よく、霊能者のところに相談に行きますと、途方も無い金額を請求されたなどの話があります。ある霊能者は安い相談料金の霊能者はそれだけしか力が無いのであって、自分のところは高い料金だが、それに応じただけのものがあると言っておられます。そこの相談料は確か30万円の先払いでしたか、その後にいくら取られるかは解りません。
確かに、相談料が安いからと行って相談しても、幻滅するだけだったは、私も数々体験しています。しかし、大金を払ったから、その方にそれだけの能力があるのかとなった時、これも疑問が出るのです。100%の確率を誇る霊能者など存在して居ないからです。
優秀な霊能者でも外されるがママあります。大金を支払って、当たってもいないことを告げられる。それこそ金返せなのです。
霊能者で病気治しを主体にされている方達があります。確かに、医師から末期癌で助かりようがない。後、余命数ヶ月と告げられたとして、その末期癌を消したともなれば大金を払える方にとっては数百万円でも安いのかも知れません。
しかしそれは、そうした大金を払える方にとってはいいのでしょうが、そんなお金を出せない者からすると、神仏は金儲けをする存在かとなります。非常に誤解を生みやすい行為と言わざるえません。
人は誰しも今生の自分が記憶していないだけで、過去世からのカルマが存在します。苦しんで苦しんでこの世を去ったとしても、それによってカルマの消滅があります。なまじ助ければ、そのカルマは来世に持ち込ませるがあります。仏教ではそうしたことを「三時業」として説いてはいます。
病は一時の苦であり、神仏段階から見ると、その命をこの世で少し延長させることが必ずしも理に適っていないがあるのです。今と呼ばれる一時期を助けることが、カルマを温存させることにもなりかねないのです。
〇ー〇〇メイトの〇見東〇さんのところで、そうした末期癌の方を助けるで数百万円の大金が前払いで払われて、結局その方を助けられなかったで遺族と裁判になっていると噂されています。
私は霊界に関わって来て、確かに末期癌で医師から見放された方を神霊が助けられた事例は幾つか知っていますが、誰も彼も助けるでは無いが私の見聞結果でした。過去に自分にそうしたことが出来たと言って、神霊の快諾を受けないで、自分の力だと思い込んでそうした相談を安易に受けてしまいますと、結局、自分の首を絞めかねません。霊能者がよく陥る道です。
まだ、江原啓之さんが無名だった当時、ネットでよく当る霊能者として話題になっていました。で、親子4人、二間のアパートで慎ましく暮らしています。そこでメール相談で心霊相談を受けさせて貰いますが、自分にも生活がありますので料金として2千円お願いしますとだったかと思います。その時は良心的な人だと思ってました。ところが、そうした心霊相談に金を取るのかという抗議メールの殺到で、そこが閉められてしまいました。
で、どうされたのかと思っていましたら、少し経ってテレビに出て来られたかと思うと、あれよあれよの有名人。その人気時の個人セッションが6万円。そのことで江原啓之さんは6万円でも自分の鑑定料は世間相場より安いと言われました。私は6万円が世間相場より安いと聞いた時は、正直驚きを隠せませんでした。それは貧乏人は見ないよという宣言の様なものです。
その後、江原啓之さんは個人セッションも止められて、大会場に人を集めて芸能人のようなことをされるようになった。会場に千人ほど入れて、話をすれば大歌手並の金が手に入るわけです。後はテレビ局の依頼番組だけに出演して高ギャラで自分の宣伝を続ける。今では成金おやじさんかと思ってしまいます。
それが正しいのか正しくないのかは、個人の考え方だとは思います。
ただ、私が危惧したのは、そうした江原啓之さんを見て、スピは金儲けになるとスピにのめり込む人が後を絶たないことです。
あるラーメン屋のおやじが、スピは金になるでスピの学校のようなものを開かれた。そして校長です。講師となったのは霊的世界ではいわくのあるような人。確か、入学金や授業料で十数万円の先払いだったかと記憶しています。いったいそこで何を教えていたのでしょうか?。そこの講師の方は確かヘミ〇〇〇で名が知られた方だったと思います。
私は二人の師匠に学びましたが、最初の師匠は豊受の御代(杖)ですが、授業料のようなものは一切払っていません。その師匠は私の母親と同じ歳の女性で車の免許がなかったので、伏見稲荷山などに行く時は私が自分の車に乗せて、運転手とカバン持ち。私の食事代から宿泊料まで師匠が払ってくれました。ガソリン代だけが自分持ち。私が師匠に包む金額は、一般講員さんと同じ額。月に三千円ぐらいでした。
