全国一の宮。出羽国一の宮と羽黒山

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    出羽国一の宮と言いますと、山形県飽海郡遊佐町にあります鳥海山大物忌神社(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)になりますが、御神体は「鳥海山」と呼ばれる御山そのものになります。その鳥海山の頂に御宮があるのですが、そこに参るには登山となります。そこで吹浦の里宮にお参りさせていただきました。

    私はこの鳥海山の大物忌神社の御祭神は「大物忌」からして「大物主」さんのことかと思っていましたが、伊勢外宮の神で有り稲荷大神首座神の【豊受】の神様のことでした。
    「大物忌」の言葉を調べれば、伊勢神宮の天照大神の大御饌(おおみけ)を司る役職の言葉なのです。豊受神は丹後与謝宮から伊勢神宮の大御饌(おおみけ)の神として招かれています(雄略記)。

    写真は吹浦の鳥海山大物忌神社里宮の鳥居。

     

    その境内案内図。鳥居をくぐった右手に社務所や下拝殿があり、御祈祷は下拝殿でされます。

     

    本殿に向かう参道。それほど厳しい参道ではありません。
     

    参道を上がると拝殿があります。
     

    その拝殿の奥に二つの本殿が存在しており、写真の右側の本殿は大物忌神。反対の左側は月読命が祭られています。
     

    反対側の月読命が祭られる本殿。


    この神社が出羽国一の宮である由緒書。
    御祭神のところに、大物忌神(倉稲魂命・豊受神と同神)。月山神(月読命)と記されています。中世の神仏混合時代には鳥海山大権現として社僧(仏教)によって祭られていたとあります。

     

    次に全国一の宮ではないのですが、出羽三山神社に向かいました。

    私が霊的世界に関わった最初の頃、山伏姿をした一団の霊が私をよく守ってくれました。どうして私を守ってくれようとするのか意味は解りませんでしたが、その一団が羽黒修験者達と感じたので、機会があれば羽黒山に参りたいと思っていました。
    正式名称は出羽三山神社なのですが、羽黒山にあるので私は羽黒山神社だとばかり思っていました。


    出羽三山神社鳥居。


    修験道は神道と仏教が集合したものであって、鳥居もあれば釣鐘堂も見られます。

     
    出羽三山神社本殿。

     
    出羽三山神社本殿内部。神道で言う三社形式で祭られています。

     
     
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    全国一の宮 駒形神社・岩木山神社等

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      私は今回の東北方面の一の宮巡礼にあたって、一の宮とはまったく関係はないのですが、私がまだ22歳程度の若い時、会社の慰安旅行で中尊寺と毛越寺に行ったところで、皆で毛越寺の池を背景に記念写真を撮りました。
      その時、私を襲った思いは、自分はこの場所を知っている。昔のことではあるが私はこの土地に住んでいた遠い記憶です。そして、懐かしさのあまりにボロボロ涙を流しました。自分は誰だったのだろう?。そして、必ずこの地を再度訪れようと思っていました。
      私が子供の頃、私に臨んだ声は「そなたの前世は悲運の武将であった。人の魂胆が読めずに悲劇の武将を演じてしまった。今生のそなたは人の魂胆が見抜ける者とならないといけない」と、告げられたのです。だが、それが誰であったかは知る必要がないと告げられたのです。前世は前世で有り、今の世において前世の欠点を直して行くです。

      私が神霊界修業に入って少し経った頃、伏見稲荷山の御膳谷で最初の師匠がもうろうとなってしまい、どうしたのですかと聞いたところ、その師匠が言うのに「木曽御岳山のイザナギと名乗る神が出てこられて、貴方にお母さんを連れて吉野山の脳天大神様の元にお参りに行きなさいと告げなさいと言われました。」と言います。
      そこで母親を同行して吉野に向かうと、吉野に近づくと私に懐かしい感情がわき上がって、自分は吉野に居たこともあると涙がボロボロ出て来ます。そうか!。自分に憑いている霊が懐かしさに泣いているのだと解りました。
      しかし、吉野脳天大神の元に行っても、そこには大きな蛇(龍神)の像が飾られているだけで別に何も無し。何をしに吉野に来たのだろうと母親と話していると、山中から花の香が一面に匂って来ました。それは同行している母親にも解って、その花の香の匂いを放っている場所に行くと、野原の中にお堂も祠にも祭られていない野ざらしの石仏からで、一願不動明王という名がありました。結局、花の香をかぐ為だったのかと吉野から帰って来たのです。

