ブログ終了に当たり、みのおわりの国の中、待たれる女子

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     このブログも長い間、お世話になりましたが、同じ内容を繰り返して述べていても意味がありません。ほとんど伝える必要があるものは伝えたと思いますので、そろそろこのブログ世界から手を引きたいと思います。

    私が子供の頃に臨んだ声は、この国は私の教えで満ち溢れた世界で唯一つの国であり、私はそなた一人だけにこの神の仕組みを見せよう。そなたはその仕組みを知って人々に伝えなさいと言われました。だが、何の仕組みであるのかは解りませんでした。また教えても貰えませんでした。
    豊受の神から、貴方は言葉の〇と呼ばれる方で、言葉により神々に教えを説かれる方です。貴方の言葉の教えは天帝の詔に等しいもので、如何なる神でも貴方の言葉の教えが聞けないと言われるのであれば、その神は天帝に対する反逆罪となります。そうしたことを告げられたしだいです。

    その言葉の仕組みとは、明治31年旧暦12月26日の大本教神諭
    【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。誠の人を西と東に立別けて御用がさして在るぞよ。この事解りて来たなれば、三千世界が一度に開くぞよ。綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ】
    とありますが、その「九つ花」のことなのです。大本教から出された九曜紋のことではありません。神道天行居の開祖である友清歓真さんが世に発表されましたが、そのものは正解でも「誠」では紐解けていなかったのです。友清さんは綾部生まれの方ではありません。また、大本教の出口開祖にしても王仁三郎聖師にしても綾部生まれではないのです。為に、「ここはかんべ」の意味を間違われて解釈されています。綾部生まれ綾部育ちだとその意味が解るのです。

    私の元には、自分の守護神さんからこのブログを読みなさいとか、HPを見なさいと言われてブログやHPを読ましてもらいましたというお礼のメール、そんなに多くの数ではありませんが頂きました。ありがたいことです。

    それまで誰も人に内在する良心神を言わなかった当時、ラ神論の良心神に基づいて綾部の町に十回に渡り「神言葉」を全戸配布したのが西暦1987年になります。当時の大本教は「イロハ四十七」でやっつけてやると同様に無料配布の宣伝紙で応えて来たものです。それから、26年も経過しました。
    私が神言葉を出したのは、大本教に一番手柄を渡したいと思ったからです。だが、大本教は一番手柄を取ろうとはされなかった。
    一介のサラリーマンが市内に全戸無料配布は資金面で立ち往生で、HPで人に内在する良心神を出して、何故にそれが良心神になるのかを具体的に書いて来ました。HPでは論理が主体ですから、その評価は内容が難しいという意見を多くいただきましたが、別に大衆受けを狙ったり、宗教化する目的ではありません。多くの人に、それが真理から来るものであるということを知って頂きたかったからです。
    私がヤフーの輪廻転生で九つ花の論陣を張っていた時、多くの霊能者の方がロムされているという噂を聞きましたので、そうした方達の中から「人に内在する良心神」は広がっていくだろうと、種蒔きだけをしていました。私の力では及ばないことも、そうした方達によって広がったことは感謝のしだいです。だが、論理を無視すれば方向違いに行きます。


    守護神さんから、私のブログやHPを見なさいと告げられた守護神さん。そうした神様達が世にどれだけ居られるかを見ていたわけです。
    いくら霊界で自分は神力や霊力があると誇られても、これすら解らないという神達であれば、そのお里はたかが知れているわけです。
    守護神と言っても、副守護神、正守護神、本守護神とあります。ほとんどの方は副守護神なので、そうした副守護神では、そうしたことも言われないでしょう。

    スピでも霊能者でも自分に降りて来る神示なりメッセージは本物だと思い込みます。それはスピや霊能者の方が他の人を騙しにかかっているのではないのです。自分に懸かった霊に騙されていることが本人に見抜けないだけなのです。霊界そのものは【虚空蔵】であり、虚の口から出る物は「嘘」を交えているのです。
    自称救世主を100人集めれば、100人が100人とも同じ事を言われます。自分以外の霊能者は蛇や狐や狸の神に騙されているのだと。それは、結局のところ、自分も騙されているのです。また、蛇や狐や狸が神に成っている?。人は神に成れないのだろうか?。その意味は何だろうと考えもされなかったわけです。
    だが、言葉そのものの仕組みならば、そうした神霊が見せる奇跡で判断を誤らせる騙しではありません。そうした自称創造神でも動かしようがないわけです。もう言葉を組み替えることも出来ません。大本教神諭に三千年の月日をかけたとあるように、日本で言葉を仕組むには三千年の月日が必要であったことは歴史を考えれば解ることなのです。


    日月神示に「345(みよいづ)」から「567(みろく)」がありますが、まだこの意味がお解りになった方がいないようです。私のHPの上野公園に書いてありますので、よければ読んでください。


    イエスは四十日間荒野を彷徨って、悪魔を退けて「四十一」日目に神の子となる。
    悪魔を退けるのは「良心」神です。

    モーゼは紅海(後悔)を渡って四十年間彷徨い、「四十一」年目にイスラエルに入る。
    後悔を渡らないと、良心神に入れません。

    大本教霊界物語、主は三十五万年前に御引退。
    神界の時計の一年は、この世の八七六五年間。神界時間で約40年。
    主も、イエスやモーゼのように「四十一」年目に神界の表舞台に御復帰。

    大本教出口王仁三郎聖師。
    この大本教に現れた変性女子はニセ者だ。待っていたならば、「みのか尾張の国の中」。
    美濃尾張から、高山を経由して富山に入るのが国道「四十一」号線。

    いくら説いてあげても解ろうとしない神々や人達。どなたが仕組んでおられるのかを理解すべきでしょう。いくら自分は偉いのだと誇る神々や人も、こうした仕組みは出来ないのです。

    大本教から【ス】の神が世に出されて、多くの宗教団体が「ス」の神を言っておられますが、これは大本教が出した「イロハ」ではなくて、日月神示の「ひふみ」ならば四十一番目なのです。
    そこだけを見ると「ひふみ」で正解の様に思えますが、大本教が出したのは「みろく」でして、ヒフミでは「みろく」の仕組みは出来ないのです。そして、五六億七千万年も出て来ないのです。
    また、みろく(369)でないと、お釈迦様の悟られたものがなんであったのか解らないのです。

    「ス」の神は「ヒフミ」で「四十一」番目と理解すれば、「ス」が似せ型だと解ったでしょう。ですから、出口王仁三郎聖師は大本教霊界物語の第十三巻(アイウエオの第十三番目)に、この大本教の変性女子はニセ者と言ったのです。本当の「ス」は第十三番目だと。

    神々の中にもと言うよりは、大半の神々が未だにそうなのですが、やはりヒフミで「ス」の神論を言われようかと思います。この仕組みは神界の神々をして、解っておられないことだったからです。諸々の神々すら、紐解けないように大本教から「ス」の神論が展開されたのです。

    大本教が世に出したイロハだと第四十一番目は「み」が来ます。その「み」が終わることは「<み>の終わり」なのです。出口王仁三郎聖師は、誠の女子の尻尾が見えたならば、もう大本教はダメだろうと残されましたが、イロハではなかったということなのです。

    アイウエオ、イロハ、ヒフミ。神は言葉を駆使して、大本教神芝居を見せて来られたのです。
    この創造神のシナリオは、どの神々にも解らないことなのです。また、組み立てることも出来ないものなのです。大本教神諭、「神も人民も知ったことではない」。

    朝鮮に残された予言。最後の審判前(創造神の大立替)に救済の為に「米」一字の教えが起きる。その教えに従った者には何の罰も来ない。
    邪神達が、何も解らない霊媒質の者に懸かって説かれる神示。よく吟味して見なさい。その内容は矛盾だらけです。よく学んで来た者には簡単に解る様な矛盾のお告げを頭から信用して引っ掛かってしまう方が多すぎなのです。
    ヒーリングにしても、その多くは蛇霊によるものです。蛇霊の仕組みは、皆さんの想像以上なのです。為には、「巳(蛇)帰る」を起こさないと、本当の神の元には戻れないのです。
    光とて、邪神が見せる光に騙されてしまいます。天の岩戸開けが語られますが、その光は見ておられないでしょう。それは邪神達が見せる光ではないのです。
    闇と光の対決など、反射の意味を知らないと意味の無い論理です。夜空を見れば、暗闇に月が輝いています。あれは月に太陽光が反射しているのです。反射しているところが光として見えているが、反射していない場所は暗闇で見えているはずなのです。
    光と闇の対決だという言葉に踊らないようにしてください。闇の字は、音が門より出る。全ては音(コトダマ)から来るのです。言うなれば、良心と邪心の対決なのです。

    この宇宙は仏教で説かれるように、「無から有を生じた」のです。そして宇宙が育成されて行く様。宇宙意識の想像から創造に向かう過程において、想像物に命(御言)が与えられたのです。これより、聖書にある【言葉は神と共に在った】なのです。言葉によって全ては創られたなのです。

    幾度も掲示しました「九つ花」。



    大本教の出口王仁三郎聖師は、神の「九十九折り」。折られたものを見るまでは解らないと残しておられますが、「九と(十)九」で折られたものを見れば、九九までは誰でも解ります。しかし、真ん中は何を入れたらいいのかが解らないのです。たった一輪の言霊でして、大本教は「ス」を入れましたが、私は「ラ」を入れました。

    だが、単に「ラ」神論では意味が解りません。昭和五十五年、私の目の前は真っ暗闇となり、閻魔大王様かと思う声。そこで言われて一人の女子を待ちました。私が出会った女子は「良子」と言いました。その女子は大阪の「十三」に消えたのです。出会った場所は「米」印の場所。
    仕組みが出来ていました。大本教五十五の立替。それで十三の「ス」で隠された「ラ」は良の字だと、そうでなかったならば私も「良心神」には気づかなかったでしょう。

    西洋の宗教画に描かれたような白い大きな翼を持った者達が現れて、自分はミカエルトカブリエルとか名乗っても、信用するとやられます。
    天使の羽根の意味が違っているのです。

    では、これを持ちまして私のブログは終了いたします。


    次ぎに「三四五(みよいづ)」から「五六七(みろく)」の解説が必要であれば、その時にはまたブログを開きたいと思います。
    約三十三年間に及ぶ霊界見聞なり修行で私も疲れましたので、少しお休みいただきます。

    今日まで、読んでいただきまして、誠にありがとうございます。

    このブログの読者の皆様の御多幸をお祈りいたします。




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    神の聖都の〇十は地球の霊子線?、太古の神々の帰還か?

