馬の年の立春から五六七の210日頃 米の刈り入れか!

0
    私はお釈迦様が悟られたのは「慈悲」ではなくて、【人には良心と呼ばれる神が内在する】であったとHPに出し、ヤフーの掲示板東洋哲学の輪廻転生で約3年半ほど論陣を張っていました。そのヤフーの掲示板の当時、その掲示板を多くの霊能者の方がロムしておられるという話を他から聞きました。

    そうした霊能者の方達から、ある程度「人に内在する良心神」を説かれる人達が出て来るだろうとは期待はしましたが、人に内在する良心神だけを説いて「米」の教えを抜かれてしまうと困るのです。手柄など欲しければいくらでも取って行かれたら良いかと思います。が、「米」を抜くと良心神が良心神として生きて来ないのです。
    私が掲示板で説いたのは、朝鮮に残された予言として最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きるの「米」字型で、お釈迦様の悟りであった「人に内在する良心神」を「みろく(369)」として解き明かすことです。その「米」が入っていないと、いくら「人に内在する良心神」だけでは、創造神をないがしろにすることになります。

    それは大本教神諭が予告した

    九つ花は誠から咲せる花であるから、三千年の経綸を致した。誠の本であるから誠の人の世話でないと、このお世話は出来んぞよ

    にあります。この「九つ花」を持って来ないと、お釈迦様の死後「五六億七千万」の意味が理解出来なくなるからです。

    大本教の出口王仁三郎聖師はこの「九つ花」を出すことを許されていなかった為でしょうか、そこに「五六億七千万」の意味を出せずに、違ったことを書かれています。されど、そうした間違いもまた「神の仕組み」なのです。大本教は本番前でしたので、予告の大本教の段階では全ての種明かしは出来なかったわけです。
    私が住んだ土地は大本教の出口王仁三郎聖師が、ある信徒さんに大本教団に内密に死守して欲しいと頼まれた土地。私はそうしたことを知らずにその土地を買って住んだことが、五十六億七千万の意味の種明かしに入ってしまったのです。


    私のブログの読者の方から、「トドメノフミ」のサイトを読んで見てくださいとのメールが参りまして拝読しました。
    そこに一厘の入った「米」と一厘が入っていない「米」が出て来ますが、これは世に出ておられる神々でも意味は解らなかったでしょう。
    米に一厘が入るは大本教神諭予告の「九つ花」が予告されていなければ、誰をもってしても解けないからです。


    お釈迦様の死後「五六億七千万」後の「みろく」の意味は、この地上世界の時の五六億七千万の年月の意味ではありません。それらの全ては「九つ花」が雄大に語ります。
    大本教でみろく(五六七)とした意味は、五次元・六次元・七次元の意味合いなのですが、五六七にはもう一つ意味があります。

    それは「米」の刈り入れ時なのです。


    米の刈り入れ時は、立春から567の「210」日頃

    節分が2月3日。2月4日から立春で「米」の実りは5×6×7の210日頃。210日は七ヶ月なので単純に計算しますと9月初め頃となります。この頃には既に早場米はほぼ収穫されています。しかし、それは厳密な日時ではなくて、210日とは「米の実る」頃なのです。
    通常言われる「210日」は米が実っているのに大嵐(台風)がやってくる頃の意味であり、またそれは「220日」の方がより大嵐とも言われています。その大嵐を避ける前に「米」の刈り入れるもあるわけです。そうしたことは聖書では「小麦の刈り入れ」となります。
    そうしますと、人類の上にやって来る大嵐(立替)は9月半ば頃からとも考えられるわけです。

    問題は、それが何時の年なのかが神々にもまるで解らないがありました。私は稲荷講に所属していて、豊受様から時期は解らねども私が生きている間に世の大立替があるとは聞きました。だが、私も老いた者で有り先はさほど長くはありません。

    今回、トドメノフミを見ますと、立替は午(馬)の年の秋口とあります。このトドメノフミは本当に艮金神国常立尊様のフミなのか偽書なのか解らない面がありますが、その中に「増井りん」さんの名前が出て来ます。
    増井りんさんとは、西暦1843年に生まれられた方で、天理教教祖の中山みきさんのお守り役(別席取次人)に就かれた人。そのフミには増井りんさん名前も大本教開祖出口なおさんの名も出ますのでかなり古い物かと思われます。出口なおさんは西暦1837年生なので、増井りんさんは出口なおさんよりも7歳も年上の方になります。そうしたことも念頭に入れて、こうした類の書は読み解く必要があります。
    このトドメノフミその物は、明らかに後世の言葉が入っていますので、後から誰かが加筆とか改ざんをしている可能性があります。それは大本教神諭にも出て来ない後世の言葉があるからです。その点を考慮しても、ずいぶん前から立替は「馬(午)」年の秋口であることだけは予告されていたことになります。そして一厘ある「米」と無い「米」です。

    ただ、午の年だけの予言では、やがて消えて行くフミの一種だったのでしょう。だれかがサイトに書いて下さったようですが、世に大きく知られたものではなかったようです。朝鮮の予言に「米」と残されていて、日本に無いのは変だなと思っておりましたが、存在したのです。

    私は先程、今年の秋口に立替が起きると霊示を受けて、また、三輪大神神社に関連する取次の方からも、立替日が決定されたとメールをいただきました。私が見た光景の日時とは一日違っていますが、いずれにしても今年の秋です。
    その大神神社の狭井社の御神霊の取次の方の自称は大物主様の妻神の魂を貰っておられるとのことでして、そのこと自体は7〜8年前に某霊能者の方からその御神名の女性から私にお手伝いがあるとは聞き及んでいました。どうして大物主様の妻神とされる魂を貰われる女性のお手伝いが私にあるのかは訝しくは思っておりました。

    しかし、そのおかげで伊勢の天照太御神様が本当はどなたであったのかが解ることになったしだいです。
    全ては「真性天照太御神」を立替の時まで隠しておく、国常立尊の大策略の上に成り立っていたと言えるでしょう。

    大物主様が伊勢の天照太御神様であったとなれば、伊勢の天照太御神様、外宮の豊受様、出雲の大国主様も木花咲耶姫様も全て世の大立替を御存知だということになります。それから宇佐八幡宮もそうでした。
    大本教神諭、「世の立替があることはどの神も御存知なれども、肝心要のことは御存知ない」だったとなります。末端の神々はまったく御存知ない状態でしたが、上の神々は御存知だったことになります。

    もし、今年立替が起きなければ12年後の午年か、あるいは神がもう人類は助けられないと見捨てられるかのどちらかです。捨てておけば、もう二度と良い神の宮となる種は取れないからです。地球環境は悪化して、生きるが為に人が人を襲う人の顔をしていても獣化するからです。そして、全てのスピの方ではありませんが、蛇霊や野狐霊や狸霊が何も解ろうとしない霊感者達に憑依して、それを信じている人達が「阿波踊り」をするからです。