      そうした感情は自分に憑いている霊が作用していると解って来ましたが、再度毛越寺の池を訪れたかったのです。
      写真は毛越寺の池。亀石と呼ばれる付近。

       

      以前に行った毛越寺と中尊寺。それに40年以上昔の時には行かなかった義経最期の場所と呼ばれるところを回って来ましたが、今回は何の感情も湧いて来ませんでした。

      陸奥国の一の宮ではありませんが、岩手県には陸中国新一の宮と言われる「駒形神社」があります。
      写真は駒形神社の神門。

       

      駒形神社の御本殿。


       

      東北の旅は距離が長いので、翌日青森県たる津軽国の新一の宮の岩木山神社に入りました。


      写真は岩木山神社の大鳥居。鳥居の横に見える家は温泉宿となっていました。
       

      岩木山神社の参道。

       

      岩木山神社。


      岩木山神社には他の神社と違う特色があります。それは手水社でなくて手水場となっていることです。ひしゃくで水をすくいます。

       

      岩木山神社本殿。


      次に秋田に向かうにあたって、少し遠回りですが五能線に沿った道を行きました。その途中に海に面した「不老不死の湯」がありますので、その温泉に立ち寄って来ました。黄金色とされていますが、金泉だと思われます。これは温泉好きでしたらお薦めです。


      海に面した不老不死温泉。湧きだしている温泉が黄金色と言われるのが解ります。浴衣は入湯料とは別で200円で貸してくれます。
       

      秋田県には一の宮とか新一の宮と呼ばれ神社が存在しません。そこで古四王神社を秋田県の一の宮と見立てて参拝させて貰いました。
      古四王神社鳥居と参道。

       

      古四王神社本殿。



       
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      陸奥国一の宮 馬場と八槻の都都古別神社・塩竃神社

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        陸奥国の一宮と言いますと、時代によって陸奥国の大きさは違っています。陸奥と言えば、東北一帯を陸奥国と呼んでいた時代もあるようです。
        現在、陸奥国の一の宮と呼ばれているのは宮城県の塩竃神社。福島県の東白川郡棚倉町馬場にある都都古別神社。ところがこの棚倉町には他にも都都古別神社があり、ここも陸奥国一の宮と言われています。
        同じ棚倉町に2カ所。それも車だと目と鼻の違いほどの場所。そこで棚倉町にある都都古別神社はその在所の違いで馬場都都古別神社と八槻都都古別神社と呼ばれています。その両社に関連性はなく、その理由ははっきりしていないようです。

        棚倉町馬場の都都古別神社などが示された棚倉町の観光案内図。
        この棚倉には城趾があり、そこに元々都都古別神社が存在しており、織田信長の元でその名がよく知られる丹羽長秀の長男であった丹羽長重が棚倉藩5万石の城を築くときにそこにあった都都古別神社を馬場に遷宮したことで、それが馬場の都都古別神社となります。
         


        馬場都都古別神社鳥居。
         


        楼門に陸奥国一の宮と掲げられている。



        馬場都都古別神社の拝殿。

         

        写真は八槻都都古別神社鳥居。

         

        八槻の都都古別神社の楼門にも陸奥国一の宮と額が掲げられている。

         

        八槻の都都古別神社拝殿。

         

        宮城県の陸奥国一の宮。塩竃神社の鳥居。

         

        塩竃神社の楼門。

         

        塩竃神社の唐門。

         

        塩竃神社拝殿。本殿は左殿と右殿で一社で主宰神の塩土老翁神は右側の別宮となっているが、現在は工事中で見られませんでした。

         

        塩竃神社の横にある志波彦神社の門。鳩が映り込みました。

         

        志波彦神社本殿。

         

        塩竃神社から塩竃市の海を展望。




         
         
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        全国一宮 下野国の日光と宇都宮の二荒山神社

