艮の「待つ」の「松の世」が見えて来たのか?。総ては「公の心」

0
    少し前、夢を見ていました。その夢とは単に女優の「松原智恵子」さんの顔が見えて来ただけです。日活映画が華やかなりし頃、ブロマイドの売れ行きでは吉永小百合さんを越えていたアイドル女優さんでした。最近は脇役でたまに見かけます。
    夢を見ていた私の意識は、松原智恵子さんに?をしていました。すると、場面が変わって「三保の松原と富士山」が見える光景です。すると、この夢は私に「松原」を教えていると解りますが、松原の知恵?。その時はそれ以上に考えが及びませんでした。

    その次の夜、今度は私の夢の中に元巨人軍で背番号「55」をつけていて、ヤンキースに行った「松井秀喜」さんの顔が見えて来ます。私はまたもや夢の中で「松井秀喜」さんに首を捻っていました。すると、次ぎに見えて来たのは日本維新の会の幹事長で大阪府知事の「松井一郎」さんの顔が見えて来ます。
    松井秀喜さんと松井一郎さん。この二人の共通点は「松井」姓です。そして前日の松原智恵子さんで、共通して来るのは「松」の字だと解りました。

    私が子供の頃に臨んだ姿なき声は、私に不思議な教えをしました。海岸に風雪に耐えた松の大樹が並んでいる。その松原の松の枝振りを見た人達は、風雪に耐えた松の樹の曲がりや松の木肌の荒々しさを誉めるであろう。だが、その「松の根」を見ようとする者はいない
    たとえ、それがそなた一人だけであってもかまわない。そなたはその「松の根」を見る者となって欲しい。私は子供心に「松の根」とは何の意味かと考えていました。しかし、その当時は解りませんでした。そこにあるのは「松原」を知る「知恵」なのです。

    大本教神諭に「末」から「松の世」で治めるがあります。多くの大本教研究者はその松には「末(まつ)」の意味があると考えました。末(すえ)と読むと先行きしませんが、同じ「マツ」です。また、そこには神は時節を「待つ」の言葉も掛けてあると言われる方もあります。
    少し脱線しますが、松は祝詞などに「松の緑の変わることなく常盤堅盤」などとありますが、常盤堅盤では岩盤を意味しますので、本来の祝詞は松の緑色を語っていますので常葉堅葉の漢字を振るのが本筋なのです。その松に隠されている意味の一つに「緑」色が存在します。何故に「松」は緑なのか?。それが解らなければ神の仕組みも理解しがたいかも知れません。

    そこに来るのは、何故に「みろくの世」と予告された世は、永遠に変わらない「松」の世で表現されたかです。みろくの世で調べれば解る意味の一つに「身禄」があります。自己の身に「禄」をつけることです。
    今回、日本の象徴である富士山が世界文化遺産に登録されましたが、富士山と言えば「富士講」です。この富士講を江戸時代に広めた方が「身禄」さんです。大本教発祥以前の「世直し」思想の先駆者です。
    身禄の名の前に食行とつけて「食行身禄」さんとも言います。当然に「身禄」の意味は、お釈迦様の死後56億7千万年後に現れるとされる「弥勒菩薩」から取った名です。弥勒を身禄にするは大本教以前にもなされているのです。当時の身禄さんは「救世主」とも思われた修験の方です。

    大本教神諭は「末」から「松の世」を説いています。大本教は明治「五十五」年の世の立替を宣伝しました。しかし、その時には何も起きませんでした。松井秀喜さんは巨人軍での背番号は「55」でした。そして大本教が説いた世の立替とは当然に「維新」のことです。
    背番号55の松井秀喜さんも維新の会の松井一郎さんもある意味で一種の「言葉の型」を演じておられます。こうしたことは、神から「指名」された「氏名」を持つ者が神の「使命」を言葉の型として演じるなのです。
    大本教霊界物語には大本教信徒の方の「氏名」をかなり散らばめてあります。その氏名から意味を読み取りなさいです。しかし、大本教出口王仁三郎聖師はそのことを持ってして、自分と同じ苗字が書かれてあるからと言って、自分が神界の御用をしていると間違ってはいけないとも注意されています。つまり、人の氏名を持って、その人が働いている仕事(使命)などで、神の仕組みが解る様に仕掛けられているわけです。
    既存の神社仏閣に祭られているのが神霊が神だと思っている方は、「言霊神」の存在はまずお解りにならないと思います。宇宙の初発に創造神と共にあった存在なのです。

