スピの金儲け⁉。無料の奉仕と有料の人助けの結果の違い

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    よく、霊能者のところに相談に行きますと、途方も無い金額を請求されたなどの話があります。ある霊能者は安い相談料金の霊能者はそれだけしか力が無いのであって、自分のところは高い料金だが、それに応じただけのものがあると言っておられます。そこの相談料は確か30万円の先払いでしたか、その後にいくら取られるかは解りません。
    確かに、相談料が安いからと行って相談しても、幻滅するだけだったは、私も数々体験しています。しかし、大金を払ったから、その方にそれだけの能力があるのかとなった時、これも疑問が出るのです。100%の確率を誇る霊能者など存在して居ないからです。
    優秀な霊能者でも外されるがママあります。大金を支払って、当たってもいないことを告げられる。それこそ金返せなのです。

    霊能者で病気治しを主体にされている方達があります。確かに、医師から末期癌で助かりようがない。後、余命数ヶ月と告げられたとして、その末期癌を消したともなれば大金を払える方にとっては数百万円でも安いのかも知れません。
    しかしそれは、そうした大金を払える方にとってはいいのでしょうが、そんなお金を出せない者からすると、神仏は金儲けをする存在かとなります。非常に誤解を生みやすい行為と言わざるえません。
    人は誰しも今生の自分が記憶していないだけで、過去世からのカルマが存在します。苦しんで苦しんでこの世を去ったとしても、それによってカルマの消滅があります。なまじ助ければ、そのカルマは来世に持ち込ませるがあります。仏教ではそうしたことを「三時業」として説いてはいます。
    病は一時の苦であり、神仏段階から見ると、その命をこの世で少し延長させることが必ずしも理に適っていないがあるのです。今と呼ばれる一時期を助けることが、カルマを温存させることにもなりかねないのです。

    〇ー〇〇メイトの〇見東〇さんのところで、そうした末期癌の方を助けるで数百万円の大金が前払いで払われて、結局その方を助けられなかったで遺族と裁判になっていると噂されています。
    私は霊界に関わって来て、確かに末期癌で医師から見放された方を神霊が助けられた事例は幾つか知っていますが、誰も彼も助けるでは無いが私の見聞結果でした。過去に自分にそうしたことが出来たと言って、神霊の快諾を受けないで、自分の力だと思い込んでそうした相談を安易に受けてしまいますと、結局、自分の首を絞めかねません。霊能者がよく陥る道です。

    まだ、江原啓之さんが無名だった当時、ネットでよく当る霊能者として話題になっていました。で、親子4人、二間のアパートで慎ましく暮らしています。そこでメール相談で心霊相談を受けさせて貰いますが、自分にも生活がありますので料金として2千円お願いしますとだったかと思います。その時は良心的な人だと思ってました。ところが、そうした心霊相談に金を取るのかという抗議メールの殺到で、そこが閉められてしまいました。

    で、どうされたのかと思っていましたら、少し経ってテレビに出て来られたかと思うと、あれよあれよの有名人。その人気時の個人セッションが6万円。そのことで江原啓之さんは6万円でも自分の鑑定料は世間相場より安いと言われました。私は6万円が世間相場より安いと聞いた時は、正直驚きを隠せませんでした。それは貧乏人は見ないよという宣言の様なものです。
    その後、江原啓之さんは個人セッションも止められて、大会場に人を集めて芸能人のようなことをされるようになった。会場に千人ほど入れて、話をすれば大歌手並の金が手に入るわけです。後はテレビ局の依頼番組だけに出演して高ギャラで自分の宣伝を続ける。今では成金おやじさんかと思ってしまいます。

    それが正しいのか正しくないのかは、個人の考え方だとは思います。

    ただ、私が危惧したのは、そうした江原啓之さんを見て、スピは金儲けになるとスピにのめり込む人が後を絶たないことです。
    あるラーメン屋のおやじが、スピは金になるでスピの学校のようなものを開かれた。そして校長です。講師となったのは霊的世界ではいわくのあるような人。確か、入学金や授業料で十数万円の先払いだったかと記憶しています。いったいそこで何を教えていたのでしょうか?。そこの講師の方は確かヘミ〇〇〇で名が知られた方だったと思います。

