい対立にありました。出口教祖派の一部の信徒は出口王仁三郎聖師殺そうとしたほどです。有名な男子と女子の戦いです。この男子と女子の戦いとは何の型か?。なのです。
大本教の男子と女子の戦いとは何を意味したか?
大本教に在籍していた当時は出口なお開祖派に所属し反出口王仁三郎として知られ、大本教では機関誌【神霊界】の編集に関わり。後に宗教【神道天行居】を起こした友清歓真(友清九吾)師にある神が、大本教神論予告の【九つ花】とは【九の魔法陣】のことだと教えたことから、大本教から出された【スの神】は間違いで【ラの神】論が世に出ました。
素戔嗚尊のス神では無く、天照大御神のラ神論
男の素戔嗚尊と女の天照大御神の男女の争いとは?
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【日本神話の天の岩戸明けなどは私が人を使って創作させた物語であって、そうした事実が有ったではない。そなたはどうして私がありもしない天の岩戸明け神話を世に出させたのか?。そなたはその意味を調べるがよい。】と告げられたなのです。
私からすれば、調べればよいではなくて、どうして最初から教えないのか?。教えて貰えば無駄な労力を使わなくてもすみます。そこには神界には神界なりの理由があるのです。
人から得た知識は、自分が苦労して得た知識に劣る
大本教神論に【一を聞いて十を知る様な者でないと、神界の御用は務まらない。】とありますが、
創造神が存在するなら、悪神達の横行を許されたのは?
神の世界は【智覚】がないと、ニセ者達に簡単に騙される
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声を聞いていたのですが、その声は【私一人で、全神々が束になって私に敵対したとしてもその全神々を倒すことか出来る。】と告げられたのです。もしそれが本当に創造神と呼ばれる神であれば、私も創造神とその他の神々とでは歴然とした力の差があり。全神々が束となって敵対されたとしても、創造神一柱で反対派に打ち勝つことが出来るだろうと思いました。
しかしそこにそれだけの力がありながら何故に
艮金神と呼ばれる【退く】の道を選ばれたのか?
日本では世紀の大予言者と言われた大本教の出口王仁三郎聖師から出された世の立替とは【宇宙開闢以来の大立替】で全宇宙がその立替に入ると予言されました。最後の審判と呼ばれる事柄は、この地球上だけの話では無く。国常立尊様を主の神と仰ぐ人達から発せられる【人類は新しい天地に向かう】。それを秘めたとんでもない神の計画だったと知ったなのです。人類はその宇宙の大立替から逃げることは出来ません。永遠に嬉し嬉しの新し世に向かうなのです。そのみろくの世が厭なら、もう太陽も月も輝かない氷の様な別の世界に向かい、永遠にその世界で生きるなのです。
世紀の大予言者として知られた大本教の出口王仁三郎聖師が出された予言の内容は悉く世に出て来ましたが、【みろくの世】到来だけは未だ実現していません。それ自体は大本教は七代女子の教祖で続くと予言された事柄で、七代の女子の教祖で大本教は終わると予言されたなのです。既にその本来の正当な女子教祖の系統は七代の女子の誕生を終えていますが、大本教は女子教祖で七代続く云々ではなくて、七体の女神の魂を持つ七人の女子達が揃えば起きる話なのです。
これから先、【七の月の女神】に気をつけるべし
創造神の我欲は、全ての人がみろくの世に向かう
肉体の死とは【魂】の死では非ず。命の終わりではありません。死ぬことも出来ない魂の世界で、永遠に嬉し嬉しの世に行くでは無く。依怙地を張ってどうするのかなのです。
私が見たのは霊界の一部分だけですが、霊界を見聞していると黒蛇霊等に身を落とし、三千年間も霊界の海山川等で修業を積んで黒龍神等と呼ばれる存在になる。それが聖書で説かれた龍とは霊界で年老いた大蛇霊ですが、霊界での力を得ることから神霊とは呼ばれる存在には成れますが依怙地を張って悔い改めるをしない。それよりも霊力は失うが、天人と呼ばれる存在となって蛇霊の身から脱却して、天人界で暮らす方が遥かに心に安らぎを得られるなのです。それに気づいた蛇霊神達は悔い改めの涙を流して、天人世界に帰って行くなのです。
私は蛇霊神が悔い改めると【この世の蛇が直立する】を体験し、何を意味しているのか調べましたが、世界の宗教書にはそうした事象の説明すら無いなのです。西洋人は何をもってイエスが救世主等と言っているのか?。しかし日本語という言葉は、その意味を教えてくれたなのです。
人に現世御利益を授ける霊力を得ることから神と拝められることに喜びを得るのか?。天国の住人と成って仲間達と楽しく生きるのか?。天国と呼ばれる世界と神霊界と呼ばれる世界は別の界で在ることが解ります。魂の修行場であるこの世に関わっているのは天国界の住人達で無くて、霊国と呼ばれ天使か神霊と呼ばれる世界なのです。為に神霊世界には、悪神(邪神)も善神(正神)も存在しているなのです。
もう魂の修行場たる地球から、天国界に帰る時節
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そこにはお釈迦様が修行に入られた。【人は何故に生まれるのか?。何故に死ぬのだろうか?】。そうした疑問から修業に入られた基本を学ぶが抜けているがあります。
スピリチュアルという言葉を連発する人には、霊的世界を見るのは霊能力の問題であり、修業など無意味だと思っている方達があります。そこに【瞑想】が語られるのですが、瞑想だけでは片付かない問題があるのです。
瞑想だけでは【迷走】となり、魂磨きを忘れてしまう
スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!と発信している方達が霊と呼ばれる存在を見ている。その事自体は別に嘘でも何でも無いのです。ただ霊が見えるから【真理】を知るではないのです。霊的世界は非常に多様な世界で簡単には語れません。ならばどうしてこんなに【多様の世界なのだろうか?】。そうした疑問が発生してもよいのに、それが無いなのです。それは【意識】と呼ばれる存在に対する思慮が無いなのです。
霊界に関わると魂磨きは辛いし良心の呵責は重いと解る
世界の宗教で【魂】は説かれるが子細が説かれていない
そうした証拠として、日本の某仏教宗派は公然と人は死ねば土に還るだけだと霊界の存在を否定しています。すると貴方達の宗派で御本尊と仰いでいる霊的存在はいったい何物なのですかとなります。宗教そのものが自分達が御本尊と仰いでいる存在に対して、しっかりと目を向けていないなのです。
日本の仏教ではお寺に仏像を設置し、その仏像を拝んでいます。その仏像には【霊】が宿っていると解っています。逆にイスラム教などではそれを偶像信仰の対象として破壊しています。しかし、イスラム教ではそれは何の為か?。そこまで解っていたでは無いと言えます。そこにはムハンマド(マホメット)の霊界における地位の低さがあったなのです。
仏教の偶像に霊は宿る。その偶像に宿る存在とは?
仏教は人はお釈迦様の様に仏陀と呼ばれる存在に成れることを説いた教えですが、キリスト教にイスラム教にユダヤ教の様に万物の創造神の存在を説いたではありません。しかしキリスト教にイスラム教にユダヤ教の三派は同じ旧約聖書を聖典とすることから同じ意味の創造神を仰ぎながら、互いに血と血で洗う争いの中にあります。それはその三派に聖典は有っても、聖書そのものには【真理】が何も書かれていないがあるからです。
スピリチュアル標榜者の前に天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する者が出て来ることは知られていますが、彼らはキリスト教とイスラム教を互いに戦わせている張本人達と言えます。それをおかしいと思わない感覚が不思議だとなります。どうしてそんな存在が天使長とか大天使と呼称しているのか?。大きな謎を生みます。
大本教の出口王仁三郎聖師は世紀の大予言者として実績を残された方で、スピリチュアル標榜者の段階の方ではありません。出口王仁三郎聖師その方が【自分はイエスに何一つ劣っていない。】と発言されましたが、優れた霊能力者は大本教の出口王仁三郎聖師はイエスと同格か、それよりは高い存在と見る向きもあります。ただキリスト教は世界宗教で、出口王仁三郎聖師の大本教は戦前は日本の大宗教でしたが今は小さな教団と言えます。世界レベルでは比較して語れませんが、その経典は多くの【真理】が入っているのです。
私から見るとイエスの教えは【真理】にはほど遠いがあります。私が霊界でイエスか?と思う霊に何度か出会い、その霊は私に自分はナザレのイエスと告げて来ましたが、キリストの意味が【真理】だとするならば、彼はキリストの名には値しないとなります。私が見せられた霊的映像では、キリスト教徒はみろく世には進めないなのです。そこに【創造神の一人御子】とは何を意味していたのかがあるなのです。
人の魂は丸い円球で在ることから中心に【核】と呼ばれる部位があり、その【核】は何で在ったかになるからです。日本神道ではその核の部分を天帝の分霊とし、人の良心の働きを司るともします。そこにはイエス一人が主の御子説はあり得ないなのです。大本教から出された【人は神の子・神の宮】が正しいとなります。
大予言者として知られた大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界にミカエルと呼ばれる天使長は存在していない。それは日本語の【省みる】の言葉の意味だと残しておられます。
悔い改める省みる意味が天使長【ミカエル】とは?
聖書には人類の原罪として、蛇霊に唆されて神の御国(エデンの園)を追われた人類と告げられてはいるのですが、キリスト教等ではイエス一人を主の御子と信じればその人類の原罪は赦されるで片付けた為に、逆に原罪たる蛇霊の囁きの意味がさっぱり解らないとなります。
聖書から解ることは【龍とは霊界で年老いた大蛇霊】だけ
実際に神霊世界を見聞して来ますと、この地球上では【蛇霊は神霊】として祭られています。大本教の出口王仁三郎聖師は【救世主は素戔嗚尊】だと言い、自分はその素戔嗚尊の魂だと告げられました。以後、巷の自称救世主達は自分は【素戔嗚尊の魂】だと言われる。
素戔嗚尊は、日本神話で八岐大蛇(やまたのおろち)退治
人類の原罪に関わる大蛇霊を退治する存在が救世主?
世界の宗教で見落とされていたことは【人と蛇霊】との関係と言えます。私は神霊界修業を伏見稲荷山で積ませていただいた関係で、多くの神霊と呼ばれる蛇霊や狐霊に関わることが出来ました。その中で神として祀られている蛇霊が涙を流して泣く。悔い改めた蛇霊が蛇の身から脱却して麗しい天人の姿に成って天に戻る。そうした出来事に触れて、これは何だとなったのです。
宗教界では我が宗派の教えを信じる者は天国界で異教徒は地獄に落ちるとする教義が定番ですが、まったく違っているではないかです。
魂が汚れていないと天国界に、魂が汚れていると地獄界
魂は心臓に宿るが、間違った宗教は魂は脳に宿ると説く
古来より魂と呼ばれる存在は心臓に宿るとされていますが、一部の宗教では魂は脳に宿っていると説いている宗教もあります。それはその宗派の開祖は自分は十三次元の魂だと呼称されていても霊能者とは言い難く、魂が心臓に出入りしている様を見たこともないからと言えます。
霊媒者だと他人の魂でも自分の心臓にドンとぶつかって来る等を体験することから魂は心臓に宿るを体験します。また蛇霊が人の心臓に宿る魂を食い破り、その肉体を自分の借(仮)宿とする。そうした事柄の見聞をもするのですが、そうした見聞も無かったからと言えます。
そこには、人が生きていると実感するのは【意識】であり
意識と呼ばれる存在に深い思考がなされなかったがある
魂が【玉】型の存在であることは、【たましい】と呼ばれることからも【玉型】だとは推察出来ます。そしてその魂は【意識】を司っていることは古来より解っていました。しかし私達が生きていると実感する【意識】はどこに宿っているかとなると、それは脳だと思う方が有っても不思議ではないのです。だがその一方で魂は【心の存在】と考えた時、当然に魂は【心の蔵】と呼ばれる場所に宿るともなります。
お釈迦さまやイエスの時代。霊視で魂(光を放つ玉)の存在を見ることは出来ても、それを【写真】に写すは不可能だったでしょう。その時代は写真機と呼ばれる物が存在しなかったからです。為にお釈迦様でもイエスでも魂論は完全に説けていないが有ると言えます。またその魂の大きさは神霊と呼ばれる存在でその大きさが違い、魂が人の肉体に宿っている存在であることまでは掴みづらい事柄であったとは言えます。それを理解するには魂は分裂(分霊化)する。そうした知識も必要だったのです。
私は魂を見ると、丸い円球でその人の【心の在り方】で瑠璃色の様な美しい輝きを持った魂や、逆にどす黒く汚れて悪臭を放っている魂に遭遇して来ました。そしてその魂に出る点数が在り。その点数はその魂が持っている【良心】の点数であることを学んだなのです。お釈迦様は人に内在する良心神に気付かれたが、多くの諸神諸霊はそこまでの知識が無かったとも言えます。私も大本教神愉予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】を解いていなければ理解しなかったかも知れません。
それは誰かを神と拝めばその点数が上がるのではなく、自分でその点数を上げて行く【自己研鑽(磨き)】の大切さです。そこで魂とは玉型の【玉思惟】であると説いて来ました。
世の中には私が説く魂は【玉思惟】論では無く、自称救世主と名乗る方の中には【魂は玉思惟では無く玉恣意の漢字の方だ】と説く方もあります。魂は玉恣意の場合の恣意とは【何をしても自由。自分勝手】の意味を持つなのです。
【玉恣意】の魂論も必ずしも間違いではないのです。大本教と呼ばれる宗教が丹波の片田舎の綾部で発祥した時、その大本教から【自分勝手、自己本位】の生き方を戒める教えが出されました。だが世の中はそうした自己本位、自己中心主義を戒めるのではなくて、自己中、自己本位の行動を【あるがまま】と説く誤ったスピリチュアルの教えもあり、世の中は辛い魂磨きを説く者よりもより安易な道を説くことがスピリチュアルだと思う者達も大量に出て来たなのです。
玉恣意は【心を次ぐ意】の玉で、次の世に輪廻転生で出る
明治25年に丹波の片田舎綾部で発祥した大本教から、何をしても自由だと言う生き方は神の意志に反する間違った生き方だと出されました。現在の世でスピリチュアルと呼ばれている人達が説いている内容は【九十九%】が自己本位・自己中の生き方を薦めていて、本人は何も知らずに自己の教えを聞いた他の人を死後の世界で地獄界に案内するという有様を呈しています。
大本教で説かれた【天国に案内すると言いながら、地獄に案内している取次ばかり。】です。だがそれには人々を地獄界に導いて居るところの神霊世界も学ぶ必要もあるなのです。自称救世主と称している方達の中には、自分を救世主と信じている人達を地獄界に案内して、その地獄界で自分達の王国建設を目論んでいる霊達もあるからです。そこで利用されるのが【奇跡】なのです。私達が住む地球霊界に関わって居る神霊達が必ずしも【正神界】の神々では無い。それを知る必要があったのです。
そこに大本教から元の創造神たる国常立尊は、蛇霊の囁きに毒された神々の多数決によって、地上主宰神の神の座から【鬼】として追われたがあります。私は鍾馗神と呼ばれる神の案内で【盤古大神】と呼ばれている神に拝謁し、人類の世に何が在ったのか?。その一端に触れたと言えます。
魂は汚れを磨かないと【獄】界に入るが説かれていない
巷で自分は創造神のうつそみ(現身)とか救世主ですと名乗り、自分を信じて天国へ案内すると称する方達を、死後の世界ではどこに向かっているかを調べますと、皆さん【地獄界に向かう亡者道】を歩かれています。
地獄に向かう亡者道は、この世に肉体を持っている時に道を変えないと死後は間違いなく地獄界へと向かいます。この世は魂の修行場、修学の場と言われていますので、この世で肉体を持って居る時にその方向を転換すれば地獄界落ちは免れます。
この世で方向を変えれば地獄道を免れるがその卆免?
宗教の我が宗派を信じれば天国で異教徒は地獄は無い
で、その宗教の教えを信じた人達は天国界に進んでいるのかとなった時、そうはなっていなかったなのです。そうしますと世界の宗教が説いて来ました【異教徒は地獄に堕ちる】の概念は、何を【基準】に見ていたのかとなります。
獄の漢字、【言が?を犭(けもの)と犬】とに分ける世界
私達は神社に行きますと、そこに【狛犬】と呼ばれる存在を見ます。どうして犬が【神門】の役目をしているのか?。
魂に着いた汚れを【祓う】に、【犬】の漢字が入れてある
神霊の世界に蛇や狐や狸や猫の漢字を当てるも、言が鍵
神霊世界に関わりますと神霊の多くは蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊で語られます。私は伏見稲荷山に修業に入り。蛇霊や狐霊は神霊として祀られている。では人間は?。となりました。蛇霊として現れる神霊とは本来の蛇では無く。元は人霊なのです。かっては人であった時代も有る存在が蛇霊や狐霊と呼ばれる存在に身を変えられている。そして【悔い改め】れば元の天人の様な神姿に戻るです。
仏教で説かれた【輪廻転生】の転生は、神霊世界にも及ぶ
大本教神論、世に出ている神々が四つ足であると暴くぞ
仏教で説かれた【輪廻転生】を見て行くと、どうして最初から魂を玉思惟(玉恣意)とすれば、感じ(漢字)が解りやすいのに【魂(鬼が云う)】に成っているかです。そこに艮(牛虎)金神と呼ばれる神の存在が秘められてあるなのです。
魂は玉思惟と玉恣意の差で、反対方向に進む
スピリチュアル標榜者の神は愛だから何をしても赦されるとか、良心の呵責は重いから捨てましょうの論理は、魂の世界での破滅破壊にと導いているなのです。
最近見られる魂の多くはどす黒く汚れて、本来は丸い円球の魂がぺちゃんこ形と成ってきて、しかも真ん中が無い穴あきの【ドーナツ形】に成っている等が、そうした存在を霊的に見ることが出来る人達から報告されて来ています。
人は厳しい教えを鬼と言い、甘い教えを良い教えと思う
仏教では【識】と呼ばれる事柄が説かれます。私達日本人の大多数は仏教徒なので仏教の御経である【般若心経】を口ずさむがあります。その時、般若心経の中の【空即是式。受想行識】等の御経文を読み上げることで、【識】と呼ばれる言葉に触れます。その般若は【鬼】の意味を持っています。鬼が【心の御経として識】を教えているなのです。
この【受想行識】の言葉などスピリチュアル標榜者の前に出て来る天使長ミカエルとか大天使カブリエルと称する霊等から、そうした説明があるのかです。私は神霊世界に関わり、そこで出て来る霊を調べるサニワ(審神)の重要性を知ったなのです。
私に大天使と称する者が現れたら、サニワ(審神)をする
仏教の【識】が解らずに、大天使等と名乗るは片腹痛い
審神(サニワ)を知らずして、スピリチュアルで【愛】ばかりを言っている者達は蛇霊の囁きに毒された者達と言えます。そうしたスピリチュアル標榜者は真の天国界を知らず。その天国界に進む道のことも理解していないと言えます。
人は【神の愛】で生かされるでなく、識が在るから生きる
魂が死後の世界で苦しむは、その【識】が消えずに残るから
神は言葉と言うのであれば、言に音たる【識】とは何ぞ!