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      大本教の出口王仁三郎聖師は霊界物語の中で、綾部は【神の聖都】であると書いておられます。エルサレムが副都。但し、綾部に天の御三体の神様を祭る場所が出来たならばとなっています。
      天の造化三神をお祭りされている神社等は他所でもありますので、天の御三体の神様を祭る場所が【聖都】の意味ではなさそうです。

      出口王仁三郎聖師亡き後、残された大本教は平成に入って大神殿を建てました。天の御三体の神様を祭る場所です。その神殿のマークには〇十が使われています。
      これは霊界物語、みろくの神の御紋章は〇に十字の定めなりからです。この〇十は【薩摩紋】でもあるのです。薩摩紋は丸に十字が繋がったものと、この写真のマークのように〇の中に十字が入るものとあります。接合しているものと離れているものでは、霊的には少し意味に違いがあるようです。離れているものが、天の御三体の神様を祭る場所の意味となるようです。
      私は「豊受」神からも、綾部が【神の聖都】であると告げられたましたが、この意味は綾部という土地に何等かの場所があることを語ります。



      よく【皆神山】が神界の十字路だと言われます。特に知られているのが出口王仁三郎聖師が「信濃の国松代町の郊外にある皆神山は尊い神山であって、地質学上世界の山脈十字形をなせる地であり、世界の中心地点である。四囲は山が十重二十重にとりかこんで、綾部、亀岡の地勢と些しも違はぬ蓮華台である」。と述べられていることも一因のようです。
      出口王仁三郎聖師著の月鏡では、【本宮山(綾部)、亀岡、皆神山は共ともに噴火口の跡にあるので蓮華台をなして居るのである。故にそれが蓮華の心にあたる地形をなし島として残り、上古其周囲、即ち噴火口全部に水を湛へて湖水であつたのである。
      本宮山、皆神山は数十万年前の噴火にかかり、亀岡は十万年位前に噴出したもので、水の上に浮き出て居つたから、水上山の名称が起つたのである】。
      この湖水説は私も納得するところがあります。子供の頃、海抜で言えば海とは関係無いような高い土地に海砂があることに疑問を持ったことがあります。古代は海水が来ていた?。古代の地形を図書館で探すと、確かに湖水であったことが判明します。古代は日本列島の大半が海の中だったのでしょう。

      綾部の場合は【蓮華台】と言うことのようです。蓮華台とは、神仏がお座りになる場所のことになります。

      大本教が神殿を造られた場所は、私が夢で見せられた場所とは道路を挟んだ反対側でした。私が見せられた場所は、現在は農林水産省所管の国の土地です。私の師匠であった方も、大本教の土地ではなくてその土地だとは言っていました。
      それぐらいの地形の差は、神的にはさほど差し支えがないのかも知れません。

      だが、これだけでは〇十)の意味が解けません。

      私達の肉体には目には見えませんが【霊子(たまのこ)線】があります。この霊子(たまのこ)線が切断されると、魂と肉体は切り離されて、魂は肉体に戻ることが出来なくなります。西洋では「シルバー・コード」と読んでいますが、必ずしも銀色線だけとは言えません。
      ならば、地球の【霊子(たまのこ)線】はどこにあるのかとなります。普通に考えれば地球の地軸に当たる北極点かと考えられます。だが、肉体には他に臍からの線があります。臍線は神の元に帰る線だと考えられています。つまり、〇十とは神の元に帰る地球の「臍()」なのかも知れないのです。


      私が住む土地は何人かの霊能者の方によれば、神界のゲートだと言われます。元々、私が生まれ育った土地ではないのですが、私の母親がその土地と古家を買って数年間住んだ後に、別の土地に住んでいました。
      その土地に戻りなさいという豊受様の神示により、元の土地に戻ったしだいです。その時、豊受様の御代であった師匠は、豊受様はどうしてあの土地に戻れと言われるのでしょうか。あの土地に戻ればあの人(私)は殺されてしまうかも知れません。そう詰め寄られたそうです。
      すると、豊受の神は、人間の中であの者以外にこの御用が出来る者は世におらず、これは神界の問題であり、人間が口出したり知る問題ではないと言われたそうです。
      私は自分が殺されてしまうかも知れないと師匠に言われて、???です。理由を聞くと、あの土地は稲荷様とか出雲様とかお不動様と言うような今の世に出ておられる神々ではなく、世に知られた神ではなくて太古の神々が押し込められている土地だと言います。ものすごく怨念が渦巻いており汚れた神達です。封印された神で人類が知らない時代の神達です。ですから、私にも事情がよく解りませんと言われます。

      平成3年の大晦日から、大ラップ現象が始まって約四十日間は夜は寝られないような状態。当時ビデオを持っていれば収録出来たかも知れません。何度、テレビ局に話を持っていて、超霊能者に見て貰おうかとも思いました。
      その当時は最初の師匠の元を離れていたので、稲荷系、出雲系、不動明王系、大本教系などあらゆる霊能者の方の元を訪ねましたが、どなたも自分なら簡単に鎮めると豪語はされるのですが鎮めることが出来ませんでした。
      ある稲荷とお不動様の御代である霊能者の方から、とんでもない魔ということしか出来ない怪物が暴れている。これは稲荷様やお不動様の力では無理だ。その現象を鎮めることが出来る神など日本のどこにも居られない。自分で鎮めろと言われてしまいましたが、神々でも無理となれば、残された道は自分だけ。生きるか死ぬかです。が、鎮める方法が解らない。ともかく無我夢中で祝詞や御経を唱え続けて、3年間掛かってようやく現象は鎮まりました。
      最初の師匠の元に戻ったところ、やっぱりね。貴方は神様達ですら鎮めることが出来ないものを鎮めてしまわれたと言われましたが、よくぞ死ななかったものです。

      その後、幾人かの霊能者の方からそこは霊界においても特殊なゲートであると教えて貰いました。私は最初の師匠から、太古の神々が押し込められている場所だとは聞いていましたが、それまでゲートという認識をもっていませんでした。
      自分は大天使で光の剣で魔界を消すと豪語していた自称サイキッカーのかたも、その土地だけは自分でも無理だ。光で魔界を消すでは消えない世界。もう見るに耐えないような異様な姿をした者達が無数に押し込められて存在して居る。今は貴方がそれらのものが世に出てこないように力で押さえておられる。
      貴方は自分には何の霊力も無いと言っておられるが、そこを押さえきれるのは貴方以外には無理です。絶対にそこの封印を開けないでください。そのゲートが開いてしまうと、パンドラの箱を開けることになります。ゲートが開いたらもう取り返しがつきませんと言われます。
      別の神通力者さんも同様のことを言われます。私がこの世を去る時は私の魂がそうしたゲートをすべて封印して旅立たれる。その後に地球が五次元にアセンションを起こすと言われます。だが、五次元に上がる地球の上には現代のような太陽も月も星も輝いてはおらず、人類は地底王国に移ると言われます。その地底王国には人工太陽が存在すると言われます。
      私にすれば、私が死ねば五次元アセンションが起きると言われてもです。そうした霊能者の言うことは、どこまで信用出来る話なのかは私には解りません。地底王国とはシャンバラのことでしょうが、一面では突拍子もない話です。

      ただ、私が住んでいる土地は、元は大本教徒の方が住んでおられた土地で、出口王仁三郎聖師さんから教団に内密でその土地を死守しなさいと言われた方だと知ることが出来ました。こんな土地によく住めたと思っていたところ、やはりその家族に自殺された方が存在していました。そして同じ土地の一角が他の人に売られたのですが、その家の主も数年前に自殺されました。
      通常、自殺することは神から赦されませんが、この方の自殺はその土地に住んだが為のものであり、神界の犠牲になられたものなので罪無しで処理はされたはずです。

      私はさほど霊能力はありませんので、見るに耐えない魔物達の姿がどのようなものかは解りませんが、本当にここがそうしたものを閉じ込めているゲートで開けてしまったらパンドラの箱を開けたようなものになると言われても、基本的に人類が知らない太古の神達。現在の世に出ておられる神々では勝てない存在であっても、誰がその神々を封じ込めたのかも解らないわけです。