    イエスは40日間荒野を彷徨って悪魔を退け、41日目に神の御子

    モーゼは40年間荒野を旅して、41年目ユダヤ人はイスラエルに入る

    大本教出口王仁三郎聖師の「みのか尾張」から出るは国道「41」号線

    大本教神典、主は三十五万年前に御引退、神の時計を見れば主も40彷徨いて「41」にて真柱として御復帰となる

    悪魔を退ける「良心」神の「ラ」を41に置く

    この世の閻魔とは、各自の良心神のはずでしょう

    これらの意味は「米」字型でないと解けないのです
    その米の仕組みの中に「一厘」があるからです


    数字を現す「ひふみ」の並びでは、

    41は「ス」の素戔嗚尊なれども

    九つ花で織る「アイウエオ」は、
    41に「ラ」の真性天照太御神が立つ

    神の栄光の「八光」の仕組みを
    讃える者が神の子達で、主の元に進む






    縦の並びも横の並びも斜めの並びも全て総和は369(みろく)
    今の世は七(質)の世で、81×7=の567
    これまでに七つの霊(〇)界が立ったので、5670000000となります。
    よって、次の世は「8」の世で、無限(∞)とも末広がりと言うのです


    それで五十六億七千万のみろく(369)

    言葉で仕組んでおかないと、直感霊感ではそれが本当に神であるかどうかの判断は無理なのです。言葉で仕組めるのは創造神の段階。

    一厘が入った「米」。一厘が入らぬ「米」

    単に愛の世根(米)では一厘が入って来ない

    あなたはどちら?


    国常立尊様には従えぬという神々と従う神々
    永遠の別れとなるでしょう

    創造神はスピの自分の直感だ!霊感だ!では解らない


    精神世界

    にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
    にほんブログ村

    この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。

    鶴と亀とで統一されるみろく世は【千万年王国】に訂正します

    0
      私は過去記事に少し間違ったことを書いていました。ここでお詫びと共に訂正します。

      それは私が子供の頃に臨んだ声は、【私はアブラハムの神であり、そなたの神であり、旧約聖書の神であり永遠の神である】と答えられました。
      そうした教えの中で、【私の教えは日本昔話やわらべ歌に秘めた。その中で一番重要なわらべ歌は、カゴメカゴメである。そなたはその意味を紐解きなさい】と告げられたわけです。

      私が修業に入って間もない頃、自宅の神棚で拝していると、自宅に居ながら伊勢神宮が見えて来ます。その宇治橋の上に私の霊が土下座して坐っていました。すると、伊勢神宮の神官さんの霊がやって来て、私の霊に挨拶をして帰って行きます。それを一週間ほど見ていました。それから一週間ほどは何も見ず。次にやはり私の霊が宇治橋で土下座をしています。
      すると今度は前回とは違う神主さんの霊がやって来て、今度は私の霊に修祓をしてくれます。それが一週間ほど続きました。その後の一週間は何も見ず。次ぎに私に見えたのは伊勢神宮の内宮の前の大樹の側で私の霊と神官さん霊が並んでいます。すると内宮の門から多くの神官さん達の霊が出て来ると、次ぎ次ぎにといろんな道具を持った煌やかな神霊行列が出て来ます。私は自宅で祝詞を続けた状態で、約30分間ほどその光景を見ていました。
      私も当時はサラリーマンで仕事に行かなければなりません。すると、行列の途中でしたが伊勢神宮の大樹の側で見ていた私の霊が横に居る神官さんの霊にお礼を言っていて、その場を離れました。すると私には何も見えなくなりました。その神霊行列は約一万体ぐらいあったのでしょうか。

      それからしばらく後、平安時代の牛車が3台ほど見えて来て、先頭の牛車の御簾を少し上げて、誰かがその中から私を見ておられます。老年の平安貴族の女官の方のような感じを受けました。
      その話を豊受様の御代をしていた師匠に話しますと、その先頭の牛車の方は〇〇〇さんでしょう。2番目の牛車に伊勢の天照太御神が乗られているのです。まず〇〇〇さんが貴方がどんな人かを直接に見に来られたのです。そして、貴方は間もなく伊勢神宮の天照太御神様を直接に見ます。その前触れですよと言われます。

      豊受様の御代をしていた私の師匠や、私が知る豊受様のミタマを貰っておられた方は豊受様とご一緒に伊勢神宮に伺い、伊勢の天照太御神様にお出会いされたと聞きます。私の場合はそうした御神霊の御代ではありません。自分の魂が神の世界に入り込んでいるのです。そうした立場であるので、霊界の宇治橋で土下座もし、〇〇〇さんが下見に来られたとの説明もよく解ります。
      だが、その師匠もさすがにそんな大神霊行列は見せてもらったことはないと言われます。私に大神霊行列を見せられたのは、この私に仕えよとの示威であったのかも知れません。私はそれより前に中国の鍾馗神のご案内で、中国で天子とも創造神とも言われている磐古大神に拝謁しましたが、その時はきら星の様に並んだ数千体の将軍達の霊の間を歩かされているからです。それもやはりその神の力の見せつけです。
      数千もの将軍霊の下に従う部下達を考えたら、膨大な霊軍を動かせるのです。自分は魔界を一瞬に消す光の剣を持っているからと言って剣を抜いて飛び込んだら、消すどころか自分が返り討ちにあってしまうのです。
      しかし、磐古大神に拝謁したことが、大本教霊界物語に記される「磐古大神から国常立尊様に神界の大政奉還」の紐解きに繋がったのです。

      それからしばらくして、一体の神が私の目に見えました。その服装が奇妙だったのは豪華な着物姿なのですが、胸には金鶴の刺繍。裾は正六角形の亀甲紋(亀)の金刺繍が入っていました。それは「鶴と亀」です。男の方なのか女の方なのかと見ていましたが、どう考えても男の方。一般的には伊勢の天照太御神様は女の方と言われていますが、豊受様の御代をしていた私の師匠は伊勢神宮の天照太御神様は男の方ですと言っていまして、これが伊勢の天照太御神さまかと解ったしだいです。
      私はこの天照太御神様にお仕えしょうかと思ったのですが、金の鶴と金の亀の刺繍で「かごめ」歌の中味を思い出しました。それは「鶴と亀」が滑ったです。私が仕えるのは伊勢の天照太御神様では無い。私は「国常立尊」様に仕えなければならない身。鶴と亀とが滑るとは、伊勢の天照太御神の世は「国常立尊」が出られることで終わる。
      それならば、「国常立尊」様が神界の表舞台に復帰されるまでは、私も神界の素浪人に徹する覚悟を決めたのです。私の後ろの正面は幾多の霊能者の方達から「国常立尊」様ですよと指摘されて来たからです。ただ、私自身に名乗られた声は「旧約聖書の神」と言われたのです。

