全国一の宮・北海道神宮編。函館山での不思議

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    私は全国一の宮巡りを考えていましたが、薩摩の天文館から鶴岡八幡宮を回って阿波一の宮に行き、その阿波一の宮を初発の一の宮にしなさいと霊夢を受けて、阿波の一の宮(大麻比古神社)に参った後、沖縄の一の宮に行きました。

    全国に一の宮と呼ばれる神社があるのですが、その国とは現在の都道府県のことではなくて、古代の律令制度の国であり、都道府県の中にはその律令国が3国もあったりします。
    例えば京都府を見ますと、山城の国・丹波の国・丹後の国があります。知らない方が間違われるのは、丹波と言いますと兵庫県の篠山市当たりと思われていますが、丹波の代表的な町は大江の元伊勢で知られる福知山市とか亀岡市等の京都府側なのです。この丹波にしても元々は現在の丹波・丹後・但馬を合わせており、これを地元では「大丹波」と言っていますが、律令制度下では丹波・丹後・但馬と3国に分かれます。
    逆に陸奥の国と言えば、時代でかなり地域が違うのですが、青森県・岩手県・宮城県・福島県に秋田県北東部を言います。明治になって磐城国・岩代国・陸前国・陸中国・陸奥国の5国とされています。出羽国は山形県と秋田県(北東部以外)を指します。

    そうなりますと、一の宮と言っても、陸奥は祝詞本に記載されるのは磐城国にある都々古和気神社(複数言われている)。出羽国は羽後国たる山形県の大物忌神社となり、当時は蝦夷の北海道と琉球国であった沖縄県は入りません。
    そこで全国一の宮会に所属するなどの別表神社の一の宮を加味したのですが、これも複数の神社の名乗りがあったり、祝詞本にあっても別表神社には入っていない単立神社もあります。そこでその県を代表とする神社を一の宮と見立てるより回りようがないということにもなります。一の宮を名乗っている神社が存在しないのは秋田県のみなのです。

    さて、沖縄に行ったところで歯痛が起きてしまいました。歯痛には勝てません。沖縄から帰って来た後、11日間連続して東北・北陸道を回る予定をしていましたが旅を断念して、歯医者通いを始めました。
    その歯の治療の間に2月頃から予約を入れていた北海道札幌の北海道神宮に向かいました。結局、南の沖縄から北の北海道に回ることになってしまいました。ライン的に言えば、沖縄から北海道が正解なのかも知れません。

    北海道に行くに当たって札幌に入る前に「函館」に入りたいと感じて、関空から函館の便を予約していました。別に函館の神社に行きたいではなくて、函館山が私を呼んでいるという感じです。函館山で何かがあるか起きる予感です。

    函館に着いたのが夕方。曇り日です。函館山近くのホテルで旅装を解いて、ロープウェイ駅まで徒歩で行き、チケットを買おうとしたら、その売場の女性が言われます。
    「展望台に上がられても、本日は霧ばかりで下は何も見えません。それでも良かったら上がってください」と言われます。しかし、そんな話はにわかには信じられません。何故ならば、私はロープウェイ山麓の下にあるホテルの一室で写真を撮りました。その窓から函館山の展望台は見えませんでしたが、霧など見られません。右に見えている山は函館山の一部なのです。この状態で見えません?。


    今日は霧ばかりで下は見えないとなれば、上がっても意味はありませんが、明日の夜は札幌だし、もう来れないのだからと見えないことを前提にロープウェイに乗りました。ロープウエイが上がるにつれて、下の景色がまるで見えなくなって来ました。函館山の展望台付近だけが何故か霧に覆われていたのです。
    展望台で一人の旅人の方が、そこに居る係員に聞いておられると、今日、下が見えたのは一瞬の間だけであり、ずっと霧がかかっていますと言われます。
    私はチケット売場で上から下は見えませんと告げられて承知で上がったので、どこにも文句の持って行きようがあります。まったく何も見えないのです。多くの観光客の方が諦めて下に戻って行かれます。
    こうしたことは過去に箱根駒ヶ岳ロープウェイでもありました。下では何ともなかったのにロープウェイで駒ヶ岳山頂に上がったら霧で何も見えない。もの凄い風が吹く中である神業を行って降りようとすると、下は何事もなかったことがあるのです。霧と寒さで観光客も展望台には来ないでお土産店に人が集まっていました。可哀想だったのは修学旅行生達。何も見えない展望台。18時37分撮影。


    今回の函館は神業は関係していないはずなので、諦めて展望台を降りようかとした時、私にあることが入りました。「素戔嗚尊でこの霧を祓えばよい。30分から1時間で下が見えてく来る」でした。
    しかし、「素戔嗚尊」で祓うとは、どういう意味なのか?。取り敢えず、素戔嗚尊でこの霧を祓い給えと言って20分ぐらい寒い風の中にいましたら、霧が徐々に晴れて来たのです。
    その30分後の写真が下です。大勢の観光客と言っても、ほとんどが中国か台湾からの観光客でしたが、函館に来た甲斐があったようです。と言って、私が霧を晴らしたではなくて、たまたま偶然だったのかも知れません。
    しかし、素戔嗚尊でこの霧を祓い給えと出たのも私にとっては事実でした。この函館に来る一週間ほど前、夢の中で救世主は素戔嗚尊であり、素戔嗚尊が立つと夢を見たからです。
    すると、この北海道行きは札幌の北海道神宮にあるのではなくて、函館山に意味があったと考えられるのです。30分後の19時07分撮影。


