私達は物事を見ていた時、それは平面世界(物質界理論)だと思っています。しかし、実際は霊的世界の縦糸も走っているのです。神によって物事が織られていることが【経緯(いきさつ)】なのです。その交点にあるものが一輪の言霊の経綸としてラ神論で「良心神」として成り立つわけなのです。
私はここ少し前から不思議な夢を見続けていました。始めは扉と解ったのですが、扉が三つあることに気がつかなかったのです。人々は、その三つの扉のどこかを開けて、そこから新しい世にと向かって行かれる光景です。
下記の図は、このブログで以前にも説明したものです。しかしながら、あまりにもそうしたことを知ろうともしない人が大多数なわけなのです。精神世界では自称で自分は霊的に凄いのだ!。と言われる方が後を絶ちませんが、現実世界でそれを証明することが出来ないならば、誰でも口先だけで言えることです。日本人全員が自分は救世主だと名乗っても別に変でもなくなります。
だが、長い年月を費やして言葉の仕組みを完成させた存在とは、それは口先で宇宙はと言っている霊の存在ではないのです。
私が伏見稲荷山に最初に上がった時、伏見稲荷大社首座神の豊受の神は当時の師匠を通じて、貴方は言葉の〇と呼ばれる人で、貴方は言葉で天帝の詔を説かれる方で、貴方に教えが出来る神は存在して居ませんと不思議な事を告げて来られました。
私が修業時代、いろんな神様達が出ては来られましたが、どなたも私に直接に教えのようなものはされませんでした。神様と呼ばれる存在から直接に神示と言うのでしょうか?。そうしたことを告げていただければこちらもさほど考えることもなく楽なのですが、そうした神示類は一切降りて来ません。では、何をもって私は言葉を紐解いているのかと言いますと夢の中の光景なのです。
私が子供の頃に臨んだ声は、私だけにはこの神の仕組みを見せようと言われました。それは何だろうと思っていたのですが、夢で出てくる物を言葉に置き換えることで神の仕組みを見させられているわけです。為に、それ以上のことが出来ないのも事実ですが。
神の秘密としては、通常の「火水」だけではありませんでした。秘密には「火三つ」があったのです。それを語る漢字、第四水準漢字にありますので、PCでは出ない機種もありますので図で示します。
良心神とは、大本教神諭にウシトラ金神は【この世の閻魔大王】として現れるとありますが、私達に良心の呵責があるならば、それをもって責め立てる鬼でもあるわけです。しかし、それは私達に来世を授ける為に通る「来世門」を意味しているわけです。来世門は閻魔庁ですが、閻羅大王で羅城門とも言うわけです。
聖書において【最後の審判】は【火の審判】と言われて来ました。こうした宗教の教えは現代のスピリチュアルを標榜する人達にとってはナンセンスな古い教えだと見られているわけです。
そこには実際に霊界を見たら、どこに【主の神】と呼ばれる神が存在して居るのだという問題に当たるからでしょう。そんな主の神など存在していないぞなのです。現代のスピを標榜する方達の多くは神の横糸の水の瑞霊を言われているようです。しかしながら、神の縦糸の「火」の厳霊を見ておられないきらいがあります。そうした証拠として太陽の光が神の光だ式で、闇の中の太陽の光たる「霊界の太陽」の話がほとんど抜けているからです。
聖書には「閻魔大王」という存在は出て来ません。閻魔大王は仏教です。その仏教においては死後の世界に渡る道は三途あるで、【三途の川】が説かれて来たわけです。天国とか極楽。現界戻しとされる中有界。そして地獄と呼ばれる世界に行く「三つの途」です。ですから、元々閻魔の仕組みとしては「三つ」の門なのです。
大本教神諭では世の大立替では三千世界の魂を「上・中・下」の三つに永久に分けるとありますが、同じ事を言っているのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は、近代日本が産んだ最高の予言者です。出口王仁三郎聖師は広島と長崎は新型(原子)爆弾が落ちて火の海になると予言されて、的中させられたことが知られています。その時、信徒さんから聞かれて、世の大立替時の火の海は新型爆弾の火の海程度ではないと答えておられます。
宇宙のどこに逃げても処罰する「火」とは、核による「火」のようなものでないことを意味します。私達の目から見れば「闇」の世界なのですが、そこには霊界の太陽が歴然と輝いています。それは今もありますので、その「火」でもないわけです。
三千世界の魂に対して、誰一人逃がさない「火」とは、私達の魂の中に内在する「火」以外には無いわけです。
三千世界の全ての魂、神と名乗っている者であっても天使と名乗っている者であっても、宇宙の全ての生命体は「魂」を持っています。
このこと自体は、私はこれまでラ神論(良心神)で説いて来たことは説いてい来たのですが、これが「火三つ」を持った【円真(エンマ)】であるとの理解に至っていませんでした。ですから、常に【三途】の教えとして説かれてきたことになります。
最後の審判となりますので、三途の門を通りまして、五次元・六次元・七次元を目指すことになるのです。
エンマに、こんな仕組みが隠されているわけです。
それが閻魔大王の「閻」の異字体に秘められていたわけです。
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