全国の一宮を回ることにした私は阿波から安房へと走り、房総にと車を進めましたが、上総の国の玉前神社から鹿島・香取に行くにあたって、成田山の新勝寺に立ち寄ることにしました。私が成田山に行くのは東京に居た20代の前半に若い者4人で成田牧場にピクニック行った時に寄った程度で、40年以上も昔のことでした。その時に新勝寺は寄ったと思うのですが、あまり記憶に残っていませんでした。
私は無信仰の人にとやかくは言いません。私自身、子供の頃には霊の声を聞いていたのですが、成長するに連れて神とか霊を否定することはしませんでしたが、この世を生きて行くにあたって神仏とは縁遠くなっていました。だが、20代の後半に霊界からの干渉が始まったことで、かぐや姫のように霊の世界に戻る時が来たと認識したしだいです。
どうしてこれほど霊界から干渉されるのか、意味がさっぱりわかりませんでした。
そうした切っ掛け的なことがあれば、人は誰しも神仏の世界にと足も向けるからです。切っ掛けとか気づきしだいです。
私は昭和五十五年に摩訶不思議な体験をして、霊能者の方の元に相談に行った時、貴方にはお不動様がついておられるで、当時、天台宗の総本山である三井寺(長等山園城寺)で催されていた近畿の36不動尊が一堂に集まっての御開帳に行ったところ、その中の7〜8体の青不動尊から何か解りませんがビシビシと飛んできます。
そのことを最初の師匠に話したところ、その師匠は笑って、それはお不動様達が貴方の力を試そうとされたことで、貴方にとってはそんなことは平気だったでしょうと言われます。確かに平気だったのですが、後日私が暴れ薬師如来を鎮めようとした時にもその薬師如来からも同様のものが飛んできて、そうした類いのものは霊界の神仏からの攻撃であるとは知りました。
しかし。私はスピリチュアルを標榜する方達からそうした話を聞いたことが無く、あまり世に知られていない事柄なのかもしれません。仮に何体かのお不動様からそうした攻撃を受けた時、自分はスピでございでどこまで通るかです。
その師匠に、私に火炎を上げて出て来た不動明王のことを話すと、貴方は不動明王ごときを見て何をしているのですか叱られてしまいました。その師匠は豊受様のお代をする前には四国小豆島の某お不動様のお代をされていたことがあり、お不動様大好き人間の方からそうした叱責を受けるとは思ってもいませんでした。当時はお不動様ではいけない神の存在とは何だろうかと首をひねっていました。
後にその師匠は、貴方には東西南北と中央に日本の五大不動明王様が御守護に就かれる時が来ます。その中央に就くお不動様が決まると世が動きますと驚くことを言われます。その中央に座る不動明王とは、大峰山か成田山か比叡山の不動明王様のどなたかだろうと言います。しかし、そうした事態はまだ来ていませんので、どうしてそんな言葉が師匠の口から出たのかはよく解りません。
後日、東京の著名な霊能者の方に霊査してもらったところ、貴方にはお不動様や稲荷様が就いておられるが、それよりも上位のやがて神界を統一して来る神の存在があると指摘されましたので、私を叱った師匠やそうした霊能者の方はそうした存在の神を見ておられるのかもしれません。
ただ、こうしたことを書きますと、それならば今すぐに神界を統一しろとの声が必ず出ますが、私は単に一介の神の下僕であり、神に向かっては恐(かしこ)み恐(かしこ)みをしている者に過ぎないのです。そうしたことをするしないは私ではなく、神と呼ばれる存在がされることです。神界には神界の事情があり、人間が知る問題でもなければ、とやかく言う話ではないのです。
ただ、私が見なければいけない神仏の段階とは不動明王と呼ばれる存在よりも高い神の存在を言われたのだろうとは思います。
私自身創造神と呼ばれる神を知らずして、創造神と呼ばれる神に向かって行ってしまったからです。
成田山新勝寺に近づいたところで交通制限を受けてしまいました。少し迂回して駐車場に車を入れると凄い人。何事かと思いますと神輿がやって来ました。成田山祇園会のお祭りでした。祇園祭と言えば京都八坂神社(祇園神社)の祭りで、成田山で「素戔嗚尊」様のお祭りしているのか???です。
これは調べて解りました。成田山の祇園祭とは成田山で管理する湯殿山権現社の祭礼で、山形県出羽三山の湯殿山にある分祀かと思われます。出羽三山の湯殿山は大日如来を祭るお寺ですから、素戔嗚尊様ではありませんでした。
しかし、大日如来を載せた神輿など、私は初めて見ることとなりました。
神輿の前に太鼓が来ました。担いでいる方達の姿を見るとお坊さんの感じです。
成田山の神輿がやって来ました。
この御神輿に載せられているのは「大日如来」さんとなっています。
この祇園祭は成田の人々にとって、大規模のお祭りのようです。総踊りの衣装です。
京都の祇園祭でも見られる山車(だし)です。祭りの形式としては京都の祇園祭に近いようです。
この成田山祇園祭は7月4日の午後からで、5日は9時から権現山から御輿が出て、御輿に山車、屋台が町に繰り出して来て総踊りとなるそうです。6日は総引きなので、一番良い5日の時にたまたま遭遇したことになりました。
下の写真はおなじみの成田山新勝寺です。本堂に着いたのが午後3時に少し前で、その日の最後の護摩焚きを本堂内で見聞することが出来ました。しかし、うれしくない光景を見てしまいました。人々の欲望です。
もしも最初の予定であった4月に出発していれば、遭遇できなかったことになります。その意味では暑い盛りになりましたがよかったと言えます。
今回、私は「阿波」から「安房」で、あることを忘れていました。私は昭和五十五年の摩訶不思議な体験で霊的世界に入らないと行けないと感じて修業に入ったのですが、最初の師匠が貴方が何者かを知るには、伏見稲荷山の御本社の豊受様に直接聞く必要があるで、翌昭和五十六年の正月にその師匠に連れられて伏見稲荷山に上がりました。
その上がり口の途中で、その師匠が伏見山で初めて修業をされた豊受様のお塚の前で拝まれている時、私にボッティチェッリが描いた有名な裸のビーナスの絵画が見えて来て、
今生のそなたの役目はこの裸のビーナスの意味を紐解くことであると出たのですが、その時に「泡」がキーワードとして出ていました。
主のシンボルが海に漂って泡となっているところから生まれた美の女神。泡から生まれた裸の女神。
俗に言われる富士鳴門神業の「鳴門」にしても、四国「阿波」と淡路島の「淡」の「アワ」であり、鳴門の渦巻きは「泡」なのです。
「泡」に「阿波」に「淡」に「安房」です。
言霊で言えば「ア」から「ワ」までの道です。一部の方達は「あわ」の歌を説かれていますが、その「アワ」の歌のことなのかどうかまでは未だ不明と言えます。
私個人の感想は「あわの歌」のアワとは意味が違うとみています。
【あわのうた】「あ」から始まって「わ」で終わる言霊の並べ歌。
あかはなま いきひにみうく
ふぬむえけ へねぬおこほの
もとろそよ をてれせゑつる
すゆんちり しゐたらさやわ
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