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霊的世界に関わってから、そうした体験をされた方がいないかと調べましたところ、幾人かそうした霊体験者が存在すると知りました。それは人の目には特殊な霊的フィルターが組み込まれていて、いざとなれば神は聖書のヨハネの黙示録にある太陽も月も何の光も見えない世界に人類を放り込むも出来るなのです。
その時の霊声は私が子供の頃に聞いていた旧約聖書の神と称する声とはまったく異質の霊声で別の存在たる霊と言えました。その霊声自体に臭い匂いが存在したからです。で、その声が言うことは私には俄には信じられないでした。
霊の言葉も声質の違いで、その声の主を聞き分けられる
私は豊受姫のお世話で伏見稲荷山で霊界修業に入りました。その最初の頃にヴェーダ典に記載される【人の中に眠るコブラ蛇が目覚めて走り上がる時、その人は「真理」に目覚める。】と残された不思議な体験に出会い。それ以後は【真理】とは何か!。それだけを追い求め続けた人生だと言えます。
神霊界を見聞して、【真理】が見当たらないに愕然とした
スピリチュアルでは誰でも霊と簡単に会話など出来ますとよと言う方が多いのですが、人は自己妄想として霊と会話をしていると錯覚するがあります。私は自分の霊界修行のお世話になった豊受姫から、ヘミシンク等に走ってしまうと自分の脳が破壊されて幻影を見る。だがそれは本当の霊界を見ているのでは無い。自分の脳内で創り出した霊的事物を見ているのに過ぎないと忠告をされましたが、自分の脳内で見た事物を語る霊界物と大本教の出口王仁三郎聖師の様に未だ来ていない先の出来事を言い当てる予言的映像を見る霊界とではまったく違うと言えます。
神は言葉とされるが、霊の声質を知らないと意味を間違える
霊には声質があり、自己妄想で会話する霊声だと質が無い
私は伏見稲荷大社の首座神の豊受姫のお代をされていた方を最初の師匠としました。その師匠がこの世を去る少し前に私に対して、人類の歴史で貴方ほど摩訶不思議な霊体験をされた方は世に存在しないのではないのだろうかと言っておられましたが、それは稲荷神界の豊受姫から私に対する言葉と思われます。私は普通では考えられないような霊体験の連続だったなのです。
私が子供の頃に聞いていた旧約聖書の神と称する声は、私に【あの世(霊界)とは、その人が一生を賭けたとしてもその一生で解る様な世界では無い。人が知る霊的世界とは僅かな部分でしかない。】と告げられました。この日本に関して【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国であり。私はそなた一人だけにその仕組みを見せるので、そなたはそれを人々に告げなさい。】と命じられたがあります。
その内容は豊受姫が私に【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方です。】と告げられたことから、日本での言葉の仕組みの解読の為に不思議な体験をしていると解って来たがあります。
大本教神論には、この日本には艮(ウシトラ)金神国常立尊様(旧約聖書の神と思われる)が三千年間に渡って成された仕組みが在ると出されました。それらは日本語による言葉の仕組みで私はその言葉に仕組みを知る為に実に摩訶不思議な霊体験を積まされて来たとも言えます。が、それらは大本教で予言されて来た事柄の仕組みの解釈であって、それによって【五十六億七千万のみろくの仕組み】の意味が解っても、それで何になるのかと言われたらそれまでとは言えます。そんなことは自分には何の関係も無いと言ってしまえばそれだけなのです。
ただ私はそうした言葉の仕組みであっても、そこにこの宇宙を創造したであろう神の存在。その存在を【確信】出来たなのです。私は天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する者が出て来ても何も驚きません。彼らが言う神だと、そうした言葉の仕組みを創った神の証明論すら語れないからです。
五十六億七千万のみろくを考えた神が発動したならば
大本教が予告した三千世界(全宇宙)の立替は起きる
一部の霊能力者は私を見て【貴方は救世主か?。】と尋ねられました。私は天使としての記章は持ちますが全宇宙的に見ればそれほどでもないと言えます。それだけ宇宙は広く、地球は限定された世界と言えます。私は出雲大社教の教師の方から、貴方が出雲大社教に所属すれば全出雲の神力を出雲大社が貴方に授けますと告げられていますがと言われましたが、私は宗教家に成る為にこの世に出た者ではありません。
とある場所の【門番】を命じられた者。その場所とは
大本教が告げた三十五万年前の国常立尊御隠退劇
大本教神論は大本教が発祥した場所を【龍門館】としています。大本教の二代教主補であった世紀の大予言者と言われる出口王仁三郎聖師は、大本教神苑内の金龍池は型であり、本当の金龍池が在る場所と説かれた某土地の一角の淵に居を構えています。その土地を霊視した霊能力者の方達で本当の霊視能力を持つ方達は、その土地は大本教霊界物語に記載される今から約三十五万年前に起きた国常立尊様の御隠退に関わる土地だと言われます。
私自身は大本教の信徒ではありませんが、大本教が予言した仕組みとは深い関りを持っている者なのです。と言っても今の人類は約20万年前に現れたとされるので、今の人類が知る歴史では話が解らないとなります。どこまでも霊界物語と言えます。
大本教から出された主の神は35万年前の御隠退劇に関わる事柄で、スピリチュアルでは解らない 引退は【艮の道】で、ウシトラ(牛虎)を理解する必要があった なのです。私は鐘馗神の案内で中国の盤古大神と呼ばれる神に拝謁し、それまで盤古大神などその名前も聞いたことがない神だったことから何神かを知りたくて読んだのが大本教霊界物語となります。その霊界物語を読んで盤古大神が何神かが解ったと言えます。その盤古大神の施政下の神界を知らずして、人類は神の世界を知るではなかったのです。
この世は人としての幸せを得る場所では無く、魂を磨く為に修学修行に来た場。大本教からは【天人の苗床】と出されましたが、自分の魂に欠点が有ればそれを更生させるために輪廻転生の【黄泉(よみ)の国から甦る(黄泉帰る)】を起こしていたと言えます。
魂は更生の為に【甦る】など、日本語は創造神の姿は見えずともその存在が在ると完璧に解る様に創られています。
魂は更生の為に後世に甦る。黄泉(よみ)の国から黄泉帰り
それを知るには天使長ミカエルとか大天使ガブリエルとか自称して出て来るスピリチュアルで天使と呼ばれる存在は邪魔者達と言えます。スピリチュアルでは魂は永遠に不滅だと絶叫していますが、魂が腐ったり捻じれたり破砕されている事実をまったく理解していないがあります。
そこに大本教からみろくの世は【水晶魂】の存在が出されたのは、まさに弥勒世に相応しい革新的な事だと言えました。また魂はいくら不滅だと言っていても、それで蛇の道は蛇で蛇霊界に転生させられてそれが嬉しいのかです。私は自分が蛇の姿だと思うとガックリします。
魂は不滅だと言って蛇霊と化した身を悲しまないとは哀れ
聖書に龍とは霊界で年老いた大蛇霊だとありますが、日本の三輪山の神は黒龍神とか黒蛇霊で知られていて三輪山の神を信仰すれば大金は転がり込んで来ますが、信仰したその身は死後に黒蛇霊の世界に転籍をします。どっちが得なのかを考えるです。
私は大蛇霊達に大蛇霊の身が美しいと思うのか!。そうした叱責をします。そこで悔悟(過ちを悔いる)の涙を流した大蛇霊の姿をした者達は天人界に戻れる手続きをしますが、スピリチュアルで説く何をしても神の愛で赦されますの論理など、どこにも無いと言い切ります。悔い改めようとしなければ、何時までも蛇霊の姿のままでいなさいとなります。
神の愛では無く、過去の過ちを悔い改めて初めて赦される
私は子供の時に旧約聖書の神と称する声から告げられた事は、【何故に人の世は終わらなければならなかったのか?。その意味を学び、次の世の為の記録を残しなさい。その為にそなた一人にはいろいろ見せる。】と告げられたなのです。ただそれは私は天使の一人として、何等かの役目を持っている程度の話にしか過ぎません。
私の神霊界修行の中で、日本における四つの宗教の存在が出て来ました。それらの四つの宗教が終わった時、またはそれらの宗教開祖がこの世を去った時、何らか事柄がこの世に起きるです。その四つの宗教とは松本智津夫こと麻原彰晃が開祖となったオーム真理教。福永法源が開祖で発祥した法の華三法行。韓国の文鮮明が開祖となった統一教会。大川隆法が開祖となった幸福の科学。この四つの宗教の開祖がこの世での命を終えた時、この世の立替に関して見えて来ると出たがあります。
神霊界には正神界と邪神界が在ります。そのどちらが正しいかではなく、勝てば官軍。負ければ賊軍で国常立尊様は創造神でありながら蛇霊達に支配された神々の多数決によって、鬼門の悪神とされて主宰神の座を追われたがあります。常に勝った勢力が正しいなのです。
それは今の世に出て来た麻原彰晃(松本智津夫)、福永法源(福永輝義)、文鮮明、大川隆法(中川忠義)云々ではなく、それらの宗教開祖の魂は今生だけでなく過去世から霊界とこの世とに深い関りを持った存在だからです。と言うのも、私には今生で麻原彰晃こと松本智津夫として誕生した魂がお釈迦様と同時代にインドの地方で生きて、当時お釈迦様とどのような関りがあったのかを見させられたからです。
人は男の精子と女の卵子が結合しただけの存在であれば、誰も自分の前世が釈尊で有ったとかイエスで有ったなどと言わないでしょう。そうした名乗りをした魂はその存在たる魂では無くニセ者の魂であったとしても、過去に釈尊やイエスと同じ時代に生きて宗教の世界に関わった等の経緯があった等があるのです。それらの宗教家と成った魂は、今生でも宗教家に成る定めの道が残っていたなのです。
私に出て来た四組の宗教の開祖がこの世を去らないと新しい世が見えて来ないと出た事柄の仔細は不明ですが、松本智津夫、文鮮明、福永法源は既にこの世を去り。残っていた大川隆法氏もこの世を突然に去りました。
何故にこの四つの宗教名が私に出て来たのかは私にはよく解りません
宗教界に関わりますと、今の神霊界は【正義とか公正】の概念では無く、【勝てば官軍、負ければ賊軍】の【力の強い者が勝つ】が背景で有り、その力の源泉として【黒龍神や赤龍神】と呼ばれる存在が浮かび上がって来ます。大本教からは金龍としての国常立尊。銀龍として豊雲野尊。白龍神として素戔嗚尊が出されましたが、金龍神を見たからと言ってそれで即国常立尊。銀龍を見たからと言って即豊雲野尊。白龍神を見たから即素戔嗚尊とは成りません。
その金龍神や銀龍神で今日までの宗教界を率いて来た数の力を誇る赤龍神達や黒龍神軍団を押さえられるかとなった時、それほど単純な話では無いとなります。神霊世界は神と神がぶつかる最終神界戦争を経ないと解決が出来ないがあるのです。
そうした論理として、一部の方達は天国界は【黄金や宝石で光輝いている。】世界だと言われます。ほとんどの宗教ではそうした説明をして来ました。ただそれは私が知る天国界では無いのです。私が知る天国界とは金銀財宝で光輝いている世界ではなく、そこに住む住民の一人一人の【心が宝石】の如く輝く世界なのです。私が見た金銀財宝で光り輝く世界とは【蛇霊神達が支配する世界】と言えました。古来より言われる蛇霊と黄金との関係です。
金銀財宝で輝く世界は蛇霊界。そこが天国界???
財宝で心の安らぎは得られない。安らぎが無いが天国?
しかし、この地球上で住む人達の魂は今日までの宗教の教えで、天国界とは【金銀財宝】で光輝く世界だとその意識の中に刷り込まれて来たので、そこから脱却するのは難しいとはなります。自分の身が蛇の姿になっていても、その意味が理解できないを起こさせるのです。
スピリチュアルは金に成るは、蛇霊の囁きから起きる
私はヤフーに掲示板があった当時、そこにあった輪廻転生の板で論陣を張っていました。その同時代にヤフーの板で幸福の科学を信奉する者もアンチ幸福の科学の者も一緒に語ろうという板が在り、その板で幸福の科学の教えに対する矛盾を指摘する論を投稿しました。私から見ると大川隆法氏の○○霊示集は、本当に神霊界を見て来たのか?。蛇霊とか狸霊と呼ばれる様な霊と関わって来ただけではないのか?。そうした疑問を抱かせたからです。
その板の主催者は自分は霊能者で幸福の科学に入信して講演会場で大川隆法氏を見たところ、その背後に金龍神を視認した。あの方は間違いなくお釈迦様とイエスとモーゼの三体を産んだ本体たる方で永遠の仏陀だと主張されるので、大川氏の背後に一体の金龍神の姿を見たからと言って、その程度のことで大川氏がお釈迦様とイエスとモーゼの三体を出した本体神とは成らないだろうと反論したことがあります。
金龍神とは東京の浅草寺などでその存在が知られ、大本教からは金龍神は国常立尊の龍体として世に告げられましたがその数は非常に多く、その人の背後に金龍神が見える方はそれなりにおられます。その人の背後に金龍神を見たから、それで即その方が国常立尊に関係する魂と判断するのは早計だと言えます。また大川氏が出した○○霊示集などを読みますと、霊的世界に関わって来た者からすると明らかにこれはおかしいぞと指摘出来る部分が多々ありますので、ほとんどの霊能者は大川氏の自称の名乗りは信じないとなります。大川氏の教えから霊界を学べる等はほとんど無いのです。霊界修行を積んだ方ではなく、何も知らない素人を相手にする教えと言えます。そもそも天使の学校としている教科書そのものが、天使の教科書としての体を為していないのです。
霊能力者の間ではお釈迦様やイエスは八次元界の存在だと見る方が多く、モーゼも然りであろうと推察されていることから、自分はその上の段階と自称する為に自分は【九次元界】の存在だと最初は名乗ったなのでしょう。それに満足せずにさらに自分は十三次元だと称したことから逆にボロを出したと言えます。
世には自分は3千億次元とか5百万次元とか百万次元の創造神だとバナナの叩き売りをしている霊能力者が多いからです。
大本教の出口王仁三郎聖師は霊界物語を口述するにあたって、その周囲に筆記役の者を侍らせ本人は横になりながら口述されたことが解っています。これは出口王仁三郎聖師が霊媒者と成って、霊界から自分に降りて来る言葉を自分の口を通して他人に語るで、霊的世界を知る者ならば基本中の基本のやり方なのです。
単に自分には霊が見えるというスピリチュアルとは違い。イタコなどに見る単に霊の想いを感じて告げる口寄せでは無く。自分の肉体に霊を入れてその霊に自分の体を預けてその霊の言葉を告げる【完全霊媒者】を通して霊の世界に関わりますと、その完全霊媒者に霊が入身して、顔立ちがその霊の顔立ちに一変することが解ります。
それを告げたのが大本教におきます【人は霊(ひ)止(と)で】、それを実務として学ぶには数少ない【完全霊媒者】の存在を知らなくてはいけません。それを知ると、ズーズー弁のイタコ(口寄せ)はその霊の想いを感じて自分の解釈でその霊の想いを告げているだけで、その霊に体を預けて会話するのとは違っていると解って来ます。ズーズー弁を知らない霊がズーズー弁では語らないなのです。
神霊の言葉は、完全霊媒者の口からの物が精度が高い
誰も見ていない密室で書いた書とは、法之華三法行の福永法源教祖が詐欺罪に問われた裁判の中で、その著書はゴーストライターに手による物だと解りました。何百万円もの金さえ出せばそうした霊界物を書ける人達が世には結構居るのです。
宗教界やスピリチュアルの世界では、ゴーストライターの手による書が多数あることが知られています。私も修行時代まとめていた自分の文章がある霊能者に持って行かれたがありました。そうした霊界本を書くゴーストライターは不思議な霊体験を積んでいたりするのです。
私の神霊世界の修業を世話してくれた最初の師匠のことを書いたある作家の著本はベストセラーになりましたが、その著本の内容はその師匠のカバン持ちをしていた私からすると事実を語っています。スピリチュアル標榜者の記述の比ではないのです。スピリチュアルで語る天使の訓示など、そのほとんどが当たり障りがない実に【他愛ない】者達の言葉なのです。
その人の背後に金龍神が見えても、証拠としては弱い
私の元には自分は七次元界の素戔嗚尊の魂で、三輪山の神は六次元界の黒龍神でその三輪山の黒龍神の配下の400万騎に及ぶ黒龍神が自分に従ったと言って来られた方がありました。確かにその方には三輪山の黒龍神なのかは別として無数の黒蛇霊達が従ったようですが、三輪山の神の力で宇宙を動かせるかと言った時、私はその程度の黒蛇霊の数では宇宙など何一つ動かせないと言います。個人レベルに現世御利益で大金を授けるのとは意味が違うからです。
三輪山の神の元に参拝したら、大金が舞い込んだなどは個人レベルに対する現世御利益の授けの話であって、それで自分の魂の霊界での地位が上がるではないのです。
魂の向上を考えないは、何の為にこの世に降りた?
しかしながら自分が一つの宗教を興すともなれば、配下にそれだけの数を揃えることが必要で在り。黒蛇霊の様な存在が忠誠心を持ってその教祖に従えば、一つの宗教の開祖程度には成れるなのです。何十万人の信徒を抱える様な宗教に成った団体の祭神を見ると、その教祖の背後には無数の黒龍神や赤龍神の姿が見える。そうした出来事にぶつかるからです。
一つの宗教を起こす人の背後には無数の龍神が見える
幸福の科学の大川隆法氏は、信徒に対しては自分は95歳まで生きると明言されており、永遠の仏陀などの名乗りは大嘘であったとしても、一代であれだけの信徒を持つ存在に成られたのは事実で有り。その背後には無数の龍神や黒蛇霊が従い。彼等の守護を受けてその霊達の言葉を信じて自分は95歳まで生きると信じておられた。まさかそれだけ多くの霊に守護されている自分が【66】歳の若さでこの世を去るなどは、本人は何一つ思ってもおられなかったでしょう。
私は昭和五十五年(西暦1980年)には神霊界に修業の足を踏み入れて、幸福の科学で永遠の仏陀の意味で使われていた【エル・カンターレ】の言葉は、GLAの開祖で有った高橋信次師が釈迦の生命体の意味として西暦1976年に世に発表された言葉として既に知っていました。どうしてその高橋信次師の【エル・カンターレ】の名をパクったのか?。疑問に思っていたがあります。
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでおり、その声は自分の前世は釈尊だとかイエスだと名乗ってはいけない。今生の名を持ってすべしと告げて来ました。その教えに反することをされていたからです。
私は霊界修業で霊からの心臓攻撃で心臓停止等を体験
日本の一部の仏教宗教には人は死ねば土に還るだけと死後の世界たる【霊界】の存在を否定する宗派も存在しますが、死後の世界の存在を否定するではそれは宗教とは言えません。宗教が持つ重要性は【死後の世界(霊界)】での安心立命だからです。お釈迦様は【この世は苦界】と説かれました。その苦界を経て死後の世界では天国界に進む。それは全ての魂にとって目標だと言えます。為にこの世で僅かな幸せを得たとしても、魂は不滅とも永遠とも説かれる魂の世界で地獄に落ちて苦しむでは本末転倒だからです。いくら霊界での力を得たとしても、その身が蛇体に変化させられてそれが嬉しいのかです。
死後の世界で、この世の教えが間違っていたでは遅い
宗教界には死後の世界は無いと説く宗教としては異端の教えもありますが、多くの宗教で魂の存在は説かれます。しかしその魂は【人の肉体のどの部位に宿っているかは?】。宗教でも違っています。
宗教界でも魂は人の脳に宿る派と心臓に宿る派がある
それは魂と【人の意識の総体】なので、脳だと考えた
幸福の科学等では魂は脳に宿ると書いた霊示集があり、魂と霊子(たまのこ)線を書いた図もありますが、それが根本的に間違っているがあります。それは魂は【意識を統括】しているので、脳に宿るのだと短絡的に見たなのです。通常の霊能者で有れば【魂は心臓に宿る】と説きます。
魂は心臓に宿っているとどうして言えるかと言いますと、魂は心臓に宿っていることから霊世界に関わっていると【心臓に攻撃】を受けて心不全等で命を取られるなど、別に珍しい話ではないからです。為に大本教から帰神鎮魂の手組が説かれたと言えます。私は神霊にこの世での命を取られた人達を見て来ましたが、その死の原因は【心臓発作】で倒れたが多いのです。
霊から心臓攻撃を受けると、針で刺された痛みが来る
エル・カンターレの【エル】とはヘブライ語系のセム語族で【神】を意味する言葉として知られています。【カンターレ】はGLAの開祖であった高橋信次師が古代ペルーにおいて太陽を意味する言葉であったことから、天上界では釈尊のことを【カンターレ】と呼んでいるとしたなのです。
その高橋信次師は自分をエル・カンターレと称された。大川隆法氏はその名前は本来は自分の呼称であり、悪魔であったGLAの開祖の高橋信次師が自分の名前を勝手に名乗っていたので、本来の名前の持ち主である大川隆法氏がその名称を取り戻したの主張があったなのです。高橋信次師の場合は魂の一霊四魂の一霊の働きが【良心】であることを理解されていた方なので、私が見る限り大川隆法氏よりは所属する次元世界は高かったと思われます。
オーム真理教の松本智津夫は自分の前世は釈尊と名乗り、幸福の科学の大川隆法はそのお釈迦様の魂の上の段階と自称したです。それはどちらが本物ではないのです。悟りを得たお釈迦様は、自分は二度とこの世には出ない。その代わりとして【みろく菩薩】が出ますとその存在を予言として説かれたなのです。すなわち自分が釈尊だとか、その上位の仏陀だと称した時点で【贋者】と成る仕組みなのです。
自分の前世は釈尊と称した時点で、その人は贋者と成る
そうした名乗りの者に騙されても、閻魔庁は被害者とは見ない
それは日月神示の岡本天明師から出された【一厘が有る神】と【一厘が無い九分九厘の神】の違いからです。その一厘があれば、イエスの教えすらその間違いを指摘出来るからです。
そうした一連の仕組みがある存在によって組み立てられたと解るのは、大本教神論予告の九つ花が日本語と言う限定にはなりますが【みろく(三六九)】で【五十六億七千万】の数字を打ち出せるように創ってあったことから言えるのです。調べるとそもそもお釈迦様の弟子に弥勒菩薩など最初から存在していなかったと解って来ます。
私が子供の頃には旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、その声は私に【拝火教】を学べと伝えて来ました。私が子供の頃とは今の様なインターネットの時代とは違い。拝火教等まったく意味が解らない宗教と言えました。だがインターネットである程度は解る時代となり、弥勒菩薩は拝火教にも関係し、本来は【ミスラ教】における最高神のことだと解って来ます。お釈迦様の様な人として出た存在ではないのです。大本教から出された【言霊】とは何かが解って来ますと【たった一輪の言霊】との関連で、それが解けるとなります。
お釈迦様の悟りを【みろく(三六九)の五十六億七千万】で解き明かす為には、お釈迦様は何を悟られたか?。それには祇園精舎の牛頭天王(牛虎)金神の存在が深く関わって来るなのです。私は曹洞宗の門徒であり。その曹洞宗の機関誌たる小冊には、お釈迦様の菩提樹の下での悟りとは【悪魔は実体を持たない現われであり、人には良心と呼ばれる神が内在している。】と悟られたとする文献が蔵から見つかったとありました。愛や慈悲ではなく、その良心神で私が見て来た霊界の映像の謎が解けたなのです。
それを大本教神論予告【九つ花に咲く一輪の言霊】で解読出来るようにする為には、日本神話は天照大御神と素戔嗚尊の対立。【アイウエオ】や【イロハ】や【ヒフミ】等の日本語の並びが存在してきているなのです。それらは伊勢神宮に鎮座している神霊や大国主命様の段階の神霊で出来ることでは無いのです。大本教から出された【艮(牛虎)やこの世の閻魔】等によって、初めて解る仕組みになっていたなのです。
それには、漢字の大元の【盤古大神】を知る必要があった
私は鐘馗神の案内で中国で創造神とも天子ともされる【盤古大神】に拝謁しましたが、その時にはその意味が解りませんでした。朝鮮に残されていた予言には最後の審判前、救世の為に【米一字の教えが起きる。】とあり、それが大本教神論予告【九つ花に咲く一厘の言霊の経緯(秘密)】で、たった一厘の言霊でお釈迦様の悟りを五十六億七千万のみろくで紐解く奇想天外な事柄であり、為には大本教霊界物語の中にある盤古大神から日本の国祖大神国常立尊に神政奉還とは【漢字を変換】する等の大掛かりな仕組みであると解りました。
英語圏の言葉より、漢字圏の言葉を知る必要があった
私は子供の頃、自分に語り掛けて来る声の名乗りは【旧約聖書の神】であり、日本の多くの霊能者の霊査で判明したのは【貴方の本守護神は国常立尊様です。】から、旧約聖書の神が日本では国常立尊と呼ばれているなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は自分と出口なお開祖は旧約聖書に記載される【キリスト】が出る前に現れる男女二人の予言者であるとされましたが、そのキリストとは大本教神論予告の【九つ花】に在ったと言えます。
私は【九つ花と呼ぶ法の華】に、絶対的忠誠心を捧げる
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一番終わりに出る者を【トリ】と言う。誰がトリを勤めるか!
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する霊声が臨んでいて、その声は【旧約聖書は私の書なれども暗号書の様な書で、書かれた言葉の意味を紐解く鍵を持たないと意味を間違える様に創ってある。新約聖書は私の書では無く、人の子達が為した書である。私は新約聖書には関係しない。私の教えは世界のどの宗教書にも載ってはいない。が、日本の昔話や諺や童歌に秘めた。その中で最も重要な意味を持つのは日本の童歌のカゴメ。カゴメ。籠の鳥はいついつ出あるに秘めた。】と告げられたなのです。
霊的世界に飛び込んで、日本の霊能者の中では童歌の【カゴメ。カゴメ。籠の中の鳥はいついつ出ある。】は、この世が終わることを意味した【予言歌】とされていることを知りました。特に言われるのが夜明けの晩にです。その夜明後の世とは【みろく世】とされています。そのカゴメ歌の後ろの正面の鬼とは俗に鬼とされる【国常立尊】様を指した事柄であるは、霊的世界に関わっている人達の中では共通した見方だったのです。それは国常立尊様は自分を【鬼】としてこの世の裏に出ているからです。
大本教からその国常立尊は【この世の閻魔大王として現れる】と出されましたが、仏教で語られる閻魔大王が本来は宇宙を創造した創造神のことであるは仏教では解らないことでした。仏教で閻魔大王として知られる存在は仏教が開かれたインドのお釈迦様の根本道場たる【祇園精舎】の御祭神である【牛頭天王】のことで、大本教神論にはこの艮には【牛虎】もあるぞよとあり、艮金神国常立尊とは牛頭虎パンツの【牛虎】で【牛頭天王】であることまでは理解できますが、そこに国常立尊と閻魔大王の連動性が読み取れなかったとなります。それが出来るのは日本語という【言葉の仕組み】のみだったからです。
鬼たる国常立尊の存在は、大本教から世に告げられた
そのカゴメの歌の中で意味がよく解らないとされているのは、【鶴と亀】が滑ったです。これは滑るではなくて【鶴と亀で統べる】ではないかとする方もあります。そこに言われていることは、この鶴と亀は【男と女】のコンビを秘めているなのです。
カゴメは籠目で、伊勢外宮の【豊受姫】を指すともされる
外宮の豊受姫は、丹後の【籠神社】から出たは仕組みか?
だが、籠の中の鳥が何の鳥かが解らないなのです。そうした中でその籠の中の鳥は【火の鳥、不死鳥、鳳凰】等の説が有りました。
鳳凰とはこの世では架空の鳥だが、霊界に存在する霊鳥
鳳凰は霊界に存在する霊鳥なので現実界でその姿を見ることはあり得ませんが、夢の中でその美しい鳳凰を見ることはあるでしょう。私も夢の中では幾度かその美し鳳凰を見たはあります。その場合の鳳は雄鳥で瑞鳥(めでたい兆し)、凰は雌鳥で【皇】の意味とされます。
鳳凰の別名は、最後を勤める【大トリ】と同じ読み方
鳳凰の鳳で【百】を見て、凰で【皇】の文字を知る
百の意味を持つ鳥とは何か?。モズ(百舌鳥)では無いと解ります。百は【十×十】。大本教神論には綾部は福知舞鶴十里四方外囲いとありますが、綾部で生まれて綾部に住む私からすると、綾部は福知舞鶴十里四方外囲いに当たっていないのです。古来名は【漢部】と書いて【あやべ】と読みます。そこにあるのは【言葉のあや】。この仕組みは言葉の言霊で織られていると解るのです。
百は十里四方で最後に出る【トリ】を教える?