      いったい、人類の歴史以前の太古の昔に何があったのか?、です。

      そしてさらに不思議な話として、私が住む土地に隣接した土地は、大本教の出口王仁三郎聖師が同じ様に教団に内密である信徒さんに死守せよと言われた土地で、出口聖師の直弟子さん達にみろく神業に使われるお宝が埋められている場所と言い残された土地だと知ることが出来ました。その土地の持ち主が亡くなられた後、その直弟子の弟子達になるのでしょうか?。その土地を掘り返したが何も出て来なかったそうです。
      私の師匠であった方は、それは霊的な玉で「如意宝珠」が埋められているのだと思います。人間の目に見える玉ではありませんので、いくら掘り返しても解りません。時期が来れば、その玉が自ら出て来るでしょうと言われます。
      不思議な事にみろく神業に使われるお宝と太古の怨念を待った神々が押し込められている土地が隣接して存在することになります。

      私が感じるのは、人には霊子(たまのこ)線がありますが、地球にも宇宙の極につながる霊子(たまのこ)線が存在していなければなりません。それと地球の臍と神の子宮を結ぶ線です。
      地球が五次元にアセンションするには、当然に地球の霊子(たまのこ)線を切断しない限り、地球そのものがアセンションなどはあり得ないことになります。

      以前の霊能者は霊子(たのまこ)線が解っておられたのですが、現代のスピとかチャネラーの方は霊子(たまのこ)線を言われません。それでアセンションなど理解出来るのでしょうか?。

      私がこの土地でして来たことは、太古の神達を浄化することだったようです。修業に入った当時、自分で【35万年間の苦しみをありがとうございました】と言い、何故かボロボロ涙を流していました。我れ戻って、何事!とポカンとしていましたが、大本教霊界物語の中にある「主の神、35万年前に御引退」に関わる土地だったようです。
      神界時間で41年目(この世で35万年)となった時、全ては明らかになるでしょう。「41」の仕組みです。

      だが、私のお役はそろそろ終了のようです。浄化を終えた太古の神々と、宇宙に帰る日が近いのかも知れません。接合した〇十は宇宙では地球を表す記号です。
      私が子供の頃に臨んだ声は、新しい地球で「みろく世」となる。〇十が地球を表す記号である以上、新しい地球も〇十なのかも知れません。

      大本教予言の神芝居、如何なる結末になるのでしょうか???。

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      来年は巳の終わり年か?、恐怖の宇宙大王は西暦2014年?

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        私は西暦1998年、ある啓示を受けました。それはノストラダムスの有名な予言である「1999年7の月、アンゴルモアの大王を呼び起こす為に恐怖の宇宙大王は天下る」と呼ばれた内容に関して、ノストラダムスの占星術には【15】の間違いを生じているという内容です。
        【15】の間違い???。この「15」が年を意味するのであれば、これが起きるのは西暦1999年ではなくて「1999+15」で、西暦2014年になりますが、15の意味が何とも解りませんでした。いずれにしても、西暦1999年は何も無いというこだけは間違い無いと理解したわけです。

        大本教が開教したのが西暦1892(いち早くに)年です。大本教の主たる任務は【世の大立替】を世に宣伝することでした。人の寿命は御承知のように日本では60年で還暦とします。それからまた赤子となって生きる意味で赤いチャンチャコなどが贈られるわけです。この60+60の2還暦が現代人の最大の寿命と言われています。
        そうなりますと、自分は「世の立替」など知らない。聞いていない。そうした人が出ないようにするには最低で120年間は予告期間が必要となります。今の世界において自分はそんなことは知らないと言われる方もあるでしょうが、霊的には全員それを知って出て来てはいるはずなのです。魂的には聞いていても知っていても、肉体的に知らないと言うだけのことなのです。
        その大本教の宣伝期間は西暦1892年+120で西暦2012年の節分で終了したことになりますが、神の世界、また仏教で死者の計算をする時は享年と呼ぶように数え年で計算しますので西暦2012年は121年目なのです。

        ノストラダムスが予言した内容は計算に間違いがあり、正しくは西暦2014年だとなりますと、大本教開教から【123】年後となります。大本教は「イロハ」でしたが、ここに「ヒフミ」が出て来ます。
        この【123】とは【ヒフミ】の意味なのです。日月神示で岡本天明氏が出された48音の「ヒフミ」の意味ではなくて、大本教神諭が予告した「九つ花」に関して出て来る「123」なのです。西暦2013年は122年目。西暦2014年が123年目なのです。
        大本教開教から121年目の今年は何事もなかったので、やはり【123】年目となります。

        この「123」は、このブログの中で龍宮の乙姫の話の中でも図式しています。

        再度、検証してみましょう。
         



        その中の真ん中の九つを見ますと



        これを計算してみましょう。
        横が 32+77+14=123 23+41+59=123 68+5+55=123
        縦が 32+23+68=123 77+41+5=123 14+59+50=123
        斜めが 32+41+50=123 14+41+68=123

        大本教開教から、【123】年目が鍵だったわけです。

        また、大本教霊界物語には【天の御三体の神様が下られたならば】があります。
        これも「ヒフミ」なのです。
        それも、このブログに以前に出したものを再度出します。



         

        この恐怖の宇宙大王とは何者かとなりますと、一部で「大国常立尊」様のことだと言われる方もあります。確かに核ミサイルとか流星群のことではないのです。大国常立尊である可能性もあります。その大国常立尊よりも上位の神なのかも知れません。人類が未だ知らない創造神です。大本教霊界物語では【天之火夫皇大御神】としていますが、みろく神と呼ぶ筋もあるでしょう。ただ、その存在が「アンゴルモアの大王」を呼び起ことするわけです。
        しかし、その創造神が恐怖の宇宙大王なのか、はたまた別の存在なのかは断言はしにくい話です。

        大本教の出口王仁三郎聖師の演技により、その「アンゴルモアの大王」とは何を指しているかは幾多の霊能者に気づきを与え、精神世界のランキングでも自分の師匠がその方だとか、自分の友達がその者だと述べておられる方があるように、もう誰のことか解っているでしょう。ただ、そうしたことを言っている方が本物かどうかは、恐怖の宇宙大王によって試されるというか、あるいは見つけられて抹殺されるのかは定かではないのです。
        と言いますのも、一部の神通力者さん達が恐怖の宇宙大王とは空を覆い尽くすほどのUFOの大軍団で、そのUFO軍団は人類に対して総攻撃して来ると言われる方達もあるからです。恐怖の宇宙大王の天下りが人類に対しての救済なのか、あるいは総攻撃なのかは、その時になってみないと判断が出来ない内容でもあるのです。そしてアンゴルモアの大王を見つける。

        聖書では、私は「義」の者が一人でも居れば人類を滅ぼさない。その「義」の者が創造神の目に適う者なのか?。
        ただ、自分がそうだと公言している方が幾人かおられるというこだけは間違いがないわけです。そうした方達は、恐怖の宇宙大王が「大国常立尊」様だと思いたいわけですが、さて、???です。

        それよりも先に来るものがあります。

        大本教の出口王仁三郎師は、自分は「ニセ者」だの発言をされました。そのニセ者発言は大本教霊界物語の第十三巻の「信天翁」の中で出ています。公式の出版物の中に、わざわざ自分は「ニセ者」発言を入れてあるわけです。普通ならば、そんなニセ者発言は削除してあるものですが、何故か、堂々と表に出してあるわけです。
        そのニセ者発言は本物は【みのか尾張の国の中】となっています。この「みのか尾張の国の中は」、今では二つの意味が解釈されています。一つは「巳(蛇)の終わり」なのか、身の終わりかです。だいたいは【巳(み)の終わり】と見られているようです。
        ある霊能者は伊勢神宮のある摂社に参拝したら、そこに女神が出て来られて、貴男が「みの尾張の国の中」で予言された女子だと告げられて、自分は生まれた土地が美濃か尾張の国の中なので、その神示を本気で正しいと思っておられました。ある意味、霊界のお告げは騙しがあるので怖いのです。

        巳の終わりとは、聖書に人類は蛇と一緒にエデンの園を追放されたです。だとすれば、私達がエデンの園に戻るには、【巳帰る(ミカエル)】を起こす必要が出て来るわけです。

        その「巳(蛇)の終わり」は何時なのか、それは解らないわけです。巳の年は12年に一度は来るからです。来年は巳の年ですが西暦2013年、その次は西暦2025年。次は2037年と続くわけです。
        その巳の次ぎには救世主を意味する「馬」の年が来るわけです。で、大本教の出口王仁三郎聖師は、その救世主たる存在が【みのおわり】の国の中、誠の「女子」だとされたわけです。その女子の尻尾が見えて来るのは、最後の巳の終わりの年なのでしょう。

        恐怖の宇宙大王が天下るのが西暦2014年とすればの仮定論ですが、巳の終わりは来年なのか?、です。
        故、金井南龍師は、ズバリ言い切っておられます。それは母なる神のミタマを持った女性だと。だが、その正体が解ったならば邪神界の総攻撃を受けてしまいます。ですから誰だか解らないようになっているのです。「みのおわり」の時まではその正体が隠されているわけです。別に出口王仁三郎聖師の予言が外れているではなくて、未だ本番の神の役者が登場して来ていないだけなのです。

        来年の巳の年がそれに当たるかどうかは解らないことです。断言は出来ません。天の神界は微動だにしていないでしょうが、地の神界が統一に向かって行くのか行かないのかで決まるでしょう。神界統一が起きない限り、地上神界の神々も宗教間での覇権争いは止まらないからです。

        私の役目は、神が仕組まれたことを解読して知らせる台詞回しですが、いくら言葉の仕組みを説いても解ろうとする方はほとんどなかったようで、来年と言っても節分からが本当の巳の年なのですが、巳の年を迎えるにあたって、今年いっぱいで台詞回しの舞台から降りさせていただきます。

        これからは、神の力を持たれた本番の役者さん達が出て来られることでしょう。


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        閻魔大王とは架空の存在で、単なる張り子の虎なのか?