    私は二人の師匠に学びましたが、最初の師匠は豊受の御代(杖)ですが、授業料のようなものは一切払っていません。その師匠は私の母親と同じ歳の女性で車の免許がなかったので、伏見稲荷山などに行く時は私が自分の車に乗せて、運転手とカバン持ち。私の食事代から宿泊料まで師匠が払ってくれました。ガソリン代だけが自分持ち。私が師匠に包む金額は、一般講員さんと同じ額。月に三千円ぐらいでした。
    何時も貴方はサラリーマンで商売人ではないのですから、無理して包まなくてもいいですよと言ってくれていました。サラリーマンに稲荷の商売繁盛は無縁のことであり、それで利益を得ることがないからです。
    その師匠は神社の神主も兼務していましたので、相談は神社の社務所。相談料金としてはタダ。が、神社なので御祈祷が入りますので、その初穂料が2千円、3千円、5千円、1万円で、全て熨斗袋に入れて出す方式なので、金額はいくらでもよかったのです。だいたい二千円か三千円が多かったようです。講員さんともなれば、お賽銭箱に小銭を入れて、相談を受けておられました。

    その師匠は、いくら神様の言葉を伝えるだけとしても、相談料は街の易者さんを大きく越えるような金額を取ることは神に仕える者としてすべきではない。神様は相談料をいくらくれとは言われませんと言います。
    この辺りが神に仕えている方と、スピで金儲けをされている方との大きな違いかと思います。

    すなわち、霊能力者とはプロ野球の選手や歌手などのように、自己に備わった能力を一生懸命に磨いた結果であって、それに見合う報酬を受けることには何の問題もないとする考え方です。
    それに対して、一般的感覚として、神仏の世界に関わって居る者が金を取るなどおかしい。霊能力は神仏のお力の一環で在り、無料が本当ではないかと思っている人が多いように見受けられます。

    私が2番目の師匠とした方は、そこに相談に来る人達が神様にお供えはバナナ一本。リンゴ一個でいいという考え方の人が他の人に広めるので、相談に来る人がお供えのお金を持ってこない。為に師匠が生活するお金がさほど入って来ない。家賃や電気代や電話代に苦しんでおられました。本人も相談にいくらくださいと言わないからです。そこで、私は自分の給料の半額程度をお供えさせて貰っていました。霊能者は神様や仙人ではありませんから、霞を食べて生きていけないのです。だが、それを理解している人があまりにも少ないとも言えます。

    神社でもお寺でも、そこを運営しようとすれば、それなりの費用はかかるのです。何もかも無償ということであれば、おそらく宗教は成り立たず、神仏の存在すら人々の認識からほど遠い存在となったでしょう。
    この点に関しては、神仏が金を取るのかと喚く方は自己反省をすべきなのです。人は神ではない以上、その取次をする方にも生活があるのです。

    で、無料で相談することと、有料で相殿することでは、そこに違いが生じるのかといいますと、違いが生じて来ます。

    「米」教は、他(田)を救(鋤く)いて世根(米)となれです

    そこに来るのは有料ではなくて、奉仕の一環です。為には自己の生活費は別の仕事で得なければなりません。

    天人界は、他の人の喜びを自分の喜びとして、他の人の悲しみを自分の悲しみとする。他の人の困り事相談にお金を頂くなどは根本的にないのです。

    で、無料で相談をされている場合は、その方の魂に天人界に行く「加点」が生じます。つまり世の人を助ける働きを無償で行っていれば、天人界の階段を進むのことにはなるのです。
    職業に貴賎は無いとは言いますが、危険を持って人を助ける仕事。例えば警察官や消防士や医師や看護師などの人助けの仕事に従事している場合、その仕事でお給料以上の人を助ける働きがあれば、当然に魂に加点的なことにはなるのです。だが「医」は仁術ではなくて算術であれば、その魂に加点などされないのです。