それとは別の日、その旧約聖書の神と名乗る声は私に【私はこの世の幕を一度は降ろし、人類を永遠に嬉し嬉しの未来永劫の世に渡す。】とも告げられたのです。だがそれはあまりにも途方も無い話で有り。いくら神と呼ばれる存在であってもそんなことが可能なのか?。子供であった私でもとても信じられないものでした。
だが霊的世界に関わっていて、魂の修業場として創られたこの地球がその役割を終える時節の到来によって、世に出ている神々の多くがその存在を知らなかった七次元界に隠されていたこの地球と【瓜二つの新地球】自体を五次元界迄降ろして、今の地球を五次元界迄上昇させて、その五次元霊界で古い地球に留まる魂達と新しい地球に移る魂達を【選別(線別)の即分】とする【乗り換え】は、創造神の大計画書に基づく内容だと解って来たなのです。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この私が計画した神の世界の大芝居は、世に出ている神々や人間が知る事柄では無い。】と告げられました。大本教神論にも【この神が計画する事は世に出ている神々や人民が知ることでは無い。】とあります。
旧地球から新地球に乗り換える「駅」を馬小屋とも称す
人類を裁くは線別(選別)する捌くで、創造神と共に行くか
昭和五十五年に私の目は開いているにも関わらず真っ暗闇に落とされました。人の頭上から天に向かって伸びている線。それは日本神道の世界では霊子(たまの子)線と呼ばれている線で、西洋ではシルバー・コード(銀線)と呼ばれていますが必ずしも銀色一色では無いことから新日本神道が語る単に霊子(たまのこ)線の言葉が正しいと考えられます。その霊子線を切断すれば人の魂は二度と肉体には戻れないことを学んだなのです。
この霊子(たまのこ)線の存在は仏教やキリスト教やイスラム教の教えには存在しませんが、スピリチュアルでも日本の新神道系の宗教団体では語られます。が、スピリチュアル標榜者の中ではその説明が完全ではないシルバー・コードすら語る人は数少ないと言えます。幸福の科学の大川総裁は、その名を有名にした〇〇霊示集の中でその霊子線の説明で致命的な誤りを犯しておられており、彼の前に出て来る霊と呼んでいる存在が語っている内容が必ずしも正しくないを露呈されました。
私の家系の五代前の御先祖霊は養子を迎えたので私と肉体の血脈関係はありませんが、霊能力者の方から日蓮聖人の御分霊と言われていました。が、私を【南無妙法蓮華経】の教えに導くのではなくて、艮金神国常立尊(閻魔大王)と大本教の霊界物語にと導いてくれました。
創造神は最終幕で全人類の霊子線を切断して終える
為に次の弥勒の世は、嬉し嬉しの世と大宣伝された
それが大本教神諭におきます。その時には上に行く魂。下に行く魂で霊界はごった返すので神もそれにいちいちかまってはやれないの場面の光景と推察が出来るのです。立替は徐々に来るのではなく、ある時で一気に【即分】をするなのです。それが大本教における【節分】を意味させていた言葉だったなのです。節分の漢字を見て【即分】と知るだったのですが、誰もそんな言葉の仕組みまでは解らなかったなのです。
だが神々も誰もその即分の日が何時なのかは知らないなのです。日本の国会の解散権は日本の総理大臣のみが持つように、宇宙の大立替の権限は創造神たる神のみなのです。世に出ておられる神々が言える様なことでは無いなのです。ただ今の世を終える【終焉の鳥】とは、カゴメカゴメ、籠の中の鳥はいついつ出あるで推論するより道が無いなのです。
私は旧約聖書の神と称する声が私に告げられたこの世の幕を引くという言葉に従って、日本語と呼ばれる言葉の仕組みに過ぎませんが、この日本に満ち溢れている言葉の仕組み。大本教からは三千年に渡る【神仕組み】【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】を解き明かして来ました。
そこから見えて来たのは世の大立替とはこの地球上で起きる立替の予告ではなくて、新しい地球と呼ばれる【新天地】に移行するなのです。それのみは大本教からでなく、新約聖書のヨハネの黙示録にあるとなります。666が「みろく」に成る仕組みも含めてです。そして一部の霊能者が語る日本におけるヨハネとは、いろはの【48音(ヨハネ)】と成るなのです。
朝鮮に残されていた予言には最後の審判の前に救世の為に【米】一字の教えが起きる。その【米】一字の教えが終わると、その【米】一字の教えに従った者達の上には天罰は降りないが、その【米】一字の教えに従わなかった者達の上には天罰が降りるとありました。
その【米】一字の教えとは、大本教が予言した【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)にして、みろく大神と56億7千万とお釈迦様の悟りを告げる】が、大本教神論予告の【十里四方外囲い】で解るでした。
朝鮮に残されていた予言には、その天罰の最中に現れる【白十字】によって人類は救われるともありましたが、それは私にとって最後の難関と呼ぶべき謎の言葉の意味合いでした。
白十字とは【八九十(白兎の白ウサギ)】次元の意味を持つのですが、これを理解するにはスピリチュアルのハイヤーセルフの言葉では無く、新日本神道系の宗教で語られる【本守護神】たる存在の理解が必要でした。
私にとって解らなかった事柄は、いつ【米】一字の教えの終了時とするかです。
予言では、米一字の教えの終わりは天罰と連動している
この3月の【彼岸】で、その【米】の教えは終わったと出て来ました。いよいよ【褌(ふんどし)】を締めなおす必要があるです。
弥勒の世の到来が、視野に入って来た!
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私はその西暦2023年の女性自身の1月17・24日合併号を見たでは無く所持もしませんので、インターネット上に出ている記事からの引用文とはなります。
この日本に【スピリチュアル】の言葉を初めて取り入れたのは霊能者江原啓之さんではなく、大本教において天下の大秀才と歌われて明治五十五年の世の大立替運動の旗振り役として世に知られ、大本教を離れた後に日本心霊協会を立ち上げられた【浅野和三郎】師が大本教を離れた後に西洋からスピリチュアルと呼ばれる言葉を取り入れたなのです。
だが西洋におけるスピリチュアルの言葉の意味とは、降霊会で低級霊を霊媒者に入れる意味合いの内容で、日本心霊界の父とされる浅野和三郎師は【スピリチュアル】の言葉を世に広めようとはされなかったがあります。為にスピリチュアルの言葉はこの日本では広がっていなかったがあります。
私も今から四十数年前にテレビの白黒時代に活動されていた霊能者の方から【日本心霊協会】の言葉を聞くまでは、そうした組織が存在していることすら知りませんでした。その中で愛とスピリチュアルの言葉を多用している人達は蛇霊の容器と化している等も知ったと言えます。そして神霊世界に関わって、今の霊界に関わるには蛇霊や狐霊の存在を抜きには語れないなのです。
日本でスピリチュアルの言葉は低級霊と交流の意味
蛇霊や狐霊の存在を否定して、霊界は解る物では無い
ある方が天人界を訪問して、天人達から最後の審判と呼ばれる事態が起きる時、その最後の審判の点数は【人の魂に内在する良心神の点数】で魂の永遠の地位が決定すると聞かされたそうですが、地上界でその「人に内在する良心神」を説いている者は国常立尊の天使長の魂の分魂たる肉体の存在だと告げられて、その方は人に内在する良心神を説いているのは伊勢白山道のリーマン氏以外には頭に浮かばず、それは伊勢白山道のリーマン氏のことかと天人界の天人に尋ねたところ、その天人曰く、貴方の知人の知人だと告げられて、自分の知人に伊勢白山道のリーマン氏以外に人に内在する良心神を説いている人物を知っているかと知人達に尋ねたところ、それは自分が知っている人だという知人が在り、その知人から私の元にその天人界での話の伝達がありました。
私は自分の魂が元は天使長たる職に在ったということは、旧約聖書の神と称する声から聞かされていたことでもあるのです。ただ私もそれは私の本体たる大元の魂の話で有り、肉体のそなたはバカを演じていれば良いで、それは元天使長であった魂の分魂にすぎないことを忘れてしまうが多々あるなのです。肉体はその肉体を脱いで魂本来の状態に成らないと、自分の本質が解らないなのです。
白光真宏会と呼ばれる宗教を起こされた五井昌久師は自分の魂を高次元界に上げると肉体の足が地に着かないと残しておられますが、体が宙に浮いた様な感覚の中に入って人として生きづらくなります。ただその時に自分の周囲に見えるのは神々の姿ばかりとなるのです。それが日本の新神道系の教団で語られる【神人合一】の状態と言えます。スピリチュアルだと、その【神人合一】がほとんど語られることがないのです。それを語らないと大本教から出された【人は神の子・神の宮】が解らなくなり、イエス一人が主の神の御子だと言う誤った教えの中にはハマってしまいます。
私はこのブログ記事を書く前に存在していたヤフーの輪廻転生の板で、【人に内在する良心神】の論陣を【天典】の名で張っていて、人に内在する良心神とはお釈迦様が菩提樹の下の瞑想で悟られた事柄だと述べていました。当時そのヤフーの輪廻転生の板を見ている方はかなりあり、地上界で人に内在する良心神を説いている存在は天人界迄その名が届いていたと言えます。
ただこれまでの日本の仏教においてはお釈迦様の菩提樹での悟りとは【仏の慈悲】だと語られていましたので、お釈迦様の菩提樹での悟りが【人に内在する良心神であった。】にはなっていなかったのです。私は曹洞宗の門徒ですが、その曹洞宗に残されていた経典の中にお釈迦様の菩提樹の下での悟りとは、【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在している。】であったと、曹洞宗の機関紙たる小冊に書かれていたのです。それを見た時、私は小躍りをしたのです。
何故ならば、それは大本教神論が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】を【ラ】の言霊で全てが解読出来るからです。日本における【ら・ラ】の言霊は【良】の漢字から成り立っているからです。しかもそれは大本教神論予告の【九つ花】は【みろく(369)で五六億七千万】の数字すら打ち出せるからです。いったい誰がこんな仕組みをしたのか?。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国であり。私はそなた一人にこの神の仕組みを見せてやろう。】と告げられました。それが【艮金神の艮の漢字に天(点)を着けることで、「良(ら)」が出る。】なのです。すなわちお釈迦様が菩提樹の下で悟られた事柄は、大本教が型を演じた【みろく大神や五六七】を五六憶七千万を持って全て解き明かせるなのです。
私が子供の時に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は私に、【私はそなたが説く教えに従う者達は一人残らず救うが、私はそなたに何の力も与えない。そなたにこの神の何の力も与えないことから、そなたが説く内容を馬鹿にして来る者達が続出するであろう。私はそうした者達を救うことはしない。今回をもって、この私(良心神の本体)に従う者達とそうでない者達との永遠の別れとなる。】と告げられたのです。
良心神を見ずに愛を連発する者達は【左岐の道】を行く
創造神は愛で左岐の道を行く者と悪魔を同じ世界とする
何故ならば、何をしても神の愛で赦されますと説く者達は自分を悔い改める作業を放棄させ、自己の魂磨きを捨てさせる悪魔(魂の核を空く間化する)の教えに洗脳されてしまった者達だからです。自分が汚した尻は自分で拭け。自分が播いた悪の種の果実は自分で刈り取れは霊界の【原理原則】だからです。それが解っていながら、何をしても神の愛で赦されます等と説く者達は【詐欺の道】を行く者達なのです。
私は自称【救世主】と称する者達が、その信徒を【地獄】に案内している光景を見て来た者と言えます。
人に良心の呵責がある間は、その人に神は内在している
巷には【エクトプラズム】と称される古い白黒の写真が出回っています。それらの写真を見ると後に修正偽造されたであろうと思われる写真が多数出回っていますので、それらの写真は必ずしも本物とは言えません。が、霊視とか霊眼で見る限りではエクトプラズムと呼ばれる存在は透明系の【アメーバ】というか【ゼラチン】の様な素材で、人が死後に霊界に渡る時に魂が着る【霊界の肉体服】の素材とは言えます。日月神示に見られる【半霊半物質体】と言えます。
人は魂と霊(霊界用の肉体で幽体)とこの世の服たる肉体の【三位一体】で成り立っています。その霊界で魂の服として着る素材が霊媒者の口や鼻や耳などの肉体の口から出る。そうしたことは起きるなのです。
昔の西洋のスピリチュアルと称される降霊会において、そうした霊現象を掴めたはありますが、人の肉体から魂が抜けて行く等はそうしたスピリチュアルの降霊会では解らないことではあったのです。もし人の肉体から霊魂が抜けて行く様を白黒写真であろうとも撮ることが出来ていれば、西洋が説くスピリチュアルもその意味が大きく違っていたでしょう。
日本の霊地霊場等に行きますと【白い靄(もや)】の様な物が漂い、それが凝縮して仏像や人型の神霊として現れるがあります。そうしたことは霊能者やスピリチュアルを含めた霊感者レベルでも実体験をするは起きて来ます。事故現場で幽霊を見るなども、そうした霊が幽体としてその姿を見せるからです。
西洋から出されたエクトプラズムとは【霊媒の体から発するという心霊物質体】の意味で、希ですが自分が霊媒体質だと自覚しておられない方を映したカラー写真にそうしたエクトプラズムが出ているもあります。西洋における降霊会は暗闇の中で行われた物ですが、優秀な霊媒者が存在すれば太陽が燦々と輝いている中でも可能な事柄ではあるのです。
西洋には【不動明王】と呼ばれる存在が語られることはありませんが、日本では不動明王はかなりポピュラーな神仏の存在で、その不動明王や仏閣に鎮まっておられる菩薩や明王であれば人を攻撃して来られる時、その肉体の霊体を縛る為の素材を投げて来られるがあります。スピリチュアルの世界だとそうしたことを言う方はほとんど無いでしょうが、行者の世界ならばそれを体験するがあります。その霊物質もエクトプラズムと言えます。
不動明王等の諸仏や神霊がする霊縛の縄の物質は?
自分がスピリチュアル界の大御所と自認されている霊能者江原啓之さんは、スピリチュアル女子を多数創り出した存在で、スピリチュアル界の大御所で霊はよく見えている方とは言えますが、行者の様に自分を神仏と一体化させる行を積んでいる霊能者の様な次元格が高い方とは必ずしも言えません。
霊がよく見えると、霊界で諸霊達を押さえる霊力は別物
その江原啓之さんに【終焉のワルツ】の言葉を入れたのは高次元界の存在だと述べられています。確かに高次元界の存在であれば、その人に【終焉のワルツ】と言う言葉を降ろす可能性があるからです。単にスピリチュアルだ。スピリチュアルだと言っている人達からは、そうした【終焉のワルツ】等の言葉は出て来ないでしょう。それはそうしたスピリチュアルで関わっている次元界は低次元界の為に、そうした言葉を聞かないなのです。
私は高次元界の神々からは世の立替は起きると聞きましたが、低次元界の御神霊からはそうした言葉が一切出て来ない。為に本当に世の立替等起きるのかと疑うほどなのです。ただスピリチュアル界の大御所と自認されている江原啓之さんも【終焉のワルツ】の言葉の意味を本当に理解されたのかどうかです。
スピリチュアルの大御所たる江原啓之さんが近年言われたキーワードの事柄は
西暦2020年は、【破綻と崩壊】
西暦2021年は、【地獄の入り口】
西暦2022年は、【亀裂】
西暦2023年は、【終焉のワルツ】
私が自分のブログ上で書いて来た事柄は
西暦2020年1月16日の記事は、地獄の釜の蓋開けか?。地獄の鬼達が【ビーシア(陛下)】と言いながら散らばった】。
西暦2020年1月22日の記事は、地球の次元上昇が始まったのか?。三次元と四次元の層が破れて解放される地獄界の霊達。
地獄の釜の蓋開けとは、これまでは地獄界に閉じ込めていた霊達を地獄界から解き放ったです。するとこの世は悪霊達が暴れることになります。すなわちこの世の【破綻と崩壊】の始まりです。
そして三次元と四次元の霊界層の崩壊によって、この世に住む人達はその人の魂の本性に従って悪の道に進んで行くです。それは悪的な事や災いを閉じ込めていた【パンドラの箱】を開けたということです。
その結果として、この世に出て来た事柄は【コロナ菌】騒動と言えます。
西暦2021年1月4日の記事は、みろく世到来の夜明け前か?。
西暦2020年はコロナ騒動で、西暦2021年から【芋】の掘り起こし?。芋とは地涌菩薩?
で、その記事の中のカゴの中の鳥とは、終焉の【焉(正と鳥)】大トリ。大本教神諭あります「一度この世は悪神の支配下に置くではないか?」。地獄にいた霊は苦しさから霊媒体質の人に憑依する。等を記事として書きました。
西暦2022年1月6日の記事は、みろくの夜明け前−1 みろくの世には通貨や税が無い?。
西暦2022年1月13日の記事は、みろくの夜明け前−2。みろくの世には職業の貴賎は無い。
その前の暮れの
西暦2021年12月31日の記事は、天国界に渡るのに必要欠かざるべき【善業点】とは?、神の祭壇に牛と羊の血の捧げ。 西暦2021年12月27日の記事は、天国門は叩かないと開かないが、その門に行く道は?。今の世は天国界に渡る人は僅か。
これらは西暦2021年12月18日の記事で、艮金神の【牛虎】。来年は虎の年。トラトラトラは突入せよの【ト】と雷撃機の【ラ】の頭言葉はの中で
来年は【寅(虎)】年で、何かしらの神の【劇】がある
で、この世は二つに【別れます(亀裂)】しますよと書いたのです。
そして私は西暦2023年は右左岐(兔)の年として出しました。この右左岐の年で右に行く者と左に行く者とが永遠に別れる最終場面となります。
その最終場面に流れる曲が【別れのワルツ】であり。終演のワルツ
私は旧約聖書の神と称する声から、【そなた一人だけには、この神が世に出ている神々や人民を使って監督演出する神の舞台の筋書きを見せてやる。】と告げられました。その神の舞台には幾つかの【幕】があり、その最終幕は大本教の出口王仁三郎聖師が予言として残された【みのか尾張の国から現れる誠の女子達・・・・・・】の勢揃い舞台なのです。
スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。そんなことばかり言っているスピリチュアル女子だと、何を言っても【神の愛だ!】しか発想能力が備わっていません。いくら良心神の存在を説いても、魂の【核(エンマ)】の働きの理解すら出来ないなのです。
そのスピリチュアル界の大御所と自認されている【江原霊啓之】さんは、高次元霊界の存在から【終焉のワルツ】を告げられたようですが、私の元に自分が創造神です。自分が救世主です。自分がみのおわりの女子です。そうした名乗りをして来られた方達はどなたも【終焉のワルツ】の意味の本質は御存知でした。 終演は単に舞台の終わりに過ぎず。新しい舞台の幕開けが用意されている。
終焉の焉は正しい【トリ】を出す
カゴメカゴメ、籠の中の【大トリ】を出して今の世は終わり、新しい世に入る。
世界各地に天変地異の症状が出て来ていますが、それは大本教神諭の【一度、この世は悪神達の支配の元に置く】であり、永遠に嬉し嬉しのみろくの世とは【のほほん】としていれば自然に開く世界では無いのです。
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人類が別れる道は天国と地獄では無く、右と左に別れる
ただしその人類の別れとは、宗教世界で語られる最後の審判において【我が宗派の教えを信じる者は天国界に、異教徒達は地獄に墜ちる。】というものではないなのです。私はキリスト教徒の多くは新しい未来のみろく世には進めない映像を見させられて、イエス一人を主の御子だと信じたから【永遠のみろく世】には行けないと理解しました。そもそもキリスト教は神の教えそのものを間違えてしまったからです。で、私はイエスはどこを間違えたのかと追求したのです。
子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、【そなたはナザレのイエスの愛の教えを何一つ恐れずに、ナザレのイエスの愛の教えを乗り越えないと行けない。】と告げられました。それは私に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、イエスが説いた【神は愛】の教えを完全否定するところの神だったわけです。
旧約聖書の神とは【目には目を、歯には歯を!。】で、それは霊世界では【カルマの原理原則、正負の原則】として解っていることです。
神は何をしても愛で赦すは、神界の【掟】を知らぬ発言
今はスピリチュアルと名乗ることが大流行ですが、霊世界が見えるからその人は【正神界】所属では無く、霊的世界が見えるは正神界や邪神界とはまったく関係の無い話なのです。神霊界には正神界も邪神界も在り、どちらの世界からも霊的なことは同様に見えるなのです。
ただ、どんな話でも【甘い話】には必ず裏の狙いがある
スピリチュアル標榜では、神は【愛】だから何をしても神の【愛】で赦されますと言われる方が圧倒的多数です。スピリチュアルとはそれしか言わない知恵無き(魂の奇魂の働きが少ない)者達と言えます。為にスピリチュアルに走っている人達は誰も死後は天国界には進めていないが見られます。その多くは【中有界】で留まっているなのです。そこには神は愛で何をしても赦してくれる存在と思っている節があるからです。 勘違いの最たるものです。
スピリチュアルは魂の汚れを祓って、赦されるが解らない
人がこの世に生まれ出て来る【輪廻転生】の背景には【カルマ(過去世の罪)】が有ると解って来ますと、人がこの世に生まれて来る意味も理解出来ます。それによって人はこの世に生まれ出て来る環境が違っているなのです。
仏教で説かれる輪廻転生の【転生】で時には動物界に生まれて出るもあります。もし神が【愛】と呼ばれる存在で無条件で全ての【罪】を赦す存在であれば、人で在った魂が動物界に生まれ出るも無く、どうして【この世はこれほど不公平で不平等の世の中】なのだと叫ぶことも無いでしょう。
この世は不公平不平等故に、その違いで神の【掟】が解る
この世だけを見て、神の存在を知ろうとすると無理がある
仏教は曲がりなりにも【輪廻転生】で人の魂の死と肉体の死とは関係が無い。そうしたことが説かれ来ました。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【人の魂は輪廻転生している。今生のそなたと来世のそなた。過去のそなたとは顔も形も違う。自分の両親として自分を育ててくれた存在。子となった存在。兄弟姉妹となった存在。友とした存在。その時その時で全て違う。そして自分が生まれ出る時代という社会環境も違って来る。しかし前世のそなた。今生のそなた。来世のそなた。その顔や姿は違えるとも同じ心を持った存在である。同じ心を持つと言うことは、自分自身である。】と告げられたのです。
人の生まれ変わりは単純では無く、自魂の魂の過去世からのカルマ。自分がこの世に生まれて来る為に必要な家系筋に溜まったカルマ。自分が生まれ出る地域や社会のカルマ。そして自分が生まれ出て来る時代が持つカルマ。そうした過去からのカルマが複雑に絡んで来ます。それらは神信仰をしたからと言って、一気にカルマが消えるものでもないのです。
私は神霊界修業の見聞を稲荷神界でお世話になりました。その時に世話をしていただいた豊受姫はカルマに関して、【人の魂が持つカルマは複雑に絡んでいる。カルマが有るからと言って、この豊受とてその線を簡単には切れない。人は輪廻転生の数でその時のカルマを残している。生まれ変わりが多ければ多いほど複雑なカルマの絡みと成る。このカルマの線はどこに続いているのか?、それらを正しく見極めた後で無いとカルマの線は断絶出来ない。】と言われます。
スピリチュアルでは貴方の【前世を見て上げる】が商売繁盛ですが、本当にその人の前世が見えるので有れば、その人がその人生で如何なるカルマを創ったのか?。その光景が見えているはずです。私はスピリチュアル商売はしていませんが、これまでの修業の過程の中で何人かの人の前世の光景が見えて、その人が前世で如何なる【カルマ】を持って今の世に生まれ出たかを拝見しました。
ある方はその前世の罪があまりにも重く。その罪故に幾度生まれ出ても悲惨な一生を送って来られた。今生で救って上げたいが本人の心からの【改心】が無いと救いの道すら見えて来ません。スピリチュアル標榜者が言う神は愛だから何をしても神の愛で赦されるがそもそも存在しないなのです。
人は過去からのカルマの解消目的で生まれて来ている
人は魂を更生する為に、後世の世に甦(更生)る
本人が悔い改めもしないで、神が愛で助ける等は無い
そうしたカルマの解消の一つに、自分をこの世に出してくれた【家系筋のカルマ】を解消する為に自分自身が【菩薩行として身体障害の身】で生まれ出るがあります。その魂がそんな辛い道を選んだのは、その家系に過去に世話になったとか、その家筋で生まれ出た過去が本人にあったのかも知れません。その時のお礼としてその家系のカルマを解消させるです。
カルマを解消させる為に、この世で罰を受ける菩薩行
されどそうした事柄は、その本人やその家系のカルマを解消させる菩薩行であることはあまり知られていません。また神罰として一つの肉体に複数の魂が入れられた。その魂本来の性と肉体の性を違える神罰も存在しているのです。この世に出て来るということそのものが、過去の罪を解消する為のものだからです。
人の肉体と魂とは別物なので、神罰が存在して来る
私は子供の頃には旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声から霊界におけるイエスの本当の地位を聞かされていましたので、イエスは救世主では無いことは最初から解っていました。その旧約聖書の神と名乗っていた声だったのかどうかは今は解りませんが、【イエスのパンの教えは美味なれども、真ん中が無いドーナツ型のパン。】と出て来て、真ん中が無いドーナツ型のパンとは何を語っているのだろうと思っていました。
パンを食べる時、真ん中でも端を食べても関係が無い
大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界物語の中で西洋人は副食のパンの教えで、日本人は米が主食で日本人の方が主食たる神の教えを受ける民族と書かれています。が、【米】そのものの教えは大本教からは出されなかったなのです。ただそこに神本来の教えは【パン】では非ず。【米】であることが予告的に出されていたと言えます。
真ん中が無いドーナツ型のパンとは、最近報告される真ん中が存在していない【魂】を持つ者達の事だったと言えます。
米の日本人は、パンの西洋人の思考と同じではいけない
そうしたことがノストラダムスの予言詩にあるとされる【西洋の人がいくら待ち望んでも現れない東洋の叡智の飼い葉桶】となります。イエスの教えが創造神の教えだと思ってしまうと、大きく的を外すことになります。
神霊世界を見聞してくれば、厳として神の【掟】的なことが存在しています。
欧米人の考え方が正しいと思うと、天国界には進めない
西洋の欧米人とは、イエスが主の一人御子だと思い込み。間違った【愛】の教えに染まった為に、そこに出て来る論理は神界の【掟】を忘れているなのです。
神霊の世界には【正神界】と呼ばれる世界と【邪神界】と呼ばれる世界があります。日本の諺に【邪の道は蛇】がありますが、この世で【邪(よこしま)】の道を進みますと自分が死後に【蛇霊】と化すが起きます。これが聖書におきますと人類の祖とされるアダムとイヴが蛇の唆しで天国(エデンの園)を追われたという神話につながります。
日本の霊能者ならば、蛇霊とはこの世で人として在った時、よこしまな行為。すなわち金銀財宝に溺れて人の心を無くす。権力志向に走って、罪の無い人達を貶めたり。殺めて行ったような人達。一番多いのがこの世で妬みや嫉妬。怨念を持ったことでの蛇霊化です。そして【色欲】と呼ばれる事柄に溺れた人達。これまでの宗教ではそうした人達は地獄界に墜ちると説かれて来ましたが、鬼が居る地獄界ではなくて蛇霊の世界に墜ちるなのです。
私が言霊学の一環としてサニワ(審神)を学んでいた時、ある人物に一体の黒蛇霊が憑依していることが解りました。その黒蛇霊を調べると、その人の先祖が大工の棟梁でその下で働いていた大工でした。ある時、その大工は屋根から落下して大怪我をしました。で働けなくなったのですが、その方のご先祖であった棟梁は働かざる者は喰うべかざるで寝かせておくだけで食事を与えられないことで餓死してしまったのです。その怨みは骨髄までで、その子孫を赦さないで黒蛇霊と化して祟っていたです。
その怨みの黒蛇霊に言向けをして、辛かったでしょうと一緒に泣いてあげることで、その黒蛇霊がその怨みを忘れて【改心】をしてくれた時、その魂をまた人としてこの世に出る道筋の手続きを取りました。
どこにもスピリチュアルの様な【神は愛ですから、何をしても神の愛で赦されます。】等の見当違いの教えなど転がっていなかったのです。まず本心から【悔い改めよ。改心せよ。】なのです。
本当にその霊を助けようとするならば、その霊がこの世で犯した罪の数々を自分が肩代わりしなければなりません。大本教の出口王仁三郎聖師は、天国に案内すると言いながら地獄に案内している取次ばかり。地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だ!。と残しておられますが、それは自分がこの世で犯した罪たるカルマを解消させる原理原則論を無視した教えが宗教界で広がったなのです。イエスを主の一人御子と信じれば天国とか、お題目を唱えていればとかです。人は過去の自分の罪を解消する為にこの世に降りているが、まったく忘れられていたなのです。
世界の宗教で、蛇霊は神として崇められて来た!