      先程、大和三輪山の狭井神社に関係する神霊の取次の方から、その御祭神から伊勢の天照太御神様は「大物主」様で、女神として出て来る霊は「卑弥呼」さんであるとお伝えをいただき、そうだったのかと納得も出来たのです。と言って、私には未だ大物主さんと大国主命様の違いがはっきり解っているわけではありません。
      私が住む土地は豊受様の御代であった師匠によれば、【元出雲屋敷地】。ある霊能者によれば超古代の神界(今の歴史以前の世)の中心があった場所。その関係なのか自宅で大国主命様や大黒様を見かけ、伏見稲荷山では「権太夫」大神としもて出会って来ましたが、大物主さんに関しては出会ったことがなかったからです。
      しかし、それは豊受様の御代をしていた私の師匠でも、伊勢神宮の天照太御神様には拝謁もし、四国の金比羅宮(御祭神は大物主)の大物主さんにも出会っておられます。だが、同一神であるとは解らなかったわけです。それは私の師匠以外の霊能者の方でも同様でしょう。
      豊受様自身が伊勢の天照太御神様が本当は誰かを口をつぐんで言われようとはされなかったほどで、その姿を変えておられたのでしょう。それが大物主様の大神神社の摂社であっても、そこからそのことが明らかにされたのは、私に立替日が決定したとのご連絡頂きましたので、豊受様が伊勢外宮から綾部に帰還されたという話が「鶴と亀が滑った」となって来るわけです。

      私が出雲大社教の教会長の元に相談に行った時、その教会長さんが出雲大社から私に伝達が来ていますと言われます。その内容は、私がもしも出雲大社教に転じるならば、全出雲の神力を私に授けるという内容で、教会長さん自身があり得ない神示と驚かれていましたが、私はどこまでも国常立尊様(私の後ろの正面)の下僕として仕える身である以上、出雲大社教に転じるはしませんのでその話は消えたようです。

      蛇足ながら、ある時、私に向かってイザナミ様と豊受様が頭を下げられます。何で?と思って、最初の師匠の元に行って尋ねましたら、「貴方は未だ何も解っておられない。イザナミ様も豊受様も貴方に頭を下げられたのではないのです。貴方の後ろの方に頭を下げられたのです。それを貴方が見ただけなのです。貴方は自分の後ろがどなたか解っていないのですかと」、きつく叱られたことがあります。そう言われましても、自分の後ろの正面は解らないものなのです。
      私が紐解いたのは大本教神諭予告、福知舞鶴「十里四方外囲い」の「八根(羽根)ある十里(トリ)」なのです。豊受様(カゴメ)は私の守護神様でもあるのです。


      かごめ歌の中味、解っていただけたでしょうか?


      私はみろく世に生きる地上天人の寿命は「万年」になるとは解っていましたが、それは「亀」だけの話です。また、どなたも解る様に亀には「龍宮の乙姫」様の意味があります。
      では、鶴は何の意味なのでしょうか?。鶴は千年の型であることは誰もが理解出来る話ですが、鶴は「釣る」の意味を秘めてあったのです。
      霊能者路の方達はよく「祭るの意味は「真釣る」だとおっしゃいます。【真柱神】を出すという意味です。そこに【真名井】の意味が存在したのです。一般的には綺麗な水が湧いているところが「真名井」の意味だと思われたようですが、これは真ん中の「井」に如何なる「名(言霊)」を置くかの秘め言葉だったのです。

      女子型が亀の万年で、男子型が鶴の千年

      カゴメ歌の「鶴と亀」が滑ったには、他に「統べった」の見方もあります。しかし、単に「鶴と亀が統べった」では意味が解けませんでした。千と万をどうやって「統一」するのかの知恵が回りませんでした。
      最近、わらべ歌や唱歌の「CD」を買って来て、「かごめ歌」を聞いていましたら、その歌詞は「鶴と亀がすべった」ではなくて「鶴と亀は出会った」となっていました。しかし、鶴と亀が出会っただとしても、どうなるのか意味が掴みきれませんでした。

      遅まきながらやっと、私にもその意味が解りました。

      それは、千×万の【千万年王国】の意味でした

      イエスが演じたのは男子型で「千(鶴)」の意味合いであり、これが「千年王国」と呼ばれる起因となったのです。
      それに対して女子型は龍宮の乙姫で「万(亀)」の意味であり、真性天照太御神である男子型と女子型が結ばれる時、【千万年王国】となるのです。

      それに関しては今から三十数年前に伏見稲荷山の長者の御祭神、【御劔(みつるぎ)】大神が私に「謎」めいたことを告げられたのです。

      神の結婚式は【全神々の参列の元で行われる】でして、全神々が参列する神界の結婚式とは何のことかと首を捻っていました。真性天照太御神(鶴)様と龍宮の乙姫(亀)たる豊受様の結婚式です。それが豊受様が私の最初の師匠に言われる自分の夫は天照太御神なのです。

      どう考えてもキリスト教が言う神の千年王国ではあまりにも桁が小さく、神が言われる「永遠」の意味には結びつかなかったわけです。鶴の千年だったのです。

      大本教神典に主の神は「三十五年前に御引退」とありますが、この意味を紐解きますと、イエス一人を主の御子と認めれば神の千年王国に救われて、そうでない者は千年間は地獄から出られないなど、あまりにも数字の桁が少なすぎるのです。もうイエスから二千年も過ぎているのに、そうした千年王国論に固執しているのはどうかと言うことです。
      この日本における日本語による言葉の仕組みですら「三千年」の月日をかけて仕組みに仕組まれているからです。

      だが、その【神の結婚式】が行われるとしたならば、その前に、神界の結婚式に参列をしない天帝の「命」に従わない神々は、すべてこれを掃討しなければならないのです。天帝の命に従った神達だけが、その神界の神の結婚式に参列出来るのです。

      みろく世(千万年王国)に行く神、
      みろく世に行かぬ神との永遠の別れとなるとなるのです

      私が子供の頃に臨まれた声は、新しい世は「永遠の世」と告げられました。
      その永遠はどこまでかとなります。一部のスピの人に見られる某大な数字さえ言えば良いという物ではないのです。仮に新しい世で一万年の寿命を貰ったとしても、その一万年をどう生きようかと思案しなければなりません。気が遠くなる年月です。一千万年の世ともなれば、もう永遠という言葉の範疇です。その先を考える必要はないのです。また語ったところで意味はないのです。


      精神世界

      にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
      にほんブログ村

      この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。

      ダビデの若枝とは松(みろく)の世の目出度目出度の若松様よ!