    私が修業時代、ある蛇霊が相談者の病気治しをして、そのお礼として少々のお金と御神酒を貰うことが、どこが悪いのだと返して来ましたので、そのお礼として少々のお金を貰われることや御神酒をいただかれたことには何も問題はありません。問題は、何故に貴方は自分が蛇霊の身であるかを、そこを考えないことですと言ったことがあります。しかし、蛇霊を改心させるのは簡単ではありません。改心するぐらいならば、死んだ方がいいと言います。

    それが過度の有料であれば、それは天人界の【奉仕】には当たりませんので、いくら人を助けたと言っても商売であり、天人界に進む為の魂の加点とはならないのです。

    では、神仏に仕える神官や僧侶や牧師の立場で給料なり生活費を受け取っていたならばどうなるのかとなりますと、こちらは天人界ではなくて、その神仏が差配する霊界へと渡るのです。私の最初の師匠は豊受様の御代をしていましたので、死後の世界では稲荷神界に渡られたなのです。

    蛇霊や狐霊を神と仰いで蛇霊や狐霊に仕えておられる方は蛇霊や狐霊の世界にと進みます。何故ならば、その方はそれが神だと思って仕えているからです。

    そうした既存の神界に仕える方は、その神に対する【功績点】において、その神界での地位を上げることになります。私は霊界修業に入った頃、この神々の下で仕えている霊の意味がさっぱり掴めませんでした。天国論では意味がさっぱり掴めないからです。

    一般的に天国と呼ばれる世界は天人となって進む世界であり、神の仕えて上がる世界は【霊国】と呼ばれている別の世界なのです。それが本質的な高天原です。当然にその生き様は違って来ます。スエーデンボルグの霊界探訪記などは「天国」の様子を語り、大本教霊界物語は「霊国」を語っていますので神々(神司・天使)等の活躍物語となります。

    一般的には天国ばかりを言うので、この「霊国」が知られていません。こちらは、「神を信じる」度合いで違い、天国界は神を「光」としか認識出来ませんが。霊国は主神を【ス】型ある存在として認識出来るのです。

    天国は「41」のラ神論。霊国は「13」のス神論。
    最初は、どうして二つあるのかと悩みました。


    伊勢の天照大御神様でも豊受様でも、その下には数えられないほどの神官霊が従っています。出雲神も然り。ですから、その神に仕える者は、その神以上の地位には上がれないのです。そこには主従の関係が生じるからです。

    主の神に仕える者は、当然に主の神には成れません

    どこまでも主の下僕です。いと小さき者です。

    人は誰もが創造神に成れるのですなどと言っている方は論外なのです。そうした誤った神仙思想に入ってしまいますと、その方の行き先は神々の高天原や天人の天国界ではなくて神仙界となっていくのです。為に、神仙界には鼻高々の「天狗」さん達がおられたりするわけです。

    霊能者でもスピでも有料でいけないなどはありません。しかし、ある教祖様を拝見した時、その方は地獄道を歩かれているが解りました。?と思っていると、その後、その教祖様は脱税で懲役刑を受けて刑務所に行かれました。仮にも神は愛なり光なりと説いて金儲けに走り、脱税しているともなれば行き先は地獄界なのです。
    法之華三法行の福永法源教祖は詐欺罪で12年の服役を終えて、また復活しようとされているようです。
    何時まで経っても、そうした方の教えに引っ掛かるカモが居るわけです。

    そうした方は自己に内在する「良心」神には気づかれない



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    「うんこ」臭い霊と浄化浄霊の更正(古いものから新しいものに)

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      私の母親はこの3月にあの世に旅立ちましたが、生前時々、母の手が「うんこ」臭いと言います。それで母の両手を確かめると、左手だけが何故か「うんこ」臭いなのです。
      こうしたことは母の手に霊が憑依していると解りますので、それを「ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、もも、ち、よろず。いろはにほへとー、ちりぬるを」と言霊を唱えて祓います。一度でダメな時は二度ほどやると、まず消えてしまいます。