何時も貴方はサラリーマンで商売人ではないのですから、無理して包まなくてもいいですよと言ってくれていました。サラリーマンに稲荷の商売繁盛は無縁のことであり、それで利益を得ることがないからです。
その師匠は神社の神主も兼務していましたので、相談は神社の社務所。相談料金としてはタダ。が、神社なので御祈祷が入りますので、その初穂料が2千円、3千円、5千円、1万円で、全て熨斗袋に入れて出す方式なので、金額はいくらでもよかったのです。だいたい二千円か三千円が多かったようです。講員さんともなれば、お賽銭箱に小銭を入れて、相談を受けておられました。
その師匠は、いくら神様の言葉を伝えるだけとしても、相談料は街の易者さんを大きく越えるような金額を取ることは神に仕える者としてすべきではない。神様は相談料をいくらくれとは言われませんと言います。
この辺りが神に仕えている方と、スピで金儲けをされている方との大きな違いかと思います。
すなわち、霊能力者とはプロ野球の選手や歌手などのように、自己に備わった能力を一生懸命に磨いた結果であって、それに見合う報酬を受けることには何の問題もないとする考え方です。
それに対して、一般的感覚として、神仏の世界に関わって居る者が金を取るなどおかしい。霊能力は神仏のお力の一環で在り、無料が本当ではないかと思っている人が多いように見受けられます。
私が2番目の師匠とした方は、そこに相談に来る人達が神様にお供えはバナナ一本。リンゴ一個でいいという考え方の人が他の人に広めるので、相談に来る人がお供えのお金を持ってこない。為に師匠が生活するお金がさほど入って来ない。家賃や電気代や電話代に苦しんでおられました。本人も相談にいくらくださいと言わないからです。そこで、私は自分の給料の半額程度をお供えさせて貰っていました。霊能者は神様や仙人ではありませんから、霞を食べて生きていけないのです。だが、それを理解している人があまりにも少ないとも言えます。
神社でもお寺でも、そこを運営しようとすれば、それなりの費用はかかるのです。何もかも無償ということであれば、おそらく宗教は成り立たず、神仏の存在すら人々の認識からほど遠い存在となったでしょう。
この点に関しては、神仏が金を取るのかと喚く方は自己反省をすべきなのです。人は神ではない以上、その取次をする方にも生活があるのです。
で、無料で相談することと、有料で相殿することでは、そこに違いが生じるのかといいますと、違いが生じて来ます。
「米」教は、他(田)を救(鋤く)いて世根(米)となれです
そこに来るのは有料ではなくて、奉仕の一環です。為には自己の生活費は別の仕事で得なければなりません。
天人界は、他の人の喜びを自分の喜びとして、他の人の悲しみを自分の悲しみとする。他の人の困り事相談にお金を頂くなどは根本的にないのです。
で、無料で相談をされている場合は、その方の魂に天人界に行く「加点」が生じます。つまり世の人を助ける働きを無償で行っていれば、天人界の階段を進むのことにはなるのです。
職業に貴賎は無いとは言いますが、危険を持って人を助ける仕事。例えば警察官や消防士や医師や看護師などの人助けの仕事に従事している場合、その仕事でお給料以上の人を助ける働きがあれば、当然に魂に加点的なことにはなるのです。だが「医」は仁術ではなくて算術であれば、その魂に加点などされないのです。
私が修業時代、ある蛇霊が相談者の病気治しをして、そのお礼として少々のお金と御神酒を貰うことが、どこが悪いのだと返して来ましたので、そのお礼として少々のお金を貰われることや御神酒をいただかれたことには何も問題はありません。問題は、何故に貴方は自分が蛇霊の身であるかを、そこを考えないことですと言ったことがあります。しかし、蛇霊を改心させるのは簡単ではありません。改心するぐらいならば、死んだ方がいいと言います。
それが過度の有料であれば、それは天人界の【奉仕】には当たりませんので、いくら人を助けたと言っても商売であり、天人界に進む為の魂の加点とはならないのです。
では、神仏に仕える神官や僧侶や牧師の立場で給料なり生活費を受け取っていたならばどうなるのかとなりますと、こちらは天人界ではなくて、その神仏が差配する霊界へと渡るのです。私の最初の師匠は豊受様の御代をしていましたので、死後の世界では稲荷神界に渡られたなのです。
蛇霊や狐霊を神と仰いで蛇霊や狐霊に仕えておられる方は蛇霊や狐霊の世界にと進みます。何故ならば、その方はそれが神だと思って仕えているからです。