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          私が子供の頃は、嘘をついたら閻魔大王様から針千本飲まされるとか、舌を抜かれるなどと言われて、嘘を言うことを戒められました。正直に生きよと言うことです。
          この閻魔大王とは仏教で説かれるわけですが、冥界の主とされるわけです。それで地獄を司っていると言われるわけです。
          閻魔大王と閻羅大王とも呼ばれて、善と悪とに分けている存在と言うことです。大本教霊界物語では、この閻魔大王様は国常立尊様と記しています。
          が、大本教神諭には【この世の閻魔として現れる】とありまして、この世の閻魔とは「皆さんの魂の中に潜在する良心神」のことですね。この世の閻魔が動くと、私達は悪いことが出来なくなります。また、良心の呵責として自分で自分を反省して「悔い改める」わけです。
          しかしながら、自分の中からこの「エンマ」が消えてしまいますと、もう何をやっても良いとか。自分を省みることもしなくなるわけです。

          スピ系の多くの方が、神は愛であり何をしても赦されるのですよと説かれます。そして「地獄」など存在していない。地獄など宗教が創り上げた架空話だ!。
          確かに、多くのスピの方が言われる神は愛で何をしても赦されるであれば、地獄などは宗教が創り上げた架空論であるという説は正しいことになります。

          オーム真理教という宗教が起きて、当時の多くの若者達がオーム真理教に走った時、ある大学の教授は学生達の前で説かれました。
          【君達は、死後の世界があると思っているのですか?。人は死ねば終わりなのです。宗教が説く天国も地獄も無い。だが、全ての人が死後の世界など無いと知ったならば、死ねば終わりならば悪をしなければ損だと思う人達が多数でます。そうなれば社会は乱れに乱れて収拾がつかなくなります。地獄など存在しなくても、存在していると思わせることで、地獄に墜ちたら怖いと思う観念で人は悪行をしないものです。宗教が地獄を説くのは、社会を安定させる為の方便の教えだと知ることが大切です】。そうした教えをされました。

          現代のスピの何をしても神の愛で赦されるのですと説くことは、極論で言えば殺人や強盗やレイプなどいくらしてもいいのですよと説いているようなものなのです。無論、自分達が言っているのは殺人や強盗やレイプではないと主張されるでしょう。しかし、何もやってもよいとなれば虐めや万引きストーカーや迷惑電話を掛けまくるなども、いいのですよと言っていることなのです。
          その言葉を真に受けて犯罪に走る人があれば、その責任は言った者も被らなければなりません。

          ある悪党は私に言いました。【神は人間がすることを黙って見ていれば良いのだ。人間が困って神頼みに行った時だけ出て来てその願いを聞いていればいい。自分がしている行為は地獄があれば間違いなく地獄に墜ちる。だが、地獄などは無い。地獄など宗教が創り上げたデッチ上げの話だ。人は神ではないから死ねば終わりである以上、悪をやらなければ損をする。怖いのは神ではなくて警察だ。警察に自分の悪事がばれたら自分は逮捕される】。
          まさしく、その大学教授さんが説く通りのことをしているのです。確かに、神が犯罪を犯したから取り締まるはないでしょう。見られのはその神に対する不敬の時の神罰ぐらいです。だから、何をしても神の愛で赦されるのだ!。となりますと、もう世の中は真っ暗闇なのです。
          真っ暗闇とは、太陽が輝いているとか輝いていない意味ではありません。人々の心から義理や人情が忘れさられて、我れよしに傾いている世の時も真っ暗闇なのです。

          この悪党は学者と違って、神が存在していることは解っているのです。それは現世御利益を叶えてくださる神々が居られるから、自分も神社等に参るので解っているのです。だが、人は神とは違って死ねば終わりだから、悪をしなければ損をすると思っているわけです。
          この悪党の悪は今日や昨日に始まった悪ではないのです。この人に関わる一連の前世が出て来た時、神代と呼ばれる時代の天則違反から、この方は幾度生まれ変わっても悪の所業を続けておられました。
          その意味では多くのスピの方達が言われるように、悪行を積んで来たから神に罰せられて地獄界ではありません。しかし、驚くべきカルマの中に住んで居られます。この方の家族の状態を話しますと、聞いている方があまりのおぞましい家族関係に吐き気を催されるほどです。

          自分の息子の奥さんは自分の愛人です。父の愛人と知りながら息子は自分の嫁にと望み、それはその母親も解っていて夫の愛人を息子の嫁としたのです。普通の母親ならば、そんなことはさせません。狙いは嫁としてその女性が持っていてる金。母親は自分が遊ぶ金をその女性から出させる。そして、その一家は父と母と息子とその嫁で同居しているのです。
          それでも自分達は幸せだと言うのであれば、それこそ神も出る幕はないでしょう。世間的に言えば「獣」的な生き方であっても天国や地獄などいうのは、そこに住む自分の感覚なのです。住めば都であり、地獄と呼ばれる世界でも自分にとっては天国であり、天国と呼ばれる世界でも自分にとって合わなければ地獄ともなるのです。
          何を持って天国や地獄と言っているかといいますと、「光」の段階を言っているだけなのです。光の段階は自分の【魂が磨かれているか汚れているか】で変わって来るのです。神の愛でどうのこうのではないのです。

          何故にその悪なる者の上にはそのようなことが起きて来るのか?。その義父となる人とその妻と息子の嫁の3人は最初のカルマを造った時に関わった3人なのです。
          大本教霊界物語に大本教開祖の出口なおさんは、神代の時代にそれに似た過ちの出来事があって、それ以後の人生は大本教開祖となられた時代のゴミ集めの生活時が一番ましな人生であったと記されています。輪廻転生は自分の過去の罪悪たるカルマを消す道でもあるからです。
          しかも、息子の嫁となったその女性はそれだけではなく、神罰的なものなのでしょうが二重人格なのです。そして本人の中の一人は自分には自分が二人居ることを自覚しておられました。そのどちらかが出ることで顔が別人になります。そして、当然に片方は片方が出て聞いたことには知らないと言います。それは当たり前です。一つの肉体に二つの人格を所有しているからです。為に、その人の二重人格が解らない人は、あの人は嘘つきだと言うのです。

          スピ系の人達が言う何をしても神は赦されるのであれば、幾度生まれ変わっても揃って同じ時代に出て、引き合ってこの世で出会い、同じ境遇を繰り返していることに説明が出来ません。そこにあるのは、自分がした行為は、この世に出てその「カルマ」を解消するまで続くということです。
          何もかも神の愛で赦されているのならば【カルマ】など存在しないのです。ではこの「カルマ」とはどこに存在するのでしょうか?。
          それは自己の魂の中に存在する【閻魔帳】に存在するのです。自分がした善行も悪行もすべて各自の魂の「閻魔帳」に記されているからです。これをアカシックレコードと言ってしまうと意味が解らなくなるのです。閻魔大王=国常立尊の意味が少しは理解出来るでしょうか?。


          エンマ(円真)は⦿魂の核の部分としてあるのです。ですから天帝であり、エンマ大王ともなるのです。
          三千世界、一度に開く梅の花。梅の実の種の中には天神様が眠る。
          人は神の子・神の宮。

          私は僅かな霊能力はありますが、霊能者の方と違って他の人の前世を見ることが出来る者ではありません。しかし、神が言葉の仕組みを知らせるのに必要な時だけは、守護神が見せられることで霊界見聞をしているわけです。
          スピの方達が地獄界など存在していないと言われ事は、はなはだ遺憾だと思います。論理的には神の愛で何をしても赦されるのだとなれば地獄界など存在しないで正しいことにはなりますが、霊的世界は証明論としては出来ない世界ですが、幾つかの地獄が存在しているのは見て来ました。
          ただ、神は慈愛を持って悪なる者にも地獄に居る者に対しても、この世に出て魂を更生させる為に、この世に甦(更生)る機会を授けておられるのです。ですから、閻魔庁の鬼は来世門なのです。そしてこの世に出た時、過去の悪しきカルマを引きずらないように、過去世を記憶しないのは神の恩寵であり、新しい人生をもってして自分で道を切り開くのです。その人生の生き方しだいで、過去のカルマを消すことが出来るわけです。その為には悪に染まらない正しい生き方をしなくてはいけないのです。なのに、神は愛で何をしても赦されるではないのです。
          地獄とは俗に言われる鬼が金棒を持って出て来て、針の山を歩かしたり逆さ吊りにしたり、釜茹でしている光景の世界ではありません。
          神が言葉の仕組みとして、魂の存在を知らせる為に「鬼が云う」になっているだけなのです。