      但し、言霊の発生鍛錬をさぼっていると、効果が薄れて来たりします。

      ところが最近掃除をしていて、部屋に「うんこ」の匂いが立ちこめているので、場所を見ると、なんと掃除機の中の排気口からです。そうした存在を掃除機が吸い取ったのかも知れません。
      次ぎに私の手も「うんこ」臭い。それも左手。これまでは母に懸かっていた「うんこ」臭い霊が私の手にも憑依したようなので、これも言霊で祓い。

      修業時代、言霊師の師匠が霊媒者に低い霊を懸けてサニワしていると、どうしても霊媒質の方が低い霊に憑依されて、足先が冷たくなったりがあります。それがどんどん増えて来ると言うか、集まって来ると足の膝付近まで冷たくなって来ます。そうなると、弟子である私が言霊で祓っていました。
      そうした足指から足の膝付近まで懸かる冷たい大量の低い霊によって、足が曲がってしまった霊媒質の方がおられましたが、本人の神仏修業が終わると平常の足の状態に戻られたと聞きます。

      白檀の様な香を漂わせている神霊とか、お線香をいっぱい貰っておられる仏様とか神霊はお線香の香が漂って来ます。白狐は昔の女郎さんの様な白粉の匂いをプンプン漂わせて来るはいいのですが、「うんこ」臭い霊にはさすがに参ります。
      弁天さんの御使いとされる白蛇霊も、独特の蛇の匂いを漂わせていたりしますので、この匂いもかなりきついと言わなければなりません。

      ある方が、御自身のブログに霊は姿は化けても霊臭はごまかせないと書かれておられましたが、霊臭はごまかせないようです。が、霊が常に霊臭は放っているとは限らないようです。

      こうした「うんこ」臭い霊に出会う方は、ママあるようです。そうした方は、足先から足の膝付近まで低い霊が懸かる現象なども御存知のようです。足先に懸かるのは非常に低い霊の段階ですが、それに比べると手先は霊的にはそれよりも高い位置にあることから、足先に懸かるような低い霊ではないということになります。

      しかし、どうして「うんこ」臭い霊が居るのか?。私のこのブログの前の方に、光と思ったら天狗さんの記事を書いておりますが、私を霊剣で殺そうとした神通力者の背後神である天狗は羽根落としの刑に処せられ、その神通力者の霊は罰として便所の便槽落としとなりました。
      浄化浄霊に「うんこ」は非常に大切なものではあるのです。優れた霊能者の元に行くと解ることなのですが、神霊浄化ともなれば光で浄化出来ました等と言う類の話ではありません。臍下丹田。肉体の高天原である腹で浄化して「うんこ」と一緒に神霊をも便槽に流し落とすわけです。

      大本教と呼ばれる宗教が起きて、その名が知られることになった神に【金勝要神(きんかつかねのかみ)】があります。通称大地の金神さんですが、トイレの神様と言った方が解り易いわけです。
      この聞き慣れない【金勝要神】とは、大本教によれば真澄姫(ますみひめ)、純世姫(すみよひめ)、言霊姫(ことたまひめ)、竜世姫(たつよひめ)、高照姫(たかてるひめ)の五柱の女神の総称だと言われています。便所に落とされて、艱難辛苦を味わわれたです。

      どうして便所なのでしょうか?。それは神霊が「更正」する場所でも在り、浄化浄霊の意味でもあるのです。で「うんこ」を溜める場所を「浄化」槽とも言うわけです。

      さて、霊界にそんな「うんこ」臭い匂いを放っている場所があるのかと言いますと、存在しているのです。自分で浄化浄霊出来なかった人は、この「うんこ」の匂いを放っている池(腐汁池)の中を通って行きますと、「霊界の壁」にと辿り着きます。その壁を登ると「分かちの国(神の御国)」です。

      ただ、何人かの霊能力がある方が「霊界の壁」は登ってはおられましたが、この「うんこ」臭い腐汁池の中は通っておられませんので、この池に落とされるのは神的世界に関わる者に対して罰的要素が絡んでいるのでしょう。

      名だたる神でも便所神として落とされた

      落とした神はどなたなのか?