      0
        私は個人信仰として日本の古来からの神道に足を踏み入れました。しかし、そこで私が気がついたのは日本古神道は「旧約聖書」の世界であるということなのです。一部に「日ユ同祖論」がありますが、現代の歴史以前の日本人が本来のユダヤ人だったのです。つまり黒目で黒髪の日本人がエルサレムを神の都としていた現在の歴史以前の光景が霊的映像として出て来ることがあります。当時のエルサレムには朱色の鳥居もあった日本神道だったと思われます。

        そうした内容は大本教霊界物語には書かれていまして、大本教の出口王仁三郎聖師はその当時は綾部が「聖都」で、エルサレムは「副都」であったと述べておられますが、【水の審判】以前の時代のことです。
        水の審判において、この世はほとんどリセットされたからです。しかし、これは事物をもって証明しろと言われても出来ない話です。別に妄想の類と言われても結構です。
        ただ、霊的世界に関わっていると、今の人類の歴史の時代よりも遙かなる古代があり、私達の意識の中にそれらの記録が流れ込んで来るがあるのです。「輪廻転生」とはそうした悠久の中に起きているからです。

        歴史以前のユダヤ人とは日本人のことであった

        まず、この意味を知るのには、創造神はこの日本に「キリスト教」が入ることを禁じられました。それが徳川幕府によるキリシタン禁止令です。もしも、この日本をキリスト教国家にしてしまうと、神の言葉による仕組みが成り立たなかったからです。
        スペインの宣教師に支配された国々はスペイン語の国家となり、ポルトガルの宣教師に支配された国々はポルトガル語の国家になった。そうなると「日本語」の仕組みは出来なくなってしまいます。
        キリスト教を国教にするぐらいならば仏教の方が遙かにましでして、ここに【和光同塵】の策が取られました。神が仏となって臨むが起きたのです。明治維新以後、神が仏の仮面を脱ぎ捨てて、本来の神としての姿を現して来たのです。この流れが日本の新神道と言えます。


        霊能者下ヨシ子さんの名を全国に知らしめた事件に、岐阜の共同住宅におけるポルターガイスト現象がありました。腕自慢の多くの行者や霊能者がその現場に行ったが鎮まらなかった。それが霊能者下ヨシ子さんによって鎮まった。ただ、共同住宅の自治会長さんの話によれば、下ヨシ子さんの他にもう一人の方の力があったとは語っておられます。
        そのポルターガイスト現象を起こしていた霊は、霊能者下ヨシ子さんによれば当時の異国の宣教師の霊であったと言われました。キリシタン禁止令において処刑された外国の宣教師です。神を説く宣教師が地縛霊化していたわけです。イエスを主と説いていて、イエスによって救われなかった。そこにはこの日本にはキリスト教は必要無い言う神の御意志があったと考えるべきかも知れません。

        明治維新において薩摩の〇十の旗が立ったことで日本にキリスト教が入っても、さほど支障がなくなったのです。神の仕組みが完成に近づいていたからでしょう。また、明治維新によって「神仏分離令」が発せられ、それまで仏の下に置かれていた神々を復権させたわけです。

        ある日、私の目にイザナギ様とイザナミ様が西洋風のドレス姿で出て来られて、そのイザナギ様の服の胸付近の左右には金色の六芒星(ダビデ紋)。イザナミ様の服の胸付近には銀色の六芒星(ダビデ紋)が飾られています。それを見た私は?となりました。

        この日本ではダビデ紋は豊受様の【カゴメ紋】として知られています。しかし、私は豊受様に関しては私の最初の師匠であった方が神主をされていた神社は豊受様を祭神とする稲荷神社であり、伏見稲荷大社講務本庁の支部であった神社の社務所の月次祭などでも豊受様の御姿は見て来ています。しかし、一度も豊受様のドレス姿はありませんでした。で、豊受様の服装にダビデ紋(カゴメ徴)姿は見たことがありません。
        しかし、豊受様が伊勢外宮に行く前におられた「与謝宮」は丹後一宮の【籠】神社だとすれば、その「籠」からも「カゴメ(籠目)」は出て来るわけです。

        六芒星(ダビデ紋)そのものは、神の上に向かう「△」力と下に向かう「▽」力の組合せであり、それをもってどうというこもないのです。

        よく【ダビデの若枝】が言われます。イザヤ書を例にとれば、【エッサイ(ダビデ王の父)の根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す】。
        その子孫から【メシア】が出るという意味なのです。

        ナザレのイエスが「メシア」に祭り上げられたのは、この【ダビデ王】の子孫とすることから起きたわけです。
        ならば、どうしてユダヤ民族は「ダビデ紋」を国旗としながらも、イエスをそのダビデの若枝と認めていないのか?。不思議な現象を知ることになります。

        私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から不思議なことを告げられました。私が子供心に「貴方はどなた様ですか?」と聞きましたところ、【私はアブラハムの神であり、そなたの神であり、旧約聖書の神である】と答えられました。当時の私には「アブラハム」などと告げられても解る話ではありませんでした。
        その声は私にあることを告げられたのです。それは日本のわらべ歌の【カゴメカゴメ】はこの私が創らせた予言歌であり、もっとも重要な予言歌である。そなたはその歌の意味を説きなさいと告げられたのです。

        日本では、そのカゴメ歌にダビデの若枝の意味が秘められたのです。

        その若枝とは、日本では別の言い方になっていたのです。

        それは花笠音頭などても出て来ます「若松」様なのです。

        目出度目出度の 若松様よ
        枝も チョイチョイ
        栄えて葉も茂る
        ハァ ヤッショーマカショ

        おらが在所ヘ 来てみてしゃんせ
        米の チョイチョイ
        なる木がおじぎする
        ハァ ヤッショーマカショ


        私が「米」教を紐解く前、それが神の仕組みとは露知らずに最初に「十三」に隠れた「良」を訪ねた場所は「会津若松市」でした。そこには猪苗代湖も鶴ヶ城も九曜紋もあったのですが、何故に【若松】なのかと長らく首を捻っておりました。その「若松」に意味があったことを

        今回教えて下さったのは、大黒(米)様と恵比寿(鯛)様


        みろく世は、めでためでたの世



        だが、それには「若松」様かいる


        大本教神諭、みろくの世は「松」の世。公正と公平の世

        それは「ダビデの若枝」が告げる正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、とあるように、【公】とは、自分が置かれた地位や名誉を守ろうと走ったり、諸々の「私欲」を離れ、人を好き嫌いで判断せず、常に「中立」に物事を判断して行く。そして常にその心は「正義と良心」に裏打ちされる。それが「公」の心なのです。そうした者が世の上に立たなければ、世の中が絶対に良くなるなどはないのです。日本ではその「松」の新芽の若松の意味が、聖書におけるダビデの若枝となるのです。

        私が子供の頃に臨んだ声は旧約聖書の神と名乗られて、私に説かれたのは、たとえ人類の中でそなた一人であっても、「松の根」を見る者となれでした。


        ダビデの若枝でなく、日本は「若松」の「公」に主は宿る

        ようやく「若松」様が育って来たのです。

        だが、ダビデの若枝が「若松」としても、どうしてそれが「カゴメ」歌と関係しているのかとなります。それは、次回のブログに「鶴と亀がすべった」に関して話しましょう。



        精神世界

        にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
        にほんブログ村

        この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。

        創造神との各自の契約の示し。アワで魂の禊ぎの阿波岐原

        0
          少し前の記事で、魂に点数が出る不思議を書きました。魂とは「玉思惟」で丸い玉なのですが、日本の国に常に立つ御言(日本語・国常立尊)が何故に玉思惟に「魂」という漢字を使わせたのかと言いますと、「ウシトラ」の意味を教える為であって、思惟は【深く考える)】ことなのです。
          物事を深く考えないと奇魂(くしみたま)の働きが起きないことにより、玉思惟(魂)の点数
          が上がって来ないわけです。ですから、幾度も幾度も嫌がられるほど口酸っぱく言って来ましたが、「愛」だ!。ばかりを言っている方は、魂の磨きにはほとんど結びつかないのです。