          ただ、私が説いている内容も大本教という宗教が起きて、大本教神諭や霊界物語を出しておいてくれた御陰で解説が出来るのであって、出口直さんや出口王仁三郎さんが私より先に出ていてくれなければ、解説など出来るものではありませんでした。

          大本教神諭以後、大本教神諭に似た神諭が竹の子の様に出て来ています。それらは全てニセ神諭とも言われています。
          別に、ニセ神諭であってもかまわないのです。何故ならば九分九厘まではどの神でも行けるようにしてあるからです。九分九厘まではどの神の教えからも学べるでしょう。ですから、ニセ神示だからと頭から否定するよりも、半分ぐらいは本当のことが告げられていると学んでおけばいいのです。内容の取捨選択は自分がすることです。

          どうしてそうした神諭がニセ神諭と言えるかと言いますと、大本教神諭以外は、どれ一つとっても「エンマ」を説いていないでしょう。エンマ大王の意味が、ウシトラの意味が理解出来ていない神達が降ろした神諭や神示だからです。そして肝心要の「九つ花」がどこにも記されていない。それでは自分から自分はニセ神と名乗っているような神諭や神示になってしまうのです。
          有名な日月神示は大本教が出した「⦿」の核の部分の意味が解らないから〇の中に「ゝ」ですね。ただただ、どの神諭も神示も如何に大本教神諭に似せようかと努力はされたようです。それを見破れるか見破れないか。それは読む人の魂の器量にかかることなのです。


          踊りなさい。踊りなさい。踊る阿呆に踊らぬ阿呆。
          同じ阿呆なら、踊りゃにゃ損々。

          嘘と言うに字は「虎」があります。
          大本教まで遡れば、綾部の殿様であった九鬼神道まで出て来ます。すると「艮」ではなくて「宇志採羅」が出て来るのです。牛虎の虎が「採羅」だと解ります。
          この「羅」は、死者の維新であり、羅王が何を告げているのかが解ります。
          皆さんが、死んだら終わりだと思っていることそのものが「嘘」なのです。

          嘘から出るが「誠」なり。


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          天神様は祟り神って! 何の話?

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            よく国常立尊は【祟り神】だと言われています。これはどうやら鬼門の金神から言われている説のようです。
            私の最初の師匠は始めは四国小豆島の某霊場の御本尊の不動明王様の御代をしておられましたが、豊受様からのたっての所望で豊受様の御代に変わられた方でした。
            その師匠が国常立尊様は存在するが、祟りの鬼門の金神など見たこともないと言います。エッー?、です。すると、家相学として家の角が艮の方位にあった時、その艮の角を切ってしまいますと運気が下がるので、それが鬼門を犯すなの意味ではないのでしょうかと言われます。その説明を聞いていると、納得出来る面がありました。
            大本教神諭に善と思っていたことが悪であり、悪と思っていたことが善だとあるようですが、鬼門はかなり勘違いが入っているようです。

            大本教は祟りの鬼門の金神こそ「国常立尊」様だと言って、戦前に信徒総数が一説には700万人とも800万人とも言う説がありますが、当時の日本人の人口が約7000万人と言われていますので、国民の一割が信じるような大宗教を誕生させたわけです。
            宮家や軍人まで信徒になる大本教のあまりの勢いに、時の政府はこのままでは天皇家が危ないと感じ、邪教にされて国家弾圧でダイナマイトで神殿は尽く爆破され、全財産を国家に没収されて壊滅しました。世に言う第一次第二次大本教弾圧事件です。出口王仁三郎聖師は不敬罪で囚獄です。
            後に裁判において大本教が勝ち、土地などは返却されたのですが、国が敗戦したということで国家賠償金は請求せず、出口王仁三郎という巨星が逝ったことで、今ではローカル宗教として何とか残っているわけです。

            その出口王仁三郎聖師が今日まで多くの人から崇拝されるのは、その卓越した予言力にあります。予言をことごとく的中させた。また、その豪放磊落な性格が人間・出口王仁三郎として多くの人を魅了させるわけです。カリスマです。そうした逸話に関しましては、世界救世教開祖の岡田茂吉師が親父(出口王仁三郎)はと書いておられます。大本教と言う宗教は今ではローカルでも、多くの人がその教義に取り組む背景はそこにあります。

            ブログの世界で自分はどんなに偉いのだ凄いのだと書き込んでいても、その内容が嘘か本当かはほとんど証明出来ません。嘘八百並べても解らない世界が霊界です。それを証明させる力、実際に霊界おける真相に関しては出口王仁三郎聖師の段階に行っておられるような方が残念ながら見受けられません。
            私の最初の師匠は阪神淡路大震災を三日前に予告しています。普賢岳爆発も予知しました。それは豊受様からでしたが。もしも、健在であったならば今回の東日本大震災も予告していたかも知れません。しかし、出口王仁三郎聖師とは格段の差がありました。
            そうした卓越した霊能者の方は世間に広く解らないだけで居られるかも知れません。

            さて、天神様と言えば「菅原道真公」です。私は子供の頃、天神様とは天の神様を祭っているのだと思っていました。だが、菅原道真さんだと知った時、何を天神様として祭っているのだと思いました。菅原道真さんは天の神ではないからです。
            元々、天の神は【怨霊・祟り神】だとされて祭られていたのです。そこに当時の陰陽師なのでしょうが、菅原道真さんが怨霊になって当時の天皇家に祟っているで天神さんと一緒に祭るようにした。それが何時のまにか、天神さんと言えば菅原道真さんだと成ったのでしょう。
            大本教が祟りの神とされる鬼門の金神さんを「国常立尊」として世に説いた時、多くの学者達は聖書の神と同じ意味合いに気づきました。聖書の神もまた「祟り神」とされているからです。

            そもそも祟り神とは何でしょうか?。祟(出示)りとは【出て示す】意味なのです。私達は誰でもそうですが、祟られて神の存在が初めて解ります。もし、何の祟りも受けなければ神の存在すら気づかないのです。霊の存在すら気づきません。霊界が在ることも解らないのです。
            ですから、自分に祟ったからそれを悪神だと決めつけることは出来ないのです。黒住教の開祖黒住宗忠さんは神に祟られた。だが、それは本当は愛の天照大御神さまだとして黒住教を起こすわけです。もしも祟られていなければ、普通の人でその生涯を終えたことになります。

            で、鬼門とは何を語るのでしょう?。そもそも鬼門とは中国から来たもので、今日言われているのとは違って【大きな桃の樹】がある場所の意味だったようで、本来は災いを意味するものではなかったようです。
            桃の樹の実と言いますと、古来より不老不死とか三千年の齢を与えるの意味であり、日本神話における黄泉比良坂においても、イザナギ尊がイザナミ尊の配下の醜女の追撃を振り払う時に桃の実を投げたとあるように、魂を【誂える】意味が「桃」なのです。ですから、誂も桃も「兆」の字が入ります。で、魂を誂える門が本来の鬼門のことだったのでしょう。
            これは、来世門とされる羅城門には鬼が門番を勤めているとされるように、鬼門は来世を授ける場所の意だからです。この来世門がある羅城の主が閻魔大王とされているわけです。国常立尊=閻魔大王であれば、鬼門は来世門を語っているわけです。
            大本教という宗教が起きた時、日本書紀では初発の神と記される国常立尊は、悪神達によってその座を追放されたとしました。

            国常立尊を悪神として鬼門の金神は祟り神としたのは、平安初期の陰陽師達が出した説と言われているようです。後からのデッチ上げです。そもそも節分の鬼は外にしても室町時代からとされています。で、すべて言葉の仕組みであることに気づかないと解らなくなってしまいます。
            ブログの世界を見ていましても、国常立尊とは悪神だと書き込んでいる方もあるようです。これは地上神霊世界では、国常立尊を悪神としてその座を追い出した勢力があり、その勢力はまだまだ強いということなのでしょう。

            しかし、私が知るサイキッカーの方は、既に天上界は国常立尊派が完全に実権を握っていると言います。天の意向に従わない地上神界の神々に対しては、天上界の神々が掃討に降りて来る時は近いと見なければならないのかも知れません。
            瀧の行者として知られた故・金井南龍師は、大本教は国常立尊派による神界クーデタであったと記しておられます。だが、失敗をした。しかし大本教は予告編であり、本番はこれから起きると残しておられます。
            大本教の出口王仁三郎聖師は大本教は「七代女子が続く」と予言されました。現在の教団の内紛で本来の直系は退かされておられますが、直系からは七代目の女子が既に生まれておられます。それは、本番が何時起きてもおかしくない時に来ていることを語ります。

            神界におきます国常立尊派と反国常立尊派との闘争は、今日や昨日に始まったことではないでしょう。光と闇の戦いでもないのです。国常立尊様の存在を主として認めるか認めないかの戦いでしょう。何をしてもいいのですと言う自己本位自由派と、主を頭としてある程度の規制は必要だと考える違いが大きいのでしょう。
            で、大本教は国常立尊様の御復帰が決まったと宣伝したのです。ただ、それは天帝が地上神界の主宰神に国常立尊様の御復帰を認められたと言うことであって、天帝その物が存在しない。一人一人が創造神だ。宇宙は私達の総意だと唱えている派からすると、天帝そのものが存在していないことにもなります。
            本当に天帝が存在するのかどうかは、その時が来なければ証明も不可能と言えるでしょう。
            大本教はウシトラ金神国常立尊を説きましたが、その国常立尊様より上位の存在として「みろく大神」として説いています。この存在が解りますかと言うことなのです。人類が未だ見たことがない神。その存在がよく解っていない神だと理解した方が解り易いでしょう。