邪の道は蛇は何を意味したか?。欲の道は蛇霊化
仏教で金銭欲や権力欲に走った者達は【蛇霊】化することは説かれて来たことではあるのですが、多くの金持ちや権力者や欲深き者に取って恐ろしいのは、はっきりしていない死後に【転生】で自分が蛇霊と化す道よりも【地獄閻魔庁】の存在。その閻魔庁の門番であるところの鬼達。なんとしてもその地獄の鬼達を押さえなければならないから、牛頭虎パンツの鬼に対する【節分の煎り豆で鬼は外】が生み出されたなのです。
地獄の門番は牛頭虎パンツから、牛虎金神の配下
現実は、邪の道に走った者達は蛇身に変えられた
私はこの日本では予言教団として知られる大本教から出された【五六億七千万のみろく】とは、お釈迦様の本当の悟りで有った【悪魔は実体を持たない表れであり。人には良心と呼ばれる神が内在している。】を、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(経緯)】を解読することで、日本語と呼ぶ言葉の仕組みであってもこんなに恐ろしいまでの仕組みをしている神が存在するのか!。と愕然としたなのです。
しかしながらそれらは日本語と呼ばれる言葉上での仕組みで有り。その日本語で言葉の仕組みをした神にどれほどの神力が有るのかとなった時、それは日本民族の国祖大神国常立尊様として名は出せても、これほどの言葉の仕組みは日本の神社や仏閣に鎮まる神霊の段階では出来ない。不可能程度のことは誰でも解ります。しかしその神力のほどが解らないと言えます。
大本教から太平洋戦争当時、広島や長崎に新型爆弾が落とされて広島や長崎が【火の海】となり。その後に【黒い雨が降る】と予言がなされてその通りになりましたが、そこで起きたのはそれが事前に解っているのならばどうしてそれを阻止しなかった。阻止するのが神だろうと言う意見です。そこに在るのはこの世の意味の勘違いなのです。
私は自分が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と名乗る声の主は本当にそうなのかと、多くの霊能力者に当たったところ、その中の7〜8名の方から豊受姫と同様に私の背後には【国常立尊】と呼ばれる神が本守護神としておられると告げられました。
その旧約聖書の神と称していた霊は私に、【仮に全神々が束になってこの私に敵対したとしても、私一柱で全神々を倒すことは出来る。】と告げられたなのです。確かにこの宇宙の初発である【無から有】。万物の想像から創造に居たる過程。そして天文学でビックパンと呼ばれた映像。その過程に出て来る【神の息吹】を理解するならば、私達がこれまで神社や仏閣に鎮まる霊を神と思っていた感覚では、創造神は解らない存在と言えます。
艮金神国常立尊は全神々に勝てるが、あえて退かれた?
そのあえて退かれたに【引退の艮】に【魂(玉思惟)の仕組みに鬼が云う】を組み立てられたと言えます。そして【更生】することによって【甦る】の輪廻転生と言えます。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【この地球は魂の修学場】と聞かされましたが、その修学の場を閉めることも聞かされました。世紀の大予言者と言うべき大本教の出口王仁三郎聖師は、この世は【天人の苗床】と説かれ、天人を輩出させる修学の場でもあった事は確かなのです。そして優れた霊能者が言う【この地球は宇宙の出来損ないの魂が収容される魂の宇宙刑務所。】もまた事実だったのです。
人の魂が天人と成る修学の場には、悪は必要不可欠
悪を知り、悪を乗り越えないと天人に成長できない
いよいよ魂の修学場たる地球学校は閉校で、魂達は卆業式を迎える。
貴方たちの地球から宇宙に卆業免状は、兔の年から
で卆業免状を貰えなかった【落第生】はどうなるかです。これまでの宗教では我が宗派の教えを信じる者は天国界で、異教徒は地獄界に墜ちる。それも【火の海】の中と言うことで、最後の審判は【火の審判】と世界の宗教で語られて来たがあります。
古来より世界の宗教は人類が神から離れたならば
神は火(か)水(み)で、火か水で最後の審判を説いた
水の審判は過去に実施されています。それがノアの箱舟伝説です。ただそれは今の人類が知る歴史以前と言えます。過去を知る古い魂ならば、その時の記憶がある方も居るかもしれません。霊学的に過去に人類は六度滅んでいることから冥土(黄泉帰り)には【六】の字が入り、今の世は【七の代】とされるなのです。そしてみろくの世は八の世なので【松】の世とも言います。
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その反面、霊界側からこの世を見た時、霊界の原理原則論を無視した動きも活発化しており、人類が神と呼ばれる存在から明らかに【遊離】始めたと思われます。それが【人類の二極化人】で神と呼ばれる存在に従おうとする人達と、人類のみの論理で物事を考え出した人達です。
キリスト教等を知れば解りますが、イエス一人を主の御子と信じた者は天国で異教徒は地獄に墜ちるで、そこに【人は霊止(ひと)】で魂の服だという概念その物がありません。為にキリスト教等には輪廻転生の教えその物が無く、今の世を終えればまたもや人として生まれ出て来るなどは考えもしないがあります。
私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【人はこの世に降りたって、刹那心に溺れると永遠の命を持つ魂を腐らせる。絶対に刹那心を持つな。】と告げられました。刹那心とは今が良ければそれで良いと言う概念で、自己中・自己本位の生き方をすることです。霊能力者からこの世は魂の修業場とか刑務所ともされますが、神の世界の定めたる【掟(おきて)】を無視して、刹那心で走る人達を擁護するのが【愛】だと思っている人達の続出なのです。愛と言え言葉でその人の魂を腐らせてたり破壊に向かわせる。それはこの世では神から与えられた自分に対する【罰】が解らないからです。自分は何も悪いことをした覚えが記憶に無いで走るからです。
私は神罰として、一つの肉体に複数の魂を学んだ
神の世界から見れば、この世で【刹那心に溺れて】自分がこの世に降りた意味を理解出来なかった者は神の愛で救われるではなく、この世で本人の目的は達成されてもその魂は死後に永遠の苦しみの世界に墜ちかねないのです。この世では耐え忍ぶの【我慢】はしなければならないのです。そこにお釈迦杣が説かれた【この世は苦界】もあります。
我慢には我意を張り意に従わない【我慢】もあります。神から受けている罰の意が解らずに、我意を押し通すです。同じ【我慢】の言葉でも、正反対の意味を持つ場合があるのです。
私は一部の霊能力者の方達から貴方は閻魔大王の配下とも言われますが、甘い考え方は自分の身を亡ぼすを知っています。地獄界の存在を知る者なので、地獄界に墜ちる恐ろしさを認識しています。本当の天国を知るには、その反対の地獄界の恐ろしさも認識していなければ本当の天国界は語れません。スピリチュアルと称して地獄を語れない者が語る天国界とは、本当の天国界では無いのです。スピリチュアルと称する人達が語る天国界とは、そのほとんどが中有界の上界に過ぎないなのです。スピリチュアル標榜者の前に出て来る神霊と称する者達はそうした実態を告げることはないのです。
この世は【魂の刑務所】に入れられているとも言われているように、何をしても自由な世界では無いのです。自分の【我意】を通す世界では無いのです。それを通せば【左岐】の道に入ってしまうなのです。
以前は考えられない程、諸悪が表に出て来ている
キリスト教であれイスラム教であれ、真理を探究して来なかった為にその教えが絶対に正しいでは無いのですが、ある程度は万物の創造神と思われる神の【掟(おきて)】は出ています。イエスにしてもムハンマドにしても霊的世界からの指導者としては、それなりの次元の高さを持った存在だったからです。
今の世に現れている風潮は、イエスがそれを良しと言いましたか?。ムハンマドがそれを良しと言いましたか?。そこには無宗教の人達が考える【愛】。何もしても神の愛で赦すことだと思う間違った風潮の蔓延です。
宗教とは【宇宙の示し】で、人の胸(宗)に宿る物を説く
各宗教では我が宗派の教えを信じる者は天国界で異教徒は地獄界に墜ちると説きますが、人が死後に天国界に行くか地獄界に行くかは、個々の人の胸(宗)の【心臓】に宿る魂に現れる良心神の点数で決まっていたことなのです。
ただそれはお釈迦様の菩提樹の下の瞑想で【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在している。】と悟りを開かれた事柄でしたが、大乗仏教の起こりでその悟りの教えは埋没してしまいました。で、大本教からみろく大神が出されて、五六億七千万の数字の【五六七】が打ち出され、大本教神諭の【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(経緯)】から、お釈迦様の悟りを蘇らせることも出来たとなります。
誰がいったいこんな大仕組みを計画したのかの謎?
一部には創造神も時代と共に変化している等と知った被りで説く人達もいますが、万物の創造神と呼ばれる神は【始めから終わり】迄、その考えに変化は無いのです。宇宙の大元たる存在が【朝令暮改】をしていれば、宇宙の運行など出来ないのです。
創造神の原理原則論から離れ、人類が作り出した神の愛
私は神霊界と呼ばれる世界に自分が関わって、それが狐霊や蛇霊と呼ばれる世界であっても神霊世界の一部なりとも見聞をして来ました。世の中には神等は存在しないと主張する方達はありますが、これまでは神霊もそれなりに人間世界と懸け離れないように人類に関わっていたと見ています。
私が霊界修業をしている当時はその数は少ないと言えども、それなりの数の方が神霊と交わる為の辛い行を積んでおられました。しかしスピリチュアルと呼ばれる存在が台頭して来ると、辛い行など積まなくても貴方も簡単に霊が見えます。霊と語れますと金で蛇霊憑けをする人達が増えて来たことから、もう辛い行を積む人も世に居なくなったと言えます。
俗に霊の声が聞こえる者は千人に一人は出て、神の声を聞ける者は万人に一人は出る。そうした者が千人万人修業して本物と呼ばれる者がやっと一人出ると言われていた神霊世界。辛い修業をこなしてこないと単に蛇霊や狐霊の容器で、その一生を終わってしまうなのです。悪貨は良貨を駆逐すると言いますが、スピリチュアル標榜者の台頭は優秀な霊能者が育たなくなったなのです。
蛇霊や狐霊に関われるが、有能な霊能者が居なくなった
ある意味、人類は神と呼ばれる存在を見失って、今の人類と呼ばれる様な存在が延々と続くと思っているのだろうか?。なのです。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、私に【私はこの世の幕を降ろす。その後に永遠に嬉し嬉しの世に人類を渡す。】と告げられましたが、それはこの地球上では無くて五次元世界を最低次元界とする新天地と言われる新地球上の【神の御国】です。
今日迄はこの地球は魂に【輪廻転生】と呼ばれる事柄があったので、その人生に失敗してもまたもや人に生まれ代わってやり直せるがありました。だがその魂磨き、魂の修学の場が機能しなくなったことと、この地球を宇宙空間で動かしているエネルギーの源である【地球の核】たる内部磁場に異常が有り。世に出ておられない神々がこの地球の磁場の修復に従事されていたのですが、遂にこの地球船と言う星から【退船】命令が出る時期に来たなのです。
私は数十年前に地球船のエネルギー室が修復不能で
為に新地球船に人類を移行させると聞かされた一人
ただ現時点での地球船からの退船命令は【さみだれ式】の退船で有り、新地球船(みろくの世)に進む魂達は右の道に、これまでの地球船に留まる魂達は左の道を行くとなります。それは以前に図で示したこれまでの【三四五(みよいづ)】の世と新しい天地たる【五六七(みろく)】の世の違いで、三四五の世界としては今の地球も残るのです。この地球そのものは地球の核たる磁場がコントロール出来なくなった時点で、その運行を停止するとなります。
最近ようやく科学の世界からも地球の核たる磁場の異常が言われて来た
みろくの世を説く新地球論者達は、この地球船から退船をすると知る
邪神界であろうとも正神界であろうとも神霊で有るならば、【右岐】の路線を進む必要があることは解っていたことですが、もう神の世界から遊離した人達が大勢の世の中そのものは【左岐】の道を選んだと言えます。
人類の大多数は創造神の掟に則した思考をしなくなった
明治25年に丹波の片田舎の綾部で発祥した大本教の戦前の信徒数は、大本教本体の信徒数に外郭的信奉者を含めて当時の日本の総人口の10%を占めたのではないかという説があります。その大本教の二代教主補であった出口王仁三郎聖師は世紀の大予言者として知られていますが、皇居前広場で右翼と組んで民兵的な組織を作り。白馬にまたがってそれを閲兵するで、白馬にまたがるとは江戸幕府の将軍とか天皇がまたがるものであり。為に恐れをなした伊勢の国家神道派から日本の天皇家を転覆させて、出口王仁三郎聖師は天皇に代わって天皇の地位の乗っ取りを謀っているとして、大本教は大邪教として特高警察を使っての大弾圧を受けたがあります。
その事を以て大本教の神は伊勢神宮の神に潰されたと言われている方達がありますが、伊勢神宮の神とは別に太陽の精霊体ではありません。まして万物を創造した神でもなければ、言葉を創った神でも無いのです。
五六億七千万のみろくで、お釈迦様の悟りを出す驚愕!
ある霊能力者が伊勢神宮に参拝して、伊勢神宮の神から私に対する伝言を預かって来たと言われます。それが本当に伊勢神宮の神から私に対しての伝言かは私には解りかねますが、その内容は【上野公園氏におかれましては、この私が三千間に渡って日本の総氏神を勤めて来たことをお忘れなきように。】と言う物です。この日本を三千年間に渡って治めた総氏神と言われたならば、そうですかとしか言いようがありません。この日本の歴史からすると、神と呼ばれる存在が説かれて三千年間もあるのか無いのかとなります。
文字を持たない民族の記録など後世に残らないからです。この日本の記録にしても中国から漢字か入って来てからの物であり、それ以前のことは解らないと言えます。
ただ大本教から【神三千年の仕組み】が出されており、それに基づくならば、伊勢神宮も国常立尊様の大仕掛けの仕組みの中にあったかとなります。私は旧約聖書の神と称する声から、【私の教えは日本の諺や童謡に秘めた。その中でも最大の予言はカゴメ歌である。】と告げられましたが、伊勢神宮に鎮座されている御神霊が女神では無く男神であったことに驚いて、豊受姫にお尋ねしたところ本当は男神だと言われます。
で更に調べる為に他の優秀な霊能力者に尋ねたならば、伊勢神宮は男神と女神が存在し、スピリチュアル的な方達の前には女神が出て、これはと思う存在の方の前には男神が出ると言われます。その男神の方が女装の着物で胸の当たりには金刺繍で鶴の絵。着物の裾は同じく金刺繍で亀甲紋で出て来られましたが、カゴメ歌の鶴と亀がスベるは伊勢の天照大御神から後ろの正面の鬼、ウシトラ金神国常立尊に代わるなのです。
私は霊界修業に入った初期の頃、自分の魂が霊界の伊勢神宮に飛び、一万霊体に及ぶであろう絢爛豪華な大神霊行列を見せて貰いました。それは伊勢神宮の神の実力を私に見せつける為とも言えます。しかし宇宙サイドに照らし合わせると、いくら絢爛豪華な大神霊行列でも一万霊体程度ではとなります。その程度の霊力では宇宙サイドでは通用しないなのです。
霊界で悪神を捕らえるには、何百万体の部下霊が必要で
実力を持つ神を捕まえるには、神界戦争の覚悟が必要
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【日本神話の天の岩戸開け等の事実はどこにも存在していない。この私が人民を使って創作させたのが日本神話であり。そなたは私が何故にあの様な神話を創ったのか。その謎を紐解くが良い。】と告げられました。
私の伏見稲荷山での修業の世話をして貰った豊受姫からも、日本神話の天の岩戸開け等の事実はどこにも無いと告げられました。そして伊勢神宮に鎮座している神は別に太陽神そのものでは無いとも言われたのです。その伊勢神宮の神が自分は日本の総氏神と言われたならば、なるほど言えます。
天の岩戸明け神話は、創造神の【神の計画】を秘めた
全霊界の魂を【一八十(イハト)】段のどこかに格付け
私は強烈な霊の憑依を受けた時、自分の目を太陽光線で焼かない為に、目を瞑って太陽に向かい【天照大御神様、惟神(かんながら)霊幸倍坐世(たまちはえませ)】と祈ります。すると額の中央に通常の光では無い熱い光が入り。そうした霊の憑依が軽くなり、やがて体も回復します。そうした自分の額に神光を入れるは神社に参拝しても出来ますが、神社と実際に太陽から受ける物とでは光の強さに雲泥の差があります。
そうしたことはスピリチュアル標榜者では無く、霊媒体質者だと実践出来ます。私はこれまで霊媒体質者にはそれを教えて実践させて来て、誰もが伊勢神宮の神霊では無く、太陽その物に天照大御神の存在を感じるです。伊勢神宮に行けばと言っているのは、スピリチュアル段階で終わっていると言えます。太陽から直に神の光を得るを知れば、わざわざ伊勢神宮に行く必要も無いとなります。
スピリチュアルとは単に自分には霊が見えます程度の段階の話で有り、神霊達の神界の戦いに加わるでも無し、霊的世界の浄化浄霊が出来るではありません。為に霊的世界の浄霊のことなどはお構いなし、金儲けを目的に走って本人自身がやがて蛇霊の容器に化すなのです。死後に黒蛇霊などの姿に身変えってしまうなのです。
私は稲荷神界から言霊の世界に転じて、黒龍神と呼ばれる多くの龍神はその汚れから黒く見えるを知りました。その魂に汚れが無い本当の黒龍神とは八次元界位から見えて来るのであって、六次元界とか五次元界程度で視認する黒龍神とは、その魂の汚れから黒く見えている龍神なのです。スピリチュアルで視認する黒龍神とは、その霊的汚れから黒く見えている龍神達と言えます。
その黒龍神は自分が霊剣を振るったら消えたとか、簡単に浄霊出来るような存在ではありません。私自身は修業時代はそうした黒龍神から攻撃されて逃げ回っていたなのです。そうした霊的に汚れた龍神でも神霊でも、神霊を浄霊するとなればその神霊を自分の胎内に入れて浄霊するより方法はないのです。それが出来るのが霊媒体質者であり。その時、男でも自分の腹が妊婦の様に膨れるを体験します。
豊受姫の御代で私の最初の師匠であった方は、先輩の行者として【黒龍神の浄霊はしてはいけません。浄霊しようとすればその汚れに自分が苦しみ病院送りになります。自分に力が無ければそれだけで死んでしまいます。自分の命を失う危険があるので、黒龍神の浄霊は絶対にしてはいけませんよ。】と言ったほどのものなのです。
自分に憑依した霊の汚れの憑依程度であれば、神社の神霊でもお札でもそれなりの効力はありますが、神社で買ったお札から出る霊光ではさほどの浄霊光ではないのです。
太陽から直に出る浄霊光とは、神社の神霊の比では無い
太陽からの浄霊光を得るには、自分で祈るより道が無い
その本当の太陽に向かって祈るのが【天津祝詞】になるのです。
が、太陽光の直視は非常に危険なので、必ず自分の目はしっかり瞑り。太陽の光を直視をしないように祝詞を上げてくださいと指導しています。私自身が大量の霊に懸かられると太陽の直視が出来ることから、瞼を閉じる時期の判断を誤って、太陽を直視し続けて自分の目の網膜の一部を傷を付けてしまったからです。それと真夜中の闇の中でも出て来る霊界の太陽光も、直視してしまうと肉体の網膜を傷つけてしまうがあるのです。
大本教は伊勢神宮に鎮座している神を、別に本当の天照大御神とは思ってもいなかったがあります。伊勢神宮の神と創造神とされる国常立尊とでは、神界においては天地の差ほどの力関係が生じて来るからです。
私は旧約聖書の神と称する声から、みろくの世の日本国には【天皇制】は存在しない。新しい天地の日本国は天使長が直轄する神の筆頭国であると告げられましたが、大本教の出口王仁三郎聖師はそれを【型】として演じられたのでしょう。
その大本教から【神が表に現れて、善と悪とに立て別ける。】という大宣伝がなされました。それに関して、大本教から【この世の閻魔大王として現れる。】も宣伝されました。
普通に考えますと、仏教で説かれる地獄界閻魔庁の【閻魔大王(牛虎の鬼)】が人々の前に直接に現れて、個々の人を裁くような感じを受けてしまいます。私自身は自宅の神棚に日蓮聖人を伴った閻魔大王と思われる方を見ましたが、霊能力者から貴方の背後には閻魔大王様が居られると言う指摘も受けて来ました。
牛虎金神国常立尊=閻魔大王(牛頭虎パンツ)がある
私は豊受姫の御代をしていた最初の師匠から、貴方を見てこんな恐ろしい存在は見たことが無いと言う霊能者であれば本物の霊能者と言えますが、そうした指摘をしてこない霊能者はたいした霊能者ではありません。と告げられました。私はいったい私のどこが恐ろしいと存在かと首を捻っておりましたが、私の背後に閻魔大王たる存在が見えた方は、【光に殺される】とその恐ろしさを言われるなのです。
閻魔大王と呼ばれる存在は、霊的光で魂達を捌いて来る
私が子供の時に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私は最後の審判の時、そなたを私の横に侍らせて、そなたに私の捌きの一部始終を見せる。】といわれましたが、それは旧約聖書の神=閻魔大王も示唆されていたなのです。
そしてその声は、私に【ナザレのイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えなさい。】とも告げられました。それは最後の審判に【神の愛】など何一つ通用しないの言葉なのです。私は幾人かの霊能力者から、貴方は地獄の閻魔庁の判官の一人とも告げられたりしますが、それ故に自称救世主と称する人達も地獄界に墜ちていく様が見えるなのです。
この世の閻魔大王とは、人に内在する【良心神】になる
しかしスピリチュアルに良心神を説いても【糞扱い】
私は人の魂を見せられて、その魂に出る点数は何だろうと幾人かの霊能者を当たったところ、その点数は主に西洋で説かれる【最後の審判】と呼ばれる事態が起きた時、その最後の審判後に来るであろう【永遠の神の御国(みろくの世)】で、自分が入る永遠の世界での自分の地位を確定させる点数で、【良心神】の点数だと聞かされました。
最後の審判とは各自の魂の良心神の点数の最終判定で
輪廻転生が終われば、またやり直すが出来ない
人は誰しも自分の心の中にそれが欠片であっても【良心】と呼ばれる物が存在している。その良心と呼ばれる物は【愛】の言葉とは別物であるとは感じているはずです。例えその存在が悪魔で有っても愛の教えは説けますが、悪魔に良心は言えない。そうしたことも解るはずなのです。それが解らないとなった時、自分も悪魔界に足を突っ込んでいるなのです。
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私はその旧約聖書の神と称する声から、霊的世界のことに関してはあれやこれやと教えて貰ったではありません。私がその旧約聖書の神と称する声から教えられて来たのは、魂がこの世に人として降り立つ意味。そこにあるのが【輪廻と転生】です。そして魂がこの世で学ぶべき事は【人としての心の在り方・持ち方】なのです。但し【転生】に関しては詳しく説明はされませんでした。転生に関しては【伏見稲荷山】で実践修業として学んで来たなのです。
旧約聖書の神から告げられたことは魂の【輪廻と転生】
人は何故にこの世で学ばなければいけないのか?