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          香取・鹿島神宮等の東国三社のお参りを終えた私は下野国(しもつけのくに)の一宮を目指しました。この下野国(しもつけのくに)の一宮と称されている神社は、宇都宮の宇都宮二荒山神社と日光二荒山神社の二つがあります。

          宇都宮は「ふたあらやまじんじゃ」と呼び御祭神は豊城入彦命、日光は「ふたらさんじんじゃ」と呼ばれ日光の男体山(なんたいさん)などの三山を御神体としていますので、当てる漢字は同じでも同じとは言えません。

          その途中に「笠間稲荷」がありますので立ち寄ってみました。笠間稲荷に関しては日本三大稲荷と言われる方もありまして、この三大稲荷に関しては諸説あり、絶対的なものではないようです。誰もが外さないのが「伏見稲荷」であり、他は最上稲荷・祐徳稲荷・豊川稲荷・笠間稲荷であって、これらの稲荷はどれも日本三大稲荷と言われているのです。
          太皷谷稲成さんは日本五大稲荷の一つと言われていますが、伏見・最上・祐徳・豊川・笠間・太皷谷となると6つにもなってしまいます。

          笠間稲荷神社の楼門。未だ楼門前に茅の輪が置かれていましたのでくぐって来ました。茅の輪くぐりとは「8」の字型に回るのです。



          笠間稲荷本殿。

           

          笠間稲荷神社への参道の両脇には仲店として神具なども売っておられるお店がありました。雰囲気は伏見稲荷他社の仲見世に似た感じです。

           

          笠間から宇都宮市に入りまして、街の中の小高い場所に二荒山神社はありましたので、車で行ったことで参道を通らずに本殿横の駐車場からとなってしまいました。

          写真は参道から来た場合の神門。



          宇都宮二荒山神社本殿。

           

          宇都宮二荒山社由緒書。

           

          日光二荒山神社参道。

           

          日光二荒山神社本殿。

           

          日光二荒山神社由緒書。

           

          日光二荒山神社中宮祠(中禅寺湖湖畔)神門。



          日光二荒山神社中宮祠(中禅寺湖湖畔)本殿。

           

          日光二荒山神社中宮祠(中禅寺湖湖畔)奥宮。この横に男体山に上がる道があり。中宮祠に男体山への登山名簿が置かれている。左に大黒さんの像があることでも解るように御祭神は大国主命さま。

           

          中宮祠から見る中禅寺湖。中禅寺とは、二荒山神社の神宮寺の名。

           
           
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          全国一の宮 香取神宮・鹿島神宮

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            私は香取神宮とか鹿島神宮は初めての参拝で、まず香取神宮に向かいました。

            香取神宮総門。

             

            香取神宮拝殿。黒色が締まっています。巫女さん達が掃除中でした。

             

            が、私が気になったのは拝殿から本殿を拝するではなくて、下記の建物がなぜか
            気になりました。
            これは祈祷殿となっていますが、昔の拝殿。

             

            香取神宮の由緒書

             

            香取神宮から鹿島神宮に行くにあたって香取・鹿島と含めて東国三社の「息栖」神社に立ち寄ってみました。この息栖神社の祭神は「天鳥船神」とされています。

             

            息栖神社の参道。

             

            息栖神社本殿。


             
            息栖神社の由緒書。

             

            鹿島神宮大鳥居。

             

            鹿島神宮拝殿。

             

            鹿島神宮奥宮。これは昔の鹿島神宮の拝殿。

             

            奥宮が昔の拝殿であったことを示す立て札。
             
             
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            全国一宮巡りで成田山の祇園祭に遭遇と「あわのうた」

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              全国の一宮を回ることにした私は阿波から安房へと走り、房総にと車を進めましたが、上総の国の玉前神社から鹿島・香取に行くにあたって、成田山の新勝寺に立ち寄ることにしました。私が成田山に行くのは東京に居た20代の前半に若い者4人で成田牧場にピクニック行った時に寄った程度で、40年以上も昔のことでした。その時に新勝寺は寄ったと思うのですが、あまり記憶に残っていませんでした。