            一般的に金龍は国常立尊様とされていますが、金龍が一番上で無いことも確かなのです。何故ならば、私は大本教の出口王仁三郎師が本当の陸の金龍海と称された場所の一角に住みますが、そこでは無数の金龍を見たからです。金龍は一体では無くて日本全土にも存在して来ますので金龍神=国常立尊としてしまいますと、意味が解らないことになってしまいます。無論、金龍神のみならず、膨大な数の白龍神も見ました。

            私の2番目の師匠の御祭神は国常立尊と名乗っておられて、大変な神力をもたれた存在でした。だが、私はある時、これは変だと気づきました。それは国常立尊と名乗っておられるにしては、その配下神達があまり見当たらないことでした。
            私の魂は霊界の伊勢神宮に参拝した時に1万体は居ると思われる大神霊行列を見せて頂きました。また、鍾馗さんのご案内で中国の磐古大神に拝謁が出来た時も何千という将軍達が並んでいる中を通りました。将軍達の数でもそれだけおられるのですから、その配下を考えたらとんでもない数なのです。
            本当の国常立尊様ならば、いくら退かれた神にしても大本教という宗教を創られた神ならば、そこに無数の配下神が存在していなとはおかしなことになります。私が初めて豊受神様に拝謁した時も無数の神官達が豊受様に従って出て来られました。最初に御神霊に拝謁する時は、その配下神が先に出て来られるものです。また、自分の正守護神さんがそれなりの方でそのご案内ともなります。
            どこの会社でも、大企業の会長や社長さんともなればいきなり出会うことはないはずなのです。この理屈が解っていないと、ニセ神にやられてしまいます。

            神と呼ばれていてもピンからキリまであります。ほとんど部下無しの御神霊もあれば、数え切れない部下を従えておられる神もあるわけです。
            自分は〇〇大神だと名乗って出て来ても、頭から信用してはいけないのです。まして、国常立尊と名乗るニセ神等たくさん居られます。そうした神霊がへんな神示を降ろしているのです。
            一説では、国常立尊様に従う龍神は九億九千万体と言う方もあるようですが、ともかく普通の神霊とは規模が違うということだけは頭に入れて置く必要があります。

            無論、世の中には自分は命令一下、二千億の龍神を従えると豪語される方もありますので、九億九千万の龍神では少ないので何とも言えませんが、私のように数体の黒龍神から攻撃されて慌てふためいている段階の神ではないということです。



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            信者を天国に案内すると言いながら、地獄に導く取次者

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              見出しの「信者を天国に案内すると言いながら、地獄に導いている取次者」という内容的なことは、大本教の出口王仁三郎聖師が霊界物語の中で書いておられることです。記憶の中で書いていますので多少文面は違うかも知れません。その時はご容赦を。その後に、確か「それを見るにつれて、この王仁は気の毒でならない」と書いてあったかと記憶しています。
              私、最初、この文章を見た時には大本教の出口王仁三郎聖師は他教ではなくて、大本教を信じろ的な大本教優位の宣伝をされているのかと思っていました。

              ある女性霊能者の方が、某氏はお釈迦様の再来なので、一度お出会いされませんかと言って来られました。
              通常、悟りを得られたお釈迦様は二度と自分はこの世には生まれて来ない。が、お釈迦様が亡くなった後、人々はお釈迦様の悟りを忘れてしまう。そうした末法の世に再来しないお釈迦様の代わりにお釈迦様が悟られた内容を説く存在が弥勒菩薩となっているわけです。ですから、自分がお釈迦様の再来など、頭からインチキくさいことになります。
              しかし、いくら何でもお釈迦様の死後五十六億七千万後というのは変な話です。そんな超未来のこと、誰も解らないことです。
              すると、この56億7千万があり得ない話で、自分は過去世でお釈迦様であったと名乗ってもおかしくはないとはなります。

              基本的に仏教ではお釈迦様の死後500年か1000年の間は正法と呼ばれて正しい仏法により悟りが行われるが、続く1000年間は像法と呼ばれて仏法はあっても悟りを開く者は無し、続いて末法となって仏教は形骸化したものとなるなのです。だとすれば、お釈迦様の死後56億7千万後と言うのは誰が考えても実に変な話なのです。
              大本教の出口王仁三郎聖師は神道でありながら、仏教の「みろく菩薩」を「みろく大神」として全面的に打ち出されました。その「みろく大神」こそ、全宇宙の主宰神であると。
              私はどうやって、その事と56億7千万年を結びつけるのか?。はなはなだしい疑問に襲われたわけです。大本教では五六七大神としただけで、56億7千万年の解説らしいものがどこにも見当たらないのです。

              大本教霊界物語にはこの宇宙が開闢して56億7千万年星霜と書かれていましたが、これでは嘘になってしまいます。宇宙は約130億年ほど前とされていて、地球系太陽はおよそ46億年前と言われています。これではどちらからも56億7千万年の意味が出て来ません。
              だが、大本教神諭が予告した「九つ花」を紐解くと、数字と言葉の仕組みではあるのですが、お釈迦様の悟りが何であったか?。それを「みろく」で解き明かし、56億7千万年の意味が出るようになっているわけです。それらは私が出した過去のブログを見られれば書いています。またHPにも書いています。
              つまり大本教は先に解読に必要な外側と言うか周囲の教えを出しているのです。

              その女性霊能者の方が、紹介したい教祖様はお釈迦様の生まれ変わりだからと再々言われるので、その教祖様に出会ってみることにしました。一目見て、どうしてこの人がお釈迦様の再来なの?、です。お釈迦様だと思う理由を聞くと、この教祖様は何冊もの素晴らしい「愛」の教えを書いた著本を出版されておられて、目も眩むもの凄い光の持ち主ですと言われるのです。
              そしてその教祖様の周囲にはスピ系霊感者の女性が多数取り巻いておられるのです。スピ系の方達から見ると、とんでもない光の持ち主だと言われるわけです。霊感者の多数が、お釈迦様だお釈迦様だと言っていれば、周囲もお釈迦様の再来だと思い込んでも来るわけです。

              こうした「光」に関しまして言うことは、そうした見せられた光とは瞬間的なはずなのです。昔、カメラのフラッシュにマグネシウムを焚きました。瞬間的に凄い光が出るのです。そうした瞬間的な光であったはずです。
              一方、霊界には霊界の太陽が輝いています。この霊界の光は持続的な光です。どちらがエネルギー的に凄いのでしょうか?。論理的に話しにならないのです。
              私が修業に入った頃、寝ようとすると霊界の太陽が輝いてきて体中から汗が噴きだして来ます。目を開けると間違いなく暗闇です。また目を瞑るとギラギラ太陽です。眠れないは、下着は汗でずくずくです。当時の師匠に聞くと、あなたは神界の入口まで来られました。霊界の太陽を見て、ようやく神の世界にと入れるのですと言われます。
              龍神と呼ばれる存在はエネルギー体で、ある程度の光は使って来ます。光は神霊からのものであっても、そのぬしは誰なのかが問われてしまいます。しかし、そうした存在も光を長く持続させる力はないのです。

              私は霊能者ではないので、その教祖様からは何の光も見えて来ないのです。確かにそんなに低い次元界の方では無くて、その背後にはかなりの霊界パワーを見せる龍神と呼ばれる存在もあるようです。並の方ではなさそうですが、いくらなんでもお釈迦様の再来は無茶すぎます。
              だが、その信徒さん達を見ていると、皆さん、頭に△頭巾で白装束。亡者の道を歩いて行かれる光景が見えて来るのです。皆さん、この教祖さまに導かれて地獄に行かれるのか!。気の毒にと思いました。
              せめてその女性霊能者の方だけには、この教様と心中すれば地獄行きですよと伝えたいと思いましたが、今は狂信で聞く耳はないだろうからと時を待ちました。
              スピの方達は、神は愛だ!。光だ!。と説かれると、その愛を説いている人は頭から素晴らしい人だと信用して思い込む方が多いように見受けられます。ですから、すぐにスピ商売に引っかかる。しかも、自分にある程度の光を見せつけられるとなまじ霊的な能力があるから、それに狂ってしまわれるのです。
              このブログに神は光だで天狗さんを書いていますが、神通力者と呼ばれる方でも天狗さんの光を造化三神の光と間違えられたぐらいですから、霊感者では仕方がないのかも知れません。

              その後、その教祖様はある事件に関わられたのですが、それで自分はイエスと同様とまで思っておられることも解って来ました。大いなる勘違いです。そこに、その教祖様は信徒をどこに導こうとしているのかが見えて来たのですが、何と、火山の火口に溶岩が煮えたぎった中です。火山の火口を地獄のお釜とは言いますので、そうした地獄界の意味なのでしょう。
              その女性霊能者の方から電話が来たので、貴女はこのまま行けばどこに行くのか解っているのですかと聞いたところ、自分は溶岩が煮えたぎった火口の山頂に居ます。このまま行けば自分はその火口の中です。教祖様は自分は地獄界に墜ちるであろう。その時は信者もろとも地獄に連れて行くと言われています。でも、自分はそれには着いていかない。信徒の皆さんを何とか火口の山頂で引き止めますと言われます。そこは霊能者の方なので、そうした光景が見えておられたようです。