そうした既存の神界に仕える方は、その神に対する【功績点】において、その神界での地位を上げることになります。私は霊界修業に入った頃、この神々の下で仕えている霊の意味がさっぱり掴めませんでした。天国論では意味がさっぱり掴めないからです。
一般的に天国と呼ばれる世界は天人となって進む世界であり、神の仕えて上がる世界は【霊国】と呼ばれている別の世界なのです。それが本質的な高天原です。当然にその生き様は違って来ます。スエーデンボルグの霊界探訪記などは「天国」の様子を語り、大本教霊界物語は「霊国」を語っていますので神々(神司・天使)等の活躍物語となります。
一般的には天国ばかりを言うので、この「霊国」が知られていません。こちらは、「神を信じる」度合いで違い、天国界は神を「光」としか認識出来ませんが。霊国は主神を【ス】型ある存在として認識出来るのです。
天国は「41」のラ神論。霊国は「13」のス神論。
最初は、どうして二つあるのかと悩みました。
伊勢の天照大御神様でも豊受様でも、その下には数えられないほどの神官霊が従っています。出雲神も然り。ですから、その神に仕える者は、その神以上の地位には上がれないのです。そこには主従の関係が生じるからです。
主の神に仕える者は、当然に主の神には成れません
どこまでも主の下僕です。いと小さき者です。
人は誰もが創造神に成れるのですなどと言っている方は論外なのです。そうした誤った神仙思想に入ってしまいますと、その方の行き先は神々の高天原や天人の天国界ではなくて神仙界となっていくのです。為に、神仙界には鼻高々の「天狗」さん達がおられたりするわけです。
霊能者でもスピでも有料でいけないなどはありません。しかし、ある教祖様を拝見した時、その方は地獄道を歩かれているが解りました。?と思っていると、その後、その教祖様は脱税で懲役刑を受けて刑務所に行かれました。仮にも神は愛なり光なりと説いて金儲けに走り、脱税しているともなれば行き先は地獄界なのです。
法之華三法行の福永法源教祖は詐欺罪で12年の服役を終えて、また復活しようとされているようです。
何時まで経っても、そうした方の教えに引っ掛かるカモが居るわけです。
そうした方は自己に内在する「良心」神には気づかれない
にほんブログ村
この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。
確かに、相談料が安いからと行って相談しても、幻滅するだけだったは、私も数々体験しています。しかし、大金を払ったから、その方にそれだけの能力があるのかとなった時、これも疑問が出るのです。100%の確率を誇る霊能者など存在して居ないからです。
優秀な霊能者でも外されるがママあります。大金を支払って、当たってもいないことを告げられる。それこそ金返せなのです。
霊能者で病気治しを主体にされている方達があります。確かに、医師から末期癌で助かりようがない。後、余命数ヶ月と告げられたとして、その末期癌を消したともなれば大金を払える方にとっては数百万円でも安いのかも知れません。
しかしそれは、そうした大金を払える方にとってはいいのでしょうが、そんなお金を出せない者からすると、神仏は金儲けをする存在かとなります。非常に誤解を生みやすい行為と言わざるえません。
人は誰しも今生の自分が記憶していないだけで、過去世からのカルマが存在します。苦しんで苦しんでこの世を去ったとしても、それによってカルマの消滅があります。なまじ助ければ、そのカルマは来世に持ち込ませるがあります。仏教ではそうしたことを「三時業」として説いてはいます。
病は一時の苦であり、神仏段階から見ると、その命をこの世で少し延長させることが必ずしも理に適っていないがあるのです。今と呼ばれる一時期を助けることが、カルマを温存させることにもなりかねないのです。
〇ー〇〇メイトの〇見東〇さんのところで、そうした末期癌の方を助けるで数百万円の大金が前払いで払われて、結局その方を助けられなかったで遺族と裁判になっていると噂されています。
私は霊界に関わって来て、確かに末期癌で医師から見放された方を神霊が助けられた事例は幾つか知っていますが、誰も彼も助けるでは無いが私の見聞結果でした。過去に自分にそうしたことが出来たと言って、神霊の快諾を受けないで、自分の力だと思い込んでそうした相談を安易に受けてしまいますと、結局、自分の首を絞めかねません。霊能者がよく陥る道です。