              私は無信仰の人にとやかくは言いません。私自身、子供の頃には霊の声を聞いていたのですが、成長するに連れて神とか霊を否定することはしませんでしたが、この世を生きて行くにあたって神仏とは縁遠くなっていました。だが、20代の後半に霊界からの干渉が始まったことで、かぐや姫のように霊の世界に戻る時が来たと認識したしだいです。
              どうしてこれほど霊界から干渉されるのか、意味がさっぱりわかりませんでした。そうした切っ掛け的なことがあれば、人は誰しも神仏の世界にと足も向けるからです。切っ掛けとか気づきしだいです。

              私は昭和五十五年に摩訶不思議な体験をして、霊能者の方の元に相談に行った時、貴方にはお不動様がついておられるで、当時、天台宗の総本山である三井寺(長等山園城寺)で催されていた近畿の36不動尊が一堂に集まっての御開帳に行ったところ、その中の7〜8体の青不動尊から何か解りませんがビシビシと飛んできます。
              そのことを最初の師匠に話したところ、その師匠は笑って、それはお不動様達が貴方の力を試そうとされたことで、貴方にとってはそんなことは平気だったでしょうと言われます。確かに平気だったのですが、後日私が暴れ薬師如来を鎮めようとした時にもその薬師如来からも同様のものが飛んできて、そうした類いのものは霊界の神仏からの攻撃であるとは知りました。
              しかし。私はスピリチュアルを標榜する方達からそうした話を聞いたことが無く、あまり世に知られていない事柄なのかもしれません。仮に何体かのお不動様からそうした攻撃を受けた時、自分はスピでございでどこまで通るかです。

              その師匠に、私に火炎を上げて出て来た不動明王のことを話すと、貴方は不動明王ごときを見て何をしているのですか叱られてしまいました。その師匠は豊受様のお代をする前には四国小豆島の某お不動様のお代をされていたことがあり、お不動様大好き人間の方からそうした叱責を受けるとは思ってもいませんでした。当時はお不動様ではいけない神の存在とは何だろうかと首をひねっていました。
              後にその師匠は、貴方には東西南北と中央に日本の五大不動明王様が御守護に就かれる時が来ます。その中央に就くお不動様が決まると世が動きますと驚くことを言われます。その中央に座る不動明王とは、大峰山か成田山か比叡山の不動明王様のどなたかだろうと言います。しかし、そうした事態はまだ来ていませんので、どうしてそんな言葉が師匠の口から出たのかはよく解りません。

              後日、東京の著名な霊能者の方に霊査してもらったところ、貴方にはお不動様や稲荷様が就いておられるが、それよりも上位のやがて神界を統一して来る神の存在があると指摘されましたので、私を叱った師匠やそうした霊能者の方はそうした存在の神を見ておられるのかもしれません。
              ただ、こうしたことを書きますと、それならば今すぐに神界を統一しろとの声が必ず出ますが、私は単に一介の神の下僕であり、神に向かっては恐(かしこ)み恐(かしこ)みをしている者に過ぎないのです。そうしたことをするしないは私ではなく、神と呼ばれる存在がされることです。神界には神界の事情があり、人間が知る問題でもなければ、とやかく言う話ではないのです。

              ただ、私が見なければいけない神仏の段階とは不動明王と呼ばれる存在よりも高い神の存在を言われたのだろうとは思います。私自身創造神と呼ばれる神を知らずして、創造神と呼ばれる神に向かって行ってしまったからです。

              成田山新勝寺に近づいたところで交通制限を受けてしまいました。少し迂回して駐車場に車を入れると凄い人。何事かと思いますと神輿がやって来ました。成田山祇園会のお祭りでした。祇園祭と言えば京都八坂神社(祇園神社)の祭りで、成田山で「素戔嗚尊」様のお祭りしているのか???です。
              これは調べて解りました。成田山の祇園祭とは成田山で管理する湯殿山権現社の祭礼で、山形県出羽三山の湯殿山にある分祀かと思われます。出羽三山の湯殿山は大日如来を祭るお寺ですから、素戔嗚尊様ではありませんでした。

              しかし、大日如来を載せた神輿など、私は初めて見ることとなりました。

              神輿の前に太鼓が来ました。担いでいる方達の姿を見るとお坊さんの感じです。

               

              成田山の神輿がやって来ました。

               