    私は函館から札幌に行く行程でかなり悩みましたが、函館空港から千歳空港に飛ぶことにしたので、午後3時頃まで函館に居ることが出来ます。そこで市電に乗る為に十字街に行ったら、変なものがありました。何と!。坂本龍馬像。
    函館と坂本龍馬には結びつきがあったようです。それは坂本龍馬が北海道(蝦夷)に移住計画を持っていたことからです。坂本龍馬の家は姉の子である坂本直が家督を継ぎ、その弟である坂本直寛が竜馬の意志を引き継いで北海道開拓に入っているからです。その龍馬の子孫達の一部は北海道に存在するのです。


    函館の元町の煉瓦街を歩いていると、こんなものが飾られていました。新撰組の旗です。確かに最終的に新撰組が消えたのは函館です。その誠の旗を見ていて、あることに気づきました。神が示される「誠の旗」とは違っているのです。それでは神が選ばれる「誠の神選組」とはならないのです。これでは「誠」でも勝てないのです。


    下記の写真は今は消えた青函連絡船の「摩周丸」です。今は記念船として係留されています。たぶん、私が推察する言葉の意味は「青函」ではなくて「生還」です。素戔嗚尊によって死者がみろくの世に蘇る「生還」です。それは「みろく丸」が船であると出て来るからです。


    下記の写真は「五稜郭」ですが、函館戦争そのものは黒田清隆率いる新政府軍に函館山が占領されたことにより、函館は新政府軍に制圧されてしまった。太平洋戦争が終結するまで函館山は日本軍の要塞であり、そこには一般人は立ち入ることが出来なかった。重要なのは五稜郭ではなくて函館山だったと言えます。



    その日の夕方函館を発った私は札幌に行き、翌朝の定期観光バスで積丹に向かいました。北海道には義経伝説が幾つも存在します。そうした中の一つに神威岬が存在します。

    大本教から当時に世に告げられた「世の大立替」に関する話として、出口王仁三郎聖師の救世主は神素戔嗚尊演技と、「源の日出雄」で蒙古に渡る型演技がなされましたが、この源の日出雄とは実在の「源義経」のことを語ります。
    北海道に渡る少し前に一人の方からメールを頂きました。それには、源の義経さんの霊は自分が北海道積丹半島から何の目的があって蒙古に渡ったのか思い出せていないようですと書かれありました。
    私自身は俗に言われる源義経=ジンギスカン同一説は採りませんが、北海道に多く有る源義経伝説。そこに神の何等かの狙いはあると見ています。

    その神威(カムイ)岬に行く前に存在する女人禁制の地の門。昔は女人は岬に行ってはいけなかったことで女人禁制の地の門とされ、そこに義経伝説が生じています。
    今は女人でも通っていいのですが、風がきつい日はこの門は閉ざされます。ですから、原則的に言えば風のきつい日は男女に関係無く通れないのです。また夜間も門は閉ざされます。危険だからです。


    岬の先端にあるのが神威(カムイ)岩。それが義経とアイヌ娘の悲劇として語られるのです。


    岬には無人の燈台があり、その近くから女人禁制の地の門を見ると、急峻な尾根づたいに道があるので、風のきつい日は道を通るのが危険だと解ります。


    都市伝説として、この岬に行った若い女性が足に怪我をするなどが語られていますが、私はこの門をくぐった途端に転んでしまいました。その付近だけが舗装のアスファルトと地道に段差があり、その段差に躓いて軽い捻挫をしてしまいました。老いた証拠ですが、他の場所ではそんな段差がなかったのですが、そこだけに段差があったのです。
    軽い捻挫でしたのでそのまま岬に行き、ホテルに帰って来てコンビニで買った熱冷ましシートで冷やしておきましたが、内出血で足の皮膚が紫状態になってしまいましたので、かなりの衝撃はあったようです。
    神様信仰をしていても怪我をする時は怪我はするのですが、それが大事になる確率が少ないだけの話です。軽い捻挫で終わったから無事に帰ることも出来たわけです。

    今回の目的地である北海道神宮。当日は朝から雨で、目的地がよく解らなかったのと軽い捻挫もあったのでホテル前からタクシーで往復となりました。それ以外はどこも回らず、ただ飛行機便までの時間を潰していました。


    私は人がする神業と呼ばれるものにどれだけ意味があるのかさっぱり解りません。しかし函館山での素戔嗚尊で霧が晴れるに何等かの意味があったと考えています。
    神霊界の霧が晴れて下界の見通しがよくなって来ていると考えれば、そこにはそれなりの意味があるのかも知れません。

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