まだ、江原啓之さんが無名だった当時、ネットでよく当る霊能者として話題になっていました。で、親子4人、二間のアパートで慎ましく暮らしています。そこでメール相談で心霊相談を受けさせて貰いますが、自分にも生活がありますので料金として2千円お願いしますとだったかと思います。その時は良心的な人だと思ってました。ところが、そうした心霊相談に金を取るのかという抗議メールの殺到で、そこが閉められてしまいました。
で、どうされたのかと思っていましたら、少し経ってテレビに出て来られたかと思うと、あれよあれよの有名人。その人気時の個人セッションが6万円。そのことで江原啓之さんは6万円でも自分の鑑定料は世間相場より安いと言われました。私は6万円が世間相場より安いと聞いた時は、正直驚きを隠せませんでした。それは貧乏人は見ないよという宣言の様なものです。
その後、江原啓之さんは個人セッションも止められて、大会場に人を集めて芸能人のようなことをされるようになった。会場に千人ほど入れて、話をすれば大歌手並の金が手に入るわけです。後はテレビ局の依頼番組だけに出演して高ギャラで自分の宣伝を続ける。今では成金おやじさんかと思ってしまいます。
それが正しいのか正しくないのかは、個人の考え方だとは思います。
ただ、私が危惧したのは、そうした江原啓之さんを見て、スピは金儲けになるとスピにのめり込む人が後を絶たないことです。
あるラーメン屋のおやじが、スピは金になるでスピの学校のようなものを開かれた。そして校長です。講師となったのは霊的世界ではいわくのあるような人。確か、入学金や授業料で十数万円の先払いだったかと記憶しています。いったいそこで何を教えていたのでしょうか?。そこの講師の方は確かヘミ〇〇〇で名が知られた方だったと思います。
私は二人の師匠に学びましたが、最初の師匠は豊受の御代(杖)ですが、授業料のようなものは一切払っていません。その師匠は私の母親と同じ歳の女性で車の免許がなかったので、伏見稲荷山などに行く時は私が自分の車に乗せて、運転手とカバン持ち。私の食事代から宿泊料まで師匠が払ってくれました。ガソリン代だけが自分持ち。私が師匠に包む金額は、一般講員さんと同じ額。月に三千円ぐらいでした。
何時も貴方はサラリーマンで商売人ではないのですから、無理して包まなくてもいいですよと言ってくれていました。サラリーマンに稲荷の商売繁盛は無縁のことであり、それで利益を得ることがないからです。
その師匠は神社の神主も兼務していましたので、相談は神社の社務所。相談料金としてはタダ。が、神社なので御祈祷が入りますので、その初穂料が2千円、3千円、5千円、1万円で、全て熨斗袋に入れて出す方式なので、金額はいくらでもよかったのです。だいたい二千円か三千円が多かったようです。講員さんともなれば、お賽銭箱に小銭を入れて、相談を受けておられました。
その師匠は、いくら神様の言葉を伝えるだけとしても、相談料は街の易者さんを大きく越えるような金額を取ることは神に仕える者としてすべきではない。神様は相談料をいくらくれとは言われませんと言います。
この辺りが神に仕えている方と、スピで金儲けをされている方との大きな違いかと思います。
すなわち、霊能力者とはプロ野球の選手や歌手などのように、自己に備わった能力を一生懸命に磨いた結果であって、それに見合う報酬を受けることには何の問題もないとする考え方です。
それに対して、一般的感覚として、神仏の世界に関わって居る者が金を取るなどおかしい。霊能力は神仏のお力の一環で在り、無料が本当ではないかと思っている人が多いように見受けられます。
私が2番目の師匠とした方は、そこに相談に来る人達が神様にお供えはバナナ一本。リンゴ一個でいいという考え方の人が他の人に広めるので、相談に来る人がお供えのお金を持ってこない。為に師匠が生活するお金がさほど入って来ない。家賃や電気代や電話代に苦しんでおられました。本人も相談にいくらくださいと言わないからです。そこで、私は自分の給料の半額程度をお供えさせて貰っていました。霊能者は神様や仙人ではありませんから、霞を食べて生きていけないのです。だが、それを理解している人があまりにも少ないとも言えます。
神社でもお寺でも、そこを運営しようとすれば、それなりの費用はかかるのです。何もかも無償ということであれば、おそらく宗教は成り立たず、神仏の存在すら人々の認識からほど遠い存在となったでしょう。
この点に関しては、神仏が金を取るのかと喚く方は自己反省をすべきなのです。人は神ではない以上、その取次をする方にも生活があるのです。