              しかし、この教祖様もどうかと思います。自分は地獄界に墜ちるだろうと解っていながら、その信徒を道連れにせずとも、自分だけ行けばいいことです。信徒も地獄界に連れて行って、その世界で信徒からお釈迦様の再来と言われたいのでしょうか?。
              さほど悪い方ではないのですが、宗教家としては道を間違われたわけです。それ以前に自称釈尊のオーム真理教の麻原という見本があったのですから、その轍を踏むべきではなかったのです。
              また、自分は地獄に墜ちると言うのであれば、サッサッと教祖を辞めて一介の者として組織も解体すれば、地獄行きも消える可能性があります。そうすれば、その信徒さんも巻き込む必要がなくなるのです。だが、ほとんどの場合自分が間違っていたと気づいても、なまじ教祖様と崇められていると引くに引けなくなってしまうわけです。

              その女性霊能者の方は自分が火口の山頂で皆さんを引き止めると言っても、その教祖様とその女性霊能者では霊界での力が違い過ぎます。教祖がその女性霊能者を離さないから離れられない。離れようとしても、その霊力に引き込まれておられる。さりとて、私は何の力も与えられていない者です。仕方がないので、どなたかあの者を助けてやって下さいと神々にお願いだけしておきました。
              これは弱ったなと思っていましたところ、その教祖様が見えて来ます。?、私に用があるのでは無いようです。その光景を見ていますと、その教祖様に一体の仏教で説くところの神将さんが降りて来られて、その教祖さんを威嚇しながら話し合いに入られたのです。教祖が納得されたようで、その女性霊能者の方を離すと解りました。

              その時、その神将さんが私に向かって、これでいいですかと言われたので、私はありがとうございますと言って頭を下げておきました。私がどなたかお願いしますと言っていたのをその神将さんが叶えて下さったようです。その後、しばらくしてその女性霊能者の方は完全にその教祖様と縁が切れたようです。

              これは霊界見聞者の私が体験した一つの事例に過ぎませんが、大本教の出口王仁三郎聖師が言われたその内容は、本当のことなのだろうと思っています。
               

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              魂は不滅では無くて、腐りも潰れるも捻れるもある

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                よく、【魂は不滅だ!】そうしたことが言われています。本当にそうなのでしょうか?。
                現実には魂は腐ったり、潰れたり、捻れたりで「輪廻転生」の道から外れて破砕されている魂が見受けられます。

                そうした証拠として解り易いのが悪魔的な現世御利益すら叶えてくれるとされる【ダキニ天】信仰の話です。ダキニ天は毘盧遮那仏から腐った魂だけを食べたらどうかと言われて、腐った魂を食すると言われています。私ならば、腐った魂など美味しくもないだろうと思うのですが。
                その反面、ダキニ天信仰であっても死ぬ半年前に正しい信仰に戻れば、その魂はまずいのでダキニ天はその魂を食さないと言われています。
                私は最初の師匠にダキニ天とは何ですかと尋ねたところ、いずれ解る時が来ると言って教えて貰えませんでした。その師匠にもう聞くことが出来なくなった時、たまたま師匠の御祭神であった豊受様が出て来られたので、ダキニ天とは何ですかと聞いたら、こんな顔のことじゃと言われてビックリしたことがあります。だが、それで「魂」とは何ぞやが理解も出来たわけです。
                つまり、正しい信仰をしている者は救われるが、正しく無い信仰をしている者は救われないの意味につながるのです。表を見て語るのと裏を知って語るのでは話も180度変わってきます。

                スピの多くの方達は何かにつけて神は愛で何をしても許されるの一点張りですが、慈悲で説かれる仏でもある毘盧遮那仏が、腐った魂の者達を助けるのではなくて、その魂を食べてもいいですよと言っておられることになります。すると、神は愛だから何をしても許されるという論理は破綻していることになります。
                実際に魂を腐らせたり潰したりねじ曲げてしまえば、神の愛で許されて来世も人として出るなどは絵に描いた餅を説いているようなものなのです。

                では、いったいどの程度の割合の方が魂を腐らせたり潰したりで、次ぎに人としての来世を貰っていないのかとなりますと、これは定かではありません。
                どこまでも自称の方ですが、自分はミカエルの友達で霊界に帰れば次期天使長でサイキッカーで、今の世では人として出て光の剣で魔界を倒していると言う方の説では、来世にも生きられる魂は20数%だと言っておられましたが、こうした精神世界、誰が本当の説を言っているのかさっぱり解らない世界でもあるのです。
                いくらなんでも70%以上の方の魂が腐ったり潰れたり捻れたりで破砕されているとは思えません。
                だが、スピ系の方でも魂が腐ったり潰れて破砕されていることを解っておられる方もあるということです。同じスピ系でも魂のことがまるで解っていない方は、神の愛で何をしても許されるのだと魂を腐らせたり潰れたり捻れたりで破砕される方向に教えをもって行かれるわけです。

                私は2番目の師匠の元に居る時、お前の魂には傷がある。修復してやろう。これがお前の魂だからよく見なさいとその手に載る玉を見たことがあります。とても美しい瑠璃玉でしたが、魂にはくっきりと傷跡がありました。その傷跡を見た時、私のカルマとして残ってる傷跡であることが解りました。
                私は子供の頃からある光景を見ると、とても脅えていました。2番目の師匠にその話をすると、それは私が過去世で神界の戦いでユダヤの悪鬼に殺されている。その時の魂の傷跡だと言っていましたが、確かに私の遠い記憶の中にはそうしたものが存在しています。
                後日、出雲大社教の先生の所に伺いましたところ、あなたはとても美しい瑠璃玉の様な魂を持っておられますねと指摘を受けました。魂が見える方には見えるということなのです。
                私が「魂論」から離れずに説いているのは、魂を離れて説いてもさほど意味がないからなのです。

                一方、捻れたり潰れた魂は破砕されて、粉のようになって宙を舞っているわけです。聖地霊場などではそうした破砕された魂が粉のようになった物が存在して来ます。最初、それが解らない時はキラキラした粉が舞っている光景に自分の目が異常を起こしたのではないかと思われたほどなのです。
                優れた霊能者の方からその存在が何かと教えられて、そうだったのかと知ったことでもあります。そうした粉砕された魂の欠片は二度と人間界に出ることはなく、蚊とかミジンコのような命になると説く方もあります。
                だが、ブログのランキングではそうしたことを知らないような方が、自分を豪語するようなことはかり書いて人気を得ていられます。優秀な霊能者の方は困っている相談者の応対に忙しくて、そうしたブログを書いている暇もないでしょうから、実態を知らない甘い話ばかりが横行しています。

                私は腐った魂や破砕されたカスの様な魂の残骸の他に、魂に点数が出るという不思議な事柄に遭遇しました。でも自分一人だけが見たでは話にならないと思っていましたが、他にも魂に点数が出るのを見たという方もありまして、そうした見え方もあるのかなと思ってはいるのです。
                霊界は通常七層と言われています。天国三層に地獄三層。それに中有界です。スエーデンボルグの霊界記が主体なのでしょうが、大本教の出口王仁三郎聖師は、さらにその上の天国界があると述べておられます。私が見る限り、魂に出る点数は自分が死後に渡る霊界の階層点になっているのではないかと考えられます。
                天国四層に地獄が三層。中有界そのものも緩い三層で合計十層に対比する点数が出ているのではないかが私個人の独断説です。別に私は神様に聞いて述べているわけではありません。ただ、仕組みを見て言っているのです。
                本当に人間的にも人柄的にも申し分ない方の魂には高い数字が出て来て、その点数を私独自の霊階層の点数に当てると、第2天国界に渡る方だと納得することもあります。

                大本教の出口王仁三郎師はみろくの世に入る「水晶魂」を説かれました。何故、そのような玉が説かれたのでしょうか?。
                今の私達が持っている魂は永遠性がなく、魂を腐らせたり潰せばその時点で終わってしまいます。つまり、そうした魂には「来世」が生じないのです。
                みろくの世とは「永遠性」の世界です。その世界に入るには魂が腐らない。潰れないことが必須要件となります。水晶であれは、魂は腐らないし、よほどのことでも潰れないからです。汚れたら拭けばいいわけです。
                ある神通力者さんは、水晶玉など重くて持てないと言われましたが、現実界の水晶玉の重さと同じだと物質界の観念で考えるからです。私が持っている瑠璃玉の様な色の魂を見られた方は、表面が透明ガラスの様に見えると言われていましたが、魂が磨かれていることから表面が透明ガラスの様に見えているのです。
                魂とは「玉思惟」なのですが、「自己の意志」であり、石の様な「宝玉」の様にも見えるものなのです。

                その魂を腐らせる。捻れる。潰れるは「悪行」とは別なのです。いくら悪行を積んでいる人でも、その魂は汚れから黒く見えていても魂が腐ったり捻れたり潰れたりではないのです。汚れの黒い玉でも丸い玉の方も居られます。
                そうした一人は性格は実に温和なのですが、している行為が悪的な汚れを出しておられるのです。ですから、そうした事実を知らない人は、その人を善人だと言われます。だが、魂には隠せないわけです。
                神は別に罰しておられないので、邪神と呼ばれる存在も魂を腐らせたり捻れさせたり潰していなければ、存在して来るのです。
                魂の汚れからくるものは、悔い改めて魂を洗えば綺麗になるのです。私は若い時に修行不足から龍神浄化に失敗しましたが、その後は神霊浄化もして来ました。すると、立派な神様達に戻られるのです。悪神でも元に戻れるのです。
                その浄化がどれほど苦しいものか?。浄化能力を持った霊媒質の方ならば解るでしょう。