          よく、霊感が強い女性に見られる傾向として、考えるのじゃなくて自分の直感に従うべきだと言われる方が圧倒的に多いのですが、それでは深く考える学びの奇魂が働いていない為に、その次元が何時まで経っても上がらないが起きて来ます。
          例えば釈迦様でもイエスでも、非常に奇魂の働きが強いことが解ります。そこには正しい思考が入っています。だが、自分の直感ばかりを言われる方は「光」に惑わされて、自分の前世が釈尊とかイエスと名乗るニセ者の五次元とか六次元程度の光の存在にコロリと騙されてしまうが往往に起きてしまいます。

          少し前、かなりの霊力が有る神通力者さんが私が知る光を持っている人のことを言われていまして、それは他の神通力者さんも同じことを言われてはいたのですが、私がそれは違いますよとメールを送ったところ、お前の程度の者に何が解るかとおっしゃいますので、そこまで言われるのならば私の背後の存在を目を見開いてしっかり見なさいと伝えておきましたら、その後、お赦しくださいと詫び状が届きました。
          私にはその詫び文以外は何も言われませんでしたが、他の方には私の背後の光に殺される。あんな恐ろしい光は見たこともないとブルブル震え上がられたとのことでした。この神通力者の方はスピで愛を言っている方とは段違いの実力があると見受けました。しかし、私の背後にある存在までは見通すお力はなかったようです。光を見せびらかしている存在は、さほど高くないのです。

          その方は何を見られたのか?。それは私が説いている「良心」神の光だったのでしょう。良心神の光は真性天照太御神として顕現する光だからです。スピを自称されている方で、「光に殺される」と言うような凄い光を見られた方はたぶんおられないでしょう。神社仏閣に祭られている御神仏が出される光の段階ではないのです。それが「天の岩戸の中の光」と呼ばれる光です。私もはその光を見たことで、この光が表に出たら大変なことになる。この光が出された時に対処するにはどうしたらいいのかと探って来て、人の魂の中にある「良心神」の存在を導き出したのです。

          天の岩戸の光は、火炙りの刑の如く

          私が未だ「人に内在する良心神」に気づかない30年ぐらい前、出口王仁三郎聖師の言霊顕彰会の講演で、私は当時の師匠の代理として東日本日本大震災を予言したと言われている松原照子さんと二人で講師として講演したことがあります。
          その講演が終わった途端、私はその会場に居た二人の女性霊能者に抱きつかれてしまいまして、何事と思っていましたら、貴方の胸の奥の中に岩窟のトンネルがあり、その奥に真性天照太御神様が居られると言って。オイオイと泣かれるのです。

          聞いた私はポカンとしていました。まして真性天照太御神の意味が解りませんでした。もし、皆さんが天の岩戸と呼ばれる中の光を見たとしたならば、光に殺される。お赦しくださいと震え上がることになります。否、その前に大本教神諭に、自分を殺せとのたうちまわるとあるほど、その光に苦しむことになるでしょう。それは魂の汚れを一切赦さない光だからです。 自己の魂に汚れがあれば、それを焼き尽くす神の光なのです。

          自己の良心神の点数を上げるということは、「米」で説かれる天の岩戸開けの時に出る光に、自分がどれだけ耐えられるということなのです。


          主の神と私達の魂の契約は「禊ぎ」にあります

          「禊ぎ」とは自分の魂の汚れを洗い落とすことです

          魔界を一瞬に消す光の剣を持っていると豪語されている方が、神との「契約書」を捨てなさいと言っておられましたが、私にはどう考えても意味が解らない教えでした。
          自分の魂の「汚れ」を取ることが私達の個々の魂と主神との契約であり、その契約に従って玉思惟(魂)の汚れを祓い清める。すなわち「御祓」です。また、字を替えると「禊」です。主神との契約を破棄するということは、もう私は魂の汚れを落とす磨きは一切しません。そう宣言することだからです。

          それで自己の魂の汚れを祓うことを止めれば、後で泣くのは自分なのです。

          何を証拠に?。言葉をよく見れば意味が解るはずです。

          禊(示・契)=神との契約の示し=身滌(みそぎ)

          だが、いくら言葉(漢字)に示してあっても、自分が「光」を言うものに騙されていることに気づかない人が多数おられます。
          どんな新築の家で、そこを閉めておいても「チリやホコリ」は溜まります。為に新築でも住まない家は掃除をしなければなりません。魂も同様にいくら聖人君子の生き方をしたとしても、魂にチリやホコリは必ず付着します。それは常に祓い(掃除)清めしなければならないのです。

          そのチリやホコリは「光」で消えるでしょうか?。

          その意味が日本神道の祝詞、【身滌(みそぎ)】の祓いなのです。

          身滌の【滌】は、洗う、すすぐ(濯)の意味で、身(魂)の洗濯

          その禊ぎとは瀧に打たれたり、川の中に入ることではないのです。それを禊ぎと言うのであれば、それは間違いです。
          私も瀧に打たれたりしますが魂の禊ぎではなくて、自分の「精神統一」の為です。雑念を祓って無の状態を起こさせる為です。

          さて、神道で使うところの御祓の祝詞には、不思議な内容が存在します。
          伊弉諾(伊邪那岐)大神が阿波岐原(あわぎはら)に御禊祓(みそぎはら)へしたまひし時に・・・・・・

          この阿波岐原(あわぎはら)とは何のことでしょうか?。

          祝詞文にあります「阿波岐原」とは、一般的には宮崎県宮崎市阿波岐原町にある池のことだと思う方達もあるでしょうが、伊弉諾伊弉冉の二尊が棒をかき混ぜて日本の島々が出来たとするならば、その神様の大きさはとてつもない大きな体となります。そんな小さな池に入れるはずもないでしょうが。
          阿波岐原とは、阿波(アワ)で岐(別ける意味)の原です。
          阿波という漢字が振られているから意味が解けないのです。これは「泡(アワ)」の意味です。

          皆さんは服が汚れた時、服を洗濯するのに洗剤の「泡(アワ)」をもって汚れを落とされるでしょう。それと同様に魂の汚れを洗うの意味の「阿波」なのです。もし泡立てなければ、魂の汚れはさほど落ちないでしょう。

          何故にお前ごときにそんなことが言えるのかと、お叱りを受けるかも知れませんが、これは私が最近見せられたからです。


          その泡で魂を洗ってくださるのが素戔嗚尊(瑞霊)

          その洗い終わった魂に光を当てるのが真性天照太御神(厳霊)