              この御神輿に載せられているのは「大日如来」さんとなっています。

               

              この祇園祭は成田の人々にとって、大規模のお祭りのようです。総踊りの衣装です。

               

              京都の祇園祭でも見られる山車(だし)です。祭りの形式としては京都の祇園祭に近いようです。

               

              この成田山祇園祭は7月4日の午後からで、5日は9時から権現山から御輿が出て、御輿に山車、屋台が町に繰り出して来て総踊りとなるそうです。6日は総引きなので、一番良い5日の時にたまたま遭遇したことになりました。

              下の写真はおなじみの成田山新勝寺です。本堂に着いたのが午後3時に少し前で、その日の最後の護摩焚きを本堂内で見聞することが出来ました。しかし、うれしくない光景を見てしまいました。人々の欲望です。

              もしも最初の予定であった4月に出発していれば、遭遇できなかったことになります。その意味では暑い盛りになりましたがよかったと言えます。



               

              今回、私は「阿波」から「安房」で、あることを忘れていました。私は昭和五十五年の摩訶不思議な体験で霊的世界に入らないと行けないと感じて修業に入ったのですが、最初の師匠が貴方が何者かを知るには、伏見稲荷山の御本社の豊受様に直接聞く必要があるで、翌昭和五十六年の正月にその師匠に連れられて伏見稲荷山に上がりました。
              その上がり口の途中で、その師匠が伏見山で初めて修業をされた豊受様のお塚の前で拝まれている時、私にボッティチェッリが描いた有名な裸のビーナスの絵画が見えて来て、今生のそなたの役目はこの裸のビーナスの意味を紐解くことであると出たのですが、その時に「泡」がキーワードとして出ていました。
              主のシンボルが海に漂って泡となっているところから生まれた美の女神。泡から生まれた裸の女神。

              俗に言われる富士鳴門神業の「鳴門」にしても、四国「阿波」と淡路島の「淡」の「アワ」であり、鳴門の渦巻きは「泡」なのです。

              「泡」に「阿波」に「淡」に「安房」です。言霊で言えば「ア」から「ワ」までの道です。一部の方達は「あわ」の歌を説かれていますが、その「アワ」の歌のことなのかどうかまでは未だ不明と言えます。私個人の感想は「あわの歌」のアワとは意味が違うとみています


              【あわのうた】「あ」から始まって「わ」で終わる言霊の並べ歌。
              あかはなま いきひにみうく
              ふぬむえけ へねぬおこほの
              もとろそよ をてれせゑつる
              すゆんちり しゐたらさやわ

               
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              全国一宮 阿波から安房へ 日蓮聖人の誕生地

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                私は霊的暗示として、全国一宮巡りは「阿波」から始めるで阿波を終えた後、本州から遠い沖縄と北海道を終えたところで、歯通に襲われてその治療をしていました。他にも用務があり四月下旬からの予定が七月にと大幅にずれ込んでしまいました。

                阿波の徳島から東京に向かうフェリーに車を乗せて、東京の有明港にと向かいました。そのフェリーに乗船したところで、私の幻視に一人の女神を見ていました。誰だかはよく解りませんでしたが、なんとなく玉依姫(たまよりひめ)か弟橘媛(おとたちばなひめ)ではないかという気がしていると、いよいよ「出船」と出て来ますので、海に関する女神を幻視していたのかもしれません。
                弟橘媛(おとたちばなひめ)で有名な話は上総の国の話であり、上総の玉前神社は玉依姫(たまよりひめ)と関わりが出ます。

                写真は【安房国一宮・安房神社】
                 


                安房神社の由緒書


                安房神社の由緒書によれば、御祭神の天太玉命の御孫の天富命は四国阿波国忌部族の一部を割いて房総半島に上陸したたことにより、この地が「阿波(あわ)」でなくて「安房(あわ)」と名付けられたとあります。 安房と言いますと、日蓮聖人の誕生地として知られます。私が霊的世界に入った頃、私の前によく一体のお坊さんが弟子を連れて出て来られましたが、後日そのお坊さんは日蓮さんだと判明しました。そこで、その日蓮さんゆかりの場所も訪れてみました。