    大本教神諭で示された松(枩)」が持つに隠された意味は「公」の字なのです。
    「公」の意味は、自分個人のことではなくて、国家・社会などに関することを皆で共にすることです。それで公平・公正の世が成り立つので「みろくの世」とも言うのです。
    今の世は「私」ばかりが先に立ち、「公」が無視されています。ですから、何をやってもいいのだと「我れさえよければの我れよしの世」となって来たのです。

    また、それは単に私とか個人に帰する「公」ではなくて、「総」はすべて(全て)において「公の心」であらねばならないということなのです。誰も「総」の字を見ても、どうして「公の心」となっているのか気づかなかったわけです。

    私が人に内在する良心神を「米」で説いて来たのは「悉く(米の心)」からであって、やはり「心」の字が秘めてあるのです。心が解らなければ魂は解りません。

    大本教の出口王仁三郎聖師さんが、漢字に秘められた言葉の型を教えられてから、単に漢字を分解して説いている方を見かけますが、全ての漢字に神の意志が働いているのではないのです。それに引っ掛かると、要らぬ寄り道をするだけです。
    そうした方は「窓」の意味も理解するには難しいことになります。窓の字も「公の心」が入れてあるのです。
    宇宙は公の心。ですから、宇志採羅(宇宙の意志は羅を採る)根真として、羅で輪廻転生も起こして来たのです。

    立替は大本教によって、一早くにから(1892年)から予告されて来たことですが、それが起きるのは、大本教神諭「神も時節には叶わない」であって、大本教神諭「末で世界の宗教は一つに統一される」で、その「末」を「待つ」が必要であったわけです。ただこの「末で世界の宗教が一つに統一される」は、現実世界のことではなくて、まずは神霊世界においのことなのです。

    大本教が予告した世の大立替とは、私が霊界修行のお世話になった豊受姫は立替は間違いなく起きるが、この神をもってしてもその時期は解らないと言われました。時期が解らないことを述べても意味が無いと言えば、確かにそれはその通りです。しかし、豊受の神はその時期は私が生きている間には必ず起きるだろうと告げられました。
    世の立替とは命の源である魂の破滅ではなくて、魂が入る霊界は横社会ではなくて縦社会であり、私達の魂が輪廻転生を繰り返して来たのはよりよい霊界に進む為のものでもあったからです。その縦社会の最終位置決めと言えるでしょう。
    その霊界が「横の社会」だと誤ったならば、何をしても赦すのが神の愛だと、魂は自己の反省心を失って向上をしなくなるのです。

    その「松」の意味する夢の数日後、私の夢の中に一人の修験者霊が現れて、来年、私の身にあることが起きると言います。それは、三十数年前に伏見稲荷山の長者社の御祭神である「御劔」大神が私に告げられた私個人に関する内容で、私個人の「壽」に関係することです。
    しかし、個人的な話であってもそれが本当に起きるとすれば、そこに「神界統一」が起きなければ不可能な話ではあるのです。私は御劔大神からそのことを告げられた時、それはあり得ない。不可能なことだと判断しました。
    神界統一など、神界で最後の決戦をしない限り起きえません。それが起きるとすれば創造神と呼ばれるほどの神の発動が起きない限り、いくら正神だ邪神だと戦っていても最終決着がつく話ではないからです。

    私の夢の中で現れた修験者霊はさらに言います。貴方の周囲を取り囲んでいた邪神達の多くは掃除されて、残すのはあと少しばかりの邪神ですと。それが本当ならば、神界で神界統一の為の作戦が決行されているとも思われます。確かに、私の周囲は霊的に静かになって来ているとは感じるのですが、こうした霊の言う言葉はどこまで信用おけるのか解らないが本当なのです。まして、この修験者姿の霊は自分が何者とも名乗らなかったので解りませんが、富士講の創始者とされる「身禄」さんだったのかも知れません。
    数年前、私の最初の師匠に出会った時、その師匠は貴方の周囲は邪神達が遠巻きに七重八重に取り囲んでおり、貴方は世に出ようとすれば邪神達から総攻撃を受けます。おとなしくしていれば邪神達に総攻撃されないから、静かにしていることですと忠告を受けました。私も時節待ちの一人であったのかも知れません。