      ですから「救世主」ではなくて、「更正主」でなければ行けないのです。救世主と呼ばれる存在はその場の一時凌ぎにしか過ぎません。例えば、あなたが野球チームに所属しているとしてチームが危ない時、それを誰かが救って救世主と呼ばれても、その試合だけの話なのです。悪神の中にも悪の仲間を救えば救世主と呼べるでしょう。身内的な意味合いでしかありません。根本的には「更正」でなければなりません。


      すると、貴方は更(古いものは捨てて、新しいものとなる)で

      甦りとなる「更生」になるのです。

      創造神は「言葉」と共にありと言われるように、このように「言葉による仕組み」をされました。
      それすら解らぬで神通力者でございます。霊能者でございますでは「便所」落としを覚悟すべきでしょう。
      そうした人が見る「光」など、創造神の光の世界の段階ではないからです。




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      天下布武。今の地上神界は統一されておらず、好き勝手のバラバラ。

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        最近、私の元に複数の女性からメールが届きました。どなたも自分が大本教の出口王仁三郎聖師が予告されたところの「みの尾張の国から現れる誠の女子」ですとの触れ込みです。出口王仁三郎師が演じられた変性女子と言うニセ方の女子ではなくて、本当(誠)の女子で「瑞霊」と呼ばれる存在です。

        ただ、それに該当する魂の持ち主にかに関しましては、かなり深い霊査をしなければ解らない存在と言えます。本人が口走る内容ではなくて、その方の背後に存在する神がどなたかを調べる必要が起きて来るからです。

        いくら本人がそれは天帝だとか国常立尊様だと言ったところで、本人が見たとかでは何の立証にはならないからです。一部には自分の周囲の霊能者が貴女がそうだと言ったとかがありますが、その霊能者の方の力量がどの程度かがよく解りません。

        俗に霊能者と呼ばれる人でもその能力はピンキリであり、本物と言える霊能者は霊能者と名乗る方の5%から10%ぐらいしか居ないと言われているのが世間相場です。実際にそうしたスピと呼ばれる霊感クラスの数名からそうしたことを告げられて、自分が本物だと狂わさせられた方が居ます。

        ここ数ヶ月前から自分に宇宙船が飛んで来たとか、そうした類の話をされます。別に宇宙船など存在しないなどは言いませんが、この手の方はこれまで数多く見て来ました。その言われる内容を一つ一つ精査するだけの価値が無いと感じた時には、受け流しています。

        そうした女性の特徴として、国常立尊様は自分の「おじいちゃん」だと言われるわけです。それ自体は別に御本人が「みの尾張の国から現れる女子」と言っていなくても、国常立尊様は自分のお爺ちゃんだと言われる女性は多々おられます。

        そうなりますと、大本教の出口王仁三郎聖師が予言された「みの尾張の国から現れる女子」とは、国常立尊様から見ると「孫」格に当たる魂の持ち主である可能性が強くなって来ます。諺に火の燃えていないところに煙は立たずです。つまり、その火種が存在していると考えられます。

        そして興味があることは、私に言って来られた皆さん、何故かある年の生まれなのです。そこだけは不思議に一致しているのです。神界レベルでそうしたことが解って来ていて、何等かの霊がその年に生まれた霊媒質の女性を探して憑依して、そう思わせる映像を流して本人にそうだと思い込ませる。そうした中で俗にUFOと呼ばれる乗り物が出て来たり、宇宙人の姿をした者達が出て来たりしているのではないかと考えられます。

        そうしたUFOが出て来たりするのは、もうこの地球が人が住む星としてはさほど持たないという霊的映像が流れているからでしょう。

        過去にも私の元には男性で自分が救世主ですが、どうしたらいいでしょうかと、そうしたお尋ねメールが来ました。本当に救世主ならば、一々私に尋ねなくても私以上の知識が直接に神界から降りるはずなので、私にどうしたらいいのでしょうと聞くことそのものがお門違いと言えます。