                何が魂を腐らせるのか?。それが大本教が説いた「我れよし」にあるのです。悪も許せというのは、どんな悪党も悪を犯すのは魂の汚れからであり、魂の洗濯をすれば元に戻れるからです。それは神は愛で何もかも許して下さると言う論理ではないのです。
                だが、魂を腐らせたり潰してしまえば、自力では元には戻れないのです。魂を授けることが出来るのは「鬼が云う」のウシトラ(牛虎)であり、来世門をくぐって行く死者の維新の羅城の主である閻魔大王と言うことになるのです。
                甘いことを囁かれて落ちて行く魂。それに対して、魂を落とさせない為に厳しく云うのが「鬼」なのです。言葉をよく見れば解るでしょう。

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                始発駅は終着駅

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                  始発駅は終着駅と言えば、意味が解っていただけるでしょうか?。

                  スピ系の方達の多くは、一人一人が創造神で、何でも自由に創れるのです。自分が好きなことをしていいのですよと説かれます。そして、この宇宙は一人一人が創造神でその総意で成り立っているのですと。
                  それは、すなわち【創造神】と呼ばれる神等存在していないという創造神否定論になります。
                  そうした時、スピ系の多くの方達は本気で創造神など宗教が創った架空の存在だと思っておられるようです。

                  本当に私達一人一人が創造神なのでしょうか?。
                  で、太陽も地球も月も創れるのでしょうか?。

                  確かに、一部の霊界見聞ですが地球に関わっている神霊世界に在籍しておられる神々の言われることを聞いていましても、神々ですら「創造神」などの存在を知らないと言われる神々が居られます。そうなりますと、創造神など存在していないという意見は現実的な意見ではあるでしょう。
                  では、スピ系の多くの方達が言われる一人一人が創造神なのですかとお尋ねしたら、どなたも自分は太陽も月も地球も創れるなどと豪語されるような御神霊は一柱も存在しないでしょう。
                  なのに、スピ系の多くの方達は、一人一人が創造神で何でも創れるのですと言われる根拠は無茶苦茶な論理だと解ります。

                  日本では日本書紀では最初に現れた神を「国常立尊」とします。古事記では「天之御中主」とします。日本書紀を採るか古事記を採るかで、その立ち位置は変わりますが、大本教霊界物語では大国常立尊が天地を分けられて、天の主宰神として自分の半分を天之御中主として、自分は地の神界の主宰神に降りられたとします。
                  つまり天で「天之御中主」。地で「国常立尊」と名は変わるけれども同一の神ですよという意味です。

                  稲荷神界と言いますと、日本独特の信仰ですが、この稲荷大神秘文にはあることが書かれています。
                  【夫神(それかみ)は唯一にして、御形(みかた)なし。虚(きょ)にして、霊あり。天地(あめつち)開闢(ひらけて)このかた、国常立尊(くにとこたちのみこと)を拝(はい)し奉(まつ)れば、天(あめ)に次玉(つくたま)。地(つち)に次玉(つくたま)。人に次玉(やどるたま)】と説いています。
                  これはいったい何を言っているのかと言いますと、神はたった一柱の唯一で、天地を開かれて国常立尊と拝して奉ることで天の玉、地の玉が出来て、そして人にも玉(魂)として宿られましたという意味なのです。
                  私達一人一人の魂の中には、その「国常立尊」が宿っていますと言ってはいるのですが、それを持って一人一人が創造神だ!。何でも自由に創れるのだ!。そんな論理ではないのです。

                  それは、大本教と言う宗教が起きた時、ウトシラ金神国常立尊の名が出て来ました。このウシトラは【艮】の漢字を使いますが、意味することは【根元】神なのです。根の漢字には「艮」があるでしょう。そして、この神は私達人類の上には臨んではおられないのです。それは【退くの退】の漢字は、艮の道だからです。これを大本教は退いている神として説いたのです。
                  大本教神諭には、艮だけではなくて【牛虎】もあると書きました。この牛虎とは牛頭の虎パンツを【鬼】と言います。この意味が大本教の出口王仁三郎聖師に喜三郎ではなくて「鬼」三郎と名乗れと言われた意味なのです。
                  そうしないと皆さんの魂に宿る「国常立尊」が解らなくなるからです。私は何度も何度もイヤと言うほど書きましたが魂は【鬼が云う】だからです。それは魂の真ん中の核としてありますので〇の中に核を入れて、円の中の真である【円真】からエンマに漢字を振りまして「閻魔大王」とも言うわけです。
                  大本教神諭、この世の閻魔大王として現れる。私達の魂の中のエンマは、【良】心神と言うのです。「良」の字は艮の字の頂部に角が生えていますか?。
                  何をしてもいいのです。そんな論理で進んだら、行く先はエンマの捌きに遭ってしまうのです。

                  聖書には始めにして終わりの神とあります。それは始発の神であり、終着の神でもあるのです。それは【元】に帰ることなのです。
                  国常立尊様が宇宙の元に帰られる時を【完】と言います。大本教霊界物語では「臣が君となり、君が臣となる。」があります。これは国常立尊様が臣から君となられ、天之御中主様が君から臣となられる。すなわち「天地のひっくり返し」と言います。

                  一人一人が創造神で何でも出来るのですと言われて、本気で居るとすればよほどおめでたい人です。
                  聖書には、始めに言葉は神と共にあったとあります。言葉は仕組みの上に仕組んであります。それを私達に知らせてくれたのは大本教と言う宗教です。ウシトラ金神国常立尊。その言葉だけでも私達にいろんなことを教えてくれているのです。

                  大本教神諭に「根元を枯らして何とする」がありますが、今は枝葉で繁っている霊達が主などは存在しないと言っているのであって、根元を見ていないのです。ですから、枝葉の霊が一人が一人が創造神なのですと、わけがわからぬ論理が蔓延ってしまうのです。

                  このブログの前の方で出した絵ですが、絵を見て考えてください。創造神など存在しないと言っているのは枝葉の神達なのです。





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                  以前に出しました宇宙神紋の回答ご意見に関しまして

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                    以前、このブログにおきまして、三つの紋を出しまして、この紋の意味がお解りになる方がありましたら教えていただけませんかとお願いしましたところ、幾人かの神通力者さんや霊能者の方から返事がまいりました。その節はありがとうございました。

                    その中で、今の私が掲げております紋が既に霊的世界で動いているとの内容を複数の方からいただきました。自分でもこのマークを出す時、これは少し時期が早くて二枚目を先に掲げるべきではないかと躊躇しましたが、ままよと出したしだいです。


                    私にとって意外なことは、下記の神紋の棒が蛇霊を突いているとの内容です。私自身、この神紋を受け取った時に感じたことは、二つの意味でした。その一つが、これは仏教で使用する錫杖に似た働きで、悪蛇霊を突く棒の意味ではないかと感じていました。
                    さりとて、錫杖の様に棒の頂部に◇◇の金具を付けて、こうした物を創ればいいのかとなりますと、創ればよいのかどうかは解りかねるしだいです。
                    その時、私は「ミカエルの剣」とは、絵画に描かれるミカエルが持っている剣のような剣のことではなく、この神紋の意味ではないのかと感じていたしだいです。
                    モウ一つの意味は、棒そのものが天之御中主様の意味ではないかです。

                    メールを送って下さった方達からは二枚目の◇◇の組合せのものは大変良い宇宙の波動を感じられると言われます。また、自己の内在エネルギーを高めるとの意見もありました。どなたも、これは良い波動と言われます。皆さんの意見からすると、二枚目を掲げるべきでした。
                    私自身はかなりの波動音痴でして、霊能者霊感者の方が波動を感じると言われる物体にいくら手を触れても感じないほどの者です。しかし、逆に霊的な存在に無数に懸かられてもどうということもない要素にもなるわけです。
                    二枚目は造化神たる陰陽の力が動くことを告げるものなのです。ですから、波動を感じるは正解になります。

                    そうしたなかで、この◇◇を組み合わせた紋は【新潟県糸魚川の天津神社境内の天王社の戸板の紋】に相似しているとメールをいただきました。私はその神社に行ったことはありませんが、「天王社」という意味ならば合点がいきます。

                    そうした中で、私が出しました最初の紋は、どなたからもこれではエネルギーが固定されてしまい動かないことを暗示してるので良くないとか、中にはユダヤの意味とのご意見も賜りました。
                    確かに、エネルギーが固定されて動かない意味なのです。

                    だが、この三枚の意味は、一枚目は宇宙のエネルギーが固定されていて動かないと言うことは世を「安定」させている意味です。今日までは「安定」なのです。
                    二枚目は、そのエネルギーが安定から離れて回転始める暗示です。そして左右に分離するを霊的に受けられた方もあるようですが、二つに別れることです。
                    三枚目は天主たる天之御中主様が出られる意味合いです。ただ、その時には悪蛇霊を突く映像が私には見えていなかったようです。




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