    神の仕組みも時節が来なければ「花」は咲かないのです。大本教神諭には「おいでおいでをしなくても時節はやってくる」とありますが、ようやく「松・末(まつ)」の時節が訪れようとしているのかも知れません。



    信州の松本城は、五層に見えても実は「六」層。
    公は「禄」を積む。


    写真は国宝「松本城」。富士山からス神ではなくて「諏訪のス(諏)を訪れて」松本にと走ってみました。


    精神世界

    にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
    にほんブログ村


    この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。



    綾部に帰りたいと言われた豊受姫 考察

    0
      私は昭和五十六年の正月に初めて伏見稲荷山に上がりました。その翌年の正月だったでしょうか、伏見稲荷大社・豊受姫が私に不思議な言葉を告げられたのです。「綾部は神の聖都であり、綾部に帰りたい。綾部に帰りたい」。
      それを聞いた私は、大本教の出口王仁三郎聖師が【綾部に天の御三体の神様を迎える場所が出来たならば、綾部は神の聖都】と予告されていたので、聖都であるが解らないわけではありません。問題は天の御三体の神様を祭る場所です。
      しかし、神様は別に鎖に縛られているわけでもないのですから、帰りたければ勝手に帰ればいいことなのに、おかしなことを言われると聞いていました。それに綾部の八幡宮には豊受姫と御劔大神を祭った稲荷社が存在します。綾部に帰りたいの意味がさっぱり解りませんでした。

      ところが、私の叔父が不思議なことを言います。豊受様は本当は綾部から出られた神だ。何とか自分の目の黒いうちにその証拠を掴みたいです。その叔父も確たる証拠を掴むこともなく帰幽いたしました。

      豊受姫伝説は丹後風土記に「昔、比治の山の山頂に真奈井(まない)という美しい池があり、8人の天女が水浴びをしていた。そこに通りかかった老夫婦が1人の天女の衣を隠してしまい、天に帰れなくしてしまった。そこでその天女は老夫婦の子となって酒造りなどをした。それで豊かになったところで、その老夫婦は天女を追い出した。その天女は泣き泣き奈具の村(弥栄町)に行き、奈具村を住処とした」。
      ところが、比治山峠は存在するのですが比治山そのものが存在しません。比治山峠から考えて比治山は久次岳のことではないかと推察されるわけです。その久次岳の麓の里である久次村で豊受姫を祭ってあるのが現在は京丹後市峰山町の久次にあります比沼麻奈為神社で、最初の「元伊勢」神社だと言われています。しかし、この麻奈為(真名井)神社は伊勢神宮の様に天照大神を祭った神社ではなくて、豊受姫単独から始まるわけです。
      もう一つに、同じ京丹後市にあります旧大宮町の磯子山に舞い降りた天女伝説もあり、久次岳の麓の久次村は豊受姫様であり、磯子山の方は同じ天女でも「乙女」様となっていますので少し違いはあります。大宮町説は丹後風土記に書かれた比治の山を磯子山のことだと見るわけです。
      私自身、伏見稲荷講に所属して、豊受様は幾度となく拝顔はしていたのですが、その中で「乙姫」姿が存在しました。無論、豊受姫様は天女さんだと言われているのですから、乙姫の様に見えても不思議ではないのですが、どうも龍宮の乙姫さんが引っ掛かるのです。
      数年前に伏見稲荷山の豊受姫の滝と言われる清明滝で写真を撮った時、その写真を見た一人の霊能者が、これはどういうことだ!。ここは太古は海の中で、龍宮につながっている。魚や蛸が居ると言うのです。太古の時代にはそうであったのかも知れません。

      その久次岳と磯子山は非常に近く、峰山から比治山峠に向かう途中で左に折れると磯子山なのですが、その中間にある五箇村鱒留神社も豊受社となっていて、本家争いが生じています。しかし、久次岳も磯子山も同じ比治山系とするのは、かなりおかしな話ではあるのです。