私はその旧約聖書の神と称する声から教えられた事柄は、多くのスピリチュアル標榜者の方達が言う神は愛だから何をしても神の愛で赦されますなどの【甘い、甘い】内容ではありませんでした。スピリチュアルで言う様な教えを聞いていれば、自分が死後に地獄界に叩き落とされる。実際に霊界を見聞してくれば、魂が腐ったり破砕されたりがあるからです。
更に私に告げられたのは、キリスト教の開祖イエスやイスラム教の開祖ムハンマドの霊界における本当の地位です。私が自分に臨んだ旧約聖書の神と称する声から聞かされた内容は、キリスト教徒やイスラム教徒にはとても承服しがたい内容だと言えました。イエス一人を主の御子と信じていればとか、アラーの神の名を唱えていれば天国等の内容ではなかったなのです。
この世に肉体を持って人として出られた存在で、今日までの人の身で一番の覚者はお釈迦様だと言われています。確かにお釈迦様が開かれた仏教の教えとは、イエスやムハンマドの教えと比較すると奥が深いと解ります。もしイエスやムハンマドがお釈迦様の教えを知っていれば、自分が説いた神の内容の底の浅さが解ったでしょう。もしお釈迦様の教えを知っていたならば、神と呼ばれる存在を説かなかったかも知れません。それは天使長ミカエルとか大天使カブリエルと称する霊も底が浅いなのです。
私達が知る【輪廻転生】とは仏教から教えられて来たことで、キリスト教やイスラム教には存在しないのです。
私が教えられたのは、人としてこの世での生き方
自分が播いた種の果実は自分で刈り取れ、後始末は自分
私は昭和五十五年、自分の目は開いているにも関わらず真っ暗闇の中に叩き落とされて、それを切っ掛けとして神霊界修業に入る時期が来たと、隣市の稲荷神社の神主さんが神社の御祭神と会話されてよく当たると聞いて、その元に相談に行きました。
するとその隣市の稲荷神社の御祭神であった豊受姫は、私に貴方には能勢の妙見様の御使者神が二体守護しておられる。普通の人では無い。神たる存在が人としてこの世に降りている。さらに貴方は白龍神の子と呼ばれる存在でもあると告げられて、その豊受姫の庇護の元に伏見稲荷山で数々の霊的体験を見せられて来たなのです。
当然に伏見稲荷山での修業となりますと、どこかの神社に参拝する等とは違い。稲荷山の中に有る瀧に打たれたり、伏見稲荷山を巡る山行が主体となります。伏見稲荷大社は全国の稲荷神の総本社で、稲荷山という山を神域として持つ存在です。伏見稲荷山で霊的に見る世界は【白狐】などの社会となります。
そうした時、【あなたは狐を神として拝んでいる。】と人を馬鹿にしたような言い方をされた人もありました。だがそうした方はどうして狐が神として拝まれているのか?。君臨しているのか?。そうしたことを何も考えない。解ろうともしていないなのです。ただただ狐霊神や蛇霊神から現世御利益に期待して参拝するなのです。
確かに白狐は神使と言えども、肉体としての身分は【畜生界】です。畜生界だから人間界よりも下の界だと言えば、確かに稲荷神界の白狐は狐であり畜生なので人間界よりは下なのでしょう。その畜生界と言えば、龍神と呼ばれる存在も畜生界とされるなのです。人間より遙かに霊力を持った存在が畜生界か?。です。
そこには【次元】と呼ばれる世界が存在しているなのです。この世に肉体を持っている人の身は三次元界。人は死(四)ねば誰もが四次元界。神霊として出て来る白狐や蛇霊は五次元界が主体で、三輪山の神は六次元界の黒龍神だと言われています。そうした中でお釈迦様は世に出ている神々より上の次元世界に行かれた方。そうしたことから巷の自称救世主も自分は七次元界だと呼称される人が多数有るなのです。
大本教から出された【人は神の子・神の宮】は、人はこの世での生き方次第で誰でも天人や神にも成れるなのです。で、大本教の出口王仁三郎聖師は、この世は【天人の苗床】と説かれました。
人はこの世の生き方で、死後の世界で天人や神と成れる
人は狐霊とバカにするが、自分にその霊格が有るのか?
私が霊的世界に関わって見て来た中では、神として祀られている蛇霊や狐霊を越えた霊界の次元格の魂を持つ人など、万人に一人程度しか存在しておられないなのです。どなたも蛇霊や狐霊よりも霊的世界の次元格は低いなのです。で、それは何故かとなった時、神霊世界で姿を見せる蛇霊とか狐霊とは爬虫類や動物では無く、元は人の身であった存在が多いなのです。
霊界で神霊と呼ばれる蛇霊や狐霊は、元は人から転生
その白狐達が男(雄)ならば【衣冠束帯】の貴族の様な姿。女(雌)ならば【十二単衣】を来た姫姿で出て来るがあります。それは龍神と呼ばれる存在にも当てはまります。人の姿を取れる龍神と人の姿を取れない龍神が存在して来るのです。また蛇霊と呼ばれる世界も同様なのです。蛇霊でも人の姿をして出て来る場合は、その目に特徴が出ます。そこに出て来た神霊の目を見れば、狐霊系だとか蛇霊系だとか見分けられるなのです。
されどその白狐が私達人間に向かって、【人間の分際で頭が高い。下郎、下がりおれ。】などと一喝して来ます。人間は畜生では無く霊長類のトップだと言うのであれば、白狐が人間の分際で頭が高いと一喝はして来ないでしょう。多くの人はそうした蛇霊や狐霊から現世御利益を貰おうと必死になって、神社に参っているなのです。
神社を清めの場として、その力添えに参拝する者達と
現世御利益を求めて神社に参拝に行く者達は正反対
神社には御祭神として、仏閣でも菩薩像などには蛇霊(主に黒蛇霊)が宿っており。【自分達は人間が助けてくれと参って来るので、それを助けてやってどこが悪い】。そうした言い方をされます。そこに見られるのは、大本教が世に出した【人は神の子・神の宮】を神霊と呼ばれる存在がほとんど理解されていないがあるのです。大本教が出した【この世は天人と成る苗床】の修業場の意味です。
そもそも【人とは何ぞや!】が論議されて来なかった
龍神と呼ばれる存在でも狐霊でも蛇霊でも人の姿を取れる霊は、かつては人の様な姿の存在でこの世に出たことがあるなのです。白狐の世界を見て来ると、白狐→人間。人間→白狐が見られます。私の最初の師匠を勤めてくれた女性は幼児の頃から白狐が遊び友達で、白狐界から人間界に【転生】した組でした。しかし今生においてよく神霊界に仕えたことから、更に上の神界に神霊として列せられる資格を得たのです。
その白狐達の上に来るのが【龍男】とか【龍女】と呼ばれる存在で、南無妙法蓮華経の御経に龍女の解脱とある様に解脱さえすれば、死後は天人界でも神霊界でも進めるとなります。この元が龍男とか龍女と呼ばれる存在ではなく、この世の生き方で蛇霊と化した魂を行者筋は「龍神とは死後に人の魂が蛇霊と化して霊界の海山川(又は火山川)で各千年。合計三千年間の修業を積んだ大蛇霊のことだ」と言われます。
聖書にも龍とは霊界で年老いたところの大蛇霊とあるのですが、その大蛇霊とは人の魂が蛇霊化した存在とまでは書かれていなかった為に、いったい【龍神と蛇霊】とは何を意味するのか?。それが解らなかったなのです。聖書に記載されるような三千年間にも及ぶ霊界修業を積まないと、人の魂から龍と呼ばれる世界には入れないなのです。
龍とは【流】的エネルギーで、霊界で力を得れば流
スピリチュアルは蛇霊憑けで、蛇霊で霊的世界を見る
世に【龍神付き(憑き)】とか【蛇霊付き(憑き)】と呼ばれる人達が人の目には見えない霊力を有するのは、その人に付いた(憑いた)そうし存在が流す霊的エネルギー(流力)を持つからなのです。
ある自称救世主は私に三輪山の神は六次元界の黒龍神で、その神の配下たる400万騎の黒龍神が三輪山の神共々自分の配下神として就いたと言って来られました。確かに行者筋からは三輪山の神の眷属霊達は黒蛇霊であると言われて来ました。その自称救世主によれば三輪山の黒龍神の配下達黒龍神はその長さが40メートルから20メートルあると言われます。
私が稲荷神界から言霊の世界に転じた時、私の前にその姿を現した黒龍神は黒海黒龍神と呼ばれる存在で、私が2番目の師匠とした言霊師は私の前に現れたその黒海黒龍神はその長さが20キロに及ぶ存在で、黒龍神界においては?2に当たると言っていました。
その黒龍神が私に告げたのは、聖書におけるノアの箱舟に記載される【40日間】も大雨を降らせたのは黒海黒龍神たるこの自分の霊力であると告げて来ました。ノアの箱舟伝説が残るのはトルコの黒海周辺にありますので、その黒海黒龍神が関わっていたのか知れませんが、確たる証拠は無い話とはなります。
するとその自称救世主の方が私に自分に従ったと言う三輪山の40メートルから20メートル程度の黒龍神とは何を語るかと言った時、それは霊界における大黒蛇達の段階となるのです。
霊的世界においては霊として命を宿す存在は、全て【光の玉】として存在して来ます。悪神と言えども【光の玉たる存在】なのです。そこにスピリチュアルの自称救世主の背後に見られる霊界の太陽とは、六次元界黒龍神が【火として燃えている様】であり。それを見て本当の太陽神とは言えないがあるのです。
日本における行者筋ですと、蛇霊とはこの世で金、金、金で生きた者達。それは仏教において【蛇に成った長者】の逸話にも書かれていることです。またこの世の権力に溺れた者達の死後での姿。他人に対する妬みや嫉妬などの怨念を持った者が死後の世界で墜ちた姿。それに色情の色欲に溺れた者達も死後に蛇霊化することが言われて来ました。
人の魂が蛇霊化する原因は【邪の道は蛇】で、邪の行い
スピリチュアルでは【この世では神の愛で何をしても赦されます】が教えの基本としてありますが、それで行くと死後は間違いなく蛇霊と化すのです。何をしても自由が【あるがまま】の意味だと大勘違いを発生させているのです。この世は魂の修業場で、何をしても自由がそもそも無いのです。日本の諺の【邪の道は蛇】をまったく解っていないのがスピリチュアル標榜者と言えるでしょう。
聖書のアダムとイヴを唆した蛇の囁きとは?
エデンの園から蛇霊と一緒に追放された人類の原罪?
私達人間の魂は三次元世界に即応した肉体を貰っています。人は死ねば誰でも【四次元界】と呼ばれる世界には入ります。スピリチュアル標榜者の多くはその四次元霊界とのコンタクトになるので、為に普通は四次元スピリチュアルと言われているなのです。スピリチュアル的な教えに走ってしまいますと、天国界には入れないのです。
天国と呼ばれている世界は誰でも死後に入る四次元霊界ではなく、五次元霊界から展開して来るわけですが、その天国界は第三、第二、第一天国界が言われており。これまで多くの自称救世主と名乗った方達は自分は七次元界の魂だと呼称されるのですが、それはその第一天国界と言えます。それより上の次元世界のことはほとんど解っていなかったのです。そこに【八九十】次元界があるなのです。
しかし七次元界だから天国界では無く。神界には【正神界】と【邪神界】の正反対の神界が在り。邪神界が運営する【天国界】も生じて来るのです。
神界は正神界と邪神界が在り、邪神界=地獄界では無い
神界は勝てば官軍。負ければ賊軍。強い方が支配した
一部の方達から熱狂的にあの方が救世主だと言われていた【七次元よりの使者】の著者たる【五井野正】博士や、ヨガの大家としても知られた【本山博】博士や多くの自称救世主の方達が自分は七次元界の魂だと言われていたのは第一天国界と関係していたからです。
私はスピリチュアル系で自称救世主と名乗っている人達が、自分の信徒を亡者道に案内している様を見て来ました。そうした中で本人が自分は自分を神だと信じる者達を地獄界に連れて行き。地獄界で自分が王として君臨する王国を建設するなどと陰で言っておられる。そうした事柄を数件も知りました。そうした自称救世主が説くのは【愛】の言葉だけで、愛と言う言葉を出していれば人は寄って来るなのです。
スピは前世を見るが商売でも、自分の行く界を知らず
悪魔は良心神は言わないが自分を赦す【愛】は説ける
伏見稲荷山は行者でもスピリチュアルでも、伏見稲荷山に行けばそこに御神霊と呼ばれる神々や龍神や蛇霊や狐霊等の様々な霊が出て来ます。霊能力が少しでも備わっていれば不思議な山だと解る山でした。解る山でしたとは過去形になりますが、伏見稲荷山も今はもう昔ほど強烈な霊場では無くなってしまったなのです。
日本における多くの霊場は霊能者江原啓之さんの神霊パワースポットの紹介記事で、霊場を浄化する役割を持つ参拝の意味を逆に捉えて、その霊場に自分の汚れた霊物を置いて行く多くのスピリチュアル呼称女子達によって、神社等は霊的浄化機能を失って、その霊場に鎮座する神霊や眷属達まで汚染されてしまったがあります。
その原因の一つとしてスピリチュアル女子だけで無く、そうした神社を守る神主たる者が霊界を知ることもなく、大勢の人が参って来る【霊場の浄化】をするでもなく、神主も神霊を金儲けに利用しているがあるからです。
伏見稲荷山も今では日本の神等も何も知らない外国人の観光場所と化してしまい。今では白狐達も外国人を恐れて出て来ない。霊場として機能を失った場所となったなのです。
日本における神社の多くは、霊を浄化する機能を失った
スピリチュアルで、霊場を浄化することに働く者は無し
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霊的世界に関わると人を欺して喜ぶ【愉快犯】霊に遭遇します。為には【サニワ(審神)】が必要なのに、スピリチュアルの世界ではそのサニワ(審神)が何も行われていないなのです。スピリチュアル標榜者からはそのサニワ(審神)の言葉すら聞くことが無いでしょう。逆に言われることは誰でも彼でも簡単に霊界に関われますよです。自分達が関わっている霊界の存在が何かすら理解出来ていないなのです。
私が子供の頃には旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、その声は私に【旧約聖書は我が書なれども、暗号を解く鍵を持たないで読むと意味を間違える様に創ってある。】と告げられました。それとは別に【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国であり。この日本でないと私の教えは解らない。】とも告げられました。
この日本でないと旧約聖書に秘められた意味は紐解けない。それはどういうことかとなりますが、旧約聖書に出て来るミカエルとかガブリエルと称する存在に本当に【旧約聖書の神】が説けていたのか?。なのです。彼等は旧約聖書に隠された【暗号】を知っていたのかです。
霊的世界において出て来る霊の名乗りに絶対は無いのです。例えば天照大御神を主宰神として祭るA教団、B教団、C教団で祭るところの天照大御神は同一神かとなりますと、その系列が同じならばそれなりに解りますが、まったく関係が無い等があります。ある程度の規模の霊集団の中で、そうした神名を名乗る役割をする霊達が居るに過ぎないなのです。
為にそうした名乗る神名は同じでも、まったく関係が無いなのです。私は幾人かの自称救世主を見て来ましたが、そこにはそうした神名を名乗る霊達の存在がどの集団にも見られるからです。それぞれの自称救世主が所属する霊社会が違っているなのです。そうしたことは霊界の構造がある程度解る霊能者には解っています。
しかしスピリチュアル標榜の方からは、霊界の構造とか霊的世界に関する事柄がほとんど聞かれません。ただ【愛だ!。愛だ!。】の言葉の連呼と、貴方もスピリチュアルの世界に入れば金儲けが出来ますよだけです。人を愛で助けることを歌い文句にしながら、無条件で奉仕する【無償の愛】を説きながら、ただ【愛】と言う言葉を商売道具として大金を取る。それが【天使】と称する存在がする行為か?。です。
愛は無償の行為、愛を言って大金を取るスピリチュアル?
仏教では全宇宙を【三千世界】と説きます。その仏教の三千世界の説明を知るならば、死後の世界とされる霊界には三千個の世界が在るではないのです。今の私達が住む世界を一つの世界として、そうした世界を千個集めて一つの世界とする。この世の様な世界を千個集めて一つの世界とする上位の世界とは、この世界よりも一段の上の次元が違って来る世界なのです。するとそこに【次元】とされる世界が在ることになります。
更にその世界を千個集めて、またもや一つの世界とする。するとまた【次元】が上がった世界が在るとなるのです。更にそうした世界を千個集めた一つの世界が千個在るです。すなわち仏教で説いた三千世界(全宇宙)とは、三つの千×千×千の【十億個】の世界を意味します。が、現実には宇宙はそんな十億個程度の霊世界ではないのです。霊的には数え切れない世界が展開しているのです。
日本神話で語る天照大御神とは太陽の様な恒星の精霊体のことだとするならば、私達人類が知る銀河だけでも昔は二千億個有るとされていました。現在は2兆個以上あると見られています。その一つの銀河に無数の太陽たる恒星があるのです。すると宇宙には天文学的な数字の太陽神たる天照大御神が存在して来ることになります。
そこに霊的世界では霊が自称で名乗る神名や天使名で判断するのでは無く、全宇宙の霊界に通用する霊の身分を表す天使の階級を告げる【天使の記章】が言われています。日本神話で言われる天の岩戸開けの【イワト】とは【一八十】の言葉の意味で、霊界における神霊や天使の階級のことであり、大本教からはその神霊や天使と称する霊の階級には正神界、邪神界共に百八十(一八十)段在ると出されました。
スピリチュアル標榜者の前に現れる霊が自称で天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと名乗ろうと、その霊が霊界でどのような地位に在るかを判断するのはその霊が持つ【天使の階級】章に照らし合わせるなのです。その天使の階級を【軍隊の階級】に照らし合わせると解りやすいのです。
仏教の三千世界は【三つの次元界】を一括りとして指す?