        そうした方に返すメールは、それが自分だと思い込むと精神が疲れますので、そうしたことは思わないようにされた方がいいと返事したりします。

        霊的世界はある意味怖いのです。ところが霊的世界のことがよく解っておられない方は、霊界はパラダイス式の発想に陥っておられますが、霊界の実態は力を持った霊が神界の覇権を争っていて、ドロドロしているわけです。未だ、唯一の神によってこの地上神界は統一されてるとは言い難いところがあります。

        日本の戦国時代に織田信長と呼ばれた武将が「天下布武」の旗印を掲げて、まず「尾張」を統一し、「美濃」を制覇し、日本を統一国家にさせようとするわけです。その志は本能寺の変で終わってしまいますが、信長の家来の豊臣秀吉によって戦国の世は統一されて終わったわけです。

        天下布武とはこの日本を武力で統一する意味の旗印です。みの尾張の統一は、「武力」無くして出来なかったわけです。

        神々が集まって、自分の意見ばかりを言っている神謀りに謀りては「小田原評定」であり、ただ虚しく時が流れ、地球存亡の危機に対処が出来ないのです。今、地球の内部がどうなっているのか?。

        霊能者でございで、大丈夫ですと言い切れるものではないと見ます。

        そうした女子達の出現は、「みのおわり」が近づいて来ている前兆かも知れないのです。


        新しい世は、「みのおわり」がないと行けない


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        地球は宇宙空間に浮く船なのに、どうして根の国底の国???

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          日本神道と言うか日本神話では、私達が住んでいる世界は【根の国・底の国】と呼ばれています。

          それに関して、いろんな論議があろうかとは思います。しかし、それらは確定的な論拠ではなくて、自分はこう思う式の論議と言えます。

          大本教の出口王仁三郎聖師が霊界物語に面白いことを書かれています。その内容は地動説ではなくて天動説的な考え方です。
          御承知の様に、古代の宗教はコペルニクス(西暦1543年没)の地動説が出るまでは、宇宙はこの地球を中心にして回転していると天動説で考えていたわけです。
          地球が丸いということは、ピタゴラスの時代から解っていたとされていますが、実際に地球が丸い証明はマゼランが率いたスペイン艦隊の世界一周航海(西暦1552年艦隊帰国)となります。

          今の私達は地球は丸い惑星で、宇宙空間に存在する宇宙船としての知識を持ちます。しかし、キリスト教などでは少し前までは地球は平面で天が動いていたと信じられていたわけです。天文学者のガリレオガリレイは地動説の為に、キリスト教異端審問所審査で終身刑の判決を受けたと言われています。

          この天動説と似たような論に「地球平面説」があります。地球は丸いのではなくて実は平面であるという説です。
          大本教の出口王仁三郎聖師は霊界物語の中で、この「地球平面説」を持って来ておられます。無論、現実論としてはあり得ない考え方です。そんなことぐらいは出口王仁三郎聖師も理解した上で書かれた物と言えます。
          霊界物語そのものは出口王仁三郎聖師の考え方ではなくて、出口王仁三郎聖師を霊媒として霊界から降りて来た内容が口述されたものであり、それは霊界からとなります。

          しかし、宇宙科学という分野を離れて、霊的に追求して行くとこの「地球平面説」でないと解らないことが起きて来るのです。出口王仁三郎聖師は日本が産んだ最高の予言者であったことは、その実績を知れば解ります。だが、いくら科学が発達しても何故未来の起きてもいない先のことが予言出来た人があるのか?。科学はその謎を今だに解けないのも事実なのです。
          一つに、過去・現在・未来の流れは地球平面説を持って来ないと、理解し難い面があるのです。そして地球平面説を持って来ると、「根の国・底の国」の意味も解りやすい面があるのです。

          私は俗に言われる霊能者と呼ばれる方の様に神霊から神示等で教えを受けていません。豊受の神から貴方に教えが出来る神などは居ないと言われた身で、言葉を解いて説いておりますが、別に何も見ずに辞書を開けて漢字を見て説いているのではありません。霊界が教えて来た映像から言葉の意味を紐解いています。
          その中の一つに「玉壁」がありました。これは、広辞苑等を開かれても存在しない言葉です。中国の歴史に「玉壁の戦い」がありますが、そのことではありません。この世と霊界を語るのです。