      写真は京丹後市峰山町久次にあります比沼麻奈為神社。最初の元伊勢などとも呼称されています。


      その社殿。


      この神社は一部の方に非常に強いパワースポットとして知られていますが、交通の便はよくありません。駐車場も数台しか止めれません。

      私も叔父と同様に豊受姫伝説を追っていまして、おかしなことに気づきました。それは「豊国姫」様の存在です。豊国姫とは、大本教が世に広めたウトシラ金神国常立尊様の妻神とされる坤(ヒツジサル)金神のことです。しかし、豊国姫が祭られている神社となると、見かけないが実態です。
      私は霊能者とは言えるような者ではありませんが、希に少しだけ霊的な存在が見えることがあります。その私のつたない霊能力の範疇でも豊受姫と豊国姫は別の存在として捉えることが出来るのですが、時にラインとして重なり合って来るのです。それは豊受姫として祭られている神社で豊国姫様を見る時があるからです。

      そうした私の疑問が数日前に少しだけ解明しました。それは大本教出口王仁三郎聖師が語られた内容を記したブログからです。その内容は私の記憶の中では大本教霊界物語の中には存在していなかったので、私も解らなかったようです。
      それを記したブログの場所を記録に残していなかったので再検索でそのブログにはたどり着けませんでしたが、豊受姫が降臨された場所は綾部の本宮山(現在は大本教の聖地で立ち入り禁止)で、豊受姫が綾部から伊勢に遷座された後に、それに関する文献が峰山の久次の比沼麻奈為神社に移されたことで、その地が豊受姫降臨地と言われるようになった。比治山の磐座に神託を降ろされたのは豊国姫で、磯子山は豊受姫とあったようにうろ覚えをしています。
      そこで更に検索していましたところ、別のブログに大本教初期の神霊界に書かれた【比沼真奈井神社の所在地は、太古は綾部の本宮山であった。そして天真奈井川原と云うのは、現今の和知川原の事である。丹波国丹波郡丹波村は現今の綾部の聖地である。中世、丹後国中郡久次村の真奈為が嶽の麓に、神社の旧蹟を移遷したと云う伝説が古来行なわれていったのである。】そうした記述が存在しました。

      大本教の出口王仁三郎聖師さんの説が絶対的に正しいのかどうかは難しいのですが、それならば私が豊受様から聞かされた「綾部に帰りたい」の意味は解ります。また豊受姫を祭神としている丹後の神社の中には豊国姫が出て来られる不思議も納得出来る面があります。
      ただ、これを突き止めるとなると、イザナミ尊と豊受姫との関係。イザナミ尊と豊国姫との関係。これらを立証しなければならない難しい話になります。

      なお、大本教が聖地とする本宮山と言うのは、この土地が平重盛が所領した土地で、その風景があまりにも紀州熊野に似ていたことから、平重盛が紀州熊野を型として本宮とか新宮とか那智山という地名を付けたとされています。

      本宮山は明治まで綾部の殿様であった紀州熊野の宇志採羅(ウシトラ)根真を祭る九鬼神道の九鬼家(紀州の熊野本宮別当家でもある)の城内地であり、大本教が跡地を買い取った後、大本教弾圧事件で政府に没収されて、その地に綾部小学校が造られて、私が子供の頃は小学校の裏山である本宮山に行き自由に遊び回っていましたが、綾部小学校の老朽化でその横の土地に移ったことから、土地は大本教に返還されて、大本教がその土地に平成新神殿を造るに当たって本宮山を立ち入り禁止にしてしまいました。
      それでは、豊受姫様は綾部の本宮山に帰りたいと言われても帰れないわけです。本宮山を立ち入り禁止にしてしまうと、神もそこに祭られる意味を失います。しかしそれは一介の私が口にすることではなくて、神自身がどうにかされる問題です。

      下記の写真は大本教が発祥した綾部で平成に造営された神殿群。その背後の小高い山が本宮山。手前に見えている建物等は戦前は国の蚕業試験場で、現在は近畿中国四国農業研究センターの一拠点。