ひふみは123、みよいづは345、みろくは567の三次元
しかしそうした仏教で説かれた論理は、西洋キリスト教社会からは何も出ませんでした。もしミカエルと言う名の霊が本当に天使長ならば、ガブリエルと称する霊が本当に大天使ならば、そんなことも知らない天使長とか大天使があり得るのかとなります。日本において次元界を知る霊能力者は、誰もがミカエルとかガブリエルと称する霊など眼中にも無いのです。そこに日本のスピリチュアルは四次元スピリチュアルとも言われているなのです。
霊界に存在する霊は、自分が所属する霊界しか知らない
この世に降りて来ないと、霊界が多次元世界と解らない
仏教ではこの宇宙は【無から有を生じた】と説きます。この【無から有を生じた】は天文学で説くところの【ビッグバン】以前の話です。どうしてそんな【無から有が生じた】と言えるのかとなると、霊界にそうした映像があるからです。日本神道では宇宙の初発を【混沌(カオス)】と説きますが、その前の段階です。
無論、科学の論理では無から有は生じません。ではこの宇宙はどこから生じたのかとなると科学では解明は不可能となるのです。鶏が先か、卵が先かならば論争になります。だが無から有が生じたでは論争の種すらならないのです。お釈迦様はその無から有が生じたを弟子から尋ねられたら、【思い患うな】と答えられたとも言われています。いくら考えても無から有が生じたは解らないのです。そのことを思い患うと【発狂】しかねません。
その【無から有が生じた】光景を見ていると、そこに万物の【創造神】の息吹が感じられると私は言います。私はその無から有を生じさせた存在を【想像神】と言っています。その想像神から万物の創造が行われた過程を私は【言葉】と言っています。
新約聖書のヨハネの福音書では【初めに言葉ありき】としますが、それでは言葉の意味が解らないのです。聖書では創造神は何々在れと言われたら万物が出来たとあります。そこが根本が違っているなのです。私は宇宙が想像神の想像から創造に入る過程を見ていて、これではキリスト教徒は【神は言葉なりき】の言葉の意味を間違えてしまうと解ったのです。
万物創造の前段に想像が在り、想像神+言葉=創造神
そこに大本教から出された言葉は【言霊】が重要になる
世紀の大予言者と言われていた大本教の出口王仁三郎聖師は【言霊】を説き、神界にミカエルと言う名の天使長は存在していないと出されましたが、私はスピリチュアル標榜者の前に現れる天使長ミカエルとかガブリエルと称している様な霊は、神は言葉なりきの【言霊】とは何ぞや?。が、そもそも語れない。語っていない。すると彼等は本当の天使長でも大天使でも無いぞとなります。
最初のスピリチュアル・ブームの頃、ラーメン屋の親父がスピリチュアル教室は儲かるでラーメン屋を閉めて、少しばかり霊感を持った者を教師として雇い。スピリチュアル教室を開いて何十万円もの講習料を取っていることが話題になりました。今日でもそれ以上の高額料金を取るスピリチュアル教室があるようです。
私は伏見稲荷大社で指に高価な宝石を嵌めて、その方の弟子と思われる女性達を引き連れて、弟子と思われる女性達に【貴女達も早く一人前になって金儲けをして、こうした宝石を指に嵌めなさい。】と言っているスピリチュアル教師を見て来ましたが、私がお世話になった豊受姫はそうしたスピリチュアルの人達が御膳谷の瀧場を覗くと、金縛りにして瀧の水をぶっかけるがありました。が、スピリチュアルでそうした神霊から直接に神罰を受ける怖さをほとんど御存知無いと言えます。神の世界を安易に語っています。
私は当時伏見稲荷大社講務本庁の支部長で豊受姫の御代として近隣の霊能者ならば【あの先生ならば間違いが無い】と言われていた方を最初の師匠としました。その師匠は私に豊受姫は恐ろしいと言っていて、豊受姫のどこが恐ろしいのかと思っていましたが、豊受姫からその恐ろしさを見せつけられて解ったことは、実は神々とはどなたも恐ろしい存在なのです。ですから【かしこみかしこみ(恐み恐み)】申さく。なのです。
神々は恐ろしい存在で、神は愛で赦すの存在では無い
スピで金は儲かるが、死後の行く先は黒蛇霊等の世界
最近一人の方からメールを頂きました。その方は30年ほど前にある会に入会されたところ、その会の主宰者の背後に多頭の火炎を吐く龍が見えて、退会するのが怖くて30年もその会に所属していたと言われます。そうした会などの組織の背後に火炎を噴く龍を見るは、その方にはそれなりの霊格が備わっていたなのです。そうで無いとそうした火炎を噴く龍など見えないからです。確かに火炎を噴く龍とは、その人に自分に逆らったら殺すぞと脅していたのです。
今の神霊界の様は実質黒龍神が支配する世の中です。大本教から【ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にする仕組み】が出されましたが、そのユダヤの悪鬼の配下として多くの黒龍神がこの世を動かして来たなのです。多くの新興宗教やスピリチュアル教祖の背後には六次元界の黒龍神の存在が見られ、その信徒に脅しとして火炎を噴いて来るがあるのです。
龍と龍の戦いは火炎合戦で、次元の違いで威力は桁違い
大本教から【世の大立替】が出された背景には、そのユダヤの悪鬼が敷いた施策でこの世が泥海(ヘドロ状態)と成ることから、その世界から善良な人類を救い【新地球に移す】必要があるなのです。そこにこれまでの世の神界を実質的に動かしたのは黒龍神界なので、これまでの世は【345(みよいづ)】として残して、新たな天地として【567(みろく)】の世の到来の前宣伝がなされたなのです。
だが待てどもそのみろくの世はやっては来ない。もう宣伝して来た者達の誰もが諦め状態に入っているのです。
五六七の世は、黒龍神黒蛇霊は悔い改めないと行けない
しかし黒龍神や黒蛇霊達は大本教から出された【世の大立替】などは起きないと見ています。私が修業時代に言向けした黒蛇霊は、【天帝がいくら悔い改めたならば助けてやると言われても、死んでも悔い改めないなどはしない。天帝が悔い改めないと我らを滅ぼすと言うのであれば、その時には暴れに暴れて人類を道連れに死んでやる。】と言います。ほとんどの黒龍神は悔い改めは選択しません。そしてその時は人類を道連れに【滅ぶ道】を選ぶです。
黒龍神の狙いは、多くの人を従えれば天帝も手が出ぬ
為に天帝も強引に改革を進めれば神界戦争が没発する
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【私はこの世の幕を降ろすに当たって、そなたをこの世に使わした。】と言われます。私は子供心に驚いて、それは何時頃ですかと尋ねたところ、【それは何時頃とは言えねども、そなたが生きている時代に起きるであろう。そなたはその時の光景を目にすることになる。】と言われます。
私は大変に驚いたのですが、そんなことなど成長すると共に忘れていました。しかし昭和五十五年に私の目は開いているににも関わらず真っ暗闇に落とされて、まるで地獄の底からかと思われる恐ろしい声が臨み。それを切っ掛けとして隣市の稲荷神社の御祭神で在った豊受姫のお世話で、伏見稲荷大社講に所属して稲荷神霊界に修業の足を踏み入れたです。
子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が私に告げられた【この世の幕引き】に関して豊受姫に尋ねると、【その時は何時かとはこの豊受にも解りかねますが、それは貴方が生きている時に起こります。貴方はその嵐の中をくぐり抜けて行かれます。】と言われます。
人は大本教から出された【人は霊止(ひと)である】から解る様に、一つの魂が一つの肉体を貰います。だがその肉体には自分たる魂だけで無く、その魂の守護神霊や背後霊、その魂の過去世からの縁故霊、自分が出す波動で寄ってきた霊、無数の憑依霊等で構成されます。そうした背後霊が多い人ほど、有能な霊能者に成れると言われています。それが優秀な霊能者には数千とか数万とかの背後霊が存在しているとも言われるのです。
霊能者の背後には無数の霊が従うのは、数が力となる
その中で神霊に近い蛇霊や狐霊の憑依を受けますと、霊界が見えるが起きて来ます。だが蛇霊や狐霊が見せてくれる霊界とは低次元霊界で、万物の創造神などに繋がるような道筋では無いなのです。ですから蛇霊や狐霊の段階では【現世御利益】で人を引き寄せるとなります。どこどこの神社に参拝すれば御利益として大金が入るです。が、その世界では【自分の魂そのものに向上が起きない】なのです。
自分の魂を向上させるのか!、現世御利益で留まるか!
人はその人に少し霊感があったりすると、霊が起こす金縛り体験を起こしたりします。実際に霊的体験をすると、霊的世界に対する興味。霊界のことを知りたい。そうしたことから神社や仏閣を巡るとなります。その時に有能な行者を師匠とする世界から入ればいいのですが、どこにそんな有能な行者が居るのか解らないなのです。で、自己流で入ってしまうと危険性が増すのです。
自己流で神社仏閣を巡ると、霊感者は霊の憑依を受ける
神社仏閣は霊場と呼ばれ、霊が集まる場所で霊界の接点
だがほんどの人はその神社に誰が鎮まっているのかが解らないなのです。神社の神主で霊能者の様に霊が見える様な方はほとんどいません。神社本庁が神主と成るのにおかしな規定を設けていて、学歴のみで判断しているがあります。神社の神主は学歴では無くて、神が見えるか見えないかで決めるべきだったのです。為に最近のニュースを見るならば、日本の神社本庁のトップが腐っていることが解りますが、そうした腐った宮司をその神社の神霊が罷免や整理も出来ない。そうした現実を知るなのです。
日本の神社本庁のトップは腐っても、神が戒められない
そうしたスピリチュアルの方の背後には、やがて蛇霊の姿が見えて来るようになります。そこに蛇霊世界に参画すれば本人に大金が転び込むがあるのです。
日本の某大神社に参拝すれば大金が入ると言われていますが、この神社の眷属達は行者達からは【黒蛇霊】で知られており、この神社のお札を貰うと黒蛇霊がお札に乗って家に来ると言われています。しかもその現世御利益は絶対だとも言われているなのです。その事自体はこの神社の縁起として、この神社の祭神は黒蛇と書いていますので公然たる事実です。
スピリチュアル標榜者の多くは、黒蛇霊と関わる
この神社に参拝すれば大金が入りますと説いているスピリチュアルの方は、その方が黒蛇霊の世界に入られたなのです。逆に狐霊の世界だとあまり大金は要求しないなのです。私がお世話になった豊受姫の御代で在った師匠は、神霊の相談料はお気持ちで例え500円玉一枚でも100円玉一枚でも神霊相談に乗っていました。それは御祭神たる豊受姫が金銭を目的とされていなかったからです。自分の所に参って来てくれたからと、相談に乗って下さるです。それが蛇霊系と狐霊系では要求する金額が大きく違って来るとなります。
お釈迦様の逸話とされる物語の中に【蛇に成った長者】があります。しかしこの逸話はインターネットで検索しても出て来ません。ただ古来より【蛇霊神を信仰すれば大金が入る】で蛇の皮を財布に入れる。蛇皮の財布を所持するです。
古来より蛇は金運で、蛇霊界に参画すれば大金は入る
しかし天国への道は閉ざされて、死後は蛇霊の世界に
私だけでなく、この世に出た魂達はこの世で一つの【岐路】に立たされます。この世では大金を得れば幸せに暮らせます。イエスの教えに【金持ちが天国に入るのは、針の穴にラクダを通すようなものだ!。】がありますが、その本当の意味は、大金持ちとなることで魂磨きもせず、自分の魂が死後に蛇霊化して天国界への道が閉ざされるなのです。
そこに日本の諺に【地獄の沙汰も金次第】があり、その財を貧しい人達に配分すれば地獄落ちの沙汰が変わるです。
スピリチュアル標榜では無く、行者の世界ではこの地球上の神霊界とは【蛇霊や狐霊】が支配する世界と言われています。蛇霊界に参画するか。狐霊界に参画するかで、死後の霊的世界に関わる事が出来るなのです。
私がお世話になった伏見稲荷山の豊受姫とは、伊勢の外宮神でありながら稲荷大神首座神としても世に知られる様に狐霊系であり。その眷属達は白狐として知られます。稲荷行者が多用します稲荷大神祕文祝詞には、天地(あめつち)別れて国常立尊と拝し祀れば豊受の神の流れとあるように、国常立尊と豊受姫とには深い関わりがあります。そこに伊勢の外宮神は国常立尊=豊受神などの誤った学説も起きました。しかし豊受神と言う男神は存在していないのです。豊受は姫神として知られるのです。
それは大本教におきます【国常立尊の世の立替にあたっては、白狐(稲荷)は下郎の役で奉仕する。】となるのです。
「貴方も霊が見えるようになります」の歌い文句でスピリチュアルに興味を持ち、その催しに参加してスピリチュアル教室の主催者から蛇霊を付けられて精神的におかしくなった人達が多々あります。その為に今度は自分に憑けられた蛇霊を取ってくれる霊能者を探して、大金を払ってその蛇霊を取って貰ったが現実にありました。受け取る現世御利益よりも出費が高くついたです。
スピリチュアルに興味を持って蛇霊を憑けられてしまいますと、その蛇霊を取り除くには大金が必要となって来ます。それは蛇霊剥がしは簡単ではないからです。霊能力があってもうかつに蛇霊剥がしに走ると自分がその蛇霊の怨みを買って殺されるからです。
貴方にも霊界が見えますよの言葉に興味を持ってスピリチュアルの講習会に行って蛇霊を憑けられただけでなく、何も知らずに新興宗教に入ったら、そうした新興宗教でも蛇霊付けが行われているので同様のことは起きます。
私がお世話になった豊受姫は、この日本においてかなり有名な某宗教団体の御本尊は黒龍神だと述べておられましたが、
これまでの世は資本主義で、黒龍神達が発展させた
大本教から出された【35万年前に国常立尊様の御引退】の話は、今の人類が生まれる以前の神霊界における出来事で有り。それを今の世に出ておられる若い御神霊達がその当時の経緯を知るではありません。今の世の神々とはその時代の神々とは、その姿形がまるで違うからです。
ましてその時代にミカエルとかガブリエルと称する様な霊達が居たでもないのです。ミカエルとかガブリエルと称している霊は比較的新しい時代の産物と言えます。また次元界的にも低いなのです。そこにミカエルとかカブリエルと称している霊には【みろく(五六七)】世のことは何も語れないのです。
今の世が【七度目の世】などは、聖書における創造神は七日目を安息日とされたの【七】と、日本の神話の今は神代【七】代。大本教から出された達磨大師と出たのダルマはの【七転び八起き】を秘めてある【七】程度のことしか掴めないのです。
それが大本教から出された、今の世は「七」福神の船遊び
霊的世界に興味を持ってその一部でも見たい。霊界を知りたいともなれば、どうしても蛇霊や狐霊のお世話にならないと行けないのです。私の神霊世界の修業も、伏見稲荷山で狐霊や蛇霊達に関わって霊世界の実相を学ばさせて貰った一員です。
ですから私は別にそれが蛇霊や狐霊だと非難はしていません。そうではなくて、もう蛇霊や狐霊の【三四五の世界】からは卒業して、新しい【五六七のみろくの世】に行きましょうよ。と問いかけています。もし狐霊や蛇霊のお世話にならなければ、私も霊界の事など【無知】で行くになっていたからです。
私を学ばせてくれた、蛇霊や狐霊達の生き方や考え方
先日も私のことを精神的な病人だと思ってメールを送って来られた方がありましたが、霊的世界が見えたから病人ではないのです。今日までの神霊界は現世御利益で、ほとんどの人の目には見えない霊世界の存在を教えようとはして来ましたが、人類に現世御利益を与えるのが神では無く。人は神の子。神の宮であり。この地球はやがて天人と成る者達の育成場。但し、それには聖書に記載される蛇霊と一緒にエデンの園を追放された人類。蛇の唆しから脱却しなければならないのです。そこに聖書には人類の原罪として【蛇の囁き】があるのです。
旧約聖書の神と称する霊は私に【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国で在る。】と告げられて、私はそれに従って日本語による言葉の仕組みの解説が出来たなのです。精神病患者に、日本語限定であっても神が三千年間に渡って仕組まれた言葉の仕組みの解説など出来るはずがないのです。
狐霊や蛇霊と関われば、霊や神の世界の一端は学べる
だが蛇霊や野狐霊の段階だと、みろく世には行けない
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神は科学で証明は出来ないが、人は霊長類で霊を捉える
科学や医学でこれまでの宗教で説かれた一部の出来事を【迷信】として解き明かした事柄は、実は霊的世界の説明にも繋がってはいるのです。私はインドのサイババが日本のテレビクールの前で見せた奇跡を見ていて、それは奇跡でもなんでもなく。マジックの手品でも無く、霊的世界が起こす事象に関しての人間サイドの認識が不足していると解りました。
私から見ればイエスもサイババも特別の人ではありません。大本教から出された【人は神の子・神の宮】で、人は誰でも神や天人と呼ばれる高次元世界の存在に成れるからです。
しかし霊の世界は通常は見えないことを良いことに、韓国の文鮮明の様に何の証拠も示さないで自分が天の父なる神で有るとかイエスの再来とか勝手なことを言い。多くの人を欺して来たがあります。その背景に何があるかと見ると、俗に【龍神】と呼ばれる存在が見えて来ます。龍神の働き無しに人々に【奇跡】を見せて、神と呼ばれる存在を認識させるが出来ないがあるのです。
私は霊的世界が見せる奇跡の背後に龍神達を見た
私は伏見稲荷山において霊(龍神等)が見せる【物質移動】を見て来ました。私達の目には見えない龍神等がこの世の物質を動かせば、そこに龍が働いているのが見えない人には【奇跡】としか捉えようがないわけです。イエスが見せたとされる奇跡の内容もその規模が大きかっただけであり、規模の小さな物であれば行者筋の方達は見せて来られます。スピリチュアルではなくて、行者の世界を見てくればある程度のことは解ります。
その中で蛇霊が泣くだけでなく、龍神の涙も見て?
聖書には龍とは【霊界の年老いた大蛇霊】とあります。この日本でも優れた霊能力者に龍神とは何かと尋ねれば、【霊界の海山川、あるいは火山川で各千年間。合計三千年間の修業を積んだところの大蛇霊】の事だと告げられますので、龍の説明としては聖書の霊界で年老いた大蛇霊と同じなのです。ところが聖書もそれ以上の説明がなされていないなのです。
されど仏教の妙法蓮華経を見ますと【龍女の解脱】が記載されています。法華経の場合はその記述が【龍女】だけになっていますが、実際には龍男(りゅうなん)とか龍女(りゅうじょ)と呼ばれる人達がこの世には存在しているのです。この龍男とか龍女と呼ばれる人達が居る霊世界が【龍宮城】と呼ばれています。この龍男とか龍女の存在は、聖書の龍とは霊界で年老いた大蛇霊だけでは説明が出来なくなるのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は龍とは霊界の年老いた大蛇霊が大多数だが、そうではない龍神があると残しておられます。この霊界の年老いた大蛇霊では無いところの龍神と呼ばれる存在が、これまでの宗教ではほとんど説明がなされていない部分と言えます。スピリチュアル標榜者が教本とする西洋の神智学では学べない分野と言えます。
妙法蓮華経はどうして【龍女の解脱】を書き残したのか?
妙法蓮華経における龍女の解脱を読みますと、解脱した七歳の龍女はお釈迦様の弟子である舎利子をまったく相手にしていません。舎利子などは自分より遙かに格下の存在の者としか見ていないと読み取れます。解脱した龍女はお釈迦様と文殊菩薩だけに敬意を払うです。大本教霊界物語では解脱した龍男・龍女とは【天人界】に進む存在であるけれども、解脱が出来なければ畜生の扱いとしています。
私達は龍男と言えば【独眼竜・伊達政宗】の名を聞きますが、今日まで英雄とされて来た存在、また一代に何かを為した様な功績を持つ存在。そうした人達は霊能者から【龍男】とされている方が多いなのです。その人が龍男や龍女であるが故に、その人の背後を龍神と呼ばれる存在が守護していることにより【一代の風雲児】とも成るなのです。そうした龍男とか龍女と呼ばれる人達には、その背後に【龍神の守護】が見られるのです。しかしそこに龍男や龍女には【解脱】が要求されるのです。
龍男龍女は人として出て、この世の歴史を創って来た
龍男龍女は神の存在を説く一翼を担ったが、解脱が必要
スピリチュアル標榜で自分には宇宙龍神が就いていると豪語される方達がありますが、そうしたスピリチュアル標榜の方の背後に見える龍神とは聖書に記載される霊界で年老いた大蛇霊の中で霊力を持った程度の存在であり、そのスピリチュアル標榜の方が龍男であったり龍女とは限らないがあります。
女性で龍女だと、スピリチュアル標榜者とは桁違いの【霊能力】を保持しておられるがあります。私は修業時代。当時高校生の女子が数百体の黒龍神を従え、娘さんに従う黒龍神群団に攻撃されて逃げ回ったがあります。そうした龍女と呼ばれる存在は龍女であるが故に龍神が従っています。が、自分が龍女であることを知らない為に、この世では【神界の掟】が存在しており、その掟に縛られて【人間としては不幸な人生】を辿る等があります。
龍女は神的存在で、普通の人間と結婚が許されていない
そうしたことは一部の書物に書かれていますが、ほとんど知られていません。私はそのことを伏見稲荷山の豊受姫から教えて貰いました。自分が龍女であると知らないが為に、神霊世界に存在する【掟】を知らずにその龍神としての【業】に苦しむです。
私はスピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と叫んでいる人達の、神界の【掟】に対する無知振りには唖然とせざる得ませんでした。人はこの世に過去世からの【カルマ】の解消の為に生まれ出て来ているのに、【神は愛だから、何をしても神の愛で赦されます。】などと言われます。が、霊界中を探し回ってもそんな論理など出て来ないとなります。
私は龍女だと解った人には龍女とはの説明をしてあげると、自分のそれまでの人生と照らし合わせて符合するので、理解して貰えるがあります。龍女はスピリチュアル標榜者とは一線を画しますので、スピリチュアルの様な四次元界とする低次元界と関わってはいけないのです。また西洋かぶれのスピリチュアルに走るべきではないのです。
私の元に自分は七次元界の素戔嗚尊の魂の者で救世主だ。三輪山の神は六次元界の黒龍神で三輪山の神とその配下の黒龍神400万騎が自分に従った。自分が七次元の素戔嗚尊の魂であることは2名の霊能者から告げられたと言って来られた方がありました。三輪山の神の眷属達が黒蛇霊であることは霊能者の間では知られています。で、六次元界の黒龍神で宇宙を制覇出来るかと言えば、六次元界の存在のものが雁首を揃えたところで不可能と言えます。
龍女は生まれ出た次元界がスピリチュアル者よりも高い
スピリチュアルを学ぶでなく、釈尊の様な存在から学ぶ
霊的世界も力学の論理が働いているのですが、その霊力は人の目には見えないのです。物理的事象を調べるならば、やがて死後の世界たる霊界の存在も科学的に判明は出来るでしょうが、現時点の物理学や医学では【次元の違い】が解らず。【無から有を生じることも無く】。【命を生み出す】ことも出来ないでしょう。
私は何神かその正体は解りませんでしたが、この宇宙の初発の映像を見させられて、【この宇宙を創ったのは神である】の認識に立ちました。だその神とは、神社や仏閣に鎮まっている過去に人としてこの世に出た人霊の様な存在の方ではなく、【宇宙意識】的な存在を神として見るです。
万物の命は誰が生み出した?。そこに創造神が在る
人は神に似せられし者とされるが、人の姿以前とは?