          それは、一つの映像を霊的に見せられて解ったのではなくて、それ以前に幾度も幾度も「霊界の壁」を見せられていたのですが、さっぱり意味が掴めませんでした。そうした中でこのブログにも書いています「分かちの国」に渡る霊界の壁。この世と関係する霊界に存在していても霊界の壁に行くまでの過程の中に出て来る「腐汁地獄」等で、ようやく意味が理解出来たと言えます。
          何れ、この「腐汁地獄」に関してお話したいと思います。この腐汁に関しては神界よりも仏界、お不動様とか如来さん等とのやり合いの中で体験された方はあろうかと思います。私自身、お不動様や薬師如来との霊的やり合いの中で体験もし、その意味が解らずに来たからです。


          玉壁の図


          大本教神諭に「取り違いが怖いぞ」とありますが、「トリ」の意味を間違えますと怖いことになります。大本教の出口王仁三郎聖師はキリスト教等で説かれる大天使ミカエルなどは存在していない。それは「省みる」の言葉の意味だと残しておられますが、この霊界の壁は西洋で語る天使の翼を持って壁上に到達することは出来ない霊壁なのです。

          確かに天使の羽根と呼ばれる物は存在しますが、それは西洋の宗教絵画に描かれている天使の鳥の羽根とは異にします。どちらかと言えば仏教絵画で描かれる「後光」の様なものなのです。それを「後光」と呼ぶか「羽根」と呼ぶかの違いはありますが、それ自体は持っておられるスピの方はあるでしょう。そうした方は西洋で描かれる天使の絵の羽根が違っていることは解っておられるでしょう。

          その霊壁は霊的な壁である為に、登る方法を知らないと永遠に登れません。上るとか昇るではないのです。【登】なのです。登で無いと意味が解けないのです。

          昇が出来る翼を持った存在が出て来たからと言って、そうした存在では霊壁の上がり方は導けないでしょう。私は修業中、大きな翼を持った霊が出て来た時、私の腹から湧き上がった声は「その翼、もぎ取ってやろうかと」一喝したら、すると飛んで逃げて行きました。
          このブログにも書きました「天狗の羽根落とし」刑もありましたので、かなり「トリ違い」が生じているのでしょう。


          トリは「酉」で、尊(ミコト)に存在する

          御言(ミコト)で知るのが八根(羽根)の教え

          私はこの霊壁を登られた方を幾人も知っておりますが、皆さん、同じ方法で登っておられました。この世で生きている間に霊的に根の国・底の国からの脱出です。
          その方法を教えておられる方は、そうした方の本守護神であったり、かなり高度の信仰守護神であったりするようです。
          どなたにも副守護神は存在し、そうした副守護神を高度の霊と勘違いしてチャネリングしている方はスピでは多々見受けられますが、自分の正守護神・本守護神が出ておられる方は数が少ないように見受けられます。そうなりますと、高度の信仰守護神と結ばれる必要性が出て来ます。

          私は豊受神から「霊界の壁」という言葉そのものは聞きましたし、豊受様と関係している魂の持ち主がこの「霊界の壁」を登ってもおられました。しかし、豊受様の御代をしていた私の師匠はこの「霊界の壁」そのものを知りませんでしたので、誰も彼もがその存在を知るのではないようです。
          私の母親も、豊国姫様なのか豊受様なのかは解りませんでしたが、その指導方法でこの霊壁を登っています。たぶん、主立った神々は御存知なのでしょうが、高天原に上がらせるか上がらせないかは、その御神霊の判断なのかも知れません。そうした神霊の導き無しには不可能と言えます。


          日本の国で語られて来た根の国・底の国

          古代の人達はよく解っていたのでしょう

          そろそろ高天原に脱出する時が近づいている


          神を信じる心が無ければ、誰がその霊壁の登り方を教えてくれるのでしょう?。

          一人一人が創造神だとか、人は大宇宙の縮図だと言ったところで霊壁の登り方を知ることは出来ないのです。それならば、根の国底の国からの脱出は永遠に無理でしょう。


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