      だが、私が数年前に見せられたある光景はもっと不思議な光景で、何時の時代かは解りかねますが宇宙からある存在が岡山県倉敷市連島(大平山)近辺に降臨して、そこから一気に綾部本宮山に移っているのです。
      その存在が如何なる神なのかは解りませんが、倉敷市連島の当たりは水島コンビナートや亀島の地名でも解る様に、近世までは海の中にあった連なった島だったとされています。奈良時代は「都羅之郷」と言われており、連島の大平山にあります篦取神社に行きますと、海神や豊玉姫を祭神としていて、連島が龍宮とかなり関係していると解ります。

      大本教では「日之出神(太陽神)」と「龍宮の乙姫」殿の夫婦の揃い踏みと宣伝しましたが、私は大本教の出口王仁三郎聖師の亀岡は、もしかすると亀違いではなかったのかと推察しています。どこまでも私の個人的見解ですが。

      問題は、私達人類がほとんど知ることのない太古の神達が、今はどこでどうしているのかなのです。
      この太古の神々に関して、豊受姫は「人間が知る問題ではない。神の世界の問題であると言われます」。

      神が語られないことは、私達人類が知るは容易なことではありません。
      しかし、大本教の神芝居の中に、そうしたことを解き明かしてくれるのではないかと考えるのです。


      精神世界

      にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
      にほんブログ村


      この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。

      薩摩富士、耳に米を載せる開聞は神の声が響く意味なのか?

      0
        私が霊界修行に入って間もない頃、大本教霊界物語にあります「丸に十字は弥勒の神の御紋章の定めなる」を考えていて、普通に考えれば○に十字は「薩摩」紋だろう。何故に薩摩紋が弥勒の神の御紋章に当たるのかと首を傾げていましたところ、ある光景が見えて来ました。それは薩摩の「開聞岳」です。別名薩摩富士。


        その時に私が受けた言葉の疑問は、どうして門に耳の「聞」の字があるのかです。カイモンを考えれば通常は「開門」の漢字が使われるかと思います。開門であれば「門を開く」であり、神の国とか天国を開門させるにもつながります。
        この薩摩開聞岳の開聞には「海門」の意味があるとも言われています。海を開く門です。そして開聞岳の側の池田湖には龍神伝説が存在します。だとすれば富士と龍宮(鳴門)を意味する地にも当てることが可能となります。
        なのに、どうして聞こえて来るの「開聞」なのかです。

        この「聞」の字には古字が存在します。

        「𥹢」

        です。
        第4水準漢字なのでウインドウズXPだと文字化けするかも知れません。「ブン」と発音します。この漢字は調べても解説書はないようです。たぶん「米」の字は「八方」から聞こえて来る意味ではないかと思われます。
        私は言葉の仕組みとして「米」教を説いて来ました。ここから来るのは人に内在する良心神の「ラ」神論です。それに対して大本教の出口王仁三郎聖師さんは、十三の「ス」神論を説かれました。ス神論だと「薩摩芋」の教えになってしまいます。


        PCが漢字化けされた方は、「耳」の字の上に「米」の字が載っている文字と覚えてください。

        私が言霊の師匠の元で修業している頃、その言霊の師匠が霊媒を通して霊に質問していると霊の方も受け答えをして来ます。ところが私に代わって私が詰問すると霊が言葉を発しなくなります。その理由を霊媒者に問いただしたところ、私が霊に詰問すると霊の頭上に大音声が鳴り響いて、まるで天から降って来る様なその声に殺されるかと霊達が恐れおののいて黙ってしまいます。貴方は霊に対して強く出ないでくださいと注意を受けてしまいました。
        私自身、昭和五十五年。私の目は開いているにも関わらず何も見えない真っ暗闇に叩き込まれて、地獄の底から湧いて来ると思われる様な恐ろしい声を聞きました。真っ暗闇に落とされた恐ろしさよりも、声が持つ恐ろしさがどれほど恐怖かを体験している一人です。