大本教神諭に、【神のことが解っていると言う者は神の事など何も解っていない。神のことなど何も解らないという者は、本当に神のことが解っている。】式の内容があります。神のことがまるで解っている式のことを言うのがスピリチュアルと称する人達に見られる様です。神等何も解っていないのに、まるで神が解っているようなことを平気で言うです。そこに神は愛だから、何をしても神の愛で赦される等の発言です。一度地獄界の存在を見て来てから物事を言いなさいなのです。
何をしても神が愛で赦すならば、地獄界は存在しない
私はある著名な霊能者から【俗に仏(通常の霊)の声が聞こえる者は千人に一人は出て、神(通常の神社に鎮まる様な霊)の声が聞こえる者は万人に一人は出る。そうした者が万人修業して、本物と呼ばれる霊能者が一人出る。】と告げられました。要はこの世で霊的世界に関わるには霊能者でも日本でトップ10とかトップ100に入るレベルの霊能力が要求されるなのです。
私が最初にお世話になった霊能者は稲荷神界の豊受姫の御代で、当時の稲荷行者の中ではトップとも?2と言われており、豊受姫によれば日本の霊能者としてはトップ10の内に入っていると言われていました。本物と呼ばれた段階の霊能者です。その修業は荒行として、100日間五穀断ち行を二回も積んだがあります。
医学的に言えば100日間の五穀断ちはあり得ない行です。死にます。それを助けていたのは龍神と呼ばれる存在です。私は霊媒体質者の口を通じて龍神と呼ばれる存在が食する。その食べた物は霊界に運ばれる。霊界で栄養素の移動が可能となる。Aと呼ばれる人が食べた栄養を病で口に出来ないBの人に送るなどを見て来たなのです。
霊界では【物質を変異させて移動する】が出来るです
そうした事柄は中国の仏教の一部では語られて来ましたが、スピリチュアルでは語られないことです。
その本物と呼ばれる霊能者以外の霊が見えるとか霊の声が聞こえるという者は、なまじ霊の声が聞こえる為に霊の言葉に欺されて、やがて魔界などに落ちて行くです。そうしたことはその霊能者だけでなく、霊能者として世に知られている方達も言われました。私の神霊界修業のお世話をしてくれた豊受姫御代であった最初の師匠から、そうした内容を告げられました。
その最初の師匠は、その元にスピリチュアル的な自分には霊が見えるとか霊の声が聞こえて来ると言う人が相談に来ると、その人が持つ霊能力を封じていました。そうしたスピリチュアル的霊能力は封じないと危ないからです。なまじその霊の言葉を信じて付いて行くと、本人が死後の世界で地獄等に落ちてしまうからです。だがその霊能力をいくら封じても霊能力が出て来る人だけは、辛い修業を積みなさいです。
辛い修行を経ないで神の世界を知るのは難しいのです。大金を払えば簡単に見せて貰える霊界とは、本当の霊界では無いのです。霊界でも低次元界の一部の霊界です。お釈迦様は厳しい荒行だけでは悟りは得られないことから荒行を禁じて、瞑想の道を説かれました。しかし瞑想行だけでは、【龍神】と呼ばれる存在が掴めないのです。
スピリチュアルで魔女が幅を効かすのは、魔女界だから
魔女界の奇跡力と龍神界の奇跡力とでは大きな差がある
私は子供の頃に旧約聖書の神と称している声から、この世に肉体を貰って出た魂の者を霊界から守護している霊の存在に関して少し聞かされました。それは俗に【守護神(霊)】と呼ばれるいる存在の霊のことです。
その旧約聖書の神と称する声が私に告げられた内容は、【この世に降りた魂の者を導く霊(守護役)は、守護する者を何もかも手を出して守って行けない。日常的に守護者に手を差し伸べていると、その魂は成長しない。この世に降りた魂の者は必ず「岐路」と呼ばれる別れ道に出会う。その岐路の時、右の道に行けばいいのか?。はたまた左の道に行くかで、その守護している魂の行く先が大きく変化する。もし間違った方向に進めさせると、その者は道を踏み外して外道にも成る。
この世に肉体を持って出た魂の守護役を命じられて守護している立場の霊は、日常茶飯事に守護するのではなくて、その魂の運命を決める「岐路」に差し掛かった時、的確に左か右かを教えてやらねばならない。それが守護神の本来の役である。】と告げられたのです。
守護神は御利益で無く、その人の岐路で正しい道を導く
現世御利益信仰に走れば、蛇霊や狐霊の世界に入る
大本教神諭には、【人には誰も一体の守護神(霊)が就けてある。】と記載されていますが、その存在は新・日本神道系では守護神を【本守護神】【正守護神】【副守護神】の三段階に分けて説いています。その中の【副守護神】格を主に指した言葉です。その副守護神は自分が生まれた家系の四代前とか五代前の御先祖霊が選ばれるが多いのです。
私の場合だと私の祖父は養子なので肉体的血脈はありませんでしたが養子となった家系の五代前の御先祖霊が、霊能者達の調べでは日蓮聖人の御分霊で、私が生まれ出た家系が国常立尊様に関わる霊系であったことから、その流れの中でその家系から私も生まれ出られたと告げられています。
私の五代前の御先祖霊は日蓮聖人の分霊でありながら
私を妙法蓮華経ではなくて、大本教霊学にと導いた
その自分を守護している霊が正しい教えの宗教でなくて、現世御利益主体の宗教に自分が守護する者を導いてしまいますと、その守護した者を地獄界に落とす。自分もその守護していた者を地獄に落とした責任を問われて地獄界に向かうとなるのです。しかしその守護役の霊が正しい教えの宗教にその人を導き、その守護していた存在が天国界に進むと、その守護をしていた霊もその功績から天国界に進むなのです。
守護神と呼ばれる存在は説かれて来ましたが、何故に人には【守護神】と呼ばれる存在が就いて居るのか?。その謎は解き明かされていなかったのです。
守護霊は自分が守護した者が天国界だと、自分も天国界
守護霊が方向を間違えると、本人も守護霊も地獄界行き
スピリチュアル標榜者の中には、どこどこの神社に行けば大金が入ると、【巳さん(蛇霊)】が神として祭られている神社に参拝することを薦める人達が居ます。古来より大金が欲しければ蛇の皮を財布に入れておけと同じで、その蛇霊を祭神とする神社を崇拝すれば金が入る。時には大金が入る。それは事実としてそうなのですが、
この世の幸せと、あの世での幸せの天秤を見ていない
私は伏見稲荷大社講に入った時、豊受姫の御代であった最初の師匠から、【神の世界の御用を勤める者には現世御利益などは降りませんが、その家族には現世御利益があります。】と言われ、私には何の現世御利益も降りませんでしたが私の母親には現世御利益が降りていました。しかし稲荷神界だと蛇霊神界と比べると現世御利益は物の比では無いのです。
この世で過度の御利益を貰うと、霊的にはマイナス点
美味しい話の裏には、その魂を食べる神の企みがある
この世で蛇霊神から多大な現世御利益を受けた者は死後の世界で蛇霊界神に仕えることが要求されます。どんな話でも【ギブアンドテイク】です。多大な現世御利益を受け取った以上は、死後に霊界に入った時には我々の為に働いて貰おうかです。私は神として祭られている黒蛇霊等が泣く様に触れて、神霊として祀られていながら黒蛇霊はどうして泣くのだろうとその時は不思議に思っていましたが、【ギブアンドテイク】の原則に則って黒蛇霊と化した我が身を見て嬉しいと思う霊は居ないでしょう。
こんなことならば、あの時に多大な現世御利益を受けるべきではなかったです。それに気がついた時には既に遅しです。いくら人の姿で人の前にその姿を見せても、それを蛇霊だと見抜く霊能者は世に居るのです。隠し通せないとなります。
日本における新・神道系では【正守護神】は自分自身の魂で神界に籍がある魂と神界で合一に入ることから、それを【神人合一】と説いています。そしてその上の【八九十】次元の段階に各自の魂の【本守護神】と呼ばれる霊が住む世界が在るなのです。
何故にその八九十次元の存在が【本守護神】と呼ばれるかは、最後の審判において自分の魂から別れた【我が子孫たる魂】を、どちらの【岐路】に進ませるかを指導する為です。
今日まで長きに渡り予告されて来た【五六七】の世
八九十の本守護神が【岐路】を示さないと、子孫が迷う
自分の魂から別れた自分の魂の孫達、曽孫達、更にその下の段階で別れの分魂達など、蛇霊の餌食になる様な霊世界に行かせるかです。
本守護神は存在するが、本守護神は御利益を与えない
世の中に本守護神のことがほとんど解っていなかったのは、神仏は人間に現世御利益を与える者だの錯覚からと言えるでしょう。本守護神は自分から分与された魂が人間世界でもまれて神として霊界に戻って来るのを見守っているなのです。
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霊的世界とは人の目には解らない世界で、霊界からだと【嘘八百】を並べても解らない世界と言えます。
統一教会に見られたニセ霊能者を仕立て上げ、そこにこれはカモに成るぞと思われる者が相談に来るように仕向けて、事前に下調べをしておいた情報を元にそれをあたかも霊界からの情報だと嘘をついて、大金を巻き上げるが平然と行われていました。そうした者が自分が天なる父とかイエスの再来だと平気で名乗る。そこには深い闇が存在したのです。
今の神霊世界には、悪神を取り締まる法律も組織も無い
なまじ正義感を振りかざしても、自分が叩きのめされる
その嘘八百の悪行を反共という名目だけで自民党の大物代議士達は黙認しました。その見返りは信徒を動員しての選挙支援です。それでは日本の警察も動けませんでした。そうでなければ、統一教会の一連の悪行が世に知られた時、いくら宗教の自由はあっても規制する必要があったからです。もし正義と呼ばれる物がこの世を支配していれば、それはあり得なかったでしょう。
霊界そのものが正義より、勝てば官軍。負ければ賊軍の力の論理が支配したからです。数の力こそ正義なりです。では多数派であれば、その意見が正しいのか?。真理なのかです。
正神界に奇跡無し。が、この世の人は奇跡を追い求めた
今の神霊界は、神の名で欺した者より欺された者が悪い
こうしたニセ者の霊能者の暗躍を防ぐ為に、霊能者には詳しいことを告げてはならないと言われて来ました。相談者から何の情報を与えなくても、相談の答えを言って来るのが本物の霊能者だとも言われています。実際にこちらが本名を名乗らなくても、住所を告げなくても解るのが霊界であり、霊界においてはその相談者のことは見えているはずだからです。
私はこれは本物と思われる霊能者から私が預かり知らぬ事を告げられて調べると、それらは事実であったがあります。また自分が霊的世界の見聞に入って、霊的世界では【隠し事】は通じないを体験させられたのです。いくら隠しても暴かれるです。私はそれ以後、神霊と呼ばれる存在の前では嘘を言わない。言ったところで見抜かれるとなったのです。
この世で自分がした行為行動、過去の行為も全て出る
しかし世間でスピリチュアルだとか霊能者と称している方達が、相談者が出す嘘を見抜けるかと言ったならば、それは無いなのです。それはそのスピリチュアルと称している方や霊能者と称している方の背後に存在する霊の力次第なのです。
この世に出ている神々に解らぬ事がある。次元格の違い
私の元に自分は大本教の出口王仁三郎聖師が予言として残された【美濃か尾張の国の中から出る誠の女子】だと、インターネット上のメールで言って来られた方が数名ありました。その方に誰からそうしたことを言われましたかと尋ねると、どなたもその方に出られた高い神名を名乗る神々に、おまえがその該当者だと告げられたです。その名高い神々の神名を名乗る霊達から、私がその人物が大本教で予言された【美濃か尾張の国から出る誠の女子】だと保証してくれると言われたです。
私の元にはその美濃か尾張の国からの誠の女子だけでなく、自分は高次元の素戔嗚尊の魂で救世主だ!。創造神だ!。世を立て替える自分の元に一緒に参画しろという自薦他薦のメールも来ます。私は【審神(サニワ)者】として修業を積んだ者であり、その点は霊界でも解っている神霊が多いなのです。私からのお墨付きが出れば、鬼に金棒です。
だがそうした方の背後にいる御神霊が、私の本当の名前も住む住所も知らないとなると、これはおかしいぞとなります。私が稲荷神霊界で体験した中では、豊受姫だと相談者の名前や住所は言わずとも解るからです。
何故に本物の霊能者は、その人の行為等が解るのか?
一部のスピリチュアルの人達は自分には【アカシックレコード】が読めると、アカシックレコードの存在を言われます。アカシックとは仏教のサンスクリット語のアーカーシャに起源を持ちます。しかしスピリチュアルでアカシックレコードの存在を言う方の概念とは、この世にビデオが出て来る迄の神智学の知識の中から出たものなのです。それは今日のビデオカメラで撮った映像と同一上の事柄と理解したならば、もっと解りやすいのです。
アカシックレコードとは、ビデオ録画された磁気映像
全ての【流動】物はエネルギーを生じて、足跡を残す
私達はその磁気を利用して今の世界の様を録画して、それを後でビデオの映像として映し出してその映像を楽しむことが出来ます。この宇宙が創られた時から万物は流動エネルギーを発しており、その光景が全て録画された内容が霊界からの情報です。その情報が仕舞われている場所が【アカシックレコード】と呼ばれているなのです。
論理的に言えば、アカシックレコードを自在に読めるならばこの宇宙の成り立ちから、個々の魂が犯した過去の罪も全て見えるなのです。
仏教に教えにおいては死者は閻魔大王の下に引き出されて、【浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)】にその人が生前にこの世で犯した罪の数々が写し出されて、閻魔大王の裁きを受けるとされて来ました。
浄玻璃鏡とは【玉(魂)の皮を離す】で魂の皮に記録在り
閻魔庁の裁きに間違いが無いのは、各自の魂の記録
スピリチュアルを標榜して、自分にはアカシックレコードが読めますと宣伝している人達は多数おられますが、もしアカシックレコードが本当に自在に読めるのであれば、この世の成り立ちから個々の人の犯罪記録まで全て読めるはずなのです。この世で自分の魂は肉体を代え、その姿を変えたとしても自分の魂が過去の世で犯した悪行は自分の魂の穢れであり、その記録は保持されているからです。
そして閻魔庁は浄玻璃鏡に現れる映像(カルマ)に基づいて、全ての裁きをしているなのです。一部のスピリチュアル標榜者の神は愛だから何をしても神の愛で赦されますは、そのアカシックレコードと呼ばれる存在に過去の記録があることから、あり得ない論理を言っているとなるのです。当然にそれはイエス一人を主の御子と信じても消えるものでもないのです。その罪をイエスが背負ってくれるものでも無いのです。
人は自分の罪の十字架(カルマ)を背負ってこの世に出る
大本教から出された【ウシトラ金神国常立尊】とは、仏教の【牛と虎】年の守り本尊【虚空蔵(こくうぞう)菩薩】も意味します。サンスクリット語の【虚空蔵】の意味がそのアーカーシャで、スピリチュアルで宣伝するアカシックの言葉に繋がっているなのです。
大本教の数々の話は、そのアカシック(虚空蔵)にある
私は伏見稲荷山で霊界修行のお世話になっている時、稲荷神界でも見知らぬ人の名前や住所すら把握されていることを知りました。否、それ以上なのです。この世で犯罪を犯した者の罪も全て把握されているのです。ただ霊能者は、警察とは違うので貴方は殺人者とか強盗者ですねと追求はしません。またその人を警察に犯罪者として売るもしていません。
だが神霊だから何もかも解るではないなのです。そこに【霊界における次元の格】が存在しており、霊界でも次元格が下の神霊には何も見えないが生じるなのです。そこに日本のスピリチュアルは四次元界スピリチュアルとも言われているなのです。
霊能者江原啓之さんは自分がスピリチュアル界の大御所と自認されていますが、その江原啓之さんの霊界次元格はあまり高くないがあるのです。江原啓之さんがスピリチュアル界の大御所でトップ自認だと、それではスピリチュアルの霊界次元とは低いとなるのです。ただこの世に居る人達は三次元世界の所属なので、四次元霊界に関わればいろいろと解るなのです。
大本教からウシトラ金神国常立尊は本来は創造神でありながら、今の世に出ている神々からの多数決で【悪神(悪魔)】として追われた存在として出されました。日本ではそれは鬼門の金神だとして、節分の煎り豆で追われているです。私は大本教霊界物語の中の、国常立尊は今から【約三十五万年前に御引退】と出された内容から、【神の時計】で恐ろしい神の存在を認識したなのです。それはある意味【恐怖の宇宙大王】たる存在を語るからです。
大本教からこの日本には【神三千年の仕組み】が為されていると出されましたが、それは【日本語】と言う言葉の仕組みとも言えます。その三千年に渡る神仕組みだけではなく、【宇宙的仕組み】もなされているなのです。で、大本教からで無く大本教以後、みろくの世は【新地球】論を語る人達が出て来たなのです。私もその新地球の存在を神より告げられた者の一人と言えます。
新地球論者は、この地球から新天地に飛び立つを説く
私は大本教出口なお開祖と思われる霊から霊媒者の口を通じて【大本教はまな板の上の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第。】と告げられたことで大本教の仕組みを解説していますが、大本教の出口家の者でも信徒とでもなく【新地球論者の一人】なのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は大本教における出口王仁三郎聖師の演技は、神の舞台の3幕目だったか3段目迄。神の舞台は役者を代えてその後も続くと残されましたが、私の役目はその神の舞台の幕が下りるまでなのです。
新地球論者には、新しい天地に人々を案内する役割
私は子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声から、【私はそなたには何の神力も与えない。その為に何の神力も示さないそなたが説く内容をバカにして来る者が続出するだろう。されどそなたの背後にはこの私が居る。そなたが言葉で説いた内容に従う者達は、この私が一人残らず救う。】と告げられたなのです。
ただその新地球は今の地球と寸部の違いも無い完全なクーロンの瓜二つの地球なので、その新地球に惑うことはないのですが【次元界が違う】なのです。
この地球は大本教の出口王仁三郎聖師は【天人の苗床】と称されましたが、この地球で修学することで天人の道は開きます。しかしこの地球に降り立ったから【天人】に成れるではないのです。この地球に降り立った魂とは【魂が汚れた】者達なのです。為に魂の【洗濯】が必要で、その魂の洗濯を日本神道は【禊ぎ(身削ぎ)】と説いたのです。そして禊ぎとは【創造神との契約の示し】のことなのです。
その魂の禊ぎとは【身削ぎ】で、身を削るほどの痛みを伴います。スピリチュアルの【神は愛だから、何をしても神の愛で赦されます】など、この宇宙の初めから無かったのです。
この世は魂の汚れを洗う洗濯場。洗濯で天人の道が開ける
西暦2023年から、魂の洗濯で【345】か【567】の選択
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大本教から出された予言は次々に当たるで、特に大本の二代教主補であった出口王仁三郎聖師は世紀の大予言者(預言者)と言われて来ました。その出口王仁三郎聖師は【自分と出口なお開祖は、旧約聖書に予言された男女二人の預言者である。】とも述べておられます。すると大本教を創らせた【ウシトラ金神国常立尊】とは【旧約聖書の神】なのかとなります。
キリスト教ではイエスを救世主としますが、イエスが出る前に旧約聖書で予言されたキリスト登場前の証とされる男女二人の預言者が出ていません。キリスト教のイエスがキリスト説は旧約聖書の予言には当てはまってはいません。イスラム教の開祖ムハンマドはイエスは尊敬される偉大な預言者だと残しましたが、イエスがキリストの説は否定しています。
するとそこにキリスト教とイスラム教を立ち上げた天使長ミカエルや大天使ガブリエルと呼称している霊達のきな臭さが出て来ます。彼等がしたことは最初はイエスをキリストとしておきながら、次はムハンマドに否定させる。マッチポンプかです。
なお私は大本に教の字を付して、あえて大本教と呼ばせて貰っています。何故ならば大本は教としては大本ですが、大本から本家本物とされる創造神は出ていないからです。大本教は創造神と呼ばれる神が人類の上に臨んだ時、その正しさが実証されるなのです。
大本教の二人の大予言者は、キリスト登場の前触れ?
大本教が登場するまでの宗教とは神仏の存在を説きますが、どの宗派も我が宗派の教えを信じれば天国界で異教徒は地獄界に墜ちるの一点張り式で、霊世界の実相に関しては必ずしも正しくありませんでした。
霊能力者は天国界でも地獄界でも第一、第二、第三と三層階に区分けしますが、旧来の宗教に所属する宗教家と名乗る方達は、そうした霊界における区分けに関しても何の理解も出来ていません。それらはその宗教を開いた開祖達にそうした霊界の知識が無かったと言えます。またはその宗教を開かせた神霊達が低級霊界に在ったかです。だいたいそうした宗教の多くは六次元界黒龍神が主体の為に、霊界をよく理解していなかったがあります。
天国界には第一、第二、第三の三階(界)がある理論は、各自の魂に【良心神】の点数が出ることで納得が出来るわけです。私達日本人は大多数は仏教徒ですが、仏教における如来界、菩薩や明王の界、羅漢等の界の違いがよく解っていませんでした。第一天国界とは如来界。第二天国界は菩薩や明王界。第三天国界は羅漢等の界と理解すれば、意味が解りやすいとなります。自分は如来の道を目指すのか?。菩薩の道を目指すのか?。それとも羅漢の道で良いとかです。
スピリチュアルでは自分には天使長ミカエルや大天使ガブリエルと称する者が出て来る。そうしたことを言う方が多いのですが、彼等は天国界や地獄界には第一、第二、第三の三層が有るとか。それに中有界の存在を何も言わないでしょう。ミカエルとかガブリエル等と呼称する霊には霊界の説明がほとんど出来ないにぶつかるわけです。
スピリチュアル等では未来は予言出来ないと言い張る方がありますが、この世における【カルマ】と呼ばれる事柄を消して行くと、確かに未来は変化します。何故ならばこの世は過去からのカルマを解消させる場でもあるからです。
この世のカルマを消すと、人類や社会の未来は変わる
論理的にはこの世のカルマを解消すれば未来は変わるは正しいのですが、スピリチュアル標榜者の一部に見られる自分が光の剣を振ったら悪神や悪魔が消え行く。霊世界とはそんなゲーム遊びで解決する様な世界ではありません。自分では敵を消したと思い込んでいるだけで終わっているなのです。実際に悪神とか悪魔と対峙するであれば、神界戦争をまで覚悟する必要があるのです。
神霊と呼ばれる存在は霊界の次元格で違いがあり。高い霊界の神霊ほど未来が見え、低い次元界に所属する神霊には未来は見通せないなのです。人の未来は決まっていないと主張するスピリチュアルの方は、一度大本教から何が予言されてその通りに成ったかを調べて見るといいわけです。スピリチュアルとは自分の知識の浅はかさを世間に露呈しているだけなのです。
未来を言い当てた大本教からは、準創造神級が出た!
大本教の出口なお開祖に懸かって大本教から出たウシトラ金神と名乗った神霊は創造神その方ではなかったとしても、そうした名乗りが許されるかなり高次元霊界の存在たる神霊であったと言われています。優秀な霊能力者は大本教の出口なお開祖に懸かって出たウシトラ金神国常立尊とは、七次元界格の国常立尊であったともされます。重要なことはその霊の名乗りではなくて、その霊が存在する次元界格の高さなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は自分はナザレのイエスに何一つ劣っていないと言われていましたが、日本の優れた霊能者も出口王仁三郎聖師はイエス以下と見る方は無いようです。大本教の出口王仁三郎聖師の魂は、瑞霊で素戔嗚尊と名乗る魂の八次元格であったとする説が強くあります。スピリチュアル標榜だと、その瑞霊とか厳霊の意味がそもそも解らないなのです。
巷では出口王仁三郎聖師の自分は救世主で瑞霊の素戔嗚尊の魂の名乗りから、一転して自分はニセ者であったの発表から、自分が本物の素戔嗚尊の魂で救世主で七次元格と称する方がかなり出たのですが、優秀な霊能者から八次元界の素戔嗚尊の魂だとされる出口王仁三郎聖師より下位の七次元界の素戔嗚尊と称していれば、何を言っているのだとなります。
人類の終わりとされる最後に出るとされる存在は、イエスの霊的段階を遙かに凌ぐ段階で無いと無理だと言えます。最低でも神の高山の合目説で九次元界以上の魂の存在が要求されて来ます。
神霊が人に降臨出来るのは、大本教から出された【人は霊止(ひと)】であるによるのですが、その人に宿る魂が持っている次元格に左右されるなのです。それはその肉体に宿る魂よりも高い次元格の魂を無理に降ろすと、その肉体が【発狂する】を起こすからです。そこに神霊の降臨と精神病の患いは紙一重とも言われるわけです。大本教開祖の娘であった【福島ひさ】さんにそれが起きて精神を患われたがあります。
大本教の出口王仁三郎聖師は霊界における八次元格の魂と見做されています。そうしたことから幸福の科学の大川氏は最初は自分はお釈迦様とイエスとモーゼの三体を出した本尊格で自分は九次元界の者だと自称されたがあります。それはお釈迦様やイエスやモーゼは八次元格の魂と見做されていたからです。それが今では自分は十三次元格と呼称しておられるです。
行者の世界で語られる【神の高山】説では、十合目を頂上神として次元格を語るのです。十次元以上は言わないなのです。一般的にスピリチュアルはその神の高山合目説の四次元霊界と主に関わるので、四次元スピリチュアルとも呼ばれるなのです。
高次元霊界の魂でないと、高次元界の神は降りられない
神懸かり現象と精神病の患いには、紙一重が見られる
識界を語る霊能者であれば、創造神を第十識界とするとお釈迦様は第七識界。ナザレのイエスは第五識界。マホメットは第四識界と言われており、この世の終わり時には第七識界のお釈迦様を超えた第十識界の存在たる必要が有ると言われています、すなわち第十識界の創造神と同じ識界レベルが必要で、そこに最後に現れる存在は創造神の一人御子ともされるなのです。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声からイエスとマホメットの霊界における地位の高さを聞かされましたが、そのレベルでは【救世主】とは呼べないのです。すると西洋で天使長ミカエルとか大天使カブリエルと名乗っている霊達はかなり怪しい存在で、本当の天使長とか大天使と言える様な存在では無いとなります。
そこに世紀の大予言者としての実績を示された大本教の出口王仁三郎聖師は、ミカエルと言う名の天使長は存在していないと発表されましたが、創造神は【天使長ミカエル】と呼ぶ名に如何なる秘密の型を秘められたかなのです。モーゼ外伝からすると天使長とは最終場面で【蛇の尾を踏む者の意】であり、そこに日本語だと【巳(蛇)帰る】が出るのです。
私は神霊界修業に入って、ヴェーダ典に記載される【人の中に眠るコブラ蛇が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める。】の体験から、【真理(キリスト)】を追い求めたわけです。すなわち人には誰でも蛇霊が付帯しており、その蛇霊を自分の肉体から解き放たないと【エデンの園(神の御国)】には戻れないなのです。ところがスピリチュアルだと、その人に黒蛇霊がビタッと張り付いているとなります。
聖書における蛇霊と共にエデンの園を追放された人類
キリストとは【真理】のことで、肉体人のことではない
大本教からは未だ何も起きていない時期に、やがてこの世で起きる出来事が次々と予告されてその通りになったがあります。
スピのハイヤー・セルフやアカシックレコードで
未来を予測して、言い当てた者が一人でも居たか?