          通常、私達が知る日本語の言霊の並びとして「アイウエオ」「イロハ」「ヒフミ」の三つがあります。他に「アワのうた」があります。私も言霊学ではこの「アワのうた」の並びは幾度も目にはしてきました。
          その「アワの歌」を盛んに言われる方達がありますが、ある御神霊が「アワの歌」は過去の遺物と言われています。某霊能者の方もこの「アワの歌」を知らなかったので御祭神に問われたところ、やはり過去の遺物とのことだと言われたと言われています。過去にはそうした言霊の並びがあったのですが、時代と経て今は必要が無くなったです。
          ですから、古い言葉だから正しいではないのです。そこは変化があるのです。イロハなどは完全に言葉で歌を歌えるからです。その「アワの歌」の「アワ」の意味ではないのです。


          阿波の国(徳島)と淡路島の淡(アワ)。その間が「鳴門」です

          その間を渦が巻く。つまり魂の洗濯の要素の「アワ」です

          洗濯機は「渦」を巻いているでしょう。

          アワの島には「ス(州)」本が在るでしょう

          私は「富士鳴門」の仕組みを、ほとんどの神々や霊能者の方達は間違った解釈をしておられるとは気づいていました。私自身若い頃に数ヶ月間淡路島の「洲本」で暮らしていたことがあり、何か型を織らされたのではないかとは思っていましたが「泡」には気付きませんでした。

          その「泡」を出す洗剤とは何なのでしょう?

          それは「言霊」という洗剤(宣材)を持って、魂の汚れを洗うわけです。

          通常神社に参拝して神主さんに御祈祷をお願いしますと、まず最初に【身滌大祓(みそぎおおはらい)】をしてくださるでしょう。
          しかし、それで魂の過去の全ての汚れが落ちるというものではないのです。魂に付いたチリやホコリを祓うであって、別に魂の洗濯をされているのではないのです。では、毎日毎日神社に参拝して神主さん御祈祷してもらうなど現実的はありません。

          現実的には、自分の魂に付いたチリやホコリ(人の想念)は自分が日頃から身滌大祓(みそぎおおはらい)の祝詞を上げていけばいいのです。しかしそれは過去に付いた魂の汚れを洗うところまでは行きません。

          そこに【言霊】と呼ばれる宣材(洗剤)を入れればいいのです。

          宣材の言霊としては「アイウエオ」「いろは」「一二三(ひふみ)」があります。

          アカサタナ ハマヤラワ ガザダバパ
          イキシチニ ヒミイリヰ ギジヂビピ
          ウクスツヌ フムユルウ グズヅブプ
          エケセテネ ヘメエレヱ ゲゼデベペ
          オコソトノ ホモヨロヲ ゴゾドボポ



          いろは にほへと ちりぬるを (色はにほへと 散りぬるを)
          わかよ たれそ つねならむ  (我か世たれそ 常ならむ)
          うゐの おくやま けふこえて (有為の奥山  今日越えて)
          あさき ゆめみし ゑひもせす (浅き夢見し  酔ひもせす) 



          ひふみ よいむなや こともちろらね
          しきる ゆゐつわぬ そをたはきめか
          うおゑ にさりへて のますあせえほれけ

          こうした「言霊」を上げる事が、魂の汚れを洗ってくれるのです。

          どれが一番効果があるかは、どうも人によって違いが見られます。この三つとも唱えられたならばいいでしょう。その上げ方の見本は私のHP言霊(kotodama)にも載せています。

          大本教で「いろは」を教え、日月神示で「ひふみ」が出て

          トドメは【アイウエオ】


          カサタナハマヤラ

          いろはやひふみは、369の「米」が織れないヨハネ(四八音)



          自分の魂を洗う「宣材」を入れてください

          魂を磨くのには「研磨」で解る様に、日々の努力や行いが大切です。その為に長い年月の魂の「輪廻転生」も必要でした。
          仮にそうしたことを忘れていたとしても、自己の魂の汚れを洗うことをしておけば、トドメの時にはその魂の洗いが自分の魂を助けることになります。

          こうしたことをキチンと教えておられる御神霊ならばいいのですが、そうでない御神霊が多いように見受けられます。


          精神世界

          にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
          にほんブログ村

          この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。

          新地球は「瓜二つ」でも、みろく世に行く魂は双生児(ピーナツ)

          0
            別地球とか新生地球を述べておられる方はさほど多くは居られないと思います。聖書には「新しい天地」のことが書かれてはいますが、その新しい地球とは今日や昨日に急ごしらえされた地球ではなくて、この地球が創生された頃から創造神がこの地球の非常時に備えてバックアップ地球として創生されていたとの説もあります。
            ただ、この予備地球は無人の地球で霊人ですら誰も住んでいなかったとの説もあります。

            ただ、その新地球は三次元世界ではないので科学的は存在しえない物なのです。それを証明しろと言われても、それは不可能なので、信じるも信じないも個々の自由な話ではあるのです。
            また、そうした情報がスピで何かと言えば宇宙連合などと言われる方達の情報の中に一切ないのは、宇宙連合などという話の次元界よりも更なる高次元界に存在していたことで、宇宙人ですら解ってはいない話なのです。ただ、創造神がそうした次元界の者には解らない様に隠しおかれていたとの話もあります。

            そうしたことに関しては、掲示板の世界でもそうした内容を語る板まであったようです。私は別に突拍子もない話をしているのではないのです。ただ、そのことを知る霊能力を持つ方の数が少ないだけの話です。
            私は子供の頃に臨んだ、私(神)は旧約聖書の神であると名乗る声から、この地球とまったく瓜二つ(同型)の別地球の話を聞かされただけのことです。当時は私も子供であり、これまでの天地は消えて、新しい天地の話が聖書に記載されているなどとは知るよしもありませんでした。

            ただ、私は大本教神諭予告の「九つ花」を誠で紐解いて、それは「ラ」神論であることが解りました。私は2番目の師匠の元で「言霊」を習って来ましたので、言霊を知らない方は「ス」神論とか「ラ」神論を言っても、何が何だかさっぱり解らないかも知れません。おそらくスピを言う方の「99%」は意味が解らないでしょう。しかし、言霊が解らなければ聖書にある【ことばは神と共に在った】が永遠に理解は出来ないでしょう。

            ラ神論の意味は、一つは人に内在する「良心」神の良(ラ)。一つは世界で言われて来た太陽神の意味のラー。閻魔大王の正式名の閻羅大王の「羅(輪廻転生)」。宇宙の進化に基づく螺旋運動の「螺」。そして、瓜二つの「蓏(この漢字が示されない機種は、草冠の下に瓜が二つ)」あるのです。
            私はHPの上野公園に出しているので、その図をここでも出した方が早いですね。



            大本教神諭予告の「九つ花に咲く一輪の言霊の経綸」を誠で紐解けば、「ラ」で別地球のことは言葉上でも解るわけです。

            先日のブログにも書いた某観音様が、その神霊取次の方を通じて、人類が新地球に行くのは、この地球に隕石の雨が降るからと言って寄こされましたが、そうしたことに関しましては以前にブログでも太陽爆発の光景を幻視しされた霊能力者が何人も居られると書いていますし、太陽が爆発するとか月が崩れるなども全て織り込んで書いて来ました。
            大本教の基本宣伝歌にある例え大地が沈むとも、誠の力が世を救うで、その前にこの地球から脱出の必要があるのです。