        数年前、自宅の神前で拝していましたところ、ある霊的な事物が見えて来たかと思うと、その霊的事物の存在が私の口の中に飛び込んだのです。すると、間もなくして私の左耳の聴覚が無くなってしまいました。左耳は何も聞こえない。
        まずいことに5月のゴールデンウイークに入った時で、ここ一週間ほどは田舎町の耳鼻科はお休み。とりあえず補聴器でもと補聴器店で見て貰ったら、やはり左耳は聞こえていません。売られている補聴器はドイツ製で高価な代物。ここで何十万円も出してもと思い、そのままに帰宅しました。
        突然、私に閃いてきたことは、これは大江の元伊勢の天の岩戸神社に参りに行けばよくなるでした。そこで大江の元伊勢に走り、天の岩戸神社の拝所に鎖で上がり、祝詞を奏上しても変化無し。おかしいなと思って、もう一度祝詞を奏上に入ったならば、左の耳にボーンと空気が入って鼓膜が動いたかと思うと耳が聞こえて来ます。その時に私の目に見えていたのは龍神でした。
        左耳の聴力は半分程度は回復したようですが、そこから進みません。すると今度は伏見稲荷山の下社に参拝すれば回復すると閃いて、下社に参拝して祝詞を奏上すると同じく左耳にボーンと空気が走り、無事に元の聴力に戻ったしだいです。

        私が修行に入った頃は、よく「天の岩戸」開けが語られていました。伊勢神宮から伊雑の宮に行く時、伊雑の宮の少し手前に「天の岩戸」神社と呼ばれる名所旧跡に当たるのでしょうか?。そうしたものがあります。ついでだからとその場所を見に行きまして、これならば大江(現在は福知山市大江町)の元伊勢にあります天の岩戸神社の方が遙かにいいなと思いました。

        大江の元伊勢の天の岩戸神社と呼ばれている社。鎖で上がります。



        この天の岩戸神社は・日室山とか岩戸山と呼ばれる山の下にあります。夏至の日にはこの岩戸山の頂上に太陽が沈みます。 この日室山・岩戸山はピラミッド状の山で貴重な植物が自生していることから京都府歴史的自然環境保全地域に指定されていて、立ち入り禁止です。この山が御神体で、奉拝所と呼ばれる場所からです。



        岩戸神社の下の宮川(五十鈴川)。この少し先が産釜・産盥(さんだらい)と呼ばれていて、大本教開祖出口なおさんや出口王仁三郎聖師さんはそこの水を汲んで、水の御用をされています。



        この天の岩戸神社には大きな岩がゴロゴロあり、それらの岩に名が付けられているのですが、天の岩戸と呼ばれる岩がありません。 この天の岩戸神社の由来書は天照大御神が石の上に天下ってお生まれになったで、岩穴にお隠れになったの記述がないわけです。しかし、天の岩戸神社の御祭神そのものは手力雄命なのです。



        天の岩戸神社と称するならば岩戸がなければなりません。以前に私に大江の元伊勢から参って来る様にと霊声で言われて飛んで行ったところ、内宮では誰も出て来られず、此所に来て御神霊から天の岩戸とはどれか解るかと聞かれて、霊的に考えて、この岩のことですかと言った岩がこの岩。この岩の向こうに洞窟があって、それを蓋した様に霊的に見ようと思えば見えなくもないわけです。
        しかし、こんなものを持って天の岩戸開けなどと言うのではありませんよと、その時に並んでおられた神々には申し上げておきました。天の岩戸開けとは、宇宙規模で起きる出来事の予告だからです。 私自身は霊界の太陽を見ています。そうなりますと、天の岩戸開けとは別の意味合いで予告されたものだと解るからです。

        耳が聞こえて来ないには「聾」があります。霊的に見ていますと耳に「龍」が載るのです。 それによって聴力が阻害されます。龍が去れば聞こえて来ます。漢字は人間が造ったと思っていると間違えてしまう可能性があります。古代の人達は霊的なものが見えていたのでしょう。

        開聞は、人類の上に神の声を響かせる意味なのでしょうか?