                写真は日蓮さんが修行に入った最初のお寺清澄寺の山門。


                この清澄寺は日蓮聖人が32歳の時、当山旭の森で立教開宗の第一声を上げられた聖地といえます。しかし、ほとんど訪れる人もあまり無いようで、日蓮さんが生誕とされる小湊に建立された誕生寺の賑わいと比べると寂しいといえます。

                写真は清澄寺本堂。 


                この清澄寺付近から安房の海を望んでいますが、写真では海と空の境目がよく見えません。


                写真は日蓮聖人が誕生された土地に建立された誕生寺。


                安房国から上総国一之宮の玉前神社に向かいました。御本殿は現在改修中でした。なお御祭神は「玉依姫」とされているようです。


                玉前神社の境内地に祭られている【さざれ石】

                 

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                【巳(み)帰る】が始まり出したのか???

                0
                  眠ろうとしてもなかなか寝付かれず悶々としていましたら、ある光景が見えて来ます。それはどこかの小さなお社。祠と呼ばれる類の物です。その祠の台座の下から蛇が抜け出て来ます。そこまでは別にどうということもない光景です。俗に祠と呼ばれる小さなお社は蛇霊神等が鎮座しており、その現物(この世)の使いとして蛇が出て来るなどは行者筋ではありふれた話の光景です。

                  私自身修業時代は瀧場の入口に現物の巳(み)さんがとぐろを巻いていたりすると、そうしたお迎えがないと瀧場から歓迎されていないなどと聞いていました。
                  また、社に祭られる御神霊が涙ながらに感謝して天に帰られる時などは、現物の蛇が棒の様に直立するなどもありました。蛇が棒のように直立する?。です。
                  行者筋であれば、こうした現物の蛇の現象は言われるでしょう。行者や霊能者が蛇霊に関わるケースは非常に多いからです。霊能者サイドでは人の執着心や怨念が蛇化することは古来より語られて来たことです。

                  すると、私が見ている光景は次から次へと別の祠などが見えて来ます。そうした祠の台座の下から一匹の蛇の場合もあれば、数匹の蛇の場合もありますが、次々と出て来る。?、どこに行くのかと首を傾げていましたが、どうやら祠の下から皆一目散にどこかに逃げて行く様のようです。
                  すると、霊的世界で何かが起き出したことになります。

                  私はその光景を見ていて、遂に待ちに待った「巳(蛇)帰る」の時が来たのかと考えていました。

                  私自身は修業に入って間もない頃、夢の中で自分の体から一匹のコブラが出て来て、上に向かって走り上がる光景が出て来ました。自分の体の中にコブラ(蛇)が存在していた?。だが、いくら考えても意味がさっぱり解りませんでした。
                  それから少し後、当時はサラリーマンで現与謝町の旧加悦町という場所で仕事をしていまして、休み時間に小さな本屋に入って本を探していましたら、阿含宗の桐山管長さんが書かれた一冊の著本がありました。
                  ペラペラとめくって、その本を買わずにその書店を出ましたところ、そこから数十メートル歩いたところで、先程の本に前に夢で見たコブラのことが書かれていると閃いたので、慌ててその本屋に戻ってその著本を買いました。
                  帰宅したその著本を見ると、私が夢に見た現象が書かれていました。その内容は【人の中に眠るコブラが目覚めて走り上がる時、人は真理に目覚める(ヴェーダ典)】とありました。しかし、それに対して桐山管長さんの解説は何一つありませんでした。そうした現象があるとしても、それから先の【真理】とやらに目覚めるがピント来なかったのです。

                  人の中に眠るコブラなど、それまで聞いたことが無い内容です。しかしヴェーダ典の内容ともなれば、古代インドの聖典です。以後、私は【真理】とは何かを求めたのです。
                  その真理はイエスは説かず。お釈迦様は説かれていると解ったのですが、一般的にお釈迦様は仏の「慈悲」を説かれたとなっています。が、慈悲と愛ではさほど変わりません。お釈迦様の教えは改ざんされていると思っても、改ざんされているとしたならばその元が解りようがありません。
                  しかし、曹洞宗が出している檀家向けの小冊の機関誌に、「お釈迦様は慈悲ではなくて、人には良心と呼ばれる神が内在していると悟られた」とありまして、私は正直小躍りしました。慈悲と良心神では別物の教えです。それで、お釈迦様とイエスの教えの違いがはっきりしたからです。