            私が子供の頃に臨んだ声から、この地球は人類が住めない状態になるとは聞きましたが、その某観音様はこの地球は消滅するとまで言われていまして、それは今の地球に人が住めなくなろうが消滅しょうが、新しい地球に移行すれば別にどちらでもいいわけです。

            ただ、現在の肉体のままでは五次元に行くことは不可能なのです。魂として新しい高次元の世界に渡るわけです。これを「種」を残せと説かれる御神霊もあるでしょう。

            そして、新しい地球に移行した私達の魂は新しい世に適した肉体を新たに創造神より賜ります(聖書における復活・素戔嗚尊の民は将来に蘇るの蘇民将来)が、また「原始時代」から始めなければいけないのかと言いますと、国常立尊様は驚く方法を実施されたのです。それは、みろく世に行くことが確定している方の魂は既に二つに分割して、その片方の魂を新しい地球の建設部隊として既に送り込んでおられるのです。

            つまり、それは「瓜二つ」の方ではなくて、魂の双生児という自分の魂の片割れが既にみろく世に行っている人達も数多くあるということなのですが、それが肉体レベルでは解らないのです。それは私達の肉体に残っている魂と、新地球でみろく世の建設に従事している魂の間の相互通信回路が切断されている為です。 この話は世に出ておられる神々に解っておられるかどうかは解りません。

            私は大本教神諭に世の立替があることはどの神も御存知なれども、肝心要のことは解っておられないとありまして、神々は立替があることは解っておられるものだとばかり思っていましたが、あにはからんや神界の下位の神々はまったく御存知ないという有様でした。しかし、神界でも上の神、豊受様とかコノハナサクヤ姫などは御存知でした。
            全神界に立替があることが行き渡っていなかったからと言って、創造神の仕組みが中止されるとは考えにくいのです。稲荷神界においても、豊受様がいくら立替があると下位の神々に告げられても、ポカンとしている御神霊が多数おられたからです。
            言っても説いても解らぬ神ならば、もはやそうした神々は掃除しなければならないのです。

            今回の立替の仕組みは、大本教神諭に世に出ておられる神々では解らないこととあるように、魂を分割して新しい地球(みろく世)に送ったことを語ったのは「豊受」様のミタマを貰っている方が国常立尊様から直に見せられての話です。ただ、その方はそれを「繭」型として見られた。私は繭に首を捻りましたが、「繭」型には落花生もあるのです。


            一卵性双生児ではなくて、一魂二分割

            この世の肉体に残っている魂は三次元肉体が終わった後、既にみろく世に渡っているもう一人の自分である魂と意識が統一されますので、先発の自分が新しい地球に居ますのでそこで何ら違和感なく新しい世を迎えることが出来るのです。それらが、立替後は「嬉し嬉しの世」と宣伝されて来たことなのです。

            大本教神諭 明治31年旧12月26日
            出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。誠の人を西と東に立別けて御用がさして在るぞよ。この事解りて来たなれば、三千世界が一度に開くぞよ。綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ。

            がありますが、この「誠の人を西と東に立別けて御用がさして在るぞよ」は、素戔嗚尊=真性天照太御神(日之出神)の意味だけでなく、創造神が「誠」の者と認められた方は全てそれに該当しており、魂が「東西」の意味でこの地球と別地球建設の先遣隊として分割されたのです。

            それに自分が該当していたかどうかは、既に夢で行く先は解らないが何等かの乗り物に乗る夢を見られているかと思います。


            精神世界

            にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
            にほんブログ村

            この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。

            馬の年に現れるか?。【馬小屋(駅)の救世主】の意味

            0
              日本神界での新年とは、基本的に「節分」からとしますので、2月3日の節分までは旧年とします。神の西暦2014年の仕組みは節分からとなります。世の大立替を宣言した大本教開教(西暦いち早くに・1892年)から123(ひふみ)年目となります。


              私は三十数年前に、豊受様に大立替は何時起きるのですかと尋ねましたところ、その日が何時かは解らないが、確実に言えることはあなたがこの世に生きている間にその大立替は間違いなく起きます。人類は一人も残りませんと言われます。あなたはその大嵐の中を通ると告げられました。

              が、私は三次元世界で人類が助かる道はないのかと模索続けました。だが、その道は見つかりませんでした。そんな時、豊受の神は私にある映像を見せられたのです。その当時の私はその意味を別の解釈をしていました。それも間違いではないのです。それが「米」教となったからです。しかし、「米」教は万人向けではありませんでした。いくら説いても言葉の「米」の仕組みの意味を解ろうとしない人だらけだからです。

              昨年の秋口に、そうした人達も助かる道のヒントが奈良の法隆寺にあると感じて、当時豊受様が私に見せられたのは「夢殿」。夢殿と言えば法隆寺。その法隆寺の夢殿を見に行ったのですが、答えが出て来ませんでした。
              ただ、法隆寺宝物殿で一体の如意輪観音さんを見ると、それは私が修業に入った頃、モヤモヤした物が現れたかと思うと、それが一瞬に凝縮して像となって空中に浮いていました。その如意輪観音像が宝物殿に存在していていたのです。ここの仏像か!。です。それはある意味、私にとってはカルチャーショックでした。
              その後、「五行」と出て、またもや頭を捻っておりましたが、ようやく法隆寺の夢殿の意味が解りました。そうか!。豊受様は何故にあそこに立たれていたのかです。夢殿の鍵は救世観音さんではなくて如意輪観音さんにありました。
              その作業は世に出ておられる神々や霊能者の方では出来ませんので、それは今後豊受様がどうなされるのかにかかって来ます。豊受様しだいと言えるでしょう。

              取り敢えず、これまでのまとめをします。

              人類の助かる道は【五次元】界に上がることなのです

              私は大本教神諭予告、「九つ花に咲く一輪の言霊の経綸」を誠で解きましたが、その陰には出口王仁三郎聖師霊のみならず、豊受様が私に見せられた光景もあるのです。

              その「五次元界」に上がるは、ほとんどのスピリチュアルの方達も言われていることでもあり、そこに私との意見の差異はないと思います。

              ただ、多くのスピの方が言われているのは、何もしなくても「この地球が五次元界に上昇する」からと言われますが、それでは【プラットフォーム】の話が抜けています。

              この意味は私のHP上野公園http://uenokouen.com/ に記していますが、ここでも説明します。

              この仕組みは「七五三」の仕組みと言います。皆さんは、子供さんの「七五三」にお宮参りをされますが、神事での七五三は「七五三(〆)縄」から来ることで、結界張りの意味等として使われますが、「閉める」の意味なのです。今の世を「閉める」時が七五三なのです。また、締めるであれば、「天帝」の糸(意図)ともなるのです。