で、無料で相談することと、有料で相殿することでは、そこに違いが生じるのかといいますと、違いが生じて来ます。
「米」教は、他(田)を救(鋤く)いて世根(米)となれです
そこに来るのは有料ではなくて、奉仕の一環です。為には自己の生活費は別の仕事で得なければなりません。
天人界は、他の人の喜びを自分の喜びとして、他の人の悲しみを自分の悲しみとする。他の人の困り事相談にお金を頂くなどは根本的にないのです。
で、無料で相談をされている場合は、その方の魂に天人界に行く「加点」が生じます。つまり世の人を助ける働きを無償で行っていれば、天人界の階段を進むのことにはなるのです。
職業に貴賎は無いとは言いますが、危険を持って人を助ける仕事。例えば警察官や消防士や医師や看護師などの人助けの仕事に従事している場合、その仕事でお給料以上の人を助ける働きがあれば、当然に魂に加点的なことにはなるのです。だが「医」は仁術ではなくて算術であれば、その魂に加点などされないのです。
私が修業時代、ある蛇霊が相談者の病気治しをして、そのお礼として少々のお金と御神酒を貰うことが、どこが悪いのだと返して来ましたので、そのお礼として少々のお金を貰われることや御神酒をいただかれたことには何も問題はありません。問題は、何故に貴方は自分が蛇霊の身であるかを、そこを考えないことですと言ったことがあります。しかし、蛇霊を改心させるのは簡単ではありません。改心するぐらいならば、死んだ方がいいと言います。
それが過度の有料であれば、それは天人界の【奉仕】には当たりませんので、いくら人を助けたと言っても商売であり、天人界に進む為の魂の加点とはならないのです。
では、神仏に仕える神官や僧侶や牧師の立場で給料なり生活費を受け取っていたならばどうなるのかとなりますと、こちらは天人界ではなくて、その神仏が差配する霊界へと渡るのです。私の最初の師匠は豊受様の御代をしていましたので、死後の世界では稲荷神界に渡られたなのです。
蛇霊や狐霊を神と仰いで蛇霊や狐霊に仕えておられる方は蛇霊や狐霊の世界にと進みます。何故ならば、その方はそれが神だと思って仕えているからです。
そうした既存の神界に仕える方は、その神に対する【功績点】において、その神界での地位を上げることになります。私は霊界修業に入った頃、この神々の下で仕えている霊の意味がさっぱり掴めませんでした。天国論では意味がさっぱり掴めないからです。
一般的に天国と呼ばれる世界は天人となって進む世界であり、神の仕えて上がる世界は【霊国】と呼ばれている別の世界なのです。それが本質的な高天原です。当然にその生き様は違って来ます。スエーデンボルグの霊界探訪記などは「天国」の様子を語り、大本教霊界物語は「霊国」を語っていますので神々(神司・天使)等の活躍物語となります。
一般的には天国ばかりを言うので、この「霊国」が知られていません。こちらは、「神を信じる」度合いで違い、天国界は神を「光」としか認識出来ませんが。霊国は主神を【ス】型ある存在として認識出来るのです。
天国は「41」のラ神論。霊国は「13」のス神論。
最初は、どうして二つあるのかと悩みました。
伊勢の天照大御神様でも豊受様でも、その下には数えられないほどの神官霊が従っています。出雲神も然り。ですから、その神に仕える者は、その神以上の地位には上がれないのです。そこには主従の関係が生じるからです。
主の神に仕える者は、当然に主の神には成れません
どこまでも主の下僕です。いと小さき者です。
人は誰もが創造神に成れるのですなどと言っている方は論外なのです。そうした誤った神仙思想に入ってしまいますと、その方の行き先は神々の高天原や天人の天国界ではなくて神仙界となっていくのです。為に、神仙界には鼻高々の「天狗」さん達がおられたりするわけです。
霊能者でもスピでも有料でいけないなどはありません。しかし、ある教祖様を拝見した時、その方は地獄道を歩かれているが解りました。?と思っていると、その後、その教祖様は脱税で懲役刑を受けて刑務所に行かれました。仮にも神は愛なり光なりと説いて金儲けに走り、脱税しているともなれば行き先は地獄界なのです。
法之華三法行の福永法源教祖は詐欺罪で12年の服役を終えて、また復活しようとされているようです。
何時まで経っても、そうした方の教えに引っ掛かるカモが居るわけです。
そうした方は自己に内在する「良心」神には気づかれない
にほんブログ村
この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。