        精神世界

        にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
        にほんブログ村

        この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。

        人の霊子線と星の霊子線に富士山を見る薩摩紋

        0
          人には霊子線と呼ばれる物が存在します。霊世界に関わる人の間で通常知られているのは肉体の頭上に見られる霊子線で、これに関しては大本教霊界物語や日月神示では「たま(霊)の子線」と書かれているようですが、西洋ではシルバー・コードと呼んでいることからスピ系ではシルバー・コードと言っておられる方が多いようです。

          しかし、この線の色はシルバー(銀色)だけとは限りません。ゴールド色も存在していました。たぶん、シルバー色の方が大多数なのだと推察します。このコードを切断すると魂は肉体から離れて行くことは知られています。一部に神霊に祟られて肉体の命を終えるという話がありますが、これはこの霊線が切断されることから起きて来ます。その場合の死因は病名では急性心臓発作になるようです。

          私が修行のお世話になった師匠は、稲荷神の御代をされていたのですが、ある時ある相談者に関わる問題でヤクザが社務所に押しかけて来て、こともあろうに神など怖くてヤクザは出来ないと、神前でピストルを振りかざしたそうです。
          この町ではヤクザが銭湯でピストルを発射した事件がありましたが、その当時はかなりヤクザが武装して暴れてはいました。ヤクザ映画が盛んな頃です。そのヤクザは帰宅した後、寝ている間に心臓発作で急逝したのです。その師匠は稲荷神がそのヤクザを霊界に持って行かれたと言います。神の権限において頭上にある霊子線を切断されたのでしょう。
          そうした神前で銃剣を振りかざした為に命を取られたという話は他にも存在しています。

          問題は頭上から出ている霊子線ではなくて、臍から出ている霊子線なのです。それに関してはスピ系の方達からはほとんど何も出て来ません。たぶん、これは知らないスピの人が圧倒的に多いからでしょう。
          私は臍からの霊線を見た時、それに関して記述がないかと探しましたが見つかりません。それだけ知られていないのです。あるサイキッカーの方に問い合わせたところ、その方も臍からの線を見た人は居るには居るがあまりにも数が少なく、詳細が解らないでした。

          ただ、大本教三代教主補であった出口日出麿さんの霊が、ある女性に「臍」からの霊子線は「分かちの国」に繋がる線だと教えられたことから、分かちの国(神の御国)に繋がっているのではないかと推察するしだいです。
          この女性は並の霊能力者ではなく、神通力者では太刀打ち出来ない霊能力を秘めておられたことから、出口日出麿さんの霊が出口王仁三郎聖師が残された「みのか尾張の国から出る誠の女子」ではないかと見に行かれたようです。でも、違っていると帰られたわけです。
          出口王仁三郎聖師霊も日出麿霊さんにしても、霊界からその女子を探しておられるわけです。

          私達は生まれて来る前は母親の子宮と繋がって母胎で成長します。それと同様に魂が神の世界に通じている線と言えるでしょう。単に霊界に帰ることを目指すのか、それとも神の元に進む道の違いなのかも知れません。

          大本教の出口王仁三郎聖師は霊界物語の中で〇十は弥勒の神の御紋章と残されています。このプログの中でも大本教の平成神殿の壁に〇十が描かれた写真も掲載していますが、この「〇十」には幾つかの意味が秘められていることが解ります。○に十字が入るのは銃のスコープにも見られるように、十字の交点は中心を意味しているからです。臍を意味するとも言えるでしょう。

          この地球のシルバー・コードに当たる線は地球の地軸の北極(N)から北極星につながる霊線です。地球の頭上線だからです。地球は北極星に地軸が向いているのは解っていますが、火星などは違うと言われています。すると、火星は地球とは繋がっている星が違うことになります。
          その場合、解らないのは地球の「臍」となる場所なのです。よく「皆神山」が言われてはいます。これも大本教出口王仁三郎聖師の言葉が影響しているように思われますが、この地球上のどこかにその地があるわけです。


          下記の写真は河口湖畔にある元薩摩藩島津公の別邸跡地から富士山を見た写真


          この土地が元島津公の別荘地であった立て看板、島津藩の紋の瓦が残る。
          少しだけ見える○十。


          精神世界

          にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
          にほんブログ村

          この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。



          calendar
                1
          2345678
          9101112131415
          16171819202122
          23242526272829
          30      
          << June 2013 >>
          日本ブログ村に参加しています(よければ応援のクリックを願います)
          selected entries
          archives
          recommend
          links
          profile
          search this site.
          others
          mobile
          qrcode
          powered
          無料ブログ作成サービス JUGEM

          にほんブログ村 哲学・思想ブログ アセンションへ
          にほんブログ村