キリスト教はイエスの魂の霊界における本当の次元格では無く、長い年月の経過で世界宗教に成ったがあります。真理が【キリスト】ならば、イエスは【キリスト】では無いなのです。後発のイスラム教開祖のムハンマドがイエスは大預言者だと記した様に、イエスは【預言者】と呼ばれるべき存在だったのです。
為に最後の審判が実施された時、イエスを主の一人御子と信じたからと言って誰も助けられないとなります。そこに大本教から【みろく】大神をキリスト教では悪魔の徴と定義した【666】大神として、世に出したがあります。
大本教の【666】大神は、キリスト教で説く悪魔か?
キリスト教は冥府の閻魔庁長官を【サタン】と定義した
そこには一つの仕組みが存在して来るのです。みろく(666)大神とは【閻魔大王】でもあり、【人類の輪廻転生を司った冥府の長官】でもあったのです。大本教から告げられた艮金神国常立尊の説明として、蛇霊の囁きに毒された神達の多数決により国常立尊を【悪神】として、引退状態の艮(ウシトラ)に追いやったです。
その【国常立尊】が天帝たる【天之御中主】と交代して、永遠の第八の世が創設される。それを大本教では【臣が君と成り。君が臣と成る。】と予告しているのです。それは【五六七】次元界で成り立つ世界なので、弥勒の世とはお釈迦様の死後五六億七千万とする遠大な仕組みが計画されたなのです。
だがその計画は反国常立尊派の神々に覚られて妨害されない為に、神界でも天帝サイドから秘中の秘で推し進められたであり、その大宣伝を大本教が担ったなのです。しかし今の地球は【567】次元界には適応していないので、今の【三四五】の地球から【五六七】地球に移る。そこに数は僅かですが私の様に【新地球】の存在を告げる者達が居るなのです。
私が神霊界修業のお世話をして頂いた豊受姫は、事前に【阪神淡路大震災】や【普賢岳爆発】等を言われてその通りになりましたが、大本教から出られたウシトラ金神は出口王仁三郎聖師を通じて、広島や長崎に新型(原子)爆弾が落とされて火の海に成る。その後に黒い雨が降ると予言されて、広島では【黒い雨】が降ってその雨に当たって原爆症になった人達に対する裁判がやっと決着しました。
当日の天気予報からすると晴天であり。黒い雨等が降るはずが無い。そうした気象条件の思い込みから今日まで原爆症と認定されていなかったです。桜島の様な火山でも爆発すれば爆発雲に雷鳴が響いて雨が降ります。ならば原爆のキノコ雲で黒い雨が降っても何等不思議ではなかったわけです。それを晴天だからと認識しなかった政府に問題があったとなります。
問題は大本教から広島や長崎に新型爆弾が落とされて火の海に成る。その後に【黒い雨】が降るなどが予言されてその通りになった。そうした事柄がどうして事前に解るのだ!。そうした概念を持たずに、大本教の神は広島や長崎に新型(原子)爆弾が墜ちると解っていながら、どうしてそれを阻止しなかったのか!。そうしたことばかり言う人達が居ます。
それは【神は愛だ!】と言う間違った概念に毒されてしまった人の思い込みなのです。実際の神霊界は強い者が勝つで、勝てば官軍、負ければ賊軍の概念が支配しているのです。
大本教を世に出した神は、この世の終わりを見通す神で
第七の世の終わりに、第八の世の到来の準備をして来た
その予言と言うべき内容が、大本教から大宣伝された【三千世界、一度に開く梅の花】と【節分の煎り豆には花が咲く】なのです。
三千世界、一度に開く梅の花はある程度は解ります。その時節は徐々に来るのではなく、一気に来ます。で、一度に開くです。三千世界とは仏教で出された言葉で宇宙全体を指します。立替は今の地球を更地にして新地球に移るので、今の世の地球から人類を一気に引っ越しさせる必要があるのです。
立替は一気に来る即分けで、即分けの意味が【節分】
為にその時に【申し訳ありませんでした。】は後の祭りとなりますので、早くから前宣伝ばかりをしているとなります。
大本教からは【節分の鬼】が出されたのですが、別に「節分の日」に三千世界を立替をするのではなくて【即分け】ですよの意味から、節分と言う事柄が仕組まれたなのです。それらが大本教から告げられたウシトラ金神国常立尊の仕組み作りには【三千年】の月日を必要とした理由でもあるのです。
創造神はこの世の終わりに、救世の仕組みを計られた
その仕組みが、お釈迦様を出して祇園精舎の牛頭天王
大本教から出された基本宣伝歌。【節分の煎り豆にも花が咲く】は、一見すると、節分の煎り豆に花が咲くはず等ないじゃないか!。その程度の感覚で終わってしまいます。よしんば節分の煎り豆に花が咲いたとしても、神なら出来るかも知れない。その程度で終わってしまう内容です。
神霊世界を見聞すれば、言われていたことは全て有る
日月(ひふみ)神示の岡本天明師から【半霊半物質】の世が説かれましたが、低級神霊界に関わっていますと【蛇霊や狐霊】が神霊として崇められています。そこに出て来た霊が美しい人の姿で衣冠束帯の男神や十二単衣の姫姿であっても、深い霊視をすればその姿が蛇や狐としても見えるがあります。日本昔話にある【狼がくれた睫毛】で見る姿です。
例えば行者の世界で言われていることですが、豊川稲荷として出て来る男神でも姫神でも扇子で顔を隠しているがあります。この扇子で顔を隠している豊川稲荷とは眷属たる白狐なのです。ですから男神も女神もあるです。これらの衣冠束帯や姫姿の霊は霊としての白狐だけの姿では無く、半霊半物質体の白狐として物質化してその姿を見せるもあるのです。岡本天明師の日月神示の半霊半物質とは何を語ったことなのか?。それらも見極める必要があるわけです。
人は死ねば【霊と魂】の霊魂と成って、あの世とやらに渡ります。そうした時、事故死した方の霊があの世には行かずにこの世で迷って留まっている姿が【幽霊】として見られます。その幽霊の状態も【半霊半物質】体なのです。
魂ではなく、俗に【オーブ玉】と呼ばれる物がテレビ等で写し出されます。その時、それは【埃や塵の類い】ではないかという説があります。塵や埃の類いが夜の光線でオーブ玉が飛んでいる様に見えるがあるのです。暗くした映画館の映写機から出される光線を見ていると、その光の光線の周囲に無数の塵や埃が見えます。
そのオーブと言われる光の玉が閉ざされた部屋の壁を通過しないのであれば、それは霊的存在では無くて塵や埃の類いです。そこにある壁を通過して行く光の玉で有れば、それは塵や埃の類いでは無いとなります。鍵は【物質界を通過するか通過しないか】なのです。そしてラップ音などを伴っているかです。
人は自分の肉体を脱いで幽霊とされる幽体状態となった時、この世の壁や天井を通過して行く自分に驚くを起こします。この世の肉体の感覚で有れば、この世の家の壁や天井を通過など出来るはずがないからです。
人は幽体離脱が出来れば、死後に生きる自分は解る
何故に創造神は人類にそれが解る様にされなかったのか?。人(霊止)たる肉体には魂を浄化浄霊する働きが備わっているからです。各自の魂の穢れ(汚れ)を取り除く為には、霊止たる要素の【人】の世界が必要だったのです。
私は豊受姫の庇護の下、約4年間ほど伏見稲荷山神界で神霊界見聞をさせて貰い。言霊の世界に転じました。その言霊修行の頃、自分は国常立尊の現身(うつそみ)と称していた方を師匠として言霊を学ばさせて貰いました。その言霊の世界とは、これまでの私の神観を百八十度ひっくり返すようなものでした。そこにあったのは【言葉は神なりき】です。
その師匠とした方の家で数人で会話をしていて、その部屋に飾られたいたその師匠が描いた絵画をふと見ると、その絵が徐々に変化して行きます。私は驚いてその部屋に居た全員でその絵が変化して行く様を見ていると、まったく違う絵になってしまいました。 それとは別にその師匠が描いた赤い太陽をバックにした女神の天照大御神の絵を自宅の神棚に飾っていると、その赤い太陽が真っ黒い太陽になったのでその絵を返すと言ったところ、【あいつは真っ赤な太陽を真っ黒の太陽にした!。】と怒っていたと聞きました。描かれた絵の具の色が変化して、別の色の絵に成るです。絵そのものを別の絵に変えてしまうです。
大本教から出された【節分の煎り豆にも花が咲く!。】は、それと同様なことで、この世の物質を元素レベルで変化させて別の物質世界に変えてしまうなのです。例えそれが煎り豆として煎られた豆であっても、花の様に咲かせることも出来るなのです。
霊界に関わるならば、神は物質変化の世界を起こす
人は死ねばその肉体からその肉体と同じ姿の幽体(幽霊)と命の根源である【魂(命)】が抜け出します。それを一緒にして【霊魂】と言いますが、それは三次元世界の物質体ではない為に、この世の体重計では数字として出ません。また霊魂が住む次元界とは四次元界以上の世界で、三次元界たるこの世とは違っている為に、この世と重複していてもレントゲン線では写らないがあります。
霊界はこの世と次元が重なり合っていても、解らない
神社や仏閣は、三次元と四次元の通路等に建立が多い
ただ霊魂はほとんどの人の目には見えませんが霊魂もエネルギー体なので、サーモグラフィーカメラだとそのエネルギー体を熱源として写し出すはあるでしょう。
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科学者や医学者は亡くなった人の生前の体重と死後の体重を量り比較して、そこに差異が無いことから魂が有るならば重量があるはずで、体重に差異が無いから魂は無い。また肉体にレントゲン線を放射しても魂らしき存在が写らない。そこで魂の存在否定などがあります。そこには人の心とか意識に重量があるのか?。魂は人の目に見えるのか?。その疑問符を出していないがあります。
されど宗教の世界では、人が死ねばあの世に渡るとされる魂とは【心とか意識】を持った存在であるは世界共通の教えの下にはあるのです。
日本語の【いのち(命)】とは、息(い)の霊(ち)の意味?
自分に心(自・心)たる【息】がある限り。命に終わりは無い
私は子供の頃には旧約聖書の神と称する声から教えを受けていました。だがそのことを自分の肉体の両親にも告げませんでした。そんな神とか霊と会話する等、自分の親でも信じてくれないと解っていたからです。未だ幼稚園に行く前から、自分は天から内密の特殊な任務を授けられ、この世に降りた者という意識を持っていたなのです。為に自分の本当の身分は隠されているとも認識していたです。
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する霊声を聞き。三十五歳から稲荷神界に修業の足を踏み入れ、伏見稲荷大社首座神の豊受姫のお世話により、蛇霊や狐霊。そうした霊界の実相を見聞して来た者なのです。私が伏見稲荷山でお世話になっていた頃は、一般的な行者に成るような霊界修業でした。龍神とは霊力があるな!。そんな段階です。
が、伏見稲荷山を離れて【言霊】の世界に転じて、まったく別の世界が見えて来たと言えます。私は【言霊】とは何か?。が解って、それまで私が持っていたそれまでの神観は吹っ飛んだと言います。言霊の前には伊勢神宮の神も出雲の神も稲荷の神も吹っ飛んだです。が、黒龍神からの群団攻撃を受けて、逃げ回っていた時代とも言えます。
私の前に大本教出口なお開祖霊と出口王仁三郎聖師と思われる霊が出て来られ、開祖霊から【大本教はまな板の上の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第。】と告げられて、大本教を鯉に見立てて解体したと言えます。そこに有ったのは日本の言葉による【恐るべき創造神の計画書】で、伊勢神宮の神とか出雲の神とか稲荷神。仏教の如来とか菩薩とか明王では無く、まさに言葉による万物の創造神。宇宙を創った神の存在証明と言えます。
人は死ねば終わりだと主張する人達の中には、死後の世界が在ると説くと、それを頭から【カルト】だと攻撃して来る人達がいます。カルトとは英語で宗教における【崇拝】の意味で、狂信的な宗教信者を指す時に使われる言葉です。それはその宗教団体が説く教義を真理と思ってその教えに狂う意味がカルトであり、人には死後の世界が在りますよと説くのは【真理】に基づく解き明かしなのです。ただ死後の世界たる霊界は肉体人には解らない世界なので、その解明は非常に困難なのです。
古代、人に死後の世界が在ることを説かれたのがお釈迦様であり。イエスだと言えます。しかしお釈迦様やイエスが説いた内容は宗教とは成りましたが、その本来の教えは霊界のことがよく解っていない牧師や僧侶によって【真理】が歪められたり埋没してしまいました。霊的世界が存在するだけを語るのであれば、霊感を駆使したスピリチュアルの方がより正確とは言えます。ただスピリチュアルとは四次元スピリチュアルと言われている様に、高次元界の存在が解らないとなります。スピリチュアルとは低次元霊界に関わるなのです。
日本では蛇霊や狐霊が神として祀られています。その蛇霊や狐霊の世界は低次元霊界とされますが、一応は蛇霊も狐霊も神霊として祭られています。しか霊長類の長と言われる人間はどうなのだとなります。そうしたことに関してきちんと説かれていないがあります。
それを良いことに、死後の世界で貴方は苦しみますと恫喝して自分達が信じる宗教に入信させる。そうしたことが公然と行われていました。それは霊界を見渡してもどこにも創造神と呼ばれる神の存在がはっきり解らず。力の強い神霊の群雄割拠により、神界に【勝てば官軍。負ければ賊軍】の習わしが生じたからと言えます。真理の解明よりも霊力の行使です。
それが大本教神諭における神界に出ておられる神々の【下剋上】を、新しいみろくの世ではモウ二度と赦さないとなります。神界においては創造神たる国常立尊を下位の神々がその神を追いやって、自分達が地上神界の主宰神となる下剋上が発生したからです。
私は鍾馗と呼ばれる神霊の御案内で中国で盤古大神と呼ばれる御神霊に拝謁したのですが、その盤古大神は国常立尊を引退の艮に追いやった神々に担がれて地上神界の主宰神となられた。私は大本教霊界物語を読むまで、そうした経緯を知りませんでした。しかし私の記憶の中にその当時のことが蘇ったがあります。
一部の霊能力者は貴方は国常立尊様の元天使長であったと告げて来られましたが、そのことは旧約聖書の神と称する声からも【そなたには私の天使長であった時代が在る。そなたほどこの私に対して忠義であった天使長は居なかった。だが私は人民可愛さに、忠義のそなたを天使長の職から罷免した。それは私の間違いであった。】と告げられたがあります。私はその太古の昔にあったとされる神界戦争に関わって来た者でもあるなのです。
神界における争いはギリシャ神話などにはありますが、この世と呼ばれる世界は魂の修業場となっていることから、そうした神界で何が起きたのか。これから先何が起きようとしているのかはほとんど解らない。ある意味、この世は霊界の情報が遮断された世界と言えるのです。
この世は魂磨きの為に、霊界の情報が遮断されている
英語圏では魂のことを主に【ソウル】。精神を【スピリット】等と言います。そのソウルとスピリットとではどう違うとなりますと、西洋の宗教ではほとんど説明が出来ていません。魂と思念の違いもあまり説かれていません。
日本では死後の世界たる霊界に渡る存在は【霊魂】と呼ばれますが、スピリットは霊的な事柄であり。魂の漢字を分解すると【鬼が云う】になりますが、これは創造神(牛頭虎パンツの鬼/閻魔)の仕掛けであり。魂とは【玉形の思惟】を指しているのです。ただ【玉形の思惟】ならば良いのですが、【玉型の恣意】だとよくないのです。私は魂に【玉思惟】の漢字を使いますが、【玉恣意】の漢字を言われる方達もあります。
玉思惟の思惟は、【哲学】的な根本を意識して思考する
玉恣意の恣意は、自分が欲するままに自分勝手な行動
スピリチュアルと称する人達が教える【自分の好きなように行動していいのですのあるがまま】は、魂を【玉恣意】とする生き方で、いくら霊的世界が見えても【左岐】の道に進むなのです。
スピリチュアルであるがままは、詐欺たる左岐の道を行く
明治25年に丹波の片田舎の綾部で大本教出口なお開祖に懸かった【艮金神国常立尊】から発せられたのは【世の立替予告】と、我れよしとか自己中で魂を【玉恣意】とする生き方に対する注意です。
スピリチュアル等では人がこの世に生まれて来たのは遊ぶ為です。この世は楽しむ為の処です。この世で何をしても神の愛で赦されます。そうした主張をする方が多く。人に内在する良心神など、いくら説いても見向きもされないがあります。それはその方の魂は玉恣意型であり、この世は魂を磨く場所という玉思惟の概念がほとんど無いとなります。
そうしたスピリチュアル標榜者を見ると、そのほとんどの人に黒蛇霊が憑いています。為に低次元の霊的世界はそれなりに見えてはいますが、そこに【玉思惟】と【玉恣意】の違いが理解されていないがあるのです。 それでは聖書に書かれる【人類の原罪】を脱していないと言わざる得ません。
下記は魂の写真とされる物(玉思惟の方だと推察される)
下記の写真はこのブログには幾度か出しましたが、これ以上の玉思惟や玉恣意(魂)の写真は世に出ていません。人の目の肉視ではもっと美しい玉を見ることはありますが、それを写真に撮るのはほとんど無理なのです。霊能力者だからと言って写真に撮れるではないのです。本当に美しい魂は【瑠璃玉】の様な存在なのです。一般的にスピリチュアルではオーブ玉と魂を混同したり、飛行機雲を龍神と言ったり、カメラのレンズが起こす光のフレアー現象を霊光と言ったりしているなのです。この世の太陽と霊界の太陽は別物である認識すらされていないがあります。
反対に汚れた魂はどす黒く。その玉から悪臭を放っています。そんな魂に出会ったら吐き気を催します。その魂の持ち主が自分はこの世で偉い者だと豪語されようと、あんたの魂は腐っているではないかとなります。
魂は【玉】と解らないと、魂を磨くの意味が解らない
魂はその魂が存在する次元界の格で、その大きさが違う
人の肉体に入る魂とは、野球ボール程度で心臓に宿る
大本教から【牛虎(艮)金神国常立尊】と【羊猿(坤)金神豊国姫】が出され、そこに十二支の中から牛、虎、羊、猿が世に出されました。旧約聖書には龍神とは霊界で年老いた大蛇霊とあり。そこに【辰と巳】が説かれています。するとそこには【言葉】の仕組みが存在していることが解って来ます。艮(牛虎)と辰巳の間に入る【卯】とは何ぞや!。となります。しかもどうして卯が兔なのか?。
兔の【卯】は、何故に【卵(玉子)】を割っている?
普通ならばこうしたことに何も気付かないのですが、私は鍾馗神の御案内で中国で創造神とも天子とも称される【盤古大神】に拝謁しました。ただ盤古大神などはそれまで聞いたことが無い神なので、それを調べる為に大本教霊界物語全集を買い求めたがあります。そこに大本教の出口王仁三郎聖師と思われる霊が私の家の浴室前に、漢字と書かれた浴衣を着て姿を見せられたことから、日本語は【漢字】が無いと【感じ】が掴めないと解ったのです。
また霊界では発光する金文字の漢字が出て来ることから、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が私に告げられた【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国。】の意味が理解出来たと言えます。それには【漢字】が必要だったのです。
兔の【卯】は、人類を【右左岐】に別けるを語る仕組み
西暦2023年の【兔】年に入ったことで、私に解って来たことがあります。
大本教から【みろく(五六七)】の世に入る者達には【水晶魂】が授与されると予告されました。その水晶魂の意味は今日までの魂は腐ったり捻れて破砕されたりで、永遠の世に生きる魂としては相応しいとは言えませんでした。そこで永遠に嬉し嬉しのみろくの世には魂が腐らない捻れない。仮に魂の表面が汚れても拭き取れる【水晶玉】の授与が世に宣伝されたと解ります。
その水晶魂に関しては、既に授与されている人達も見受けられます。自分はその水晶魂を貰ったと言われる人達も出ています。ただスピリチュアル標榜者からはそうした報告が無いことから、単に霊が見えるだけではそうした水晶魂の授与そのものは無いと思われます。スピリチュアル標榜は【三四五】の世界が目的で、その次の段階である【五六七】の世を説いているではないからです。
その【五六七(みろく)世】に渡る水晶魂に関して、私にも解っていないことがありました。それはこれまでの長々と輪廻転生を積んで来た魂が持っている【禄】に関してです。人はその人生において悪行を積んでいれば、その悪行は【カルマ】として後世に受け継がれて来ました。それはスピリチュアル標榜でもカルマを語る人ならば知ることでした。では悪行ではなくて善行の分はどうなのかとなります。
カルマと呼ばれる存在は別に悪行だけで無く善行の積み重ねも言われてきました。当然に善行のカルマは善行のカルマとして次の世に出ていたはずなのです。が、それは閻魔庁を経由していた場合は魂に良心の点数は【徳分】として通算がなされていたが、閻魔庁を経由していなかった生まれ変わりでは、その善業の貯金点が通帳に残されているだけであり、基本台帳に通算されていなかったがあったのです。そこでその古い過去の善業で得た点数も新しく授与する水晶魂に入れる作業に入ったと出て来たのです。
それが事実であれば、もう右左岐の作業に入っている
左右に分ける右左岐の【卯】ではない【兔】から、それは【免罪符】の【免】の言葉に繋がっていることが解ります。それは【点】で違うを教えます。それは輪廻転生の課程の中で通算されていなかった点数を、新しいみろく世に渡る魂にも【点数】として継げて上げます。
免と兔の漢字の【点】の違いは、そこに意味があった
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する霊の声を聞いていました。その声は【私は最後の審判を実施するに当たって、そなたをこの世に使わした。そなたが説く教えに従った者達は悉く助ける。】と言われました。それが朝鮮に残されていた最後の審判前、救世の為に【米一字】の教えが起きる。その【米】の教えに従った者達は天罰が降りないかと思われます。
しかしその旧約聖書の神と称する声は、私に対して【私はそなたには何の力も与えない。そなたにこの私の力を与えるのは最後の最後の時である。】と言われます。仮にその言葉が事実であったとしても最後の最後であれば、私が説く【米一字】の教えだけでは聞く耳を持たない人ばかりでほとんど広がりません。そんなことは目に見えて解ることなのです。
為か、【そなたの背後にはこの私が居る。そなたを見て、そなたの背後にこの私が居ることが解り。この私を唯一神と仰ぐ者は一人残らず。この私が救おう。】とも告げられたがあります。その声の主は旧約聖書の神と称しておられましたが、私達日本人は別に旧約聖書の神を唯一神として仰いでいるではありません。
その旧約聖書の神と称する声の神は、この日本では大本教が世に告げた【艮金神・国常立尊】と呼ばれるところの神で有ると解ります。その艮金神国常立尊はこの私を唯一の神と仰ぐならば、【全ての罪を赦す】と告げられたなのです。
すなわち国常立尊を唯一の神と仰ぐ者であれば、これまでの過去世の罪を許す【免罪符】を与えるなのです。
艮金神国常立尊を唯一神と仰ぐ者は、過去の償いを免除
その仕組みを本格的に開けるのが、西暦2023年から
それを語るのが冥府の長官【閻魔大王】とは、牛虎金神【国常立尊】の異相神であり、節分の煎り豆にも花を咲かせるからです。
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