              七五三と書いて「〆(閉め)」と言わせた意味


              言葉とは一つの意味を示しているのではないのです。日本では国常立尊様が三千年に渡って仕組んで来られたことなのです。言霊と呼ばれる世界のことを知らないスピリチュアルでは言葉の仕組みは理解することは難しいでしょう。
              聖書、「始めに言葉は神と共に在った」。世界の言葉の中で、「日本語は唯一神の言葉」なのです。で、日本は古来より「言霊の幸はふ国」なのです。




              今の三次元地球が五次元界に上昇するは上図の右側です。それだけだとすれば「五六七」の世とはなりません。スピの方々は上昇だけを言っておられるのです。

              岡本天明氏の日月神示(ひふみ神示)に「123(ひふみ)」から「345(みよいづ)」、そして「567(みろく)」とありますが、おそらくスピでは誰一人としてこの意味は解らなかったでしょう。

              123=この世を造った造化三神の働き

              345=今の世を構成する働き

              567=みろく世と言われる神の地上王国の働き


              聖書に「新しい天国」と記されますように、左側の七次元界に存在した新しい地球が五次元界に降りて来ます。そして重なりますが霊的な重なりです。なお、〇十とは「アース」記号。地球記号のことです。が、これまでの地球上では無くなるのです。

              エッ!。〇十は薩摩紋だとばかり思っていた方達、神は一つの言葉で幾つもの意味を秘めて、今回の仕組みをされているのです。大本教霊界物語では、きちんと「〇十はみろくの神の御紋章の定めなる」と書かれています。
              大本教神諭にある「薩張(さっぱり)」は、神軍が神界の御一新として、神軍としてこの紋を付けるからです。天帝の命に従わぬ神は如何なる地位にある神でも、これを討ての命令からです。また、征伐だけでなく救世の神々も、この紋を使用することになります。

              私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受様が貴方は「言葉の〇」と呼ばれる方で、貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)と同じであり、貴方の言葉による教えを聞けぬ神は如何なる神も天帝に対する反逆罪として、天帝により処罰されますと言われた意味なのです。

              ただ、私が子供の頃に臨んだ声は「旧約聖書」の神と名乗られて、そなた一人だけには私の仕組みを見せる。そなたはその仕組みを見て、人々に告げなさい。もし、そなたが教えを間違えたのならば、それはこの私の仕組みが悪かったのであり、そなたの責任ではないと言われたのですが、私も人の子である以上、完全に解けているのか自信はありません。ただ、それが仕組みである告げられたわけです。
              で、私はスピの達の様に霊が見えるとか病気治しは出来ません。霊能者の方の様な霊能力は使えません。しかし、主と呼ばれる神の仕組みを見せられて来ている者なのです。


              この時に聖書で記される新しい天地の天国(みろく世)に移動します。


              ここに乗り換えの「プラットフォーム」が起きるのです。ですから、無条件に皆揃って「みろく」世には行けません。



              みろく世に移動する人達の作業を終えた後、元の地球は元の次元にと戻ります。そしてみろくの世(神の御国)が始まるのです。みろくの世は、天国界を新しい地球上で開始するのです。

              この乗り換える駅のことを「馬小屋の救世主」と言います

              為にはキリスト(真理)を必要とするのです

              馬小屋の救世主という言葉を広めることをされたのは主の神でしょう。だが、イエスがキリストだと思っている方は、神の仕組みが理解出来ておられないのです。全てはロゴス(言葉)により真理は明らかにさせなければならないからです。
              ノストラダムスの予言、西洋の人がいくら待ち望んでも西洋からは現れない。東洋の叡智の飼い葉桶。人ではなくて、言葉の仕組み(叡智)の中に救世主の存在は出せるのです。飼い葉桶は午年のことです。ですから、最後の審判は午年に各自の「良心神」で判定されてしまうのです。

              これまでの三次元地球の意識では、五次元から始まる意識とは違いますので、在来線(古い地球の意識感覚)では線をつなげないのです。ですから、乗り換えます。

              下記の図は以前にこのブログの【無理に自分が救世主だと思い込むと辛くなりますよ】で掲載した図です。ここで人類を乗り換えさせないと、大本教神諭予告、「ユダヤの悪鬼によるこの世を泥海にする仕組み」にこの地球が嵌まってしまうからです。





              精神世界

              にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
              にほんブログ村

              この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。

              正月元旦に届いたビックニュース

              0
                私儀、昨年の三月に母親を亡くしておりますので、まだ一周忌までの喪が明けておりませんので、年頭のご挨拶は控えさせていただきます。


                正月元旦に私の元に一通のメールが届きました。それは12月30日に私が書いたブログの内容、伊勢外宮の豊受大神が、かって豊受様の御代をしていた私の師匠に、自分は内宮の天照太御神より神格が上だと述べられたと書いたことに起因する話です。
                そのことで、元旦に三輪大神神社に関係する神霊取次の方が、狭井神社の御神霊に「伊勢の内宮の天照太御神様とはいったいどなたなのですかと」お尋ねされて告げられた内容です。その時に男神と女神が誰かを証されたのです。

                その内容は驚きと言うよりも、よくよく考えれば、伊勢神宮の内宮の男神様はその方でないと歴史的にも話のつじつまが合わなかったのです。

                私達日本人がどこでそれを間違えたかと言うと、皇室主観主義の御用学者が日本神話を持ち出し過ぎていたことが原因です。つまり、天照太御神様を頭から女神だとの決めつけです。

                伊勢神宮の始まりとは、下記の写真の場所から、倭姫が近畿各地を天照太御神と共に回って結界を張って、最後に伊勢の山田に鎮座されたわけです。それらの巡幸場所が元伊勢と呼ばれているわけです。すると、この地がその天照大御神が祭られていた元の場所です。
                昨年の10月に、これら一連の場所を回った時の写真です。







                伊勢の天照太御神とは、この桧原神社から奉祭するお山を御神体とされた神です。

                それは別にニセ神でもなんでもないのです。最初からその御神霊を天照太御神として私達日本人は尊敬して来たわけです。ただ、それだと世界の太陽神信仰神とはずれてしまうわけです。
                その御神霊の日本人の総氏神としての地位は何等変わらないとしても、厳密に言うところの太陽神ではなかったわけです。

                その狭井神社の御神霊から出されたみろく世に渡られる重要な三柱の神は、「国常立尊」「豊受神」「真性天照太御神=日之出神」の御三体とのことでした。

                異論のある方は、その真偽を調べてみてください。

                これも一つの情報であり、絶対ということでもありません。ただ、そうした情報を組み立てれば、隠されていたことが見えてくることになります。

                本当の天照太御神(日之出神)は隠れているです。


                精神世界

                にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
                にほんブログ村

                この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。


                calendar
                   1234
                567891011
                12131415161718
                19202122232425
                262728293031 
                << January 2014 >>
                日本ブログ村に参加しています(よければ応援のクリックを願います)
                selected entries
                archives
                recommend
                links
                profile
                search this site.
                others
                mobile
                qrcode
                powered
                無料ブログ作成サービス JUGEM

                にほんブログ村 哲学・思想ブログ アセンションへ
                にほんブログ村