                  それを追い打ちするように、大本教神諭予告、「九つ花に咲く一輪の言霊の経綸」によって、「みろく」の意味も「56億7千万」の意味も解けたわけです。つまり【真理】に向かったわけです。
                  私が体験した「人の中に眠るコブラが目覚めて走り上がる時、人は真理に目覚める」は、【巳(み)帰る】の現象なのです。
                  大本教の出口王仁三郎聖師は「ミカエル等の天使長は存在しない。ミカエルとは省みる(悔い改める)意味だ」と説いておられますが、聖書において人類の原罪とされる蛇の囁きとは「巳(み)帰る」によってのみ消滅するのであって、イエス一人が神の子だと信じることではなかったのです。

                  おそらく、99%の霊能者や霊感者は、自分の前に大天使長「ミカエル」が出て来たと自慢気に言われるでしょう。しかし、その「ミカエル」と名乗る大天使とか天使長に対して「真理」を尋ねたならば、彼等は真理の類を何一つ答えられないでしょう。
                  私は何かと「ミカエル」を言う方に、それならばそのミカエルに私の元に訪ねて来て欲しいと頼んでも、いくら待てども暮らせども一向にやって来ません。私はミカエルが会いに出るほどの大物ではないのでしょうが、そんな背中に大きな翼を持った存在がノコノコと出て来れば、私は「コラ!。その羽根をもぎ取ってやろうかと」一喝してしまうからでしょう。
                  彼等は【八根の意味を鳥(十里)違えた】霊達だからです。人類の原罪が「蛇の唆し」であるならば、当然にそこに出て来る答えは【巳(み)帰る】でなければならないのです。大本教の出口王仁三郎聖師がミカエル等という天使長は存在していないと言われたのもその為なのです。自分を省みる。悔い改めることによって、巳(み)は帰って行くのです。
                  それは大本教の神諭が予告した「九つ花」が雄弁に語ります。豊受の神様が貴方の言葉による教え(米型になる九つ花)を聞けぬ者は、如何なる神で有ろうとも天帝に対する反逆罪で処罰されますと言われましたが、自己の魂の中に「蛇」を入れている間は、良心神はまったく理解出来ない面があります。

                  私がいくら説いても、ほとんどの霊能者や霊感者の方は単なる「言葉遊び」と思っておられます。言葉が仕組んであることに気づかれません。自分は偉い。自分は凄い。何でも解ってる式です。
                  残念ながら、この日本で「言霊」とは何かを解っておられる霊能者や宗教家は若干名でしょう。言霊とは何かを知らずに「ことだま・ことだま」と言っておられるだけなのです。
                  和歌を歌えばとか、祝詞や御経を上げればそれが「ことだま」の本質ではないのです。それらは「ことだま」の鍛錬なのです。コトダマは如何なる悪人も善人も分け隔て無く使うことが出来ます。だすらば、コトダマの本質はそこには無いぐらい解るでしょう。

                  この日本では【邪の道は蛇】と言います。

                  聖書では、蛇の囁きは人類の原罪です。

                  最後の審判は「ミカエル」と言われて来ました。しかし、それは最終的に日本語に持って来なければ意味が解らないものだったのです。

                  そこに言葉を仕組んだ神が居られるのです。

                  自分は何でも解っていると言うのであれば、聖書に【初めに言葉は神と共に在った】とあるようなに、どうしてこうした【言葉の仕組み】に気づかれなかったのでしょうか?。

                  聖書に示される要に、人は誰しも「蛇」が居ます。そうした「蛇」は執着や怨念として宗教の世界では説かれて来ましたが、すなわち「よこしま」の心です。

                  自己の中に、聖書で説かれた蛇霊を持ち込んでいる間は、【良心神】の教えは解らないでしょう。



                  新しい世にはそうした「邪」は要りません。だからこそ、自己の中に住む「邪」を帰らせないといけないのです。
                  出口王仁三郎聖師が言われた「みの尾張の国の中には」、当然「巳(み)の終わりの国の中」の意味も含まれます。


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